”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。

片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」論
(部分・全文はいずれ公表予定)

  • 書名が有名なSF作品の名タイトルの流用であり、この点はいささか安直のそしりを免れない。タイトルの力は大きかったと思うが、この安直さを嫌う人も多いのでは。
  • 全体にリアリティーを求める作風ではなく一種の恋愛ファンタジー。この年頃の少年少女の臭み、体臭のようなものが微塵も感じられない。そのような要素はたとえば「柔道部」などの要素に一律で代表されて忌避される。数年付き合った恋人の正式なフルネームを最後まで知らなかったとか、明らかに惹かれあってしきりにキスは求め合うのに、肉体関係が結べなかったとかいう設定は、不自然きわまりないが、作者はそういうリアリティーには元々こだわりはないと思われる。
  • 「泣ける」ことが「受ける」第一要素の作品の割にはヒロインの死の描写は意外にあっさりしている。また病気の描写、ヒロイン死後の喪失感と絶望の描写などは非常に力があるが、恋愛描写は案外、力がない。
  • 情景描写は美しくさまざまな知識をちりばめ、読ませるものがある。音楽、ラジオなどの小道具もうまい。それに対して台詞回しは生硬さが目立ち、登場人物の描き分けはあまりうまくいっていない。特に祖父の言葉は軍隊経験もある長い人生を感じさせる厚みがなく、主人公とのやりとりでは人称「わし」がなければ、ほとんど独り言であるかのように区別がつかない。祖父の力が弱いので主人公の死生観も際立たずごく平凡に流れている。戦地で生命のやり取りをして生還した人物は、これでは駄目ではないか。古い恋愛にこだわる点は面白いが、これほどの祖父の執着が具体的な裏づけを持たない。主人公との会話で説明的に語られるのみ。本当に亡き人との美しい思い出に殉じたければ祖父は自殺して後事を託するべきだろう。このあたりのやりとりをこのまま映画化するとかなり滑稽だろう。この軍国世代の祖父が「愛」などという概念で事態を説明するとはどうしても思えない。
  • 主人公は理屈っぽい議論好きであり、ロック好きな剣道少年と言う設定よりは文弱な頭でっかちを思わせる。病床の恋人にも容赦なく議論を求める点など、不思議な感じがする。
  • ヒロインは典型的な「難病で亡くなる美少女」で、観念的な議論家である点、主人公と相似する。どういう人物であるかは実は全体を読んでもあまりはっきりしない。彼女の描写で一番よいところは、最期に主人公をそばに置かなかったと言う点。彼女は「死は一人の行為で、恋人と言えど一緒に経験は出来ない」と悟っていたのか。作者がどういう意図だったにせよ、この一点は実に優れている。
  • オーストラリア、アボリジニを引用する割にその点で効果が大きいとは思わない。瀬戸内の海のイメージのすがすがしさに比べてむしろ邪魔であったりする。アボリジニの宗教観、死生観をしきりに引用するが未消化のためあまり効果的とも思われない。ヒロインがなぜアボリジニに入れ込んでいるのかも不明である。高校の修学旅行先がたまたま豪州であったと言う以上に豪州が出てくる理由がない。それとも単にシドニー五輪の余韻か。
  • 最大の特徴は、なにもかも主人公の視点で描かれていること。主人公以外の人物は、たとえばヒロインの死をどう受け止めたか、などの記述は一切ない。ヒロインにしても、本当は主人公をどう思っていたのか結局わからない。基本的に「世界の中心」とは主人公個人の位置を指すと思われる。が、作中で言及される「世界」は主人公の世界、ヒロインの世界、一般論としての世界が混乱しているように思う。世界が違うというもどかしさを描いてはいない。そして、実は第五章以外のあらゆる話は、すべてどこまで本当の話なのか、祖父の件もアキの件もすべてファンタジーなのか読み手には確証がない。しかしこの第五章があるために、一応、懐疑的な読者もある納得は持てる構造でもあり、この点は優れている。
  • 時代設定は一九九〇年ごろと思われ、携帯電話もコンピューターもない最後の時代設定である。恋愛小説が成り立つ最後の時代と言えるかもしれない。今は二十四時間、垂れ流しでコミュニケートが取れるうえ、少女たちは早々と援助交際やらなにやらを経験してしまうだろうから。
  • 四国、恐らく城下町ということで松山か何かを描いていると思う(作家は確か愛媛県の出)が、方言が出てこない。祖父も、漁師も、親も、方言は用いていない。これもファンタジー化の要素であろう。生々しさがなくなるのである。
  • 総じて読書の入門書、恋愛小説の入門書としては非常に優れており、そういう企画の作品として成功したものと思われる。
第五章はなぜに必要か
一番、大事な要素は8、だと思います。要するに世界の中心で、主人公の朔太郎は愛を叫んだんだ、と。しかしそれは今ではもう希薄な思い出になっていて、最後にはアキの骨を撒いてしまうことで、本当に「手の込んだ作り話かもしれないよ」(第五章)という感じになってしまう。
まずこの第五章について分析してみます。結局、「世界の中心」=自分を中心とした世界、ということが基本であって、そこで愛を叫んでもどこにも届かなかったりするわけで、この作者、そういうことが実はいちばん言いたかったことかもしれないのです。そうじゃないと、第五章をわざわざ設ける意味が無いような気がする。だとすると、これを純愛小説と思って、書いてあることをまるっきり真に受けて、涙して、ああこういう恋愛がしてみたい、と感じるのは、それは素朴でいいのだけれど、作者の術にはまっているかもしくはある種、このタイトルつけて作者が意図したあたりをはずしている可能性がある。「いつかここからアキを見ていた。夕暮れの光のなか、校庭の隅の登り棒をよじ登っていく彼女を……しかしそれが確かな記憶であるのかどうか、もうわからなかった」(第五章)というんですよ、恐らく三十近くなった朔太郎君は。「この世界には、はじまりと終わりがある。その両端にアキがいる。それだけで充分な気がした」というんですけど、なんか分かったようで分かりません。アキで始まり、アキで終わる世界。その世界と今や決別しつつあるのじゃないかねえ、この主人公は第五章で。だってここでいう「世界」が客観的な地球と太陽系と全宇宙の時空間を含む体系すべてを指すとも、全人類六十億人の共同体を指すとも思われない。これは「アキと共に生きた(と確信していた)自分が、その世界の中心で愛を叫んだ世界」ですわな。しかしそれはもう失われたんですよ。忘れちゃったんだもの。今は彼の目の前を、別の「若い女」が登り棒を登っているんだもの。
この第五章の心境は、つまりそういう一種の独りよがりな自己中の「世界」を、なんか神秘的な表現使って全宇宙、全人類と結びつけた客観的な「世界」と意識的に言葉をごっちゃにすることで、自分を美的に感傷的に慰めている主人公、というもんじゃないですかね。散骨までしたらますますそういう気分は募ります。もともと「世界」というのは仏教用語だもんね。私はここで、作者がそういう混乱をしている、と言いたいのじゃないです。そうじゃなくて、あくまで朔太郎の意識として書かれていますもの、この小説。だとするなら、これは朔太郎が一生懸命、昔の彼女を忘れて新しい出会いに心動き始めている今の自分を、どうにか美的に処理しよう、という心情の描写だと解釈したいですね。

5・朔太郎の「世界」
そういうふうに見れば、かなり企みのある小説じゃないですか、これ。あくまでも朔太郎の記憶の回顧だから、全体のどの点、どのセリフをとっても裏づけが無い、まさに「朔太郎のセルフ世界」の物語であることに気付くでしょう? アキちゃんが本当は朔太郎をどう思っていたのか、あるいは朔太郎と一緒にいない時間、アキはどこで誰とどんな会話をしていたのか。最後の死ぬ瞬間、アキはなにを考えていたのか、まったく描かれていないですから。分かったようで分からんのです。

「最後のとき、彼女はぼくに会おうとしなかったんだ」ずっと気にかかっていたことを口にした。「会うことを拒んでいるようだった。どうしてだと思う?」(第四章2)

 ここが非常に大事ですよ。作者はここを考えて入れてますね、きっと。アキにはアキの世界があったわけです。六十億人の人間がいれば、それぞれの人間が自分を中心とした六十億の世界を持っておりますね。どの世界がどの世界より優越しているなんてことはない。社長は社員より偉い。でも、どんなに社長が偉くても、命令して表面的になにかをやらせることが出来るだけで、社員の自意識的な個人の内面世界の中に入り込むことは出来ません。恋人同士もそうですね。どんなに愛し合っていても、どんなに理解しあっているつもりでも、相手そのものにはなれません、絶対に。
 「人を好きになるってことは、自分よりも相手の方が大切だと思うことだ」と朔太郎は力説しますが(第二章2)……、ああ、もっとも本当に力説したかどうか知りません、そのように「ぼく=朔太郎」が言った、と主張しているだけですけど、それに対してアキの態度は「困ったような笑顔」で「キスでもしませんか」と言ったのですな。
 妙な感じがするんですけど、ちょっと。キスするというのは、相手の言葉を封じることです。なんか、この二人はやたらキスはしたがるんですけどねえ、不思議です。ひねくれてますか、こういう読み。
 「ときどき人けのない場所で、そっと唇を合わせるだけのキスをした。そんなふうに人の目を盗んで、素早くキスをするのが好きだった。世界が与えてくれる果実の、いちばん美味しい部分だけをかすめ取っているような気分だった」などという、これはあくまで朔太郎の主観ですから。アキがそういうキスを好きだった、という確証はありませんよ、まあ嫌いならやらないだろうけど(笑)。こいつ、結局べらべらしゃべるくせにキスしかできない男だな、と思ってたもんで「キスでもしませんか」といなしたのかも、とすら思いますけど。世界が与えてくれる甘美な果実。それはその実、朔太郎の世界で朔太郎が酔っている夢想であります。
 だって本当に恋愛してみなさいな。誰しも「自分はキスがしたい気分なのに、向こうはすぐにセックスしたがって嫌」みたいなことが延々と続くのが自然でしょ?
 
 朔太郎君は最後の最後まで、アキを理解できたのか、出来なかったのか、自分でも確証がないんですよ、この子。


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