”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。

割と何でもどんどん書くタイプの私なんですが

 割と何でもどんどん書くタイプの私なんですが、今回の提稿はじっと待っておりました。なにをって?
 そりゃ、サッカー・ワールドカップ(W杯)の日本代表の行く末がはっきりするのを、ですよ。で、はっきりしました。がっかりしました。「感動をありがとう」とか言っているサポーターたちが今回も多数。なんで日本人はこんなに穏やかで優しいんでしょう。「どうしてあんな勝てる試合で負けたんだ」と厳しく叱ってやった方がいいんじゃないだろうか。「敗北し恥をかくことに弱い日本人」という『菊と刀』の指摘は今に至るも当たっているのでは。現代っ子はタフになったとか個人主義が確立して強くなったとか言いますが、本当かね。単に勝手な自己主張をするようになっただけなんではないか。おまけに「きれいな建前にこだわる日本人」というのもそのまま。「日本は負けましたが、共催国の韓国が頑張ってくれています」とか言って、そりゃ公式な立場の人ならそう言うべきです。しかしテレビ局なども「がんばれ韓国」の合唱の輪に加わるふりをしてみせる。それが本気ならいいよ。しかし本心は「ねたましい」「悔しい」「これでは完全に韓国大会じゃないか」ということでしょう?
 これは歴史上いきがかりがある国だからとか、共催国だからとか、そういうもんだいじゃない。負ければ悔しく、近隣のライバル国に先んじられればねたましい。ごくごく自然なお話。実際、サッカーW杯がこれほどナショナリズムを自然にあおるものだと、日本人はここまであまり理解していなかったと思う。「愛国心」が大嫌いだと思われる某全国紙がスポンサーになっていたけど、どういうつもりだったのか。若い者たちがものすごく自然に素朴に「愛国者っぽく」ふるまう様を見て。サッカーというのは手を使わない、すなわち反近代文明。だから発展途上国で盛ん。そしてもともとは英国の労働者階級の怒りのはけ口、土着的なカーニバルの一種。だから暴力的でもあり、近代的な「国家」とは違う、もっと原初的な「うちの民族」的なノリが主流を占める。なんでアメリカがいまいちサッカーが好きじゃないのかも、その辺の都合でしょう。
 と言うわけで、――あれ、これは文芸時評か。これじゃサッカーテレビ観戦記だ。ナンシー関か私は。で、文芸ネタで言えば、ちょっと旧聞だが高橋源一郎さん『日本文学盛衰記』が伊藤整文学賞。ほかの賞では「近代文学への冒涜だ」とか「不真面目だ」と批判の声も多かったそうだが、でも面白いよこれ。文学ファンの方がパロディーが分かって面白い。『文学部唯野教授』がよかったのなら、これももっと認めるべき(でも、唯野は本気で教科書だと思って読んだ人多数だった模様。牧歌的な時代だった)。文学ってだいたいえげつないもんじゃないのか。立派なものじゃないはずなんだ。猥雑な魅力がなければ芸術じゃない。詩もそう。真面目くさったきれい事はやめましょう。もう二十一世紀です、はい。

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