”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。

人生いろいろ、詩もいろいろですからねえ
「ガニメデ」31号(2004・8)掲載

この場を借りて、いきなりですが個人的な近況を書きますと、母親が入院しました。高血圧のためなのですが、上が二百八十八で下が百五十だかいうとんでもない数値で、入院先の病院でも「うちでは新記録ものだ」と感心されたというからあきれてしまいます。
などと言っていましたら、その後、心筋梗塞で手術という話になってしまいました、いやはや。
そんなわけで、現代詩人会の「日本の詩祭」という会合の幹事を頼まれていたのですが、やむを得ず欠席させていただきました。関係の皆様、申し訳ありませんでした。
結構、数えてみますと私と二人の親の三人で、この二十五年ほどの間に一か月異常の長期入院が五回もあります。五年に一回は誰かが大病をやっている計算になりますから多いんでしょうね、これは。
と、こんなことを書いていて思いましたが、私は医療ネタを詩に書いたことがありません。実際、病院もの、というカテゴリーが詩集にもあると思いますし、その中でも闘病もの、というのは必ず迫力のあるものが書ける、詩人もベテランの多い昨今、このジャンルに入るものは多いのですが、私はまあ書いたことがない。若いからでしょう、という人がいるかもしれないけれどそういうもんでもない。また、深刻じゃないからでしょう、ということになるかもしれない。が、実際には、その五回の入院には生死をさまようレベルのものもあったわけですが(今回もですね)、取り上げたことがない。
結局、あまり私は自分の実人生を取り上げたくない、それを人に読ませたいと思わないタイプの人間なのだろう、と思います。
 そこらへんでまた、思うのであります。なんで詩にはべったりと「現代詩」というジャンルしかないのであろうか、と。これ、ある意味で不思議です。お互いに詩人という看板を掲げています。そしてまあ、お互いに読み合って褒めるなり貶すなり、無視するなりしあって、適当な賞を与え合って、新聞に小さく載ります。そんなことをしている私たちではありますが、本当のところを言って、お互いの書いているものをどう理解しているのだろう、異質なものを書いているもの同士が、まるきり見当はずれなことを言い合っているだけかもしれない、と思うこともあります。
たとえば、一般の文章表現で、「感動的な闘病記」「体験に基づく戦争ノンフィクション」「政治的な扇動文」「日記・随筆」「投書」「純文学的な小説」「SF/ファンタジー」「売れ筋の恋愛小説」を一緒くたに並べて、これのどれがいいとか悪いとか論じてもどうにもならない。これらの中から一番いいものはどれだ、と言ってもまるで違う観点のものなので比較のしようもない。商業出版の世界ではある程度、純粋に売れ行きで比較する、ということはできるかもしれないが、詩についてはそういうこともない。こうなると優劣についてもごくごく個人的な好き嫌いとか、作家作品研究的なものの言い方とか、方法論風に牽強付会に難しい単語を並べて煙にまく、あとはその詩人の実績とか経歴とかで判断する。そんなことしかできないような気がします。で、我々ときた日には、お互いの書いているものも考えていることもまるきり違うのに、的外れな批評をしあっているように感じることは世間の詩人の皆さんはないのでありましょうか。私はいつでも感じています。
詩の世界に決定的に欠けているのは批評である、とは皆が言うのに、実際にはじゃあ批評などされて欲しいモンだろうか? 率直に言って、私はまるきりあさっての世界に住んでいる人に批評してもらっても意味がない、と常々思っているのであります。
日本では、文芸評論が飯の種になるような状況というのがかつてあって、その流れを汲んで今でも「文芸評論家」という肩書きの人が少しはおります。これが成り立つのは商業という前提が一応はあるからでありましょう。詩にはそういうものがないのですから、「よし、俺は詩の批評家になってやろう」なんて者は出てきようがありません。仕方がないものは待っていてもどうにもならない。
近頃、思うのですが、比較的若い世代の詩人というのは、九〇年代ごろからなんとかして商業ベースに近づこう、という努力を払ってきたように思います。しかし成功を収めたというものはついに登場しなかった。一方、ベテラン世代はどちらかというと世代のサロン化を進めてしまったように見受けるのですが、私もこの間、その「若手詩人」だったものですから「どうもベテランの人らは、若いものを成熟していないなどと馬鹿にするばかりでつれないなあ」と恨めしく眺めていたものでした、正直、私としてはそう思ってきた。
が、近頃はもう詩人としてどうこうじゃない、社会人として忙しくなりました。秋に池袋でやっている朗読ライブも、今年は十月十六日に予定していますが、そして野村喜和夫、城戸朱理、平居謙といった人々に、今回は金井雄ニ、さらに歌人の黒瀬珂?の各氏が参加予定ですが、今回で最終回とします。面倒くさくなってきたんですね、はっきり言って。
とまあ、ふてくされてこのところ読んだ詩集を適宜、挙げておきます。
マルチェロ・タカダ「世界へ」(岩礁の会)は私には非常に分かりやすい一冊でした。クールで言葉に冴えがあり、カタカナ語をためらわずに使う。私などにはごく標準的で上質な「平成の詩」です。が、本の後に同人のベテラン方が「異質な」「若い」詩人としていろいろ解説していますが、無用の蛇足にしか思えませんでした。谷郁雄「自分にふさわしい場所」(理論社)は、ある種、ベストセラー小説「世界の中心で、愛をさけぶ」のようなイメージを持っているしまた、その直接の影響じゃないでしょうが、谷さんははっきり「商業性」を狙った詩の試み、を打ち出していると思います。私はこういう姿勢を示す詩人を無視する人は嫌いです。竹村啓「宇宙音」(土曜美術社出版販売)はご本人が、これは文学なのか詩なのかよく分からない、好きなように書いたのだ、というようなことをあとがきに記していますが、これでいいのじゃないでしょうか。私には極めて分かりやすい世界だった。広田泰「夏の協奏曲」(ふたば工房)は帯文を豊原清明さんが書いており、内容的にもその影響下にあるなあ、と思いましたがそれがいい方向に出ているように見受けました。言葉の力がこれまで以上にパワーアップしています。森川雅美「くるぶしのふかい湖」(思潮社)これは面白いですね。詩集版ルーツ? ほかに小柳玲子「為永さんの朝」(花神社)中井ひさ子「動物記」(土曜美術社出版販売)若松丈太郎「越境する霧」(弦書房)などが個人的にお気に入りでしたが、これ以上駄弁を費やすのはやめましょう。
どうせ個人的な好き好きですから。人生いろいろ、詩もいろいろですからねえ(小泉首相風の無責任コメント)。

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