”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。

詩壇時評 やっぱり菊池寛は偉い!

 なんというのか、先日の発表で月刊「文藝春秋」が売り上げ百万部を超えたという。言うまでもなく、綿矢りさ、金原ひとみの芥川賞受賞作が掲載されたからである。さすが、と思った、私は。いいえ、若い二人の話題性とか才能について、さすが、と唸ったのではなくて、菊池寛という人の仕掛けた装置がこれだけ時間がたっても有効であることに、唸ったのであります。何しろ二月ごろと八月ごろは、本が売れない時期だそうでありまして、文春の売り上げ安定を図った菊地が、芥川賞、直木賞を作った、と。そして、なにより菊池寛は文学を道楽から産業に変えたわけです。そのシステムが今日も作動しているから、これだけ出版不況だ活字離れだと言われても、成り立っているわけですね、業界が。
 昨年、ちょっとした事情があって、久米正雄の人生をリサーチする機会がありました。新思潮グループの中でも、久米正雄、菊池寛、芥川龍之介というのが特に重要なわけですが、一番早く有名になったのは久米なんですね。もう高校時代に俳人として名を挙げ、大学に入ってからは戯曲が上演されたりして、この一派の中でも出世頭だった。で、この久米と芥川が夏目漱石のところに弟子入りする。すると漱石先生はしきりに芥川の作品を褒めて、あなたは立派な作家になる、という。ついでのように久米君もなかなかいいものを書くけどムラがある、などと批評する。あれ、久米正雄は本当はむかついていただろうと思う。
 で、漱石は長女の筆子のお婿さんに芥川が欲しかったようだが、芥川はもう彼女がいますから、と断った。そこで久米が、今度は筆子にアタックする、新思潮の仲間の松岡譲もアプローチする、そしたらこの恋のレースでは松岡が勝って、「漱石の娘婿」の地位につく。何をやってもうまくいかない久米はすっかりふてくされてしまう、と。
 一方、作家としては、漱石の見立ては正しくて、その後、芥川龍之介は急激に文名を上げていく。久米正雄はいまいち、伸び悩む。菊池寛に至っては全然、成功しない。そのうち、菊池は自分が所属している新聞社の連載小説に久米正雄を起用するわけです。それは売り上げに結びつくように、できるだけ通俗的な小説にしてくれ、ということだった。そこで久米は、先の鬱憤憤懣を丸出しにして、筆子にふられる過程を描く。これがヒットしてしまうわけですね。で、久米はその後も自分の失恋ネタで『破船』を書いて売れっ子になる。菊池寛も「ああいうのは商売になるな」と気付いて、例の『真珠夫人』なんてものを書く。こういう路線を発見して以後、菊池は素晴らしい実業家としての才覚を発揮して、文学の産業化を志向して行く訳であります。
さて、昨年、久米家の方とか、久米正雄を顕彰する郡山青年会議所の皆さんとお話しする機会があったときに、「芥川賞はともかく、直木賞の方を、久米正雄賞、略して久米賞にしてくれればよかったのに」という話題になりました。直木三十五という作家を、今われわれは直木賞という名前だけで知っているわけで、読んだことのある人などほぼいないと思う。久米正雄の作品も、もはや書店に行っても全然、手に入らない。しかし通俗小説、つまり今日のエンターテイメント系文学、商売として成り立つ文学をプロデュースしたのは菊池寛、そして第一号は久米正雄なんだから、もし久米正雄が若くして死んでいたりしたら、今頃は「芥川賞・久米賞発表!」と言っていたに違いないのであります。
菊池寛という、作家でもあるけど実業家でもある存在、というのがいかに日本の文学界・出版界に影響を与えているか、を今回の「文春百万部」の報でもつい、思い起こす私でありました。漫画家であり実業家でもあったウオルト・ディズニーみたいな存在ですね。プレイング・マネージャーというか。
詩の世界にも、たとえば菊池寛みたいな人がいればまた、違っていたかもしれません。作詞の部門に手を広げて包摂するみたいな発想で。というのも小説の世界は、通俗小説でもうけた金で出版社を成り立たせ、それで純文学を養う、といった構造を菊池が完成させたわけで、そこに後で漫画なんかも出版社を介して経済構造上、入ってくる。
詩もそういうところで養ってもらえればよかったんだろうけれど、結局、見放されてしまったのでしょうよね。作詞の世界は、音楽の世界に統合されレコード会社の領分になったから。このへんだって大正時代ぐらいははっきりしてなかったわけで、作詞家と詩人は近接してたわけですが。あのころの詩人の振る舞い方が、菊池寛みたいに機転の利くものじゃなかったことは確かでしょうねえ。
なんかこんなとりとめないことを考えるこのごろであります。
ところで、その綿矢、金原の両作品について、私の読んだ感想は、正直言ってオーソドックスな作品だな、というに尽きます。若い感性、と宣伝されているけれど、そういう意味の驚きは、全然、感じないのですが、いかがでしょうか。コミケの同人小説家で同性愛ものを書いてるような人のほうがずっと衝撃的なものを書いてると思う。背中を何度も蹴られて気付かないものか、とか、大したことじゃないのに不幸がってんじゃねえ、とか、刑事が小娘にあんな口利くか、とか、そもそもあれで捕まらないのはおかしいだろう、警察舐めとんのか、とか……ついついオヤジ的突っ込みも(苦笑)。
驚きを感じた、というので挙げるなら、昨年、私が野村喜和夫、城戸朱理、和合亮一さんらと開いた朗読ライブに、歌人の黒瀬珂瀾さんがおいでになりました。で、歌集『黒耀宮』(ながらみ書房)をいただいたのです。私は短詩にはそんなに興味がある方じゃありません。が、俳句はほとんどついていけないけれど、短歌は大丈夫。最後の七、七があるから大丈夫(意味わかります?)。それはこの歌集にある
風狂ふ夜の身を打つもみぢ葉の秋の……光だ、信用できぬ
 こういう名作を読んで、やっぱり最後がないとこういうことはできないな、と。次のガニメデに百首を寄せられるとか。今から期待大(さすがに百首はたいへん、とサイトに書いておられました。頑張ってください!)。
 おおっと、かなり紙数を費やしてしまった。このところ読んで「驚きを感じた」詩集を。
 なんといっても有松裕子『擬陽性』はいいですね。これは近頃惚れこんだ一冊と言っていいです、個人的に。いきなりバルタン星人との愛を語るんだものな。これだ、こういう詩が欲しかったのだ(ヒトラー風に叫んでみる!)。槇さわ子『祝祭』は、人の死というものを背景に常に置いて、美しくも泣けます。黒羽英二『須臾の間に』の言葉の勢いはなにやら、私ぐらいの年齢の元ハードロック小僧を思わせる。若々しい。長嶋南子『シャカシャカ』の、人生の重いことを語りながらいつものキャッチーな魅力を失わないところ、とりわけお見事。また思い切りキャッチーなこの造本もいいなあ。これが第一詩集である高石晴香『たまごと砂時計』かなり、すごく気に入りました。若い看護師さんなんですが、職業体験から出てくる言葉が生々しくも瑞々しい。特筆すべきものとして故・桃谷容子『野火は神に向って燃える』。これは特別なものだ、と言うしかない。読んでいただくしかない。
 と、いい詩集はたくさん出ております。文藝春秋さん、儲かったんなら詩の面倒も見てください、みんな頑張ってるんだから(?)。

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