”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。

さがな。特集「詩集を出すこと」掲載
 要するに「研究心」で出してますかね。

 なるほどなるほど、「詩集を出すこと」ね。こういう特集が組まれるのはメールマガジン「さがな。」ならではのメディア特性なんじゃないですか。面白いです。というのは、たとえば「現代詩手帖」や「詩と思想」などでこういうテーマを立てても、要するにこれらの商業誌の読者、お得意さん、あるいはこれらの本から見て「詩人」というのは、紙の本の詩集を出したことのある人、あるいは出す気のある人、だと思うのですよね。それも当然です。あくまでこれらの会社は、紙の本を出す版元、出版社なのですから。だから、こういうところで「詩集を出すこととは?」と聞かれると、そりゃ詩人としてデビューするための条件ですね、ということで終わってしまいかねない。
 で、一方で紙の詩集を出さない人もいるわけですね、当節は。全部ネットオンリーですよ、という。こういう人は「自費出版で詩集出して、仲間内で配ってもつまらないし。それに金ないし」という話ですね。これはこれで分かりますね。
 で、詩集出すこと、というのはなんにしても金かかります。これは本当ですね。というか、今時は本を出す、ということを商業ベースで考えたら、おおむね成り立たない状況です。そんなことを気にしないで、詩集を出す詩人と言うのは、要するに趣味道楽で大金を使う奇特な人種であるわけですが、まあ趣味なんだし何しようと勝手だし。でまあ、なにかの賞が欲しいとか、ある程度、既成の詩壇で地位を得たいと考える昔かたぎな人なら、紙の詩集を出す、それもできればある程度ブランド力のある版元から、ハードカバーで一応、ISBNなど取得した詩集を出しておく、というのは不可欠な要素なんだし、そしてそういう俗な心境もまた、まったく否定できるモンでもなく、趣味道楽といえども世俗的の達成感は欲しい、ある程度の野心は満足させたい、と考えるのは別におかしな話でもなんでもなく、野心家であることとは文学者としてむしろいいことだし。まあ、ほとんど自費で出版するという形式から、詩集を出すだけなら出せますよ、ということは成り立つ。版元が必要な金を出す代わりに、売れる見込みのないものは出しません、という商業出版とはまた違った出版文化である、と。それが気に入らない、という人は出さないし、それでもいいから出す、という人は出すし。費用対効果を考慮するといいのか悪いのか。
 その点で言うと、いろいろ理屈を言っても、宣伝、はったりのためには、これまでの「詩集」というものは意外に不特定向けじゃないので小部数ゆえ効率はよく、よって紙の詩集は出しておくに越したことはないのであって、要はそのための予算があるかないか、という程度の問題でありましょう。
 しかしまあ、そこで先から言っている、「仲間内で配るだけの詩集なんてつまらない」というところに疑問を感じる人が出るのは、これまた自然な感情でしてね。が、まず認識しておかなきゃならないのは、詩以外の文学形式でも純文学なんて自費とか、自費じゃなくても大量買取が原則の小説がザラであります。エンターテイメントなら別ですが、文学はもう商業出版としてはかなり成り立たないので、詩は駄目だ、駄目だと悲観しなくてもいいということ。それから、これは結構前から言っておりますが、詩をだらだら並べて一冊の本仕立てて2000円とか値段つけても、そりゃ商品としての流通力はぜんぜん、ありませんよ、と。一冊の本の情報量としては、詩集というのはかなり弱いのは歴然としております。とくに単価との兼ね合いから見れば、間違いなくマニア受けの世界です。そこでとどまっていていいのか、ということがあります。
 で、私は前に三一書房から出した『全世界を滅ぼして「自分」だけがいればよい』と、それからこの11月に発行の『世界と戦う7つのレッスン』では、詩以外の文章、詩以外の情報をアカラサマに載せて、それでかえって詩という表現の特性を浮き立たせよう、という試みをしております。要するに本として工夫してみた。前作はそこそこに成功したようですが、今度のはどうか。
 じつは(あ、宣伝入ってきました、すみません)、今度の『世界と戦う7つのレッスン』は、平居謙の新レーベルである草原詩社から出す、という冒険をやっております。これ自体、かなり冒険よね。実績のない版元だもの。しかし平居さんはちゃんと流通経路を確保している、配給は星雲社に任せている。それにISBNも当然、取得している。そこが気に入ったのね。で、全部、横組みにするは、解説は和合亮一さんにお願いするは、もう自分の道楽なんだし、平居プロデューサーと組んで思い切り、自分が喜べるもの、ついでに分かってくれる人ならニヤリとしてくれそうなもの、を「本」という商品形式として追求してみました。詩集に編集・プロデュース感覚を持ち込みたいのよ。ただ並べるんじゃなくて。
 はっきり言いまして、これまでの「詩集」というものへの批評でもあります、これは。私の「詩」自体、そもそも詩という形式一般への批評めいている場合が多かったりして。
 と言いますかねえ、私は自己の満足のために詩を書いたこともないし、自己の達成のために詩集を出したこともないし。あと世界を平和にするためとか、人類を幸福にするためにも詩集出さないし。
 どっちかいうと、今までの詩に対して付け足しをする、あるいは今までの詩集文化に付け足しをする、という感覚が強いですね。あと、可能ならば正岡子規じゃないけど、日本語が変わっていく、私はその中で21世紀のメール語対応、ロック語対応、ラップ語対応の日本語の詩を考えたい、という研究心はちょっと、というか、かなりあります。
 要は批評、というより道楽ですかね。しかし付け足しと言うか、蛇足だったりしますね、私の存在など。「つけた詩」とか?
 はあ、詰まんないですな……。そんでも構わない。自分の道楽です。誰にも文句は言わせません。が、いくぶんでも狙いが分かってくれる人がいるとうれしいですね、詩集を出す以上は。


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