”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。

「新日本文学」の編集部さんから

 「新日本文学」の編集部さんから「こっちでも誌上ライヴをやってくれよ」と言われて、登場したんだけど、――どうなんでしょう、去年の暮れに出した私の『全世界を滅ぼして「自分」だけがいればよい』(三一書房)は読んでくださいましたか。ライヴ実況型エッセイ+詩集というものでしたが、書店さんも困っていたようです。書泉グランデではアイドル本と並んで置いてあったし、高田馬場の芳林堂ではオーソドックスに詩集のコーナー、八重洲ブックセンターも詩のコーナーだが、少し扱いが流行本っぽかった。神田三省堂では思想書コーナーで、「日本の論客」という棚にありました。
 要するに、どうあつかったものか書店も悩んだみたいですね。
 この本については結構、いろいろな読者から感想を頂いたんですが、中でベテランの世代から二、三あったのが、「今時の若い者はみんな、独りよがりで自分が世界の中心だと思っているのじゃないか。だからむしろ、こういう主張は古いのじゃないか」といったもの。もちろんおおかたの人は、このキャッチフレーズが商業的・戦略的な挑発であることや、あるいは禅の修行で「座禅を組んでいて親が出てきても師が出てきても、仏が出てきてもそれは殺してしまえ。それは幻影だ」という感覚、哲学的な「独り」の勧めを説いているのだというあたり、ちゃんと読みとっていただいたのですが。
 今時の世代、と一括りにするのもナンですが、先日も新聞の若い人向け投書欄に、わが意を得たりというか、やっぱり自分の見方の方がリアルに近い、というのがあって、それは現役の中学生の女子の投書なんですが、要するに地面に座って悪ぶったり、他人をおしのけて傍若無人にふるまう時、汚い言葉をはいたりするとき、今時の衆は決して一人じゃやらない、自分も仲間といるとどうしても悪ぶってしまう、それは「集団心理」なんだと思う、というのですね。なんで仲間と一緒だと「悪」じゃなきゃいけないのか。
まじめな優等生はだめで、悪めの方がかっこいい、という価値観が広まってから恐らく二十年近くたっている、中学校や高校では。勉強は悪いことで、点取り虫はだめなやつで、ゆとりある教育が必要だ、などと言い出してからでも十五年はたっている。今やそれがスタンダード化したんでしょう。われわれかつて「新人類」呼ばわりされた者の世代では、「悪」はまだクールだった。まだまだ本心ではいい点取るやつの方が勝ちだ、と思っていた、時代的に。だから突っ張りなんて言っていたんだが、今時は「悪」系が普通だ、ということ。はっきり言ってアメリカ流「勝ち組・負け組」二分法でいえば、負け組側についているのをよしとする。本当はエリート寄りであるべき人でも、態度としてはだめな人側に寄り添う。やさしいのでしょうかね、それとも腐っているのか。だから東大の学生たちも見かけもやることも言ってることも、フリーター連中と変わらない。変わらないようにしている。これが「フツーっぽい」から。この普通っぽい、というのが今時の若い衆の処世には一番大事で、実は個性なんて微塵もないのだよな、見てると。そしてこれは、集団心理なんだ、と本人たちがそう思っているらしい。で、優等生をよしとするベテラン世代と接するとき、彼らはますます必要以上に悪ぶる。そういう感じがする。
今の若い衆の特徴は、「社会」とか昔風の「世間」というものがなくなった。だから「世間体が悪いから」というベテランの感覚は理解しない。そういう意味では自由気ままなんだが、変わって「仲間」に異様に引きずられる。仲間っていうのは同級生とか遊び仲間とか、職場の本当に机を並べている間柄とか。そういう狭い範囲の「仲間」のことですね。その間ではやたら人間関係が厳しいらしい。これじゃ江戸時代と変わらないというか、全然、自由なんかじゃないと思うのですが。学校の決めた制服はうざったいから着くずしたり汚したりする。だが、仲間うちで決まった「着くずし方」ってものがあって、それには従っていないといけない。「あいつういてるな」「うざってえ」とかいっていじめられる。あえて例えれば、昔の軍隊の内務班みたいな陰湿さ。「今時の若者」の犯罪記録を見ると、ほとんどは一緒にいた仲間がはやし立てるのでエスカレートしたとか、仲間にいいところを見せようとして過剰にやってしまったとか、そんなものばかり。あるいは逆に、そういう仲間の「群れ」から放逐されたタイプの若い衆が走りやすいのが劇場型犯罪というやつね。通り魔殺人とか、不条理な犯行というやつ。ああいうのは仲間がいなくて一人でやっている者が多いけど、今度は大向こうの受けを狙ってマスコミに犯行予告をしてみたり、目立つ所を選んだり、そういう発想になる。しかも少年法の規定なんかも熟読していて、「この歳で二、三人殺しても大したことはないはず」と踏んで犯行に及んだりする者が後を絶たない。
 こんな連中が、どこが「自分独り」という感覚を持っているのでしょうか。彼らは確かに独りよがりでわがままです。でも、全然、「独り」になどなれない。他人の目を意識ばかりしている。その他人というのが非常に狭いだけである。同じ年代の「仲間」の目をびくびく気にしながら生きている。これなら、昔風の「世間体」におびえて生きていた世代の方が、社会が安定するというだけでもなんぼかましというもの。
私は極論したい。「世界が気に入らないのであれば、それを作っているのは自分なのだから、自分一人が消えればいいのだ」と。
 今のおおかたの若い衆が、自分たった一人で全世界、全宇宙と対峙する覚悟も発想もない、とだけは断言しますね。そしてまた言う。彼らは私の本なんて実は読めない。あれが読めるのはかなり学力がある人だけ。東大に入っても一冊も本なんか読まないという、近頃の衆には無理でしょう。
 意外でしょうか。私は、古いものはお察しの通りに嫌いです。あんなへぼい下手な戦争をやった古い日本を賛美しない。敗北必至の戦争を、そうとわかっていながら自分たちの組織を守るという発想だけでやらかしてしまった当時の政治家や軍部幕僚(政治家や官僚の体質は戦前も平成の今も、まったく変わっていないことは最近、あからさまになりつうありますね)、それを黙って見ていた、お互いの顔を見ているだけで引きずられていった当時の日本人が立派だったとはとても言えない。しかし、今時の若い衆の「軽チャー」にはまったく興味がない。私はまさに私独り。誰のまねもしません。アメリカのような階層社会の、おもに下層とされる社会の風俗や音楽、つまりヒップホップ系がなぜ九〇年代以後の日本の若者文化を規定しているのか。日本人は分かっていないのです。アメリカの本質は1%に満たないエリートたちが担っており、彼らはジャンクフードなんか喰わないし、ラップなんか聴かないし、ズボンをずりさげて歩いたりしない。ほとんどの人は安い賃金でこき使われて、でも「アメリカの生活様式はすばらしい」「世界に冠たるアメリカ人であることは誇りである」と洗脳されて生きる。そのへんはテロの後のあの国の有り様でみんな分かったのじゃないか。で、半植民地たる日本の若い者たちは、ほとんど自発的にアメリカの負け組の文化を選び取りつつあるわけ。嘆かわしいですね。
 ところで、今回の編集部の注文は「なんでもいいからパンチの効いたものを書いてくれ」ということで、テーマの指定はなかった。これはこれで困るんだよね、なんでもいいっていうのも。
 なんでもいいっていうと、チョット前だと猫も杓子もテロねた。私も書いた。でも、いまになってみるとどうでしょう。「最大級の衝撃」と騒いだ記憶も徐々に遠くなりにけり。あれはやっぱりアメリカ人にとって最大級の衝撃だったのであって、自分のところの善良な市民が突然、攻撃されて逃げまどう可能性っていうものを考慮したことがない国だから、あんなに興奮してしまった。
 これを書いている4月現在、どっちかというと中東情勢、というかイスラエルの問題の方がクローズアップされています。このイスラエルの論理というのも、「テロリストをやっつけるためなら、なにをしても正義なんだろ」という開き直りから始まっていて、誰もシャロン君を止められない。
 ここまで書いて、ふと思いました。日本人というものは、戦後半世紀以上にわたって一種の思考停止に陥ってきたのじゃないか、という反省が近頃、しきりに聞かれます。それはその通り、その中に「ユダヤ人」というのも入っているわけですよね。日本人一般の感覚というのは、なんだか分からないけどヒトラーとかナチスとかいう悪人がいて、ユダヤ人というかわいそうな人たちをいじめ殺した、それでかわいそうだからイスラエルという国ができて(できて、というのはどういうことかは知らないまま)みんな平和になってよかったね、と。
 その後はなんだかよく分からなくて、イスラム教を信じている怖いテロリストがいっぱいいてあいかわらずユダヤ人の人たちはいじめられている、それで中東戦争とかいうのが起こって、アラファトとかいう怖いヤツと戦っていたらしい。日本赤軍とかいう日本人の一団もなんか悪いことをしていたらしい。
 それでクリントンさんの間は割と和平ムードだったのがいつの間にやら妙な感じになってまたまた戦争状態なんだけど、いったいなんなんでしょう。
 などと書いてみたけれど、これだけ知っている人はかなり物知りなほうか。
 逆にナチスがでっちあげた「シオンの議定書」なんてのを信じていて、何もかも世界はユダヤ人とフリーメーソンが牛耳っている、という人もいる。まあ、有る程度、そういう面はあるにしても、ほとんど荒唐無稽なものが多すぎる。
 そもそもあのイスラエルというのはなんなのよ。どうしてアメリカはあんなにあの国にやさしいの。そこらへんのことはあまり言いますまい。要するにアメリカではユダヤ人が強いんだわな。「屋根の上のバイオリン弾き」なんてものを見ると、ロシアでポグロムを受けて村を追い出された人の過半はアメリカへ、その他は今のイスラエルへ。やっぱ多いわけですよ、アメリカ人になった人が。
 ロシアはかなり最後まで弾圧をやった国ですが、その他においてもゲットーに閉じこめて差別したなんてのはごく普通の話。で、ここで日本人なんかが理解不可能なのは、同じ人間なのになんで、などと言う人がいるが、日本人にそんなもんしょせんわからん。実際に隣近所に異文化異教徒の人が居るということは。ことに血みどろの宗教戦争を繰り返して、同じキリスト教徒の中でも異端だなんだと殺し合ったヨーロッパで、イエスを売り渡したユダヤ人、最後に安息の地に導かれるのは自分らだけだ、という教義のユダヤ人が、まあ仲良くしましょうなどと言われるわけもない。なにかおもしろくないことがあると「あいつら目障りだな」となる。
 確かにヒトラーのように、「最終解決」を図ったのは後にも先にもないけれど、そもそもユダヤ人をいじめてやれ、という常識は欧州にあってはきわめて普遍的なもの。戦後は、ナチスと同類、と言われるのが怖さにそういうのは影を潜めたと言います。それに若い世代は宗教に感心が薄い(なにしろユダヤ人で無神論者というのが今では本当にいます。それはユダヤ人なんだろうか)ので抵抗が薄くなった。
 が、今度のことで「ユダヤ人ってやっぱり単にかわいそうな人たちなんてもんじゃないな」とみんな思い出したのじゃないでしょうか。ユダヤ人の正体見えたり。なんで連中が嫌われてきたか。ああいう連中だからですよ。聖誕教会で撃ち合いとなると、尋常じゃない。
 私は単純に平和ならなんでもいいや、とは思わない。パレスチナ人もユダヤ人も自分たちの生存をかけて戦っている。どちらが正しいとか間違っているというようなものではない。少なくとも日本人なんかが浅知恵で容喙できるような話ではない。もし元寇の時にわれわれの祖先が日本列島を追い出されていて、大陸を放浪している間にいじめぬかれて(そのほうが鍛えられてよかったかもしれませんが)、その後、第二次大戦(といっても日本がなかったら太平洋戦線もないし、アジアの植民地もそのまんまだったろうし、歴史はどうなっていたでしょうか。日本の開戦動機を美化するのはよろしくありませんけど、です)の後で、アメリカなどの戦勝国が気の毒がって(あるいは本当の日本人と違ってこの架空ニホンジンは逞しいのでアメリカに談判して、かも)日本列島に帰してくれた。そしたらもうモンゴルの子孫が七百年も住んでいて独自の文化を作っている。ここに乗り込んでいってたとえば「京都を帰せ」とか「奈良から出て行け」と言って戦争になったらどんな感じになるか、と。
 ましてユダヤ人がヨシュアに率いられて他民族を徹底的に駆逐して作った古代王国がアッという間に豪奢の限りを尽くして滅び、ローマ帝国領となって、ケルンあたりに抑留されて、なんて話からは一体全体、何千年たっているのか、そりゃ追い出された方はおとなしく引き下がらない。でも乗り込んでいった連中も必死だ。そんななまなかな覚悟ではない。とても日本人なんかがいろいろと論評できる話じゃない。
 そういえばユダヤ人にも二種類あるそうですね。ヨーロッパ方面からやってきた人たちと、昔からイスラム圏にとどまっていたユダヤ人。で、今のイスラエルはヨーロッパ帰りの「アシュケナージ」という連中が牛耳っている。首相はみんなヨーロッパ帰り系だそう。古代からイスラム圏にとどまって頑張ってきた人たちの方が大体、貧しくて、宗教的には厳格で、そして「アシュケナージなんて本当のユダヤ人じゃない」と言っているらしい。あの国も中身はいろいろとあるんですな。
 アシュケナージの中心はやっぱりドイツ帰りの衆。そもそもアシュケナージって「ドイツの」という意味だから。彼らの発想が、チェコを併呑したときの第三帝国のラインハルト・ハイドリッヒSS上級大将なんかにそっくりなのは故無しとしない。もろにナチスの影響を受けたのは、迫害を受けた当のユダヤ人たちである、というのが悲しいですね。
 と、ここまでおつきあいしていただいてありがとうございました。妙な放談ですみません。最後にひとつ詩でも。


世界を救う薬

僕らがここに こうして いようがいまいがオーケーなんだろうか
世界のどこかでまた人が死ぬ でも僕は自分の風邪が治らないこと
そっちのほうがいらだたしい

強い薬を飲み続けた 気分が悪くなる
いつかきっとよくなると思う でも飲めば飲むほど
僕は吐き気がする

僕の風邪が治ろうが治るまいが オーケーなんだろうか
世界がこのままどこかへ行く 薬を飲め ピルは3錠以上
まとめて口に放り込め

止まらない 止まらない
助けてくれないか
吐き気に 死に
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