”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。

「戦争ってヤツ」(1992年潮流出版社)より

この本に関するセルフ解説:記念すべき第一詩集。当時25歳だから作品は20代前半に書いたもの。社会派系の「潮流詩派」に所属し、その出版レーベルから出したものだけに、最近の辻元なら決して取り上げない政治がかったテーマ、決して書かないようなストレートな「演説調」も見られる。処女出版なのでテンションは高く、初期の名作と自分でも思える作品も多い。「戦争」がらみのコンセプトが注目と批判を集めたのも事実。清水哲男編著『現代詩つれづれ草』(新潮社)に「ドードーとルイス・キャロル」「二段跳ばしの黒人」が取り上げられた。この本は入手困難です。

戦争ってヤツ

生と死は飛び去り
戦争がどっかと腰を下ろす
いろいろおめかしまでして
カメラの前でポーズをきめる

クールでいけすかない
あの戦争ってヤツ
ピカピカの勲章をぶらさげて
今日も愛想よく死体の数を数える

ヤツは年寄りだが相変わらず元気そのもの!

セルフ解説:これを書いた当時、私は23歳です。で、湾岸戦争の只中だったわけ。このイメージというのは、どうもコリン・パウエル大将の記者会見です。が、戦争そのものを擬人化してみたんで、自分としてはうまくひねれたな、と。


戦死という死に方

それは悲惨な死に方だからいけないのか
それは強制された死だからいけないのか
それはつまり
戦争による死だからいけない
ということなのだろう

僕も戦死などしたくないし
今のところ
戦死はしない状況でもある

ところで平和な時代にも
むごたらしい死に方や不本意な死に方がある
南方のジャングルで生きながらウジの巣となって
死んでいった兵士たちは確かに悲惨だが
衣食住足りた現代の若者もまた十分に
悲惨な死に方を知っている
遊び半分にいじめ殺され
救いのないエイズ死に怯え種族としての
未来を失いかけている僕たち
そして世代の英雄と目されたロックシンガーは
豊かな時代
だからこそ強要される孤独地獄の中で覚せい剤に溺れ
夜の路上に一糸纏わぬ姿で敗死して果てた
そのとき
またひとつ
よりすがるべき幻想が死んだのだ
戦死とは現象的には悲惨だったが
哲学的には
おそらく迷いのない死に方だったかもしれない
国家によりすがる生の裏面としての
それは選択の余地なき
唯一の
死に方のスタンダードだった
いま僕たちは
五十年近くの平和の中で
それに代わる確かな生き方と死に方を
なにかひとつでも
発見できただろうか
創り得ただろうか
そこを
だれかうまく説明して欲しい

セルフ解説:発表当時、批判の多かった作品です、これ。今読むと、もしこういうテーマで今の自分が書くならこんなに丁寧に説明しないし、もっと短いだろうし、だいたい行分けしすぎだし。これに対して「あなたは自分たちがどんなに恵まれているか、幸せなのか分からないのか」と随分お叱りを受けました。しかし、戦前より戦後、過去より現在が常に幸福である、という信仰はその後、なくなりました。尾崎豊事件もこのころだったんですね、今となると歴史だなあ。


特攻隊の人は

昔 学習塾で社会科を教えていた
三学期になると
太平洋戦争のあたりまで授業が進む
しかし
そこで一時間以上 足踏みしている余裕はない
戦後の改革やら
その後の冷戦構造やら
恐らく最近の教科書には
共産主義の失敗というカリキュラムも
設けてあるのだろうから
ところが
ついつい
話が脱線することもある すると
なにしろ生徒というものは容赦がないもので

 先生―
 特攻隊の人はどうして途中で逃げなかったの?
 飛行機に片道の燃料しか積まなかったんだよ。
 海に爆弾を捨てて逃げたらいいのに?
 爆弾は外せないようになっていたんだよ。
 特攻隊の人はどうして死んだの?
 そういう命令だったからだよ。
 命令だと死ぬの?
 そういう雰囲気だったんだよ、きっと。
 特攻隊の人は死ぬのは平気だったの?
 平気なわけはないさ。
 じゃどうして死ぬのはイヤだと言わなかったの?
 そういうのは卑怯だとされていたからだよ。それに、
 自分たちが犠牲になれば日本にいる
 みんなが助かるかもしれないと、そう思ったんだろう。
 じゃ特攻隊の人が死んで、それでみんなは助かったの?
 うーん、そうだねえ・・・・。
 ねえ、じゃ特攻隊の人は・・・・。

という具合になって どうも
学校の先生はこういう話は
してくれないらしいが
塾の先生としても
テストに出ないことは これ以上
話したくないのであった


セルフ解説:ナイーブな作品だよな、今読むと。我ながら確かに不用意に書いているなあ。でもこれ、この不用意さが戦略なんだよね、で、これにつっかかってくる戦中派もいたわけだな。だいたい、これは塾の先生たる語り手と、さらに若い中学生の会話だということが読みとれないほど興奮している人も居て、よく読めというの。素朴な質問してるのは中学生なわけよ、語り手じゃなくて。で、このような会話は塾で実際にありました。だから実話です。ここで「わだつみの声」でも読むように指導すべきだったというのかな、文句言う人は? だから最後の二、三行が本作の肝ですよ。学校の先生も教えないことを、テストの点数だけ考慮するべき学習塾で教える義務はないのですよ。それも一九六七年生まれの大学生が七一年生まれの中学生に、何を偉そうに教えることができるものか。あれから十五年以上たちました。今の中学生はこういう質問してるでしょうか。


二段跳ばしの黒人

いやだ いやだと 思いながら
僕が階段をよたよた
歩いているとき
きりっとしたスーツに身を包んだ黒人が
大股に
二段跳ばしで
僕を追い越していった
まったく はつらつとした
テンポ
バネのように勢いよく
先へ 先へと進んでいく
その
肯定的な爽快さ 健康さ
いいなとつられて 僕も 急に
背筋が伸びた
ぐんぐん足が動き始め
そのまま彼について登っていきたくなった
あのとき だれかが話しかけてきたら
きっと
僕は英語で答えただろう
でもだれも 何も言わなかったので
僕もいつの間にか猫背になり
群衆の中の
もとのポジションに復帰した
日本では「位置」が人間を前進させるので
二段跳ばしなどは
絶対の 御法度なのだ

ようやく僕も気がついたのだ

セルフ解説:とにかく題名が面白い作品でしたね、これ。新聞の詩壇評で荒川さんがそういう理由で取り上げた作品。清水さんの本では、最後の方の落ちが余分じゃないのか、という指摘がありました。そうですね・・・今の目で見ると、ラストの十行カットしてもいいかも、ですね。しかし素直な作風だったのだな、信じられない(笑)。


素っ裸の象
動物園で僕は
素っ裸の象を見て
  たまらないほどのむきだしの
ぎょえ
ぎょえ とばかり
   滝のような
   山のような
莫大な排泄物に
赤面した
あれがもし
服を着た象だったら
もっともっと赤面し続けたろうな

セルフ解説:今でもこの手の軽い作品を書きますが、まあ、これなどが走りでしょう、辻元作品の中では。今でも面白い発想だったんじゃないか、と思っています。セルフお気に入りな作品。


ドードーとルイス・キャロル

私が彼に出会う前に
ひとりの少女が 彼にゆびぬきを与え
また受け取ったという
彼は
太った腹に ほかにもまだたくさんの
叡知を溜め込んでいたはずだ
私が船に乗り
スナークの群れる島から
立ち去った夜
南十字星の下に佇って
もう二度と再会できないことを
彼はよく知っていたらしい
彼は生物学的には鳥だったが
空を飛ぶ能力はなく
哲学的には賢者だったが
人を疑う能力に欠けていた

セルフ解説:これは発表当時、評判が良かった作品。清水さんにも風刺詩と叙情詩がまざったような面白い個性、といってこれを取り上げていただきました。私が自分で今の目で見ても、言葉の密度がそこそこあって、この時期(22〜23歳)の中ではいい作品じゃないかな、と。ルイス・キャロルに傾倒してたんですね。スナーク狩りとか。今でもキャロルを引用したり下敷きにすることは多いです。

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