”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。

「野性の月」(1996年、潮流出版社)

この本に関するセルフ解説:29歳で出した、20代の総決算詩集です。この作品集はおおむね今の辻元スタイルが確立したものだと思います。作品の粒も自分で見ても揃っています。辻元文学研究者にとっては重要な一冊といえましょう(その研究者って誰?)。ちなみにオクタビオ・パスに「野生の月」というのがあるんですって? もちろん知りませんでした、当時。だからパロディーじゃありません。この本は入手困難です。


私は溢れる

指先を見た 私は小さく冷たい違和感を感じたのだった
そして私の指先は血を流していた
それは銀色でもなければ透明でもなく鮮やかな炎の赤であった
溶鉱炉から溢れた銑鉄のような それは挑発的な赤であった
そうやって私は知らない間に怪我をしていた
何をしている間にか傷ついていた私の肉体は
この世のいかなる硬い物と衝突したのか
血を流していた
私の細胞は破壊されて
そこで機能を停止した機械のように置き去りにされていた
ところが
私というものは それに気がつきもせず鼻歌でも歌っていた
私というものは 私という
それは私の傷を知りもしなかった それが私だとも思わず
何時の間にであろうか 薄い紙 もしくは刃物?
そのように傷つきある日ある時ある所で
深く深く傷つきもっともっと赤い血を流すだろう
もっともっともっと 深く深く深く手負いとなって
私は一層激しく一層赤く赤く赤く燃え上がるように溢れることだろう
私は溢れる 世界へと溢れる 歴史へと溢れる
なにかとぶつかっては傷つき壊れてはとどまり
自分でも知らない間にひどく溢れに溢れ続けることだろう

セルフ解説:まだまだ煮込みがたりないですが、呪詛のような呪文のようなリフレイン、ヒトラーの演説のような繰り返しと挑発的な物言い。神話的なイメージを狙った大げさな語彙。これ、明らかに30歳以後の作品の基本パターンを作ったものですね。まだ生真面目ですけど。


野性の月

野性の月が忽然とあがった
まだどの歌にも歌われる前の剥き出しの月が私を照らした
それは痛々しいほど病的な光を帯びて
不吉な美しさのみが繊細な木々の枝を刺し貫き通し
私の凡庸さを照射しているのだった
それはルビコンを越える騎馬兵を知らず
山上で袖を振った宮人の姿も記憶せず
そこから訪れた者など知らず
そこに足を踏み入れた者のことも知らず
これまでにそれを見上げたどれほど多くの航海者も
傷心の旅人なども それはまるで見ていなかった
童話作家の感傷は理解を超えたものだった
恐らくは
穴居人の洞穴を照らした神々しい月ですらなかった
いかなる素朴といえどもそれにはかかわりなく
意識なるものとは無縁のもの 無名の月
幾億年の歳月の経過についてどんな擬人化も無意味な
巨大な自然石として空中に浮かぶ
崇拝を許さぬ 愛することを許さぬ 観測も昇華も許さぬ
そのような月が大地からまっすぐに上がるのを
私はどうしても見逃すことができなかった

セルフ解説:タイトルをとった作品ですが、これ、月はいつもの月なんですよね。変わったのはそれを見ている「私」の心のほう。これまでの手垢のついた、ウサギがいたり、かぐや姫がいたり、あるいはアポロが着陸したり、といったあらゆる人類史と無関係な、無名の天体として忽然と目の前に現れ出でたわけですよ、その「月」がどーんと。その自分対無名の天体という緊張感を言いたいわけでしょう、これ。そういうものとしての月を「見逃すことができな」い、まあ書き手はなにか新たな境地にあるわけね。で、一応言えば、実際に千葉県柏市の住宅地を夕方歩いていて、急に開けたところでばーん、と白い月が出て「うわあ」と言ってしまった。それがきっかけで生まれた詩です、これは。


そんな気がしたことは?

町を 横断歩道を
効率の良い地下街の人ごみを
歩いているようなとき
突然 自分がばらばらに壊れてしまう
そんな気がしたことは?
自分を内側で繋いでいる内かが
銀色の紐なのかワイヤーなのか
あるいは何かの神経細胞でしょうか
そんなようなもの

ボロ屑のように引き裂けて
千切れてしまって
それのおかげで まあ恥ずかしくない程度に
ネクタイ締めて右脚と左脚を口語に繰り出して
生きてはいけたというような
それがまるきり駄目になってしまって
駄目に 駄目に まるきり駄目になってしまって
いつしかばらばらと崩壊した自分の部品が
木切れやネジやプラスティックや
身分証明カード 磁気感応式定期券 暗証番号
そんなものが床の上にカラカラと転がっていて
自分の頭が壊れた地球儀みたいにぐるぐる
回転していて 無意味に まるで
本物の世界そのもののように無意味に
無意味に
無意味に
無意味に
一滴の血も流れません
というような
そんな気がしたことは?
もう一度 組み立てるには何が必要でしょうか
もう一度 組み立てる
何を
誰を
なんのためにさ
接着剤ありますか 瞬間的に乾く強力透明タイプ
そこらのコンビニで売ってますか
売ってたらいくらなら買いますか
買ったら何をどう組み立てますか
組み立てたとしたら
それは本当にあなたですか

セルフ解説:これは辻元型詩のひとつの原型で、こういうのがここに来て出てきたのは、日本社会の変化と辻元の、年齢を重ねてきたことによるものの見方の変化があるんでしょう。不安感、脅迫感ですよね。これが多くなるんです、この後。たたみかけるような反復とか。詰問調とか。息苦しさが出てくる。存在論的な、また身体論的な発想も増えてきます、背景の濃度として。あと、具体物、たとえばここではコンビニで売ってる瞬間接着剤とか、身分証明カード、定期券などですね。こういう具体物を並べる手法の原型でもあります。産業量産社会の息苦しさ、過剰さですね。ありふれた物の囲繞、そして私の凡庸ぶり、「それで俺って誰? ただの部品ジャン」とかね。ほら、1995、6年には21世紀が始まってたんです、私の中では。ここら、テストに出るからよく覚えておくように(!)。


サルスベリが綺麗な夏

この夏はサルスベリの花が綺麗 と言われた
そんなものどこに と答えた
ほら あの赤い花 と言われた
ああ あの赤い花
ああ あの

あそこにも そちらにも どちらも こちらも
どこもかしこも
その赤い花によく似た
赤い花 赤い花
これが

一体 今までどこに咲いていたんだろう

そのサルスベリというのが咲いている
僕の宇宙に初めての
サルスベリが咲く夏が
赤々と
ここに燃えている

セルフ解説:赤い花はいつも咲いていたわけです。でも私の宇宙の唯一の観測者は私である、と。私が知らないものはないのと同じ。それは「Water!」と叫んでサリバン先生に抱きつくようなことと同じですね。九六年の夏が猛暑で、母親から、今年はサルスベリが・・・と教えられたのが実話。暑いほどこの花、よく咲くそうで。私、植物には無知です、三島さんタイプで。

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