”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。

アメリカぎらい、文学ぎらい

 今回は少し、例の「九一一」事件について、それにその後の米軍の一連の軍事行動についてふれておこうと思います。というのも、前の号ではほとんどわざとこのことにふれなかったから。こうした歴史を動かしかねない問題を慌てて取り上げることに危惧を覚えたから。しかも現代のニュースはものすごいスピードで進展します。米軍によるタリバン征伐はアッという間に事実上、終結。しかしこれを書いている現在、ウサマ・ビンラーディンもオマルも所在すら分からない。所期の目的は達せられず、本当にこれで作戦成功だったのか。
 これからビンラーディンが逃げ込んでいそうな国や地域に米軍は掃討の兵力を差し向けるでしょう。もし日本に潜伏していたら、日本を空爆するかもしれない。あのアフガン攻撃というのはそういう論理だったのだから。次はソマリアか、イラクか、フィリピンか。
 ビンラーディンとしては、捕まらない限り次のテロを仕掛けなくとも、十分にアメリカを中心とした先進国に脅しをかけ続けることができる。見えない恐怖こそがテロの本質で、だから米軍の勝利がどれほど表面的に華々しくても、それは古い戦争観での勝利。そういうことだと思います。炭疸菌テロは未解決、それにアル・カーイダとはかかわりのないテロやテロ未遂。私ははじめから、ほとんど人種差別的に中東系の人ばかり調べたり入国制限したりしているアメリカの捜査当局をうさんくさいと思っていたが、案の定、タリバンにも白人のアメリカ人がいたし、十七歳の少年は自爆テロをまねてビルに突っ込みました。
 敵か味方か。なんでも単純に割り切ることをアメリカ人は好む。しかしいかにグローバル化を進めようと、世界はアメリカではなく、アメリカ大統領はローマ皇帝ではない。
 さすがに真珠湾攻撃とこのテロを比較するものの言い方は影を潜めました。だが、怒りを覚えた日本人は多かったでしょう。少なくとも正規の海軍兵力がぶつかった真珠湾攻撃とこの無差別テロを一緒にされることは、日本人にとっては屈辱的であり、アメリカ人の腹の底が見えた感すらする。やはり彼らは原爆を落とした国であり、こちらは落とされた国です。さいきんの若い日本人には、第二次大戦を日本がアメリカと組んで、ドイツやソ連と戦った戦争だと思っているものが少なからずいる。じゃあ広島に修学旅行に行って、これらのガキは何を見てきたのか、まあ何も見てこなかったんだろうけど。これで学校の授業数を世界最低レベルまで減らすというのだから。
 そうこうするうちに中国はどんどん勢力を増す、北朝鮮は傍若無人に工作船を走らせる。相変わらずこちらはおたおたする。近頃の中国はアジア経済圏の中で影響力を増大するべく、日本の追い落としにかかっている。「日本軍の侵略」というのはまたとない切り札である。おどしもすかしも、古い話を持ち出して威嚇するのも、外交の世界では常識であります。
 というようなことを考えていたら、アメリカの著名な言語学者(現代思想ブームの洗礼を浴びた人ならおなじみの名前)ノーム・チョムスキーの『9.11 アメリカに報復する資格はない!』という本を読んで得心するところ大。 「チョムスキーは政治かぶれになって駄目になった」と信じ込まされていたが、ああいうのもアメリカ当局の陰謀だったのかも。目からうろこの一冊なのでお勧めします。
 簡単に言えば、アメリカおよびCIAこそが世界のテロの元凶であり、彼らのやっていることはテロそのもの。だからフセインもビンラーディンもアメリカの弟子なのである。アメリカは自分に都合のいい勢力のテロや虐殺は見て見ぬ振りをし武器を与え、敵に回ると「テロリストだ」といって攻撃する。インディアンを殺し、ハワイで、フィリピンで、インドネシアで、虐殺を繰り返し、南ベトナムに侵攻し(北ではありません。南に、です。南の政府に頼まれたので派兵した、という論理はソ連のアフガン侵攻とどう違うのか)、ニカラグアで虐殺と破壊の限りを尽くし、パナマを爆撃し、コソボを爆撃し、アフガンを爆撃し、戦後二十五回も他国を攻撃しているアメリカ。そのくせイスラエルの「テロ」は黙認する。暗殺や爆破。そういった手口はみんなCIAが輸出したもの。そのお手本はナチスの親衛隊やゲシュタポです。敵対勢力には「テロリスト」のらく印をおして弾圧する。だからフセインがクルド人をサリンで殺している間、フセインはアメリカ側であったために非難しなかった。敵に回った途端に「人権侵害だ」と言い出した。
 チョムスキーによれば日本への原爆投下も戦争の展開と関係なかった以上、一種のテロだと言うことですが。私も同感。
 要するに、アメリカというテロの親玉とビンラーディンという、元弟子のテロリストの戦いに過ぎないということ。どっちも単なるテロリストだということ。それが本質なのは間違いないところです。
 が、アメリカの市民はマイクを向けられると「なんでこんな立派な国が攻撃されるのか分からない」とか言う。そうじゃない人もいっぱいいるでしょうけど。で、葬式や追悼式に国旗を掲げ、国家をならす。あれはなんなんだ。アメリカ原理主義者。あいつらは宗教です。よっぽどタリバンより筋金入りの。
 とまあ、陰気な話で終始。でも「詩人」の人たちも911事件についていろいろ思ったでしょうが、その場その場で反応すると後で、意味がないものになりかねないので注意が必要。
 私は先日、一般の出版社からこの連載エッセーと詩をまとめた詩プラスエッセー集という変則的な本を出しました。気づいたのは、詩だけだと普通の出版社の編集者は見てくれない。詩には力がなく、出版する意義もない、と考えられているらしい。だから私はエッセーの方が多いぐらいにした。この企画は通って出版にこぎつけました。読売新聞に広告は載るわ、朝日新聞から取材がきて書評欄に載るわ、でやはり一般書籍として出すと、反響が全然違う。部数も大きいし。
 世界が激動しているというのに、詩人は小さなところでまとまっていていいのか。私は今ほど強く感じるときはありません。
 ところで、この本を出したあと、反響もいろいろあったのだが、それでまたはっきりした。私はアメリカのほかにやはり文学ぎらいだ。それにホームページぎらいだ。それが再確認できました。
 まず文学。この本に収めた「酒鬼薔薇少年の日本語力」という文章について、「こういう明快な割り切り方は腑に落ちない。彼の言語に心を揺さぶられるのではないか」とホームページで書いている人がいた。私はそういう言説が理解できない。犯罪者の書いた物は常に面白い。当たり前だ。しかしだからそれを面白がってはいけない。それを肯定すると、私もだれか人殺しをしてラスコリニコフでも気取ってベストセラーを書きたくなる。だから認めてはならない。私は永山某も佐川某も認めない。政治犯ならいいが。酒鬼薔薇くんは実際に出所後は作家になりたいそうである。きっとベストセラーを書くだろう。それが「文学」なら私には文学などいらない。そんなものはこの世になくてもいいのである。文学やら芸術やら、それがなんだというのか、と思いつつ恥じらいながらやるのが文学であって、罪を誇ってやるものではないし、他人は安易に評価すべきでない。
 それからホームページ。卑怯である。さっきのはましだが、ひどい者はただ単に嫉妬や好ききらいを並べている。だから、ホームページなどくだらない、と本に書いたし、ますますそう思った。私の住所もアドレスも公開している。新聞や書籍なら批判するにも覚悟を持ってするが、ホームページ管理者は無責任である。取材もしないし、勉強もしていない。
 ことに詩のホームページはひどい。他人の詩をどれもこれもけなしたあげく、自分はまるきり屑のような詩まがいを堂々と載せている。そのくせ本人はホームページで発表するだけで、活字メディアなどで本格的な批判にさらされることを、まりで古くさいこと、という論理に偽装して逃げている。そういう輩が多すぎる。
 こんなものをはやらしたアメリカはだから、ますます気にくわないのである。

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