アジアは駄目だなあ
今回のテーマは「花」であります。しかし……、あまり花には思い入れがないんですよね、私の場合。春になれば桜が舞い散る、それをみてああ、もののあわれだなあ、などと人並みには思うのだけれど。まあ、日常的にはあんまり気にもとまらない。そういえばある年、あまりにもあちこちで赤い花が咲いているので、母親に「あれはなんなの?」と聞いた。「ああ、あれはサルスベリで、夏が暑いとよく咲くんだよ」と教わったので、この花だけはよく認識しております。
そういや、もう一つ赤い花といえば、福井県に住んでいたとき、近所にやたら大振りの赤い花が咲いているから、このときも母親にあれはなんだ、と聞いて、ヒガンバナと教わったよう
な気がします。どうしてあそこに群れて咲いていたのかな。今考えると、なんか気持ち悪いですけど。
花というのは生殖器ですよね。いきなりですけど。卑猥なのでパンツを被せておこう、なんて話がありますが……、いやないですか。考えすぎというか。で、主に昆虫とか鳥とかに見せるために、ああいう目立つ姿形にしているわけですね、科学的には。すなわちそいつらに受粉の手助けをさせて、その代償に蜜を吸わせてあげるという。人間の場合は、女性の方に特にアピールするというのはなにかわけがあるのであろうか。なんかあると思うんですよねえ。なにがしかのフェロモンを発しているのじゃないか。専門家の解説を聞きたいところです。動物行動学とか、そういう領域だろうか。
そこでふと思い出した。またまた毎度の軍事ネタで恐縮ですが、旧海軍が実用化できた数少ないジェット機に「桜花」というのがあります。この当時、まだ実用ジェット機はドイツぐらいしか使っていないので、戦闘機にでもすればそれなりに活躍できたと思うのだけど、当時の日本軍の発想だともう、早く飛べる=途中で落とされないで特攻できる、しかなくて、だから桜花は悲しいことに特攻専用機だった、というのは有名なお話。松本零士先生は、戦場漫画で米軍の連中にこの特攻機を「チェリー・ブロッサム」と呼ばせていたけど、つまり桜花の直訳ですね。だが実際には米軍のコードネームは驚くなかれ「BAKA」だった、というのもよく知
られておりますね。コードネームというのは外国の兵器にあだ名をつけることで、台風にジェーン台風だのと女性の名前を付けたのと同じ、確か一式陸攻はべティで零戦三二型はジークだったかな、鍾馗はトージョーで、それで桜花は「バカ」だった次第。わざわざ日本語なんだよねえ。悲しい。この機体はこれまた戦史によく知られる神雷攻撃隊なんかで、大型の一式陸攻に抱かれて出撃し、ほとんどはその母機の陸攻ごと撃墜されてしまったそう。つまり航続力がぜんぜんなかった。だから発進する前に母機ごと落とせば怖くも何ともないので、文字通り米軍からみれば「バカ」そのものだったのだけど、死んだ日本兵が浮かばれないですね、これ。
というかおそらく、特攻自体が信じがたいバカげた行為なんだが(たとえ作戦成功しても、味方も全損する戦法なのだから、戦争を経済としてみた場合、こんなことをやる軍隊は絶対必敗であります)、わざわざ負けかけている時期に「特攻専用機」なんてものを開発し量産して、それがわざわざ最新式のジェット機で、しかも実戦ではまるで役に立たない、という、アメリカ型合理主義からみて、腹の底から理解しがたい産物だったわけだね。日本軍の常軌を逸したくだらなさを米軍は最大の皮肉と侮蔑を込めてバカと呼んだ。これに乗せられた人の気持ちを思うとやりきれないが、しかし確かにこりゃバカというコードネームこそお似合いで、桜花などという美名でかっこよく決めるような代物ではない。
美名。なんだか日本人は桜というのを特別視してきたし、靖国神社で咲いて会おうというのも桜ですねえ。どうもこの、日本人のぱっと咲いてぱっと散って、その名のみ千載の記憶に残そうというような発想は、世界中のどこにもないですな。はっきり言ってねばりがなく、またいいかっこしいでもある。いやなところをみたくないから負けるとみんな玉砕してしまう。平家とか北条得宗が山にこもってゲリラ戦したということはない。これは日本史において武士たちのあり方、生き恥をさらすよりは死処を求めん、しかしこれでは勝てませんぞグローバルスタンダード的には。千年でも二千年でもうらみつらみを抱えて戦うのが、諸外国の普通の発想。あえていえば武士じゃなくて天皇家はやはりだてに長くやっていないというか、南北朝時代などというのを見ますと、あれは南朝がゲリラ戦を何十年にもわたってやっておりますね。
敗戦後も、昭和天皇がマッカーサーとどういうやりとりをしたのか、資料がでてきたもののあまりはっきりしないそうですが、いずれにしてもすごい粘り腰。したたかといえばしたたかな感じもある。日本刀ぶら下げた武士のメンタリティーを引き継いだつもりでいた旧日本軍なんてものが滅んでも、日本の王権は不滅であるというのはむしろ当然であるかもしれません。
昨年は日本人が相次いでノーベル賞をとりましたが、あれで田中耕一さんがもらったのを聞いて思ったのは、とにかくノーベル賞の選考委員会というのはすごいな、ということ。小柴
氏はおそらく日本が前から売り込んでいた人でしょうが、田中さんの方は文部科学省がぜんぜん名前も知らなかった。ストックホルムの人を見る目というか、調査力のすばらしさには脱帽するしかありません。ついでにいえば、平和賞にアメリカ主導のアフガン政府の首班カルザイ氏ではなく、わざわざブッシュさんへのあてつけにジミー・カーター氏を据えたあたりもなかなかのもの。
でもブッシュさんの戦争熱を冷ますことは無理なようで、アメリカはどんどん経済が悪化するにつれてますます挙国一致。さて今頃はバグダッドは廃墟になっておりますかしら。
そのイラクの占領政策というのも早々と昨年のうちにブッシュ政権は立てていて、要するに日本を占領したマッカーサー流でやる、というんです。が、まずうまくいかないね。日本人は結局、信念も何にもない、瞬間的なヒステリーで興奮するだけの国民性。負ければさっさと前のことなんか忘れてしまう。しかしあちらの国は宗教心をしっかり持っている国で、中にはフセイン圧政を嫌う者もたくさんいるだろうけれど、しかしそういう人でもアメリカはもっと嫌いというもんでしょう。原爆落とされてもあんまり恨んでもいない、という日本人は世界的に希有な例。
最近、つくづくアジアは駄目だなあ、と思うようになりました。日本も民主主義なんてちっともうまく機能していない、韓国じゃ大統領が変わるたびに前任者はつるし上げを食い逮捕
される。中国は経済的繁栄を追うけれど表面だけいくら装いを新たにしても中身は共産党独裁のまま、いつなにがどうなるかわかったもんじゃないのは相変わらず。そして北朝鮮は論外というかなんというか。そんでどこに行っても幼稚なナショナリズム、国威発揚、そんなんばっかりです。やっぱりアジアは駄目だ。
今年中に北朝鮮も地図からなくなってしまうかもしれないけれど、もしアメリカが北朝鮮を制圧したら、こちらこそマッカーサー流で成功するでしょう。アメリカ軍の司令官は「偉大な将軍様」と英雄崇拝されるでしょう。
私は本当にアメリカが出てくるようになったら、中国も介入してくるかも、と思っております。アメリカにとられるぐらいなら、中国が侵入してしまえ、ということもあるいは、などと想像します。アメリカの方は中国威圧のために前線基地を欲しがるでしょうしね。
で、日本ですが……、さあどうするのやら。なんともかんとも二十一世紀は恐ろしい世紀となって参りました。戦争とテロの世紀。日本の若い世代は六十代の人が若い頃と比較して、割合的には半分も消費しないのだとか。また日本の中学生は未来に希望も自信もなく、勉強もやる気なく、すっかり意気消沈しているらしいですね、最近の新聞報道によると。そりゃ正常だと思う。ついでにいって子ども作るのをいやがる若い夫婦も正常だと思う。
未来に展望がないのに、子どもを送り出すのは確かに無責任だと思えるこのごろです。
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