一世風靡の後に
この会報のインタビューで、大学時代の恩師に久しぶりに会いました。近代文学、ことに白樺派周辺と志賀直哉研究に関しては第一人者の紅野敏郎先生です。結婚式に来ていただいて以来、五年ぶりで、八十歳になられたのですが元気そのもの。私が学生時代に初めてお会いしたのが六十代の後半だったと思うのですが、そのころとまったく風貌も話し方も変わらない。そして、今現在も早大の社会人向け講座に出講されているし、文学館の館長のお仕事、全集ものの解説のたぐいの仕事も引きも切らない有り様、とのことです。
さてそれで、この日は久米正雄の話をうかがったのですが、この久米正雄なる人物、一時代を風靡した売れっ子だったにもかかわらず今では一般には風化しかかっている作家です。芥川竜之介や菊池寛らと東大の同級生で、新思潮で活躍し、漱石門下として非常にかわいがられたのだが、その後、漱石門下主流派から離れ、漱石の長女との失恋に悩み、その体験を元に「破船」を書いて一躍、ベストセラー作家になる、という人です。伊藤整などの書き方に従えば、大正期から昭和にかけて徐々に文学の産業化が進み、その中で破滅型文士を演じ続けて私小説を発表するタイプと、出版者の要請にこたえて流行小説を生産するタイプに分かれていく、そこでそうした産業化の圧迫感につぶれたのが芥川で、うまく乗ったのが久米、自分で産業化を組織したのが菊池ということになるのでしょう。この日も「結局、芥川の方が死後、神様のように扱われて久米正雄は今では忘れられている。書店でも簡単に手に入らない作家になってしまった。デビューした当時は久米の方が活躍していたし、ヒット作も多かったのに、どうしてこんなに差がついたのでしょう」とうかがったら、「いやあ、やっぱり売れてしまって、それがあんまり売れるとかえって値打ちが下がることがある。もっと評価してあげるべき作家なんですが」というようなお話をされました。今現在の、極限まで産業化している出版界に文壇。今日の「売れっ子」作家はまず、百年後に紙幣の絵柄にはなれないでしょう。それを考えますと、詩人は「売れるがゆえの劣化」を考慮する必要は目下、まったくない(苦笑)。確かに、詩は残しておけば命脈は長い。誰でも所有しているという飽和状態にならないということは、いつでも新作同様に読み手に訴える部分がある。ものは考えようで、詩人のメリットは産業ではないところ、と確かに言える。そんなことをふと考えさせられる恩師との再会でした。
うたかたの平泳ぎ
それでなんでどうして どうしてぼくらは いつもそんなおもいで
いきるということが いきをすることで いきをすることが
くるしいことだと わかるために
ここにやってきて また どこかにいくのかな
いつまでも いつまでも岸が見えてこないで
せかいがちいさな水の玉になって
ぼくは そのなかの ちいさなあわになって はじけてきえる かも。
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