というわけで誌上ライヴ開始!
んがー。ということで、拙者が「りりじゃん」に今回から陣借りいたす羽柴筑前――じゃなくて、辻元です。よろしくお願いします。
といったしおらしい感じじゃなくて、けっこうギンギンのライヴ感覚で、と平居さんから頼まれたんで、こうなったらそういうノリでいくから。そこんとこよろしく(古いかも)。
で、割となんでも猛スピードで母は、というのが好きな私であるんだが、今回はちょっと提稿を遅らせていた。なんでかというと、サッカー・ワールドカップ(W杯)での日本代表の行く末を見届けようという意識が働いたわけだよね。で、見届けました、今日現在。言いたいことといったらこれだね。
「感動をありがとう! トルシエ・ジャパン」
――てか(笑)。んなわけねえだろうがあああっ。言いたいことはただ一つ。
「あんな勝てる試合で負けるなぼけええっ。戦争だったら
言い訳が通るかあああっ」である。
だいたい、今回までW杯なんてなんだかよく分からなかった日本人にとって、あれが一種の「疑似戦争」または「代替戦争」だってのを理解することは刺激が強すぎたんだが、しかし紛れもない。W杯は世界戦争の代替の要素を強く持っているのだよ。日本でもあれだけ日ごろしらけた若者が、みんな愛国者っぽくなったじゃないの。ニッポン、ニッポンと叫んでたじゃないの。「愛国心嫌い」で有名な某新聞がなぜか十五億だか払ってスポンサーについていたけど、それで一生懸命「中田ヒデは君が代が嫌い」とか「日本代表はこれっきり。もっと自由な立場でサッカーをしたい」と言ってるとか、そういう虚報を流しまくった。しかしW杯は国単位であって、これが結局いちばん偉い大会なんだから、国の代表でなくなったら、その選手はもう一流じゃないわけだ。ワールドワイドに技を磨いても、最後はどこかの国に帰属して戦うのがサッカーという世界なんだから、無責任なことを書かれては中田も迷惑だろう。
そもそもです。サッカーがあれほどナショナリズムとか民俗とか人種とかいうものを明確にあおるものとは、これまで日本人は知らなかったでしょう。サッカーは手を使わないんだ、つまり反近代合理主義なんだ。だから発展途上国で盛んである。そしてその成り立ちは、イギリスの労働者階級の怒りや不満のはけ口であり、また土着的なカーニバルの一種でもあり、要はものすごく原初的な「おらが民族、おらが国」という意識に根ざしたものなんだな。近代国家じゃなくて。だからして、アメリカ人には体質的に合わない所があるわけだ(もっとも一番の理由は、金になるプロリーグが整備されていないという点でしょうが)。しかしさすがに今回、ベスト8まで進んだら米国内でも盛り上がったらしい。決勝まで行けば、今までまったく関心のなかったブッシュさんでも急にやってきて「やっぱりアメリカは正しい」とか言ったに違いない。
このナショナリズムをあおるというところから、人種差別的なお話もどんどん出てきて、ペルージャのおやじなんて非常に正直に「黄色いヤツはいらない。韓国だの日本だの、W杯をやらしてやってるだけでも大変なことなのに、つけあがりやがって、生意気だ」と本音を言ってしまった。あのへんはイタリア人だね、アメリカはもちろん、旧植民地系の有色人種で成り立っているドイツやフランス、イン
グランドなどのサッカー関係者は、腹では思っていても言わない。でも本心はみんなあんなもの。大会前、W杯をば平和の祭典で各国がスポーツを通じて交流する素晴らしい場だとばかり幻想を抱いてきた日本人の多くが、「国際化」の核心を知ったでしょう。
ナショナリズムにエゴ、人種差別、足の引っ張り合い、たたき合い、ののしりあい。それがサッカーW杯の半分の真実。きれいごとばかりではない。
それで思う。日本のマスコミのきれい事主義はいい加減にしないか。「感動をありがとう」的なものの言い方は最低です。「ベッカムばかやろう」とののしるイングランドの連中の方が正常なんだ。厳しくたたいて鍛えてやるべし。選手は感動を与えるのが仕事なのか。彼らは芸能人ではないのである。「日本は惜敗。しかし共催国の韓国が頑張ってくれています」とか、嘘ばっか。本心で言うならいい。実は「デルピエロ様がんばって」的な女の子以外にも、「共催だかなんだかしらんが、このままあっちばかり勝ち進まれたら、完全に韓国大会じゃねえか。負けちまえ韓国」と思った人も多くいたはず。これはかつて行きがかりがあった国だとか、共催とか、そんなこととは関係なし。隣のライバル国に先を越されたら焦ったり、不快になったり、面白くなかったり。その方が自然である。
ひねくれ者辻元は思うのであります。これまで明治維新以来、日本はとにかく亜細亜の中ではトップバッター然としてやってきたわけです。で、侵略戦争も白人国のマネをしてやってみたりした。最後に原爆まで落とされて、屈折して、今ではまるっきりねじくれた、国のたががはずれた世界一だらしない国になってしまった。まもなく若い者たちは日本語を失うでしょう。一世紀以内に、日本国はどこかの大国に吸収される恐れがあります。そこまで完膚無きまで、日本は日本人であることに自信を喪失しましたが、それは百数十年にわたって欧米列強国と闘争し、背伸びをし、たたきたたかれた結果、です。これからは韓国が、そして長きにわたって居眠りしていた中国が、世界に出ていくのだという。その通りでしょう。
だが、彼らは直面するに違いない。どれほど白人種が黄色人種を軽蔑しているか、を。でかいスタジアムを作って景気よくやればやるほど、連中は黄色い国を嫌う。これが日本人が長年かかって理解した悲しい現実。一等国になりたい、などという願望を持てば持つほど、小馬鹿にされる。向こうから見れば、アフリカや中東の方がずっと分かりやすい。植民地支配などしたから負い目もある。
二十一世紀は人種だの宗教だの、紀元前から片の付かなかったもんだいがクローズアップされる時代となる。
そんでもって、サッカーW杯はますますえげつない場所になっていくでしょう。W杯に参加する、というのはそういうことなんだ。そしてそれは、日本を初め未熟な国にとっては良い経験になるには違いない。しかし、きれい事の幻想は持たない方がいいのです。
ボールを通じて分かり合う。もちろんそういう面がある。しかしボールを通じて、今まで無関心だった相手が嫌いになる、ということもある。そういうことです。
そういえばベッカム。日本のサポーターは、自国しか応援しない韓国のそれよりはずっと評判が良かったようだが、しかし、イングランドのユニフォームとか、イタリアのユニフォームとか、いちいちそこの国の服を買って着込んでくるのは、かなり奇異だったらしい。まあ要するに日本人はひとつにはそういう無駄遣いをする国民であり、二つに自分が日本人であるという自覚がない人ばかり、ということで、その国から来た本物のファン(なんでもサポーターというより、英語圏ではサッカー・ファンの方が語感が強いのだとか。ファン=ファナティックだから)は「なんなのこのニホンジンたちは」とそれは思うわな。で、ベッカム様追っかけがいっぱい発生。まあそれも構わないのだけど、サッカーはそもそも本国イギリスでは非常に格の低いスポーツ。労働者階級のもの。貴族は見向きもしない。
中でもベッカムは英国の常識では下層なのだそうで、しゃべる英語は最低で、教養のかけらもないと見なされているらしい。優勝すればナイトになれたそうですが、英国では選挙対策とか王室の人気取りで、一代限りのナイトには割としてくれる。古くは海賊フランシス・ドレーク。最近だとビートルズにエルトン・ジョンに、ミック・ジャガーまでもらえた。要するに女王様に謁見が許される身分。といっても貴族じゃないわけ。騎士だから。日本で言えばせいぜい「名字帯刀をさし許す」程度。
でも負けたので、かなりぶったたいてるそうですね。「ベッカムなんてぜんぜん期待はずれ。だめだ」とイングランドのファンはののしっている。「よくやった」だの「惜しかった」だの、どこかの国の甘い論調とは違う。
しかしこのぐらい厳しくて調度いいのだと私は思う。今回は日本にとっては千載一遇、二度とないチャンスでした。普通は、開催国が優勝するものなんです、国体みたいに。そのぐらい有利。それでベスト16止まり。次回は出られるのかどうかも保証がない。サウジの惨敗ぶりとか、韓国で見られた露骨な対戦国妨害、異常なサポーターなど、一部の欧州の国からは「二度とアジアでなんかやらせてやるもんか」の声がすでにちらほら。
だからこそ、今回ぐらいで「よくやった」ではいけない
と思う。きれいごとに包んで現実を見ない。そうやって昔、大戦争をやってぼろ負けした。いいかげんに目を覚まそう。
航海日誌あるいはその夢
目覚まし時計が鳴っている 鳴っている 鳴っている
それがなんだか どうだか 静かに船は沈む
僕たち未熟だった 寝床は暖かくて
学校ではいつでも優等生だった
でも関係ないこと それがなんだか どうだか
どうでもいいんだか おしえてください
おしえてください たすかるにはどうしたら
いいのだろう
入道雲はいつでも雷雲に変わる 白い帆布にくるまれて
英雄的な船乗りも臆病者の船乗りも
うろくずのえさとなる
とかなんとか 感傷的に 高い高いマスト
そこから見えるのは裸の肌が光る島々
まずいバナナ
目を覚ませ 自分で舵を取れ。
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