鬼国行
行こうと思えばどこにだって行けるじゃないですか まず駅に行って電車に乗って
それでどこにだって
え? 電車 そんなもの誰だって乗れるじゃないですか ねえお嬢さん
切符を買って改札を通れば どんなところにだって連れていってくれますよ
へえ ああそうね でも
と私は言いました
それじゃあ鬼国へは
私は至急 鬼国に行きたいんですが
四国ですが でしたら飛行機を使われた方がいいでしょう と旅行代理店の若い女は
言いました 違う 鬼国 おにのくに と書いて鬼国 きこくです と私は言いました
あ はあ はあ 鬼国 ですか
紺色のベストとスカートを身につけた
彼女はなかなかキュートで ぴったりしたストッキングに包まれた脚はかなり美しく
眉間に大げさなしわを二、三本寄せました
彼女 席を立って上司を呼び
そこの支店の責任者らしい眼鏡の男性が
すーっと寄ってきた で
ひそひそひそ
あなた知らないんですか 鬼国へは渡航禁止なんです 大きな声で言ってはいけません
そして私の頭を強くしごきました
特に額の上のあたり ごしごしと磨くように
あああああ本当にあなた
こりゃすぐにも鬼国へ行った方がよろしいですなあ
鬼国は 何度も何度も征伐されてきたといいます にんげんの征夷大将軍たちによって あるいは源氏の武将たちによって 古代の神々によって 伝説の英雄たちによって だけど
朝廷が認めようが認めまいが わが国民の中には古くから鬼族の血が混じっています
でもそれを認めたくないのです
近世 「小田信長」は鬼族がはびこる比叡山を討ち 「豊富秀吉」は刀狩りと称して鬼族の角折りを断行し 「徳河」幕府は鬼国支配を遠国奉行の任務の一つとし 年に一度の献貢をもって一応の服属としました 開国後の新政府は帝国領土領海の確定のために海上に浮かぶ最後の鬼が島城を制圧 当時の常備艦隊全部が出動し数万に及ぶ鬼族が殺され 多くの鬼の女たちが強姦され 帝国旗が城の天守上に翩翻とかかげられ 旧土人保護法の枠内に入れられました
それから後 鬼族は国民の中に一層混じり 純粋の鬼でなくとも鬼族の血が混じる者が多く現れ 成年に達して急に額が盛り上がり角を生じる者 慌てて自分の手で 不衛生なのこぎり等で角を削り落とそうとして悲惨な死に方をする者など後を絶たず 富裕な階層のなかにあっては 高度な外科手術を施しました がこれには莫大なお金がかかりました 貧民層で有名なのは たとえば手の外科手術と称して角の根っこの切除も同時に行った「野口英夫」の例 上流階級でもっとも有名なのはおそれおおくも 人前にあまり出ることなく終わった「太正天皇」その人など 実のところ鬼族の血はほとんどの日本人に混ざりきっているのに 自分に角が生じるまで誰も意識しないのです
清国、ロシアとの戦役では 鬼の者たちも出征し 勇戦敢闘したが戦史にはとどまらない 二〇三高地に「野木大将」が建てた慰霊碑は 鬼の角塚の上に建立されました
関東大震災では多くの鬼が惨殺されました
二・二六事件首謀将校の多くは鬼の血を引く者であり 事変から太平洋戦争にかけては 鬼の師団が編成されたが現地で行われた蛮行 多くの暴虐行為 残虐行為は彼らの仕業とされました 赤ん坊を生きながら食いちぎったとか 女の体を軍刀で裂いて酒肴としたたぐいのこと
指導者たち 「東城秀樹」「山本五十八」らも実は鬼の末裔とささやかれました もとより鬼の血は武人の家系を好むのです 山本が自殺的前線視察をくわだて無防備な陸攻に乗り撃墜されたのも 東城が敗戦後 ピストル自殺を図ったのも 角の根の硬化をごまかしきれなくなったから ともいいます
また 陸海軍の特攻機の乗員中 かなり多くの比率で 鬼族出身者が見られました
レイテ海戦の「北村」艦隊の戦艦 敗戦間際の戦艦「太和」特攻の乗員にも 多く鬼族が選ばれたそうです
戦後 鬼が島城は再興され 連合国軍はこれの独立を承認しました が 戦勝国の一員とみなすことはなく 彼らは国を閉ざして東西冷戦期をひっそりと過ごしました
わが国では 人鬼融和が図られ 公教育で鬼および鬼の血を引く者への差別禁止がうたわれました
一方鬼国帰還事業も始まって 多くの鬼の末裔は鬼国行を果たしました 鬼族問題は過去のものと政府は発表し 高度成長所得倍増のただ中でみんな そんなことを忘れました
角が生えないよう 六歳までに角成長抑制剤を打つのが普通になり ますます問題は忘れられました
が ここにきて 皆さんも知っての通り 鬼国とわが国のにんげんは睨みあっているのです 鬼国はいまや戦争も辞さぬといい わが国と同盟を結ぶアメリカの機動部隊は
中東の片が付き次第
極東に姿を現すとか
そんななかで私は気付いたのです
私のなかにいる
鬼に
私は 自分のなかの鬼の孵化を知っておののき いらい鬼国への
渡航を考えています あるいは角を折って自らを偽って生きるか 角の根が腐って 死ぬのを待つか
一説にいわく 鬼とはそもそも 現世の苦界から逃れた人々が死んで転生せし姿 だから人の世に鬼の絶えることなどない と
親になぶり殺された幼児たち 通り魔に刺殺された若者たち いじめ殺された少年たち 親父狩りにあって後頭部を強打し落命した人たち リストラにあって最後を首くくりの紐に託した人々 たとえばそんな人々はみんなその後 鬼国にいるのかもしれず 人知れずかの国に渡る者たちには
それらの懐かしい人々との再会を求めて ということも多いと聞きます
あるいはまた 私が七つの年に失踪した母親も鬼国にいるのではないか と私は思う
やがて鬼国は戦場となり この世から消えてなくなるでしょう
だが私は鬼国に渡るつもりです
小学五年のとき
私と体を交わった少年はその後 鬼国に渡ったのだと思っている
鬼の血が鬼の血を呼んだか
あれから一年
私の子宮には
彼の子供が居ます。
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