”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。


不定期日記 2003年

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2003年12月31日(水)
会社で大晦日に突入しております。本日は宿直で明日の午前いっぱい、何があってもなくても留守番していないといけない。なにか起きたらかねて手はずの通り、待機している人員を電話で呼び出す、というようなわけです。
 社会面の亡者記事に「チャールズ・ベルリッツ氏」という人が載っている。かの語学学校ベルリッツの創業者のお孫さんで言語学者・・・なんだが、世間的には「バミューダ・トライアングル」を1974年に出版して、超常現象を世に広めたことで有名なんですと。一番、有名なのはアベンジャー雷撃機半個中隊の遭難事件。しかし要するに調べてみたら、未熟な搭乗員に悪天候のため位置を失って遭難しただけみたいなんですね、実際には。また、この飛行隊の遭難後、救助に向かった飛行艇も消息を絶ったのですが、これも恐らく燃料系の事故による空中爆発らしい。
 もっとも、私も子供のころはベルリッツ氏のような「トンでもライター」の広めた超常現象本が大好きでした。ノストラダムスの予言本など真に有害なものも多いですが・・・。
 さて。自民党は改憲案を出して自衛隊の恒久派兵を打ち出し、民主党は自衛隊とは別組織の海外派遣部隊を提案し、という動きだそうであります。後者はかつて三島由紀夫さんが言っていた構想に近いですね。
 いわゆる「普通の国」めざして舵が切られたのが2003年であり、後々、ターニングポイントとして記憶される年になるでしょう。
 話が変わりますが、ビデオで映画「タイムマシン」を見ました。よくできていて面白かった。しかしウェルズのお孫さんが製作した割に、ちょっと納得いかない点もあり。
 原作では「トラベラー」は、未来社会に介入することなく帰ってきます。残酷な食人社会の現実を見つつも、部外者として介入はしない姿勢を貫いた。
 しかしこの映画では、主人公は未来を変えてしまうんですな。強引に。あんなことしていいのだろうか、と思った、姿勢として。未来社会の指導者が主人公に言うのです、「この80万年の間の進化について、キミがとやかく言う権利があるのかね」と。だが、主人公は現代人、というか彼が属する20世紀初頭人のヒューマニティーを物差しにして、この指導者を殺して未来社会のシステムをぶちこわします。後は生き残ったコンピューターのデータをもとに、もう一度、文明を立て直すのですと。しかしなあ・・・またここから1000年とか2000年したら、人類はまたまた技術文明の袋小路にはまりこんで戦争など始めるんじゃないのだろうか、とも思うし。
 なにより、どれだけ邪悪な体制に見えるといっても、80万年も後の独自のシステムについて、本当に、それを全否定してしまう権利が彼にあるのだろうか、と思いました。
 これはなんとなくですが、イラクとアメリカの関係になぞらえることもできそうで・・・深読みでありましょうか。
 で、日本を取り巻く21世紀の歴史もこれから加速していく感じであります。
 どこにいくのかしら・・・と言いつつ今年はこれまで。個人的には詩集を出し、コミケにミリタリー分野でデビュー、講演にライブに、文豪伝記漫画の仕事に、そしてなにより家を建ててしまった、それからこのサイトを開設したのも今年でした・・・となかなか盛りだくさんな1年でした。お世話になった皆様に感謝申し上げます。
 皆様、よいお年を!!

2003年12月29日(月)
ぐばあああ・・・。疲れた疲れた。今日、コミックマーケットに参加しました。当サイトがリンクしているMGライフの宮地様、担克技研様、その他、たくさんの方においでをいただきまして、感謝申し上げます。一応ですが、まあ当サークル的には目標を突破して、かなりの売り上げになりましたようでございます。皆様に厚く御礼申し上げます。
 まだ今日は出勤の方も多いのか、ちょっと例年のコミケより人は少なめだったか。帰りに乗ったタクシーの運転手さんもそう言っておりました、今年は少ないですね、と。しかしかえってお客さんも本がジックリ見られただろうし、混乱も少なかったし、かえってよかったのではないかと思います(日曜だった28日の1日目、それから多くの会社が仕事を収める明日30日の3日目はそうはいかないでしょうが)。
 いや本当に、お一人で3000円以上もお買い上げになるお客様もいて、まことに感激でありました。
 もちろんわれわれは別にコミケでお金儲けしたい、などとは思っておりません。価格設定もぜんぜん利潤を考慮しておりませんし、気に入っていただけた方にはどんどん、無料で本を配ってしまうし。読んでいただけることが一番、と思うのであります。
 ドイツ空軍の制服もなかなか自分でもいい感じ。詰襟の陸軍の制服よりなんといっても着心地がいい。制定した当時「背広制服」などと揶揄されたというのもむべなるかな。それにちょっと紺色の服は細く見えます・・・。ドイツ軍というと長靴ですが、これがけっこう、履きなれないと靴擦れの元。しかし今回は事前に絆創膏を張りまくって難なし。親衛隊の黒服を着込んだ妻のほうが、「脚があちこちいたい」と訴えておりますが・・・。昨今のブーツブーム、女性の皆さんは皆さん平気なんでしょうか(履きなれないときっと、変なところに力が入ったりして痛いのでは?)。
 さて、今年最後のビッグイベントも終わり、いよいよ年末・・・ですが、私は明日も新聞社で夜勤、しかも宿直。31日は泊まり明け・・・。さて、何事もないといいのですが(頼むから号外になるような事件が起きませんように)。

2003年12月26日(金)
ゲームの「グローランサー4」をやっている・・・が、途中で行き詰まった。明日あたり攻略本が出る予定なので買うべし、買うべし。相変わらずうるし原画伯の絵は素晴らしいし、ストーリーは激しいし。なによりおもしろいのが、このゲームの世界で最強の軍事国家が大統領制をしく民主国家だということ。普通、今までのファンタジーだと邪悪な皇帝を頂く帝国とか王国が悪くて、民主国家とか共和国は善玉、というのがお定まりだった。ゲーム中の「大統領」は選挙を控え、国民の人気取りのために戦争を拡大させる。軍部、軍需産業とも結託、秘密機関も駆使する・・・など明らかに現実の某国のパロディーである。
 民主主義が善を意味した時代があった。そんなもんは幻想だった。軍事国家と民主国家は両立するどころかむしろ相性がいいのである。
 大統領直属の秘密機関が強制収容所を管理し、どんどん人が人体実験されていく、などという設定も凄惨で、これはむしろナチスの香りがする。
 なんにしても「たかがゲーム」と侮るのはいけない。大概の通俗小説よりずっと深いお話であるから、ゲーム好きは迷わず買うべきである。
 合わせて(なんであわせにゃならんの?)DVDの衝動買いをした。「TORA!TORA!TORA!」と「パットン大戦車軍団」、「砂漠の鬼将軍」。いずれもビデオでは持っていましたが、綺麗な映像で見てみたくなった次第。やっぱCGとはぜんぜん違う「練習機改造復元ゼロ戦」の群れ、「実物大の戦艦長門」セット(そりゃもう模型じゃない)、何度みても大変な迫力。漫画やCGだと妙に迫力を出そうというけちなたくらみがよくないのですね。本物の飛行機や戦車はべた塗りな印象だしディテールなんて見えない。プラモデルでやたらいろいろと塗りたくる人が多いですが、私は違うと思っている。本物の兵器は寿命が短い。そんなに汚し塗装状態になるまで生きていないと思うのです。実際の空戦映像だと飛行機の機種もろくにわからない。そういうもんじゃないでしょうか。
 ところで、たまたまアメリカ公開版だったトラ!・・・の、日本人のセリフの英語訳字幕を見てがっかり、そうとうに対応していない訳がついていて、元の日本人の脚本家が苦労して日本の立場を表現しているところがみんなでたらめな内容になっている。アメリカ人どもはこんなトラ・・・を見ていたのですね。
 で、こっちは流暢じゃなくともある程度、英語がわかるからこんなことも分かる。連中はおおむね英語しかできゃしないから全然分からない。グローバルじゃないのはどっちかといえば、言うまでもないのであります。パットン・・・も改めてフランシス・コッポラの脚本はうまいな、と。さすがにあの将軍を英雄としては描いていない。今見るに、傲慢な戦争好きのアメリカ人像と重なるものあり。大戦当時はパットンは要するに変人でしたが、今のアメリカなら主流派じゃないのか。「戦争が好きだ。アメリカ人は勝つことが好きだ!」と叫ぶパットンが、ブッシュ以後のアメリカ人に重なります。
 今回のBSE問題でアメリカ人にマイクを向けると「アメリカで狂牛病なんて信じられない」みたいなことを市民が言う、あれはなんなのでしょう。自分らの国は特別だと信じ込んでいるんですな・・・。
 砂漠・・・は英語であることを除けばやはり名作。手際よくまとまっていていいですねえ、何度見ても。
 あとは、空軍大戦略のDVDが早く出て欲しいものですが。アメリカではやっと出たように聞いておりますが。あれだけ生きて飛んでいる大戦機を一度に見られる映画は二度と撮れまい。

2003年12月25日(木)
「来年からは、たまにあんたが帰ってきてもご馳走できいないかもね」と母が言う。今日、ちょっと実家に立ち寄ったときのことだ。小泉の「改革断行予算」ならぬ「改革断念予算」を見て、どんどんあがっていく税負担、どんどん減っていく年金を悲観しているのである。
 なんともかんとも、伝えられる話は増税話ばかり、それでいて今日の国幹会議によれば、国交省のバカ役人どもは相変わらず族議員どもにへつらい、計画道路は軒並み着工、整備新幹線もみんな着工である・・・。こんな国だというなら、もう結構だ。日本人などやめてやろうか? 年金制度など全部やめて、今まで払った金を返してもらいたい。自衛隊など派遣する金があるなら、国民生活をなんとかしてくれないか。政府など解散してはどうか? いっそのことアメリカなり中国なりの信託統治領にでもなっちまえばいい。政府も首相も公務員もみんな消えてしまうがいい。
 このままいっちまえば、日本人の未来はおおむね真っ暗である。おしまいである。そんな暗い未来にわが子を送り出すのが不憫で、ますます出生率は下がるであろう。私はずっと以前からそう思っている。国力が衰え果てたころに、ろくな学力も与えられないで社会に出るだろう20年後の若者を想像するだにぞっとする。おじいさんより子供、子供より孫が常に生活水準が低い社会。かつての英国病のころのイギリスそのものである。失業者をわざわざ生産し、それを養う覚悟は私にはないですな。
 小泉のアホは、これだけ国民に無理無体を押しつけつつ、アメリカのご機嫌取りにうつつをぬかしつつ、北朝鮮もダメ、予算編成もダメ、あの改革もこの改革もダメ。それで国会議員の年金を減らすとか議員の数を減らそうとか、国家公務員を何割かクビにしようとか・・・そういうことはやらんのか? はっきり言って、国民はあいつに当初、そういうことを期待したのだ。だがあいつにできたことは、ない。何一つない。「日本軍再建」の道筋をつけただけの首相、ということで歴史に残るのだろう、こいつは。
 自分で思っていた以上に自分が無能なことを思い知っていることだろう。バカが。道路関係四公団民営化推進委員会が事実上解散して、どうにもならなくなった猪瀬某という人があるが、彼が週刊誌に「小泉首相を批判する人は、じゃあ森内閣のままならよかったというのか」などと書いていたように記憶する。
 はっきり言ってやろう、森内閣の方がくだらない改革ごっこをしないだけ、できもしないのに何かやってるふりをしないだけ、なんぼかましな内閣だった。自民党はこの際、九州・四国・中国それから岐阜県などの代表政党に過ぎないのだから、本拠を福岡にでも移してもらいたい。そして田舎の政党として、都市部に頼らず自分らの金で新幹線でも道路でも造れるもんなら造るがいい。
 自民党、死ね。邪魔だ。イラクに行ってみんな死んでこい。官僚どももみんな銃を取って死んでこい。さいきんはもうそんな感じである。
 なんとも不機嫌なのは・・・昨日食べたK社のクリスマスケーキに食あたりした。まあ、軽い食中毒症状になった。半日ほどひどい腹下しをした。そのせいもあるなあ。今年は暖かいからなあ。

2003年12月24日(水)
クリスマスですが、アメリカで狂牛病・・・最近は牛海面状脳症とかいうんだが、これが見つかったらしい。で、「日本は諸外国と較べてなっとらん」と日本で発病したときには騒いだもんだがなんのことはない、アメリカは日本などよりずっといい加減な検査で終始していた、というのが実態らしい。
 なんでもアメリカはしっかりしていて日本はダメ、などと思わぬことだ。アメリカ牛は安全だと思って輸入していた企業は株価全面安、当然であろう。
 昨日の深夜NHKで、自衛隊の最近の状況を伝える特集を再放送していた。とにかく素人目にもわが自衛官はサバイバル・ゲームをやっているようにしか見えない。そしてテロ対策訓練ですら、どうしたらいいか分からなくなる隊員続出、という姿に本当に不安になった。大丈夫なんだろうか連中? 海自でも海外派遣前の隊員面接で、どこの中学の進路指導の先生より優しい感じで、上官が部下を口説いている図を流していた。「家族とかとの連絡も、心配ですので」「うん、そうだよねえ」なんてやりとり、つくづく思い知る、自衛隊は軍隊ではないのである、決して。
 で、米中央軍司令部に群がる各国の武官、なんて情報も。わが自衛隊も連絡官を置くようになってそれなりなんだが・・・、とにかく米軍に群がろう、群がろうという国ばかり。やはりアメリカ幕府である・・・が、牛の件もある、アメリカ万能では決してない!!
 おりしもカダフィ大佐がアメリカに降参。彼が大佐のままなのはナセルへの憧れがあるから、という。中東の今日の混乱の元はほとんど全部、イギリスを中心とした白人の身勝手に発する。
 なんともあれこれ考えると面白くないわけであるが。

2003年12月23日(火)
このところ、たまたま連休を貰った。別に狙ったものではなく、日曜、月曜が公休、火曜も新聞社は夕刊がないので自宅待機でよし、ということで図らずも3連休である。うらやむには及ばない、世間の祝日はおおむね出勤なのだから、今回は偶然である。30日も宿直勤務の予定である・・・。
 ブライトンホテルの特製クリスマスケーキというのを頼んで、もう昨日のうちに食べてしまったが、あまりにも小さいのに驚いた。小さいにもほどがあるというか・・・ダイエット中なのでかえってよかったけれど。本当のクリスマスは明日ですな。
 昼間のNHKを見ていたら、キリスト様の生まれたのはヘロデ王の時代、そしてヘロデは紀元前4年に亡くなっているので、本当はイエスは紀元前4年には生まれていたはず、という。で、このころ上空に見えた彗星の記録が中国・漢の文書にあるという。これがベツレヘムの星、すなわちクリスマスツリーの上に輝くあれだという。当時、中国・漢帝国がいかに先進国だったかがうかがえる。当時のどこの国よりも文書管理がしっかりしていたのだ。
 ついでに、昼間のNHKではえんえんと犬やら猫やらの特集をやっていた。明治の日本の犬の名前に「カメ」が多かったのは英米人の犬を呼ぶ「カモン」から、というのは知っていた。「ポチ」というのも英米人がポインター系の犬を「ポインティー」などと呼ぶところから、というのは知らなかったなあ。また、猫という動物も大変な歴史があって、リビアヤマネコがエジプトで家畜化して、それがフェニキア人の手でローマ帝国に輸出され、そこでヨーロッパ、地中海地域に広がった、と。これがさらに、たとえばトルコあたりで出来たペルシア猫が、バイキングの手で北欧に渡って新種を生み・・・などと広がっていき、日本にやってきたのが遣唐使と一緒に6世紀のころ。やはり日本は文化の終末点なのですな。
 その後の番組もおもしろかった。ハワイ王が日本の明治天皇に同盟を求めてきたとか、アロハシャツの布地は日本人の晴れ着であるとか・・・そう、ハワイ特集だった。
 夜は夜で、あの「映像の世紀」の再々放送をやっている。第一次大戦を描く「大量殺戮の完成」は初めて見たときもそう思ったが、なんともよく出来ている。
 要するに、である。NHKはやはり面白いですな。しかし紅白歌合戦の宣伝はしないで欲しい。中島みゆきが黒部ダムからのライブでやったという「地上の星」の模様を再放送していたが・・・リアルタイムで見なかったので初見。そしたら音外しまくり、あれほどのベテランがどうしたもんか、と正直思った。私はあの歌での中島の発声が好きになれない、というか納得できない。あれをいい歌だという人はなんであろうか。ただし熱心な中島みゆきファンは別格だろうから知らない。あの歌の歌詞もはっきりいってよく分からない。人は空の星ばかり見ているが、地上にも星があるから見てごらん、というのだろうけど、空にあるから星だろう。地上にあってはそれは星じゃない。なにか別のもんだ。

2003年12月20日(土)
およよ、ついに12月も20日台に突入ですか。しかし案外、師走になってからじたばたあることも多いもんで、このところは小学校襲撃がまた、にわかにはやってますな。で、襲われた小学校の校長さんが近頃は女の校長さんばかりだったり。もちろん男でも女でもどうでもいいんだが、なんとなく事件もので出てくると頼りない感じなのも事実。どうしたらいいも悪いもない、学校を襲うというビジネスモデルじゃない、犯罪モデルが確立してしまっている以上、学校はもっと守りを固めるしかない。「うちだけは大丈夫」「自分だけは大丈夫」となぜか根拠のない図々しさを示しながら、いざ実際に事が起こると右往左往するのが日本人の最も駄目な国民性でありますが、要するに2,3年に1回は必ず学校を襲撃する馬鹿者が現れるのが現実である以上、アメリカの学校のように警備員を置いて一種の刑務所みたいにしてしまうしかない。
 だっていざことがあったら、責任取れないじゃない、要するに。「そんな大げさな」といいがちであるが、何事も徹底しないのがわが国民性である。
 何事も・・・といって、そういえば近頃はバスやトラックの運転手の不良運転が話題になることが多いけれど、今日は見た見た、ほんの短い信号待ちなのに、助手席に倒れ込んで眠り込んでしまったトラックの運ちゃん。後ろには、事情分からず、ずーっと待たされている車の群れ。とっくに信号は変わっている・・・どころか何回も切り替わっているが、トラックは動きもしない。ほんの10秒とか20秒なのに、寸暇を惜しんで眠り込む。走る凶器である。
 電車の運転士にもときどき、問題な人が出てくるが、少し前にJRの某線で、駅に人影が少ないのをいいことに、ホームに停車中の電車の運転台でスポーツ新聞を広げている運転士を見てしまったことがある。というか、ずっと新聞読みながら運転してたに違いない。私と目が合うと、はっとしたように新聞を隠して、あわてて姿勢を正しておりました・・・悪いことはできないよ、どこでだれが見ているか分からない。それよりなにより、なにかことがあった場合、それこそ責任が取れまい。
 その他、警察官、先生に官僚、医者に看護師、それから私らサラリーマン、もう弛みきっております。
 弛みきっている、で思い出す。私の会社の後輩で今、33,4の女性がいます。この人、入社してから何年かの勤務態度を私は知っているが、はっきり言ってひどいもんだった。まあ、ダメOLを絵に描いたような感じ。遅刻するはさぼるは、有休ばかりとるは。そんな人だったが、その後いくつかの職場を経て、・・・気がついたらうちの新聞で連載を持っている。内容はと言うと、がん闘病記。昨年5月に乳がん発病し、以後、苦しい体調の中、執筆を続けているそうであります。全摘し、以後も抗ガン剤呑みつづけ、再発し、転移し・・・若いから危険であるらしい。
 あんなにも弛んでいたその人です。しかし今はそんなにも緊張して生きている。
 結局、環境で変わるんだな、人間など。
 日本政府が何をしようが世の中でなにがあろうが、日本人はおおむね不感症で弛んでいる。なぜかといえば実は、日々の生活にあまり誰も困っていないからである。
 せっぱ詰まればどうなるか、だが日本てのはゆでガエルになりやすい国民性だし・・・。

2003年12月18日(木)
 20年ぶりに旧友に会った。高校時代に応援団で、私が大将、彼が副将という関係だったのだが・・・いやあ、変わらない。そうそう人間変わりませんな。いろいろ共通の知人の思いがけない話なども聞けた。とにかく世の中狭いのである。
 こうして個人サイトなど持つと、思いがけない再会、出会いがあるのは確かであります。
 昨日、独仏あたりがすっと出てきて、「同盟国」日本などあっという間に影が薄くなるかも、と書いた。遅ればせに何百人単位で出してもなんだというのか。独仏はイラクの債務棒引きにするから利権よこせ、ということなのである。欧米人は常にこういう感じだ。交渉というのはきれいごとじゃない、取引である。今までさんざん反対しておいて、しゃあしゃあと権利を主張する。これが世界の常識だ。
 しかるに日本は、コイズミは。「兵を出すのは大変なことなのだ。だから油くれ、利権くれ」と言うべきじゃないのか。なのにせっかくブッシュが気を使って、フセイン捕縛の一報をコイズミに直接、デンワしようとしたのに断った。馬鹿である。ここでこんなカッコ付けしてなんの意味がある? ブレアを見なさい! 国民を全部敵に回しても、議会で袋叩きに会ってもアメリカについていく、それが結局、国益なのだというあの信念。あれはやっぱり考え方はどうあれ、政治家として立派なのである。しかるにコイズミは?
 「国民が全部、わかってくれなくても俺は兵を出す、後の責任は俺が取る」といえない意気地なさ。「兵を出すのは日本として大変なことなのだ、戦後60年の国策を変更することなのだ」といえない意気地なさ。なにかというと「たいしたことじゃありません、ただ安全地帯に行って復興作業するだけです。治安維持じゃないから大丈夫」と繰り返す。馬鹿か。たいしたことないなら、行かんでいい!! 戦地に兵を出す。これが大変じゃなくてなんだというのか。だから出す以上は「大変なこと」として出してやらないと、自衛隊員がかわいそうなんだって。
 そうこうするうちに、公明党の神崎さんがコイズミに無断で、だしぬけにクウェート入りしてしまった。別に公明党など応援していないが痛快ではある。派兵反対の学会の人たちに「公明党は、自民党などよりずっと真剣に派兵ということを考えているのです」という意味を明らかにしたのだろう。政権与党が聞いてあきれるわい。自民党め、コイズミめ、身内のはずの公明党に先を越されてどうするんだ、ボケ。
 コイズミは近頃、オペラにも行かず公邸に閉じこもって秘書官どもと飯食ってるらしい。そりゃ今なら暗殺の危険はあるわな、別にアル・カーイダと限らぬ、日本人の跳ね返り者も目立ちたがり屋だっている。しかしブッシュとかブレアは恐らく、暗殺される覚悟は出来てやっているだろう。万が一のことがあっても決して後悔しないだろう。信念があるとはそういうことだ。コイズミ、お前に殺されても兵を出す、殺されてもなにかを成し遂げるという気迫があるか? それとも自民党と首相の座を守るために派兵を遅らせた論理のままで、結局は自分個人の保身だけを考えているのか? 
 本人なりに考えはあるだろう。しかし外野で見る限り、お前さんは一国のリーダーの器ではない。要するに自民党の政局屋が成り上がっただけの小物である。
 ほかに適当な人がいるか、と聞く人が国民に多い。コイズミはほかの人よりましだから、という人も多いが、どういう根拠でそういうのか? たとえば小渕さんなどやらせてみるまで、リーダーシップが取れる人に見えたか? コイズミ本人だって、首相になるまで一度でも本当に首相になるような人物だと人は思っていたか?
 だいたいほかの人などどうでもいいのだ。「今やっている人」が不適当だ、と私は言っているのだ。代わりがいないのなら、空席にしてでも首にすべきである、というのだ!!! 
 
 

2003年12月17日(水)
 ロサンゼルスの報道によれば、早くも「フセイン逮捕人形」が30ドルで発売されたそうであるが、なんともやることが早いなあ。つまり白いあごひげつけたフセイン人形である。しかも、スペードのエースのマーク入りのシャツを着ている・・・これは例の米軍のウオンテッド・トランプでエースが首魁のフセインだったことにちなむんだろう。とすれば、きっとウダイ、クサイやその他の閣僚の人形もあることだろう。
 なんとも変なものが出回るが、うちらも立派なマニアにつき、そういう悪趣味なものを買いあさる人をどうこういうことは出来ない。
 そういえば、フランスもドイツもイラクへの債務放棄をえさにアメリカにすり寄っているらしく気がついたら、さっさと派兵などしかねない。やはりフセイン拘束は大きいのだと思う。ちなみに日本は債務放棄のつもりはない。独仏より金額も大きいのである。アメリカさんはもちろん各国に債務放棄を強く求めております。
 で、自衛隊は早くとも2月の派兵と言うが・・・早くしないとおいしいところを独仏あたりに持って行かれかねない。これらの国はずっと反対していて、最後の最後で応援すればそれはそれはブッシュ皇帝のお覚えはなによりめでたくなろうというものだ。ずっと「支持します」と口では言いながら、実際の派兵はほとんど1年遅れとなる・・・その理由が総裁選と衆院選だ、などという国は、またまた最後になって無視されはしないだろうか。
 小泉さんの派兵の最大の理由は、誰が考えてもアメリカにすり寄りたい、ということのはずである。それがこのタイミングの悪さでまたまたしくじるかもしれぬ。で、なんとなく今後はアメリカの補完兵力というか支援兵力というか、そういうものとして自衛隊は使われることになるだろう。ブッシュ外交の勝利はここにあるのであって、要するに小泉さんはどこどこまでも「サージャント(軍曹)」の器なのである(米政界では小泉は忠実な軍曹と呼ばれているらしい)。マッカーサーに12歳と言われたころよりは、いちおう大人の下士官になれてよかった、と喜べばいいのだろうか、わが国民としては?

2003年12月16日(火)
京王線、というのに昨日、乗った。京王井の頭線、というのである。混み増すねえ、しかし。毎日これに乗っている人にはご苦労さんと申し上げたい。
 妻はかつて、小学生時分にピアノのレッスンで毎日この線を使っていたそうである。浦安からだと二時間コース、それはご苦労さんだったことだ。
 それで思い出した、私は茨城県の高校に通っていたが、3年生の最後になって父親が異動となった。で、一家は急に千葉県に転居、私は最後の大事な受験前の時期に、いまさら転校も出来ず、千葉県野田市からその茨城県下妻市の学校まで片道3時間半(!)という通学を余儀なくされた。あれはひどいもんだった、一日7時間、電車に乗っているのだ。勉強せよなどと言われてもできるもんじゃない。しかし、どっちみちなんの勉強もしなった怠け者の私には、本当は関係ないのでもあった・・・。本当になんにもしないといったら、なんにもしなかった。それでも広末涼子の学校に行ってちゃんと卒業したのだから、あいつよりは少しは勉強できるのだろう、自分も(かくも悪意ある書き方を、涼子ちゃんの人生最良の発表の後にするのは言うまでもない、私が超アンチ広末だからで、しかし早稲田OBであの女に好意を抱いている者などいようか?)。
 混む電車と大学で思い出した。私が大学一年のときに、左翼ゲリラの国電テロというのがあったな。当時の国鉄の首都圏のほとんど全線が止められてしまったのだった。それで、日ごろは国鉄を利用する人々がどっと私鉄に流れた。私はその日、東部伊勢崎線に乗っていてこの世のものとも思えぬ混雑振りを体験した。乗車率・・・どうなんだろう? 400パーセントとか500パーセントとかじゃないだろうか。列車が揺れているわけでもないのに、乗客の容積が窓ガラスを割ってしまった(!)。そのベリン、という音がすると乗客はみな静まり返り、身の危険を感じながら、この恐ろしい混み方の中でなにか死人でも出るようなことはないか、と身をすくませていたのだった、いや大げさじゃない。私のこれまでの経験で一番混んだ列車というのは、あれです。
 それで・・・そんな列車に乗って、死に物狂いで大学まで行ったら「本日はすべて休講です」ということだった。無駄だったわけだ・・・。
 はてさて、なにをこんな駄弁を・・・。そうそう、井の頭線で下北沢にあるBマニアックスという店に行ったのだ、で、ドイツ空軍の将校の制服一色を買い込んだのだ。アホであることだなあ、私ら。家のローン抱えてなにをしているのだろうか。
 ということで、年末のコミケはドイツ空軍少佐のいでたちでお目にかかります。よろしくどうぞ。

2003年12月15日(月)
昨日の8時ごろから・・・ボカ・ジュニアーズだ、ACミランだとテレビでさんまが騒ぎ、私の家からはディズニーランドの花火が打ち上がっているころ、「サダム・フセイン拘束」の速報が共同通信伝で流れている。本当だろうか? これで反米闘争が収まるのか、それともよけいにひどくなるのか。今までのアメリカ側の予想はことごとくはずれてきたわけだが・・・。
 旭川第二師団の自衛官たちは、みな行きたがっており志願者殺到らしい。それは基本的に軍事マニアで兵器マニアな人が多いわけで(当然ですな)、「実戦でぶっ放してみてえ」というのはあるだろうし、軍人にとっては世界共通、有事じゃないと表彰も昇進も昇給もないのだから、「ここで一発手柄を・・・」と考えるタイプの人は、いかに平和ボケ日本でもあの組織に限っては、いるであろう。が、家族は反対なんだろうな、これは。そりゃそうだ、功名手柄はあくまで旦那の問題、万が一の場合、どうにもならない。
 かつて第一次大戦のとき、各国の若者が競って軍に志願したモンであります。誰かが書いておりましたが、ちょっとした冒険の待っているピクニック気分、勇壮で、かっこよくて、功名手柄も待っている合戦場にチャレンジするような気分だった。まさかあんな泥沼の戦いになるなんて・・・ということでした。
 今度のイラクがどんな状況になるのか、こりゃますます分からなくなってきたのですが・・・どうなるんでしょう。しかしフセイン、本当に生きてとらわれたのなら見苦しいですな。死んで二度と出てこないように手を打っておけば永遠にイスラム圏の英雄だったろうに。生け捕りになってしまってはなあ。

2003年12月14日(日)
あああ・・・・・・・。コンピューターて腹立つよなあ。そういうことありませんか? 今もこの日記をかなり長いこと書いていたら、ちょっと指がどこかのキーを触ったらしく、全部消えてしまった・・・。やる気なくすよなあ。昔のワープロではこういうことはなかったと思う。練達の人ならこういうことは起きないのか。
 4月にこのサイトを開いてから、ここまで約1万ヒットほど。少し前に、高校時代の旧友から連絡があり、また先週には中学時代の旧友から連絡があり。そういう点ではこういうサイトを持っているのはいいですし、コンピューターにもいい点がある、ということになるわけですが。
 が、このデリケートさをなんとかしてくれ。もっと鈍感な機械は作れないのか。
 私は中学・高校は茨城県におりました。それまで全国あちこちを転々としておりましたが、母親が大病して、この時期、父が異動命令を受けなかったものらしいです。中・高の時期だけはあまり動かなかったために、旧友も思い出も茨城に集中しております。その後、一家ごと千葉県に動いたために、20年ほどの間、茨城県にはほとんど足を踏み入れていない。まあ、仕事の都合で2,3回行ったかな、あとドライブがてら2,3度。ああ、教育実習の2週間は茨城の母校だった。そんなもんですね。はなわのあまり面白くもない千葉県の歌に、「千葉の人から見て茨城は東北」なんて歌詞があるが、そんなもんでもない。そもそも千葉県も大きな県で、木更津や館山に住んでいる人に、茨城県を隣県として意識するなんてことはありませんでしょう。私が今いる浦安でも、そう。私の家から200mほど、東京都・葛西が見えますから。当の茨城にしても、取手あたりに住んでいる人は、水戸などほとんど行った事がなく、まして福島県境の方など見たことも聞いたこともなく、であります。「県」なんて単位も、今各地で進んでいる市町村合併が片付いた後、道・州制を敷くかもしれないので、なくなるかもしれない。山県有朋以来の制度が見直されております。といっても所詮、「県」というのは明治期に無理に作った行政単位ですから。
 たまたまテレビをつけたら実業団女子駅伝をやっております。岐阜でやっているんですね。私は岐阜市生まれで、ほんの2年ほど住んでいただけですが私のルーツですね。やはり今となると長く住んだ茨城ではなく、結局こちらが自分の中で大きいのを否定できない。時間の長さより、意識の問題なんでしょう。何年いても「俺はよそ者」という意識があったわけですね、茨城では。今も私の本籍地は岐阜だし、うちの味噌は赤いし。選手たちは、いま金華山つまり岐阜城のふもとを走っております。前にこの城山を徒歩で登ったことがありますが、きつかった(普通はロープウエイで行きます)。ここを40`も50`もの武装をつけた侍たちはよじ登ったのでしょうか。140cmあるかなしかの木下秀吉が蜂須賀一党とここを登ったのでしょうか。信じられない・・・。そんな記憶があります。
 岐阜県というのも、美濃と飛騨の二国を無理にくっつけた県で、100年たっても、たとえば岐阜の市民は飛騨の方を身内とみなしておりません。飛騨の人もそうでしょう。「岐阜からきました」と関東あたりの人に言うと「あの山の中の田舎?」などといわれる。茨城の非常に辺鄙なところの人にそういわれるとかなり腹が立つ(苦笑)。しかし岐阜市というのは名古屋市とほとんどくっついてしまっていて、まあ東京と横浜のような関係。岐阜市民から見ると「山の中」の下呂温泉とか、白川郷なんていったこともない人が多いわけだから、言われてもぴんとこないのは当然であります。
 そんなわけで「県」などという単位も人工的なもんです。はなわ君も歌を作るならいまのうちであります。

2003年12月11日(木)
なんかいけない。体重の年末予想値がどんどん上方修正されて、年初にたてた体重削減計画がいっこうに進捗していない、と私は発表せざるを得ない。先日、ひさしぶりに新浦安のホテル街に行き、まったく久しぶりにオリエンタルホテルに入り、そして何年かぶりにバイキング・レストラン「ブーローニュの森」に行った・・・ところがあにはからんや、ブーローニュなどと名のり、ちょっとおしゃれなフランスのシャトーの中庭みたいな空間で、横には結婚式も挙げられる教会スペースまである・・・のに、このブーローニュの森は、このタイトルのまま、洋風の作りのままで、なぜか中華バイキングレストランと化していた!
 で、食べてみたらそこそこにうまい。餃子とかシュウマイがなかなかうまい。といってどんどん食べたところ、私は一晩で2`、妻も1`ほど目方が増えて、戻らない。
 近頃は、少々歩いても体重は減らない。まるでダメである。若いころは少し歩くと面白いように体重が減った。
 おじさんだ、おじさん。ロック詩人も見事におじさんである。オジー・オズボーンが60近くなって交通事故かなんかやった、と新聞に出ていた。かつてのロッカーもみなおじさんである。
 ロック世代がおじさんになってるのに、上には演歌世代も浪曲世代も何層にもなって積み重なっている。高齢化社会は大変である。
 そういえばASEANの首脳と小泉さんが会談してFTA交渉にやっとはいるのだとか。世界的には非常に遅れているので、急がなきゃならないのだが・・・これは間違いなく、一つは農業の開放つまり安い農産品を関税かけないで買え、という話になり農家はえらいことになる。そしてもう一つは労働力の開放、つまり安い外国人労働者を日本に受け入れろ、という話になるわけ。
 日本の若い世代よ、将来、フリーターなんて仕事はなくなるよ、これは。パート、バイトは外国人に置き換えられてしまうであろう・・・。
 こういう話といい、そして例の自衛隊の件といい、ここしばらくのうちに、大変な変化がどんどんやってくるのだが、日本人はついていけるんだろうか。
 

2003年12月09日(火)
 このところは、夜が空いているとなると忘年会、ということになる。そんなわけで、今夜もひとつあり、明日も一つあり・・・なものだから、昼間のうちに書いておくのであります。
 ぜんぜん関係ないが、あのダンディー坂野いうのはどこが面白いんかい? まあギャグなんてそんなもんか。ダチョウ○○○の「だあ」とか、松村○○の「ばう、ばう」とか、もっともっとさかのぼれば「がちょーん」でも「およよ」でも、今になってみて何の意味もないが、それにしても大して何の意味もない流れで「ゲッツ」の連発。しかし、結局は2003年の流行語大賞にも紅白歌合戦にも選に漏れて、そこはまあ、選ぶ方もちゃんと見ているということか。はなわ、とかテツ&トモとかいうのもまもなく消えてしまうのかも知れないが、ゲッツの連発よりは明らかに芸である。ちなみに私は、はなわがまだまだこれから、という時点でちょっと褒めて書いたことがあるが、それは要するにミュージシャンとしてかなりうまい、という趣旨で、その同じころに近田春夫が同じようなほめ方をしているので、自分でも妙に納得してそう書いた。今でも、ヴォーカルとかベースの技術は、うまいと思う。が、お笑いとして面白いのか、といえば少なくとも私はまるきり笑えません。「退屈貴族」なら最後まで放映しても楽勝である。
 なんでこんなしょうもないお笑いタレントのことなどいつになく、取り上げているのか。それはもう、今夜は私は無責任に飲ませていただく、この間にK首相はまた無責任な演説などテレビでやるだろうけれど、私は知らない、ということで、自衛隊でもなんでも出すがよい。
 私は出す、出さない、ということより彼の、保身ばかりの態度に我慢ならない。
 今回の派遣案が初めから1年間と規定しているのも、半年ごとに国会審議、というゴラン高原のときのようなことをすると、半年後には参院選である、それを避けたのだそうである。
 自民党も、小泉も、あくまで自分たちの保身を第一に考えている。そういう連中であろう。
 なーにが国益だ。そういうきれい事でごまかすんじゃない。「我が身がかわいいので、アメリカにすり寄りたいので兵を出します」と言明してはどうか。そしたら私は大いに軽蔑しながらも、そういう恥さらしをはっきり表明した潔さに免じて許してやるだろう。あるいはまた、「アメリカの属国として兵を出し、アングロサクソンの犬となることこそ日本の国益」と某元駐タイ大使のように臆面もなく言ってみよ。それはそれで一つの哲学だから、気に入らなくても賛成してやろう。
 気に入らないのは、適当にごまかそう、ごまかそうという首相のいつもの態度である。きれい事、一般論、理屈のすり替えのオンパレードである。
 かっこつけるな、かっこを。

2003年12月07日(日)
12月7日で日曜日かあ。まさに真珠湾攻撃のシチュエーションなんだわなあ。ブッシュのアホが、7日を「英霊記念日」に指定したんだと。通告無しに2400人の英霊が殺されたことを忘れるな、だと。で、このパールハーバーを思い出して、現在のイラクやアフガンでの「自由のための戦い」を支持しろ、だとさ。
 見ろ。いついつまでも、どこどこまでも、日本人はこういうところで利用されるのだ。何度でも言うが、軍事施設を正規軍が攻撃した真珠湾攻撃と9・11テロを同列に並べて、現在の同盟国をなにかと逆なでするブッシュはまことに糞野郎である。宣戦布告なき開戦などごく当たり前のことだろうが。お前、フセインに宣戦布告したか? テレビで国民向けに演説しただけだろうが。イラクの外交官に「今からやるよ」と通告したか? 自分のときはどうでもいいのであろう。
 結局、黄色いサルに遅れをとったことがいまだに納得できないのであろう。連中から見れば、そもそも日本人などどんなに殺しても構わない西部劇のインディアンと同列なんだろう? それなら原爆投下はホロコーストである。ナチスの蛮行などと同列に並べて非難すべきである。
 防衛長官の石波が、航空自衛隊を先に出す、と言っている。要するに空軍基地の中で閉じこもっていれば安全だ、というのである。ここまで形式的な出し方で意味があるのか。
 ところで「メダル・オブ・オナー」というアメリカ製のテレビゲームがあり、その第一作はアメリカ兵になって、ドイツ軍と撃ちあいをするというものだった。メダル・オブ・オナーというのは米議会の名誉勲章で、アメリカの軍人が授与される勲章として最高位である。ゲーム内容によっては、この最高勲章がもらえるというわけだ。で、なぜか設定が、ノルマンディー作戦に参加する空挺部隊の輸送機のパイロットである主人公が、撃墜されてほうほうのていで独占領下のフランスを戻ってくる。するとどうしてだか「上陸作戦に参加しろ」と命じられて、歩兵のひとりとなって銃撃戦に巻き込まれる。以下はこれまたなぜだか、主人公はOSSの指揮下に入って、秘密特殊工作に従事させられる・・・と全く意味不明の展開だった。はやりの表現で言えば、ありえねー。で、今回はというと、題名も「メダル・オブ・オナー ライジング・サン」つまり日章旗ということで、悪役は日本人なのだ。主人公は米海兵隊員なんだが戦艦ペンシルヴェニアに乗艦していて真珠湾攻撃に遭い、その後は急にどうしてかフィリピンに転戦し地上戦を行い・・・以下、あいかわらず無茶苦茶。そしてアメリカ製のゲームにつき、当然アメリカ兵となって日本兵を射殺する内容なんだが・・・やっぱり面白くない。前のものも「ドイツ兵になってアメリカ兵を殺せんのか」とゲーム会社に投書した、今度のも強く、いや前以上に思う。
 このゲームは先に言ったように、12月7日の真珠湾から始まる。冒頭のシーンでは、主人公は機銃座について対空機銃をぶっ放し、零戦や99艦爆、97艦攻を撃墜しまくるわけだが(そのへんの考証はよく出来ていて、飛行機のプロポーションはよく、映画のパールハーバーなんかよりずっと上出来である。視覚的にはトラ!トラ!トラ!に近い)・・・いきなり自分一人で40機も落とせてしまう。史実の日本側の未帰還全機より多かったりする(苦笑)。こんなに飛行機が簡単に落ちるなら苦労はしない。なにより日本機を落とすのは後味が悪すぎる。実際、私ははじめ、ついつい米戦艦を射撃してしまった(苦笑)。
 おまけに、ゲーム用語に3D酔いという言葉がある。あまりにもゲームの映像がリアルなため、ゲーム内の視点と実際の自分の体勢のずれが三半規管を刺激して、ちょうどはげしくグルグル回転した後目眩がするような状態になることである。このゲームは完全に3D酔いしてしまうので、私はもう途中で投げ出してしまった。地上戦になると、もうぐるぐるしてしまって、とてもじゃないが画面を見ていられない。はっきりいってこの後、日本軍をどう描いているか興味があったのだが、どうせアメリカに都合がいい内容だろうし、お定まりのパターンだろうし・・・ま、次に出すのはイスラム教徒をばんばん撃ち殺すゲームじゃないのかねえ。

2003年12月06日(土)
浦安市民としては心配ですが、東京ディズニーランドのスペース・マウンテンが事故なんですってか。あれに乗ったことがありますが、真っ暗でぐるぐる回転するばかりで、なんだか強烈な目眩に襲われているような乗り心地でした。ちょっと前にアメリカのサンダー・マウンテンがずっこけましたけど・・・どうも私はジェット・コースターの面白さが分からないんですよねえ。気持ち悪いだけで。なんかこう「高速である」ということにあまり魅力を感じないようです、私。
 それでのろのろ走る戦車模型なんかが好きなのか。そういえば最近、出来心で「ヨーロッパの解放」というソ連映画のDVDを買いました。第二次大戦・独ソ戦の帰趨を描く超大作で、小学生のころ、いたく感動してみた覚えがあります。昔はこんな映画を4回ぐらいに分けて普通の民放の洋画劇場で流していたのだから驚きます(ところで、最近のテレビの洋画枠はB級アクションばかり流すけれど、もう少しなつかしの名画を流したらいいのじゃないか。その手のものは深夜ばかり流しているけど。少なくとも子供に古い映画を見せるのは悪いことじゃないと思う。私なんかも結局、テレビで子供のころに見た名作が多いです)、しかし子供のころ見た印象とはちょっと違う。やっぱりソ連中心の視点で、その後に仕入れた知識からするとあまりにもうそ臭い。ティーガー戦車がT34に簡単に撃ち抜かれるとか(史実ではどう考えても逆)、総統が戦車の神様・グーデリアン参謀総長をつかまえて「彼はロシアのカザンの戦車学校を卒業しているので優秀だ」と紹介するとか・・・いい加減にしろ(苦笑)。確かにカザンに行ってましたけど、牽強付会というか。シュタウフェンベルク大佐の処刑シーンも印象深かったのですが、最後に勲章をべしべし剥がされる。あんなに簡単にはげるものか? 小学生当時も今回も奇妙に思った。総統の自決シーンも、あんなんだったけ? エヴァがむりやりヒトラーに殺されるような描き方はあまりに奇妙。どうしても小心の駄目な人物に描きたいのだろうけれど、やりすぎな演出。で、そんな演出から、私はこの映画のせいで、ヒトラーは拳銃自殺できないで、服毒した後、部下に撃たれた、というソ連側の俗説をかなり長い間、信じていたので、プロパガンダ映画というのはやはり効果があるらしい。視覚的に見せられると、イメージができてしまうのですな。考えてみると小学生のころの記憶では、ドイツ軍のシーンばかり覚えている。で、この映画はドイツ側は白黒、ソ連側は色つきなんで、私は今回、見直すまで白黒映画だと信じていた。
 今回も便利なサーチ機能でドイツ軍側ばかりチェック。依然として私の中では、この映画は白黒のままです。
 映画といえば、スターウォーズの「クローンの逆襲」を今頃、BSで見た。やっぱりこれはジェダイ劇ですね(ジェダイって時代劇からとったんでしょ)。ライトセーバーの殺陣はどうもさまになりません。結局、おもちゃみたい。ヨーダはだらしない。黒澤明の「七人の侍」のリーダー格を意識しているはずですが、やっぱりマペットじゃ駄目。お前がしっかりしてないから駄目なんじゃん、と思ってしまう。後のダースベーダーは小物、オビワン・ケノービも小物。とても年取ってアレック・ギネスになるとは思えない(笑)。生き生きしてるのはクリストファー・リーだけ。殺陣も一番うまい(当然か)。しかしだんだん、指輪物語のサルーマンとごっちゃに見えてきた。結局この6部作はスカイウオーカー一家の物語なんですな。で、全編の主人公は要するにダースベイダー君だったわけだ、ハン・ソロじゃなくて(笑)。ましてや頼りない倅じゃなくて。
 なんにしても、あの世界ではなぜ戦闘は棒立ちで行われるのか。みんな突っ立って撃ちあいをしている。ナポレオン戦争あたりで止まっている。散兵線なんて考えはないらしい。やっぱりジェダイ劇なんですね。宇宙船も手動で照準して戦ってるし。イラクにいる米軍のほうが兵器としてはずっと進んでいるような・・・。
 
 

2003年12月05日(金)
 これは私の親から聞いた話だが、JR常磐線の駅のホームで、制服着た高校生2人が熱心に議論していて、それは要するに「イラクに自衛隊出す、ということは日本が戦争やる、ということだよな。それはけしからんのじゃないか」というようなことを、熱心に激論していたそうであります。
 私は何度も書いておりますが、野中元自民党幹事長が政界を去る直前に週刊誌に寄せた手記に、このまま少子化が進み自衛隊の応募者が減った場合、今後の任務の拡大に応じるには徴兵制の可能性だってなきにしもあらず、と書いておりました。いい加減な人が書いているのじゃない、ちょっと前まで日本を動かしていた人が言うのだから、自民党内にはそのような議論がある、と言うことだと思って間違いないのであります。
 さすがに若い世代は、身の危険を感じ始めているのかもしれません。実際、ちょっと前までタブーだったようなことが次々に平気になるのが21世紀のようであります。
 何度も何度もここに書いてきたが、小泉首相の大罪は、総裁選と総選挙を乗り切るために、自衛隊派遣をここまで延び延びにしたことであります。兵を出すのが信念なら、イラク特措法が成立した直後に出せばよかったのです。まだイラクにもアメリカ歓迎ムードがあるうちに、いち早く出せば自衛隊も相応に歓迎され、国際的にも評価されていたことでしょう。国内的にも反発は少なかっただろうと思います。フセイン像が引き倒される映像を見て、一時は世界中のにんげんが、ある程度はあの戦争の意味を納得しかけたのであります。あの時なら、出しても大丈夫だった。そして、その後に徐々に規模を縮小し、「もう危険なので撤退します」と今言うなら、それは通っただろう。それが今となっては、出すか出さないか、がブッシュの踏み絵を小泉がクリアするかしないか、という意味づけしかできない状況になってしまった。出す出さないが、そのままアル・カーイダなどから見ても、日本を敵と見なすか見なさないでおくかの踏み絵となってしまった。
 こんな「踏み絵」状態になったのは、自民党および自分の総裁・首相職の延命を最優先させた小泉純一郎の姑息さ、卑怯さ、小ささ、ずるさに起因するのは明白であります。
 あの男の末路が思い切り不幸であることを祈らずにはいられないのであります。

2003年12月03日(水)
 遠くテキサスからメールを下さったYOSHIEさん、ありがとうございます。私のエッセイの中に、片山恭一論を発見したそうです・・・。「世界の中心で、愛をさけぶ」はなんであんなに売れたのでしょうか。率直に言って、そんなに特筆すべきような要素はなにもない小説です。だから批評らしい批評もほとんど行われていません。そしてなんとなく、売れている。売れている割に話題にはならない。不思議な小説です。
 YOSHIEさんのメールには、今アメリカにいらして、9・11以後のアメリカ人への腹立たしさも書かれておりました。すっかり独善的な嫌な国になってしまった、と。
 あと6か月でイラク人の政権が出来る、という話になっている今になって自衛隊を出すとは。出すならなぜ、すぐに出さなかったのだ! 総裁選の後、選挙の後、と先延ばしにした小泉首相が誰よりもいけないのであります。信念があるならもっと早く出すべきだった。
 今となってはアメリカ、いいや、ブッシュ個人への義理、ついでに国際社会への義理、ということしか言えない。そんな町内会のドブさらいに参加するような論理で、国民を危険にさらしやがって。
 コイズミ、出すというなら一番機に乗って行け。自分で1か月ぐらい陣頭指揮してみろ。口先だけのあんたのスタイルにはもううんざりなのである。
 いかんいかん・・・このところ連日、コイズミ批判だ。しかし無理もないじゃありませんか。私は社民党的な護憲勢力の論理で「兵を出すな」などと言っているのではない。兵を出すなら、戦死を前提にして、それでも覚悟して行ってくれ、と涙を呑んで言うべきだ。万一、このようないい加減な派兵で犠牲者が出たら、すぐにも辞職して、自決するべきだ。そのぐらいの覚悟でまなじりを決してやるべきだ。オペラを聴いたり、ちゃらちゃら女子アナウンサーをはべらせてテレビの広告などしていないで、ちゃんとまじめにやれ。不用意に「死者の屍を乗り越えて、遺志を継いでいこう」などと昔の帝国陸軍のようなあおり方ばかりしても、誰も納得しない。自分が死ぬ覚悟をして、やれ。それができない者は最高指揮官面して欲しくないだけである。

2003年12月01日(月)
 地上デジタル放送が始まったらしい。今日はたまたま非番でして、ぼんやりテレビを眺めていたら「さ、あと3分でデジタル放送開始です」なんていう。実は我が家はケーブルテレビが入っているので、特に馬鹿高いデジタル用テレビを買い替えしなくても大丈夫、と一応は聞いておりました。が、それ本当なのか? 半信半疑でおりました。
 で、11時ですか、じゃじゃーんと秋葉原でファンファーレが鳴って、おお・・・確かに民放合同番組の司会者である香坂みゆきの顔が、確かについさっきまでよりも、明らかに鮮明に見える。うん、確かに表情とか、肌のつやとか・・・これ、女性の出演者にはきついんじゃないか。と、思ってたら中継する女性アナウンサーが「お化粧が気になってしまいます」などと言っている、実感だろう。
 ま、とにかくうちは別になにもしないでよかったから、どうでもいいけど。しかし専用機じゃないと、ニュースの24時間対応なんかは使えないのかな。
 秋葉原のイベントで、マイクに向かった小泉さんはさすがにお疲れの様子。デジタルでくっきり見えました。もっと憔悴するがいい。どれだけ悩んでも悩みすぎということはない。元外交官の大野氏が今の今、NHKで言っていた。「自衛隊派遣の意義、場所、防衛の方法、そしてどういう場合には撤退するか、といった具体的説明が一切、国民にない。脅しに屈してはいけない、などという意地や面子で派遣するような説明では、国民は納得しない」。全くその通りである。テロとの戦いは全世界で対処しなければ、などというが、テロリストは通り魔や放火魔ではない。誰でもいいから攻撃する、などということではなく、敵に回った国がやられるのである。

2003年11月30日(日)
はらほろひりはれ、だっけ? 郡山は異常に暖かく、11月末だというのにコートも要らない陽気。29日に、郡山青年会議所のお招きで講演会をやってまいりました。共演の和合亮一さん、お疲れ様でした。なんか妙な掛け合い漫才みたいになっちゃってすみません(苦笑)。
 で、講演が終わったあと、二次会、三次会、四次会、・・・気が付いたら午前3時半。死にました。
 私たちが泥酔して沈没しているころ、バグダッドでは日本人が殺されました。
 「臆してはいけない」「脅しに屈してはいけない」だと? 「脅し」じゃねえぞ。
 コイズミ。お前、自分が行け。ブッシュは少なくとも行ったぞ。ウォルフォウィッツは殺されかけた。
 おまえのその、へらへらした態度が許せないんだよ、コイズミ。

2003年11月29日(土)
NHKの膳場アナが離婚していたそうで。恐らく同局としてはお喜びであろう。アイドルの値打ちが戻ったわけだわなあ。
 彼女、紅白の司会なんでしょう? ま、どうでもいいですけどねえ。なにせ今年はもうぜんぜん見ないだろうと思う、紅白。裏のサップ−曙戦のほうはちらっと見るかも知れないけれど。175Rなどといくらか売れたなどと言っても、全国民の何パーセントがこのバンド名を読めるのかはなはだ疑問である。私としては、明るいパンクロック系というのはもう勘弁して欲しい。社会性もくそもない、単なる音だけパンク? とにかく単純だ、単純に過ぎる、日本のガキどもよ。それからテツ&トモにはなわ、やっぱり出るんだなあ。思った通りの展開だ・・・しかし改めて聞くようなもんでもあるまい? 
 なぜか大晦日の民放は格闘技、と定着してしまったようですが、この際、紅白格闘大合戦でもやればいいのじゃないか。なぜか大晦日に第九、という展開もいつしか定着したわけだし。
 そういや昨年か一昨年の暮れ、NHKはものすごく凡庸な第九を演っていた。N響が急に下手になるもんでもないから、指揮者のワルベルクというのが悪いのだろう、本当に機械のように振る指揮者で、楽団もメトロノームに合わせて弾いている感じであった。なのに当日の新聞の解説には「炎の熱演、ワルベルクの第九」などとあって失笑した。あんなのは悪ベルクである。
 で、新春になれば小澤のウィーン・フィルか。あっちじゃものすごい不評だというんだが、日本人ばかり、オリンピックでも応援するような気分で小澤の指揮を見て感激しているのが笑止だ。思い出したが、先日の総選挙で都内のある候補が「正月に小澤さんの演奏を聴いて、自分も世界に羽ばたきたいと思い立候補した」などと意味不明のことを言っていた。羽ばたくならいっそのこと、火星にでも木星にでも行けばいい。今年は中国のロケット見て、そんな気になったのじゃないか、その政治家?
 などとアホなことを書いているのは、日付が土曜日になって間もない時刻であります。場所は会社であります。
 明日はなにしろ、郡山に行って中学生の皆さんの前で講演などする予定であります。共演は和合亮一さんであります。
 そんな日でありますが、私は明け方まで仕事なのであります。悲しいであります。
 

2003年11月28日(金)
 なんでもエイズ学会の発表によれば、中学生の8割がセックスについて知っているのに、避妊や中絶については4割しか知らない、のだそうである。日本は今や知る人ぞ知るエイズと性病の大国である。無知なくせにセックスだけはしたがる低脳な子供が多いからで、先進国とはとてもいえない。
 私は思う。もう自分など20年以上も前の中学生だが、正直なところ性交よりも避妊や中絶のことのほうを先に知っていた。その契機というのは長塚節の「土」である。あれで子供を下ろそうとして、不潔な処置をして死んでしまう貧しい農婦、という話を小学生時分に読んで衝撃を受けたのだった。漱石はこの小説を朝日新聞の紙上で強く推して、娘が華やかな帝劇などに行きたがる年齢になったら、帝都を去ることわずか数十里のところにこんな生活があることを知らしたい、などと書いた。なるほど、感化力ある小説なわけだ(もっとも実際のところは、漱石は子供たちに小説を読むことを事実上、禁じていたらしいけれど)。
 今時の子供はとにかく教養が足りぬ。本の1冊も読んでみろ、というのはこういうことだ。文学作品には実用性もあるのである。

2003年11月27日(木)
いきなりおおげさなお話で何ですが、政府税制調査会(会長・石一橋大学長)の中間答申やらが出て、その内容を職場で見せてもらったのだけど、増税一色なのな。とにかく個人課税強化なんだってさ。この後は自民党の税調に一任されて、好きなようにやられるんだろうよ。
 で、来週あたりには自衛隊も出ていくんでしょう? これまた閣議了承でいい加減に行くんだろうし。
 結局、小泉独裁なんだけど。この間、自民党に投票した人、それから選挙に行かなかった人は責任を取るように。なーにが政治に無関心だ。それですむような穏やかな時代は終わったんだよ、馬鹿なヤツらよ。これからはいいようにやられるぞ、覚悟が必要。
 特に若い奴らよ、本当にあれですよ。10年後ぐらいには選抜徴兵制ぐらいはやるかもしれないからな。
 選抜徴兵制度のタイは、軍隊をイラクに出した。国民は大反対だが、タクシン首相としては断固、出したわけだ。派遣中は兵隊の給与を5割り増しして、除隊まで優遇のまま、というボーナスを付けたら、兵隊たちは一応、皆志願したとか。ぜひにもやるというなら、びくびくしないで、あのぐらい強引にやってもらいたい、やるなら。そのタクシン首相は国家公務員の1割削減も断行するそうだ。4万人以上をクビにするとか。
 どこかの首相も独裁者を気取るのなら、なんでもこのぐらいやってみるがいい。
 

2003年11月26日(水)
 黒木瞳がミニスカ披露、なんて週刊誌の記事を見てうちの職場の先輩同僚が「え? 彼女何歳なのかねえ・・・かなりいってるでしょ」と言う。「マイケル・ジャクソンぐらいですかね」「え、じゃあ45歳か。そりゃきついなあ」などと言っていたら、資料が出てきて「42歳です」「42か。じゃあ僕より2歳下か。だったらまだミニでも大丈夫だな」とのお答え。「あの、そんなに違わないじゃないですか」「いやあ、この2,3歳の差が大きいんだよ」とその仁は力説を続けました・・・が、あれですね、人間、ふしぎなもので、自分が16,7だったころには20歳すぎた人は大変な大人、というより年寄りにすら見えた。自分が25,6になると30代の人でも身近な感じになった。で、30も半ば過ぎると、40代ぐらいの人も同世代に感じるわけです。私も今や50代ぐらいまではほぼ、同じようなもの、と感じるようになった。近頃はたとえば政治家なんか見ても「なんだ、まだ30そこそこか、生意気だな」などと思うようになったわけで、にんげんこうやって世代が上がっていくんですな・・・。
 などと今、この日記を書いていると、職場見学の小学生の一団がすぐそばまで来ております。私の手元を見て「うわあ、早い」などと嘆声挙げているが、いったいどこの田舎の学校でありましょうか。まさかこんな私用で、こんな文章を打ち込んでいるとも知らず、感想文に「おじさんがものすごいスピードで記事を打っていてすごかった」とか書いてくれるんだろうか。罪だな私。
 しかし、うちの会社もマスコミということで、会社見学においでになる学校が多いのですが、本当のところどうなんだろう。「直し、直し」などといってゲラにマジックで修正を書き込んだものを手に、若い衆がドタバタ走り回る編集局など、活気があって良い、などと思うのは年寄りばかりじゃないのか。ちょっとすれた子供なら「今時、効率が悪い職場だった。もっと適正な配置だってあると思う・・・僕のパパは外資系のコンサルタント会社のバイス・プレジデントですけど」なんて言うかもしれない、といつも思っております。
 今日はなんとなく、職場からでした。
 
 

2003年11月25日(火)
NHKの朝ドラ「てるてる家族」というんですか、あれほとんど見ておりません。というか、私は案外にあの枠のドラマ、特に熱心にチェックなどしていないけれど、興味を持てば見ておりまして、「詰まらない」だの「不自然だ」のと言いながらも内容は知っていたりします。で、今回の作品はなかにし礼さんの原作で実話もの、といったことは知っておりますが、全然見ていない。それはある時に、ごく最初の二、三回目だと思いますが、親父さんがレストランのようなところでフライパンをギターのように抱えて踊り狂う、お客さんらしい周りの人々が合唱して手拍子している、というシーンで、あまりのシュールさについていけなかったわけ。なんだ、このアホな情景は、というわけですね。しかし、後で新聞の投書欄など見て知った、私は誤解していたようで、このドラマは新機軸としてミュージカルの手法を取り入れているらしい。つまり、きまじめなリアリティー追求型のドラマじゃなかったわけね。
 いかに私のなかに、「朝ドラ=リアリティー系」という図式が出来ていたか。こういう先入観を崩すのは大変なんですなあ。新機軸、と思ってみればそれはそれで、なかなかNHKらしくない冒険で、むしろ好感を抱いた次第。
 たとえば私がちょっと詩集の組み方を横組みにしただけで、ついてこれない仁がいる、ということもこうしたことからも知れるわけですね。
 ところで、この日記は先日から、新規内容が上に積み重なる形式に変わりました。ご注意ください。

2003年11月24日(月)
 急に寒くなってまいりましたね。なんかちらと新聞見たら、国家公務員の給与はいまだに4割方が現金支給なんですってね。前に、公務員の場合は定期券も1か月ごとに支給で、長期割引を考えに入れていないことを驚きましたが、なんなのかなあ、あいつらは。現金を使うということはそれだけ物理的な負担が増える、すなわち給与担当部署に人がたくさん必要=人件費がかかる、ということであります。
 このところ急にクローズアップされていることに地方議員の「費用弁償」というのもあります。これは要するに議会に出席する際の交通費みたいなものです。議員は議会に出るのが仕事であって、その交通費を負担するのは問題ないわけですが、これが実費じゃない! 東京都で1回につき1万円、別の府県だと2万円前後のところもある。
 歩いて通っても、自転車で行っても、電車で160円の距離を往復するだけでも、議会があるというだけで、これだけもらえるのですな。いやいや、連中、黒塗りの公用車なんてものもあります。これで通っても、東京都議だと無条件で1万円支給でありましょう?
 小泉さんの改革というスローガンだけの政治、みんながそっぽをむき出しているのは、民間企業は実際に大変な合理化をやっている、しかし公務員や議員には手を付けられない、せいぜい道路公団と郵便局どまりである、ということ。それすら、ほとんど骨抜きにされそうな情勢であります。
 自衛隊も、「私が命をかけて出します! なにかあったらすぐに辞職するので、どうか出させてください、お願いします」とちゃんとテレビなりで訴えたらどうなんでしょう。自分と自民党だけはなんといわれても保全しよう、という意図が見え見えなんだわなあ。
 自民党本部がアル・カーイダに吹き飛ばされたらいい気味ですがね。

2003年11月21日(金)
 マイケル・ジャクソン容疑者45歳。悲しいですなあ。あれだけの人なんだけどなあ。本当のところ何やってたんだか・・・。私は結局、「スリラー」アルバムと「BAD」アルバムしか熱心に聴いてないのですが(そのあとのなんとかデンジャラスでしたっけ? あれも盗作疑惑だかがあったように覚えてますが、とにかくちょっと聴いてなかなかのもの、とは思ったけど)、リズムが打ち込みになっちゃって、それは世の流れだろうけれど、バックをTOTOが演っている時代が好きですね、やはり。しかし小さいころから金儲けのための見せ物人形として育成され、ネバーランドに住む永遠の少年オヤジは悲しすぎる図です。なんで今頃出てきたのか・・・まさかブッシュ政権がバグダッドやイスタンブールの惨状を覆い隠すための目くらまし? だとしたらますます気の毒としか・・・。
 リズム隊で思った。先日NHKでなぜかクレイジー・ケン・バンドが演奏していた。というか私は名前は知っているがこのバンドの音はこれまで聴いていなかった。演っていたのは「F1レーサーの死」(だったか類似のタイトル、失念してすみません)という曲のライブで、うん、どこかで聴いたようなフレーズの連発に、どこかで聞いたような歌詞のオンパレードと言う気がしたのではあるが、絶妙の演奏と構成のうまさはさすがのベテランの味。やはりひきつけられたし、耳にすごく残った。何日たってもサビが耳に残っている。これは買ってしまうかも知れない、ひょっとすると。気志団は見てみたいと思ったが、CD欲しいとは必ずしも思わなかったが、こっちはもっと聞いてみたいバンドでありました。で、特に耳についたのが、ギタリストの旨さ、これはもう円熟の技です。それに太鼓。ドラムスの端正な音が際だって素晴らしい。経歴を調べたら元オメガトライブのドラマー。旨いわけだ。バンドは実はリズム隊がいちばん大事ですな。いつもそう思います。
 私の詩集「世界と戦う7つのレッスン」にちらほら感想をいただいている。もっともまだ店頭に出ていないそうなので(来週あたりに並ぶそうで)贈呈した人らから、である。こちらの意図というかたくらみを理解した人は皆、喜んでくれるのだが、駄目な老人からは「横組みで読みにくい」とか「カタカナ語が多い」とか変な感想も来る。別に新聞じゃないので老人に優しい紙面なんて作る気ないもんね、こっちは。もっとも駄目な人は「こんな設問で世界と戦えるのか疑問です」(笑)だって。あのなあ・・・こういう頭の固い人にはどう言ったらいいのか。こんなもんで戦えるわけないだろ、これは教科書のパロディーなんだよ、というこっちの編集意図がぜんぜん分からないのだからどうにもならない。詩で世界を救うなんてのはだから戯言だってば。この手の人はおそらく「ブッシュ戦争止めろ」「小泉退陣しろ」などと書けば戦ってる気になるのだろうが、そんなことをどんだけ少部数の詩集などに書いても怖くも何ともない。そういうことは新聞に投書してください、と私はいつでも言っている。なんとかして欲しいなあ、こういう人らは。

2003年11月20日(木)
 とりあえず、「軍装美少女」イラスト集の制作、進んでおりますが、・・・もう私の手を離れて妻が日々、呻吟しております。しかし、ちょっと前まで郡山青年会議所より依頼された「文豪マンガ」を制作していたため、ストーリーマンガを手がける時間がなく、イラスト集ならいくらか楽だろう、と思って始めたもののそれは見通しがやや甘かったですな。とにかくきらきらといろいろな記章や勲章ぶらさげたドイツ軍の軍服は、調べ出すとどんどん深みにはまります。種類もやたらに多いので、もうページ数に合わせて設定を考えるだけでも一苦労でした。
 皆様、冬コミでお待ちしております・・・。
 ところで昨日は、私の主催する池袋・LIVEにも出てくださっている野村喜和夫さんが資生堂・花椿賞というのをおもらいになって、私も授賞式に招かれました。銀座・資生堂ビルの一番トップはああなっているのか、とか、資生堂の会長さんはこういう人か、などと実に興味深かった。野村先生、ご受賞おめでとうございます、そしてありがとうございました。
 とりあえず、私の目でも2003年度の詩集では、野村さんの「ニュー・インスピレーション」は際だってオリジナリティーある詩集でした。自分が審査員でも、知っているからとかお世話になっているからではなく、これを推したでしょう。
 なにかこう、近頃天気が冴えない、私も冴えない。冴えませんな。なにかいい話はないもんかなあ。

2003年11月17日(月)
 10月に行った池袋での「ライヴ03」の映像を当サイトに掲載しました。冒頭、いきなりスモーク・オン・ザ・ウオーターなど演っておりまして、どこが詩の朗読会なんだ、とお思いになること必定です・・・。これ、当日にどうも時間が空いてしまって穴埋めでやったんですね。しかしディープ・パープルの曲などここ何年もやっていないのに、急になんかやる、となるとこれしか思いつかない。カラオケでもそういう曲ないですか、いざ歌え、となると随分古い曲なんだけど自分の持ち歌はこれ、みたいなの。
 ま、手が覚えてる曲、ということですね。
 昨日ですが、電車に乗っていたら高校生ぐらいらしいのが二人しきりに大声で話している。私服なんでよく分からないが、「生物」とか「英語」とかいう言葉がよく出てくるのだからまあ、要するに高校生か浪人の予備校生ぐらいの者でしょう。その一方の少年が、まずはバレーボール女子のW杯での健闘を口にして、そのキャプテンの年齢が30歳を大きく過ぎていることを聞かされるや「え? 30過ぎてんの? ババアじゃん」と大声で叫ぶ。ついで、自分の仲間内で「26歳にもなって進路が決まらない馬鹿」の話に移り、「10代の連中に囲まれて情けないよなあ、26だぜ、26」とまたやたら年齢を強調して馬鹿にしている。
 しかしその二人組み、話の内容から未成年らしいのだが、なにかと他人の年齢を問題にするヤツの方が年上らしいのです。もう一人の静かな聞き役は敬語使ってるから、きっと聞き役が18歳、本人は19歳なんだと思う。恐らく間もなく20の大台超えるんですな、そのオトコは。
 焦ってるんだろうね、本当は。自分が26とか30になったときに、「まだあんなことやってる馬鹿」と罵られる可能性に思い至ってるのか。が、そんなにも年齢を気にしているところを見るに、自分があっという間に20歳になって成人に達すること自体を、内心は焦ってるのだとも思う。
 なにしろ人間、どんどん老けます。ちょっと前までコギャルなんて言ってた世代も、ミニスカにルーズというファッションはやらせた第一世代は、今じゃそろそろ20代後半になっているでしょう。既にかなり厳しい人生になってる人も多いのじゃないですか。
 若者の傲慢、というより悲しさをみましたね。

2003年11月14日(金)
 イラク戦争の「英雄」ジェシカ・リンチ元陸軍上等兵。元というのは、もう除隊したようだな・・・当然か。19歳で上等兵と言うのは、それなりに優秀な成績だったわけですね、この人。で、彼女は200人しか住人のいない寒村の出身で、大学に行く金がないので仕方なく軍に志願した。そしたら戦争が始まっちゃってあんなことになってしまった。今のアメリカ軍を構成しているのが、あの国の「勝ち組、負け組」志向の中で弱者に分類される階層なんだな、と推定させるに充分なプロフィルだったわけですが、今回の一連のあれこれでたくさんのお金を手にして、もう軍にいる理由がなくなったわけだ。よかったじゃない彼女。
 いや、はっきりいって美人で白人でブロンドで絵になるから軍に利用されて英雄に仕立てられたわけだ。で、はなじらんで見てたんだけど。
 しかし彼女は偉い。確かに勇気がある女性だ。それは軍を辞めてからの今回の振る舞いだ。本を出して金儲け、もまたいい。それは彼女の特権だ。しかしその「アイム・ア・ソルジャー・トゥー」の内容というのが、自分に貼り付けられた英雄のイメージを否定し、軍部の姑息な愛国心高揚を批判する内容だったこと。テレビのニュースショーでも、「なんで私が救出されるとき、テレビカメラのクルーが来て、笑って、なんて言ったのか分からない。私は利用されたのだと思う」と堂々と語ってのけた。これは本当に偉い。アメリカ政府と軍を相手にけんかを売ったのだから。「私は英雄じゃありません。英雄は、私と一緒にいて戦死した仲間たちです。私は生き残っただけ」という発言も潔い。彼女をモデルにしたテレビドラマでは、ヒロインは派手な銃撃戦で活躍するは、病院ではイラク兵に暴行されるは・・・しかしあんなのは嘘だという。「銃は故障していて、私は一発も撃っていません。勇敢に戦ったなんて嘘です」「病院ではイラク人医師がよくしてくれました。暴行も受けていません」というのが真相、だそうだ。湾岸戦争でも、ボスニア・ヘルツェゴビナ空爆でも、米軍部は広告代理店と結託して悪者をしたて、国民を騙した。あれがいつものアメリカのやり方だ。アメリカ国民ほど、自分は自由だ、と言いつつ実は政府に洗脳されているかわいそうな国民はいない。しかしリンチさんはまだまだ戦闘継続している今、洗脳を自ら解いて見せたのだから偉い。
 19歳で従軍して捕虜になり、20歳で政府と国を相手に告発する。これはやっぱり立派なもんである。これを売名だの金儲けだのと批判するのは筋違いである。彼女は彼女にしか出来ないことをやってのけているのだ。
 自衛隊のイラク派兵がのびのびに。小泉君は「状況を見て出すときには出す、と初めから言っている。私はいつでも一貫している」などと相変わらずの人を小ばかにしたコメントを出した。あのオトコ、本当に馬鹿だ。この人の言い方はいつも同じである。「いつまでに何人出す」というのが信念ある政治家の態度である。信念があるならはっきり「自衛隊員が戦死する可能性があっても、出す。もし戦死者が出たら私は責任を取る」と言うべきだ。それでなくとも「軍人」じゃない彼らをあのまま送り出していいのか、疑問が残るのである。最高指揮官があんな調子でどうする。人に死ねと命ずるなら己も死ぬ気でことにあたらないか。それを、「状況次第で出すかもしれないし、出さないかもしれないし」というのは「つまり、いい加減に適当に対処する」と言ってるのと同じで、「私は一貫している」という言葉はその「いい加減」というところに係ってくる。すなわち「私は当初から、適当に対処します、という点で態度が一貫している」と言ってるのと同じ。なのに「一貫している」という言葉だけは毅然としているように聞こえるので、詭弁としては頭の悪い国民を騙すのに役立つ。これがコイズミ流であります。「年金の問題は来年、議論をすると言っている、一貫しています」「消費税は三年間は上げない。一貫しています」などみな同じである。先送りする態度が一貫していることなど、なんで威張れるのか分からない。
 日本国民はそんなに低脳ではないぞ、小泉よ。私の親は全く社民党的な護憲平和的メンタリティーを持ち合わせないが(そうそう、さよならおたかさん。ご苦労様でした)、それでも、もし私が今、自衛官なら「すぐに辞めなさい。失業してもいい、あんた一人ぐらいなんとでも食わせてあげるから、と勧める」と言っている。イラク人のために死ぬ? いやブッシュや小泉のために死ぬ? 死ねるのか、そんな理由で? たとえかつての特攻隊の勇士がここに生まれ変わっても、「日本を守るためなら行けるが、外国のためになら行けない」と言うに違いないぞ。

2003年11月12日(水)
 というわけだわなあ、衆院選が終わったわけだ。マスコミによっていろいろ扱い方が違うのがおもしろく、「与党絶対安定多数」を強調するところ、「自民敗退、民主躍進」とぶち上げるところ、同じ結果を見ても解釈でどうともとれる・・・言ってみればそういう結果だったって事ですな。要は、共産党と社民党と、今はなき保守新党が事実上、壊滅して、その分を民主党が増やしたと言う結果。日本人はもはや左翼政党は要らない、ということで一致したというのはこの選挙の大きな結論だったかもしれない。土井さんも事実上は落選しているわけで(比例で復活という情けなさ)はっきり言って引導は渡ったわけだ。
さて。第一次大戦のジェットランド海戦の後、イギリス大艦隊の長官ジェリコー提督曰く、「ドイツ海軍は看守を襲うことに成功したが、脱獄はできなかった」。ひとつの作戦としてはドイツ側の勝ち。沈没した軍艦の数と質で言えば、明らかにドイツ側が優勢だった。しかし戦争全体で見ると、独海軍を外洋に出さないというイギリス側の思惑を覆せなかったために、イギリスの勝ち。今回の選挙もそんな感じか。
一個の選挙戦としては民主党のマニフェスト作戦の戦術的勝利。しかし戦略的には政権の大勢に影響なし。その後、無所属の追加公認とか保守新党合流で、そこそこの形を付けた自民党はとりあえず安泰、ということになっちゃった。公明党が裏切らない限りまあ、当面は、ということですな。で、民主党からすれば思ったよりは取れなかったし、政権にはほど遠いし。躍進と言ってもまあ、勝ち戦とはいえないでしょう。自民からみれば、人気者の純ちゃんと安倍ちゃんコンビであの体たらくというのは、実は言葉にする以上にショックなはずで、特に「オレはなんだかんだ言って人気者なんだ」と思い上がっていた小泉さんには薬だったろうねえ。うちの奥さんがいいえて妙なことを言っていたけれど、「小泉さんというのは、なんだか自分が、みのもんたかなんかだと思っているみたい」と。確かにパフォーマンスばかりあつかましく、無責任な言動、閑もてあますおばちゃんにばかり人気者、というあたり、似ているかもしれない。明らかにこのところ思い上がっていたわな、彼。質問されてもふざけた切り返しばかりして、そういう傲慢な人をおちょくったような態度を「ユーモア」かなにかと勘違いしているあたりも、みのさんにそっくりだ。マイクを握れば扇情的な絶叫ばかりでちっとも理路整然としていない。要は頭があまりよくないのだろう。今後は大変だよ、彼は。選挙が終わったのだから、もう彼の言うことなど聞かなくてもいいんだから、自民党の代議士の皆さんは。来年の参院選までの総裁だろうね、あの人。
 私は自分の入れた候補が通ったのでよかった。選挙なんか興味ない、と言う人は多いと思うが、これは不謹慎な意見かもしれないが、競馬の予想でもするつもりで投票すればそれはそれで面白いもんです。オレが入れてやったヤツが通りやがった、てなもんで。この当選した人と対立候補だった人間が、実はこないだまで私の所属する会社の社員だった若造で、はっきり言ってなまじい知っているから応援するのではなく、逆に落ちればいいや、と思うようになったのが不思議である。実際、30そこそこで議員になるのはいいが(若い人が政界に飛び込むことはいいことです、もちろん)、そいつが明日から黒塗りの車なんぞ乗って、高い歳費もらって、秘書なぞ生意気に雇って、高級ホテルや料亭の会合やらパーティーに入り浸って、ふざけるな、である。結局、日本の国会議員は生意気である。議員なんてもんは別に偉いもんじゃないのだ。だから彼が今回、落選したのは彼にとってもいいのである。少し苦労してから出直すべし。何年掛かっても、それでもやらせてください、という志がないなら初めから出るんじゃない。
 次に政権を執るようなことがあったら、民主党さん、公約通り議員の数を減らし歳費も減らしていただきたいですな。今の半分もいればいいんだ、議員など。これから国民の数が減るのだから、もっと減らせ。

2003年11月10日(月)
号外!
うちの漫画サークル「ちびトラ戦車館」は冬コミ参加します。12月29日(月)西けブロック11aです。
今回もメカ・ミリタリージャンルで、今度はちょっと時間がないので「美少女軍装冊子」でも出そうか(!)と計画中。よろしくどうぞ。

2003年11月09日(日)
 このサイトのリンクコーナーにある「白い旋律」というサイトの主催者・怜亜様からメールを頂いたのですが、「ジャップ」という英語の蔑称について、つのだひろさん(あのメリー・ジェーンの人ね)が80年ごろに率いていたロック・オーケストラが「つのだひろ&ジャップス・ギャップスだったはず」とか。調べてみるとそのとおりで、まあこの「くそ日本人の溝」「ダメ日本人の埋まらぬ隔たり」みたいな題名は、かなり意識的につけた意地悪な命名でしょうね、という話になりました。とにかく日本人が自分で名乗る分にはいいと思うけど、外国人がつけたらまずいわな。たとえばかの有名なバンド、ジャパンがですね、ジャップだったらどうなってますか、と。こういうのはよくあります。たとえば新聞などでも、芸能人を芸人、と呼ぶことは原則しません。しかしご本人が「わてら芸人は笑われてなんぼやさかい」みたいな発言をしたときには、このセリフの「芸人」を勝手に「芸能人」に直したりしません。
ところで私はこの、つのださんのバンドの音は聴いておりませんが、トップスに似た感じ、とのこと。それなら分かりますね、後の米米クラブなどにも通じていくホーンセクションなども盛り込んだ連中なんでしょうね。で、ここでギター弾いていたのがデーモン小暮のバンドの初代ギターのエース清水だった、なんて話もわかっておもしろい。またメールくださいませ。
 その他、本サイトは掲示板は設けていませんが、メールを頂いて気がついたことは、ここの日記のコーナーで紹介しますのでよろしくどうぞ。なにか面白い話があったらお寄せください。
 今日はさて、選挙ですな。うちは一応、行きます。どこに入れる? それは内緒です。

2003年11月07日(金)
 なんか最近はろくなこともなく、この日記も見ていると、昨日なんか「馬鹿」という罵りが何度となく出てきていけませんねえ。
そういえばですが、その「馬鹿」で思い出した。このサイトに「桜花」「BAKA」というキーワードで検索してたどり着いたZEKEさんからのメールに、当サイトのエッセイ「アジアは駄目だなあ」について、文章の本意と関係ない重箱的な指摘ですが、と断った上で「旧海軍の特攻機・桜花はジェット機ではなくロケット機では。それから桜花BAKAは日本語説が有力ですが、オランダ語説もあります」とのご指摘あり。うれしいですなあ、かなりマニアな方が当サイトをご覧になっているということに驚きました。おおむね、ここの読者は文学系か漫画系の人が多いと思っておりましたが。そして、もっと驚いたのは「桜花」なんて語で検索してこのサイトに来られた、という事実。ああ、いつのまにかちゃんとこのサイトも定着してきたのね。開設当初は「辻元佳史」という語で検索しても来られなかったのに。
 この「アジアは・・・」は、1年以上前に某詩誌に掲載した雑文ですが、ま、うろ覚えでいい加減に書いておりました。確かに桜花はロケット機でありますね。もっとも第二次大戦中はプロペラじゃない飛行機はどこの国でも、なんでもジェット、ジェットと呼んでいたらしい、という話も聞きますが。オランダ語説のほうは私は寡聞、知りませんでした。
 文学系の本に載せるだけだと、こうして少々うろ覚えでも問題にならない。しかしホームページだとまったくこれまで接点のない人もご覧になるし、またこういうご指摘もいただく。ありがたいことであります。教えていただかないとうろ覚えのまま、また、どこかで同じようなことを書きかねないですしね。ありがとうございました。
 馬鹿ついでに。国連の会議で、北朝鮮の代表が日本を侮辱し「ジャップ」と4回も罵ったとか。で、「ジャップは軍国主義を復活し侵略を考えている」とかなんとか。これは小泉さんの国軍再編発言などを受けたんでしょうよ。しかし何を考えているんだか。この会議の議長(セントルシア)も、「国連の公式の場で、他国を罵るレベルの低さにはあきれてものが言えない」とコメントしております。ほとんど暴力団の恫喝ですよ、これは。北朝鮮は何を考えているのか、というのはこういう話が伝わるたびに、日本の一般の人たちもむしろ国軍再編などという話に賛成の気持ちを強くしてしまうんですけど。わざわざ問題を悪化させているんだが、まだあちらの国は、日本を恫喝すればいくらでもへりくだる、とでも思っているのか。ワーグナー好きの首相に、タカ派を自負する幹事長のコンビが売り物なんですよ、日本の与党は。
 そういえばわざわざ北に亡命した日本人女性。こいつもなに考えてるんだか。今頃、泣き言を書いて手紙よこしたそうで。好きで行ったのだから、骨をうずめなさい。なんか歓迎してもらえるとでも夢想してたのか。まず生きて帰れまいよ。
 関係ないついでに。漫画・金正日がかなり売れましたが、あの国でしばしば起こるとされる「交通事故死」。これ、あながち暗殺ばかりじゃないそうですね。私もこの本で知りましたが、側近中の側近は将軍から直接、高級外車をもらえるんだとか。で、将軍様の秘密パーティーに来るときは、運転手じゃなくその高官自身がハンドルを握って、指定の場所に行かなければならない。で、酒など飲むと、帰りも自分で運転する。飲酒運転で事故する。これは呉人宇・人民武力大臣の危篤説が流れたときなんかが、こういうあらましだったそうで。なるほどなるほど。交通事故とはそういうことなんか。
 話はジャップに戻りますが、近頃の人はしかしジャップが英語で最悪の蔑称だということすら知らないかも。たとえば数年前ですが、ラジオの番組で、日本のヒット曲を集めた特集に「ジャップス・ポップ・ベスト30」などとつけているFM局があった。これ、ジャパンの略語で、縮めるとジャップだと思っているわけでしょ、この番組の制作者は。レッド・ツェッペリンの略称がゼップ、みたいなノリでしょ。こういう調子でナマジッカな英語を使いたがる神経がよく分からない。こんなの英語ぜんぜん分かっていないわけでしょう。なのに使いたがる。馬鹿そのものです。
 その英語で最悪の罵りを受けても、教養がないために気がつきもしない。これからの若い若い若い世代は、そういう幸せな人が増えるのかもしれないし、それでいいというならそれでいいし。腹が立たなくて幸せだよね、そういう人種は。

2003年11月05日(水)
 大阪の女子高生と大学生が、家族を殺して自分らも心中しようとした、とのことですね。で、彼女のホームページには、家族に対して「邪魔だ」とか「うざい」とか「触るな」などなど、そして「自分の家で一人でいたい」のなんのと書いてあったそうで。
 甘えんな馬鹿。一人で出て行くなり、一人で死ねばいいのだ。「自分の家」じゃあるまい、それは親の家だろ。ホームページだって親の金で作ってるんだろ。
 こういう勘違いしたヤツがいるから、子供など作りたくなくなるのだよな。こんな馬鹿が出来てしまったらどうにもならない。
 もちろん何があったか知らない。同情の余地がある点もきっと出てくるに違いない。しかし、要は、親がいやなら自分ひとり出て行けばいい。一人で生きていけないなら一人で死ぬがいい。
ほかの家族を皆殺しにして、結果として自分らがぬくぬくと生き残るとはなんたる無様なことだろう。死ぬ、死ぬと言い募りながら死ぬことも出来ないこの娘にいたっては・・・私は思う。こういう輩が自殺願望がある、などと言う。真に受けて、では「お望みどおり殺してあげよう」といって誰か外敵が現れたら、必死になって抵抗しやがるに違いない。さいきんのこの手のヤツはみんなそれ式だ。自分だけはなんだか別の種類の存在だとでも思ってやがる。
 だから。何度も言わせんな。お前は世界の中心じゃないのだ。お前の小さな世界の真ん中で閉じこもってるなら、そのまま出てくるな、馬鹿。誰がうざいってお前のような人間がいちばんうざいのだ。
 と、この手の人間には全く同情しない私であった。うざい家族のいない少年院にでも入って、お前の幼稚な理屈がどれだけ通用するかやってみるがいいのだ。

2003年11月02日(日)
 なんかいつの間にか11月ですか。なんか今年もつまらない、つまらないと言っている間に1年終わってしまいますね。
私はこのところ軽鬱気味ですね。なんかこう、仕事でも趣味でも、なんにもはかばかしく行っていないような気がしてならないのです。どうもこういうときは駄目ですね。
 中国の西安で留学生が裸踊りをやって非難されて、学校を追い出されたそうで。どうしてこういう馬鹿がわざわざ中国みたいな準敵国に行くんだろう、そのナイーブさが理解できない。今、準敵国などと書いたが、これはつまりどちらかというと中国人から見て、日本はずっと敵国であろう、ということです。日本人はずっと韓国の反日感情は気にしてきたが、中国人の反日感情は忘れていた。日中友好、などというのはあくまで中国が力をつけるまでの方便、その辺は徹底的にリアリストなのが中国人。そんなものを真に受ける日本人はやはりお人よしなわけだった。そしたら石原さんがまた、中国のロケットなんぞにいろいろケチつけて暴言はきまくりだが、私はあの知事、おもしろいとは思ってきたが最近、ちょっと邪魔なようにも思う。日本が突っ張っていて済むような時代は終わってると思う。とりあえず、本心はどうあれ黙って様子を見るなりしたらどうなのか? 単純に好きだ嫌いだといっていられる時代かね。
 昨夜、たまたまフィンランドの教育事情をテレビの深夜枠で見た。近頃、どの国力調査でも競争力ナンバー1に挙げられるフィンランド。アメリカじゃないんだよね。その躍進の秘密は実は教育にあり。中学校では、徹底的なグループ討議式のプロジェクト学習で、情報を自ら集め、分析し、結論を出すという学習を全教科でやっている。基礎的な暗記学習は全くやらない。そういうことはプロジェクトの中で必要に迫られて学習していけば嫌でも覚える、という割り切り。そういえば誰しも、いやいや暗記したことはすぐ忘れ、自分で調べて必要に迫られて身に着けたことは忘れない。そういうことに徹するのだという。教科書は使わない。また学力の低い子には徹底的にフォローするし、授業は習熟度別にはしないそうだ。なぜなら多様な能力の集団の中で、効果が上がるのだとか。蟻の群れにも無能なものが多数混ざっているほうが、集団としての効率がいい、という研究成果が最近発表されたけど、つまり同じようなこと。エリートだけの集団は実は能力が低い。これ、当然。将校だけの軍隊など役に立たない。そして不思議とそういう教室では、能力の高いほうに引っ張られるとか。これ、教師の度量がないと出来ませんな。
 で、見てて思う。完全にこれが21世紀型教育。教えるべきは知識じゃない。知識の収集力と情報処理能力。それからチームワークの仕方、である。あちらではもう小学校から日本の大学のゼミみたいなことを平然とやっているわけだ。一方、暗記と集団主義と学校行事ばかりの日本の学校は、恐らく30年は遅れております。絶対においつけないと思う。
 実は日本のみならず、中国以外のアジア地域の子供は学力低下傾向なんだともいう。つまり高度成長を経てそこそこ豊かになると、アジアの子供はもう目標がなくなる。中国だって、20年遅れぐらいで同じコースを走っているにすぎないでしょう。
 私は前からアジアの時代、という言葉に懐疑的でした。もちろん日本の時代、なんて絶対無い、と。こういう番組見るとますますそんな感を強くします。アジアは駄目だなあ、と。
 この改革を主導したのは、当時36歳、つまり今の辻元と同じ年だったアホ首相だそうです。今でもこの元首相は46歳であります。
 私の年で首相。そりゃいろいろ断行できるわな。どこかの口先改革オトコとは違う。これを日本はやらせませんよね、絶対。そういう国だもの。それどころじゃない、課長にすらしませんよね、普通。
 日本は絶対に、追いつけません。なんとかなるなどと思わないほうがいいです。

2003年10月29日(水)
 ああ・・・、今日も何十人かのお客様が当サイトをご覧になっている。そこで、ただいまの今、洋食ふぐ屋から帰ってきて手元もあやしい、呂律もあやしいが、ちょっと書いちゃいますな。間もなく29日になりますところであります。
 まずは、宣伝させてください。私の新詩集「世界と戦う7つのレッスン」(草原詩社、11月25日発行、ISBN−434−03785−4)まだ、書店に出ていませんが(11月発行なので11月ね)、先行配布した方々からはいろいろと反響あって、要するに面白い本、と言っていただけているのが何よりうれしい!! とにかく「面白い詩集」ということを考えております。そういうことをご理解いただければ、なかなかの一冊じゃないか、と自負しております。
 書店配本は11月になると思います。で、このサイトに掲載している詩とかエッセイもかなり載せておりますが書き下ろしも過半であります。ご興味のある方、草原詩社(メール:sogen-lyric@myad.jp)か発売元の星雲社(〒112−0012文京区大塚3−21−10 電話03−3947−1021、ファクス03−3947−1617)にお問い合わせいただきたいですが、ここで、もう一つ。
 このサイトの問い合わせメールにて、「詩集の件見ました」というお問い合わせをいただいた方から抽選で3名様に、この詩集を贈呈いたします。メールにはお名前と職業・年齢、ご住所(あるいは送付先)を記してくださいませ。発表は発送で替えます。
 それから来年もLIVE04開催します! 2004年10月16日予定です。
 まもなくLIVE03の、私のパフォーマンスのビデオ映像もこのサイトに載せる予定。そちらもよろしく。
 てなもんで、今日は宣伝オンリー。おやすみなさい。

2003年10月26日(日)
 なんかこうなあ、あんまりすっきりしないこと続くこのごろだなあ。一つ一つは大したことじゃないのだが、あまり何事も順調じゃないのですなあ・・・。。
 先日、会社の人と何かの仕事をやってる最中に、ルノーの会長のシュバイツァーの話にたまたまなりました。で、この家柄ってあの有名人の親戚かいな、と。すると出身はアルザス・ロレーヌかねえ、という話になりまして。会話なんていい加減に流れますモンね。で、相手の人が「それでこの名前はフランス人なの? ドイツっぽいけど」というので、「アルザスは戦争やるたびにドイツ領になったりフランス領になったり。シュバイツァー家はドイツ系ですよ、確か」なんて展開に。で、「あそこはドイツ的にはエルザス・ロートリンゲンなんですよ。で、ほら、有名な小説あるじゃないですか。ドーデの」「ああ、『最後の授業』」「あれは嘘っぱちらしい。というか作り話。なぜならあのへんの人はみんな独仏語を自由に使えるバイリンなので、学校でことさらどっちかだけ教えるとか、そんな話は嘘らしいです」「へえ、作られた美談かねえ」なんて感じで・・・。。
 作られていくんですね、みんなの意見なんぞは。美談に洗脳に、嘘に。。
テレビ視聴率もやっぱり思ったとおりで、作られてたし。全国のほんの1000人だかの視聴動向でなんで、国民全部の視聴率が分かるものか、と思っていたらこれだ。ごく少ない人数だもの、住所さえ分かれば賄賂使えばすみであります。別に今回の局に限らず、みんなやってきたことなんだろう。。。
 それで、内閣支持率だの政党支持率だのゆうのも、同じようによく分からないですね。しかし文芸春秋で柳田国男さんが書いていた文章に注目。つまりインフレの時は物価が上がると生活が困るので、国民は政府に反発する。しかしデフレだと、自分がリストラにあわない限り生活は楽になるから、支持率は下がらない、と。なるほど! だからコイズミ政権はいろいろ言いつつ、デフレ退治などしないわけだ。なにしろ支持率のために政治をやってる政権だから。。
 あと分からないのはタレント好感度調査ですね。。
 ああいう抽出式の統計は本当に正しいのだろうか。理論的、数学的には正しい、と言い張ってないで、学者はよく研究してみて欲しい。なにか欠陥があるんじゃないか。また、作為や工作が入るのを実際には防げないのではないか。そんな気がします。。



2003年10月23日(木)
前にこのコーナーで、新しい家に引っ越して以来、野良猫の糞害に困っている、ということを書きました。先日は、妻がちょっとドアを開けて立ち話していると、とつぜん馬鹿猫めが家の中にまで入ってきたそうで、実にけしからん、と憤慨しておりました。もともとうちの妻というのは動物好き、特に猫好きで、猫の鳴き声でだいたい考えが分かる、だから猫の声の判別機など不要、というような者なのですが、しかしだんだん聞いていると、以前には野良猫に金魚を何回も殺された、鳥も殺された、などと言い出して、「してみると猫なら何でも好きなのじゃなく、飼っていて気心の知れた猫がかわいいのじゃないの」と言ったら「よく考えたらそう」などと言っている。生まれてまもなくから可愛がって、その後病気で死んでしまった猫がいたそうで、要はその子がかわいかったのであろう。糞して回る野良などかわいくも何ともない。
 猫の退治とか、撃退とかいうキーワードで検索エンジンをたたくと、いろいろ出てきますなあ。やはり超音波系の撃退機が、猫にも害を与えなくていいのではないか、というので主流らしい。というのも、猫に傷つけたり殺したりしたらそれはそれで犯罪なのですよね、困ったことに。
 で、そういうところから、どこかの掲示板にさまよい込むと、激論戦わしてるんだよね、変な人たちが。猫をいじめちゃかわいそうだ、という人に対し、動物を飼うという発想自体人間の傲慢だ、とか極論言う人、さらには犬や猫を殺傷するのは犯罪で家畜はなんで殺していいのか、などと話を変えてしまう人、動物を管理するなんて人間の特権意識だ、とまたどんどん極論に走る人に、何を言う、偉いかどうかは別にして、人間は管理する義務を負っているのだ、対等ではないのだ、しっかりしなさい、などと叱る人に・・・。見てて本当に疲れます。
 要するに、基本的には飼わない方がベターなんですよ、どう考えても。他の生命の一生について、責任を負えない以上は。しかし飼うのならとことん、家族として待遇してやらなきゃいけない。面倒になったからと言って子どもや老人捨てる人も多いご時世だから、それじゃ足りないかもしれないが。
 あらゆる動物を飼ったことがあるうちの妻も、今はなんにも飼っていない。「死ぬとかわいそうだからはじめから飼わない」そうです。ただし、実家にもう20年も生きている亀がいるそうで、それを引き取るかどうかで悩んでおります。
 なんにしても野良猫め、あいつはただではおかない。車もさんざん登られて毛まみれである。「撃退なんてひどーい」なんて言う奴は、そういうなら家の掃除に来てくれ。とにかく超音波撃退機だ。一台1万円以上するんだ。ちくしょう、高い。困ったもんであります。

2003年10月20日(月)
 2003年10月18日(土)、東京・東池袋のライブスペース「サンライズ・ホール」で、「ポエム・リーディング・ライブ03」が開催された。出演者は、主催の辻元佳史、高橋和彦のほかに野村喜和夫、城戸朱理、平居謙、和合亮一、伊武トーマ、ヤリタミサコ、海埜今日子、山口浩子、大平みどり、夏目ゆきら。各人が二十分前後、パフォーマンスする。来場は約80人。
 開演の2時直前、辻元に一本の電話が入った。「あの、平居ですが……すまん。やってもた! 明日やと思うてて、明日の新幹線の予約とってたわ。と、とにかく今から行く、行くわ」
 楽屋で城戸はきわめて無表情に「今から出れば、充分、間に合うんじゃない?」と言った。
 野村は「今日は遅れて会場入りして、しまった、と思ったのですが……上には上がいるようで」と笑いをとった。
 和合は平居のアナを埋めるべく、芸風と相違するだろうギャグを連発、共演の敦子夫人を苦笑させつつ「平居さん、頑張れ」とエールを送った。
 平居謙を待ちながら。しかし異様にボルテージの高い会。
・・・・・・・・・・続きは「りりっくじゃんぐる」8号に掲載予定。よろしく。

2003年10月17日(金)
 エヴァ・キャシディというアメリカのシンガー、知ってますか。実は彼女、すでにこの世の人ではない。96年に33歳で病死しております。今、生きていれば40ですね。生前はあまりぱっとしない歌手でした。レコードもマイナーレーベルから2枚だか、出ただけ。しかし、彼女の死後、その生き方とか闘病とかつづったドキュメンタリーが放映されて一躍、有名になり、それがどうしてかイギリスに飛び火して、英国チャートの一位に。
 というわけで、夭折のおかげで名を残してしまった人。しかも本人は自分が死後、有名人になっていることを知らない。今どきでもこういう人、いるんですねえ。
 いやなに、彼女のレコード、実は日本では出ていません。これだけ評判なのだから出れば必ず売れるのですが、どうも日本のレコード会社が、版権がとれないらしい。なんか謎ですが。それがまた幻の、と言う感じになって、本当にこの人は不思議な運命の歌手です。
 が、実際は一枚だけ、彼女の歌が入ってるレコード、というかCDがあり、それが「ウーマンズ・ハート ディケイド記念アルバム」です。ウーマンズ・ハートいうのは、アイルランドの女性歌手が作ったコンピレート・シリーズで、世界で馬鹿売れ。シンニード・オコナーとかメアリー・ブラックとかですね。本国ではU2なんかよりずっと売れたとか。で、そのシリーズ10周年記念で、外国の女性歌手も何人か入れて作った。そこにたまたま、エヴァ・キャシディも一曲、入っていたんだな。歌ってるのはスティングの「フィールズ・オブ・ゴールド」だったりするのだな。
 なんでこんなこと書いてるかというと、まだ新聞に載っていない記事に、エヴァ・キャシディのことが書いてあって、それを推薦しているのが元男闘呼組の高橋なんとかで、で、私は弾き真似のオトコ組は嫌いでした、でも、なかなかいい趣味してるな、というのでちょっと見直した。そう思いつつ、勤め先の近くのあるレストランに入ったら、たまたまどうもこの「ウーマンズ・ハート」アルバムが、そしてエヴァ・キャシディが聞こえてきた、というわけ。
 私、前も「チェリー・ボム」がかかってた、というだけである喫茶店をひいきにしました。
 結論? 商売するならBGMは大事だよ、ということか。
 いやいや、数奇な人生、数奇な芸術家の運命を考えると不思議なものがありますねえ。
 あ、明日ライブやらなきゃ。大変だ。おやすみなさい。

2003年10月16日(木)
 中国の神舟5号ロケットが打ち上げられたそうです。まあはっきり言って、40年も前にガガーリンがやってたことと同じような技術だし、要するに国威発揚の意味しかないから、米ソの後、ずっとどこの国も有人宇宙船を計画しなかった訳ですね。実際、バブルのころならともかく、今の日本じゃ冗談にもならない。
 ところで、このところ突然、FFX−2に急に目覚めてやっておりました・・・ああ、ファイナルファンタジーというゲームの新作ですね。そんなこんななことをしているうちに・・・やば。
 辻元佳史第七詩集「世界と戦う7つのレッスン」(草原詩社)刊行! とうとう新作が出ます!! 
 まもなく当サイトでもご紹介しますので、よろしく。

2003年10月12日(日)
げげ、池袋での「ライブ03」まで一週間を切ってしまった。が、「稽古不足を幕は待たない」(BY梅沢富雄)のであって、どんなんなりますか。今年も、私個人としては、去年とは少し違う趣向を…まあ、ご期待ください。その他、今回はすごく豪華なメンバーなんですが、うまくいくのか、一応、主催筋としては心配。もちろんご出演の個々の先生方は当代切っての力量の方ばかりで、それに不安があるのじゃない、うまく進行できるか、最後まで遅滞なく見ていただけるか、ということで。
関係ないけど日本の最後のトキ、きんがお亡くなりになった。36歳。俺と同じ年だったのか。なんでも、突然、飛び立とうとして籠に激突して重傷、そのまま失血死した、とか。なんかこれ、覚悟の自殺だろうか? 最後に自由を求めて、飛ぼうとした、というような過剰な擬人化は好まない。でも自爆したのは不審である。寂しかった、というのは間違いなくあると思いますけど。「みんな先に逝ってしまって、寂しいねえ」というセリフすら、あまりに回数重ねて言わなくなってしまった森繁先生みたいな境地になり、塞ぎこんでいたかもしれないトキのきん。もう自分しかいない、ということは鳥なりに分かっていたし、プレッシャーもあったかもしれない。人間なら100歳以上の高齢で自らお亡くなりになったそうだ(くどい?)。
そういえば忘れていたけど、サイードが亡くなっていた。この間のことだけど。ポストモダン・ブームのころの思想家なんて今じゃあまり誰も読むまいけれど、昨今の中東情勢もあって「オリエンタリズム」のサイードは忘れられていない、悲しいことだけど。でも、最後はもう思想の言葉で語る余裕もなく、「お願いだから殺し合いはやめてくれ」と懇願するばかりだったとか。やはりサイードは誠実な人だった。
こりゃまた関係ないけど、小学4年の教え子を「お前はアメリカ人の汚れた血が入っている。生きるに値しないから死ね」と苛めた担任教師が、停職6か月の処分に。マスコミは「処分は軽すぎ、首にしろ」と言う一方で、本人は平然と不服を申し立てたらしい。この教師の考えではアメリカは悪い国だ、と。それは私だってそう思う。しかし、アメリカ人の血が入ると日本の純潔が守れない、だって。日本人はそもそも有史以来、混血を繰り返してきた民族である。単一民族幻想をいまだ持っている不勉強な先生はやはり首でいい。血なんぞどうでもいい。消えて欲しいのは、仮に「純血」であっても、この教師のような馬鹿の方である。ナチスドイツが駄目だったのは、純血の馬鹿なゲルマン人を重用して、ユダヤ系の優秀な人間を外したことが最大のミスである。そのへんよく考えろ、というんだ。ナチも、南アフリカみたいに「名誉白人」ならぬ「名誉ゲルマン人」を制度として作ればよかった(実際、有力者に限ってかなり例外的に救ってもいるのである、実は)。ダブルスタンダードは国家の常道である(スタンダードがない日本は国家じゃない、米帝国属領である)。

2003年10月11日(土)
 そういうわけで解散・総選挙と言うわけだ。面倒くさい。あ、この面倒くさいというのは、マスコミなんぞに籍を置いてると政治家でもないのに煩わされる、それが面倒だということ。それにしても、である。一番、国民の関心が高いのは年金だそうである。それはそうだろう、役人どもはそのことばかり考えている。そして、今の首相が勝利を収めれば、後はどんどん無遠慮に国民からの搾取を強めていくだろうよ。自分らはますますいい思いをするだろうよ。
 私はね、別に民主党ならすごくいい政治をするだろう、などとは思わない。しかし、一度、自民党を下野させて官僚どもと手を切らせたほうがいい、とは強く思う。日本新党もぜんぜん駄目だったが、しかしあの間、自民党にはいい薬になったことは確かである。
 コイズミさんとアベさんのイメージで、自民党を応援する人は応援する根拠を教えてもらいたいものだ。郵政民営化とか道路公団民営化とか…そんなこと、本当にどうでもいいのじゃなかろうか。

2003年10月09日(木)
 ええと、このサイトの近作エッセイのコーナーに2つほど論文と言うか、文章を追加しました。ご覧くださいね。はい、広告でした。
 シュワルツネッガー知事誕生! しかしどんな演説聴いても映画にしか見えないなあ、本当に。レーガンも俳優だったけど、シュワのスター度の方が100倍上だもんな。
 そりゃ政治家の演説なんて、スタッフライターがよってたかって作ったのを読み上げるんだし、アメリカなんかじゃスタイリストとかプロの演出家とか総動員してやるわけだし、そもそも演劇見ないなもの。プロの俳優がうまいのは当たり前。しかしあまりにも本職が本職だから、なにもかも本当の政策とは聞こえない、セリフにしか聞こえないなあ。
 彼が若いころ親ナチ的なことを言ったかどうかしらない。彼の父親のグスタフ・シュワルツネッガーはオーストリアの警察幹部でナチ党員だったけど、当時の第三帝国でとりわけ非道なことをしていたという経歴も無い。ワルトハイムのように紛れも無いSS大尉だったのとは違います。
 が、この際、知事を終わったらぜひナチスもの映画に出てもらいたい。悪役で。意外な線で、ヘルマン・ゲーリング役とかヒムラー、ハイドリヒ役とか。監督はスピルバーグで決まり。ナチスの非道を延々と描いてもらいたい。美化の必要なし。というのは、ナチの極悪というと収容所と看守、武装親衛隊というイメージばっかり。もっと本当に悪い連中のことを真正面から描く映画を見てみたいもんだ。兵器なんかも完全に復元してもらいたい。プライベート・ライアンとかちまいものじゃなく、「戦争」そのもの、そして戦争機械=第三帝国を描ききるような。これでシュワ知事、オスカーも独占できる。二期終わった後、十年後ぐらいにいかがです、知事?

2003年10月07日(火)
 なんともかんとも、ここ何日か家にこもって書き物ばかりしております。いろいろ締め切りが迫っておりまして。いかな。ほかに書き物してるときは、日記はあんまり書けないのよね、つまり執筆エネルギーがよそに向かって、日記の比重が減る。永井荷風も石川啄木も、多作の時期は日記が薄く、佳作の時期に日記が長い。
にしても、二日で原稿用紙80枚も書いたです。流行作家なみ。我ながら疲れた。
ところで、なんか知らないけれど、このところあんまり、ついていないんですよね。なんか、何をやってもイマイチ。どういうもんかなあ。お払いでもしてもらうかな、なんて。
 いちいちあれがこうで、これがこうで、などと書かないけれど、ちょっと元気なかったりするんです。
 ある意味、なにかの転機なのかもしれないなあ、と思わないでもなし。
 うん、たまにはこういう愚痴っぽい日記もいいかな。

2003年10月02日(木)
 どうもこのところ、郡山の青年会議所の企画で、久米正雄のことを調べているので、どうしても漱石のことに思いが行ってしまいます。というか、もともとが漱石ファンなので、私は。で、猫伝、というか後の吾輩は猫である、を書き出したのは今の私よりちょっと後の歳か、などとつい自分に引き比べる、ああ、私もいい年になったわけですね。
 あれだって高浜虚子だかに勧められて書いたんで、人生、誰かがきっかけを作ってくれる、というのが大事ですなあ。なんかないかね、私のほうにも。
 猫で思い出しましたが、こっちの新居に移って、ひとつ大きな問題があります。猫ですね、猫。集合住宅じゃなかった問題です。
 要は野良猫の糞です。地鎮祭の後、祭壇の横に糞があったわけ。で、なんだここは、と思っていたのよ。そしたらその後も普請中に訪れるたびに同じような場所に猫の糞。というか妻の話じゃ、猫は決まった砂場に糞するそうで。家の横の砂まいてあるところに糞する習慣つけやがったらしく、頭にきたので猫が嫌いな匂いの薬剤を撒きに撒いた。そしたら今度は植え込みに糞。そこも撒いたら車の上に上りやがって!
次はもうなんだ、ナチスの毒ガス散布するぞ、馬鹿猫。
 でもひょっとしたら、この家の前の住人がかわいがっていたのかも。それ思うとちょっと気の毒。しかしあんなにこんもり糞するのは、誰か近所の住人が無責任に飯をふるまってやがるな。
 飯を食わせるなら糞も始末しろ、その誰か。
 それで、「文学好き」といっても実は漱石、?外時代まで、という人は意外に多いのじゃないでしょうか。私も戦後文学になると急に、気が乗らなくなる。詩の世界でもそういうのは多くて、ごく若い詩人、詩人志願者にフェイバリットを聞くと案に相違して最近の詩人の名前など出てこず、中也、朔太郎とくる。荒地がどうの、というのはかなりもうマニアな人。そこらへんは学校の国語教材のせいかしら。じゃあ、といって最近は国語教科書も随分、若い作家や詩人を使っている・・・にしても、詩のほうだと谷川大先生でも若手なんじゃないの、今でも。
 こりゃ私まで出番が回ってくるのは100年後だなあ・・・。

2003年9月29日(月)
 引越しの功徳なんてものがあるなら、それは埋もれていた古い持ち物とか蔵書とかが、思いがけないところから顔を出して懐かしい思い出に浸らせてくれることにあるだろう。要するに完全なる大掃除をするのと同じだから、おや、こんなものがまだあったのか、ということも多いのだ。
 なにしろ、自分はこんなに本を持っていたのか、という思いでこのところ、一度は夢中になって読んだもののここ何年かは、書棚の奥まったところに隠れていて忘れてしまったような本を紐解いている。
「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で駆けていた。途中の小駅は石のように黙殺された」などという、この出だしが有名な割にはあまり中身を読まれていないだろう、横光利一の「頭ならびに腹」なども、その選集が出てきて改めて読まれた。荷風の「断腸亭日乗」を改めて読み、その一日目が39歳で書かれたことを思い出した。ほかに小林秀雄の「様々なる意匠」やその他初期の文芸批評、特に「純文学はつまらない、というのは通俗小説の手法を取り入れれば何とかなる、などという甘いものではない。今の純文学がつまらないのは現代の生活が貧しいからである」というような喝破は、そのまま2003年の文芸批評として通用することを再認識した。啄木のローマ字日記を再読して、毎日のように「今日は社を休んだ」「社から給料を前借した」という表現を見つけ、もし友人なら撲ってやりたいような気分になった。が、とりわけて、桑原武夫の「第二芸術」を読んで、爽快になった。戦後の時期しか書けなかった論文、と解説にある。実際にその通りかもしれないが、短詩形は今も滅びてはいない。しかも桑原が戦後すぐに問題としたことはちっとも改善されないままに、残っている。同じ筆者の「ものいいについて」など読むと、「がんらい日本語には、黙れ、やかましい、もういい、分かった、うるさい等々、人の発言を封じる言葉がむやみに多い。たとえば暗夜行路を見よ」などとある。こういうところもちっとも変わっていまい。60年前の評論がいまだに完全に有効なことを知ると、むしろその間の日本人の進歩の無さに驚かされる。
 たまたまテレビで明石家さんま主演の沖縄もの戦争ドラマ「さとうきび畑」というものを見た。思った以上に力の入った作品で、古い米軍戦車まで借り出してきて(といっても、シャーマン戦車じゃなくて、使用していたのは戦後のウオーカーブルドッグ戦車がほとんどだったと思う)戦闘シーンは圧巻だった。それで何よりよく描けていたのは、日本軍の将校、下士官の馬鹿さ加減である。非論理的でヒステリックな命令ばかりがなりたてる、敵より何より、いちばん恐ろしかったものは日本軍の指揮官である、という描き方で、実際にさんまが扮する主人公も、上官に抗命の現行犯で射殺されたようである(そういう描き方だった)。
 「戦艦大和の最期」で、ベテランの士官と若い士官が、暴力と恐怖で服従させた兵隊と、温和と寛容、理解で信服させた兵隊と、どちらが実戦で強いか、言い争うシーンがあった。結局、日本人の統率の仕方は暴力と恐怖の式しかないようであって、言葉で、議論でどうにかならないとなると、暴力で威嚇するしかない。日本のちょっと前の小・中学校の教師の統率の仕方も戦中の下級指揮官のやり方そのものだった。
 ゆとり教育なんどといっても、この雰囲気を改めないと日本の社会は変わっては行かない。「黙れ、やかましい、もうわかった」式でやりこめて、後は体罰で従える式の軍隊は、結局強くなかったのは前の戦争で証明された。
 普遍性の無い言語で暗号化して、秘密結社内だけの論理で楽しむのが日本の短詩の世界であると桑原はいう。現代詩にしても今はそういうものに近くなっているかもしれない。芸術と言うのは誰にでも出来るような、簡単なものであってはならない、とのことである。実に同感である。師匠について何年で名取、何年で免許皆伝で師範代、という雰囲気は私も大嫌いである。
 しかし幸い、現代詩に宗匠の世襲はあまり見られない。それは救いである。ま、恐らく詩人の子弟は絶対に詩などやらないから、だと思う。
 そういえば先述のドラマで上戸彩が熱演していた。ま、とにかくもきちんと役を果たしていたと思う。彼女が中学生の無名時代に、私の会社のテレビCMに出てもらったことを前に書いた。そのときに書いてもらったサイン色紙も、今回の引越しで出てきた。そういういきさつがあるから、なんとなく応援しているのであるが、引越しにはそういうわけで、いろいろなものを再発見したり、逆になくなっているのを発見したり、そういう楽しみがあることを、私は思い出した。妻も何年ぶりに、今までは書庫の奥にあった手塚治虫の全集を読み直しているようである。

2003年9月26日(金)
 ゆうべは夜勤で、昼まで寝ておりました。目を覚ましてからテレビをつけると北海道で大地震です。震度6ですか。このところ明らかに東のほうで地震が多いですね。国の地震対策というとなにかと東海地域ばかりクローズアップされますが、どうなんだろうか。日本列島のひずみは今、どうも東にきているようなんだけどなあ・・・。だが、今回も前の東北の地震と同様、直接の死者は見られないようで(片づけ中に車に轢かれた気の毒な人はいるようです)やはりあれじゃないですか、前にも書いたけど、日本の家屋はそれなりに強くなったんじゃないですか。明治・大正ならこれでも死者多数だったに違いないです。
 こちらの新しい家も、今回は特に揺れを感じず。埋立地にあった前の家は、岩手県の地震でも大揺れだったので、今回も感知したかもしれない。
 関係ない話ですが、お茶に入ってるカテキンという成分、これまで抗がん作用とか痩身作用とか、いい話ばかり喧伝されていたけど、やはり取りすぎると発がん性があるという話題が出てまいりました。やっぱりねえ。万能のものなど無く、偏食しないことが一番なんだよね。だから「買ってはいけない」なんて本は駄目だったわけだ。「これが体にいい」といって、あるものばかり信じ込んで食べていたら、それは結局は偏食となる。馬鹿げております。
 世の中、至る所に落とし穴あり。恐ろしや、恐ろしや。

2003年9月24日(水)
 新しい街にやって来て4日目である。今日から会社にも出なければならない。
 それにしても、今いる旧市街は、今までは新しいマンション街にいたので、たまに車で通りがかっても「古臭くてごみごみしたところだな」というイメージしかなかった。が、来て見てわかるのは、要するに旧市街の土地持ち、家持は明らかに裕福であり、地に足が着いている、ということ。ちょっと外食に出ても、本格的な味の店がいくつもあって選ぶのに困るほどである。新市街は、なるほどおしゃれで一見、こぎれいに出来ている。住民は若い世代が多く、身だしなみも着飾っており、そして気取った車もよく見かける。しかししょせん、安物くさい高級感、言ってみればディズニーランドの延長のまやかしの高級感である。結局のところ、イトーヨーカドーぐらいしか店らしい店も無く、駅に出るのに20分も30分もかかる。すし詰めのバスに揺られても15分はかかるのである。似非高級である。あれで5000万のマンションとか1億の家とかに手を出すのは実に、15年遅れのバブルに踊らされているのだと思う。
 とにかく、なによりこちらの方は老人がいる。これが普通の状態である。浦安新市街は若い夫婦と子供の街である。街の雰囲気は、どこもかしこも幼稚園であって、ヒステリー気味に金切り声を挙げる子供で満ち満ちている。そういえば、旧市街の子供はあんなにキーキー叫んでいない。恐らく、新市街は子供の数が多くて、みんな情緒不安定になるのだろう。一人叫びだすと、みんな連鎖的に泣き叫ぶ。
 それが10年、20年たつと子供はみんな出ていき、今度は高齢社会を絵に描いたような活気の無い街になっていることだろう。今、最新式のマンションも半値にもならない中古になっているだろう。
 旧市街は、世代の推移も自然であろうから、そんな急激な変化は無いだろう。それにとにかく、一本道を中に入ると目をむくような豪邸が立ち並んでいる。本当に2億や3億ではすまない感じのものが多い。古くからこのあたりの大地主、という一族がたくさんあるのである。高級車と言っても、新市街の見栄っ張りが乗るような中途半端な車ではない。ロールスロイスみたいなのが何台も、平然と置いてある。賃貸住宅の露天駐車場で外車を見せびらかす新街の似非くささとは比べ物にならない。
 それにしても、本当にこのあたりの食事どころのレベルは恐ろしく高い。ファミレスが少ないものも当然である。つい今までは、見慣れたファミレスやハンバーガー屋などの進出が無いから、旧市街は地味なのだと思っていた、そうではなかったのである。そういう安っぽい画一的な店など必要ないのだ。何十年も営業している一見して地味なお店が、まことに一流の味を出している。しかも安い。中華、洋食、蕎麦屋と行って見たが、まことに立派な水準。ガード下にこんなにうまい店があるのか、と感心させられる。
 このへんも、生活の豊かさの現れであろう。エプロンがけのおばあさんをよく見かける街である。新市街の、六本木ヒルズから帰ってきました、といういでたちの男女はいない。だが、ちょっと観察すれば分かる。そのおばあさんはものすごい金持ちだったりするのである。六本木系男女が、実際には共稼ぎでなんとかローンを払っているのとは大違いであるというわけだ。
 小泉首相はなにかというと、六本木や新丸ビルはにぎわっているから、日本は不景気ではないという。しかし、なんでも国民世帯の2割は貯蓄を使い果たしている、ともいう。竹中大臣留任だから今後も弱肉強食政策で行くのだろう。「勝ち組」に入れればいい、さもなければおしまいだ、という世の中が加速されるのだろう。
 浦安の街中を観察するだけでも、新市街の本当はボーダーラインなのに必死に「勝ち組」風に無理をしてふるまおうとする連中と、旧市街のそもそも持てる者の余裕の対比を見て、日本の二極化をなんとなく感じるのである。

2003年9月23日(火)
 にしても、である。なんでわざわざ引越しの日に台風が来なきゃならないかね。いい加減にして欲しい。日通のお兄ちゃんたちは濡れ鼠になって運び込んでくれました。みんなありがとう! とにかくおびただしい数の本の箱の山である。「さすがに疲れます、重い」とプロにしてぼやいたほど。しかしある研究によれば、である。やはり図書館で本を借りても身につかない、蔵書にしておけばこそ、いつでも自在に知識が取り出せるのだ、と。これはその通りと思う。
 それはそうであるけれど。やはりちょっと二人暮しにしては蔵書が多いみたい。彼らだけでなく、後で箱をあばいて、本棚に詰めなおす自分らの作業は地獄の責め苦である。はっきり言おう、つらい。
 ま、とにかく日記が復活できたのである。おおむね復旧しつつある、とご理解ください。
 いろいろやってるうちに、小泉内閣が新しくなって・・・いや、大して変わらないか。安倍さんが入ったのと、小池百合子が加わったのと、そんな感じですか。ま、選挙向け内閣だろうからどうでもいいや。青木さんにのっとられないようにご注意くださいな。
 ああ、さすがに疲れました。今日はもう寝ます・・・、というか、一応、寝られるまで復旧したということですけど。21から22日にかけての晩は、近所のホテルに泊まりました。引越し達人の母の知恵であります。当日は旅館やホテルに泊まるもんだ、と言われたが、正解でした。部屋から段ボール箱が一応、なくなるまでにものすごく時間がかかるわけであります。
 そこまでは行った、という次第です。じゃ、皆様おやすみなさい。

2003年9月21日(日)
本日は転居作業中です。ということで、実はかなり先走って(二日ほど前倒しで)書いております。もうすぐこのコンピューターのファイバー線も撤去して新居に移すので・・・・、書きだめしております。
ちょっと関係ない話を。前にも書いたけどボーイズ・ラブというのが女性に人気のある漫画のジャンルにあるんです。要するに美少年による同性愛ものですね。あれ、なんで人気があるのか。ちょっと閃きました。恐らく、登場するヒロインに自分がなりきれない女性、ヒロインに感情移入できないタイプの人(こんな恵まれた女がいるかよ、とか、私はこんな女じゃないわ、とか)で、しかし「エロ漫画読みてえ」という女性がはまるんだろうなあ、と。どうしても恋愛もの読むとき、女性はヒロインに自己同一化しやすいらしいんですね。でも、かけ離れたタイプだとか、もろもろの理由でできない場合がある。男性はむしろ、恋愛映画なんか見ると監督の目線になりません? 少なくとも主人公になりきって見ないでしょう。任侠ものや戦争ものだと成り切っちゃうんだけど。
もっとも二人の美少年のうちのどちらかに成り切って興奮する、という倒錯した女性も実際に知っているから、一概には言えないですな・・・。
いや、本当に関係ないお話でしたねえ。
今までいた公団住宅についてちょっと書いておきましょう。なぜか入居したとき、網戸がついていないんです。不思議でしょ? すると即座に公団指定の業者と言うのが来て、網戸作らせるの。あれ、変だよなあ。で、今度、出て行くにあたって、次の入居者に譲り渡すための申請書類があって、わざわざ書名捺印するのよ。たかが網戸で、ですよ。そういう書式がいちいち出来てるの。
その一方で、キッチンのフィルターもある業者が売りに来たんだけど、これは明らかに公団備え付けのフィルターは使い物にならないので、その業者の製品のほうが優秀なわけ。だからうちはそこのに取り替えたんだけど、まもなく「公団はフィルター業者は公認していないので、買わないでください」なんて通知が回ってきたの。しかし7年弱たってはっきりした、やっぱりその業者のフィルターは優秀だったんだな、と。ぜんぜんファンが汚れていないんだから。しかしこの業者は「公認」ではないので、退去に当たっては撤去しなければならない。
網戸屋さんは要するに癒着していて、フィルター屋さんはしていないのね。網戸屋さんはそれなりのマージンを公団に払っているわけね、きっと。
結局、小役人の世界は江戸時代の悪代官もののまんまなわけよ。
ま、そのけったくそ悪い公団住宅もおさらば。その公団の査定係も「最近はモラルの低い入居者が多くて」としきりにぼやいておりました。ま、分かります、明らかにこの7年で住民のレベルがものすごく下がりました。マナーもルールもあったもんじゃない。
賃貸の集合住宅なんて真っ平。これが今の感想ですね。
じゃ、ここ二日ほど引越しに専念しますので、また後ほど。

2003年9月19日(金)
 道頓堀に飛び込んだタイガースファン(なんでしょうな、やはり。でも雰囲気だけの人も多いかも)にとうとう死者が出たとか。やっぱり出たかねえ。なんで野球チームのリーグ優勝ごときで・・・などという野暮は言うまい、しかしむなしい死に方ですな。遺族は二度と阪神の優勝を祝う気にはなるまい。
 ところで膀胱炎というのになってしまった。いや、軽いんだけど。やはりこのところ、あれこれあって体調崩したみたい。腰がこのところ痛いな、と思っていたら、単に荷物の運び出しで腰痛になっただけじゃない、まずは下半身全体に鈍痛が走って、やがて患部に限定していくんですな。そういや盲腸のときもそうだった。なんかおなか全体痛い、と思っていたら段々、左のわき腹が痛い、ということが分かってきた。
 いや、大丈夫です。大したことはありません。
 週刊誌に野中広務の手記が載っていた。いろいろあった人だが、「今、自衛隊員は悩んでいます。日本人を救うために出動して死ぬなら本望、しかし外国のお先棒かついでイラク人を殺すなり、自分が死ぬのは嫌である、というのです。このまま首相がいい加減な態度で自衛隊を処遇すると、どんどん隊員志願者が減って、徴兵という話だって出てきかねない」などという主張は、なんだか私がこのところ、この日記などで書いていることに酷似、本当にそっくりなんで驚いた。おまけに「小泉首相はなぜご子息をタレントにしたのですか。自衛隊に入れて、派遣部隊の先頭に立たせなさい。そのぐらいの覚悟なくして一国の指揮など取れますか」という結論がまたまたそっくりなの。
 結局、なんか考え方が似ていたのかも。すると私はあのぐらいの世代に近いのかねえ、精神的に。ま、闇将軍と呼ばれいろいろ恫喝政治だかなんだかやってきた人だろうし、すべてを肯定する気にはならないが、しかし引退する、という今は全く本心からものを言っていると思う。悪代官だから、汚そうだから、古臭いから、といってその最後の言葉を切り捨てていいとは思えない。
実際、私にとっても以前は、決して好きな政治家ではなかったのだ。で、少々乱暴だが威勢のいい小泉さんのほうがよく見えた時期は、白状すれば私にもあった。小泉政権が出来たときは間違いなくそうだった。が、今の今、少なくとも私は首相の浅はかな発言より、この人の言葉のほうがまともに感じるのである。

2003年9月18日(木)
 一条ゆかりの「プライド」という漫画がちょっと評判らしく、書店でも見たし、雑誌の書評でも見た。で、読んでいる訳じゃなく、その書評で筋を知っただけなのでなんなのですが、要するに声楽家をめざす女二人の争い、がメーンらしく、奇抜なのはガラスの仮面なんかの逆で、ヒロインが恵まれた環境のお嬢様で、ライバルが貧乏な家から成り上がってきた人、という点だそうな。ま、それは確かに面白い着眼ですね。素晴らしいです。
 が、音大出のうちの奥さんが云うには、「漫画家の理解は甘い」の一言につきるのだと。まずこの作品に限らず、ゲームでも小説でも、音楽家とか音大生とかいうものをよく理解していない。華やかなステージ、着飾った歌手や演奏家、そういうところしか見ていないから分からないのだな。実は音楽家の日常は体育会系に近い。体を鍛え、実際にダンベルなんか振って筋力トレーニングなどし、それから一日に十時間も十五時間も、とにかく閑があったら練習、練習、練習。きわめてストイックなもので、マラソン選手などの日常に似ているのだそうだ。なるほどである。で、「プライド」では(書評のあらすじによれば)貧乏上がりの娘が、汚い策謀でお嬢様を動揺させ、コンテストに勝つ。で、お嬢様が「最後に残るのは実力ですもの」と言い放つ。それがプライドなんだろうな。
 しかし、こういうのも音大にいるとなんか変で、つまり音楽高校、音大、そしてコンクールへと出てくる人間に実力の差なんてほとんどないのだよね、実際には。漫画だとすぐに、ヒロインなんかが演奏したり歌い出すと、審査員が急にびっくりして「おお、これは」なんて云うのだが、絶対にあんなことはない。はっきり言ってよほど失敗した人以外、差はないのだ。すると最後に残るのは実力じゃない、「最後に残るのは駆け引きよ、策謀よ」がそもそも正解なんだって。審査員にあらかじめ言い寄る、金を送る、女性の場合、有力な先生には身体を要求されても拒まない・・・そういうお話がごく普通なんだって。だから、汚い策でコンクールで優勝した「プライド」のライバルはちっともおかしくない、まことに当たり前に思えるそうです。
 それにだ、「以前は貧乏な家だった人」なら音楽家になれるが、「本当に貧乏な家」だとなれません。有名な先生にレッスン受けると一回で一万、二万は当たり前。それが払えない人は絶対に、音楽大学にすら入れません(入るための特別レッスンとかあるわけよ。絶対に独学じゃ駄目なようになってるそうです)。生まれながらの天才、なんてものは全然、認められない世界だそうだ。だから「プライド」の素朴な才能観というか天才観というか、才能一本で成り上がる貧乏人と、天才的で誇り高きお嬢様と・・・・どちらも「あり得ない」と一言でばっさりなわけですな。
 じゃあ、うちの奥さんが音楽物の漫画描けばいいんだけど。でも、実情を知りすぎているから・・・・・体育会系の練習づけの人々(だからお互いの人間関係は希薄で、みんなが敵だから特定のライバルも友達もいないのが普通)、いざコンクールになると賄賂に色仕掛けに他人の足を引っ張る策謀、それで先生の方はどんどん金品やら、場合によっては体まで要求し・・・って、これ、古典的な悪代官ものになってしまいそう。「プライド」みたいに盛り上がるお話にならないじゃないの。
 結局、どの世界だってタイして人間の発想は変わらないようで。

2003年9月17日(水)
 このところ、死にものぐるいで引越の準備作業をしてます。本番はどうなるのかね? とにかく箱が多い。日通の見積もりに来た人が、室内見て暫く絶句してから「ええ・・・お二人暮らし、にしてはかなりお荷物が多いですね・・・」と言って、見積もりが高くなる言い訳を考えはじめる始末だった。なんにしても本が多い。私は詩人で妻が漫画家で、資料本がやたらと多い。どう見ても本だけで60箱はある。こりゃ大変です。おまけに模型が、おもちゃ屋が開けるほどにある。とにかくよけいなものばかりなのです。で、新居も本棚ばかりになりそう。だから家中、梁を二重三重にして補強。さらにグランドピアノ用に特別補強。見かけよりきわめて頑強な要塞みたいな家になってしまった。
 そんなこんなで、先日も新居と現在地とを行き来している間に一日が過ぎて、帰ってきたら阪神が優勝しておりました。
 で、あちこち痛む体を引きずって出社し、新聞のゲラ眺めると、いろいろニュースが出てますね。アメリカで肥満児増加。9−13歳の子供の三分の二が、学校外では全然、運動しないで肥満に悩んでいるとか。米政府が学力重視政策を採り、学校の授業からどんどん体育を減らしているんだって。これ、問題ではあるけど、恐ろしいね。今まではメガネ掛けて貧相なのが日本人の漫画で、むきむきスポーツ万能で体格いいのがアメリカ人、という図だったけど、もうすぐ逆になるかも。アメリカの子供は室内にこもってコンピューターで金儲けの方法を学ぶ。日本の子供はゆとり教育でのびのび遊ぶ。そういえばこのところ日本人のスポーツの成績は確かにいい。それはいいことだけど、大丈夫なんかね、それほどまでに諸外国が勉強しているのに、とも思う。
 スウェーデンではユーロ導入を否決。国民投票の結果大差で導入拒否だって。先日、この国のユーロ推進派の外相が暗殺されているが、国民の同情票は入らなかったとか。いいですね。日本だとすぐにこういう場合、同情票というのを入れる人がいる。「大平さんがかわいそう」とか「小渕さんがかわいそう」とか。欧米人にはこういう浪花節は通用しませんな、やはり。
 国家公務員に対して人事院が減収勧告。平均で年間16万円減収とか、それはまあ当然のことです。民間がこれだけ悪いんだから。しかし勧告の中に「定期券代は1か月分じゃなくて6か月定期分を支給しなさい」というのがあったには驚いた。まだ、そんな当たり前の見直しもしていないらしい。1か月ずつくれる会社なんてありますかい? 確かにバブルの頃は民間もむちゃくちゃだった。うちの会社だって10年前には出張旅費を必ずどこに行っても限度額いっぱいもらうとか、ばかげた風習があった。しかしみんなその後、さっさと是正しましたよ。官のほうは、一度前例ができると、その後どんなに状況が変わっても改めない。そこが気に入らない、と言ってるのよ。国家公務員の法人への天下りも減ったとはいえ昨年度も6027人もあったそうな。やっぱりダメね。
 なんて云ってたら、名古屋の運送会社で爆発事件だ。なにがあったかしらなにが、おそらく容疑者は契約を切られた、つまりリストラされて追いつめられたんだろう。支店長を道連れに自爆したようである、今のところの話では。
 こういうことを奨励する気はないが、私は都知事でも要人でもないので不用意なことを書かせてもらえば、全国のリストラされた人、会社つぶれた人、しょげて泣いているなら、首くくろうと思っているなら、このぐらいおやんなさい!! 恨みの対象がはっきりしない人は首相官邸でやってやんなさい。毎年何万人の自殺者が、首相官邸で爆死すればいい加減にあの不感症の首相も動じるだろう。

2003年9月16日(火)
 転居を控えて連日、少しずつ物を新居に運び込んでおります・・・・・・が、恨めしいのはこの季節外れの暑さ。というか、あの8月の涼しさはなんだったのよ。そんで、どうして今頃ここまで暑いのか。連日30度を軽く越えております。何も無くてもおかしくなりそう。これで肉体労働するとこたえますね。
 深夜の午前2時ごろ、車で荷物運びをやったのですが、暴走族だか、その舎弟だかがブンブンやってやがりました。本当になにが面白いのかねえ。原チャリに毛の生えたようなつまらないバイクに二人の馬鹿者がまたがって、でかい音を出している。で、しばらくすると前方が渋滞し始めて、「また道塞いでくだらないことしてるんだろう」と思っていると、なんか爆音は聞こえないのでちょっと奇妙なのね。で、遠くからピーポーピーポー、救急車らしき音も聞こえてくる。はて? 徐行する車の列にのって前進していくと、見えてきた見えてきた、あの馬鹿者どものバイクが転倒していて、一人がだらしなく道の真ん中で倒れている。頭を打ったみたいね。恐らく雰囲気から見て自爆じゃないの。
 いい気味ですね、あれほど天罰てきめんな図ははじめて見たですよ。
 ああいう暴走族みたいのはどこの国にもいるんだろうけど、日本のはなんか違うんじゃないのか、と思う。やってる連中が何か、たるんでる。まあ社会をなめた雰囲気が感じられる。それは当然でして、今の日本では馬鹿やった者勝ちなところがあって、一般の人も警察も法律も甘い。
 アメリカなんかじゃ普通の車も護身用に拳銃の一丁ぐらい必ず積んでいるし、警察は面倒くさいと射殺して「抵抗したから撃ったんです」ですますし、裁判は陪審制で、心証次第で平気でとんでもない極刑を下すし。悪いことやるにしてもかなりの覚悟が必要らしい。日本の犯罪者は、そういうものを感じないのだよな、まあなんとかなるさ的な余裕を感じるのだわ。ほんの五、六年前まで久米宏がニュースステーションなんかで、どこかの警官が威嚇射撃するたびに「銃を使う必要が本当にあるんですかね」とか間抜けたコメントを繰り返しておりました。でも、その後の犯罪の凶悪化、警官の殉職事件などで、こういうことはさすがに言えなくなったみたいだけど、当然なことで。
 話せば分かる、なんてのは嘘ですな。話すほど分からなくなるんです、にんげんてのは。欧米人やアラブ人などグローバル・スタンダードでは話して説得し、妥協させるのであって、話して分かり合う気など無い。話して分かり合えるというのは大和民族の奇妙な常識ですね。イスラエルとパレスチナ、どんなに話し合ってももう駄目です。あれが普通です。
 そういえば、日本にも陪審制というか、裁判員制度が導入される可能性あり、なんだけどちっとも話題にならない。会社休んで、親の介護なども放棄して、裁判所に呼び出されたら裁判員務めるのが義務になるんですよ、これ。で、赤の他人の裁判に関与するんだよ。大変なことですよ、これは。
 そりゃ、誰もが憎む重大犯罪やらかした人間は、お定まりの弁護士の詭弁無視して早く死刑に持ち込めると言う利点もあるでしょうけど。アメリカでは陪審の評決を経ない死刑判決は無効、ということになりました。逆に言えば、どんな弁護しても、民意が「あいつはひどいヤツだ、死刑」ということになれば死刑になる。あるいは、疑わしきも場合によっては罰する、ということもあるかもしれない。ロス疑惑のM氏など、陪審制だったら有罪になるかもしれません。
 なんか知らないが、どんどん社会は面倒くさくなりまっせ。

2003年9月14日(日)
 しかしなんでこう暑いのか。異常である。夏が一ヶ月遅れているのである。
 週刊新潮などぱらぱら見ていたら、以前、この日記で「けなすにしても、ちゃんと新聞業界を取材して書いて欲しい」みたいなことを書いたのだが、ちゃんと今度はそれなりに調べた記事が出ておりました。まあ、残紙とか過剰予備紙と呼ばれるものの実態は、新聞業界の人だって正確には把握していない。雑誌の発行部数が常に「公称」であるのと似たような世界である。なんにしても販売店は今、大変だと思う(折込がとれない地方は特に)。しかし、不正な残紙を積み上げていた店をこのところ、どこの新聞社もばんばん改廃しております。そうやってつぶされた元店主は、週刊誌にいろいろ売り込むんですな、これは。そのへん理解して読むと面白かったりする。発行本社が押し付けるいわゆる押し紙が問題である、と週刊誌の記者は書きたいわけです、その方が面白いから。しかしまあ、お店のほうで折り込み狙いの過剰予備紙を積み上げていることも少なからず、それを問題にして査察すると不正契約、なんてことになるわけだ。そこら、もうちょっと取材するといいんだけどねえ・・・。
 全体に週刊新潮、コラムはライバル誌より面白いように思うけど、私。帝京大の高山先生のコラムなんて実に面白い。福田和也や桜井よしこといった人々のよりもある種、面白いかも。前のなんとか詩音よりは池田晶子さんの方が面白いし(ちょっと前にけなしたけど、今週のはよいです)。週刊文春の方は中村うさぎも土屋賢二も面白かったのだけど飽きてきた。竹内久美子、齋藤孝もネタ切れを感じる。テーマ決めちゃってるからね。
 と、別に偉そうに週刊誌を論評しているのでもない。単に暑くて室内に閉じこもり、雑誌ばかり読んでいたというだけの話です。
 どこの雑誌でもいい、早くいい格好しい小泉(BY辻元姉御)に致命傷を。これは新聞じゃできないのですよ。噂の真相、最後っ屁でどうです? なんとか隊も田中均などに爆弾送らずに小泉に送れ。欲求不満のおばさん連中が、自分の夫と比べて細くてカッコイイ純ちゃんを応援してるだけなら、首相は早く辞職してホストクラブでも開けばいいや。
 どうも・・・暑いから変なことばかり書いてしまうな。

2003年9月13日(土)
 先日の自民党総裁選候補者討論会を見ていたが、別に高村さんでも藤井さんでも、もし総理・総裁になったらちゃんと出来る人、とお見受けしたけど。明らかに一番、無責任でいい加減なことを言っていたのは現職首相だった。
 いい加減なこと、というと石原さんがまたまた口が滑ったそうで。ま、テロ容認みたいなことを言ったのだとしたらやっぱりまずいんだろうけど、田中均、仮にも生命を狙われるとは偉くなったものだ。何をしているのかしていないのか知らないが、とにかく外務省の動きと言うのは、「俺らは専門家だから」「俺らが一番、国益が分かっているんだから」という臭みがあって気に入らない。この言い草は明らかにかつての大本営参謀の論理である。軍事の専門家に任せておいたら国が滅びてしまった。日本と言うのはそういう国柄である。
 失言と言えばである。イタリアの暴言おじさん、ベルルスコーニもまた馬鹿を言ったそうで。「ムッソリーニは誰も殺していない、愛すべき人物だった」だと。そもそもムッソリーニがいなきゃヒトラーも出てこない。なるほど大したことをしていないとはいえるが、それはイタリアが大した国じゃなくムッソリーニが二流の独裁者だった、ということでちっとも自慢できることじゃない。ムッソリーニが男を上げられなかったのはひたすら、イタリア軍の想像を絶する弱さが原因である。今時の某国を見るまでもなく、戦争好きと称されるような国は尊敬されないが、戦争を仕掛けるくせに弱い、などと言われるのは甚だまずい。日本民族は歴史上、戦争に弱い国とは思われていない。今の実情を見れば誤解としかいえないが、しかし周辺国がいつまでも警戒し、あるいは同盟国がもっと強武装を、とそそのかしがちなのも、つまりはそういうイメージが根っこにあるのだろう。
 もう絶対に誤解ですけどね、今の日本人は烏合の衆です。お互い様に意気地なしですもの。

2003年9月12日(金)
引越しの作業などしていると古い書き付けとか、古い写真が思いがけないところで出てくる。7年前のこの住宅はこんなにも光り輝いていたのか。海風にたたかれて今ではすっかり黒ずんでいる。あと20年もすればなくなっているんじゃないかな、ここ。設計上は100年でももつように造ったのだと思う。しかし塩害、風害は素人目にもひどい。
 この浦安の埋立地の突端、今、私がいる場所よりさらに海際に、新たにホテルとマンションが建つらしい。既に枠組みが組みあがっているように見える。観光客なら「まあ、海が近い、すてき」ということでいいだろう。ホテルの清掃守備に当たる人は大変なことになるだろう。毎日毎日、塩をこすり泥を削り、瞬く間にたまる埃をかき出し続けないと、たちまち「このホテルの清掃は手抜きだ」などとホームページに書き込まれる。そういう時代である。もっと問題なのはマンションの方だ。5000万円以上も出してこういう、見てくれとかイメージのいいマンションを買うのはいい、しかし一番、この街で駅から遠いのだから、当然、通うのは大変である。人口が増えたので深夜ともなると、タクシーも拾えないのである。歩くにはかなりきつい。私のいまいる場所で、名目上は15分とあるが、実際に家のドアから駅のホームまでは歩くと25分はかかる。駅の敷地までの時間では意味がないのである。階段を上がって改札を通り、ホームに出るまでの時間もちゃんと考えに入れないと通勤時間は算出できない。
新浦安駅はかなり敷地の大きい駅なので、見えていても電車に乗るまでに10分かかるのである。
 そして、海沿いの高級マンションを買った人は、終生、窓枠を磨き続け、埃と戦い続けることになるだろう。お気の毒である。
 新聞の投書に、千葉市の30代の会社員の感慨が載っていた。その人は千葉市の埋立地に20年前に開設された中学の卒業生で、このほど久しぶりに母校を訪れ、学校の生徒減少に驚いた、というのである。今では一学年一学級、廃校寸前だと言う。要するに20年前、1980年代に急激に開発されてマンションが林立し、若い世帯がどっと入ってきた。その子弟がみんな就学するので千葉市は慌てて小中学校を増設したのだろう。しかし、ほとんど同じ時期に一斉にマンションが建ったから、世帯構成も世代も似た家族が集まり、ほとんど同じ時期に子供はみんな卒業してしまったのだ。急激に膨れ上がった子供の人口は、恐らく10年でほとんどいなくなって卒業し、ほかの街に出て行ってしまったのだろう。そしてかつて若い世代の町だったマンション群は、今では熟年の夫婦だけが住む街となっているのだろう。新しい街ではこれはよくあることで、行政側は困ってしまうわけだ。
 新浦安地域でも、今、一斉にマンションが建っており、知るだけでもこの1、2年で何千戸も入れる巨大なマンションの新設が10をくだらない。小学校を急増し、中学や幼稚園も仮設校舎を建てているように見える。しかし恐らく、20年後には千葉市と同じようになるわけだ。
 街も年を取る。私は同じ土地に長年、定点観測することがなかったので、初めてこの浦安市の変貌をある程度のスパンで眺めている。面白い。たった1軒、スーパーマーケットが建っただけでこれほどの家が誘致できるとは。まさにシムシティのようなゲームそのものである。
 「人気のある街」のその後にも興味がある。家は古び、住民も年老いる。若者は育って出て行く。そのへんがどうなるのか。私は同じ浦安でも古くて安定した地域に引っ越し、ディズニーのお膝元の新開地が今のまま、若いリゾート都市のイメージでやれるかどうか観察してやろうと意地悪く、思う。

2003年9月11日(木)
 9・11である。あれから2年。アメリカ人にはついぞ分からないことが世界には沢山ある。かつてソロンはエジプトの神官に言われたとか。「ソロンよ、あなたはギリシア人だから何も知らないのだ、子供と同じなのだ」と。
 アメリカ人は移民の国だが、もう世代が進んで、あまり出身は関係なくなっているそうな。要するに白人、黒人、ヒスパニックといった人種の色分けだけが残る。これつまり、ようやく白人社会中心に「アメリカ人」が醸成されつつあるのだが、「あなたはアメリカ人だから、赤ん坊と同じなのだ」と言ってやりたい。かつて日本人を精神年齢12歳と断じた某元帥の国に。なるほど日本人はナイーブだ。見栄っ張りでスローガンに弱く論理的じゃなく右往左往し無責任でリーダー不在でヒステリーを起こし悲観的で自暴自棄になりやすい。戦争のころも今もそういう国民性は変わっていない。しかし出身文化と切れて古い因習とも英知ともおさらばした赤ちゃんアメリカは、ようやく国民性を造ろうとしている段階だ。某元帥が今のアメリカを見れば、その幼児性に驚くことだろう。他国をくさしているどころではあるまい。

2003年9月10日(水)
 小泉さんの気勢が止まらないわけでしょ? おかしいなあ、どうしてみんな「ほかの政権よりはよさそうだから」小泉さんを支持するのかな。だって今回自民党の皆さんが小泉さんを戴こうとしているのはあくまで選挙のため、しかし絶対に小泉改革などやらせない、と豪語しているらしいけど? それに「国民」たっていろいろ。財政を削れ、と思っているのも、公共事業どんどん増やせ、と思っているのも「国民」ですからね。要はみんな「全体としては削れ、しかし俺の業界は削るな。増やせ」でしょ? あ、そうか。
 だから小泉でいいのか。ならば納得。国民は自民党のなれ合い政治は継続しつつ、ちょっと表面だけ改革の振りをして諸外国の顔色をうかがうのをよし、としておるのか。で、ほかの人が苦労して、自分だけ生き残ることを期待しているのか。だったら確かに、このまま自民党政権をやらせておいて、上に飾りとして小泉を戴く、でいいわけだ。実際、せいぜい郵政とか道路とか、いくつかの公団の名前変える程度で、それ以上は改革したくないわけだ。ならば納得、納得。確かに臆病な日本人にはぴったしの政権である。
「ほかの政権よりはよさそう」か。私はカッコつけばかりの現政権より、問題が丸見えだった森政権の方がいくぶん、悪質じゃなかったような気がしますがね。
 ある最近もらった詩の雑誌で、よく分かりもしないおばさん詩人が小泉さん支持のばかげたエッセイを載せておりました。年金抑制も増税も小泉さんのせいじゃない、少子化のせいなのだ、小さい政府は国民の望みなのだ、だから小泉さんを支持します、という脳天気な趣旨でした。ここまで無批判に洗脳されている人がいると、官僚は笑いがとまるまい。
 なにもかも絞りきって無駄を削って、なお不足だから増税させてください、というのが筋であろう。今の政権は確かに派閥を解体してはみたが、その結果、議員と地方なり業界がダイレクトに癒着したのと、族議員が弱まって官僚の既得権が太る一方であることを、このおばさん詩人は知らない。
 黙って詩を書いておればいいのです、分からないのなら。こんな国の先行きを案じるから若い世代は子供など作れないのだ。腹が立ったのでその詩誌を八つ裂きの刑に処した。
 ふと新聞見ると、日本の昭和電纜と中国企業の合弁の○○昭和なんとかいう会社が、中国でバッシングに遭っているらしい。「昭和」は戦前を想起させるのでけしからない、のだと。日本人にとって昭和は64年まであり、昭和20年までより、その後の44年の方が印象深い。日本人にとって昭和とは新幹線が走りオリンピックがあり、美空ひばりや山口百恵が活躍した時代であろう、しかし中国では通らないのはまあ、しかたないか。こっちの理屈を言い立ててもどうにもなるまい。あそこで改元しておくべきだった(もちろん年号をやめておくべきだった、という意見もあるでしょう)、という見方もこういう場合、分かるようにも思う。やはり後の44年を同じものと思うのは難しいかもしれない。

2003年9月09日(火)
 さて、銀行さんと金消契約を結んだ。なんともかんとも、まあ契約自体はそんなもんかなあ、だったが、おかしなこともあり。ご他聞にもれずの統合銀行のこと、契約担当の社員と、支店の窓口のお姉ちゃんとの話が食い違い、妙な感じに。おなじネームプレートつけた行員同士なのに、まるきり一見のお客と同じようなあしらわれ方されて、契約担当はしょげかえっておりました。S銀行とT銀行、統合してもう2年。まだこんな初歩的なことも情報交換できていないのか。「あの、うちの銀行ではこういう場合、どうなってるんでしょうか」「え? いえいえ、うちでは普通、こういう場合には・・・」このお互いの「うちの銀行」というのが明らかに違うものを指しているのが滑稽であります。
 それでこの後は決済に進むんだけど、どうなってるんだか、今度は浦安支店じゃできなくて葛西までこい、だって。どういうことなの。しかも午前中じゃなきゃダメだの、土日祝日はダメだの、こちとらも働いてるんだ、銀行の都合にばかり合わせておられない。相変わらず銀行なんてものは・・・・・・。ほかの業種で、お客さんが業者の都合で会社休まなきゃならない、なんて話があるか。深夜でも日曜でも、この世のはてまででもハンコもらいに営業マンは来るであろう。
 帰ったら黒磯のブリヂストンの工場が燃えている、とのニュース。タイヤ工場じゃ鎮火するまい。新幹線の車窓から黒煙を見た人は仰天したことだろう。
 そうそう、前の記事、ビッグ・サンダー・マウンテンの略称はBTMじゃなかろうか、と指摘してくれたRさん、ありがとう。でもあくまで○ィ○ニーランドのことだし。きっとこれもよく似た別のアトラクションなんですわ(そんなわけないです、はい)。それからこのHP見てメール下さった高校時代の、私が応援団長時代の副団長だったHさんありがとう。お互い、相変わらずですねえ・・・。九〇年代以後、どうしてこんなにロックは負け組み音楽に成り下がったのか。ストリート感覚などと美化してもしょせん、華を失ったということに過ぎません。ぜひ一度、そのへん語り合いましょう。そして、この日記の前のほうの記事を見て、感想下さったTさん。朝日・野島記者のイラク従軍記のことですね。新聞連載の最後を読んで感動したとか。この本は新聞記事を大幅増補しております、そして朝日特有の臭みがありません。改めてお薦めします。
 となんか、たまってた返事をここで書いてしまいます。皆さんありがとう!!

2003年9月07日(日)
 アメリカのディズニーランドのビッグ・サンダー・マウンテン(以下BSM)が脱線して死者が出たというのが、かなり大きなニュースになっていたですね。日本のディズニーランドのBSMも、昨日は運行を中止しておりましたが、賢明だと思います。
 私は個人的にBSM・・・好きじゃないです。あの赤い色の小山、嫌いですね。理由は・・・、ちょっと差しさわりがあるけれど構わないや、書いちゃおう。もう時効の話しだし。今から7年ほど前、結婚式を○ィ○ニーそばのホテルで行った後、一泊して、翌日は○ィ○ニーランドへ。で、お昼に園内の某レストランで食したオレンジソース(つまり赤い)の某料理がいけませんでした。その日のうちに私は調子が悪くなった。暑い日だったし、いろいろな乗り物に乗ったので調子が悪くなったのか、と思っていたのだが、そのままよろめくようにホテルに帰って、発熱に吐き気。あとはもう駄目。以後、家に帰って三日間は倒れておりました。そのうち私を看病する妻のほうも似たような症状に。「こりゃおかしい」と近所の病院へ。で、二人で検査を受けて、結果が出るのに一週間。病原性大腸菌O1が検出されたわけ。二人で一週間以上、倒れておりました。新婚休暇は単なる病欠となってしまった。
 結果が出るまでにそれだけ時間がたってしまうと、もうどこの責任だのなんだというのも難しく、そもそもあのレストランが絶対にいけなかった、ということも言えないのではあります。証拠がないので。しかしなんにしてもあのオレンジソースはまずかった。
 BSMはあの赤い山がオレンジソースを思わせます。私の家では、あのアトラクションを「ゲロ山」と呼称しております。ま、そういう次第はありますが、きちんと運行を停止して調査した姿勢は立派です。今やTDLは日本の宝で浦安市の財産。いっそう、しっかりやって欲しいと偉そうに思うのであります。

2003年9月05日(金)
 なんであろう、「近頃の懸案事項」というのを時々、メモ帳に付けて自己点検している。そうすることで見落としがないように、また「ああ、このへんが片づけば楽になるのだな」と思うことで納得する、といった効果を期待しているわけだ(なんと堅実な私であるだろう)。で、今日、書き付けてみたら、家の新築と引っ越しを含め、なかなか進まない出版計画、なかなか書けない原稿・・・など数え上げたら十五項目もあるでやんの。ぜんぜん大したことない日常をベンベンと送っている身にして、こんなんである。世の「売れっ子」のひとたちはどんなにか大変だろう(なってみたいですけどね、なんの分野にせよ)。
 ふと週刊誌を開くと池田晶子さんのエッセイが目に入る。私はこのヒトのソクラテスものなど大好きで、かなり読んだ方だ。つまりファンである。しかし今日、読んでみると今更、携帯電話やら電子メールやらをくさし、そういうものに振り回されて生きることを斜に構えて論評するような内容で、ずっこける。
 哲学と文筆だけやっていられるヒトはそれでいい。池田女史なら手書きの原稿でもそれをのんびり郵送しても、受け付けてくれよう。しかし無名の売文家なら必ず編集者から「ワードで打ってね。え、コンピューターないの? じゃあメールで送稿できないわけ? 今どき困るんだよそんなの。あんたクビ」と言われるわけですよ。このヒトとか中島義道さんとか、ま、「世間に背を向けたエッセイ」はそれを売文上の芸として、もろもろの要素は百も承知のうえでの問題提起として読む分には面白いのだが、少し自分の身に引きつけて考えるとついていけないものも時に感じる。結局、仙人のお話としか思えないのである。平凡人に冷たすぎるのである。
 ソクラテスは邪魔者だったから殺されたのだ。要するに目障りだったということ。私は「ソクラテスの弁明」など読んで、有罪票を投じる市民の側に自分を置いたりすることがままある。
 夜中に引っ越しの箱詰めをしていたら、お、イヤに妙な音が流れてくる、と思ったらディーヴォである。相変わらずである。テクノと呼ばれたバンドだったが今聞くと、立派に生演奏でやっていてなんか懐かしいバンドに感じる。
 なんにしてもこういう古いバンドには頑張ってほしい。90年以後の音楽にシンパシーを感じない私のような者には、ヒップホップはちっとも面白くない。そしてヒップホップが入っていない音楽が世になさすぎるのである。

2003年9月02日(火)
 昨日の1日は、なんとも慌しく、銀行に行ったり市役所に行ったり、そんなことで終わった一日だった。
 で、帰りがけに近所のダイエーに立ち寄った際、何の気なく手相占い師の店に足を向けた。なんだったのだろう、とにかくずっと前から(少なくとも3,4年前から)手相占いをそこでやっていて、「いつかは見てもらおう」と妻と言っていたのではある・・・、しかし「ま、いいや」「今日はよしとここう」などと結局、興味はあるのに行くことはなかった。が、今日はどうしたもんか「見てもらう」と妻が言う。
 はっきり言って彼女の手相の線は細くて数が多くて、見やすいものじゃない。ま、どっちかというとくしゃくしゃである。それを本人も気にしていて、というかきっと悪い相だろうと思って、興味はあるけど敬遠してきたということだろう。それがこの日は、なぜか見てもらうと言うのだ。
 で、要するに見てもらったのだが・・・料金はそれなりだった。一人念入りパックで(つまり手相+四柱推命みたいなことだろう)5000円。しかし面白かったといえば、面白かった。「あなた病弱でしょう。でもそれは気持ちの問題で、本当はどこも悪くないですよ」「繊細なようで案外ずぼらでしょう」「おとなしそうで意外に攻撃的でしょう」などとどんどん言われて、それがなかなかいい線衝いている。ああ、このへんは妻のことです。
 で、私もついでだから軽く見てもらった。「ご先祖がこれをやれ、と言っているものがあるのに、あなたは面倒くさがりで真剣にやっていませんね」だって。なんだろそれ? ご先祖が私に何をやらせたがっているのかは分からずじまいだったわな。「粘り強くはないでしょう」「飽きっぽいでしょう」いずれもその通りなんでうなずく。「ここ2,3年の運気は強くはありません」とかいう。それもまあいい。で、「あなたは本質的にはとっても優しい人です」とか。もちろんである。私は優しく繊細な人間であると以前から主張している。しかしヒトラーなども常々そう言っていたのは気がかりである。
一番おかしいのは「あなたは・・・来世があなたの奥さんなんです」「はあ?」「だから未来の自分に貯蓄するつもりで奥さんに尽くしなさい」「・・・はあ」これは難解すぎて意味が分からなかった。来世は私が彼女になるのか、で、彼女はどうなるのかしらん。ま、いいや。
 なんにしてもこれでなんと1時間も占ってくれた。こんなに大サービスでいいんだろうか。
 妻が「一生、お金に不自由はない」と言われたのは何よりだった。とりあえず彼女に尽くして着いて行けば、私はなんとかやっていけるだろうね。手相見さん?

2003年9月01日(月)
 ゆうべの、つまり31日から1日にかけてのNHKアーカイブス、これは同局の往年の名番組を再放送する深夜企画で、けっこう見ております。で、昨晩はあの「ふしぎな転校生」だった。よくこんなもんが残っていたな、と思えばやはり視聴者の録画を集めたものらしい(時々、不自然に映像がちょっと飛ぶ)。眉村卓はこれで有名になったのですよね、一般的には。で、「戦国自衛隊」になるんですな。
私もこの番組は見たような気がするのだが・・・どうだったかな。耳の後ろに緑の星の形の痣があって、なんてのは確かに覚えているからやはりどこかで見たんだろう。
 学園ものSFの走りですね、これ。「ねらわれた学園」とか「時をかける少女」とか、その後いろいろ名作が出てくる。今見ても十分に面白い。
 しかし、次元ジプシーの人たち、なんで日本名なんだろうか。偽名と言うわけじゃなさそうだった。未来人、というのでもないようだったし。
 「三年生の番長よ!」なんてセリフが泣ける。30年まえの中学生の描写は、しかしそんなに今見ても違和感を覚えるほどのものではない。そして、核戦争の恐怖を訴える描写も、むしろ今のほうが切実に聞こえるのが嫌である。

2003年8月31日(日)
 とうとう8月も終わりである。今日は新居の外構打ち合わせというのがあった。おおむね外観はできあがって、後は内装とか植え込みとかいうものだけである。なかなか感銘を覚えたですね、やはり。
 このあとは銀行と金消契約して・・・この「キンショー契約」というのも家でも買わないとわからない言葉で、要するに金融機関と消費者の契約ですな。で、引っ越しである。
 引っ越し歴数十回、36年の人生中で7年以上一か所に定住したことがない私としても、今回はちょっと前に書いた「自動車恐喝野郎」を避けるために日程を早めている。そんなわけでどんどん前倒しにしておりまして、きつい。
 しかしこれ、ご先祖様だか神様だかが移転急げ、と告げておられるのかも。などと思いながら準備中です。
 ところで三一書房の編集者から「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一)という小説の話を聞いた。「世界の中心などない」と書いた詩人・辻元としてはどう思うか、というわけです。どう思うもなにも、70万部も売れたのだからそれは商品としては意味があるんでしょうよ。いいなあ、私なら家のローンを一発で払える!
 それはさておき、有名なSF作品「世界の中心で愛を叫んだ獣」(ハーラン・エリソン)とあまりに題名が似ている、というか流用ですよねこれ。ここまでやっていいのか、いかにタイトルに著作権はないとしても。ちょっと安直でしょう。
 だって中身はたいしたことないメロドラマよ、これ。おもしろいのは(もしオリジナルだったら100点満点の)題名なのよ。
 こういうのは釈然としないけどねえ・・・。

2003年8月29日(金)
 池田小事件の宅間被告に死刑判決が下った。
 つくづく詰まらない人間である。犯罪者にあこがれるアホは意外に多いもんだが、決してこんな程度の悪いヤツを英雄視ししてはならないぞ、世の少年どもよ。なぜならこの宅間というのは自分の人生がうまくいかない憂さ晴らしと、注目を集めたいとか大向こうを唸らせたいとかいう馬鹿げた虚栄心で、大量殺人を思いついたのだろうが、その対象に絞ったのは決して反撃を受けないだろう小学生であり、その犯行後も「通院歴」をたてにとれば逃げ切れると思っていた節、きわめて濃厚である。最初の段階で謝罪めいたセリフを吐いたのも、死刑を免れることが可能と踏んでいたからに相違なく、だから旗色が悪くなるにつれて「死刑を覚悟している」のなんのと開き直り始めた。
 こういうことを言うヤツはむしろ死刑を恐れているのに違いない。意識すればするほどつまらない開き直りのような言葉が出てくるヤツなんだろう。
 「死ぬことを恐れなければ何をしても平気である」というのがこの社会の原則であることは確かである、なぜなら法理上の最高刑は死刑に過ぎないからである。なにをやっても死刑以上はないのである(昔は同じ死刑でも、切腹、死罪、打ち首、獄門、はり付けなどと等級があったわけだし、不面目度と死ぬまでの苦しさでバリエーションがあった。思うにあの方が死刑制度としては合理的である)。
 ある新聞の刊2,3版に載って4版でオトされた心理学者A名誉教授のコメントに「被告の脳の病的異常を判決は考慮していない」というのがあった。このA氏は鑑定をするたびに、容疑者をみんな病気だから無罪、としてしまうしょうもない人で、今回も宅間は脳の病気だから斟酌しろ、というのだろう。そんなもん人間どこかしら病気であり、個別に考えればどんな犯罪者もそれなりに理由があろう。
 しかし、そういう問題は文学者が扱えばよい。学者の鑑定に頼れば、裁判官など要らないことになる。医者が裁判をやればいいのだ。
同じ日の新聞に、シカゴで銃乱射して6人殺した男がその後自決した。
自決したから偉いなどとは言わないが、本当に死ぬ気で悪事をやるならせめて自決ぐらいすべし。おめおめ裁判にかけられ死刑など、実にみっともない馬鹿者である。

2003年8月26日(火)
 万景峰号をマンギョンボン号と読むのが実に煩わしい。読むだけでなくあの船の存在自体が実に煩わしいものである。
 煩わしいと言えば個人的に煩わしいことが起こった。まもなく今住んでいる公団住宅を出ていくのだが、このぎりぎりの瀬戸際になって駐車場の隣の車のオーナーがくだらない言いがかりを付けてきた。ドアについた傷はお前の車がつけたものだから、金を出せというのである(本人は現金を出せなどと言っていない、あくまで保険屋に払ってもらえ、と言うのだが)。しかしこちらには覚えがない。しかも向こうもいつついた傷かわからない、しかし状況から見てお前が犯罪人に違いないから金を出せ、と言う。なんの証拠もなく(確かにうちの車のドアの位置とその傷というのは高さが一致しているが、これで裁判をやったらまず物証だとは言えまい)いつついた傷かもわからない、というのである。そして生意気にアルファロメオだかを雨ざらしの露天駐車場に置いておき、カバーもかけず、ろくに管理もせず(実際に洗車もろくにしてないし、今回も4,5日見ないうちに傷に気づいた、などという、つまりぜんぜん自分の愛車を見ていないのである)傷が付いたらうちのは高級車でデリケートな表面で、などとばかげたことを言う。そんなに大事なら家の床の間にでも飾っておくがいい。少なくともそんな高級車を雨ざらしの賃貸住宅の駐車場に放置しておくこと自体、どうかしている。このままではこじれるので、今後の交渉は保険屋にゆだねることにする。
 こうなったら一日も早く退去だ。実にイヤな思い出がこの住宅には残ることになる。それにアルファロメオ。この車に恨みはないが私は終生、このイタリア車をよく思うことはないだろう。賃貸暮らしの貧乏人が露天でこんな車を放置するのがこの国の軽薄さ、バカバカしさである。

2003年8月24日(日)
 もう死に物狂いで部屋を片付けている。さすがに疲労が溜まってきた。「今まで休みというと寝てばかりだったあなたがずっと掃除している、偉い」と妻が妙な褒め方をするが、そういう自分も7年分の垢をこそぎ落とそうと懸命らしく、大童である。
 毎年、12月に大掃除というものがあるんだよな、だから、新居ではちゃんとやろう、と一応、思う(どうなるか)。
 しかし海沿いだからなのか、この部屋は埃が多すぎやしないか。新居を選ばれる方、海沿いは確かにイメージが良くておしゃれだ。しかし風の強さ、埃の多さには辟易するぞ、本当に。そのへんはご覚悟ください。
 公団の査定係は今年、転居者が多くて盆休みも取れない、と嘆いていた。それだけ出て行くのだな、ここ。
 ここ、浦安市明海の公団住宅暮らしもあと一月あまりとなった。なにかと気ぜわしい。作業もやはり10代、20代のころのようには行かない、疲れる。

2003年8月23日(土)
 高校野球は常総学院が優勝したそうな。木内監督はこれで引退とか。私は茨城県の某高校の元応援団長で、絶頂期の取手二高とも対戦したことがあります・・・あの監督さんが今の今まで現役で活躍していたのか、そんな感慨が個人的には強いです。当時、17歳だった私も36ですぜ。あのころの取手二高の選手もみな、そんな年配でしょう。
 しかしあれだけ有名だった木内さんも優勝はその取手以来二回目なんだとか。そのこと自体が意外ではありました(本当に、この二十年余りの間、ほとんど茨城県代表は常総が独占してきたのではないかと思いますが)。
 カリスマ監督もスター選手もいなくなりましたね、高校野球。ま、私は実際にはぜんぜん興味ないんだけど、新聞社にいると嫌でも仕事上、扱わざるを得ないのだよね。
 子供の部活などほんと、どうでもいいわ(無茶苦茶な終わり方だな、この文)。
 ついでになんですって、九州に新幹線が延びるのだって? ふうん。
 さらになんですって、久米宏がニュースステーション降りて、後任が古館だって? 俺は古館が仕切るニュース番組なんて見ないな(あ、久米のもぜんぜん見てないけど)。
 久米さんのあの「こんなことでいいんですかね」「どういうつもりなんでしょうか」といった切り捨て方のコメントを最後に、まことに最後っ屁のようにかますスタイル、大嫌いです、昔から。残るのは彼の個人的な情緒だけ、ぜんぜん論理がない。私は89年入社の平成元年組ですが、この年の3月31日、同番組で「明日から確実に、日本が変わります」という久米氏のコメントを聞いて「なにを大げさに、くだらない」と思った。それは消費税3%を竹下内閣が導入したんですね、翌4月1日から。嫌な言い方だと思った。気に入らないなら気に入らない、と言えばいいだけのことだ。だが本来キャスターは好き嫌いも言わないほうがいいのだ。その4月1日が入社式だった私はいまだに、彼のそのコメントを忘れずにいる。
 ではあるが、明らかに古館さんよりは立派なテレビ人。ショーとしての手際は確かに見事だった。惜しみはしないけど。

2003年8月22日(金)
 なんともかんとも、コミケは終わったことだし、ようやく引っ越しモード、・・・のはずなんだがなかなか進まないですなあ。現在の賃貸住宅に入居して7年余、その間にこんなにしょうもないものが増えていたとは。実際、今年の5月に急に話が決まるまで、立ち退きのことなどほとんど考慮しておりませんでした。ずっといるつもりはないにしても、かなり年をとるまでいるのかも、などと思うこともあった。しかし不思議なモンです、出て行く、と決まったとたんに全然、この家にもこの街にも執着がなくなって、たまってた物だってどんどん捨てる気になる。やはりいざ事が決まると、かつての「転勤族」の遺伝子が疼くか。
 私の両親は、おおむね2年おきに転勤しておりまして、最短で半年ということもありました。はっきり言ってようやく学校の教室を全部把握できるか出来ないか、というぐらいで転校も珍しいことではなかった。そういう家庭だったので、何も物をおきません。古いものもどんどん捨ててしまう。それはそれで潔いのですが、お陰で私の幼少期の記録は正式な通信簿の類のほかはほとんど何も残っておりません。後で文豪・辻元佳史全集とか天才・辻元佳史文学アルバムを作ろうにも(?????)何もないのですね。子供のころの絵だの習字だの作文だのというのは。
 顧みて、7年も同じ家に起居したのは私の人生では最長記録だと気付きました。なるほど物も溜まる訳です。それだけいても特に愛着はない。新婚後はじめての家だという感慨めいたものはなくもないけど、私は「出て行く」という話になるともう全然、後ろを振り返らない人間です。
 私は捨てるとなるとどんどん捨てられますね、だから。ためらわれる、という感じはない。それに次は仮にも持ち家ですからね、ここで思い切って捨てておきましょう。
 妻は売れ残りの人気のなかった漫画同人誌に頭を痛めております。私は詩集の山をどうにかしようと悪戦苦闘中です。

2003年8月21日(木)
 それにしても久々に会社に行くと疲れますねえ(あ、お盆休み終わりましたので)。ほんの2,3日出社しただけでも疲れること。たった一週間ほどなのに、会社への行き方も忘れてしまった・・・というのは嘘だけど、休み前になにをやっていたのか覚えていない。以前の自分と引継ぎができていないのですね。定年になっても会社を懐かしむ人が多いそうですが、私は・・・この調子では辞めてから三日で忘れてしまうでしょう。
 バグダッドはどんどん治安が悪化。国連の特別代表まで死んでしまいました。自衛隊ももはや出せない模様。
 テロの立案をしている者は確かに効果的なやり方を知っていて、国連が手を引いてアメリカが孤立することを望んでいるのだろう。ジョージ・W・ブッシュとかラムズフェルドとかいうボンボンどもがいかに暗愚な連中であるのか、見えてきたと思いますけど? 戦争に勝つのは当たり前。しかし敵が隠れてテロに走った瞬間、もう打つ手がなくなってしまった。でかい戦車も航空母艦ももはやなんの役にも立ちません。先日のニューヨーク周辺の停電、あるいはちょっと前の飛行機墜落など、みんな「テロじゃない、テロじゃない」と米当局は連呼しているけどかなり疑わしいかもしれない。
 ブッシュを選んだのは米国民(もっともおかしな選挙でしたけど)。なんとかしてはどうなのか。
 しかし増税策と粗雑なオペラ鑑賞しかできない某首相など私は選んだ覚えがない。「純ちゃーん」などと馬鹿言ってるオバサマ連中はよほど生活がバラ色の人たちなのだろうが(やはり自営業者の奥さんが多いのかな)、なんともかんとも。来年度予算編成はとんでもないことになって、国債新規発行が税収を上回ること必定なのだとか。バイロイト音楽祭など行ってつまらないパフォーマンスの類はどうでもいいから(しかし熱烈なワーグナーファンを公言することは欧州ではあまりいいことではないと思うんですけどねえ。欧州の常識では王侯はヴィヴァルディ、上流はバッハを聴くものだそうだけど。ワーグナー、バイロイトとくればどうしてもちょび髭小父さんを思い出すし)、郵政だの道路だのせめて自分で言い出したことだけでも官僚どもと刺し違えるぐらいの気迫でなんとかしてくれんか純ちゃん。そうしたら少しは見直すけど?

2003年8月19日(火)
 先夜、なんとなくNHK教育にチャンネルを合わせたら、妙な感じの映像発見! スキンヘッドで眼光炯炯としたガタイのいい小父さんが、ごく普通の背広姿でものすごい声で歌っているのだ。そのセリフが何語かもよく聞き取れないのだがどうもドイツ語らしく、オーケストラがじゃんじゃん鳴っていてとにかく、本格的なオペラではあるらしい。あるらしいのだが・・・、セリフの字幕もけったいで「今、私の復讐は成功するのだ。あいつを殺してやる、一突きで」とかなんとかずいぶん物騒なことを朗々と歌っている。その後のシーンで、この男が刑務所の所長で、看守を脅して邪魔な囚人を殺そうとしているシーンと分かる。なんだ、このオペラ? ミステリー仕立て? そのけったいさにひかれてずっと見てしまった。新聞によればザルツブルク・イースター音楽祭の録画で、演目はベートーヴェンの「フィデリオ」だった。こ、このけったいなミステリーみたいのがベートーヴェン? 私は詳しくないのでそもそもベートーヴェン大人が歌劇などに手を染めているのを知らなかったし(もっとも当時の作曲家ならオペラを作ってみるのは常識だったろうが、あまりこれといって有名じゃないところを見て、やはり彼はオペラは得意じゃなかったのだろう)、しかもこんなヘンな筋書きのもの、かなり驚きました。しかし楽曲は確かに大先生の曲らしい。合唱が入ると第9そっくりだったりするし。そう、その合唱隊というか、囚人の群れなんだけどこれがまた凄い。ストッキング頭からかぶって歌っている。すごい。よく歌えるものだ。そして主人公は地下牢で寝転がり、拘束衣を着せられたまま歌っている。ものすごい技量である。もうこれだけでもかなりの驚きで、恐らく本来は昔風の地下牢、昔風の衣装でやるべきものを現代劇にしてしまったあざとくも見事な演出には感心した。しかし驚きはこれだけじゃなく、最後の場で国王の使いというのが現れて所長を糾弾し、囚人を解放するのだけど、この使者がどうもサリドマイドかなにか、はっきり言って小人なのである。それがまたものすごい声量で歌いだしたのに目を見張った。この演目を初めから見ようと思ってみる人は彼がいつ出てくるのかしら、と思って見ているのだろうが、こっちはチャンネルがたまたま合っただけで全く理解していないので、驚いたのだ。で、私はこのハンディを負った歌手も寡聞にして知らなかったが、調べたところトーマス・クヴァストホフ、障害を乗り越えて活躍する有名な歌手だと知れた。まことに堂々の歌いっぷりで、彼が出てくるとほかの出演者はみんなかすんでしまうほどの存在感だった。
 とにかく演出としては相当にケレン味たっぷりだと思う。しかし私のように本来、興味のない者もついつい1時間ほどこの演目を見てしまったのだから力はあったのだ。妙な筋だし曲もはっきり言って楽聖の作としてはごくごく平凡なんだと思う(もちろんその辺の三下のレベルと比較にはならないけれど)。ストレートにやられたら恐らく全然面白くないのだろうと思った。この点も調べてみると、楽聖が傾倒するフランス革命期の文学者ブイイの原作を元に作曲したもので、舞台はセルビアの監獄だと言う。三回も書き直し、脚本家も替え、題名まで変えているところを見ると、あまり評判は良くなかったらしい。レオノーレ序曲という一部だけはよく演奏されるらしい。しかしオペラとしては全く人気がないようである(音大出のうちの奥さんも歌ったことも演奏したこともなく、聴いた事はあるけれど、という感じだったらしい)。
 そういう代物を掘り出して、柔軟な演出をした演出家、難しい要求にこたえた出演者に拍手を送りたい。そして沈滞しているクラシック界も着実に工夫をしていると言うことが分かって面白かった。ベートーヴェンも決して評判の良くない彼の歌劇が現代劇として復活したことを喜んでいるだろう。奥さんもこの演出には非常に感心していた。
 詩人の朗読というのもだから、演出が大事なのではないか、などと自分のことに引き重ねて、思ったりもした。

2003年8月18日(月)
 ウガンダの独裁者アミンが80歳で死んだという。サウジアラビアにいたのか、そしてこの年まで元気だったのか・・・。30万人を殺した独裁者も、なんのことはなく立派に長生きをしたと見える。
 なにをしたって運のいいヤツは逃げ切れる。正義も糞もありはすまい。

2003年8月17日(日)
 朝のテレビで梅原猛と野中広務が対談していた。この二人のことを私は生理的にはそんなに好きではないのだが、しかし面白い事を言っていたし、そういう意味でちょっとこの二人に対する見方も変わった(というか、野中氏については闇将軍ぽいところがなくなってから、かなり印象が変わっていたけど)。歴史上、国民の人気がひじょうに高かった人物が3人いて、東條英機、近衛文麿、松岡洋右である、と。いずれもカリスマで、確かに人気は絶大だった。しかしこの3名が日本を一度滅ぼした責任者である。一方、別の一組が存在する。つまり大久保利通、山県有朋、岸信介である、と。この人たちは国民的にはきわめて人気がなく、今でも歴史ドラマなどで主人公をはれない。能吏である、有能であるとは当時から思われていたけれど、ぜんぜん理解されていなかった。特に大久保などは、これも人気者グループの一人で侵略戦争を主唱した西郷隆盛をつぶした事により、嫌われる余り暗殺の憂き目に遭った。しかしながら、彼らは人気などに頓着せずに長期戦略的な発想で国家百年の計を練った。
 で、言いたいことは小泉首相のことなのである。彼がどちらのグループに属するかは言うまでもない。ちょっとロマンチックな大げさなことを言い、理想を振りかざし、カッコイイところを見せれば人気は上がる。先の人気者たちはみなそんな人たちだった。小泉さんはアメリカ、というかブッシュに引きずられているが、後で日本国として高くつくことになりはすまいか・・・。そんなお話だった。
 私は小泉が東條や松岡に似ているかどうかは分からない、しかし近衛とその孫の細川護煕には似たところがあると思う。どこが似ているのか? 苦労知らずなボンボンであることはもちろん似ている(近衛や細川は本当に貴族・華族ですけど)。そして「胆力のなさ」、これが似ている。こらえ性のなさ、体力のなさ。つまりストレスと激務でへとへと、難しい局面で踏ん張るべきところで踏ん張らない。えーい、と楽な打開策を打つ。近衛も細川も面倒になったらえーいと政権を投げ捨ててしまった。小泉にも何か面倒になると逆切れし、ヒスを起こし、部下に丸投げし、自分はオペラ鑑賞にふけっているようなイメージがある。華族の二人よりは政権への執着、政局好きなところがあるので、少し長持ちしているが、本当に難しいことになったら、ああ疲れた、えーい、どうにでもなれ、と杜撰な判断をしそうな雰囲気がある。
 はっきり言って、今時の体力のない若者に似ているのだ。私が生理的にあの首相を好かないのは、もし自分の上司だったらものすごく面倒くさそうだから、という点に尽きる。次から次へと目先だけ新しいことをやりたがり難しい実務は丸投げ。で、結果が出ないと癇癪を起こす。粘りのあるタイプではあるまいし、責任感の強いタイプでもあるまい。
 私は、ブッシュ氏個人に擦り寄る小泉さんには疑問を覚えている。北朝鮮には間違いなく危機があるしそれは本物であるけれど、今の自衛隊の扱い方はきわめて杜撰である。どうしても彼らが自衛隊を派兵したいというのなら、ちゃんと憲法改正して軍を再建して、カーキ色を着せず軍刀を与えず、完全に新規の軍隊として任務の範囲を限定し、文民統制を徹底すればいいのに、そういう面倒なことはやらない。今の自衛隊を既成事実の積み上げで米軍の露払いとして貸し出す策ばかり弄している(憲法9条のおかげでかえってなし崩しの派兵がしやすくなっているのだから滑稽である)。結局、自衛隊など、米軍向けの傭兵のようなものになる。あまりいい加減を重ねると、志願者がますますいなくなって徴兵だのなんだの言い出す可能性は本当に出てくるぞ。
しかしどんなにつくしても、である。選挙で負ければブッシュはただの人で、アメリカの政策など簡単に変わる可能性もある。これほどまでにひとつの政権に擦り寄っていいものかどうか。

2003年8月16日(土)
 コミックマーケットに参加した。ご承知でない人のために解説するとビッグサイトで年に2回、開催される漫画即売会で、世界最大規模、3日間で実に50万人近くが集まります。今年は異例の土砂降りの中の開催、客足も低調と見られましたが、うちの新刊アイアン・メイデンの評判はまずまず、売り上げもそこそこ。わざわざおいでになった詩人の渡辺玄英さん、当サイトがリンクしているMGライフの主催者古川康之さん、妻玲子の漫画仲間・惣みつきさん、田中純子さんに感謝します。
 今回はメカ・ミリタリーというジャンルで参加したのですけど。これもご承知でない人のために書けば、戦記漫画とか戦史研究を中心にした分野ですね。とにかく今まで出ていたゲーム系とははなはだ雰囲気が違いました。熱気があります。しかし私も30代も後半。一日売り子やるとなると疲れますねえ。周りの人たちもどう見ても20代中心。話題が若いですもんね、いかに戦史マニアでも、古い史実に詳しくても、若い。簡単に言えば、不用意に知識を顕にしたがる・・・危険ですな。なーんてか。妙に悟ったようなことを言いますけど。しかし私どもぐらいになりますと、よく知っていることでもはぐらかして相手の様子を見、知らないこともそらとぼけて隠す。つまり手の内を明かさない、老獪になる。・・・ああ、いやですなあ、自分が(笑)。しかし気分が若返って良かったかも。愉快でした、実に。
 帰ってなんとなくテレビをつけるとカルロス・ゴーンが話していた。日本古来のサムライの精神、つまり失敗したら腹を切るというのはコミットメントの精神ではないか。それは普遍的なものだ、と。面白いと思った。もっとも日本人の腹切りというのは死んで責任逃れをする精神に通じる場合もなきにしもあらず。ちょっと違うニュアンスかもしれない。

2003年8月15日(金)
 終戦の日・・・といって何をするでもない。終日、ハセガワのJu87スツーカGと、YAK3を組み立てました。それにしても飛行機の模型は、戦車なんかに比べて部品も少なく組み立てそのものはそんなに難でもないし、カラフルな塗装もマスキングさえきっちりできれば楽しいものですが、デカール貼りが大変だなあ・・・。などと言っていると、F1モデラーの人には笑われそうだけど。そうそう。本当にそんな感じ。別に8月15日だから大戦機の模型作ってるわけじゃなし。
 が、ゆうべNHKでやっていたカラーで見る昭和の日本という番組はかなり面白かったです。私は長崎に投下されたファットマンの完成写真しか知らなかったので、黒っぽい爆弾というイメージでしたが、カラー映像で、デザートイエローに塗り直されたこの爆弾を初めて見ました(迷彩が必要だったのでしょうか。ご承知の方ご教示ください。そして、重巡インディアナポリスとともに沈んだという3発目は何色だったのかしら)。
 戦中の映像は、そんなに珍しいものとはいえなかったですが(特に米軍撮影の映像はけっこう見覚えあり。しかし、真珠湾攻撃時の米軍側のカラー映像や、戦後の呉軍港で横転している空母天城・・・説明はなかったけど恐らくそうですね。それから大破着底する戦艦榛名らしきもの。それらのカラー映像は見ごたえありました)、戦前のカラー映像、出征シーンとか長閑な平和の時代の風景は確かに一見の値打ち大。ごく普通の平和な生活からどんどん狂気の中に突き落とされていくごく普通の人々。モノクロでは大昔の関係ない人と見えた彼ら彼女らが、表情も生活スタイルも今のわれわれとそんなに変わらない日本人であること。そういう実感をつかむには非常にいい企画でした。秩父宮がドイツ訪問した際、T号戦車が行進する様なんてのも珍しいカラー映像でしたね。
 明日は夏コミですが、記録的な大雨です。雨のコミケというのは珍しいそうですが・・・やはり異常気象ですか。ヨーロッパは軒並み40度。日本は冷夏、中国は旱魃だとか。おまけにどうしたもんかアメリカで大停電。NYは20時間たっても完全復旧しないそうな。
 なーんかこう。歯車が狂いだしているのかしら、現代? 戦前の平穏がわずか数年で狂気と殺戮の世界に変化しました。平穏。平穏こそありがたいのですが・・・おお、なんか結局8月15日風にまとまりましたな。

2003年8月14日(木)
 報道によりますと、公証人、つまり遺言状なんかを扱ってくれる人ですね、あれが今まで検察、裁判官の天下り専用だったのを、弁護士や一般の民間人にも門戸開放して試験を実施したけど、結局、今回も検察、裁判官OBしか採用されなかったとか。私は公証人なんてどんなものかよく分からないし、どういう要素が必要な仕事かも知らないし、また聞けばOB以外で実際に受験した民間人等はたった5人しかいなかったとか。そんなもんじゃ合格しないのも必ずしも不自然じゃない。だから普通ならなんとも感じず読み飛ばし聞き流す話題なんですが、ひとつカチンときた。新聞に載っていた公証人連合会の会長とかいう人物のコメントです。本人が言った通りかどうかは分からないが、要するに「公証人は正義感、公正さ、洞察力が求められる仕事。民間人はそういう点が不足している」というのだよね。ちょっと発言の趣旨が分からないし、これはあくまで記者の聞き書きだろう。しかし、この発言だけを聞くとかなり腹立たしくはないか? そんなに彼らは正義感があって洞察力があり、一般人は正義感がなくて物が分からないと? ほほう! そんなに神様みたいな人材ぞろいなんだ、公証人て。あるいは検察官や裁判官て。そんなに間違いのない、不正もしないし違反もしない立派な人ばかりなんだ。はあん! 
 今時、こんな特権意識を持っているのが不思議であるが、日本の官僚だの司法関係者だのはなんだか知らないが自分らは特別に優秀で、ほかの人はみんな馬鹿ばかりだと信じ込んでいるらしい、未だに。
 お前らがそんなに優秀なら、誰も民間人を登用しよう、なんて言う訳ないだろうが? とにかく自分にしかできない仕事、みたいな意識をなんとかしてくれ。
 余人にかえがたい仕事というのは、芸術家とか職人、独創的な学者以外にはありえないのだよ。お役所仕事のデスクワークなんて実際には誰にでもできるのだ。嘘だと思うなら今その地位にあるものを全部、解雇してみればいい。大して困ることなどないさ。いくら自分ひとりで情報を抱え込んでみても、しょせんいなきゃいないで誰かがとって代わるもの。組織なんてそんなもんじゃないのかね。アメリカなんか選挙のたびに公職を全部取り替えてしまうが、どうってこともない。むしろ前例無視、引継ぎ無視でうまくやっているのだ。
 なんでもアメリカの真似をするくせに、こういう肝心のところだけは真似しない。奇妙なことだ。

2003年8月13日(水)
 ついに戦場漫画新刊「アイアン・メイデン」が出来ました!
ご興味のある方、ぜひお問い合わせください。まもなく当サイトでも紹介するつもりです。
 漫画といえば、鉄腕アトム(新しい2003バージョンね)というのを毎週、見ておりますが、だんだんハードな内容になってきましたなあ。原作ではちょい役だった天馬博士はどんどん狂気をエスカレートさせていくし、毎回だれかが特攻隊よろしく犠牲になるし。ある意味えぐーい内容に。そしてアトム、強すぎ。その左腕に装備した波動砲はなんなの? ああいうのが実在したら私もロボット反対派になりますよ。心があるロボット、なんでしょ? そりゃ危険だよ。教育次第でどんな悪党にもなるんだもの。心があるということは個性があるということで、不良と化したアトムも想像すると面白いのではあるけれど。10万馬力、つまり大戦艦並みの出力、飛行可能、派動砲装備、あれは人間の友達などではなく、兵器です。アトムを量産したら世界の覇権が握れます。あっという間にロッキード・マーチンATOM−A型とかいって量産されますな、現実なら。

2003年8月11日(月)
実はこの一週間、夏休みを取っております。この休みが取れる、という状況は勤めがあるから取れるわけで、近頃の失業率の状況、ことに若い人たちの就職できない状況はつくづく気の毒だと思います。バブルの時期に就職できるように私を生んでくれた両親に感謝しておりますよ。雑誌の見出しでは、東大生でも女子の場合、10社、20社落選は当たり前。これではそれより無名の学校を出た人はどうすればいいのか。若い者がグレる心情も全く理解できないことではない。実際のところ、私の会社に来る派遣社員も最近は素晴らしい学歴の人がおいでになります。申し訳ないが、先ごろの制度改革で派遣社員は2,3年たったら交代しなければならず、要は派遣の身分のままではいかなるキャリアにもならない。仕事になれたころには部品のように取り替えられる。気の毒です。
にもかかわらず、新聞やテレビではなにかと少子化社会のことを憂えている。そして論法といえば、このまま人口が減っていけば労働力が不足し、市場が縮小し、GDPが右肩下がりになる、というもので、もちろんデータ的には間違っていないのだろうが、全く実感がわかないのも事実ですよね。結局、学者とか官僚とか政治家とか、自分らは安全地帯にいる連中は、子供=未来の国民というものを、年金制度を維持し、消費してくれる存在としてのみ見ている。だが仕事などないではないか。そうすると、いや、人口が減れば国の総労働量は減るはずで、という数字のお話ばかりになる。たとえば新聞をちらちらと見れば、経営再建中の西武百貨店は5400人いた正社員を1000人にするリストラ断行中です。その他どこの会社を見ても同じ。うちの会社だって15年前に8000人いたものが今年は3000人切ったといいます。IT化のせいだかなんだかしらないが、同じ仕事を半分以下の人数でやるのが当たり前になっている。これは今後もますます極端になっていくでしょう。恐らく、誰もが忌避するいわゆる3K仕事は人手が足りなくなるのかもしれない。だが初めから諦めちゃって路上に座り込んでいる連中がそんな仕事やってくれるのか? そもそも仕事なんかしたくないんだよ、連中。
今後、日本企業はどんなに事業拡大しても人数は増やさないことを競い合うのではないですか。昔なら1万人が必要だった仕事を100人でやる会社の株価が上がるんですよ。市場も労働力も必要なら中国などに求めるのじゃないですか。日本の若い世代など全然求められていないのではないか? 少なくともみんながやりたいような仕事は減る一方なのである。それなのに納税とか年金、そして消費だけ政府のためにしてくれというのか。なんか書いていてだんだん腹が立ってきた。それで無責任に産めよ増やせよと、ろくに助成金も出さないでなにを馬鹿なことを言っているのか。国民は御用学者や政治家に騙されるほど無知でも蒙昧でもないように思う。
またなんだか手軽な方策だけは割りと簡単に打つのがわが政府で、育児休暇を2年に延ばす法律を作ろうとか言います。今だってどこの会社でも建前じゃ育休を認めているが、裏では「育休とるなら辞めてください」というのが横行しているんでしょう。政府はリストラは大いに推奨しておいて、育休は取れ、サービス残業はいけない、などと建前ばかり言っても経営者は守るわけない。その守るわけないことを打ち出して、対策をしているふりをする。で、自分の任期の間を平穏に送れれば後のことは知らない。これが政治家とか官僚の発想。まことにでたらめな国であります。
結局、人が減ってもやっていける国にするしかないんだよね、要は。徹底的に効率化して。その場合、邪魔なのが既得権者と政治家と官僚の癒着でしょ? それからもうひとつは、これはもうほとんどナチスの政策だが、きわめて優秀な知的労働者以外は要らないのだから、勝ち組の少数のエリートに納税も消費も担ってもらい、切り捨てられるようなお荷物は生産しないことじゃないのか。そういう恐ろしい時代、役立たずは要らないという社会はまことにナチス的だが、なにやらそういう時代がまた近づいているとしか私には思われない。
そういう意味で、少子が進むのは多くの人がそういう予感を得ているからだと思う。

2003年8月09日(日)
 それにしても通り魔が多いそうですね。むしゃくしゃしたからやった、というお決まりの文句がよく分からない。むしゃくしゃしたから、だからなんだと言うのか。
 ところで新聞を流し読みしていて、いくつか興味を引かれた記事を紹介。人生案内で、事業に成功し、ルックスもよかった亡き自分の父親の立派さに比べて、夫の父親が「普通のサラリーマンで背が低くてつまらない」ことが気に入らない、どうしたらいいでしょうか、などという相談を寄せた30代の女性のお話。回答者は「あなたの幼稚な人間観は問題だ」というような答えをしておりました。いや本当にこんなファザコンのバカ娘は救いようがないですな。でも、私もこの手の娘、何人か知っていますが。普通はある年齢に達すると、自分の親のいい所、悪い所が客観的に見えてくるはずなんです。この人は父親が死ぬまで、客観化できなかったわけで、多分、死ぬまで治らない。この弊害が、この女性の子供に伝わらなきゃいいんですが(きっと出てきますけどね)。
 それから、スウェーデンかなにかの「新しい女性の生き方」(いい加減に陳腐で新しくないですな、この表現)を紹介する記事。その40歳の女性は学校の先生で、今までに5人の男とつきあい5人の父親の違う子供を持っており、結婚したことはない。私はこんなもん別に本人の好きにすればいいし新しいとも何とも思わないのだが、本人の談話として「古い習慣に従うのはイヤ。私は私の人生の主人公でいたい。誰かにささげる人生はまっぴら」とかなんとかいろいろ理屈を述べている。それがかなりイヤでした。おそらくこの女性の母親はよほど父親にささげるような人生を娘に見せつけたのだろうな、幸せな家庭を知らないのだろうな、と思っただけでありました。「一人の人と5年もいればぎくしゃくしてくるのは当たり前」などと言っておりますが、ぎくしゃくする人もしない人もいるわけで、要するに本人の主観的なお話を言い立てているだけですな。私としては新しい生き方というより、性欲に任せてつがいの相手を変える動物の生き方のように思われた。自分の人生を大事にするのはいいが(しかしそんなに強烈に守りたい自分とはなんなのだろうか)、なんで子供はほしがるのかもよく分からない・・・子供は所有物なんだろうな。あるいは利己的な遺伝子の強い、この女性は人類の女性というより動物のメスなのだろう。
 なんにしても、親の教育というのは大事ですね。通り魔やるようなやつはだいたい、放りっぱなしに育てられた人間です。私は人の親になるのが恐ろしいですな。なぜならあらゆる犯罪者の精神分析の結果はほぼ100%親にたどり着くのだから。 親の教育といえば、私はなぜか子供の頃、自分を貧乏だと信じ込んでいた、親の洗脳がうまかったんですな。だから貧乏なのだから、いろいろとおねだりしてはいけないと思っていた。あれ買って、これ買ってなどと言った覚えがないのです。しかし考えてみるとわりと大きな企業の管理職だった父親は決して貧乏ではなかったはず。だからうまく教育されたのでしょう、私は。もちろん恨んでいないです。物欲の薄い、自分の持ち物を他人と比較しない人間に育ててもらったことは間違いなくプラスであります。近頃の子供の非行のきっかけというのはおおむね「ほかの子も持ってるからゲーム買って」「ケータイ買って」といったあたりから入るのですな。で、もっともっと金がほしくなってパンツ売ったり、売春やるんだな。
 未だに私、自分が中流だと思ったことがない。上流は華族、中流は資産家でしょう。私は下層で結構。無理に中流にしていただかなくともいいです。他人の興味、世間の流行、私は知っていて無視します。男はみな巨乳好きと決め込んでいる雑誌が気に入らない。私は巨乳嫌いですよ。
 自分をどうするか。それで手一杯です私。他人の暮らしぶりを考えてあげる余裕はありません。

2003年8月08日(土)
 末広がりの8・8です。八・八艦隊なんてものもあったな・・・ありゃ流産したか。で、この吉日に台風襲来を目前にして、私の新居の上棟を迎えました。だが、階段ができてないからはしごをよじ登るわけです・・・運動不足の身にはちょっと怖かったですね。3階建ての家がはやっておりますが、かなり高いですよ、3階。私も妻も高所恐怖症気味だから、大丈夫かいな、怖くて住めなかったりして。その前に、本日ははしごを降りるのに苦労しました。よく木に登って降りられなくなる話がありますが、人間、なぜか地上に戻る方が恐ろしいんですね、やはり下を見るのが怖いからでしょうけど。

2003年8月07日(木)
パウエルとアーミテージのことを書いたけど。その後、本人たちが必死に否定しているようだわな。ま、当たり前か。ワシントンポスト発だから信用できないか(最近トラブル続きらしい、あの新聞)。しかしたとえば前に竹中大臣のアメリカでの就職活動という話が出たけれど、あれが根も葉もないのか根ぐらいはあったのかは分かりません。というか、恐らく根ぐらいはあったに相違ないんですね、ニュースというものは。パウエルさんたちのことも、反ブッシュ的な軍部系の連中がリークしたのかあるいは逆に反パウエル的なラムズフェルドに近い連中が流したのか。ただああいう話が出てくる背景には間違いなく「嫌になっている」という事実はあると思います。ま、どうでもいいんだけどそんな観測。私はなんにしてもブッシュ政権は一期でたくさんです。ついでに言えばその親友K首相も一期でたくさんですけど。
 そんな話はまあどうでもよくて、このところは何だかんだと忙しいのだけど、枕元で寝る前に開く書籍が固定しているような気がする。映画を見て以来、マイブーム再燃した「指輪物語」を、また何度も何度も読み返しているのと、なぜか伊藤整の「近代日本人の発想の諸形式」に改めてはまっています。なんでだろー、なんでだろー。なんか日本の文学の問題はここで言い尽くされてて後は蛇足だとしか思えないのですね、私は。そして私がどうして漱石を尊敬していて私小説が嫌いなのか、という個人的問題をよくよく納得させてくれたのはこの本でした、そういえば。
 どうも日本的な情緒でけりをつける発想、日本的な気分でけりをつける発想、日本的な「好き嫌い」でけりをつける発想・・・が私は駄目なんです、子供のころから。社会的な問題でも文学的な問題でも、具体的でないもの、根拠のないものが理解できない性癖がある。
 8月であり、敗戦の月、原爆の月であります。いろいろ悲惨な話が語り継がれる。それは貴重なことです。しかし、8月だから反省しましょうという情緒が理解できない。8月だから振り返りましょうというのも理解できない。8月だから靖国神社に参拝するのもよく考えると奇妙である、なぜなら英霊方は日本が8月に敗北した事実をご存じないのであります。私は12月8日のことを考えるほうが意味が大きいと内心、思っています。あのいい加減な開戦をなぜ当時の日本人はやらかすことができたのか。これは反戦平和というような好き嫌いや倫理の問題ではなく、論理の問題としてです。
 あのときの開戦動機が、情緒とか気分とか好き嫌いとかいうことなら、それで原爆まで落とされる羽目になったことをどう理解すればいいのであろうか。当時の日本に戦争をやるとこういうメリットがあって、国策としてこういう手を打って、という要素がまるでないことに驚かされるのです。
 それで現在の日本。今はアメリカについていくしかない。これはまず間違いないところでしょう。しかしそれが国策なのか単なる気分なのか、私はあのK首相の言動を見ていると分からないのであります。増税にしろ、改革の掛け声にしろ、単なるムードの問題に思われる。誰も説明をしないでなんとなく話が進むこの国の気分というのが私にはよく分からないとつくづく、伊藤整を読み返して思うのであります。

2003年8月06日(水)
郡山の友人、安藤智重さんからまたまたすごいお話をいただきました。地元の青年会議所で発行する久米正雄・中条百合子(二人とも郡山ゆかりの文豪)を紹介する漫画冊子を作ってくれ、との依頼。これは大事です・・・とにかく台本は作りましたけど。久米と芥川龍之介、菊池寛が下宿で会話するシーンとか、夏目漱石の山房に行くシーンとかいろいろ見てきたような嘘を散りばめておりますが、さて・・・。漫画はうちの妻が描くわけですが、引っ越しを控えてもう大変。しかしやりがい有りますね。それに久々に漱石以下、近代作家の資料を当たって、学生時代の気分が甦ってきました。あるいは詩、エッセイばかりじゃなく小説もやってみるか(同人誌ではやってますけど)なんて気にさせられます、偉大な先人の人生を辿ると。漱石は40でプロ作家になって50で死んでおります。ああいう人生があるというのが私の励みなのですが。ほかにも明治・大正の作家の仕事ぶりはすさまじいもの。我々はたるんでおりますなあ・・・。

2003年8月05日(火)
なんでもブッシュ政権をなんとか抑えようとしてきたパウエル国務長官、アーミテージ副長官が、ブッシュ政権二期目はやらない、と言い出したそうですね。彼ら軍歴のある二人がなんとか抑えつつ、軍部と政権をつないできたのだが、もう限界ということらしい。さらにうがって言えば、これ以上ブッシュにくみすることは、彼らの将来にプラスにならない、という判断もあるのかも。とにかくシビリアンコントロールのアメリカですが、ブッシュ政権は要するに兵役逃れの金持ちのボンボン政権なわけで(そりゃクリントンも同様でしたけど)だから戦争をビジネスのように考えてるのですよね。兵士の気持ちなど分かるわけもない。パウエルの後任が机上の秀才少女コンドリーザ・ライスだとしたら悲劇だと思う。ブッシュ政権の二期目がないことを祈るしかないですな・・・。
翻って日本。今の自衛隊も完全にシビリアンコントロールですから、自衛隊を警戒しても始まらない。問題なのは軽薄な政治家です。要するに小泉君ですね。

2003年8月02日(土)
 深夜のNHKをつけたら、ジャズ・フェスティバルの紹介番組をやっていましたが、なんでこう・・・・日本のミュージシャンは必死に弾いてるのかな。技術的に高いのは分かるんだけど、なんか違う。黒人のベテランが出てくると、もうかなりいい加減に弾いてて素人耳にも随分音がとんでるんだけど、そんなもん問題にもならない。なんなんだろうか、あのノリの違いは。
 そんなことを妻に言ったら、クラシックのほうも全く同じ事で、日本人の留学生は粒ぞろいで基礎はしっかりしているし、その意味では全員がそこそこの技量で安心できるのだけど、すごいという人は一人もいなかったりするのだとか。 要するに、品質保証つきの量産品を作ることは相変わらずうまいのらしい、日本人は。で、これは教育のせいなのか。ゆとり教育派の文部官僚はそう言いたいのだろうが、私はなんか違うように思う。とにかく勝手に仲間内で小さく固まるものねえ、最近の若い連中は特にひどいじゃないの。べちゃべちゃ仲間内の話ばかりして、仲間内の顔色ばかりうかがって、仲間内のルールばかり気にしている。けったくそ悪い。
 「全世界を滅ぼして自分だけがいればよい」という本を書いたとき、「でも自分勝手で自己中心的な若者が増えているのじゃありませんか」という質問がいくつかあった。おおむね年上の世代から。私は言いましたよ。今の若い衆はちっとも自分本位ではない。単に親とか教師、警察、学校とかいう権威からはずれているだけのことで、彼らなりの狭い世間でがんじがらめなことは、戦前の隣組にも等しい、と。自己中心の権化のような池田小事件の詫間にしても、社会に対する恨みだの、教育制度へのあてつけだの、親への不平だの、結局は他人との比較の中で自分をすり減らしただけの愚か者に過ぎない。真に自分だけ、という境地の人間は社会にも、親にも、教育にも、卑屈な態度はとらない。自分を理解できるのは自分だけ。そう思えばいいのである、と説明しました。
 なんでこんなこと書いてるのかというと・・・「りりっくじゃんぐる」誌に前宣伝が出たので一応、告知しときます。詩人辻元としては第七詩集にあたる「世界と戦う七つのレッスン」刊行準備中! 平居謙氏がプロデュース、解説は和合亮一さん!!! 近日刊行・・・できるといいんだけ

2003年8月01日(金)
 ふと、8月に入ったのね・・・でも、関東以北はいまだ梅雨が明けません。もちろん涼しくていいのだけど、農家は不作だろうし、何しろ不景気をあおるだろうし。
 個人消費のレベルでは、少しだけ薄日が差している、というのは生活実感としてもなくはないのだけど、どんなもんでしょうか。政局がらみのお話が結構、出てきておりますが、菅さんと小沢さんの連合だって案外、今度はがんばるかも知れないし、私は必ずしも小泉絶対優勢とは思わない。
 週刊誌の扇情的見出しには、国家公務員を官舎から引きずり出し、賃下げし、年金を取り上げ、天下りをやめさせろ、というのがだんだん増えてきております。増税増税と掛け声ばかりの政府なり官僚なりに、だったらお前らも痛みを分担しろ、という話になるのは当然、その程度のリストラじゃなんの財源にもならないのは百も承知。そうじゃなくてあくまでも気持ちの問題、けじめの問題である。
 銀行員はけっこうたたかれて、かなり厳しいことになっている人も多いようで。で、国民の嫉妬は今は役人なり政治家なりに向かいつつあると思うのです。
 新聞の一面に、国民の意識調査で持ち家は一生の目標にあらず、という結果が出ておりました。しかし世代差が大きいようで、20、30代が特に家なんて要らない、と言っているとか。でもそれは要するに諦めた、仕事すらないのに家もないだろう、ということでしょうね。その一方で、土地を持っていると有利だ、という意識はむしろ強いともありました。だってやっぱり地主は強いモンなあ。してみると、安いマンションなんか買っても駄目で、土地つき一戸建てじゃないと意味無し、でも俺は一生かかっても買えないから諦めました、というのがこの調査の読み方なんだろうな。
 うちは金ないけど、家建てちゃいます。もう一階は出来てきたようで。だってこれ以上、賃貸住宅の家賃は払いたくないもの。社宅や官舎がある人はいい、私はもう都市公団に金をつぎこむのはご免であります。
 消費税が10%だのもっと上だのとなったら、家なんて買えませんよ本当に。5000万の家買ったら500万以上なんて払えるもんじゃない。

2003年7月30日(水)
 NHK教育をなにげなく見たら、突然新番組のアラビア語講座が始まった。考えてみればなんで今までなかったのでしょう? やはり需要が多かったんでしょうな、なんだか妙な時期に急遽、始まった感じですが。ちょっと見ただけでも二人称が「アンタ」だとか、初めて知ったことばかり。まるきり知らないのよね、普通の日本人にとっては。いいことだと思いますね、こういう講座を開始すること。
 とにかく日本にもたくさんアラブ系の人がいるのに、ただの一言も我々はしらないわけ。そんな状態なのになんだか知らないが自衛隊は行くわけだ。
 いや、前の続きになるけど、今回は今までのPKO派遣とは全く違うわけです。毎日のように戦死者が出ている。現地の新司令官、アビサイト大将が明言しております、「誰がなんと言おうと、これは戦争中である」と(前任フランクス大将はもともと嫌々、戦争をしていたので、今度は参謀総長になってくれ、とブッシュに頼まれたのに、そしてその椅子は陸軍軍人として最高の栄誉職なのに潔く辞退し、予備役に入りました)。
この「戦地」に、いやしくも戦士として、最初はアーミテージ流に言う「大リーグ」に参加するのも誇らしいというか、軍隊として一人前になった気がしていいものだろう。しかし、これまでせいぜい災害救助や治安出動つまり警察の助っ人仕事の訓練しかしていない自衛隊員が、たとえば救いようのない自爆テロでバンとやられて、現地の女子供も手脚ばらばらになって、友軍の米英の兵士が血まみれになって、みたいな修羅場になってくる、と。そして自分もどうなるか分からない、と。このとき、身の危険を感じた自衛隊の彼なり彼女は、日本国のために死ぬのでもなく、かつての日本軍の兵士のように天皇陛下の恩ために死ぬという景気付けもなく、よくよく考えれば小泉さんとブッシュと、せいぜい政府自民党の面子のために死ぬ、ということを肯定できるのか。それが武人の本懐なのか? その点が大いに疑問であります。
 アメリカの発表では30か国がイラクの再建支援に参加する、というのだけど、G7+1内では日本とイタリアと英国だけです。後は韓国を除けば、やたらと東欧、北欧の国が多く、これらはどっちかというと反露、反仏、反独感情が反米感情よりずっと強い国。これで大リーグなんだろうか?
 結論から言えば小泉さんの決断を国民は支持したのですから、ここは自衛隊員に「死んでもらう」しかありません。そしてわれわれその他の国民は高みの見物を決め込むのです。
 マイヤーズ統参議長によれば、上記30か国の兵力を合わせても3万人にすぎず、とてもアメリカ軍の「肩代わり」は出来ない。だからもっとあちこちの国を口説くのだとか。要は、アメリカ兵はもう戦後のテロで50人も死んでいる、代わってくれよ、お前らアメリカを支持しただろう? ということね。要するにアメリカ軍の代わりに死ぬ。行かされる部隊は本当に気の毒です。

2003年7月29日(火)
 ボブ・ホープが亡くなったそうですね。「腰抜け二挺拳銃」は小学生のころテレビで見て感激しました。ダイナ・ショアの歌う例の「バッテンボー」、それ以来、もう三十年近く見ていないけれど覚えています。恐らく、戦後すぐにあの映画を見て以来、六十年近く見ていない世代の人たちもそうなんでしょう。
 私たちのような今、30代後半の者が古い日本と後の世代をつなげる最後の世代だ、と私は常々主張しておりますが、こんなことでも納得いただけるのではないでしょうか。私の小学生時代にはこんな古い名画もテレビの通常の番組で見られました。今の若い連中は映画ひとつとってもせいぜい90年代以後のものしか見ていない。お気の毒であります。

2003年7月28日(月)
 自衛隊の恒久派遣法を作る動きがあると言い出しました。それはそれで、考え方としてありでしょう。なにかあるたびに、いい加減な特措法を作っても歯止めになるわけでもないし、ちゃんと法整備をするのはむしろいいことだと思う。しかしそんなことなら、やはり憲法改正をしてちゃんと自衛隊ではなく軍隊にして、行かされる人の身分保障をきちんとして行かしてあげるべきでは? 安全地域でなければ駄目、みたいなことを言えば今回のイラクは明らかに行けませんよ。はっきり言って戦死覚悟で行ってもらわないと、アーミテージ流に言えば、観客席から降りてきて、プレイヤーになった、でも珠が飛んでくるところは守れないのでバットボーイにしてください、ということでは通らないでしょう。
 非常に冷たい言い方ですが、国際貢献の出来る一人前の普通の国ということは、軍隊を出して、戦死者が出ることを前提とした国ですよ。もちろん、そのために軍人はすべて、死ぬ可能性を覚悟して入隊した人ばかりでないといけない。そしてそのリスクと引き換えに、戦前のように跋扈されてはかなわないけれど一定の尊敬を受ける立場にしてあげないといけない。天皇と結びつくことを憂える声は当然のように多いでしょうから、そこは明確に国民軍として組織するしかない。
 そういう前提をきちんと踏まえないで、現実には安定した公務員で、警察官や消防よりずっと安全だ、という前提で入隊している人もいるだろう状況で、なんとなく行かせるのがどうも気に入らない。それでいちいち素人の政治家どもが、持っていく武器まで口出しして、それで死んだりしたら本当に隊員は死に切れないのではないでしょうか。
 今の日本の国民性で、戦死を覚悟して入隊するものがどれだけいるのか、それで少子化が進む中で、一定の数の兵員を常に維持することが可能なのか、といった問題は当然に出てくるでしょう。
 それでも、もう憲法9条とか自衛隊という名前の詐欺行為を前提にするよりは、嘘のない条件を整備してもらいたいと私などは考えます。それで新日本軍の兵士がぜんぜん集まらない、ということになって徴兵制でも始まったころにはこちらももう40歳を過ぎているだろう。後は知らん。
若い連中にはまじめに考えてもらいたい。自分の問題なんだぞ。いつの間にか話が決まっていくのが日本なんだぞ。
もしそのような状況になったら、少なくとも国会議員は軍歴がない者はなれない、ということにするべきだろう。今のアメリカは兵役逃れの大統領が続いていて、それであんなに戦争を安易にやるのですな。
普通の国にしたければ、国会議員どもは全員、自分の子弟を軍に入れなさい。そのうえで覚悟を持って、普通の国にしたらいいんです。どうせあいつらはみんな逃げ回るんだろうけどね。

2003年7月27日(日)
 宮城で立て続けに大きな地震。被害甚大とのことです・・・またまたこちら、遥か遠方にある浦安の公団住宅も本震、余震のたびにミシミシと揺れております。一体どういう設計なのか、どういう地盤なのか不安になります。それはさておいて、震度6がこうも続くと現地の不安はいかばかりかと思いますが、一方で、この震度6という機械判定の数値が大きすぎないか、という話も出てきているようですね。
 阪神大震災のときに、体感でずいぶん小さな震度(それこそ震度6だったんじゃないですか)が発表されて、テレビで見ている他の地方の者は、それほど大きな地震ではない、というイメージを抱いた覚えがあります。それが徐々に発表される情報で、高速道路は倒れる、ビルは倒れる、家は軒並み倒れる、という大震災であることが分かり、日本中がにわかに動揺、のんびり構えていた村山首相も度を失って、あたふたするという感じでした。
 その反省から、体感式を機械式に改めたものの・・・ですね。最近はやたらと大きな震度、中規模の地震で震度6以上が出てしまう。今回も確かにかなりの震災だけど、ほとんどの家屋が倒壊するという震度6にはあたらないのではないか、と気象庁では言い始めたそうで。
 どうもこの議論に抜けているのが、阪神大震災以後の建築技術の向上だと思うのですが。以前ならこのぐらいの揺れで家がみんな倒れた、という場合にも、90年代後半以後に施工した家は耐えられるのではないかと思うのですが。「家の倒れ方」を震度の基準とするなら、以前より巨大な地震を震度6なり7なりで表示することになるのでは? 技術的なことはよく分かりませんが。

2003年7月25日(金)
 その瞬間、うちの会社の編集局も歓声に包まれましたよ。バルセロナの世界水泳、北島康介の200m平泳ぎ決勝。またしても世界新記録で金メダル。これは文句なしに立派。確かにオリンピックイヤーじゃないし、五輪本番となると雨後のたけのこのように世界中から新兵器が登場するので、先のことは分かりません。しかし、とにかくこれはすごい。私は球技などの集団スポーツや格闘技にはかなり冷淡ですが、こういうはっきりと結果が分かる競走ものは好きです。早いものが勝つ、ということにたとえば不公正な審判とか、人種がどうの応援がどうの、とくだらない要素が入る余地が少なく、明快であります。失敗を他人に責任転嫁できないのもいい。よーいドンでスタートして、早く着いた者が勝ち、という基本ルールには、たとえば「手でボールを持ってはいけない」とか「打ったら右に向かって走らなければならない」「面、胴、篭手を打った時のみ一本と判定する(剣道家には申しわけないけれど、実戦で真剣を扱えば、腕を切られようが足の裏を切られようが出血して戦えなくなり、敗北です)」というような人為的で根拠のない要素がなく、必然的で明瞭です。
 しかしあの暑苦しいF氏の実況はなんとかして欲しいな。駄弁はかなり減ったようにも思うけど。口からでまかせの速射トークもいい加減食傷。たまにはスタイル変えたらどうよ。すごく寡黙になってみるとか(無理か)。

2003年7月24日(木)
 ソニーの第1・四半期決算を発表しておりましたが、すごく悪いんですってねえ。なにが駄目といって、主力のエレクトロニクスが駄目なんだけど、さらにゲームが駄目、音楽も駄目なんですと(音楽にいたっては赤字とか)。 ゲーム、確かに駄目でしょう最近。ぜんぜんいいものが出てきていないもの。しかもPS2すら消化できていないのに、もう次のマシンスペック発表してるし。
 ネット型のオンラインゲームを次世代の主力と考える人が多いようだが、私などこれだけゲーム好きでもオンラインは興味がない。他人とかかわるのが嫌いでゲームをやる者が、なんで擬似的とはいえまた他人と一緒にやらねばならんの? こういうユーザーも多いと思いますけど。
 ゲームを作る人は勘違いしていると思うのだよね。いい物語を今日の水準の絵で見せてくれればいいの。いちばん大事なのは物語でありキャラクターなの。つまり普遍的な部分が一番大事なので、すごい仕掛けとか技術的なことじゃないのよ。斬新なシステムは確かに重要、しかし凝ったものである必要はない。発想が面白いものが欲しいんです。ゲームを作る側はちょっとユーザーが見えていないと思うのであります。

2003年7月23日(水)
 このサイトのライブ告知にもありますが、ライブ03の出演メンバーが固まりました。このサイト、一日当たりアクセス人数(ヒット件数ではありません)はすくないときで20人ほど、多い日は70人ぐらいの方が見ておりますが(カウンターは付けていないけれど、ちゃんとモニターはしております)、その半分は詩の関係に興味がおありの方と思います(あと半分は漫画に興味のある方でありましょう)。が、あえてすべての方に申し上げます、今年のライヴ03は豪華です!! 特に詩の朗読などに興味の薄い方こそおいでになっていただきたいです。地味な朗読会とは明らかに雰囲気が違いますから(このサイトの私の映像を見た人はお分かりですね。ほとんど音楽のライブすれすれの人も多いですよ)。
 野村喜和夫、城戸朱理の両先生は今日の詩界のトップリーダー。和合亮一さん、平居謙さん、伊武トーマさんらはまさに気鋭の有力者、注目の人々であり、ヤリタミサコさん、海埜今日子さんは東京ポエケットなども仕切るイベント系の大立者という側面もお持ちの大実力者、そのゲストでおいでになる予定のテーラー・ミニヨンさんはかの高田馬場ベンズ・カフェの英語ナイトのコーディネーターであります。
 誇張なく、今回の顔ぶれはすごいです、我ながら。今年の朗読会全体の中でも豪華なものの一つでありましょう。 と、すっかり主催者宣伝モードになってしまった(笑)。まあ、なかなかのイベントになってきましたので、お暇な方はぜひ。10月18日(土)です。

2003年7月22日(火)
 フセインのところの倅、ウダイとクサイが戦死したというんですが、なんのこっちゃ。ブッシュさんとしては、支持率低下を食い止める材料にしたいのだろうけど、私は正直なところ思った。「なんだ、本当にウダイもクサイもまだ生きていたのかよ」と。アメリカ軍の精密爆撃なんてなんの意味もなかったことになる。結局、関係ない民家やレストランをぶっ壊してただけ。フセイン以下、みんなピンピンしていたわけだ、戦闘終結宣言後も。今頃、この二人を倒したといって喜ぶのは、相当に間抜けた話に思われます。
 イラク国民には影響はあると思うけど。とにかくフセイン一族が健在ではどうにもならないわけ。ブッシュなんてしょせん選挙で選ばれる人。来年には首になるかもしれない。そうしたらあっさり米軍は手を引くかもしれない。するとたちまちバース党が帰ってくるかもしれない。そういうことを恐れているんだろう、国民はなかなかアメリカの占領当局に積極協力しないのですな。
 とにかく手を付けた以上、ちゃんと始末をつけてもらわないと、ブッシュ君には。

2003年7月21日(月)
 コンバット・チョロQをご存知だろうか。セブンイレブンの限定商品らしくて、模型専門店でも扱っていないから、近所にセレブンがないと入手困難です。が、これがいいんだなあ(笑)。かわいいのよ、本当に。T34,M4,W号H,ティーガーTの四種類。これがチョロQのころころまんまるなデフォルメを受けて実にかわいいのね。特にM4シャーマンは実車がかなりかわいい系なのではまっております。もちろんチョロQだからゼンマイ走行しますが、なぜか実車同様、T34とM4の動きがよく、ドイツ軍のはイマイチなのがご愛嬌です。
 しかし・・・・・・、なんか気圧のせいか曇天続きのためか、眠いですなあ。梅雨に入ったころにも、毎日毎日眠くて、ということがありました。あの日、よそさまのサイトを見ても、掲示板や日記に「眠い」と書いている方多数。梅雨はいつ明けるのか。九州は大変なことになっているそうですが、そろそろ首都圏の電力不足もなんとかなりそうだから、梅雨はおしまいに願いたいものです。

2003年7月20日(日)
 なんとなくテレビを見たら、12チャンネルで「ジミー・ペイジが語る天国への階段」なんて番組をやっていました。なかなか良かったですね、といいますか、あのころのハードロックを同時代音楽として聴けたぎりぎり最後の世代である自分が幸せだった、と再認識しました。どうも90年代以後の音楽は合わないんですよ、私には。なによりジャンルが細分化しすぎです。おまけに若い日本の音楽ファンが明らかに不勉強。音楽なんて勉強して聞くもんじゃない、という人があるでしょうが、それは文学なんかでも同じで最低、同じ土俵にのるための基礎教養がないと。ジミー・ペイジも「レッド・ツェッペリンはルックスばかり書き立てられた。音楽のことなどなかなか理解されなかった」と嘆いておりました。それが「天国への階段」で評価が大きく変わるんですな。作曲面ではクラシックの影響、作詞面ではケルトの伝承の色が濃いわけです。
 で、その番組が終わってからなにげなくNHKを入れると、懐かしい番組をやっていた。NHKアーカイブスという過去の名作をリバイバルするコーナーですね。で、1979年放送のNHK特集「戒厳令2.26事件−交信を傍受せよ」をやっておりました。この番組、私はまだ小学生だったと思うのですが、見て強い印象を覚えました。それが24年ぶりに放映されておりました。語り手が三国一郎だったことはこれで思い出しました。
それで何より出てくる人たちが2.26の時点で戒厳司令部の将校だったり、反乱軍の兵士だったり、料亭の電話交換手だったりしまして、いずれもまだせいぜい60代から70なんですな。元高級将校などでも80代。つまり生きた証言者がたくさん出てくるんです。そのことに驚いてしまった。今、あの時点でインタビューを受けている人はもう生きていない方、生きていてもテレビで証言するのはつらい方、が多いでしょう。ある反乱兵士の説得に当たった中尉(その後、戦死)の奥様が出てきて、「説得された下士官の方はその後、お元気なんですか」とごく当たり前のようにNHKの記者に聞いていました。ね、つい20年ほど前だと、旧軍人の未亡人が60代で、「下士官」というのが伍長、軍曹を指す言葉であることを当然の常識としていた。この世代は、もちろん戦艦と軍艦とか、戦闘機と軍用機の違いなどもちゃんと認識していた。当たり前ですな。この世代が「いまどきの若い者は」といっても説得力もあった。
80年代を経て、90年代になって急になにもかも分からなくなったのですな。今、私の親は60代半ばですが、あの戦争についてもうなにも責任持って証言できません。せいぜい空襲の火を見たとか、そんな記憶だけです。
ということで、今回は、2.26事件についてではなくて、むしろ、この20年間の変化について考えささせられました。

2003年7月19日(金)
 長崎の幼児殺害事件で、少年法の適用年齢引き下げ問題がまた取りざたされております。鴻池大臣の打ち首発言はむしろ一般の人は肯定的に聞きました。週刊誌などみな、暴言だけどむしろ支持する、というような書き方をしておりました。
 幼児の性器を鋏で切ってたんですってね。やはりこの少年は性衝動の持って行き方を分からなかったんですな。おおむね、男の子の方が奥手であるのは、女の子は自分の女性器を思春期・初潮と共に理解するし、男性器のほうもまあ、パパがお風呂に入るときなどにぶらぶらしているのを見て、知っているわけです。男の子の方は、「ママ、見せてよ」などと言う訳がないから、一般に「女性のあそこの謎」を知る、具体的にどうやったら性交できるのかを理解できるのは、早くとも中学後半じゃないでしょうか(ただしインターネット時代なのでいまどきは早い子は早いでしょうが)。少なくともこの犯人少年は性衝動はあったけど具体的な解消イメージがなくて、結局、自分と同じ性器を持った男の子に向かったんだわな。それは本当の同性愛というのとはちょっと違うんでしょう。また大人になってもショタコンな人は、そういうイメージから大人になっても逃れられないんでしょう。
 私はぜんぜん理解できない、ということはないですよ。同じようなイメージを抱いた時期があるから。しかし実際にああいう馬鹿なことをしでかすについては、やはり親が重要です。はっきり言って親が非常に悪いです。この少年が特別な変態でこれはレアケースである、という方向で世間的には話をまとめようとしているようですが、私はどちらかというと与しません。案外ありがちな事例だと思います。未熟な親に、早熟だけど未熟という、バランスの悪い子供の組み合わせだと、出てくると思う。酒鬼薔薇事件とやはり似ておりますね。
 少年法についても、レアケースとしてそこまで話を広げない、という態度が一般的のようですが、私は上記のような態度なので、少年法の年齢制限撤廃、犯した罪によりどんな厳罰もかせるようにしたほうがいいのだと思います。これは犯罪抑止の観点などではありません。なにかと人権派は「厳罰で抑止は出来ない」といい社会的対応を求めます。しかし一般の人は抑止などできないと思っているのでは。実際、できませんよ。そうではなくて、厳罰により被害者の無念を晴らす、応報刑、目には目を、歯に歯をというハムラビ法典の世界に戻るべし、という感覚が強いのだと思う。
 結局近代刑法は犯罪者を甘やかすばかりで、いちばん合理的な刑法は、やったことをやりかえされるバビロニアの法だった、という考え方は野蛮なのでしょうか。
 今回も、少年もしくは少年の親を裸にし、性器を傷つけ、ビルから落とせばいいのです。ようやく反省するでしょうよ、自分のこととして。人間はやられてみないと決して相手のことなど理解できないモンです。おろかな生物なんですよ。

2003年7月18日(金)
 木島始さんや佐川亜紀さんによる労作反戦詩集「アンデパンダン詩集」(創風社)が届きました。これはいいタイミングで出ましたよ。はっきり言って、企画はちょっと遅かった。もう戦争に突入するかしないか、という感じのときだった。だけど遅れ気味だったおかげでかえって今、出たわけです。
 本当にあの戦争に疑義を抱くものは今こそ、ブッシュ政権とか、彼に従う小泉政権の方針にものを言うべきだからです。あの開戦前にいくらプラカードを掲げて戦争反対と唱えても、絶対に開戦は防げない。しかし、今のように、戦争の中身が徐々に明らかになり、情報操作の実態やらが暴かれだし、さらに実は泥沼化は「戦闘終結宣言」以後に姿を現し、しかし日本の一般国民の関心はとっくに薄れている、で、それをいいことに、なんとなくまたいい加減に自衛隊を出しておこう、という話になる・・・・・・というような時にこそ、「あれはなんだったんだよ」と言うべきなんですよ。
 イラク戦争の開戦前に書かれた作品が多いのだろう、今読むといまいちピントが合っていません、いくつかの作品は。また情報不足からか、評論家的な、新聞の社説みたいな作品もあるようです。しかしそのへんの弱点はあるにしても、きらきら光る作品があります。
 前にも書きましたが、ブッシュ米大統領の支持率が急降下しておりまして、9.11テロ以前の水準になってしまったとか。アメリカ兵の死傷相次ぎ泥沼化するバグダッド、毎月39億ドルもかかり続ける戦費、そして2年かかるか3年かかるか先の見えない状況。なんでイラクに手を出したんだよ、と今頃になってさすがの米国民も悟り始めたところに、イラクがニジェールからウランを買おうとしていたという話が嘘だった、というのが出てきて、あまりにも国民とか世界を小馬鹿にして、何事も勝てば官軍、なにをやっても大丈夫と過信したブッシュ政権も揺らぎ始めた様子。圧倒的な集金力を持つブッシュといえども、急に大統領選の行方が安泰とは言えなくなって参りました。
 結局、もともと疑惑の就任劇を演じたブッシュ君、人気がなかったのにテロと戦争で支持率を押し上げてもらっていた。つまり戦争ボーナスだったのですね。で、味を占めてしまってイラクもたたいてみたんですな。しかし思ったようにはいかなかった。それに戦争人気なんてものは、あくまで一時的なもの。親父さんのブッシュ氏もそれでしくじった。ここにクリントンみたいな清新なイメージの若手が出てきたら、親子二代で戦争ボーナス大統領の失脚、という感じになりかねません。いい気味だけどね。
そういえば、日本の小泉君も北朝鮮、イラク問題などの「外交ボーナス」が尽きてきたと思うんですが、どうでありましょう。彼が支持率を持ちこたえている理由は一つしかなくて、あれだけ経済失政していても「ほかの政治家よりはましなようだから」というんですな。ただそれだけ。しかし「ほかに代わりがないから」というのはいかがなものかなあ。小泉さんだって全くダークホースだったのに急に出てきたわけでしょう。YKKと言っても、実際には一番、首相になんかなりそうにない人材だった。あの世代では、加藤氏がなんといっても総裁候補。その「宏池会のプリンス」がいまでは国会議員ですらなく、なぜか「変人」小泉さんがやっているわけで、まあやらせてみれば誰でもできるわけよ、本当は首相なんて(笑)。どうしても出来ないほど駄目な人は森さんぐらい(苦笑)。従って「ほかに代わりがいない」というのは、うまく騙されている発想じゃないかと思いますね。
 これだけどんどん増税する首相を支持しているのは、皆さんよほどお金持ちなのか。しかも改革なんて絶対に進まない(もともと優秀な人材だけはそろっている官僚を押さえることなど、あの凡たれ首相にできるわけもない。表面だけはいかに変えようと絶対に本質は変えない、そういうすり替えに明敏優秀な頭脳と精力をすべて使い果たすのが官僚という集団でありますよ)、どうも私には分からないナア・・・・・・。
 アメリカのようにリーダーが変わるたびに全官僚がすげ代わる(だからあのクニでは役人なんて落ちこぼれか物好きがやる仕事)、ということにでもしない限り、明治以来の官僚帝国が変わるわけがない。マッカーサーもなぜかここだけよう手をつけなかった。面倒だったのか、役人=駄目な人という国柄のアメリカ人には理解できなかったのか。軍人と財閥だけ始末すれば変わると思ったんだが、ダメなんですな。結局、本丸に手をつけなかったも同然なのよ。今後もまず、変わることはないでしょうよ。だって誰も本気でどうこうしようなどと思っていないでしょう? 本当はみんな変化が嫌いだもんね。じっとしてるのが好きなんだもんね。誰かが痛むなり苦労するなりすればいい、俺はいやだ、というのがみんなの本音だもんね。もちろん私もそうです。
 しかし今週の週刊誌の記事にある、議員の運転手の年収が900万円以上とか、区立中学の夜間警備員の年収が1000万とか・・・・・・、つまりおいしい思いをしているのは「高級官僚」だけじゃないんだから。「庶民」側にも特権享受者がいるわけだから。もちろん待遇がいい大企業の社員だって、そういう仕組みの中に入っているわけだ。だから私もそういう分類なら守旧派ですよ、つまり。
 権力と庶民というような構図で物言う人は、その辺の人間、自分の近所の人間にもたくさん既得権を持っている人がいることを忘れちゃいけない。恵まれているお年寄りだって明らかに既得権を持っている。「権力の陰謀」と書き立てる新聞社のにんげんも大いに持っている。
 国が滅んでも自分だけは恵まれていたい。それが本音です。違うのか? で、小泉さんとしては痛めるなら弱いところから、ですな。自分が助かればいいんです。弱い人が首くくればいいんだ。
 ということなら、みんなイタリア人みたいになりましょうよ。国はへぼへぼでも自分は豊か、というふうに割り切ってもっともっとクニを食い物にしましょう。
 とっくにこのクニは倒産しとるんですから。

2003年7月19日(木)
 辻元清美さんが久しぶりに話題に。事情聴取を受けたそうですね。検察としては「おい、ぜんぜん疑いが晴れた訳じゃないからな。勘違いして選挙になんか出るなよ」というけん制というか威嚇という性格もあるのじゃないですか。
 「辻元」姓で唯一の著名人である彼女は、恐らく少しさかのぼれば私とも親戚なのじゃないかと思います。そのぐらい珍しい苗字なので。兵庫県のある地域がひと村全部「辻元」でして、一族の出はみなそこだと思う。思想信条的にはまったく気に入らないながら、一時は活躍を期待しておりました。しかし北朝鮮がらみの問題もあるから、たたかれないうちに秘書給与疑惑でバッジをはずしてよかったのではないかな。もう「先生」などと呼ばれようと望む必要はないだろうに。
 私が大学に入ったのが、ちょうど彼女が卒業したときで、教授から「君は清美さんの弟さんですか」と真顔で尋ねられました。すでにピースボートやらでかなり有名だったんですな。しかし田舎出の新入生にまで知れ渡っていたわけでもなく、その後、だんだんどういう人物か分かってきた・・・・・・・、その、学生で億単位の金を動かしてピースボート、というあたりから、今となってはやはり尋常でないというか、まともじゃない点があったと思われても仕方がない。自民党を攻撃するときには歯切れがいい人だったけど、社民党と自分の、北朝鮮とのかかわりをはっきりさせない限り、二度と公職につこうとか、教壇に立とうなどとは思わないほうがいいと思います。そういう資格は、はっきり言ってない。
 今後、「辻元先生」は私だけでいいです、引っ込んでなさい(笑)。

2003年7月16日(水)
 またまた熊ネタで恐縮ですが、ハーマン社(緑)の「バッハ・テディベア」を注文してしまった。が、手元に届くのは8週間も後である。なぜならオーダーを受けてから、製作するためなのですね。それがドイツから英国経由で日本にきて、やっと届くのだと言います。時間がかかるわけだ。で、「バッハとはナンなの?」とお思いの方も多いでしょう、詳しくは輸入代理店である英國屋のホームページを見ていただけば分かりますが、作曲家J.Sバッハのような服装で、カールのかかった銀髪のカツラをかぶり、五線譜に向かってペンで作曲しているという随分と変わった…まあ、コスプレ熊ですな。ほかにも「モーツァルト・ベア」だの「シューベルト・ベア」「チャイコフスキー・ベア」だの。音楽家以外にも「レオナルド・ダ・ヴィンチ」とか「コロンブス」「シーザー」なんてのもありますようで。で、説明書には「当社は玩具メーカーですが、子ども向きのおもちゃは作りません」などとドイツ語で書いてありまして、実に個性的であります。
 しかし「ルートヴィヒ2世ベア」はあるのに「ワーグナー・ベア」はなく、また「ナポレオン」「カイゼル・ヴィルヘルム」もなく、「アレクサンダー」はひょっとしたらいずれ出るのかもしれないけれど、「ヒトラー・ベア」はもちろんありません(あるわけないわな)。「ロンメル・ベア」なんてのはダメかな。ドイツのメーカーとしてはいろいろ差し障りがありそうですが。
 日本物ではなぜか着物着込んだ「ゲイシャ・ベア」と、「愛子様ベア」があります。ここはひとつ「武将ベア」「忍者ベア」「五月人形ベア」「おひな様ベア」などと出してくれんものか。きっと受けると思うんですけどねえ。
 なんにしろ、強豪シュタイフの向こうを張って1世紀近く、熊一筋で勝負しているハーマン社、きっと小さい会社なんでしょうなあ、家内制手工業な感じで。しかしあふれるようなオリジナリティーには脱帽するばかりであります。

2003年7月15日(火)
 高校野球の地方予選が始まっている。先週末あたりからあちこちで、9人しかいなくて30年も勝ったことがない学校とか、常勝でほとんどセミプロ学校とか、いろいろなチームが同じ土俵で戦い、29−0のコールド試合なんて滑稽なことをやっている。滑稽なこと、などと書くと「3年間の汗と涙の青春を愚弄するのか」と頭の固い人が言うかもしれない。愚弄はしない。ただ苦労が報われないなど人生の茶飯事であって、野球少年のみがことさら報われない青春を送るわけではない、と言いたいだけだ。
 一日に30試合も40試合もある県は、いっそのこと1回戦はくじ引きにしてはどうよ。で、どんな強いチームもくじに負けたらおしまい。来年までサヨウナラ、というのは。くじを引いた主将は自決して詫びるかもしれない(大げさな)。
 こんなあほな事を書く私は、職業柄、野球とかかわりのある新聞社の者で、ただし高校野球に関しては主催社ではないほうの会社ですけど、日々、野球報道に接していて、もちろん商売としてはこれでいいんですけど、感動などはしない。はっきり言おう、アンチジャイアンツなんて人種はナンセンスである、あえて言って私はアンチ野球ですらなく、極論すればアンチスポーツに近い。全く共感を覚えないのだ、スポーツという、ルールに従って勝った、負けたという世界が。
 もっとも見世物としてのスポーツはそれなりに面白いけど、確かに。それはしかし世界レベル、オリンピックとかウィンブルドンとか、W杯に限る。そのへんの野球なんかにはたいていの場合、なにも感じない(稀にいい試合と感じるときもあるので、理解できない人間、というわけではない)。
 とにかく子供のころからルールとか、集団生活とかいうのが嫌いであった。しかし在るころから気がついた。自分がルールを作り、人に守らせる側に立つなら、気分がいいことに。だから中学生ごろからは一転して、生徒会長などを歴任するようになった。
 やはりこれは危険人物だったんじゃないのか、と我ながら思う。 

2003年7月13日(日)
 ワシントン・ポストによれば、ブッシュの支持率がじりじり下がっているそうな。このままいくと、お父さんと同じことになりかねない。戦争で勝って選挙で負ける。さすがにイラクの泥沼で米兵が毎日のように死傷していることにいらだち始めたらしいし、例の大量破壊兵器問題も、CIAがガセネタ流してた件で嫌な感じだし。支持が80%もあったのが60%を切ったとか。
 経済動向も決していいとは言えない。特に失業率だ。ブレアもばんばん叩かれておりまして、ひょっとして一番安泰なのは小泉なのか? なんなんだ日本人?
 長崎の幼児の事件で、もうひとつ思った。被害者はとても活発で人懐こくて、周囲から愛される児童だったそうだ。しかしもし私が同級生だったら、一番、苦手としたタイプだろう。そういう「人気者」が大嫌いだったのだ。私は気難しくて怒りっぽくて泣き虫で、集団を軽蔑し、いつも仲間を拒絶する子供であったので、先生から見れば扱いにくい子供だったはずだ(実際、散々、そんな批評を言われたものだ)。もっとも中には私をうまく扱える教師もいた。私は嫌な子供だったので、自分をうまく扱えない教師を能力不足の教師とみなして密かに軽蔑した。
 幼稚園では、何かの催しで父兄が手を繋いで橋を作り、その上を子供が鯉のように渡っていく、というのがあった。みんな喜んで大人の腕にゆだねられ、きゃっきゃと歓声をあげていたが、私は一人、泣き叫んで拒否した。絶対に其れには乗らない、と。親は泣き虫の子供に失望した。失笑を買っただろう。だが私には明確な論理があった。あのときのことははっきり覚えているし、感情も記憶している。ただ、説明する言葉を持たなかっただけだ。
 私は、大人たちを信用していなかったのである。誰かがちょっとでも手を離せば墜落する、そのことが恐ろしかったのだ。そして事故は常にありうる。おまけに、まったくリハーサルもしないでぶっつけで大人どもはやっている。私はどうしてもその不用意さが信用ならなかったのだ。
 その後、小学生に上がって、転校を何回も繰り返したが、母親の言うには、転校初日、まだ母親が教室にいる間に、もう私は見も知らない現地の子供、それも一番強そうな相手と喧嘩をしていたそうで、親としてはらはらしていたそうである。が、ある出来た中年の男性教師は「あれは気が強いから威嚇しているんです、大丈夫ですよ」と解説したとか。
 実際、最初がきわめて重要である。方言を覚え、現地なりのルール(実際、じゃんけんの仕方すら地方で違う、よそ者はそこから覚えなくてはならない)を把握する。
しかし、ある学校ではうまくやれなかった。転校するまでの間、いじめられもしたが、激しく反撃もする、という苦い日々が続いた。それでも私は不登校になどならなかったし、意地を張り通した。不思議なもので、あんなに反発していた連中が、私が半年もしないうちに転校すると決まると、うって変わって優しくなり、最後は泣いて送ってくれた。思うに、連中なりにいかに私が厳しい環境で小学生をやっているのか、に思い至って同情もしたろうし、またたったこれだけの間しかいられない者を排除しようとした、自分らの尻のアナの小ささ、排他性を恥ずかしくも思ったのだろうと思う。
 それで、私は思った。感動したのではない。しょせん、人など信用できない、と思ったのだ。こんなにも簡単に変心する油断のならない生き物だ、と。後になって太宰治の「走れメロス」を読んで、幼稚な話と鼻白んだ(もっとも太宰としては珍しい作品なのだとこれも後に了解した)。人間不信の国王ディオニソスにもっとも共感を覚えた。だが、国語の授業では馬鹿げた設問ばかり。私は小学生ごろまで国語の授業が大嫌いだった。愚問が多いからであり、程度が低すぎるからだ。既にドストエフスキーとかゴーゴリとか森鴎外をかじり始めていた者に、「大造じいさんとがん」では物足りないわけだった。
 ということで、子供を早く大人びさせたければ、転校を半年おきぐらいにさせるといいよ。瞬く間に老獪といってもいいような嫌な子供になる。経験者は語るのである。
で、私なら決して、「ついておいで」と中学生のお兄ちゃんに言われても、ついて行かなかっただろう。

2003年7月12日(土)
 その長崎の怖い中学生というの、話題になってますが、鴻池大臣「親は市中引き回しの上、打ち首」だって、笑えた。もちろん公職にある人が言っちゃいけません。それじゃ普通のオヤジの感想でんがな。
 成績はそこそこいい生徒だったんでしょ? 定期試験で500点中460点台、学年9位とか。何人いる学校かしらないけど、まあまあよね。公立中学校の学年9位なんて長い目で見ればなんでもないけど(たとえばうちの会社なんて見渡せば、小中学校の首席ばっかり。二十歳過ぎればみんな平凡な人。どうってことないわけですな)、少なくとも頭が悪いやつじゃない。酒鬼薔薇と同じよ。頭でっかちなんだ。特に二人とも文系の秀才だったじゃない。こういう連中、走りやすいのよね、性衝動でこういう陰湿な方向に。つまり変態性欲ですよ。佐賀のバスジャックの少年やら、愛知県の主婦殺しの少年やらも成績は良かったでしょう、そういえば。
実のところ、私も小・中学生ぐらいの自分を省みて、通じる部分もないではない。文系で成績まあまあ、というなら私もそうでしたし。はっきり言いまして、サディスティックな妄想自体はけっこう、あったです、私にも。でも、そこで一線越えるのと越えないのじゃ大違い。なんであいつらは越えたのか。はっきり言わしてもらって、うちはやはり親がきちんと私を見ていた。中学生なんて一番危ないからねえ。大人が監視しないと、特になまじ頭でっかちなヤツが危ないですって。性衝動が走ると同級生の女生徒と堂々と不純異性行為に及ぶような、手っ取り早くセックスに走る生徒の方が明らかに健全なのよ。こっちは妊娠したりすると問題なんだけど、しかし考えても見れば、異性とちゃんとコミュニケートできるという点は優れているんだし、それに殺人をやられるより百億倍もいいでしょう?
 ということで、無免許でバイク乗って族の舎弟になってたり、麻薬売買する生徒はもちろん監視が要るんだけど、しかしこと変態性欲とか変態殺人ということなら、ペーパーテストが優秀な生徒ほど監視したほうがいいですよ。犯罪をやるときも知能犯になりがちで、悪質化します。そもそも変態性欲なんて知能が高い人にこそ起きるわけで。妄想が起きやすいというのは頭使ってる証拠です。
 あとねえ、子供の監視という事で言うと、3、4歳の子供を持つ親、手を離しすぎ! 今度の被害者の親御さんには酷ですが、一般論としていえば、近頃の日本の親、子供をほっときすぎです。スーパーなんかで3,4歳から小学生ぐらいの子供が暴れ放題。先日など、倒れて頭から出血してるのに両親がぼーっとしている、という風景に出会いました。子供がどんどん離れて行ってるのに、親は知らん顔で携帯電話を眺めている、という図があまりにも多いです。あの事件以後、そういう目で見たら、簡単に誘拐できそうな子供ばっかり。だって親はいてもいないのと同じだもの。
 子供なんて面倒くさい、自分の時間が欲しいんだモノ、というんでしょ? だったら子供作るなよ、そんな無責任なら。うちは作らないよ、だから。自信がないから作らないのだ。うちは二人ともものすごいエゴイストである。特に私は自分の中に潜む酷薄さや苛烈さを密かに自分で恐れている。要は円満さがきわめて乏しい人格なのだ。一日に二、三度は爆発的に怒りが噴きあがる。そりゃもう自分でも止めようがないほど激しい衝動だ。もし仮に私が大詩人となったなら、後世の人はさぞかし文豪・辻元は変態だったとか神経症だったとか器質異常だったとか、適当な病理学的研究をするだろう。実際、漱石は躁鬱だの、ドストエフスキーは癲癇だの、ヒトラーは梅毒だの、となんでも病名をつけて片付けてしまうと、どんな人物のどんな人生も判った気になる。もちろん躁鬱の人がみな漱石になれるなら、梅毒の人がみなヒトラーになるなら、話しは簡単である。と、いささか脱線した。そんなことで、私は子供の人生の責任を負う自信がない。かわいがる対象ならクマのぬいぐるみで十分である。ぬいぐるみなら切り刻もうと叩き壊そうと、罪に問われない。なくなったら代わりを買えばよい。
とにかく、子供は愛玩動物じゃないんだからな。責任が取れないのなら、作るな。

2003年7月11日(金)
 今日は新居の着工日であって、視察に行きました。うんうん・・・・・・・狭いよなあ、正直。ま、街の真ん中で豪邸は買えませんよ、私には。
 今いる公団住宅の周辺、一晩中、猫が鳴いている。うるせんだよ、馬鹿やろお。さかりがついているんだろうねえ。でも、要するに捨て猫が多いわけですよ。かわいそうといえばかわいそう。ではあるんだが、人間の、子供の泣き声に似ているんだよね、さかりの猫は。「おわあ、おわあ、このうちの子供は病気です」なんて文芸なこと言ってると本当にうるせんだ、おめえら。今に怖い中学生に殺されちゃうぞ。

2003年7月10日(木)
 何ていってたら、さっそく株価が低落。アホが。やっぱいい加減なんじゃないか。
 日本人の平均寿命がまた伸びたそうで、ほぼ80歳が当たり前、女性に関してはかなりの割合が90近くまで生きるとさ。男性が短いのは自殺が多いからだと。おいおい・・・。小泉増税花盛りの昨今、定年以後の実に30年近くを幸せに過ごせるものか、それともひたすら貧乏に耐えながら死ぬまで節約、節約と唱えながら過ごすのか。くそおもしろくもない。
 おもしろくないので、心を和ませようと思いまして・・・・・・、唐突ですがテディーベアを買いました(笑)。フツー、買うか?
日ごろ戦車だミサイルだと物騒なことばかり言って、政治やら経済やらに文句並べておいて、しかし平然と私・辻元はテディーベアに心の平安を見出すのであります。ショップチャンネルというのがあるでしょう? あれでドイツの名門ハーマン(ヘルマン)社のクマのぬいぐるみを見てしまった。かわいいチワワ見てサラ金に金借りたくなる親父、というCMが流行りましたが、私も奥さんと番組見ていて、欲しくなっちまった。かわいいんだもんな。いや、ホント。で、注文したのが届きました。スターチャイルド・ベアと英女王戴冠ベアというの。いやあ、かわいいです(なんか馬鹿?)。
 調べたところ、商品としてのぬいぐるみというのはドイツのシュタイフが発明したモンで、これとハーマン(緑)、ハーマン(赤)がドイツのテディベア老舗の御三家らしい。アンティークとしての値打ちはなんといっても第一次大戦前のシュタイフらしいんですが、ハーマン(緑)・・・ああ、ハーマンは緑の商標を使う会社と、赤い商標を使う会社と、二社に分家しているみたいですな、で、うちで買ったのは緑です。この緑ハーマンは明らかに他社と比べて、顔が違う、かわいいのよ全然。だからアンティーク狙いじゃない、新作のコレクターだとハーマン(緑)の熱烈なファンが多いそうな。
 なんかはまるかも。また金がかかるよ、こんな趣味増やすと。しかしなあ・・・、家の中には戦車や戦闘機の模型、軍装品やモデルガンがごろごろしてるのに、一緒にぬいぐるみが飾ってあるわけ。というか、うちはそもそもかなりぬいぐるみのたぐい、多いんですよ。妻が大量に持ち込んだというのがあり、私もキャラものやぬいぐるみ、かなり好きなんで、実は。辻元めにハードロックと、身もふたもないエッセイと、殺伐とした軍事ネタ、というイメージを持っている人は、修正するように。そもそもテディ・ベアとはセオドア・ルーズベルトがクマのぬいぐるみでイメージ戦略を変えたのが始まりなわけです。ハーマン(緑)社は今後、辻ベアなり佳史ベアなり名乗ってよろしい、余がさし許すぞよ(よろしいったって・・・)。

2003年7月09日(水)
 まことに解せない。株価が上昇して1万円を挟む局面だそうです。それは話としてはいい話だろう。が、うちの場合、話ではすまないんです! 当然、連動して債券市場が下落してまして国債の時価が低下、なもんで長期金利がじりじり上がっていく傾向! おいおい、もうすぐうちは家買うんだぞ、その時だけ金利が上がってしまったら誰が責任取るんだ、おい小泉ッ!! お前の人気取りでブッシュに頼んで株価上げてもらってるんなら、いい加減にしないと俺は本当に怒るからな。竹中、おめえもだよおお。日本経済、確かに我慢も限界で少し消費しようという機運はあると思う。それは間違いない。しかしこんなにどんどん株価が回復するのが自然な動きと誰が思う? こんなのはプチバブルだろうが。確実にこれで金利は上がってしまうのだぞ。経済が回復しているならいいんです、どうせまやかしだもの。それで金利だけ上がったのではたまったもんじゃない。銀行は金利見直し、公庫金利も見直しだそうである。 馬鹿じゃないの? 増税、増税のご時世にいくらか割安感があるのは家ぐらいなんだよ。ここも塞いだらおしまいだぞ、小泉よ。

2003年7月08日(火)
 すごい唐突な話題。ジュネ(JUNE)って漫画の分野、ご存知ですか? 当サイトをご覧の方の中で、同人漫画系の人はご存知ですね、でもそうじゃない方はよくご存知じゃないかも。これは男性同性愛をテーマにした漫画のジャンルでして、JUNEという商業誌を中心に発展しているのでジュネ系などと称されるんです。で、これのファンというか支持者はみな女性なのね。本物の男性の同性愛者じゃなくて。というかものすごく漫画の内容に、本物の人は違和感を覚えるらしいんですの(笑)。
 だいたい、美少年が「耽美に」(苦笑)いたぶられる内容なんだな。で、まったく男性の身として理解できないんだが、まったくそれまでその気がなかった少年が、同性にお尻を触られただけで「感じる」といった描写がえんえんと続く(もう苦笑の連続)。
 要はあくまで、「美少年」は実は読み手の女性の仮託というか分身なんですね、あれは。つまり本当は自分が女性の身でHなことしたいのだけど、それはなにかアカラサマでフシダラなので、男性の同性愛の話に仮託してるんだよな。ストレートじゃないんだねえ、女心は難しい。本物の男の汗臭さ、毛の濃さ、髭の毛根の痛さ、筋肉の強力さ・・・これらを度外視した去勢されきったような「美少年」(本当は女性の読み手の分身)。真性のホモの人はむしろ汗臭くて筋肉が強くて毛が濃くて髭がじゃりじゃりいう男に惚れるんだものね。これはやっぱり女の人のための漫画なんだなあ。これが人気が高いんですけどね、結構。でも、実際には抑圧の強い日本の女性専用なのじゃないか、とふと思うこのごろ。

2003年7月07日(月)
 七夕はいつも雨ですなあ。お互いにもう飽きたのか、牽牛と彦星。不倫でもしてるんだろうかね、お互いに。
ところで突然ですが、藤原紀香って、一時「天下人」だったのにどんどん駄目になってきてません? どうでもいい話ですが。世紀の変わり目ごろには女王でしたよね? でももう32歳なんだって。つまり案外、有名になったのは遅かった。本当にどうでもいいことですが彼女、意外に顔が大きいんじゃない? スタイルがいい、ということばかり言われるけど、顔でかいですよ。声も爽やかじゃないなあ、意外に。あと関西弁の関西のりもあまりよくないかも。ゴージャス系のイメージだったのに、急に阪神ローカルな感じになる。
 という話から変わって、阪神優勝による経済効果、とか言いはじめましたが(どういう展開や)、もちろん大阪周辺ではあるでしょう。しかし国全体にならすと、逆に落ち込む地域もあるわけだから、なんとも言えないでしょう。巨人ファンは怒ってもの買わないわけだから。ただ太田大阪府知事に拠れば、前の阪神優勝(私が大学1年生。あれからずいぶんたったなあ)が85年で、その後バブル到来。今度もバブルがいいかどうか分からないけど、景気浮揚の前触れかも、などと解説していた・・・。案外にこういうのは当たるかも知れない。それはそれでめでたい事。だがなぜか株価は上がるし、国債は下落するしで、長期金利が上がっております。これから家買おうと思ってるんだぜ、うちは。なんとかしてくれ!!!
 これからどんどん増税するし、特に消費税は少なくとも数年後に10%でしょ、で、金利が上がるし、ということならやはり今年は家などを買うには最後の機会なのかも。いちおう自分に都合の良いように考えますけど。

2003年7月06日(日)
 明日は七夕なんですなあ・・・いやあ、特になんにもしませんが。それにしてもバグダッドは泥沼です。またアメリカ兵とイギリス人記者がやられたらしい。山崎正和に拠れば、イラク国民の多くはフセインもアメリカも関係なくとにかく傍観、自分で自分の国を良くしよう、などとはぜんぜん思っていないとか。近代的市民社会をまったく経験していない国民ですからねえ。昔の日本はまがりなりにも議会もあったし、そもそもアメリカ文化への理解や憧れもあった社会だった。天皇制を存続させたこともあの時点で間違いなくうまくいった要因で、戦前と戦後の連続性を心理面で失わないですんだ。イラクとはぜんぜん違うでしょう。モデルケースにはならない。
 テレビで全英チャートを何気なく見ていたらアニー・レノックスというのが5位で出てきた。ユーリズミックスの人じゃない? まだやってるんですねえ。全英チャートは全米より面白い、昔からそう。アメリカ人には分からないだろう、という曲がどんどん出てきます。1位のエヴァネッセンスなんてのも、すごく重い感じ。小生らヘヴィメタ世代には受け入れやすい曲調。いいです。私はファンキーなグルーヴが音楽に入ってきたあたりから嫌になってきたんですが(なんていうとジミ・ヘンドリクスからして既に若干駄目じゃない)、どうもノリだけで推していくような曲作りが嫌いなんだなあ・・・。きちんと組み立てた音楽が好きなの。つまり案外、どれだけブラックな感覚が流れ込んできても、クラシックの正統の流れを気にしている解釈なんですね。で、イギリス人のチャートにもそういう傾向があるんですよね、明らかに。アメリカ追随はブレアさん個人の趣味ということか。
 大量破壊兵器はなぜ出てこないのか。それはブッシュとかラムズフェルドがCIAや軍部、特に陸軍と仲たがいしてるから、という話あり。全然一枚岩じゃないんだって。そのへんは面白い。中央軍のフランクス大将なんて、まったくブッシュ・ドクトリンを評価してないんだってさ。小泉君のブッシュ擦り寄り政策も、ブッシュ=アメリカじゃないんだから、大概にしないといけないかもしれないよ。
 長崎の子供殺し(裸にして駐車場から投げ落とした話)の犯人はやっぱり中学生らしいですな、防犯ビデオによると。はじめから思ったとおりだわ。また酒鬼薔薇タイプの性衝動で弱いものをいじめ殺す少年犯罪だろう、と思いました。案の定ですね。またまた、近所で類似事件が続いていたのに警察は見落としていたらしい。こういう子供はみんな軍隊に入れてすっきりしてもらおう(?)。死んでも誰も惜しまないのだから結構なことだ。

2003年7月03日(水)
 隣の家の子どもがどたどたうるさい。深夜になっても短い足で走り回る。最近の家はフローリングでがんがん響く。まったく子どもなんてものは気の毒だ、と漱石が書いていたが全く、犬にも猿にも劣る。
 どうして私がこんなに子ども嫌いであるのか、我ながら不思議である。ついでにうちの奥さんもそうである。だから子どもは必然にいない。うちは少子化のお先棒を担いでいる家庭である。
 なぜ少子化が進むのか。いろいろと議論がなされている。恐らく最大の理由は、いまどきの文明国家の子育ては金がかかりすぎる、ということにある。しかも日本は子どもに国家が支援金を出さず(先進国では出すのが今や常識でしょう)、職場は子どもを持つ人に厳しい(かえって残業が出来ないことをリストラの口実にされたりする。そして一度、職場を追放されたら二度と正社員には復帰できない社会でもある)。公教育はどんどん劣化し私立学校はむちゃくちゃ高い。そして子ども社会は荒れて、子どもがらみの犯罪報道が日々繰り返される。
 そういうこととは別に、私のように「子どもが嫌いだ」とはっきり言う人間も増えているのではないか。嫌いなものはどうにもなるまい? 嫌いなのに無理に作って、それで将来の子殺しだの親殺しだのにつながるのも不本意である。かつての親たちは、常識だから結婚し常識だから子どもを作った。実際には虫酸が走るほど子ども嫌いな親もいたはずだが、非常識な実例や非常識な意見は黙殺されて表面化しなかっただけだろう。
 本気で国策としてやるなら、子どもの教育・管理は国が責任を負う、とでもしない限り少子化は止まるまい。だが、国が子どもの頭数がほしい理由が年金政策だの将来のGDPのことばかりだというなら、私は少なくともそんなものに協力する気はない。
 ここまではっきり言えば反発する人もいるでしょう。百も承知です。しかし事実は事実である。ゴキブリが嫌いな人、ナメクジが嫌いな人はもちろん、あるいは猫嫌い、犬嫌いな人も多い。あんなにかわいいものがどうして、と言っても理由などない、嫌いなものは嫌いである。私はただただ個人の嗜好を述べているのです。ぞっとする。いらいらする。
 私は本能的に子どもが可愛い、という性善説的なはなしは嘘だと思っております。あれは絶対に後天的なものだと思う。 ああ・・・、いろいろ書いてしまった。言いたかったのは、隣家の子どもがうるさい、それだけだったのだが。

2003年6月29日(日)
 NHKの番組で、アマゾンの裸族のことをやっておりました。感動した、という人もあったようだが(新聞の投書によると)私は腹が立った。彼らをそっとしておこう、と言いながらずかずかとテレビカメラを持って行って、なんかよく分からない作家を連れて行って、番組にして「思索紀行」だのと名前を付ける。デリケートな彼らに無神経に接触してマイクを向ける。くだらない。そっとしておくなら取材するな。
そしたら民放でも同じような内容の番組を(こっちはクイズ形式で)やっている。ははん読めた。これはブラジルの裸族対策を担当している部局が日本のテレビ局を誘致して、お金稼ぎをしているんだな、と思った。
アマゾンは実はこれら裸族の焼き畑でどんどん消失しているんだとか。じゃあどうするね。連中はずっとそうしてきた。文明人に追い立てられて新しい畑を求めて移動する、そのたびに焼け野原が増える。それをやめさせなきゃならない。というのもあのジャングルは文明世界に唯一残された原生林だからだ。じゃあ全部、文明人の持ち込んだ病気で死んでもらうか、それで生き残った者は無理に服を着せて文明化し、動物園にでも入れて保護するか。結局そんなところだろう。グローバル化の時代なんだからな。裸族の子どももあと十年もすればみんなマクドナルドのハンバーガーを喰いたがるだろう。
それを感傷的に捉えて番組にして、それでどうなるのか。絶対に時計の針は逆に進まない。感傷に浸るだけなら、何も出来ないなら、ほうっておくしかあるまい。冷たいようだが、極東の島国のテレビクルーにそれ以上の何が出来るか。その作った番組を暇つぶしで見ている我々に何が出来るか。何が出来るか考えよう、というんだろう? 考えて暇をつぶす。それが思索紀行の意味か。ますますくだらない。

2003年6月28日(土)
 池田小事件の宅間容疑者が「死ぬ覚悟は出来てる」と言ったとか。くだらない。じゃあなんで一人で死なないのか。自分一人で死ねばいいのに、死ねない意気地なしだから、ああいうことをやったというのか。最近、こういうバカが多いですが(たとえば、自分が死のうと思って、その前に通りすがりの小学生に火をかけたバカとか、死のうと思って元恋人と家族を刺し殺したバカとか)なんだかんだ言って、一人でどこか寂しいところで誰にも知られず空しくなることが怖いからそんな甘えたことをやるのだ。一人で死んで腐って忘れられろ。通勤時間の満員電車に飛び込んでくだらないうっぷん晴らしをするな。死者のことなど誰しも三日と覚えていないものだぞ。
 ネット自殺とかいう、一人では死ねないので仲間を募って、というのもよく分からない。死ぬときは誰しも一人だ、他人など関係ないではないか。
 いちいち道連れを求めるヤツというのは、実際にはぜんぜん覚悟が出来ていないのであるな。死にたければ一人で死ぬべし。社会も世間も忘れて自分の死と向き合うべし。それができんで処刑を望むなどは大バカである。
 こういう手合いを集めて、どうせ死刑にするなら傭兵部隊を作って、外国に売ったらどうか。で、本当に生き死にを味わってもらうのだ、こういうバカどもに。これで日本も血を流す貢献ができるぞ。

2003年6月27日(金)
 自民党の憲法調査部会が、将来的には憲法に「国防軍」を明記する、という方針を打ち出したそうですな。国防軍、ですか。ヴェアマハトですな。イラク特措法が成立したら自衛隊はイラクに行くことになります。アメリカ兵が開戦から終結宣言までに140人戦死し、その後の占領期間中に暗殺、自爆テロなどで60人死んでおります。つまり、「終戦」後にどんどん死んでおります。やっぱり、チョコレート配ればおとなしくなった極東の島国とは違い、抵抗が続いているわけよ。短期決戦で圧勝なんてとんでもない、泥沼は一応の終戦の後に待っていたんですな。
 ここに自衛隊が行くわけだ。小泉さんや福田さんは「安全だ、安全だ」と言っている。そんなに安全なら国会議員たちが行けばいいわな。私はむしろ、日本の自衛官を一人、二人、危険なところに送り込んで、名誉の戦死なり戦傷なりさせて既成事実を作り、諸外国からはなめられないようにしよう、という思惑じゃないかと思うんですが。自爆テロなんて相手選んでやらないからねえ、日本人も当然ながらやられる可能性大ですよ、今回は。
 ついでに靖国神社問題にも持っていくのかもしれないな、そういう場合。
 私は左翼でも右翼でもなく、ただ観測しているだけなんですが、自衛官は大丈夫なんかね。根性の座ってる人ばかりじゃないでしょうに。防大出た職業軍人たるべき幹部はまあ、覚悟は出来ているだろう(と信じるがはてさて?)。不景気で仕事がないから入っているだけの一般隊員は、こういう感じで外国に出されて、ちゃんと死ねるのか。アメリカなんかでは軍にはいるとキャリアアップにつながるようにいろいろ制度も出来ている。今の自衛隊にそんなメリットはないでしょう。いまの形で出ていって、いい加減な中で死んだりして、納得行くのかな。みんな辞めてしまうと思うぞ。と人ごとのように思う・・・こちとらはもう30後半、将来の国防軍に入る可能性は年々、遠ざかっている。若い人たちはどう思っているのかな。
 ワールドタンクミュージアム・シリーズという戦車の食玩の新シリーズは自衛隊車両。このなかのひとつ、90式戦車は世界初の自動装填装置、つまり機械が大砲の弾を込めるハイテク戦車だ。よって乗員もたった3人。これは隊員の定数不足を機械で補った結果なんですね。だもんで、90式はきわめて高価であります。そんなこと考えると、すごい戦車だ、世界最高レベルと無邪気には喜べない兵器なわけです(確かに性能的には超一流なんです)。この非常に精密によくできた模型をしみじみ眺めながら、幹部ばかりで兵隊がいない自衛隊、人手不足の自衛隊を思うとき、覚悟が出来てる人も出来てない人も、その家族も、みんな気の毒だなあ、と思わずにいられません。

2003年6月26日(木)
 テレビをつけるとベッカム様にt.A.T.uだ。なんだかベッカム様と来た日にはすっかりダイアナ妃が来たときのような扱い。しかし、別にひがみでもなんでもなく私などには彼の魅力がいまいち、分からない。素晴らしいサッカー選手であることは認める、しかし必ずしも世界最高峰のプレーヤーではあるまい。金持ちであることも分かる。しかしこれも世界最高レベルではない。英国の番付ではハリー・ポッターの作者なんかの方がずっと金持ち、と出ていたし。奥さんが元アイドル、二人の子持ち。これは女性から見ていいことなのか悪いことなのか。なにかと使われるサッカー界の貴公子、というキャッチフレーズ。若い頃からずっとサッカーエリートだった、という意味では貴公子だろうけど、生まれも育ちも決して彼は貴公子ではない。階級社会の英国では彼は低い部類に入る。顔がいい、というのも、サッカー界では、ということならうなずけるが、どっちかというと白人種としてはあっさり系の金壺眼、ハリウッドスターのような顔立ちでもない。
 が、うちの奥さんの分析によれば、こうだ。まずどっちかというとおとなしい顔立ちが日本人などアジアではむしろ受ける。全体としては整っていて、作りはおとなしくて、金髪。これは日本人にはむしろ、派手な文字通りバター臭い美男子より良いに違いない。なるほどなるほど。それからヴィクトリアと子どもの存在もむしろ、愛妻家で子煩悩、優しいパパのイメージで好ましい。つまりしっかり家族がいることはマイナスではなくて、品行方正なイメージになる。優しくてかっこいい男性、ああいう人が良いなあ、という憧れなのであって、若い独身のスターを追っかけて、あわよくば、と迫るのとはちょっと違う心理なのではないか。おまけに奥さんは天下一品のスター。彼女ならまあ、仕方ない、負けを認めても良いか、と感じるのだろう・・・。以上の分析はきわめて正しいと思ったです。ちなみにうちの奥さんはぜんぜんベッカムのファンじゃありません。スポーツ嫌い、アングロサクソン嫌い、英語嫌い、そしてどうせ白人ならかつてのアントニオ・バンデラスみたいな暑苦しい感じのタイプが好きで、お醤油系は嫌い。そういうわけで、うちの奥方様はまったくベッカム様には興味がない。が、もし近所にきたらサインもらうけどね、もちろん。私だって写真撮ってもらう、きっと。
 で、うちの奥さん的にはタトゥの方にがっかりしたらしい。タモリの歌番組を途中で放り出して帰ってしまう狼藉ぶり。あんな連中だったのか。それにあの二人、レズビアンということで売り出したのに、実は嘘らしい。「本当に同性愛だと思ってたのに、がっかり」だって。
 ま、ベッカムにしろタトゥにしろ、帰国したら三日もすれば忘れられると思うけど。日本人はバカだなあ・・・。

2003年6月25日(水)
 一応、このサイト、詩やエッセイも時々、新しいものを入れてますから見てくださいね(と宣伝)。韓国もいろいろ出てきましたなあ。また前の大統領がつるしあげられる伝統復活か? 太陽政策の欺瞞、金で買った南北会談・・・などということにねえ。韓国の一般の人たちの対北感情は微妙なものなんだろう、愛憎半ばというか。北に核兵器作らせた上で併合して「極東の大国に」などと言い出す若い者も多いそうだが。一方、日本という国もどんどん変化しております。あと10年もしたら「植民地支配」とかいっても「なにそれ」という世代ばかりになる。いかに偏ったマスコミなり偏った教師なりが洗脳にあいつとめても、そもそも過去に興味のない国民性なんだから、無理です。中国も高度成長に浮かれている間はいい、銀行の不良債権は増加していると言うし、バブルがはじけたらどうなるか。お得意の強権発動で乗り切れるのなら経済なんて簡単である。
あきらかにアジアは遅れてます。不安定です。ま、中東やアフリカよりはましだろうけど。とにかく難しい近未来を思うと気が遠くなります。

2003年6月24日(火)
 ちょっと宣伝めいたことを書いておきます。あ、自分の宣伝じゃない、他人の(笑)。朝日新聞の新刊「イラク戦争従軍記」(野嶋剛著)はおもしろいです。私の知る三一書房の編集者が朝日の出版局の人と懇意で、そういうご縁で私も一冊、この本をいただきました。で、お礼のメールを著者の野嶋記者に送ったところ、「あんまり売れないと思うんですよ」などと返事が・・・。
 いやあ、これはマニアな人も読んでみるとおもしろい本ですよ。戦争時に朝日本紙に掲載された記事を基にしつつも大幅に改稿。AK47と74の違いとか、けっこうマニアックな話題もありますし、米軍の最近の口糧がすごくまずいとか(かつての米軍はレーションがうまいんで有名だった。でも90年代頃からNASAの技術を使ったハイテク食料というのになったら味の面で世界でももっともまずい飯を食わされる軍隊に。栄養面、性能面で文句ないのは分かっているが、食事は燃料じゃないのでねえ・・・)、なかなか興味深いです。
 どういう人種が軍に志願するのか、などもおもしろい。またチグリス川を「タイガー川」と読む無教養な兵隊を、ちょっとインテリの将校が蔑みつつ「いやあ、平均的なアメリカ人は建国以来200年ぐらいの歴史しか知らないんですよ」と言うエピソードとか(それで平気でどこにでも攻め込めるのね、古い伝統みたいなものを理解できない連中だから)、逆に今でも硫黄島などで彼らを苦しめた日本軍守備隊を尊敬していて(ちなみに野嶋記者は第一海兵軍に従軍)、「当然、彼らは日本では英雄なんだろ? え、違う? どうしてだ。どんな戦争にしろ国のために命をかけた人は尊敬されるべきじゃないか」と日本人の認識を疑われた、とか。
 記者は中東には詳しいが、軍事や戦争に詳しい人ではないそうで、マニアックなつっこみ方はしていないけれど、偏りのない見方で取材していて、これが魅力になっています。
 あと、イラク戦争に反対だった朝日新聞が従軍を許され、賛成の読売が艦上取材のみ、産経が許されず、というのはなぜだったのか。これは野嶋記者もなぜだろう、と書いていますが、思うに国防総省が反対派の新聞、メディアこそ取り込もうとした、ということでしょう。はじめから賛成派のメディアだとますます嘘くさくなるし。やはり考えてるんじゃないでしょうかねえ。
 とにかく読み応えありなので、一読をお勧めします。爆弾拾ってくる馬鹿な記者もおりますが、一生懸命やってる人もおりますんで、私も一応同業者の一員として推薦・・・(やや微苦笑)。いや、冗談抜きでいいですよ、これ。
 にしても大量破壊兵器もフセインも出てきません。日本の戦争反対を唱えた人たちは今こそ何か言うべきだろうに、黙ってますねえ・・・。やはり芸能人、文化人のたぐいのアピール活動は売名だったのね、この執念のなさは。
 私は開戦前は反対、開戦してからは今更何を言っても始まらぬし始まってしまった以上はアメリカに圧勝してもらうしかないから賛成というより応援、で、戦後はまた懐疑的に見ております、アメリカのこと。しかしさすがに兵器をねつ造してでっち上げることはできないみたいですね、CIA。きっとそういうことやると思ってたけど。
 私は米軍圧勝は当たり前、むしろ今回の作戦はその後の制圧も考えると米英軍の失敗と見ております。戦後の2か月で米兵55人が死んでおります。まったく制圧できていない。米軍じつはそんなに圧倒的に強くない、という見方をする反米活動家もいると思っておりますが、さて・・・。

2003年6月23日(月)
 昨夜、「ロード・オブ・ザ・リング」の第一部「旅の仲間」を見た。既に「二つの塔」が公開されているのに、いまさらな感はあるけれど、何回もこの日記に書いたとおりで、原作のファンである私はちょっと見るのをためらってたのですよ。ですが、とうとう見てみました。
で、・・・一応、満足です。ほとんどのシーンが原作に忠実。サウロンとかバルログ、さらにはガンダルフの花火、ガラドリエルの試練など、今まで視覚化したくてもできなかったものがイメージできたのは感激。しかし一方で、どうしたって長大な原作を随分、はしょっており、消化不良というか。もうあれ以上詰め込むのは無理なのは百も承知、でもはじめてみた人、特に原作の予備知識がない人にあの巨大な物語が理解できるのだろうか、疑問に思いましたね。欧米では非常に有名な物語で、多くの人がこの物語を知っている、という前提の映画化のように思いました。何度も映画化、アニメ化の企画が持ち上がり不完全ながら第一部のアニメも作られたことがありますが、結局、CG技術が進んだ今日まで実現しなかった、それほどものすごい原作。ホビット、エルフ、ドワーフ、オークなどの種族やガラドリエル、エルロンド、アルウェンといったエルフの貴族、イセンガルド、モルドール、ゴンドール、裂け谷、モリンなどと無雑作に出てくる地名・・・予備知識がなくてあれ、分かるんでしょうか。エルフが不老不死なんだとか、ホビットははだしで歩く種族なんだとか、アラゴルンはやがて王となるべき人でボロミアの君主筋であり、「折れた剣」の継承者である、そしてエルフの血を引くヌノメール王家の末裔である彼は、死すべき定めの人間の中では長命で、原作によればこの「指輪戦争」のとき87歳(!)であるとか・・・。絶対にあれを見ただけではそういう重要なことが分からないのでは。公開当初、字幕をつけた人が力の指輪に意思があることを理解できていないで、いい加減な訳をつけて、見た人が「なんでみんなあんなに指輪に振り回されてるのか分からない」と言ったとか。実際、雑誌などでかなり頓珍漢な解説や感想を書いてる人がいました。「なんで指輪をはずすのにあんなに苦労するんだろう。太ったのか」なんて書いてる馬鹿な人もいた。こんな人は全然、このお話が理解できなかったはずで、いやはや・・・。ベトナム戦争の頃、インテリのヒッピーの間でこの物語が大流行し、「一つの指輪」が核兵器の暗喩として語られた、なんてことは知らないだろうなあ、こういう連中は。
 白の賢者サルーマンと灰色のガンダルフの関係も原作を知らない多くの人にはよく分からないだろうし、かつてサルーマンが主催した白の賢人会議、これを初めに召集したのがロリエンのガラドリエルの奥方であること、ガラドリエルとケレボルン公は世界の初めからエルフ界を統治する王侯で、力の指輪がサウロンの手に渡っても、または指輪が首尾よく滅んでも、彼らの世界は滅びていくのだ、という宿命を負っていること。こういった基本が分からないとあの奥方もただの怖い超能力者にしか見えない。またゴンドール王国の摂政の息子ボロミアがアラゴルンに抱く屈折した感情や、指輪の試練に負け、しかし立ち直って討ち死にするシーンの意味なんかも・・・やっぱり分からないだろうなあ、と。
 あと、白日でも戦えるオーク、サルーマン直属の戦闘部隊ウルク・ハイは堕ちたエルフなの? ちょっとそのへんは原作にあったのかなかったのか記憶にありません。
 とにかく見終わってから原作を引っ張り出し、ついつい読み直してしまいました。そういう意味では素晴らしい映像化でした。今後は安心して見ます。

2003年6月21日(土)
 今日、新浦安駅前でギターを抱えて歌う外国人を見ました。金髪で長身。だから見てくれはいいんだが歌が下手。ぜんぜんなってない。「ああ、外人なのに洋楽下手なやつおるんだ」と奇妙な感想を抱きました。もちろんどこの国にも歌が下手なやつはいる。しかしわざわざ公衆の面前でこのレベルでやるとはいい度胸。選曲もべたで「スタンド・バイ・ミー」。わかりやすすぎて赤面もの。おまけにギターがまた下手なの。うねりもタイムもないベッタベタなストローク。ひょっとして自分の国でぜんぜん駄目で、日本にまできて歌手デビュー目指してるとか、か?
 うちのテレビのビデオが壊れていたんだが直った。ロード・オブ・ザ・リングのビデオをとったので、これで見られそう。前にも書いたが、原作を繰り返し読んだ者にとって映画は吉なのか否か。配役を予告編や広告で見た限りでは、フロドはとりあえずあんなもんだと思う。ガンダルフは私のなかではもっと怖い。アラソルンの子にしてエルフの石アラゴルン、その実は偉大なるエレサール王はもうちょっと貫禄があると思ってた。あと魔王サウロンは映像化されてるんですか。ま、見てから判断しようかな、と。ついでにNHK金曜時代劇の「幽霊貸します」これがなかなか秀逸。この枠はときどき、面白いのをやる。「清左衛門残日禄」とか「腕に覚えあり」とか。直前の「御宿かわせみ」は配役が旧シリーズと比較してぜんぜん魅力なしだった。で、今回の幽霊。なんだかんだと原作は山本周五郎。面白いです。これもビデオにとっています。まだDVD録画にはしていないです。なんか早送り、巻き戻しを手動でやるほうがいい場合もあるような気がして。長時間録画は魅力ですけどね。
 ビデオを見る楽しみ。昔とったテレビ番組はおもしろい。映画なんかはいつ見ても同じだが、その合間のCMのほうが面白かったりします。古い新聞を読みふけってタイムスリップするのと同じ感覚。80年代に録画した映画のCMなど、時々見ます。あんなに見飽きたCMも、かえって新鮮だったりする。メークもファッションもバブル前期だったりする。「がんばってがんばって仕事」とか「24時間たたえますか」とかやっている。倒産してしまった会社、他界した人物、引退したタレント、懐かしいです。そういうビデオの楽しみかたを時々しております。

2003年6月20日(金)
 26日付週刊新潮に、東京ディズニーランドの「怪文書」「強姦」「自殺」問題が掲載されている。開業以来20年にわたって、よくスキャンダルを抑えてきたな、と思っていただけに、むしろいよいよオリエンタルランドも大物になったか、と感じた。一遊園地ではなく、大企業として遇して貰えた、ともいえるのですよ、これは。
にしても、この新潮と言う雑誌、近頃は特ダネ主義に走りすぎて、いい加減な中傷記事を載せすぎ、訴訟をごまんと抱えている。創価学会など心底、お冠で傘下の全メディアを使って反撃している。実際、読売、朝日その他いろいろな会社が書かれており、私もそのなかの一社の社員なので、中傷記事がきわめてそこの浅いものであることは承知している。たとえば某新聞社の販売局長が裏金で使い込みをしていた、というような記事が載ったが、その局長はむしろ、古い体質にメスを入れてリストラを断行することで恨みを買ってきた人物。整理のやりすぎでトラブルを起こしている、という内容なら理解できるのだが、およそ逆なので、一体どんな取材をしたのかと、内部を知るものはみな不思議に思ったものでした。
 TDLも人の子、こういう記事が出たからには内部でいろいろガセネタを漏らす人が出てきたわけで、ああ普通の会社なんだ、と私などはむしろほっとした気分。あの人工的でいつもはつらつと明るく、お客様を夢の世界にご案内、的なあまりにも見事な社員教育ぶりには頭は下がるのだけど、なんか作り物に過ぎて辟易、という部分もなくはないわけで、ま、あそこの社員も生身のにんげん、嫉妬もあればトラブルもあるのは確かなんですな。そういうことだけは分かった。
 同じ日の週刊文春に安室奈美恵の凋落、という記事が出ていました。彼女がまだぜんぜん人気が出ていないころ、ソロとして売り出したころにあるマイナーな雑誌(うちの会社の販売ツールとして編集していた無料パンフレット)で彼女のインタビューを読みました。当時、16だか17だったんじゃないかな、まだ。まずこの漢字五文字の名前が読めず「アンシツ? なんだろう」と思い、ルビを見て「アムロ? ガンダムか」などと思った、そのぐらい彼女はまだ無名であって、ブーツスタイルがコギャルの教祖となり、アムラーなんて言葉が一般化するのはその年の冬だった、そんな時期ですから1994年か95年ごろですかね。そしたら「今までの人生、苦労してきたので、これからはもっと成功したい」とか言ってたの、彼女。それを読んで大嫌いになった(苦笑)。いやほんと、それから私は彼女のアンチとなりまして、人気のあるころはずっと批判的だった。その後、彼女のバイオグラフィーがだんだんわかってきて、その16か17までにいろいろあったことは分かったのだが、やはり気に入らなかったですな。で、世紀の変わり目ごろには鈴木あみが歌姫トップとなり、安室は人気低下。でも結婚・出産で奇跡の挽回、一時的に盛り返しましたな。このときは素直に応援したけど、私。でも母親の殺害問題、離婚とまた運気低下(占いかこれ)。で、・・・今や過去の人扱いされてるけど、彼女まだ25歳だもんね。普通なら「そろそろ社会に出てみようか」とか、「なにか一旗挙げようか」とようやく決心するぐらいの年だよ。なのにもう人生1サイクルおわってるんだから、なんとも生き急いでるというか、これならあの16歳ごろの発言も分かるというか。この人、三ヶ月で1年ぐらいたっちゃうモルモットみたいな人なんじゃ? しかしまだまだ若いんで頑張って欲しいですが・・・。ま、あのスタイルはもう古いから考えないと駄目だろうけどねえ。いまどきは唄って踊ってるだけじゃ駄目で、曲作り出来ないと駄目だし。沖縄アクターズ・スクールの弱点はそこだな。ダンサーを育てるのはうまいが、アーティストは育てない。だから天下は短かった。やっぱもう古いのか。
 芸能人は本当に実験動物なみに早く育って、早く老いて去っていきます。消耗品だからね。私、うちの会社のCM撮影にZ1という無名のグループを使ったときに、撮影に立ち会いました。そのなかにいまをときめく上戸彩さんがいた。当時14歳。しかし素人目にもこの人、有名になるな、と思った。表情が大きくて目立つのよ。4人組のZ1で、どうしても彼女に目が行ってしまう。気がつくと写真の中心には常に彼女がいるようになる。美人であるかどうかじゃなくて、意識しないでも目立つことが大事なんだな、と思ったし、なるほど生まれつき芸能人向きの人というのはこうなのか、とも思ったです。それから半年後、金八先生のキャストに彼女の名を見つけて成功を確信しました。
 しかしその出世作の金八で性同一性障害の役をやったために、ちょっと後がいまいちよくないようにも思う。イメージが強すぎるというか、ちょっとすさんだ印象を持たれてしまったのかも。高校教師とかあずみとか、いまいちなんですよ、いい仕事なのにいまいち。本人の印象はとにかく元気印という感じだったけどなあ。なんとなく影があるイメージになっちゃったかも。頑張って欲しいですけど、ここらが踏ん張りどころだと思うし。
 今日は芸能ネタばかりなので、もう一つ。「はなわ」というベース漫談の人が実際に演っているのを見ました。この人はミュージシャンとしてかなりうまいです。ベースがなかなかにうまい。バンドでアイアン・メイデンとか弾かせてみたい。で、はっきり歌を聞かせるのもうまい。お笑いなんだからそのへんの歌手より明瞭に歌う必要があるが、彼はそれが出来ている。そういう意味で力あるパフォーマーです。人気が出てきたのはそのへんの実力だと思う。しかしネタは陳腐に過ぎる。佐賀はいいんだけど埼玉の歌なんかは陳腐すぎ。だんだん展開を変えていかないと飽きられますね、きっと。曲調もべただし。あと歌ってないときのMCというか地の言葉も弱いなあ。そういえば思い出すのが吉幾三という人。「田舎のプレスリー」などというキワモノで出てきたあたりは同じ、ご当地ソングだったのも同じ。でもすぐに演歌に切り替えて中御所歌手に成り上がり、生き残ったです。はなわ氏も年末の紅白歌合戦に出た後は(審査さえパスできればきっと出られると思う、最近のNHKだと。しかし一部の歌詞はひっかからないかな)切り替える要ありでしょうね。あ、綾小路さん、あなたもです。
 同じことをやってると飽きられる。これ、当然です。でも同じことばかりやってる人がいる。小泉という人。それに竹中という人ね。黙ってみていると、どんどん増税とか、控除の縮小とか、国民の負担増ばかりは順調に進展していて、政府やら役人、大銀行のほうはほとんど無傷のまま、という馬鹿な「改革」をやってござる。
 なんで世論調査では小泉首相は人気があるんだか。外交はそこそこだからか(別にえげつなくブッシュに尻尾ふってるだけだけど、彼の外交なんて。北朝鮮問題も実際にはこじれただけなんじゃないの、本当は)。世論調査の聞き方とか、問題ないのか。大方の国民は、派閥や族議員に弱い従来の自民党の首相よりはまし、と思っている。で、「ほかの人よりはまし」という欄に丸をつけるわけ。しかしこれまた役人にだまされつつあるんじゃないのか、国民。これまでもずっとだまされてきたのよ、官僚は清貧で優秀で・・・と。また小泉政権になったことで、派閥が弱まり族議員が弱まれば、今度は無防備な赤ちゃん閣僚(特に初心な学者上がりとかね)が丸裸で官僚のコントロールに置かれるわけよ。だからどんどん官僚のプラン通りに「改革」が進んでいくわけだ。アホかね。あいつらだけは高級な官舎に住んでのうのうとしておられる。
 今の若い者はみんな老後には野たれ死ぬことになると思う。税金が安く保障がないアメリカ。税金が高く保障が厚い欧州。日本は今や、税金は高く保障はないという方向に突き進んでおります。フリーター諸君、はっきり言ってご両親の資産を食い潰したら首をくくるしかないです。これが日本です。今、一時的に株価が上がっております。しかしこれ、アメリカの金融緩和の結果でしょう。あっちは大統領選挙にらんでの工作でしょう。実体なんかないよ。
 小泉なんぞ、政権を手放せばすぐに完全に忘却されると思う。細川殿様以上に。早くそうなりゃいいんだ。で、売れない息子ともども、どさ回りでもすりゃいいんだ。ま、国会議員の年金は破格にいいから、老後も遊んで暮らせるだろうけど、あいつら。

2003年6月17日(火)
 かつて机を並べていた会社の同僚が37歳の若さでこの世を去りました。驚きました。毎日、浴びるように酒を飲む男でした。以前は太っていたのに、あるころからミイラのようにやせ細り、肝臓も腎臓も膵臓も糖尿系も全滅していたと思います。彼は一時、自分の婚約者といってかわいい女性の写真を携帯していました。「こんどの夏休みに実家に連れて行って親に紹介する」などと言っておりました。が、その夏休み以後、彼女の話題はぱったりと途絶えて二度と、彼の口から漏れることはありませんでした。何があったのでしょうか、あの夏休みに。それから、もともと飲み過ぎる人でしたが、いっそう・・・何か自殺的に呑むような、すさんだものを感じたのは私だけではなかったと思う。
 自滅型の、破滅型のにんげんというのは文士に見られた類型ですが、自分の身近に新たなサンプルが加わってしまいました。凄惨な人生だったと思います。合掌。

2003年6月16日(月)
 今日の新聞発表で青・東駅伝が廃止になった、と知りました。この駅伝の取材のために毎秋のように青森を訪れましたが、近年はなかなかスポンサーが取れず大変だ、とは聞いていました。ちょっと前までメインスポンサーがダイエーだったわけで、まあ、打ち切りも仕方ないのか。不況ですねえ。陸上競技は金にならないのね。箱根だけは、視聴率が取れるから成り立つわけで。今日の夜、夏の一時金交渉が妥結。なんとかボーナスは出てくれるらしい、うちの会社。消費税は近い将来に10%以上に、トヨタの奥田会長によれば18%に、という話が決まりましたが、未来はどんどんしんどくなるような・・・。

2003年6月15日(日)
 地鎮祭というのをやりました。ああいうことはやったことがないので、何をするのかと思っていささか緊張しました。ま、とにかく畏まって禰宜さんの祝詞を聞いてればいいんですが、最後に大量の日本酒とお供えした野菜をどばっと渡されたわけ。で、向こう何日かはダイコン入りのおじやがメニューということに。しかしうちでは酒呑まないんだよね、我が家。どなたか日本酒好きな方いませんか。一升瓶が十本ぐらいあります・・・。

2003年6月13日(金)
 13日の金曜日ですね。初めて丸ビルに行きました。わざわざ行ったのではない、家の建材のショールームを見に行ったついで、です。毎日あのビルの下を通っているのだが、混んでいるうちは行きたくなかった。行ってみて、なかなかよかったです。うん、思ったよりおとなしくて居心地が良い。もっとバブリーなイヤな感じのビルかと思っておりました。バブリーな2万円超の店はすでにはやっていなかった。六本木ヒルズも2,3年したら行ってみるかな。「うみほたる」はまだ行ってないな。あれは早く行かないとなくなったりしないでしょうねえ。

2003年6月12日(木)
 グレゴリー・ペックが亡くなったという。一般的にはローマの休日なんだろうが、私などには「頭上の敵機」「ナヴァロンの要塞」だ。「マッカーサー」なんて映画もありました。そう、けっこう軍人役が多かったんですね。甘い二枚目なんだけど目つきが意外に険しいので、できるんですね。いい俳優さんでした。
 軍人といえば、エリック・シンセキ氏の退任が伝えられました。と聞いて何だか分かる人はかなり軍事通ですな。米陸軍参謀総長、陸軍大将のシンセキ氏です。彼は日系三世で、これまでで最も出世した日系人軍人です。かつて収容所にまで入れられた日系人が、今や陸軍大将に上り詰め、米陸軍のトップを勤めていたわけです、ほとんどの人は知らなかったでしょうけど。同大将の打ち出した緊急展開ドクトリンは、先のイラク戦争等を見る限り徐々に実を結びつつあるようです。M1のような重量級の戦車無用論を唱えた点は、戦艦無用論を唱えた源田実などを彷彿とさせます。革命児だったんですね。その機動戦略はラムズフェルドさんなどの世界戦略によく合致して評価も高かったんだけど、最近はそのラムズフェルドとしっくりいってなかったらしい。
 ぜんぜん無関係だが、詩人タケイリエさんのサイト(当サイトと相互リンク)の日記に面白いことが書いてありました。ねじめ正一さんがテレビに出ていて、それをたまたま見ていたご両親がトークでは笑っていたのに、詩の朗読になると「さっぱりわからん」と拒絶反応を示したのが、まあ、ちょっとショックだったというんです。詩人側からいえばねじめさんはかなり一般受けするだろう、と期待しているほうの人物なので、彼でダメならもうダメなんじゃないの、となりかねない、そのへんショックなんですな。でも、たとえば時折、衛星放送で詩のボクシングなどやっていますが、うちの者はぜんぜんつまらない、と言っております。しょうがないと思うなあ、このへんは。実のところ、私自身、ちっとも他人の朗読を聞くのが好きではない(苦笑)。言葉にそんな力はないんですよ、そもそも。少なくとも普遍的な力はないね。だから音楽に国境はないというが文学には国境どころか個々人の壁が厚くあるわけだ。で、私はただ自分がやるのが好きなだけやね、実は。このぐらい割り切ってると、何があっても驚かない。わはは。見世物としては詩の朗読は力よわいです。もっと見世物に徹したものができないかな、というのが私のライブ03のテーマなんですけど。

2003年6月11日(水)
 平居謙さんから「ラブ・ソングを書いてみてよ」と依頼された。これはなかなか困っている。あんまり書いていない・・・というか、20代の作品はけっこうあるんだよね、それらしいのが。このサイトの過去作品を見てもらっても第三詩集ぐらいまではあるんですよ、そういう系が。でもさいきんはめっきりないので、はて・・・銀色夏生さんみたいなもの? それは書けないわなあ、実際。
 ここ数日、梅雨入りしたせいか天候が悪くて湿度だか気圧だかがよくないのか・・・眠い。やたらと眠い。ものすごく気力が減退しています。なんか何事もやる気ナシ。いかんですなあ。

2003年6月05日(木)
 学研の「アメリカ空軍図鑑」をつい衝動買いした。そもそも現用兵器が苦手でアメリカ軍が苦手、あの無駄のない合理主義的な強さがいささかへきえき物であるのだが、それにしてもこの本はよくまとまっていて、つい買ってしまった。にしても学研は戦史、歴史ものにあなどれない良書が多い。そういえばうるし原智志氏の非常にエロい漫画も版元は学研だったのでは。このマニアックさ、とてもそもそも教育出版社だとは思えないんだが。
 で、驚いたのは米空軍の組織でもなければミサイル、爆弾の数々でもなく、アメリカの航空機産業の変わりぶりです。マクダネルダグラスF15戦闘機はいつの間にかボーイングF15に、ゼネラルダイナミクスF16はロッキード・マーチンF16に。機種はそのままだがメーカーが合併していたんですね。ノースロップF18にグラマンF14、このかつてのライバルもノースロップ・グラマンの合併で同じ会社になってるし。
 ロッキード・マーチンのうちのマーチン社といえば、ほそぼそと飛行艇なんか作ってるぜんぜん冴えない新興企業だったのに、ドイツ軍が籠もるモンテ・カッシーノ修道院爆撃で名を挙げたマーチンB26マローダーで成功、そして今やアメリカの飛行機の銘柄と言えば、ボーイングかロッキード・マーチンか、と二分する大勢力に。よく生き残ったものです。ああ、もっともボーイングだってB17爆撃機がなければその後のB29もジャンボジェット機もなく、やはり第二次大戦が分水嶺だったんだなあ、と改めて思いましたね。

2003年6月04日(水)
 台湾がSARSを「中国肺炎」と呼べ、と言っているらしい。WHOのオブザーバー参加について中国に妨害されたことを根に持って、ということらしいが、面白い。日本脳炎とかソ連風邪とかいうように、中国の肺炎であることを明示して責任を痛感させろ、ということか。しかしカナダでは蔓延が続いているとかいう。恐らく「体温計もろくにない中国と違ってうちは先進国だから大丈夫だもんね」という過信があったのだろう。所期段階では中国は、あのように権威主義で自体を隠蔽したがるから駄目なんだが、いざことが発覚すると人権もへったくれもないので、かえって制圧はうまいのではないか。患者はみんな処刑とか、ハクビシンはみんな処刑とか、そのぐらい平気でやりかねない。警察国家とはそういうものである。
 秋には日本でも流行するのじゃないかな。恐ろしい。パニックになるぞ、日本人は。村八分の伝統がある国ですからねえ。
 で、肺炎とか北朝鮮の陰に隠れて日本ではもうイラクのことなど忘れ果てている。戦争はんたーい、と言いながらピクニックしてた連中はどうなったんかね。年末の重大ニュースでイラク戦争は1位キープできるのか。あやしいかもしれない。実際、日本にとってはあの戦争より肺炎である。夏の電力である。人によっては阪神の勝ち数である。しょせんそんなものである。時事的な詩、などというものを書いても書いた横から陳腐となることをいい加減に気付くべきである。時代の先を行かなきゃ、文学者というもの

2003年6月03日(火)
 夏のコミックマーケットに当選した。今日、通知が来たのである。軍事サークルとしては初参加。正直のところ、出るのは難しいと思っていたので、喜びもひとしおである。ちびトラ戦車館としては、新刊を出す予定である。独ソ戦が舞台で、T34やティーガーといった兵器、独ソ両軍の美女などが出てくるはず、である。8月16日(土曜日)東京ビッグサイト東2ホールRブロック−11bで皆様をお待ちしております。私はドイツ・アフリカ軍団もどきの格好をしている予定。どうぞ遊びに来てください。

2003年6月01日(日)
 通りすがりのハンバーガー店の黒板に「今日から6月。もう今年も半年が終わってしまいますー」などと書いてあった。店長の日記だか雑記だかが日替わりで書いてあるのだろうけれど、まるっきりハンバーガーと関係ない感慨なのがいい。そして、この半年がものすごく充実しており、自分は大活躍しているという自覚がある人はよし、おおかたの人間は「また今年もうかうかと半年が過ぎてしまった。なんにも大したことを成し遂げない内に……」などとやはり、内心で思うことがあるわけで、私もその書き付けが妙に気になった。
 通りすがり、というのは、住吉町にあるトステムのショールームに行ったのだが(例の家がらみである)、とにかく不便な場所。行くだけで疲労した。
 にしても、だ。なんで新しい一戸建て用のドアというのは、どれもこれも大きな採光ガラスがついているのだろう。ほとんどドア一面がガラスというモデルまであって、あれではアルミサッシとかわらない。泥棒さんの割り放題、盗り放題だと思うが。実際、ドア・コーナーで実物を検分するどの施工主(みんなつまり家を建てる人なのだろう)も、口々に「このガラスではピッキングが心配だ」などと言っている。そのたびに案内嬢は同じような説明を繰り返して「このように万一、割られましても万全なキー対策をとっておりまして」などとやっている。初めから刑務所の扉みたいな頑丈な一枚板にしとけばいいのに。それとも、なにかガラス屋さんと談合があるのか。業界内で規格が出来ているのか。
 初めて家を建てる人はマンションから移ってくる人が多い。無粋な一枚板のドアにうがったのぞき穴から外を窺うのに慣れている。だから、きれいなガラスの入った華麗だがどこか華奢なドアを見て不安を感じる。一考願いたいところだ。 NHKの大河「武蔵」が低い視聴率(13%前後)で低迷しているという。それを聞いてうちの父が言うには「結局、就職活動に失敗して最後の最後に拾われたなんてスケールの小さいやつの話、おもしろくないわな」と。もっともである。天下人や大名が活躍する定番ものと違って、シーンも薄暗い斬り合いばかり。おまけに役者に華がない。人気が出る要素なんて全くない。それとも失業した人やフリーターにこのドラマを見せようとしたのか。それはしかし「宮本武蔵ほど才能があっても就職は難しかった」と思い知らさせるだけじゃないのか。この時代に武蔵の「ひたすら強くなりたい」という願望も共感を呼ばないだろう。剣術が強いだけで勝ち組の人じゃないし。
 ところで「ハリー・ポッター」をとうとう見てしまった。原作本が出たとき、買おうと思ったのだが、ふと後回しにしている内にあっという間に大ヒット。世間的なヒット作は読まない小生の気性、ついに私の書棚にハリーが並ぶことはない。映画も同様に敬遠していたが、ビデオで撮りダメしてあったものをついに見てしまった。ものすごい斬新さはないが、冴えないいじめられっ子が実は高貴なお生まれで、という貴種流離譚の一種でもあって、水戸黄門ファンでも受ける要素あり。ドンでん返しの仕掛け方とか、いちいちツボにはまっている。派手になりすぎぬCG、それに全編にあふれるイギリス英語がいいわ。アメリカ英語、特にウォール街あたりのせかせかした英語や、下町の語尾をぜんぶ名古屋弁みたいに伸ばす不良英語に虫唾が走る小生にはうれしい要素。なるほど良くできている。
 がまあ、それだけといえばそれだけかも。ハーマイオニー役の彼女がかわいい。ハリー役も彼女も、みんな次回作までで降板とか。その点は残念であるな。
 同じようにしていまだ見ていない「指輪物語」。原作のイメージが自分の中で強すぎる。違和感が怖くてまだ見ていないのであるが、いつ見ることになるやら。

2003年5月31日(土)
 ホビージャパン社の「月刊アームズ・マガジン」7月号に、私たち辻元夫婦の漫画「鉄十字の守護聖」シリーズが紹介された。B―マニアックスの牛島えっさい氏の計らいだが、まことにうれしい。こういう思いがけないことはうれしさ百倍である。我ながら実にこれは壮大なもので、全巻で600頁になんなんとする巨編である。ほとんど「同人誌」という枠からはみ出ているが、むしろ同人誌だからできる挙でもあろう。
 にしても、夫婦でやっているというのはことのほか珍しいらしい。牛島氏の文章にもうらやましい、とある。やはり普通は旦那の戦車狂いとか軍装狂い、あるいは模型狂いを妻はうっとおしく思い、逆に妻のやおい漫画狂い、コミケ三昧に夫が激怒する、というのが世の常態らしい。どうしたものかうちは二人合作で同じ趣味で本が出せる。たとえば高価な洋書の資料などを買うにも、各自の道楽だったら買えなくとも、二人で一冊と思うと安上がりな気がする。それも堂々と家計に計上されるのだから、なるほどこういう点は羨ましがられるのも分かるな。
 世のこれから結婚相手募集中の方。パートナーは趣味で選ぶと吉です。
 台風4号がやって来た。朝から土砂降りだ。今年は冷夏なのか暑い夏か。そして原発は要るのか要らないのか、さて。いよいよ衣替えの6月だ。

2003年5月30日(金)
 プレイステーション2の後継機が早くも今年の末には出るそうだが……。今度は慌てて買うまい(PS2のときは会社抜け出してまで買った)。世間的には、まだPS2すら持っていない人もいるのである。それにはっきり言って、PS2のマシンスペックを使いこなしたゲームがどれだけあったろうか。FFXぐらいのものじゃないだろうか。なのにもう新型。ついていけません、消費者として。
 ウィンドウズXPの後継ももうスケジュールが決まっている。どこまで我々はメーカーの世界戦略について行かなきゃならないのか。今や、平均収入は1990年ごろの水準に戻っているのである。しかもあのころは携帯電話もコンピューターもなかった。ゲーム機もファミコンだった(今秋に生産中止とか。つまりまだ生産していたのだなあ)。90年代後半にどっと援助交際が一般化したのは明らかに通信費がかさむようになったからである。
 半年も待てばどうせ値下がりするだろう、それまで待とう新型機(なんて言ってても案外、簡単に言うこと変わってたりしてねえ……)。
 毎日新聞のG記者の判決が1日には出るという。金払いがいいと刑を免れ、金がないと死刑になるような風土らしいから、G氏が命拾いするとしたらあくまで毎日新聞の社の力である。そういう立場じゃない人だったらどうなったのか。G氏がたとえ無罪放免になっても、そのままのうのうと記者待遇で在籍し続け、体験記など書きはしまいかと、危惧している。恥を知れや、国民的迷惑をかけておいて。
 米海兵隊が沖縄から出ていく、という話が急浮上した。「米軍出ていけ」などと叫ばなくとも、「いや、もうこっちから出ていきます、さよなら」ということになるんじゃないか、と前から見ていたが案の定である。米軍の緊急展開ドクトリンからすれば、高い駐留費を使って基地を維持する必要はないのだ。プレゼンスという意味で拠点はある程度維持したいだろうが、大きな兵力を貼り付けるのは愚であるわけだ。
 ますます安保闘争時代の発想の人は時代に取り残されることになるだろうよ。21世紀は、世界中どこにでも突如飛来するハイテク米軍の影を常に意識しながら生きる世紀なのだ。昔流の地政学などなんの意味もないのである。米軍艦の寄港を許さないとか原子力艦船の寄港拒否とか、これらも「じゃあなんで万景峰号を入港させるのよ」と言われて左な人たちはなんと答えるのか。最低の認識をふまえておかないで何を語っても空しい。

2003年5月29日(木)
 妻がある医者の処方で常用していた薬で、だんだん吐き気やら食欲不振やら、ひどい状態になってしまった。別の医者に診せたら「こんな劇薬をずっと飲んではいけない」とのことで、すぐに使用をやめた。やめたらすぐに顔色も良くなって元気を取り戻した。医者に殺されるところだった。セカンドオピニオンの必要がよく言われるが、けだし当然であると痛感した。
 今日は銀行とローンの話をした……例の家の件である。売り主、施工は巨人軍の阿部選手の父君が経営する工務店だ。浦安市内に阿部捕手の実家があることは今回のことまで知らなかった。とにかく一個建ちといっても、庭もろくにない狭い家だ。犬も飼えない……いや、犬ぐらいは飼えなくもないか。ま、飼うつもりもないのだけど。

2003年5月28日(水)
 文学フリマのことを書いていたら、今年も11月に2回目をやるらしい。大塚氏の手を離れて事務局が出来たとか。コミケのようになるかどうか分からないが、とりあえず毎年、開催する方向になったわけで、面白そうだ。今度、資料を取り寄せてみるか。 要は、だんだん人は物珍しさがなくなると飽きるのであるが、そこを押して継続することだろう。コミケも本当に巨大化したのは90年代に入ってからだった。
 また、コミケットが続いたについては、主催者で評論家の米沢氏の存在が大きく、たんなるイベンターの手によるマーケットと一線を画してきたから、あれほどの権威となった訳だ。「もうけ至上主義、大手同人至上主義はダメ」という骨が通ってきたのである。文学のほうは、大塚氏の手を離れたのはよいが、自らの正確づけをきちんとし続けて行かなくてはなるまい。大きく育てばトラブルも増えるだろうしねえ。

2003年5月27日(火)
 昨日の夕方の地震だが・・・東北の人たちには非常に大きかったはずですが、なぜか千葉県浦安市に住む私の家も大揺れだった。大げさじゃない、発表では震度3だったが、間違いなく震度4はあったと思う。建物が揺れてぎしぎし軋んでいた。隣のお宅ではなにか大きな家具が倒れる音がした。そしてなにやら、木製の部材がきりきりとこすれる音もして、地震が終わってから子細に点検したところ、壁に小さなヒビや、パネルの接合部の合わせ目が出てしまっている。それだけ壁面に無理がかかったんだな。
 私の今いるところが埋め立て地であること、建物が公団住宅の28階建てであることのためだろうが、そして高層ビルは揺れを吸収するためかえって大きくしなることは承知しているが、しかし遥か岩手県の地震でこんなになっていていいのか、公団住宅。危険を感じました。幸い家具の倒壊はなかったけど、かなり危ないほど揺れました。
 やはりここを出ていって自分の家を持て、という天の声なのか。それにしても都市整備公団さん、いくら賃貸とはいえ新築に入居してわずかに7年弱、海風の強い当地では傷みも激しいが、こんな建て方でいいのか。家賃15万円もとってさ。分譲で買った人はどう思っているのか、などと思った。

2003年5月26日(月)
 ポエムマーケットの案内状が来たけど、今回は新刊がないから出るのはやめておこうか、と思う。近々、第七詩集というのが出るはずなんですが・・・一応、今回は某プロデューサーにすべて任せているので。そう、「詩プロデューサー」。小室やつんくばかりじゃない、詩にもいてもいいじゃないの、ということで。作者が一人でやってるとどんどんスケールが小さくなって自家中毒を起こす。だいたい自分の作品の善し悪しを他の詩人の皆さんはわかるんだろうか、私は正直言って、評判を聞くまでどれがいい作品なのかちっともわからない、というかみんなくだらないものに思えてしまう、自分の書いた物なんて。
 しかしマーケットには、渡辺玄英さんもおいでになるらしい。遊びには行くかも。ヤリタさんや海埜さんも主催筋なのでおいでだろうし。
 なんでも、それなりに来場者も増えてきたとか。いいことだ。そういえば大塚英志氏が昨年、文学フリマを仕掛けてそれなりに話題になったなあ。同氏が、某純文女性作家と喧嘩した上で、文芸誌の維持費だけで年間7000万の赤字をどうするのか、文学は商売ではないといいながら、この流通性のなさは駄目なのじゃないか、という「不良債権としての文学(群像2002年6月号)」を経て立ち上げたイベント。
 こういうことを見るに、詩というか文学の競争力のなさはやはり問題なのよ。書き手はもっと努力しないと。大塚氏はマンガ界から来た人だから、文学の人の理屈がたんなるひがみか、武家の商法か、要するに言い訳に見えるのだろう。私も音楽やらマンガやらに接点があるうえに、職業は一般マスコミなので、どうも浮世離れした文学論が嫌いなのです。どんなにいいことを書いていても、やはり新聞は取っていただかないと。テレビは見ていただかないと。
 あるいは、詩人のマーケットも、もし文学フリマが継続するようなら合体していってもいいかもしれない。しかしどうなるのかなあ。
 マンガのマーケットも、最近は本当に駄目ですもんね。不景気で。もう駄目駄目。買わないもの、お客さんが。
 商売で表現するのが本当に難しい時代ですよ。だから賞なんかたまたま取っても、絶対に会社をやめたりしたらいけませんよ、皆さん。

2003年5月25日(日)
 中央公論新社の新書「愛国」問答が面白かった。福田和也氏と香山リカさんの対談である。思ったとおりで香山さんは福田さんにちょっとついていってない感じだが、しかし二人とも器用な言論タレント、うまく収めている。かなり拙速にまとめた印象もあるが、そしてそれについては福田氏があとがきで痛烈に中公さんを皮肉っているが、ま、それは余り言うまい・・・。私、中公さんが属するグループ企業の社員なのでねえ(苦笑)。香山さんの「IQが高い人は左だと思っていた」という発言には驚いた、よく初対面の人にこれを言うわな、彼女。それに「アメリカがこんなに本気で自分たちを正義だと信じているとは思っていなかった」とか。彼女がこんなにナイーブな人だとは思っていなかった(苦笑アゲイン)。それから福田氏がこんなにパンクやラップに造詣が深いというのは知らなかった。パンクを左右に色分けしたあたりは面白い。香山流で言えば「ロックは左だと思っていた」という人が多いと思うが、オイパンクのスキンヘッドな連中はあきらかに右だ、というのは間違いない話なわけよ。分からんでみんないっしょくたに「洋楽」と呼ぶ日本のリスナーには言葉の壁が横たわるのである・・・。ラップも右なんだって? キングギドラとか。ふーん、なるほど。ラップが嫌いなんで聞かないけど、ちょっと歌詞だけ研究しておいたほうがいいかもねえ。
 私の好みはオールドウェーブだから。ハードロックじゃないと駄目なの。でもオールディーズもいまいちなんですね。とにかく、パンク以後の貧乏くささが嫌いなの。はっきり言ってマイケル・ジャクソンみたいな勝ち組音楽の方がなんぼか好き。そう思ってたら、福田氏の結論も、つまり左右によらず貧乏くさいのが現代だ、というんだけど納得しきり。私はストリートファッションもストリート音楽もストリート感覚もストリートにうんこ座りもみんな嫌いだ。スターがいた時代に憧れるほう。だからいまだにリッチー様とか、ジェフ・ベック様(ベックじゃねえぞ!)じゃないと駄目なの。
 中公の横手部長に感謝。この本を買おうとしたら贈っていただきました!!! ここでちょっとひそかにばらすが、中公さんで詩の本を出そうと画策中だが、どうなるかな・・・。

2003年5月23日(金)
 今年は、ガニメデさんから「詩界を展望するような連載」を秋から頼まれている。そうしたら今度は詩と思想からも「詩界総括」を書いてくれ、とか。これは参ったなあ。とにかく展望したり総括するほど、詩集を読んでいないもんね、私は。以前に頼まれたときにはいろいろ取り寄せて、苦労したもんです。
 だからここで宣伝しちゃう! 皆様、詩集を出されたら私にも恵んでください。あはは・・・。

2003年5月22日(木)
 今年は会社の労働組合の機関構成員をやっている。週に一回は組合委員会があるんだよね。面倒なことだよ。今日も6時から1時間、事務折衝の説明があった。しかしまあ、今年はうちも家買ったりするから、俄然、交渉の成り行きに興味が出てきたりして。「子供作らず、家造らず」派だったうちも、急に言うことが変わってきたわけよ。いい加減だなあ・・・。今度の家の話も2日で決めてしまったんだから。子供は相変わらず要らないけどね。なんか知らないけど好きじゃない。本能が壊れてるのか、私? ま、世間的にも子殺しなんて多いんだから格別、異常でもないのかも。
読売本紙にも「世界的に子供を作らない傾向」と出ていた。特に中国や韓国のように急激に豊かになっている社会ではそうなんだって。せっかく生活がよくなったのに、子供のために支出が増えるのは嫌、ということだと。日本も考えてみればそうなんよ、しょせん成金国家だし。ま、とにかくうちは子供と引き換えに家買うわけだな。
 にしても中国、SARS(新型肺炎)なんとかしろ! インフルエンザも風邪も、いつもいつも中国から病気が発生する。大国ぶるなら責任を果たせ。環境整備の問題である。いつまでも日本を含めた先進国に恨み節を言ったり恫喝したりして居直るのは通用しまい。自分らは大国だというなら責任を果たすべきだ。道楽でハクビシンやセンザンコウを食っていて、それで死病を蔓延させて、オリンピックでもあるまい。韓国は五輪開催に当たって涙を飲んで犬料理の伝統を切った。あの誇り高い国が! 日本も不承不承、鯨をあきらめた。最近はまたカナダの馬鹿な学者どもがマグロ資源が日本のせいで減っている、などとかなりでたらめなデータで言い立て始めた。食文化は防衛せねばならない。それは確かである。また白人種どもの浅薄な動物愛護観は反吐が出る。しかし、伝染病のもとになっているような食文化は、食いたければ勝手にすればいいが、海外に輸出することは許されまい。この問題の国際会議に台湾のオブザーバー参加を認めなかったとも聞くが、そのようなことを言うなら、台湾はあくまで自国だというなら、自分らで責任を持て。とにかく近頃のあの国は、石原都知事にあおられるわけではなく、はっきり言って気に入らない。北朝鮮もかの国があればこそ存在しているのだ。
 10月18日のライブ03に夏目ゆきさんの参加が内定した。潮流詩派の新鋭だ。これで総勢11人。メンバーも野村喜和夫さん、城戸朱理さん、和合亮一さん、平居謙さん、ヤリタミサコさん、海埜今日子さん・・・などと実に豪華。これに旧来のメンバーがからんで実に多士済々。喜ばしい。ぜひ皆さん、見に来てください。

2003年5月20日(火)
 詩人・渡辺玄英さんから丁寧なメールをいただいた。数少ない「コミックマーケットに出ている詩人」であり「軍事に詳しい詩人」であって、私と一脈も二脈も通じる方だ。ま、私はコミケは漫画で出てますけど。先日、現代詩手帖に渡辺さんのコミケ参戦記が載り、同じ号に私の文章も載ったのがご縁で、うちの漫画新刊「大空のネメシス」をお送りした。渡辺さんは旧海軍機、ことに幻の先尾翼機・震電がお好きとか。そんな話題で盛り上がった。ちょっと前までIT嫌いだった私だが、やはりネットは便利な点がある。人間関係が広がり、レスポンスが早くなることは確かであるな。しかし、その加速の中で自殺サイトに群がる者も増えているんだけどさ。
 漫画同人誌といえば、Bマニアックスの牛島えっさい氏がうちの漫画誌を「月刊アームズマガジン」で紹介してくださるそうだ。まことに光栄なことだ。

2003年5月19日(月)
 潮流詩派の麻生直子さんからメールが来た。「看板役者に退会されると困る」と慰留してくださった。しかし、事情を説明の上、理解していただいた。もちろん、麻生さんなり、村田さんなりと喧嘩別れするのではない、今後もお付き合いください、と申し上げた。これは本心からそう思うのである。
 会社の健康診断があった。血圧が正常値になったことは良かったが、なぜか尿たんぱくが出た。しかしこれは恐らく体重を減らそうとして飲まず食わずで行ったため。やりすぎたらしい。採血のために食は断たなければならないが、水は飲んでいくべきだった。アホだ。

2003年5月18日(日)
 突然だが、今日から不定期日記を始めることにした。4月15日にこの個人サイト「ハードロック・ポエムランド」を開設して以来、約1か月。おかげさまで既にのべ900人以上の方がアクセスしてくださっている。ヒット数ではなく重複を省いた正確な人数で、である。こんなに見ていただけるものとは思わなかった。そこで、読者サービスというか、いくぶんなりとも更新の機会を増やすために日記を設けたのである。
 しかし古来、他人に見せるための日記、日乗のたぐいは多い。ましてサイトに掲載するのが前提の文章だから、そこはそれなりの、という内容になるだろう。ご容赦願いたい。
 ところでこのサイトは掲示板は設けていない。設ければ多くの人に喜んでいただけるとは思うが、問題も多いと聞くし、管理も大変だ。私はIT初心者なので、とてもやっていられないと思う。この点もご理解いただきたい。しかしいただいたメールには今のところ、もれなく返信している。どうかメール機能でメッセージをいただきたい。

 今日はまた重要なことが私個人としてはあった。ひとつは、ここ6年以上住んでいる賃貸住宅を出て、浦安市内に住宅を買う決心をしたことである。今日は不動産会社に会い、宅地を見せてもらった。田中さんというその営業課長は、なぜか前歯がぜんぜんない、なかなか愛嬌のある人物である。この地に決めようか、と思った。直感は大事である。
 もうひとつは、10年以上にわたってお世話になった詩のサークル「潮流詩派」を退会する決意をしたことだ。代表の村田正夫さんに、詩の世界に導いていただいた恩義は忘れない。しかし、なにしろ大きなローンを抱えることが本決まりになり、会費の節約を考えたこと、最近の潮流詩派にいささかの不満があったこと、これらから退会すると決めた。詩は社会性、風刺性、記録性を持つべきだ、というのが同派のテーゼである。それは私もそう考えており、現実の社会の動き、世界史の流れを無視した言語遊戯は嫌いである、という点で一致している。だからここまでやってきたのだが、しかし明らかに勘違いしてしまっている人、つまり新聞やテレビを見て憤ったことなどをそのまま、行分けにして垂れ流している人が多すぎる。あんなものは新聞の投稿欄に投書すべきものだ。詩と名乗るには明らかに構想力が欠如しすぎている。不満である。自分より若い人たちがおとなしい作品を書いているのも不満である。もっと物議をかもすようなものを書いて欲しい。このサイト用に過去の作品を選びなおす作業を、先日までしていたが、私は20代のころの詩集で、喧嘩ばかりしていたことを思い出した。若かったといえば若かった。まだまだ若いけれど。しかし前よりはずるくなった、私も。決してナイーブなことは書かないもん、最近は。
 今日は、かくも重要なことをふたつも決断したことで疲労した。早く寝るつもりだ。

【注意】この日記は2003年11月より、新規内容が「上」に積み重なる形式に変わりました。ここはスタート地点で、上に行くほど新しくなります。よろしくどうぞ。     辻元

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