”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。


不定期日記 2005年

| 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 |
| 2010年 | 2011年 | 2012年 | 2013年 | 2014年 | 2015年 | 2016年〜 |


2005年12月31日(土)
 いよいよ大晦日です。いかがお過ごしですか皆様。私はちょっとこれから、頼んでおいたおせちを取りに行って、その後、出社しまして、年越しは会社で致します・・・。しかし今日は終夜運転しているんですな、首都圏の電車。乗り合いのハイヤーなど待たなくても帰れるかもしれない・・・。
 「姉歯秀次・元1級建築士(48)が耐震強度を偽装した分譲マンション「グランドステージ稲城」(24世帯)を抱える東京都稲城市が、国が打ち出した公的支援策に伴う財政支出を拒否する意向を、都に伝えていたことがわかった。・・・建築確認をしたのは民間の確認検査機関「イーホームズ」(新宿区)で、建築基準法上の責任を負う「特定行政庁」は都多摩建築指導事務所(立川市)になる。・・・「市は特定行政庁にも当たらず、財政負担の法的根拠がない」と主張。国が特別措置法を制定しない限り、市財政からの多額の支出は困難として、財政支出を拒否する考えを伝えた。石川市長は、「現状では議会や市民に説明できない。特措法を作らない場合、国と都で負担してもらうのが筋だ」と話している」(読売新聞)というのだが、筋としてはそのとおりだと思う。それでなくとも、どこの自治体にも余った金などない時勢である。
 この問題も年を越しますが、どうなるんでありましょうか。
 ◇  ◇  ◇
 紅白を見る人も、K1を見る人もいるでしょう。いいねえ・・・。まあ、みのもんたを見なくていいのだからよいかもしれない。面倒くさい感じの紅白ですね。
 新聞社の場合、1月1日、元日付けの紙面で特ダネを発表する、という習慣があるのをご存知でしょうか。まあ最近はあまりそういうのも薄れ気味ですが・・・しかし、たとえば松本サリン事件はオウム真理教の犯行だった、というのは当時の読売新聞の元日付け特ダネで発表された話でした。今年はなにかあるんだろうか。各紙ちょっとそういう目で見てみるのも一興です。
 ◇  ◇  ◇
 2005年は、そうですねえ、私にとっては、まあ悪いことと言うほどのこともなかった。反面、いいことというのも何もなかったかもしれない。要するに停滞していたなあ、と思う。だから悪い一年だったわけじゃないんだろうが・・・まああまり納得していない。
 まあそういうこともありますかね。
 来年は・・・今年こそは、なんてあまり期待しないようにしよう。ますますつまらなくなるから(?)。淡々と会社で年を越させていただきます。
 本年も「ハードロック・ポエムランド」「辻元のブログ」をご覧いただきましてありがとうございました。皆様、よいお年をお迎えください。
 

2005年12月30日(金)
 今年は・・・コミックマーケットなんてやっているんでしょ、今頃? 興味がなくなってみると、ぜんぜんどうっていうこともない、というか、凄いイベントだ、凄いイベントだ、と出ている人ばかり騒いでいる感もある。そういいつつ私自身、何度も出店したうえコスプレでのし歩いた経験があるんだから同じ穴のなんとかだが、しかしたとえばちょっと東京駅でミレナリオなんてやれば一日だけで40万人も人が来る。大晦日のアメ横には50万人、元日には何百万人規模で有名神社に初詣の人が押し寄せる。確かに2日で何十万人集まるコミケは漫画即売会としては巨大なものだが、また過剰に凄い凄いと思う必要もあるまい。実際、出ないことにした途端、そんなものがこの世の中にあること自体、私の意識からなくなってしまった。たとえば高校野球がどうとか、サッカーの国際試合がどうだとか、紅白歌合戦がなんだとかいう話題は、まったく興味がなくとも少しは耳目に入ってくる。そういう次元のものとは違う、自分から情報収集しなければ結局、忘れてしまうようなマイナーな趣味道楽の話題に過ぎない、ということに気付いた。
 別に否定しているわけではない。ただ、なんだかあれに出て「大手サークル」とやらになることが人生の目標のようになってしまって、それがために常軌を逸してしまっている人が少なからずいることを思うと、空しくなるということである。また、コミケの事務局もあくまで営利じゃないということでご苦労なことだが、いささか自分たちが何かの意味での権威だという意識が芽生えているとしたら(そういう気配も感じるから指摘するのである)それは戒めたほうがいいと思う。まあ、単にお祭りとして楽しむのなら、もちろんそれでいいことだ。
 世間の景気は回復しつつあるといい、今年の終値は16000円を超えた。が、コミケでバブル的な好況を実感することが出来るのはいつか。というのも、この失われた日本の10年とやらでもっとも痛手を受けた上、小泉改革とやらでは切り捨てられる対象となりそうな2005年現在、20〜40代の、つまり1960〜80年ごろ生まれの無職男女というのが、この世界の担い手であろうと密かに思うからである。
 ◇  ◇  ◇
 紅白歌合戦で思い出した。なにしろ私は大晦日も出勤なのでまず見ることはないのだが、毎度恒例の和田アキ子という人がまた批判がましい言動をしているらしい。「今年はスキウタとか言ってるけど、NHKは言ってることとやってることが違う、と切り出し、「WaTなんてデビューして1カ月ちょっとでしょ!?」「ある方なんて、スキウタに2曲も選ばれたからって、(紅白のために)衣装を5着も作っていたのに落選した」とスキウタ制度の意味に不信感を募らせた。また、今年も松任谷由実(51)らが中継出演することに、「中継だと一緒にやっている盛り上がり感がない。そりゃ(事前の全体練習を)やらなくていいんだから、楽ですよ。だったら私も中継にしてほしい。ユーミンは好きだけどね」と批判。 その一方で、「昔は今みたいにバラエティー色が濃いものではなく、本来の歌合戦で、紅白に出れたら今よりもっと嬉しかった」と、“民放っぽい”と囁かれる近年の紅白に寂しさを見せていた。(サンケイスポーツ) 」ということだが、出られるだけましなんだから、黙っていればいいじゃないか、と思うのは誰しもであろう。
 がまあ、言っていることには一理もあって、わざわざ人気投票などしておいて実際の選考はいつもどおりの若い者に媚びた人選、というのは実際、感じるところである。和田の言うWaTなんてものも私は見たことも聞いたことがないが、なんでも2002年から路上ライブを始めて2004年にインディーズデビュー、今年11月にメジャーデビュー、という確かにド新人である。そんなに1か月で売れたんだろうか? 
 まあその売れたの売れないのだって、ああいう数字のどこまで真実なんだろうか。出版物の部数よりもっといい加減な気がする。
 無料でダウンロードしてアイポッドで持ち歩く聞き捨て音楽・・・べつに昔のことを懐古してもはじまらないが、昔のアーチストは幸せだった。物価が違う時代にもLPレコードは高かったのである。それをテープに落として聞くにしても、デジタル時代じゃないから何度も何度も同じ曲を聴くしかなかった。しかし結果として、B面のラストの曲まで、細かいアレンジからギターソロまで、すっかり覚えてしまったものである。
 今時は、いい曲だねえ、といってワンフレーズ聴いて、カラオケで1、2回歌ってぽい、であろう。よくこんな時代に音楽なんてやっていられるものである。

2005年12月29日(木)
「【ソウル共同】韓国ソウル大の黄禹錫教授による胚性幹細胞(ES細胞)研究疑惑を調査中の同大調査委員会は29日、ことし5月に黄教授が「患者の体細胞を基にしたヒトクローン胚から11個のES細胞をつくった」とする論文を米科学誌に発表した時点で、ヒトクローン胚からつくったES細胞は存在しなかったと発表した。論文は完全な捏造であることが確認された」んですってね。正式な結果が出たのだからもうどうにもなるまい。「英雄」転じて恥さらしとなる。韓国の場合・・・あと中国がやたら旧式のロケット飛ばしたがるのも一面でそういう心理があるんだろうが、やはりあれだけ自分ら先進国になった、と思っていてもノーベル賞級の研究は出てこない。これは仕方ない、やはり10年や20年の蓄積じゃ足りない、日本なんかも明治以来ずっとやってきて、本当に正当に評価されるようになったのは実はここ10年ぐらいじゃないでしょうか。長い間「日本は猿まねが上手なだけの国」といわれ続けてきた、本当に90年ぐらいまでそういわれてきて、皮肉にもバブルが弾けて経済的成功への嫉妬などが収まってから、急に「日本もいい基礎研究をしている」ということになりましたね。今では、日本は猿真似の国、という言い方はまず聞きません。
 日本だって、100年以上、欧米「列強」とあれこれやってようやくそれなりに評価される位置になったんです。原爆までぶち落とされてね。黄色人種はそれだけで不利なのは間違いないんです。
 あれらの国の研究者に焦りがあるのは分かりますが、一度こういうことがあると、今後ますます同輩や後輩も不利になるんだがそこまで思い至らないのかしら。
 ◇  ◇  ◇
 中国の「圧力」で上海総領事館の職員が自殺していた、というのもどういうことなんですかしら。もっとも中国という国、外交官や日本の政治家に「美女攻め」をする国であることは前から知られている、つまりそういう手段を選ばない国です。なんでもありなんでしょうが、このへんも・・・まあいまや日本でも多くの人があの国家に愛想つかしぎみですが、そのくせ年末年始の渡航先は中国・韓国が圧倒的に多いのも事実、まあ安いからでしょうが。はっきり言って気が知れないですがね・・・。
 ◇  ◇  ◇
 と思えば、在日米軍の女性の「上等水兵」とやらがひき逃げ事件を起こしているし。こっちはこっちで相変わらず「占領軍」、地位協定とやらで即日釈放・・・馬鹿にしている。
 ◇  ◇  ◇
 そういえば、事件発表で被害者の実名を公表するかしないかは警察が決める、という話が閣議できまり、マスコミ各社が怒っております。確かにマスコミにも問題ありなんだが最近は、以前のようなえげつない報道はやってないと思います。それより警察というのはなんといっても権力です。マスコミは第四の権力なんておだてられてもしょせん民間企業です。気に入らなきゃ不買運動でもなんでもできますが、警察にはなにも手が出せない。そして、ほとんどの警察官一人一人については誠実にやっているに違いないけれど、組織としての警察というとどうでしょう。ことに身内の不祥事に甘い、都合の悪いことは隠蔽する、というのはこれまでもたびたびあったこと。そんなに信用できるモンだろうか、という思いは確かにアリアスね。
 ◇  ◇  ◇
 昨日の「男たちの大和」についてもう少し思ったことを。いちばん実は感心したのは、長島一茂演じる臼田大尉に、神尾一水が呼びかけるとき「大尉(だいい)」と言ったところ。なかなか日本の映画、ドラマでも海軍大尉のことをちゃんと「だいい」と呼ばないで「たいい」と呼んでしまうことが多いですが、今回はきちんとやっていた。「たいい」というのは陸軍大尉のことです。さらに海軍ですから「大尉殿」なんて陸軍風に「殿」はつけない。「艦長、上がられます」「長官」などとすべて「敬称略」。これ、海軍式です。陸軍だと「班長殿」とか「中隊長殿」とかいちいち上官に敬称つけますね。ただ、水兵が・・・あのシーンはどうも当直将校をしている長島に「大尉」と呼びかけるんですが、あの場合だと「当直将校」とか、あるいは班が違っていても艦内の士官の顔は知っているだろうから「分隊長」とか「分隊士」とか、そういうような呼び方をしそうな気もしないではないですが。直属上官じゃないので階級で呼んだという理解もできるんではあるけど、定かじゃありません。
 この映画のなにかの雑誌か新聞に載った批評で「大和の高射砲が一斉に火を噴き」なんてあったけれど、映画中ではちゃんと「高角砲」と呼んでいた。これも海軍式。「高射砲」は陸軍の言い方ですね。
 陸軍と海軍の敬礼も違います。出演者はきちんと、ひじを体につけて狭い角度でする海軍の敬礼をやっていた・・・けれど、最後の現代のシーン、鈴木京香、仲代達矢たちが漁船の上でやる敬礼はちょっと陸軍風? 少なくとも仲代さんだけは役柄から言って海軍式の狭いのをやって欲しかったような気がしないでもなく・・・細かいですが。
 あと、パンフレットで出演者の談話に「もうあの当時の戦艦のセットを見てしまうと、最近の戦艦を見てもぴんときません」みたいなのがあった。これはいけませんね。「戦艦」というのはああいうでかい大砲を積んだ軍艦のこと。現代の自衛隊にも諸外国の海軍にも「戦艦」というのは一隻もありません。これはしばしば、マスコミの人ですら間違える人がいますね。戦闘艦艇一般の略語として「戦艦」という言い方も辞書的にはありますが、決して一般的な言い方じゃありません。同様に、軍用機をなんでも「戦闘機」と呼んでしまう人もいます。たとえばB29のような爆撃専門の爆撃機も「戦闘機」なんてね。もっとも最近のジェット機では爆撃も出来る戦闘爆撃機とか戦闘攻撃機が増えているので、現代のものについてはあたらずしも遠からずであります。
 週刊文春でも、先日、今年なくなった人特集で丹羽文夫さんの経歴だったか、「戦艦鳥海に乗り組んで・・・」なんてありました。鳥海は1万トンクラスの巡洋艦です。戦艦はだから、大和みたいな巨大な軍艦だけです。大和で7万トン以上、それ以外のものでも第二次大戦当時ならまあ3,4万トンはあるのが普通です。
 「天皇の何気ない一言で・・・」と昨日書いたのは、要するに及川古志郎・軍令部総長(軍令部総長というのは海軍の作戦面のトップです)が米軍沖縄上陸の報を奏上、これに対して「どうするのか」とご下問があったので、総長は「特攻機で航空攻撃いたしまして・・・」と申し上げた。で、天皇が「海軍にはもう軍艦は一隻もないのか」と下問。これに対して総長はひたすら恐れ入ってしまった。これは天皇としては、そんな航空特攻であたら若い命を散らすだけで、沖縄県民を守ることもできず、海軍はもっと正攻法で打つ手はないのかね、とまっとうな質問をしたのだけど、総長のほうは「海軍はなにをしているのか。軍艦があるなら使え」という批判とか厳命と受け取った。で、航空特攻だけじゃなくて水上特攻、という発想になぜかなってしまった。というのはまともな軍艦はもはや大和だけ、あと微々たる水雷戦隊が護衛につくだけ、という実態から見て、結局、出撃しても沈みに行くだけというのは分かっていたわけです。ここが日本的組織の問題。会長や社長がなにか思い付きを質問すると、重役が「できません」とか「それはいけません」とは決して言わないで、実現に向けて過剰反応する、平社員まで右往左往する。そういうこと、普通の会社や役所でもあると思う。正直に「陛下、水上部隊は大和一隻のみで、出しても沈むだけです。これに出撃を命じたら特攻と同じになりますがそれでも出しますか」と正直に申し上げれば当然ながら「そんな無駄死にはやめておけ」といわれたに違いない。が、当時の海軍の幹部は正直に「負けます」と言えない意気地なしばかりであった。
 で、「陛下がああおっしゃったんだから、大和には死に場所を与えるべきだ」という古臭い戦国時代みたいなメンタリティー一本やりになり、訳の分からない特攻作戦が出来上がっちゃった。で、豊田副武・連合艦隊司令長官は「臣副武以下、連合艦隊全員が突っ込んで叡慮を安んじ奉ります」つまり陛下をご安心させまする、と奏上した。そんな大見得を切ったのに実際には伊藤聖一(渡哲也)の第二艦隊、つまり大和と随伴部隊だけで特攻させたもんだから、あの映画にも出てくる「最後の艦隊だというなら、なんで豊田長官も来ないんだ」になるわけです。
 日本で、たとえばヒトラーとドイツ軍部のように天皇と軍部の関係を言えない面というのがこういうところにあります。要するに軍部は天皇にひたすら恐れ入っていて、まともな指揮命令系統じゃない。というのはヒトラーはどんなに偉くてもただの最高司令官、天皇は最高司令官という以前に「神様」だったから。このメンタリティーがぜんぜん外国人には理解できないわけです。
 ついでに、あの映画で女性たちが何度となく「死んではいけないよ」という台詞をいいますけれど、あれ、聞き流してはいけません。描写としてはなんでもないのですが、実際にはあの時代、そういう泣き言を出征する息子や夫に言うことは「非国民」であったということを前提として知らないと、あそこの切実さが分からないかも、と後で思いましたね。若い人だと「あんなに戦争を憎んでいるならみんなでそういえばいいじゃないか」と今の自由な時代のように思ってしまうかもしれない。しかし、公式にはああいうことは言ってはいけないのであった。だから、出撃する息子を追っかけていって、表で抱きついて「死んだらあかん」なんて言っているシーンはかなり命がけなんですよ、本当は。憲兵にでも見られたらどんでもないことになるわけです。
 大和が沖縄に出撃する、なんて話も当然軍機、つまり軍の機密であって、家族であってもいうことは許されなかったはず・・・それよりなにより、公式に全員に出撃命令の内容が示達されたのは出航後、だったに違いない。そのへん、ちょっと疑問だったと書いたのはそういうことです。
 いや、実はそもそも「大和」という戦艦の存在そのものが一般国民には秘密で、終戦までそんな軍艦があることを一般人は知らなかったのですが。そこらへんも、どうなんでしょうか・・・。戦時中の国民は、実はかえってなにも知らないわけですよ。秘密が多いから。
 ついでに。映画中で思ったことで、艦橋内の司令塔のシーンだろうか、伝声管が人のどたばた動くのにつれてゆらゆら揺れて見えたんだけど・・・。あれは、揺れるもんだろうか。分からないんですけど、実際のところは。
 とまあ、ちょっと重箱の隅的なことを書いてみました。いや、こういう細かいところを楽しむのもマニア的にはありなんですが、ああいう歴史ものの場合・・・。
 ◇  ◇  ◇
 昨日のにつけたし。今年、印象に残った「珍妙な映画」3本を挙げておきます。スチーブン・セガールの「イントゥ・ザ・サン」、中国風七人の侍ツイ・ハークの「セブン・ソード」それに、ブラックなアメコミ映画「シン・シティ」。どれもヒット作とは言えないが妙な印象が強かった。こういう映画もありますね。


2005年12月28日(水)
さて、恐らく本年の辻元的に最後を飾る映画だろう「男たちの大和」を見てまいりました。久々の角川映画であります。で、どうだったかというと・・・これはもう間違いなく日本の戦争映画の最高傑作の一本、であります。ついでにいえば、いわゆる近頃の人々の映画に対する評価価「泣ける」度でも最高レベル。泣きたい人は黙って見なさい!
 場内もけっこう若い人の姿もあって、どうしてですかねえ・・・案外、ああいう話に興味のある人もいるのかと思った。すすり泣きの声が終始、したのだけどまた、私と同じ通路のあまり頭の芳しくなさそうな若いカップルは退屈してケータイいじくっている雰囲気。恐らくあの連中など、セリフの意味とか話の筋道が理解できなかったんじゃなかろうか。
 いやほんとうに、近頃は極端になんにも理解できない猿みたいな人もいるんでねえ。余談だけど、先日なにかの番組で釣瓶さんが「若い女の子と忠臣蔵の歌舞伎を見に行ったけど、その子、赤穂浪士ってなんだか知らんねん。そこから説明せんといかんのやから」と半ば本気で不快さをあらわにしていた。まことにそんなのが多いから。じゃあそういう連中が最近のことには詳しいのかというと必ずしもさにもあらず。要するになんにも知らない、ということがあまりにも多いもんだから・・・。
 それはさておいて、やはり実物大の大和のセットを作ったというのがとにもかくにもこの映画の核心。あれは確かに凄い。巨大な軍艦であった、ということを実感させるにはあれしかない。そして、そんな巨大な戦艦が沈められたんだ、あんだけたくさんの人間が運命を共にしたんだ、ということをビジュアルで見せられるのが映画というものの強みのはず。その点で立派な作品でした。戦闘シーンも期待以上、予想以上にすさまじい。まあ時折CGくさい描写もあるにはあるんだが、それはホンモノの火薬を使った爆発シーン満載の「トラ・トラ・トラ!」ど迫力のようにはいかない感じもあったんだけどそれは贅沢というもの。
 ことにクライマックス、次々に血まみれになって乗員が戦死していく段になると・・・まあそこらは実際に見ていただくにしくはない。
 さっき近頃の若い人には、的なことを書いてみたが、しかし一方でこの映画には海軍特年兵の役で20歳ぐらいの役者さんがたくさん出ている。みんななかなか立派な海軍軍人になりきっていてこれが素晴らしい! いやあ、今時の若者の身で、軍人になりきるというのは本当に大変だったはず。しかしみんな厳しい表情でなかなかのものだった。まだまだこういう映画もちゃんと作れるんじゃないか、と思いましたね。
 渡哲也の扮する第二艦隊長官・伊藤中将がしぶい、かっこいい。が、登場シーンが少ないのが残念。軍令部次長として作戦指導していた側から、最後はとんだ尻拭いの特攻作戦の指揮を取らされた伊藤長官の苦悩はもうちょっと描いて欲しかった感じもある。ついでにいえば、下士官・水兵の視点での大和がよく描かれていたが、もうちょっとあの無謀な作戦に至った経緯を上層部の視点で見てみたかった。一応、草鹿・連合艦隊参謀長のセリフで、天皇のなにげない一言からこういう作戦になっちゃって、というのはあったし、大和に随伴する戦隊の司令官である古村少将や小滝大佐の「これが最後の連合艦隊と言われるなら、豊田連合艦隊長官はなんで一緒に出撃しないんですか」という精一杯の反抗も描かれているけれど。あのへんをあと10分延ばして、描いて欲しかったなあとは思います。
 中村獅童の演じた内田兵曹は、山本五十六・連合艦隊長官の肩もみをして短刀をいただいていた、という設定。これはおもしろい。確かに大和は山本長官の旗艦を長く勤めていたからそういうこともあり得るだろう。最大最強の戦艦も、実戦では出番なく、大和は泊地に身を潜め、冷暖房完備の艦内で、山本長官の司令部はフランス料理のディナーを食ってすごしていた、といういわゆる「大和ホテル」の時代もあったわけだが、そこらは描かれなかった。その豪華ディナーの準備も手伝ったかもしれない、反町隆史の演じた役柄の森脇主曹というのも興味深い役どころ。彼が烹炊班つまり飯炊きの役で出るというのは最初聞いて驚いた。しかし軍艦じゃ炊事はきわめて重要な仕事である。長島一茂演じた臼田大尉の有名な士官室でのいさこざをおさめた「日本は敗れて目覚める。俺たちはその先駆けなんだ、本望じゃないか」というセリフも出てきました。しかしあの臼田大尉も実際はまだ21、2歳だったといいます。
 考証面でもほとんど不満はなかったが、しかし一般の乗組員の家族が大和なる軍艦や、沖縄出撃についてあんなに知っていていいんだろうか、というのはちょっと思いましたが。あのへんはどうなんだろう。案外に軍機は漏れていたんだろうか、あの時期になると。
 ◇   ◇   ◇
 そんなこんなで、本年の泣ける映画ベスト3は個人的にこの大和、キング・コング、あらしのよるに、という年末に見た3本。それから本年印象に残った映画はオペラ座の怪人、アイランド、ヒトラー最期の12日間・・・といったところか。


2005年12月27日(火)
それでもって、ゆうべはピータ・ジャクソン監督の新作「キング・コング」を見てまいりました。こいつは・・・あれです、名作ですな。さすがです、ジャクソン監督。
 はっきりいって「なんでいまさらキング・コング?」という感じはあるし、そのへんでイマイチ取っ付きが悪いひともいるんじゃなかろうか。つまりあまりに有名だし70年代に既に有名なリメイク版(ジェシカ・ラングでしたね)もあるし、さらにリメイクをするには時代錯誤なんじゃ、という・・・が、嘘だと思ってみて見られることをお薦めします。これは見逃すともったいない。それも内容からして大スクリーンで見ないと。とにかく見せます。ひとつひとつの描写の切れ味が見事なのです。筋書きは決まっているのだから、監督の手腕は絶大だと思いました。
 ほぼオリジナルどおりの哀しいお話であります。だから見事に「泣けます」。泣きたい人には絶対にお薦め。いやね、どうなるのかはわかってるんだけど・・・やはり美女を命がけで守ろうとするコング、そして追っ手を逃れて、愛する人と最初で最後のニューヨークでのデートといえる美しいシーンがあります、ここはオリジナルにはなかったと思う。そしてエンディング。やっぱり可哀想で見てられないほどですね。
 最後のほう、高所恐怖気味の私はちょっと正視に耐えないシーンも。怖いこと。エンパイアステートビルの梯子をよじ登るヒロインのど根性にただびっくり。分かっていても、地上の気色を見ると足がすくみます私。
 とにかく、アンディ・サーキスが演じてモーション・キャプチャーで取り入れたというコングの表情。あれはもうクリーチャーじゃすまない。ロード・オブ・ザ・リングのゴラムというのもつまりはこのコングのための踏み石だったのか、と思われるのであります。コングの微妙な表情、そこに漂う哀愁は胸を打ちますぜお客さん。
 ちょっと、船に乗り込んで出航するまでの小一時間が散漫なんだが、しかしそこで大事な情報、後につながる人物描写も多いのでやむをえないかも。船出してからはノンストップ、長尺もまったく気になりません。
 とにかくSFXもすさまじい。1930年代のニューヨーク、恐竜の群れ、どれをとっても見事であります。恐竜が肉団子になって坂を転げ落ちるなんて様はこれまでどの映画でも見たことがありません。
 トーマス・クレッチマン。今回はドイツ将校という役はないはずなのでなんの役柄か、と思えばドイツ系の船長、というわけだった。これが、彼だけ白い帽子をかぶり、どっからどう見てもUボート艦長に見える。実際、ただの商船の船長じゃなく、猛獣狩りを業としているクルーという設定で、船にはトンプソンやモーゼルらしき小銃がどっさり積んである。船長自身もロング・ルガーなど持っている。どう見てもドイツ海軍の人に見えました。
 ブラック・ジャックじゃなかった、ジャック・ブラックが快演。あくの強い仕掛け人デナムを演じます。しかしこの人物も悪人というより、要するに本人なりの情熱で動いている男ということらしい。戦場のメリーピアニストことエイドリアン・ブロディの哀愁を帯びた表情もよろしい。今回はコングと恋敵。しかしなかなか頑張っております。が、なんといっても今回光っているのがナオミ・ワッツ。コングがほれ込むだけの説得力が必要ですが、実にいい表情を見せておりました。
 それから最後の有名な空中戦ですが、素晴らしく冴えておりました。ヒロインに日の出を見せたくてビルに登ったコング。なんでコングはあんなところに上ったのか。そういうわけだったんですね。しかしその美しい日のでは同時に、海軍航空隊の来襲を示すものでもありました。登場したのは海軍航空隊のカーチス・ヘルダイバー艦上爆撃機。どうも実物大の模型を作って撮影したようですが、本当にお見事。画面には映っていないのにコクピットの計器まで精密に再現していたようです。「パール・ハーバー」なんかのいかにも漫画みたいなSFXじゃない、実機が編隊飛行しているとしか見えませんでした。機銃の曳光弾の描写も素晴らしい。ちなみにこのヘルダイバー、後のドイツ空軍総帥ヘルマン・ゲーリングがほれこんだ機体ですね。そういえばこのコングの時代設定は1933年。ドイツではナチスドイツが旗揚げした年です。あの船長、あの後、ドイツに帰国して海軍に入隊なんてことも、あり得ない話じゃありません。
 そういえばついでに、オリジナルのキング・コング(やはり1933年公開)と、ディズニーアニメの「白雪姫」がヒトラーのお気に入り映画だったとか。また、チャプリンの「独裁者」も見ていたそうで。
 あのラストの空中戦の冴えを見るに、また途中の壮絶なパニック映像や格闘シーンの見事さを見るにつけ、ピーター・ジャクソン監督にはたとえば「空軍大戦略」のリメイクとか、なにか戦争ものをやってほしいという気もしてきました。主演はクレッチマンで。
 70年代版でコングが上った世界貿易センタービルはなくなってしまいました。そういう意味でオリジナル設定に戻ったリメイク、というのは時宜にかなっていたのかもしれません。がまあ、そんなこんなの意味づけは無用、ものすごい満足感があります。お値打ちですよ。ジャクソン監督自身「今度のはそんなに商業的に成功するとは思えない」と言っていたようですが、私は・・・○リー・ポッ○ーなんて見逃してもDVDでいいと思うけど、あるいは○キン・○トルなんて衛星放送かなんかになるまで見ないでもどうでもいいように思うけれど、こいつは見逃すともったいない、と強く言っておきたいのであります・・・。
 

2005年12月26日(月)
年末のどんづまりまでいろいろありますね。なんといっても秋田から新潟に向かっていた特急列車「いなほ」が山形県内・最上川で脱線したという話。4人が亡くなったということで、豪雪地帯のJRは雪は熟知していたはず。なにがあったのか・・・痛ましいことであります。映像を見るに相当にひどい事故のようですが。風のせいなのか。なにかまたいわゆる「JRの問題」じゃないだろうか、ということも今年など言われてしまいます。
 そういえば昨年もクリスマス過ぎて、あとはなんもなし・・・という雰囲気のところへちょうど今頃スマトラ沖で大地震、でした。にんげん、気を抜いているといろいろ起こりますね、本当に。
 ヨーカドー・グループ(セブン・アンド・アイ)とミレニアムホールディングスつまり西武百貨店・そごう連合との統合というのも驚きでした。小売業界の再編もまだまだ進むのでありましょうか。トリノ五輪のフィギュアの選手選考も・・・男子の採点の不手際、女子のほうの現在実力間違いなく第一位の人が出場できない問題、なんかすっきりしませんね。それにしても安藤選手・・・いい加減あの尻上がりのギャル風のしゃべり方をなんとかできないだろうか。もっと若い選手が出てきてるんだから。一人者らしく大人っぽいしゃべり方を覚えて欲しいもの。 
 れいの耐震偽造問題・・・ご存知の方も多いと思いますが、ある「一女性美容師」と称する人の主催する「個人ブログ」にどんどん情報が漏れてきて、そもそもそのリークがアトラス設計の渡辺氏の指摘より前からあった、という噂で専らです。立花隆さんは「あれは姉歯氏に近い筋の内部リークじゃないか」と推測しておられます。つまりこれはそもそも、姉歯氏が自分でばらしていった話なんじゃないか、という。ありそうな話かも。ブログ主導の特異な事件なわけですね。この件も年を越しますが、結局、すべての司令塔である内河氏が全財産を失って刑務所に入ることを世間の国民は欲しているわけであります、単純に言って。あるいは創価学会員が多いので手心が加わっているんじゃないか、と噂されるヒューザーもしかり。どうなりますか。
 ◇  ◇  ◇
 今年を象徴する漢字は「愛」、という報道が前ありましたが、今回は釈然としなかった人も多いでしょう。今年はやはり「差」とか「下」、「貧」・・・といったものじゃないか。格差社会、下層化、貧富の差の増大・・・そういうことがあからさまになった1年であったと。そのような世相のある種申し子であるライブドアの堀江社長が恥をかく一幕があったそうであります。株主総会で、株主から配当提案が出たのを拒否、「株主利益ばかり口にするくせに自分の会社は株主に還元しないじゃないか」と突き上げられ、2時間近く紛糾、「社長解任」という声まであがり、堀江さんも涙ながらに「自分はずっと株主のことを考えております」と釈明したとか。
 本当に、株主利益と金儲けだけを優先するような言動をしてきた彼が、企業価値の磐石のためには内部留保をもっと積まないと、なんて総会で説明しなければならないなんて・・・皮肉というか、恥ずかしいことじゃないでしょうかね。
 一部で村上ファンドもファンドに対する規制強化を受けて、ファンド廃業なんて噂もありますね。
 来年あたりは、今年吹き荒れた低俗な強者の論理、金儲け至上主義というのもまた微妙に変わってくるかもしれません。ヒルズ族の論理というのも、今年はM&A話で大いにひっくり返された感があったのですが、つまり老舗企業はなぜ強いか、であります。伊達に長いことやっていない、資産も内部留保も巨大なのであります。表面的に華やかなIT企業などまだまだ30年も50年もかかるのですね、そういう域になるまで。その辺、ある意味で思い知らされた1年だったんじゃなかろうかとも思います。これから2万円圏に向けて株価上昇局面、ということは老舗も生き返るわけであります。



2005年12月25日(土)
みんな忘れてはいけない、本当のクリスマスは今日である。が、なぜかイブのほうが盛り上がるようになったのだが、なんでであろうか・・・。昼間NHKで見たドキュメンタリーによれば今のような形のクリスマスというのは基本的にドイツ発祥、道理でクリスマスツリーはもみの木である。これがアメリカに渡ったドイツ系移民によってアメリカで広まり、世界的なスタンダードになった、ということらしい。その番組では第一次大戦イープルの戦場で独英両軍の兵士が期せずして清しこの夜を合唱、ドイツ兵がもみの木を携えて塹壕を越えてくると英軍も銃を捨て、共に祝わないではいられなかった・・・いい話である。戦史ではこの戦場で初めて毒ガスが使われたはずだが、また一方でこういうところも第一次大戦では残っていたようである。
 で、昨日の24日はイクスピアリの千疋屋に頼んでおいたクリスマスケーキと、柿安のオードブルをとってきてあわただしく腹に詰め込み、夕方には出社した・・・のだが、なんじゃこりゃ、である。東京駅周辺は人人人の大騒ぎである。ああ、そうか。やっと思い出したのだった。ミレナリオ、というやつだ。「約400メートルの街路に、計約14万個の電球をつけた22基のアーチがかけられ、カップルや家族連れら、1日としては過去最高の約39万7000人が光の回廊を通り抜けた。東京駅の工事のため、7回目の今年でひとまず見納めとなる。点灯は31日までの毎日午後5時半から同9時と、元日の午前0時から同3時」(読売)だそうだ。私も何度か見たことがあるが、そうか、今回で最後なのか。
 どこかお上りさん、といっては失礼だがあの界隈には土地鑑のない人が、サンケイビルを見上げて大声で言った。「お、ありゃあ、旧長銀のビルだな!」違うって。たしかに妙な張り出しのあるデザインはそっくりだが・・・設計家が同じなのかも知れない、しかし、ぜんぜん違います。都会じゃいい加減なことを大声で言わないことである。
 横断歩道を渡ろうとして黄色い奇妙なタクシーを見かけた。あまりに奇態なのでじっと見つめてしまった。「大名古屋タクシー」と車体に大書してある。なんで名古屋のタクシーがこんなとこまで。まさかミレナリオを見に名古屋から・・・そんなのはあそこの土地の人間の感覚じゃなさそうである。よく見ると小さく(小松川)と書いてある。つまり実際の所、この車両は都内のタクシーなのである。
 その後、調べたら大名古屋タクシーというのは、名古屋の毎日タクシーが東京に大名古屋交通という会社を作ったものだそうで、2004年春から営業しているとかである。京都のMKタクシー以外にもよそから乗り込んできている会社があったのだった。
 にしても「大名古屋」のロゴはまだまだ都内じゃ驚く。私などは名古屋駅前「大名古屋ビルヂング」を思い出してしまった。
 全国的な雪のために今日もやたらと地方向けの新聞が早く締め切り、それで都内向けは低次なもんだからやたら時間が空いている。疲れるのである・・・。


2005年12月24日(土)
 メリー・クリスマス、皆様。今年はホワイトクリスマス、なんてのどかなモンじゃないところが多いようです。岐阜では体育館が雪で圧壊したそうですね。被害者には申し訳ありませんが、どこかの施工した鉄筋が足りない建物など危ないのじゃないでしょうか。
 世間様は3連休の方が多いでしょうか。私は昨日はたまたま公休がつきましたが、今日明日は夜勤なのであります・・・。
 ◇  ◇  ◇
 昨日は天皇誕生日ということでありました。ついでにいえばうちの母親の誕生日でもありました。まいとし、全国民に祝意をいただいてありがとう、あのでありますようで。
 ところで皇室典範の改正というのがほぼ決まった感じになっております。それはそれで私などよろしゅうございますが、しかし一部熱くなって議論する人、よく考えてみれば滑稽な話かもしれません。というのも天皇の代替わりというのは失礼ながら、その方が亡くなる事を前提としております。譲位して上皇になるというのが今はありませんので、天皇は終身天皇でおいでである。今の陛下という方は病気をいわれたことがありますが、しかしこの時代の医学から言ってまだお元気でいかれるだろう。その後の皇太子は40代に入ったばかり。この方が即位するのはいつのことか知りません、とにかく「愛子天皇」が登場するとしたらその今40そこそこの人が亡くなった後、であります。私は皇太子さまとはちょっとこちらが若いけれどほぼ同世代でありますので、要するに私は今の皇太子が天皇となった時代に生きて、愛子さんの時代は晩年に見られるか見られないか、という程度の問題。ましてその後の愛子さんのお子さんの即位なんて絶対に見ることが出来ません。
 まあたとえばですが、皇太子が天皇となって、さらに亡くなるのが50年ほど先だとします。愛子さまは初老のおばさんになっています。もちろん結婚もとっくにされているだろうし、お子さんもいるでしょう。いや、そのお子さんだって30,40という年齢になっているはず。
 要するにほとんどの人にとって遠い未来の見ることが出来ない頃の話なんじゃないか、と思えばどうでもいいような気がしてきます。もちろん関係者としては早くから考えておかないと、皇族離脱や結婚の問題もあるのでいけないというのは承知の上で、しかし大方の普通の人にとっては・・・なんかみんなのイメージで、愛子さんが20歳ぐらいになったら天皇になるような絵が頭の中で出来ていないだろうか、と思うことがあります。
 実際、そのころまで日本国の体勢がどうなっているか。まるで予想不可能です。
 私も年をとってきて、「うちの会社もあと20年ぐらいもってくれればいいんだ」と思えるようになりました。その程度の先のことすら読めません。
 50年先のことじゃあねえ、と思うのであります。
 「この問題については回答しないことにいたします」と天皇陛下は言ってられましたが、それも当然、いちばん関係ないのがご本人であります。なにしろ自分が死んだ後、を前提とした話ばかりですから。

2005年12月22日(木)
なんと言っても今日は「鹿児島県・種子島の西之表市ではこの日、1965年12月17日以来、40年ぶりに雪を観測した。23日午後6時までの24時間予想降雪量は北陸、近畿北部で70〜80センチ、東北の日本海側、関東甲信北部、岐阜県で50〜60センチ、中国地方の日本海側、北海道で30〜40センチ。鹿児島市では11センチ、宮崎市1センチなど、これまでに全国47カ所で12月の積雪記録を更新した」(共同)とのことで、どこもここもすごい雪のようですね。
 なぜか関東南部だけはここまでまったく雪がありません。こうなると奇妙な感じ。鹿児島でこんなに積雪するというのも珍しいのではないか。今日、たまたま鹿児島出身の人と会いましたが、やはり年に一回、つもらない程度に降るというのが普通、ということでした。
 ◇  ◇  ◇
 特になんということもなく、会社におります。雪のために地方向けの新聞の校了が早く面倒であります・・・。今日はそんなこんなでこのへんで。


2005年12月21日(水)
なんかこのところ「映画批評サイト」みたいで恐縮だが、昨日の「あらしのよるに」に続いて年末映画「ロード・オブ・ウォー」を見て参りました。前にも書いたが「ヤマト」「キング・コング」などはまだまだ慌てないでもずっとやっているだろうし、ハリーポッターなど来年の春先になってもやっていそう。冬休み限り必定、という感じの映画を取り漏らさないように見ているわけです。
 で、このニコラス・ケイジの新作。前の「ナショナル・トレジャー」が理屈なしのどっちかというと能天気、アメリカばんざい型映画だったのに引き替え、今作はまたなんとブラックな作品に出たもんでしょうか。ご本人もパンフレットによれば、台本を読んで暫時、出演するかどうか悩んだとか。なにしろ武器商人のお話であり、アメリカ籍の「偽ユダヤ人」であるこの主人公が、世界を股にかけて、特に崩壊後の共産圏から武器を横長して、アフリカ貧困国に供与、ぼろもうけしていく様がきわめて具体的に描かれております。そしてまあ落ちというか、だいたい想像は付いたけれど、「一番悪い武器商人はアメリカおよびその他の安保理理事国じゃん」というもの。
 そこらはちょっと教訓臭も漂うのだけど、全体を通してはブラックジョークで貫いた武器バカ一代記という趣。ウクライナからアメリカに来て、のしあがっていく一匹狼なわけで、権力にくっついた古いタイプの人間とはぶつかることになります。そのベテラン死の商人を演じるのが、ロード・オブ・ザ・リングでビルボを演じて有名になったイアン・ホルム。
 まあ全体にコミカルとはいえ胸くそわるいようなお話もてんこ盛りであります。特に貧困国の軍事政権やゲリラをあおって武器を買わせ、平和がやってくると余剰武器を買いつけて流す・・・そんなもんでもちろん米軍もお得意様、という具合。
 アレキサンダーで王様の同性愛の恋人を演じていた人が、主人公の弟役ですが今回はヤクチュウで自滅していく役柄。つくづく不幸顔な人です。
 その、兄弟で薬におぼれるときにはエリック・クラプトンの往年の名曲「コカイン」を流すなど、なかなか全編通して選曲がいい。ウクライナから武器を買いたたくところではボルガの船曳唄やチャイコフスキーが流れてみたり。お遊びもたっぷり。
 というわけで娯楽作品として一級品なんですが、後味は決して良くはない、やっぱり題材だけに。しかしある意味、軍事や国際政治に興味のある人は必見かも。
 大活躍するのはカラシニコフAK47と、イスラエル製ウージー・サブマシンガン。主人公は主にこの二種類で儲けます。結局、小口径の銃火器こそ大量破壊兵器である、というせりふが出てきますが、そのとおりなんですね。
 案外に、映画全般のテーマをいちばん表しているのは冒頭の、銃器工場で銃弾が作られてから出荷されて、アフリカで使用されるまでのミニドキュメント風の映像。あれだけでも必見かもしれないです。
 こういう作品にトライしたニコラス・ケイジに拍手を贈りたいと思いました。なかなかあの国では勇気がいることなのじゃないでしょうか。

2005年12月20日(火)
ゆうべは「あらしのよるに」というアニメ映画を見てまいりました。年末にはいろいろ見たい映画というのがあるんですが、冬休み期間が終わると終わってしまいそうなアニメ作品から・・・ということでした。
 94年に発売以来ロングセラーとなっている人気絵本のアニメ化ですが、基本的な筋立ては本来、敵であるオオカミとヤギの間に生まれた友情、というものです。
 ただこのオオカミとヤギ、という対立関係は人間社会の擬人化ととらえると少々ややこしく、捕食者と食われるもの、の間の非対称性、つまり一方的な関係は人間の社会ではないものであります。ヤギのほうから反撃はできないですから。
 でまあ、あらしのよる、真っ暗な中で図らずも芽生えた友情、やがて仲間たちからの疎外と逃避行・・・とまあ、想像できるような展開になるんですが・・・これが泣けますねえ、本当に。場内も号泣する人多数。よく描けています。
 あまり詳しいことを書くとなんです。いろいろと評判の映画も多いですが、これは見逃さないで・・・と申し上げておきます。
 なんかこう、友情関係なんだけど、恋愛関係のようにも見えます。不思議なお話といえば不思議なお話です。シリアスなことからも逃げていません。あくまでもオオカミから見てヤギは餌です。その点をしっかり描いているからこそ、この作品のハートフルながら骨太なバックボーンが出来ているのでしょう。
 ◇  ◇  ◇
 姉歯氏その他の家宅捜索があったようであります。なにかわかるのか、わからないのか。注目されるところ。

2005年12月19日(月)
 「フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルで初出場優勝した15歳の浅田真
央(グランプリ東海ク)が年齢制限で来年のトリノ五輪の出場資格がないため、東京都渋谷区の日本スケート連盟に特例措置の働き掛けを求める電子メールが400通以上も届いていることが18日、分かった」(読売)というのだが、そういう声が出るのはまあ当然だろうと。なんで年齢制限なんて、という気になるが、要するにタラ・リピンスキーみたいなくるくる回るのだけがうまい子供にばかりメダルを取られては困る、ということだそうである。してみると浅田選手もその「くるくるがうまい子供」と見なされているわけか。でも世界女王が出ていない五輪で金メダルとってもそれは真の金メダルなのか、という話に当然なるであろう。まあ馬鹿げた既定だったということだ。あまりほかに年齢制限のある競技もないようで、それに次回となると4年も先、15歳の人も19となってピークを過ぎてしまう。
 そういう調整をしたいなら採点基準などでやるべきで、年齢制限など必要なかった、ということだろうと思う。実際、こういう審査もので問題なのはスポーツに限らず、何事でも選手や出品者ではなくて審査のほうである。
 ◇  ◇  ◇
 米20人に1人、英語読めず(共同通信)という記事を見かけた。「米国に住む16歳以上の男女のうち、20人に1人に当たる約1100万人が英語の文章を読めないと推計されることが、米教育省が18日までにまとめた「2003年読解力調査」で分かった。ヒスパニック系など移民の急増が一因とみられる」というのである。昔の中曽根首相のセリフを思い出してしまう。もっともこれは英語が読み書きできない人、の話であって別に学力全般が低い人とは限らない。スペイン語で押し通せば通じる国になりつつある、ともいえる。グローバルスタンダードは英語、というのが詰まらない思い込みであることの証左ではある。おそらくアメリカが消極的なのでなかなか完成度が高まらない自動翻訳システムも、しかしおそらく今世紀の半ばにはかなりいいものが出来るに違いない。
 電子メールが出来れば威張れた数年前を思い出してみる。英語も同じじゃなかろうか。やがて大したスキルじゃなくなることは必定と思う。
 ◇  ◇  ◇
 読売新聞で「耐震偽装問題で、国土交通省や自治体に対し、「税金を投入するのはおかしい」といった意見が寄せられている」というのを見た。「新潟県中越地震の被災者などに比べて支援が手厚すぎるといった指摘も目立つ。一方、インターネットの掲示板では被害者のマンション住民を中傷する書き込みが相次ぎ、「まわりの人に敵意を持たれているようで怖い」と訴える住民も出ている」ということである。
 実際、地震や台風で家が壊れても国はそんなになにもかもは助けてくれない。偽装問題では国にも責任の一半があるのは間違いないが、しかしだからといって、という声は実は私の周辺にだってけっこう多い。「阪神大震災を経験したが、あの時は住宅再建に税金は使われなかった。不公平だ」というような声もまた多いという。
 これを心無い、といって切り捨てるのは容易ではない。そういう指摘もまた間違ってはいないからである。
 小さな会社の安い物件を買うのはリスクの高いものを選んでいるのであって、家に欠陥があったら自分でかぶれ、ということは住宅一般で言ったら確かにその通りである。今回の偽装ではない欠陥住宅をつかまされた人には、なんの補償も救済もあるまい。ローンを抱えてそのうえ家賃も払うなんて、というのは家を買う人には常にあるリスクである。堀江貴文さんが賃貸主義なのはそういうことである。私なども実は最近の金利とか不動産の下落局面を見るまでは賃貸主義だった。底値だと判断したから買ったまでである。
 万が一なにかあっても、とりあえず浦安市そのものがなくなるような天変地異が起きない限り私の地所は残るだろう、ということだった。マンションなんて考えもしなかった。
 なにかあった場合に結局、身動きが取れないマンションを買いたがる人というのがどうしても私には理解できないのだが・・・。
 

2005年12月18日(日)
 ヤドカリにダニがわいて、というような話を前に書いたが、妻が懸命に「看病」して
、ヤドカリのパウルスは見事に立ち直ったようだ。どうもこのムラサキオカヤドカリと
いう沖縄原産の種類は、貝殻をあまり替えない、つまり「宿替え」をしないようで、随
分、古くて汚らしいどこかからずっとしょってきた貝を手放さない。それはそれでいい
のだが、不潔なペットショップからばっちいものを持ち込んだまま、ということになり
かねない。ほかの種類のは、うちに来た途端にそりゃもう一目散にほかの貝殻に替えて
しまった。人間が見ていようがなんだろうがお構いなし、それほど汚い貝殻が気に入ら
なかったようである。
 ◇  ◇  ◇ 
 そういえば、その後、うちにはウキガエルという東南アジア産のカエルが5匹、やっ
てきたという話も書いた。あれも餌に何をやるか困った挙句、妻が愛知県の専門業者か
らわざわざ飼育用コオロギを買って、やってみたところカエルのほうは大いに喜んで元
気にしている。問題はコオロギの扱いで、こっちも餌用とはいえ生き物なんだから、食
わせるまでは飼育しないといけない。ところがこいつらもすくすく育ってしまって、妻
が「コオロギもよく見るとかわいい」なんて言い出すし・・・である。困ったものであ
る。
 ◇  ◇  ◇
 コオロギで思い出した。NHKの「みんなのうた」というコーナーは誰しもご存知だ
ろうが、あれの12月の曲でなかなか印象深い曲がある。「グラスホッパー物語」とい
うのがそれ。グラスホッパーというのはバッタである。そのバッタのような緑色の燕尾
服を着た人がタップダンスを踊りながら歌っている。誰かと思えばあの「のっぽさん」
である。高見のっぽさん、というんですな。
 普通、みんなのうた、というのは5分ずつ2曲で10分だと思うが、この曲は10分
間通しで1曲。珍しいことだと思う。年老いた「おじいさんのグラスホッパー」が、孫
たちに若き日の冒険を語る、という筋書きで短いミュージカルのような仕立てである。
 「いつの間にか時は過ぎ 若き日は遠く去るよ 孫たちよ飛んでおくれ おじいさん
の願いさ」
 と歌うこの歌詞も高見さんの自作。しんみりと実感がこもって、今の子供たちへのメ
ッセージ、というのがじんわり伝わる。名作である。8分の6拍子のちょっと物悲しい
曲調はあの「メリー・ポピンズ」の名曲「チム・チム・チェリー」を思わせる。実際こ
れはロンドンが舞台だというから、作曲者のイメージにポピンズがあったのかもしれな
い。
 実はこの曲のDVDが発売されたり、既に来年の再放送が決まっていたり、なかなか
評判でスマッシュヒットらしい。今年は間に合わなかったが、もう少し間があれば紅白
だってありえたか。団子三兄弟以来の「みんなのうた」の評判曲になるかもしれないと
思った。
http://www.nhk.or.jp/minna/new_song/new_song.html
◇  ◇  ◇
 報道によれば、米空軍の最新鋭戦闘機「F22」が実戦配備されたという。第一戦闘
航空団に最初の飛行隊12機が配備されたとか。ステルス性能、アフターバーナーなし
での巡航高速性能などほとんどSF的な性能の代物で、まずもって今世紀の半ばぐらい
までは主力を張るはずである。とにかくジェット機は案外に寿命が長い。コストを考え
ても使い捨てに出来ないほど高価だからでもある。
 考えてみればずっと第一線で頑張ってきたF15イーグル戦闘機なんて、私が中学生
の頃に登場したもので、その当時「最新鋭戦闘機」としてこれと、やはりまもなく退役
が決まっているF14トムキャット、それから近頃影が薄いF16が喧伝されていたも
のだ。そして、イラク戦で主力となったFA18は、まだそのころは「F16に競争試
作で敗れた機体」だった。その後、こっちが奇跡の復活を遂げたのは意外だった。ちょ
うど大戦中に性能が安定しないF4Uコルセアに代わってF6Fヘルキャットが大量産
され対日戦争の主力となったものの、戦争終結後はF6Fは瞬く間に退役となり、コル
セアのほうが朝鮮戦争の主力に返り咲いた、というのに似ている。
 なんにしてもそのイーグルから30年近く、更新はなかったわけだ。逆に言っていか
にF15が先進的だったか、ということでもある。この戦闘機のライバルだった旧ソ連
のミグ25など既に影も形もない。
 F22の愛称はずっとラプター(猛禽)とされてきた。恐竜の名前で「なんとかラプ
トル」というのがよくあるが、あのラプトルに同じ、である。イーグルより上、という
ことなんだろう。このへん変更はないのだろうか。ライトニングである、という情報も
あったようだが。こっちは戦時中に山本五十六機を撃墜したペロハチことP38ライト
ニングを思い出させる。
 おそらく来年あたりにはニホン、というかオキナワにも配備されるだろう。極東地域
はまさにこのような新兵器で威嚇しなければならない相手を控えているのである・・・



2005年12月17日(土)
 例のみずほ証券の誤発注の一件、「千葉県市川市に住む無職で27歳の個人投資家が、誤発注に応じて同社株を最大7100株取得し、約20億3500万円の利益を得ていたことが16日、関東財務局に提出された大量保有報告書で明らかになった」(読売)というのは昨日の大きな話題。ご存知の方が多かろう。「12月8日に7100株を取得し、その日のうちに1100株を市場で売却・・・13日の決済日に株券の代わりに現金の支払いを受けて決済した。これまでに、東京・六本木に住む24歳の会社役員の個人投資家も約5億6000万円の利益を得たことが分かっている」ということで、大量保有報告書を出すほど買い占めた人というとこのお二人のようである。
 特に市川の人は自己資金で買い占めたようだからもともと株式投資が職業、プロの個人投資家なんだろう。元手が30億以上もあったわけでしょうから。つまりもともと金持ち。やはり元々ある程度資産がないと博打も打てないのは世の道理であります。
 金を持っている人がますます儲けるんですねえ。私なんか初日のストップ安の値段でも1枚も買えないですよ、本当に。
 ◇  ◇   ◇
 が、この一件に便乗して少なくとも160億だか儲けたのは同業他社の皆様。で、自民党なんかに怒られて返金することになりそうだが、そのまま返すと、いったん確定した利益には課税されるので大損になる、ということになって、証券業協会の基金に損金として負託するような形にするとか。それでも、「別に不法行為じゃないのに返金するとなると、株主代表訴訟を起こされるかも」なんて懸念もあるとかで。どこどこまでも呆れた話である。
 ◇  ◇  ◇
 これをやらかしたみずほ証券の担当者、という人も、いまだにどういう人かわからない。当初は20代の女性、といわれ、その後は男性、といわれているが、みずほ証券ががっちり隠しているようなので、噂の真偽も含めてまったく分からない。
 ◇  ◇  ◇
 私の詩集「ナヴァロンの秋」(土曜美術社出版販売)について、歌人の黒瀬珂瀾さんがご自分のブログで素晴らしい批評を書いてくださっている。実に的確で作者として非常に嬉しいのである。http://www.kurosekaran.com/aurora/archives/000396.html
 この詩集は自分の言葉を自分で否定していく相対化そのもの、「詩なんて無意味だ」「言葉に力などない」と書いた詩を書くこと、そして「こんなもの誰も読まない」といいながらご丁寧にちゃんとした出版社の叢書の一冊として出すこと、その論理矛盾そのものがテーマであると、こうして気付く人は気付くのである。
 ほかにもたくさんの方からご激励をいただいている。詩人の人ばかりじゃなく、未知の一般の方から激励のメールをいただいて感激などしている次第であります。
 面白がってくれる人が一人でも二人でもいる間は、詩人という立場を引退できないようである・・・。
 ということで、また一作、掲げて宣伝としておくのである。


若いやつらを嫌いぬけ

若いやつら
若いやつらを嫌いぬけ
俺の順番だ 俺の順番だ
そうとも

長い長い間 俺たちの上に座り込んでいた連中が
なかなか立ち去らないうちに
また下からよけいな連中が邪魔立てするのかよ
いい加減にしやがれ
いい加減にしやがれ
俺たちは待っていたんだぞ
俺たちは待っていたんだぞ
お前らが
分子原子の状態の頃
星屑の中で燃えていた頃
父母未生以前の頃

俺はもう順番を待っていたんだぞ

速度が上がっているのに気がつかないで
みんなキーキー叫んでいる
気が立っている
どこの公園に行っても
子供たちは正気を失っており
人攫いはポケットのナイフを握り締め
家に帰れば一家心中を夢見る親たちが
熱心に包丁を研ぐ
ああああ 目張りをして
練炭を買い込み
人生の最後だけは
自分でコントロールしたいものだね
とチャットの相手と語り合う

だというのに まだ俺の順番が来ない
いい加減にしやがれ
いい加減にしやがれ
俺たちは待っていたんだぞ
俺たちは待っていたんだぞ

誰も返事をしてくれない
のはなぜだ。



2005年12月16日(金)
「名将、死す。今シーズン、統合球団オリックス・バファローズの監督を務め、球団のシニア・アドバイザーに就任していた仰木彬(おおぎ・あきら)氏が15日午後4時10分、福岡市内の病院で呼吸不全のため死去した。70歳だった」(スポニチ)というのはスポーツ音痴の私でも驚きました。体調が悪いとは聞いていたが、こう急になくなるとは。野球に興味がない、というような人種であっても、イチロー、野茂を世に出した仰木監督の偉大さはよく知られています。才能ある若者は時々にいるわけです。それを引き上げるような伯楽がいないと、結局、そういう人が世に出てこない。世界的プレーヤーになったその二人の弟子も、たとえば松井や清原のような中学高校からスター選手、というよりは鳴かず飛ばずの時代が長かった遅咲き。特にまったく無名だった鈴木一朗選手を天才イチローに変身させた手腕。
 私は、監督としては89年ですか、あの日本シリーズで近鉄を率い、巨人に三連勝してからチーム全体が弛緩し、巨人を愚弄するようなことを選手が放言、それに激怒した巨人が発奮してその後、4連勝されて優勝を攫われた・・・あのときは駄目なチームだな、と思ったしあれだけ弛緩するのは指揮官もいかがなものか、と率直に言ってあのときはやはりそう思った。
 が、その後の仰木門下の大活躍に接して、やはり教育者、発掘者としての手腕が凄い人だったのだな、と認識したのでありました。それは人間としての器の大きさを物語っていると思うのであります。
 ◇   ◇   ◇
 このところちょっと話題になっていたレコード大賞の審査委員長・A氏の失踪事件は、結局、全焼した氏の自宅の瓦礫の下から氏の遺体らしきものが発見されて一応、謎は解けたそうでありますね。が、氏に対しては怪文書が乱れ飛んでいた、という件との結びつきなどはいまもって不明のまま。
 それで、本当のところなんだったのか。まあ・・・レコ大といって久しぶりの話題はこれでした。近頃じゃまるで話題になりませんから・・・。しかし演歌系の人にとっては今でもこれと有線大賞は大きいそうで、両賞の選考に携わり、委員長に就任したA氏に大きな権力があったのは間違いない。
 しかしあれだ、報知新聞の芸能部長なんてやると、老後にこういうおいしい仕事もあるんだなあ、知らなかった。
 ◇  ◇  ◇
 近頃、車を運転したり、バスを乗り継いだり、日によって違うのだがとにかくそういう手段を使ってかなり遠くまで行くような夢をよく見ます。
 夢診断的には、変化を望む、または変化の予兆、そういうことだそうです。
 まあ、なにせ飽きっぽい人間なもので。4,5年やるとどんな環境にも人間関係にも飽きてくるところがありまして。転校の多かった少年期の影響でありましょう。

2005年12月15日(木)
 昨日の耐震強度偽装問題に関する証人喚問で、いくらか面白かったといえるのは例の四ヶ所氏名の「鉄筋を減らせ」直筆指示書、だったですね。あの総合経営研究所、というの、前にも内河所長直筆の「鉄筋を減らせばもうかる」指示書が出回っている。ここはなぜか、直筆の指示書をファクスで送りつける、というのがスタイルなんですな。しかし、これは後になって「あれは秘書が書いたものです」というような言い訳が出来ないですな。
 内河氏は偽証罪になる可能性が出てきたんじゃないですか。
 ◇  ◇   ◇
 あほな話が多くて困りますが、あの塾講師の殺人というのも、偏差値75だかペーパーテストは出来たもので有名大学には入ったものの、落ちこぼれて盗癖まで出て、何度も窃盗をやらかして最後は傷害事件で停学をくらい一挙に将来を悲観、そこで塾の先生として正規採用してもらおうと思って塾に潜り込んだが、そこでもちっとも評価が高まらないでバイトの身分から昇格できそうもない、これはきっとあのガキ(被害者)が俺のことを悪く査定しているに違いない・・・まあ基本的にそんな動機なんだということが分かってきた。
 まあ大学に入るまで一度も挫折を知らないやつなんであろう。これ、本当にそういうやつがいるんである。事実上、うまくいかなかったことがない、という。
 私はある精神障害をわずらって社会復帰に奮闘している人の手記、というのを読んだことがあるが、その人などは有名高校から東大へとまっしぐらで、テストはいつも一番、おまけに運動も得意で運動部でも主将を歴任して全国大会にも出場歴がある、大学でもなにかのキャプテンになって・・・まあ文武両道、なにをやってもエリートでリーダー、人の下風にたったことがないまま就職して、いきなり社員研修で・・・たしかそこは大手電機メーカーなんだが、自分のような選ばれた人間はすぐにも幹部になれると思い込んでいたら、当たり前のことだが現場研修からやらされて、それで発病した、というような内容だった。はっきりいって同情できない、悪いが自業自得、周囲にいた人も駄目な大人たちだったのかな、と思いましたね。
 子供がなにかでいい点を取った、それで有頂天になっていたら「それでお前、満足なわけなの?」と冷や水を浴びせるような親は必要だと思うデスね。子供は褒めて育てろ、とはいうけれど、もちろんそうあるべきだが、しかし親が一緒になって天狗になって浮かれていてはならない。子供がなかなか優秀でよくやっていると思ったら、「よかったね」と褒めるのはよろしい、しかしそれで「お前は天才だ」とか「うちの子は優秀なんです」と自慢して歩いているようじゃその子供、そこで終わりである。必ず上には上がいる。「じゃあ、今度はもう一段上を目指そうね」と目標を示すべきなんだろう。はっきりいって日本一になったような子供に「じゃあ今度は世界だな」と言えるような親も相当な器量がなくてはならない。
 結局、子供の素材を生かすも殺すも親次第、というのは本当であろう。
 実際、先の例の人の場合でも「ふーん、それはまあよかったけど、その程度で満足なのかい。俺はまだまだ不満だな」と冷や水を浴びせる親なり教師がいれば、この人は井の中の蛙の全能感に陥ることもなく、慢心もしないで発病もしないですんだに相違ないのである。やはり「全国大会か主将かしらないが、それでプロになれるわけじゃないんだろう?」とか、あるいは「東大と言ってもあんなにたくさん学生がいるんだ、みんながみんな成功するわけじゃない。それに外国に行ったら東大なんて言ってもだれも感心しない。お前なんてどこの会社で通用するか冷静に考えてみろ」とか、言ってやる必要があったのだろう。
 元塾講師の容疑者は、この人の例よりは少し早く「神童の化けの皮」がはがれたのだろうが、やはり修正するには遅すぎたようだ。別に彼について評価が低かったのは被害者の女児だけでなく、ほかの生徒や父兄からも「自慢話が多い」「ひとりよがりで思い込みが激しい」とさんざんな評価だったらしい。実際、私もある塾でせんせいをやっていたが、妙に学力エリート的な講師はかえって生徒から「あのセンセイ、幼稚だよね」なんていわれて馬鹿にされていたもんだ。むしろ屈折していてものがわかっているような先生のほうが、特に成績のいい生徒からは信頼される。
 東大に行きたい、という生徒に東大生の教師をつけるのは、だから実際には愚策であるかもしれない。
 ◇  ◇   ◇
 ブッシュ大統領が「開戦の必要はなかったかもしれない」というようなことを率直にいうようになったそうだ。要するに大量破壊兵器、というのは作り話だったと認めたわけでありますね。ただ、それでもフセインを倒したのはいいことで、イラクは徐々に民主的ないい国になっています、と強調しているようだが、本当だろうか。民主的にやれば多数派の声が通る。イスラム化が急進している、女性もスカーフして、運動や仕事をするな、男は髭を剃るな、という風潮が出てきているそうである。あのへんの国ではほっとくとイスラム化する。多数決でそうなってしまう。決して「欧米型」の社会にはならない。ニホンで欧化が進んだのは天皇以下上の人から洋服を着て髷を切ったからである。イスラム法学者が進んで髭をそって酒を飲み、女性のスカーフを外すよう提言するなんてことがあるだろうか。


2005年12月14日(水)
今日は姉歯どもの証人喚問ということで、面倒臭いなあ、と思いつつ出勤。が、夕刊の時間帯で扱うのは最初の姉歯だけと分かっていたので、案外、編集局はリラックスムード。全部まとめて総括するのは夜勤の人に任せるよ、ということでまあ、実際に割に楽勝ですんでくれた。よかったよかった。 
 しかし姉歯君、でぶでぶしてて別に精神的にどうこうという感じはしない。むしろぺらぺらしゃべるなと圧力でも受けていたんじゃなかろうか。話した内容というのはまあそんなものか、という程度で爆弾発言というのもなかったみたいだ。要は彼の言いたい事というのは弱い立場の自分は、施工主のいいなりで偽造計算書を作るしかなく、それを見て検査機関なり国なりが見抜いて、もっと早くだめ出しをしてくれればこんなことにならないのに、というもの。まあ一分の真理はあるかもしれないが、甘えた言い分ということは間違いない。なにしろ実行犯は間違いなく彼なんだから、ほかに教唆した人や指示した人がいくらあってもたとえばほかの殺人事件等だったら、なんといっても手を下した本人が一番悪いのは言うまでもない。また、その殺人事件をつかまえなかった警備会社や警察もけしからん、というような主張をもし殺人犯が述べ立てても、そのことに一分の真理があったとしても、自分でやったこととの言い訳にはなるまい。
 その後の連中の喚問はほかの仕事があってよく見ていなかった。なんだか木村の元東京支店長というのがとにかく九州なまりのアクセントで緊迫感がないな、と思っただけ。
 まあ、連中の言い分を聞いていると、みんながこんなもんだろ、ということで動いた結果誰の責任か分からない、という日本のこういうべたべた構造にありがちな話である。先の姉歯の論理なども、たとえばアウシュビッツの看守の論理のようなもんである。悪いのは上野連中でオレは下っ端で命令に従っただけなんだ、というあれだ。
 ◇   ◇   ◇
 先日、うちの妻が壊れたステレオを通りすがりの廃品回収屋さんに引き取ってもらうことに成功した。成功した、というのもいつもものすごいスピードで通過してしまうので、うまく声が聞こえてから、車を引き留めるのがなかなか難しいのである。例の「さおだけ屋はなんで潰れないのか」に、さおだけ屋というのは本業がさおだけ屋ということはまずなく、ほかの業種、金物屋さんなどが車の回送の途中でついでにやっているのだ、という説明があった。だからこういう業者もおそらくはそんなわけで、本当には回収に熱心でないのだろうと想像される。
 しかしその業者、加藤興業株式会社さん、というのが正式名称なのだが、トラックの側面に大きく赤い字で「KKK」とある。アメリカ人などが見たら仰天するかもしれない。たとえば日本のサービスステーション(SS)を見てドイツ人が仰天する、というのと同じようなお話だが。
 ◇  ◇  ◇
 ここ数日、ヒルズの「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」と、東京駅「TOKIA」の「丸の内ルクソール」に行ってみた。どちらも7000円ぐらいのコース。かたやはフランスが誇る天才シェフ、ジョエル・ロブションの日本店舗、かたやは白金のイタリアンの有名店の新店舗。で、どっちが、という採点はヘンだがはっきりいってルクソールの完勝であった。
 ジョエル・ロブション、店の作りはカジュアルで肩肘張らない「アトリエ」のはず。なのにヒルズという場所とロブションのブランドに日本人スタッフが押しつぶされてしまっている感じである。余裕がない、楽しさがない。料理もマニュアルをきっちり守っているけれどなんか堅苦しい。元のレシピそのものは明らかに独創的なもので、もちろん悪い訳じゃないが、なんか再現が違う、と感じた。言ってみればマニュアル遵守の高級なマクドナルドのようにも思える。あるいは譜面通りに正確に弾くだけの野暮なピアニストとか。ニホンジンが陥りがちな罠だ。ロブションのプログラムは本来、ええ加減なラテン系の人等を律する狙いのものじゃなかろうか、日本人に応用すると本当にその通り、の枠に収まってしまうのじゃないかしら。店内もぴりぴりしてリラックスできないね。厨房も真面目にみんな動いているけど、楽しさがない。
 ルクソールはのびのびしていて、店内もにぎやか、それにアルデンテのパスタもほろほろ鳥もうまい。ひさびさになんか愉快な気分で食えたね。気取っていないスタッフも店内の雰囲気も良いし。高級感も上品さも洗練もあって当然、それをうまく崩している感じがよろしいと思いました。
 ま、人の好みはそれぞれですが。ううむ・・・なんかいっぱしのグルメぶってみました。たまにはいいでしょう、わはははは。
 

2005年12月13日(火)
 ゆうべ発覚の事件だが「宮崎大医学部(宮崎県清武町)の2年生男子6人が、死んだウサギを自宅で解剖、その様子を撮影した写真を、ブログ(日記形式の簡易ホームページ)で公開していたことがわかった。・・・6人を11月10日から自宅謹慎とした上で、14日に開く教授会で処分を決める方針だ。・・・学生らは今年7月、大学非公認のサークル「うさぎ狩り部」をつくり・・・インターネット上に「9月15日には悲願の初のうさぎ狩りを果たす」との記述があり、このころから解剖したウサギの写真の掲載を始めたとみられる。・・・ブログのアドレスを記載したポスターを大学内に掲示。10月には、ブログを見た学生らから大学に苦情が寄せられたため、発覚した。・・・学生らは「ウサギは宮崎県内をドライブ中に車ではねた」「メンバーの自宅に持ち帰り、家庭で使うナイフで解剖した」と話しているという。医学部の佐藤泰範・総務課長は「ブログには大学名が掲載されており、大学の名誉も傷つけた」と話している」ということだ。
 以前にも「壁に耳アリ」なんてやって首になった馬鹿な医学生がいたが、まあなんとなく専門で勉強している人間特有の不感症、というものも想像できなくはないが・・・というのも職業的に接していれば人体だって動物の生体だって、非情に物としか見えなくなるし、また或る意味そうでないと仕事として毎日やっていられない、ということだが、それはあるにしてもこの人らのなんというか・・・幼稚さ、無邪気ぶりには馬鹿馬鹿しくなる。
 なにしろ学内で宣伝していたぐらいだから、これが知れ渡るとかなりまずい、という想像が出来なかったということが問題であって、こいつらは、その先行する「壁に耳アリ」
事件なんかは聞いていなかったのだろうか。それでなくとも医者とか医学生に対して世間の目は相当に寛容ではない。それなりの人じゃないと困るし、また高い収入を貰ってるんだろうし、という半ば重い期待、半ば嫉妬で監視していることを理解していないといけない業種と思う。
 実際、フツーの馬鹿学生がこれをやってもそれほどに問題にはならなかっただろう。将来人体を扱う立場の人間が生体で悪ふざけしているようでは、後々とんでもない、という話である。
 しっかし、先日の京都の塾講師の一件でもあの犯人の幼稚さには誰もが呆れるところだろうが、・・・というのも冷静に見て、たとえなにがあったにせよ、生徒を殺すというリスクをおかして彼が得られるものがなにもないので、それを実行してしまうふわふわした感覚が理解できないからだが、あれもこれも優秀な大学でのお話である。
 何となく自分の学生時代を振り返っても思うのだが、大学というところ、必ず交友関係の中に、少したるんだ感覚で遊び仲間を作って、一生懸命、勉強している者を冷笑したり足を引っ張ろうという気分を持った「おふざけグループ」みたいなものが出てくる。みんなその学校に入れる程度の学力はあったわけで、全員が中学高校では一応、エリートだった人であるから、ひねだすとプライドがなまじあって始末に悪いものだ。
 近頃はまた時代の雰囲気で、あるいはバブル以後の学生気質が一貫しておふざけというか太宰治が言う「お道化」気分が主流派なのかもしれない。「うさぎクラブ」なんてのもその手の落ちこぼれお馬鹿の集団かもしれない。同志社法学部にせっかく進学しつつ、窃盗傷害、停学、そして殺人なんてやらかしたあいつもいってみればちゃんとやれないで身を持ち崩した元エリートであろう。早稲田大学の強姦サークルなんてのもそうだろう。
 お道化のおふざけでやっていければいいが、世の中どんどん世知辛くなっている。お幼稚な感覚の話を聞くとどうも不愉快で仕方がない。

2005年12月12日(月)
 「牛丼チェーン「すき家」を展開するゼンショーは12日、輸入再開が決まった米国産牛肉について、「残念ながら、日本の消費者に安心して提供できる段階ではない」「使いたいが使えない」などと、当面、使用を見送るとする見解を発表した。ゼンショーは独自の現地調査を踏まえ、1危険部位の完全除去が日本の基準から見て不十分2飼料規制も不十分―などと指摘している」(共同通信社)ということだ。
 牛肉輸入再開事態は別に構わないことである。ただ、「これは米国産である」とはっきりと明確に表示すること、流通小売の段階で決して嘘のないようにして欲しいと思う。これを買うか買わないかは消費者の自由である、ということでいいと思う。
 ◇   ◇   ◇
 そういえばゆうべは浅草の○○で会社の忘年会というのがあった。昨年は幹事でそれなりに面倒だったが今年は単なるお客さんである。が、・・・○○には悪いが、どうも酒にしても肉にしても、ちょっと納得いかなかったな私は。○○のすき焼き、もっと美味いと思うんだが。集団客向けはあんなもんなのか。
 私は1時間ぐらいで中座して、別の宴会へ向かった。とかく年末である、いろいろとバッティングもあって・・・。
 ◇  ◇  ◇
 ヤドカリを飼っている、と再三書いてきたが、そのなかの一匹のパウルスというのが1か月半も砂に潜ったままになっていた。脱皮のために砂に潜るのは普通のことだが、おおむね1ッ月で出てくるものなのでおかしい、という話だった。
 で、妻がいい加減におかしいな、といって掘り出してみたところ・・・なんとダニがびっしり湧いていたというのである。げげ、である。
 かなり不潔な環境の店から連れてきたものなので、ひょっとしたらダニもその店から連れてきたんじゃないかと思われる。なにしろ当初は小さなゴキブリの子供まで殻の中に入り込んでいるほど不潔な状態だった。ほっといたらダニに食い殺されたであろう。
 とにかくひどいペットショップもあるものである。
 ◇  ◇  ◇
 ドイツ製の時計を二つ手に入れた。ハンハルトのレプリカと、ラコーのパイロットウオッチである。どちらも実際に第二次大戦中のドイツ空軍が採用していた腕時計であり、高性能だがお値段もなかなかそれなり、である。もっともロレックスとかオメガとか買うことを考えればそれほどではない。
 昨日はハンハルトのほうをしていったが、二つ目の宴会で「いいですね、しれ」としきりにいわれた。
 実際、いわゆるブランド物なんてまるで興味がないですね。こういうちょっと変わったもの、マニアックなものに引かれる。


2005年12月11日(日)
昨日の塾での殺人について、共同通信の記事で「宇治署は11日、塾の指導をめぐるトラブルが動機との見方を強め、アルバイト講師で同志社大4年萩野裕容疑者(23)の本格的追及を始めた。調べなどによると、紗也乃さんの親から講師の交代を求める申し入れがあり、10日の試験監督を外すことを塾側が先週、萩野容疑者に通告していた」のだそうであるが、犯人のセンセイはなんかトラブルを起こしていたようですな。相手の親も出てきて、本人的には危機感を持っていた・・・のだろうとは思う。
 どういう種類のトラブルだったのかはわからない。授業が駄目だったのか、セクハラでもあったのか、生理的に合わなかったのか、そのへんの具体的な話が伝わっていないので。
 しっかし同志社といえば名門大学、少なくともこの人、知能そのものが低い人間ではあるまい。被害者は6年生であと2か月もすれば卒業、そういう自分だって4年生なんだから同じく卒業、なのではないか? それとも留年して、もしくは正式に、ここの塾に就職しようとしていたのかもしれないけれど。しかしなんにしても教職系の仕事でひとついいところは、年度替わりでそれまでの人間関係をちゃらにすることが可能な点だ。普通の事業所だとやめるしかないわけである。
 そういう状況でわざわざ殺人するとはねえ。しかも小学生相手に? 吉良様に切りかかった浅野内匠頭の心境、みたいになっちゃったのならアホの骨頂であろう。あれは上役に逆切れした身分下の人の話。仮にも自分は大学生でセンセイである。そりゃあ、社会になんかでないほうがいい人間だった、ということかもしれない。
 もちろん教壇に立つとストレスがあるものである。生意気なガキも多いし、自分の不勉強で授業が成り立たなくなるとか恥をかくこともあるだろう。だけどねえ。塾のバイトなんだし・・・学校のセンセイなら失職の恐怖もありうるかもしれないけど、バイトなんてやめりゃいいだけだし。
 社会出てみなさいよ、ろくなことないよ本当に。ま、刑務所でたっぷり社会勉強させてもらえるんだろうが。
 ◇  ◇   ◇
 なんか九州のどこかのマンションで99年施工、姉歯とは無関係の物件にも構造偽装疑惑が出てきた、という話をテレビで見た。
 ほれみろや、という感じである。
 腐った人はほかにもいるはずである。
 そういえばたまたま昨日はいくつかのテレビ番組で地震ネタをやっていて、高層マンションは電気が止まりエレベーターが止まれば「高層難民」つまり高層階の住民が生活できなくなる問題とか、長周期の揺れで高層物件ほど異様な横揺れが長く続いて、甚大な被害を与えるとか・・・高層の上のほうの階を億の金出して買った人には心が寒くなりそうなお話続出であった。
 いざああいう事態になれば億万長者だからとかVIPだからとかいうことで優遇されることはない。
 しょせん高層暮らしなど不自然な生活のあり方なんである。子供が情緒不安定になったり大人がノイローゼになったりするとも言う。そこへきて構造偽装だの手抜き施工なんてほかにもあるとしたら、である。
 昔のお城には織田信長の安土城以来、天守閣というタワーがそびえて権力者の威光を領民に知らしめていたが、落雷とか地震でどんどんなくなっちゃって、江戸時代が終わる頃にはほとんどなくなってしまっていた。規模の大きい5階建ての天守閣で現在まで生き残っているのは姫路城と松本城、4階建てで高知城と松江城ぐらいである。名古屋城とか広島城とかは明治以後もあったのだけど、戦争で焼けてしまって、今あるのは鉄筋コンクリートで立て直したものである。
 要するにああいうこけおどしの背の高い建物は不自然で長持ちしないものだ、ということである。世間を見下ろした気分になって優越感に浸るなんてのは幼稚な発想だ、ということである。
 高層ブームとか言って煽ってきた業界とそれにまんまと乗った人らは頭冷やしたほうがいい時期と思う。あんなのも一種の高層バブルではなかろうか。


2005年12月10日(土)
これなんなんですかね。「10日午前、京都府内の学習塾で、塾の講師が小学校6年の女子児童を刃物で殺害する事件が起きた。・・・午前9時ごろ、・・・学習塾「京進」宇治神明校で、宇治市立神明小学校6年の女児(12)が塾講師の男に刃物で刺された。女児は病院に搬送されたが、午前9時25分、死亡が確認された。・・・逮捕されたのは、同塾講師(23)。「口論となって刺した」と供述しているという」というんですが、子供と口論になって先生が刺した、というのは? まあ思うに・・・23歳のこのセンセイ、小学生と口論して負かされる程度の精神年齢だったのじゃなかろうか。
 私も大学生時代に塾の先生というのを何年もなりましたが、確かにこう、扱いにくい子供もいるし、トラブルというのもあるとは思うんですが・・・しかしこりゃ珍しいよな。きっと間違ったことを教えたとか、そんなことじゃなかろうか。まあ私なんぞさんざんいい加減なこと教えましたし。
 にしても、前から感情的になにかあったのか。あるいは、もっとなにか・・・たとえば被害者の児童に気があってのもつれとか。ま、なんともこれだけの情報じゃ分かりません。分かりませんが、一言で言ってアホやね。
 とにかくこの年末は小学生受難ですな。やたらと被害者が出ております。不思議にこういうのは連続します。といっても、この一件は番外編というか、ほかの変態性欲者の犯行なんかとはまた異質で、なんかどういう次元なんだろう、と考えてしまいました。
 ◇  ◇   ◇
 ふとNHKのドラマ「クライマーズ・ハイ」というのをちらちらと見てしまった。これ、一般人が見て面白いのかしら。新聞社にいる人間だと、なんかしら面白いといえば面白い。とにかく一昔前の新聞の作り方だよなあ、という・・・。電話送稿なんてシーンがあって、今時じゃ絶対にないのでなるほどなあ、と。「販売の連中なんかとは付き合うな」なんていう編集局次長がいたりして、あんなの今時なら考えられませんが。整理が見出し作ったのを貼り付けて降版、なんてのも、今ではない情景。降版たって今はコンピューターのコマンドをぽちっとクリックするだけのこと。
 あと、共同通信の音声速報なんてのは、うちの本社じゃ聞かれない。時事の速報は耳障りな(ってごめんなさい)警報みたいな音で、けっこううるさいんだけど、あっちは柔らかいチャイムなんですな。しらなんだ。
 なんてことを思うのはしかし業界の人じゃなかろうか。ぜーんぜん関係ない人にはけっこうどうでもいいような話かもしれない、とも思う。群馬県の地方紙が舞台で、例の日航機墜落事件を扱っていて、墜落現場が長野県か群馬県かで扱いが全然違う、というようなことで一喜一憂、特に群馬県内では久々の大事件で、連合赤軍以来のこと、それでかつての大事件の手柄話ばかりする上司に、これからは大きな顔が出来るかも、みたいな話があって・・・まあどうなんですか。一昔前だとそんな感じかしら。近頃はもう、事件も事故も毎日毎日てんこもりに入ってくるんで、あんまりそんなこと言っても若い者はしらっとしているし。たとえばここ数年入った若い記者なんて9・11事件すら過去の話。でもそんなもんで自慢する先輩がいるとも思えない。
 「昭和天皇の時は大変だった」というのが最後のこの手の自慢話じゃないですかね。いやもう近頃は気質が違いますから。
 ◇  ◇   ◇
 サッカーW杯の対戦国が決まった、といって騒いでいた。というか私はなんで今騒いでいるのかまるで知らなかったが、うちの親に教えてもらった(そのぐらい興味がない)。
 で、予選の相手はクロアチアにブラジルにオーストラリア、なんですって? 普通に言ってなんとか勝負になりそうなのはオーストラリアだけ、なんじゃないですか。私みたいな興味のない者でもそう思うんですが。かなり最悪に近いほうの組み合わせなんじゃ。
 ま、戦争じゃないんだからどうでもいいですが。希望的観測で戦って負けても実害ないしね。太平洋戦争なんて、「なんとかアメリカと五分にやれるだろう」という希望的観測で始めた馬鹿な人がいたので、原爆までぶち落とされた。サッカーについても「大丈夫、大丈夫、なんとかなる」と言い募る人がこれから満ち満ちるのだろうが・・・勘弁して欲しい。私はああいう雰囲気がどうも苦手だ。

2005年12月09日(金)
昨日の・・・みずほ証券なあ。なんでも間違って発注したのは若い女の人らしい。やっちまってから1分25秒後には間違いに気付いたが、訂正できず、さらに東証に連絡して東証のコンピューターで訂正しようとしたがそれもできず。このへんシステム的に問題と思われる。明らかに不可能な注文を受け付ける、というのはこのコンピューター時代に問題であろうよ。
 「8日深夜、緊急会見したみずほ証券の福田真社長は注文の価格と株数の誤入力が誤発注の原因として陳謝し、同日時点での損失が270億円に上ることを明らかにした。みずほ証券は8日、ジェイコムの発行済み株式総数の42倍に相当する61万株の売り注文を出し、その後、慌てて一定割合を買い戻したが、残った売り注文には一般投資家の買い手がついた。買い手には決済日の13日に株券を渡す必要があるが、具体的な対応は示されていない」とのことである(読売)。
 本来61万円で数の少ない株が、たった1円で61万株も売りに出されたのだから買い手がつくのは当然で、たった1分半で270億円、の世界となった。
 しっかし、わたしはつくづく新聞社でよかったと思う。誤報も訂正も出すが、それがなんだというか、悪いけどはっきりいって謝ればすむ問題、であるといえばいえる。しかし金が絡むとなあ・・・。ちょっとした手元のミスですよ、これ。
 しかし、コンピューターは怖いわな。新聞なんかは割に誤植も少ないのは、やはりそれなりに活字の世界の人は熱心にゲラを読むからである。ネットの世界じゃ、当ブログでもそうだけどちょっとした誤字には目くじら立てないのが常識である。実際、少々、荒くても素早いというのがITの特長。お互いにそのへんはおおらかに、というのはあると思う。
 同じマスコミでもTVのテロップなんて、どっちかいうとITの世界に近い。よく見ていると誤植だらけであるのは皆さんご存知のとおり。拙速を尊ぶのでいたしかたなし、という面はあるだろう。
 しかしそのラフな感覚で、ついつい端末をいじっていると・・・。前にもネット通販で30万円のコンピューターを3000円と表示して売ってしまいボロ損した商社があった。これが新聞広告やチラシなら担当者だって編集者だって必死に見るからまずこんな誤りはないだろう。
 ◇  ◇   ◇
 お騒がせのイランのアハマディネジャド大統領、という人がいる。核開発なんかじゃもう世界を敵に回して期待通りの大活躍で、世界的な話題としても北朝鮮なんかより目立っているのじゃないかと思うが、ロイターによれば「8日、ホロコーストが実在したかどうかに懐疑的な見方を示すと共に、イスラエルを欧州に移すべきだと発言した。・・・「欧州の一部の国は、ヒトラーが多くのユダヤ人を虐殺したという説に異論を唱える者が現れると糾弾したり、投獄したりする」と述べた。さらに、「ヨーロッパ人が正直であるなら、ドイツやオーストリア、その他の国の一部をユダヤ人に提供すべきで、そうすればユダヤ人は欧州の中で国家を作ることができる。欧州の一部を提供するのであれば、われわれはそれを支持する」と発言した」そうである。
 面白い男である。というのは、公職の立場でこんなことを平気で言うのが面白いといえば面白い、のだが、しかし注意が必要なのは、こんなふうに考えている人はあの地域じゃ結構いるであろう、ということである。
 ヒトラーはかつて、ユダヤ人をマダガスカル島に移住させてそこでユダヤ国家を作らせよとした。そもそもはユダヤ人を皆殺しにしよう、という計画でなかったことは事実である。戦争をおっぱじめてしまってから面倒くさくなって、特に東欧・ソ連に攻め込んでユダヤ系の人が増え続けたために面倒くさくなって、「最終解決」なんていいだした。それでアウシュビッツを整備したのだが、このへんは戦争の中盤以後である。
 ヒトラーは「ユダヤ人の問題が重要だと思うなら英米でもどこの国でも、自分の国で引き取るといえばいいのに、そうしない。彼らは偽善者だ」と言ったのだが、とにかく旧約聖書以来のもめごとである。日本人などには容喙できる話じゃないが、「ヨーロッパに住めばいいだろ」というのは中東の人の本音であろう。

2005年12月08日(木)
開戦の日である。といってもぴんと来ない人も多かろう。要するに真珠湾攻撃というのがあった日である。もっともジョン・レノンの命日、と若い人は言う、なんて一昔前には言ったが、近頃じゃこちらだって歴史的な話で本当の今現在の若い人には古い話であるだろう。
 こんなふうにどんどん歴史は風化するが、日本人ほど風化するに任せる国民というのもない。
 ◇  ◇   ◇
 少子高齢化、というのでいろいろ議論がある。ひとつ解決策を示そうではないか。手厚い公務員職場や大企業で、産前産後からずっと2年ぐらい休める制度というのは今でもあるし、子供が6歳になるまで時短勤務とか夜勤をやらせないとかいうのもある。これで問題なのは、要するに妊娠出産した女性が単に職場から長期離脱するだけで、ほかの者は内心、ちっともおもしろくない、ということである。
 じゃあこうすりゃいいのだ。男女を問わず、子供が6歳になるまで、給与も全額保障して有給休暇を認める。これで子供を3人も作ればだ、20年近く有給休暇、ということも可能である。こういうことなら、私なんかも無理してでも子供を作るであろう。
 まあ、そのぐらいのメリットでもなきゃ、子供がいるとかわいいというだけの動機付けじゃ、単にペットを持つのと同じようなものである。かわいいと思えない人は永遠に持たない。
 それから、初めから結婚できない人、というのは基本的に収入が低くて結婚できない男と、逆に収入が中途半端に高くて、相手が気に入らない女性、であるそうだ。最近のパターンは。つまり優秀な女性と駄目な男が余るのである。
 それで結婚が進まず、子供も出来ていかない。けっこうそのへんは単純な話じゃないか、という議論が出てきているがこれは正しいと思う。
 どうすりゃいいかといえば、その余った層については国が精子卵子を管理するしかあるまい。
 かくて全体主義型の管理が復活するのだが、なにしろここで問題になっているのは経団連的な未来のGDPと年金の担い手、という観点ばかりである。
 頭数が増えてもまた、しょうもないぶら下がり国民ばかり増えてにぎわうのは2ちゃんねるばかりなり、だったら頭数が増えても意味はない。
 ま、いくら豪腕小泉さんでも、ここらへんまでは解決できないだろうねえ・・・。
 それについてはこんな詩がある。

にんげんなど減ったほうがよろしい

みんなアットホームにたたずんで自分探しに夢中な
そんなある日を激震が襲う

ここまでメモ帳に書いてから思う
いけない 
今日は頭が散文に向いているしこの文章は横書きである
だけど仕方ない 僕は詩人だったりするのだから
まずはパソコンの電源を入れる
ぶーんとヘンチクリンな音がする

3名の逆援助OK高収入女性無料紹介
中出しOK大多数!乱れたいワケアリ女性限定無料紹介!
そんなメールが何通か届いているので消去する

みんなアットホームにたたずんで自分探しに夢中な
そんなある日を激震が襲うのだねえ 不真面目に
へらへらと生きて
へらへらと死ぬ
愚かな

僕らの 苦い苦い認識だけが
浮きのようにぴょこついて沈む どこか深海へ
僕らの知らないところへ

そんなことを書いてから
デリートボタンで消去した
ついでにウィンドウズをシャットダウンして
パソコンの電源を落とした

テレビをつけた ニュースを見た
また事件が増えていた
ひどく疲労した テレビを消した

僕は寝て寝てそれから寝ておまけに寝て
思い切り寝て寝て寝て そして寝てみた
頭はすっきりするはずだった
だが なんと重苦しいこと
雨が降り止まないのは
なんと面白くないこと
事件が増え続けるのはなんと面倒くさいこと
それから無為に
無為に流れていくものごと それでもって自分の人生
なんてものを深く考え直すことをやってみようと
思った クマのプーみたいに
あるいは即興哲学者みたいに
あはあはあは
詰まらないのであった
だから
昔の人は剣闘士のショーを見に行ったものだ
なんで
今の日本にはコロセウムがないのか
ざざ
ざあああ
サボテンが音もなく伸びる
僕は なにも吐き出すほどの言葉がないことに気付く
そうとも
結論を出すためには
情報が足りないと思った 違う 情報が多すぎると思った

外は雨 ざんざ ざんざ 雨

英雄といって誰を思い出すか
なぜみんなはそこそこの生活をしていられるのか
面白くないものだと思った
黙って言葉を並べ替えることは詰まらない作業だと思った
よく考えてもみよ
英雄はなぜそこそこの生活をしていられるのか
サボテンといって誰を思い出すのか
なぜみんなはクマのプーではないのか
剣闘士は自分探しに夢中だ
かあ

断言が必要なのだが
それにも飽きた
雨粒は個人の脳細胞に染みるのを知っているか
だらだらと透明の血が
殉教者の茨の冠から滴る
雨は嫌いだ うざったくなる
雨は嫌いだ ここにいたくなくなる
雨は嫌いだ 箱舟に乗れるやつだけが幸せになれる気がする
雨は嫌いだ 
大抵のものが嫌いだ
自分が嫌いだ

ぐわし と心臓をわしづかみにしたいものだが
できない つまり才能がないのだ 僕には

人々の歩みはのろい べちゃべちゃとおしゃべりはうるさい
彼ら彼女らはとにかく邪魔くさい
声のでかい背広の人々も 声のでかい短いスカートの女の子も 声のでかい老人会のゴルフコンペのメンバーも 声のでかい歌舞伎愛好家のおばさんたちも
うるさい みんなうるさい そして遅い とにかく遅い
歩みが
天候は回復しない 雨はざんざ ざんざ
傘が連なる
傘の下にはいつでも殺意が潜む
違うか

秋の空は通常 宇宙とつながりがある
しかし今年は違う 秘密はなくてただ雨 うんざりするほど
ばらまかれる雨に にんげん
なんで少子化などと騒ぐのか
どう考えても
にんげんなど減ったほうがよろしい
中学生たちは授業の合間に教室移動のついでに制服を脱いで
性器をまさぐりあうが それ以上のことは許すべきではない
にんげんが減ることで
駅は混まなくなるし傘は減る 
政治的言説も場違いな文学作品も減る めでたいことではないか

みんなアットホームにたたずんで自分探しに夢中な
そんなある日

これだけいろいろあっても
何も思いつかないのだ
一つの警句すら
薄汚れた雨の街には無力だ 永遠などない
ページ設定で縦書きに直す必要などあるのか
ほほえましく温かい言葉をどこに向けて
発射し続けているのか皆さんよ
誰のために
誰に褒められたいために?

そうとも
吐き散らかした言葉なんぞに意味などない
読むな!
これもそれもどれも 屑篭行きでいい

たった今の一瞬 百億年が経過すればどんなに爽快か。

 名作ですな・・・、あ、俺の詩か。
 
 

2005年12月07日(水)
なんだかんだミーハーな私はヒット色ありあり、ハリウッド色満々の映画「Mr.&Mrs.スミス」を見てきたのである。アメリカ公開時にはスター・ウォーズを押しのけてヒット、日本公開もハリー・ポッターとぶつかってしまったものの、やはり人気は高いようだ。舞浜の劇場もハリーとこの映画だけが指定席扱いだった。
 こりゃ面白いですね。かけ値なし。とにかく無理を承知の設定ながら、お互いに対立する暗殺請負組織の一員ながら、相手の素性を知らないままお互いに一目ぼれして電撃結婚、自分の裏家業を隠したままに6年間も平々凡々とした結婚生活をしているというのがおかしすぎる。凄腕の殺し屋、とされる人々がもう芝刈り機を片付けるとか、林檎の皮むくとか、カーテンの色を巡って言い争うとか、お隣さんのホームパーティーに呼ばれるとか、あまりにも平凡な毎日を送っているという・・しかし考えてみればどんな超人も日常生活はほかの人間とさして変わるまい。だからちょっと倦怠期に入ったちょっとエグゼクティブな共稼ぎのお宅のお話、と見えてしまうのが非常に笑える。なにしろ名前からして日本で言えば山田太郎とか田中次郎とかいう感じのジョン・スミスとジェーン・スミスで、タイトルも直訳すれば「スミス夫妻」である。これほどアクション映画らしからぬネーミングもない。その二人のお互いの素性がばれてしまって、暗殺者の掟であるという「48時間以内に正体を知られた相手を殺せ」に従い、夫婦は世にも稀な機関銃とかロケット弾まで駆使した、おそらく史上最悪規模の「夫婦喧嘩」をやるんである・・・。
 にしても、結局は倦怠期の若夫婦の夫婦喧嘩に巻き込まれて、沢山の人が死ぬことよ。夫婦を亡き者にしようとする組織の夥しい人が死んでしまうんだけど、危機を乗り越え死線を共に越えようとする夫婦の愛と殺しのテクニックの前に、精鋭部隊は続々と倒されてしまう。なんか悪役担当とはいえかわいそうではある、組織の人々・・・。
 非常に特殊な職業の人が喧嘩の比喩として銃を撃ち合うという、しかし全編を通してみれば夫婦の絆の物語、というこの脚本はお見事。脚本家は大学の演劇科在籍中にすでにこの脚本が評価されて映画化が決まったそうで、なるほど、である。
 アンジェリーナ・ジョリーがはまり役。当初キャストはニコール・キッドマンだったらしいが、こちらで正解だろう。ブラッド・ピットも楽しそうに平凡なずっこけ亭主を演じている。この二人が本当に恋愛関係に入ってしまったらしい、というのもむべなるかな、この内容なら、と思う。ハリウッド製のアクションに辟易、という人もこれは見てみるべきじゃなかろうか。見終わった印象は明らかに「派手なラブ・コメディー」である。
 ◇  ◇  ◇
 「衆院国土交通委員会が7日、関係者3人を参考人として招いて開かれた。偽造を最初に見つけた設計事務所「アトラス設計」の渡辺朋幸代表は今年10月、二度目に不正に気づいた東京都のマンション構造計算について「(偽造は)見てすぐ気付く内容だった」などと述べた」そうである。この生中継は見ていたが、渡辺さん、勇気を奮って指摘をした人なのになんかお気の毒、と感じた人も多かろう。検査機関のほかの二人と一緒になって叱られているみたいな図になってしまった。実際、罪の本当に重いやつほど来ていないのでまたずっこけ、であった。欠席した姉歯秀次1級建築士と、経営コンサルタント会社「総合経営研究所」の内河健所長というのがなにしろ本ボシも本ボシである。
 証人喚問が先か、逮捕が先か。

2005年12月06日(火)
今市市の小学生を殺した犯人というのは、相当に馬鹿者であるらしい。またこいつも掲示板に書き込みして喜んでいるようなヤツだったようである。
 犯人がどんな者か分からないが、こいつは筋金入りのロリコン虐待系の変態であるかも知れない。アキバ系なんてもてはやしてみたが、ひとつコミケに行って鬼畜系の同人誌でも二、三冊買ってみればいいのだ。まともな人ならゲロはくこと請け合いである。
 遺体から犯人の体液だか粘膜だかが採取できたという。
 こんな者は裁判員制度など持ち出すまでもなく、ただちに死刑でよろしいかと思う。
 ◇  ◇   ◇
 医者ってやっぱり儲かるんじゃーん・・・「1997年から約8年半、医師の免許がないのに医療行為を続けていたとして、警視庁生活環境課は6日、東京都目黒区南1、自称医師・山城英樹容疑者(33)を医師法違反(無資格医業)の疑いで逮捕した。山城容疑者は、都立広尾病院(渋谷区)・・・や、佐々総合病院(西東京市)など4か所の医療機関で内科医や当直医として勤務。外科手術以外の大半の医療行為を扱っていたといい、昨年は計約2000万円もの収入があったという」(読売新聞)というんだが、偽医者というのは時々出てくるんだが、こいつはなかなか巧みに、それらしく振る舞っていたようである。なんでもこの男は「医療機関側などに「北京大学を卒業」「慶応大医学部を卒業」などと話していたが、実際は、定時制高校を中退。採用の際には、偽造した医師免許のコピーを提出していた」というんである。もっとも医療従事者の見習いみたいなことをどこかで1年ぐらいやっていたそうで、ひょっとしたら、身分がばれないように必死に勉強したりして、実は本物より熱心であったかも知れない。とにかくこの8年間で医療事故というのは起こしていないそうである。
 4か所で働いていたのはそれなりに大変だったろうが、合わせて年収2000万円はご立派である。にしてもなんでこれまでぼろが出なかったのか・・・やはりそれなりに必死に勉強してたんだろうな。免許は持っているがさぼりっぱなし、という実例もまた少なからずあるようなので、なんともかんともである。
 ◇  ◇  ◇
 なんとなくゆうべチャンネルが合ってしまった12チャンネルでなにかのアニメのオープニングをやっていた。ものすごく音程が変わる歌いずらそうな歌・・・近頃のアニメの曲は客層がむしろ大人のオタクであるからか滅茶苦茶むずかしいのだが、そんな曲を上手に歌っている女性歌手・・・倖田未来である。この人、セクシーだとかいろいろきわものっぽく売っているが、そもそも歌がうまいですよね、明らかに。近頃の歌姫、みんな下手な人は生き残れない時代だが、この人はなかなか、であるな。今度の紅白歌合戦なんておそらく私、なんとなく大晦日は今年は出勤じゃないか、と諸般のもろもろから予想しているんですが、だからまあおそらく全然見ないと思う。が、この人と、島谷ひとみというのはとりわけ上手いですね。コブクロとかD51とかいうのは知らない。スキマスイッチは、これなかなかいネーミングのユニットだが、コンビニのBGMで聞いてなかなかよろしいと思った。
 今時の音楽がわからんなどと一刀両断するほど野暮いオヤジではないのだが、しかしまあ上手い下手は別として、当節の音楽に華がないというのは今更ながら感じる。
 今から10年ぐらいたって、2000年代のなつかしの曲、などといってもあまりセレクトしようがなくなっているんじゃないだろうか。

2005年12月05日(月)
今日も姉歯の一件でいろいろあるようだが、ようやく千葉県が建築士登録を取り消すようである。というか、こんなものさっさとやれ、というのである。本人がごねていたので5日まで聴聞延ばして、それでも出てこないので取り消しとなったとか。このお馬鹿さん、最初はまるきりことの重大さが分かっていない感じでしゃあしゃあと取材を受けていたのが異常であったが、この期に及んで身の危険を感じているそうである。アホである。本当に暗殺されてもまったく不思議じゃない。
 もっとも、ことの重大さが当初は分かっていなかった、という意味では、最初にある構造設計事務所から指摘を受けてもしばらく放置していたイーホームズ、それより1年半も前から指摘があったのにほったらかしにしておいたERI、それにようやくことの重大さにきづいて報告したイーホームズに対して「そういうことは個別に対応してくれ」と無視しようとした国交省・・・と不感症の三段構え、四段構えとなっていたのが実態らしい。
 まあなんでもそうであって、日本的組織の問題というのが端的に出ている感じですな。順調に昨日と同じ明日が続くような感覚しかなくて、すわ、大事、というときにちっとも動けないという日本人の感覚。こりゃもう典型的農耕民のもの。
 戦争中も、いつまでたっても、爆弾をぼんぼこ落とされてもまだ「負けてはいないはず」と唱えて平然としていられた国柄。こりゃもう一種の国民病であろうと思われる。
 なにかこう、危機感をあおるようなことをいうと、「そんなことを言うな」とみんなから一斉に言われる雰囲気、井沢元彦さんのいう言霊信仰の国と言うことか。
 しかし、ふと読売新聞の隅っこで見つけた記事。「宮城県登米市立新田第一小(児童数136人)と新田第二小(同72人)の校舎などの耐震強度が建築基準法の基準を下回っていることが分かり、登米市教委は両校の耐震不足の校舎の使用停止を決めた。・・・使用停止が決まったのは、新田第一小の校舎(鉄筋コンクリート3階建て、1961〜62年度建設)と体育館(67年度建設)、第二小の校舎(鉄筋コンクリート2階建て、62年度建設)。・・・建築基準法改正の81年以前の基準で建てられた小中学校校舎などについて、耐震診断を進めていた。その結果、両校の校舎などの耐震強度が建築基準法の基準を下回っているほか、コンクリートの劣化で耐震補強工事も不可能であることが判明した」というのがあった。
 世の中には1981年以前に建てられた建物というのもまだあるであろう。今回の姉歯の件で問題になった物件も、おそらくはこのいまから40年近く前に建った校舎なんかよりはよほど丈夫なんじゃないか。
 つまり、どの建物だって再点検すればいろいろあるはずですよ、本当は。でもみんな黙っているわけだ。
 はっきりいって建築業界には「どうせ日本は地震が来てみんな壊れるからどうでもいい」というのがあるはずである。だから適当に作っておいて、壊れたら「これは天災のせいだから」と言って、又今度は復興景気で一儲けして・・・これはもう、何世紀も石造りの家が残っている国とはぜんぜん違う日本特有のものといえるかもしれない。
 が、近頃は急速に、地震は天災だし、なすすべもないし、泣き寝入りするしかないし、という態度はダメ、ということになってきている。というのも、免震というのは努力次第であってたぶんに人災なんだ、というのが急激に常識化しつつあるからである。
 業界も、内心省みればいろいろあるんじゃなかろうか。姉歯とかヒューザーとかいう個別の会社のことだけなのか、業界体質なのか。
 今度地震があっても、もう日本人は「仕方がない」とはいわないかもしれないですぜ、国民性が変わってきてますから。


2005年12月04日(日)
「国土交通省は3日、構造計算書を偽造し危険な建物を造り、建築基準法20条に違反したとして、姉歯秀次1級建築士(48)の免許を7日に取り消す方針を決めた。建築士法10条の手続きに基づき、7日午後、同省で開く中央建築士審査会に同意を求め決定。国交省は姉歯建築士の国への登録を抹消した上で、免許証の返納を郵送で求める」(日刊スポーツ)とのことだが、なんだってこんなに時間がかかるのかしらねえ。問題が発覚してから今までの間、あの人、ずっと1級建築士だったわけだから。
 オジャマモンも今頃になって雲隠れしているとか。最初から逃げ隠れしているならまだ心理として分かる。あれだけ目立ちまくっておいてなにを今更。やはりなにかかん違いしていたとしか思われない。
 ◇   ◇    ◇
 それにしても変質者が次々出てくるが、また、変な話、というか、あるいは当然の話ともいえるのだが、犯人たちはかわいい子ばかり選ぶものである。
 ああいう犯罪者も二通りあって、趣味として幼児がとにかく好き、というタイプと、幼児じゃないと話しかけることも出来ないほど女性に対してコンプレックスがある、というタイプ。近頃は後者のほうが多いように思われる。小林薫なんてのはそういうヤツだったし、この分野の「先駆者」宮崎勤というのもそんなヤツだった。
 そこへいくと日系人と言ってもやはり外国人で、ペルー人のピサロ・ヤギは大人の女もOKで、奥さんもいたわけだから、むしろ趣味的な部分でロリコンで、それよりなにより性欲がとにかく強いやつだったのだろう。
 犯罪者というのにもいろいろあり、それなりにその後「しかしあれも大変なヤツだった」と変な崇拝のされ方をする者もあるが、この手の幼児暴行で、それも五番、十番せんじという者になると、10年たっても20年たっても「あれは馬鹿なヤツだった」という、そういう言い方しか出来ない卑小さがある。
 なにしろちんぽが立ってもまともに処理できない、というお猿さんなみのお話が基本なんだろうから、そんな未熟なもののことをまじめに論じてもどうにもならない。
 なぜ人口が増えないのだろう、なんて政府が言っても、こういう性欲の持ち方の人が多いわけだから当節は。その一方でIT立国なんて言ってるんだし矛盾してるでしょうそれは。
 IT時代には圧倒的にそういう欲求も視覚型になるわけだ。コミュニケートしたり接触したりはできなかったりするわけだ。
 ◇   ◇    ◇
 タイヤのホイールにくっつける広告、というのがあって関西じゃもう6,7年前からあったと思う。5年程前にはうちの会社にも売込みがあった。しかしどうも東京都の屋外広告物条例に引っかかる、というのと、警察があまりいい顔をしていないらしい、という話でお断りした。TBSの「噂の東京マガジン」を見ていたら、今頃になって都内のタクシー会社が「メリー・クリスマス」というのをつけた走ったところ、やはり都が待ったをかけてきた、という話題。まあ流れとしては都も頭が固いなあ、クリスマスなんて内容じゃ広告じゃないのに、という感じだった。
 しかし私が知る限りでは、5年程前にはむしろ警察が安全面で気に入らない、というような話を聞いたのだが。
 私はそれはそのとおりとも思うのだけど、というのは広告に目が留まったり、広告が万一飛んで歩行者に当たったり、ということは可能性としてあるから。
 ◇  ◇   ◇
 しかしそれよりも私は、カーナビでテレビを見ている人が最近は多い、あっちを何とかして欲しいと思う。ケータイしながらふらふら走る車は確かに減った。しかし、今度はおかしい走り方、と思って後ろにつくとカーナビでテレビとか映画を見ているのが多いのである。
 


2005年12月01日(木)
 例のオジャマモン社長というのは、それにしてもいやにふてぶてしく演説したり見得を切ったりするからどういう人かと思っていたが、政治家志望というか、いつしか総理大臣になってみせるとか言っていた人物らしい。野心家、ということだ。国会で演説できたこと自体は実は嬉しかったんじゃなかろうか。実際、かえって売名のチャンスとばかりに振る舞っていた面が当初、あったように見受ける。
 が、彼一個の豪腕でなんとかできる目処がたたないと分かってきて、パフォーマンスをしている段でもあるまいに、である。
 ◇  ◇  ◇
 いよいよ12月、年末である。町に流れるクリスマス・カロルを聴いてると、あの映画「大脱走」を思い出してしまうのは私の「病気」であろうか。ドイツ軍の衛兵に気付かれないように脱走用のトンネルを掘っていた連合軍の捕虜たちが、穴掘りの音を掻き消すために必死にクリスマス用の合唱の練習に励む、というシーンがあった。
 ◇  ◇  ◇
 11月のうちに楽天とTBSは一応、全面戦争を回避したようである。見たところ楽天の負け、とも見えるのだが、TBS株については信託銀行に預けただけで、いまだに大株主なんだから先のことは見えない。一切は、来年3月までの協議に先送りということだろう。
 TBSの井上社長は「むしろテレビからネットに誘導するようになる。テレビ番組から関連のサイトにつなげることでネット広告の収入を増やせる」というようなことを言ったらしいが、つまりなんだかんだ言ってコンピューターなんて面倒くさいものより、老人から子供まで全世代をみればテレビのほうがずっとお手軽だし普及もしている。テレビ主導でネットの世界に誘導するんだから、いつまでもコンピューターの人たちにのさばらせておかないよ、という宣戦布告とも取れる。
 とにかくアメリカなどでもネットとテレビの融合というのは実際には成功していない。ニホンで先駆け的なビジネスモデルができればそれはそれで面白く、こういうフジやTBSと六本木のIT企業の一連のM&A騒動にも意味があったということになるわけだが。
 とにかく一応の休戦だが、友好的に協議します、と合唱の練習に励む振りして裏では、ということもあり得る。先のことが分からない話である。
 ◇   ◇   ◇
 しっかしこれ、バブルでしょうやっぱり。年末までは1万5000円ペースで行くんだろうかど、案外に年明けからどーんとひっくりかえる場合も・・・? 今や世界的な金余りなのは確か。あとは各国の政策金利の問題だろうけれど。今に限って言えば素人でも買いか。
 ◇   ◇   ◇
 中国・吉林省の化学工場爆発による水の汚染問題で。「中国の一部メディアは、松花江が汚染されているという事実を、中国政府が10日間隠ぺいしていた、と抗議する内容の記事を掲載している。中国紙「看中国」では、国家環境保護総局は、爆発事故が起きた10日後の23日にようやく松花江の水質汚染状況を正式に発表したと報じ、「約400万人の市民が10日間も汚染された水を知らずに飲用していた」として、政府の対応の遅さを非難している。さらに吉林省・松原市では、松花江のベンゼン系物質の濃度が基準値の300倍に達し、国家環境保護総局が発表した40倍を大きく上回っていると報じるメディアもあり、「情報隠ぺいは、中国政府の以前からの悪い習慣だ」と中国市民から強い非難の声が上がっている」(中国情報)とのことだ。下流のロシアにも、またニホンにも被害が及ぶ可能性があるようだ。海洋汚染から日本海もいろいろ出てくるというのである。
 中国は、もう世界のウイルス供給国だが、さらに恐怖の公害撒き散らし国でもあり、とうとうこうやって目に見える問題も起こしてくれたが、どう責任を取るのかね。
 国がでかいもんだからなにがあっても面積でカバーできる、という体質があってどうにもならないところがある。上で見るように中国のメディアというのも最近は地方幹部ぐらいなら不正を追及する自由があるようである。
 とにかく、時代遅れのロケット飛ばして先進国だのと威張っていないで、もっとこういう公害とか知的財産とか、まともな文明国なみの対応に力を注いでもらいたい。今のままでは本当に程度の悪い成金としか思われない。
 


2005年11月30日(水)
 ゆうべの2時ごろになってにわかに「広島の女児殺害はペルー人の犯行」なんて言い出した。驚いた人も多かろう。「広島市安芸区の市立矢野西小1年、木下あいりちゃん(7)が殺害され、ダンボール箱に入れられてみつかった事件で、広島県警海田署の捜査本部は殺人、死体遺棄容疑で逮捕状を取っていた女児の遺体遺棄現場近くのアパートに住む日系ペルー人の職業不詳ピサロ・ヤギ・フアン・カルロス容疑者(30)を30日未明、三重県鈴鹿市内の知人宅で、逮捕した」(読売新聞)という次第になった。
 ニホンゴの名前は八木さん、なのだろう。一体何をやっていた人だろう、と思う。ペルーというと先日のフジモリ氏の一件で、なにかと「日本が干渉する」とかいきまくあっちの人を見ていて「おいおい、なにを言ってんだ。日本人はペルーにもフジモリにもぜんぜんなんの関心もないんだよ。くだらない」と思った人は多いだろうが、またここにきて日系人があほな事をしでかす、両国関係にとってはあまりいいことではあるまい。
 それよりなにより、一体、なにをしたかったのか、まあ変態の一言なんだろうが、あるいは金目的の誘拐という発想もあったかもしれない。
 そのへんはおいおい分かってくるんだろうが。
 ◇  ◇  ◇
 姉歯さんというのは仙台辺りの名前かしら、と先日、書いたところ、読者の方からいろいろお教えがあって、伊勢物語なんかに出てくる歌枕に「姉歯の松」というのが金成町にあるが、あのあたりの名前ということらしい。歌枕とは思い及ばなかった。古典に暗いことがばればれである。
 さて、その肝心の彼氏が出てこなかったので昨日の国会の委員会もちょっとトーンダウンだったが、ヒューザーのオジャマモン社長とイーホームズのF社長の罵りあいは見物だった。もっとも被害者からすれば見物なんて悠長なことは言っていられまい。
 それにしても、本当に国交省管轄の分野で不祥事が多い、と感じるのは私だけであろうかしら。鉄道、航空に高速道路、そして建設業界。なにかというと北側大臣が出てくる。
 ◇  ◇   ◇
 新撰組、という会社が出来た。ここはフィギュアや模型用のアイテムを売る、特に軍事系のプラモデル・マニアなどには御用達の新しい企業だ。カッコイイ、35分の1スケールのドイツ軍人のフィギュアなどを開発している。
 その会社がこのほど、専門書の発行もした。「カモフラージュ・カラーズ1939−1945 ドイツ国防軍塗装ガイド」という題名で、海外で出たマニアックな研究書の邦訳である。これがなかなかにすごい。第二次大戦からすでに60年、すでにその当時の兵器などがどんな色で塗られていたか、実のところがはっきりしなくなっている。まだまだカラー画像がフルに普及していなかったし、兵器なんて消耗品だし、生産しなくなったら塗料なんてすぐに捨てられてしまうだろうし、残っている貴重な現物も色が変わってくるし。
 黄色だったとか緑だったとか、そういう証言はあってもどんな色だったか、再現するのは難しい。
 特に負けた側、ドイツ軍や日本軍の兵器の「本当の色」というのが案外に分かっていない。だいたいこんな色だったろう、というのを戦争映画なんかでは塗っているし、模型もまたそういうことになる。日本軍のゼロ戦の初期の色、明灰色なんていうのも本当の色味は不明のままである。だから真珠湾攻撃のときの海軍機の色というのが真のところは分かっていなかったりする。
 この研究書は、ドイツ本国で手に入った貴重な色見本を元に、当時、実際に使っていた色というのをカラーチップもつけて紹介している。
 第二次大戦のドイツ軍の兵器というと、初期はグレー、後期はダークイエロー、つまり暗い黄色というのが定番になっているのだが、特にこのダークイエローというのが、市販の塗料を塗ってみると非常に明るい色で、アフリカの砂漠ならともかく、この色でヨーロッパで通用したのだろうか、迷彩どころかかえって目立つのでは、と思う人は多かった。
 今回の見本を見ると、特に後半になるほど今まで言われていたよりずっと暗い色調だったことが分かる。もうかなりグレーに近い黄色なのである。今まで模型などで塗っていた色はちょっと違っていたのではないか、と思われるのである。また、模型などではなにかと「汚し塗装をして実感を出す」つまり泥汚れとか、錆とかをわざと塗って迫力を出すのだが、実車というのは寿命が短く、実はそんなに汚れたり古びるほど使われなかった、なんてこともどこかに書いてあった。そのとおりだと思う。実戦の時代には兵器なんて基本的に使い捨てなのである。塗装が剥げて古びるほど使われるのは幸運な少数派であろう。
 同好の方はぜひお手にとって見られることをお薦めする。下のアドレスから同社のサイトにつながり通販ができる。http://www.sinsengumi.jp/




2005年11月29日(火)
なんかまだまだ姉歯事務所の手がけた物件というのはあるらしく、一戸建ての3階建て住宅でも偽造計算書、なんていいだしてちょっと胸騒ぎを覚えた。
 私は自分の家の普請の時に、設計士の人と一度だけ会ったが、やはりああやって一度は会わないといけないものだなあ、と思った。どんな人かも分からない、ということじゃいけないのである。マンションなんかだと、住民は自分の家の設計をした人と会うことはまずあるまい。顔を知っていれば、ああうちは姉歯じゃないな、と分かりそうなものである。
 もっとも、あの姉歯というのは非常に安い値段で下請け孫請けをこなす立場の人だったようだから、知らないうちにあの人がかかわっていた、なんてことはたくさんあるらしい。
 姉歯氏は、業界常識だったとしきりに言っていたようだが、それはどういう意味なのか知りたいところである。
 ヒューザーの目立ちたがり社長も、なんだか変なメモが出てきたりして、一体要するに誰がどの程度悪いのか、まあみんな共犯ということだろうが、住人というのはどうなってしまうのかしら、とは思う。どこか賃貸に移ってローンと一緒に家賃を払うとなったら、それはもう身の破滅である。
 ◇   ◇    ◇
 私の詩集「ナヴァロンの秋」というのが刊行されて、配本も始まったようだ。本を出したことのある人ならご存知のこと、あちこちに献本、寄贈というのをやるので、早い人だともう御礼とか感想とか言うのが来る。
 そしたら早くも期待通りのものもくるから笑える。「時代を切り取っている、けれどもこれが詩かと言われると」なんて書いてきた老人がいた。馬鹿である。自分に分からないなら黙っていればいいことである。実際、金を出して送料までかけて贈ってもらっているのに、馬鹿なことを書いてくるやつが年寄りには多いものだ。気に入らなければ返事なんてしなければいいだけのことなんだが。
 金を出して買ったものなら、「不満でした」と率直に書くのはいいことだ。しかしただで貰っておいてどえらそうなことを書いてくるやつは理解に苦しむものがある。
 本当に、若いと見ると急に偉そうなことを書いてくるやつがいるから、詩の世界は面白くない。商業的な出版ならそれでも話題になればいい。たとえば石原慎太郎に酷評されましたなんて、かえって勲章になるだろう。
 しかししょせん無名のくされ詩人などにどう思われたって単に不快なだけだ。
 もっとも、老人に理解されない、というのはむしろ誇ってよいことかもしれない。実際、もう老人クラブに気に入ってもらおうというような感覚はないのだ。
 ついでなので、今日も一作だけ、宣伝として掲げておくのである。


夜を食い尽くせ!

しまらない夜 いろいろつまらない法案が可決して
お天気も株価もよくありません そんな一夜
売れ残りのウサギがですね うずくまっております
ペットショップの端っこのほうに ぶんよりまるく
膨らんでやがります ころころまるい糞をときおり
転がしながら売れ残りの ですね
ウサギのヤツが満足げに寝ていやがります

雨の日だ みんな先の尖った傘で武装して歩く

売れ残りのウサギはですね 夢を見ておるんですな
本当はいるはずだったところを それは
どこかの暖かい家庭か草原か 
そんなような都合のいい絵でしてね
かか テレビかなんか見て覚えたんだろ どうせ
量産品のウサ公のくせしやがって
ときおり 涙をころころ落としたいのだけど
落とせるのは丸い糞 ころりころりと
そんなもんばかりな 売れ残りなんてみっともない
邪魔なんだよな ほんと ひたすら邪魔なやつが
そこに在る

あああぐしゃ ぐしょ の夜 通り魔ばかりが横行するし

ぶわっ ぶわっ と売れ残りのウサギは大きく膨らみます
今では鋼の籠をぶち割ってはみ出してしまいそうですわ
まあかわいそう なんとかしてあげなさいよ
奥様方が言います ねえママあのウサギさん買ってあげようよ とお子さん方は申します 経済観念なきお子様方は
でも絶対に売れないモンね 売れ残りのウサギなんだよ
邪魔者なんだよ 要らないんだよ
うざいんだよ どこまで安売りすれば気がすむのか

燃やせ街なんぞ 俺はかわいそうだ 燃やせ幸せそうな人
俺は
なんでいるんだろう?

ぼこんぼこん ばかん ウサギは眠りこけたまま
ついに籠をはみ出します さらにぶわぶわと夢を食い太って
ペットショップの壁をぶち破ります おわあ やめてくれえ
まだこの店のローン払い終わってないんだぞ この恩知らず
お前みたいな役立たずをつぶさないで飼ってやってるのに
馬鹿ウサギ アホウサギ 税金を払え 年金制度を維持しろ
ビルより太れ 市街地より太れ

俺は芯から不必要なにんげんだ 昔からそうだった

ペットショップは崩壊し ついに周辺の住宅街も押しつぶして 売れ残りのウサギは膨張します
大変だ 大変だ 大変だ ごろごろと丸い糞 丸い糞が
車をおしつぶす ウサギの丸い腹がうねって
東京タワーも国会議事堂もたたき壊す
街より太れ 国より太れ

いなくなればいいのは俺か そうか俺だけか

自衛隊の戦車が怒りの一二〇ミリ砲弾をぶちかまします
戦闘機が空対地ミサイルを発射しようとしますがそういえば
地上攻撃は安全保障会議を開かないと しょうがないから
アメリカ軍助けてくれ ウサギが寝返りを打つたびに
日本列島がきしんで割れて
海底に沈んでいくんだな かかか
少し何とか言ってみろ 割れちまえ平穏無事 壊れてしまえ嘘八百な今日このごろとその末裔の予想図
地球より太れ 宇宙より太れ

目を覚ませよ そうだとも
なにもかも冗談だろうよザ・ムービーU
分かったので 一人で
この世の最後にトイレに入って
出せ出せ転がせ 丸い丸いころころ糞

ふと見るとね
ウサギの籠はからっぽだった
情けなくなり 
握り締めていたナイフを捨てた



2005年11月28日(月)
ついにハリー・ポッターの最新作「炎のゴブレット」が公開された。もちろん私たちはゆうべ映画館に足を運んだのである。劇場フロントの売店でパンフレットを買った。「ハリー・ポッターをご覧になるんですか」とお姉さんが明るい声で話しかけてきた。「いいえ、あの」妻の声がくぐもった。「これ(ハリーのパンフ)はついでに買うんで、見に来たのはこっちのほうの・・・」妻が手に取っていたのは別の映画、「イントゥ・ザ・サン」のものだった。店員さんが絶句する。そして「ああ、あの、楽しんでいらしてください」と慌てて付け足した。
 「イントゥ・ザ・サン」そんな映画をハリー・ポッターと同時に公開していることをほとんどの人は知りもするまい。スティーブン・セガールの最新作なのである。しかしセガールなどと言っても「まだ活動しているのか」と思う人が多いかもしれない。どっこ、まだ活動しているのである。
 今回は、全編が日本が舞台で、セガールの敵はニホンのヤクザである。共演は大沢たかおとか、寺尾聡、伊武雅刀などである。つまり日本のヤクザ映画みたいな世界にセガールが入ってきてしまったというけったいな映画である。
 もっともセガールというのはニホンに10年も滞在して武芸の研修をしていた人間でありニホンゴもかなりできる。そういう意味ではいつかこういう映画を、というのは予想できたが、とうとう作ってしまったようだ。
 映画は、都知事暗殺事件という物騒な話から始まる。不法滞在外国人の取り締まりを知事が訴えたから、というもので、実行犯はチャイナマフィア。その影にいるのがニホンの新興暴力団グループで、古い任侠界のヤクザとも対立関係にある。知事暗殺でテロの可能性を考えたFBIはCIAに協力要請、あっくして日本通のアージェント、トラヴィスことセガールが乗りこんでくる・・・というのだが、なんか筋立てははっきりいってよくわからない。都知事が暗殺されたら日本中騒然となって、それも中国人がやったとなったら国際問題である。そんなヤクザの一勢力をどうこうするなんて話じゃすまない。
 が、そんなことはどうでもよいらしく、要するにセガールが日本刀を振るってちゃんちゃんばらばら、切りまくるというのだけが主眼。ほかのことはとってつけなので無視してよろしい。
 それにしても、笑える。セガールがニホンゴでセリフを言うところが随所にあるがなんともおかしい。「センセイ、ちょっと、すいません」とか「彼は、若いからねえ」とか、これみんな本人のセリフである。「今夜、黒田を切りに行こう思うんや。これ、人切れますよ」と日本刀をかざしながら言って見たり、チンピラの食卓を見て「なんやこれ、寿司か」と言った後、その箸で相手の喉を刺して「お前の箸や」とか言って見たり・・・挙句の果てはヤクザと罵り合って「ばっきゃろおお! たたき殺したろうか! おら、かかってこんかい」とかんなとか、まともなセリフより断然、こういう罵り系の言葉のほうが滑らかに出てくるのがおかしい。
 まあとにかくこの彼の関西弁の珍ニホンゴを聞ければほかはどうでもよろしいのである。が、ほかに見所というと、セガールの相棒の若いいかにも白人然としてアジア人を見下した感じの捜査官が偉そうな態度を取って中国人とニホンのヤクザに取り巻かれて惨殺されるシーンなんて、なんとなく溜飲が下がってしまうし(変なんですが)、また若い世代の台頭でニホンが変質している、という部分をヤクザを代表させて語っているが、実はなんの世界でもそうだろうし、そのへんの目配りというのはなかなかセガールの脚本も悪くない。
 笑えること請け合いなので、見て置いて損はないかもしれない。なんにせよ、これから年末にかけて大物映画がどんどん出てくるから、あと2週間ぐらいの命かもしれない。
 これだけ日本人俳優が出ているのに話題になっていないのは残念である。
 ハリー・ポッターはおそらく来年になっても延々とやっていると思う。キング・コングもずっとやるだろう。ニコラス・ケイジの新作もあるし、バンデラスのゾロも帰ってくる。さらに「男たちのYAMATO」も一応は見ておかねばなるまい。
 というわけなので、あえてこの珍品映画を見たのであった。しかし面白いという意味では非常に面白かった。米人監督の切り取ったトーキョーの風俗というのも改めて見せられるとおかしい。
 変な町である。確かに。

2005年11月27日(日)
「耐震強度が偽装されていた千葉県船橋市の賃貸マンションの周辺住民に対する市の説明会が26日開かれ、建築主の「サン中央ホーム」の現場監督だった社員が工事中に建材数の少ないことに疑念を感じていたことを明らかにした。・・・「鉄骨が足りないのでは、という話が現場で出ていたのは事実」・・・。しかし、社員は「建築確認申請は通っていた。図面通りに作るのが仕事。私たちの意見でどうこうなる問題ではない」と述べた」(読売新聞)なんて記事を見かけた。
 なーるほど、である。現場で疑問を持っても「私たちの意見でどうなる問題ではない」これですよ、なんでもこれ。いや、建設現場の問題だけじゃない、いろいろなところで起こる不祥事のたいていの原因は、誰か疑問に思った人がいても、「私が疑問を持ってもどうにもなる問題じゃない」これですね、組織の問題って。
 今や、官庁民間問わずあらゆるところで不祥事が起きております。それが水面下で終わらないで発表されるというだけでもむしろ以前よりは風通しがいいのかも知れず、そういう報道が多いのはむしろ健全なのかもしれません。というのは、昔の人は絶対に手抜きをしなかったとか不正をしなかったなんてことはあるわけもなく、しょせん人間のやること、いつの時代のどんな現場でも不正も手抜きもごまかしもあります。要はそれが出にくいように何重もチェックするしかない。
 実は最近、やたらと訂正が多い、といわれる某大新聞がありますが、ここは90年代に、省力化、機械化を進めるのが時代の先端といって、編集内勤部門の整理とか校閲、制作部門の技術者なんかをばさばさ配転してしまった。それで、支局なんかじゃ記者が取材執筆から点検、誤字の修正、見出しやレイアウトまでなにもかも負うことになり、要は365日24時間、仕事が絶えない状況になって、こないだの田中知事と亀井議員の会合偽造メモなんてのも、あの記者が取材している時間がなくて、いい加減なことを書いたものらしい。
 記者が取材している時間がない、なんて馬鹿げているわけですが、でも、人減らしをどんどん進めてしまった。訂正が多いのは間違いなくそういう結果であろう、と業界では言われております。
 その後、機械化、IT化は本質が変わってきて、今ではむしろ新聞社や通信社の記事がどんどん、こういうブログなんかでも引用されますから、かえって省力化よりも、記事の精度を上げるほうに力をいれるべきだ、という話に変わってきております。一部のIT賛美論者が言うような、素人でも記事を配信できる時代にプロのマスコミなんか要らない、という議論に対抗するのなら、プロのマスコミは素人とは違う精度の高さと信用度を高めないといけないからです。実際、こういうネットの場でも、今のところ、新聞に載っていた記事、という但し書きがあれば少なくとも全くのでたらめじゃない、ということは共通認識としてあると思います。2ちゃんねるみたいな場所でも、新聞、通信社の記事を元にしたネタが結局はベースになっていることが多いのも、噂話だけでは話の補強がいつまでたっても出来ないからであります。
 無駄なぐらい何重もチェックしないと結局、ミスは減らせないしごまかしも減らないのは間違いなく、ミスを減らす方法は結局は「見る人の人数を増やす」「ミスをしたら報告をさせる」「ミスの実例を社内で公開する」の三つしかありません。ヒューマンエラーを減らす方法はどんな現場でも同じ、これだけです。しょせん人間はミスをするのであって精神力や気合で防げるものではない。かえって緊張しているとミスしたりします。
 いちばん悪い実例は、かつての旧日本軍ですね。現場で戦っている兵士は、絶対に米軍に勝てないと分かっている。しかしそういう明々白々な意見がうえの人には通じない。「私の意見などでどうにもならない」というまま、特攻隊まで編成されて死んでいった人が大勢いたわけです。
 自動車会社、航空会社、鉄道会社、お役所、そして建設会社。学校や警察でもおりおり問題が浮上します。
 にんげんはしょせん間違いをしますし悪いことも考えます。公務員でも民間事業者でもまったく同じです。「民営化すればなんでもよくなる」なんてのも嘘であることは、アメリカや日本のいろいろなことを調べればわかることであります。民営化でコストは下がるかもしれないがモラルはまったく別問題です(もっともだから、官のままであっても間違いは起こるのだからそれはどっちでも同じかもしれませんが。ただ、民に任せれば競争意識からモラルが向上するとは限らない、逆もまた多いということです)。
 いろいろな意見のフィードバックができない組織は結局、徐々に駄目になります。今のIT企業も10年後、20年後にどこが残っているかをみればそのへんが鍵かもしれません。
 ふるいも新しいもない、組織の盛衰は手抜きや間違いをなくすことが最も重要で、それにはどんな業態でも普遍的な「人間管理」ということがあるだけだ、ということです。機械じゃないんだから。感情も思惑もあるんだから。
 建築業界も・・・これだけで終わりにしていいことかどうか。地震がきてからもっと手浮きが分かった、ではとりかえしがつかないのですが。
 ・・・それにしても。マンションは怖いですよ、本当に。一戸立ちならなんとでもなるんですけどね、万一の場合も・・・。
 

2005年11月25日(金)
まるでどうでもいいことだが、新聞のある記事で「選択枝」という言葉が出てきた。まあこれ、普通に考えるに「選択肢」の誤植である。しかし解せないのは、わざわざ「せんたくし」という言葉を打ち込むのに「せんたく・えだ」とか「せんたく・し」と入力する人がいるんだろうか、ごく普通にせんたくしと入れれば「選択肢」しか出てこないはずだが・・・ということだった。
 こんなような謎がしょっちゅう起こるのである。そして、案外にそれは記事を書いた人がたまたまその言葉を知らない、というだけであることも多いのである(これ、博識な人でもなぜか誰でも知っているような言葉を知らないとか、間違っているなんてことはよくあるものです。その人が大人になるまでの間にたまたま、その言葉を使う人と出会わず、その言葉が出てくる書物にぶつからずあるいは、ぶつかってもその言葉にあまり意識が残らず、いい年になるまで知りませんでした、なんてこと。それはどなたにも経験があるでしょう)。
 ところが、である。ひょっとしてコンピューターの辞書によっては「選択枝」と変換するものもあるんじゃないか、という疑いも出てきた。というのも、グーグルで選択肢と入れるとざっと230万件ほど出てくるが、選択枝でも60万件ぐらい余裕で出てくるみたいなのである。
 つまり、そんなに珍しい字の使い方じゃないということだ。
 しかも、けっこう有名なある出版社の書籍には「選択枝でつかむ公務員試験必勝法」とかその手の題名の本がたくさんあることもわかった。おまけにその版元がいろいろな資格試験や入社試験などの実例を公募している書式でも、堂々と「選択枝」とあるので、もう確信犯だと思わざるを得ない。
 まあ私はこんなのはそんなに目くじら立てないというか、どっちでもいいと思う方である。正しいとか正しくないとか、杓子定規に言ってみても、そもそも江戸時代ぐらいまで当て字なんてごく普通で誰も気にしていなかった。漱石鴎外の時代になっても当て字だらけである。つまりそんなことを気にしない、というのが日本の古来の発想なのである。正しい日本語、なんていって復古的に
するのがなんでもいいと思う人がいるが、遡るほど誤字当て字が多くなるんだから、馬鹿馬鹿しい限りである。
 そりゃまあ、しょせん漢字なんて日本語からすれば一種の借り物なのだ。有る意味正しいも正しくないも全部、当て字といえば当て字であるのかもしれない。

2005年11月24日(木)
ブログのほうの管理画面に「2005年11月24日(木) 9:00-15:00の約6時間、メンテナンスを行います 。◇日時:2005年11月24日(木) 9:00-15:00の約6時間」なんてお知らせが書いてある。ということは明日はかなり長い時間、ブログのほうが使えなくなるようなので、前倒しで日記の更新をしてしまおう。
 それで昨日、近所のペットショップに行ったのである。で、あれこれ妻が買い込んだのだが(例によって)、ふと足を止めたのが見慣れない小さなカエルの水槽だった。姿かたちはごく平凡なのだが、ぴょこん、と四肢を広げて水面に浮かんでじっとしている、ちょっと赤い色の奇妙なカエルである。どうもウキガエル、とかいう水面に浮く種類のものらしい。そしてなんでも、本来的にはアロワナというでかい熱帯魚がいるが、あれの餌として輸入されているかわいそうなものらしい。
 しかし、店頭にあったのは、なぜか微妙な違いでアロワナの餌には向かない種類のものだったために、餌にされないでペットとして陳列されているとのことだった。
 1匹100円、とほとんどないような値段で、妻がしきりにかわいい、というので買うことになった。もう家中、ヤドカリやら熱帯魚の水槽だらけだというのに・・・。
 が、実際、むんずら動きもしないでぷかぷか浮いているカエルは確かにおかしい。見ていてまあ、なごむというのか。このぐら脱力感があるものを見ていると、なにかときりきり殺気立ちがちなこちとらも少し、穏やかにならないでもない(本当か)。
 が、しかしそもそも餌としての需要が多く、カエルそのものを愛玩している人というのは少ないようで、生態もけっこう分からず、餌も・・・・まあ赤虫という、金魚やほかの魚の餌があるんだが、これは一応、食べるようである。
 ◇   ◇    ◇
 そのペットショップで、なんか曲調としてはなかなかカッコイイのだが、歌詞が非常に不明瞭で一言も聞き取れない洋楽もどきのニホンのポップスらしい曲が流れていた。どうもこのちょっとこもった感じの発声は・・・宇多田ヒカルと思われた。
 一世を風靡したウタダも、近頃はかなり凋落しているように聞くのである。確かに世紀の変わり目ごろの天才少女現るといった鮮烈さはすっかりなくなったし、あのころは珍しかったR&B系の女性シンガーなんてのも今や飽和状態となった。90年前後のアメリカのR&Bを巧妙に改作した雰囲気の曲調っていうのももう珍しさも新鮮さもない。
 だが、けっこうこの英語もどきの歌詞、というのも致命的だったのかもしれないと思わないではない。これでは結局、日本人にも英語国の人にも聞き取り不能なノイズにすぎない。それはもう歌ではない。
 しかしまた、なんとなくニホンもひとつの転回点にあるので、いかにも平成不況の雰囲気を思い出させるウタダの歌声がすでに耳障りなのかもしれない。あまりにも時代と添い寝しすぎたのではないか。浜崎あゆみはどちらかというと不況期の中でもむしろ、バブル期の余韻を感じさせる人であったように思う。
 高度成長期から前のバブル期と添い寝しすぎたユーミンは、今後、日本の景気が上向いてもどうもしっくり行かないのではないかと思う。80年代のスキー場に行くとどこのかしこも彼女の歌声で満ち満ちていた。私のような者までスキー場に行った覚えがある。
 あまりにも一時代のテーマ曲となってしまうと、あとのつぶしがきかないようである。これはなにについても言える。
 ◇   ◇   ◇
 それにしても。2005年もまもなく終わり、じゃないか。気がつけばあと一ヶ月でクリスマスである。
 なんか私個人としては・・・・もちろんまだ一ヶ月以上あるので総括するのもあれですが、なんかすごく悪いこともないが、あんまり冴えたこともない、どっちかというと停滞した感じの1年だったと言うのが実感。
 たとえばこのブログを見た出版関係者が、センセイ、一冊本出しませんか、とか連載持ちませんか、とか行ってきてくれんかね。一応こちとらも物書きの端くれではあるんだが。
 もちろんもっと大きく、センセイ、遺憾ですがノーベル賞もらってくださいとか、征夷大将軍に任命しますとか、そういう話でも大いにけっこう、なんでもお受けする。
 無事であることがこ、なによりなんだが、本当は・・・。

2005年11月23日(水)
「ヤンキースの松井秀喜外野手(31)と女優の戸田菜穂(31)が親密交際していることが22日、分かった。2人は松井が巨人時代に知人の紹介で知り合い、昨年から本格的に交際をスタート。戸田が日本とニューヨークを往復する“遠距離恋愛”だったが、今月早々には松井が父・昌雄さん(63)に戸田を紹介。昌雄さんも戸田に好印象を抱き“ゴールイン”の可能性を示唆。ビッグカップルの恋の行方が注目される。(スポーツニッポン)」ということである。この場合、まあ戸田のほうが得することになるんだろうか。というのも戸田という人、そんなに大女優というわけではない。マツイのほうはとにかくこの世界の雲上人に成り上がった。もっとも巨人時代からの交際、ということだから最近のマツイ株の高騰はむしろ彼女の存在の「結果」であるのかもしれない。
 ◇  ◇   ◇
 それで、世間、お休みですか、今日も。私は本日も出勤です!!
 ◇   ◇   ◇
 もう毎日毎日殺人事件で、広島でも小学生が殺されたとか。その前もどこやらでレストランの主人が、その前にもどこやらで姉妹が、その前も女子高生が・・・なんか多すぎてなにがなんだか分からない。犯人像は20〜40代の無職、というのがまた多いんだろうか。
 ◇  ◇  ◇
 昨日、なんとなく六本木ヒルズを見に行ってしまった。ロブションの店を見てみたかったからである。
 ついでにちらちら見て回ったが、・・・まあどうなんだろう。浦安あたりでいろいろバブリーな施設を見慣れているものにはそんなに驚くようなものでもなかったが、確かにちょっと変わったブランドも多いように思う。銀座や日本橋にあるお店とはちょっと違うラインナップというか。
 しかし分かりにくいという意味ではまことに分かりにくい構造である。災害でもあったら混乱しそうな街である。
 以前は六本木なんてそんなに冴える町ではなかったように思う。なんか一晩中外人が多い街、という印象しかなかった。ただ横文字のカラオケが多いのが面白かったが。ヒルズが竣工してからは行ったことがなかった。
 が、ロブションの店だけは一度行って見たいとは思う。


2005年11月22日(火)
なんとなく靖国神社に遊びに行ってしまった。いや本当になんとなく。参拝というわけじゃない。ただ先日、母親と電話で話していて、例の「純ちゃんの黒糖改革まんじゅう」というのが食べてみたい、という話になり、なんとなく出来心で見に行ってしまったのである。
 あったあった。売店のお菓子のコーナーに純ちゃんまんじゅうがある。しかし、ふざけたイラストで、忍者すがたの小泉さんらしき人物が、従えている九の一が「純ちゃん、敵よ」とさけぶのに「そんなものは想定内だ」とこたえるという図で・・・まあなんだかよく分からない。背景には靖国神社と国会議事堂が描かれている。
 で、このまんじゅうはその神社と国会の売店にしか置いていないということである。
 それにしても、案外にこのまんじゅうが、うまい。飯島秘書官がこれを買い込んで、ばったり靖国骨董市に訪れていた公明党の冬柴幹事長をごまかした、というので有名になったわけだが、しかし、まんじゅうとしてうまいのであるよ。
 ぜんぜん、私は小泉さんにシンパシーはないのだが、きわものというか、はやりものということで、このまんじゅうそのものにはなんの思いもないのだけど、純粋にまんじゅうとしてうまいのだからそれはそれでよろしいかもしれない。
 先年に完成した遊就館ものぞいて零戦でも見ていこうかと思ったが、拝観料が高いのでやめた。
 参拝じゃなくて、見に来たことというのが何回かあるのだが、売店に立ち寄るのは・・・中学生の頃になぜかこの神社にきたことがあって、確か父親と2人で来たんだがどうしてそういう話になったか思い出せない。
 そして売店に寄って、月見蕎麦を食べた覚えが・・・あるある。今でもまったく雰囲気が変わらない売店とそば屋がある。
 売っているものも、皇族方のポートレートとか、菊の紋章のバッジとか、これも変わらない。私はその25年前の中学生の時分にも、菊のバッジを買って帰って、学生服の襟につけて「官軍だ」とかやって遊んでいたような記憶がある。
 それにしてもひろい、立派である。さすがにかつての別格官幣社とやらである。あの大鳥居の大きさはやはり尋常じゃない。なにげなく立っている大村益次郎というのも渋い。なにしろもともとは決して戦没者慰霊の神社、ではない。あくまでも「官軍の神社」である。招魂社というのはそういうことだった。
 別にそう思ってみればそれだけのこと。思い入れのある人にはもちろん通じる道理じゃないのだろうが、今となってはなかなか「経営状態」も厳しいと聞く。
 売店のあまりの旧態依然からみて本当かも知れない。
 ◇    ◇     ◇
 皇室典範の改正問題で女系女性天皇容認、という流れが出てきて、にわかに旧皇族の家なんかでもまったをかける声が出ている。「男系が途絶えればいわば皇統断絶」というのだがしかし、継体天皇みたいにあやしげな人をもってきた例もあるし、明治天皇からして、実は南朝の子孫がすり替わったのだ、という説が絶えないのである。万世一系というのを強調する意識を理解しないではないが、そもそも考えてみればご先祖はアマテラス様、女神じゃないかしら、とも思う。この女神様が史上の女王卑弥呼とか、誰か具体的な人物なのかどうか知らないが、伝承としては女神の子孫なのである。
 それになんとしても、現実に女性の皇族しかいないのだから、このままではみんな皇族を離脱してしまうので、どうにもなるまい。今更もうしわけないけれど、旧宮家におでまし願うと言っても、ごりごりの右翼系の人はともかく一般の国民というのは納得するまい。
 どうも天皇制がずっともつかどうか定かじゃないが、少なくとも国民的にはあの愛子さまが天皇に即位するところまでは見てみたい、とアイドルを見るような気分で見ているのではないかと思う。だから、守旧的な意見の人等が頑張ってもそこらへんまではもう押しとどめることはできないと思うが・・・。

2005年11月21日(月)
自分自身がマスコミにいるもんだから、2ちゃんねるのニュー速の人たちのように一生懸命、少しでも早く更新しようなんて気が逆に起こらない。なにしろ今時はネット上にリリースすれば30分で知れ渡るのである。だから新聞社でも、紙面掲載前の記事に注意が必要なんて近頃は言っている。紙面にして、印刷する前にネット上に出回っている記事も多いからである。ただし、本当に特ダネだと思っているものはラ・テ止めといって、ラジオやテレビなどの放送メディアには流さないことになっていて、この中にはネットも含まれる。
 放送か通信か、なんて議論があるが、うちらから見れば紙媒体じゃないものはおしなべて一緒くたのそれ以外、である。
 ◇     ◇     ◇
 姉歯、という名字はなんでも仙台あたりの名前だそうだ。実際、姉歯横町なんて通りもあると聞くのである。さらに、元仙台城にあったお茶室を家老の松倉家が拝領し、それをまた姉歯家にやり、その茶室というのが現在は史跡となって「姉歯家茶室」という名前で公開されているそうでもある。ということで、そもそも仙台藩のなかなか上級のお武家かなにかの家柄じゃないだろうか。
 というのも、例の姉歯設計事務所、である。一級建築士免許の剥奪がほぼ確定なのにしゃあしゃあとしてテレビに出てくる彼氏、なかなかお育ちはいい感じでまあ、けっこう良家のぼんの出かしら、と思ったからである。
 市川の事務所と聞いたから、隣町の浦安でも、と思ったのだが幸い我が家はぜんぜん違う設計士だったのを覚えているので、安心はしていたが。しかし、その後も次々と問題のあるマンションというのは出てきて、もはや姉歯1人の問題じゃなく、ほかにも手抜き施工なんていっぱいあるのが本当だろうと思われる。
 ここ数年なんだか高層マンションブームだったが、バブルのころもそこのけの手抜き設計手抜き施工、けっこうあちこちにあったと思うよ。あおられて、6000万も7000万もものによっては1億円も出した人たち、よく調べた方がいいですぜ。
 高級マンションたって、壁の中までは分からないから。本当に何度も書いたけど、前に公団の高層マンションに住んでいたが、ちょっとの地震でゆさゆさ揺れるし、どうしたって他の家の音はシャットアウトできないし、住民間のトラブルもどうしても出てくるし、上の方の階の人は下まで降りるのが面倒くさくなるし、エレベーター待ちは不愉快だし・・・とにかくなんでそんな「夜景がきれい」なんてどうでもいいことで浮かれているのか分からないのである。景色がいい、なんていっても三日で見飽きるものである。実際に住んでみれば、万が一の時に飛び下りられる低層階のほうが安心だと気づくのである。
 子どもがベランダから落ちるというのは論外だが、子どもがものを投げたものが地上に落ちて問題になるとか・・・とにかくろくなことはなかった。
 ブームだなんだといってミニバブルになど乗らないことである。
 ◇    ◇    ◇
 大阪の市町村で第二退職金として、互助会が800万円とかすごい金額を出していたのだが、今月末で廃止になるという。それで、あわてて公務員どもが駆け込み退職していて、定年まであと1年、というぐらいの連中が早期退職しているという。1年分の給与よりそのヤミ退職金のほうがおいしいからだという。
 すでに300人が急に辞めたもので、困っているのだという。申し訳ないけど、大阪ってつくづくバカじゃなかろうか。なんで即時廃止しなかったんだろう。月内はOKなんていったからこうなるんである。
 もちろんその巨額のヤミ退職金というのは補助金、つまり税金である。
 このバカどもは要するに公金横領みたいなものである。大阪じゃ役人をやって楽をして御殿を建てるのがあこがれの人生パターンだったそうだが、改革がどうのこうのより、一度こういうところは自治体を廃止して国の直轄にしたらどうかと思う。
 大阪の市民はもっともっともっと怒ることはできないのだろうか。阪神がどうのと言っている時じゃない。・・・あの阪神電鉄にしたって、村上ファンドの言うことにも一理はあるのである。あんなに親会社が含み益をもっていてなにをしているのか、というのは確かに問題なのである。球団を上場するなんてことは別にしても、ファンの連中もあの会社の体質には「まあええわ」なんて言わないでもっと批判的に見るべきである。

2005年11月18日(金)
株価がどんどん上がっていてもう大変である。小泉政権発足以来の高値を更新し続けている。今日などは1万4600円までいった。もちろん1989年に社会に出て、その年の年末大納会の終値で3万8915円、というのを経験している者にしてみればなんということもないが・・・しかしあのころのクリスマスは夢の中にいるようだったなあ。あの異常な高揚感は・・・。ボジョレ・ヌーボーなんてバカ騒ぎもあのころに定着して、これだけは不況の間も生き残って今に至っているが・・・・。
 で、それに比べればささやかなもんだが、しかしである。この雰囲気はしかしバブルじゃないんだろうか、ちょっとした。あの89年にしても実際にはみんなが金を持っていたわけではなかったが、しかし金がどんどんやってきて通過していく、という感じがあった。今、手元になくてもいずれ入ってくるような気分があったから、みんな浪費を恐れなかったのである。
 来るんであろうか、ああいう感じがまた。ITバブルみたいなまやかしと違い、資産とか株式市場主導のものであるから、まあバブルといえばバブルである。しかしそれをいえばここ10年のアメリカのグリーンスパン景気も実態は異様な高揚感と、そして住宅土地の平凡なバブルである。
 また高揚の時代が来るのか、というのはそのへんのショッピングモールもみんなプチ六本木ヒルズを気取りはじめていて、スーパーだろうが駅前商店だろうが、にわかにデフレ価格設定から、5万円とか10万円とかそれなりに「あなたも勝ち組の端くれ」という気分をくすぐるようなものに書き換えつつあるのは間違いない。
 都心でも、TOKIAとかオアゾとか新しいショッピング、グルメスポットが続々と出来ていて早くも飽和状態を思わせる。
 1985年ごろに都心のオフィス需要が足りなくなる、という政府のミスリードに乗ってアホなバブリー計画がどんどん進んでめちゃくちゃになったものの、ここまできてその再開発の成果というのがようやく出てきている面もある。
 新浦安のごく平凡なショッピングモールすら、ちょっと上流、というイメージ作りをはじめていて、今日来たチラシじゃいきなり150万円のコートとか平然と売っている。
 2,3年前じゃありえなかったことだろう。ちょっとでも安いもの、というユニクロ路線は終わったのは間違いない。そのユニクロだって近頃は銀座に出店して高級志向に変えているようであるし。
 要するに、この平成不況の間に生き残った人と、団塊の世代以上の裕福な高齢者を相手にした商売が盛んになり、この10年間に落ちこぼれた人は無視されつつある、ということである。平成不況の間は、金持ちも貧乏人くさくすることが流行った。金があるのに1000円スーツなど身につけたりして、要はデフレがトレンドであった。これは所得の低い人には楽な状況だったから、ある意味でニートなんてものもそれで出てきたかもしれない。
 89年ごろは、就職なんて誰でもできたから、ということもあるが、しかし遊んで暮らそうなんて誰も思っていなかった。だって働けばどんどん給料が入ってくる、という状況なら就職したくなるものである。そのうえ、あのころは公務員志向すらなかった。公務員になるヤツなんて野心のない詰まらないヤツ、と言われていたのである。民間会社の給与水準のほうが魅力的だったのであるよ。考えてみるとあの数年だけが日本の歴史の中で異常だったのだが。だから私のころには国家公務員上級試験を蹴って民間に、という人も珍しくなかったし、防衛大を出て任官拒否が出てきたのもあのころだったんじゃないか、と思う。
 さて、こうなってみると本当にインフレも来るかもしれない。いよいよ。アメリカの次期FRB議長バーナンキはインフレターゲットの設定を公言してはばからない。日本もあやかるだろうと思うのである。インフレしか実のところ日本の借金は返せないわけである。しかし、それは収入の少ない人のますますの没落を意味する。ことに、これからの人はまだいいが、デフレ期のライフスタイルが身についてしまった今の40〜20代のニートとか、コギャルのなれのはての人ら、この人らが完全に取り残される可能性がある。
 要は、仕事と資産を持っている人だけにGOサインが出ているということだが、これでみんなが高揚していくとバブルっぽい状況が再来することになるだろう。
 そうなってみると、不思議と金がない人も金持ちに引っ張られて、あるいはまねをして金遣いがあらくなるものであって・・・それであの89年の夢見心地の再現となるかどうか、という感じが今あると思う。
 本当のところ、どうなんであろうか。
 


2005年11月17日(木)
楽天の統合提案をTBSが蹴ったらしい。村上ファンドが自分の金儲けで動いていて特にこの件で思惑はない、と見切ってのことなんだろう。こうなったらまあ事実上の決裂かな。とにかく実はITがらみのアイデアというのも枯渇していて、そんなにくっついたから素晴らしいビジネスモデルが、という雰囲気じゃなくなっている。
 どんな産業だってだんだん落ちついていって、しまいには萎れていくのである。
 ◇   ◇    ◇
 なんか、私の新詩集「ナヴァロンの秋」の見本刷りが届いた。月内には店頭にも並ぶらしい。宣伝してもよかですか。ISBN4−8120−1533−2である。定価2000円+税で今のところ2100円である。ぜひ消費税が上がる前にお買い上げください。版元は土曜美術社出版販売(03・5284・0730)である。ここは自分のHPももっていてネット通販も出来る。
 一応、タイトル作品を下に掲げる。ま、宣伝ですから。そのための個人サイトだしね。

ナヴァロンの秋

輝くエーゲ海 泡が抱きしめる雲と沈船といい女と
英雄の下ネタの数々 あはあ 溺れ死ぬ
ヤドカリの群れに水兵さんの群れ 群れ
嘘つきどもの集う盛り場
ナヴァロン島の巨砲の跡
オリーブオイルをがぶ飲みするには
私らの胃は華奢に過ぎる

懐メロ大会で白いスーツのおじさんたちがガナる
いい時代だった そんなことを何で持ち出す
さあて自由連想だ 目の前には輝くエーゲ海の
オリーブオイルと べたつく
ドイツ軍の要塞の跡 あれから六十年が過ぎ去った
そういえば 急降下爆撃機の翼の形
それに白いカモメ カモメは
嘘つきなヤツばかり

若い者を馬鹿にしてるんだ この島はいつまでも
ドイツ軍占領時代のあれこれの名所旧跡ばかりで
成り立っている もううんざりだ と若いアンドレアがうめいた
あいつらにはうんざりだ まずいメーゼにギターに宴会
外国人 特にアメリカや日本から来る連中
戦争経験者 知ったかぶりの ぼろぼろと
ぼろぼろと 剥落する
あんたたちの時代の綺麗事 あんたたちの世代のまずい事
本当はナチの連中に協力した者もたくさんいただろうに
添い寝までしただろうに

関係ない 私は休暇で来ただけなのだ 海水パンツは一枚きり
ニホンジンは美しいニホンゴに守られているのですよ
そろそろ秋で 金色の葉がちらちらと 覆い隠す
若いやつらに何が分かる お前らなんかに何が分かる
そんな頑なな老人が黙々と不味そうな魚のトロ箱を担って行く

ここですう。
ガイドの女性が素っ頓狂なニホンゴで教えてくれる ここが
かつてのドイツ軍司令部で あそこの岸壁 岩場が見えます
あれ あそこ ドイツの大砲 おおきいおおきい 大砲
史料によると一九四一年 ドデカネーゼ諸島を占領した
ドイツ軍はナヴァロン島にも進出 ケロス島との間の
水道海域を制圧するべく 三十八センチ列車砲二門を設置
多くの艦船を水中に葬ったが 連合軍の特殊部隊に破壊され
とかなんとか
いいや そんなことは映画で見てもらったほうが早い

グレゴリー・ペックはこういう映画につきものだった

語り継がねばならない大事なこと 六十年たった今
私たちは 美しいニホンゴで
ああそういうことは どうぞ
ほかの人に 頼むから
遠雷か ナヴァロンの幻の砲声か
違う 市民納涼花火大会が七時半から日の出公園で行われている
トウモロコシや林檎を焼いている イカも焼いている
早く切ってしまえ DVDは巻き戻さなくていいから楽だ
繰り言は誰も傷つかないようなことでまとめるから楽だ
ボリス・ヴィアンのセリフを思い出してみた
「北京にも秋にも無関係。だからこの小説の題名は北京の秋、なんだ」

ここでもたくさんの人 拷問にあいました たくさん死にました
ここ ドイツ軍のゲシュタポの司令部 ここは鉄条網 それに

はじめはそれなりに比喩を多用しようと思ったが疲れた
どうでもいいことだ どうせどう書こうと誰も読みはしない

ところで分かっていただけるだろうか
本当のところ 夏休みと言ってもどこにも行きはしない
花火大会の会場にすら足を運ばない だからそれゆえ

私は
ギリシアになんか行ったことはない

ギリシアには
ナヴァロン島なんて島は実在しない。 


2005年11月16日(水)
 なんの世界にせよプロとなって活動できるというのはその道のエリートである。もちろんそのプロの中にも一流から末席まであるにしても、いちおう、プロともなればその世界では究めたといってよろしいだろう。
 で、「Jリーグ1部(J1)のガンバ大阪などで選手としてプレーした八十祐治さん(36)=大阪府高槻市=が今年の司法試験に合格した」(日経ネット)という話を聞いたがすごいですね。あまり人さまを褒めないひねくれ者の私だがこれは素直に凄い人だと思った。
 「八十さんは大阪・茨木高、神戸大といずれもサッカー部に所属。Jリーグ発足の1993年、ガンバ大阪に入団し、中盤の選手として2年間でリーグ戦3試合に出場。その後はJFL(日本フットボールリーグ)のヴィッセル神戸(現J1)など3チームを渡り歩き、2000年シーズンを最後に現役引退した」というんだからトップ・プロではなかったようである。2年間で3試合、というのだからまあかなり目立たない選手だったのは確か。しかしその後のことがなかなかすごくて「次の目標を考え、一番高いところを目指そう、と一念発起。東京で営業マンとして働きながら司法試験専門の予備校に通い、03年8月には試験に専念するために勤め先を退職した。昨年の初受験では、3段階の2番目の論文試験で不合格となったが、あきらめず、2度目の挑戦で夢を達成」ということだ。なんだかんだいって2回目でパスするのだからそもそも優秀な人だったには違いないが、それにしても同じ人生の中で二つの分野で「プロ」になる、どちらもまるきり畑違いで、その立場になること自体が難関である、というものを達成したのは本当に大したものである。
 そして、にんげんだらだらしていると何もできないものだが、この人の場合にも2003円の夏に退職してから2年ぐらいでこの結果を出した。そのほかにも、仕事をやめて2、3年ぐらい執筆に専念して作家になった人とか、会社を興した人とか、そういう話というのは聞くものである。
 本気でやれば人間、まあ2,3年あれば何事かできるものなのかもしれない、しかし、ながらでやっているとそうはいかない。日々の仕事というのは面白くもなんともないものである。

2005年11月15日(火)
 黒田清子さん・・・という名前で検索すると、ぜんぜん違う人がけっこう出てきてしまうが、(さやこさん)という読みの人は余りいないと思う。その、紀宮さんと黒田さんの結婚式が無事に終わってくれた。いや本当によかった。なんかあったらどうしようかと思っていたもんで・・・いやあ、もちろん仕事上のお話。
 それにしてもささやかでなかなかいい感じの式だったのは確かですよね。そんなに底意地悪く嫌な感じを持った人はあまりいないんじゃないか。黒田さんというのも、うまい人を見つけてきたモンである。すごいヒルズ族とか、すごい御曹司とかじゃなくて都庁の係長、というのはとりあえず、これも悪い感じを持つ人はなかったろう。
 はじめ、黒田さんという名前から黒田如水のあのお大名の家柄かと思った。詳しいことは知らないが直に関係はないんでしょう。しかし子爵の家と親戚なんだそうで、まったくの愚通の人、というわけではない。まあ「準華族」というところか。
 普通の人になる、というのは、あの御所の中で純粋に上品に育ってきた人が、今のご時世の弱肉強食の世の中に出てくるのはなんだか残酷な気もしないじゃないが、しかし反対のパターン、民間の人があっちに入るほうが大変ですよね、恐らく。
 朱に交われば、で、下品になるのは簡単なんだよね、世の中。
 愛子天皇の皇配を選ぶときは本当に大問題になるだろうが・・・。

 ご学友の人がNHKで「中学時代にあこがれていたアニメのヒロインのような衣装で、今日は素敵なヒロインとなられて・・・」というようなことを言っていた、これはつまり宮崎アニメの「ルパン三世・カリオストロの城」のことじゃないかと思うんだが。やはり漫画アニメ好きと言うのは本当らしい。よく上段でささやかれてきたが、冬のコミケに黒田清子さんが本当に現れるかもしれない。
 ◇  ◇  ◇
 弱肉強食の生き馬の目を抜く娑婆の世界といえば、今日はそれよりは、村上ファンドの動きのほうが夕刊の時間帯じゃ面倒なことだった。つまり村上ファンドが関東財務局に出した大量保有報告書では、10月中にそれまで7%以上持っていたTBS株のほとんどを市場で売却した、という話題だ。
 別に楽天に売った、という話ではないらしい。2000円ぐらいだったTBS株が今時は3000円を切ることはないから、ここらで利益確定ということみたいだ。なんにしても大もうけしただろう。
 村上ファンド、というかMACアセットマネジメントの大量保有報告書のコピーを見たことがあるが、なぜかすごく目立つところに「A4版:日本工業規格○○o×○○o」と大書してあるのが異様だった。普通の報告書・・・決まった書式と言うのがあって、たとえばライブドアの前身エッヂ社の報告書の写しも見たことがあるが、堀江社長の手書きで書いたわりと変哲もない書類だった。
 MAC社の場合、手書きじゃなくて自分でコンピューターで作成したものだから、役所に備え付けのものじゃない。それで、金融庁の要項には「日本工業規格A4版で作成すること」とあるので、なんか嫌らしいぐらい「日本工業企画A4」を強調しているようである。普通、A4の紙であれば文句はないはずだが、それだけじゃ安心できないようなのである。
 絶対にうちは抜け目ないんだ、こんなところまで絶対に他人に突っ込まれないんだ、他人をだしぬくことはあっても、逆はないんだ、という村上さんの意志を感じるのである。
 ちなみに私はMAC社のことを「マック」と読んで、前に笑われました。違うんですね、ここはエム・エー・シーと読むのである。
 別にアップル・コンピュータとかハンバーガー・チェーンを思い出したわけじゃない。前の職場で取引のあった会社にこう書いてマックと読ませる社名の会社があったのですよ。でも全国にMACというのがある会社も多いと思う。
 みんな、関連があるのかしら、と警戒されているんじゃないですかね。


2005年11月14日(月)
 世間的にはあまり盛り上がっていないかも、などと書いては見たが、さすがに明日を控えて紀宮の結婚というのも話題性を帯びてきた・・・・いいや、世間的にはどうか知らないが、私個人的に興味を抱かずにはいられなくなってきた。というのも明日は夕刊担当、もろに11時スタートの挙式に重なってしまう。自分で取材するような仕事じゃないが、無関係ではいられなくなってしまった。
 もっとも記者会見は午後2時からだそうだから、これは夕刊組には関係なし、か。というのも新聞の夕刊というのは締め切りがもう少し早い。各社取り決めもあって、2時なんて時間に起こった事件は扱わないものなのである。
 取材そのものも共同取材なんだろうし、まあ案外、どうということもないのかもしれない。とはいえ、万が一にも滞りなんてあったら一大事だし、間違いがあっても大問題だし。どこかの市民運動会はありませんでした、なんてお詫びじゃすまない。
 なにせい皇室がらみとなればいろいろとうるさい人がいるのである。
 ◇   ◇    ◇
 皇室典範の改正、女性皇族の宮家創設の可能性・・・などといっているので、ひょっとすると臣籍降下する最後の内親王ということになるかもしれない。おおっと、臣籍降下は古い言い方、臣民に身分を落とす、なんていい方は民主主義のご時世にあわない。皇籍離脱、でありますな。
 いろいろ新聞でも大変に気を使うんですぞ、皇室ネタは。たとえば・・・。
 「天皇、皇后両陛下」はもちろんよろしい表現だが、「天皇、皇后ご夫妻」はNGである。実際、天皇ご夫妻という表現はあまり見かけないだろう。これが皇太子ご夫妻とか三笠宮ご夫妻というのはある。要するに天皇陛下というのは絶対的に偉いのであって、皇后はあくまでも天皇の奥さん、ということで同格同列に並べて世間並みの夫婦扱いはまかりならんぞ、という声があるからである。
 それだけじゃない。「天皇、皇后両陛下」はよろしいのだけど「天皇・皇后両陛下」は駄目である。どこが駄目かって? 「、」と「・」の相違である。あくまで天皇・皇后と対等に並べてはいけないのである。
 そんな細かい、と思うなかれ、こういうのは実際に苦情があったりしていろいろの経緯で細かく決まっているのである。報道各社ともそれはいい加減には出来ないのである。
 そういえばだが、紀宮が皇籍を離れる根拠の典範には、女性皇族は天皇もしくは皇族と婚姻しない場合、婚姻によって皇籍を離脱する、というようなことが書いてある。ここで気になるのが「天皇もしくは皇族と」というところで、大事なのは「天皇は皇族じゃない」ということである。皇室、といったらロイヤルファミリー全部をさすが、皇族というのは天皇以外の方々のことである。よって天皇ご本人は皇族ではない。
 ◇   ◇    ◇
 それほどにこのご時世にあっても「お上」は絶対的な扱いを受けているので、明日の挙式でも、最初はさすがに雛壇に新郎新婦が座って、中央の円卓に天皇・皇后ほかファミリーがずらりと座る、ということになるが、すぐに新郎新婦が雛壇を下りてきて、天皇・皇后と同じ円卓に着席して食事にする、と聞いた。さらにその後はすぐに席の上下がない立食パーティーに移るのだとか。このへんもいろいろ難しいところをよく考えてある。さすがに絶対的に偉い天皇陛下といえど、今回は基本的に花嫁の父、まさか新郎新婦より上座に座るわけにもいかなかった、というわけだろう。
 このようにせっかく民間式の結婚パーティーに天皇・皇后が出席する形式の前例を作ったのだが、これも最初で最後ということになるかもしれない。
 ◇   ◇   ◇
 ゆうべNHK特集の再放送で「皇居」というのをやっていた。紀宮がらみで放送されたようだが、1984年5月に本放送したというから、当時私は高校3年である。私はこれ、リアルタイムで見た覚えがある。当時の入江侍従長がモーニングのシャツのボタンを締めながら「誰がこんな馬鹿げた衣装を考案したんでしょうね」と呟くシーンが鮮明に記憶に残っていた。あれで、モーニングの下のドレスシャツというのはボタン留めが面倒なのだ、と知ったのである。自分の結婚式ではタキシードどまりだったし、また叙勲とか閣僚に任命されるとかいう経験もないので、それ以後のモーニングがどうなっているか知らない。
 几帳面に署名する昭和天皇と、御璽を推す侍従、というシーンもよく覚えていた。勤労奉仕団に天皇自らお言葉を賜る、というところも印象的だった。あの番組は非常に勉強になったが、まさかもう一度見られるとは思わなかった。
 あのころのNHKは気合が入っていたよなあ。歴史的名作も多かった。頑張ってもらいたいところだが・・・。


2005年11月13日(日)
 紀宮の結婚式というのが迫ってきたが、しかし世間的に言えば皇族から普通の人になってしまうから、まああんまり話題になっているとはいえないような・・・。
 どこかのニュースで、紀宮がご先祖様、というからアマテラス様から歴代の皇祖皇宗にお別れする、という儀式を紹介して「紀宮様は十二単におすべらかし、という平安時代の服装で・・・」と言っていたが、十二単はともかく「おすべらかし」というのは江戸時代の髪型じゃなかったかしら。平安美女というとストレートヘアですよね、本来は。
 ◇   ◇   ◇
 たまたまテレビを見ていたらロビン・ウィリアムズ自らを語る、という番組をやっていた。これは要するに有名な監督や役者が、俳優養成学校でインタビューを受けるという形式のものだが、この人、最初から最後までずっこけっぱなしで、字幕で見ている外国人の私であってもおかしくてならなかった。才人である。そのセリフの中で「テリー・ギリアム監督は・・・彼も頭がいかれてるよ。中世の世界の住人でね」というようなことを言っていた。なるほど、と思いましたね。
 というのも、テリー・ギリアムの最新作「ブラザーズ・グリム」というのを先日、見たからである。
 ◇  ◇   ◇
 あの童話で有名なグリム兄弟がいかさま師で、しかも本当に魔物退治をするという破天荒な設定。あのモンティ・パイソンで鳴らし、未来世紀ブラジルで名をあげ、バロンでずっこけ、ドンキホーテを殺した男、という企画は流れ・・・とにかく変人、奇人と呼ばれてきたテリーギリアムである。
 とにかく最初から最後まで不真面目で、なんというか不思議な色がある。中世の暗い色彩を感じるのである。
 そして、ナポレオン軍に占領されているドイツ、というのがなかなか利いている。そのフランス軍の描き方がなかなか面白いし、力が入っている。フランス軍の司令官(この人、未来世紀ブラジルの主人公だった役者さんらしい)がドイツ料理を出されて「・・・これはなにかね? おえッ」なんてやっているシーンは笑える。敗残のドイツ兵もちらちら出てくる・・・しかしこの時代の屈辱からクラウゼヴィッツが、シャルンホルストが、クラウゼヴィッツが出てきて、100年後には普仏戦争で逆転となるのであるが・・・。
 モニカ・ベルッチが女王様の役で出ているがこれが美しい。あと、精悍な女猟師というのが出てくるが、これを演じているヘナ・レディという女優さんがなかなかである。この人が男たちを尻目につりさげたウサギの皮をばりばり剥いで、血抜きするシーンが笑える。
 肝心のグリム兄弟そのものはまあ、こんなものかな。女優さんのほうが目に付いたわね。
 またこの手の映画ではなんといってもモンスターが重要であるが、そのへんの演出はケレンミたっぷりで、ほかでは見たことがないうような異様な化け物も出てくる。
 とにかくマニアックに走り過ぎないで娯楽作品として「きちんと回収できる映画」を目指したのだと思う、ギリアムのこれまでの経歴からすると。それでも今回も撮影から公開まで2年以上もかかっていて、すでにそのへん、危ないかもしれない。が、ブラックユーモアの連続で傑作な作品である、感動の名作、という要素は余りないが、見て損はない。
 ◇  ◇   ◇
 予告編でスピルバーグ製作の「SAYURI」という映画を紹介していた。チャン・ツイイーが日本人の花魁を演じると聞いてなんだろうと思っていたが、なるほど、全編英語で日本を舞台にした作品なのか。合点がいった。日本人から見ると摩訶不思議なんだが、しかし考えれば上のブラザーズ・グリムは、一人も英語圏の登場人物はいないのにフランス人もドイツ人も平然と英語を話しているし、そのほかいろいろな国を舞台にして英語で押し通している映画は多い。それが滑稽に見えることも多いが、不思議と日本については日本人もその他の出演者も英語、という作品はあまりなかったと思われる。外国人と、英語が出来る日本人がからむ、という話はあっても、あくまで日本舞台で、本来はニホンゴであるだろうセリフをはじめから英語にしてしまうことで国際性を持たせる、結果として、主演女優も中国人でやれる、という・・・なかなかこれ、奇策というか、今まで誰も思いつかなかった手であるかもしれない。この手法だと、日本の俳優も英語力が必要になるけど、日本人のままで日本人の役をやるのだから、堂々と世界に打って出られるのでもある。
 ◇   ◇    ◇
 六本木ヒルズに住まう人々、ヒルズ族についてテレビでちょっと紹介していた。別にどうでもいいのだけど、しょせんは賃貸マンションじゃない。夜景なんていっても、毎日見ていると飽きてくると思うけど。これは別にやっかみでいうんじゃない。私は金があったからといって、高層賃貸なんて住みたくないな。前に一応、高層賃貸に住んでいたがちっともいいことなどなかった。外車も興味ないし。どうもよく分からない。あのへんが「成功者」のイメージなんだろうか、今時の。
 淋しい気がするのであるが、私としては。なにしろ生まれつきすごい人はあんなところにはすまないだろうしね。

2005年11月11日(金)
ロイター通信によると「米疾病対策予防センター(CDC)は10日、米国での喫煙率は低下傾向にあるとする調査結果を発表した。ただし、低下のペースは、ほとんどの州で、国が定めた2010年までの目標を達成するには十分ではない、との認識を明らかにした。CDCがまとめた調査報告書によると、米国の成人の喫煙率は2004年は20.9%(4450万人)で、03年の21.6%から低下した。02年は22.5%だった。同様にヘビースモーカー人口も減少している。成人3万1000人以上を対象にした調査では、昨年の「1日に25本以上吸う喫煙者」は全体の12.1%で、1993年の19.1%から減少した」とのことであるが、驚きますね。
 だって、あんなにアンチタバコと騒いでいるアメリカでも、喫煙率は20%もまだあるんじゃないの。5人に1人はまだ吸ってるわけですね。
 それにヘビースモーカーも12%、というのは少ないと言えるのか。10人に1人は確実にヘビースモーカーなんですから、けっこうまだまだいるわけですよ。
 私は吸わないのでこの件では至って冷淡です。吸う人の文化的な理屈は理解しないではないですがそれを言ったら麻薬だろうが殺人だろうが、あらゆるいかがわしいものは文化的なにおいと直結しておりまして、文化芸術活動ともかかわりがあります。つまりそういうことを議論し出せば、あらゆる薬物もタブーもなしにして、一切合切オープンにするしかないのでありまして、私はむしろ喫煙派の人は、この迫害の嵐の中で、人目を忍んで吸うことに喜びを見つけて貰いたいと思うのでありますが。
 これは逆説とか皮肉で言うのじゃありません。しかく喫煙が文化的要素を含むというならば、まさに発禁違法となって弾圧の対象になって、それでも地下でひそかに吸う喜びをかみしめるべきであって、そのほうが百倍も甘美にしてよい。おおっぴらに吸わないからこそよいのじゃないか。子供が吸いたがるのも、公には禁止だからこそ吸いたいのでしょう。オープンだとしたら案外に吸わないような気がします。
 今時は、主流派でないこと、メジャーでないことが苦しいような時代なのかもしれませんが、私などなにをどうやっても、本当は真ん中に居たいのに気が付くと端にずれてしまうようなところのある規格品外れのにんげんの一人です。いいじゃありませんか、嫌われる、悪者にされる。このなんでも自由、自由と平準化されてしまう世の中ではかえって貴重なことかもしれない。
 愛煙家は世間の弾圧を受けるという受難をむしろ喜びとすればよろしい。生まれ育ちやハンディキャップでされる差別ではない、嗜好品なんだから自分で選び取った受難である。
 タバコに殉ずるつもりで吸えばいいではありませんか。嫌煙家の人に分かって貰おうとするのはきわめて無駄な努力です(嫌煙家からすれば、科学的にどうとか言う前に、くさいとかけむいとか家具や壁紙が汚れて資産価値が低下するとかいう覆しようがない実害があるんだから、なにをどう言ってもダメです、あきらめるべきです)。
 ただ私は一つだけ、タバコが消えていくとマッチやライターも消えてしまう。それはいざ災害なんて場合に困りはしないか、とは思います。とっさのときの火種がないと困る場合もあるでしょうから。
 うちの会社のご近所にサンケイビルというのがあって、いうまでもなく産経新聞の本拠ですが、どうも館内禁煙のようですね、玄関先の喫煙コーナーにはいつでも人が何十人という単位で溜まっている。彼岸の墓場のように紫煙がもやもやとくゆっている。あれはあれで妙な雰囲気です。それでしかし、けっこうあそこで職場、会社を超えた交流というのもあるかもしれないと思わなくはない(そういう効用をいう愛煙家はいることと思います)。
 見ていると、腹の出た外国人が何人もうれしそうに吸っているのですね。とにかく指定された場所とはいえおおっぴらに吸えるのがうれしくてたまらない風情である。
 ・・・まあしかし、大学の出してくるデータなんかでは、必ず喫煙者はそうでない人より死亡率が何%か高い。信じたくない人は信じなきゃいいですが、少なくともこれは、医療関係者としては「喫煙している人の病気は責任持たないよ」と主張している、という意味でしょうね。
 これから医療費削減運動、というのが国家的な動きで出てくると、禁煙運動も激しくなるかもしれないですね。タバコで増える税収と、タバコを減らして削減できる医療費とどっちがメリットがあるか、という見方も出てくるかもしれない。
 私個人としては、なによりも自分の寝たばこによる失火で他人に迷惑を掛ける心配だけはしなくていい、そのことを最大のメリットと感じますが・・・。


2005年11月10日(木)
うちの会社にも労働組合があり、一応の活動をしている。が、クローズドであって、全社員が自動的に組合員、よって組合活動は事実上、社業の一環というありさまであって、会社の人事情報とか、今後の方針とかを知るには、なぜか組合の広報物を読むのが一番早いという社風である。
 そういうわけだから、この組合活動というのもいわば「微妙」なバランスで成り立っているのが面白いといえば面白く、一応は会社と組合は対立概念という建て前は必要だから、組合の中での発言では原則、会社の姿勢を正す、ということに徹していなければならない。しかし、一応の抵抗をしてみるけれど、ちゃんと期日までには会社側の意向どおりに、会社側の提案を「受諾」することが責務でもある。儀式といえば儀式だけど、しかし一定の歯止めになっているのも事実だし、また「受諾」という手続きを踏んでいる以上、以後、社員からは文句を言わせないという意味で、会社としてもきわめて都合がよい。適度にガス抜きしつつ、話は既定の方針におおむね従っていくことになる。たいていは、落としどころが決まっているわけである。
 まあそれはそれ、どこの会社でも似たようなものだろうが。しかし複数、組合がある会社なんかよりはずっと会社とのリンク度は高い。
 前にもちょっと書いたが、おおむねほとんど全社員の手当てが下がるような会社提案を組合が先日、受諾した。まあ、移行期間中は別途、緩和手当てを出して横ばいにするとか工夫もあって、それなりに納得は出来る話なのだが、社員からすると不利益なのは間違いない。それでもまあ、なんとなく受諾したので、これで来年から新制度の発足が決まったわけであるな。
 ◇   ◇    ◇
 それで思い出すのだが。
 うちの会社も今から12、3年前にかなり大幅な配置転換をやったことがある。まあリストラということだ。というか、リストラ、という言葉が流行り出して、まるでそれをやることが当然でやむをえないという風潮が急に広まった頃のことである。そのときも組合であれこれと議論があったのはいうまでもないが、そのときにある同僚の女の人の言葉が今でも思い出されるんだよね。
「経営面で仕方がないんなら、リストラも仕方ないじゃない」というんだよね、その人は。
 私はぎょっとして、その人の顔を穴が開くほど見つめたね。
「君、君は経営者なの。それとも雇われている人間なの?」
「だって、仕方がないんなら・・・」
「仕方がなかろうがなんだろうが、我々は一介の労働者なんだから、そんなことをこっちから言う必要はないだろう。君が経営者になってからなら、経営からみて仕方がない、でいいんだろうけど」
「だって、リストラするべきでしょう?」
「それが君の問題であっても?」
「だって・・・・・」
 その人、有名高校、有名国立大学とストレートで来て、その後は会社を辞めて弁護士資格など取った。頭はいいのは確かだしペーパーテストとなると滅法強いが、まるで分かっていないという意味では子供も同然だった。ほかにもおかしな言動が多かったが、その後、あの調子で法廷弁護士が務まっているのかどうか、他人事ながら気になるところだ。「法律的に勝ち目がないし、あなたが悪いんだから仕方がないじゃない」と自分の弁護している容疑者にいいかねない。
 組合の場でも、腹の中ではみんな「まあ仕方がないな」と思っているが、決してそういってはならないのである。「会社の提案はけしからん」と言い続ける必要がある。そうすると会社のほうとはどうせ落としどころが決まっているので、そこで着地させなければならないのである。その前に「ああ、会社提案ごもっとも。喜んでリストラをお受けします」なんて言った組合の委員長は失格なのは言うまでもない。その後、職場に復帰しても信用されないだろう。
 自分はどういう立場なのか、を考えることが必要である。経営者とか為政者の立場を必要以上におもんばかってやたら同情的に見たり、身の程を考えずにまるで経営者にでもなったように考えるのは滑稽である。
 ◇   ◇    ◇
 なんだといえば、この間の選挙のときなんかである。「増税もやむをえないじゃないか」とやたら言う輩が多かったが、為政者のお先棒を担ぐようなことをいうことに何のメリットがあるのだろうか。それにやたらに為政者のいいなりになっているような人間は、為政者側から見てもある意味で邪魔である。既定の落としどころで適度にガス抜きさせつつ決めていく、という手続きが民主主義では必要なのに、あまりにみんながものわかりがいいと、後で反動が来たときに「そんなつもりじゃなかった」という声が起こりやすくなる。
 コイズミ自民党から見てだから、あそこまでの圧倒的大勝は、やりやすい反面、言い訳が抱きないという意味で、またしくじったときの反動が危険だという意味で、あまりありがたくなかったという面があるのも間違いない。
 増税もやむをえない、といったって、法人税を安くして税収を減らしながら、借金をせっせと増やし続けたのは当の小泉政権であり、それは見かけ上、大銀行の不良債権比率を中小企業をとりつぶすことで回復するという目標達成のためだけであり、さらに米国会計基準にどんどん合わせて行って大企業だけはグローバルスタンダードにあわせてほかは捨ててしまうしかない、という方針を結局、ここまで選んできたからなんだが、いまさら改革が必要もないわけだ。
 どうもこの、一国民に過ぎないものが「増税もやむをえない」などとやたらいう風潮が滑稽に見えてならない。なんでも近頃は大学生や高校生が、消費税というモンが案外、最近にできたものであることを知って驚愕するらしい。なにしろ彼ら彼女らが物心ついたときには平成時代になっていた。で、「学校を建てたり、教育にお金が要るから僕は消費税には大賛成です」とか書き込んでいるのを見たことがある。
 おまえ、一生学校に行っているつもりなのか、と聞きたいものである。
 三位一体改革で教育費の国庫負担がどうの、と言っている。結局は地方により土地によりいろいろ教育水準が変わってくることになるんだろう。消費税の問題などではない。
 自動車税の一般財源化、なんて話しもあるがそれよりなにより、最近まであれが臨時の高税率だったというのをみんな忘れてしまっていた。
 昔のことなんて知らない、が近頃の若い衆の口癖だが、なんでもそれですむなら楽であることよ。
 建て前だけでも「増税も仕方がない」などと言わないことだ。たしかに結果として増税は避けられまい。しかし、喜んで増税に応じます、という態度だけは取るべきではない。
 今時は、そんな話まで「改革」の一環というような錯覚に包まれていきそうである。最近の若い人の政治意識というのは、結局、為政者の流す情報そのままである場合が多いという。
 そんなものは、物分りがいいを通り越して、実際には邪魔者である。難しい話など分からないなら黙っていればいいのだ。
 「仕方がないじゃない」というようなセリフを聞くと、どうも私はあの元同僚のしたり顔を思い出して不快になるのである。

2005年11月09日(水)
たまたまテレビをつけたらバイオリニストの高嶋ちさ子さんが出ていた。この人、あの高嶋兄弟とは親戚だというがたしかに雰囲気は似ている。で、子供のころはどんな生活だったのか、という質問に、毎日毎日12時間とか練習ばかりしていました、若い頃に帰りたいとは死んでも思いません、とか言っていた。この人、桐朋学園の出身で、学長をやっていたEさんの弟子のはず。Eさんは有力者で、ほかにも有名になったバイオリニストが多数いる。専攻は違うがうちの奥さんの先輩に当たる。毎日12時間とか15時間とか練習やっていました、なんてお話はちっとも珍しい話じゃないので、なんとも感じないのであった。それで彼女はプロになれたからよかったじゃない。家柄がいいのと、ルックスが愛嬌があったのと、それから諦めなかったこと、おまけにそういう有名人の係累だというのもはじめからは名乗っていなかったというけれど、結局は有利に作用したのは間違いないのである。卒業後も海外で活動して、特に大きな授賞歴というのもなく、普通はそうやって身を持ち崩して外国人の男と結婚するとか、行方不明になるとか(?)悲惨な末路を辿る音楽家くずれがほとんどだが、この人はどうしてだかCDデビューできたために、今、ストラディバリウスとか弾いていられる。
 実際には、有力な音楽大学にはいれる程度の人にそんなに大きな力の差などない。プロデビューできるかどうかというのはもう少し違う要素が働く。コンペで勝ち抜くというのは運次第が大きすぎて、最近の若い人は敬遠して、早くから海外でコネを探したりするがそれは正解であろう。それにせっかく授賞しても商売になるのは圧倒的に女の子である。男の人はかわいそうに全く話題にならない。
 「とにかく練習するしかないし、二世というのがいない世界。好きだからやれた、というだけですよ」なんて仰っていたが、それは事実とは相違するだろう。二世というのはいっぱいいる。ただ、確かにビッグネームの子供の場合、大きな賞などかえってもらいにくいだろうから、そんなものは省いてさっさとどこかの教授とか、適当なポストについてしまうのであるよ。そもそも音楽学校に入る人の親というのもほとんどが音大出の親を持っている。有名人の二世、ではなくても音楽家の二世である確率は大きい。在学中に大きな賞を取れる、1年に2,3人いるかいないかのラッキーな人のほかは、卒業後も一種のフリーター状態で、どんどん年を取っていく中でなんとかデビューを目指すのだが、それが出来るというのは親が理解があって、資産家である、ということである。普通のサラリーマンの子弟子女ということはほとんどあり得ない。
 自分の世界については美化して語りたいものであろうが。いま流行の「のだめカンタービレ」とかいう漫画、読んだことがないがどの程度の内容なんだろうか。
 今時、このご時世に親が音大出だというのでクラシックをやっている子供、というのはかなり厳しい現実があると思うんだが。
 ◇   ◇   ◇
 音楽といえば、近頃カラオケなんてものはまだ流行っているのだろうか。私のイメージじゃあれはバブルの頃の風俗。90年代はじめには、どんなに忙しくても歌っていた。最近は本当に1年に何回やるかしら。うちの奥さんとつきあっているころも、音大出の人を前にしてホワイトスネークの歌なんかを平然と歌っていた(いい度胸であった)。
 聞けば、案外に今でもカラオケやっているのは高校生ぐらいなんですって? ふうん。まあ思うに、あんなもので発散してごまかしていては人間いけないのかもしれない。

2005年11月07日(月)
 今日、会社で「ブログを使ったビジネスモデルの提案」とかいう会議があり、上司の命令で参加してみたが・・・はっきりいって腰抜かしたデスね。私以外は高級将校ばかり。重役級とか執行役員級に人がぞろぞろ。なんとなく席についていたらどんどん偉い人が来るんで慌てて後ろの席を探したもんな。それにしてもどんな人が参加するか事前に教えておいてもらいたいものだ。
 で、内容なんだが・・・要するに各部署でブログを立ち上げてみませんか、というだけのお話だった。ほかになんもないのだ。どっちかというと、お歴々の皆さんに、ブログとはなにかとか、トラックバックとは何かとか、さらにあまり関係ないと思ったのだがMIXIとはなにかとか、そんなことを1時間以上もレクする場であった。
 しかし、はっきりいってあんな説明を聞いて分かるもんですかね。私だってブログをはじめるまではトラックバックってのはなんだか分からなかった。始めてからでも、うっかり同じ人にトラックバックを5回も誤送信したりして、まあいろいろ試行錯誤して、しかし自分でやれば覚えるわけであえるよ。
 それにしても。ブログを使って、どういうふうにもっていきたいかという見通しがないと、やみくもに会社公認ブログを作っても面倒くさいだけでしょうけどね。
 私も、自分のブログだからこうして更新するけど、会社のとか部のとかいうとやる気になるかどうか。
 ◇  ◇   ◇
 昨日の本田美奈子のことで追加。どうも運がないと感じていた彼女、最近の芸名は「本田美奈子、」と後ろに点がついていたらしい。一角増やして運をよくしようと思ったのだろうけれど、涙ぐましい。そういえば「藤岡弘、」氏も「、」をつけたようだが。あれ、はやりなのかしら。「モーニング娘。」などの「。」とは違って、完結しない自分、というイメージなのか。
 ◇   ◇   ◇
 ちらっとNHKのクローズアップ現代を見たらまたまたニートのことをやっている。先日のつまらない討論番組じゃ「仕事をしたら負けだと思ってますから」なんて思いきり確信犯の人がいたそうで。
 今の親世代、バブルごろまでにいい思いをした人たちで、そこそこの家など建てており、そういうわけで子供からすると住む家はあるんだからあくせくしなくても、となってしまう。小金もある。やはり親がなまじい裕福だというのもひとつの原因なのではなかろうか。
 私の親など、本当はかなり収入があったのに、一貫して「うちは貧乏だから」と私を洗脳し続けた。転勤族なのでいつも借家住まいで、どうしてほかの家の子は立派な家に住んでいるのにうちは汚い借家なんだろう、と思い続けていた。
 後で考えれば、単に永住地を決めかねていただけだったのだが、子供としては本当に自分たちは下層も下層なんだと信じていたわけだ。だから、一刻も早く学校を終えて就職して、と心に決めていた。実は大学のときなど、親がもう1年ぐらい浪人してもうひとつ上を狙ってもいいんだよ、と言ったのを私の方で断ったぐらいである。留年も浪人ももちろんなしの完全ストレートで社会に出た。
 今になって、もう少し考えてもよかったかな、とも思わないではないが、しかしあれでよかったんだろう。本来は怠け者の私だから、甘い環境にあると思えばニートの走りになっていたかもしれない。
 実際。世襲財産がたっぷりある人が遊んでいてもニートとは言われないと思う。そう言われるのは、さほどの資産家でもないのに遊んでいる人であろう。
 大資産家だったら・・・もちろん私は何もしないですよ。


2005年11月06日(日)
 読売新聞に拠れば「NHK大津放送局記者が放火未遂容疑で逮捕された事件で、NHKの橋本元一会長は6日、記者会見を開いて謝罪、「おわびを目に見える形で示す」と述べ、今月から3か月間、自身の役員報酬の30%を自主返上すると発表した」とのこと。それにしてもマスコミ関係者でも馬鹿な人は多いし、問題を起こす人もいくらでもいるが、こういう物理的に放火なんてことをやる人間はあまり今までいないと思う。うちの会社なんかでも主に破廉恥行為とか、酔って傷害とか、そういう人はいるし、使い込みとか詐称とか知能犯的な人間もたまに出てくるけれど、いやあ放火はかなりなんですなあ・・・。消防署の人でやる人が出てくるのは分からないでもないのだけど、動機として。この記者の場合、一度だけ第一発見者、といってもほかに特ダネを取ったわけでもないし、実際、毎度、放火の特報なんてやったらすぐにばれてしまうし・・・。
 A新聞で時折、虚報(例の珊瑚捏造事件みたいなヤツ)があるのは、一応、動機としては分かりますよね。この間の亀井・田中知事の架空対談メモなんてのも。それは記者としての虚栄心であって、営業現場の人が架空契約をでっちあげるのと変わりません。しかし、むらむらと放火して回っていたというのは、・・・あるいはもともとそういう毛のある人物だったのかしら。まだ昨年入局の新人だったようですが。
 ご承知の人も多いと思いますが、新聞、テレビの地方支局の記者というのは新人さんが多いわけです。特に最初にやらされる察まわりという・・・警察担当ですな。あれをやっている時分などは、同じ会社の人より、同じ時期に同じ地方の支局に配属されて、同じような事件事故を担当している同業他社の人と仲良くなったりするものです。実際、そのままずっと後まで親友関係が続いている人も実際にけっこういます。ライバル会社同士で抜きぬかれ、熾烈なんじゃないか、というの事実ですが、そういう反面で、まあそんなすごい独材なんてあるわけもなく、普通の交通事故とか、発表ものなんてどこの会社でも同じような内容になるんで、けっこう他社の人と融通しあったり、なんてことすらあるようであります。が、このNHKの人はあまりほかの会社の人とも付き合いがなかったようですが。そういうタイプというのは・・・まあ、こういう業界は向かないかもしれませんですね。
 ◇   ◇    ◇
 そういやあです。先日は埼玉新聞というのが虚報でもめてました。どこかの市民体育祭が雨で中止になったのに、担当記者が昨年のパンフレットとか過去記事を焼きなおして記事を出してしまい、おまけに昨年の写真までつけて新聞に載せてしまった。それでもちろんこの記者・・・この人も29歳でまだまだ若かったようですが、この人が首になり、編集局長も更迭とかなんとか。
 これもなあ。実のところ・・・うちの会社でも実は同様ケースはありまして。記者ッたってにんげんですのでサボりたい人も出てくる。で、「このぐらいの話題なら行くまでもないよな、毎年同じような内容だし」という・・・これが危ない。こうして稀に、行われなかったりするんですな。また、これは実際の話、○○さんが出席された、なんて書いてしまってから、後になってその有名人が最近、亡くなっていて、そのイベントに参加しているわけがない、なんてことがばれたり。こういうのは実はそんなに珍しくはありません。ありませんけれど、やはりいささか雰囲気が弛んでいる、というのは間違いないと思います。
 たくさんにんげんがいればいろいろあります、どこのどんな組織でも同じです。弛んでいる人もサボっている人もいます。しかしまあ、たとえばうちの会社でもどんなにチェックしていても、第一取材者がまったくでたらめなこと書いている場合はどうにもならないよなあ。
 ◇   ◇   ◇
 テレビゲームの「コール・オブ・ヂューティ」というのを買った。「メダル・オブ・オナー」よりずっと立派なゲームで、今回はアメリカ兵だけじゃなくロシア、イギリスの兵士にもなれる。しかし相変わらず日本やドイツの兵士にはなれない。
 どこでもいいから、枢軸側のゲームをつくってもらいたいものだ。どうしても、アメリカ国防総省監修のゲームばかりになりがちなので・・・。
 ◇   ◇    ◇
 歌手・本田美奈子さんが亡くなったという。1月に白血病ということだったが、1年持たなかったか。まだ38歳の若さだった。「1985年のマリリン」で一世を風靡したが、私はゲイリー・ムーアと共演した「愛の十字架」が印象深い。同時代のアイドルの中では抜群の歌唱力を誇り、ミス・サイゴンなどで本格的ミュージカル・スターに転身したが、こういう亡くなり方になるとは思いもよらなかった。にんげん、先のことなど誰に分かろう。


2005年11月04日(木)
例の母親を毒殺しようとした静岡の化学マニアの女子高生のお話だが、「母親の髪の毛が抜けた状態や、手の皮膚などに異常が出ているもので、少女が摂取させた劇物のタリウムによる症状を示す」写真をブログに掲載する準備をしていたそうで、また母親については「父親は時々、小遣いをくれるから好きだが、母親は好きでも嫌いでもなかった」などと話しているそうである。
 いよいよ日本にもこういうクレイジーな、しかもえてして男で出現しそうなもんだが女の毒殺マニア出現と言うことで、こういうのが出てくると既存の「危険な10代」とやらもかすんでみえるのである。根っからの毒殺好きで、まあいつかやらかす、という危険人物だったようではある。
 もっとも、確かエルキュール・ポアロの台詞にあった、「毒殺というのは女性がよく用いる手ですよ」と。物理的に殺戮するよりは、確かにそうかもしれない。
 その生みの親のアガサ・クリスティというのがそもそも毒物マニアで、それでああいう小説を次々書いたということもあり、まあ思考実験して小説書いてる分には結構だが、である。
 母親というのは、おそらく非常に希薄な関係で、よくそのへんで見掛けるけれど、子供が泣きわめいているのに母親が夢中でケータイでメール送っていて、まるでほったらかしという、どうせそんな親子関係なんじゃないか。
 つまりは、手頃で、また発覚した場合にも身内ですめば実害が少なそう、というような考えでターゲットにしたのであろうよ。
 少子高齢化がどうのというが、「好きでも嫌いでもない」どうでもいいような親子関係なんてものが蔓延している状況で、なんで子供なんぞ作る気になるのか分からないね。私みたいな者は。そんなにどうでもいい者をなんで生んだんだろうか。
 この少女ってのが潜在的に、希薄な親ってものに敵愾心をもっていてもっとも残酷な方法で人体実験に使って、しかもコメントするには「好きでも嫌いでもないどうでもいい人」と、きっとそのへんまで考えて犯行をおっぱじめたのではなかろうか、となんとなく想像する。
 なんたってこんなヤツにはそのへんの中学・高校生の「作家」もかなうまい。やっちまった者には敵しがたいのである。
 それにしても少子高齢化なんだろう、せっかく。ガキにこびるような発想はやめて中高年をもっと大事にする発想に変えた方がこの国はいいと思うんだが。
 まだまだ若さ青さのあるアメリカのビジネスモデルなど追っていると日本と合わなくなりますよ、徐々に。
 ◇   ◇   ◇
 ロングノーズの靴がはやっているというので、私も先日、そんなのを一足買ってみた。つま先があまるようになっているので、小さめのサイズで合わせるんですってね、あれは。しかし流行というのは繰り返すのである、つま先が恐ろしく延びた靴が流行ったのは12,3世紀ごろのイタリアじゃなかったかしら。 
 ◇  ◇   ◇
 近頃は時々、読むとすっきりする立花隆さんの論文であるが、本当に小泉内閣になってから小渕さんのころの3倍も4倍も赤字を増やしている「新・借金王」であるのは間違いない事実である。
「小渕内閣が発行した国債の実に3倍以上もの国債を発行したのが、小泉首相なのである。小泉首相が首相をしてきたこの4年間に、小泉首相は財政赤字を540兆円から796兆円にふくれあがらせ、その間に発行した国債が250兆円にも及び、・・・まことに小泉首相は「世界一の借金王」というしかない。小渕が、自分のことを「世界一の借金王」といったとき、そこには、自嘲の響きがあったが、小泉首相は、そんな認識もなく、いけしゃあしゃあとしているだけである。小泉首相はいったい何を考えているのかと思うが、一方で、小泉首相はもしかしたら、この危機的状況を誰よりもよく認識しているのかもしれない。・・・1年以上つづけたら、大破綻が必至(いわゆる07年危機による破綻の到来)だし、それに対応しようと思ったら、小泉首相があれほど逃げて逃げて逃げまくってきた大増税を自分の年でやらなければならなくなることが必至だということを見こしているのではないか。先の衆院選で小泉首相にバカ勝ちさせた国民は、いったい小泉首相の上にどんな幻影を見ていたのだろう」というのだが、本当になにを見ていたのだろうか、「有権者」とやらは?
 ◇   ◇    ◇
いわゆる「改革」なんぞでこれがどうにかなるかどうか、であるが、なんにせよ張本人はあと1年もたたないうちに逃げ出すつもりであるから、後の人は大変だ。本当にポスト小泉なんてやりたいものだろうか? とにかく大増税するしかやることがない次の首相である。そんな者、本気でやりたいものなんだろうか、とあの新内閣の面々には思う。
 立花隆さんの論文は下からどうぞ。
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051012_defla/index.html

2005年11月03日(水)
世間は休みなんでしょうか。私は2日から3日に日付が変わりそうな今現在、会社におります。で、明日も夜勤で出勤です。いいですなあ、お休み・・・。
 ◆   ◆   ◆
 昨日は経済ニュースとしては「西友・ウォルマートの子会社に」という話題で消えてしまったようですが、どこやらの発表で貯蓄のない世帯が過去最高の28%になった、というのがありました。一方で、貯蓄あり、とこたえた人の平均額はこれまた過去最高で1500万円だかになった、という。これはしかし高額所得者の額で引っ張られているので、「あり」の人の中央値はだいたい900万円ぐらい、なのだそうである。
 どうでしょうか、貯蓄900万円ありますか皆様。
 そして、これは要するに貯金が一銭もない人が増える一方で、貯金のある人は増えているということだから、なにを意味するか分かりますな。恐ろしいことですが。
 増税なんて簡単に言っていますが、大変なことになりますぜ、そりゃあ。
 デフレ脱却だのなんのと言っていますが、本当なんですかね。
 ・・・そういえばうちの近所の西友はけっこう人も入っているし、決して悪くないと思うんだが。ひところよりウォルマートの手が入ってから雰囲気も良くなったようだし。ふと見ると、なにげない台車とか備品に英語でウォルマートなんて書いてあるのを見つけます。しかし今度は子会社になってCEOも外国の人。カレジェッスキーさんという新社長は45歳の若さ。アメリカのどこかのスーパーの時間給事務員からスタートしてここまでのしあがった立志伝中の人だとか。アメリカでは、いいところはこういう人物が出てくるところ。日本じゃベンチャー系とか新興産業でこそのし上がる人もいるが、れっきとした大企業でパート社員が大抜擢受けて社長に、ということがまずない。
 こういうことが実際にあれば日本の空気も大いに変わって息苦しくなくなるだろうけれど・・・。
 ◆   ◆   ◆
 開業医の月間黒字の平均は260万円、なんて記事も見かけました。医療改革というのも取りざたされていますが、医療水準は低下して、しかし優雅な開業医のお医者様の生活は手つかずみたいなことになりかねないから、腹が立つんですが、勝ち組にやさしい小泉さんになにができますかね。
 ◆   ◆   ◆
 あと1年もないわけですが、小泉さんとしては手詰まりだらけの外交というのを少しは整理していけるのか、後の人に丸投げするのか。
 ブッシュさんは失策続きで、イラク戦争のときの情報操作がどうの、と言い出しました。フセインは法廷で「こんな裁判は茶番だ」と騒いでおります。
 アメリカとの関係だけが頼みの綱だったのに、米軍再編問題に牛肉に、どんよりした部分がけっこう目につきだしております。
 こんな時期に外相をふられた麻生さんはやはり貧乏くじなんでしょうな。
 ◆   ◆   ◆
 インフルエンザの注射をしました。これをやるとなんかこう、だるくなるのはどうにもなりませんね。例の新型インフルエンザが出てきたら話にならないのかも、と思いつつ、それでも注射しておけばしていないよりは断然いい、と一般には言うので信じて打ってみましたけれど。効果がなかったら怒るよ。まじで。
 そんなこんなで、なんかだるいし、物事なんということもなく、まあなんとはなしに気持ちが引き立つ話題もなく、2005年、何もないの幸いと言うことでなんとはなしに、もう年内早じまいしたい気分。

2005年11月01日(火)
今日あたりは組閣のことでいっぱいだろう、と思ってのんびり出社したらばあら大変、東京証券取引所のシステム・ダウンで大騒ぎ、というか逆に、新聞には必ず載せている商況データを入れられないために、慌てて広告で埋めるとか、大阪証券取引所のデータを入れるとかいう話になって、それで騒いでいたのであった。
 ジャスダックに関しては今年だけでもう3回もダウンしていて、ああ、安っぽいコンピューターを使っているんだね、という話だった。ヘラクレスというのもダウンしたので、このコンピューター時代に、個人投資家がテレビゲーム感覚でぴこぴこ投資しているので、取引量ばかりでかくなってそりゃ市場としては大変だろうが、それぞれの市場が自分自身が上場しようとかいっている時期にこれじゃああかんわね。きちんと投資しなさいよ、というわけだが今回の東証のケースは今のところ、ソフトの問題らしい。
 東証のソフトもハードもF社だそうである。けっこう商用の大きなシステムではF社が多いのであるが、まあけっこうこんな具合に問題も多いとか言う説もなくはなくて、・・・ひところはこのF社、日本でもいち早く成果主義を取り入れてぎゅうぎゅう社員をいじめたために、やりすぎてかえって仕事の効率が落ちて駄目になった、それでまたいち早く成果主義をとりやめた、という話もあった、そんなことが影響しているかは知らないが、うちの会社なども徐々にいろいろな会社を入れてリスク分散を図っているように聞くのである。
 にしても、今日は自分らの話題で持ちきりだろう、と勇んで登庁した大臣の皆さんには申し訳ないことだが、一面トップ、トップニュースはみんな東証になってしまった。
 そもそもあの第三次小泉改造内閣、というのはなんのサプライズもない、ということでまあ奇をてらっていないといえばそうかもしれない(前原民主党代表なんかそういって一応ほめたそうである)が、面白くはない。猪口さんが登用されたぐらいだが、まあ一応、それなりの人だからおかしくはあるまい。それにしても、一面の端っこでこの新人大臣たちのこともちょっと扱ってみたが、「猪口氏は英語の専門用語を連発して喜びと熱意を表していた」とか書かれてあって、ははあ、ここを担当した記者はその英語連発に少なからず不快感を覚えたものとみえる。
 安倍氏が官房長官、ということでそりゃ細田さんよりはテレビで毎日、見ているにはいいであろう。しかしアメリカのメディアじゃはやくもタカ派だと書いているようであり、アメリカと中国というのがじわじわ根回しをしているようでもあり。
 日本なんかがカイカクなんぞしても、もう駄目なんじゃないの、大勢として間に合わずじゃないの、という感じである。ヤスクニだのケンポウだのいうていても、もうそんなことでちょっとばかしコクミン的アイデンティティなど確認し合っていても、世界的には間抜けな話かもしれないなとも思う。
 ◆   ◆   ◆
 山口もえ、というのが入籍したそうだが、相手はなんかよく知らないけど、男物のブランドなど売っているネット業者だそうで、実業家には相違ないがスポーツ紙が言う「セレブ」というほどのものかどうか。しかし今回のことでなによりいい宣伝になっただろう。ネット販売の経営者ならみんなセレブになるのか。じゃあうちだってネット通販でほそぼそ自作のマンガなんか扱っているからセレブかしら。

2005年10月28日(金)
 読売新聞によれば「厚生労働省は28日、人への感染力が強い新型インフルエンザの出現に備え、対策推進本部(本部長・尾辻厚労相)を設置した。流行の段階に合わせて国が実施する施策をまとめた行動計画を来月中に策定する。各都道府県に対しても、同様の対策本部設置を促す。鳥インフルエンザの発生地がアジアや欧州で急速に拡大していることに応じた措置。新型インフルエンザは、鳥インフルエンザのウイルスが変異して出現すると考えられており、国内では最大2500万人が感染し、7〜16万人が死亡すると試算されている」とのことである。
 16万人が死亡する予想、というのであるよ。先日のパキスタンの地震でも5万人である。スマトラ沖大津波でも12万人である。2500万人の感染、というのも5人に1人という具合であるから、まあ都市部にいる人はほとんどもれなくかかるということだろう。
 昨日、電車の中で中国紙を読んでいる人がいた。見出しが漢字なので日本人にも内容がおぼろにわかる。「鳥インフルエンザの人類感染可能は時間の問題、WHO専門家によれば世界で1億人以上死亡」というような内容のようだった。
 根本的な対策なんてないのだろう。渡り鳥をみんな絞め殺して、不衛生な鳥業者を全部つぶしてしまうとかそういうことが必要なのかもしれないが、出来る相談ではあるまい。
 ◇  ◇   ◇
 昨日、赤川次郎がなんかのミステリー賞を今頃もらったという記事を見て、会社でちょっと話題になった。つまりなんでいまごろになって、過去の人に賞など与えているのか、というのだ。しかし新人賞じゃなくてベテランに与える賞なんて、実はお互いに選考委員と受賞者を変わりばんこにやって賞を年功序列で与え合うシステムになっており、詩人の世界じゃもうそんなのばかりであるから、珍しくはないと私は思った。ただ、ミステリーみたいにいくらかまだ商業が成り立っている分野でも、そんなことをやっているのか、とは思ったのである。実際、その賞も調べた人によれば賞を貰った人が次の選考委員をやり、の繰り返しなのだそうである。
 で、話が最近の文学の話になり、近頃は中学生とか高校生の女の子じゃないとデビューできないということみたいだが、という話になった。「で、どのへんまで下がるかな」「まあ、読み書きができる下限というと6歳ぐらいじゃないですかね。ここ10年以内に6歳のプロ作家が出てくる可能性がありますよ」と同僚が言う。「じゃ、上は? 年寄りも話題になるだろう」「こっちは100歳越えが時間の問題じゃないですか」「なるほど、じゃあ100歳と6歳で、中間はいらないということになるんだね」「すでに大学生でも女子高生でもインパクトが薄れてますからね」「ではその6歳がなにを書くんだ。まさか6歳で不倫小説とか・・・」「不倫と言うより、6歳で体験できるならロリコンの被害者経験を書くことでしょうね。でもうちの新聞には載せられないな」「今受けるパターンといえば、不治の病、突然の別れとよみがえり、という定型かな」「よみがえってみたら不治の病、というのはどうですかね、空しくていいでしょう」「よみがえった意味がないじゃないか」と馬鹿話がしばらく続いた。そして「うちの出版部門も、意図的にそういう幼児とか老人をでっちあげれば間違いなく話題になるんだよな。別にゴーストライター使っても構わないし。母親に書かせてもいいしね。どうしてそうしないんだろう」なんて落ちで終わった。
 しかしまもなくそのへん、実際に仕掛けてくるだろう。文学もおしまいである。



2005年10月27日(木)
なんかこう、うまくいかない。本当に不調な感じである。どなたもあることと思うが・・・なにをやってもいまひとつ、という時期。なんであろうか。体調も今ひとつであるし・・・先日、風邪で寝込んで以後、あまりすっきりしないどころか、またぶりかえしそうな気配すらある。コンピューターをいじればなんだかサーバーのトラブルらしく接続できない状態が数日続いている。詳しくないのでなにをどうするか分からない。連絡を取ろうとした相手から連絡が来ず、やろうと思っていることが目処が立たず、会社の通常の仕事はまあ普通にこなしているけれど先日もひやひやもの、危ないところだったし。おまけに昨日書いたが変なところで自分の家に入れないで締め出しを食うし、道を渡っていたら車が突っ込んでいて危ないところだったし、金魚が死んで妻はがっかりするし、おまけに体重は落ちないし、体重を落とそうとして頼んだダイエットドリンクが届くのが遅いし、・・・いや、書いていてそのひとつひとつは些細である、しかし些細なことがいくつもいくつも重なって、それを打ち消すような明るい話題が全然ない場合に、にんげんは徐々に鬱に沈んでいくのだろうと思う。
 もっと不幸な人は世の中にたくさんいる、みたいなことを言っても始まらない。純粋主観的な問題だから、他人様と比較して自分は50パーセントは幸福だの30パーセントはましだのと、偏差値で判断するようなものじゃない。ともかく自分として「うまくいっていない」感が強いのである。あるいは「男の倦怠期」というやつか。そうかもしれない。若手詩人と呼ばれ続けてきた自分もはや気がつけば38歳の後半である。
 人生こんなもんか、と見切りをつければ楽である。しかし自分はそんな気分にはとうていなれそうにない。結局、この年までなんにもしていないという思いが強いのである。
 なんにもといったらなんにも、である。言って見れば、いてもいなくてもどうでもよかった、という具合である。
 うむ、やはり軽度の鬱であるか。せめてサーバーぐらい直らないものか。サーバーが直るのが先か、私の「気分」が治るのが先か。
 近代文学の最大テーマは自分の「気分」であったと柄谷行人の文章を読んでから、志賀直哉の私小説でむやみに出現するその「気分」というのが気になってならなくなった。何の解剖もしないで気分でひとも自分も律するのである。
 だが気付いてみると、自分もそういういい加減な人間に過ぎないことに気付いた。してみるとやはり・・・いや、もういい。なにを書こうがよもうがもう面白くもない。
 ◇  ◇   ◇
 ロッテが優勝したそうである・・・が少なくとも私の周辺ではとりわけなにも言っていない。川に飛び込む者もいないし、物を壊すものもいない。好ましいことである。ボビー・バレンタインは私のような興味の乏しい人間から見ても愛すべき指揮官に見える。
 ◇   ◇   ◇
 私に限らずみんなを鬱にしているテーマがあるとしたら、どんどん決まっていく増税の予定であろう。消費税が上がるというのは非常に簡単にイメーが出来るのである。年間にたとえば300万円消費する人は今、5%だから15万円税金を払っている。10%になれば30万、15%になれば45万円である。このへんまでくると現行より年間30万円ほど税金が多くなる・・・つまり、簡単にいいまして手取り給与が一月分、なくなるというのとほとんど同じである。400万円使う人、500万円使う人となるとこれがもっと上がるんだろう。その他もろもろ・・・おそらく日本人の生活水準は数年以内に1〜2割がたダウンする必要が出てくるのじゃなかろうか。
 萩原博子さんが言っていた。「今まで寿司を食べていた人はおにぎりにして節約することが出来るでしょう。でも、おにぎりで食いつないでいた人はどうするんでしょうか。それ以上、生活水準を下げることが出来るでしょうか」と。
 ここにインフレがきたら、ほとんどの人はおしまいであろう。気前よく賃上げに応じてくれるごく一部景気のいい会社にいる人を除いては。といって、このような状況となればいかな大企業でも金は出せないかもしれない。なにしろ誰も物を買わなくなるだろうから。
 

2005年10月26日(水)
 ロイター電に拠れば「香港特別行政区政府は26日、中国湖南省で家禽が致死性のH5N1型鳥インフルエンザに感染したと発表した。中国が25日に特別行政区政府に伝えたとしており、「計687羽が感染の兆候を示し、うち545羽が死んだ」という。世界保健機関(WHO)は、中国での鳥インフルエンザウィルス拡大について、人から人に感染するのは時間の問題と警告している」ということだ。
 今や世界中で鳥インフルエンザが流行りつつあり、人から人へ感染するのは時間の問題だというのだから、これはほかの何よりも今、重大な危機なのかもしれない。
 つい先日「復活の日」なんて深夜映画で見たのだが、実際、どんな核兵器より恐ろしいのは新型ウイルスである。復活の日では、「庶民どもに打っている気休めのウイルスはともかく、さっき私に打ったウイルスまで効果がないというのかね」と米政府高官が叫ぶシーンがあるのであるが新型のウイルスとなれば、実際、高官も庶民も貧民も区別はない。
 ところで鳥の遠祖は恐竜であるという。あるいは彼らは、飛翔能力を獲得したとたんにこの手の病気が種族全体に蔓延し、主だった種類は壊滅してしまったのかもしれない。
 ◇  ◇   ◇
 関係ない話だが、近所の100円ショップのポップコーンが非常にうまくて、うちにいるヤドカリたちに好評である。ヤドカリがなぜポップコーンを好むのか知らない。自然界でなにか似たようなものを食べていたのかもしれない。で、昨日も買いに行ったのだが「あるお客さんがごっそり買い占めてしまって、明日までありません」という。今どき、ヤドカリ以外にポップコーンを買占めするような理由もあるまいから、きっとその買い占めた人というのもヤドカリストである。
 人間向けのポップコーンだともっといろいろな味をいまどきはつける。プレーンタイプは人気がない。
 ◇   ◇   ◇
 ロッテ×阪神戦の最高視聴率は25%あったというから大したものだ。もちろん私は1秒も見なかった。それに私が見ると不思議に応援しているほうが負けることが多い。
 どちらの応援をしているのか? もちろんどちらにも思い入れがないが、私は仮にも千葉県民であるし、また人気のあるもの、メジャーなもの、主流のものが嫌いな人間であることはみなさんお気づきの通りであるから、いうまでもあるまい。
 阪神も、ああして強くなってみるといやなものじゃないだろうか? アンチ阪神という言葉が出てくるのも時間の問題だろう。
 一方、楽天のTBS買占めは20%を超えたという。こりゃ宣戦布告である。テレビ局と組めばメジャーになれる、という発想は実は労が多い割に効き目がなく古いのかもしれないが。セシールを買ったどこかのほうが今回はまともだと思われる。
 ◇   ◇   ◇
 先日だが、妻が外出するのを車で送って、自分は鍵を持たないで出てしまった。家に戻ってみて締め出されたことに気付いた。妻は一泊の予定で出かけたので明日まで家の中に入れない。しかしペットのこともあるので、どうしても中に入りたい。
 困ってしまったが、そして免許証と若干の現金以外、なにも持っていなかったのだが、駅まで行って公衆電話を探し、電話帳で調べると市内に鍵の開錠をやっているところが一軒だけあった。ほかはみな近隣の市のものである。さっそく呼んでお願いしたが、その鍵屋さんも私の家を仔細に調べて「新型の鍵ですね。そう簡単に開きません」という。それから室内に入るまでたっぷり3時間かかった。
 しかし何事も経験というか、呼んでみないとこういう仕事があること自体、ぴんとこないものである。開錠代として1万2000円を納めた。
 それに、自分の家の防犯がなかなか行き届いていることだけは確認できてよかったが。

2005年10月25日(火)
国会議員の歳費を減らす法案が衆院通過だそうである。1・7%下げて月額130万1000円とし、国家公務員より先に来年度からやるとか。まあ、それは当然のことだからなんとも思わない。これで年間、基本給というべき部分は1500万円ぐらいになるか。これ自体はそんなにべらぼうに高いと思わないが、ほかにもいろいろあるわけだから。
 それより北海道の給与削減案のほうがすごいやね。給与10%削減ですって。1人平均して年間115万円だか収入減になるとかいう。さすがに組合が反発しているそうである。とはいうものの、これから増税だなんだというのだから、このぐらいの感覚でやらないと国民一般としては納得しないかもしれない。
 自民党の議論で消費税は12%だ、とか言っているように聞いたが、たまらんですな。もうおいそれと何も買えません。特に高いもの。収入の高い人であっても、税金がそんなにかかるとなればげんなりして買い控えるわな。
 ◇  ◇   ◇
 ハリケーン「ウィルマ」というのがまたアメリカに来たそうだが、はじめのがカトリーナで、次のはなんだっけ、と思った。もう忘れてしまった。そうそう、リタである。昨日、CNNの中継を見ていてどうしても二番目が思い出せなかった。どうしてあんな人の名前ばかり付けるのか、10年もたったらこの三つのどれがどの順序出来たか思い出せまい。というか通常はハリケーンなんて年間にいくつもこないもらしいですね。日本みたいに何個も台風が来るところでは、面倒だし順番も分かるので10号だの15号だの通番で呼んでいる。打ちの奥さん曰く「花子台風だの太郎台風だのいう名前で緊迫感が出るか」。その通りだと思う。
 諸外国ではハリケーンはブッシュへの天罰といい、アル・カーイダはアッラーが下したやはり天罰といい、おまけにアメリカのキリスト教原理主義者まで、腐敗した南部の町への鉄槌とか言っているそうである。みんなてんでに自分の所の神様が気に入らないものに加えた罰だと言っているそうだが、あほくさい。昔の日本にも神風信仰というものがあったが、にんげん考えること似たり寄ったりである。
 ◇   ◇   ◇
 世間のブログでは、ときどき自作の詩など載せて更新しているだけのブログもあるのだと気がついた。そうなんだ、そんなんでもいいんだ。
 ということで時事ネタや身辺雑記で書くことがない場合は、自分の詩でも載せておきゃいいんだ、自分、と思った。それでもなにもないよりはいいですよね。
 リンク先のMGライフの宮地さんから「ナヴァロンの秋」という私の新作が興味深い、と感想を戴いた。そのうちブログにも公表するか。
 なにしろ次の私の詩集のタイトルナンバーになる予定である。
 ◇  ◇   ◇
 うちの金魚のなかでもいちばん大柄だったものの一匹、ツェッペリンが急死した。朝、起き出したら沈んでいたのである。ゆうべまでは元気そのものに見えた。ほかの金魚に異常はなくあるいは天寿がきたのかもしれない。
 ツェッペリンという名前のように飛行船を思わせるまるまるした愛嬌者だった。しかし買った業者でも年齢不詳ということで、実際にはかなり年を取っていたかもしれない。
 巨体がいなくなって、60センチ水槽が淋しく見える。生き物の死はどんなものであれ淋しいものだ・・・と志賀直哉風につぶやきたくなるのである。
 

2005年10月24日(月)
佐賀市が周辺市町村と合併して新・佐賀市となって、その市議選というのを昨日やっていたらしい。昨日というのは、神奈川補選と宮城知事選が有名だったわけですが、そのほかにもいろいろ地方選があったようであります。で、その市議選で、投票数より得票数の合計が13票多かったので「その他。持ち帰り」という、要するによくわからない、というジャンルに入れてごまかしてしまった、のが問題になっているそうであります。というのも、落選した次点の人が案分票で0.2票差で落ちているというほどのきわどさで、13票も違うなんてもってのほかだそうである。しかし配った数より13枚、謎の投票用紙が増えていたというのはかなり問題としてたちが悪くはないか。正規の用紙をまたどこかで手に入れたんだろうか、ということだろう。
 なんでも佐賀市では前にも1票差で落選した人がもめて、再選挙になっているそうでありまして、なんか体質的にクリアじゃないのかも知れません。
 その他、神奈川などではよくあることですが、不在者投票の数を二重に数えたとか、いろいろやっております。選管の仕事というのも大変だろうし、ついこの間、大選挙があったばかりだし、まあいろいろあると思いますが、しかし日本の選挙なんてのも、よくよく調べればしょせん人間がやることです、問題はあるんじゃないだろうかと思う。
 アメリカなど、民主主義の総本山みたいなことをいっていて、自分の所の大統領選挙でド恥をかいたわけだ。
 僅差の場合、というのを案外に考えていないので、きわどい場合はもめるわけです。電子投票とかネット投票とかいってもまた、別の問題が出てくるのでありましょう。
 ◇   ◇    ◇
 本当に1秒も見なかったのであれですが、千葉県民として、ロッテが阪神を連勝しているというおはなしは欣快であります。マリンスタジアムが濃霧で試合できなくなった、というのは奇っ怪ですが、確かに海沿いだと突如として非常に局地的な深い霧がでることがあります。
 ◇   ◇   ◇
 なんかこう、近頃さえません。あまりやることなすことうまくいきません。こういうのはあれですか、守護霊とか見る人に聞けば、いろいろ説明してくれるもんですかね。あまりにも冴えないので今日はこのあたりでごめんください・・・。

2005年10月21日(金)
 民主党の小沢一郎前副代表は21日、横浜駅前での街頭演説で、小泉純一郎首相の靖国神社参拝について「政治信念というのなら、なぜ姑息なやり方をするのか」と、私的参拝の色彩を強めた手法を批判した。また、「国際化の時代に通用する話ではなく、ツケは国民が払うことになる」と指摘した[共同通信社]というのを見掛けました。そのとおりですな。実際、前原さんもおっしゃっていたが「あんな適当な参拝はかえって非礼だ」という意見はけっこう多いようである。
 昨日紹介した三浦展さんの本によれば、若年で所得が低くてフジテレビが好きでサッカー観戦が趣味、という人たちが階層を作っており、この人々は根拠もなく群れて自分らが弱者であることを隠すべく強いものの勝ち馬に乗りたがる人・・・とうのが今の日本にあって、前に香山リカさんがそのへんをプチナショナリズムの軽薄といって小馬鹿にしたわけですが、しかしこの階層というのがつまり自民党、というか小泉支持者なんだそうですね。これはおそらく、自分らとは縁遠いパワープレイの世界に住んでいるお金持ちたちが、腹の底から自分らに都合がいいという意味合いで小泉さんを支持している、それに対して自分らはまるきり無産階層で鳴かず飛ばずの癖に、親がバブル期に小金を貯めて家など郊外に持っているおかげで、なんとなく生活水準をぎりぎり維持できているにすぎないことには気付かず、まるでその本当の会社のCEOだのセレブだのいう人と意見を合わせることで自分も気分的に勝ち組に乗っているような気になる・・・まあ要するにそんなようなことが今時は起こって居るんじゃなかろうかしら、と思います。
 だが、しかし。腹の底から、真剣に愛国的で保守的な人間なら、あんなしょうもない参拝をし、しかも結果的に中韓を怒らせるという意味ではああいう「手抜き参拝」でも「正式な昇殿」でも変わるところはないというのに、ああいうそれこそ姑息なことしか思い浮かばない人間を強いリーダーだと思うような愚な考え違いはしないはずである。
 真実、愛国者で真実、中韓嫌いだというならあの小泉式手抜き参拝など糾弾してしかるべきである。やれないんなら、きっぱりやめるがいい。
 麻生大臣など、靖国参拝をしなければ中韓の圧力がなくなるのか、といえばそうではない。そこにつけこんで次々に圧力を掛けてくる、などと言っていた。そんなのは当たり前である。私など逆に向こうの使えるカードを減らしておいて、あっちがしくじったときを虎視眈々と待つ、ということであって欲しいと思う。外交など基本的に喧嘩である。
 私なら、なにか中韓がしくじりをしでかしたような時を見計らって参拝する。ガス田を勝手に堀りやがって、とかバカな潜水艦が入ってきやがって、とかここぞというときに「そちらがそういうことならこっちも参拝します」といって嫌がらせで参拝すればよい。そして、それは年に1回などと決めておく必要はない。関係が円満なときは参拝しない。そして「中韓とも最近はなかなか感じがいいので、国内的には参拝しろという声が強いけれど私はいかないでおいてあげます」と偉そうに宣言すればよいのである。こういう高飛車さ、亜米利加や中国の外交ではよくある手である。日本には金輪際ない。なぜなら外交は社交だと思っていて、武力を直接使わない戦争だという意識がないから負けるのである。
 ほら、こうでもしないと、こっちが先に駄目なカードを出すと永遠に向こうが優位なのである。あちらが駄目な手を出した後に、こっちが切る、という順序じゃないと未来永劫、この勝負は勝てない。トランプではとにかく親にならないといけないのである。
 靖国に関しても、小泉さんの正体見たりであろう。ああやって小手先でちょっとポーズをしてやったやった、改革した、と騒ぐのがあの人の常套手段である。しかしフジとサッカーと自民党が好きな下層民はなにも理解できまい。
 ◇  ◇   ◇
 興味はさしてないが・・・昨日も書いたが車には基本的にぜんぜん興味がないのだが、ミシュランが今度のモーターショーで発表するという「トゥーイール」という空気の要らないタイヤ、というのは画期的じゃなかろうか。これ、本当なんだろうか。それはかなりすごいことじゃなかろうか。まもなく世界中のタイヤが空気はいらなくなるのか。するとパンクという概念もなくなってくるのか。
 モーターショーの各社のラインナップを見ても、すっかりSFみたいな未来の車が並んでいる。早く電気自動車が当たり前になってくれないものかと思う。車に興味はあっても兵器に興味がない人は、フェルディナンド・ポルシェの理想がハイブリッドシステムで、有名なドイツ軍の重戦車タイガー(ティーガー)の試作車や、超巨大戦車マウスの試作車では何度失敗しても懲りずに電動モーターを積んだことを知るまい。今から60年以上も前の話である。
 ◇  ◇   ◇
 ノートン社の新型のアンチヴイルスが届いたのでインストールしてみた。さっそく、ががが、とスキャニングして、今までどうしてもひっかからなかったスパイウエアGAINを退治することに成功した。このところコンピューターが重く、原因がGAINであることは分かっていたが、駆除するにもまた別のソフトが必要と聞いて面倒で、放置していた。おまけにGAIN経由の検索で実際に必要な情報を見つけたこともあって、まあ、しばらく知っていてもほっておいたのである。
 が、キレイさっぱりなくなって、動作がたちまち速くなった。GAINでお悩みの方も多いと思うが、新世代のこういう駆除ソフトだと簡単にやっつけてくれるようである。
 にしても、気に入らない、勝手に入ってきて寄生する。そんなものを商売にしているなど、そのGAIN、ろくでもない会社に違いない。・・・おっと、調べると国内にもこのスパイウエアと無関係なゲイン、GAINという社名の会社が何社かあるので、文句を言う場合は間違いないようにしないと。

2005年10月20日(木)
なんでも議員年金廃止、というのがどうにか決まりそうである。今払っている元議員に急に何もなし、というわけにはいかないので、制度を直ちに全廃すると納める人がいなくなるからかえって税金の負担が増える、という与党の理屈は理屈としてあったものの、もうそんな悠長なソフトランディングじゃ国民が納得しない、ということだそうだ。それはそれでよろしかろう。ついでにいえば野党が言うように、元議員への給付をもっとざっくり切り、現職への返金も少なくするのがよろしい。
 国会議員は普通の人間ではない。年間1億円もかけて国が養ってやっている。失政の責任も当然彼ら彼女らにある。国が破綻しかけているのだから、まずもって彼ら彼女らに泣いてもらうのは当然である。もっと言わせて貰えば、もっともっとひどい目に遭えばいい。仕方あるまい? 責任者なんだから。
 とりあえずあの文書交通費というのをなんとかならないか。せめて実費精算にしてもらいたい。
 私は今月も家計簿を見直している。10日が新聞休刊日で、珍しく3連休となったのがまずかった。解放感にひたって連日、ちょっと高い飯など食い、この数日で○×万円を消費したのが原因で今月も赤字だ。少なくとも定率減税廃止という増税が間違いなく来るので、来年以後、こんな調子ではまずい。いや、もっともっと増税の嵐が押し寄せる。これじゃあいけないと思うのである、自分。そんなことを思うにつけても、国会議員の連中、政党助成金なんか別にしても、本人に直に支給するだけで3400万円とかいうから、ざっといって日給100万円である。とにかく「自分らを何とかしろ」と言うしかない。激務だとか大変だとかいうかもしれないが、別に好きでなった仕事であろうから文句は聞きたくない。欧米では議員なんてボランティアに近い。政治で生活してもらう必要はないのである。
 ◇  ◇   ◇
 楽天がTBSに提携提案を示したそうである。が、なんか番宣メルマガを楽天の会員に送るとか、テレビショッピングで買った人に楽天ポイントを与えるとか、まあライブドアよりはいくらか、ネット通販の実績があるから具体的なんだが、しかしまた大したことがないといえばたいしたことがない内容である。おまけに諸外国ではメディア融合の巨大企業の寡占化が進んでいます、なんて書いてあるみたいだが、アメリカじゃいったんくっついたテレビとネットとその他のものが、再び分離しつつあるというのも一方の事実で、要は人間というのは保守的なもので、テレビというのはこんなもの、ネットというのはこんなもの、そんなに過剰な期待なんてしていないのである。テレビなんて低俗でどうでもよくて、うるさいと思ったらさっさと切れる、それだけのもんである。
 ついでに野球のこともあれこれ言っているが、横浜にしろ楽天にしろファンには申し訳ないが、なにせ野球そのものがジリ貧のスポーツである。巨人軍をよってたかって悪者にして溜飲を下げた人たちがいたのだろうが、そうやって吊るし上げをすると気分がいいんだろうが、その後を埋めるものがない。要するに、あんなものなきゃないでどうでもいんだ、ということになれば、たとえば元巨人ファン、という人たちは野球そのものを見捨ててしまう。
 少し前には、ビジネスマンの会話というと「暑いですね」「寒いですね」に続いて「昨日の清原はすごかったですね」とか、そんな感じであった。私がそういう相手に「いや、私は野球に興味がないので」というと「アンチ巨人ですか」と聞かれる。「いいえ、あえていってアンチ野球、いやアンチ・スポーツといっていいです」というと宇宙人でも見るような目で見られたものである。近頃はそんなことにあわせる必要がなくなって結構である、私個人としては。しかし娯楽産業としての野球というのはまだまだ重要だろう。チームを減らして規模を縮小する、というのは確かにひとつの考え方であろう。そういうと経済効率だけじゃない、と血相変えて言う人がいるだろうから、これ以上は言わない。趣味嗜好のものは理屈ではないから議論にならない。家計が苦しいという人の大抵いちばん無駄な出費は酒・タバコだが(我が家はこの費目は0円である)、またいちばん削れないのもここである。
 こういう騒動になると、またテレビ局は給与水準が高いし、という話になりがちである。TBSだと42歳平均で年間1400万円ぐらいだそうであるが、なんかこれを聞いて凄いと思うかというと、そうでもない。ちなみに民放じゃよその会社のほうがもう少し高いそうである。
もちろん、それなりに高給だが、そのぐらいの平均年齢で大企業ならこのぐらいの年収は驚くには当たるまい? 地方公務員のルーズなところでは年功序列で公用車の運転手や給食のおばさんに・・・これらの職業をどうこう言うわけじゃないが、それにしても非常な技能職とか非常な研究職ということでもないのに年間1200万とか出している、という話が折々伝わるんだから、それなりにストレスも多いマスコミの人間がこのぐらいもらっていてもそう奇異ではあるまい。だから、実態はこれはこんなもんじゃないだろう。バブルの頃のように年に4回も何百万とボーナスが出る状況じゃないだろうが、まあほかの名目でいろいろあるに違いない。それに制作費とか交際費とか調査費とか交通費とか何とか、いろいろまた自由になる金が別にあったりする立場の人の暮らしぶりはまったく別世界であろう。無駄な出費というのは目に見える給与なんかじゃあるまい。
ただ民放のテレビ局は無料で見られるが、彼らの収入はテレビCMであり、その料金は我々が買う商品にすべて組み込まれていて宣伝経費となっているのだから、公務員やNHKや金融機関とはまた別の意味で文句をいいたい人がいても不思議ではあるまいと思う。
◇  ◇   ◇
先日、M社のマンゴー・ヨーグルトを買ったらアンケートに答えてくれ、と店の人に言われた。新製品につきモニタリングしており、解答すると1000円もらえるというから、やってやったのだが、その項目が興味深かった。
ちょっと高くて高級感のあるヨーグルトで、味もいい。そこが売りとみた。すると、アンケートの内容もそんな感じを意識したもので、おそらく「高級感があっていい」という返事を貰いたいのだろう、と一見して思われたのだが、特に何度も何度も「この商品は自分たち向けである、と思いますか」と念を押すように質問がある。
なるほど。ちょっと上質の、お高級なおヨーグルトを消費するあなた様はちょっとおエグゼクティブ、勝ち組でいらっしゃいますね、と言いたいのだろう。
なんでも近頃は、どこの企業でも今までも一億総中流に向けた商品開発をやめて、「上流」と「下流」に二極分化した開発をするようになったのだと聞く。つまり、真ん中へんがいなくなったので、金持ちにはより高いものを優越感をくすぐりながら買わせ、貧乏人には非常に安いものを買わせる、というのである。特に金持ちに金を使わせるのに躍起であるというのである。
そういえば、ある紳士服量販店からも、激安スーツのチラシとは別に、ちょっとでも高い服を買った人には「お得意様だけに」なんて書いて、すごく豪華なパンフレットを送って来る様になった。こっちには、吊るしではあるけど一着8万円とか9万円とか、そこのお店の平均的なラインナップからいうとかなり割高な背広が掲載されている。
実際には、今時はそれなりに収入のある人でもケチだから、あの手この手でくすぐらないと買ってくれない。ヨーカドーなんかに行っても、安売りものとは別にかなり高いものを置くようになっているのに気付く人は多かろう。
どうも企業サイドでは、年収700万以上の人を上得意にに囲い込んで、それより下の人は薄利多売でそれなりに買ってもらって、というのが今のトレンドだそうだ。
それで面白かったのが三浦展「下流社会―新たな階層集団の出現」(光文社新書)である。「いつかはクラウン、から毎日100円ショップの時代へ。・・・もはやあなたは中流ではない、下流なのだ」と刺激的なコピーが帯に並ぶ。おもしろい項目が多いのだが、日清が上流向けの高いラーメンと、下層向けの安いラーメンの二極開発を始めた、というところを読んで強く頷くのであった。私が日ごろ感じていることをよく説明してくれている一冊である。「下流は自民党とフジテレビ、サッカー観戦が好き」なんてことまで書いてある。統計データなんだから文句を言っても仕方ない。
難があるとしたらデータの母集団が600人調査とかちょっと少ないことと、それから「上流、下流」という分類が「本人が自己申告で自分の生活水準は上か下か、答えた数」である点だ。これにはいささか問題がある。野心的な人間なら、年収が1000万あっても「いや、絶対に年収3000万は欲しい」と考える。そういう人間が自分は「下」と答える。逆に相対的に年収の低い人とばかりつきあっている人が年収500万ぐらいあると「自分は上流」と考えるかもしれない。そういうところの調整はどんなもんか、と思う。自己満足感と実態は客観的に見てかなりずれているだろう。私なんかでも、まず間違いなく自分は「下」と答える。なぜなら私は上流というのは基本的に華族とかふるい名家であって、世襲財産だけでも食える人だと思っている。だから成金のヒルズ族など私の分類じゃせいぜい中の下である。生まれ育ちは経済力のみではない。
トヨタ・レクサスという車はやはり富裕層狙いだそうである。もはやカローラの時代じゃないそうである。いつかはレクサス、ということは言わない時代なのだそうである。
私は昨年、軽自動車に乗り換えた。もちろんレクサスなど興味も関心もない。自分で運転するなら身軽な車に限る。そもそも年間に1000キロしか乗らない(!)のである。車を所有しているだけで贅沢、ということだ。
私はそれ相応に金払いはいい人間だが、企業の狙うようなブランド意識にはとんとのらない人間である。



2005年10月19日(水)
まず、本サイト「ハードロック・ポエムランド」の新作詩とエッセイのコーナーに新作を5編、追加しました。「辻元よしふみのブログ」でご覧の皆様はhttp://www.tujimoto.jp/からご覧ください。また新着情報で告知しておりますが、年内に辻元の新刊詩集「ナヴァロンの秋」が土曜美術社出版販売から刊行される予定です。今までになく、というか今まで以上にけったいな世界になりそう。詩界のリッチー・ブラックユーモアと呼ばれる(もとい、自称です)私のしょうもない不謹慎な詩がこれでもか、と並ぶ予定。
◇    ◇    ◇
 さて、ゆうべは映画「シン・シティ」というのを見てきました。うん、こいつは痛快無比な快作ですね。原作はアメリカじゃ著名なコミックだそうですが、もうコミックのまんま完全映画化で、メインの監督も原作の漫画家本人だそうです。とにかく凄惨に人がどんどん死ぬ映画ですが、決して後味は悪くなくて、まあアメリカ社会の戯画というのか、残酷だけど黒い笑いに満ちていて、ちょっとハードボイルド、ちょっとおセンチなところもあり、期待をずっと上回る近頃の傑作じゃなかろうか、と思いました。複数の話が平行して語られる形式で登場人物も多く、事前にパンフレットなど読んで人物関係を把握しておくほうがいいかもしれません。
 久々に復活のミッキー・ロークで快演を見せ付けております。ブルース・ウィリスもちょっと泣かせる役どころ、かっこいいですね。しかしなんといってもロード・オブ・ザ・リングの主役フロドで有名になったイライジャ・ウッド、これが今回は変態連続殺人者の役で出てくるのが見所。なんかもう、フロド様、とうとう力の指輪の魔力に負けてこんなひとになってしまったのね、という感じでした。それにキング・アーサーで名を上げたクライブ・オーウェンがもう一人の主人公なんですが、これがめちゃくちゃかっこいい。この人、今後はさらに飛躍の予感。007に出たい、と言っているそうですが適度な野性味、適度な甘さ、ぴったりだと思いますが。ブロスナンよりもイメージにあっていると思うな。初代ショーン・コネリーのボンドのあくの強さを取り戻せるかもしれません、この人なら。
 女優さんたちも魅力的。ヒロイン格の女性も何人かいますがみんな非常に魅力的ですね。注目なのが脇役なんだけど大活躍する日系人「ミホ」というキャラクター。無言で手裏剣と日本刀でばっさばっさ敵を非情に殺しまくる・・・殺人者や異常な悪人しか出てこないような徹底的なピカレスク映画ですけれど(なにせ罪の町=シン・シティです)、冷静に見ると一番殺した人数が多いのはこのミホみたいです。監督の一人にクエンティン・タランティーノが入っておりますが、原作漫画は当然、キル・ビルより前からあるので、むしろタランティーノが日本刀を操る女性、という面で影響を受けたのかもしれません。
 メインの悪役も何人も出てくる(はっきり言ってヒーロー・ヒロイン格の人らも善人じゃなくて何らかの意味でほぼ全員が犯罪者ばかりなので、映画の中での悪役、という意味ですが)のですが、この中でもラスボス扱いの全身が黄色い怪人(なんで黄色いかは見てのお楽しみ)というのが出てきます。演じているのはターミネーター3で堕落したジョン・コナーを演じていた人だそうですが、最初はこの役、ディカプリオの名前が挙がっていたそうですが、やればはまっただろうなあ。ディカプリオは演技力がある人だけど、実は決してアイドル系という人じゃないと思いますので、やればぴったりだった、と。また、ジョニー・デップも悪徳警官の役でオファーを受けていたし本人も出る気満々だったけどネヴァーランドの日程と合わなかったとか。このへんの人が出れば、オールスター・キャストのこの映画もますます人気が上がったろうけれど、なにしろ近頃は甘ったるいお涙頂戴のお話に「癒されたい」とかへたれたことを言っている日本の昨今の雰囲気なので、この映画のビターな味はなかなか日本じゃ受け付けないかもな、と少し残念です。
 

2005年10月17日(月)
ここ数日、身内の不幸とか、詩人の会合とかあってちょっと更新しませんでした。いつもご愛読頂いている皆様、申しわけありません。
 ◇   ◇   ◇
 で、その「詩人の会合」というのは何だったのか、といいますと、2000年8月に亡くなった鳴海英吉(なるみ・えいきち)という詩人がいます。詩人として高名な人だったのですが、しかしまた、なんといいますか、生前は厚遇されていたとも言い難い・・・おわかりいただけると思いますが、評価は高いんだけど、詩人の団体の顔役になったり、派手な賞をどんどんもらったり、ということもなく、そもそも地味な詩の世界でもやはりスター的な人とそうでない人があって、鳴海さんは後者の地道な活動に終始した人です。が、こういう人というのを世間では見捨てないもので、亡くなった後に鳴海英吉研究会、というのが行われております。その研究会のシンポジウムのパネリスト(パネラーというのは和製英語で間違いだそうですね)として珍しく参加いたしました。
 鳴海さんとは私も生前、かかわりはあって、おそらく実際に生前の詩人と交流のあった最も若くて最後の世代が私ぐらいだと思うわけで、そんな縁でめったに引き受けないこの手の仕事をやったのであります。
 鳴海さんは、戦前は危険思想の持ち主、ということで懲罰徴兵されて、大陸で兵士として戦い、ソ連軍に抑留され、命からがら生還したら、フィアンセが空襲で死んでいたことを知った、という人です。いろいろな作品があり、決していわゆる反戦詩ばかり書いていた人じゃありませんが、なんといっても代表作は下に掲げるような作品でしょう。

五月に死んだ ふさ子のために

鳴海英吉

強い白い炎に焼かれ指先から曲がり燃えた
と 誰かが話してくれた
どうして 俺が 信じることができる
この透きとおる 五月
やわらかな唇の若葉たちに
巻きこまれている 白い指
を 真直ぐに伸ばすことができる
と 俺は信じることにしよう
五月に 死んだ ふさ子は
まだ 遠くには行けないでいる
なだれてくる熱い灰と炎のなかで
せつなそうに こちらを ふりかえっている
お下げ髪が 火の風にふき上がって 真直ぐ
その裸身が 白いろうそくになった
ごめんね ふさ子
その日 俺は中国の小さな駅から
作戦移送の貨車につめこまれ
小銃を抱え 泥だらけ便衣に
血のまじった よだれを流して眠っていた
鉄路のきしむ音の中 これからの死地を
夢のなかで夢のように描き続けていて
おまえの 最後の絶叫は 聞かない
いや 聞こえなかったことにしよう
さあ おいで 五月に死んだところから
れんげを 星のように編んだ花飾り
誰も おまえを 焼かれて醜くなった
と 言いやしない
焼丸太になって舗道に並べ放置してあった
と 誰が言うものか
白い長い裳裾の衣裳で 駆けておいで
ここは とうめいな五月
死んだ女と 口づけ は許されないと
ふさ子は とけた顔をのけぞらせて
烈しく抵抗する
べろっと垂れた唇に 口づけを
裂けた乳房を そっと噛んであげる
さあ ふさ子 戦争で引き裂かれた肌
ケロイドになった 白い裸を見せておくれ
俺は 見詰めてそらしたりしない
五月は 死んだ おまえを
身ごもらせることができる
強い炎 ひからびた胎内で
白い鳳仙花の種子が ふっくらとはじける
朱い花びらを合わせているのは 五月
もう戦争で 男と女は引き裂かれない
さわがしい五月
皆んなにも 話して貰おう
遠くにある 記憶ほど鮮明な中で
立ちどまっている ふさ子
おまえ どうして そんなにも 美しい
俺は古い歌の流儀
どうしても 死んだふさ子と
五月に 結婚する

 壮絶な作品ですね。しかも非常に作品としても優れています。語彙のたたき付け方がすごいですね。というわけで、私もその研究会で話してきましたが、面白いことに詩人の集まりというと割に政治傾向も反自民・反小泉・反憲法改正の一色なんですね。だから、ほかの参加者の発言も鳴海英吉の話からすっかり脱線して「靖国神社参拝などけしからん」という具合でありました。まあ、ほぼ想像して頂ける雰囲気です。
 ◇   ◇   ◇
 そんなことが土曜日にあったばかりだというのに、今朝、会社に行ってみると「小泉首相電撃参拝」で盛り上がっておりました。郵政法案は通りましたし、靖国神社は秋季例大祭ですので、ここのタイミングはあり得るなとは思っておりましたが。
 しかし、ポケットから・・・あれは百円ですかそれとも十円だったりして。とにかく私費というのを強調したいんでしょうが、賽銭をぞんざいに放り込んで30秒でおしまい。私はあれ、むしろ遺族会や戦友会が怒るんじゃないかと思いましたが、案の定、結構、参拝推進派の人からも不評だそうであります。あそこまで形式的なものでも、なんでもいいんですかね。どうせやるなら・・・とは正直言って思いますが。
 中国、韓国に加えて裁判所まで味方じゃないので、あんなこそこそ行ったわけでしょうが、そしてあれでも「一貫していてかっこいい」というお単純なお人も多いのでしょうが、私なんかは本当に信念であるなら、堂々と8月15日に昇殿して、それでどこかと国交断絶でもする覚悟でやってもらいたい。そうじゃなきゃ、人気取りとかポーズならやらんでもらいたい、と思うのですが、個人的には。あんなもんでやった、やったと威張られては英霊も迷惑じゃないですかね。
 ◇   ◇   ◇
 先日ですが、映画「ステルス」を見ました。ちょうど米軍が無人兵器の計画を発表したばかりなのでタイムリーな内容。近未来のステルス機は前進翼でF35に似ております。空母エイブラハム・リンカーンに配備される訳なんですが、近未来でまだF14戦闘機が積んであるのはどうだろうか、と思いましたが本物の空母で撮影したんだろうから、おろせないですよね、艦載機を。黒沢明みたいな完璧主義の監督なら「あの飛行機は違うな」とあっさり海に落っことすかも知れないですが。
 適度なロマンスあり、適度なライバル関係あり、適度な・・・まあ全体に適度な仕上がりですが、空戦シーンはど迫力で、映画としては非常に面白いです。空母のシーンなどは非常によく考証されているようで、軍事マニアも安心して見ていられると思います。
 しかし、毎度のようにこういう映画とか漫画とか、登場人物がみんなガンダムの人達みたいに、戦闘中にしょうもない軽口をたたきあいますが、いかにアングロサクソンの皆さんでも、ミッション中はもっと口が重いと思うんですが。
 ジェイミー・フォックスがサングラスをよくかけているのですが、どうしてもレイ・チャールズに見えてしまいます(ただ、レイのときは痩せて役作り、今回はパイロットの実際の訓練を体験して筋肉隆々で、たくましいレイ・チャールズに)。
 途中、こういう映画では定番の奇才だけど問題ありの「博士」が、自宅で聞いている音楽がムーディー・ブルーズのサテンの夜、というのになかなか渋いものを感じました。ジェット機ものにはロックが良く似合います(やはりラップじゃないですね、ジェット機は)。
 見どころも多いのですが、それにしても最新兵器にしては・・・よくある学習型のコンピューターの反乱というテーマ、ありがちといえばありがち。勝手に考える自我のある兵器なんて有効かどうか。実際には無人兵器は「イエス・サーしかいえない」(映画の中の台詞)ものじゃないととても危なくて使えないでしょう。
 その人工知能の反乱とか、仮想作戦の実行とか・・・なんとなくスタンリー・キューブリックのにおいもします。しかしキューブリックがメガホンを取ったらもっと救いのない厳しい作品になっただろうな、と。
 結構、そういう意味で甘いです。戦争映画としては。が、それでもたとえば爆撃を受ける側の視点にもふれる努力をするなど、ハリウッドものとしては少し進歩したな、という面も多々感じます。
 アジア地域への理解、というまなざしも感じるのだけど、ちょっと相変わらず駄目なオリエンタリズムで止まっているようでもあります。ワンシーンとてもまずそうな寿司が出てきます。その他、タイやミャンマーも出てきますが、地元の人は怒るかもしれません。
 それにしても、無人兵器・・・まもなく登場するそうですが、結局アメリカ人の死者を減らす工夫に過ぎないですね。自分らは死なないでどうしても戦争やりたい、という。
 未来型の戦闘ロボが、ガンダム型とか二足歩行式の日本アニメにありがちなものじゃなく、こういう既成の軍用機や戦車形のロボットになる、という発想はきわめて正しい予想だと思います。
 映画としちゃ割に軽いんですが、あれこれ考えさせられるテーマではありました。


2005年10月14日(金)
いつのまにやら楽天がTBSに仕掛けていたが、これについて「放送業界を所管する麻生総務相は「電波法に違反していないなら民間の会社同士が合併するという話に関して、いいとか悪いとか言う立場にない」とし、「(株式)公開会社だったら経営者は株主を選べない。(株式取得が)あったらけしからん、とはなかなか言えないのではないか」と指摘した」そうである。とにかく、ライブドアがフジに仕掛けたときは、ラジオをTOBで完全子会社化しようというさなかに、時間外取引で株を取得する、というやり方が結局、一般の支持も得られなかった感じだったが、・・・おまけにあの堀江という人がぺらぺらと、テレビもラジオも新聞もみんななくして、ネットだけ残ればいいんだ、みたいなことを繰り返し放言したもんだから、無用の軋轢を生んで、うまくいかなかった。こういうときには余計なことを言うべきではないのである。評論家じゃないんだから。当事者は腹で思っていることを明かしてはならない。
 ということで、村上さんに続き三木谷さん、である。恐らく「私は堀江君みたいな間抜けじゃありませんよ」というところを見せたいところでもあるんだろう。
 それにしても、なんでああいう会社は株式公開しているんだろうか。もともと、日本じゃ株式公開とか一部上場とかいうのは、資金調達とか本来の意味合いじゃなくて、要は一種の企業のステータスだったと思う。実際には株主なんて総会でしゃんしゃん、押さえればいいだけのもんだし、ほかの会社を強引に買い取るなんてことも今まではなかったし。が、もろに本来の・・・まあ市場なんだからこういうあれこれがあるほうが本来の形である、こういう世の中になってみると、テレビ局みたいな超有名企業で、株主に還元など出来るだけしないで、巨額の内部留保と局員への厚遇(おそらく全業種の中でもっとも賃金の高いのはなんといってもテレビ局である)、それに、資金が欲しければどこにいってもなんとでもしれくてくれそうな、そんな会社の場合、上場の意味なんてあるのだろうか?
 どうもぴんとこないというのは、私個人の話だが、父は生命保険会社に勤めていたし、私は新聞社である。どっちも有名企業なんだが上場はしていない。保険会社は株式会社ではないし(最近は株式会社化するところもあるが)、新聞社というのは株式会社ではあるが上場はしない。なんでといえば、新聞は一応、言論機関。つまりどこの圧力を受けるでもなく自分らの見識でものを言う、という建て前になっている。もちろん広告を取っているし、販売はまったくの営業だけれど、しかし社内でも編集局はほかの営業活動とは遮断されている(社内にいるとそれはそれで、なんだかよくないと感じることも多いのだが。新聞記者というもの、自分の会社も一民間企業に過ぎないことをしばしば忘れているからである)しかし、まあいくらかひいき目で見ても、金儲けと取材・報道、それから提言・言論の部分はけっこうけじめがついているのは事実である。新聞社の株式はごく限られた人たちだけが持っていて、一般人には買えないのである。
 テレビ局なんてものも、別にこうなってみると公開しないでもいいんじゃなかろうか、と思わないではない。そんなに問題ならば、であるが。
 しかし、堀江さんのように余計なことを言わなければ、実際のところ、私もTBSがどうなってもそれでなんとも思わない。はっきり言って水戸黄門の再放送ぐらいしか見ていないものだから。
 野球協約上では、楽天と横浜と両方持っているのは駄目、ということもあるそうだが、横浜の社長が言うように、「阪神さんの場合と違い、うちの場合は、切り捨てろ、という要求になるんじゃないか」というのがおそらく正解だろう。
 テレビにしろ野球にしろ、一昔前には手を出してはいけない聖域のように思われたが、なにせかつて聖域中の聖域だった銀行があのざまだから、今更何があっても驚かないということである・・・。


2005年10月11日(火)
ドイツCDU党首のアンゲラ・メルケル女史がドイツ初の女性首相、また統一後初の東独出身首相に就任することになりそうだ。しかしこの人、東独出身といってもかなり変わっている。なんでもオヤジさんが宣教師で、西独からわざわざ越境して東独に乗り込んだという、当時かなり変人扱いされた人だったとか。それに従って東側に移住したメルケル一家は、東独人といっても海外渡航も比較的自由で、まあなんというかあの共産政権時代にも東西のハーフのような立場であったらしい。それにこの人、理科系・・・たしか物理学の博士号か何かお持ちであるはず。そんなわけで政治家としての手腕は未知数、ということで、シュレーダーとの討論会でもレーガン米大統領の選挙戦での討論のせりふをまるきり盗作引用した、なんてお話もあり、なんかこう・・・まあいわゆる政治家向きの人材ではないらしい。しかしまた、そういう人材だからやらしてみようか、というお話でもあるのだろう。
 シュレーダーの「改革」は結局、失業者ばかり増やしてなんとなく尻つぼみになり失敗してしまったことになる。我が国のほうは、これにくらべると国民が我慢強いというか寛容というか、改革をやるならちゃんとやれ、という態度をここまでとってきているのだが、はて、いまだにちゃんと出来るのかどうか道筋は見えない。小泉「改革」といってもここ4年間で小渕政権の何倍も借金を増やしてきた政権であることを、どうも先月の選挙なんかじゃ「国民」は忘れてしまったか、知らないでいたようである。マア確かに、去年ぐらいから緊縮財政というのを組んでいるし、三位一体改革とかいうのがちゃんと出来るんなら、見込みがまるでないとまでは言わない。言わないけれど、怪しいのも確かである。
 野田聖子議員が今頃になって郵政法案に賛成なんて態度を翻したことを、小池大臣が「私ならあそこまでやったのなら徹底的に貫きますけれど」とけなしていたようである。実際の所、あれは徹底して反対するほうが筋が通っている。今更恭順の意を示して、先のことでも考えたのだろうか。それは遅いというものだ。
 さてそれで、国の借金をなくすにはどうするかだが、歳出削減・・・まずもって5兆年以上はやらないと、ということだそうだ。自民党政権と官僚機構にどれだけ出来るものかやはり誤魔化すのか、見物である。それから増税・・・これは安易なサラリーマン増税のモデルと消費税のモデルしか出てこないのが不愉快である。
 しかしもうひとつあるのが、要するにインフレ誘導である。
 今日当たり、どの雑誌にも「バブル前夜か?」なんて見出しが躍っている。昭和末期のバブルと同じようなものが再来するとは思わないが、しかし・・・あれであろうか。まずは、「株を持たないリスク」「資産を持たないリスク」なんて話がまたまたやってくるのだろうかしら、である。
 給与水準はもう上がらないままで、インフレが来ればどうなるか。ほとんどみんな全滅で安い時期に資産が増やせた人がまた得する、ローンを組んでいる人も得する、ということになるんなら、またぞろ石油ショック前に家を買っていた人がマルキンです、というあの「金魂巻」の世界の再来である。
 考えればあのマルキン、マルビなんてのも、後の勝ち組、負け組という言い方の走りであったが、・・・それにしてもいつからあの言葉を「経済的勝者と弱者」の意味で使い始めたのだろうか。せいぜい九十年代後半と思う。元はといえば、あの言葉はアメリカにある捕虜収容所とか、日系人強制収容所、あるいはブラジルなど南米の日系人植民地などで、1945年8月15日の日本帝国敗戦を「信じる人」=負け組と「信じない人」=勝ち組に分かれたことから始まる。「勝ち組」は神国ニッポンの敗北などとうてい信じられなかったのである。そして、南米の人たちなど、それからずいぶんたって昭和30年代になってから日本にやってきて、東京タワーが立ち見事に繁栄しつつある東京で皇太子の成婚(今の天皇皇后)をみて「ほれみろ、やっぱりニッポンが勝ったんじゃないか」といったという嘘のような落ちまでつく。
 要するに「勝ち組」とはむしろ勝った勝った、と狂信する人間である。最近のどこかの調査では、年収が1000万円を超えると、今時の日本人は自分は勝ち組の仲間だ、と感じるのらしい。平均的には。
 信じられない。私はその定義で言うと・・・はっきりいってその線を越えているが、こんなもんで勝ち組などと狂信できる人間の迂闊さが理解できない。
 ご近所で、長男も次男もマンションを一軒ずつ与えたら、ちっとも結婚もしないで遊んで暮らしていて困ってしまいますわ、なんてお宅がざらにある。ああいう人らが真実の勝ち組であろう。企業経営者なんていっても、「ぼくんち、お父さんは社長なんだ」なんて云っていた子どもの家が軒並み夜逃げ、なんて地区もまた近所にある。そんな成り上がり者とは違う、先祖伝来持っている人は強さが全然、違うのである。
 まして霞ヶ関ビルで鹿鳴館の後身の旧華族のクラブのメンバーなんて人たちは、もちろんそれぞれ立派な職業もお持ちな場合が多いが、しかし元々、持っておいでのものも違う。「斜陽」なんてフィクションにだまされてはいけない。
 日本にはもともと上流社会は戦後もずっとあるものを、おおかたの人は知らないで「中流幻想」などといってきただけである。しらない者が馬鹿なだけである。
 堀江貴文さんなど、迂闊に天皇制廃止、なんて云うところを見るとあのぐらいの成り金ではまだまだ、「メンバー」には入れてもらえないということだ。
 官僚とか財界人とか、もちろんそういう人らもまた準メンバーであるのは云うまでもないことである。
 「改革」なんていっても、まあそのへんからいうとずっと手前で止まるものと知らねばならない。「若者」などがどんなに小泉さんなどに幻想抱いて改革をしてもらおうと思っても・・・もっとも、いつでも彼ら若い者は他人任せである、誰か強い者に「壊してもらおう」という発想ばかりだ・・・絶対に、ある一線は越えられないことになっている。日本とはそういう国である。
 ナチスがそういう世界を完全にぶちこわしてしまったドイツなどとはまったく異質な世界であることを知らないで表面で比較しても始まらぬ。靖国問題にしても、戦後の総括にしても要は、そのへんの差なのである。
 おそらく、ヒトラーほどの「改革者」はいない。私はなんのためらいもなく断言する。だからそんなに「改革」さえしていれば幸せになれると主張する人の気が知れない。

2005年10月10日(月)
体育の日、だが運動会の合図の花火の音はこのあたりでは聞こえない。天気が悪いので延期と言うところもあるだろうか。
 パキスタンじゃ大地震だそうだが、それにしても近頃、地球の人類への仕打ちが厳しい。そろそろお前ら、おしまいにしなさいという意思じゃあるまいかとすら思う。
 地球環境を考える、といったNPOが近頃は活動盛んだけれど、いちばん地球に優しい行いはなんであろうか? ひとつは、通勤通学しない、生産活動しないことではないだろうか。そしてふたつは、子供を作らない、つまり人類の数を減らすことじゃあるまいか。
 要するに、ニートが増えたとか、社会が少子化したとか、そういうひとつひとつのことは非常に困ったことだと言いつつ、これは人々の中のある種の予感、人類という存在はすでに過剰であって、縮小したほうがいいんじゃないか、という意志の現れであるのかもしれないと思う。先進国ほど、そのような傾向にあるというのは、もう十分すぎて、人間の社会はこれ以上発展も進歩もしないほうがいいんじゃないか、という雰囲気が漂うのがそういう国だからではあるまいか、と思う。
 ◇   ◇   ◇
 ゆうべ、フランス映画「ルパン」を見た。日本ではそんなにヒットしているとは思えないのだが、昨夜は連休のさなかだからだろう、結構な客の入りだった。 
 事前に見た新聞の映画評では豪華絢爛だが脚本が散漫、というようなことだった。しかし私はむしろ、フランス映画にしては分かりやすい、めまぐるしくてテンポも速く、決して散漫とは思わなかった。むしろ、事前にホームページやパンフレットで人物関係を把握しておかないと展開の速さについていけないかもしれない。ただ、いくぶん、山場にかける、という憾みはある。登場人物が随分沢山、死んでしまう映画なのだが、あまりにたくさん死ぬので、ひとつひとつが埋没して、なんか大事故やテロの報道に接したときみたいに人の死に麻痺してしまう感じすらある。弱点といえばそこか。
 しかし豪華絢爛、という意味ではお見事で、オペラ座の怪人をしのぐかもしれない。今回のアルセーヌ・ルパンは007のイメージなんだというが、そもそも一脈通じるキャラなので人物造形はぴったりだと思う。
 おなじみの奇岩城が出てくるが、あのあたりの写しかたは非常にフランス映画のセンスを感じた。
 そして、なんといっても女優さん二人が非常に熱演している。エヴァ・グリーンが非常に意志の強い女性を感じさせてくれる。キングダム・オブ・ヘブンでも存在感抜群だったが、実際この人、まだ若いのになにかかなり円熟したマダムのような印象を受ける。私は最初、この人の配役はカリオストロ夫人なのかと思ったほどである。
 ラストシーンに近く、フランツ・フェルディナンド大公暗殺未遂、というシーンがある。やがて暗殺は成功して第一次大戦が始まるわけである。そういう史実を押さえた話になるとは意外であった。そして近代戦の時代になり、世紀末を騒がせた怪盗ルパンは静かに歴史の闇に消えていったのだろう・・・。
 ◇   ◇    ◇
 さらに、オーダーしていたマイナーな映画のDVDが手に入ったので、これもゆうべ、見てしまった。ドイツ映画で「ラスト・グラディエーター」(笑)というのである。
 まあ、あのリドリー・スコットのグラディエーターの影響下にあるのは確かだろうが、この映画はドイツ映画なので、捕虜となったゲルマン人たちが剣闘士となって、ローマ帝国で見世物にされるという設定である。
 これがなかなか、期待していなかったので、というのもあるかもしれないが面白かったのである。ドイツ語の勉強、という興味だけで買ったのだが、脚本がなかなかうまくまとまっている。コスチュームやセットもなかなか悪くない出来。ゲルマン人がドイツ語で話すのはいいのだが、ローマの高官たちまでドイツ語で話すのが笑えた。ドイツ人の描くローマ帝国はまるっきり奇矯なパンとサーカスの世界である・・・。ま、これも一種の偏見だろう。史劇ファンにはなかなかお勧め作品であるが、注文しないと店頭ではなかなか入手できないと思われる。

2005年10月07日(金)
野村総研さまがオタクの再定義など試みている。「野村総合研究所(NRI)オタク市場予測チーム」なるものが昨日発表した調査結果はすでにご存知の通り。
「オタクはいわゆる「アキバ系」だけではないとし、行動や消費の特性を抽出。アニメやコミックに加えて旅行、自動車マニアなどもオタクに含め、主要12分野のオタク人口を172万人、市場規模を4110億円と推計した」というんだが、え、たった172万人? と意外に思った人のほうが多くないか。
今回調査の内訳によれば「コミック35万人 830億円、アニメーション 11万人 200億円、芸能人28万人610億円、ゲーム 16万人 210億円、組立PC 19万人 360億円、AV機器 6万人120億円、 携帯型IT機器 7万人 80億円、自動車 14万人 540億円、旅行25万人810億円、ファッション 4万人 130億円、カメラ 5万人 180億円、 鉄道2万人40億円、合計 172万人4110億円」というのだが、この項目の選び方もよく分からない。
 私など立派なオタクであるが、しかし上の分類によれば今現在、ほとんど該当しないことになってしまう。私の場合は、今現在か過去にはまっていたか、ということをおけば、音楽・・・これはCDを買うとかイベントを見るというだけじゃなく、楽器を買ったり演奏活動したりも含む、それに文学・・・これは本を買うというだけじゃなく創作活動や出版も含む、それからゲーム、また一時的に同人誌なんかに金を使っていたし、軍事系、模型なんかも相当にオタクの部類に入るだろう。自分自身というより妻の趣味だが、ヤドカリとか熱帯魚への投資額もかなりなものだ。しかしながら、どうも私はせいぜいゲームぐらいしか上の認定による「メジャーなオタク」にも入れてもらえないようである。
 オタクのなかにもまたマイナーなオタクというのがあって、コミケなんかに行けば、必ずしも漫画や同人誌のオタクじゃない、広義のオタクが多いことに気付く。
 だから、もっとマイナージャンルを持ち出せば、人数も市場規模ももっと多いと思うのである。
 たとえばだが、うちなど「ドイツ」と名がついてしまうと、相当に高額の商品でも、それは決してドイツ軍の銃器だとか軍服、戦車の模型に限らない、服飾品や鞄、時計に至るまでドイツ製と聞くとついつい興味を持つし、かなりの率で買ってしまうという意味で「ドイツオタク」の一種であろう。多かれ少なかれ、誰にもそういう特定分野に偏った傾向はあるのじゃなかろうか。
「最近は「電車男」や萌えブームなどの影響で、オタク像の「原点回帰」が見られるとはいえ、オタクはすべての趣味分野に存在するというのが同社の考え。今回定義した12分野以外にもあらゆる分野にあてはまるとしており、オタク像の再定義が必要としている」とのことだが、そのとおりであろう。
 この調査では何種類かのオタク像も提示していて「社交派強がりオタク・・・独自の価値観を強く持ち、それをみんなに知ってもらいたいと考えて他人を巻き込もうとするタイプ。ガンダムやドラクエの世界観を引きずり、それに気づかずに30代になってしまった大人が典型例という」なんて人間は少なからず存在するが、しかしガンダムの世界観を引きずってなんでも会話をそういう方向に引っ張る人間、正直言って面倒くさいものである。実際にそういう人を私も知っているが。「みんなに知ってもらいたい」というのがくだらないと私などは思う。他人などどうでもいいことだ。また「同人女子系オタク・・・コミックやアニメに登場するキャラクターへの愛着が強く、同人誌など創作活動への参加率が高い層。友達に隠れてひそかに持っていた趣味を大人になっても続けている同人誌フリークの女性が典型例としている。男性でも「アキバ系」「萌え系」がこの層に含まれるという」というの見て笑った。これ、いわゆる腐女子であろう。あるいは我が家がほんの2年前までやっていた「アンジェリーク系」同人活動なんてまさにこれであろう。してみると、うちも結局はオタクの本家本流である「アキバ系」にもっとも近いところにいた、ということか。
 どうもしかし、私などはそのオタクとか同好の士とかいうひとの群れの中に入るのも嫌なのである。マイナーな群れとは言っても、しょせんは群れである。大きな日本人全体という集合からすれば、いくらか小さなオタクの集合を作ることで居場所を見つけて安住するような人も多いんだろうが(詩人とか俳人とか、文学者なんてものにはそういう一種のオタクも少なくない)どうも私はその小集団も好きでないのである。
 オタク、の定義のなかにもし「群れる」というのがあるなら(それはネット上や2ちゃんねるのような場も含む)私は決定的にそこからもずれることになる。
 ◇   ◇    ◇
 ゆうべなんとなく深夜映画で昔の角川映画「復活の日」を見てしまった。しかし今見直しても非常に面白い。ホンモノの潜水艦を使ったロケ、スケールが大きい話なのでセリフのほとんどは外国語である。後のエイズとか、SARSを思わせるような細菌兵器の描写は小松左京の冴えを思わせる。あの映画が流行った頃私は中学生だった・・・。ジャニス・イアンの主題歌が懐かしかった。
 病院で医師の助手を務めるチョイ役で若き日の小林稔次らしき役者を発見。昔の映画を見るとこういうのがおかしい。1941なんて映画でミッキー・ロークが1シーンだけ出ている、というのと同じである。

2005年10月06日(木)
風邪は治ってきたのだが、身体に菌が入るというとよけいなところまで累が及ぶ。今まで痛くなかった歯が痛んだりする。もちろん悪くなってはいたのだろうが、風邪のせいで表に出る、ということである。困ったものだ。私には一本、左に列外歯がある。小さいころになんらかの理由で歯が正しい位置に出てこられなかったものと見える。こういう不正な歯というのが悪くなりやすい。不自然な位置にあるので妙な力が入るとか、歯が磨きにくいとか言うことだと思う。どうもそのあたりが痛んだ。近く、また歯医者に行かないといけないかもしれない、と考えると憂鬱になる。どうも自分は、歯磨きをするにも相当に覚悟して口をこじ開けないと我慢できないような人間なのである。
 それ思い出した。昨年の今頃かもう少しあとの時分、「麻酔をすると根が残るのでこのまま抜きます!」と宣言して、なんと、鎮痛剤なしで私を押さえつけ、左の奥歯を引き抜いたとんでもない歯医者がいた、と書いたが、その後、どうしたものかそこは廃院になっていた。昨年暮れには非常にたくさんの患者がいたように思うのに、どうしたことか。なにかあったのかもしれない。歯医者さんというものも、同情的に考えると、かなりストレスの多い細かい仕事だと思うし、患者は百人中百人が嫌な顔をして帰るし(それはもう仕事柄仕方がない)まるで喜んで人に苦痛を与えているようないわれ方をすれば傷つくし・・・まあそんなこんなで本当に精神失調になってしまう人、というのもいるように聞くのである。あの医院もストレスで医師がどうかなってしまったかもしれない。
 あんまりたくさん患者をとるような歯医者はいけない、ということだろうが、しかし急な痛みには完全予約制の歯医者では間に合わず、困ったモンではある。
 とにかく、耐え切れないほど痛くなるまで彫っておかない、ということしかないようではある・・・。
 ◇   ◇   ◇
 どこかの調査で、・・・毎日新聞だったと思うが、米中韓の3か国のどこに親しみを持つか、というのをやっていた。今の日本人、親米感を持つものが66パーセントもいるというから驚く。自民党大勝も当然の結果だったのである。恐らく、今や世界中でもっとも親米的な国じゃなかろうか。見事に牙を抜いて飼い犬としてくれたものである。ちなみに中韓については嫌いという人が6割を超えているようだった。が、若い世代では中国は嫌いでも、韓国はまあ五分五分ぐらい、ということである。
 私はこの三か国の全てが嫌いである。信用できる国など一つもない。こっちが友達のつもりでいても、いつ寝首をかかれるか分からない。
 ◇   ◇   ◇
 さんま漁船を当て逃げしたイスラエル船の船長が「気付きませんでした」と言っているらしい。しかし本当に全く気がつかなかったのかあやしいものである。
 このような公海上のトラブルというのはまさに国際社会そのものであって、声のでかいほうが勝ち逃げできる世界である。日本人にはいい勉強になるかもしれない。正義なんてものはないし、公正な警察もないのである。どこそこの国が好きの嫌いの、能天気に言っていると危険であるということだ。どことも握手しつつ、いつでも裏切れるようポケットにナイフを忍ばせる、そんな付き合い方しか外国とは出来ないはずである。
 ◇   ◇   ◇
 エアガンの撃ち逃げ、というのもはやっているが、最初にやった犯人らしき者はどうも薬をやっている人間だったようである・・・それにしても犯罪すら人まねをしたがる馬鹿者の多いこと。オリジナルの犯罪者より、模倣犯の罪を重くしたらいかがであろうか。
 私は、なんであっても、犯罪者であってすら、人まねを安易にする人間が嫌いである。オリジナルの犯罪者ならいいのか? さあ。いいとはいわないが、模倣犯よりは断然ましなものだと私は思わないではない。
 とにかく人についていくような人間が嫌いで嫌いでたまらぬ。

2005年10月05日(水)
 国勢調査の調査員を装って、個人情報を盗むというのが流行っているようである。中には口座番号まで聞きだす者がいるというから呆れる。あの調査員というっても、要するに市役所の人たちらしい。今回、○日に回収に伺いますというその日に、当方が都合が悪くなったので、市役所まで自分で届けに行った。国勢調査専門の部屋が用意されていて、大勢の人が集まっていた。「来ていただくなんて申し訳なさ過ぎます・・・」と係の人は言っていたようだが、しかしなにしろ自分で行ってしまえば、絶対に詐欺には遭わない。心配な方はご自分で届けに行くことをお勧めする・・・といって、こんな調査はしょっちゅうないわけだから、次の回にはまたみんな忘れているだろう。
 ◇   ◇   ◇
 たまのことでみんな忘れてしまう、ということで思い出した。既にみんなの記憶から徐々に薄らぎつつある選挙であるが、あれでなにかと○○方式という言葉が出てくる。ことに最近の選挙で出てくるわけの分からない言葉というと「ドント方式」に「コスタリカ方式」である。一般人には何のことやら分からない。
 それについてなんとなく、書いておこうと思う。
 どんとどんとどんと波乗り越えて、というような日本語かと思えば、ドント方式というのはベルギー人のビクトル・ドントというのが考え出した比例選挙の割り振り方式をいうのだそうである。それぞれの政党の得票数を1から順に素数で割って行って、数字の大きい順に各政党の議席を割り振るというのだが、詳しい理屈は知らないが、要するに投票数が一議席あたりに多い順に決める、ということが趣旨であるらしい。コスタリカ方式、についていえば、政治腐敗の続くコスタリカで導入されている、国会議員が一期4年務めると、次の4年は立候補できない、という規定から出てきた言葉らしい。あちらじゃ、比例選しかなくて4年やったら次の4年は失業、なのであるが、日本の場合は小選挙区に対応するために、与党の候補同士が選挙のたびに小選挙区と比例選と交互に出馬を譲り合う、という馴れ合いのことをさして言う。だから4年おきにお休み、といってもかなり意味合いが違うのだが、この無理のある命名をしたのは幹事長時代の森前首相であるらしい。わけのわからない親父ギャグ的なセンスはあの人らしいかもしれない。ともあれ、トルコ風呂、というのが言葉として廃止になったように、このコスタリカ方式というのも、実態と当たっていないからやめた方がよいかもしれない。コスタリカの人たちは日本でそんなことを言っているのを知るまいけれど。
 ドラフト会議に出てくるウェーバー方式、については・・・知らない。由来を調べるのも面倒なので興味のある方はご調査ください。まずアメリカの人名なんだろうが。
 ◇   ◇    ◇
 昨日、興味なし、と斬り捨てた村上ファンド(MACアセットマネジメント)の阪神株取得問題だが、やはり「上場して含み益を吐き出せ」ということらしいですね。まあええやないか経営の最たるモンだろうから、狙いどころでもあったわけ。私個人としては阪神タイガースなんて全く明日なくなっても困らないどうでもいいものなのを前提で言わせて貰うのでファンという方には申し訳ないが、面白くなってきたといえばいえる。政権与党に取り込まれてしまったどこかの若社長と違い・・・あちらは騒ぎになるだけで、結局このところもくろみは連戦連敗、ちっとも思った通りにはなっていない、村上氏ときたら、優勝だなんだとうかれている陰で誰にも気付かれないうちにこんなことを仕掛けていた。
 フジテレビへの奇襲のつもりで奇襲にならず、話をこじらせて結局、敗北したどこかのH君とはまるでタチが違う。大したものである。やるならこうでないと。
 以前にH君は村上氏と対談で「僕が評価している日本の経営者というと村上さんだけです。経営者として弱点のない人」などと偉そうに言っていた。そんな生意気を口にするだけ100年早かったのじゃないか。実際、君なんかより何倍も上手だよ。評価するもしないもない。自分自身が有名になるとか大物になるとか、そんな発想が見透かされるから君は駄目なんだろうと思う。
 IT業界も急速に淘汰の時代に入っている。平成電電なんてのも破綻した。いつまでも学生臭いベンチャーノリの思いつきでやっていける業界じゃない。なのに、最後にすがりついたのが政権与党で、政治との絡みつきで生き残ろうというんだから、彼に幻想を抱いた連中もいい加減に愛想をつかしたのではないか。

2005年10月04日(火)
「札幌中央署は3日までに、“路上詩人”として全国を放浪していた神奈川県横須賀市金谷1、無職、古仲秀行容疑者(25)を大麻取締法違反(所持)の疑いで逮捕した。取り調べに対し、「反省の気持ちを詩で表したい」と言い、「きょうの大麻で 全てをなくすことが すごく苦だ」などと書いているという。・・・古仲容疑者はここ数年、和紙に筆で書いたサイン入りの詩を路上で売りながら全国を放浪し、新聞に取り上げられたこともある。詩は1枚7000〜2万7000円で販売し、毎月20〜60万円の収入があったという。今年は、5月に茨城県から放浪をスタート。7月に函館から北海道に入り、各地を放浪していた」だって。いい気なもんだ。なんでこういう「詩人」というの、案外に人気があるのかしら、である。なんとなく托鉢僧にお布施でもするみたいな感じであろうか。少し前に326とか、それにいつまでも人気のある相田みつをとか、こういう人が定期的に出てくるけれど、そしてまた必ずこういう真似をする人も出てくるけれど、ああいう気合一発ものに弱い人というのは世間には多いらしい。
 ◇  ◇   ◇
 阪神優勝の際、一部の「ファン」が暴徒化してタクシーを襲ったのだという。あんなのは本当に「阪神ファン」なのだろうか。欲求不満、いらいら。世の中はどんどん歪んでいる。反日暴動なんて見て野蛮だなんだと言っていたが、日本の民度も変わらない。・・・そのすきに阪神株を買い占めている村上ファンドは、なにを狙っているのかしら? タイガースを上場しろ、なんてこともありうるのか。まあ・・・フジテレビのとき以上に、私にとってはどうでもいいことである。
 ◇  ◇   ◇
 昨日、映画「セブンソード」というのを何となく見てしまった。ツイ・ハーク監督の新作である。武侠映画というが、まあほとんど近未来SFのようなノリである。面白かった、というのは確かであるが・・・なんかこう、味の薄い「七人の侍」という感じでもある。清朝が勃興して漢人の反乱を鎮圧してる時代、ということらしいが、説明不足でなんともよく分からない、というのが正直な感想。チャンバラさえ見ればいいのだろうが・・・あちらの殺陣はちょっとアクロバットである。もう鉄砲も存在した時代のはずだが、はて、剣や刀でで戦うのが強いのだろうか、とも思う。

2005年10月03日(月)
まだ声は涸れておりますが、なんとか風邪菌が抜けて・・・来たとは思うんですが、なかなかしかし抜け切りませんね。風邪といって油断できない、つらいものです。これから涼しくなりそうですからどうか皆様、御身体お大切に。
 いらいらしている人が多いのか、エアガンを撃つ者、通りすがりの中学生の髪の毛を切る者、通りすがりの電車に投石する者、しょうもない者が続出しております。「殺人請負サイト」も管理者が逮捕されたそうですが、まあしょうもない雰囲気が蔓延しております。小泉首相はタンホイザーなんてみて「感動した」なんてまた同じコメントだそうで。もうちょっと語彙のない人なんだろうか、政治的な話題ならともかく、こういう趣味の話題ならもう少し、自分ならではの「感動」の中身を語ってもらいたいもんですが。あのタンホイザーというの、訳の分からない話ですよね。そもそも二つの神話伝承を無理にくっつけたんで話がまとまらず、ワグナー自身もいまいち気に入らなくて、三回も大改訂している、というなにか締まらない作品であります。
 なんか調子が完全に回復しないので、どうも冴えませんですね。なんかこう・・・大したことも浮かびませんが、ふとテレビを見るとドラフト会議の中継らしきものをやっていて、過去を振り返るビデオを流している・・・ドラフト一位指名、なんていってもその後、鳴かず飛ばずの選手も多いですねえ、見ていると。ああこんな人がいたな、という。で、外された人の方が成功していたりします。人生分からないもので・・・このところ、熱が引いてから、といってどんどん外出するような気力もなく、テレビゲームなど引っ張り出してやっておりました。いろいろ書き物の締め切りもたまっていたりしますが、とてもそんな気になりません。
 で、「信長の野望」という有名なゲーム、あれをまた3回も繰り返して・・・つまり、自分が殿様になって天下統一、関白なり征夷大将軍になって天下人になる、というのを3回やったわけですが、あのゲームの面白いところ、私にとっては、ですが、たくさんの家来を使って天下統一をしていくんですが、毎回必ず、同じ大名家であっても出世する人としない人が出てくる、それも結構、結果が違う、ということにあります。つまり、前にはあっけなく戦死してしまった人が、二回目にはご家老に大出世して、大納言とか中納言とか大層な官位をいただくほどになったりする。人手不足でやむなく採用したような人物が一国一城の主になったりする。かと思うと、ゲームの面白いところで、どの人が有能か無能か、すべて数値(パラメータ)で分かるんですが、それで明らかに優秀な人材なのに、自分の陣営に参加するのが遅かったために、まるきり足軽大将にもなれないで終わってしまう、あるいは武芸はからきし、なのに教養だけは異常に高いので、外交だけで意外な人物が大出世する・・・まあ、そんなことが毎度、あるわけですね。そして、本当なら征夷大将軍になるべき徳川家康がそこそこの侍大将で終わったり、豊臣秀吉が無名の浪人で終わってしまったりする・・・。これ、人生の実相ですよね。そもそも、秀吉の成功そのものが、むしろ現実離れしたゲームのような展開ですから。
 真鍋かをりさんのブログで「1人同窓会」というのをやっている、という記事を見かけました。これつまり、小学校や中学校の知人、同級生の名前をグーグルなんかで検索してみる、ということだそうです。それは、誰しもやったことがあると思う。女の人は姓が変わっているとわかりませんですね。真鍋さんによれば、一般人だからそうそう検索できない、まあ10人に1人ぐらいは引っかかる、というんですが私の周辺だと、もっと出てこないですね。逆に私の名前を検索して思い掛けなく旧友から連絡があったことはありますが、一応、自分は有名人というほどじゃなくとも、本を何冊か出しているし、こういうサイトを持っているし、それもペンネームを使っていないし、ということでたまたま出てくるんですね。全く違う芸名だったら、もう分からない。
 なにがどうということじゃないですが、こう、熱に浮かされて寝ていますと・・・人生、なんて考えがちであります。
 もし、3回とか5回とか、ゲームのように人生やり直すと、同じ設定、同じパラメータでも、違う結果になることは・・・おそらくあるんでしょうね。

2005年9月30日(金)
 昨日も熱が7度8分まで上がって、会社を休んだ。困ったもんだ。しかし明け方になってどうやらよくなった。どっと汗が出て、ああ、解熱するなとその瞬間が自分で分かったのが不思議である。
 ◇   ◇    ◇
 「阪神の井川慶投手(26)が29日、甲子園球場で優勝が決まった際、岡田監督の胴上げに参加せずに、球団側から厳重注意処分を下された。井川は・・・試合終了に間に合うよう手配したタクシーに乗り遅れ、チャンピオンフラッグを掲げての場内1周にも参加できなかった。祝勝会には参加した。球団側は本人の不注意で一連のセレモニーに参加できなかったことを問題視。沼沢正二球団取締役管理部長が口頭で「厳重注意」を伝えた。井川は2年前の優勝時にも翌日の登板を控えていたことから祝勝会を欠席。今回は意図的ではなかったものの、エースの胴上げ不参加は今後に大きな波紋を広げそうだ」(読売新聞)というのを見つけた。それで、ああ、自分が寝込んでいる間に阪神タイガースが優勝したのだな、と理解した。
 野球にも阪神にも全く無関心なので、また井川なんて投手についても名前しか知らないのだが、2年前にも祝勝会をサボり、今回もパレードをさぼったというのは、これは故意にサボろうサボろうと画策するというより、そういうお祭りみたいなものが余り好きではない人なのではないか、と思った。みんながわあきゃあと騒いでいるとき、非常に醒めてしまって空しい気持ちになる人間、というのはいるものである。私なども実はちょっとそういう気がある。
 どうも最近の日本人は、こないだの選挙もそうだし、スポーツイベントもそうだし、まあ欲求不満ということだろうけれどお祭り騒ぎを求めているようなところがある。公然とわあきゃあと騒げる場を求めているという気がする。それにのるのが嫌いな人間は無粋というか分からないやつというか、敬遠されるものである。
 しかしどんな祭りでも、冷静に見守っている進行係とか警察とかがいてルールを見守っている必要はあり、またどんな祭りだって祭りに参加しない傍観者とか、まるで祭りに興味のない門外漢が存在しないと実際には一億総参加してしまっては祭りではなくてただのヒステリーになってしまう。そこまでいくと、もはや核爆弾を投下されるまで目が覚めなかったりするのである。
 プロの野球選手であるから、ああいうものに参加するのも一種の義務だし、サボるのは問題だ、というのは一応の理屈として分かるが、しかしなにかああいう幼稚な乱痴気につきあいたくない、かかわりたくない、というひねくれた感じも分からないではない。
 今年は道頓堀に飛び込んだ人はたくさんいたのか、いないのか。ああいうのも、やっている人らは得意の絶頂なんだろうが、どうでもいい人間には馬鹿とすら思えない、太宰治が言うところの他人の気を引くための「お道化」である。
 近頃やたらとエアガンを発砲してみたり、その他、あれこれ凶悪ぶった犯罪を2、30代ぐらいの「無職」という人が競ってやっているが、あまりにみんなが同工の犯罪を生産するので結局、目立たなくなってしまっている。今、酒鬼薔薇少年Aみたいなのが同じような犯罪をやっても、ああまたか、といって2,3日報道されて、次のニュースに流れてしまうだろう。祭りの中では、ん感覚が麻痺して、誰が何をしていてもどうでもよくなる。
 私は、盆踊りだの、そのへんのお祭りは嫌いじゃないが、ああいう様式美で運行されているものは全く嫌いじゃないが、裸祭りとか男祭りとか、ああいうのになるとすでに拒絶的であって、なにをすごんでくだらないことをやっているのか、つまらない人間ばかりのくせにと思ってしまう。そして、それを超えた「お祭り騒ぎ」となるととんと白けて引いてしまうタチである。
 自分自身が祭りの主催者なら、まあいいんですがね。

2005年9月28日(水)
 風邪をひいた、と書いたがかなり思わしくなく、今日は会社を休んで寝込んでおります。熱は大したことはなく、あっても7度1分ほどですが、なんとも困ったもので・・・。
 だからニュースも見ていないし、PCも今、見たばかりだし。なんでも「北九州市小倉北区の監禁・連続殺人事件で、7件の殺人罪などに問われた松永太(44)、緒方純子(43)両被告の判決公判が28日、福岡地裁小倉支部で開かれた。若宮利信裁判長は「犯罪史上、まれに見る凶悪事件で、残酷、非道で血も涙も感じられない」と述べ、両被告に求刑通り死刑を言い渡した」なんてのを見つけましたが、あの事件、2003年の春に発覚したんだったと思うから、今頃一審判決なのか、というのが率直な感想。
 こういう事件の「裁判員」になっちまったら大変だと思いませんか。
 ◇   ◇   ◇
 ドイツじゃいまだに首相が決まらないようですが。なんの報道もないからそうなんですよね? 結局、シュレーダー首相の「改革路線」というのが国民から駄目だしされたんだけどメルケル党首もあまり信用されていない。それであのぐらいのどっちつかずの結果になったんだろうが、ドイツの有権者の感覚からすれば、かえって納得がいくのじゃなかろうか。そんなに白黒はっきりつけて負けたほうは斬り捨て、という単純なことは選挙であってもいけないんだよ、というのがあの国の重要な、ナチス時代からの教訓であるだろうと思う。
 ◇   ◇   ◇
 寝込んでいて、仕方がないからなんとなく太宰治の「如是我聞」を読み、志賀直哉の悪口ばかり書いてあるので・・・たとえば「暗夜行路なんて、どこが暗夜なんだ」といった悪態に釣られて、その志賀の「暗夜行路」を読み返し、一方で志賀がけなしたという「斜陽」やら「人間失格」を読み返し・・・どっちもどっちな人たちだな、と思う。志賀の主人公は潔癖というよりは、太宰が言うように強がっていて無神経で、自分の気分がいいの悪いのばかり気にしている人物といえば言えるし、一方の太宰の人物たち、特に人間失格など、つくりものだからよくないというような志賀の指摘は当たらないように思うが、しかしなんだか自意識過剰で、しかも一人称の文体だからますます信用できず、「自分はいつでもお茶目で人気者であったけれど誰からも信用がない」とかなんとかいいつつ、本当は周囲のものから「あいつは表面的な茶目ばかりで嫌なヤツだ」ととっくにばればれだったとしか思えない気がしてどうもついていけない。そもそも大抵の子供は小さいうちは大人の気を引くのに茶目で「成功」するのである。そのへんのスーパーや電車の中で奇声を発している子供なんてほとんど携帯メールに夢中な親の気を引こうとしているやつらばかりである。
 はっきりいえば、どっちも嫌なヤツである。そして、どっちも真面目に労働しないで暮らしていけている特殊な人たちのお話ばかりである。今時の若い作家の作品にもそういうのが多いが・・・そもそも10代ぐらいの年少作家が書きうるのは学生でしかない。学生が殺人しようがセックスしようが銃を放とうが、現実問題としてそれ自体に驚きなどない。驚いていられる文学者というものの感性を疑う。
 そして、なんで文学作品というと、自分とは無関係なような人物ばかり出てくるのだろうか、としばしば思う。
 自分に微熱があったりすると・・・どうもこういう作家たちの描く自我とか言うのが程度の低い邪魔なものにしか思えない。

2005年9月27日(火)
「(民主党代表の)前原氏は26日、「(与党に)白紙委任した結果、増税の話が出てきた。国民の皆さんも(郵政)法案の賛否だけで投票すると、こういうことが後から出てくることを是非理解していただきたい」と述べた」(読売新聞)そうである。その通りであると思う。まことに、ぜひ理解して頂きたいものだ。もっとも今になって「あそこまで勝たせる必要はなかった」なんて声があちこちで出ている。遅すぎるというのである。
 ようやくクール・ビズの季節が終わって結構である。あれは明らかに小泉改革のユニフォームとして機能した。中曽根元首相は「あのシャツ姿がいかにも抵抗勢力と戦う戦闘服に見えて、好感を得たのだろう」と看破していたが、その通りであろう。
 あの夏場は軽装で、という発想自体はまったく問題ないし異論もない。だが、私はこの夏は徹底してネクタイを締めてみた。結局、本来的な意味とは違って、政治的な立場の表明になってしまった面は否定できない。あれが出てきたときに、「一種の制服の押しつけである」と私は書いた。それに対してある人から「しかし今までのサラリーマンスタイルこそ制服で、夏場はそれの選択肢を増やした、ということではないでしょうか」という冷静な反論があった。もちろん、一般的な意味づけではその人の言うとおりなのである。だが、私はその後の展開・・・クールビズ=改革派というのが予見できたから、気に入らなかったのである。
 シャツ姿は制服じゃない、という人にはよいことを教えよう。ナチスドイツといえば、カーキ色の制服が有名である。しかし、一時期、政府から公然活動が禁止されて、制服着用まで禁止されたことがある。このときナチス党はどうしたか。
 夏場でもあったので、なんと全員が「白い普通のワイシャツ」を着る、という通達を出したのである。で、白一色の集団が町を練り歩くとき、完全に制服効果を生んだのである。要するにみんなが同じ格好をすること自体の効果をナチスは熟知していた。制服そのものの格好良さへのこだわりもあったに相違ないが、しかし、白ワイシャツでも同じ効果は生み出せる、ということである。
 クール・ビズの話を聞いたとき、胡散臭さを感じた理由というのは、私がそのようなナチスの「故事」を知っていたからにほかならない。
 どこらへんまで意図があったか知らないが、もしクール・ビズという話がなければ、私はあんなに小泉流=ナチス流とはしつこく書かなかったであろう。
 とにかく私など風邪まで引いた。秋風が肌寒い。いい加減に自分の判断で軽装をやめてはどうか、皆さん。9月いっぱいはクール・ビズ、といった機械的な発想が一番いけないのである。暑いと思えば脱ぐ、寒いと思えば着る。偉い人に指示されるべき問題ではない。自分の服装ぐらい自分で考えましょう。
 ◇  ◇  ◇
 カトリーナ、リタと被害が続いたアメリカで、1か月もたって日本人女性の死者が確認されたという。また、一部報道で、あの周辺にあった「軍用イルカ」の訓練所が壊れ、テロリストを毒矢で襲撃する訓練をされたイルカが逃げ出した、という話がある。
 なにかと頭のいいイルカや鯨といって持ち上げるアメリカ人だが、軍用に使うことには抵抗はないようである。前から掃海などにイルカは使っていたようだが、前に米駆逐艦が自爆ボートで攻撃されてからは、艦艇警備にイルカを用いているそうである。
 よく考えるものだが・・・。
 ◇  ◇  ◇
 フランス・ルーブル美術館のランスにできる予定の分館の設計が日本人建築家に決まったという。この設計事務所SANAAは、これまでコンペだけで数々の仕事をもぎとってきた実力派だそうである。コンぺで勝ち抜けるというのはすごいことである。
 それで思い出す。大正時代の作家で今では忘れられている島清(清次郎)という人がいる。この人の書いた小説「地上」は50万部も売れて大正時代最大のベストセラーである。この人のデビューというのが、いきなり原稿用紙1000枚も書いた「地上」を、評論家の生田長江に持ち込み、無理矢理読ませたのだと言うから驚く。しかし、長江はその厚かましさに驚きつつ内容にも興味を示し、出版化に尽力、初版は印税無し、という条件で新潮社から出させたところ、意外な大ヒットとなった。このとき、島は20歳であった。
 こうしてみると、今、10代20代の新人作家という話題があるが、昔からこういう話題の作り方はあったということである。しかも島の場合、コンペで勝ち抜いたわけでもない。
 ただ、島清は成功に浮かれてその後、身を持ち崩し、5年後には精神を病み、31歳で亡くなっている。また、彼の作品も今では忘れられている。
 彼が発病寸前に書いた5作目は「我、世に勝てり」という奢ったものだった。

「よくないのは、彼を喰ひ物にした本屋だ。初めに、島田清次郎は奇才だ、天才だなどと罪なお太鼓を叩いた奴があったのをよいことにして、売れるべきものでないのを、誇大なこけおどしの広告でもつて売り広めてもうけた奴だ。元々清次郎は馬鹿なのだから、可哀さうにそれを真にうけて、ほんたうに自分が天才だと思ひ込んでしまったのだ。それで、とう/\、この始末だ」・・・これは当時の文芸春秋に載った斎藤龍の弔辞であるが、今時の若い作家はもっとクールだろうと思うけれど、なかなか出版界というものの問題を痛烈に突いている。

 話題になればそれでいい、という風潮が恐ろしいのは、先の選挙の結果と通底することだ。

 
 来月、新宿の紀伊国屋サザンシアターで地上会という劇団が「島清、世に敗れたり」という芝居をかける、という話を見聞きして、思い出したまでである。


2005年9月26日(月)
万博も終わって、すごしやすい気候になりましたね・・・とさわやかに言い交わすヒトを多く見かけましたが、私は室温30度の生活に適応しすぎて、急激に低下した温度に対応できずに風邪を引いてしまいました・・・。のどが痛くてたまりません。25度でも寒く感じます。
 それで、私は風邪薬としてパブロンNというのを愛用しております。もうかれこれ、20年近く飲み続けていますが、その後、いろいろ見聞きするうちに、同じ大正製薬のパブロンシリーズ、どの薬もそんなに内要成分に大きな違いはない、ということは知識として知っておりました。
 ただ、こういうものは、一度飲んでよくきいた、という信頼感が重要です。同じパブロンのゴールドを飲んだときは、なんだかあまり効かなかったのを覚えております。
 とにかく自分個人ではパブロンNで実績があるので、できるだけこれじゃないと駄目なわけです。
 が、昨日、薬が切れたのでいくつかの薬局を回ってみましたが・・・量販店内の薬局で「うちはNはありません」と言われました。次に大手スーパーYの薬局、ここも「ありません」の一言。三件目、大手スーパーDの薬局で「うちはおいてないですね」。最後に、同じ大手スーパー内の専門店街にある薬局でやっと納得のいく説明を得ました。「パブロンNはまだ製造されているんですが、実はほぼ同じ成分でしかも改良されたパブロン・エースという新製品があり、大正では今、これをお薦めしています。成分的にも、この表のように基本的には同じもので、さらに・・・」と丁寧な説明をいただきました。
 というわけで、この四件目で私がパブロン・エースを買ったのはいうまでもありません。ほかの売り場じゃ、ごく機械的に質問にたいして「あります」か「ありません」しか返答しない。最後のお店の人はプロフェッショナルとして説明をしてくれました。今後、私が薬を買うときにはここを信頼するのも言うまでもありません。
 その後、夜のテレビを見ていて、スーパーマーケットの革新、というテーマで大手スーパーYを取り上げているスペシャル番組を見ました。これからはお客は安かろう、悪かろうでは絶対に買わない、商品も高級化しないと、という話でした。
 それはそれで間違いじゃなかろう、と思いましたが、たんに高級化すると、百貨店とスーパーの差はなくなります。それに、Yの薬局の対応を見て、高級化もさることながら、きちんと説明できるような店員を配置してほしい、と痛切に思いましたね。それでなくともYは合理的すぎて、それがこれまで強みなんだろうけれど、ちょっとでも売れ行きの悪いものはすぐに引っ込めてしまう。そういう冷たさを感じるのである。
 アメリカじゃまたハリケーンで、またまたほったらかしになっているとか。消防も警察も民営化でみんな逃げてしまっているので、火事がでようが堤防が切れようが誰も何もしてくれないそうです。さすがにアメリカでも、「この国ってなに」という疑問は出ているらしいですね。
 こういう弱肉強食時代、生き残るには、高級化もけっこうですが、プロフェッショナルな店員の対応、なんてことが重要だと思いまずが、Yさん。

2005年9月23日(金)
どうしても政治ネタや経済ネタに筆が向かうがいたしかたあるまい、今のそういった[改革」というのは結局、お互いの生活に実際に影響が及ぶのだから、「政治には無関心です」なんて言っておれる暢気な人はどこか頭がおかしいとしか思えない。
 今日などは「小泉純一郎首相は22日夜、首相公邸での与党幹部との夕食会で、与党として議員年金について現行制度見直し案の取りまとめを早急に検討するよう指示した。また、被用者年金の一元化をぜひやりたい。自公両党で早速、どういう段取りでやるか取り掛かりたい、と述べ、厚生年金と共済年金の一元化に向けた具体策の検討を始めるよう求めた」(共同通信)という話である。このように、あの政権は、またあの首相は、しばしば指示をするし話題にはするのだけど、それからしばらくたつと何も進んでいなかったり、骨抜きになっていたりすることが多いのである。なにかこういう初報を見て、ああ、順調に進んでいるなと思って安心してしまうと、1、2年たってぜんぜん進んでいない、かえって後退した様な案がどこかの省とか、どこかの諮問会議の案として出てきて、それでしゃんしゃん与党内で手打ちして閣議決定してしまう、ということになりやすい。アスベストの話など何年ほったらかしになっていたことか。
 どうかみなさん、一過性の政治フィーバーではなくて、特にあれだけ熱心に首相を支持した人ほど、よく監視していただきたいと思うのである。改革をやらせるために支持したのであると思う。先日の選挙というのも、冷静に言えば、小泉さんじゃ口先ばかり威勢がいいだけで、あれ以上できまい、と思った人が反対票をいれ、いいや最後のチャンスを与えてやらせてやろう、と思った人が支持したのであると思う。これは要するに、ちゃんと物事が進展すれば反対派、私みたいなものも基本的に文句はないのだから、しっかりやってもらいたい。なんかこう、私みたいなものが新聞の社説風に要望を書いても空しいことだが、別になんでもかんでも反対だの気に入らないだの、というつもりもない。ただ懐疑的である、ということである。しかし懐疑的であることは悪いことではない。「神風が吹く、吹く」と素朴に信仰したまま敗戦まで冷静になれなかった60年前の日本人より進歩した点があるとすれば、そういうことであろう。ただお題目のように小泉さんならなんとかしてくれる、と唱えていても意味はないということである。あの人に何をやらせたいのか、と国民も主権者だというならよく考えるべきである。
 昨日、たまたまテレビでプロレスラーの天龍さんなんかが出演する番組を見た。ゲストの女性タレントが「素朴な質問ですが、なんで敵のチョップをよけないでレスラーの人は身体で受け止めるんですか」と聞いた。天龍さんの返答は「そこで逃げると、次以後の試合で相手に勝てない気がする」という。ああ、なるほど、と思った。思い出したのは戦時中の日本海軍のエースパイロット、「大空のサムライ」こと坂井三郎氏の言葉である。「野球や相撲、将棋などの達人の真剣勝負というものも、しょせん、実戦を戦うパイロットから見ると本当の命がけの勝負ではない。なぜなら彼らには次がある。負けても次の試合があるから、それを考えて行動する。実戦では同じ相手とは生涯に一回しか戦いはなく、そこで負ければ死ぬので、次はない。卑怯でもずるくても、どんな手を使っても生き残ったほうが勝ちで、一度の勝負に負けた者には次はない」というようなものである。そりゃそうだ、空中戦の最中に、敵の攻撃をわざと身体を張って受け止めて「次の試合での精神的優位」など考えていては撃墜されてしまう。相手がリングに上がってガウンを脱いでいる間にでも殴り倒してしまうのが戦争である。レフリーもいないしルールもない。勝てば相手は死ぬんで抗議もされない。小泉さんが前に「政治なんて戦国時代に比べれば生っちょろい、命をとられるわけじゃないんだ」と言いはなったそうだが、それは上のような意味では正解である。しかし、そんな心境ではなんでも模擬戦か試合になってしまう。本当に実戦の真剣勝負をやってもらいたい。
 だからぜひ、「死んでもいいんだ」という言葉どおり、次はない白刃の真剣勝負のつもりでやってもらいたい。出来ない場合? ぜひ本当に死んで詫びてもらいたい。
 ◇  ◇   ◇
 増税の話題やら、公務員の賃下げやらの話題で思い出すんだが、私個人も社内の異動で大幅な減収を経験したことがある。もちろん失職経験のある人などからは「なにを生ちょろい」とそれこそご批判を蒙るだろうが、人間、自分の経験をベースしないと何事も語れないのでご容赦願う。で、私は外交的な職場から、日勤の事務職に移ったときに、月収の3割ほどダウンした。あれはやはりこたえた。会社を辞めたいとずっと思っていましたね。気にしない振りをしていても、ほかの人が羨ましくて、会社が恨めしくて、ずっと士気が低いままだった。また、現在の制度だと前の年の収入に対する税金が翌年にかかるから、ものすごくきつい(見直しの動きがあるそうだが)。給与明細が一挙に・・・まあぶっちゃけていえば手取りが14,5万円も下がれば誰でも茫然自失となるだろう。独身だったからされですんだが、所帯持ちの今だととても家族に申し訳が立たない。その後、数回の異動をへて、いくらか身分も上がって、今は社内でもそこそこの待遇になってはいるが、また来年あたりはうちの社内でも手当て、給与水準の見直しがあるということで労組でいろいろ揉めている。かつて、15年ほど前だと6000人だかいたという組合員も今や2000人を切ったという。それだけ過酷なリストラもしたわけだ。
 簡単に「覚悟が出来ている」という人もいるが、本当に減収になるとほとほと生きているのが嫌になる。
 今日はソニーで1万人のリストラなんて言っている。ほんの4,5年前には大学生の人気企業調査のトップ常連だった。ダイエーだって、15,6年前の私の学生時代には飛ぶ鳥落とす大企業だった。ちょっと収益率は悪いが巨大戦艦、不沈艦だと見られていた。山一證券なんて垂涎の的だった。ここが破綻したとき、高級どりの社員の奥さんが発したという間抜けな一言を思い出す。「え、倒産? 困ったわ、じゃあテニススクールとカルチャーセンターはやめなければ」まるで太宰治の小説にでも出てきそうな話だ。子供を公立に転校させ、自分もパートで働きに出るような現実的な発想にはなかなかなれんものらしい。
 竹中大臣は今日も「景気は回復基調」と仰る。しかし、個々のにんげんに待っているのは賃下げと増税、おまけにインフレへの方向である。
 覚悟というなら相当の覚悟を要する。


2005年9月22日(木)
歳出削減というのがやっと議題になってきたようだ。増税は決定的なのだから、それは当然そうでないと困るのである。というか、遅すぎるのである。いつも順番が違うのが気に入らないのであるが・・・。
 読売新聞には「第3次小泉内閣の重要な政策課題となる公務員の人件費削減問題で、経済財政諮問会議(議長・小泉首相)の奥田碩・日本経団連会長ら民間議員4人は21日、総人件費削減に向けた数値目標を設けるよう提案する方針を固めた。27日に開く予定の諮問会議で提言する方向だ。・・・公務員の総人件費は「定員数」と「1人平均給与」を掛け合わせて算出される。政府は、定員については「純減目標」を掲げる方針を決めているが、総人件費全体についての数値目標は未定だった。・・・国家公務員の給与水準の引き下げに向けた具体策として、〈1〉国家公務員の給与水準を民間との比較をもとに勧告する人事院に対し、官民の比較対象としている民間企業の対象範囲の見直しを求める〈2〉公務員の給与体系や昇進制度も見直す〈3〉人事院が国家公務員の給与を判断する際に、国の財政事情も考慮に入れることを求める――などを提言する考えだ。2005年度予算の人件費は、国家公務員が5兆4410億円、地方公務員が22兆7240億円に上る。地方公務員の給与は国家公務員にならって決められる例が多いため、民間議員は、地方公務員の給与の抑制にもつながると見ている」とのことである。
 民主党の選挙のときのマニフェストの最大眼目は「国家公務員のリストラ」であった。そして「官僚丸投げが多い小泉政権では結局、踏み込めない」と主張した。それに対して「民主党は労組がバックなので、お前らだってなにもできないはず」と与党側は切り返したわけである。
 で、結果として政権与党が勝利したわけだが、かくなるうえは300議席の権威でもって公務員の賃下げをするしかない、という話にだけはようやくなってきたようである。
 これについては、大いに国民は注目するべきである。
 私個人としては、小泉さんが政権に就いた4年前にこれを言い出してくれれば、私の彼に対する評点は大いに上がっていただろうと思う。とにかく、族議員を成敗したところで実は大した変化はない。日本の国家体制の基盤は官僚だからである。
 本当にしかし、思いきったことができるかどうか、それに対して官僚側がまた、いつものように表面的には従順な振りをしつつ、優秀な頭脳を振り絞って抜け道を探ることを続けるのではないか・・・ここをよくよく見ていないといけない。
 試みにグーグルなどで「公務員、賃下げ」の二語で検索すると、なんと私のブログの記事が二番目に出てくる。で、2万以上も検出する中で、増税よりも前に公務員のリストラを先にやれ、という意見で出てくるのは私のも含めて数えるばかりである。ほかはほとんどみんな左翼政党系の、公務員の賃下げを許すな、という主張である。
 私は選挙期間中に明らかに与党を否定する態度であったが、かといって左翼政党と「共闘」もできないと書き続けたのは、基本的には改革の方向そのものを否定していないからである。公務員天国なんてものは破壊すべきだという小泉さんの主張そのものには賛成であるからである。
 中央政府の司令塔機能をなくしなんでも自由競争に委ねなさい、というのは、それはなるほどアメリカの構造改革要求の一つの柱でもあろう。ただ、日本の中央政府の官僚と政治家は、自分らはアメリカ政府の代理人であるから、という事実に胡坐をかいて、まあせいぜい郵政民営化ぐらいでごまかして、自分らの不利益だけは避けてきたという側面は否定できない。小泉さんが「郵政改革はその他の改革の突破口」と言って票を集めてしまった以上、そこも手をつけるというのが本当であるなら、そのことは慶賀である。アメリカの言うことをきいてここまで政権維持してきた自民党政府なのである、言うことを聞くならとことん、きいて小さな政府にできるもんならしてもらいたい。
 ただ、これまでの四年間、小泉さんの政権は表面的に改革のポーズをとるばかりで実際には官僚に丸め込まれてきたのも一方の事実である。道路公団のあのザマはそういう結果であった。何度も裏切られた気分があった。
 さてそれで、本当に小泉さんはかかるリストラが出来るのかどうか。お手並み拝見である。これができれば、たとえば東大法学部を出た人が公務員試験を受けなくなるかもしれない。それでよい、という方向付けなのである。
 さらにいえば、公務員の賃下げやリストラをするなら、首相以下閣僚や国会議員も当然ながらリストラすべきである。重役が役員報酬を下げないままで一般社員のリストラなどするべきものではない。
 手厚い年金も官舎も公用車も、可能な限りやめてもらうにしくはない。わけの分からない手当ても長い休暇も無用な天下りも一切やめてもらうべきであろう。もはや国民に競争を強いる、という方向は決まってしまったのだろうから、だったら国政を担当するあなた方にも相応の報いがあるべきである。
 ほかにも政府系金融機関、特別会計の問題も谷垣大臣はやる、と言ってはいる。ここが出来ないようだとこの人、次の総理総裁の目はあるまい。
 本当に出来るのか、またスローガンで終わって道路や整備新幹線のようにうやむやに終わる一方で、増税論議だけ進むのか。
 ここが見所であるように思う。



2005年9月22日(木)
歳出削減というのがやっと議題になってきたようだ。読売新聞には「第3次小泉内閣の重要な政策課題となる公務員の人件費削減問題で、経済財政諮問会議(議長・小泉首相)の奥田碩・日本経団連会長ら民間議員4人は21日、総人件費削減に向けた数値目標を設けるよう提案する方針を固めた。27日に開く予定の諮問会議で提言する方向だ。・・・公務員の総人件費は「定員数」と「1人平均給与」を掛け合わせて算出される。政府は、定員については「純減目標」を掲げる方針を決めているが、総人件費全体についての数値目標は未定だった。・・・国家公務員の給与水準の引き下げに向けた具体策として、〈1〉国家公務員の給与水準を民間との比較をもとに勧告する人事院に対し、官民の比較対象としている民間企業の対象範囲の見直しを求める〈2〉公務員の給与体系や昇進制度も見直す〈3〉人事院が国家公務員の給与を判断する際に、国の財政事情も考慮に入れることを求める――などを提言する考えだ。2005年度予算の人件費は、国家公務員が5兆4410億円、地方公務員が22兆7240億円に上る。地方公務員の給与は国家公務員にならって決められる例が多いため、民間議員は、地方公務員の給与の抑制にもつながると見ている」とのことである。
 民主党の選挙のときのマニフェストの最大眼目は「国家公務員のリストラ」であった。そして「官僚丸投げが多い小泉政権では結局、踏み込めない」と主張した。それに対して「民主党は労組がバックなので、お前らだってなにもできないはず」と切り返したわけである。
 で、結果として政権与党が勝利したわけだが、かくなるうえは300議席の権威でもって公務員の賃下げをするしかない、という話にはようやくなってきたようである。
 これについては、大いに国民は注目するべきである。
 私個人としては、小泉さんが政権に就いた4年前にこれを言い出してくれれば、私の彼に対する評点は大いに上がっていただろうと思う。とにかく、族議員を成敗したところで実は大した変化はない。日本の国家体制の基盤は官僚だからである。
 本当にしかし、思いきったことができるかどうか、それに対して官僚側がまた、いつものように表面的には従順な振りをしつつ、優秀な頭脳を振り絞って抜け道を探ることを続けるのではないか・・・ここをよくよく見ていないといけない。
 試みにグーグルなどで「公務員、賃下げ」の二語で検索すると、なんと私のブログの記事が二番目に出てくる。で、2万以上も検出する中で、増税よりも前に公務員のリストラを先にやれ、という意見で出てくるのは私のも含めて数えるばかりである。ほかはほとんどみんな左翼政党系の、公務員の賃下げを許すな、という主張である。
 私は選挙期間中に明らかに与党を否定する態度であったが、かといって左翼政党と「共闘」もできないと書き続けたのは、基本的には改革の方向そのものを否定していないからである。公務員天国なんてものは破壊すべきだという小泉さんの主張そのものには賛成であるからである。
 ただ、これまでの四年間、小泉さんの政権は表面的に改革のポーズをとるばかりで実際には官僚に丸め込まれてきたのも一方の事実である。道路公団のあのザマはそういう結果であった。何度も裏切られた気分があった。
 さてそれで、本当に小泉さんはかかるリストラが出来るのかどうか。お手並み拝見である。これができれば、たとえば東大法学部を出た人が公務員試験を受けなくなるかもしれない。それでよい、という方向付けなのである。
 さらにいえば、公務員の賃下げやリストラをするなら、首相以下閣僚や国会議員も当然ながらリストラすべきである。重役が役員報酬を下げないままで一般社員のリストラなどするべきものではない。





2005年9月21日(水)
昨日は東京駅の八重洲口地下に最近出来た「キッチンストリート」に行ってみた。このへんは以前は老舗の飲食店が軒を連ねていて、私は「リッチモンド」という洋食店が贔屓だった。月に一回はわざわざ大手町からここまで通っていたもんだが・・・渋くて大人向けという感じのデミグラス・ソースと、澄んだセロリのスープが絶品だった。残念ながら、新しいその「ストリート」の展開にあわせて、リッチモンドは撤退してしまったらしい。
 それで、新たに出来たところを今は一軒ずつ偵察中なのであるが、確かに店の数は増えたしいわゆる有名ブランドも多いので、その意味では華やかになったけれど、実際の味のほうはいかがであるか、とガラにもなくグルメ探偵気取りで試して歩いている。
 とはいえ、夜勤の日は行けない訳だし、毎度毎度、ご馳走を食っていては腹も財布も持たないので、なかなかペースは上がらない。
 ここまでで、よかったな、と思ったのは仙台から進出した牛タン屋と、すし屋「魚がし」である。まあ魚がしはチェーンなのではじめから察しはついた。銀座辺りにある高いだけでネタが消毒臭い有名店よりなんぼか上である。あとは、甘味と軽食を食わせる店もよい。まあまあだけどいまひとつ物足りないのが、都内の有名店の監修するパスタ専門店と丼専門店である。いずれも、著名なオーナーシェフの名前で監修したレトルト食品が飛ぶように売れている人気の店だが、こちらは実際に食べてみて、まあ可もなく不可もない。過剰に期待しすぎたのかもしれないが、率直に言ってそれぞれのレトルトのほうが美味いかもしれない、と思う。
 それで、昨日行ってみたのは「ビーモン」というステーキ専門店である。ストリートの一番奥にあり、ちょっと場所としては損をしているかもしれない。ステーキのグラム売りという、欧米式の売り方でランチ以外にはセットメニューじゃないのも、一般にはとっつきづらいかもしれない。が、ここの黒毛和牛は確かに美味いですね。並みの等級のリブロースを180グラムほど食って3000円以上したが、それは決してお安くもないが、しかしそのぐらい出して高いとも思わない。それだけ満足なお味、ということである。野菜の焼き物もえもいわれぬ美味さである。
 ほかのお客と言うと、どうも羽振りのよさそうなビジネスマンの一団が豪勢に肉を食らっていたので、ああいう社用とか、接待用の客のほうが多いかもしれないが、たとえば月に一回ステーキでも、なんて思ったときにつまらない焼肉屋なんかにいくより、このへんで美味い肉を食ったほうが絶対に宜しい思う。
 アメリカが「日本が牛肉輸入を再開してくれないなら、アメリカも日本の牛を買わない」と言っているようだが、言わせておけばよい。日本の美味い肉を食えないで損をするのはアメリカ人であって、こちとらからすれば、あんな消し炭か丸太んぼうみたいなアメリカンビーフの味もそっけもない焼肉などとくに食いたいとも思わない。幸いにして、私は牛丼の味に洗脳もされていない(牛丼業界の人には申し訳ないが)。要するに未来永劫アメリカンビーフなど食わなくても困りはしない。
 すぐにアメリカの顔色がどうのこうの、と言う人がいるが、はっきりいってこのぐらいのことで騒ぐんじゃない、といいたい(繰り返すが外食産業の人には無神経な言い方なのは承知しているが)。全体の輸出入の中のどれだけの割合でもあるまい。アメリカが気にしているのは目下、なんといっても中国である。日本は自衛隊をイラクに貼り付けている限り、当面は涼しい顔をしておればよい。
 ◇   ◇    ◇
 ところで、昨日はビーモンに行った帰り、八重洲ブックセンターでまた出来心で4冊ほど新書を買い込んだ。午後は割と仕事が暇だったため(会社の人はここ、読まないでください)かなり読みふけったのだが、いずれも面白かった。
 というので、ここまでのグルメガイドから、一転して今日は書籍ガイドになるのである。
まず、例のアマゾンで販売ボイコットしていると言って話題になった「拒否できない日本」(関岡英之・文春新書)を買ってみた。今まで立ち読みしていたが、こうなってみると案外に消えてしまうかも、と思い買ったのである。著者は銀行マンから建築家になった変わった経歴の人だが、その建築業界で進んでいるアメリカ主導のスタンダード化・・・つまりアメリカ式の基準に合わない日本の建築士資格などが無効になる、ということ・・・から筆を起こして、ありとあらゆることでアメリカが中国あたりを脅しすかしつつ、スタンダードを広げている様を描写している。そしてプラザ合意、日米構造協議以後の米のやり口、ことに日本への「年次改革要望書」を紹介しているのだが、とにかく素朴な自由主義と素朴なアメリカへの親近感を抱いている人は、少なくとも本書を一回は読んで、反発するにしても嫌うにしても、内容を理解してみるといいと思う。そのうえで、それでもアメリカについていきます、ほかにどうしようもないじゃありませんか、というのが小泉さんや竹中さんであり、彼らを支持する場合は最低の前提として、アメリカの日本支配の方法を知った上で、なお支持する、理解する、ということであってもらいたい。私は、そういう人の考え方なら理解する。今時、素朴に「アメリカ中心の自由主義」なんてものを信仰している人は理解できない。もしくはよくよく実態を知った上で、他人を騙そうとして無知な人に付け込む言説を流す者は激しく軽蔑する。ただ筆者は、日本がどんなに得点稼ぎをしてゴマをすってもアメリカの政権は日本など重視していない、と看破する。民主党も共和党も本質的には日本を利用しようと思うだけで差はない、とも。実に正しい見方であると思う。
 それから「1985年」(吉崎達彦・新潮新書)も面白かった。私にとって1985年は大学一年当時である。この年は実はなかなかターニングポイントであった、というのは確かに実感としてある。ちょうど今から20年前である。この年にプラザ合意、ゴルバチョフ登場、阪神優勝、つくば科学博、電電公社の民営化、日航機墜落、ワープロとCDの普及、スーパーマリオの流行、金曜日の妻たち、8時だよ!全員集合の打ちきり・・・などがあったという。この時期から、世界的には冷戦終結とアメリカの一人勝ちの時代が始まり、その後のバブルと経済敗戦、ニューメディアから現在のITデジタル時代への道、そして文化の凡庸化と拡散化が進んできたというのはその通りかもしれない。ここから10年後の1995年、阪神震災とオウム事件をひとつの激震点として、日本は下り坂を下り続けているかもしれない。このころはヒット曲もヒットドラマも多かった。誰でも知っている曲がなくなるのが90年代である。あのころ、大学生協に行くと高そうな思想書が山のように積んであったが、今では雑誌ばかり目に付く、駅前の普通の本屋さんと変わりない。あのへんから日本人の気質が変わってきたのだろうとは思うのである。
 「あの戦争は何だったのか」(保阪正康・新潮新書)も面白い。戦史に詳しい人にはそんなに目新しいこともないかもしれないが、戦争を通じて「日本人の国民的性格」をあぶりだそうという本書のような研究がいちばん、意味があることなのである。筆者は、戦争体験者の体験を「語り継ぐ」試みも否定はしないにしても、もっと「私的な体験を普遍化していかに歴史の流れに重ね合わせることが出来るか、それで初めて知的な行為となりうる。戦争体験を語ることと戦争を知ることとは全く違う」と指摘する。
 そして、この国民の「国民性」である・・・「現実を冷静に見ないで、願望や期待をすぐに事実に置き換えてしまう」弱い国民性である。保阪氏が先の総選挙について、小泉フィーバーのような展開に憂慮を示したのも、「郵政民営化で世の中なんでもよくなる」というあの単純なキャッチフレーズが「願望や期待」にすぐ飛びつく日本の国民性を呼び起こしている様に嫌悪感と懸念を感じたのではないかと思う。私も全く同様の感覚を覚えた。
 最後に「江戸300年普通の武士はこう生きた」(八幡和郎、臼井喜法・KKベストセラーズ)これまた無類に面白い。いわゆる武士道として新渡戸稲造が宣伝したようなものは、実態としては江戸時代の武士にはなかったのだ、という指摘が痛快である。歴史ドラマに出てくるのは新撰組とか薩長の大藩の武士とかで、「普通の武士」ではない、というのは目からうろこだが、その通りであろう。たとえば今から100年ほどたって、西暦2000年ごろの典型的なニホンジンとしてIT企業の社長とニートの若者が取り上げられるというのは大いにありそうなことだが、多くの人から見て多数派の実態ではない。妙に江戸時代を持ち上げて称揚する人も多いが、そういうのも一種の幻想だ、という指摘も随所に見られる。
 ◇  ◇   ◇
 先日の読売新聞か何かで、「テレビの視聴時間が長い人ほど、現政権を支持する傾向が強い」とあった。知らず知らずのうちに、政府側の意見ばかり聞くうちに、それと違った見方を全然出来なくなっていく人が多いのだろう。
 たまには本でも読んでもらいたいものだが、そういう人は一生の間にひとつも読書などしないもので、誰か識者に解説してもらって分かった気になるものである。

2005年9月20日(火)
ああ、なんかこう・・・夏の疲れが出てくる頃ですかね。しんどいというか、眠いと言いますか。
 ところで、今日は早い出社だったのですが、6か国協議で進展があったとかいって騒いでおりました。しかし騒ぐ横から「あやしい、あやしい」という解説が必ず出てくる展開の模様。このへんについてはもういろいろ言われておりますが、要するに追いつめられている北朝鮮にしても、それからカトリーナにイラクにイランに、ことごとくうまくいっていないアメリカの政権としても、さらにいえば毎度毎度、うまくまとまられないのではメンツにかかわる北朝鮮の事実上の宗主国・中国としても決裂だけはまずかった、ということは確かにあるんでしょう。いちおう、米朝も国交正常化をにらんでいきます、それから軽水炉の提供も議題に載せます、というような部分はそれだけ読むとかなりつっこんだ内容にも読めるが、専門家によればいつまで、どういうふうにという具体的な合意ではないので、作文みたいなものだともいう。
 またぞろ、国交正常化だ、仲良くしましょうの、支援をしましょうのなんのと、キャンペーンが始まるのかも知れないが、拉致問題のほうの進展がまったくないままでは、実際にはどうにもなるまい。
 ◇   ◇    ◇
 今日はほかには中内さんの訃報と、前民主党K議員の麻薬で逮捕の件ばかりだ。議員については、あんな話は前代未聞だ。あんな者に11万票も託した選挙民が浮かばれまい。しかし落選していたのは唯一の幸いだったか。
 あんな者にも年間3000万円以上の歳費とか調査費とか税金から出ているのである。
 また、中内さんについては・・・功成り名遂げたあげく、かわいそうな晩年だった。とにかく功績も大きい人で、フィリピンでの地獄の戦場体験・・・切り込み突撃の際、手榴弾による裂傷を自分で軍刀で裂いて破片を取り出したとか、ウジ虫のおかげで腐った肉がうまく食われて、おかげで手足を切断しないですんだ、とか大変な経験をしてきたヒトである。
 あれほどの人でも間違うのである。人生、ちょっとした成功でうかれているわけにはいかない・・・もっとも、私としては一度ぐらい成功したと言って浮かれてみたいもんですが、いや本当に、最後まで幸せでした、なんて話は偉人伝にはかえって少ない。
 ほんの10年ほど前には飛ぶ鳥落とす勢いだった会社だが。私の大学の同級生でも入社した人がいたが、今頃どうしているのだろうか、と思う。いや、そもそも私だってダイエーの内定は持っていたのである、実は。当時は景気が良くて、内定者にはフルコースをごちそうするとか、そんな話だったのを断った覚えがある。あのまま入っていたらどうなっていたかしら、と思うのである。
 今年辺り、一応、企業の採用数は増えて、久しぶりに学生から見て売り手市場というが、あのバブルのころとは違って、優秀なヒトじゃないと要らない、という姿勢が企業に強いだろう。だからそのまま比較になるまいが、目先の「いい会社」がずっといいとは限らない、というのは間違いないことであるから、若い人にはよくお考え頂きたい・・・。

2005年9月19日(月)
 昨日はまた、ほとんど寝てすごした。やる気がないこと甚だしい。あのアホ臭い選挙からまだ一週間しかたっていないが、増税話ばかりやたら具体的に進んでいるらしいから、まあ思った通りではあるが、与党を応援した連中は責任を取って欲しい、という気が早くもしてくるんである。
 民主党はこの間に若い代表と若い執行部を選出した。若くて、現実的な党にしていくんだそうである。まあ、よろしいんじゃなかろうか。やりようによっては強い政党に脱皮するチャンスであるかもしれない。
 なにか過剰に期待する必要もないが、日本から野党というものがなくなってしまうと、本当に選挙なんてやる意味がなくなる。与党に実際に入れた票数は47パーセント余り、実際には半数に達していないのだと聞く。小選挙区制度は死に票の山なのである。民主党の面々は放心状態にいつまでも陥っていてもらっては困る。
 左翼政党の二党だって、今回はがけっぷちからいくらか信任を回復したが、ここまで第一党が強い状況では、埋没を恐れて独自性を、というようなことばかり言っていると、本当に自分たちの10議席ほどを除いて総与党になりかねないのだから、今後はとにかく政策によっては野党共闘ということも積極的に探ってもらいたいものである。

 ドイツの総選挙結果は、与野党共に過半数が取れず政界再編、連立の枠組み変更ということだそうだが、目先のユーロや市場に影響はあるだろうけれど、ドイツ国民としては「政治というのは分かりやすくなくていいんだ」という結果にむしろ満足しているかもしれない。国民が主権者なんだ、と政権担当者に思い知らせるにはいい結果だったからである。どこかの極東の国でも、実は与野党伯仲して、自民党がいくらか僅差で勝利、程度の結果を望んでいる人が事前の調査では多かったようである。制度が違うから比較できないが、ドイツが羨ましい人も多かろう。
 ◇  ◇  ◇
 涼しくなってきましたね、と言われる。その通りなんだろうが、私の部屋は今現在も32度を超えている。相変わらず強い日差しががんがんと照りつけるのである。
 とはいえ、昨日はすでに中秋の名月で、そぞろ歩いて浦安橋をこえ、東京都・葛西まで歩いてみた。といって、本当に私の家から県境を超えて都内に入るには、わずか100メートルほど歩けばよい。
 インフレの兆しが出てきつつある。このあたりの地価もまた上がってくるのであろうか。私はデフレの間、金利安く、消費税も低い間に思い切って家を買ったのだけど、本当にこうなると、小泉さんが首相をやっているあと1年程が、そういうことをするラストチャンスであると思う。4000万円の買い物で、税金が200万円か、400万円か、というのは大変な差であろう。ローンが二、三年伸びるわけである。あるいはその200万円があったらもっと立派な家具が買えたのに、という具合である・・・。
 昨日もポツリと、妻が「増税になったらもう外食なんて出来ないね」といきつけのラーメン屋で言っていた。
 国民は覚悟は出来ている、と評論家は選挙結果を見て言うのである。
 私は覚悟なんて出来ていないね。どうか、覚悟できた人(つまりこの間ふわふわと与党に投票した人)からお金を先行してとってみてはどうだろうか。
 


2005年9月17日(土)
別に商売だからどうでもいいのだが、「衆院選での自民大勝を受け、早くも小泉純一郎首相の人気にあやかった土産物お菓子が再発売された。商品名は「純ちゃんの黒糖改革まんじゅう」。土産物お菓子卸売りの大藤(東京都荒川区)が企画。靖国神社や都内観光地の土産物店で投開票日翌日の12日から販売されている。まんじゅうは12個入り600円。箱の包装紙に「改革の歯車を止めるな!」と書かれている(共同通信)」なんて能天気な話を見かけたのである。靖国神社で売っている、というのも狙いどころなのかもしれない。しかし、この改革、というのがきわめてムード的なキャッチフレーズになってしまっている、ということをよくあらわしているとはいえる。実際にこういう改革をするとこのようになる、ということを理解してのこと、というよりも、幕末の世直し気分、ええじゃないか運動に近い。
 しかし悪い冗談、という感じもなくはない。すでにかつての郵政反対派がみんなそろって賛成派に寝返ったが、一個50円の安い饅頭でも食わされたんだろう。そういう方には腹を下さないことをお祈りするばかりである。
 ◇  ◇  ◇
 昨日の読売新聞で、自衛隊の除隊直前での特別昇進は問題だ、という記事を読んだ。つまり辞める日になって一日だけ、二曹は一曹に、三佐は二佐に、昇進させるのが慣例になっていて、それで退職金やその後の年金が大きくなっているのは問題だ、というのである。ほかの公務員職場でも似たようなことが多く、近頃は是正が進んでいるようだが、自衛隊はまだやっている、ということらしい。
 まあ、今の流れじゃこういわれて仕方あるまい。ただ、自衛隊のためにいえば、軍隊組織じゃ階級というのは単に係長が課長になる、というようなランキングより名誉の部分の度合いが大きいもので、戦前の軍隊でも「営門将軍」なんて言い方があったようだ。つまり、定年まで大佐で連隊長で終わった人が、それまでの功績を認められて定年のその日だけ「一日将軍」に昇進するのである。その日だけ、昨日まで「大佐殿」と呼ばれていたのが、「少将閣下」と呼ばれる。
 軍隊だと、大佐になるかならないか、でその人のステータスが大きく違う。今の自衛隊でも同じだろうが、中佐から大佐になると定年がぐっと延び、また大佐から将軍閣下に上がるとさらにぐっと延びるわけで、大佐になれるというのが企業で言えば部長になること、将軍になるというのは重役になることを意味する。中佐(今の自衛隊なら二佐)で終わる、というのは出世の面ではうまくいかなかった、部長補佐で終わった、ということである。
 営門将軍というのは、退役して部隊の営門を出るときだけ、閣下と呼ばれる実際には大佐どまりの人のことを言うのだった。もちろん、これは特別措置なんで、本当の少将昇進者のように定年は延びない。
 つまりこういう最後の一日だけ名誉昇進、というのは戦前の軍隊からある制度なんであるが、そしてそれは、お金の問題というより軍人としての名誉心の部分のほうが実際には大きいと思うのだが、しかしこういう国中がリストラ、という時代には控えたほうがいいかもしれない。やるなら名前だけ、名誉的にやるのがいいのじゃないか。お金の面では昇進させない、ということにでもしないと昔からの慣例です、では通らないかもしれない。
 9日の日経新聞に、「共済年金の表面上の保険料率は労使合計で現在、国が加入者年収の14.638%、地方が13.738%。会社員の厚生年金(14.288%)とあまり差はないが、老後に受け取る年金は公務員の方が会社員より2割ほど高い。共済は保険料のうち1%程度を上乗せ給付(職域加算)の財源に充てているためだ」というのを見つけて、コピーして取っておいたのだが、なにしろ自民党案でも公務員の年金と一般サラリーマンの年金は統合する、ということのようである。これ、おそらくはっきり言って、公務員の年金を下げるということしかないと思う。
 選挙が終わって一週間もしないうちに、増税の話ばかりすぐにどんどん出ている。思ったとおり、それみたことか、であるが、このように「改革」というか世直しは簡単にできないことばかりであるのに引き換え、増税は簡単に出来ることばかりである。
 ◇   ◇   ◇
「日本最大の書籍販売サイト『アマゾン・ドット・コム』で、ある本の品切れ状態が続い
ている。絶版本や希少本ではない。昨年4月に発売され、今年6月にも9刷となったロ
ングセラーで、版元も大手の『文藝春秋』。ただ、郵政民営化を含めた小泉政権の規制
緩和政策が、なぜ、“米国追従”なのかを種明かしする内容だけに、憶測が飛んでいる」という夕刊フジの記事に昨日、注目したが、世間的にも話題になったであろう。「この本『拒否できない日本』(関岡英之著、文春新書)は、米国政府が毎年10月に日本に提出する「年次改革要望書」の存在を暴く内容。10年来、日本の規制緩和政策が、独占禁止法や郵政民営化、先に成立した会社法など、すべて「要望書」通り実現していく様を描いている」というのであるが、これがなぜか米国系のアマゾンでは買えないようになっているという。ここに圧力があるのは(どういうレベルであるかは知らないが)間違いあるまい。
 まさか、と思うようなことが起こるのである、今の世の中では。正直者では生きてはいけないのである。巧妙に陰湿に、馬鹿な人を騙そう騙そう、という世の中である。本屋で止めてしまえばこのように、事実上の「言論統制」もできるという見本である。
 構造協議以後、アメリカから毎年「命令書」が来ているのは秘密でもなんでもない、しかし知らない人は知らないのである。その秘密でもないことを書いた本でも、なんとなく圧力がかかる。
 今の日本は自由で、平和で、幸せで・・・そういう素朴な思い込みは危険ですぞ。ちなみに【年次改革要望書】とは「平成5年、当時の宮沢首相とクリントン大統領の首脳会談で、
相手政府への要求を提案しあうことで合意した。実際は米国からの一方的な“ガイアツ
”を制度化するもので、毎年10月、個別産業分野から行政、司法制度まで具体的要求
が盛り込まれる。その達成度合いは『外国貿易障壁報告書』として米議会でチェックさ
れる」というものである。日本政府のやることは、日本の国会ではなく、米議会でチェックされるのである。独立国ではない、ということである。

2005年9月17日(土)
衆院選での自民大勝を受け、早くも小泉純一郎首相の人気にあやかった土産物お菓子が再発売された。商品名は「純ちゃんの黒糖改革まんじゅう」。土産物お菓子卸売りの大藤(東京都荒川区)が企画。靖国神社や都内観光地の土産物店で投開票日翌日の12日から販売されている。まんじゅうは12個入り600円。箱の包装紙に「改革の歯車を止めるな!」と書かれている。

[共同通信社:2005年09月17日 09時45分]


2005年9月16日(金)
ロバート・ワイズ監督が亡くなりました。というか、驚きました、まだ健在だったんですね。しかし91歳、思ったよりも「若い」という気もします。なにしろ「サウンド・オブ・ミュージック」に「ウエストサイド・ストーリー」「砲艦サンパブロ」と名作が思い浮かびます。かと思えば「アンドロメダ・・・」なんてSFホラーみたいなものも撮っています。
 この監督の戦時中の作品に、「ナチスに挑んだ女」というのがありまして、ビデオでだけは出ていると思いますが・・・そして残念ながら私は見たことがないので恐縮なんですが、ただこの邦題のすさまじさ、という話をなにかで聞いて、私の記憶に残っております。
 というのも、こんなタイトルだし、戦時中の作品だし、反ナチス・ドイツの内容なんだろうと思うと、それがとんでもない。なんと、普仏戦争を舞台に、進駐してきたプロシャ将校に刃向かうフランス人女性のお話、なんだとか。もちろん、当時のドイツ占領下のフランスを意識して作ったには違いないのでしょうが、なんでこんな邦題になったのだろうか、ふしぎなケースであります。原題もなにか地名か人名かなにかだったと思いますが。
 サウンド・オブ・ミュージックという映画、案外にドイツ軍マニアには受けがいい映画で、黒服の親衛隊の士官が規定通りカーキ色のシャツを着ていたり、最後にかざす拳銃がルガー08だったり、それにスポーク式の車輪カバーを軍用のものに換装したホルヒの大型車(最後に修道女達が「罪を犯しました」といって、エンジンがかからなくしてしまう、あれです)・・・最高幹部じゃなくて、ナチス党の街区指導者ぐらいが乗り回していそうな車、という設定がお見事で、なかなか時代考証と無縁なようでちゃんとしている映画でした。
 ああいかんいかん。あんな名作映画を見てすら、そんな考証的なことばかり見てしまう、私は立派な病人です。
 ◇    ◇    ◇
 こういう病人なので、小泉さんが選挙中にCMで唱えた「郵便局員26万人の既得権を守って、なにができるんでしょうか」というフレーズが恐かったですね。あれは、ご本人に意識してああいうフレーズを選んだのか、参謀に付いた広告代理店が言わせたのか知りませんが、明らかに敵をはっきりさせてほかの国民と切り離し、あいつらが悪いんだ、あいつらをやっつければなんでもよくなるんだ、というキャンペーンを張るやり方・・・あのテクニックは、なんといっても元祖はナチスドイツです。いうまでもなく「敵は諸君の中に紛れている。悪いのは共産主義者とユダヤ人だ」というあれですね。変形ですが「世界は敵か味方かはっきりすべきだ、敵はテロリストだ。見方じゃないものはすべてテロリストである」というブッシュさんの言い方も同工異曲です。
 しかしこの手というのは、今は郵便局員を悪者にすることで、いってみれば学級で起こるいじめのような精神状態になって、「あいつらをやっつけろ」という魔女狩り的な大合唱になってしまったわけですが、今後もこの手は使えます。つまり、国民の特定の層を切り離して、敵にするのですね。今までも「守旧派」とか「抵抗勢力」とか、政敵たちをそうやって葬ってきた政権ですが、今後も「70以上の老人など守ってなんになるんですか」「病気で死にかけの人に金など掛けなくていいじゃありませんか」「貧乏人は自分が悪いんだから切り捨てればいいじゃありませんか」「中小企業など足手まといじゃありませんか」と、たとえばこんな応用がいくらでもききますね。
 私はですね、もはや死んだ子を数えるようなことは言いませんし、こうなったら小泉政権には今までのような、族議員や派閥を遠ざける一方で官僚に丸め込まれるようなことなく、ちゃんと、特別会計とか難しいあたりまできっちりリストラをしてもらいたい、と思っております、かくなる上は。せっかく強権を持ったのだから、やってみてほしいものです。
 だから、小泉さん批判とか、今回の選挙結果に対する批判、というのはもうさんざん書いたので、それはもういいとして、彼がとったような「ナチス式プロガンダ」ですね、あれについてもっと日本人は耐性を付けた方がいいのじゃないか。
 というのは、今後、おそらくどの日本の政治家も、与党も野党も、ワンフレーズでイメージに頼ったプロパガンダをするようになります。一過性のブームでいいから、風さえ起こせば、今の日本では雪だるまのように巨大な権力が作れる、ということに今回、みんなが気付いてしまったのであります。それはおそらく、小泉さん本人だって気付いていなかっただろうと思う。
 そういえば、近頃は小説でも映画でも音楽でも、なにかひとつだけ大ヒットすると、それ以外はぜんぜんダメで、いつまでも同じ人がナンバーワン、ということになりやすい。それはみんな気付いているはずです。
 非常に、今の日本人には「メジャーでありたい」「主流派でいたい」という意識が強いのであります。だが、みんなで渡れば赤信号は恐くないのか。それは嘘ですね。みんなで渡って、みんなで死んでしまうことも世の中にはあるわけで、渡らなかった少数派のほうが正しいこともあるわけですよ。
 今回も、まるで新興宗教でも信じているかのように、感情的な書き込みをあちこちでする人をかなり見掛けました。自分と違う意見の人を「貴様、神国日本が負けるわけがないッ」とヒステリックにどなりつける憲兵、なんてのがよく戦争映画に出てきますが、ああいう感じだったのじゃないでしょうか。
 自分で冷静に考えるには・・・はっきりいって、迷ったときはテレビを消して、ネットも接続を絶って、こういうブログも見ないことです。自分で考える、ということです。
 これは本当に自分の意見なのか、それとも誰かの受け売りなのか。その判断をしなければいけないのじゃないですか、こういう時代こそ。
 今回のいちばんの反省というのはそういうことだと思います。
 ということで、私の今回の選挙の総括は一応、終わりにしたいと思います(いい加減、きりがないですから)。

2005年9月15日(木)
 まだ現物を見ていないのだが、先ほどのテレビ番組で今日のゲンダイ紙の記事を紹介していた。それによると、要するに圧倒的な自民党の勝利で郵政民営化法案賛成、というのが民意である、というのが定説化しているけれど、実際に小選挙区の賛成派候補に入った票数、反対派候補に入った票数を合計して単純に比較すると、なんと反対派の得票のほうが多い、ということが分かった、という。面白い切り口をしたものだ。つまり、これが小選挙区選挙でなくて、本当に郵政民営化法案の賛否を問う「国民投票」であったら、単純な数で比較すると「否決」となった可能性がある、ということである。
 まだ言っているのか、と自分でも思うが、やはり9・11以後、ずっと憮然としている人がけっこう多い。あれ以来、面白くないのでテレビを見ない、という人も知っている。
 とにかく、あれだけの結果の差を当然と考えるには、実際の自民党支持者と不支持者の数の比率が近すぎる、つまり本当のところ若干、自民支持者が多い程度で半々なのである。本当に、不支持の人数が微々たるものであるならば、別に問題もないのである。自分はマイナーなんだ、少数派なんだ、で納得も出来るのだが。
 高校生ぐらいのまだ選挙権のない若者に擬似投票させてみたところでも、自民党は比較第一党で勝利したけれど、民主党との差はごくわずかだった、という。しかし、この結果というのは大人の実際の投票と大きな差はない。これも総数で比較するのでなく、たとえば学級ごと、学校ごとに「小選挙区」を作って集計し直せば、おそらく自民党が7割とか8割をおさえて、実際には半数弱いる野党支持者は死に票となる、大人と同じ結果になっただろう。
 あの小選挙区制度というのは、実のところは小沢さんが推進して、民主党が熱心に賛成してきたものだが、それはつまり「風が吹けば政権交代できる制度」ということだった。それが、かえって逆風を吹かせてしまったのだから、間抜けもきわまれりである。
 本音を言って、あのまとまりのない民主党に頼りなさを感じているという点では、民主党にあえて一票を投じた誰しも感じてはいたのである。が、それでも「小泉独裁」のような結果にだけはしたくなかった、ということである。
 小泉政権は反派閥、反族議員ということで、自民党がクリーンになった、といってみんな喜んでいるのだが、それだけ専門に勉強している議員が力を失うという側面もあるので、かえって政策は官僚に丸投げになりやすい、という面があるがために、小泉政権の4年間はもう官僚のペーパーのまま、マニフェストまで官僚の作文のまま、ということなんだが、およそ気分で投票した人々はご存じない、どころかおそらくすでに選挙のことなど忘れてしまっただろう。これからは「投票は必ずしましょう」なんてスローガンはやめるべきだ。
 よく分からない人は棄権しましょう、のほうが正解だ。私はここ数年、自分は民主主義者ではないと思っている。今後は、かつてのように年収で参政権を与えるのは不合理なので、自動車免許のように試験を課して、知的水準で合格した人だけ政治参加したらどうか。
 サラリーマン増税に、消費税・・・とりあえず12%ぐらいか、と財務相が早くも言い出したとか聞こえている、それに医療費負担の増加に年金負担の増加に、・・・ご自分の年収の少なくとも1割をカットされた生活水準を想像してみるがいいが、それは相当に厳しいものになると思う。年収が1000万円程度の「庶民」では(ましてそれ以下の人は問題外であろう)耐え難いほどになるだろう。今や大企業の中間管理職になって1000万なんて程度じゃ、ぜんぜん勝ち組じゃないことを思い知ることになるだろうと思う。
 定率減税は廃止になるようだが、同時に導入された高額所得者の所得税と法人税の減税は、温存されるに違いない、という。こういうことも大抵の人は知らないどころか、「小泉さんかっこいい」なんて動機で投票したにんげんはテイリツゲンゼイなんてなんのことか知らないだろう。
 で、おまけに原油高で企業の賃下げの方向が進む反面、消費者物価はデフレからインフレに動く局面が近づいている。しかも、インフレに応じて賃上げするなんてことはもうなさそうではないか。労働組合なんて古臭い、の一言でああいうものを忌避してきた若い者たちはそのころになって自分の無力を思い知るだろう。会社と年俸契約して、自分ひとりの交渉力で賃上げを勝ち取れるほどの人間が100人に1人もいるかどうか。それが現実である。
 「国民も覚悟が必要だ」「痛みを分かち合おう」なんてのんきに言っている人も多かったが、そんなちょっとやそっとじゃないと思うのだ、各人の生活水準の低下ぶりは。
 おまけに小泉政権になってから例の「その程度の公約違反は大したことない」という小泉発言で有名になった国債増発が続いているわけだが、(しかもその引き受け先は郵貯・簡保である。10年かかってそんなものを民営化しても前宣伝で言っていたような経済効果など決してありえまい)もはや国内総生産の1・6倍である。これはすでに国が破綻していることを表している。それをやってきたのは現政権であるのに今回は、訳の分からない結果になってしまった。
 しかも歳出削減、早い話が国会議員と国家公務員の本格的な賃下げやリストラは、官僚頼みの自民党政権には絶対に出来はしないのは明白だから、もう考えれば考えるほど未来は暗い。黒塗りの公用車を相変わらず乗り回し、安くて豪華な宿舎に暮らす議員さんと高級官僚と、一部の企業経営者だけが肩で風切って歩き、後は野垂れ死にする、ということである。民主党が非力であり、労働組合がバックにあるから駄目だ、という問題があるのは事実だが、少なくとも現在の中央官僚との馴れ合いはないだけに、仮に政権交代すれば少なくとも中央官僚のペーパーをいったんちゃらに出来る可能性だけはあった、そして今の日本ではそれが唯一の本質的な「改革」だったと思うのだが、一般有権者的には、自民党の派閥が解消すれば改革が出来ると思ってしまったらしい。くだらない、自民党なんてどうなろうが、どうでもいいのに。大事なのは党でも国家でもなく、自分たち自身の生活なのに。
 まあいい。そろそろよそう。繰り言はここまでだ。これからのことが問題だ。
 私は、高い買い物は今のうちにしておこうと思っている。だんだんそんなこともできなくなるような気がする。
 実は、年内に詩集を一冊出そうと思っている。もちろん小部数出版である。知っている人は知っていることだが、文芸出版なんて持ち出しばかりである。私としては、しかしもう今年あたりのうちに出しておかないと、消費税が19%なんて時代になったら、とてもそんな道楽はしておられない。
 

2005年9月14日(水)
いささか微妙なことを書くが、堀江さんなど「これからは天皇制では古臭いので大統領制に」と演説していたようであるが、これつまり、自分の財力と知名度で大統領になれる、ということをいいたいのであろう。
 それでまた思い出すのだが、確かに日本はこのまま立ち止まっていいとは思わないが、しかしここ10年ほどでどどっと、みんなが気付かないままに特定の方向に流れる気配は間違いなくある、それは擬似民主主義的独裁政治であり、特にそれも1930年代の独裁者、ヒトラーやムッソリーニよりもっと安易に、軍事力や警察力すら必要としない洗脳による独裁、という可能性である。小泉さん個人というより、今後出てくる政治家にこれは大きなヒントを与えたのではないだろうか。まあはっきり言って、堀江さんとか、もっと若い人で政治的な志向を持つものが出てくれば、である。
 私は10年以上も前に、ある詩誌で、これからは権力はカーキ色の軍刀とか下げた見え見えの圧力ではなく、もっと巧妙に統制をしてくるであろう、と書いたことがある。というのは、その当時の年老いた左翼系の詩人たちは、イデオロギー的な天皇制とか、君が代日の丸とか、旧軍部、靖国神社的な、まあ森前首相のいう「神の国」的な右傾化には敏感で、そのイメージでばかり世の中の変化を憂えていたから、そのころ30そこそこだった私としては「違う、これからは憲兵隊も軍もあえて必要ない、テレビとか、音楽とか、そういうイメージ的なものだ」と書いた。しかしその時点ではまだまだインターネットとか、ブログとかいうものを想定はしていなかった。
 今回選挙でも、明らかに与党の意を含んだ専門家らしき書き込みとか、サイトではないか、少なくともなにかシンパのサイトだろうというものが多く見受けられた。そういう情報戦略の部分でも、テレビの監視でも、自民党はかつてそれで苦しんできたから、今回はかなり本腰入れてやっていたのじゃないか、と私は見ている。明らかにイメージで踊っている馬鹿も多いのだが、経済政策など非常に「よく分かった」支持者というのがいるのである。特にプラザ合意以後のアメリカのあからさまな介入などもよくよく承知の上で、与党支持を書く人などは、おそらくそういうレベルの人は相応のプロの人であろうと思う。
 村上龍が「愛と幻想のファシズム」を書き、あるいは柄谷行人などが現代型ファシズムの可能性を指摘していたのも、思えば90年前後、今から10年前後前であったか。私に限らず予感を抱くものは結構いたのではないかと思う。
 そして、まさか今回の総選挙が、そういう予感の最初の実験場になるとまで想像していたひとは、しかしそんなに多くはなかろう。私は公示以来、ヒトラー政権と小泉手法の相似を繰り返し繰り返し書いたが、嫌な予感は当たってしまったといえる。
 何度も言うが、小泉政権そのものについて、問題だとか問題じゃないとかはあえてここでいうのではない。そうではなくて、ごく一過性の盛り上げ方でここまで「民意」が一方向に流れるこの国民の軽佻な気分こそが、危険なものなのである。
 幸いにして、ここまで海外の「反日暴動」に対して日本国民は冷静だったが、どうであろうか、小泉さんとか、それ以後の後継者が、「決然と、強いリーダーシップで」対決色を打ち出して、たとえばそこでサッカーの国際試合などがあり、ひと悶着あったというような場合を想像すると、今の若い世代、20代以下の世代が社会の中心となったころ、古臭い護憲勢力だの反戦平和主義者だのがそろっていなくなったころには、そしてそのころにはアメリカのように軍事ゲームが各家庭に配られ、高校卒業時には「新国軍」の、おそらく綺麗なおねえちゃんがかっこいい制服姿で学校を回って入隊を勧誘する・・・ほぼ想像どおりになるような気がする。私だって綺麗な制服のお姉ちゃんに誘われたら、「萌えー」とかいって2,3年ならいいか、と思ってついていってしまうかもしれない、もともと制服フェチなので(すみません)。
 私はそういう未来図がいいとか悪いとかいいたいのじゃない。その流れはこのままいけばもはや止められまい、と単に予想するのである。
 アメリカさんなどは、だんだん仮想敵国がいなくなってくると困ってしまう、戦争が出来ないとあの国は停滞してしまうのである。今後、どういう戦争を生産していくであろうか。おそらく中国なりインドなり、新しい敵国を仕立てる必要はあるだろう。
 新日本軍は米軍の今後のドクトリンの中で、きわめて重要な位置づけになると思われる。
 ◇   ◇    ◇
 ここ一ヶ月ほど、いろいろなブログを拝見した。私の所だって、つい7月の末にはじめたばかりの無名なブログなのに、多い日には700以上のアクセスがあるのだから、選挙がらみでいかにみんながいろいろ考えるところがあったか、は分かるのだが、中に結構見られたのが、プチ有名人、プチセレブの人らのブログである。ひょっとしたら頼まれているのかもしれないが、やたらめったら郵政民営化を支持するプチセレブ、つまり、誰でも知っているほどじゃないが、まあ本の5,6冊も出して、テレビに出たこともあって、ぐらいの人たちがやけに懸命に自民というを賛美しているのを見かけたものである。ちなみに私も本をもう7冊も出してるが、幸いにしてセレブと呼ばれたことはない(苦笑)。
 それで思うが、あるワイドショーでいわゆる刺客候補についての話題になり、ある女性のコメンテーターがどうですか、と振られて「ああ、実は私にも自民党から電話来ました、お断りしましたけど」とさらっと言ってのけ、みんな言葉を失う、というのを見た。
 否定していたが女優のAさんとか、話題になった人にはおそらく打診はあったのだろう。星野監督なんかも実は巨人軍などじゃなく自民党から打診があったんじゃなかろうか、一度ぐらいは。
 で、なんとなくこの「小泉さんや武部さん、二階さん、飯島さんから電話があったか、なかったか」というのがまたステータスになっているのじゃないかしら、そのプチ有名人あたりだと。
 というのも、今回の刺客というのも、実はそんなに超セレブじゃないわけです、どの人も本当のところ。たとえば「宮崎駿」とか「ビートたけし」とか「森光子」なんてレベルじゃないわけでしょう、実際には。もともとホンモノの有名人というと堀江さんぐらいじゃないですか。今回の選挙で有名になった人が多い。料理研究家なんて、悔しがっている人は多いんじゃないですかね。なんで私にはオファーなかったの、とか、断らなきゃよかった、とかね。
 あの、やたらむきになって自民党を賛美するプチ有名人のブログの持ち主なんてもののなかにも、内心では「電話来ないかな」という期待がちょっとあったんではあるまいか、と想像する。
 しかし実のところ、ちょっと前まではこのプチ有名人でテレビに少し出てるような人を引っ張っていたのは民主党のほうであったから、やり方としてはむしろ真似した、ということであろうと思う。そして、両党共に似たり寄ったりになってしまった、ということだろう。だから前回は民主で出て、今回は自民、なんて女性候補もいたわけである。要はそういう人の功名心とか野心を引っ張ってくれそうなら何でもよかったのだろう。
 政治というのが手っ取り早いなり上がりの場に見えたからこそ、堀江のような人、今まで投票すらしたことがない人も参加したのである。
 彼はおそらく、本気で日本国大統領を狙ってくるんじゃないか、と思う。そして、それが実現した日には・・・・思うだに恐ろしいが、老人、病人、年収が低い人、失業者、そんなものはみんな無価値である、という世の中に確実になるだろうが、しかも面白いことに、かつてのナチスドイツでもそうだったが、不思議とマゾヒストのようにそういう権力者に投票し続けるのはなぜか無産階級なのである。
 「国民の多くは報道をそのまま信じる」というのはヒトラーの言である。「若い世代、子供は無垢であり疑うことを知らない。子供を取り込むことは重要である」というのもヒトラーの言である。ヒトラーユーゲントはそうやって組織された。ヒトラーに懐疑的な親世代を密告して収容所にほうりこんだのはユーゲントの少年たちであった。堀江さんは「次の選挙には今10代の人らが選挙権を得る。彼らは私を支持するだろう」と言っていた。
 私は、今更ながら、ヒトラーやゲッベルスの先進性を見直すばかりである。
 


2005年9月13日(火)
先日の選挙以来、鬱になってしまったヒトというのが世間では案外に多いらしい。というのも、選挙の結果を見てもあれほど一方的な与党大勝となるほど、自民党支持者の比率が国民の中で高いわけではないからで、まあ10人いれば4人は反対派、ということである。小選挙区制度だと、優勢な側が総取りして、あとは死に票となってしまうからで、この雰囲気というのは米大統領選挙のときと似ていると言えば、言える。あの大統領選というのも最近は広く知られるようになった、ちょっとでも優勢な側が州内の全選挙人を総取りするので、実際の直接投票数以上に、勝者と敗者の差が増幅してしまう、ということになっている。ケリーとブッシュの戦いなど、日本の比じゃないほどの国論二分ぶりであった。
 そして、日本人は、あのテロからアフガン侵攻、イラク侵攻へと続く一連のアメリカの狂乱に眉をひそめていたヒトが多いと思うし、また、大統領選でも結局ブッシュが再任されるのを見て、しょせんアメリカなどそんな国なんだ、と思ってがっかりしていたヒトが多いと思うのである。
 が、今回、自分の国の草木もなびく一方向への偏りぶりを見て、また制度上のこの偏りを決定的に助長する制度の問題を見て、決してアメリカ人はバカだなあ、みたいな話ではないことに気づいたのではないかと思う。
 さらにいえば、たとえば私など、前から近頃の様相はヒトラー政権勃興時のドイツにも、戦前の大政翼賛選挙にも似ている、と書いてきたし、ほかにも同じような指摘をするヒトが多かったと思うのに、おおかたの反応というのは、杞憂に過ぎない、あるいは戦後の日本人はもっと聡明である、といったものであったように感じる。
 しかし、蓋を開けてみればこのざまである。もちろん、今後の小泉政権なりその後継政権なりが悪政をする、と決まったわけではなく、立派に国政を運営するかも知れないし、そうあってほしいのであるが、それはそれとして、とにかく必要以上に強大な支持をひとつの政党に与えて、民主主義という形式を自分らで無効にしてしまった、そのこと自体は事実として直視しなければ成るまい。これは、現政権がいいか悪いか、ということの問題ではなくて、要するに今の日本社会はきわめてファシズム的な煽動に弱い、簡単に全体国家に変質できる国民性である、ということである。
 そんなバカな、もっとみんな聡明であるし、もっと考えているし、戦前の反省もあるし、若い人等だってもっとまじめに考えて投票したのだ、今回、小泉さんの心意気は確かに立派であって、反対派や野党の連中より明らかに迫力があったのだから支持されて当然じゃないかといった、反論反発を抱くヒトが多々いることを承知の上で、しかし、結果を見ればまさにヒトラーのような独裁をやろうと思えばできる、全国民が白紙委任ということになってしまったのは事実ではないか。
 私は、とにかくある時期から、小泉さんのポピュリズム的な手法と支持率の高さに危険なものを感じていた。個々の政策の正当かいなか、ということではなくて、支持率そのものが問題だと思っていたのである。だから反小泉、と言ってきた。人気者であることそのこと自体が危険だというのである。率直に言って、自民党政権そのものより、小泉さん個人を危険視してきたのである。
 ところが、世間的にはまったく逆であって、自民党は決して好きではないが小泉さんなら支持します、ついていきます、という人がこれほどたくさんいた。若い無党派層、ことにこれまで選挙に行ったことのない人達と、高年齢の強固な自民党支持の女性層、このふたつが突出して支持を押し上げたようであるが、これは言葉は最悪だが、ゲッベルスやヒトラーが政権獲得の時にねらい打ちしたまさに「女子どもの支持を集めろ」という図式そのままであるのが気になる。
 ことに今時の若い連中の、それはみんながみんな、とはいわない。個人差があるのは間違いないが、とにかく教育のせいかいじめ世代のせいかしらないが、恐るべき現状肯定主義と付和雷同主義、そして強いリーダーへの憧れには虫酸が走るのである。
 私などは、「もし自分が総理大臣なり総統なりなら、あれでよいが、小泉なんていう赤の他人で、しかも自分より知性の低そうな男に牛耳られるのはごめんだ」というほどの、思い上がりに近い自分を恃む気持ちがあり、少なくともああいう他人の指示を受けるなんてのはまっぴらで、クールビズすら、趣旨は理解しつつも拒否している人間である。
 今回の選挙そのものより、今後の日本社会の未来のありかたに非常な不安を感じる。私は本来的には軍事力のない国に外交などなく、その意味で国軍再編も憲法改正もむしろ賛成の人間であると告白するが、それにしても、冷静な世論と冷静な政府、冷静な外交があってこそ、独自の国防というものもあるわけで、今回のような幼稚な国民性を見るなら、やはり憲法9条も残しておき、国連の敵国条項も残しておいてもらい、いいやいっそのこと、完全にアメリカの自治領にでもしてもらったほうが結局、この猿の群れなみの国民には適当、ふさわしのではないかと考えるようになってきた。
 日本総督は適当なアメリカ高官にお願いし、日本側の自治政府事務局長には竹中大臣がよろしいかもしれない。
 かつての保守、右翼は愛国者であって結局、古くさい国家観といえばそれまえだがいわゆる国体、天皇と皇室というものへの尊崇を基本においていた、だから偏ってはいたが最終的な売国行為とか、天皇以外の独裁者の登場には決して賛成しなかった。
 いまどきのでたらめな自称・保守的な若い世代は、要するにせいぜい金儲けのことしか理解できないお人形である。
 私は、いよいよ50年以内の日本国家消滅を・・・これは前から予感としてあるが、ますます思うのである。
 この軽々しい国民性、国策の選択まで芸能ニュース並みにしてしまう低俗性、前にフィリピンで軽い芸能人を大統領に選んで国を挙げて失敗したが、日本も基本的には同じようなレベルである、ということだ。
 日本国家は解散してはどうか、いっそのこと。政府が亡くなればリストラを考えないですむ。

2005年9月12日(月)
それにしても、投票率が過去最高だ、などというからどんなにすごい数字かと思いきや、67・57%かそこらだと聞いた。結局、その日になってみると面倒くさいもんである。
 今回というのは、カナダで政権与党がたった2議席にまでなって壊滅した小選挙区選挙の威力を日本ではじめて知らしめた選挙である、というのが実は政治史上で大きいのではなかろうか。しかも、これが日本らしいところだが、その地滑り的な様相を活用したパイオニアが政権与党の側で、野党はまるきり後手に回ってしてやられた、という意味では無様であった。
 それについては「これが小選挙区制の怖さだ。自民党の候補が全国の選挙区で集めた票は民主党の1・3倍にすぎないにもかかわらず、2・7倍の議席を獲得し、歴史的な大勝を果たした。ちょっとした風が“地滑り的勝利”につながる制度の特性がくっきりと表れた格好だ。自民党は民主党の追撃を食い止めたかにみえるが、移ろいやすい無党派層が今回の衆院選で自民党を押し上げたといえる。民主党にも逆転のチャンスは常にあり、2大政党制の大きな流れはむしろ不変だろう。「小選挙区制では(議席が)どちらかに振れることがある」。敗因を問われた民主党の岡田克也代表は11日夜、悔しさをにじませた。今回「民主党政権が実現しなければ代表辞任」と厳しい勝敗ラインを明言した岡田氏の念頭に「“大振れ”による大勝利が起こりうる選挙制度」との見立てがあったのは間違いない。しかし、皮肉にも自公過半数という低い勝敗ラインを設定した小泉純一郎首相に敗れ、議席激減の辛酸をなめる結果となった。(共同通信)」という解説を見かけたが、大筋はその通りであろう。
 大筋は、というのは、ここまでどちらかというとご祝儀的な増勢ばかり経験してきた民主党が、これでしょんぼりしてしまって、解党の道に進む可能性が否定できないからである。そうなったら、日本に残るのは自民党だけである。事実上の一党独裁国家であって、55年体制のころより選択肢がない状況になる。
 そうなれば、もはや選挙などやるだけ意味がなくなるかも知れない。
 あえて批判票を入れたい、という人は左翼政党に入れるしかなくなるわけで、先々はまったくどうにもならない感じがする。実際問題として、どこの選挙区でも共産党候補は必ず2万票程度獲得しており、してみると国民の1割前後、左翼政党の支持者がいるということである。
 多くの若者が今回はじめて政治に関心を持った、というが、ここで民主党が崩壊して散り散りになれば、早くも政治参加の意味合いが日本からなくなってしまうかもしれない。小泉改革について、ここ4年間ずっと監視してきた人ほど、実は小泉さんに飽き飽きしていたのであって、これまで無関心だったヒトを掘り起こすのに成功した小泉さんの読みは見事だったというしかない。
 それにしても、である。有権者もまた自民党執行部にしても、ここまでの地滑りはさすがに予期していたとは思えない。自民党を支持した人達も、こうまで一方的な結果になるといささか不安を覚えるのではないか。実際、それが小選挙区制度のマジックであるらしい。
 今回の結果を見ると、比例についてはけっこう半々になっている。だから小選挙区であれだけ失っても、民主党がなんとか113も残っているのだと言える。候補としては自民に入れて、政党は民主、と入れたバランス感覚の投票もあったかもしれない。いままでにもそういう投票行動をする無党派層はいたから。しかし今回ほどもろに小選挙区式のシステムが働くと、そういう人等の思惑を超えて自民党一人勝ちとなってしまった。「おいおいちょっと待て、これじゃ勝ちすぎだよ」と思った方も少なくないのではないだろうか。しょせん、改革を望む、改革を望むといいながら、本質的な変化は望んでいないというのが民意であるようだから、やはり今後とも上からの改革を下々は黙って受け入れるということであろう。
 さて、自民党とすると、これだけ大勝ちすると、今までのように「4年でこれだけしかできないのは野党と反対勢力が悪いんです」と言い訳できた。また、そういう小泉さんの言い分を今回の有権者は受け入れたんだろうと思う。
 すると、だ。今回は文句ないほどの、もう中国共産党とかかつてのナチス党のような巨大な権力を握って政権基盤を固めた以上、今後は目に見えた改革をやってみせないといけないことになるだろう。
 そういう意味で、次の4年間は見物といえば見物である。これでできなければ本当にアホであろう。
 小泉さんは、続投するかも知れないが、しかし案外に本当に1年でやめるかもしれない。というのも、憲法改正と消費税上げは次の総裁に、と小泉さんは前々から言っているのでその通りにするかも知れない。つまり、あと1年で増税と憲法改正発議、というスケジュールでいくならむしろ、そこを筋目とするほうが分かりやすい、といえる。
 さて、どうなるのであろうか。とにかく、ブレーキはなくなったので、スピードは上がると思うが、どこに行くかというのはまた別問題である。


2005年9月11日(日)
 さて、昨日は寝て過ごし、今日は7時ごろに投票に行った。そしてそのまま外出して、家に帰ったのは10時すぎであった。
 で、まあ案の通り、思ったとおり、自民大勝、300議席も、なんてテレビで言っているので、なるほどな、と思う。
 もはやどうでもいいことであるが、ひとつだけ言っておこうと思うのである。
「向こう4年間、なにがどのように動こうと決して泣き言を言うなよ、国民」
 もはや、憲法改正でもない限り、どんなことでも閣議決定ですいすいとあらゆることが決定されるであろう。もちろん憲法改正の発議すら容易である。自民党の案はすべて成立する、だれの反対も受けない、ということである。
 国民よ、あなた方はもはやいかなる発言権もない。巨大な権力を自分たちで作ってしまったのだから仕方がない。そういうことである。
 終わってしまったことはどうでもよい。それが民意なのだろうから、みんな満足であろう。結構なことである。
◇  ◇   ◇
 さて、明日は出社は早いので、もう寝ますわ。お休みなさい。


2005年9月09日(金)
そうか、今日は救急の日、なんですってね。9月9日で。朝のニュースじゃ、救急車をタクシーがわりに呼ぶような人も多いので、この際、司令所からタクシー会社に斡旋する制度をどこかではじめた、なんてことも言っていた。その請負をするタクシーの運転手はちゃんと救命士の資格をとっているんだという。
 がまあ、とにかく世の中にはその日の500円とか1000円がないような人もまた実際にたくさん居る。
 将来、とにかくそこそこの生活を維持して90とか100まで生きるには、結局、そこそこの金持ちになるように努力するしかない世の中になってきたのであろう。
 今既に、少子高齢化の流れで、親の土地や家が子どもに残されて一応の地主になる人が増えていると言うが、その親の土地というのが一等地にあれば格別、転売も出来ないような所にある古い家だとすると、かえって迷惑なものだそうである。取り壊すにしても売却するにしても面倒で、それで郊外の住宅地などでは急速にゴーストタウンと化しているところも実は多いとか。われわれが年老いる頃には、そんなプチ地主が多くなっているだろうが、これでまた、親の持っている不動産の資産価値で大きな差が付くことになりそうである。
 ◇   ◇    ◇
 ビル・ゲイツみたいな人はともかく、個人の努力で1億長者、ぐらいの「プチ金持ち」になら誰でもなれるはず、というコンセプトの星占いをサイトで見つけた。「マドモアゼル愛」の占いの一つであるが、そのコンセプトが面白くてついやってしまった。
 私というものは40からの方が運勢が宜しい、とのことである。もちろんそういう人生も多いのであるから、はやばやとエレベーターの乗って頂上まで行ってしまう人もいれば、ゆっくり階段を上がっていく人もあり。そんなことを思わせて、たかが占いといっても少し気分がよい。興味のある方は検索してみられるといい。
 ◇    ◇    ◇
 ブッシュの支持率が日を追って低下しているが、当たり前のことである。毎日、毎日、なにをしておるのか、という話が続くからである。一方、日を追って磐石になりつつあると言われ続けているのがわが小泉首相である。まあ、ここまできたらもはや知ったことではない。知ったことではないが、この期に及んで「無党派層では投票政党、候補を決めていない人が6割弱を占めている」(読売新聞)なんて話があるが、どういうことであろう。本当に投票所まで行って態度を決めるつもりなのであろうか。
 私は幸いにして、日曜日は休みとなった。しかしお出かけの方、気を付けたがよい。アル・カーイダのテロという線も決して可能性ゼロではない、と申し上げる。
 


2005年9月08日(木)
小泉さんが郵政民営化を大いに推奨する理由の一つに国家公務員の削減ということがある。とにかく、数としては減るじゃないか、ということである。それ自体は間違いではなかろうが、しかしあれでもって公務員のリストラを終わりにしよう、ということであるならそれはまやかしである。
 これについては、読売新聞にこんな記事があった。「衆院選で与野党の主要政党が主張しているのが、公務員人件費の削減だ。・・・国家公務員約61万5000人の人件費(一般会計と特別会計の合計)は5兆4410億円に上る。・・・地方公務員約246万人の給与関係経費は、22兆7240億円だ。・・・公務員の人件費削減には、人員のリストラだけでなく、給与水準の見直しが欠かせない」その通りであろう。
 そして、「・・・各国の中央政府職員の平均年収の名目金額は、米国は約4万5000ドル(1996年)、最も低い独(95年)が約2万7000ドルで、日本が約4万6000ドル(2000年度)と最も高かった。・・・仮に、日本の国・地方の公務員給与を米国並みに引き下げると、約3兆円のコスト削減となる計算だ」というのである。
 しかし「・・・人口1000人当たりの公務員数を各国と比較すると、日本は35・1人で米(80・6人)、英(73・0人)、仏(96・3人)、独(58・4人)の中では最も少ない」ということもあるそうである。
 要するに、そんなに人数を減らせないということなら、それにまたやたら人数を減らせばサービスの低下である、というのもあるので、やるべきことは「賃下げ」に尽きる。
 大阪市役所の馬鹿げたお話がどんどん出てくるが、どこでも似たようなお話はまかりとっているであろう。といいますか、実はほんの10年、15年ほどまえには、民間企業でもいい加減なお話はいくらでもまかり通っていた。たとえば、私の会社でも、10年ぐらい前までは、「出張」という扱いになると、実際に宿泊しようがしまいが、また木賃宿に泊まろうがほかのところの経費で泊まろうが、必ず出張手当に宿泊費補助が出たもんである。それにまた、特に誰と会わないでも、「懇談費」としていくらか、また特に電話などしていなくとも「通信費」として1000円ほど、ここまではもう自動的に請求していいことになっていた。毎度毎度、必ず1000円ずつ公衆電話をかけるなんてことはあり得ないのに、そうなっていたのである。
 もっとも、こっちがいい加減なことをしているのを知っていて、無茶なことをやる連中もいた。たとえば熱海のあるタクシー運転手は、こちらが「領収書をくれ」というと、600円ほどだったメーターをぐるりと回して1000円ぐらいにして平然としていたのである。そして「会社から落ちるならいいでしょ」なんて抜かすのだった。
 こんなふうに、民間だって10年ぐらい前までは・・・まあ、1995年ぐらいまではまだまだいい加減なお話で日本社会は充ち満ちていたから、10年前に退職して今70歳ぐらいの人達は、その後の変化をご存じないであろう(そのぐらいの年齢の人らはうまい時期にとんずらされたと言える。年金も60から出たろうし、しかもあのころは失業保険と年金がダブルで出た時代だったのじゃないか。今から見れば夢のようである)。
 で、民間企業ではその後、どんどん厳しくなっていったのに、お役所はなんもしていなかった、ということでここ10年で感度が著しくずれてきているのだと思う。
 読者にも公務員の方は多いだろうから一概にいわないが、しかしおおむね、民間勤めの者たちは公務員の安い宿舎とか、手当とか、あるいは休暇の充実とか、出産休業・・・もちろんどこの会社も制度としてはあるが、じゃあといってのうのうと2年も3年も休んでおられる職場は少ない、そして老後の年金が厚いとか・・・まあいろいろ職場により立場により本当は違うだろうが、かなり嫉妬の念を抱いているのは間違いない。
 私も親戚から「いいわよお、公務員は」などという台詞を何度も聞いたが、そう思われてしまっては危険なのである。
 以前は、銀行員の給与が高い、といって国民よってたかって攻撃した。公務員はなぜかまたほんの10年ほど前までは「安い給料で働き者で、日本の官僚は優秀」という信仰の対象であった。
 さてそれで、である。実のところ小泉政権というのは政治家をかなりないがしろにして、小泉さんが大統領式に指揮する政権であるから、実際には官僚のペーパーがないと何事もできないのも事実である。
 であるから、小泉さんは公務員のリストラについては、郵便公務員を身分替えすることでごまかす気配なのではないか。
 民主党が、「その他の公務員のリストラこそ本当の改革だ」といっているのはいいところを衝いているのだが、それはつまりのところ「キャリア公務員の大幅な賃下げ」というようなことを出来るかどうか、そういうお話だろう。
 あちらが「しょせん自民党が改革、改革といってもどうせできないだろう。だったら政権交代しないと」と言っているのはつまりそのへんである。
 日本の官僚組織、というのは戦中戦後を生き延びてきた集団であり、旧陸海軍なき今、戦前の統制体制から直に継続している数少ない組織である、実は。
 小泉さんが絶叫してみせるのはいいいのだが、なにしろよくみてみるがいい、整備新幹線だって、高速道路の新規着工だって実際には止められなかった政権である。
 今後もポーズはあれこれしてみせるかもしれないが、結局、大事なところには決して踏み込めまい。
 私も結局のところ、自民党政権など、しょせんあのへんまでしか出来まい、と思っているのはそういうことである。
 小泉さんが出てきたときには、実は私も支持してみた一人である。だが、私に限らず「改革」というものへの理想とか期待がもともと大きかった人ほど、その後、小泉さん嫌いになったのじゃなかろうか、と思う。「あの程度でなにが改革か」ということだ。一方、それほど期待していなかった人は、あれでも「少しは前進しているし、自民党も変化してるし、いいじゃないか」と考える。そういう人らが今回程度のことでも「よくやっている」などと拍手を送る。しかし、理想の高かった人は、あの程度の「自民党をぶっ壊す」じゃ物足りなくて、本当に解党して、名前も自民党じゃなくなるようなドラスティックな革命を期待していたのである。違うだろうか。しかしそうはならなかった。要するに自民党の体質改善というのが4年間のテーマだったに過ぎない。自民党信仰を持っている人にはそれでよかろうが私などはもっと戦後最大級の政界大再編が起きてくれれば、と夢想するにんげんである。
 つまりこういうことだ。もともとの愛が深かった人ほど、理想が高かった人ほど、かえってアンチ小泉になっているのじゃないかと思うのである。
 今の流れで行けば、結局、公務員にはあまり手は付けられまい。年金もそうだ。そしてなんとなくごまかされていくだろう。
 退治すべきは族議員だ、と信じている人が未だ多いだろう。それはしかし、そのぐらいの認識では甘かったのじゃあるまいか。
 退治すべきは、国民が首に出来る国会議員ではなくて、首にならないお役人のほうだったのじゃないか、と思うが、どうもこういう考えは人気がないらしい。

2005年9月07日(水)
アメリカじゃハリケーンで日本じゃ台風が猛威を振るっている。気がついたらなんとなく選挙の話題すら吹き飛んでしまっているし、その他のことも・・・たとえば文芸賞に15歳の中学生、なんて話題も普通ならもっと大騒ぎするだろうに、なんとなく消し飛んでいるのである。私はしかしなんとなく、羨ましくてならないのである。明らかにコンピューター世代の成果だからである。私が14,15のころなんて、まずもって原稿用紙に10枚以上の文章を手書きで書く、なんてことは物理的に困難だった。100枚以上のボリュームで文書を書くなんてことは、大方の人は大学の卒業論文で初めて経験したと思う。だが、今時は実際、本当に楽に長い文章が作れる。それに少々、失敗しても修正も楽だし、出だしと結末をそっくり入れ替えるなんて荒業も造作もない。昔は下書きを書いて、直して、清書して、ととにかく原稿を仕上げるのは大変だった。いちいち辞書を引かないと漢字も書けないし。当たり前のことだが、たしかに作文そのもののストレスが大きく減ったのである。
 私だって、毎日毎日、こんな日記で長いときは原稿用紙換算で10枚も20枚も書いているから、20日分もまとめればそのまま単行本になるぐらいの分量である。昔なら絶対に考えられないことである。
 それに、調べものの手間が全く違う。ネット普及の前には、調べものというのは図書館に行って、一日かけてやることだった。今や、検索すればせいぜい10分以内に相当にマニアックなことでもつきとめることが可能である。それもまた技術レベルに個人差があるが、世界中のサイトを駆け巡れば、当たらずしも遠からず、という解答は得られる場合が多い。
 私は、はっきりいって今後は、入学試験などもコンピュータを駆使して調査し、コンピューターを使ってレポートをまとめて提出するようにしたらどうか、と思う。基礎学力も測るテストはもちろん要るだろうが、やはり当節はそういう応用力も測るべきである。もっとも先進的な企業や学校ではもう近いことをやっているようでもあるが。
 話が飛んだが、要するに、原稿用紙に100枚も200枚も書く、そのこと自体がかつては苦痛だった。また、世の中に関する最低限の知識も必要だった。だから、まとまった文章を書くには、ある程度の肉体的な年齢がどうしても必要だった。やはり時代が生む才能というのはあるもので、私たちのころを振り返ると、やはり難しかったことだろうと思う。
 私らのような、30代の後半ぐらいの人間というのは、考えてみると世間に出たときはバブルの時期だった。年功序列社会の尻尾についた世代である。その後、世の中が壊れてきたもので、気がついたら旧世代でもない、新世代でもない中途半端な位置になってしまったという意識があるが、どうであろうか、ご同輩? それに、私らの頃は半ば本気で「1999年に世界が滅びる」という呪縛が世の中の雰囲気としてあった。本気で滅びると信じていたものは少ないが、しかし終末論的な意識が強かったのは確かだ。21世紀にならないとなにもする気が起こらない、という停滞感があったのである。
 いってみればノストラダムス世代である。この世代というのは・・・案外に私は、1965〜1970年ごろ生まれの人というのは、もう少し上の世代や、あるいは10代、20代の人らと比べても、世の中の活躍度が自分も含めて消極的なんじゃないか、と見ているんだがいかがであろうか。飛びぬけて冒険的なことをなかなかしていない、というのはやはり旧世代的な手法も、新世代的な破壊も身についてない、端境期の悲哀があるんじゃないか、と思うのであるが。
 しかし、案外に我々はよくいえば大器晩成の型を持っているのかもしれない。そう信じていたほうがよろしかろう。今後の日本国は明らかにかなり生きにくい、弱肉強食社会に移行すること自体はもはや止められまい。今度の一度の選挙の結果どうこうということではなくて、大きな流れである。
 自分の型、というのはその中で作っていくべきであろう。流れに乗るにしても抗するにしても、である。
 ◇  ◇   ◇
 おもしろい映画を見つけた。行きがかったDVDショップでレンタルものとして置いてあった「オペレーション・ワルキューレ」というドイツ映画である。これ、2004年製作だそうだが、あまりに興味深いのでレンタルじゃなく買いたい、といって注文。入荷までに数日を要した。言うに及ばず、例のヒトラー総統暗殺未遂計画を遂行したシュタウフェンベルク大佐の物語である。似たような映画はいくつかあるが、本国ドイツ製作のカラー作品である本作は、目下のところの決定版じゃないだろうか。もちろん、出演者は全員ドイツ語であるのは言うまでもない。
 すごいですね、これ。原題は「シュタウフェンベルク」である。見てみましたが今までのどの総統暗殺ものより時代考証面ですごいかもしれない。細かいところで、研究成果を駆使しているように見受けられた。たとえばシュタウフェンベルクが時間がないために、持ち込んだ爆弾の一個しか起動させなかった、とか、ベルリン帰還時には帽子を失っていた、とか、ベック大将の自決シーンも史実どおり、死に損なって無様に殺される、などいろいろと細かいのである。参謀用の襟章やズボンの側線までばっちりである。戦前のシュタウフェンベルクの礼装シーン、兄のベルント・シュタウフェンベルクの海軍予備士官らしき服装や、この兄が最後まで一緒にいて逮捕されたという描写も興味深い。
 一箇所だけ、アフリカ戦線のシーンで将官の襟章が上下逆さについているのに気付いたほかは、もうすごいの一言。ヒトラーやゲッベルス役の人たちも、似ているという点では「ヒトラー最期の12日間」より上。レーマーやオルブリヒト、フェルギーベル、フィッツレーベン、それにシュタウフェンベルクなどなど、みんなよくホンモノに似ています。2004年製作だそうですが、やはり終戦60年を前に製作したんだろうかしら、と思う。飛行可能なユンカース三発機まで登場して、本当にマニアには圧巻である。まず、戦史マニアは必見である(お値段は少々高いが我慢である)。
 ついでに、この映画の予告編でいろいろドイツ製作の妙な映画の宣伝が付録としてついておりまして、特におかしかったのはドイツ語によるローマの傭兵の物語。その題名も「ラスト・グラディラーター」(苦笑)。おもいきりパクリもんで笑えましたが、よく出来ているようでもありました。
 ドイツ映画界、なんてものはいまどうなっているかしらないが、ヒトラー映画が起爆剤となって活性化してくれると嬉しい。もともと世界に冠たる映画大国だったのである。


2005年9月06日(火)
  北朝鮮拉致被害者家族会が衆院選の立候補者に緊急アンケートを行った、という結果をテレビで見た。正確な数字は忘れたが、北朝鮮への経済制裁発動に自民党の候補の76%、公明党の45%、民主党の68%(ぐらいだったと思う。大間違いな数字ではないと思う)が賛成で、社民、共産は「0人」であったそうだ。
 このところの選挙戦を見ていて、ことに共産党など、はっきりいって言っていること自体は非常にまっとうで、ただ単にその主張だけ聞くといちばんまともに思えるほどである。確かな野党がないと、というキャッチフレーズもなかなかよろしい。日本を諦めない、よりよほど明快である。ちなみに民主党のこのフレーズはなんでこんなに詰まらないのか。ほかの案として「もっと大事なことがある」というのがあったそうだが、没になったとか。なんで没になったのか分からない、絶対にこの案のほうが明快だったと思う。
 とにかく社民、共産については、やはり正体見たり、である。左翼政党は左翼政党で、そんなものでは困るのである。経済制裁などしても意味がないじゃないか、という理屈ではなくて、必要ならやるかどうか、ということである。国益上で必要なら相手がどこの国であってもためらわずに制裁だろうが国際裁判所に提訴だろうが、場合によっては宣戦布告だろうができなければ政権党にはなれない。相手がどこの国でも、だ。
 その意味では、相手が中国だろうが北朝鮮だろうが、はたまたアメリカだろうが、ということである。50年後ともなればいかなる可能性もあり得る。国際政治など一寸先は闇である。
 さてそれで、私は明らかに小泉流が好きでない、と言明している人間だ、だが複雑怪奇なことに、所属は保守系のマスコミでもあり、あえて自分の立場で言えば自民党が勝利してくれても私の個人的立場では構わない、とも書いてきた。要するに小泉さんの手法にファシズムの匂いを感じるのが嫌なのである。自民党そのものというよりは、小泉純一郎が好かないのであるから、あえていえば世間の小泉ファン「小泉さんは好きだが自民党は好かない」という人と正反対であるといえる。
 そして、今回の選挙に関することでは、割にどうしても近い意見表明になってしまうので誤解があると困るのだが、今書いたように、左翼政党はまったく評価していない人間でもある、私はことに昭和天皇存命中は、ごりごりの右翼だった、と白状してよい人間だったと思う。
 しかしそういう意味では、古典右翼的な、あるいは「スメラ・アナーキズム」的な発想で行って、一自民党総裁ごとき者が支配する国家体制はちっとも好みではない。また自民党的な親米路線もちっとも好きではない。あえていえば、終戦時になお徹底抗戦を唱えた連中に共感を覚える。それが首尾一貫している、ということだと思う。あれほど敵国だったもの、原爆のことなど思い出すと腸煮えくり返るのをニホンジンは誤魔化して来たわけだが、所詮そんなものは糊塗に過ぎない。つまり多くある戦後日本の大嘘の一つだ。
 その意味では、日本は神の国なんて言ってしまった頭の悪い素朴な首相のほうがなんぼかましであったかもしれない。
 日本は大統領制にするとまずい国なんじゃないか、という危惧が一部で昔からあるが、小泉フィーバーを見ていると確かにその危険性はあると思われる。国民に政治参加の意味がどうも分かっていないようだからである。
 二大政党制は、基本的には金持ち党と貧乏党に分かれるべきである。だから自民党は金持ち党である、という路線を小泉さんで明確にしたのである。
 そこらが見えていないで、小泉さんを応援する人はどうも理解できないのである。
 ◇  ◇  ◇
 下のやり取りは、私にTBしてくれたある人のブログについたコメントである。ちなみにその人は小泉式の弱肉強食主義は嫌い、という立場で、増税も自衛軍整備も反対、ということだった。
 これに対して、意地悪な書き込みをした者がいた。
「増税は仕方ないですよ・・・もうあの額を返すには。それなのにその事にはサッパリ言及しないで夢見がちな事を言うほうがよほど胡散臭く無責任かと思います。私は仕事を持っている女なので刺客(ヒドイ言われようですよね)の女性候補達には好感を持っていますけど・・・友達になりたい、とかじゃなく女として仕事のこととかについて教えてもらいたいな〜と思ってしまいますね。9条については中国の属国にはなりたくないですしね(笑)主権をアジアの国(つまり中国韓国?)に渡したいとかいう党もあるようなんで・・・主権が国民に無い国って、どういうことか分かります? 」
 これに対して、サイトの管理者はこう答えたのである。
「きっと裕福な暮らしをされているのでしょうね。我が家にとっては消費税のアップは死活問題なので、とてもあなたのような余裕ある発言はできません。中国の属国云々についても全く、意味不明の理論ですね。この件についてもこれ以上おはなしするつもりはありません。ただ、あなたが、軍隊というものや戦争というものをとても観念的にしかとらえてないような気はします。中国のことを心配するより、アメリカのニューオリンズで今なにが起こっているかをもっとよく見られたほうがいいと思います。被災された方の悲惨な状況、アメリカ政府の支援の遅れ・・。そして、世界のことをちゃんと見るには彼らの視点に立たないと本当のことは見えてこないと思います」
 実に冷静でいい返答である。
 私はこれについて、さらに下のようなコメントをつけたので、ここに紹介する。
Unknown (辻元よしふみ) 2005-09-06 02:28:53
「TBありがとうございます。
上のやり取りを拝見しました。私は基本的には決して左翼寄りの人間ではありません。しかし近頃の人の中にある非常に軽薄な保守主義には辟易します。国防力を保持する、というのは観念的なものじゃない。ことに若年人口が減る将来には、アメリカでも非常時にはあるし、現在だとタイ国軍などにある選択徴兵制度ぐらいは導入される、という覚悟は必要です。10代、20代の人の場合、評論家のように語ってはならない、自分が兵営に行く覚悟をもってもらわないといけません。また、増税の問題でも、現政権よりの支持者はなぜか、自分だけは関係ない評論家のようなものの言い方をする人が多いのが不思議です(上の書き込みの人もそうですね)。
 下手をすると年収の10%とかそれ以上の減収になって今の生活が維持できるのかどうか、さらに年金も削られていきますが、老後の20年とか30年とか、ひょっとしたら病気もするかもしれないが高額医療の上限も変更していきます、とこのように相当に個個人の今の生活レベルを下げていくことを具体的に考えないでものをいうのは馬鹿げております。はっきりいって年収1000万円程度の人間ではちっとも勝ち組連合に入れません。
 上の人が、開業医か創業経営者で株式公開で巨万の富を得られる人か、あるいは大企業のCEOならまったくこういう意見でいいのですが、もしせいぜい年収が1500万円以下の庶民ならば(その程度ならしょせん庶民です)、まあ思い上がっている、と申し上げてもいいすぎではないと思います。
 ついでいえば、中韓など気に入りませんし、そういう意味で左翼政党を応援する気はありませんが、しかし現在の日本がアメリカの属国どころか占領下にあるという実態も理解しないで、アメリカ従属化の繁栄、などという幻想を素朴に抱いているのなら上の人はやはり、ご自分なりにクールなつもりで大したビジョンをお持ちではないでしょう。
 日本の相対価値が低下した場合、どこの国も「属国」にすらしてくれません。後は、資源戦争と、軍事的な拠点としての価値だけが残ります。
 50年後の日本は、いってみればただの土くれでしょう。米中どちらもまともに相手にしてくれるとは思えません。尻尾を振ってももう振り向いてもくれないだろう、ということです。
 未来はどう考えても決して明るくありません」
 なぜこれを引用したのかというと、とにかく近頃のあちこちに見られる小泉支持派の論理は「中国韓国は危険だ」「日本はアメリカのお陰で繁栄しているのだ」という前提をまったく無批判に肯定した上で、非常に評論家的に国家の財政を心配しているような論調が多いのが気になるのである。
 何度も書いたことだが、今一度、書かせてもらうのである。
 あなたは大企業のCEOなのか。だったら小泉さんの減税策に支持を与えるのは当然である。 高額所得者もそうであろう。
 しかし、たかだか年収が1000万かそこらでもし自分が勝ち組だと思っているなら、あなたは将来的には裏切られるであろうし、ましてもっと収入が低いなら、もうちょっと冷静になったほうがよい。ニューオーリンズで捨てられたのは貧乏人であった。イラクで戦死している兵隊も貧乏人であった。負け組みであった。日本では人種問題が正面に出ないだけに実はもっと悲惨なことになるかもしれない。たとえばいずれ救急車も有料になるという。払えないものは死ぬのである。何事もそうやって優勝劣敗となる未来・・・。楽しいじゃないか。
 かつてのナチス党なら、早めに入党しておくと後でメリットがあったが、今の自民党はここで一票入れたからと言って、その人だけ優遇するなんてことはないと思う。
 郵政の次に標的になるのはどの業界か、どの職業か。
 あなたが政治評論家を気取っているなら、やめたほうがいい。自分の生活の問題なんですぞ。



2005年9月05日(月)
 毎日新聞によれば、「イラク戦争は3週間で終わらせたのに、なぜ国内の被災者を救えないのか」「(被災者に黒人が多いことは)アメリカンドリームの暗部を露呈した」。米紙ワシントン・ポストは4日、唯一の超大国・米国で起きている大型ハリケーン「カトリーナ」の救援活動をめぐる混迷ぶりに驚きを隠さない海外メディアの報道ぶりを伝えた。
 特派員からの報告をまとめたロンドン発の記事は「世界の人々は今見ていることを信じることができない」で始まり、「アルゼンチンからジンバブエまで、米国の力に対する思いが揺らいでいる」と指摘している。記事によると、特に目立つのがブッシュ政権の対応の遅れに対する批判だ。英紙インディペンデントは3日付の1面で「ブッシュ大統領はどこにいたのか」の見出しを掲げ、「米国は人口2500万人のイラクを3週間で制圧したのに、体育館(ニューオーリンズのスーパードーム)の2万5000人を(迅速に)救出できなかったのか」と問いかけて見せた。仏フィガロ紙も、米軍がインド洋大津波では素早く被災地に到着したことを引き合いに出し、「なぜ同じことが国内でできなかったのか」と疑問を呈した。また、被災地に残された人々に黒人や貧困層が多い「人種問題」に「世界は困惑している」と説明。ウガンダやタンザニアなどの東アフリカ諸国のメディアは、こうした視点から、ブッシュ政権の対応の遅れを厳しく批判しているという」・・・とのことだが、実に同感である。スーパーパワーだ、すごい国だ、偉大な国だ、となにかと自画自賛しまくるあの国民性がとにかく鼻につくわけで、それが嫌いだというヒトも世界中で多かろう。あれはもはや、自分のユナイテッド・ステーツについて、上に「偉大な国」と冠をつけないと言えない状況、かつての日本での「畏くも・・・」(大元帥陛下におかせられましては)とか、北朝鮮の「親愛なる指導者、不敗の神将・・・」(金正日同志は言われました)などと同じようなメンタリティーで、「愛国者じゃないと駄目」というのがアメリカ社会の基本になっているものだから、それが決まり文句である、というにすぎまい。
 イラク戦争の時は猫も杓子も愛国者でなければならず、ブッシュ支持でなければならず、まともなアメリカ市民は正義の使者であるアメリカ軍を支持すべきであり、そうでない者、批判的だったり疑問を呈したりするものは一切、「非国民」ということであった。銃後から前線の兵士を撃つような真似はしてはならない、というのがそのときのアメリカ人の言い方だったが、その同じ言い方は実はナチスドイツでよく使われたものだった。もし政府に批判的であるとしても、若者たちは戦っているのだから、それを応援するのは当然だ、それが愛国心というものだ、という論理である。しかしこれは、言ってみれば「開戦したもの勝ち」という理屈になり、それでブッシュというヒトは支持率を維持してきた。あんな戦争、おかしいじゃないか、アメリカ兵も死んでいるがイラクのヒトがもっとたくさん死んでいるじゃないか、と当たり前のことを早くから口にしたダン・ラザー氏などつるし上げにあってしまった。その後、3年たち4年たち、彼こそもっともまともなジャーナリストだったのじゃないか、と言われているが。見直された今になっても遅い、ダン・ラザー氏は先日、がんで亡くなってしまった。
 アメリカじゃひところリベラルであることは駄目、という風潮になって、いってみれば国を挙げて権力と金力の信奉者であるべし、ということになってしまった。いわゆる勝ち組信仰である。ブッシュ政権というのはそういう流れの象徴であった。
 しかし、今回の一発の台風でそんな単純素朴な力への信仰も揺らぐのではないか。案外にこれは、9/11テロ並みに大きな後遺症になるんじゃないかと私は見る・・・これはどうも、風速なんかも過大な数値が出回っているが、日本にきた伊勢湾台風なんかと同規模の台風であり、日本人の感覚じゃそんなに巨大ともいえない台風だった、なんて話もある。だがその風速以上に、もたらしたものが大きいかも知れない。
 あんなものがアメリカなのか。誰しもそう思っているであろうし、あの程度の国の顔色をうかがってきたのか、と思う人も多かろう。自信を失っているアメリカ人もまたいるだろう。
 しかしひとり、今、国を挙げて、周回遅れでアメリカ式の権力信仰、勝ち組信奉に乗っかろうとしている極東の島国がある。
 本当にこの国はいつでも、流行遅れの服を着て、自分では行けている、と思っている地方都市の半可通OLみたいな醜さがある。
 ◇   ◇    ◇
 世論調査ではどこでも自民優位を伝えている。それが民意ならそれでよろしかろう。しかし小泉式のパワーゲーム、マネーゲームの流れは、実は世界的には時代遅れなのかも知れない、というのは考えておいた方がいいかも知れない。いつでも一周期遅れなのである、この国は。


2005年9月04日(日)
ぼんやり電車に乗っていて、ふと見上げた広告で「ミルヒ×ヨードル」というのを見つけてびくっとする。ドイツ空軍次官のミルヒ元帥と、ドイツ国防軍最高司令部統帥局作戦部長のヨードル上級大将が、なんで×なのか。戦うのか、それともBL流に言えばミルヒが攻めでヨードルが受けか。・・・錯覚であった。よく見たらミルコ×フョードル。格闘技の広告であった。
 このような錯誤をよくするのである。カレー粉のZEPPIN「絶品」も、見るたびにツェッペリン、に見えてならない。
 東京駅の地下、アニメ名作劇場キャラを売るお店であらいぐまラスカルの原作絵本を見かけたときも、作者のスターリング・リールだかなんか、そんな名前を「スターリング・ラード」と見誤った。
 病気である・・・。
 ◇  ◇   ◇
 東京駅の地下街もたまに行ってみると、お店が結構変わっている。贔屓にしていた洋食店のリッチモンドはなくなってしまって、そのかわりにキッチン・ストリートというのになってしまった。しかし、それがまたなかなかよろしくて、牛タン屋とか、リストランテ・ヒロのパスタショップとか、なかなかよろしいラインナップである。早い時間の勤務の日は近頃、なにかと東京駅地下に足を運んでいる。
 で、NHKやらフジテレビやらTBSやら、いろいろなキャラグッズを置いている一角に行って目の錯覚をおぼえたのだが、そこにまたなぜかものすごく汗臭いデブの男がやってきてラスカルのぬいぐるみを抱きしめていた。ああ、売リものが、と関係ないのに気になった。おそらく典型的なオタク男である。
 近頃、なにかと電車男以来、ちょっとしたオタク・ブームではあるが、そして二匹目、三匹を狙う本も多いようだが、ホンモノのオタクというものはとにかく臭い。これはけして差別的に言うのではない。社会生活を断ち切っているような人が多いので、概して身だしなみなど考えないために、そして運動不足で肥満している者が多いだけに、本当に臭いのが多い。コミケで見てみたらわかる。性欲と妄想ではちきれそうな人が多く、男も女も一見してよく似ている。髪がぐしゃぐしゃで、太っていて、眼鏡である。
 あんな一時の流行で面白がるのもよろしいが、決してそんな、純なものでもほほえましいものでもない。あまり美化して考えるべきものでもあるまい。
 ◇   ◇   ◇
 バルジ大作戦という映画がある。ドイツ軍オタクとか、プラモデルマニアが一度ははまったと思われる戦争巨編であるが、これにでてくるロバート・ショー演じるヘスラー大佐のかっこよさは、ほかのどんな映画の俳優より群を抜いている。
 この作品がようやくDVD化されたが、嬉しいことに、日本の地上波放送では出てきたのに、ビデオ版ではカットされていた、米軍に化けた特殊部隊(史実ではスコルツェニーの部隊)の訓練シーンが、今回はちゃんと出てくる。よかったよかった。
 どうも映画というのは、バージョンによって使っているシーンといないシーンがあって、私は記憶では「トラトラトラ!」でも、渥美清が出てくるシーンが地上波公開ではあったような気がするのに、ビデオやDVDでは見ない。なにか権利関係に問題があるのか。
 ◇  ◇   ◇
 アメリカは超大国なんだという。どうぞ自分で何とかして欲しい。人徳のない国である。
 ◇  ◇   ◇
 私の住んでいるあたり、どこの選挙カーも来ない。テレビさえ見なければ、なにも気にならないのである。くだらない空騒ぎである。・・・今日はとりとめなく終わるのである。
 

2005年9月02日(金)
「経済産業省所管の特別会計などで表面化した「支出実態のない予算付け」が、各府省庁の一般会計などでも横行していたことが明らかになった。来年度の概算要求に合わせ、財務省が全府省庁に洗い出しを命じたのに対し、未公表の総務省を除く12府省庁すべてが架空予算の計上や予算流用の事実を報告。問題のある予算付けは、昨年度だけで95件計約118億円に上っていた。政府が掲げる歳出削減努力を全く無視したかのような中央官庁のずさんな会計処理が浮かび上がった」(読売新聞)というのだが、これを抑制できるのかというと政治家なんてものも官僚上がりばかりである。切り込めるわけがない。
 どうせもっと肝心要のこと、がどこかに隠されているに相違ない。バカの一つ覚えのように「増税しません」と嘘ばかりいうどこかの党首がいるが、また例によって「総合的に判断して」「断行する」のであろう。
 くだらない。国などどうなってもよいのだ。大事なのは我々個々の生活である。イタリア人がけしてへこたれないのはそういう国民性だからである。あの国は独裁国家の祖型を用意したのだが、またおよそそんなものと似つかわしくない国民性なので、崩壊するのもどこより早かった。
 日本では、実のところ本当の独裁者を持ったことがない。だから暴言を吐き散らかし論理性のない無理難題を押し通すにんげんが「リーダーシップがあるように見える」。とにかくいつでも世界史の中で周回遅れをやる国である。
 暴君型のリーダーがなぜ生まれるかというと、ひとつには象徴元首たる上御一人、あの方がいまいち神々しさとか威厳がないせい、であることは間違いない。
 長い目で見たら、ようやく日本の民主主義も、ああいう大衆扇動型の政治家を迎えてほかの国々で言う1930年代レベルに到達できたのかもしれない。中国あたりの愛国者の言いぐさじゃないが、もう一回ぶん殴られて教育された方がいいかもしれない。
 ◇   ◇    ◇
 久留米の高校数校で、昼休みに「昼寝タイム」15分を設けたら、なかなか生徒に好評だという。それはまあいいのだが、BGMにモーツァルトを流すのだという。なんで、こういう話になると必ずモーツァルトなのか、あるいはこの人の曲を持ち出すと「癒やし」とか「安らぎ」とか「IQがよくなる」とか紋切り型で決着するのか、が気に入らない。
 なぜか大衆的なスタンダードになっていて、誰でもそれが出てくると葵の印籠のように一応、認めないといけないような雰囲気のモノがあると思う。そういうのは、一種のファシズムであると知るべきだ。
 最近の風潮で言えば、そのモーツァルト、ビートルズ、美空ひばり、綾小路きみまろ、片山恭一、そして小泉純一郎である。なぜか一度、大衆人気に火がつくと神格化して批判してはならない風潮になる。また波多陽区なんて小物だが、一時的に(半年ほど)妙に持ち上がった時期があった。
 ここでしかし、日本の芸能人や政治家とモーツァルトやビートルズを並べるのはいけないかもしれないが、次元は違うと言っても、一時的な神格化を受けたのは事実である。
 私はなにか、この手の神格化がどうしても好きになれない。要は、自分自身がいい、と思えない限り、誰が褒めようがいいと思わないことにしている。
 モーツァルトは私には軽薄でちゃらちゃらしている。ビートルズはヴォーカルの汚らしさが好かない。美空ひばりは冷静に聴けばニュアンスばかり先走った下手なカラオケのようである。綾小路はなんで笑えるのか本当に一瞬もそういう場所が見つからなくて閉口する。きけば中高年が、自分自身はまだ若い、と思って他人を笑いながら聞くのだそうだ。私は自分が若いともいつまでも生きられるとも思わないので、この人の自虐的ギャグが面白くも何ともない。腹立たしいだけである。総理については、もう繰り返すまい。彼の手法は政治史やファシズムの研究家にはおなじみのやり口ばかりだが、それに魅せられる人が多いのだからどうにもならぬ。ヒトラーなども実際、小金持ちのプチブルがいちばん応援した。今の日本でも「自分は勝ち組」と信じているおめでたい馬鹿者が応援しているのだろう。波田についてはもう消えかかっているからどうでもいい。ただ、なんであの芸がうけたのかまったく分からない。ヒロシとかレイザーラモンなら私は笑える。要するに「斬り」などといって実際はなにも言っていないから気に入らないのだろう。
 自民党は甘っちょろい、どころじゃない。日本人は甘っちょろいのであるが、刻一刻と大地震が迫っている。いっそのこと、そういうことで真面目にならないとこの国は駄目なのかもしれないと半分本気で思う。
 アメリカはハリケーン渦で、ブッシュが政権の支持率浮揚を期待、などと言ったモノの、実際にはとうてい駄目らしい。夏休みで遊んでいたは、対応が遅いは、インド洋にはすぐに援助物資が送れてなんでニューオリンズにはなにもできないのだ、と言われるは、そしてとどめは「貧民はなんでほっておかれるのか」という話だ。
 化けの皮がはがれたというところか。
 今回のハリケーンで、ニューオリンズ在住のロックンロールの開祖ファッツ・ドミノが行方不明になっているという。どうなってしまったのだろうか・・・。 


2005年9月01日(木)
9月である。そろそろ街行く人の衣裳もなんとなく秋色に変わってくる。早い人だともう来週ぐらいにはブーツをお披露目、なんて女性もいるだろう。少々暑いとか寒いとかいうことと、衣裳とは本質的には関係ないことだ。クールビズとかウオームビズとかいう話の趣旨は悪いと思わないがそれでもあんなものくだらない、とどうしても私が思うのは、冷暖房の温度なんてどしどし都合に合わせて変えればよい、その際に人間の衣裳なんて本人の勝手でいいじゃないか、ということである。暑くても寒くてもやせ我慢したい人はすればいい。もっとも私の職場のように、どんな服装であっても基本的に自由であるところだからこそ、あまりクールビスに意味を感じないのかも知れないが。私は背広派であるが、それはあくまで私個人のファッションである。内勤部署なので、別に仕事として必須ではない。ただ慣れてしまうと、かえってポロシャツだのジーンズだのいう服装の方が暑苦しいし着心地も悪い、と感じるだけのことである。
 おまけになんとなく、クールビズは現政権の支持者のような印象になるのも面白くない。私が例年だとけっこうネクタイを外していたのに、今年はむきになってしめて歩くにはそんな心理もなくはない。ひょっとして首相が替われば、平気で外して歩くかも知れない。
 が、本質的には、ネクタイぐらい外しても実は暑いのが暑くなくなる訳じゃない。本当は、できるだけ早く「通勤」ということをしなくてよくなることである。出社に及ばなければならない仕事をできるだけ減らせばエネルギーの一大節約になるだろう。
 それにである。おまけに私は基本的に手ぶら通勤派なので、上着にサイフやなにやら、小物を全部つっこむ主義である。必要に応じて、折りたたみの傘まで内ポケットに入れて歩く。クールビズがマイブームにならないのは私の必然である。ウオームビズ、というのもベストを着て歩け、というような話だが大きなお世話である。私はいつでも冬になるとベストを着ている。流行など関係ない。まして政策的な干渉など実に迷惑千万である。
 ◇   ◇    ◇
 このようにアナーキストに近いほど上からなにかを云われることに嫌悪感を覚える私だが、アメリカのニューオリンズの惨状を見るに、こういう場合は行政がしっかりしてくれないと、と思う。史上最大級のハリケーン「カトリーナ」の風速はなんと80メートルだったというから驚く。私は以前、青森で取材中に季節はずれの台風のような低気圧に巻き込まれたことがある。青森駅の構内に止まっていた電車が風でひっくり返るほどの突風であったが、あれで風速40メートルだった。80メートルというと想像が付かない。
 先日の台風11号の来襲の時、「事前にくるのが分かっているのだから台風で慌てる必要はない」と悟ったようなことを書いた私だが、やはりカトリーナの襲来にあたり、ニューオリンズ市民50万人のうち40万人が事前に避難していた、という。今残っているのは逃げたくても車がないとか、金がないとかで逃げ出せない貧民10万人なのだという。
 それみたことか、でアメリカではやはり、こういう場合も貧民は死ぬしかないようである。だから腹いせに暴動、略奪をしているそうである。おおよそ、これは一つの目安であろう。
 アメリカ市民のうち、下から20パーセントほどは、社会の中で相手にされていない層、という現実である。またこれが今後の日本の未来図でもある。
 小さな政府、もけっこうだがなんでも自力更生、ということは、こういう場合でも逃げ出すだけの力のない者は風速80メートルが来るのが分かっていても、死をかけてとどまるしかない、という現実である。
 実は妻の知人で、日本の音大を出た後、なぜかニューオリンズでジャズではなく、クラシックの交響楽団に就職している人がいるそうである。近頃は疎遠だったようだが、さすがにこうなると気になると妻が云う。実際、よその地域に脱出していても、もはや当面、この町で音楽活動というのは絶望的だろう。
 ブッシュさんは夏休みを返上して(当然だが)指揮を執るとかで、「必ずこの偉大な町は甦るだろう」なんて演説していたが、市長がいったという「まるでヒロシマだ」という現実を目にするとそりゃあ復興は1年や2年じゃすむまい。市長は、「市の総撤退」宣言をしたそうである。
 イラクの方じゃまたシーア派とスンニ派が泥沼の構想に陥りつつあって、ブッシュさんが「日本を見てみなさい。イラク戦争は断じてベトナム戦争じゃない、太平洋戦争なんです」と演説したようだが、こういうときに引き合いに出されるたびに日本人としては面白くないものがある。そんなに植民地化できたことがうれしいなら、イラクも完全に植民地化すればいい。ただ日本には天皇といういってみれば人質があった。イラクでは神様を人質にはできない。引き合いに出すこと自体ばかげているのである。日本のような従順な国は決してほかにはあり得ない。
 近頃の若い世代にはとにかく現状を肯定する、無批判に、歴史的な経緯をいっさい知らないでアメリカ従属による経済繁栄バンザイ、ニッポン最高、と云いたがるような風潮があって、今回の一連の政局で小泉自民党を確信犯的に支持しているニューリッチな連中なんてそうだと思うが、先々は甘くないぞ。
 災害復興で目先のアメリカの株価は上がるかも知れないが、原油高が危険水域である。日本でもこりゃオイルショックになるかもしれない。そうなればまた「踊り場脱却」どころじゃなくなる。アメリカの経済がダウンすれば日本はおしまいであるうえに原油高を支えきれぬ。中国の油がぶのみだって収まるわけがない。つまり原油高は当面の危機を脱しても高いところで止まってしまうであろう。
 日本はずっとデフレであるが、そろそろ原油高が転嫁されて物価が上がるだろう。しかして一般人の給与水準は横ばいかあいかわらず賃下げ傾向が続くとしたら。それに年金水準も下げ一方である。そりゃ、つまりスタグフレーションの襲来である。
 郵政がどうの増税がどうの、といっておれるのは今だけかも知れない。日本の倒産はもっと早いかも知れず、そうなりゃ本当にアメリカに合併されるかもしれない。
 

2005年8月31日(水)
京都新聞の記事でこんなものを見掛けた。「来春開校する同志社と立命館小の学校計画で、豪華な設備や学用品が保護者の関心を集めている。・・・7月に開かれた同志社小(京都市左京区岩倉)の説明会。給食提供先が京都宝カ池プリンスホテルと発表されると保護者からどよめきが起きた。仕上げは校舎内で行う半自校式で「給食時間前には良いにおいが漂い調理の仕事も分かる。ホテルとはテーブルマナー学習などでも協力したい」(同小)と説明する。一方、「本物志向」を掲げる立命館小(北区小山)は給食を大津プリンスホテルに委託。府外で学校までやや距離があるが「ホテルで調理した給食を保温保冷コンテナに入れて専用トラックで運ぶ」という熱の入れようで「食育重視」を強調する・・・」うんぬんである。
 私など、親の都合で全国引き回し、ジプシー生活をしていたが、地域により学校により給食もさまざまだった。それにしたって、小学校の低学年時代となればもはや30年も前、中学校の給食というものを食べたのも24,5年ほども前になる。だから隔世の感があるのは当然なので、ちょっと昔だと、戦後すぐの脱脂粉乳の給食を食べた世代が、近頃はぜいたくになって、などと言ったものだが、今となっては私のような昭和後期生まれの人間でも、ついつい「最近の子どもはどこまで贅沢になるのやら」と嘆ずるしかないのである。
 私の頃というと、とにかくなにか教育行政と結託しているらしい業者の納入するまずいばさばさのパンと、汚らしいビンに入った牛乳、それにまた食えたもんじゃない、言葉は悪いが「ゲロのような」と申し上げるしかないおかずらしきものが、アルミの入れ物に入っていて、もちろん先割れスプーン一本ということだった。ある学校(滋賀県)などでは、そのおかずの入っていたおわんに最後にお茶を入れて、飲み干すということを教師が指導していた(!)。そうすると後の片づけが楽なんだ、という。あんなバカなことをまた言われたとおりに指導していた教師も教師だが、それでなんの疑いも持たなかった我々子どもも牧歌的な時代だった。
 私は、はっきりいってあまりに給食というものがまずく、食べることが出来ない子どもだった。それで狂信的な教師とか、その手先の憲兵隊みたいな「給食委員」とかいうものにさんざんいじめられたものだが、馬鹿馬鹿しい、喰いたくないものなど喰わなければいいだけのことだ。だが、なにしろ学校の幹部も戦前、戦中派の時代のことである。食い物を残すのはけしからん、という話の一辺倒だったが、そんなもの喰えるようなまともなものを出すのがお前らの義務だろう、というのが先にあったはずである。別に軍隊みたいに天皇陛下からいただいた食事ではない。
 それに引き比べていかに今時の学校は、という話は世に満ち満ちているから省く。それにしても子どもが少なくなる時代の私立の小学校ともなれば、一流ホテルの飯、だそうである。
 こうして、恵まれた環境のお子様方はそういう次元で育っていくのだろうし、もしまた万一、その中で運が悪くて普通の公立に転校しなければならなくなる(つまり親が転落する)子どもとか、また将来的に苦しい生活を強いられる場合には、よほど耐えられないだろうと逆に同情する。私はなんらの英才教育も受けることなく、よい学校も行くことはなかったけれど、そのお陰様で、大人になってだんだん自力でそれなりの飯を食うなり、それなりの生活環境を整えるなりするたびに、非常に嬉しく感じるのである。そのへんは後で聴けばかなり親の教育方針であったようでもあるが、それでよかった、と思っている。
 贅沢豪華がいい教育、とは到底思えないのだが・・・。

 今日で夏休みが終わる。長い、長すぎる。近所のガキどもの金切り声に閉口する。外で遊ぶのはいい子ども、なんてのは絶対に幻想である。ろくなものではない。ホテル流の飯を食う特権階級と同時に、遊びほうけているこういう子どももいる。日本社会の行く末の構図は自ずと見えてこよう。

 ◇  ◇  ◇
 ヤドカリを救え、というサイトを運営する「てとら」さんから下のような連絡があった。
「9月2日にフジテレビの朝の情報番組『とくダネ!』にオカヤドカリの話題が放映されるとのことです。これ事態は別に問題ないのですが、取材先がヤドカリパークという「簡易オカヤドカリ殺害セット」を販売しているWebサイトの会社がかなり問題です。ワイングラス・フラワーベース・金魚鉢などと生態をセットで売る何を考えているのかわからない会社です」とのことである。とくダネ!、といえばまあ軽薄な情報番組である。マヌケなアナウンサーやコメンテーターが雁首をそろえているので、なにを言うやら分からない。興味がおありの方はご覧になっていただきたい。どうやら、ワイングラスに生きたヤドカリを突っ込んで、おもちゃのように売っている業者である、とてとらさんはいうのである。どんな番組になっているであろうか。

ヤドカリパークhttp://www.rakuten.co.jp/yadokaripark/


2005年8月31日(水)
京都新聞の記事でこんなものを見掛けた。「来春開校する同志社と立命館小の学校計画で、豪華な設備や学用品が保護者の関心を集めている。・・・7月に開かれた同志社小(京都市左京区岩倉)の説明会。給食提供先が京都宝カ池プリンスホテルと発表されると保護者からどよめきが起きた。仕上げは校舎内で行う半自校式で「給食時間前には良いにおいが漂い調理の仕事も分かる。ホテルとはテーブルマナー学習などでも協力したい」(同小)と説明する。一方、「本物志向」を掲げる立命館小(北区小山)は給食を大津プリンスホテルに委託。府外で学校までやや距離があるが「ホテルで調理した給食を保温保冷コンテナに入れて専用トラックで運ぶ」という熱の入れようで「食育重視」を強調する・・・」うんぬんである。
 私など、親の都合で全国引き回し、ジプシー生活をしていたが、地域により学校により給食もさまざまだった。それにしたって、小学校の低学年時代となればもはや30年も前、中学校の給食というものを食べたのも24,5年ほども前になる。だから隔世の感があるのは当然なので、ちょっと昔だと、戦後すぐの脱脂粉乳の給食を食べた世代が、近頃はぜいたくになって、などと言ったものだが、今となっては私のような昭和後期生まれの人間でも、ついつい「最近の子どもはどこまで贅沢になるのやら」と嘆ずるしかないのである。
 私の頃というと、とにかくなにか教育行政と結託しているらしい業者の納入するまずいばさばさのパンと、汚らしいビンに入った牛乳、それにまた食えたもんじゃない、言葉は悪いが「ゲロのような」と申し上げるしかないおかずらしきものが、アルミの入れ物に入っていて、もちろん先割れスプーン一本ということだった。ある学校(滋賀県)などでは、そのおかずの入っていたおわんに最後にお茶を入れて、飲み干すということを教師が指導していた(!)。そうすると後の片づけが楽なんだ、という。あんなバカなことをまた言われたとおりに指導していた教師も教師だが、それでなんの疑いも持たなかった我々子どもも牧歌的な時代だった。
 私は、はっきりいってあまりに給食というものがまずく、食べることが出来ない子どもだった。それで狂信的な教師とか、その手先の憲兵隊みたいな「給食委員」とかいうものにさんざんいじめられたものだが、馬鹿馬鹿しい、喰いたくないものなど喰わなければいいだけのことだ。だが、なにしろ学校の幹部も戦前、戦中派の時代のことである。食い物を残すのはけしからん、という話の一辺倒だったが、そんなもの喰えるようなまともなものを出すのがお前らの義務だろう、というのが先にあったはずである。別に軍隊みたいに天皇陛下からいただいた食事ではない。
 それに引き比べていかに今時の学校は、という話は世に満ち満ちているから省く。それにしても子どもが少なくなる時代の私立の小学校ともなれば、一流ホテルの飯、だそうである。
 こうして、恵まれた環境のお子様方はそういう次元で育っていくのだろうし、もしまた万一、その中で運が悪くて普通の公立に転校しなければならなくなる(つまり親が転落する)子どもとか、また将来的に苦しい生活を強いられる場合には、よほど耐えられないだろうと逆に同情する。私はなんらの英才教育も受けることなく、よい学校も行くことはなかったけれど、そのお陰様で、大人になってだんだん自力でそれなりの飯を食うなり、それなりの生活環境を整えるなりするたびに、非常に嬉しく感じるのである。そのへんは後で聴けばかなり親の教育方針であったようでもあるが、それでよかった、と思っている。
 贅沢豪華がいい教育、とは到底思えないのだが・・・。

2005年8月30日(火)
 本日、第44回衆院選挙が公示される。かなり感情的に小泉さんを応援する人、逆にまた生理的な部分に至るまで毛嫌いする人、入り乱れて百花繚乱のようだが、きょうの読売新聞の一面に浅海編集員名で掲げられている解説記事が意を尽くしていると思う。
「郵政一本槍や増税ぼかしでは、あまりに小さな政治だ・・・。今回の選挙の選択は難しい。郵政民営化には賛成だが、首相のやり方は許せない、政権交代を望むが、岡田民主党には不安がある、そんな思いの人も多いだろう。・・・小泉自民党は党内の社民主義的部分を切り捨て、市場万能主義に傾斜した。だが、自民党は一様ではなく民主党も雑居型だ。対立軸は見えてこない。小泉首相が主導した刺客作戦はポピュリズム(人気取り)の典型だ。政治家たちの怨念のゲームをおもしろおかしく伝えるテレポリティックスは熱狂的なブームを呼ぶ反面、政治に対する嫌悪感をよび起こさずにおかない」
 非常に筋が通っていると思う。
 郵政民営化については、どちらの政権が誕生しても遅かれ早かれ行われるであろう。今ただちに350兆円の行方をどうこうするか、もう少し待って預金を減らすか、という差があるわけだが、そしてそのへんがいわゆるアメリカ陰謀説への回答といえなくもないが、しかしなんにしても「郵政が争点」というなら、左翼系の政党が政権を取らない限り、郵政の民営化はほとんど決定的である。
 それから、例のサラリーマン増税というのもどこの党も、あのままやる気はない、といっているのだから、少なくともあのままやる、ということはあるまい。ただ巷間言われる与党圧勝ならば、政権に白紙委任した結果として増税は早まるだろうと言うことだ。消費税の上げも、左翼系の政党でない限りどちらにしてもいずれやる、というのもはっきりしているであろう。
 さらに、読売新聞の緊急調査で企業経営者に行った緊急アンケートでも、今回の選挙は景気動向にほとんど影響がない、という答えが多かった。要するに、改革の方向そのものには揺らぎはなさそうだからである。
 まあ、こうなってみると、小泉さんが好きか、嫌いか、ただそれだけのこと、というのが実は本当のところであろう。そして、そういう判断でいいのであろう。
 小泉さんが好き、ということはあの人のマキャベリズム的なやり方、ポピュリズム的手法を含めてアメリカ共和党型、ということであり、市場万能主義である。岡田さんのほうはそれに比べれば、まあまだそれほど明確な性格付けにならないが社民主義的な政党ということになる、というか「新自民党」との違いを出すならそうなるしかないだろう。
 後は各人の社会的ポジションを考えてお好みでご判断を、ということであると思う。
 私は、もう理屈というより人間の好き嫌い、はっきりいって直感的でイメージ重視の政治家というのを嫌悪しているので、どっちを応援するかは決めているが、これとて消去法の結果に過ぎない。実をいうとどちらの政党が勝とうが私個人に実害はない。というか大増税されるときはみんなやられる、そのときは与党に応援した人を恨むばかりである。私の立場は気楽であって、結果として世の中うまくいけば口をぬぐって忘れる、しかし結果として悪いことになったら「それみよ、いわんこっちゃない」と言えばすむことである。 
 だから、どうなろうと知ったことではない、と無責任に言わせていただく。そして、公示してからはもうこの手の話はふれない、というつもりである。
 最後に改めて繰り返すが、熱狂だのイメージで投票するべきではない。
 あくまでもご自分の利益になりそうな投票をするべきである。
 



2005年8月29日(月)
近頃は私のような有象無象から有名人、政治家の皆さんもブログを持っていらっしゃる。
 いい度胸、というか元郵政相で郵政法案に反対した前自民党都連会長・八代英太前議員のサイトにもブログがある。八代さんのお名前で検索すればすぐに見つかる。最新の記述は8月24日である。武部さんらに説得されて出馬断念会見をした後である。
「ホームページ日記を2・3日、すっかり書き損ねてしまっていた。そうすると、全国の仲間からどうしたのか?体の具合でも悪いのか?と心配の連絡が入る。あの出馬断念記者会見から、明日で一週間になる。総選挙の候補者フィーバーも静かになって、あと一週間足らずで、総選挙の公示の日を迎える。・・・この地域の代表は、やはり国の連立のように、自公が中心であり、区政・都政・国政は一体的に責任を果たしている。だからこそ、私は大きな重い決断をした。当初は、何故?戦えよ!の声が多かったが、今は支持者の方々も、冷静になって、大きな決断だったね!さすがだね!とお褒めの言葉をかけてくれる。・・・きっと自民党は理解してくれる日が来る・・・・と確信している。この国を思えばこそ、選挙で与党が混乱し、民主党に漁夫の利を与えてはならない。この国を創るためにも、引き続き自民党が政権を担当しなければならない」などと未練がましい、といっては申し訳ないが、あれだけ干されているのにまだハイル・コイズミを唱えている感じであるのが滑稽、という趣である。
 が、私が寝ているうちに今日になって、この人がまた立候補するというのだから呆れてしまった。「東京12区から無所属で立候補することを正式に表明した。自民党が前日、同氏の比例東京ブロックでの擁立を見送ったことから、決断した。同日午後、本人が離党届を自民党本部に提出した」(朝日新聞)というんだが、要するに寝返ったものの、入れられないと見て再び寝返り、ということらしい。いい加減にしろ、という感じはご本人には悪いが、持たざるを得ない。変な人だ。ここの選挙区は公明党の太田昭宏幹事長代行が立候補を予定している。当然ながら自公の間は揉めるだろうが、しょせん自公連立なんて言ってもそれこそ互助会だから。八代さんのほんの数日前の日記を読み返せば、こんな結果を想像できるべくもない。政治家なんてこんなもの、ということである。
 記者会見で八代氏は、「無所属でも戦うべしと昨日決めた。土壇場での出馬宣言だが、地元の人たちが再び私を国政の場に送ってくれると信じている」などと決意を語ったそうである。「八代氏は会見の中で、小選挙区からの立候補を断念する交換条件として、「福祉枠」で比例単独での擁立を提示されていたことを明らかにし、「今の自民党には失望した。決別しなければならない」などと語った」というんだが、この人、簡単に失望したり、翻ったり、小器用なのは分かったがいい加減にしてはどうか、とは率直に言って思う。その一方で自公与党がますます混乱してくれるのは面白いといえば面白い。
 ◇   ◇    ◇
 昨日、近所の量販店で出来心で、中国製の3Dサラウンドスピーカーというのを2000円で買ってみた。そもそも安かったのだが、さら特売日で非常にお買い得だった。実は前からどんなものか興味があったので、これが何万円もするなら嫌だが、2000円ならまあ失敗しても痛くなかろう、と思ってのことである。
 で、さっそく自分の安物の古いテレビにつけてみたところ・・・すごい音である。天気予報のBGMのしょぼい音楽まで映画館で聴いているような音になる。驚いた。こんなちいさなスピーカーでここまでいい音になるとは。試しに戦争もののテレビゲームをやってみると・・・もう砲弾の音、機銃の音、腹に染み渡るような轟音だ。恐怖感を覚える。それから・・・なんとなくDVDを見てみる。「オペラ座の怪人」を見てみると、あのシャンデリアがつり上がるシーンで映画館で見たときのような衝撃を覚える。重低音がすさまじい。装飾的に入っているパイプオルガンの音がはっきり聴こえる。すごいものだ。
 それから、ついでにスピルバーグの、というよりスタンリー・キューブリックの事実上の遺作「AI」を見てみる。試しに、というつもりだったのに、音のよさで最後まで見てしまった。実は買っただけで見ていなかったのであるが、・・・キューブリックテイストのブラックなところと、妙にお子様のりのスピルバーグの持ち味が交互に出てくるのが奇天烈だが、トータルとしてはまぎれもない「キューブリック作品」に思われた。ジュード・ロウ扮する「セックス・ロボット」の怪演ぶりに驚く。どこまでも救いのない、どこまでもスケールの大きいエンディングになんとなく2001年宇宙のたびを思い出す。
 思い出してしまったので、その「2001年・・・」のオープニングを見る。あのツアラツストラのテーマのドンテンドンテン、という太鼓がまた地響きのようである。ジミ・ヘン、パープル、それから今となってはクラシックになってしまったクラプトンの86年のコンサートを見る。フィル・コリンズのドラムスがびしびしいう。さらに興に乗って、「ロード・オブ・ザ・リング王の帰還」の、ローハンの騎士団が突撃するあたりから大団円まで、結局ずっと見てしまう。
 気がついたらあたりは白々明け。時計は朝の6時に近い(!)。一晩中、DVDを見ていたのである・・・。
 立派なホームシアターシステムなどではない、たった2000円でこれだけ楽しめるのだから、安いものである。それとも、私が今時あまりにも安いテレビを使っているせいなのか。はやりの大型テレビなどますます買う日が遠ざかるようである。今時のテレビは滅多に壊れない、そして壊れない限りは買い換えないのである・・・。
 



2005年8月28日(日)
またまた、読売新聞の皮肉っぽい記事を見かけた。例の「ガリレオ解散」とかいう小泉さんだけが唱えていて、あんまりどこでも通用していない命名についてである。
「「研究者としては、気安くガリレオを持ち出さないで、というのが本音」と苦言を呈するのは、「ガリレオ」(中公新書)の著書もある金沢大大学院自然科学研究科の田中一郎教授(科学技術史)だ。ガリレオは、天動説が常識だった時代に地動説を唱え、異端審問にかけられた。首相は、郵政法案が参院本会議で否決された自らの境遇を、ガリレオと重ね合わせているらしい。異端審問で、ガリレオが「それでも地球は動く」と言ったとされるエピソードは有名だが、田中教授によると「そう言った事実はない」という。後世の伝記作家の創作らしく、研究者の間では「よくできたお話」で通っているそうだ。ガリレオは有罪を宣告され、地動説を撤回する。田中教授は「郵政民営化が地動説と同じような真理かどうかは別として、小泉首相がガリレオを名乗るなら、最後には郵政民営化を撤回することになってしまうが……」と話す」と思いっきり冷や水をかけている。
 まあ、はっきり言ってあの首相はイメージだけで安易にいくタイプで、ちょっとつっこまれると駄目、ということが事毎に多いお方。このネーミングもその一つだろう。実際、ガリレオは自説を撤回したから命拾いしたわけである・・・。
 亀井さんもこの件では「だって、天動説なのは小泉首相のほうでしょ」とコメントしたそうだが、まあその通り。権力者が言い張っているほうがむしろ天動説なのでは、とは思う。なにか弱いものいじめを受けているふりをして、ことに女性層の母性本能でも期待しているのかしら、というポーズが多いあの首相ではあるが、しかし権力者であるのはご本人であるし、権力を持っているくせに、いってみれば法案一つ綺麗に通せない、という意味ではかなり駄目な首相である、ということを見抜けないで応援している人というのは、芝居の筋が理解できないまま、ひいきのアイドルタレントに黄色い声を上げている低能な追っかけ主婦と変わらない(というか、首相の支持層はそういう追っかけ主婦と重なるのかもしれない)。先の税制調査会で「暇をもてあましている役立たずの主婦層」といって専業主婦を軽蔑する女性委員の発言が問題になり、私も取り上げたが、しかしああいう体たらくの連中を見ると何を言われても仕方がない人がいるのも確かかもしれない、と遺憾ながら思われてくる。
 先日にはまた、首相は「今の自民党は、戦国武将に比べれば権力闘争なんて甘っちょろいもんだ。命がとられるわけじゃないんだから」とか意味の分からない発言をしたようだが、この人の戦国武将好きにも困ったものだと思う。それじゃあ、忍者に暗殺でもされたいのだろうか、この首相は(まあ前後の文脈を読むと、私のことを信長みたい、という人がいるけれど私はそんな天才ではないです、とそんな謙遜は一応、してからの話だったようではある)。
 ◇   ◇    ◇
 私は、小泉さんのあまり教養を感じないなんとなくカッコイイもの好き、その結果としてのオペラ好きとかエックス好き、戦国武将好きを、そのへんのオヤジさんの床屋談義のネタとしてなら好ましく思うけれど、こんな一知半解の生知識のままの人が海外に行って、ワグナーが好きです、なんていってくるのかと思うとさすがに嫌になる。
 戦国武将については私だって結構、好きだし中学時代にはかなり入れ込んだものだが、小泉さんというのは「歴史好き」なのではなく、「歴史小説好き」なのだと思う。
 よく、実際には社長になれそうもない中間管理職向けの読み物に「戦国武将に学ぶマネジメント」なんて本が出るが、ああいうものを喜んで読む人、というのは・・・まあ素朴でいいんだけど、歴史者の素である森鴎外の「歴史そのままと歴史離れ」なんて論文を引き合いに出すまでもなく、講談みたいなもの、それも400年も前の人たちの言行をそのまま無批判に受け入れて参考にしているなら・・・やはりかわいい、というか、社長にはなれそうもない(苦笑)。しかしそういう人が総裁になってあまつさえ日本国の首相になっているのだからなんともいえないか。
 私は高校時代、ある先輩から「自分は豊臣秀吉にあこがれていて、ああいう者になりたいんだ」とか言われて、非常に軽蔑的な視線を送ってしまった。相手は内心傷ついて「今、馬鹿にしたろう」と言った。以後、それまで割と仲のよかったその先輩と疎遠になってしまったことを思い出す。しかしそのとき、私の方は「卒業間際のその年にもなって、なにか歴史小説を読んで秀吉にあこがれる、というのも幼いことだ。せいぜい中学生で卒業してもらいたい境地だ。あいつだって、晩年の愚かさとか、いろいろ残忍なこともやっている。とても歴史小説なんかに書いてあるような綺麗事じゃないはず」などと思っていた。単純素朴に英雄崇拝する人間が自分より年上だ、というのが理解できなかったのである。
 たとえば小泉首相が好きな歴史小説というのはどんなものか知らないが、山岡荘八とか吉川英治とか、ああいう人らの書くもの、もちろん面白い。面白いけれどしょせんは面白い読み物である。司馬遼太郎にしても、近頃は書いていることに嘘が多い、偏見も多い、と批判にもさらされている。
 山岡荘八の「織田信長」など、私は中学時代に擦り切れるほど読んで、今でも5冊とも持っている。しかし桶狭間にしろ、長篠にしろ、かなり史実とはかけ離れているのは今では知られている通り。今回の解散で引き合いに出された比叡山の焼き討ちでも、山岡版のほうは信長サイドに沿って悪い坊主を制圧する感じで描く、しかし元本の「信長公記」など積年の怒りを散ずるためにやるのだ、と個人的報復感情でやっているのだ、と大田牛一の筆はけっこう厳しい。山岡が、信長の命令で女子供も残らずきられた、と書くところも、元本では、いちいち信長の目の前に引き出され、こんなものまで斬らなくても、と周囲のものが諌めてもいちいち首を切らせた、とある。きちんとリアリティーのある小説にするなら、この信長がいちいち、民間人が引きずり出されるのをまたいちいち喜んで首をはねる、というシーンを描かないと本当ではない。
 そのちょっと後、長島攻めの章でも、ここは実は信長が一揆勢に痛い目に合う情けないところで、投降した一揆の連中を待ち伏せしておいた鉄砲隊で射殺しようとした、などという汚いことをしたうえに、織田軍のはかりごとに気付いた一揆側が辛うじて身に帯びていた刀だけで反撃、ところがこれが意外に必死の勢いを生んで、油断しきっていた織田軍は大敗し、信長の庶兄・信広以下多数の一門親戚が戦死するという惨状になった、というのが史実であるがここらも、なんか綺麗な書き方でごまかされている。「時世の流れは信長についておる、目の見えない馬鹿者を切り伏せよ」と信長が号令していけば、結局、なんとかなる、という描き方が毎度毎度繰り返されるのである。
 このように、織田信長といっても史実ではいつも格好いいわけじゃなく、敗北も多いしみっともないことも多い。しかし歴史小説、講談のたぐいではみんな整形されてしまうのである。
 歴史小説の祖は森鴎外だが、彼のような人だと決して綺麗事として描かない、テーマは「面白さ」ではないからである。最後にはそのテーマ性すら忌避して地味な人物を史実だけの積み上げのみで描く「史伝」にいってしまったのは有名な話である。
 鷗外というと、日本最高の文豪であると共に陸軍軍人として最高位の人だったことに気付く。山県有朋に近い人でもあった。この山県の薦めで書いたという「かのように」なんて小説を読むと、後の統帥権問題や天皇機関説の問題、2・26事件からその後の陸軍の問題につながるようなことまで、一見、そんなこととは関係ないまったくの文学作品のふりをして描かれている。
 鷗外がたんなる一作家じゃなかったことを考えるほど興味深いのであるが、またほかに「余興」という小品がある。
 同郷の人の集まりに呼ばれたところ、その日の余興の幹事の某陸軍少将が単純な人で、浪花節だけは面白みが分かる人物である、そしてその少将が呼んだ浪曲語りが、延々と、単純なお涙頂戴の赤穂義士の浪花節をやる。自分はそれを聞かされて閉口するが、実はああいう単純なお話を愛する将軍は好人物で、ここで斜に構えてインテリぶっている自分のほうが嫌なヤツかもしれない、と思う・・・そんな筋立てである。
 はっきりいって、愛すべき歴史的英雄の講談、浪花節、あるいは非常にわかりやすい「歴史小説」・・・おそらく鷗外に司馬遼太郎や吉川英治、山岡荘八などを読ませたら、これは子供向けの講談かね、とか紙芝居かね、とかまあわかりやすいけどな、とか・・・いや、そんなことも言ってくれないかもしれない。おそらくうっすら笑ってなにも言ってくれないと思う。ただ、少なくとも「ここで描かれているのは・・・武士じゃないね、これは町人だね」とは言うかもしれない。鷗外が描く武士のような武士は、その後の時代の人には所詮描けないがそれは仕方ない。彼の時代には本人も周囲も元武士ばかりである。
 小泉さんがすきなのは、それから世間の中間管理職が好きなのも、せいぜい上記のような諸作家の戦国英雄ものだろうが、あんなものを参考にしてものを考えられても困る、とは思うのである。せめて「阿部一族」だの「堺事件」だの、鴎外の歴史ものでも読んでみて、歴史もの好きと称して欲しいが無理だろうな、とも思う・・・私も愛すべき単純素朴な人を見て、黙って自分のほうが嫌なヤツなのかもしれない、と思っていればいいのかもしれない。
 

2005年8月27日(土)
衆院選について、・・・昨日、「もう飽きてきた」なんて言ってまだ書いてるじゃない、とおっしゃらないでください(苦笑)、読売新聞が一面に掲げた電話調査結果によれば、今回の選挙に関心がある、という答えは57%にのぼって、前回の総選挙の投票日直前調査を上回ったそうである。それはおおむね「劇場型といわれる小泉戦略」に負うところが大きいが、「投票したい政党」という項目では自民党が微減、民主党は微増と、「小泉サプライズ効果も一段落した形だ」とある。これでお分かりのように、今回選挙に関する読売新聞の冷静さ、というか政権与党のフィーバーへの冷淡さはけっこう目立っているのである。
 同じ27日付の解説面にも、松田陽三編集委員の署名記事で「人気投票の熱狂に危うさ」というのがある。これも「選挙がお祭り騒ぎに化し、人気投票になりかねない現状に、危うさを感じる。総選挙は一つの争点だけで投票するものではない。郵政だけでなく、年金をはじめとする社会保障、財政再建、少子高齢化、外交・安全保障など課題が山積している」と、小泉流の「郵政だけが争点の選挙」というあおり方に手厳しい。
 政治面にあるコラム「おもしろいだけの風か」というのも、政治部の永原記者の文章だが「今回の風はどうだろう。テレビのワイドショーの取り上げ方を見ると、刺客作戦やホリエモン参戦などドラマチックで面白い、と涌いているだけともみえる。怒りや不満が原動力でない風はやむのも早い」とクールである。
 渡辺会長が本質的に「ポピュリスト政治家」が大嫌い、と言明しているのだから当然であろうと思うし、外交政策とか憲法改正については読売の社論におおむね合致したことをやってきた小泉政権も、こと経済となると完全にアメリカ式、竹中式一辺倒で同紙が前から提言するインフレ・ターゲットによるデフレ克服を放置していることが大いに気に入らないのである。それでなくとも、プラザ合意以後のアメリカと日本とのやりとりについて、歴代自民党の保守本流とのつきあいから、いろいろと「日本の国益」ということについて実は批判的な見方を持っているこの会社が、今回の小泉改革の中でも郵貯簡保のお金の行方について、かなり疑義を持っているのは確かである。ただ単に中曽根元首相と仲がいい、なんて次元ではないと思う。
 ということで、今回ほど政権与党に冷淡な読売新聞というのも珍しいほどであります。案外、気が付いておられない方もいると思うので・・・。
 ◇   ◇    ◇
 同じく読売ほかいろいろな報道で「26日には、「政権公約検証緊急大会」が都内で開かれ、経済同友会など8団体がそれぞれ自民、公明、民主3党の公約の評価を発表した」というのがあった。これは、「民間有識者で作る「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)が主催し、経済同友会のほか、全国知事会、構想日本、連合、日本青年会議所、言論NPO、日本総合研究所、PHP総合研究所が参加した」というものである。
 それで、各団体の採点は、当然ながら経済団体と連合じゃ利害が一致しないし、微妙な差があるわけである。が、おおむね、「小泉首相が手掛ける構造改革路線については、積極的に評価する声が多かったが、個別政策では辛口の採点が目立った」ということだった。主に小泉さんは自民党総裁として、党内の改革はやってきたといえるが、総理大臣として、まあ平均して小泉内閣のこれまでの4年間を採点するとせいぜい30〜40点、ということらしい。特にどの採点でも説明責任が乏しい、とある。
 また、今回のマニフェストを採点すると、民主党の方がよくできている、というのもこれらのプロの人らの一致した採点のようである。
 詳しくは、21世紀臨調のホームページをご自身でご覧いただきたいが、私はざっと見てみて、それらの採点を逆採点してみて、慶応大学の加藤秀樹教授がまとめた「構想日本」の採点がいちばんまとまっている、ポイントを突いていると思った。
 大事なところを引用すれば「小泉内閣のプラス面」は@公共分野でNPOなど民が担う範囲が拡大したA規制改革や特区などの試みをしたB一部の分野や領域の経済活動が活発化した・・・というもので、私もその通り、と思う。で、「マイナス面」は@構造改革をしてどんな国や社会にするのかビジョンが見えないA官から民へ、というよりも「市場」主導の私的分野の優先が進んだ(つまり公共分野で弱肉強食の導入さえすればいいという流れになったということ・筆者)。および都市と地方、大企業と中小企業、個人間の閣だが増大したB道路公団や郵政民営化のようにスローガン先行で内容が伴っていないC十分な吟味もなく「世界標準」に追随してきた(企業統治、会計制度など)・・・ということである。この採点では個別項目も判定していて、たとえば道路公団改革では進捗度は82点だが、総合判定はABCD評価でD「民営化は名ばかりで実質上、国営化」とある。
 一読の値打ちあり。ぜひご一読いただきたい。
 
 

2005年8月26日(金)
昨日は台風11号の襲来ということで、首都圏のテレビ番組は台風一色で騒いでいた。私は夜勤だったので、夕方小ぶりのうちに出社して、仕事のほうは台風がらみで前倒しのスケジュールとなり、早めに終わったものだから、少しいつもより早く午前1時ごろ、ハイヤーで帰宅した・・・まあそれは台風なんだから、それなりに雨は激しかったものの、どうということもない、といえばどうということもない。犠牲者も出ているのだし、被害も出ているのであまり軽々しいことをいうものではないだろうが、少なくとも私の近辺では「台風、台風」と大騒ぎしたり、「観測史上最大規模のなんとかかんとか」と声高に叫ばねばならない必然性はなんとしても感じられなかった。
 それに犠牲になる人、というのはいつも必ず、台風だからと言って屋根に上がってみたり、堤防や港を見に行ってみたり、そんな人に限って犠牲になる。気にしないで、家でいつもと同じように暮らしていた、ということはまずない。
 無警戒の平和ボケした感覚で、必ずやってくると分かっている風雨を無視するわけには行かないにしても、たとえば地震だってもし真実、予知が出来れば、そんなに大変なものじゃないといえるだろう、不意打ちを食らうから怖いのである。台風は不意を衝かれる可能性は万万ないのだから、そんなに大騒ぎのおっとり刀で、いつもはしないようなことを、おっちょこちょいの飛び上がりのようなやり方でしないでいい。
 ただし、また平常心などといって、火事のときなど「こういう場合は慌てないで、落ち着いて落ち着いて」などと、あまりにのんびり構えていて死ぬことも逆に多いと聞く、だから不意の災害と台風は違うであろうというのである。
 それで思うのだが、テレビ局というのも本質的には夏枯れでネタが少ないのらしい。毎回毎回、中程度の台風で騒ぎすぎなのも確かである。
 いまどき、なにかと「マスゴミ」呼ばわりされて世間の反感を買うマスコミという業界だが、実のところはむしろあのテレビ局、というのが異質なメディアである。あんなに末梢神経的に大騒ぎし、ヒステリックに煽り立てて、金をむしりとる世界もないわけで、活字の会社から見ていると、一緒くたに「マスコミ」とくくられるのが迷惑な感じがすることが多いのである。テレビ局には自分らの言論とか主張があるわけでもない。フジテレビがらいぶドアとの問題で墓穴を掘ったのもその点である。実際、面白ければとて空騒ぎするだけが能の、よく火事場で集まる群衆の間抜け面にわれわれは呆れるけれど、テレビというのはああいう連中のためにあるのだから、ああいう場でピースサインをして携帯電話を握り締める知恵足らずのような者を憎しむなら、テレビなどに余り頼らないで生きることである。
 といって、ネットなんてものも、どこかの「刺客候補」がいくらかほかの人より美人である、というだけでアイドルみたいな扱いで「萌え」などと書き込んでいる馬鹿な掲示板もあるわけだろう。そんな連中にいくら人気があってもなんにもならないので、馬鹿げたものである。T72戦車を信仰してオブィエースク!などと挨拶しあう軍事系の人たちとかぶさりはしないだろうが、要はああいう閉鎖的なコミュニティーの共通のネタのひとつに過ぎまい。そして掲示板の住民たちの多くは投票などするまい。せいぜい田代まさしをニューズウイークの今年の顔に無理やり選ばせるだけのことである。
 騒ぎすぎ、といえば例の選挙ネタだって・・・・・どうだろうか、私はもう解散から4,5日は大いに気になったけれど、今ではすっかり興味が失せてしまった。たぶん、投票には必ず行くけれど、それだけのことだろう。劇場型政治、なんていっても、今の日本では話題をさらえるのは長くて1か月である。まあ普通は2週間もてばいいほうである。
 考えても見れば、たとえば福知山線の事故のことなど、もうどこのどんな話題でも出てこない。いったい何か月前のことだろう、と考えてみてもらいたいものである。それほど世間の関心は冷めやすい。
 公示日を過ぎると、街頭演説は増えるだろうが、テレビなんかもあまりどこかの党に偏ったり実名の面白おかしい取り上げ方は出来なくなる。新聞も基本的に特定候補のことを書けなくなる。つまりますます平板になるはずである。
 それについて、毎日新聞にこんな記事があった。「異例ずくめの今回の衆院選は、前哨戦の長さも過去最長だ。現憲法下で解散に伴う衆院選は20回目になるが、解散から公示までの期間はこれまで平均9.9日間だったのに対し、今回は22日間。陣営の疲弊が懸念される一方で、いかに有権者の関心をつなぐかも課題になっている。解散―公示の期間が長かったのは、これまで(1)86年の19日間(2)03年の18日間(3)93年の16日間――の順。政府・自民党は「23日公示――9月4日投票」を想定したが、十分な準備期間を求める公明党に配慮して1週間先送りし、最長を3日間更新することになった。突然の解散でもあり、各陣営とも「解散と同時にいきなりトップギアで走り出した」(自民党幹部)状態で、公示を控えて息切れも目立つという。刺客戦術などにより、序盤戦は自民党に注目が集まった。ただ、23日の各種支援団体の会合では、「メディアが『刺客』などと騒いでくれているうちはいいが、飽きられたら流れは変わる」との懸念も聞かれた」とのことだがそれみたことか、である。刺客の連中だってあっという間に新鮮さが薄れて、もう何年も前から立候補しているような印象になってくる。暴き立てられる過去もスキャンダルも尽きれば退屈で小金もちでそこそこな学歴にそこそこなキャリアのたいして取り得のない中年ババアばかりである。飽きられるのも道理であろう。いいや、もっと面白い話がどこかで起きれば、テレビ局そのものが飽きてしまうだろう。広告代理店にいくら金を積まれようが、視聴率が取れなければそれだけのことである。私など、本当にもう選挙ネタの番組は選んで避けている。自分の選挙区に関係ない雑音など、どうでもいいことばかりだからである。
 与党の策略として、いささか早すぎる「景気回復、踊り場脱却」宣言があったが、昨日など俄かに三菱製紙の「賃下げ、一律給与5パーセントカットか」なんて報道が読売新聞であった。原油価格高騰のあおりで、労使合意済みなのだそうである。
 これからほかの企業、業界に広がる可能性も大いにある。景気回復だ、小泉政権の成果だなどというたわ言に騙されないでいただきたい、とそれは申し上げておく。9月11日までの間だって、経済情勢がどうなるか分かったものではない。解散総選挙となると、いつでも必ず期待から株価は上がるものであって、現政権の成果などではないのは誰しも分かっているはずだが、世の中には本当にわからない人もいるのでご注意申し上げるのである。
 実はデフレの今の日本、結局、相変わらずの公共投資、国際の発行でしのいでいるのであって、法人の資金需給では完全に金余りのままである。金が余っている、ということは例の郵貯簡保の金など出てきても、みんなが思うような流れ方にはならない、力のあるファンドマネジャーのゲームの掛け金となるであろう、ということを意味する。
 結果として、アメリカのものになるんじゃないか、という議論もそこから出てくるのであるが、こういうことも分かっている人にはもともと分かっており、分からない人には永遠に分からないことなのだから、もう書くまい。空しいことだ。
 液晶テレビだ、勝ち組だと浮かれている企業も利益率は2%あるかなしかの薄氷と聞くし原油高は止まらず、中国はなんとも危なっかしい。
 日本の「景気回復」などいつでも消し飛ぶ用意が出来ている。危ない危ない。
 「純ちゃーん」などとふやけたゲイバーの年増の男娼みたいな声を挙げている、尻のアナにクモの巣生やした欲求不満の馬鹿女たちが、あとで路頭に迷って首を括るところを早く見てみたいものである。
 
 

2005年8月25日(木)
 あまり目立つ記事でもないので、ほとんどの人が気付かなかったと思われるが、昨日は日本百貨店協会、チェーンストア協会、フードサービス協会の7月の売り上げが発表になっていた。つまり、百貨店と、スーパーと、外食産業の売り上げ、ということである。
 で、なんでも百貨店業界だけはここ2か月ほど対前年同月比でプラスなのである。一方、スーパーや外食はマイナスが続いているそうである。
 また、百貨店は好調といっても地域差が大きく、いちばんいいのは愛知万博の影響が大きい名古屋地区、そのほか東京・大阪など大都市もおおむねよろしくて、北海道、東北、中国地方はぜんぜん駄目、という結果なのだという。
 外食産業でも、トータルは不振なのに、イタリアンとか中華とか、特定ジャンルの専門店はむしろ伸びている、ともいう。つまり満遍なくのファミレスとか安いが売り物のファストフードじゃなく、その道の名店、高級店が伸びているのだ、という。
 百貨店が伸びた理由の一つに夏物衣料の伸び、それも今までずっと駄目であった紳士もの衣料の伸びが貢献した、ということがあり、それは要するに「クールビズ」効果であるそうだ。カジュアルな衣装を買い求める人がけっこういた、そしてそういう人は大方、百貨店で粋なシャツとか明るい色のスラックスを新調したものらしい。スーパーはもともと衣料の割合が低く、特に紳士向けはぜんぜんシェアが低い(売り上げ全体の3%弱とか)ために、このクールビズがちっとも売り上げ増にならなかった、というのが百貨店協会の分析なんだと読んだ。
 さて、例のダイエーの再建話でも、今後は食品スーパーに特化しましょう、なんて言っていた。だが、こんな話を見れば分かる、実は食品に特化するような店は今後、自分らの客層をひとつの方向に絞っていってしまうことになるのである。世の中の雰囲気が、消費傾向からみても明らかに変わってきている
 はっきりと、いいにくい事を言えば、「低所得層」である。
 クールビズをやる人、それもおしゃれな服を百貨店であつらえる人はどういう人か。基本的には国家公務員か大企業の社員であろう。また地方はおおむね駄目で都会がよい、というのだから今の流れが田舎を無用としているのも事実であろう。
 そのうえ外食産業でも高級店が伸びている、というのはある事実を示しているのである。都会の高所得の人が中心でいこう、という流れである。
 某新聞でこのことを伝えた記事では、最初の12版では経済アナリストの言葉として「本当に景気回復、踊り場脱却の動きがはっきりするのは、低所得者が中心客層のスーパーの動向がプラスになるまではっきりしないだろう」というような解説がついていた。13版からはそこが削られた。刺激的に過ぎる、と判断したのだろう。
 が、そのアナリスト氏の最初のセリフこそ本音の部分であって、非常にはっきり言えば、今の世の中、明らかに金遣いの荒い人間と、貧乏たれの二極になってきてますよ、ということがいいたかったのである、この人は。
 はっきりいって、小泉さん一人の問題じゃなく、誰がどんな政権をやっていても抗し様がない流れであったのかもしれない。が、とにかく日本の社会構造は相当な速力で変質しているのだけれど、おめでたいことに気付かない人は気付かない。
 今度の選挙がどうの、というよりか、もっと長いタームで言って・・・今、みんなが気付かないうちにかなり歴史の転機であるだろうと思う。
 アメリカの二大政党の場合、金持ちのための共和党、貧民は民主党、ということになっている。イギリスの場合、労働党と保守党の関係はブレアから以後、ちょっとねじれているうえに第三勢力も伸張しているとは言うが、しかしここも基本としては貧乏人と金持ち、という図で持って、政権交代を争うことはその通りである。
 日本も、ひとつに二大政党、という言い方が出てきているんだが・・・私は今回の選挙でもって巷間言われるとおり、自民党が大勝利であるということになった場合、これは前から書いていることだが、そんなにみんなが、大多数の国民が、自分は金持ち側に近い、従来の日本の総中流の幻想の中で言えば「中流の上」とでも思っているのか、そういう選択をするのか、へええ、というのが私の個人的な見方としてあるのである。
 ま、そこらへんまでちっとも整理がつかないまま、総選挙などやっているわけだろうが、今この国。民主党がそれでは受け皿といえるのか、それともいっそ共産党なのか、なんてことではやはりちっとも二大政党だの政権選択だの言えないのかもしれない。
 ただそれは政治家連中だけがいけないのではない、日本国民が、世の中明らかに金持ちと貧民に分かれつつある、という事実を受け入れないと成り立たないのではある。現状では貧民なんだが、共産主義まではいきたくない、という人たちの民意を受けてアメリカの民主党なんかはあるわけですね。
 アメリカ型の国に近づくということは、社会には「今、上流にある人」とそれから「これから上流になりたいけど今は貧乏な人」に階層が分かれる、それが必定である、ということだと私などは見ているのだが、そしてそういうことで基本線が親米で二大政党に分かれるのなら、それは悪くないというニュアンスはアメリカのその筋の発言にも、また小泉さん本人や、小泉政権の真の首魁たる竹中さんなんかの以前の発言にも、くみとれる気がしたことがある。
 私は今回の選挙、実は自分というのは本当は社会のどっちなのか、自分で鏡を見てみろ、という意味合いもあると思う・・・がこれもまた、あまり世間様にそういう議論を聞かないので、また私の勝手なものの見方なんだろう。別に誰の同調も求めませんがね。なにしろひねくれ者なんでね、私は。

 「郵便局の連中は楽をしたくて公務員の身分にしがみついているのだ」と竹中さんが発言したそうである。そういう側目はあるのだろうが、この人およびこの政権の脅迫的な一面もまた感じるのは事実である。次に標的になるのはどこの誰であろうか・・・。
 ◇   ◇   ◇
 PS2用の第二次大戦をテーマにしたゲーム「メダル・オブ・オナー」の新作「ヨーロッパ強襲」をやっている。というか私の妻がメインでやっている。私はこのゲーム、3D酔いでとても長く出来ないのである・・・ただ、どうしても妻がクリアできない、というアフリカ戦線のマップは私が担当したけれど。開けたところの野戦ならなんとか出来るのである。今回は前作よりずっと真面目に作られていて、前作にあったお茶らけた要素や、「アメリカ軍は正義の味方」といった軽薄なノリがないので、ずっと好ましい。おそらくイラク戦争以後に作られたゲームとしての要素なんじゃないか。60年代のハリウッド映画ノリは消えている。
 今回はスターリングラードの戦いとか、バルジ作戦があり、ロシア軍のマンダリン銃やモシン・ナガンライフルが使えるのは非常にマニア心をくすぐる。
 アフリカ戦線でティーガー試作型を破壊する、なんて設定もありなかなか史実も踏まえている。前作では恐らく、マニアから苦情が多かったのだろうと推察する(もっと真面目な設定にしろ、というような)。なんでも今回のシナリオはプライベート・ライアンだかバンド・オブ・ブラザーズだかの脚本の人だとなにかで読んだ。だからまともなんだろう。映画風である、確かに。
 が、どうも私はこの3D酔いだけはどうも・・・・・。
 


2005年8月24日(水)
昨日は私の古くからの知人と久しぶりに飲んだ。半分は仕事がらみということで、飲みつつも適度にくだけつつも、かなり真面目な話に終始したんだが、やはりいくらか選挙の話も出た。というか、今、局地的に政治的な話はどこに行っても、濃淡はあってもいくらかみんなの関心事であることは疑い得ない。
 まあ、当たり障りのない話をしたのだが、というのは各人がどういう党を応援しようと各人の自由であるから、そんな話をつっこんですることもなかったが、それにおおむねどちらかに過剰に肩入れする論を張るほど、本当は熱心に政治的なことを主張する理由もない・・・なにしろ私もその人も郵便貯金も簡保もやっていない。要するに本当のところはさほどでにどうでもいいのだ、という確認になってしまいつつも、「あの刺客候補というの、下品ですけどねえ、確かに。でも小泉さんのいいところとあえていえば、とにかくああしてちゃんと選挙民に選択の自由を与えているのはひとつの方針として評価できるんじゃないですかね」と彼はいい、私もそれに同意した。そのとおりだからである。良くも悪くも清濁併せ呑んだ雰囲気で、あいまいな自民党政治の決別という意味では、明らかに小泉さんのやっていること自体には意味があると思う。
 誤解のないように願うが、私は小泉さんがまったく好きでないし、竹中改革もあまりいいと思っていない人間であるけれど、評価していい点は評価すればいい、というスタンスなので、これで自民党の変質が進むことはいいことなのだ、と言いたいだけである。その自民党を変えて見せるという公約については、小泉さんはかなり4年間で果たしたということもいえるのは確かと思う。
 選挙の結果がどうなろうとも、自由民主党が今後も重要政党の一局であることに変わりはあるまいから、この党の性質がはっきりすること自体は明らかにいいことだろう。
 が、「堀江さんについては、どうなんですかね」という話も出た。それはまたそれで、別の問題、という感じはする。
 「デジタルガレージ(林郁代表取締役兼グループCEO)の100%出資子会社テクノラティジャパンは、9月11日投票の衆院選挙に関するブログ調査結果を発表した」という記事を見つけた。それによると、「郵政民営化」について言及しているブログ記事数がここ数日で急増している一方、「マニフェスト」についてはあまり書かれていないことが明らかになった。このほか、「衆議院」+「解散」のキーワードによる検索ヒット数は、衆院解散の決まった8月8日正午時点の1581件から23日15時現在、1万2664件まで増加しており、普段は政治に関心のないブログユーザーの間でも、今回の選挙が話題になっているとうかがえる。注目候補者別ブログ記事数推移では、「堀江貴文」が急増。20日の集計時点で「亀井静香」を逆転した。その「亀井静香」も、伸び率こそかなわないもののブログ記事数は着実に増加していた」とのことである。
 そりゃそうである。別に政治ブログでないこのサイトでも、ここ数週間は政治ネタが過半である。とにかく私は最初のあの小泉流の電撃的な盛り上げと熱狂の雰囲気が嫌いであったが、その後、冷静になってきた国民の雰囲気を見て、まあそういうことならいいのじゃないか、と思ってきている。冷静な判断の結果なら、どういうものであっても納得できるだろうからである。私自身はもう自分の選挙区は大して注目区でもないし、どうするつもりかも決めてしまっているので、実のところもうあまり興味がないのである、と昨日書いたが、そのとおりであって、今日もぜんぜん関連のテレビ番組など見ていない。
 ただ、上の結果で言えば、「マニフェスト」についてあまり書いていない、というのがやや気にかかる。もちろんどこの党のマニフェストも大部なものだが、ぜひ一度は、政治について語ろうというなら読んでみるべきである。配布しているものを手に入れなくとも、ネットでいくらでも取り出せるし、私は印刷したものを実家に送ってやろうと思っている。
 NHKの調査によれば、現在の自民党支持者の6割が女性であり、民主党支持者の6割が男性である、という。これは不思議な現象である。今の「小泉自民党」に固有の現象であることは間違いなく、例の竹中大臣との関係が取りざたされたスリード社のチャート図を思い出させる感じはする。しかし小泉さんは選挙で大勝しても来年9月で降板する、と明言しているので、実は今回選挙で自民党に大勝利を与えた場合、その後の政権が誰が首相で、どういう政策を取るか実際にはわからないまま、その後の数年間を委任する形になるのがあまり面白くないとも言える。
 さて、なんにしても公示が迫った。私はもうあれこれ主張する気もないのだが、というのは重要だと思われることは既に書いてあるし、ブログの記事なんて遡って読めるのだし、後はどなたがどうお考えになるのも自由であると信じるからであるが、繰り返しになるが、雰囲気とかイメージで選択するのは厳にやめたほうがよろしい。
 ご自分の生活への具体的なメリットを考えて、一票を行使されるべきである。マスコミやブログや、私の書くようなこんな駄文を一切考慮に入れず、ご自分の利益を図るべきである。たとえば、あなたが公務員なら。たとえばあなたが大企業の幹部社員なら。あなたが現在既に年金を貰っている人なら。あなたがこれから子育てをしようと考えている人なら。またあなたの身内に自衛隊員がいるなら。郵便局員がいるなら。あるいはまったくそれらと無縁ならば。各人でおのおの、立場が違うのだから利害は決して一致しないはずである。
 だから「風に吹かれて」といった投票は絶対におやりになるべきではない。しょせん民主主義というのはお互いのエゴの調整なのである。権力者など、しょせんはかりそめの権力委託者であって、あんな連中、いつでも自分たちの都合で取り替えるべきなのである。あんな連中は偉いわけではない。黙ってついていくべきものではない。そういう意識が根付きさえすれば、現政権が仮に続いても、またひっくり返ったらもちろんだが、私はそれなりの進歩と思うだけである。
 そして、日本にいくらかの「大統領制」に擬似した雰囲気が出てきているのは、いわゆる日本の国家制度の将来像にも微妙な影響があることかもしれない。
 昨日はそんな話をして、後はまた適当な酒盛りに戻ったのであった・・・。

2005年8月23日(火)
先日、高校野球で優勝したばかりの駒大苫小牧のお話はもう誰でも知っていると思うが、おさらいすれば「全国高校野球選手権大会で57年ぶりの連覇を果たした駒大苫小牧(南北海道)に衝撃が走った。野球部長(27)が、6月と8月の2回、部員を殴るなどの暴力をふるっていたことが22日、明らかになった。この日午後10時から、同校で篠原勝昌校長(63)らが緊急会見を行い、暴力行為を認め、野球部長の謹慎処分を発表。同校長は優勝旗返還も含めた処分も受け入れることを示唆した。また大会前の不祥事で出場を辞退した明徳義塾(高知)は来春センバツへの出場が事実上不可能になっており、駒大苫小牧も夏春連覇への道が閉ざされる可能性が出てきた。(日刊スポーツ)」というようなことだ。
 驚いてはいけない、私は、この報道があるまで「駒大苫小牧が優勝した」という事実を知らなかった。そして、そういえば昨年もどこか北海道のチームが優勝した、と聞いたことがあり、ああ、連覇したのだな、と今回初めて知った。それほど私はスポーツというものに興味がない人間であるのだが、しかし今頃出てくるというのはあれだろうか、またたれ込みがあったんであろうか? 明徳義塾の場合は、やはり内部からのリークだったのだと思う。今回もそうであろうなあ・・・。今や、誰も信用できない時代である。
 というのは、高校の野球部で体罰があることなど、ほとんど秘密だとすら誰も思っているまい。公然の秘密どころか、公然の公然そのものである。そして、今回、名前がさらされている学校というのは名だたる私立の野球学校で、わざわざ野球留学したのに一軍にあがれない、という腐っている控えの選手と、その背後で怨みをのんでいる父兄がたくさんいるということである。昔のおおらかな時代は、それでも学校全部に迷惑がかかることを恐れて、ひたすら我慢したのであろう。今時は違う。この手で意趣晴らしができる、ということが確認できれば、今後、どこの野球部も、いいやどこの運動団体も、その平手打ちが命取り、向こう半年一年、活動停止ということになりかねない。これほど効果的なら、怨みのある者はどんどんやるだろうし、また「口止め料は?」なんて話も、おそらく今までだっていろいろあったに違いないが、今後はますます高騰するであろう。
 きれい事が、一応、まかり通っているから高校野球なんておかしいのである。そんな立派なものだと誰が思っているものか。青春の汗と涙、なんておはなしを頭から否定するつもりもないが。いい加減、あんなイベントもよしてはどうか。
 昨年の野球議論なんてものも、さんざ振り回された連中が正義の味方だと思った堀江さんは今じゃ金と権力の亡者まるだしである。きれい事のお題目を頭から信じるものが多いのである。ファンタジーの世界である、ディズニーランドの世界である。
 要するに世界の中心でミッキーと遊んでいるような精神次元のにんげんが多いのであろうが、不思議である。少子高齢化なんていっても、日本の平均年齢は上がっているはずなのに単純なきれい事がはやるようになった。近頃はとにかく日本人の思考回路が単純であろう、単純であろうとしているように見えて危うくてならない。
 あまちょろい恋愛ストーリーがはやり、次元の低いおはなしがまかりとおり、そりゃ一国の首相からして国民を騙くらかそうという算段があそこまで、いってみれば単純なにんげんにターゲットを絞った策に徹しているのである、時代相というか、やはりあれだ、私がいつもいつも言っていること、馬鹿な人が騙されて金をむしりとられる時代になってきたんだろうと思う。
 武田泰淳だかに、吉川英治の作品を読んで庶民的な恥ずかしげのなさを感得する、という言葉があった。リアリストならあのようには書けない、という。分かる気がする。人間は常に裏の顔があるはずだ、と思う向きにはああいう作品に出てくるひたむき純真な「日本人」の存在は信じられない。
 私もファンタジーは大好きだが、それはファンタジーだからである。ベトナム戦争当時のヒッピーのように「ガンダルフを大統領に」などとは言わない。
 ただ、A4のペーパー1枚しか読まない首相など自分らの上に戴きたくないだけである。

2005年8月22日(月)
 「ピアノマン」というのはウソだったらしいですね。共同電によれば、「英大衆紙デーリー・ミラーは、英国の海岸で4月に保護され、謎の「ピアノマン」として世界的に話題になった男性について「医師らをかついでいた」と報じた。報道が事実なら芝居だったことになる。同紙によると、男性は最近、医師に対して自分がドイツ人であることを打ち明け、ドイツに帰ったという。男性が言葉を発した理由について同紙は詳しく言及していない」という話だ。なんでもほかの報道だとイギリスまで自殺に来て失敗、そのあとピアノの絵を描いたのはでたらめだし、ピアノをプロ並みの技量で弾きこなした、というのもウソだったとか(本当は子どものように同じ鍵盤をたたいていただけだとか)。話が大きくなってしまったので、引っ込みが付かなくなったのだろう。
 というわけで、あれだけ世界中で報道していたものがほとんど根拠のないうわさ話とか与太話の集まりで、実態はほとんどなかった、というのだから呆れるが、世の中しかしこんなもんじゃなかろうか。
 選挙ネタについては今日はもうなにも付け足すほどのこともない。ただまあ、新党についてあれこれ「選挙互助会」といってくさす向きも多いが、そんなことを言い立てたら政党などみんな互助会の一種である。選挙に通るために作るのが基本であろうから、あの二つの新党だけをやいのやいの云うこともあるまい。
 今朝など、チャンネルを変えると堀江、亀井に加えて田中さんが出てくる。面倒くさいのでもう全部見なかった。私は広島県民じゃないし、自分の選挙区は地味でなんということもないところであるし。なんだかんだいって選挙など、しょせんは自分のご近所の候補を代議士にするかしないかというだけのことで、そんなことをいえば政権選択だって、誰かさんの言う郵政に賛成か反対かなんて話だって、関係ないことと云えば関係ない。
 もう自分の投票行動はどうするか、決めているので、テレビなどもう見る必要もない。うるさいだけである。
 ◇     ◇      ◇
 昨日は、お世話になっているサイトMGライフの管理人・古川康之さんのお勧めもあって、品川まで行き、高輪プリンスホテルでやっている「ドイツランド」展を見てきた。あの芸能人の披露宴でよく使う「飛天の間」でやっているのだが、今年はドイツ年である、なんてどれだけ浸透しているのか、とにかくやっているのである。
 が、実際の所、まるっきり「シュタイフ展」であるといってよい。私ども夫婦は、日ごろから別の会社のテディーベアなどかなり買っているものだから、大いに楽しめたが、シュタイフのぬいぐるみにちっとも興味がない向きにはあまり見所がないかも知れない。
 が、30メートル近いスケールで同社のぬいぐるみが動き回るという展示は大変なもので、一件の値打ちは十分にあると思う。帰りに、ロバのぬいぐるみを一つ、買い求めたが・・・やはり名にし負う老舗のものである、特価品でも1万4000円だかした。
 帰りがけに、思い掛けないところでドイツの時計屋のブースを見つけた。専属の係もいない地味なブースであるが、ジン社とハンハルト社・・・とくにハンハルトの方はよく見ると、ブース後ろの宣伝写真には戦時中のフォッケウルフやメッサーシュミットの列線と、空軍のパイロットが写っている。陳列棚の中の時計は安いものでも24万円ほどするが・・・いずれ欲しい。ちょっとそこで出来心で買うわけにはいかなかったが。
 で、そのあとまっすぐに帰ろうと思ったが、なんとなく品川まできたので、最近できたばかりのエプソンアクアなんとかという水族館に行ってみた。同じ品川でも品川プリンスホテルの方である。入場料だけで1800円はかなり高い。しかし夜9時まで営業というのは嬉しい。5時で終わってしまう葛西の水族園とは違う、さすがに民営である。
 とにかく鮫とエイが圧巻である。ものすごい有り様だ。水のトンネルを人間がくぐるような造りとは聞いていたが、頭上をぼう、と浮かんでいる巨大なノコギリザメの白い腹を見上げていると不思議な気分になる。都会のど真ん中でこれだけの施設を造るのは非常な労力だろう。
 ついでに、イルカのショーというのも見たが、・・・とにかく狭いプールである。イルカがいつかケガをしないか、と思った。あまりこれといって、大した藝をしてくれるでもないのだが、あの狭いところで生涯を終えるのなら気の毒な生き物である。
 それにしても、10年ほど前の、立ち食いぞばやとか汚い居酒屋しかなかった品川のイメージがある私には、しばらくぶりのあの街はずいぶんとお高くとまった街に見えたが(もっとも今でも港南口はいまいちのようだが。前に劇団四季の仮設テントがあったほうである。報知新聞に用事があって前はよく行ったのである)、そこここ、汚いところも残っている。あんなところの高層マンションにわざわざ住みたいものか、と私などは思った物である。



2005年8月21日(日)
 「1党が主流として50年やっている国は不健全。民主党に交代させ、その間に自民党がよくなればいい」(田中真紀子氏)とのことである。私の考えもこれにきわめて近い。また、マニフェストについては「自民党がマニフェストで政府税制調査会が打ち出した「サラリーマン増税」を否定したことについて「首相の下で専門家が議論して出てきたものを自民党の政権公約で否定するのは自己矛盾だ」と指摘した」(岡田民主党代表)という意見にも近い。「郵政公務員26万人の既得権を守っていてなんの改革が出来るのか。役人天国を廃して小さな政府を」という自民党のマニフェストの表紙を見て、郵便局の人はもちろんのこと公務員一般はどう思っておいでか。私も公務員というものについて否定的な見方は大いに持っているけれど、まるで彼らが日本を悪くしているのだ、という言い方は庶民の嫉妬で言うならわかるが、今までさんざん政策面でも集票面でもお世話になってきたはずの政権党の言い草としては面白くないとも思う。
 本当に、郵便公務員27万人とその子弟ご家族は悔し涙でくれていらっしやると思う。まるで彼らが悪党、ごく潰し、非国民とでも言わんばかりである。郵政改革の必要自体は誰にもある程度理解されていると思うし、郵便局内部にもいろいろ不正腐敗があるとは思うにしても、あの「あいつらを公務員にしておくのは日本の損失だ、あいつらさえ切り捨てれば公務員のリストラの第一弾は成功だ」というようなかさにかかった言い草は、なにがなんでも冒涜であろう(読んでいない方はぜひ自民党のマニフェストをご覧いただきたい。小泉純一郎の人間性がよく現れているという意味では大変よい文章である)。今後、士気の低下した局員による誤配、ミスが増えるのじゃないかとすら危惧する。台風の日に必死に配達する彼ら末端の局員を見て、身分保障でもなければあんなことやっておれるか、というのは率直な感想ではないか。新聞販売店でも配達スタッフを常時募集しているが、今時はもうやり手がなくて困っている。休めないし、きつい仕事である。新聞であっても、山間離島は郵便に頼っている。利益の出ないことをボランティアでやるにしても限界があるのである。今後はなにもかも民営なのだから、どうするかしらない。たとえば新聞配達スタッフの話だと、高層団地の配達など一番、面倒で不利益だという。階段なんぞ上がっていたら人件費の無駄だという。個別ポストに入れることすら煩わしいという。一人のスタッフで狭いエリアの高層1、2軒しか担当できないのだから、面で効率を考える販売店としては迷惑しごくということらしい。今後は郵便も、高層マンションの場合は一階の集積所に来て、自分で自分の郵便物を拾ってきてください、という風になるかもしれない。それで盗難が出ようが誤配が出ようがしらぬ、自己責任で、ということになるのじゃないかと予想する。

 あのマニフェストなど、要するに郵便局員いじめであろう。政権党のマニフェストであるだけに、まるで郵便局員をユダヤ人扱いにして迫害するような印象すら受ける。普通の企業なら、これだけのリストラをやるなら、重役もリストラをするべきである。総理大臣は真っ先に自分の俸給を返納してはどうか。
 しかも、本当のところは郵便事業などどうでもよく、財投の問題であることは今や有権者にもよく分かっている。財投が問題なら、それをきちんと監視するのが政治の役目ではないのか、という反対派の意見は実は正しいのだが、なんとなく雰囲気で誤魔化されてしまっているのは遺憾である。
 「民でできることは民で。なんであの郵政26万人だけが公務員じゃなきゃできないんですか」と首相は二言目には言う。しかし誰一人として「彼らだけは公務員でなきゃいけない」などとは言っていない。とんでもない。そんなことを言うなら政府も官庁も全部民営にすればいいではないか。政府も要らないし総理大臣も要らない。民営にすればよろしい。アメリカあたりじゃ軍も警察も消防も民営委託が進んでいる。儲からない田舎では消防も来てくれないのであろう。まあ遠からず日本もそうなるのである。
 今後、このやり口で日本のあちこちで、「あの職業の人間さえいなくなれば、日本はよくなる」ということを延々とやるつもりなのである。あの政権の手法としては。あなたの会社、あなたの業界が狙い撃ちされるかもしれない。私はそういうことを予想するのである。しかしそんなことをいうなら、普通の会社なら従業員のリストラの前に重役のリストラをやる。にもかかわらず、日本では国会議員のリストラはおそらくいちばん最後あるいは最後までやらないであろう。その点を触れているのは当面、民主党のマニフェストであるが、まずは80議席を減らす、という公約は筋は通っていると思う。
 政権の成果にIT社会の進展が入っていることを私は昨日、馬鹿げている、と揶揄したが不良債権処理にしたって大銀行のものが一応減ったというだけで、これから地銀や信金やらの問題が浮上する、そしてまた中小企業、地方が途端の苦しみに喘ぐ。私は都市部の住民だから実は都会の税金を田舎に移転されることに好ましい感じは持たないが、自分の取り巻きの財界の大企業の経営者だけが喜んでおれば後はどうでもいい、という首相、竹中大臣の感覚にも首肯できぬ。
 ◇   ◇    ◇
「刺客」「落下傘候補」の選び方がたかだか「読売年鑑」の人名録から無作為に有名人に電話している、という話にあきれたんだが、読売年鑑の人名録というのは、要は読売新聞に載った事がある人を中心に人名を集めたもので、その基準も大したことがあるとは思えないのである(別に同社の情報調査部に取材したわけじゃないが、おおむね同紙のコメントをよく寄せている人の集積である)。それにしても、ろくでもない成り上がり志向の馬鹿者ばかりに見える。衆議院の小選挙区の候補で、こんな縁もゆかりもなく料理の研究家だの、世間知らずの学者だので本当に有権者は支持するのか、見物ではある。それともまたまた、田舎者を愚民とでも思っているのか、小泉さんは?
 今日は、今度は田中・長野県知事が新党を作る、という。まあ趣旨はよく知らないが、要は小泉嫌い、という一点の政党であろうか。それはそれで宜しいのじゃないかと思う。
 ところで、私としては、別に「政治ブログ」を書いているわけではない。また、ここをいつも呼んでくださっている方は、私がいわゆる徹底的な天邪鬼で「世間の人に人気があるものはそれだけの理由で嫌い」という人間であることをよくご存知だろう。だから私は「電車男」も「恋のマイアヒ(でしたっけ?)」もみんな嫌いである。そして、小泉純一郎というあの政治家個人に漂う「目的のためには手段を選ばない」という姿勢、それからポピュリスト、衆愚政治家的な手法の数々が好きでないし、彼の政権の真のブレインである竹中大臣の、表面的な当たりの柔らかさや弁舌の爽やかさの背後に見え隠れする、アメリカ型の弱肉強食絶対主義もどうも好きになれない、と一貫して書いてきたけれど、彼らがぜんぜん人気者じゃないなら実はどうでもよろしい。いつまでもいつまでも、世論調査で支持率が高いの、出来るだけ長いこと政権が続いて欲しいのという結果が出続けるものだから、嫌いなものがどんどん滞留して今では顔を見るのも嫌いになってしまった。いいことを言っている場合だってもちろんあるのに、聞く耳を持たなくなってしまったのである。
 いろいろな情報操作もしているだろうし、なにがあるやら知らないが、それにしてもNHKが廃止したという「タレント高感度調査」でも、なんで毎年毎年、同じような顔ぶれが上位にランキングするのか不思議ではなかったろうか。
 国民、というかあるいはこれはニホンジンの性癖かもしれない、こういう調査に当たっても、なんとなく自分の意見というより、みんなの意見はこんなものか、というあたりを憶測して答えるところがあるのじゃなかろうか、学級会でも生徒会でも、だれしも「本当は自分の意見は決して賛成じゃないけど、大勢が賛成のようだから私も賛成」というような理由で満場一致で決議しておいて、それで後になって「俺は、本当はあのとき、文化祭は模擬店じゃなくてバンドをやりたかったんだよ」みたいなことって、誰しも経験がありはしないか。これはもう日本人の一種の病気だと思う。頼まれもしないのに「大勢に迎合する」という病である。太平洋戦争なんてものも、結局こういう国民性で突き進んでいったのだし、また逆に、首尾一貫した考えを表明しないがために、終戦でも玉音一発でなんとなく収拾できてしまった。もし腹の底から鬼畜米英、徹底抗戦というのなら、もっともっと反乱が起こってよかったはずである。
 本当に奇妙な国民性なのである。これあるがために、実は中国や韓国なんかも日本を今ひとつ信用しないのではあるまいか、と思っている。なんとなく雰囲気でとんでもないところまで走ってしまう国民性、というのが確かにあって、これが民主主義の或る側面と融合するとかえってファシズム的な様相になりかねない、ということである。
 私が、あまりにも陳腐と思いながらも、しかし決して陳腐な俗説とはいいきれないほど1930年代のドイツと小泉フィーバーには相似点があるので注意が必要だ、といってきたのは要するにそういうことである。
 そういう熱狂のなかで、大勢に押し流される形で判断するのはこの国の特性から言って非常に危険で、その勢いのまま政権を付託すると、後の政策がいけいけどんどんと取り返しがつかないところまで極端なものになりかねない、と申し上げてきたつもりである。
 で、このところ、やはりというか当然というか、かつての日本と違う点として、もっと冷静に判断を、という声があちことで澎湃と起こっているらしいが非常に好ましい。
 たとえば政権与党と小泉さんを支持するならするで、それは彼に一票を付託することで自分にとって、自分の生活にとってこんなにいいことがある、というメリットを冷静に考えて入れて欲しいのである。「なんとなく」とか「人柄がよさそうなので」では駄目なのであるよ。日本全体を考えて、なんて考える必要は一切ない。民主主義とは本来、「自分の個人的エゴを全体のものに押し付ける方法」であって当然である。欧米じゃみんなそういう判断をしている。たとえば自分が株の取引をしていない者が、「自民党じゃないと株価が下がる」なんて考えるのは思い上がりの一種である。ご自分が機関投資家のマネジャーでもない限りそんなことで判断するのはクールではない。「自分を犠牲にしても国全体のことを考えて」などという感覚は日本人の美徳だったかもしれないが、為政者がもうアメリカ型なんだからやめたほうがよろしい。

 小泉さんの広告代理店的な手法「すべてか無か」「改革派か守旧派か」「古いか新しいか」といった二分法は明らかに知能が低い子供を相手に強弁するときのやり方である(テレビを見ていてお父さん、それでこの人はいい人? 悪い人? と聞かれて困る経験は誰にもあるだろう。夏目漱石はそういうときの感想として、だから子供というのは単純で気の毒なものだ、というようなことを書いていた)。
 もうあまりテレビなど見なかったが、どこの局でも亀井さんと堀江さんを代わる代わる出していた。ごく冷静に見て、亀井さんにはとかくのイメージもあるけれど、今回、彼が言っていることはなかなかまともだと思った。「財投に問題があるならそれは出をきればいいじゃないか。それが政治というものでしょう。あの郵貯・簡保の350兆円が無駄なお金ですか? あれで国が支えられているんじゃないですか。それをみすみすアメリカのファンドマネージャーに取られてしまってなにがいいんですか」と説いていたが、それはそのとおりだと思った。
 もし私であっても、もし今、堀江さんが近所に来れば見に行く。近所の本屋で堀江さんの著書を買ってきて、サインしてくださいぐらい言う。時の人だし、ミーハー的な興味でそのぐらいはする。しかし、もちろん票は入れない。
 小泉首相は実はこのところ、自分個人の支持率の高さで安心して、何回かの国政選挙で読み誤りをしている。投票行動というのはもう少し違うのである。それに、日本国民は彼が馬鹿にしているほどに馬鹿ばかりではない、というのも事実である。
 私は、マスコミがもっともっと「小泉支持率上昇!」「自民党地すべり的大勝か」と書きたてて欲しいと内心、思っていたりする。
 これでアナウンス効果は万全だ。もともと士気の低い与党が弛みきってしまうことを願うのである。
 そして、小泉さんが泣きの涙で政界を去ってしまえば、はじめて私は彼を「あれもなかなかいいところがあった」と褒めてやるつもりである。私はとにかく天邪鬼である。世間の人に人気がないものが好きなのである・・・。

◇   ◇   ◇

 昨日、町内会の盆踊りを見に行った。お隣さんが役員をやっていて、ぜひ抽選会に来てください、というので行ったのである。一等賞は自転車で、以下、それなりの商品が並んでいたが、うちは「314」番、当たったのは「ティッシュペーパー6個セット」だった。が、実用品がいちばんいいのである。なにも当たらない人がほとんどなんだし、けっこう嬉しかった。庶民なんてささやかなもんである。大金持ちやら二世の政治家に何が分かろう。


2005年8月20日(土)
昨日は堀江さんの問題で大騒ぎだったですが、まあ彼からすれば政治も代議士という身分も玩具のようなもの。広島県民がどう思うのかは、なかなか微妙なものじゃないでしょうかしら。いちばん顔をしかめているのが自民党内の人々のはず。なにが改革政党だか・・・。
 いわゆる「刺客候補」についていえば、話題ほどみんながみんな勝つとは思えませんですね、正直のところ。だって、これは国民投票じゃなくてあくまで代議士を選ぶ選挙なんだし、自分の地域の利益代表じゃない人を立てられてもねえ・・・。まともな人なら落下傘候補なんて応援できないはずですが。
 それに、その例の読売年鑑の人名録で適当に有名人を選んで電話して決めた、というようなリストの人たち、その割にはあまり本当の意味ですごい人、というのはいない。
 結局、この程度の人材しかピックアップできないのか、と日本社会の底の浅さをむしろ思うのであります・・・。
 で、最初の電撃的な動きで世論をリードした小泉首相でしたが、マニフェストが出揃うにつけ、国民もかなり冷静になってきているし、それに応じてマスコミ、ことに妙な浮かれ調子になっていたテレビメディアもかなり雰囲気を調整してきているように感じるのは私だけでしょうか。
 とにかく熱狂で政治をやってはいけない。私が口をすっぱく、というかキーを押す指にたこが出来そうな感じで書いて来たのは、要するにそういうことであります。小泉さんには明らかにそういう熱狂を演出する得意技がある。しかしあれで国の方針を決めてはいけない。そういうことです。
 小泉さんの解散の決断を支持しますか、なんて設問を世論調査でされれば、私のように基本的に小泉嫌いの人間でも「支持します」と答えます。また、「郵政民営化に賛成ですか」という質問にも「郵政改革そのものは必要だし、民営化の方向には異存はありません」という答えになる。そして「投票行動に、議員が賛成派か反対派かを考慮に入れますか」という設問にも、それはもちろん「考慮に入れます」とお答えするのは当たり前である。
 では、私が上の三つの設問にそうこたえたからと言って、私が小泉さんを支持していることになるのか。
 しかし、昨日発表の産経新聞とFNNの世論調査の初報では、「このように小泉首相の郵政民営化の賛否を問う、という姿勢が国民に浸透している」などと解説してしまっていたし、「国民が郵政民営化法案の否決に不満を抱いている」などという説明も加えていた。とんでもない都合のよいまとめ方であろう。
 どうもその後、この・・・おそらく「報道2001」に見られるような馬鹿げた誘導めいた解説はテレビ側の魂胆で、産経新聞のサイトを見るともっとまともな解説に書き換えられているようである。また、産経新聞の名物「産経抄」も、国民の目はそんなに浮かれていないし冷静に成り行きを見ている、堀江さんの登場も必ずしも自民党を改革派というイメージにするのに役立つとは言えない、とむしろ辛らつである。
 昔はあの報道2001という番組もそれなりに面白かったのだが、パイプをくわえた英字新聞が読めるというのだけが自慢の時代遅れの政治評論家が仕切っているだけに、近頃は百害あって一利もないC級の洗脳番組になってしまっている。とにかく彼には即刻、引退してもらいたい。彼の言うことなどこのネット時代にはなんの目新しさもない。そしてかれのひけらかす話など要するに対米追随しておれば日本は安泰、と繰り返すだけで、そんなことは真打の竹中大臣に任せておけばいい。同じようなことを言うにも役者が違う。あんたみたいな過去の人の出る幕じゃない、と言いたくなる。あんなものをいまだ使っているフジテレビは結局、本当に駄目なテレビ局である。
 産経に限らず、新聞はおおむね冷静である。金の亡者のテレビ局と違い広告代理店の意向に左右されないからである。実は新聞社も選挙は儲かる。どこの社の広告局も選挙公報を獲得するために躍起となっているはずである。これだけで新聞の広告部門の年間売り上げに大きく響く。が、別にどこかの政党に特に肩入れする理由もない。たとえば、いつもの選挙なら絶対に政権与党を応援する読売新聞をよく読んでみれば、今回、必要以上に冷淡なのが分かる。幹部が腹の底から小泉嫌いなうえに堀江嫌いなのである。だから軽薄な煽りに今回は乗るはずがない。
 世論調査の結果で目立つのは、はっきりしている。「政界再編をこのへんでしてはどうなのか」という一点だ。これだけはどの調査でも高く出る。それに、「今回は選挙に行きます」という声も今までになく多い、というのも間違いない。
 「政界再編をしてくれ」というのだから、小泉さんが単純に煽っているようなものと民意はいささか違う、ということだと思う。それは内閣支持率や政党支持率とは違うものだ。
 各党のマニフェストを見ても、あえてマニフェストとしてうまくまとまっているのは民主党のものだろうと思うが、実際のところ基本方針に大きな違いがあるのは共産党だけであるだろう。郵政改革と将来の民営化、に反対なのは社民、共産党だけだと思われる。「今回の小泉郵政法案」に反対かどうか、という点が違うだけで、結局方向性に違いなどない。
 公務員のリストラや議員年金の廃止なんて題目も、どこの党も出してきている。ただ、自民党の年金改革の項目には一番大事な国民年金がわざと外されている。
 イラク問題については、自民党は今後も必要に応じてやる、民主党は12月で必ず撤兵させる、とここははっきり相違がある。
 そして、また朝のどこかの局の番組では、調査の結果で「郵政だけでは判断しない」という冷静な選挙民の声が示された。
 当然であろう。郵政法案の審議が終わったらすぐにまた解散してくれるわけじゃない。またしばらくその顔ぶれの衆議院が続く以上、まともな選挙民なら目前の郵政の問題だけで判断して、後は白紙委任なんて安易なことは当然、できないに決まっており、そうじゃないと言い張る人は頭がどこかおかしいのである。
 それにしても自民党のマニフェストに、小泉政権4年間の成果とあるのが、ちっとも成果じゃないのが苦しげである種、涙を誘う。具体的には不良債権の処理・・・こんなものは民間の努力である。景気の回復局面・・・今現在の若干の株価の安定でもって景気がよくなったと判断できるわけがない、アメリカや中国、原油価格のことでいつでもひっくり返る脆いものである。そして、驚いたのが「IT社会の進展」なんて項目があることで、そんなものは別に小泉政権の成果じゃあるまい? そんな馬鹿な話が通るなら、W杯に日本が出られるのも、イチローが活躍するのも宮里が頑張るのも、中日が好成績なのもきっとみんな小泉内閣の成果ということなんだろう。
 「新しい時代の息吹を感じますね」とおっしゃる、あなただけが新しくないのだよ小泉さん。世の中には自民党は支持しなくても小泉を支持する、という熱烈なファンもいるだろうが、私のように、実は自民党だろうがなんだろうがどうでもよく、小泉さん、あなただけが本音を言うと嫌いだ、という者もいるのである。その「どうだ、人気復活!」という得意満面な顔をテレビに出さないでくれないか。
 加藤紘一さんが「一幕目は加藤の乱、二幕目は今度の解散劇、しかし三幕も控えている」というようなことを言っていた。三幕、とは政界再編をさすのだろう。
 織田信長はかっこいいが、早く死んだので評判がいいのである。小泉さんもそろそろ死んでもらって私など、一向に構わない。
 衆愚政治家・小泉純一郎。結局、邪魔なのはあんただよ、あんた。改革は必要である。だが、別にあんたがやらんでもよかろう?
 彼に惚れこんでいると言うファンの人らも、どうせあと1年の任期なのである。いい加減あんな男のことなど無視して、日本全体の方向性を考えてはどうか、と思ってきたが、どうも今日あたりの流れでは、すでに選挙民の目は最初の熱狂を脱しつつあるらしい。
 そういうことなら、まあ私も一応、安んじてみていられるのである。
 ◇    ◇    ◇
 三島由紀夫の遺作映画「憂国」が掘り出された、といって話題になっている。それはぜひ見てみたい。あの時代に既に、自衛隊では国連軍に参加できない、というような主張をしていた三島の声が、この時期になって出てくるのはなにか点の配剤か、三島の魂の意思か。
 


2005年8月19日(金)
号外、号外! いや本当には号外は出さないみたいだけど・・・。たった今、1時45分ごろ入ってきた話じゃ、堀江さんはなんと「無所属で出馬」というので愕くね。いやあ、本当にあれは悪党だ。小泉なんか問題にならない悪である。選挙結果で、民主党政権だろうが自民党政権だろうが、どっちでも当選の暁にはIT担当にしてくれ、ということだろう。もし落選したって「想定内」といって笑って済ますに相違ない。単なる公告でした、といってね。それに、当選しても二、三日で辞職するかもしれない。ネクタイ嫌い、とかいって。つまりやるとしてもクール・ビズの9月の間だけなんじゃないのか。

ある意味、痛快である。てんで政治など馬鹿にしているらしいが、彼らしい。ある意味に於いて見直した。さすがに変なことをしてくれる。熱烈ラブコールを送っていた小泉さんは馬鹿みたいである。

  ◇    ◇    ◇

 「ボン・ジョヴィ」が、総選挙投票日の9月11日、急きょ来日することになった。ボン・ジョヴィは小泉政権に批判的といわれ、「米国でも反ブッシュ・反共和党。日本のためには今、政権交代が必要と考えている」(音楽関係者)とも。若者票を掘り起こしたい日本の民主党にとっても思わぬ援軍になるかも?!
米音楽業界に詳しい芸能ジャーナリストは、「もし、9・11のメモリアルデーに、日本で自民党から民主党へと政権交代が実現した場合、東京発で平和を訴えることが、意味あるメッセージになる、と判断したようだ」と明かす。
 ボン・ジョヴィは昨秋の米大統領選で、ブッシュ大統領の再選に否定的な立場を取ってきた。米国のイラク攻撃を痛烈に批判。選挙戦を前に人気アーティストのエミネムやU2らと連携して、「再選阻止」を訴えた。こうした中、ブッシュ大統領のイラク攻撃を支持し続けてきた日本の小泉政権には、少なからずショックを受け、周囲に「日本は、悲惨な現実を味わった世界で唯一の国。ブッシュだけには賛同してほしくなかった」と漏らしていたという。それだけに、今回の衆院解散にも、大いに関心を示し、「郵政問題」より「政権交代」に注目している。今回の来日は、表向きは9月14日に発売される3年ぶり通算9枚目のオリジナル・アルバム「ハブ・ア・ナイス・デイ」のプロモーション来日という立場を取る。しかし「希望があれば、政治についての取材やインタビューにも応じる」という姿勢で、9月11日は「テレビの選挙特番にも出演することも可能」と非公式ではあるが所属レコード会社「ユニバーサル ミュージック」に伝えてきているという(夕刊フジ)というんだが、そりゃすごい話だ。つまりアメリカのアーチストの場合、こういう場合にも「自分は共和党」「私は民主党」とはっきり自分の立場を示すのがごく当たり前で、大統領候補の集会などでは大物が演奏するなんてのもごく普通である。それにしても、あちらじゃあまり話題になっていない日本の総選挙にそんなに関心を持っている、というのが本当なら驚くべきことだ。もっともハードロックは今じゃ本国より日本で人気がかろうじて残っている(そういう意味ではジャズと似てきた)というわけなんで、そもそも商売的にも日本は重要な国なんだろう。ボン・ジョビの曲は2,3曲、コピーをやったことがあるが、あるころからブルース・スプリングスティーンみたいな大御所風の曲調になってきて、あまり聴かなくなってしまった。初期の売れ筋ロックが好きだったのだが。が、そういうことなら久々に新譜を聴いてみてもいいかな。
 で、ボン・ジョビがこれだけ注目するというんだから、日本としてはもう一つ、気にしなければならない外国の目があることを忘れてはならないですよ。
 そう、アル・カーイダである。スペインの列車爆破は総選挙の直前で行われ、見事に政権交代とイラクからの撤兵を成功させてしまった。前の参院選のときにも可能性はあったが、今度のほうが効果は大きいのは明らかであるし、なにしろ9・11選挙である、けっこう日付というのも意味を持つ場合がある。もちろんそんなことは杞憂で終わることを祈るし、公安当局が先刻、気にしていると思われるけれど、用心に越したことはない。
 ◇   ◇    ◇
 私の知っている人で、通信販売の金魚を売っている若い人がいる。大学を出た後、なにもせず、金魚の通販を細々とやっているが、いつしか20代も後半になってしまった。事実上のニートにほとんど等しい。その人は、今の若い人にありがちな、理屈の通らないことを平気でいう人である。根拠のない全能感にとらわれて、自分はすぐにも大金持ちになれる、などと夢想的なことを言ったかと思えば、急に自分はもう駄目だ、などといってもみたりする。そして彼は、PLOのアラファト議長のファン、と称していた。何故か知らないが大学の中東史の授業か何かで覚えたのだろう。しかし、そのアラファトのファン、であるはずなのにアメリカの大統領選挙はブッシュを応援していた。ケリーよりブッシュのほうが「なんとなく気合が入っていそうで」好ましい、というのである。つまり理屈などない。イメージである。ブッシュ支持ということはイスラエル支持であって、PLOは敵であろう。要するに彼にはなんの知識の整理もついていない、せっかく大学まで出ていても、竹中大臣のブレインの代理店が分類するところの「実態を把握しないでイメージでとびつく知能が低い国民層」であるに相違ない。確かめていないが、おそらく彼は今回の選挙でも「威勢のいい小泉さんが好ましい」と言うに違いないのである。
 また、私の知っている人で、ごく小さな会社に勤めていて子供さんが一人あり、熱心な小泉首相崇拝者がいる。彼の口癖は「いやあ、きっとなんとかなりますよ。自民党に任せておけば、大丈夫ですよ」というのである。で、私は彼に「それじゃあ、あなたのお子さんはアメリカ国籍を取らせましたか。英語をやらせるために留学はするんでしょうね。それに少なくとも中学からは私立にするんでしょうね。それから将来、自衛隊に入れ、と言われたら入れますね」と聞いたら、ぜんぜんそんなことは考えていないという。どういうことなのだろう、と思う。基本的に小泉改革の路線は、彼が勤めているような小さな会社は無用であるし、彼のお子さんのような者も10年後、20年後ともなるとどうなるか分からないのに、そのようなことは具体的にぜんぜん考えていない。とにかく楽観的なのである。ドラマ「女王の教室」の話で、ヒロインのマヤ先生の説くような「6%のエリートしか必要ない時代なのよ」という態度をひどく嫌う視聴者がいて、テレビ局が困っているというが、この先生の言っていることはむしろ大甘である。6%は大きすぎる見積もりであろう。こういうドラマが出来ることで分かるではないか、世の中は完全に特権階級の存在を是認する方向に進んでいるのであるし、それを嫌だ、と目をそむける人は言ってみれば弱虫である。
 ◇   ◇   ◇
 週刊誌などの予測が出始めた。恐らく今の流れでいくと自民党大勝、そして民主党が崩壊してしまうであろう、という。事実上の一党独裁のような時代が来る、ということだ。つまり、ありとあらゆる法案が閣議決定ですべて承認される、ブレーキはかからない時代、ということだ。たとえば例の「裁判員制度」はいつのまにか、多くの国民が無関心なまま、知らないうちに決まってしまったではないか。ああいう具合にもっともっと難しい法案でも、何事もあっさりと決まっていく、ということである。
 不思議である。自民党は小選挙区制度になって変質したという。「まあまあ、自民党はいろいろな人がいますから大丈夫ですよ、というのはもう通用しない」とテレビで安倍幹事長代理が言っていた。なのに今までの自民党支持者がまた、薄ぼんやりとしたまま自民党を惰性で応援する。不思議である。中小企業、農家、若い人、主婦、ニートにフリーター、老人、地方の人。こういう人らがなんとなく「小泉政権の支持基盤」である理由が分からない。来るべきアメリカ型の社会では、これらの人は無用なはずではないか、これからの時代。無用なのは郵便公務員だけではない。
 それとも、郵便公務員さえ生贄にすれば自分らは助かると思っているのであろうか、大方の人は。すなわち、あなたも私も、本当に改革の荒波の中で生き残れるような、競争社会の中での勝ち組なのであろうか。
 翻って自分はどうか。ここで私はいささか嫌なことを書く必要がある。
 よく考えてみれば、私は小泉さんが生理的に好かない。しかし実はただそれだけなのである。私自身はとるにたらない人間だが、しかしたまたま私の所属する会社の立場では、本当を言えば小泉さんの政権でまったく構わない、むしろ政権交代などないほうがいいのではある、実のところ。嫌な言い方だが、単純にいえばそうなる。さらに、子供はいないので、今後の教育問題も、また将来の日本軍の動向もどうでもいいことである。
 それどころか私は本来は、軍備ということについていえば、軍備のない国家に外交などない以上、日本軍再軍備大いに結構、むしろ自衛隊などという軍服らしきものを着込んだ特別職国家公務員のコスプレみたいなもんじゃなく、しっかり武装して言うことを言える国家にしたらいい、という考え方の人間であることを率直に告白しておく。10年、20年後にわが子を戦地に送り出す気遣いのない人間の言い分であるから、お子さんがいる方と意見が相違するのは必然である。
 だが、にもかかわらず、普通に考えれば私のような者は小泉流、および今回の選挙の結果の自民党大勝、民主党崩壊、その他の与党溶解、という大政翼賛状態の政界再編と、その成り行きとしての弱肉強食日本であって構わないはずなのに、どうしてもそれが生理的に気に入らないのは何故か、である。
 結局、私の「ロッカー」とか「詩人」という体質が、その大政翼賛型の日本社会を好まないからである。そして、多くの芸術家が、ナチス賛美の作品を発表してそのときはよかったが、後になって臍を噛んだこと、多くの日本の詩人などが戦争賛美詩など書いて、後になって恥をかいたこと、そういうことをついつい想ってしまうのである。そういうファシズムの時代をそれなりに研究してきた私だから、かえってなにか気に入らないのである。
 あえて言ってしまおう。小泉でなく、もし私が総統であるなら、実はぜんぜん今の流れで私は構わない(笑)。私はそうした人間だ。ほかの人間が権力を振るうのが忌々しいだけのことである。そして、「一応、俺はあの時代の流れには反対だったんだよ」というアリバイとしてこのような駄文を細々と自分の小さなサイトに載せて、全部あわせても数百人規模の皆様に読んでいただいているに過ぎないのかもしれない。
 今回の選挙というのは結果的に、ではあるが、「完全なる弱肉強食社会でよろしいですね」「完全なる親米路線、それもできれば米共和党路線でいいですね」「国民はだから、完全に自助努力で生きていってくれますね」「それに、国連安保理決議で戦争をやるときは日本軍は出していいですね」というような事柄への最終念押しのようなものになると思うのである。そこまで考えて、その念書に血判を押す人は勇気と自信と覚悟がある人であり、全く問題ないと思うのであるし、国民の多くがそのように覚悟をしっかりと決めて、自民党大勝を作り出すならもちろんそれは問題ないのである。
 しかし、あの自称金魚屋の若者や、あのなんとなく小泉ファンの人や、その他、ただムードに流されているのじゃないか、という人らが後になって「話が違う」というのなら、それはまさに自業自得じゃないか、同情などせんよ、とヒトラーのように言い放つしかない。そういうことを私はここ数日、いいたかっただけのことである。みんな自分自身が大企業のCEOである堀江さんみたいな気分になっているようだが、実際には彼とはぜんぜんほとんどの「私やあなた」は人種が違うではないか。なんで彼や首相があなたと近しいと感じるのか。それは思うに、今の日本の自称中流層にいまだに残っているある種の思い上がりなのである。自分が下層に追いやられつつあることを実感していない人の錯誤なのであるが、今回の選挙のタイミングというのは、そういう日本の再階層化がはっきり姿を表す前、という絶妙のところであったともいえる。そういう意味でますます小泉さんの政局眼は正しかった、と思われる。これは素直に褒めているのである。
 後は成り行きをみるばかりである。正直に申しまして、私は実は、急速にこの選挙に興味が失せつつあるのである。
 今日はまた、ロシア軍と中国軍の合同演習が行われた。また、中国が実は、インフレではなく急速にデフレの危機に見舞われているともいう。今までのようにのんびりと、各国間の同盟関係が5年も10年も永続するなんて信じるべき時代じゃないのである。
 なのに日本は一党翼賛国家となるか。ますますひとつの方向にしか進めない国になるということだろう。


2005年8月18日(木)
「目玉候補の選定は、武部氏らの「党ルート」と、飯島勲首相秘書官を中心とした「首相官邸ルート」の二本立てで行われている。飯島氏は読売新聞社発行の「読売年鑑」の人名録を持ち歩き、載っている著名な女性文化人や学者らの中から「これは」と思った人物に片っ端から電話を掛けているという。「よお、仕掛け人」――。飯島氏は16日、党本部で森前首相から声を掛けられたほどだ」(読売新聞)というんだが本当かいな。「読売年鑑」でなんでもいいから有名人を口説いているのか、あれ。やっぱり底が浅いことである、率直に言って呆れる。
 その県に住んだこともない人を、有名人だからといってそんなにもてはやすもんだろうか、選挙民というのは。かえって有名人というのは、嫉妬の対象でもある。国際政治学者に料理研究家に女優に、といくらなんでも安易ではある。
 ま、「刺客」の話などどうでもよいが。
 それはそうと、「国民新党」ですか。ネーミングはいいんじゃないですか。よく考えたと思う。「反郵政党」じゃ駄目で、むしろ「反小泉党」ということにしなければいけないわけだから。狙いどころはいいですよね。が・・・出来れば、解散直後にこういうものは結党すべきだったろうな。自民党への未練をうじうじといっていたわけだが、それは失敗だったという気もします。今となると展望はないかもしれません。が、民主党からきた人がいる、というのがちょっと謎めいていますね。
 また、堀江さんの出馬もほとんど決まっているみたいな報道ですが。福岡1区、となればまあ堅い所でしょう。彼も代議士となればTシャツというわけにも行くまいから、面白いじゃないか、と思います。しかし広島6区だったら、これも有名人ならなんでもいいのか、というのはありますね。にしても、堀江さんにしてもフジの買収話以上にインパクトのある話題というのは今後、なかなかないから、政治家ごっこをちょっとだけする、というのは選択肢なのは確かでしょう。中山恭子さんはおやめになったようですね。これは賢明かもしれない。とにかくこの「刺客」に読売年鑑でつられた人というのは、「要するに立身出世主義、名誉欲のあるヤツなんだな」と思われる。当落にかかわらずそういうイメージにはなるだろうから、必ずしも長い目で見て特とは限らないですな。
  ◇     ◇     ◇
 さて、私がこのブログに書いている文章は、基本的には個人サイトhttp://www.tujimoto.jp/の日記に載せているものと同じである。また、私はあのソーシャル・サイトmixiの会員でもあるので、そちらの日記にも転載していた、昨日までは。が、どうもあの中途半端なソーシャル・サイトというのが私の人間関係の作り方と合わず(つまりまったく通りすがりでもなく、しかし本当の知人でもない程度の交わり方、というのが私にとってはあまり意味が見出せず)結果としてこのmixiのほうは打ち切りにした。
 で、そのmixiの日記でついたコメントにこんなのがあったので、紹介する。ハンドルネーム「寿」という若い人らしい。詩だの写真だの発表している、やや空想的な人らしい(mixiだと、相手のプロフィールもおおまかに分かるのである)。

「一体なんの根拠があって竹中のバックにそんな危ない連中がいると思っているのですか?
もし、それを確信するほどの能力があるとしたら、貴方は天才だ。
なぜ、アメリカが日本の経済力をつぶしたいと思っているのでしょう?
アメリカ国債を一番所有しているのは、日本です。その日本の財政が破綻したら日本はアメリカ国債を売らなければならなくなる。
そんなことになったらアメリカも共倒れだよ。
日本の経済がやばい状況になれば、アメリカ製品も日本に輸出できなくなる。
経済というのは、取引相手も儲からなければ成り立たない。
そんなふうに考えていては日本はよくならない。 」

 いかがであろうか。素朴だ。笑えるではないか。「恐らく、私は天才なんでしょう」とお答えしておいた。武者小路ではないが「おめでたい人」というのはいるものである。私は確信犯で、相当に覚悟してそれでも自民党を支持する人はそれで聡明な選択だ、と申し上げてきたし、また民主党政権になっても問題はまた別にあるだろう、とも申し上げてきた。要するに、これなら絶対100点満点で、それ以外は0点、という小泉さんやブッシュさん式のすべてか無か、という問題の建て方が嫌いなのである。世の中、そんなに単純なものか。
 しかしこの若い人は、竹中さんというものがどういうお人か、本当になにも知らないで応援しているらしい。それは困るではないか。
 私はあの竹中大臣を低く見てなどいない。とんでもない、あれほど有能な人はいない。今の日本でも最も優れた頭脳の持ち主である。そして小泉政権というのは本当は竹中政権である、と思っている。
 竹中氏は元CEA(大統領経済諮問委員会)委員長のロバート・ハバード氏、同委員のランダル・クロスナー氏、ジョン・テーラー財務次官、フレッド・バークステン国際経済研究所所長、ギャリー・エドソン大統領補佐官、米系大手証券会社(ゴールドマン・サックス等)の 経営幹部などとの人脈を持っている。これはいろいろなメディアで既に報じられていること。それ自体は秘密でもなんでもなかろう。
 また、今回の選挙でのアメリカの介入については政治評論家、森田実氏のサイトの文章があちこちで出回っているので、いまさらだが、少し日数も立ったので改めてここに引用すれば、「友人から『ウォールストリート・ジャーナル』2005年8月8日号のインターネット版記事の一部が送られてきた。『ウォールストリート・ジャーナル』は「郵政民営化法案は廃案となったが、これは手取りの時期が少し延びたに過ぎない。ほんの少し待てば、われわれは3兆ドルを手に入れることができる」との見方を述べている。3兆ドルとは、国民が郵政公社に預けている350兆円のことである。ウォール街は、9月11日の総選挙で小泉首相が勝利し、総選挙後の特別国会で郵政法案を再提出し、成立させると信じているようである。 H氏によると、これを確実にするため、ウォール街は、多額の広告費を日本に投入し、日本のテレビを動員して、日本国民をマインドコントロールして、小泉首相を大勝利させる方向に動いている。「多額の広告費はどのくらいか?」と聞くと、「とにかくケタ違いの金額のようだ。いままで投入した広告費の10倍を投入してもかまわない、と考えている。350兆円を得るために、その1〜2%を使ってもよいと考えているようです。すでにテレビ朝日とテレビ東京は、小泉勝利のためにテレビ局の総力をあげることになった、といわれています。これに日本テレビ、TBS、フジテレビがつづく。NHK以外の在京の全地上波キー局が小泉自民党の宣伝機関になり、小泉ヨイショ報道に狂奔している」というものだ。これでいえば、アメリカから日本の与党を支援するための選挙資金として実に7兆円ぐらいが落ちてくるということを言っているのである。テレビ局を買う、というのはCMを買う、日本の代理店に流す、日本企業に間接スポンサードするなど、合法的にいくらでも手は回せる。
 さてそれで、竹中氏と広告代理店のかかわり、ということでいうと、例の「IQの弱い人」に配布したチラシの件である。
 これは、サンデー毎日の記事によれば「有限会社スリード(本社・東京都江東区)という広告代理店である。だが、まず不自然なのは、同社が昨年3月に設立されたばかりで実績が少ないにもかかわらず、1億5614万円という巨額の契約が入札によらない「随意契約」だったことだ。会計法に基づく政令は、160万円以上の物品契約は競争入札を原則にするよう定めている。・・・内部告発によれば、(スリード社の)谷部社長を推薦したのは斎藤参事官ではなく、竹中担当相の岸博幸秘書官」 ということだ。この谷部社長、というのは博報堂時代から自民党のイメージアップ戦略に携わっているディレクターで、オヤジさんは国税庁OBの会計士で大金持ちだそうである。
 で、そのスリード社のチラシ配布の企画書だが、現物は検索すればネット上で容易に見ることが出来る。よく広告代理店がプレゼンテーションで用いるような、どういうところにPRの中心を置くか、という図表が載っていて、「知能が高い国民層=財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(TV)、都市部ホワイトカラー 。これに対して<小泉内閣支持基盤たる>=主婦層、子供、シルバー層=<具体的な事は分らないが、小泉首相のキャラクターを支持する層> ここに重点的に配布するべき・・・」ということになっている。で、実際にはこのチラシは地方紙などで配布した。地方に住んでいる「主婦、子供、老人」を「具体的なことは分からないが、小泉首相のキャラクターを愛する」=御しやすい人、 田舎者、知能が低い人、と見なすということである。
 また、自民党全体についているPR会社はプラップ・ジャパンという会社で、独立系だが東京アメリカクラブの会員であるなどアメリカ色の強い企業であることが知られている。しかし一方、民主党についているのもアメリカ系の広告代理店ですから、その意味で両党ともアメリカ式PRをしていることになる。 それ以上に、たとえばアメリカ政府のPR戦術を担っているといわれるレンドン社のような代理店が知恵をつけていない、という保証はないが、このへんは目下、特に情報はない。
 しかし自民、民主のどちらの代理店もアメリカの息がかかっているなら、どちらをどう応援しどちらを手加減するか、という点でアメリカの財界の思惑に引きずられやすい、というのは間違いなかろう。
「何を根拠に」どころではない。竹中大臣と米政府、財界、広告代理店とのかかわりが全くない、と考える根拠こそ見つけにくい状況ではないか、寿君よ?
 
 次に、アメリカの国債の話。米国債をたくさん持っている日本は強いのだ、というのは石原知事だかがかつて、NOといえる日本であるためのカラ元気の一種としてぶち上げたネタだが、今時こんなものを頭から信じている者がいるとは、困ったものである。アメリカ国債を日本が売却することなどできはしない 。
 経常赤字を続けるアメリカは、すでに世界最大の債務国である。にもかかわらず日本が米国債を買い続けるのはもしアメリカが資金不足に陥るとドルが暴落し、日本の対米輸出や経済自体が大打撃をうけるためである。結局のところ、アメリカ(特に民主党)は極東の経済エンジンを中国に求めているのだと思われるし、共和党の現政権であっても、日本に求めているのはなんといっても軍事的な部分でしょう。日本が米国債を買っているのは、アメリカに倒れられると困るので泣く泣く機関投資家に政策的に買わせ、それもできなくなったので国でやり始めた、というのが実態で、日本のほうから尻をまくれる可能性はゼロである 。
 アメリカから見て、日本なんて「取引相手」じゃないのだよ、寿君。しかも郵貯簡保の何百兆円と日本の金融資産を取り込めば、向こうとしては後の日本など、まあ潰れない程度にそこそこに国が残っておればどうでもいいのである。韓国のように公然と歯向かう国と違い、日本は向こうから見て独立国ではないのである。で、金が溜まったら脅しをかけて「国際的に孤立するから金を出せ」という。その繰り返しだ。
 国民の貯蓄がぜんぜんないからアメリカの財政は赤字なんで日本と逆である。それで日本はアメリカの赤字を負担している上に、さらに郵貯簡保の日本国民の貯蓄も自由に使っていいよ、ということを言っているのであって、それでアメリカ人はまたまたカードで借金しても消費に狂奔してくれるし、日本の輸出は伸びる。分かるであろうか、この構造? 日本が強くて米国債を持っているのではない、ということが。アメリカが赤字覚悟で消費に狂奔してくれるお陰で日本は黒字国として振る舞える、それだからアメリカの赤字を別の形で補填して回っている、その決定打の一つが今回の郵貯問題である、ということが。ついでにアメリカのご指導で野放図に広がってしまった無駄な公共投資はこれを機に財投資金の縮小で潰していける。日本のジイサン婆さんの郵貯信仰から溜まった莫大な金を取り込めば日本の無意味な黒字も縮小しよう。つまり、日米の取引というのは寿君が学校で習ったような単純素朴な国際交易なんかじゃないのだし、赤字、黒字と言ってもそれは普通の対等な取引の結果ではない、もっと政策的なものなのだよ。そういう取引は、中国とアメリカの間でならあり得るが、日本はもはやパッシング、いやナッシング、なにもできることなんてないのだ。だからアメリカの財界は日本に優しいではないか、最近。もう怖くもなんともないということだ。
 
 アメリカと小泉政権的な本音は、こういうことなのである。要は、たとえば経団連の幹部とか大会社のCEOのような有能で金持ちの人にはますます頑張って欲しい。しかし、日本では有象無象、中流と名乗っている「平凡な一般国民」の生活水準が高すぎるし、国の手当ても手厚すぎる。そんなよけいな金があったら、もっと軍事費なりに使って欲しいものである。数パーセントのエリート以外の生活水準をもっともっと下げて、もっと働かせるか、無気力にして逆らわなくするか、どちらかにしなさい、ということである。労働組合なんて赤のやり方も骨抜きにしなさい、なんでも自己責任で会社と個人の直接契約の雇用にしなさい、というのが要するに方向性である。そして実際、世の中そのように動いているし、もはや止まるまい。
 病弱な人とか、気力のない人は生きている資格が無い社会にしなさい、ということで、これはかつてのナチス第三帝国に非常によく似た考え方でもあります。強いものだけが勝てばいいのである、ということです。たしかに以前の日本はぬるま湯に過ぎた。談合なんて見ているとその通りであろう。しかし、それで命をつないできた人も多いわけです。が、一方向に動き出すと止まらないのが日本社会の性質ですよ。はっきりいって原爆でも落とされない限り、一方向に暴走するのが日本人の性質です。
 だから私はちょうどいいところで止まれるかどうか、疑問なのだ。私はニホンジンの国民性を大いに疑っている。ことに、前の戦争だって結局は「実態を知らないけれどなんとなく国策を支持している」ちょっとIQの弱い層があったからできたことであろう、ひとり陸軍だけが暴走したのではあるまい。ナチスドイツを成立させたのもヒトラーによれば「女、子供の支持」である。
 そして、もし日本が本当に破産すれば、きっと本当に属領とするだろう。それで対日赤字は全部解消であるからいうことはない。
 さて寿君。君は大企業のCEOであろうか。もしそうなら、君が小泉政権式の改革で「日本がよくなる」と主張するのを私は是認するのである。むしろ当然であろう。しかし、もし君が「有象無象の中流」以下のにんげんで、「具体的なことは分からない知能が低い国民層」であるのなら、悪いことは言わない、今後、政治ネタなど考えないことだ。君らには手におえないよ。黙っていることだ。そして、毎年少しずつ生活が苦しくなるのを黙って見ていればよい。お元気で。
 ◇     ◇     ◇
 今朝、うちで飼っている白いザリガニ「エルヴィン」が逃走した。水槽の隙間から逃げ出したのである。妻が必死に探して、重い本棚の後ろに隠れているのを見つけた。やむを得ず、二人で本を全部本棚からおろして、棚を動かすことでなんとか助け出した。しかし青息吐息である。助かるか、このまま死ぬか分からない。馬鹿なヤツである。居心地のいい水槽を用意してやったのに、自分ひとりでも生きていける、と思って逃げ出したか。しかしどうだ。なにも出来はしない。なんにも、出来はしないのである。
 日本なんて国も、あるいはこのザリガニと同じようなものかもしれない。水槽に飼われて丸々太って、自分はいっぱしの者のつもりになっているが、実はなにもできない存在である。



2005年8月17日(水)
亀井さんなどの「造反組」がいよいよ新党結成、という話が出てきたがどうなんであろうか。本当にやるかしら。まあ、やらないわけにいくまい。ここまで待ったのは自民党の県連単位では応援してくれる、つまり「造反県連」もあり得るので様子を見ていた、ということらしい。が、首相の打つ手は早く、刺客候補がどんどん決まってのんびりしておれなくなった、ということですね。
 まったくなにがどうなるか分かりませんが、堀江さんまで声をかけられた、というから笑える。しかし可能性はある、ともいうから世の中なんでもあり、だ。なんとしても小泉さんとしては、自民党は改革派なんだ、というイメージで押し切りたいのであろう。
 私は、堀江さんという人についてはちっとも好きではない。ファンの人には申し訳ないが別に新しい人だとは思わない。フジテレビとの問題でも、要は大したビジョンはなかったというのが実相のようで、そんなに改革の旗手などといって応援してやるべき人間とも思わなかった。
 もっとも、マスコミを買収するのでなければなんの話題にもならなかったであろう、今の夢真と日本技術開発の乗っ取り戦争など、一般人の興味は全く引いていない。この夢真のTOBがライブドアのフジへのしかけより前にあったとして、誰があんなに騒いだものか。そういう意味で話題作りのセンスは抜群である。
 堀江さんは、あれは徹底的なマキャベリストなのだろうから、同じくマキャベリストである小泉さんとは波長は合うはずである。そう、二人をあえて括るなら、改革派、なのではなくてマキャベリスト、つまり目的のために手段を選ばない、という点であろうと思う。
 そして、今、本当は政治的な改革がどうの、という争点と言うよりも、むしろ国民の漠然とした感じとして、「目的のために手段を選ばない生き方がいいのか」「少しは昔風の義理・人情という部分も社会にはあった方がいいのか」という選択があるべきときなのではないか、と思う。
 自民党はもっとも浪花節的な政党であったが、それをアメリカ風のプログマティズム信奉政党のように作り替えようとした小泉さんの目論見は、それとしては成功したと思われる。
 で、国民も大方、もうグズグズした和の論理、とかいうものにいらいらしていて快刀乱麻を断つようにやってくれる人を求めているのも確かである。それでむしろ、小泉さんというのは4年もかけて、実際にはあまり快刀をふるえなかった人である。どっちみちまもなく終わる政権であり、彼の役割もそこまでで終わるだろう。
 その後だが、小泉さんが蒔いた種というのはむしろ後で利いてくるんじゃないか、と私は思うのである。要するに国民性の変質である。
 別に昔がいいとか、昔に返れと言いたいのではない。そのような転換点であろう、と思うだけである。誰がなんと言っても止まるものではあるまい。
 ここで、私は正岡子規の病床六尺の記事を思い出す。「世間では上杉謙信と武田信玄では謙信の方が好き、という人が7割ぐらいであろう」というような内容で、その後も、明治時代に有名だった横綱の名を挙げ、攻撃的な横綱と慎重な横綱では攻撃的な方を世間は好むだろう、と続ける。それで「世間の人はなんとなく活発で積極的な者を応援するだろうが、自分はなんでもそういうものがいい、という考え方には反発する。自分は信玄の方が昔から好きだった」というのである。
 信長と家康、なんてものの対比もそのへんと似ている。普通にアンケートをとれば信長の人気は圧倒的だ。私だってそうである。派手できらびやかな信長のほうが格好いい。しかし、私はもし自分が同時代に生きているなら、おそらく信長に仕えるのはイヤだろうし、ひょっとしたら明智光秀に荷担するかもしれない、と思う。
 戦前の日本軍でも、元気で積極的な幕僚の意見はどんどん採り上げられて、提案者の出世に結びついた、という。だからいけいけどんどん、ということで侵略的な進言が採用されて、陸軍の暴走が止まらなくなったのだと聞く。インパール作戦なんてのも、そんな具合で「牟田口司令官の意欲が認められて」戦略的な評価は考えないで実行されたんだと聞くのである。
 短絡に結びつけるような話じゃないのは分かっているし、随分とイメージだけのことで申し訳ないが、詩人という人種は論理よりイメージで生きる人種である。そして、小泉さんとか堀江さんとかいう人らが元気で、みんなから拍手喝采を浴びている今の日本というのは、なにかしら胡散臭いという感じがする。すみません、私は消極的な人間である。
 いいや違う。世間がうじうじとしていると快刀乱麻を求める。世間が快刀乱麻を求めるときはなぜか反対に消極的なものを求める。私はとにかく天の邪鬼なのである。世間の人の大勢に逆らいたくて仕方がない。正岡子規なんて人も、有人の夏目漱石などを見ていれば、おそらくそういう性分だったのだろうが。

2005年8月16日(火)
先日、うちに両親が来たときのことだという。そのとき、たまたま「亡国の○ー○ス」の映画の宣伝番組をテレビでやっていたのだという。私と母はちょっと別室にいて、妻と私の父が居間にいて、テレビを見ていたのだという。義理の父親と息子の嫁という、まあそんなにくだけてぺらぺらするような雰囲気じゃない、そのときに、その「○○のイージス」の宣伝番組がたまたま出てきたのだ、という。お決まりの映画を見た若者たちなんかの、たわいもない感想が羅列されたのだという。「すごーい、日本にもあんな船があるんですねええ。知らなかった」とか素っ頓狂な声で言っていたのだという、それで妻は思い切り嫌な顔をしたところ、日ごろ、寡黙な父がぼそりと「近頃の若い人はなんにも知らないですからねえ」と呟いたという。で、私の父と妻は「○国○イー○○」のおかげで、少しだけ距離が近づいたのだという・・・文学じゃないか。小津映画のようだ(そうか?)。
 無論、映画が悪いんじゃない、観客が竹中大臣式に言う「ちょっとIQの弱い人」だったのだしそれを取り上げたテレビ局もいけないのである。
 そういえば先日、日高某が月一でやっている12チャンネルの番組で、米太平洋艦隊司令長官を引退するドーラン海軍大将のインタビューをやっていた。大将が40年前に日本に赴任したときにはなんとフレッチャー級の駆逐艦を見かけたという。今や、アーレー・バーク級のステルス・イージス駆逐艦と日本のイージス艦が連携演習できる時代である、と大将は力説して、近頃は日米の海上部隊はなんの打ち合わせもしないで合同訓練をし、何事もなかったように分離できる。素晴らしいチームワークだ、と述べていた。
 素晴らしいといえば素晴らしいが、要するに太平洋には第5、第7艦隊のほかに日本の自衛艦隊がある、三個艦隊編成だ、といっているのと等しいのかもしれない。「日本にもこんな船があるんだあ」どころの騒ぎじゃない。中国海軍はまもなく空母の建造に着手するそうである。太平洋の波高し、だ。
 「これが戦争だ」という中井某のセリフが間抜けなそんな映画より、ぜひ見てもらいたい「ヒトラー最期の12日間」だが、夫婦そろってまたまたゆうべ、見に行ってしまった。
 妻は、どうしても「私は敗北主義者です」という、アインザッツグルッペ(処刑部隊)に処刑された市民や逃亡兵の首に掛けられている看板の文字を読み取りたい、と希望していたがやっぱり早くて読めなかったようだ。ティーガー戦車もどきも、ちょっと砲が貧弱だがアップに耐える。ヴァイトリンク中将が最初に総統官邸に呼び出されたとき、ブルクドルフとクレーブスが「ハイル・ヒトラー」と型通りのナチス礼をするのに対し、彼は陸軍式の挙手の敬礼をして、それをちょっと手先だけ曲げて、辛うじてナチス式敬礼にしている、なんてところが実に細かい。例の7月20日事件(シュタウフェンベルク大佐による総統暗殺未遂事件)以後、陸海空軍も普通の挙手の礼、つまりごく普通の「敬礼」である、あれを廃止して、ナチス式の手を真っ直ぐ伸ばすのに変えさせられた。あのシーンでは、ヴァイトリンク将軍の内心を敬礼一つで表現しているのである。また、最後の最後に、ヒロインを脱出させるに当たって、不屈の最終防衛ライン指揮官モーンケSS少将は、ナチス式じゃない、陸軍指揮の敬礼をして、送り出す。あれも、モーンケは本来、SS(親衛隊)所属なのでナチス式が普通なのを、わざと陸軍式にさせている。彼もまた、ナチスがどうのこうのじゃない、まっとうな一人の勇敢な兵士だったのだ、というのを表現しているわけだ。
 こういうドイツ映画を見て、ドイツ人なりにきちんとヒトラーの時代を映像化しよう、という努力が再び見てますますいろいろと目に付いた。と同時に、この数日、終戦の日特集と言ってテレビなんかでいろいろ討論をしていたが、ニホンジンが結局ちっとも総括をしていない、ということを彼我を引き比べてますます思い知るのである。
 総括、というのは「これが正しい」ということじゃ必ずしもない。要するに国家として一応、こういう風に認識しています、というのが出来ている、ということだ。日本のほうは各人勝手である。もっといけないことに若い人となると興味も関心も薄かったりする(個人差があるのはもっとも至極だが)。
 今日も、比較的若い人らがヒトラー映画を見に遅い時間にもかかわらずたくさん見ていて、驚いたのだったが、上映前に後ろの席の若い女性が「ねえ、今日って終戦記念日だったっけ? じゃあヒトラー見るのもいいんじゃない」なんてのたまうのでずっこけた。まあ言ってることに間違いはないんだが、ここまで来て気付くという程度では・・・。
 が、その人らもあの3時間近い長尺を最後まで声もなくじっと見ていたのには感心した。やはり実話の力は強い。亡国の○ー○○には悪いが、「ニホンジンよ、これが戦争だ」というのはこちらで使うべきセリフであろう。
  ◇     ◇     ◇
 もう政治ネタはしばらく書かないよ、といっておいてなんですが、自分のところはどうなっていたっけか、とふと思ったのである。
 筆者の住んでいるのはディズニーランドのある千葉県浦安市であって、お隣の市川市と一緒に千葉5区、というのを構成している。
 これまでの総選挙の結果というと、下の通りである。
2003年
1 村越祐民 民主新      76,671当選
2 薗浦健太郎 自民新   64,393
3 田中甲 諸派前  41,883
4 黒沢秀明 共産新 13,919
2000年
1  田中甲 民主前      100,292当選
2  狩野勝 自民元    80,093  
3  中嶋誠 共産新     25,409  
4  藤原信 社民新     18,258  
5  佐藤博美 自由連合新    6,610  
1996年
1  田中甲 民主前       67,032当選
2  狩野勝 自民前    62,951  
3  中津川博郷 新進新    43,682  
4  小沢剛 共産新    25,586  
5  豊田勝彦 新社会新    7,319  
6  本橋千明 自由連合新   1,311  

で、こうして見ると自民党がしばらく負けている選挙区なんですね。民主党の田中甲という人が離党して、そこにチャンスとばかり自民党の新人の薗浦さんという若い人が打って出たけど負けたのが前回。ちなみにこの薗浦氏、前回選挙までうちの会社にいた人。彼が選挙に出るとなったら、社内じゃもうさんざんだったですね。「なーにを、生意気な」てなもんで(笑)馬鹿だな自民党、それだけでこの地区に住んでいるうちの会社の社員がみんなよそに流れたわな。実際、知っているにんげんで、30そこそこの若いのが黒塗りの車なんぞ乗って、歳費などもらって先生とか呼ばれる様を見たい人間なんていねえんだよ、というもんです。ケツの穴が小さいのが人間の本性ですからね。
 で、今回はお隣千葉4区(船橋市)にあの中山恭子さんが出るとか出ないとか言っていますね、刺客として。野田佳彦さんへのいやがらせということらしい。どうなんですか、あの中山さんって確かに拉致問題のときにいささか目立っていたけど、船橋市の市民に人気があるかどうか疑問ですね。
 それで。この一連の「刺客」というのだが、静岡7区に出るといわれる片山なんとかさんね。舛添さんの元奥さんね。それで「東大の百恵ちゃん」ですか、古いやねそりゃあ。
 まあ優秀な人だろうし、首相に頼まれれば出ないわけには行かないと思うが、どうなの? 才色兼備なんていってエリート女性が乗り込んできて、一番、嫌うのは女性じゃないですかね。女性票はかえって失う気もしますがね。あの80年代風の髪型も暑苦しくない、今となると? まあそんなことは大きなお世話ですけどね。公示前だから少々、何かいてもいいですよね。
 小池大臣もあれですよ、東京の人に人気出るかしら。あの人のこと大嫌い、という女性をけっこう知ってますけどね、個人的に。あっちこっちに乗りかえしてママにのし上がったホステスみたい、というイメージはあるもんね、あの人には、悪いけど。
 すみませんね、熱烈なファンが読者にいたら申し訳なし。ただマドンナ作戦というのも、必ずしも人気が出るとは限らないと思いますがねえ・・・・。
 ところで、総理のぶら下がり記者について立花隆さんが注文をつけていたけれど、本当に間抜けな記者が多いよなあ。テレビ局はどうなっているか知らない、新聞社だと5、6年支局にいて上がってきて、それからまたしばらく内勤やってから政治部で首相番、ということでまあ入社8年とか9年とかぐらいの人たち、年のころは30前後、という感じ。
 まったくの駆け出しじゃないけれど、まあ相手を怒らせるような質問が出来る立場でもない。
 あの毎日毎日、総理の談話なんてのをテレビでやっているのを見ると、私が以前にPR部署にいたときにある代理店の人が教えてくれたことを思い出します。「どんなくだらない人間でも、毎日、テレビに出ていれば必ずファンがつきます。予算があって売り出せないものなんてありません」とね。
 政権党にいれば予算なしだもの。森前首相がぶら下がりを嫌った理由がさっぱり分からない。あのぐらいうまくこなせなきゃ、そりゃ総理総裁の資格はない。
 と、無責任なことを書いております。いやもう、すごくどうでもいいんです。どこの党が政権とってもろくなことが思い浮かびません。ただ、小泉さんの継続の場合、路線がはっきりしているだけ予想が明快に出来る、というだけです。ほかのどの党にも問題は大ありですから、嫌になりますね。


2005年8月15日(月)
終戦の日、というか敗戦の日である。60年目と言うことになんか意味があるんだろうか、と読売新聞での30〜40歳ぐらいの若手論客の対談にあったが、前にも書いたけれど幾分の意味は、あると私は思う。50年の時、つまり1995年の時には、いわゆる反戦平和論的な気分がごくごく普通に流通していた。今ではそうではない。変わったということでは間違いなく変わったと思う。私が1992年に最初の詩集を出したときに、大いに戦中派からたたかれた話は前にも書いた。ああいう雰囲気がなくなったことはよいことだ。
 小泉首相が一応、侵略戦争でした、というような談話を発表したようである。この人が言ってどれだけ中韓に伝わるのか知らないが、言わないよりは明らかにましであろう。
 支持率調査が出るたびに、小泉内閣の評判は高まっているので、ということは選挙のあとに政権を担当する人もこの人である可能性が今のところ高い、ということなんだろう。私は好きではないが、選挙の結果が全てである。それで、現政権が継続した場合には対アジアという問題と、イラクに宙ぶらりんの自衛隊、という問題も出てくるがおそらくなんもしないでこの政権は終わってしまうんであろう、その場合は。
 で、次に出てくるのが誰であるか知らないが、待ちかまえているのは国民負担増ばかりであって、なんにしたって国民にいい話なんてないであろうから、ぞっとする。とにかく先のことを考えると嫌になる。
 少子化が進むのはそういうこともあるのであろう。私など完全にそうだ。ろくなことがなさそうだ、と思っているのに無責任に子供を世の中に送り出せるか。
 ◇    ◇      ◇
 二、三日、政治ネタを書いてみたが、当面は静観する。というのはもう半ば、これで世の中は流れていくんだろうという諦念にとらわれているからである。
 世間はお盆で休みであろうか。私は今日も会社に出ているが、やはり暇である、なんのこともない。
 近頃は、どうしたものか学生時代に読んだ近代文学を読み直す、というリバイバルヒットが自分の中で起きていて、このところなぜか「田舎教師」など読んでいる。なんでいまどき田山花袋か自分でも分からない。
 しかし、日本国が日露戦争でライジングしているさなかに、田舎で埋もれて死んでいく若者の話、というのが何か半ば懐かしく、今時の人間は日本国も沈む感覚、自分もまた埋もれていく感覚にとらわれている・・・。林清三なる主人公はなんぼかまし、死ぬに当たっても気が楽、だったのじゃないかと思うのである。
 大学で近代文学演習でこれを読まされたときにはちっとも面白くなかった、今、このぐらいの年になるとなんだか、たいしたストーリーもなく言ってみればヤマなくオチなくイミない感じで、作者が個人的な好みで割に詳細に遊郭の描写などすると微笑ましく思う、そんな程度で、結構長い小説がだらだら続くのがかえって心地よい。文学の面白み、というと実は刺激のなさ、である場合もあることを近頃ようやくに理解した。
 ツルゲーネフの「猟人日記」の面白みはごく若い時期にも分かったんだが、なぜか花袋は分からなかった。今でもそんなにすごい作家と思わないのだが、晩年に本人が「蒲団」を嫌って自分の代表作は「田舎教師」と言い張ったか分からないではない。
 話が感動を呼ぶわけではない、というのが伊藤整の説だが、まさしくそういうことだろうし、場合によっては感動すら無用であるのかもしれない。
 「小泉劇場」とやらに刺激を求める向きの人達には理解されまいが・・・。
 

2005年8月14日(日)
この三日間、ビッグサイトではコミックマーケットをやっているはずだ。先日の雨の日、会社帰りにそれらしき人・・・例の、プラスチック製の食器棚を持って電車に乗っている女性を見かけた。ああいう食器棚など、コミケ関係の人じゃないと用もなく持ち歩くとも思えない。関係ない方はわかるまいが、積み重ねできる食器棚に、同人誌を載せて売るのである。今年はいくらか・・・まあ猛暑だった昨年よりは、という意味ですが涼しいという気が致します。とはいっても参加された皆様、お疲れ様でした。
 ◇        ◇          ◇
 子育て費用1300万円、社会的支援を…国民生活白書(読売新聞)なんて記事を見かけたが、「2005年版の国民生活白書によると・・・1人目の子供を大学卒業まで育てる費用(22年間)を平均1302万円と試算。その後はやや節約できるものの、2人目で1052万円、3人目も769万円とした」なんていう。これがまた、ちょっと高い塾に行かせたり家庭教師つけたり、浪人したりということでいくらでも上がっていくのだろうし、私立で通して音楽や美術、医学部なんかに進む場合はこんなもんじゃすまないのは明らか。まあ、3人も子供がいれば4000万とか5000万とか、要するに家一軒よけいに建てられるほどの余裕がないといけない、というわけだ。少子化が進むのも当たり前やないですか。今や金持ちの道楽みたいなものになっているわけだ。
 それで、白書は対策として「<1>所得格差を固定化させない雇用体系の整備<2>子育てを支援する安価で多様なサービスの提供<3>民間非営利団体(NPO)を中心とした地域の子育て支援体制の整備――」などを挙げたそうである。
 しかし、どこの国でも出生率が高い国というのは、国からの手当てが厚いのは間違いないのである。要は現金である。フランスなんかだと子供が何人かいると家賃も半額になってしまう、とどこかで聞いた。かえって「子供がいるのはステイタス」という雰囲気になっていてあの国では出生率が上昇したのだという。北欧の国でもそんなことがあったように聞く。アメリカあたりでも助成金欲しさに養子をたくさんとって、実際には養育しないで遺棄する犯罪がしばしば起きるが、それはそれだけ、子供がいると相当額の金が下りるような制度である、ということを意味する。
 とにかく、なんで日本の場合、子育てへの手当てが少ないかといえば、これは前にもしばしば書いたけれど若い世代は選挙に行かないから、政治家が相手にしないのだそうである。老人はせっせと投票に来るから、老人福祉が手厚くなったのだという。
 だから、最近のいびつな世代間の問題というのも、実は政策的に老人に厚く若い者に冷たい、ということを続けてきた結果といえばいえるらしい。
 学校で教えるような建て前チックなことはつまらない、もっとよお、本音で行こうぜ、的な感覚というのは世代を問わず誰にもあるんだが、日本の場合、「学級委員の選挙とかくだらねえ」という感覚のままで大人になるから、選挙なんてくだらねえ、という感覚の大人になるんじゃあるまいか。たとえば学級委員とか生徒会長が相当に実際的な権力を持っていて校則ががらりと変わる、なんてことがあればもっと選挙、というものにも関心がわくんだろうが、結局、学校の場合、先生が最後は決めるんだから、生徒側の総代が誰であっても同じである、ということになる。要は生徒の自治なんてない、ということだ。
 ところが、それを敷衍すれば、日本の選挙というのも、アメリカという学校の先生がいるのだから誰が生徒会長でも同じじゃないか、というのは成り立つ。そういう次元で興味がもてない、という人がいるならそれはある意味、理解できる気がする。
 ◇         ◇           ◇
 テレビ朝日の終戦番組を今、横目で見ている。白鳥元駐イタリア大使の証言が本邦初公開ということで紹介されて、いわゆる平和憲法・戦争放棄条項は日本側が天皇制・国体護持とのバーターとしてアメリカにお願いしたものである、という話があった。その後、吉田茂の映像が出てきて「なにしろ軍がなければ金がかからないからね。それに切り取り強盗はもうしない、ということなんだから。私は悪くないと思ってるんだよ」なんて言っていた。なるほど、肉声で聞くと説得力がある。
 その後、なかなか集団的自衛権なんかの問題で、なかなか面白い議論が続いた。あの西部さんが「イラク戦争なんてね、あんな侵略戦争に加担するなんて国が、前の戦争の反省なんていっても信用されるわけがないですよ」と言い出して、ほかの、朝まで生テレビではいつも論争相手になる人らがかえって毒気を抜かれてみんな笑ってしまう、という場面を見て私も笑った。核武装の話まで出た。なるほど、こういう話題をテレビでやってもいい時代になったのだな、と思う。10年前なら考えられなかったろうし、誰かが発言してもカットされたろう。その後でアーミテージ氏が出てきたが、だみ声の彼なのに、吹き替えでアテていたのは置鮎龍太郎らしいのがおかしかった。急にアニメの二枚目声なので。
 とにかく、こういうことがたとえば、今回の選挙の争点ならさぞかし面白いだろうに、と思う。郵政じゃなあ・・・・。でも、気がついたらこういう話まで今回の選挙結果を基にして押し切られるかもしれないよ、とここ何日か書いた。そういうことだろうと思う。

2005年8月13日(土)
立花隆さんというと、結構、スピリチュアルな話題になるとすっかり神秘主義者になってしまって、時々「なんなのこの人」と思うこともあるのだが、さすがに政治ネタをさばくときはしっかりしていて、誰よりもまともである。
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050811_kaigai/index4.html

 立花氏が最近、ネット上にアップした上の記事では、日本の歴代政権がいかにアメリカの指示通りに「改革」をしてきたか、20世紀を通じて太平洋戦争から今日まで、徹底的な日本の植民地化が図られているか、ということが端的に語られている。そして、政権の中枢や官庁の中央にいた人ほど、「日本の国策を決めるのはアメリカである」と、それは共産党の人がイメージとして語る絵空事ではなく、実にリアルにアメリカの傀儡政権として日本政府が機能していることを指摘するものだ、とした上で、それでもブッシュもブレアも、最初のイメージ戦では成功したけれど、市民の支持は確実に低落している、一方、日本の小泉人気はかえって今回、盛り返しているようだが、驚いた、と書いている。
 そして立花氏は、郵政改革も基本的には常にアメリカが日本国民が郵便局に溜め込んでいる金を狙って何度も何度も要求してきたものであることを挙げて、「郵政改革PRのために、国と特別契約を結んだ竹中平蔵郵政民営化担当大臣の知人が経営するPR会社が提出したPR企画書の中に、郵政改革PRは、老人、女性など、ちょっとIQの低い人々中心に進める”という一文があったのは有名な話だ(国会でも取り上げられた)。解散総選挙の決定が下ったあとで、小泉首相の支持率、郵政法案への支持率が上がったと聞いて、私はおどろいている。新しく小泉首相支持に回った人々にいっておきたいことは、国民の多くは熟考の上で小泉首相の支持にまわったのかもしれないが、その支持率アップの数字を見て、高笑いしているに違いない竹中大臣とその盟友のPR会社幹部がいるということをお忘れなくということだ」と結んでいる。
 竹中大臣こそが真の小泉政権の核であるし、彼のバックには、恐らくアメリカ政府やそのエージェント、それに今回はアメリカの財界からの資金や、湾岸戦争やイラク戦争のたびに政権のイメージアップと世論操作に暗躍したアメリカの広告代理店がしっかりとついていることはほとんど疑いようがない。
 小泉さんの人気の盛り返し方、そして極めて見事な話題の作り方と、テレビメディアの追随の仕方を見れば、まあなにが行われているか、見当はつく。
 ここで、メディア、といったときに、実は活字メディアはかえって小泉さんへの批判的な視点も維持していることを気がつく人は気付いていると思う。活字メディアなど古臭いもので、ほっておいても害はない、ということで相手にされていないのだろうと思う。雑誌はもともと批判的だが、新聞も、銘柄によっては、結構、現政権に批判的な論調も載せている。
 メディアは政権とグルになって、と一般の人のイメージにはあるだろうが、とにかく今現在、自民党政府なりそのバックの広告代理店はテレビさえ押さえれば「ちょっとIQの低い人」は抑えられる、と踏んでいるのは確実である。
 アメリカの広告代理業の源流にはいうまでもなく、大衆操作の始祖ゲッベルス・ナチス宣伝大臣がある。私が再三再四、なぜか小泉純一郎は織田信長というよりは、アドルフ・ヒトラーに似た点がある、と指摘し続けているのは、ただ単にイメージが似ているんじゃない、手法がなんとも直系を匂わせるから、そう感じるのだ。
 なんとなく「ナチス=ホロコースト=怖い」ということで、ただただ目をそむけている人が多いと思われる今の日本だが、本当に、ナチスドイツとヒトラーのことは絶対に読んでみると面白いから読んでみて欲しいと思うのである。ぜんぜん古い話でも昔話でもないのである。これからのニホンジンにはむしろ必須の知識だと思う。
 例の「ヒトラー最期の12日間」という映画もヒットにつき拡大ロードショーになっているようだから、まだ見ていない方はぜひ見て欲しい。そのうえで、選挙のことなども考えて見られるとよいと思う。私も、渋谷で見たしこのブログでも感想を書いたが、また来週あたりから舞浜でやるみたいなので、もう一度見ておこうかと思っている。
 解散総選挙となってからのほうが、あの映画のメッセージ「国民は私を支持したのだ。どんな結果になろうと、連中の責任だ。私はだからやつらに同情などせんよ」(これはゲッベルスやヒトラーが映画内でしばしば言い放つセリフ)が響くと思われる。
 しかし、この映画も思わぬヒットで大入り満員だったのは意外だったけれど、それにしてもこれを見るために映画館に行く人は「ちょっとIQの低い人」ではあり得ない。
 まさにこの、ちょっと頭の悪い人を興奮させて数を確保し、つまらない争点の選挙で大勝した後、本当にやりたいことを好き放題にやる、というナチス流の今、いちばんの成功例は日本の小泉政権であると、私は繰り返し強調しておきたい。
 私は憲法改正と再軍備については、実はもう半ばどうでもよろしい、うちには子供はいないし私自身もまもなく40だ。いずれ少子高齢化なので若い世代に選抜徴兵なんてことも可能性としてありうるし、米軍の緊急展開ドクトリンの中で、新日本軍がアジア地域の緊急展開部隊の一翼を担うこともほとんど間違いないと思われる。今後はおそらく中国の軍備増強を危険視することで、日本の軍備強化が進むであろう(しかもあくまで米軍の補完戦力なので自分らだけではなにもできない。亡国のイージス、なんてものでニホンジンよ、見ろ、これが戦争だ、というようなセリフがあるが、現実はあんな長閑なもんじゃあるまい。日本人など、戦争の実態などみなくてよいので協力しなさい、と言われるのが関の山である)。
 年金制度の改悪に消費税の大幅アップにその他の控除の全廃に、と国民負担増は間違いなく確実に進む。一方で、国会議員の年金はじめ特権階級の既得権はますます目に見えない形で温存していくであろう。昨日、日航機墜落20年ということでいろいろ報道していたが、日航と旧運輸省が結託してどれだけ情報操作を図ってきたか、かなり描かれている番組もあった。あれはなかなかいい視点だったと思う。
 一事が万事である。
 私は自分のIQがそんなに高いとはもちろん思わないが、それにしても、私程度の者でもこのぐらいまではすぐに考え付くのに、考えが及ばない人間が多いのかな、と不思議に思うことが多い。
 「馬鹿な召使も大学教授も同じ1票というのが、民主主義とかいう制度のくだらないところだ。しかし、それがまた魅力的なところでもある」というのはヒトラーの言である。民主主義を腹の底から軽蔑しながら、制度だけ最大限に利用する、馬鹿な人を騙しておいて「お前らが選んだのだろ」と後で口を封じる、というのがヒトラー及びその直系のアメリカ式、小泉式の政治手法である。民主主義をどこかで実直に信じていそうな岡田さんなどでは勝てっこないのも無理はない。
 まさかそんな、というのが日本人の口癖である。お人よし、ガリブルと常々言われているが、その通りである。 立花氏によれば郵政改革とは「日本の経済力をつぶそうと思ったら、この根幹部分をつぶすほかないと見抜いたアメリカのプレッシャーと願望と、たまたま郵政省と郵政族に深い恨みを持った、ちょっと頭の弱いポピュリスト政治家(小泉首相のこと)の望みが一致してはじまったのが、小泉改革の4年間とその頂点としての郵政民営化大騒動だったということではないのか」だそうである。

 言いえて妙である。



2005年8月12日(金)
 はじめに書いておくと、私はブログを開くずっと以前から、個人の意見として「これからは日本がアメリカに併合されるか、中国に呑み込まれるか、それとも第三の中立路線の道を見いだせるか、が21世紀のわが国の最大テーマだ」と申し上げてきた。そこで、今回の総選挙だが、「郵政選挙」でも「政権選挙」でもなさそうだ、と申し上げておきたい。
 「21世紀の国策決定選挙」となるのではないか、ということである。
 小泉さんの自民党は、今回の混乱で党内からよけいな要素を取り除くことで、ついに純粋なアメリカ統治権の代理政党となった。民主党はというと、「外国人参政権問題」に見られるように左がかった勢力から、極端な右寄りまで外交方針といえばめちゃくちゃなままで統一されていない。そういう状況でこの選挙になったので、先の国策決定、という観点から見ると十分な受け皿の状態にはない。選挙争点が矮小化するのもそのためといえる。
 選挙結果はなんとも予想できないが(おそらく、投票率が非常に大きな意味を持つだろう)、アメリカおよび旧来からの支配的勢力は全力を挙げて小泉政権を守ろうとするだろう。そして、結果として「現政権の継続」の場合、一層苛烈なアメリカ型競争社会と、厳しい国民負担、完全なるアメリカの属国化、そして日本再軍備、というのを少し先の日本社会の予想として挙げておく。
 もちろん、一詩人の無責任な観測である。意味は何もない。そういうことを前提として、以下の記事を読まれたい。
     ◇      ◇        ◇
 「謀叛という言葉がある。また官軍、賊軍という言葉もある。外国にはそれとぴったり合うような感じの言葉が、あまり使用せられていないように思われる。・・・謀叛は悪徳の中でも最も甚だしいもの、いわゆる賊軍は最もけがらわしいもの、そのように日本の世の中がきめてしまっている様子である。これこそ陰惨な封建思想の露出である」これは太宰治の「如是我聞」の一節である。
 織田信長にあこがれる小泉首相は、このところ自分を君主と見て、敵対者を謀反人と擬することをマスコミなどを通じて繰り返し浸透させている。またまた、彼一流のイメージ戦だがこれがなかなか利いている。私は感心している。あの人は確かに相当に悪い政治家だ(しかし政治家はああでなくては、とも確かに思う)。
 日本では、政権を奪取したり、革命を起こすことは基本的に悪いことで、上からの改革しかしてはいけない、という気風がある。だから外圧なくしては革命は起こらない。いつも同じ政権のまま、偉い人の改革の号令で庶民が引きずりまわされることになる。私が、基本的な趣旨には反対じゃないクールビズすら忌避しているのは、あれが上からの改革であるからだ。私は根っからの謀反人体質の人間である。
 戦後の日本の場合は、基本的には日本の偉い人の上にはさらにアメリカというものがある。上からの改革、は常に、実はアメリカからの命令である。
 これはもう仕方ないのである。日本は敗戦国である。だからプラザ合意でも半導体協定でも、自動車協議でも、構造協議でも、どんどんアメリカの要求を入れて日本はここまできた。ニホンジンは働きすぎだからもっと遊べ、と言われて従い、勉強しすぎで消費しないから、といってゆとり教育をやり、ダンピングでけしからん、といって生産力を低下させ、ドルが高いから円を強くして日本の競争力を削げ、といわれてそれに従い、その円高からバブルを膨らませ、おまけに今度はそれを潰しなさい、ということまでやられたうえに、公共投資を増やしてどんどん金を使いなさい、とまで言われて従った。
 そう、公共投資を増やせ、というのはアメリカの指示による国策だったのであって、決して一部の不心得な役人が勝手にしたことではない。国民が郵貯に預けている金を使わせるにはそれが一番、手っ取り早かったのである。このさい、できればアメリカの土木建設業が日本の公共事業に参入できればもっとよかった。また、本当はそんな財投資金ではなくて、できればアメリカの企業が日本市場に直に参入して金を吸い上げることが出来れば、それもそのほうがずっと都合が良かった。つまり、ふるきよき郵政と自民党の馴れ合い、そして素朴な日本の田舎のジイサン婆さんの郵貯信仰を崩壊させて、勤勉で貯蓄好きなニホンジンから、どんどんカードで消費三昧にすごす怠惰で欲望に弱い、マネーゲームの大好きな、つまりアメリカ市民のように洗脳に弱い国民性になって欲しかった。
 だから、今の郵政、道路改革もなぜいろいろあるべき改革の中で、これが優先順位が早いのかようやく、分かるではないか。アメリカが前からこの二つを要求しているのである。
 一方、バブル操作で、つまりアメリカの連中の都合で膨らんだ銀行の不良債権を、今度はまたアメリカ式の急激なルール変更で減らすように竹中氏に指示したわけで、駄目な銀行は潰しなさい、という圧力がかかり、ここまできている。
 今挙げたようなことはみんな、アメリカの時々の政権が、その時々に自分らおよび自分らの支持基盤に都合のいいように属国・日本に要求してきたことである。
 小泉内閣がやった、やったと言っている「道路」と「郵政」も基本的にはアメリカの要求
から出てきたものであるし(にもかかわらず、アメリカの郵便は公営である)、それはイラク派兵みたいな目に見えて分かりやすいものと違うが、明瞭にアメリカさんから、いついつまでに市場開放してくれんとアメリカの資本が日本で稼げない、郵貯資金も早くしてくれんとアメリカが吸い上げられない、というような実態であるが、すべてはなんとなく日本の国内政治とか政局的な発想の中で埋没し、気がつけば後の祭り、ということになるのがいつものパターンである。
 小泉内閣に与えられていた使命は、要は、徹底的に弱肉強食型の社会になること、増税し、貧民弱者を切り捨てて、駄目なものは軍隊に入れればよい、アメリカではそうしている。それから中国、韓国とは決して睦みあってはならず、アメリカ属領としてアジア地域の中で最後まで、中国海軍の太平洋進出を抑えるキーストーンとなること。アメリカの目下の指示はそういうことである。安保理常任理事国入りでもアメリカは結局、日本を裏切ったが、言うまでもない、本音としては日本など国だと思っていない、属領なのだから応援するわけはない。
 なお、今後の政権の枠組み次第では、「外国人参政権」の問題というのも必ず出てくるという話がある。この件で妙な動きを見せている民主党が幾分、人気を落としているのはある意味で当然至極である。が、これを唯一無比の根拠に自民党政権の未来永劫の存続を望むというのもどこか、奇怪な理屈ではある。
 外交上、どちらを向いても嫌なヤツばかりであり、日本としては宗主国についていくしかない、謀叛は日本的なメンタリティーの中で駄目なことであるから、アメリカを仰ぎ見る小泉幕府のようなものをイメージすれば分かりやすい、それでここまできたし、今後も、小泉さんの後の政権もそんなことで行くであろう。だから政権交代もなく、なにも起こらないであろう、という場合については、それはもう、もっと覚悟したものであるべきである。へらへらした「郵政選挙」なんてイメージでなくて、である。
 私は、だからもう選択肢がなくなってしまった、ということだと思う。小泉内閣は、その路線を確定した政権だったということだ。
 なにがいいたいかと言えば、そういう絶望的な選択肢の中で、駄目なものしかない中で嫌々ながら、たとえば自民党なら自民党で仕方がない、という選び方をする国民はそれはそれで聡明だと思う。哀しいが、嫌ではあるが、それでもアメリカの属国として馬鹿にされながらしか、日本は生きていけないじゃないか、という理屈なら私も面白くはないが、よく分かる。その通りだ、と思う。森鴎外ではないが、本当のところは駄目だが、まるで現状が理想である「かのように」振る舞って目をつぶる。ため息をつく。それは一つの成熟した考え方ではあろう。
 しかし、「改革」なるものの本質をろくに知らないで、嬉々として、民主党は外国人参政権に賛成だから駄目、共産党も赤だから駄目、社民党は過去のものだから駄目、自民党は着実に改革しているから小泉さんサイコー、というような論を大手マスコミの思惑がらみの情報操作に手もなく乗って、ブログなどで書き散らしている人の能天気で悩みのない、無邪気な記述など見ると、物悲しさに心底から気の毒になり、哀しくなる。判断力が全くない、とはこういうことをいう。
 郵政改革に賛成するか反対するか、ではなくてその後に待ち受ける増税も、苛烈な競争社会も、米軍指揮下による日本軍再軍備も、すべてに賛成するか、というのが今回の本質であるが、そう思っていない人はおめでたい人である。
 安保問題など大げさな、と思う人もあるかもしれないが、中国軍の首脳は日本の要人に半ば真面目に「日米安保なんて高くつくでしょう。思いやり予算も高いし。どうです、あれを廃棄して日中安保を結んでは。中国軍が日本を10分の1のコストで守ってあげますよ」といったという。こういったことは、未来の国策上の選択肢として完全な絵空事じゃない、と知っておくべきである。日英同盟当時、日本国内の誰がその英国と太平洋で世界戦争を戦うことを予想していただろうか。先のことなど分かりはしないのだ。
 そして政治とは一面、芸能活動であるから、愚民にも一票があり、大衆操作は欠かせない。小泉内閣は大衆操作が上手であるのだから、その意味では優れた政権である。
 私は皮肉を言うのではない。単に淡々と観測を述べているのである。そして、私自身はどこの政党にも肩入れするつもりはない。
 私が一番、望ましいと思う展開は、現在の寄り合い所帯で極左から極右まで入り交じり外交方針などでも訳の分からない民主、アメリカの支持が頼みで見苦しい延命を計る自民・公明、いずれも過半数を取れず、全部リセットした政界再編が今度こそ、行われることだ。結局、この公明党と、ぞれから造反議員、というのがどう動くか、である。造反議員たちがすごすごと自民党に戻れば、また元の木阿弥であろうと思われる。
 ◇      ◇       ◇
 さて、それで、昨日のこの日記でヒトラー政権と今の自民党内閣の似た点について触れた。もちろん、熱心な第三帝国研究者なら、国民生活を短期間に向上させ国の威信を引き上げたヒトラー政権と、アメリカの属国としての道慣らしをしているだけで自殺者が年々3万人も出ているわが国の現政権を比較するのは、ヒトラーに失礼である、という論があるのを知っている。私はただ、大衆操作の問題と、それからもうひとつ、選挙結果が後にもたらす影響力、について指摘したいのである。
 なお、ヒトラー政権と小泉政権の手法が似ているから駄目だ、というのではない。そういう価値判断は読者に任せる。イメージ以上に実態が似ている、ということである。
 個々の選挙とは、たとえば今回の選挙も「郵政民営化の是非を問う」選挙、などと意味づけられる。しかし、選挙はそうそうあるものではなく、ここで決まった数の論理で、以後の重要政策も白紙委任されるのが民主政治の問題点である。すなわち、矮小化したテーマで選挙戦に勝ち、後で本性を表す、ということが見受けられるのである。特に為政者に「目的のためには手段を選ばない」という気質が強い場合に現れる。ヒトラーは無論、そういう政治家だった。今の首相もまさにそういうタイプの人である。戦国時代にあこがれる彼だから、基本的には他人など欺いても結果さえ良ければどうでもいい、という気質が強い人である。
 ナチス党は、定数500議席あまりだったドイツ国会で、1930年の選挙で107議席、32年7月の選挙で230議席で比較第一党だった。11月の選挙では後退し196議席に減った。が、歴代の首相が失策を続けたことで、ほかの政党と連立を組んで、ようやくヒトラー政権が1933年1月に成立した。この時点ではヒトラー首相とゲーリング国務大臣以外、ナチス党の閣僚もいない、まったく弱小政権であった。首相をお飾りにいただいた、少し前の村山政権のようなものである。
 その後、ゲーリングらの謀略で「国会議事堂放火事件」というのが起きる。これはナチスによるやらせだったが、犯人は危険な共産主義者、というナチスの宣伝をドイツ国民は真に受けた。それまでナチス党とほぼ拮抗する勢力を持っていた共産党を追い落とすべく、「危険な共産党を追放するか否か」という単純明快な争点だけで33年3月、ヒトラーはまたしても選挙をやった。そして、288議席を得た。
 しかし、それでもまだやっと過半数、という程度だったのである。得票は1700万票、投票した人の中での支持率は実はたった44%だった。全国民の中ではせいぜい30%が支持しただけ、というのがあのナチス党の実態であった。
 にもかかわらず、単独政権を担ったナチス党は、その後「全権付与法」を成立させ、ナチス党以外の政党を解散し、議会を閉鎖した。それ以後、なにがどうなったかは、言うまでもない。もはや国民は政権に対してなにも言えなくなったのである。そして、誰も止めることが出来ないまま、対英開戦、対ソ開戦、対米開戦とやって、国を滅ぼした。そういうことである。30%の国民は、ただ「共産党は消えろ」という意思表示をしたつもりであった。だが、結果はいつしか、世界征服戦争を支持したのと同じになったのである。
 政策担当者がマキャベリストである上に、自分の思想に酔いしれる理想主義的な人間である場合、民主主義はまったく機能しなくなる。選挙など、単に自分の目的のために利用する手段として使い捨てにされる。それがこの例である。
 いつも僅差でしか勝てないブッシュ大統領はまさにそのタイプの政治家である。それに追随してきた小泉首相もそういう素質を持った指導者である。
 私は仮にも、そういうドイツの政治・軍事史に少しは関心がある者として、今の日本の政治の世界も決して人畜無害ではない、今の選挙のほんの2割とか3割の国民の支持で、これからの日本の方向が決まってしまう、そして一度決まったら容易に変更できない、ということを言っておきたいのである。それを分かった上で、どこの党に投票するでも、あるいは棄権するでもいいが、「なにも知りませんでした」と後で言うことだけは、どなたにもして欲しくないと思うまでだ。


2005年8月11日(木)
郵政解散、じゃなくて「郵政・ガリレオ解散」に改名したい、と小泉さんが言い出したそうだ。解散時のガリレオ発言が評判がいい、というため・・・なのだそうであるが、ここで強調したいのは「評判がいい」という点であろう。
 要するに、これまであまり一般国民が興味を持たなかった郵政問題を、うまく彼お得意の「改革派」対「抵抗勢力=造反議員、民主党など野党」という図式に置き換えることができそうだ、という目処が立ったために、ここでだめ押しの情報操作をしているのだろう。
 かくて、急激に民主党はこの図式に埋没しそうだという話になりつつあり、一挙に首相の思惑通り、「意外な圧勝」という雰囲気があっという間に大手マスコミを利用する中で醸成されつつあるのだから、さすがに政局の名人である、お見事と言うことになろう。
 が。この2、3日だけ見ているとあぶない、とも言える。選挙というのも相場みたいなもんで、上がり下がりがある。今までの選挙でも、与党圧勝、と言っているとアナウンス効果で与党側が油断し、また野党および野党を応援する有権者が危機感を持って、事実上の敗北をする、ということがしばしばだった。その逆もまた真である。与党苦戦、という報道から引き締めが利いて押し切る、というパターンもある。
 与党は、経済面でも「踊り場脱却」宣言をかなり無理に前倒して、権力者として有利な点をすべて活用してここまできている。そして、小泉改革、というよりも竹中改革、はっきり言ってアメリカの要求にきわめて従順な某経済系メディアが率先して与党追い風を唱道しているので、ここまでは間違いなく首相サイドの思惑通りである。
 ここで、「ヒトラーになりかねず 堀内氏(共同通信):自民党で郵政民営化法案に反対した堀内光雄前総務会長は10日、地元の山梨県富士吉田市で記者会見し、小泉純一郎首相の政治手法について「いい民主主義をつくろうとする基盤があっても、手法を間違えると、結果的にヒトラーが生まれたようなことになりかねない」と批判した」という話があったが、この人の言っていることをアンチ小泉の抵抗勢力の世迷い言、と決めつけるのは早計と私などは思う。情報操作の巧みさ、レッテル張りのうまさ、そしていつしか国民は争点論点をはずされてうまうまと思いのまま世の中の流れが決まる。後でなにを言っても始まらない、ということがしばしば小泉時代に入ってから起きており、それはヒトラーの手法ときわめて似ているのは決して嘘ではないのである。
 「よい意図を持っていても、結果として独裁となる」と言っているところがポイントだ。実は今までの独裁者の多くが、私利私欲を肥やそうなどというのではない、大抵はよい意図を持って強健を発揮したのである。ヒトラーにしたって、最初はドイツの窮状を救おうとしたのは言うまでもない。
 つまりこういうことだ。「郵政民営化は小さい政府への道だ、だから賛成する」ということで小泉さんを支持する人は、そのほかのこと、つまり靖国神社もイラク派兵も年金改革もサラリーマン増税も専業主婦の否定も、さらには憲法改正と日米同盟維持、自衛隊の再軍備に至るまで、すべて賛成した、白紙委任した、ということになるのである。今や民主主義とはそのようなすり替えで成り立つだましあいの場である。今回の派手な選挙をへた後、国民はまたしばらくなんの意見も差し挟むことが出来ないまま、閣議決定の山の中でがんじがらめにされていくだろう。アメリカおよび自民党政府、というのはそのようなことを望んでいるであろうから、かえってこれまでの土着利権型の、古くて駄目な自民党、よりも小泉さんの作り出そうとしている「新しい自民党」のほうが明瞭なものとなるかもしれない。古い自民党はアメリカ型統制にはアクセルでもあり、ブレーキでもあった。今後はもはやブレーキはなくなる、ということだ。
 私はそのように予言しておく。今回の選挙の結果は、郵政の問題などではなく、上のような問題すべてについて賛意を表する、という結果になるはずである。
 小泉政権の功罪など、実は今は決して分からない。今現在の株価(それにしても就任時よりいまだ低いのだが)だけで見てはならない。中曽根内閣の真の失政はプラザ合意、海部内閣の失政は構造協議でのアメリカへの妥協であった。宮沢内閣の退陣理由は政治改革への対応だったが、真の失政はバブル対応と不良債権処理のミスであった、橋本内閣の退陣理由は閣僚人事だったが、後で見ると真の失政は景気回復循環の中での無理な国民負担増だった。
 このように、小泉内閣の本質はかなり後になって理解されると思う。だが、そのようなことを今回の選挙で明らかな争点としようと、たとえば民主党がしたがっても、それは表に出ないで、結局は今回の一連の報道に見られるように自民党内の造反とか、郵政反対派は抵抗勢力=駄目なやつ、というレッテル張りの中で推移していく、そして翼賛的な政治形態が出来てくる可能性がひとつには、あると申し上げておく。
 何度も言うが、ナチス党は「改革政党」であって、それ以前の旧弊な王政時代の体制を見事に破壊してのけた。だから国民は支持したが、10年とか20年後の結果まで見通してヒトラーに投票したドイツ国民は、結局少なかった。
 私はどうあってほしい、と言っているのではない。今回の選挙はひょっとすると50年とか100年響くものになるかもしれないが、今、当事者はぜんぜんそんなふうには考えていないだろう、そして棄権する人、無視する人などもたくさんいる中、自分らの運命をゆだねることになるだろう、と言いたいまでだ。歴史とはそういうもので、当事者にはなにも分からないのである。
 今年のヒット商品の1位は電通によれば「ブログ」であるという。ブログが大いに発達する中での初めての選挙、でもある。
 あるいは、こういうものが発達する前に、ばくちを打ってきたのかもしれない、とも思う。それほど、現在の政権はナチスもそこのけの大衆操作のうまさを持っている、ということを指摘しておきたい。
 



2005年8月10日(水)
 沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落した事故から13日で丸1年になるのを前に、同大は10日、校舎の屋上から「NO FLY ZONE(飛行禁止区域)」と書かれたアドバルーンを揚げ、隣接する米軍普天間飛行場の早期返還を訴えた。在日米軍は、特例法で航空法の適用が除外され、ヘリの飛び交う空域に気球を揚げても「航空法による規制はできない」(同大)。普段は県民の訴えを阻むことが多い「米軍の特権」を逆手に取った格好だ(時事通信)というのを見かけた。
 面白い。この逆手にとって、というところが面白いのに、ほかのメディアだと書いていなかったりする。皮肉が分からないのだろうか。
 さて、<郵政解散>“ムネオ新党”結成へ 辻元氏も近く出馬表明・・・30日公示、9月11日投開票の衆院選に、鈴木宗男(57)、辻元清美(45)の両元衆院議員が立候補することが確実な情勢となった。鈴木氏は北海道で新党を結成するという。あっせん収賄罪など四つの罪で刑事裁判が続く鈴木氏と、秘書給与詐取事件で有罪判決を受け、執行猶予中の辻元氏の2人が、昨年の参院選に続いて有権者の審判を受ける(毎日新聞)――という話である。
 またも「辻元氏」が出てくるのか。私としては誰かが「辻元はどうなったんだ」とか「またの辻元か」とか、清美アネゴの話が出るたびにぎく、とすることが増えるのである。清美アネゴが注目されている頃、非常に困ったもんだが、自分の名前の漢字を字解きするときだけは、「あの辻元清美と同じ辻元です」で事足りた。その後、引っ込んでしまってから、世間もあの人のことは忘れていた。
 まあ、消え行く按配の某党で気を吐くかどうか、であるが。しかしこの人は北朝鮮がらみのこと、ことに現実に問題であったのに彼女が否定し続けてきたニホンジン拉致問題についてはちゃんと自分の態度を示す義務がある。秘書給与疑惑などより、そのあたりがはっきりしないと本当はいけないのではないか、と思う。まだ公示前だし何書いてもいいですよね。
 辻元清美さん・・・私の立場として、便宜上、清美さんと馴れ馴れしく書かせてもらうが、この人は大学の先輩でもあり、私が入学したときには教官から「君はひょっとしてあの辻元清美さんの弟さん?」などと言われた。在学中から例の漱石一冊本の企画とピースボートで彼女は有名だったのである。彼女が卒業するのと入れ違いに私は入学したのだが、年齢を見ると7歳も上なんだな、と気付く。この年、同じように入れ違いで卒業した人にあのデーモン某閣下という人もいた。もう今じゃあまり影は薄いか。ゲイタレントのレーザーラモン某のほうが有名だったりする今日この頃である。しかし昭和の終わりごろ、なかなか早稲田の中でもにぎやかな世代だったようだ。清美さんの主張の多くはちっともリアリストである私から見て納得できないが、一番有名な「辻元さん」でもあり、先輩でもあり、注目はしていた。もし本当に一皮剥けたいのなら、かつてのイデオロギー的な未熟な物言いを自分で総括反省して、もっと市民生活に立脚したところで活動をやり直してもらいたい、とは思う。
 あとムネオ新党というのも、ある意味、これこそが本来の「自民党」である。自民党とは利権癒着政党であって、決して改革政党でも建設政党でもない。小泉さんはそれを上から変えようとしたことは認めるが、利権癒着政党でなくなった自民党はある意味で、支持基盤が薄弱になって存在意義がなくなってしまうのも事実である。 
 自民党が、造反議員を懲らしめるべく、嫌がらせとして比例区の有名前職などを選挙区に立てる、ということで小池某大臣も都内の小林興起氏の選挙区で戦う、などと取りざたしている。この小池某という女史も、ちょっと前までは自民党を不倶戴天の敵と言っていたのにちゃっかり閣僚である。そのくせ、閣僚になってからなにをしたといって、記憶に残るのはクールビズぐらいである。どうでもいいが、こういうことをあちこちでして、自民党系の候補が相打ちになって、どっちも落ちるということも大いにあり得る。
 造反組も情けないことだ。あそこまで謀反を起こしておいて、それでも私は心から自民党を愛しています、もないだろう。新党も作れないようだし、あれでまたしゃあしゃあと選挙の後は自民党に戻る気なんだろうか、皆。まあ、連中にしてみれば「小泉さんでさえなければいい」というのが本音だろうから。
 昨日も書いたが、今日も書く。どういう経過をたどってどうなるか、全く予想が出来ないが、恐らく「郵政選挙」なのか、それとも「増税選挙」もしくは「親米反中路線選挙」なのか、というふうに与野党の主張がぶつかって選挙の定義づけそのものが争点になりそうな選挙となりそうだ。「公約を果たして自民党を破壊しつつある」という理由でかえって首相の支持が上がっている、という話しもあるが、とにかくまだ1か月あるからなんともいいかねる。
 前の年金国会のときのような本質的じゃないネタ、たとえば今回だと、この間の政府税調の主婦狙い撃ち増税議論みたいなインパクトある話がどこかから出てきたりすると、またひっくり返ったりもするし、である。
 アル・カーイダの新しいメッセージが出たが、「我々は西欧諸国の裏庭ではない。中東は日本やドイツとは違うのだ」というのを皆さん、どう聞かれたか。これが世界の見方であることをニホンジンはもっと認識すべきである。
 戦後60年、というが、要するにニホンは敗戦国であり属国である。それはもう我々自身が思っている以上にそうだ、ということだ。イランも北朝鮮もしばしば「我々は敗戦国でもないのに、なぜ卑屈にならなければならない」と反駁するが、その念頭にはニホンのような旧敵国があることは言うまでもない。
 なぜ原爆・反核のメッセージが届かないか、というひともあるが、世界標準的にはいまだに日本は決して主権国家とは思われていないのだから、何を言ってもまともな意見として聞いてもらえないのも紛れもない事実である。なにかを主張する資格などない、と見なされているのである。かえって若い世代のほうが、自分が生まれるずっと前に規定されている敗戦国民としての身の上をよく認識しているのではないか、とも思う。
 そこらへんのあり方を問うような選挙ならば、そういう争点というのがあるならあるいは盛り上がるかもしれないが、郵政選挙、といわれればなんのことか、と鼻白む。
 そういえば、ゆうべ妙な映画を見てしまった。どうもあの「シベリア超特急」の第一作だったようである。水野某の扮する山下閣下が出てくると失笑を禁じえない。ほかの共演者も立派な俳優さんばかりなのに、ひどい上滑った脚本で言い難そうなセリフばかりだというのに一生懸命に演じていて、よく笑わないでやれるものだと感心する。それにしてもあそこまで下手な主演俳優もあるまい。ところが、妙な持ち味があって、ついみてしまうのも事実である。なるほど「シベ超」シリーズが続くのも分からないではない。日米開戦以前にアウシュビッツなんて収容所を山下閣下は既に知っていたような話になっている。もう超人的である。アガサ・クリスティーのパロディーなんだが、推理も冴えている、なのに水野某がぶち壊しの演技を続ける。というか彼が監督でもあるんだからそりゃ、誰も文句は言わないだろう。いやはや、なんとも言えない。なんとも言えないが、やはり一見の値打ちというのはある。怖いもの見たさ、という感覚をあそこまで満足させるものはない。中学の文化祭レベルの芝居を映画にしてしまう、という強引さはそれ自体に意味があるかも知れず、その意味で変な快感があるのは確かである。 どういう映画を作ろうがむろん、規制は出来ない。
 あえて言って、星はひとつだが必見作に推す、という具合か。 ただ、「ニホンが主権国家だった頃」への郷愁、というものが水野の作った山下将軍像にあるとは思うのである・・・。


2005年8月09日(火)
久々に、面白い状況といえば状況ですなあ・・・。それで、とにかくこれから「9・11」までの間、これが「郵政解散」なのか、それとも「自民党の曲がり角」なのか、という意味づけの話が続くのでありましょう。
 閉塞感が破れれば実はどうでもよく、国民の多くというのは要するに、飽きているのじゃなかろうか。
 株式市場などは、すぐに値を戻して解散も総選挙も相手にせず、問題にせず、という様相だそうであります。小泉政権のひとつ、結果としてよかったことは、事実上無策を通したために、民間がもはや政府を相手にせず、という態度になっている、誰が首相だろうがどこの党が政権党だろうが、どうでもいいし、そもそも役にも立たないし、という感覚になっていることであると思われます。
 あとは、外国人投資家、というのがどう動くかですかね、せいぜい。
 とにかく、もう「政局になると株価が下がって日本経済がどうのこうの」的なことをやたらに言いふらして、ニホンジンを臆病にしてきたような論客とか財界人がつまらぬことを言わないことです。
 あえていえば、これまでと違って、9・11以後の政界の枠組みがなんにも変化なし、ということになるとかえって失望が広がるかもしれません。
 ところで、その前に8・15が近づいてまいりましたね。また一波乱あるでしょうか。東アジア地域の中でニホンがどうするのか、というあたりをここまで放置してきたのが小泉政権で、今後も選挙結果がどう転んだところであと1年やるか、それともやらないか、つまり死に体で、たとえ継続できても、もうなんの求心力もなくなる首相ですので、なんにせよこの問題は次の政権に後回しのまま回されることになりましょう。
 中東はまたイランがきなくさく、北朝鮮は相変わらず、でありますから、次の政権はどこの誰であってもますます難しいことになります。小泉さんのようにたまたま戦争に便乗して米政権に媚を売っていればよい、ということはできないのだから、誰であっても大変でしょう。
 いやはや、面白いといえば面白い、しかしなにか非常につまらない幕切れになるかもしれない、近頃の政治ねたです。じっと、見守っているしかないですね。
 有島武郎の「或る女」を久しぶりに読みました。近代のニホンではほとんど唯一の本格小説ですね。それ以後の作品だって、なかなかこういう域まで達していません。
 どうも私は現代作家のものが面白くない。なぜだか。おそらくニホンゴがつまらないからでしょうね、最近のものは。
 

2005年8月08日(月)
てなわけで、今日も朝から会社にいて、午後1時からの参院本会議を待っております。結果はどうなりますやらですが、要するに「郵政改革」そのものに反対という人は実際には少なくて、「小泉か反小泉か」「自民党かそれ以外か」という話になりつつあります。議員さんばかりじゃなく一般の人の見方もそういうことでしょう。
 小泉さんのレイムダック化でみんなが言うことを聞かなくなって、空中分解した、というのが要するに真相ですが、このあとも解散総選挙になって自民党が割れるか、内閣総辞職して別の人が総理になるか、という話になりますね。
 今となっては、小泉さんを応援するのが改革派で、反対するのがアンチ改革派、というこれまでお得意の論理もなくなってきているといえるでしょう。仮に民主党政権ができても郵政のなんらかの改革をするでしょうから。だから、郵政選挙、なんてものにはなるはずもなく、一般の人の自民党を引きずり降ろしたい、という潜在意識があらわになれば自民党の野党転落も今回はあり得ます。そのへんはもはや、なんとも予測不能ですね。
 がまあ、おそらく今のままのレールに乗って話が進むでしょう。
 今後は、自民党で小泉政権が続投、自民党で別の人が首相、そして非自民政権、という三つの可能性があるわけですが、どうなるんでしょうか、私もそろそろ、マスコミに所属する身として、どういう結果に肩入れすることも控えようと思います。私は、はじめ小泉さんに大いに期待しました。昨年ぐらいまでは、不満はあるがいいところもあるかも、とは思っていました。しかしここまでくると、本人の言うとおり「これしきの改革」もできない、無駄な4年だった、と結論していいと思います。
 一般の人も、郵政とか改革じゃなく、イラクに派兵したとか、年金改革ができないとか、増税問題とか、役人や議員のリストラが進まないとか、そういうもろもろへの不満をベースに判断する人が多いでありましょう。
今日はスペースシャトルは帰ってくるし、横浜の佐々木は辞めるし・・・面倒な一日。
 参院本会議の後で、またお会いしましょう・・・。
      ◇             ◇          ◇
 日本テレビですかね、まだ扇議長が発表してないのに「否決、否決」とテロップを打ていて笑えました。というわけでたった今、否決。これから号外です、うちの会社。
 で、与党協議、解散の場合は閣議、反対する人がいる場合は閣僚罷免して兼務、なんてことをするから、夜になるかしら、そのあとのことは。三木内閣の時は閣僚がこぞって反対したので、この段階で伝家の宝刀が切れず、三木おろしとなりました。今夜は、これが純然たる「小泉おろし」なのかどうか、というのがはっきりするでしょう。解散総選挙しても、参院はそのままだからいずれにしても通過する可能性はなくなり、今の郵政法案は消えてなくなった、ということで、もはや「郵政解散」じゃないのは明らかです。
 小泉さんを降ろして今のままの与党が継続するのは国民から見てけしからないので、小泉さんとしては彼の最大公約であった「自民党をぶっ壊す」をやっていただくしかない(もっと早くやってほしかったですけどね)。
 この際、解散してくれれば、あの首相も存在意義があった、ということに歴史的にはなるかもしえないですね・・・。
 ああ、しかし今日は夕刊も3時ごろまで延長。飯食う時間がない・・・。ダイエット中だからまあ・・・。
◇          ◇         ◇
 午後3時、号外校了。・・・「9/11」自爆選挙、と決まったそうですね。手際のいいこと・・・。
午後4時過ぎて一段落。ところで、思い出した。昨日、さらにニッケコルトンプラザにあるペットショップで、ヤドカリを8匹も「救出」した。それはいいのだが、家に帰ってみると「げええッ、ゴキブリ」と妻が悲鳴を上げる。ヤドカリの殻の中に潜んでいたゴキブリの子供が2匹、見つかったというのである。不潔な店舗で、エサも水もない環境。おそらくゴキブリにとっても過酷であり、弱ったヤドカリの殻の中に侵入していたようである。恐ろしや。ストレスコートで丁寧に妻が洗ってやったけれど。一匹、慌てて二回も貝殻の住み替えをしたものがいたが、恐らく不潔な貝殻の中にゴキブリが入って困っていたのは彼だろう。

 これをもって、今年のヤドカリ救出は終わりと思う。今度は命名に困っている。いちばん巨大な一匹には、ドイツ軍の80a列車砲の名前からとって「ドーラ」としたが、後が決まらないのである。なにしろ、あっという間に25匹、一個中隊にもなってしまった感がある・・・。



2005年8月07日(日)
 いや本当に「ヤドカリ哀れ、犬も哀れ」である。
 先日、いくらか我が家のヤドカリ事情について記したところいくばくかの反響もあり、世の中にはヤドカリ愛好家という方もなかなかに多いことを思い知った。実際、ヤドカリがらみの記事となるとアクセスが一日に2,30は増えるからすごいものである。
 で、先週にあちこちのミイラ化しているヤドカリを救い出して、瞬く間に12匹になってしまった、と書いたが、今日現在では既に17匹(!)である。ふと、近所の量販店に行ったら、以前はぷんぷんと死臭が漂っていたヤドカリ売り場も少し片付いていて、店員が霧吹きで水をかけていたのを見かけた。あれはきっと、我々なんかのこうして書いたりしたことがそれなりに伝わって、お店の幹部から末端に指示が出たのだと思う。とりあえず、これでただちに呼吸困難で死ぬということはなかろう、と安心・・・。
 したのだが、その後、行きつけのペットショップに行って見てまたまたいけない。そこは熱帯魚や金魚、ハムスターなどを扱う店で、それらの管理についてはなかなかプロ意識が高く、病気で死にかけの魚があっぷあっぷしている、なんてことはない、そういう意味では立派なお店なんだが、ことヤドカリになるとはっきり言って量販店レベルである。
 この間まで大きな水槽でディスプレイしていたものが、店の奥におしこまれて、小さなところに生き残りがひしめいているばかりになっている。問いただせば、今年のシーズンはもう終わり、とのこと。売れ残り品をそこにまとめて、正直言ってもう死ぬに任せている、というのが本音らしかった。見かねて、妻がしきりにかわいそう、というし自分もそう思ったので、結局、5匹ほどまたまた救出する羽目になった。
 そこのお店では今年のシーズンは300匹ほど入荷して、また百匹単位で売れた、というので、逆に言えば差し引いて百匹単位で死んだであろう。ことに、「店について梱包を解いたとたんに、パニックを起こして殻を捨てて逃げ惑い、そのまま死んでしまうものが結構多いんですよ」なんて言う。妻が日ごろは金魚やザリガニ、熱帯魚のことでは親身になって相談に乗ってくれるお店の人なんだけど、ヤドカリについては随分と冷淡なのにいささか憤慨の体で「殻から出てしまったヤドカリを戻す方法はないではない。貝殻を暖めて暗室に入れ、そのままそっとしておくと安心して戻ることがある。出たままだと必ず死ぬので、そうやって安静にするしかない」と教示したところ、なんでこの人はそんなに詳しいか、と驚愕の体だった。とにかく、ことヤドカリについてはもはや、そこのお店の人よりこちらのほうが詳しいのである。
 で、そこの人に限らず、どうも聞いてみると、ヤドカリは節足動物で感情などなく、要するになついたりしないし芸などしないし、昆虫のようなもの、という思い込みが世間にあるらしい。これはことに理科系の勉強をした人に案外に多くはないか。脊椎動物は脳があり皮膚があり、高等であるけど節足動物だの甲殻類だのは、無感情で馬鹿である、という感覚であるが、これは人間中心主義の傲慢じゃあるまいか。鯨はIQが高いので救いましょう、というのと同類の幣に陥っている気がしてならない。人間に近い動物ほど偉い、ということである。
 が、ヤドカリを観察していると、非常に社交的で、仲間がいないとしきりに寂しがるし、ほかの仲間に眼をつけていた貝殻を取られたりすると、いじけてしまう。鳴きヤドカリといって音を立ててコミュニケートを図るものもある。また、水槽内に湿度計を設置していたら、これによじ登って遊ぶ者が出てきた。湿度計が痛むと困るので慌てて引き剥がして、これを取り除いたところ「なんだよ。せっかく面白かったのに」とばかり、拗ねてしまって、そのまま土中にもぐりこんで出てこない、というものもいる。餌の好みも激しくて、最初は喜んで食うが、すぐに飽きて「もっと旨い物を出せ」という態度を取り、同じものを続けて出すと、ちょっと味見をしては逃げて行く。そしてほかのヤドカリとこそこそ触覚で話し合って、「今日もまたあの飯だぜ、けッ」とか言って潜ってしまう。そんな憎いところもある。
 はじめのうちは人間が歩くたびに怯えているが、1月もすると、ああここは安全なのだな、と分かるらしく、逃げも隠れもしなくなる。暢気に飯を食い、飽きれば寝る。それに面白いことに、エンドを入れた皿に、皆が集まって糞をするようになった。してみると綺麗好きで、トイレもしつけることができるのかもしれない。腹が減っていると共食いをしたり、という話しもあるが、それは過酷な状況におくからだろう、腹いっぱいの仲間内ではいたって平和で、仲間が具合が悪いと心配しているように見受けることもあるし、ほかの水槽に同類を見かけると、ハサミを振って呼びかけるようなこともするから、仲間を認識しているのであろう。たまたま死んだ同類に触れて、ぎくっ、として逃げていく様を見たこともあるが、あれは明らかに仲間の死を知って驚愕し、怯えたように見えた。
 ということで、感情とか思考力をわざと削ぎ落とすことで苛酷な環境に対応した昆虫類とは全く違って、ヤドカリは相当に思考力も学習力もあるように見受ける。ことさら擬人化してもはじまらないし、人間のような感情や発想を持っているわけじゃないだろうが、しかし下等生物でまるきりアリのような機械的な生き物、という見方をしている人は改めたほうがよろしい。特に年長の個体となると、誰が世話をしているとか、どんな時間に餌が来るとか、きちんと判断しているのが分かる。決して当てずっぽうで行動していない。想像する以上にかなり高等な生き物で明らかに喜怒哀楽の原型となる情緒が彼らなりにある。仮死状態にしてミイラにしている業者の連中はそういうことを知らないか、わざと見落としているのだろう。
 ◇        ◇      ◇
 昨日も、救い出した5匹を妻がストレスコートで洗い、砂に離してやると、衰弱しているものもいたが、みんな狂ったようにサトウキビとかポップコーンを食っている。そして一晩して、どうやらみんな、なんとか生き延びそうである。とにかくあのまま死ぬよりは、なんにしても安心であろう。しかし無制限に助命することも出来ない。我が家の「シンドラーのリスト」にも限界はある・・・。
 ◇        ◇       ◇
 その後、近所のスーパーに行った。そこはヤドカリはいないことが分かっていたので安心だった(?)。食品コーナーは終夜営業、その他も11時まで、ただし専門店などは8時に閉まる。
行くと、どこかから、妙な犬の鳴き声がする。哀れっぽく、たくさんの犬がすすり鳴いているようだ。妻に聞くと、金土日限定で栃木県の犬のブリーダー業者が即売会を開いて子犬を売っているのだ、という。「それが、段ボール箱に押し込んで、乱暴な売り方をしているのよ。大きな音楽を鳴らして、やたらめったら集まってきた客に抱かしたりして。犬はみんな怯えちゃって、みんなストレスでおかしくなるよ」と昼間の即売の様子を目撃した妻が憤慨していたので、見に行ってみると警備員が立っていて、段ボールが無雑作に並べてあり、その上に紙で蓋がしてあって、そのまま一晩中、そこに「商品」が押し込められたまま放置してあることが分かった。私ばかりでなく、どこか花火帰りらしい浴衣のカップルとか、通りすがりの買い物客がそばを通っては、警備員になにか問うている。「なんでこんなところに犬を閉じ込めて、一晩中、放置するなんて非人情なことをするのか」と聞いているに違いないのである。実際、数十匹の犬の怯えた声は、相当に店内に響いている。警備員はただ盗まれないように立哨しろ、と命じられただけだろうから、思わぬ人々からの苦情に閉口しているが、彼も気の毒なことだ、そうやって怒られながら、犬の声を聞きながら朝まで立っているのも辛かろう。いっそ、誰かが盗んでくれたほうが犬のために幸せなのでは、と思うかもしれない。しかし彼には彼の任務がある。
 おそらく、これらの子犬もヤドカリの扱いと大して変わるまい。売れ残って値打ちがなくなった犬は、適当に処分されることも目に見えている。犬や猫は、保健所などで殺される前にはそれと察して怯えるという、人語もある程度理解するし、人の顔色や様子でほとんど自分の運命を知ってしまうというのである。
 どうも、動物というのは馬鹿で、大したことも考えていない、となにかと行動心理学者のような人は強調したがる。それは科学的にそうなのかもしれないが、そしてことさらの擬人化が危険なことなのは承知しているが、お互いの人間同士ですら心理は理解できないのに、異質な動物の心理を忖度して、どうせ大してなにも分かっていまい、と高を括りたがる態度はいかがなものか、と常々思う。
 欧米の白人種は、基本的に「神」というのは脊椎動物で人間型で脊椎動物型のもので、しかも白人種だと思っていて、それに近いものから順位をつけて世界を認識しているし、宗教心が薄い人でもそういう世界認識の方法はおおむね受け継いでいる。
 異教徒で、黄色人種のニホンジンなど、ヤドカリや子犬と比べてどの程度の位置なのか、と考えてみるといい。それらよりはちょっと上、だがせいぜい脊椎動物の末席、という感じであろう。原子爆弾で焼き尽くしても構わない、という発想だって基本はそういうところから出ていることはまず、間違いない。が、そういう末席のニホンジンも、自分らは名誉白人と心得て、動物の序列を作ってイルカは頭がいいからかわいいとか、ヤドカリは馬鹿だから死んでもいいとか、そんなことを言っているわけだ。
 あとは、採算である、歩留まりである。ランニングコストと利益率の損益計算があるばかりだ。純粋ビジネスである。
 別に動物愛護の論を張ろうというのではない。私はそんな感傷的な人間でもない。ただ、ペット産業というものは醜くも滑稽な側面がある、という事実を述べたいだけだ。


2005年8月06日(土)
なんでも、自殺勧誘サイトで合同自殺を誘うふりをして、これまでに3人もの人間を殺したヤツが逮捕されたという。ご本人は「自分が自殺する気など初めから全くなかった」そうで要するに、「死にたい、というヤツを殺すのだからいいだろう」ということである。俺は殺したい、人というものを殺めてみたいのだ、というとき、一方で死にたい、というヤツがいるのだからいいじゃないか、という・・・面白いヤツが出てきたものである。おっと、こういうとまるで褒めているみたいだが、賞賛の意味ではない。かつて少年Aに憧れる子供はたくさんいたが、なかには大の大人の芥川賞作家、なんてヤツが心酔したようなことを書いて馬鹿にされた。実際のところ、そりゃそんなくだらない作家よりは百倍も面白いことを書くに違いないが、そんなことでは犯罪を奨励するようなものだ。だから私は小説を書く死刑囚なんて話をちっともいいとは思わない。その助命嘆願をしていた文化人なんてやつらも糞だと思う。だから褒めているのでもないし同情も共感もしない。ただ、犯罪者として感度が進んでいる、と言いたいのである。
 さて、海外では、そもそも他人に食われてみたい、というマゾヒストと、人を食いたい、というヤツがメールのやり取りして、それで殺されておとなしく食われる、なんて事件が・・・たしかそれはドイツのケースだったが、そんな話というのがある。日本というのは実際のところ、犯罪についてはウブな国で結局、それだから警察も少し「進んだ」犯人が出てくると対処できなかったりする。
 この犯人というのも、進んだやつ、ということである、犯罪者として。おそろしいことだが、しかし、確かに死にたい、とふらふらやってくるヤツなど殺しても構わないだろ、といわれたらなんとも返しようがない。
 ホームレスを殺して回っていた少年、なんてのより、こいつのほうがずっと、ある種のクールで厚かましい合理性があって、なんともかんとも評しようがないのである。
 殺された者も、練炭で自殺するならよくても、このように強引に殺害されるときはどう思って死んだのだろうか。しかし、自分は確かに死のう、と思ってきたのだ。そんな漠然たるもので人が死ぬるかどうか、首を絞められるなり殴られるなりしたときに、ようやくそんな簡単なことじゃなかった、と思ったかもしれないがもう遅い。目の前にいるのは殺人鬼なのであった。
 愚といえばこれ以上に愚なものもない。自殺サイトなんど、やめた方がいいと思う。死にたいなら独りで死ぬべきだ。何人一緒に死んでも、自分の死は自分一個の死だ。隣で死ぬ他人など自分の死と関係ないのである。
 ◇           ◇          ◇
 いよいよ郵政国会も空中分解の様相で、ひょっとして本当に政権交代もあるのじゃないかと俄かに言い出したけれど、・・・郵政民営化なんてことは実のところ今となっては誰も問題にしていない。猪瀬某がテレビで、反対表明した参院議員に「あんたみたいな人がいるから改革ができないんだ」と噛み付いていたが、馬鹿馬鹿しい、そんなこともうどうでもいいのである。お前らのような審議委員のどうでもいい改革案もこのまま政権交代ともなればみんな屑篭行きだ、それで怒っているんだろうが、それは人を見る眼がない、ということだ。支持率が90パーセントもあるころに電撃的にやればなんでもできたろうに、オペラばっかり見ていてなんにもしなかった首相を見誤ったのは、この作家のほうが馬鹿な賭けをしたのである。自分が悪いのである。政権が変わるとブレインも変わる。テレビに出てくる「有識者」というのもがらりと変わる。それもいいことだと思うよね、実際。腰ぎんちゃくの文化人とか、作家先生とか、学者とか・・・うんざりである。前にも書いたが、なにかの委員会に名を連ねては税金から毎月高いところじゃ百万円単位の報酬をもらっているとかいないとか、である。お前らも総とっかえになりゃいいんだ、寄生虫どもめ。蛆虫の天下り官僚どもを批判しているそんなお前たちだって立派な寄生虫であろう。
 自民党政権での改革などできしゃしない、というのがもはや民意になりつつある、というかもっとはっきり言って飽きられたのである。郵政論議なんてものも、4年もやってこれしきの骨抜き改革ならやめちまえ、ということである。猪瀬某としては、小泉内閣に身を投じた気になってあれこれ、あれでもこれでも乃公いでずんば、となにかとのさばっていたが、要するにそんな程度の延命政権にすがって改革などしてもらわんでもいい、一度、なんでもいいからみんな辞めてしまえ、というのが世の中の雰囲気なのであって、郵政論議なんて小さなことはもはやどうでもいいのだよ。
 まあ、なんにしてももし大差で否決なんてことなら、自民党執行部の求心力は地に落ちてしまうし、造反議員は公認をもらえないけれど「そんな自民党ならこっちからゴメンこうむる」と尻をまくって離党するだろうし、それだけで沢山の議員が減る。おまけにこうなってくると、公明党が本気になって沈む自民を応援するかどうか怪しくなる。
 ということだ。私も解散・総選挙となってはもはや選挙ねたなどこんな個人的なブログの類でも控えることにするから、成り行きいかんではあるいはこれでしばらく触れることがないかもしれない。
 明日はどうなるか。採決は午後であろうが。
 ◇        ◇         ◇
 森鴎外が私のマイブームとなっている。中学時代に相当に読んだのだが、その後、ほかの作家に興味が移ってしまって、気がつくとその後、あまり読み返すことがなかった。今になって読んで、実に頭に入りやすい。リズムがなにか私と合っている。太宰治なんかはなぜか私のリズムと合わない。これはもう体質的なものだろう。
 「青年」という小説がある。現代ものの長編をあまり書かない鷗外に珍しい青春小説だが最後は尻切れで終わってしまう。唐突に「二年半も書いたが、小説の中では5、60日ほどのことしか書けなかった。それで、ここで一応、終とする」と無責任な言葉で終わってしまう。
 この、遅々として話が進まず、途中で投げ出されてしまった小説の主人公の名前は「小泉純一」である。なるほど、名前が悪いのだろう、話が進まぬわけである。



2005年8月05日(木)
なんでもアップルとナップスターが日本の音楽配信業界に参入してくるそうだ。日経新聞によれば「世界最大手の米アップルコンピュータや米ナップスターがパソコン向けサービスを開始し、国内企業の新規参入も相次ぐ。2005年の国内市場は前年の約9倍にあたる143億円程度に成長するとの民間調査会社の予測もあり「音楽配信元年」となる。アップルの「iチューンズ・ミュージックストア」は4日にも国内向けサービスを始める。同サービスは03年4月に米国で開始。現在は世界で月間5000万―1億曲を販売し、有料音楽配信の世界市場で約7割のシェアを持つ。ナップスターとAV(音響・映像)ソフト小売り最大手のタワーレコード(東京・品川)は3日、音楽配信を手がける共同出資会社「ナップスタージャパン」(仮称)を今秋設立することで合意した。タワーレコードが約7割出資する。06年4月のサービス開始を目指す」というようなことだ。
ちょっと驚きましたね。ファイル交換、というのが大問題なるきっかけを作ったあのナップスターであるが、確かつぶれたのに、ちゃんと再建していたんですな。
 そのついでに聞けば、ニフティとか楽天も配信事業をやる予定のようなので、まもなく起きることは大体、はっきりしてくるのじゃないか。まずはCDが売れなくなる、ということ。ついでレコード業界がますます儲からなくなること。そして、音楽ビジネスで金持ちになる、ということが出来なくなること、だ。
 これからは「コンセプト・アルバム」なんてのもなくなることだろう。実際、いつの時代にどういうアルバムに収録された曲か、なんてことは問題ではなくなる。アーティストすら問題じゃなくなるだろうな。1曲150円とか200円とかで、才能も演奏も、ばら売りされるわけである。そしてユーザーは適当に自分だけのお気に入りの曲順で、しょぼいイヤホーンで音楽を聞き流しては聞き捨てる、ということだろう。
 もうアメリカじゃ、音楽そのものは大した産業じゃなくなっているようであって、映画とのタイアップなり、イベントとか興行とかいうものを除いては、儲かる業種じゃなくなっている、という話を聞く。そもそも「シングル向け」だの「FMラジオ向け」の産業音楽ばかりでスピリットがなくなった、なんて80年代の終わり頃にはよく言ったものだが、今となってはあのころですら良心的だった。
 日本でも、明らかにレコード産業は斜陽、という認識になっている。音楽というコンテンツが非常に弱いのだ。まず、今時はかなりの人が自分でも楽器が弾けたり歌えたりする。プロなんて言ってもちっとも上手くなかったりするのである。私も大した腕前じゃないけれど、それにしても最近の若いバンドを見て、特に衝撃というものはない。まあ、このぐらい弾けて当然だろう、と思えてしまう。ラップなんてもんも出尽くしてしまえば、早くもネタ切れの様相である。
 近頃のアメリカのチャートのオルタナティブ系、なんていうのもどこか、昔懐かしいロックの色に近い。要するに、60年代にも70年代にも80年代にもあったような曲を焼き直しているのである。最近は、たとえばフーバスタンクみたいな楽曲志向の若手というのもいるが、目新しいというわけではない。
 ますます適当な曲のつまみ食いというのが普通になって、もはやアルバムという形では受け入れてもらえないだろう。そしてアーティストというものへのリスペクトの念は薄れるだろう。それはすでに、私だってこうしてブログなど書いて、有名無名にかかわらずネット空間に拡散しているたくさんの人の文章の中に混ざり込んでしまうのと同じ、ネット特有の、「味噌も糞も一緒」という現象だが、そういう時代なのだから仕方ない。権威否定とか民主化、というとらえ方よりも、はてしもない凡庸化と平板化である。そして無名性、匿名性の不毛なはげ山である。
 既にして、私などはかつてのカセットテープやレコードしかなかった時代を懐かしむ気がないではない。デジタル以前の時代、音楽ファンはお気に入りのアーティストのレコードをターンテーブルに載せると、A面の一曲目から順に、根気よく聴いて、B面に裏返し、そしておしまいまで熱心に聴いたものである。それは基本的にそういう聴き方しかできなかったわけだが、何故この曲はA面のラストなのか、とかB面トップはこんな感じで乗せて、とか、そういうドラマティックな流れをアーティスト側は確かに考えていた。
 そういう流れの中で、はじめは地味でつまらないと思えた曲が非常によい、と思えてくる。そしていつしかアルバム全曲をそらんじるほどに愛してしまう。目立たないB面の曲が、期せずして名曲として人気を得たりする。そういうことがかつてはあり得た。
 今の時代、既にCDというのは自分の知っているシングル曲しか聴く気がしないツールである。それがデジタルである。
 今後はますます、いってみれば音楽スタジオでラジオCM用に用意されているサンプル音楽というものがある、著作権は事実上、最初の段階だけで発生してその後の二次使用はお構いなし、ということである。おやすいCMのBGMなどみんなそんな具合である。そして、作曲家の才能もそんなところで無名のまま消費されるのであるが、それはもう産業用音楽の権化なので、それはそれ、という限定条件の下にあり得た。しかし今後は、マイケル・ジャクソンだろうがマドンナだろうがありきたりのカラオケ上手な人の歌と同じように一曲200円ぐらいで聞き捨てにされる、ということだ。何年、製作に掛かって、どれほど苦労してプロデュースしても、もう大衆はヒーローを欲しないのである。
 まだしも音楽より、こうした文章のほうがましかもしれない。こういう時代になっても圧倒的に上手い文章、というのはあり得る。有象無象の中でも光るものはあるとは言える。
 音楽となると、もはや誰のどんな曲も、耳当たりの良いほんの一フレーズを消費されるだけのものに落ちてしまう。
 音楽を仕事にしたい人には、決していい話ではないと思う。
 そういえば、今年は日本のバンドもたくさん解散していると聞く。最近では、紫苑というあまりヒット曲のなかったバンドが夜逃げ同然のように解散してしまった、という。そのバンドに命をかけていたような追っかけの人らがぼう然自失としている、というが、まもなくアーティストというものは、ごく小規模なキャパシティーで、生の演奏を直に聴かせる、という原初的な部分しか機能が残らない、すなわち金持ちでも有名人でもない存在になるだろうから、このような少数の追っかけさんとミュージシャンの小さなコミュニティのありよう、というのもむしろ、今後の主流的な傾向になりはしまいか、と予測する。ハマザキもウタダもそろそろおしまいである。その後、というのはもうありそうにもない。一曲名人がときどきに出て、3か月もすれば消えていく傾向がますます強まるだろう。
 我々は、むしろ才能一発で逆転するのが難しい時代にあるのかもしれない。


2005年8月04日(木)
夕刊フジによれば「ドイツW杯決勝戦が行われるベルリンのオリンピックスタジアムのすぐそばに、巨大な売春宿がオープンすると、先ごろ独ビルド紙が伝えた。同時に600人の客に対応でき、「世界各国からの客を迎えることができる」とオーナーは胸を張っている」というのだが、本当だろうか。その売春宿は「アルテミス」といって、「3500平方メートルの広大な敷地には60室の個室と、バー、ダンスホール、サウナ、マッサージ、映画館、セックスショップが建設中で、同紙によれば「最大で、同時に600人の客に対応できる」という。肝心の売春の料金は「基本的に女性と客との交渉だが、下は50ユーロ(6800円)から」(オーナーのノルマン・ヤコブ弁護士)といい、今年9月にオープンする予定としている」だって。さらに驚いたことには「ドイツでは売春が一部合法であり、所轄の警察では「売春婦をコントロールしやすい」と施設に好意的だ」そうであり、これに批判的な教会関係者も「男性はもっと別の場所で、女性との出会いを探すべきだ」とかいうのである。
そうですか。あの国じゃ合法なんですか。それは知りませんでした。帰ってこれなくなるサポーターも出てくるかもしれないですな。
まあそんなのは先の話である。今日もサッカーは中国に対していいところなし、のようである。昨日も書いたが、今後はもうサッカー大会があるたびに、日本はイヤな思いをすることになるだろう。決してスポーツだけのイベントなどということでは済ましてくれない。
◇           ◇          ◇
ところで、ブッシュ大統領が休暇に入ったそうだ。なんと5週間も。休みすぎだ、との批判も多いのだが、ちゃんと休暇中も報告を受けているし法案に署名もするし、外国要人とも会う。完全なオフじゃない、と政府筋は弁明しているらしい。しかしそんなのは当然じゃなかろうか。公人中の公人である合衆国大統領である。トイレの中であっても仕事が来ればやるもんだと思っていた。911まであまりに休暇の取りすぎで遊び過ぎだったからテロを招いた、とも言われる。なんにしても相変わらず能天気な男である。さんざんドキュメンタリー映画まで作られて遊びすぎだ、と言われたのに懲りない。
一方、こちらの国にも無類の休暇好き遊び好きなリーダーがいる。が、彼氏のほうは当分、お預けであろう。どうも8日以後に参院本会議で採決、ということになりそうだが、読売新聞まで「執行部は票読みで自信がない」「可決、不可欠のどちらにしても1、2票差」なんて書いているから、それは本当に危ないのだろう、今度ばかりは。公明党もいよいよ神崎さんまで「万一の場合は連立解消」と言い始めたから、このままの流れでいくと本当に自民党が消えてなくなる可能性もまったく絵空事ではない。
私としてはどうでもいい。とにかく早く片づいて欲しい。仕事柄、長引くのがイヤでたまらない。
ここにきて、今度は来年度予算のシーリングが間に合わないのなんの、といつに変わらぬ予算を人質に取ったような話も出てきているが、そんなことで本当に重要なことなら左右されるべきじゃあるまい。
結局。とうとうここで「小泉流」の信任選挙という局面になるかもしれない、ということである。本来、土着型、癒着型、地方重視型の政党であるのに、市場万能主義を拡張して自らの支持基盤すら崩壊させながらアメリカの意向に従ってきた小泉・竹中の両人だが、アメリカさんとすればダメならはい用済みのご苦労さん、ということであろう。見捨てる時は早いもんである。中国や韓国、北朝鮮なども早くあの首相には消えてなくなって欲しいだろうから、今はじっと見守っているはずである。
というわけで、なんとなく小泉政権そのものを問題にするかしないか、という話にすり替わってしまった。が、郵政民営化そのものについては私は特に考えはないが、郵便局で働いたことのある知人の話では、本局の裏のほうでは一日中遊びほうけているダメ局員がわんさといて、業務なんてバイトに任せきり、なんて実態を聞く。その後、公社になっても年間で130件とか、横領や郵便物隠匿が発覚しているのだから、ろくな組織じゃないのも事実、というかほかの役所と同様に腐っているのは間違いない。
が、どうせ民営化してもそういう腐ったところだけは温存されるんだろう。JRを見ていれば分かるではないか。表面だけきれいになっても、中身はそうそう変わらない。
前に私の会社で、ちょっとしたプレゼント企画をやったのだが、苦情とか問い合わせの電話もけっこうかかってくる。「どうして、もう一週間もたつのに送ってこないんだ。おまえの会社はたるんでいる」といった横柄な電話には「いろいろ郵便事故もありますので」などと答えるわけだ。すると中には「なに? おたく、郵便局のせいにするの? そんなわけないだろ。お前らがたるんでるのだろ」と絡んでくる馬鹿がいる。私はどなってやったね、そいつに。「あんた、中央郵便局の地下にある企業向けの仕分け室を見たことあります? めちゃくちゃなんだよ。個人向けじゃない企業向けの手紙なんて、もうめちゃくちゃだよ。近所のほかの会社あての手紙なんてどんどん混ざってくるし。もちろんそんなの、お互いに捨てちゃってますよ、べらぼうな数だもの。あんた、郵便局はきちんとしていて間違いない、なんて信じてるなら馬鹿だよ。どういう洗脳受けてるの」
どこの組織だってしょせん、人間がやっているのだ。きちんとしていて完全なところなどありゃしない。
別に郵便局をおとしめようと言うのではない。ただ、神様みたいに立派でありがたい組織だ、というような思いこみも違うんじゃないか、というのである。それと民営化議論は必ずしもリンクしないのだけど(あれはあくまで財投資金の問題ですから、郵便事業そのものなんてみんな興味がないのである)。



2005年8月03日(水)
その当日にはまるで触れなかったのだが、というのは私の中ではスポーツというものは極めて比重の低い、関心外の事柄なのだから、であるが、連夜の男女サッカーチームの北朝鮮戦での連敗、というのをニュースで知って、なるほど、と思った。ずっと以前にも書いたかもしれないが、野球と比べてサッカーは、私のようなものもいくらかの関心を、その結果については持たないわけにはいかない。というのは、あれはきわめて国政戦略的な社交術の一種であるからで、ときに国策もからむほどの「擬似戦争」であって、4年に1度しかもたれない五輪と比べても、よりダイレクトにいろいろのものが見えてくる。試合そのものもいろいろ問題があるんだろうが(それにしても1点も取れないというのは情けないだろう)やはり北朝鮮と韓国、及びニッポンの置かれた状況、というものを考えずにはいられない。
 「統一旗」には「独島」が描きこまれていたそうである。統一、というがどれほどの重荷を負うことになるか。気をつけねばならないのは、そんな場合にまたぞろ日本は過去の責任があるから金を出せ、なんて言ってきかねないことだ。南北分断については日本の責任など直接にはない。先日も韓流映画を手放しで礼賛するような番組をどこかのテレビ局がやっていたが、李舜臣の時代にタイムスリップした南北の兵士が、日本の侵略軍と戦ううちに同胞意識を再確認する、なんて筋書きの新作映画の紹介を見るにつけ、なんでこんなものを喜んで紹介しているのか気が知れない、と思う。この映画のままのことが、サッカー場で行われているのだから、お話ではすまない。しかしニホンごときがいまだに仮想的である、というのがなんともよく分からない。彼らからすると、とにかくロシアや中国なら膝を屈してもいいがニホンだけは絶対に対等以下でないと気がすまない相手ということなのだろう。
 逆に言えば、日本という国がなければ民族のアイデンティティーが保てない、ということだろうと思う。たとえばだが、もし仮に未来のある時点で、ニホンがアメリカの正式の属領にでもなれば、彼らも気が抜けてしまうのであろうか。
 ちょうど同じ頃に中国で、プエルトリコと中国のチームがバスケットの国際試合をしていて、観客が暴動を起こした、というニュースも見た。五輪を控えてこれで大丈夫なのか、という声があるそうだが、言うまでもない、絶対に大丈夫ではあるまい。今の雰囲気のままでは、もし中国が自国でホスト国を無事に務めて恥をかかないためには、すべての競技について自国の選手をエントリーしないことにでもするしかない。中国選手が負けるたびに大騒ぎが起こるようでは、お話になるまい。
 アジアは今や世界でも精神的な最後進地域であって、成熟度という点では100年遅れているわけで、その確認の意味ではサッカーもいいものである。サッカー選手というのも、ただそのスポーツに優れているかどうか、ということだけでなく、政治的な絡みの中で戦うことになるのだからなかなか大変である。アジアは幼稚である。嫌になってくるが、仕方ない。帝国主義真っ盛りの時代に帝国主義国になりあがっていたのはようやくニホンだけだったので、100年遅れのレースを今やっているのであろう。ところがこちらのメンタリティーはもはやそんなものには飽き飽きしていて、どうでもよくなっている。
 スポーツはあくまでスポーツ、といくらこちらが言い募ってみても向こうは聞く耳もたない。そういう戦略的なスポーツに、ニホンもここ十数年かけて参入してしまったのだから仕方がない(私はあまりニホンのサッカーが強くならないほうがいいのじゃないか、と思っていたのだ、以前から。きっと面倒が増えるのである)。
 それにしても、なぜいちいちサッカーの敗北については惜敗、と書くのか。1点差、2点差がほとんどであるあのスポーツでは、結果としてみれば大抵が惜敗であろう。それともゴールポストの特定のところに球が命中すれば4点入る、といったホームランボーナスでも作ればまた面白いかもしれない。野球のほうが投機的な面がある。一種の博打である。
 その野球で言えば、マツイとかイチローと言っても、野球なんてものは世界的には卓球の選手などと大して違わない意味合いしかない。五輪種目から外されたというのは当然といえば当然である。
 私は会社のからみから、人気絶頂期の巨人軍関係者とも、人気絶頂期のヴェルディの関係者とも付き合いがあった。90年代前半の彼らはものすごく高ぶっていた。「チケット? まあ是非といわれればなんとかするけどさ」てな具合だった。選手とも何人かあったことがあるが、特に絶頂期のサッカー選手の高ぶり具合は異常だった。その後、テレビなどでとてもいい人のようにふるまっている彼らのなれの果てを見ると失笑を禁じえない。
 どちらも人気面では、今では見る影もない。おごれるものは久しからずの典型である。私は元々アンチ・スポーツに近い人間なのでどうでもいいが、スポーツなどそもそも擬似戦争である、ということを理解しないでは意味がない。ニホンジンはなんとしても娯楽の一種としたがるが、決してそんなものではない。
 ◇          ◇          ◇
 本箱の奥から思いがけない本が出てくる、ということが多いが、先日は鴎外の「高瀬舟」とか「ヰタ・セクスアリス」が出てきた。「舞姫」や「阿部一族」もあるはず、と思い探したが出てこない。それらは中学生ごろに愛読していたが、舞姫はどこかに行ってしまったらしい。やむなく文庫本で買いなおした。・・・が、ひさしぶりに読んでみて、なんとも面白い。いまさら鷗外についてそんなことを言うのは変だが、最近の小説を読んでもちっとも乗れないのに、この明治大正の小説がものすごく読みやすくて面白い。言葉の無駄のなさ、切れのよさ。ひとつひとつのテーマの選び方の良さ。さすがに100年残る文豪である。
 中学時代にどうしても分かりにくかったことも、今ではすらすらと頭に入る。そして鷗外が漱石に感じたという「ギヨウを感じた」というのを私も鷗外に感じる。年譜を見ると鷗外は、37、8歳の今の私の年には小倉に左遷中で、「舞姫」などの初期の作品で有名にはなっていたけれど、まだまだ本格的な文学活動はしていない。漱石だって40からである。なんだ、大家と言うのはみんな早熟ではあっても本格デビューは実は遅いものである。私も細々と詩や小説の類を書いている人間として、仕事をするならこれからかな、と漠然と思うのである(まともな人なら20、30代は生活のための仕事に追われて何も出来ないほうがむしろ自然ではないか)。同世代の皆さん、頑張りましょう。今や人生ほぼ80年である・・・。
 
 

2005年8月02日(火)
「なぜ郵政民営化にみんな反対するのか、この程度のことに反対してなぜ行政改革、財政再建が出来るのか。なぜ郵政民営化だけがダメか、ある面では経済理論を超えて政治問題になっている」などと強気の答弁を繰り返した(読売新聞)・・・とのことである。誰が? もちろん小泉首相である。なぜ「この程度のこと」ができないのか。事実はしかし微妙に逆であって、この首相の認識はずれているかもしれない。「この程度の改革案ばかり出してくるから国民的に改革が盛り上がらない」のが実態だろう。4年待って、「この程度」。まさにそれは首相が言うとおりである。だとすれば、とりあえずみんなが内心で辟易している自民党政権というのを無理に延命して、お飾りに小泉さんを据えたこの数年というものが、結局、無駄な時間だった、とご本人が認めているも同然である。
 自民党じゃないと日本が持たないとか、株価が下がるとかいろいろ思っていたニホンジンが多いのである。怖いから、とりあえず、自民党に任せておいて、毛色の違う首相をおいておけばおとなしい改革が進むんじゃないか、とあわい期待をかけたのである。そういう感覚は間違いだった、ということだ。
 ドラスティックな大改革をやるなら、はっきりいって今の自民党も、民主党も解党して出直すぐらいのことをしてもらったほうがよく、その結果としてお役人さんとか企業で結託・癒着している人々もいったん政権とのパイプをリセットしてもらうのがよく、人脈もきれいにして、これまでの行きがかりで決まったこともチャラにするのがいいのである。
 たとえば、仮に岡田首相なんてものが登場したからと言って特に立派なことをするとも思わないし過剰な期待もしないが、かといって特に悪くなるとも思わない。
 細川政権は無駄だった、駄目だった、やっぱり自民党じゃなくちゃ、という声が高まって自民党は政権復帰したが、その後のあれこれを見ていて、「自民党なら安心」だったであろうか、本当に? 違っていたと思う。
 いろいろなものの神話が崩れた。いい加減、この自民党崇拝みたいなものもやめにしていいはずである。宗主国のアメリカとしても、基本的に親米的な政権なら文句はあるまいだろう。公明党の冬芝さんが繰り返し「民主と組んでもいいかも」と言っているのも、必ずしも自民党への牽制球ばかりじゃないと思われる。ちゃんと「上部組織」の幹部からひとつのあり得る選択肢として、出ている話じゃないかと思う。
 やむを得ないのである。もうリセットするしか事実上、ないのである、このニホンという国は。
 なんていっていても、分かりませんけどね。蓋を開けたら参院も通過して、選挙にはならないかもしれないので・・・。
 ◇           ◇           ◇
 スペースシャトルはちゃんと帰ってこれるのかしら? 飛ばしたはいいが、はっきりいって修理するために飛ばしているような状態だ。高い金を使ってわざわざ軌道上で補修しているのだから馬鹿げている。野口さんが無事に帰ってくるまで安心は出来ない。
 というのも、なにしろこのスペースシャトルというのも今や古い時代のローテク・ロケットだからである。ちっとも最先端、じゃないのである。
 ぐずぐずするうちに、ニホン人でNASAに出向している飛行士候補も、いちばん若い人でも30代半ばになってしまった。まもなく今のやり方のシャトルも打ち切りだろうから、この人らの出番は正直言って、今後あるかどうかあやしいものがある。それもまた人生だが、ちょっと気の毒である。みな、それまでの順調なキャリアを捨て、人生をかけて応募したのだろうが・・・。

2005年8月01日(月)
8月である。暑い季節であるにもかかわらず、夏の終わりも暗示する季節である。あるいは今年の終わり、あるいは自分の人生の行く末をなんとなく思う季節である・・・おお、久しぶりに詩人らしく文芸調に始めてみた。
 今日は早くから出社していて、茨城県選出のN議員の自殺の報でちょっとした騒ぎとなった。はっきりいって有名議員というわけではなかった、と思うし、二回落選して補選で通った人だし、地元以外の人はこの訃報まであまり知らなかっただろう。
 亀井派にあって、郵政法案に賛成票を投じた、というのがストレスというか、いろいろ有形無形の圧力を受けていたのじゃないか、という観測が流れているが、本当のところはどうであろうか、もっと別の理由もあるかも知れない。
 ただ、このこと、案外に波紋を呼ぶ可能性もなきにしも、である。時期が時期だけに。それになかなか義理人情、浪花節的な発想が通用する世界でもある。賛成派も反対派もなにかこれについて微妙な影響が出る、ということはあり得る。
 奴は死ぬ覚悟で党を守ったのじゃないか、Nに続け、と泣き落としにかかる人とか、あるいは板挟みになって賛成票を入れたものの、彼の本心は別にあった、さればこそのこの悲劇である、と訴える人とか。どちらも現れるに違いない。
 それについては、野次馬的に面白くなった、ということであれなんだが、一応、私も新聞社にいるので面倒はごめんだ。とはいえ、自分はもう夏休みはとったもんね。お盆以後に予定していた人は返上になるかも知れない・・・お気の毒である。
 それに、東大法学部を出て、役人になって、代議士になって。地元じゃ名士で出世頭だったに違いないN氏も、最期はこんなもの、といえば気の毒だがはかない、哀れなり。私はブランドにも公権力にも縁もないしゆかりもないが、その末席に連なろうと一生、頑張った結末がこれだという人生はかなり悲惨である。自分はそういう者じゃなくてよかった。
 やっと補選で代議士になったのに、自民党がまもなく崩壊の危機、というのもこの人の絶望を深めたかも知れない。東大入試以来、えいえいと人生に投資してきたものが粉みじんになるのを我慢できなかったか。
 ◇              ◇            ◇
 ファミレスでカロリー表示を偽っていた、という話も今日、大きく取り上げている新聞があったが、今まであれを見て注文していた私のような肥満気味の人は何をしていたことになるのだろう。250`・カロリーのつもりで食べていたポテトフライが700近くあった、という。こんなものを三つも食ったら1日分終わりである・・・。
 糖尿の人でこれで病状悪化した人が声を上げ始めたそうだが、確かにこれは悪質だ。スーパーサイズ・ミーどころの騒ぎじゃない。表示そのものが嘘ではどうにもならない。
 低下カロリーなら喜んで食う。詐欺である。
私は一昨年比で体重が10`ほど落ちているので、今年の夏はそんなに暑いと感じない。これみよがしにネクタイも締めている。クールビズそのものには異論はないが(強制力がなければそれはよかろう)、それよりなにより、あの首相が言うことには従いたくない、というだけのことだ。

2005年7月31日(日)
セレブ、という言葉はいつごろから流行り出したのか。おそらくここ4、5年であるでしょうね。セレブ婚、なんていい方もこのところ、でしょう。玉の輿、という言い方でしたわね、マリアンなんかのころには。相手の職業も「青年実業家」というのが「IT長者」に変わってきております。
 それで、「女優、奥菜恵(25)とIT企業「サイバーエージェント」の藤田晋社長(32)の離婚に続き、日産コンツェルン創業者の孫で投資会社経営の鮎川純太氏(44)と杉田かおる(40)が離婚調停に入り、わずか7カ月で破綻。実業家と女優−世間の耳目を集めたカップルはどうしてこれほど短命か。自らも離婚体験がある「東京家族ラボ」主宰の池内ひろ美氏(43)が“セレブ婚”破綻を読み解いた。過去には、ホテルニュージャパン・オーナー、故横井英樹氏の長男、邦彦氏と女優、星由里子(61)が昭和46年に8カ月で離婚したのをはじめ、故・盛田昭夫ソニー元会長の長男、英夫氏と岡崎友紀(51)が56年に離婚。平成6年の不動産会社社長と坂口良子(49)、10年の青年実業家とマリアン(43)−などセレブ婚の破綻例は多い。池内氏は「女性よりも、夫に非がある。過去の例を見ると、実業人や名家の御曹司の男性側が最初に熱を上げている。名誉欲の強い実業家は、お金の次は、ステータスが欲しい。女優との結婚は高級腕時計の感覚なんでしょう。一度芸能界に入った女性が仕事と離れるのは難しいのは初めからわかっているはず。彼らは結婚の維持を考えず、結婚したという事実の方が大事。その証拠に、どのカップルも結婚式が派手でしたね(笑)」と分析する」なんて記事がありましたが、なんかこう、言っては悪いがどれもこう、奥菜、藤田カップルが一番、人気、実力がご両人ともあるほうで、案外につまらない「社長」に、つまらない「芸能人」という組み合わせが多い。本当に名家名族の出の人なら、有名なだけのタレントなんて要らないのだろうし(自らが押しも押されもしないブランドなら、有名かどうかなんて興味が無いでありましょう。それよりもっと相手も名家名族の出であるほうが無難だし意味もある)、タレントの方だって、超がつくような第一人者なら、どこかの社長のお飾りになどなりたくもないであろう、どっちかといってピークを過ぎちゃった人が多い。つまりは、こう言っては悪いが1・5流同士ぐらいのカップルが成立しやすいんじゃないか、と思う。なんかこう、単品ではあと一押し弱い男女がくっつくことで、話題性を付加価値にしたい、というのが多いように思います。
 はっきりいって、マスコミに取り上げられてお互いに知名度を上げたい、という思惑でいくのだから、派手な披露宴を張ったところで目的は達している。その日から離婚準備が始まるような展開になるのも無理なからぬところ。またもしその前後に大きな事件事故があったりして自分らの話題が吹き飛んでしまえば、元も子もない、というところ。
 奥菜恵というのは、あの焦点の合っていないような、視力の悪そうな感じの大きな瞳がこ惑的、なのだそうであります。なんかこう、うるうるした感じね。なるほどね。
 しかしセレブ、というのは要するに有名人、という意味でしょう、あれは。上流階級、という語感じゃなくて。英語、よく分かりませんけれど。有名人、というのははっきりいって馬鹿なことで有名でも、悪いことで有名でも、有名は有名である、と。
 有名=仕事が来る=金になる、という図式が世の中にあって、有名人、というのは一定の比率で生産され消費されるわけです。ことに芸能界などでは。その過程で、既に消費されてしまった人が打つ手の中に結婚とスキャンダル、離婚という手法がある、ということです。そう、営業手法の一種、ということでしょうね。にしても、杉田かおるさん、頭が禿げてきているように見えるんですが、なんとかなりませんですかね。

2005年7月30日(土)
 さて、まもなく8月である。またしばらくの間、戦後60周年ということでいくらかの話題があると思われる。しかし60年といえば、もはや今年退職する人が完全な戦後派であることを意味する。すべての現役社会人が「戦争を知らない子供たち」なのである(今となってはそんな題名の歌がかつて流行ったことすら、30代半ば以下の人は知るまい)。さらに考えてみると、70代の人たちですら、終戦時に未成年である。大人としての経験がある人は80以上であり、ことに軍隊の高級将校とか、官庁や企業の管理職としてある程度の責任をもって、物事が把握できたと思われる人というのは90代以上、ということだ。つまり、生の証言がとれるのはせいぜいあと10年である、という意味である。
 これについては苦い経験がある。ある詩誌の編集者に勧められて、広島出身のある詩人の詩集を取り上げたことがある。もう10年以上も前のことだ・・・あるいはそれは、戦後50年、といっていたころのことかもしれない。その編集者も終戦時に中学生で、記憶はあるといっても実は後知恵が多い、というのは後で分かった。とにかくその時点では、自分よりベテランの人だし、詩人でもあるし、信頼していたのである。で、私はその人の依頼を受けて原稿を送ったが、どうしても内容的に原爆がらみの話が出てくる(その詩集の内容にもかなり原爆テーマのものがあった)。だから触れないわけに行かなかったのだが、私の原稿の冒頭の部分がちょっとなにか問題があり、入稿の締め切りも迫っていたので、その編集者が書き直した。それについては、出だしを書き直しておいたよ、と説明があって、こちらも20代の若造だったし、先方のことを信頼もしていたので、それで結構です、とお答えしておいた。こちらも新聞社勤めの感覚で、編集段階で文章が書き直されるのはそんなに珍しいことではない、と思っていた、ということもある。
 だが、その後、刷り上ってきた詩誌を読んで驚いた。とんでもない「書き直し」だったのである。詳しいことは忘れたが「1945年8月6日に広島に飛来した米軍爆撃機B29リトル・ボーイは、大きな災厄をもたらした・・・」といったような書き出しになっていたのである。私は驚いてすぐに電話した。「これ、困りますよ。リトル・ボーイって原爆の名前ですよ。飛行機のほうの名前ならエノラ・ゲイじゃないですか」
 だが、相手は、もう印刷して全国に発送してしまった、という。私は泣く泣く引き下がった。日ごろ、自分は戦中派だと言って威張っていたくせに、こんな凡ミスをされては。これで恥をかくのは私のほうである。誰も、その編集者が改悪したなどとは知らないのである。
そちらの責任で訂正を出してくれ、といったのだが、これも私を若造と見たのか、無視された。そんなものを載せても誰も読まない、というのである。まあ、そんなに誰も気がつかないかもしれない。私は憤ったものの、引き下がった。
 ところが。その詩誌の次の号が届いたら、またまた仰天させられた。前の号に対する感想コーナーがあって、広島出身で被爆体験のあるY氏が、こんなことを書いていたのである。「前の号の本誌で、若い辻元佳史が原爆についてふれていたが、B29リトル・ボーイなどと書いていた。原爆の名前と飛行機の名前を混同しているのである。このように、今の若いものには戦争も原爆も正しい知識はないのである」というのが書き出しなのである。私の予感は的中した。まさに恥をさらしたのである。しかも、戦中派を自称する人の改悪で。
 私は事情を説明しようと思って、Y氏に手紙を送ったが、なんと返送されてきた。これまたどういうつもりなのか、と思った。この一事で私を論ずるに足らない相手、と思ったのだろうか。私はこのY氏に対しても遺恨を抱いた。戦争経験者の傲慢、の典型である。
 なぜ、若い者が戦争経験者の話に耳を傾けないか。それは、このようなことの積み重ねがあるからである。私が15年ほど前に出した詩集で、少し日本の戦争について触れたときも、まだまだ「戦中派」の人々から「知ったかぶりを書くな」といった批判や非難が大量に来た。そしてお決まりの「今の若い人は我々より幸せで、なにも知らないのだから」といった、感情的で嫉妬に近いようなものの言い方のオンパレードだった。
 私は以後、太平洋戦争ネタを一切、自分の詩集に直接取り上げることはしていない。
 戦争について、ある程度、自由にものが言えるようになったのは実際には平成に入ってから、せいぜいここ10年ほどである、というのは私のこのような実感からきている。
 戦争経験者、といっても軍の高級将校だった人、銃後にいた人、子供だった人ではまるで違う。だが、誰もかも、50周年ぐらいまではとにかく「戦争を知らない若い者」を馬鹿にすることで自分たちのアイデンティティーを保っていた、というのはひとつの事実ではないだろうか。
 その後、この編集者とは、「零戦」をゼロセンと読むかレイセンと読むか、で揉めた事もある。これについては前にも書いたが、かいつまんで言えば、戦後の軍事マニアの間では、戦時中の用語としては漢字読みの「レイセン」のはずで、英語のゼロなど戦時中に使ったはずがない、という見解が一般的である。これに対してその編集者は「当時からゼロセンと言っていた、自分はよく知っていた」と言い張るのだが、これについては半分正解、半分間違いであることが今では分かっている。確かに戦時中も「ゼロセン」という通称で通っていたのは間違いなく、当時の印刷物のルビ(ふりがな)に「ゼロセン」とあるものもあり、その通りなのだが、しかし一方で「レイセン」という読み方もちゃんと当時の新聞のルビにあるのである。だから「レイセンなんて読み方は聞いたことがない」というその人の言い分も間違いなのである。
 しかも、零戦は軍機兵器であって、新聞で紹介されて一般国民に知られたのは昭和19年12月である。終戦まであと8か月、というタイミングだった。つまり、当時中学生だったその人が良く知っていた、というほど良く知っていたとは思えないのである。
 このように、「戦中派」といっても知識も記憶もあいまいである。経験者の記憶、が間違っていて、後の若い人の研究のほうが正しいことなど往々にしてある。ことにこういう人たちの、若い者を馬鹿にするような態度が以前には相当あった、だからここ10年より前には太平洋戦争を取り上げるのは面倒くさいことで、かえってナチスドイツのことを取り上げるほうが実害がなかった、というこの感覚もまた、今度はより若い、今の20代ぐらいの人にはなかなか理解できまい。
 言うまでもなく、私はその後、その詩誌と絶縁したが、実はその「リトル・ボーイ」問題と「零戦」問題が非常に大きな原因であった。今だから言うことである。
 その後、私の個人サイトへのメールで、被爆者と名乗る人から、私の書いていることへの批判があった。アメリカの政治家がイラク戦争に関して、「ニホンジンは原爆まで落とされてひどい目にあったが、その後は民主国家として繁栄している。そんなニホンジンなら理解してくるはずだ」というコメントをした。それを引用したところ、おもしろくない、というのである。私は、「よく読めば分かるように、これはアメリカ側の言い分で私の意見じゃありません。私を折伏しても意味がなく、どうかこのアメリカ人と論争してください。私なら被爆者、と言われるとひるむかもしれないが、アメリカ人はあなたの意見ぐらいではびくともしませんよ」と書いてやった。また「ハンドルネームでなく本名を教えろ」などと無礼なことを書いていたので「辻元佳史は本名です。誤解のないように」と書き添えた。以後、その「被爆者」から返信はなかった。
 若い者を威圧して喜んでいても始まらない。冷静にものを考える、ということでないと意味がない。せっかく興味を持ってくれている若い人を侮辱して、追い払ってしまったような「戦中派」は猛省するべきであると思う。
 ◇          ◇        ◇
浦安市といえばディズニーランドである。ディズニーランドといえば花火である。前に近隣住民が「花火がうるさいのでやめろ」という訴訟を起こして退けられたけれど、大方の市民は「ディズニーランドのすぐ近くだと知っていて家を買ったのに、なにを言っているのか。この街はあの遊園地でもっているのだし、あの遊園地の夜の目玉は花火なのだから、いやなら住民のほうが引っ越すがいい。誰も頼んでそんなところに住んでもらっているわけではない」と冷めた視線を送っていたものだ。
 ところで、今夜に限っては、浦安の花火の主役はそのTDLじゃなくて、海岸で行われる市主催の市民花火大会、のほうである。詳しいことは知らないが、相当にたくさんの数を打ち上げる。2時間近くかけて打って打ちまくるはずで、なかなかの見ものである。これは海沿いの埋立地で行われるイベントで、私も前に海沿いのマンションにいたころは、よく見せてもらった。高層マンションだったので、よそからお客さんがどっと乗り込んできて、あるときは人が乗りすぎてエレベーターが故障し、大勢が閉じ込められたものである。
 ということで、浦安新市街方面は今日に限って出かけないに限る。昨日、通りがかったときには既に場所取りの車とか、屋台とか、市の広報車とかが多数、待機中だった。夕方になると大騒ぎのごった返しになるのである。


2005年7月29日(金)
にわかに、ほんの2,3週間前からニチアスかなにかの発表で騒ぎ始めたアスベスト(石綿)問題だが、ここで急に被害が表ざたになったのは、どういう経緯だったのか。そもそもアスベストは危険だ、なんて話はもう15年も20年も前から言っていたような気がする。だからこそ「え」と意外に思った人がほとんどだったろうと思う。危険だ、と指摘されたのだからもはやとっくに規制の対象になって、今頃はもうなくなっているとばかり、信じていた人が多くないだろうか。もちろん私もそう。無知とは恐ろしいもんでありますね。そもそも全廃の予定は2008年で、それを前倒しする法案を成立させるとかなんとか、ようやく言っているそうである。この間にえらい数の人が既に中皮腫という皮膚がんで亡くなっているのだが、はっきり言ってエイズ問題と同じである。分かっていても、誰も何もしない。今まで不良債権だろうが年金だろうがBSEだろうが、拉致問題だろうが、日本の場合、何事も、優秀なお役人や議員が、当面の自分の目先の問題にしか対応しない、という弱点があからさまになってきたけれども、また一つ増えた、ということか。ビジョンを持たない国である。やはりどこかの属国になってしまったほうがましなのかもしれない。
 ◇              ◇              ◇
 ところで昨日は「夢の島熱帯植物園」というのに行って来た。あそこも車でほんの30分ほどのところだが、なぜかこれまでご縁がなかった。
 それにしても夢の島駐車場に入る入り口の分かりづらいこと。しかも国道側から入っても右折できないから、はるか彼方の東陽町に近いあたりまで行ってUターンしないと入れないというのはとんでもない話だ。
 行ってみると、古い施設である。もう20年以上はたっているんだろうと思われるが、そのこじんまりとした感じがいい。パパイヤとかバナナとかマンゴー、カカオの木というものの実物をそんなに見た経験のある人もいるまいから、ここにくると、なかなか興味深い。特にバナナの実のつきかたがあんな具合、というのは見た人でないとなんとも言えまい。食虫植物もたくさん置いてある。が、あれは虫を食ってくれないとなんだか分からない。係りの人が「食虫植物は、下のほうで虫を取る仕掛けを持っていて、上のほうには綺麗な花を咲かせるのが多いんですよ。花の受粉はさせたいわけです。だから花は遠く離して咲かせる。現金なもんです」などと説明してくれる。
 沖縄に多いというガジュマルの木がある。そのへんのホームセンターで売っているものは芋のような根っこがかわいいが、大きな木となるとかわいいという感じじゃない。ごつごつした岩の塊のような根っこになる。そういえば、こいつに上ってオカヤドカリというのは暮らすのだな、などと思う。
 で、帰りがけに売店に行くと、どうしたものかヤドカリが売っている。狭いケースに5匹押し込まれて1000円ほど。干からびていて、みな仮死状態をとっている。なんで植物園にまでヤドカリがあるのか、目を疑う。案の定、既に絶命しているものも見受けたので、ケースを積み替えてじろじろ見ていると、店の人が「なに、なにをしているの」と不審そうに聞いてきた。大きなお世話だとは思ったが、このままじゃみんな死んでしまうよ、と教えてやった。はじめ、あまり気のない感じだった先方も、「そうなんですか、おかしいなあ。一ヶ月に一回、水を霧吹きでかけてやれば、あとはなにもしないでいい、と社長が言っていたのに」という。その「社長」というのは売り込みに来た業者だろう。昨日、入荷したばかりだというのに、もはや一晩で何匹か死んでいる。貝殻から飛び出しているのはもう死体である、と説明してやってもなかなか分からない人は分からないもんである。
 前にも書いたが、ヤドカリは陸生にもかかわらず湿気でエラ呼吸する。水分がなくなると窒息死するのである。通常は湿度のある砂の中に潜ってしのぐ。こういうケース売りの場合砂などろくに入っていないし、どこの売り場も冷房が利いていてドライだ。呼吸困難になるのは目に見えている。
 結局、普通の営利企業と違って、公営の、それも植物園の人たちなので、手間がかかって労働強化になるじゃないか、ということよりも、ここでヤドカリがばたばた死なれる方が問題だ、という意識を持ってくれて、「これからは毎日、水をかけます」と言ってくれた。しなびたナスが入っているので、そんなものよりポップコーンか、あとはここならいくらでもあるだろうがガジュマルの葉でもあげてくれ、と言った。
 いや、本当に大きなお世話になるのであまりでしゃばる気もなかった。全く営利的な量販店などでは、決して言わない。広いフロアーを少人数で管理しているアルバイトの人などに言っても無理、というのは分かっているからである。が、こういうところの人なら、まあいいだろう。結局、こういうところに売り込みに来る業者というのが「水をやらないでください。なにもしないでほっておけばいいから、楽です」と言って回っているようである。だからどこへ行っても、ヤドカリは砂漠のようなところでミイラになっている。
 恐らく、仮死状態になってしばらくは耐えているので、管理上は水をやらない方が腐敗もしないし楽である、餌もあまりやらない方が管理が楽である、ということで、そういうことを言っているのだろう。奴隷の売買だって最低限の水と食料は与えるだろうに、ひどいもんだ。聞けば、「補充用のヤドカリ」というのもあって、死んだらこれと差し替えてくださいといわれているそうである。
 100匹のうち何匹売れれば儲かる、何匹までは死んでも構わない、という採算上のラインに入っていれば、どうでもいいのだろう、商売としては。が、かなり乱獲が進んでいて、沖縄などではすっかり数が減った、という話も聞くのである。
 結局、昨日も植物園に行ったのに、なぜかヤドカリ5匹、また救出してしまった・・・。うちは瞬く間に12匹もヤドカリがいることになってしまった。要するに、誰かある程度、分かっている人に買われない限り、みんな死んでしまう運命なのだから。それにしても、ららぽーとでも、コルトンプラザでも、植物園でもヤドカリがいたのであるから、一体、日本中でどれだけの数のヤドカリがこんなふうに乱売されているのかと思う。間もなくほとんど絶滅する日が来るかもしれない。
 ケースには、沖縄の読谷村にある某業者の名前があり、ホームページを見てみた。あまり好感をもてない感じである。貝殻でなく、ペットボトルのキャップにヤドカリを入れた「おキャッピー」なんて売り方を見ると、オモチャ感覚もはなはだしい。近縁種のヤシガニまで通販しているが、こんなものはそのへんで飼えるとは思えず、出荷=死を意味すると思われる。その他、イモリなど、沖縄の生き物をとってきて、通販で売りつける、ということでそれなりにいい商売になっているらしい。元手もかからないだろうから、成り立つのだろう。
 が、プラケースにつめて、一匹で3000円もとっている大手の玩具メーカーなんかと比べれば、5匹で1000円という価格は良心的だと言えなくはない。
 もちろん、違法じゃないのは分かっている。法律上の問題になるのも、多くは犬猫どまりである。それは鯨はIQが高いからかわいそう、というような論理はあるのであって、虫やらヤドカリやらの小動物となると世間の見方もまったくの商品である。商法上、適切な対応を取る限り、たとえば「死んでいたらお取り替えします」ということである、そういうことなら問題はないのは分かっている。
 それにしても、あちらこちらにミイラの山を築くようなやり方は、気分が悪くなる。あれがより高等な生物に人類がやられているとしたら、どうであるか。宇宙戦争の図である。こいつらは餌をやると排泄するから、なにもやらない方がいいよ、なんて言われて、人間がケースに押し込まれて販売されるとしたら。そりゃ、強靭な人なら何日か生きているだろう、飲まず食わずで。弱い人はすぐに死ぬ。そして、たまたま運良く買われた人しか助からないので、売れ残りもそのまま死ぬに任せる。
 ろくなもんではあるまいに。これも石綿やほかの問題同様、みんな絶滅してしまってから文化庁なんかが遅まきに騒ぐのだろう。
 

2005年7月28日(木)
なんだか今週は子供の日記のように、今日はどこそこに行きました、楽しかったです、みたいな話のオンパレードだが、一応、夏休みなのでいたしかたあるまい。しかし近場の日帰り、それも半径20`以内、というようなところばかりである。はっきり言って何年休もうが、私のような出不精人間はこのぐらいの行動半径が関の山であろう。
 それで、昨日は巨大ショッピングモールのニッケ・コルトンプラザ(千葉県市川市)に行ってみたのである。市川と浦安は隣町であるが、日常的な生活の面ではそんなに結びつきが強い、ともいいがたい。ただし行政面では、たとえば浦安市民が確定申告をしたい場合は市川税務署に出向かねばならない。市民病院も両市で共同経営している。そんんわけで、前に税務署に行った帰りに、ついでのようにこのコルトンプラザも遊びに行ったことがあったが台風だか熱帯低気圧が通過しているような日で、非常に印象が悪かった(そんな日に行くのが悪いのだが)。で、昨日は捲土重来を期して、行ってみた・・・電車で行くと1時間はかかるのだが、車で行った場合には30分もかからないことに気付いた。電車だと何回も乗り換えなければならず、駅とプラザの間も遠い。実はこの施設、私の家から車でごく近いのである。距離的には市内のショッピングモールに行くのとさして変わらない。なにかえらく遠い気がしていたが、愚かだった。
 で、例によって魚狂いしているうちの妻は、まっすぐここのペットショップに向かった。ここは、規模的には中ぐらいだが、管理面では少なくとも前日の船橋ららぽーとのペットショップよりいきとどいているように見受けた。少なくともアクアコーナーの魚の状態はこちらのほうが(少なくともこの日は)よかった。が、感心しないものもある(まあ、どこのお店でも得意不得意はある)。またまたここにもヤドカリが居るのだが、というか、昨年来の大手玩具メーカーの参入以後、ヤドカリがスマッシュヒットしていて、どこのペットショップにもおいてあるが、どこも正直のところ、この今まであまり注目されていなかった生き物の飼いかたを知らないようである。ここのお店も、干からびたカラハリ砂漠もかくや、という環境で放置してあって、覗き込むとたくさんの生体がミイラ化している。貝殻から飛び出しているのはすべて絶命しているのだが、閉じこもっているものも生死不明だ。このオカヤドカリというのは、陸生の珍しいヤドカリで、泳げないにもかかわらず湿度がないとエラ呼吸できない、という奇妙なものであることは前にも日記に書いた。だから大量の水があると溺死するが、湿度がないとまた、窒息死する。このへんが実は案外、ペットショップのプロの人は知らないのである。そもそも犬猫や、熱帯魚の専門家たちだから、まったく知識がないのであろう、同じ節足動物でも昆虫ともエビやザリガニとも違い全く独特の生き方をしているのである。それにこういう人らは素人の意見を聞くことを嫌う。沽券にかかわると思っているので、素人の愛好家のサイトなども調べない。で、自己流でいい加減な飼いかたをしてどんどん死なせてしまう。かといって、詳しいお客が「これは駄目ですよ」なんて言おうものなら怒ってしまう、かえってへそを曲げてしまう。だから何も言えないのである。
 ここのお店の人も、聞けば、どこから入荷したかも知らず、餌もキャベツを食わせる、ぐらいしか知らず(もちろんキャベツも食うわけだが、そんなものが好物とは思えない)、しかも「陸生のヤドカリなので水はいらないんです」などと知ったかぶりででたらめを言う。こんなことを真に受けた新規の客はみんなヤドカリのミイラを量産しただろう。湿った砂地を用意しないといけないのである。馬鹿げている・・・。
 一匹、驚くほど大きな生体を見つけた。脚を広げると15センチはありそうな大物だ。体色が紫色なので、あるいは沖縄から捕獲されてきたのかもしれない。普通、そのへんで売っているヤドカリは近頃はせいぜい3センチ前後なので、これは特大である。じっと身を硬くして動かないので、どのぐらいこの店に居るのか、と聞くと「3か月」だという。おそらく3か月の間、仮死状態を保って、飲まず食わずで、わずかな湿気を吸って生きながらえたのだろう。その強靭さを買って、救出してやることにした。
 家に連れ帰って水をやると、もうごくごくという感じで水を飲み、与えた餌は亀用のあまりうまくなさそうな錠剤までむさぼるように食ってくれる。疲労しきっていたようである。
 このヤドカリブームもおそらく、今年で大体、落ち着くのじゃないかと思う。火をつけた玩具メーカーも他社との合併を控えて、今年は手を引き気味で、今、量販店で見かけるのは今年、参入した飼料会社の「製品」が多い。それにしても、この生き物は基本的に国内は天然記念物であり、輸入も原則としては禁止のはずなのに、これだけ出回っているのだから相当に乱獲されているはずである。私のうちには今、7匹も居るが、無理に取り寄せたのではなくすべて、近くのペットショップや量販店で死にかけているのを救出してやったものばかりである。おそらく仕入れ価格は安く、業者は、個体が死ぬ歩留まりも、管理経費と売り上げで相殺を考えれば、このぐらい死ぬのはほっておいて問題なし、ということなのだろう、商売としては。それにしても杜撰な売り方が多すぎであり、どこに行っても死体の山、というのはどんなものであろうか。養殖は困難で決してあり余っている生き物ではないはずだが、と疑問に思うのである。
 ◇           ◇           ◇
 「公明党の冬柴幹事長は27日、東京・内幸町の日本記者クラブで講演し、参院で審議中の郵政民営化関連法案が否決され、衆院解散・総選挙となった場合の対応に関して、「自民党が敗北すれば、民主党とは組みたくないが、政治の安定のために選択がそれしかないのであれば、躊躇すべきではない」と述べた。ただ、冬柴氏の発言に対し、公明党の神崎代表は民主党との連立を党として議論したことはない。敗北すれば自民党とともに下野する」と述べ、事実上打ち消した(読売新聞)というのを見つけた。面白い。もちろんこれは冬柴幹事長が気球を挙げて、神崎代表が直後に打ち消しながら、世間と政界の反応を見ているのであり、創価学会の幹部から承認を得ているのもまず間違いないところで、決して絵空事ではないはずだ。私は前から、公明党がいつ、二大政党制のキャスティングボートを自分らが握り、事実上、永遠に政権与党のキングメーカーというポジションを確立する挙に出るかが一番のポイント、と思っていたから、ついに本音が出たな、と思うばかりだ。公明党からすれば自民党だろうが民主党だろうが、寄生する魚は大きければなんでもいいはずである。
 もっとも自民党の壊れ具合は公明党のもくろみ以上かもしれないので、あのまま完全に崩壊することもあり得るとなると、そううまくいくかどうか分からない。いい加減「自民党でないと株価が下がる」とか「景気が後退する」とか「アメリカとの関係が」なんて臆病なことを言う人も減ってきたことだろう。実際、グローバル時代に一政党の政治力などなにほどのこともないのである。率直に言って、仮に共産党の政権が出来たからと言って、日本の政策の基本を簡単に変更など出来ないだろうし、民間企業も市場もそんなことで一喜一憂するほどウブではあるまい。今の韓国の政権みたいなものが一番、困るのである・・・。
 それから、「読売新聞社が9、10の両日に実施した勤労観に関する全国世論調査(面接方式)で、学校に行かず、働かず、仕事を探そうともしない「ニート」の増加で、日本の社会が活力を失いかねないと懸念する人は計91%に達した。ニート増加の原因については、「親が甘やかしているから」55%がトップだった。世界的に定評のある日本人の「勤勉さ」が今後続かないとみる人は58%に上った」というのも見かけた。
 当然じゃないかね。自分たち自身のことを考えればいい。私たちは、そもそも働くのが好きだろうか? 一部のスポットライトを浴びている人はいいだろうが、大方の人間は金が欲しいのであって、仕事で「自己実現」なんて絵空事を信じるほどお人よしではない。我々は綺麗事に騙されやすい洗脳度の高いアメリカ人を見て滑稽に思うが、同じくアメリカの属国として、長いこと自民党政府を中心に我々も愚かな刷り込みをされていたことは気付いておく必要がある。
 自分が怠け者なら、ほかの人もほとんどは怠け者であるのは当然である。学校の先生もお巡りさんも公務員も、みんな怠け者であることがここ15年ほどで次々に暴き立てられてきたが、ニホンジンは勤勉で有能、というのが嘘っぱちで、ごくありきたりの楽して儲けたい人間ばかりであった、というのは今や覆いようもない。洗脳に弱いという点では戦前のニホンジンとなんら変わらない。
 綺麗事も嘘もたくさんである。ニホンジンはごく平凡な民族である。先日、詩人の会合で「美しいニホンゴを守って、日本の心を伝えていきたい」的な発言をする人に私は辟易していた。日本人的感性をことさら特別視して美しい、と強調するのは文化的には右翼であるのに、こういう人が一方で政治的主張は左翼的であったりするから、詩人なんて人種は腹の底から不愉快である。

2005年7月27日(水)
 「中国・四川省衛生庁は26日、同日現地時間12時時点で、ブタ連鎖球菌による感染症の発病者が117人に上ったことを発表した。そのうち、実験室検査により感染が確認されたのは5人、臨床診断によるものは71人、疑い例は41人。また、すでに完治し退院したのは5人、危篤状態は21人、死亡者が24人となっている(サーチナ・中国情報局)」という記事を見つけたんだが、なんなのかい、今度はさあ。豚連鎖球菌、ですかい? 鳥インフルエンザにSARSに、と病原菌のオンパレードの上に今度は豚ですかい。まあ…なにしろ大国なんだろうから、なんとかしてくれんものか、と思うがねえ。牛海綿状脳症(狂牛病)もあわせるともう世の中、食べるものがない。これから先、ろくなことがなさそうである。
 ところで、こういう話については出所が問題ですが(いい加減な出所だと与太話ということもあり)、クレジットの「中国情報局サーチナ」ってなによ、と思うじゃありませんかはっきり言って、悪いけど。どうもこれは中国との留学生交流を支援するNGOから発展して会社組織になった団体らしい。そういうことだから、まあ怪しい出所、ではないようだ。数字が具体的なので嘘じゃないのだろうが、しかし公式筋の発表とか、新聞報道などはまだ出ていないから、そういう第三者機関による裏が取れていないのかもしれない。一時情報だけでは不十分で、複数の確認が取れるとぐっと確度が上がるんですね、お話というのも。
 そんなわけだけど、私はもう「確度の高い情報」すら遮断して生きております、今週は。今朝も寝ている間にスペースシャトルは無事に発進できたようだし、六カ国協議、というのはどうなってるの? いやあ、要するに私も今日は夏休みを取っておりまして、世の中どうなっているかろくに把握しておりません(その後テレビで見たら、六カ国のほうも安保理入りの採決の話も難航、シャトルだってまたまた耐熱パネルが剥落した、なんて言っている。それが本当なら前回と同じことになりかねないがどうするのだろうか、NASAは)。
 ところで病気といえば…うちのメダカやドジョウが入っている水槽で奇病発生! メダカが口から白い糸みたいな物を蛇の下のようにちろちろ吐き出している。そしてやせ細って死ぬ。なんだこれは。恐らくイカリムシという寄生虫じゃないかと思うのだが、しかしなんかちょっと違うようでもあり…たかがメダカじゃないか、と思うなかれ、うちのメダカというのは、ポリプテルスというアフリカ産の古代魚の餌用に買ってきたもののうち、食われないで生き残った者たちである。うちでは「名誉のメダカ」として遇している。つまり、強制収容所から生き残った人々なのである。そういう中の最初の一匹(これはメダカじゃなくネオンテトラだった)は収容所経験のある人、ということで「ロマン・ポランスキー」と名づけていた(先日、寿命で逝去)。また背中にできもののあるメダカは「東條おでき」という名前だったが、これはあまり関係ないな。とにかく気味の悪い病気である。これを駆除する薬品もあるのだが、水1トンに何グラム、というような超希釈が必要で、素人にはなかなか難しい。つまり劇薬であるから、取り扱いを間違うと人間が死んでしまいそうである。
 そういえば、昨日は台風が接近する中、わざわざ船橋市の「ららぽーと」に行ったのだった。実は私は近所にいるのに、はじめて行ったのだ。免許取り立てだった20年ほど前にすぐ近くまで来たが、国道からららぽーとの入り口にいたる道が、当時の未熟な運転感覚では分からず、混乱するまま、建物がすぐそこに見えているのに引き返してしまったことがある。20年ぶりのリベンジである。が、やはり国道から入り口が分かりづらい、もっと大きな看板でも出してくれないだろうか、と思う。いかに昔からある施設でも、はじめて来る人は常にいるはずだが。
 行って見て、なかなか面白いところですね、今更ですが。パン屋ばかり集めたテーマパークが非常によかった。これ、先日、手術をした私の母親に妻が見舞いの電話を入れて、話のついでに「今日はららぽーとに行って見ます」と言った所「だったら、パン屋さんがたくさんあるはずだから」と教えてくれたのだ、という。先述の様に、20年前に両親を乗せて来て挫折して以来、ららぽーとには私も親も来ていないはず。なんでそんなことを知っているのだろう。家にずっといる人ほど、いろいろテレビや雑誌、新聞をよく見ているので何でも知っていたりする。まんべんなく、そいう意味ではネット漬けの人よりなんでも、よくご存知である。
 しかし、熱帯魚店があるので行ってみたが、ちょっとした水族館並みで面白かったのだがあまり魚が元気がいい、とはいえなかった。あまりいい点数は付けられない。ヤドカリが「バリ島産」と明記されている点は感心したが(沖縄産なのか、フィリピン、インドネシアなのか分からないものが一般的である。産地によって食性がかなり違うようなので明記して欲しいのだが、いろいろ仕入れルートに若干、ものによっては問題ありの場合もあるらしくおおむね産地未詳である)。
 さて、今日はまた台風一過、すごい夏の日差しだ。私は子供のころ「台風一家」だと思っていたが、一家団体で来襲されても困る。さて、今日はどこへ行こうかしら・・・。
 

2005年7月26日(火)
昨日は長い一日だった…。母親が1年前に心筋梗塞を起こして入院したのは、個人サイトの日記をご愛読いただいている方はご承知だろう。ちょうどあれから1年で、昨日は最後のカテーテル検査、ということだった。朝の八時過ぎに病院に行ってみると、母親はもうベッドで待機。日帰りの検査入院と行っても入院である、それにカテーテルというのは全身麻酔じゃなく部分麻酔でやるし、その術そのものより、あとの止血が非常に難しいのだという。そんなわけで、そんな時間から待機して、スタッフから説明があり、術を行う順番が決まって九時半開始、と告げられた。「何度やっても怖い」という。そりゃそうだろう。くも膜下出血に、胆石に、心筋梗塞に、と大病をいくつもやっている母親である(だから先日も、無礼な政府税調の委員の暴言を聞いて怒り心頭に発したのである。病歴のある人は生産性のない駄目人間、ともし言うのなら連中はナチスそのものである)。が、心臓カテーテルはちょっとしたことで血管を傷つければ大事故になってしまう。検査といえど、実はきわめて難しいのである。 
 30分ほどで終わる・・・はずなのだが、なかなか終わった、という連絡が来ない。待合所の長いすで、私と父と、ほかの患者さんの家族と・・・昨日は5,6組待機していたように見受けた。みんな緊張していて、空気が重い。「なんだか時間がかかっているな」と父親がつぶやく。私も内心、気になっている。私としても、中学以来、病院の待合でじっと待つ、という経験を何回もしてきたわけだが、これもなかなかつらいものだ。
 ほどなく、防護服を着込んだ看護師が出てきて、終わったという。担当の医師が出てきて説明をする。案の定、石灰化の進んだ血管が硬くて、通常の手首からのルートでは入らず、肘から入れたのだそうである。医者は随分と疲労しているようだった。彼は毎回「辻元さんの場合、血管が非常に硬いので難しいわけです」と必ず強調するのである。
 その後、病室に戻ったが、その肘から入れた、というのがたたって止血が大事になってしまった。5時間は固定しないといけない、というのである。強く固定具で緊縛した母親の左腕は紫色に変色して、痛い、痛いと訴えているが、我慢してもらうしかない。そうやって2時間ほどたち、少し緩めてもらう。すると楽になったらしく、本人もうとうとするような余裕が出てきた。昼になって食事が出たが、右腕に点滴、左腕を固定しているのでうまく食えるわけもない。ふと点滴を見て「生食」とあるのに驚く。こんなものに冷凍とか生食の区別があるのか。が、よく見れば「生理食塩水」の略称らしい。
 太った看護師がやってきて、母親と談笑する。なんでも年末には出産するとかで、道理で大きなわけだ。つわりがひどいのだという。そんな状態で、他人の世話をするのだから看護の仕事に携わる人の意識は大変なものだ。
 ということで、午後三時過ぎに、ようやくお許しが出て退院できた。そのままタクシーで実家に戻った。とりあえず、いくらか親孝行できたかな、と思う。
 実家から浦安に戻る頃、雲行きが怪しい。どうやら台風がやって来るようだ。家についてから、見ようと約束していた映画を今晩のうちに見てしまおう、という話になる。レイトショーを狙い、私は短い時間だが仮眠を取った。
 で、台風らしい雨が降り出した中、車を駆って劇場へ。朝から疲れている上に風雨を押してまで見に行ったのは、マイケル・ベイ監督の新作映画「アイランド」だ。
 今、スター・ウオーズを公開している中、ユアン・マグレガー主演のこの作品が同時公開になるのは異例かもしれないし、また製作はスピルバーグで、これまた「宇宙戦争」とバッティングであるが、このへんは日本公開スケジュールがずれているのだろう。
 それかあらぬか、「シリーズものにもリメイクにも飽きた方に清涼剤」として作った、とベイ監督の談話にある。で、予告を見て大いに気になっていたので、見に行ったのだが…恒例の、まず一言で言おう。「この映画は最近の大傑作映画の一本である!」
 あえて当社比で言わしてもらえば、「宇宙戦争」も「SW」もよかったが、純粋に映画としてみるとこっちのほうが上だ、と断言する。アルマゲドンやパール・ハーバーのイメージでマイケル・ベイを見ると、今回はいい意味で裏切られる。
 もちろん、今回もアクション満載の娯楽大作だ。だが、クローン人間の倫理問題という重いテーマと説得力ある迫力の脚本(実に見事な脚本である!!)が、底の浅いハリウッド映画と一線を画するだけのものを見事にスクリーンにたたき出している。
 ネタバレを控えるので多くを言わないが、非常に凄惨なシーンも多い。ごくかいつまんでいえば、家畜のように飼育され、殺されるクローン人間たちの悲劇を扱うのだが、題材的には古今東西、あらゆるSF小説や映画で出てきたものではある。ユートピアだと思っていた管理世界の裏側にある陰謀、そして自分たちが一体、何者なのかを知ったとき、主人公はどうするか、なんて作品はすぐに十指で足りないほど思い出せる人も多かろう・・・「素晴らしき新世界」「1984」などの古典から「ソイレント・グリーン」「ランニング・マン」「マトリックス」などなど。だが、まさに実際に日進月歩で技術が進む中、そしてなんでも金力万能のアメリカン・スタンダードが世界を覆う中でわずか20年後と設定されたこの世界観が恐ろしく説得力を持って、決して絵空事に思えない。いろいろな先行する名作を思い出させながら、そのどれよりも強い説得力を生んでいるのは、隙のない無駄のない緻密な脚本の力だろうと思う。
 アクションシーンもすざまじい。比較するなら「王の帰還」だろうか。スター・ウオーズの空中戦もなかなかすごかったが、明らかにこっちのカーチェイスのほうがずっとすごい。これはもう最近見た、どんな映画より上であるが、パンフレットによれば、ほとんどスタントシーンはデジタル処理じゃなく、実際に撮っているのだという。なるほど。確かにすごい臨場感と緊迫感である。
 ユアン・マグレガーは、オビワン・ケノービをやっているときよりずっと伸び伸びとしていて見事だった。クローン人間として、オリジナルの自分と対峙するシーンの演じわけなど素晴らしいものがある。スカーレット・ヨハンソンも激しいアクションをこなして痣だらけだったというが、魅力的で強い女性像を鮮やかに打ち出していた。
 そのほか脇を固める出演者も見事。悪役を務めるのはまたまたショーン・ビーンである。似た役柄が多いかもしれないが、確かにはまる。
 というわけで、少なくとも個人的にはここしばらくで見た娯楽映画ではこれがナンバー1である。2時間半全く飽きさせない。しかもかなり残る印象は重い。なおかつさわやかさもある。これは拾い物である。大物映画に混ざって目立たないかもしれないのだが、ほかの作品を見てこれを見逃すのはあまりに惜しいと思う。

2005年7月24日(日)
 昨日は千葉県北部でかなり大きな地震があった。震度5強、である。震源は船橋、浦安あたり。つまり私が今住んでいるまさにここである。ところが、昨日は家にいなかった。地震が起きたときには田無の詩人・小川英晴さんの御宅にお邪魔していたのである。それは詩誌「詩と思想」という本で企画した座談会に参加したのだった。その座談の内容というのは、要するにこれからの現代詩というものは、みたいなことを延々と話していたわけだが、私はこういう性分の人間である、「これからの現代詩が駄目になろうがなくなっちまおうが誰も困るまいに」という感じで、いつもの調子で斜に構えたことをときどき言うだけで、後はもう皆さんの発言を聞いていたのだが、そのさなかに突き上げるような衝撃である。田無あたりでも震度4はあったようである。小川さんのまさに豪邸と言ってよい家でも相当に揺れたので、私はとっさに自分の粗末な家が大丈夫か、と思った。出席者の誰かが「これは、どこかで大きな地震があったんじゃありませんかね」なんて言う。不安になっていたところ、携帯電話が鳴って妻の声だ。「浦安は震度5強だって」「そりゃ大変だ。それで被害は?」「あなたの部屋の本が3冊落ちた」「それから」「金魚の水槽がみんな水をこぼしてひどいことになっているので、今、片づけが大変だ」・・・ということで、水槽の後片付けは大変でも、それ以外に被害らしい被害はない、ということらしかった。「周辺ではなにか変わったことは? 古い家が壊れたとか」「なにもないみたい」
 そんな問答の後、対談が終わってもう一度電話しようとしたら、混雑していてかからないという。柏に住む両親の家にもなかなかかからない。が、しばらくすると、案外に簡単につながって、「こっちはなんにも。全くなんの変化もない」という返事に安心する。なんでも笑い話というか、たまたまこの日の午前中に、住んでいるマンションで防災訓練の一環として起震車を呼んで「これが震度5です」とか「6です」とかやっていたのだそうである。なんだ、ホンモノが来たからもういいや、だそうである。
 さすがに、毎度毎度「地震が来る、来る」といわれてきた千葉県辺りの人は、慣れっこというのか、あまりなんということもなかったようである。
 そのまま安心して遅くまで酒を飲み(どうせ慌てて帰っても電車は動いていない、という情報があった)12時ごろに帰宅した。帰ったら、ヤドカリが脱皮に成功して地上に出ていた。地震で驚いて飛び出してきたか。この生き物、脱皮となると1か月は潜り込んで出てこない。
 久々によく飲んで、疲れた。それで、今日は疲れ果ててこのまま記述を終えるのである・・・。

2005年7月23日(土)
 先日、政府税調の女性委員による「専業主婦蔑視」発言についてふれたところ、かなりの反響があって、ブログへのトラックバックも予想以上たくさんいただいた。問題になった暴言女性委員の一人のプロフィルを調べると、こんなことが得意げに書かれている。「これまで多くの審議会の委員をつとめてきたが、その範囲は「地球的規模の環境問題に関する懇談会」「医療保険福祉審議会」「行政改革委員会」「警察刷新会議」「教育改革国民会議」「衆議院議員選挙区画定審議会委員」など広範囲に及び、日本の構造改革に関わってきている。現在、「税制調査会会長代理」「司法制度改革推進委員会顧問」に加え、2002年6月から「道路関係四公団民営化推進委員会」のメンバーでもある。民間企業では、(株)資生堂社外監査役でのほか数社のアドバイザリーボードメンバーも務めている」のだそうである。
 環境、医療、行政、警察、教育、選挙制度、それに司法、道路、そして今回の税制について「有識者」なんだと、この人。それは凄い人ですねえ。しかも民間企業の顧問もたくさんしてるんですと。これが自慢らしいのだから驚く。「どうも人付き合いで、頼まれると断れない性分でして」というのならまだ分かるが(そういう面もあるかもしれませんが)。
 このように、税制論議そのものというより、何よりも発言した委員が自分らの発言が後で公開される可能性をあまり考えていないで、非常に低い次元の思い込みや偏見に終始していることにあきれた、という人が多かろうし、そうなるとまた、ああいう審議会とか調査会とかいう政府委員会、諮問機関の類というものへの不信感、ことに「人選」への不満というのがかなり出てきているということもできる。
 とにかくこれからの国のあり方、なんてものを真面目に考えるべきはなによりも国会議員であって、政策を立案して法案提出していくべきなのも一義的には国会議員である。しかしそういう手続きを踏むのが面倒くさい、と為政者が思った場合に多用するのが、この調査会とか委員会とかいう、なんだかあいまいな「学識経験者」とやらの「茶飲み会」でありまして、学界などでいいポジションに就いた人などが余禄で名誉と報酬を得るための、まさに国民から搾取するためのシステムにも見えなくはないのであります。改革といえば聞こえはよいが、結果としてなんとなく自民党の延命をした、というだけの4年間に終わりそうな小泉首相の時代、なにかとこの民間有識者による諮問、というのが使われてきました。
 で、これについてはたとえば少し前(2004年)の共産党の新聞「あかはた」がこんな記事を載せております。「政府の各種審議会で二つ以上兼職している委員が、12省庁所管の委員約1760人(定数の合計)中のべ440人おり、4人に1人にのぼることが、日本共産党の小池晃政策委員長・参院議員に各省庁が提出した資料からわかりました。三つ以上兼職している委員は166人で、全体の9・4%にのぼります。うち四つ以上は45人もいました。全省庁の審議会予算(今年度)の委員報酬額の合計は、11億6400万円以上にのぼりました。委員の最高報酬額は、宇宙開発委員会(文科省所管)会長の月額131万7000円です。兼職が多いほど受け取る報酬も当然増えることになり、この面からも兼職委員の見直しが急務となっています」
 …というのだが、どうであろうか。ますます腹立たしくなってこないだろうか。あの御用学者や財界人(つまり大企業の会長さんたち)がさらにこういうアルバイト収入で、月に2,3回あるかないか…これだって会によってかなり違うだろうが、もう名前ばかりで休眠状態、というような駄目な同人サークルみたいな委員会も多いという、それで、そんなはした金ではない。なんと11億円以上、年間にそいつらへの謝礼を払っているのである! しかもこれは中央省庁の話だけでありますよ。
 一方で、地方自治体の「市民委員」の報酬を調べると、一回あたり5000円とか7000円とか、だったりします。これは「市民」だからですね。これは日当と考えればむしろ安いですよね、一生懸命、勉強して論議すれば。大物を集める委員会だとやはりすごい報酬を用意するのじゃないですかね。
 ことが中央省庁や大臣の諮問機関となると、事実上、正規の国家機関じゃないし、適当に予算が付けられるんだろうからなんでもあり。しかもいわゆる有名人のかけもち、となってひとつやると100万円単位で月給が出るというわけである!!! ここまでおいしいアルバイトがあるだろうか。しかも本人の箔付けにもなるし、兼職規定があっても、四つも五つも掛け持っているなんてザラ、だというし。ことに例の専業主婦論議で問題発言したらしき女性委員たちをちょっと調べれば、税調のほかにも道路公団民営会員、司法改革委員などなど、どう考えてもなぜ同じこの人が名を連ねているのか分からない人がまたここでもか、この話でもか、と首を突っ込んでいるのが分かります。恥を知らないえげつないババアどもとしかいいようがない。そんなになんでもかんでも「有識者」なんだろうか。そういう人は。そんなに全知全能なら総理大臣になってもらいたいね。実態はあれでしょう、ジジイどもの集いのホステス役みたいな扱いなんだろうよ、こんな者が「女性代表です」なんてことを許していていいのか、世の女性は、と思わないではないですね。
 準国家機関としてはNHKというのがあり、ここも伏魔殿でいろいろありそうですが、これもNHK関係の記事を検索すると、こんなのが出てきます。「NHK基本問題調査会とは、まったく公的なものではない。つまりは法律によらない集団であって、NHK会長個人の相談相手にすぎない。メンバーの選定も、まったく勝手になされている。また、1979年5月11日に同調査会が設置されたり、同月25日に第1回会合を開いた時には、各紙ともベタ記事にしかしておらず、委員名もせいぜい2、3人しか挙げていない。・・・何々委員という立場になると、どれぐらいの収入になるのかと、まずは「下司のカンぐり」が先立つようだが、NHKの経営委員については、こういう証言がある。「月に2、3回の会合に出て60万円も報酬をもらい、地方視察に出れば大名旅行で歓待される……。こんなことをくり返していれば、必然的にNHK幹部(実務執行部)に対して愛着の念もわいてくるだろうし、モノもいいにくくなるでしょう」というのだが、これはかなり昔の話で、月に2,3回顔合わせをするだけで月額60万円の報酬だった、というところが目を引く。当然、その後はもっと上がって政府委員なんかより高給であるかもしれない。
 兼職はいけないと言っても、終わったあとから次々に掛け持ち、はしごをするのは随意だろうし、また中央省庁と地方自治体と、NHKなどというような兼職はなんの問題もないだろうから、それでどこへ行っても同じような聞いたようなメンバーばかりとなる。しかもことに、「女性」がどうしても欲しいもんだから、相対的に数がまだ少ない有名女性は軒並み、あちらにもこちらにも顔を出す。これこそ特権階級である。
 日本では、高位にある人の年俸はそんなに高くないので、なんとなく平等社会で、米国みたいな年俸何億円という人がいる社会を嫌ってきたわけだが、ニホンジンの大方は、自分らの特権階級にある人らが、どのように巧妙にやっているかを、こういう機会に知ったほうがいいのでありましょう。こういう審議会とか委員会とか、天下りとか、目に見えないしかし非合法ではないところから、おおむね税金から出てきた金でたんまりと私腹を肥やせるようになっているのであります。中国のように目に見えた汚職はもはやスマートじゃないので、このように日本の特権階級は上手い汁の吸い方を研究し尽くしております。
 そういえば、こんあのもあった。共同通信によれば「北海道警の元事務職員は22日、警察署長の転勤の餞別費として、1人当たり500万円が裏金から充てられていたとして、道知事に告発文と「裏帳簿」を提出した。「ある警察署では4年間で4人の署長の交代があり、裏金から署長が転勤時に餞別費として500万円を懐に入れた」としている」そうである。一回の異動で500万円、である。どうであろうか。
 なんで日本の財政が苦しくなるか、というとこういうことの積み重ねなんだが、小泉さんは特権階級をますます優遇する政策をとってきたので、もちろん手付かずである。スムーズに進んだのは増税のたぐい、一般人への負担強化の話ばかりで、特権階級の利権剥奪のほうにはほとんど話が向かっていないまま、あの政権も終わろうとしている。
 これが日本という国なんですよ。あの財政の赤字は、つまりそのへんの御用学者とか有識者とか役人のそこそこ出世したヤツラが、住宅ローンや別荘購入、自分の子供の学費なんかに使ってしまったんだよ。これが本当の話なんでしょう、この国の。


2005年7月22日(金)
ゆうべはきつかったですねえ…。いやあ、こっちのことですけど。一応、新聞社にいるもんんですから、中国が俄かに人民元切り上げ、という話に大騒ぎになった、と思ったら今度はロンドンでまたまたテロ。もういい加減にしてくれえ、と思う。事件は順序良く、少しずつ起こって貰いたい(あくまでも職業柄の勝手な言い分)。
 人民元というのは、あれですかね、アメリカの中国叩きというのが相当に火の手が上がっていて、近頃は軍拡をやめろ、なんてことまで言い出してかなりアメリカの態度が厳しい。これはもう日本にとってはデジャブ、というか散々、アメリカの恐喝に泣かされてきたわが国である、それみろ、今度は中国の番だ、と固唾を呑んでみまもっていたところ。
 それで、かといって恫喝されてレートを変更するのはあの国お得意の「面子が許さない」という話になるから、ここらでなんとなく電撃的に「自主的に判断して」やった、ということにしたかったんだろうと思われます。日本円はこのところ円安ドル高に振れていたので、バスケット制を導入するにはいい塩梅、だったのでもあろうという。政治的にはいろいろあるが、やはり日本円を無視できない、という中国側の意識の現われでもあるでしょう。小泉さんを無視して帰った副首相が、奥田さんなど財界人とは満面の笑顔で会っていたのだから、それはあの国の本音というものでしょう。結局、腹の底ではニホンジンなど大嫌いであろうけれど、また自由な言論のある国でもなく、お上の統制で物事が決まる国だから、今のごたごたも小泉さんがこのまま総選挙か辞職かで退陣してしまって、次の首相が話が分かるタイプなら急激に言葉を飲み込んで何も言わなくなるんじゃないか、と思われますね。そういう国です。その中国にべったりして存在感を見せつつ、実質上の空母(日本の同じ形式の自衛艦のぱくりと思われるが)その名も「独島」なんてのを就役させてかなり幼稚な自己主張をしようとしている韓国なんてのも、親分の態度が変われば結局、追随するであろう。
 小泉さんが辞めれば、いろいろ出てくると思うが、もちろん中国のあれこれのことにはいろいろ問題があるのだけど、こちらの首相の態度にもいろいろ問題があった、というのは後で出てくるのじゃないですかね。
 まあ、2円ばかりじゃ当面の為替・株式市場の増減はともかく、ほとんど何の影響もない、という見方が専らですが、このままずっといくとも思えず、アメリカの議会の対中強硬派も「せめて10%はやると思っていた。もっと頑張ってもらいたい」と言っていたから、これではすまんでしょう。なにしろアメリカの一般的な言い方じゃ40%は上げるべきだ、というのだから。
 もし明確に目に見える形で出てくるとすれば、100円ショップみたいなところはすぐさまあおりを受けるかもしれない。今後、少しずつ中国製品というのは値上がりすると思うから、ファーストリテイリング(つまりユニクロ)が先鞭をつけた中国がらみで値下げして価格破壊する、というビジネスモデルもそろそろおしまいの始まり、ということでしょうか。ついでにそのユニクロと、マクドナルドが引っ張って滅茶苦茶にしたと思われる今の日本のデフレ、というのもかなり様相が変わってくるかもしれない(安すぎる中国製品、というのがその大きなファクターだったのは間違いありません)。
 がまあ、これで少しは普通の国に近づいたか、という意味ではかなり大きな話だったとは思う。神戸新聞の社説、というのをネットで見かけたけれど「どこの国であれ、突出した独りがちがいつまでも許されるわけがない。それはかつて、日本が身をもって経験したことである」というのが結論だった。けだし、うまいまとめ方だと思う。
 これまでは、新聞などでも中国人民元のレートは固定につき、掲載されていない、というか空欄になっていた。今日からは狭い幅で掲載されるものと思う。
 私の世代じゃ、1ドル360円、と小学校で習った。それはもう全然、動かないもの、と教わったものです。「日本は資源がなくて貧乏で小さくて、しかも戦争で負けた国です」と30年まえの小学校では教えていた。その後、円高ドル安、などと言いだして、日本の自動車生産がアメリカを上回った、という話に(私が中学1年のころだったと思う)仰天した覚えがあります。
 中国は日本のようにアメリカの監視下にあるわけでもなく、お人よしでもなく、その意味ではずっと上手だろうから、たとえばプラザ合意とかいって滅茶苦茶な誘導に持ち込まれることもないだろうし、バブルだといって浮かれることもしないかもしれないし、ではありますが、やはりこれからはアジアの国でバッシングの対象は基本的に中国になるであろう、と思うので、大いに頑張ってもらいたい。日本はもう降りさせていただきます、という感じですね。いいんじゃないですか、それで。
 英国のテロについても一言。もともと憤懣はたまっているだろうから、対応を間違えるとIRAとの抗争に明け暮れた時代に逆戻りだ。テロのお陰で支持率が回復した、というブレアさんだが、やり方次第じゃ命取りである。
 こうなるとイギリスだっていつまでもイラク駐留はできまい。サマワにぽつんと取り残されてなおわが自衛隊は、なにもやることがないのにアメリカへの小泉さんの個人的義理立てで残り続けるのだろうか。それとも政権が変わるようなことがあれば、がらがらと変わってしまうのだろうか。小泉政権の間、なにか変わっているようなイメージばかりであって、実は日本中が冷凍睡眠でもしているみたいに何年間も、期待して見守るばかりで終わってしまったのである。そういうおかしな空白の数年だった。
 臆病な人たちがいつまでも、それでも小泉さんがいい、と言い続けているが、いい加減に見放して考え方を変えてはどうか。なにがどうであろうと、もうあの人の時代は終わりである。次の時代を考えたほうがいい。

2005年7月21日(木)
 国が大赤字なのは分かっているから、少しは国民も辛抱しないとな、などと思っていた奇特な人というのもいると思うが、例の石弘光の政府税調のちっとも自分らの頭を絞ったとは思えない答申を見て、怒りに燃えている人も多かろう(しかも連中はあれでたくさん、税金から金を貰っているのだろう。国が赤字なので増税しましょう、なんて答申する委員会の委員はまず自ら報酬を国庫に返納すればいい)。今度は「「家でごろごろしている主婦が子供を産まないんです」政府税制調査会(首相の諮問機関)の配偶者控除の存廃をめぐる議論の中で、複数の委員が専業主婦を侮辱したと受け取れる発言をしていたことが議事録で分かり、波紋を広げている。五月二十七日の基礎問題小委員会の議事録では配偶者控除の存廃をめぐり、ある委員が「働く女の人は(人生に)前向きで、子供を産みたい。働かないで家でごろごろしている主婦が子供を産まないんです」としたうえで、「いまパラサイト・ワイフというのができてきた。つまり、生命力のない人たちがたくさん生じていて、お金を持ってぶらぶらしているんですよ」と発言した。別の委員も「働いている女性の方がちゃんとご飯を作るというデータもあるんです。専業主婦で時間がいっぱいある人こそ、コンビニで買ってきて発泡スチロールで食べさせちゃうというのが多いんです」と追随した。こうした発言を民放のワイドショーなどが放送し、二十日の参院の郵政民営化審議でも、民主党議員が質問の中で問題視した」(産経新聞)というんだが、どうもこの無茶苦茶発言をしたのは女性の委員のようである。もちろん自分らは仕事のあるキャリア女性である。女性の敵は女性であると知れ。たとえば私の母親など思い出す。何度も大病した身で、とてもじゃないが外に働きに出るなどできない。うちの妻もそういう口だ。あまり健康体とはいえない。はっきりいって外でばりばりと仕事をこなす、というのは難しそうだ。これはもう仕方がない話である。そりゃ、働かなきゃ食っていけないとなれば、どんなつまらない作業だろうが働くだろうが、夫、倅の身から見て、なにも無理に働いてもらおうとは思わない。別に身障者というほどじゃなくても病弱な人、というのは非常に多い。
 また、健康な一般の女性たちだって、別に仕事が好きで働いているわけじゃないと思うが。大方の労働というのはつまらない光の当たらない、単純でやりがいのないものである。かくいう私にしたって、仕事なんて好きでしているわけじゃない。金があればいつでも辞めたいと思っている。
 スポットライトを浴びている人にはしょせん理解できまい。うまくいかなかったことのない人たちだから(特に女性委員の一人は高名な評論家である親の七光りで今の地位にある女性である。名前を取ったらなんにもありゃしない。身の程を知るべきである)。
 こういう委員会にいるような人は何事も自分を基準に考えているが、働きたくとも働けないような人もいるし、仕事に就くといっても自分らのようなカッコイイ仕事はそんなにないわけだし。あえていえば、この手の委員なんてのは学者である、年寄りである。自分らが辞職して席を譲ってくれれば、後進の若い人も少しは就職できるので偉そうな答申をしていないで、しがみついている地位から降りてもらいたい、と思う。また資産のたくさんある老人からこそ、がばちょと金を取り上げればいいのだ、こういうヤツらからね。石のヤツの豪邸とか別荘とかいうのも週刊誌が取り上げていたが、結構なご身分だと思う。
 そもそもだ。キャリア志向でばりばりやりたい、なんてものは男女を問わずそんなに多いものなのかよ。違うだろうと思う。駅前の一等地に資産があって、なにもしないで実入りがある、なんて男女は仕事もしないし結婚もしない、なんて話を見聞きする。実際には労働している人間というのはしょせん、貧乏人である。仕方がないからやっているにすぎない。
 そういう貧乏人から金を取る算段をしておいて、なにをほざいているか。あの税調のメンバーが委員長以下、みんな卑しい顔つきでただの御用学者の集団のくせに強権的で生意気なのはなぜかといえば、任命した首相がそういう人を集めたからである。
 ところで、関係ない話だが、フジテレビの菊間アナ(33)が芸能人と酒を飲み、18歳のジャニーズ系の少年を引っ張り込んで怒られた、謹慎、減給となったという例の事件だが、村田国家公安委員長が「警察はちゃんと事情聴取したのか」と指示したと言う。だんだん大げさな話になってきたな。ちょっと表舞台には出られなくなるかもしれない。年齢的にもそろそろアナウンサーの耐用年齢だし。体育会のりで人気も高かったアナだと思うが、体育会のりがまた命取りとなったか。それともまた、どこか高いところから取材中に墜落して同情でも買ってみるか。
 ついでに。貴乃花の問題であれこれ言われているが、彼が「ええい、もうこんな世界やめた、兄貴みたいにタレントになって事業起こすぜ」と言いだしたら一番困るのは相撲協会だと思うが。彼が、実はそんなに口が重くなくて、しゃべる気になればどんどん語れるタイプだというのが今回の騒動で図らずも知れ渡った以上、そういう可能性は常にある。「最近親方になったばかりで、なんだ」などといっても、今までのどの横綱が束になってもこの人一人の人気や貢献度には及ばないのである。年功序列をかさにきていると、ますます人気が低落するが・・・(ま、大相撲なんてなくなってしまっても、私は困らないけど)。

2005年7月20日(水)
「スター・ウォーズ/シスの逆襲」を見てきた。ハリウッド映画の娯楽大作の流れを作った原点といえるこの作品、もちろん期待は裏切らない。おもしろいということでは掛け値なしである。エピソード4に連なる描写が特にうれしい。最後のほうでピーター・カッシングそっくりさんによるあのモフ・ターキンが登場したり、幼いルーク・スカイウオーカーを預かる伯父さん夫妻が出てきたり。それぞれの人物がその20年後どうなるかを知っているだけに、ひとしお心に残るエンディングの美しさ、である。
 ただ、最終作であるにもかかわらず、つなぎの作品でもある、という特殊性が足を引っ張っている面もある。話が一方向にスムーズに流れてしまうのである。
 特に、すでに指摘されているところも多いと思うが、要するに皇帝の陰謀が着々と進む中で、あまりにもヨーダとジェダイ評議会が無策であり、なされるがままである、ということ。あんなにぼんやりしていて、最後にはあっさりやられてしまうというのでは、それはもうやられる方もどうかしている、と思えてならない。それにアナキンの扱いもひどい。あれでは、謀反を起こしなさい、と評議会のほうでアナキンに勧めているようにすら見える。だから、ヨーダとオビワンが必要以上に無能な人たちに見える(一面でその通りなので、エピソード4につながるんだろうけれど)。皇帝は悪人だろうが、かえってあちらの方がまともな政治家に見えるのは私だけか。戦争を起こし、支持率を上げておいて民主的な手続きを使って独裁者となる。古今、政治家の常道である。カエサル、ナポレオン、ヒトラー、近頃の合衆国某大統領。みなしかり。
 これに対し武士道と禅とカンフーを混ぜたようなジェダイの教義はニホン人から見ると底の浅い滑稽な物に見えるのは致し方ないところか。それでいいように悪人にあしらわれるお人よし集団、という風に描いてしまってよかったのだろうか。
 ライトセーバー戦は壮絶だが、黒澤映画などに慣れたニホンジンとしては、それほどのものか、腰が引けたゲバ棒の打ち合いにも見える。物理的打撃力のない、また反りのないライトセーバー、チャンバラとしてはしまらないように見えるのだが。三船敏郎がオビワン役を受けていてくれたら。そしたらまるで違う殺陣になっていたろうに。若き日のオビワンも渡辺謙あたりになっていたろうに。そこは残念だ。
 リー様=ドゥークー伯爵もあっけなすぎる最後に唖然。もっと見たかったのに。
 レンズマン・シリーズ(SFスペースオペラの古典)の映画化を当初計画としていたというSWだが、世界観はかなり矮小化されている。フォースと言ってもただの念力のようになってしまった。善悪の関係も相対化されているレンズマンと比べて、SWはギリシア悲劇的テーマを担ってそれなりに深みもあるのだけど、まだまだ、という感もないではない。
しかし指輪物語ですら映画化されナルニア国物語まで映画化される今日この頃である。技術的には不可能ということはもうないはずなので、ぜひ今度はホンモノのレンズマンをやって欲しい、と思わないではない。
 と、注文も付けてみたが、もちろん美しい作品だった。そりゃもちろん、一度は大画面で見てみないといけない。今の時代の最高の映像という意味でも。


2005年7月19日(火)
10月23日に東京4区の衆院補選、と決まったそうだ。総選挙もこの日かな?
 さて、久しぶりに・・・半年ぶりぐらいにプラモデルを作ってみた。韓国のメーカー「アカデミー」社の1/49「ポリかルポフI16」という、旧ソ連軍のやたらかわいい形の戦闘機である。本当にこれ、デフォルメされたタマゴヒコーキのような姿形である。実戦では日本の零戦にけちょんけちょんに落とされたとか、ドイツ空軍に鎧袖一触にされたとか、ちょっと気の毒な飛行機ではある。が、とにかく形が愛らしい。ところで、作りつつ、飛行機模型の場合は操縦席内部を塗装しなければいけない。それで、慌てて塗装用のエアブラシを準備したのに、ノズルが詰まっていてまるきり出ない。使い物にならない。しょうがないので、久々に筆塗りに挑戦! 模型の塗装に筆だけで挑むのはもう中学生以来のことだが、かえって新鮮でしたね。ちょっと色むら、筆むらが出ますが、かえってこれが本物らしい。軍用機なんてそんなにきれいに塗っていないですものね、本物は。
 それに、デカールのなめらかさに感動しましたね。いいですよ、これ。マニアやプロのモデラーなら、デカールをコンピューターで自作するといいますが、私はとてもそこまでは・・・。とにかく、中国も韓国も政治的にはいろいろあるが、模型ファンとしてはお世話になっております、この両国のメーカーさんに(あちらにしても、オタク大国・日本のファンを無視できないでしょうし)。
 でもあれですね。私というのはナンにせよ、オタクとか、マニアになるのを自分で拒絶するタイプの人間ですね。なにか自分の専門、といって閉じこもるのが嫌で仕方がないのであります。同好の士と群れを作って、安全地帯を作って、閉じこもる、という発想がとにかくない。だから、詩人としても徹底的に一匹狼ですね、自分。私ほど派閥と無関係な詩人はいないと思う。ここを読んでいる方で、日本の詩壇に興味のある人はそんなにあるまいかな、とも思いますが、一応言いますと、短歌や俳句の結社ほどの強固な枠組みはないのだけど、しかし詩人といってもかなり派閥はあって、お互いに仲も良くないのであります。だから詩人の文学賞(一般にはあまり興味も関心もないけど、やはりそれなりにあります)の選考なんてことになると、そういう派閥の力学がいろいろあるんです。
私はほかの詩人とあまりつきあわないし。それでいて、時々、講演してくれとか朗読してくれとか、座談会に出てくれ、というオファーが来るのは不思議な気がするが、あれかな、かえって色が付いていないのでいい場合もあるのかな・・・。
 そうそう。今日、会社の人と話していて、たまたまそんな話になったので書いておこう。たとえばほかの詩人の詩集の書評などするときは「辻元さんの作品は・・・」なんて書かない。「さん」なんて敬称があるとかえって馬鹿にしているんですってね。夏目漱石とか森鴎外とか、大家には敬称は付けない。同じように、「辻元の作品は」と書くと大家として扱っていることになるんですね。あるいは「辻元詩の特徴として・・・」などと書くとなおいっそう、よいのだそうで。「辻元詩」なる世界、カテゴリーがあるかのように書く。これまた一時代を築いたような扱いにする、とうことらしい。一方で、「辻元さんの作品は、なかなかいいですね」などと書けるのは、大御所が若手を見下ろしたときなんですね。おもしろいもんですね。詩人同士では、書評では呼び捨ての方が敬意が高いのであります。
 ところで、「闇の職業安定所」なるアホなサイトで知り合った若い衆がひったくり未遂で逮捕された、というニュースがありました。さっそく見てみたが、「裏の求人情報」なんてコーナーが確かにある。「リスクは高いがてっとり早く儲けたい人募集」なんて書き込んで仲間を捜していたんですってね。このサイトもこんな事件があると、まもなく閉鎖に追い込まれると思うので、見るなら今日のうちぐらいじゃないでしょうか。
 それにしても馬鹿げたアイデアだけは沸くように出てくる今時の日本ですなあ・・・。


2005年7月18日(月)
おや、今日は自分のサイトやブログのアクセス数が伸びないな、と思ってから気が付いたのである。今日は世間は3連休なのですね。私は例によりまして出勤です(カレンダーが関係ない職場なもので)。ちなみに来週には夏休みをとる予定。衆院で郵政法案がなんとか通ったので(前にも書いたけれど、私はコイズミ改革なんてぜんぜん支持も応援もしていない人間ですが、夏休み期間に総選挙、だけは嫌であるという個人的理由で、衆院だけはなんとか通過してくれ、と思っていた。参院はどうなってもいいや、10月の選挙なら・・・勝手に決めている私)。加藤の乱の首謀者氏がテレビで「こんな小さなテーマで自民党を滅ぼしていいのか」と力説していた。自民党が滅んでも別に構わないわけだが、「こんな小さなテーマで」というのには心から同感する。ただの意地の張り合いですからね。
 本当は、今、国民的な議論をしなければならないのは、おおづかみにいって「アメリカにこのままとことんまで従うか(コイズミ内閣の方針)」「中国に少しは気を配るか」「それともまた別の生き方を探るか」といったことであろうと思う。それが基本にあって、年金問題だろうが金融政策だろうが、郵政の問題だろうが、憲法の問題だろうが考えるべきだろうし、そんなテーマで国論が割れるなら大いに意味もあるだろう、というのは正しい認識であると思う。
 このところ、ドイツ製のヒトラーの映画「ヒトラー最期の十二日間」が公開されたことで、珍しくドイツ第三帝国、というものに関して日ごろ興味のなさそうな人も、いくらか興味を抱いてくれているよい時節である。これから8月以後、全国で公開していくだろうから機会があったら一見をお薦めする次第だが、私はこのところ、多少よそのサイトなどでも意見交換して思ったね。三つのポイントがあるということを追加的に記しておきたい。
 ひとつ、当時、総統を無条件に崇拝していた女性秘書の視点、というのを基礎にしながら映画は実際にはほかの証言を意図的に組み入れている。あまりに人情家ヒトラーにしてしまってはいけない、という規制が働いた結果だと思われる。そのほか、ユンゲ夫人の回顧録(「私はヒトラーの秘書だった」草思社)と照らし合わせると、実のところ映画の下敷きとしてはそんなに使われていない、ということに気付く。ふたつ、「国民が我々を選んだのだ」ということを登場人物たちが強調する辺りは、監督のメッセージと思う。そして、私は現代において、日本もかなり危ないところがあった、と思っているのである。熱狂で迎えられた救世主的指導者、そして改革の断行と強権的な政治・・・。そう、コイズミ・フィーバーのことである。本人は勢いだけでも、理論面ではゲッベルスみたいな参謀もちゃんといた(T大臣のことだ)。あれで、コイズミ改革は結局、あまりはかばかしくないので段々、国民も見捨ててしまったのだが、もしヒトラーその人のように失業率が劇的に改善し、景気が回復し、役人の不正が正され、外交問題でも懸案事項(今で言えば北朝鮮や中国、韓国との軋轢)を見事に解決していれば・・・コイズミ改革は後戻りできないスピードで進んで行ったに違いない。ヒトラーの場合はそうだった。マジックのように彼の政策は成功していたから、国民は支持したのであって、別に伊達や酔狂であの政権を支持したのではあるまい。そうなっていたら、それはそれでもう後戻り出来ないところまでニホンは連れて行かれたに違いない。そういう意味で、ナチスの問題を考えることはきわめて現代的なことである、ということである。クールビズなんて、たとえば一種の制服のお仕着せである。コイズミ政権が程度の悪いミニナチスだったことは認識として正しいと思われるのである。
 ナチス研究をしていると、妙な誤解を招きやすいが、とんでもないことである。ヒトラーは悪人、ナチスは悪い人たち、としか教わっていない人たちは、ただ単にナチスを排斥してハーケンクロイツを禁止すればことタレリ、と思ってしまう。だから、自分の身近にある、ナチスと名乗っていないしハーケンクロイツも使っていない「擬似ナチス」的なものに気が付かない。ナチス研究を経ている人は、たとえばオウム真理教のようなものに引っかからない。あんな魅力のない指導者になんでカリスマを感じるのか、あの偉大な化け物であった総統のような威厳が何処にある、と思ってしまう。コイズミなど見てもそう。あれでヒトラーの知能の三分の一ほどもあれば、もう少しましな政策ができるのに、と思ってしまう。だから軽々にああいう政権のまやかし的フレーズには乗らない。
 第三帝国は最後の大衆ロマンチシズムが具現した政権であった。つまり二度と戻らないものである。王政時代から大衆民主主義の時代になってなお、美学による政治、というのが成り立った最後の例である。現代にはこの再現は難しい、というかもはや出来ない。ポストモダニズムの時代には、ナチス的なものもネオナチなどという、要するに暴走族グループみたいなものに矮小化してしまう。
 第三帝国を研究し、コスプレさえする人というのは概して無害である、むしろその中でも知的な層は健全である、と断言するのは以上のように考えるからである。
 そして三つ目のポイント。ドイツ人によるドイツ語のヒトラーがなぜ大変なのか。それは日本の問題として考えてみるといい。いまだに、昭和天皇と戦争のかかわりを真正面から取り上げるような商業映画(ドキュメンタリーやマニア向けの実験作でなく、商業映画である、というのが重要である)は、平成も17年になるのにいまだ日本で作れる雰囲気だとは思えないではないか。せいぜい戦艦大和どまりである。戦艦大和大いに結構だが、あれがニホンジンとしてことの本質を考えた60年目の総括、というビューポイントになるかどうかというと、そんな次元ではない事を我々ニホンジンは思い当たるのではないか。
 さて、梅雨明けした、とのことである。しかし、今年は比較的、(関東に関しては)普通に梅雨があり、割に普通の暑さの夏が来て・・・と久しく忘れていたが、これは「平年並み」というものじゃないだろうか。猛暑とか空梅雨とか逆に冷夏とか、異常気象に慣れすぎてしまっているのですね、我々。

2005年7月17日(日)
 近頃はとばっちりのような事件事故も多い。今日は名古屋の国道交差点で、幼稚園の先生の車と中学校の職員の車が衝突、弾みで近くで信号待ちしていた女子中学生が巻き込まれて死亡した、なんていう話があった。車を運転してたほうが教育関係者だ、というのがまた困ったもんである。そして、きちんと信号待ちしていた中学生がそれで死んでしまった、というのも気の毒であるが、なにしろこの手の話がけっこう多い。信号をきちんと守っていれば安全だ、といえない世の中である。とにかく他人を見たら泥棒と思え、というより他人と見たらとりあえず敵と思え、というぐらいでちょうどいい世の中である。突然、関係ないところから危害を加えられる可能性が常にある。これから気温が上がればなおさらである。
 信号を守って、ルールを守っていても、思わぬところで命を落とす、のである。他人などしょせん信用できないのである。違うだろうか。
 読売ウイークリーという月刊誌で、近頃のニホンジンの体感距離がおかしくなっている、というような記事を読んだ。要するに、反対側から近寄ってくる人間がぜんぜん、こちらをよけてくれない、つまり他人をまったく認識しないで、全部、バーチャル画像でも見ているような調子で歩いている人が増えているのじゃないか、というのである。それは私もそう思う。とにかく近頃の人は、ぜんぜんよけようとしない。こちらが避けてくれるのを待っているような態度の人が実に多い。若い者に特に多いけれど、中年、老年だって決して褒められたものじゃない。あれは、もう他人というものが視界に入っていないのですってね。
 不思議である。自分はそれでいいかもしれないが、相手のほうもアナタが眼中にないのだから、その眼中にないものにぶつかられたら、どうなるか。些細なことで喧嘩になって殴り殺してしまった、という話も多いわけだが、要するにそういうことだろう。
 他人に無関心でクール、というといかにも現代的で「進んでいる」という気分になる人もいるかもしれないが、確かに昔風のべたべたした人間関係は古臭いのだ、ということはあるにしても、他人の動き、他人の行動に無関心で大丈夫、というのは逆にひどく甘ったれた感覚じゃなかろうか。たとえばアメリカなんかでそれが通用するか? 誰かが突然、ポケットから銃を引き抜いて発砲するかもしれない、という社会で「他人には無関心です」なんて言えるであろうか。逆に、他人の行動が気になって、始終、監視しないではいられないはずである。どうしてそう、他人なんてものが信用できるのか私には解せぬ。自分が無視していても相手がかかってきたらそれまでである。
 私は電車などでも変な言動の人間がいると、恐ろしくて別の車両に逃げてしまう。交差点でも信号が変わっても居眠り運転や暴走車がいないか見てしまう。
 まったく、人間など信用できないのである。これは寂しいとか冷たいとか、そういう話ではないと思っている。なぜなら自分自身もまたよくミスをする、錯誤する。突然、腹が立って見知らぬ他人に憎悪や殺意すら覚えることがままある。だとしたら他人も同じであって、とても安心など出来ないのであるが。
 だから前も書いたが、安心しきって、個室のような気分で化粧したり飲み食いしたりしている若い衆にはげんなりするのである。礼儀作法の問題などじゃない。そこまで油断していて平気である、というメンタリティーに不安になるのである。ああまで無防備で、生きていけるのだろうか、と思う(ああ、だから生きていけない若い者が増えているのですね)。
 それで思うに、私など転校するたびに異質な人間集団の中にほうりこまれる経験をしたから、まったく他人に安心しない人間になってしまったのだろう、とは思う。以心伝心みたいな感覚は微塵もない。
 まことに、あのケータイのメール画面を見ながらのろのろ道の真ん中を歩く男女を見るたびに、私などあてつけに肩をぶつけてやることも再三、であるが、なにをされてもああいう手合いは気が付かないか気がつかないふりをしている。今度は鋭利な刃物で刺されでもしないと気が付かないのだろうか(それでも気が付かないのかもしれない)。
 ああいう退化しきった人間を見ていると、為政者から見れば楽な国だな、と思うのであるよ。
 それで、先日「女王様の教室」だかなんだかいうテレビドラマのさわりを見た。宝塚出身の天海なんとかさんが出ている、平等主義のぬるま湯に浸ったふぬけ小学生たちに競走主義とエリート主義をたたきこむべくやってきた女王様みたいな教師、というちょっと現実離れした話ではあるが、その女王様の演説が面白かった。「ニホンで幸せになれる人は6%なのよ。100人中94人は安い給料で不満を持って生き、重い税金を取られ、戦争になったら使い捨てで死ぬことになるのよ。6%の人は裕福な特権階級なのよ。いい加減、気が付きなさい。あなた方みたいな凡人は、せめていい大学にでも入るしかないでしょう」「今時、大学なんて。音楽だってスポーツだってあるじゃない」と児童が反発すると、先生、せせら笑って「音楽や芸術、スポーツで成功している人は小さいころから英才教育を受けている一部の天才です、あなたたちはそういう人なの? 特権階級の人たちは、あなた方凡人がいつまでも真相に気が付かず、勉強せず、愚かで、漫画かテレビでも見ていてくれればいい、そして重い税金を払ってくれればいい、と思っているんです」と一刀両断。石弘光みたいなヤツの顔が思い浮かぶね。
 多少の誇張はあるが、嘘はないですね、この話。ただ、気になるのは、特権階級は6%もいないだろう、と思うところですね。1000人の中学校で60人も、その特権階級に入っていると思えますでしょうか。違うね。
 やはり、資産が億を超えているような人がまあまあ、そっち側の人なんでしょう。するともっと少ないでしょうね。ちょっと周辺も見ても、親譲りの資産でマンションの二つ三つ、持っている人なんてけっこういるものである。ああいう恵まれた人たちはあくせくしていない。堀江さんみたいにあくせくして金持ちだ、という人は正確には成り上がりであって、やはり生まれついて恵まれている人が特権階級である。金もあるが、時間も有り余っている人たち、だ。それで高貴な血筋なら昔風に言う貴族である。ニホンには貴族制度はないけれど実際にはそれに準ずる社会があるのは間違いがない。
 長い間、総中流なんて言葉に騙されてきた愚かなニホンジンであることよ・・・。

2005年7月16日(土)
新作詩とエッセイを追加しました。宣伝でした。
 ◇             ◇          ◇
 テレビゲームに、痛みを和らげたり、化学療法を受けているガン患者の気を紛らわせるなど、治療上の効果があるとする説を、英国の専門家が同国の医学誌に発表した。手先の器用さを養う効果もあるという(ロイター)なんて記事を見つけた。これは研究者がゲーム好きなのか、ゲーム業界の委託で受けたのか。しかし考えてみれば当然じゃなかろうか。なにかとゲーム脳だの、けしからんの、少年少女を犯罪に駆り立てるだの、否定的なことばかり言われるテレビゲームであるけれど、一方で現実から逃避して別世界に遊ばせるという意味ではこれ以上に効果的なものはなく、また手先の器用さを養うという意味で効能があるのも誰が考えても明らか。要するにどんなものでも諸刃の剣じゃなかろうか。そもそも犯罪に駆り立てるもの、といったら古来、文学作品、映画、音楽、芝居、オペラ、宗教に思想、なんでもそうだったのじゃないかと思う。今時のテロリストを見ていれば分かるじゃないか。高邁な理想であろうがゲームであろうが、人間の感覚を麻痺させ、酔わせるものならなんでも犯罪教唆の代替物となりえよう。現にアメリカ軍は新兵募集にテレビゲームを活用している。要はなんでも功罪両面ある、というだけのことだ。文学やバンド活動にうつつをぬかすことはかつては不良少年と同義だったし、漫画ばかり読む子供は学力低下が心配された。ブラモデルは創造性を欠落させる、なんて批判された。誰が作っても同じだ、というのだ。
 今時の親はそんなことを言わないだろう。実際、バンドをやるにも漫画を読むにも学力が必要だし文学に耽溺するなんて言わずもがな、である。プラモデルも今では立派なアート扱いで、実際のところ誰が作っても同じ、なんていったら笑われるものである(塗装や工作、追加的な工夫で今や千差万別である)。
 私もこのいずれもの経験があって教師や親にもっと勉強しなさい、といわれた覚えがあるし、学校などでは文化祭の演目にハードロックを持ち出すと「ビートルズかフォークソングにしなさい」なんて干渉されたものである、私の世代だと(だから私はいまだにビートルズが嫌いである。しかし考えてみればこれも教師たちの世代の問題であって、彼らは彼らで自分たちが子供時代にビートルズやフォークソングを否定されていたに違いない。だったら私たちのディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを否定するべきじゃなかったのである。今だったらラップだろうがオルタナティブだろうが、それで文句を言う教師はいるまい)。
 ビートルズで思い出した。近所に開店した英国風パブ、ビートルズのBGMでリッケンバッカーのギターなど飾り付けているが、いつ見ても客がいない、遠からず、危ないのじゃないかと思う。実際、あれだけのコンセプトじゃ客は来なさそうだ。
 なぜ人は、ビートルズとモーツァルトと美空ひばりを無条件で賛美するのだろう? 神格化といえばそれまで、しかし信仰していない人にはただのたくさんある音楽の中の一つに過ぎない。好みに合わなければそれまでである。
 ゲームで思い出した。今は「半熟英雄4」(スクエア・エニックス)をやっている。同じ会社のFFシリーズほか、いろいろなアニメのパロディー満載で笑える。ただ攻略そのものは少し単調。平行してやっていた「ジルオール・インフィニット」は、40時間もかかって思っていたエンディングに到達できずにショック巨大。しばらくやれない感じである。私の人生の時間を返せ。
 妻が風邪をひいた。夏風邪にご用心。渋谷にヒトラー映画を見に行って以来、腹が痛いということだったが、医者で風邪と診断されたとのこと。ユダヤ人の祟りかと思った(?)。シネマライズについて言えば、予告の上映が長すぎる。私に「リンダリンダリンダ」のCMなど見せてどうするつもりか(今時の女子高生が、ギターソロがない、という理由でブルーハーツを演奏する物語だというが・・・なんでこう分かりやすい話ばかり流行るのか。ああいうバンドノリの曲のほうがかえって難しいし、あんな古い曲を今時、やるというのは現実的なのか、とも思う)。
 それから市役所に行った。時節柄、妻の非課税証明を取りに行ったのだが(まもなく配偶者控除もなくなるのだろうからこういう手間もなくなるか)、浦安市役所はノーネクタイでクールビズ。それは構わないが、どんよりして暑い。冷房設定28度、というがもっとありそうである。あれで仕事になるのか。そうか。もともとそんなに難しい仕事してないからどうでもいいのか。あれの二酸化炭素削減効果なんて日本全体の義務枠の0・2%かそこらである。いちばんやって欲しいのは物流でトラックを辞めて船か鉄道に切り替えることなんだが、くだらないポーズばかりで実はなにも進んでいない、アメリカから言われたことと弱いものいじめしかやらない・・・コイズミ「改革」にはうんざりである。

2005年7月15日(金)
本日のニュースといえば・・・芥川賞・直木賞の決定、なんてのは今回はちょっと影が薄そうだ。ユニクロの社長の辞任と、柳井さんの復帰、というのは話題ですかね・・・。
 しかし、このところ少し復調しているような話題も多かったユニクロ、結局は「売上高年間4000億円」という目標達成が出来ないために辞任、ということらしい。柳井さんとしては2010年までに1兆円企業にしたい、ということなので、今のペースでは間に合わない、ということなのだそうである。だがしかし、今時においてカジュアル衣料で1兆円世界企業なんてものが成り立つかどうか、である。たとえば私などは全く興味がないが、若い人に聞けば「ユニクロ? あんなの体操着じゃない。今はGAPでしょ」なんてこともなげに言ってくれそうである。まあ、業界も飽和状態なんだろうと思うのである。それにしても、中国に最初に目を付けて成功したのがユニクロだった。しかし、そのビジネスモデルは誰でもまねできるものだった。というか、系列、下請け、長年譜代の従業員なんてものを切り捨てるドライさが経営者にあれば、ということ。その意味で柳井さんは堀江さんとか、近頃のいけずけずけと成り上がりな連中のトップランナーだった、と極論すればそういうことだ。
 それで思う、ユニクロにしても楽天にしてもライブドアにしても、このところ成長した会社というのは(健康食品や美容関係を除き)1990年ごろのニホンの経済敗戦から、2000年ごろの朝鮮戦争特需ならぬ中国特需をバネにどーんと加速したもののようで、IT技術がどうの、構造改革がどうしたの、世の中の変化がなんの、というより、そういう波の問題のほうがよほどに重要だったように思う。しかし気が付けば、そういう波というのもまた微妙なところに来ているので、ことに分からないのが中国という国である。アメリカあたりでも急激に中国脅威を言い立てるようになっている。アメリカ経済そのものは今のところ悪くないようだが、中国はあまり長い目で見てかかわらない方がよくはないか、という気がする。
 では、次の波はなんなのよ、ということだ。インドなのか、ベトナムなのか、いっそのこともっと長い目で見て南米か、さらにはアフリカか(50年後ともなればこのあたりもあり得る)。
 それで見て、今や国連でもニホンなどの常任理事国入りやらなにやらも、アフリカを抜きにして語れない状況だ。そのアフリカ問題というのがこれからぐっとクローズアップされると思う。あれはそもそもイギリスなんかが自分らの植民地の問題をうまく、先進国全体の問題、ということにすり替えてしまった。本当にイギリスとかフランスとかいうのは見事なほどに悪い国である。
 なんにしたって、そういうあたりまで目配りしなきゃ、な時代なのである・・・。サマワに自衛隊を出して、ODAを削って、いってみれば全く外交権をアメリカに委任したみたいな状態にしておいて、それで常任理事国問題で「あの案はダメ」とアメリカに切られてしまったマヌケな首相が某ニホン国にいるけれど、ああいう単純な発想の人はもうダメだ、ということよ。
 その某首相の本日のお言葉は「明智光秀に気を付けないとな」だそうである。本当にこの人は、娯楽的な時代小説しか読まない人らしい。この人、読書というと信長とか秀吉とかばかりだそうである。まあ・・・戦国武将に憧れるのはいいが、時代小説に書いてあるようなことを真に受けてそういう次元で政治をやっているのかと思うと暗然とする。私だって織田信長は大のフェイバリットだが、山岡荘八の小説などを史実だと思うほどバカでも無知でもない。あの首相がたとえば原典の「信長公記」なんて読んでいるとは思えないのでありますよ。
 そういえば。6月の産業構造審議会で日本青年会議所の某幹部がSMAPのヒット曲「世界に一つだけの花」を批判したそうだ。「ナンバーワンでなくとも、もともと特別のオンリーワン、なんて歌詞ではダメだ。生まれつきのオンリーワンなど存在しない。もっと競争社会で戦うような気概を若い者に持って貰うべきだ。困難を乗り越えて戦ってこそ個性が評価されるのであり、若者に頑張らなくてもいい、というメッセージを与えると、なにもしない癖に、認めてくれないのは社会が悪い、という発想に逃げ込みやすいからダメ」というようなことだそうだ。非常に正論と思う。私もあの歌は好かない。近頃のロックにしろラップにしろ、形ばかりロックやらラップなのに、このスマップの曲とか相田みつをに似たような、去勢されたような負け犬志願者のためのような歌詞が多いが、本来、ロックにしろラップにしろ、革命家とかアナーキストのようなメンタリティーでなければならない。
 分かり合おう、信じ合おう、いつかはきっと、みたいな歌詞は実にいらいらする。なにもしないで、いつかはきっと、なんてことはまずあり得ない。
 生まれつきの大資産家じゃない限り、遊んでくらして90まで幸せ、というわけにはいかないのは当然である。当たり前じゃないか。先祖代々、貧民である私はそのように思う。

2005年7月14日(木)
石原都知事の「フランス語は数が数えられないのでダメ」発言を、フランス語学校の校長らが訴えた、という話を聞いたときには笑った人も多かろう。というか、フランス語の数え方などおおむね誰も興味もないし知らないことなので、さすがに文化人知事、インテリざます、といえなくもない。パフィン・イングリッシュスクールなる語学学校のフランス語豆知識というコーナーの記述によれば、「1、2、3…10、20、と続きますが70を超えますと数え方が変わります。70は「60 10」、80は「4 20」、90は「4 20 10」と発音します。大きな数値になると798は「700 4 20 18」です。計算が苦手な人には嫌な言語でもあります。(計算方法 60+10=70 4*20=80 4*20+10=90 700+4*20+18=798)」というのであるが、瞬時にこれを頭の中でやってのけるのはそれだけで大変な芸当じゃないかと思う。もっとも、ネイティブの人にとっては造作もない、というかそういうものとして覚えているのだから、なんでもないのだろうが……、ではあるが、やはり暗算などやらせると後れを取りそうな気がしてならない。どうなんだろうか。フランスといえば哲学の国、文学の国のイメージである。どっちかというと理数系、という感じはしないのは確かではあるが。さかのぼってパスカルみたいな人もいるじゃないか、ということもあるが、あのへんの時代の人は、当時の知識人の共通語たるラテン語でものを考えていたのかも知れない。もっとも、ラテン系の言語も軒並み、難しそうである。それで、どうなんであろう、フランス語のような数え方というのはほかにはあるのか、ないのか。そこらが知りたいところである。
 それから、ある弱点を指摘して、ある言語を「国際語の資格なし」と斬って捨てると、いちばんダメそうな日本語国民としては困ったことにならないか、と思う。作家先生たる知事は日本語でもって全能感に浸れるのかも知れないが、この微妙なニュアンスに頼る繊細な言語が、国際語としていいかどうか、という話になればそれははなはだ厳しいだろう。もちろん、いったん日本語のニュアンスを身につけてしまうと、外国人も「なんて便利な言葉だろう、どんなシチュエーションでも表現できる」と感動するそうだが(妻の大学のドイツ語の先生のドイツ人はそう言っていたという)。日本語にないのは、自分と相手がまったく対等な場合に用いるような言語である。しかしないものは仕方ない。いわゆる「ため口」というのは本来的には対等語ではあるまい。お互いに貶めあっている感じになる。なにかそのへんについては、橋本治が子供向けの新書で解説していたように思うが、要するに言語体系なんてものは何百年何千年とかけて出来上がるもので、人為的な介入できれいに改まるものじゃない、ということは確かである。
 まあなんでもよろしいが、フランス語というのは少なくともあまり強そうではないですねえ。たとえば「撃て」なんて号令、ファイアー、とかフォイアー、とかいう中で、あそこの国では「フェ」とか言っていそうだ(本当かどうか知らないので信じないように)。フェでは鉄砲は撃てない。なんか途中で筒内爆発しそうである。ナポレオンなんてコルシカから来た異端児だけが強かった。あの人、正確には生粋のフランス人とは言い難い(元々オーストリア人のヒトラーとか、グルジア人のスターリンとか、案外にああいう独裁者系の人はマイノリティ出身であったりするのは興味深い)。
 前に妻から聞いたが、どこかのご当地名産で「どじょうまんじゅう」というのがあったそうだ。今でもあるかどうか知らない。そのCMというのが、フランス人らしき男女がぼそぼそと、鼻にかかった声で囁きあうのだそうである。「オー、ドジョンマンジュウ?」「ウイ、ドジョンマンジュウ……」てな具合に。見事に「おフランス語」に聞こえるそうである。お試しあれ。ただし、フランス語学校の校長なんて人の前では「ボンジュール、ドジョンマンジュウ?」などとやらないように。

2005年7月13日(水)
人間などというものは測りがたいものである。中でも図りがたいのは自分自身というものである。
「ペットといると「気持ちが癒やされる」と感じる人が約8割にのぼり、3人に1人は「ペットといる方が人といる時より落ち着く」と考えている――。こんな国民意識が、読売新聞社が6月11、12の両日に実施したペットに関する全国世論調査(面接方式)でわかった」のだそうである。それはそうであろう。まことに人間というものは測りがたい。
 大事に飼っていた一人息子に殺された両親もいるし、いまだに真意不明の、隣の教室に手製爆弾を投げ込んだガキもいる。心の闇、何て言葉がはやってからなんでもそれで誤魔化すのはよろしくないがしかし、確かに心の闇とでも表現するしかない部分が人間にはある。
 皆さんは自分という人間に絶対の自信があるであろうか。いや、つまり自分が立派だとか秀でているとか美人だとか言う意味での自信じゃない。ではなくて、自分は絶対に間違ったことをしでかさない、どんな状況下でも人の道を外れたことをしないし、他人を傷つけたりしない、過失は犯すにしても大それたことなど生涯、決してしない、という全幅の自信である。つまりは自分という人格をご自分で絶対に信頼しているであろうか。いやそもそも、自分という人格を隅々まで自分で把握しているだろうか。思いがけず他人の言葉で、自分はこういう人間なのだ、と気付くとか、あるいは自分でとった行動を後になって、なんでこんなことをしたのか説明が出来ない、というようなことはないだろうか。私は、はっきり言って誰も信用できないという中で実は己自信ほど信用できないものはない。
 もちろん他人様も油断ならない。これは人間不信ということを言いたいよりも、人間というものは所詮、コントロールできないものである、ということを言いたいのだったりする。
 私は、帰りがけに、駅から改札を出て表に出る間、ケータイのメールを操作しつつ、うつむいてのろのろと歩く人たちを見るたびに、あるいは信号を無視してぼんやりと歩み出す人たちを見るたびに、不安になる。何で彼ら彼女らはあんなにも無防備で世の中を信頼しているのであろうか、と。列車の中で化粧する女だの、飲み食いする若者だの、というトピックも私にとっては礼儀作法がどうのこうのじゃなく、どうしてそんなに安心しきっていられるのかが理解できない、という話である。
 そんなに他人様は信用できるものだろうか。関係のない第三者など、存在しないも同然だと近頃の人は嘯く。しかし、実際には他人様で世間は満ち満ちている。自分自身でも、通勤途上のごくごく短い時間の間に、何度も通りすがりの縁もゆかりのない人間に悪意や憎悪を感じる。足が遅い、邪魔だ、ウオークマンがうるさい、ガムをかむ音が我慢ならない、不潔な匂いだ、くだらない会話を大声でしている・・・それはもういろいろある。きっとほかのすべての人間も同じである。ただ我慢しているだけである。が、沸点の低い人も多いのだから、なにが起こるか分からないと、私などは思う。
 考えすぎなのかもしれないが、私は常住坐臥、そう意味ではどこにいても戦場のような気分で他人を恐れているような人格である。どうしてそうなったのか。さあ。とにかく小学生のとき「走れメロス」というあの太宰の作品を読んだとき、読書感想文として「ディオニュソスの、人間というものは信用できぬ、というセリフにいたく共感しました」と書いて教師を困らせた自分である。これは資質というものだろう。思うに、転校の多い子供だったからかもしれないが。
 ・・・ところで、先日に渋谷で映画を見て、その後、渋谷の老舗ロシア料理店「ロゴスキー」に立ち寄った。ジャム入りのロシアンティーを飲んで、何度か訪れた新潟ロシア村を思い出した。なかなかいいところだったのだが。もう潰れてしまったのじゃないかと思うのだが、あそこのロシアンティーはうまかった。ロゴスキーのボルシチも格別にうまい。ちょっと前に独ソ両軍の激戦の映画を見て、それからロシア料理店で、ボルガの船曳歌とかステンカ・ラージンとかおなじみのロシア民謡を聴きながら、今度はジューコフ気分で食事をするのも妙なものだったが。
 渋谷は、以前はアルバンという軍装専門店があっていろいろなものを買ったが、もう移転してしまった。あの「蝶とヒットラー」にも出てきた老舗だったのだが・・・。
 その後さらに、下北沢の模型店サニーに行った。トランペッターの128ミリ自走砲の模型など買い込んでいると、思いがけなく、同じ下北沢にドイツ軍装品店を構えるU氏にばったり出会った。同氏はコミックマーケット実行委員会のメンバーで、コスプレ関係の責任者であるうえに、そんな軍装品まで販売しているという人だが、「お、次の漫画のテーマは自走砲ですか」とすかさず言われてしまった。「まあ・・・」「今年のコミケは出ないんですか」と聞かれて「ちょっと活動を休止しています」と答えると残念そうな顔をした。コミケはともかく、あれに出てくれないと軍装品も売れないのだから、U氏としてはそれは無念であろう。去年の今頃は妻のためにドイツ海軍の水兵服、私も海軍の士官服など買い込んだものだった。その前の冬は空軍佐官の服一式、その前には妻用に親衛隊の服一式・・・そんあ具合に。
 が・・・しかし正直のところ、年齢的にもそろそろ、コスプレというのも限界だし、コミケに出店するというのもつらい。だから、復帰するということはもうないかもしれないと、思わないではない。もちろん、妻も私も戦記系の漫画創作は続けるつもりなのだが・・・。しかしコミケに集まる軍装マニアの皆さんは、軍事情報そのものか、同好の士との交流が目的と見えて、漫画作品にはあまり興味がないように見受けるのである。
 ストーリーのある、戦場なり戦争の時代を背景にした漫画、というのは余り需要がないのだろうか。いや、そんなことはないはずなんだが・・・。
 そこらは、ちょっと悩ましく思っているのである。
 別に金儲けにはならないけれど続けている詩作や散文の創作、多大の労力をかけてきたけれど面倒くさくなってしまったライヴ活動、何度もコミケに出たけれどなんとなく飽きてしまった漫画同人と、なんだか方向性について考えないといけない年恰好なのである。
 にしても、世間は狭すぎる。ほんの数分、模型店に立ち寄っただけで知人に出くわすとはな、である。なんとも人の動きは読めぬし、人間という生き物は測りがたい。


2005年7月12日(火)
「ドイツ語で話すヒトラーだあ!」ということで、ドイツ語がかなり理解できる妻は卒倒せんばかり。映画を見た後もしばらく1945年のベルリンから戻ってこれないほどの放心状態でした。・・・そう、ドイツ映画「ヒトラー最期の十二日間」(原題:untergang陥落)を、渋谷シネマライズで見てきたのであります。平日の昼の部、ということでまあ、楽勝・・・かと思ったらとんでもない! 完全満席で、立ち見まで出ました。9日から公開したばかりですが、この出足というのはスターウオーズばりであります。いくらか年配の人が多く、また男性のほうが多いように見受けました。これは時間帯にもよるのかもしれませんが。
 それで、一見しての感想は、まずもって「よくやってくれた」ということに尽きるでしょう。劇場で売っているパンフレットの裏側に各国メディアの批評があり、イスラエルポストとやらのそれは「ドイツは忌まわしい歴史を美化している」などというものでしたが、これはもうニホンに対する近隣国の対応と同じようなもの。 
 ご覧になればわかりますが、ここには美化もなければ脚色もありません。ヒトラーと第三帝国の歴史に通じている人にはまったくよく分かる、もうドキュメンタリーと言ってもいいぐらい当事者の証言に忠実な内容なのであります。とにかくこの映画に関しては、史実どおり、というしかなく、言って見ればなにを書いてもネタバレということはない。どんでん返しも奇想天外もない、いろいろな研究書に書かれている史実をきっちり再現しているというのが最大ポイントです。
 みんながおかしくなっていく中、地下壕で最後まで正気で、快活と言ってもいいほどみんなを励まし勇気付けていた、と軍需相シュペーアが書いているエヴァ・ブラウン。彼女はむしろ躁気味といってよい描かれ方で、国滅んでも、彼女の女の一徹は通った、という勝利感がにじみ出ていたりします。彼女としては、好きな男に尽くしただけのことだったのでしょうから。しかし長年、日陰の女だった彼女が人生の最後の日々で真価を発揮した、というのもまた事実で、この映画の中でも彼女の行動は救いとなって見られます。また宣伝大臣ゲッベルス夫人のマグダ、世界的に著名な女流パイロットで名誉空軍大尉であったハンナ・ライチェ(彼女がリッター・フォン・グライム空軍大将を連れて飛来する史実まで出てくるとは正直、思っていなかったので感動しました)といった総統を取り巻く女性たちは、総統を崇拝というより、ほとんど恋愛感情で見上げている(多分に死出の旅路を共にする特権をかち得たエヴァへの嫉妬もあったと推察されます)。それに引き比べて男たちのほうは思惑がらみ、欲得がらみで最後の最後になるまで権力闘争を引きずり、国家元帥ゲーリングが裏切り、SS国家長官ヒムラーが裏切り、エヴァの義弟であるSS少将ヘルマン・フェーゲラインが裏切り・・・そんなところがつぶさに出てまいります。
 そんな連中がくだらないことをやっている間にも次々に死んでいくユーゲントや国民突撃隊の壮絶な死闘、SS特別行動部隊の非道な粛清などもこれでもか、と出てきます。
 史実どおり、総統が結婚した、と聞いた途端にタガが緩んだように地下壕内で酒盛りが始まり、さらに総統死す、と伝わるとすぐに、タバコ嫌いだった総統にはばかって我慢していたタバコを、みんなこれ見よがしにすぱすぱ吸いだす、という描写もすべて、史実で言われている通りにシーンとして再現しております。
 自分の子供を次々に手にかけるマグダ・ゲッベルスは鬼気迫るものがありますが(作品中でももっとも凄惨なシーンです)この女優さん、どこかで見た顔、と思ったら、10年ほど前のドイツ映画「二人のロッテ」でお母さんを演じていた女優さんでした。今回はきつい役柄でちょっとはじめは誰だか分かりませんでした。
 総統役のブルーノ・ガンツは、まあホンモノよりいささか老けた印象・・・実際に56で死んだ本人よりかなり年上なんですが、晩年のヒトラー、特に1944年7月20日のシュタウフェンベルク事件以後のヒトラーは廃人寸前の病体だった、といろいろな史料にあるのでこれで丁度よいかもしれません。とにかく熱演というか、近しい人たちには優しい好好爺で愛想もよく魅力的と言ってよい人物なのに、一方で弱者を見捨て、血も涙もない命令を連発する狂気の独裁者としての側面を併せ持つ…そのアドルフ・ヒトラーの複雑な二面性をよく演じていました。
 まさにヒトラーとはそのような人物だった、だからその魅力的な部分に人はひかれたのだし、単なる邪悪な狂気の部分だけを注目していると人を見損なう、というのが重大なところであります。イスラエル・ポストのような批評ではいけないのであります。犬と子供と女性を大切にするおじさん。しかも史上最悪の殺人鬼でもある。これが同じ人間の中にあるのです。恐らく、ほかのどの人間の中にも。それは美化ではない。このような人格の分裂は、しかしえてして誰しもの腹中にありはしないか。
 考証面でも見所は多く、ギュンシェSS中佐が総統専属運転士ケンプカに死体を焼くためのガソリンを手配させるシーンなどでちょっと出てくるだけのようなところで、総統専用車メルセデス570Kが映っていたり(ホンモノかレプリカかは不明)、戦闘シーンでもT55改造らしきティーガーT、どうも実車を借りてきたらしいSdkfz251(ただ遠景なので初期型なのかD型か分かりませんでした)、オペル・ブリッツなどが出てきます。ただ88ミリ砲もどきで「出演」していたのは、どうやらロシア製122ミリカノン砲のようでしたが…。銃器類もMP44、MP40など目白押しであります。敵方ソ連軍もT34戦車などばっちり。パンフによると、市街戦の撮影はサンクトペテルブルクで行い、演じた独ソ両軍兵士はなんと、どちらもロシア人エキストラだったとか。それはちょっと皮肉・・・。
 最後のほうで、秘書のユンゲが、有名な「総統の最後の外出」として知られるユーゲント兵士への二級鉄十字章授与シーンで総統から特にお褒めの言葉をかけられる少年兵士と、手を取り合って戦場を離脱する・・・ようなところだけはどうも映画的な演出のようです。あの少年のモデル人物は戦後も生き延びて、インタビューも見たことがありますが、ちょっと映画での設定は違うようでした。その他、あちこちで諸説あるような事柄では、それぞれに選択がなされているようでした。ヒトラーの最後だけとっても諸説ありますし、死体を焼くところ、ゲッベルス夫妻の死に方、なども人によって微妙に証言が違います。愛犬ブロンディの薬殺はシェンク大佐がトイレに行く途中で見かける、という証言どおりのようでしたが、総統夫妻の結婚式の様子というのも、確かシェンクの証言が最も有力だったと記憶しているので、なにもかもユンゲ女史の視点と証言に負っている訳でもないようです。
 キャスティングとしては、ゲッベルス役の男優さんが弱いかな、と。似ていないのはまあ仕方ないのですが、なにしろただのかみさんに押され気味の虚弱な人、としか見えない感じ。足が不自由なはずなのに、元気に歩きすぎかも(一応、引きずる演技はしていたんですが)。ヒムラー役の人はいい感じでした。本当は痩せぎすでインテリ風だったと思う国防軍作戦部長ヨードル大将はあまりに威丈夫な役者さんで、国防軍統帥局長官カイテル元帥役の人より大きいのが奇妙。陸軍参謀総長クレーブス大将、人事局長ブルクドルフ大将(彼はロンメルに引導を渡しに行った使者として有名ですね)も影が薄い。そういえば、この手の話では必ず「君側の奸」として描かれる総統府官房長マルチン・ボルマンはけっこうまともな人物として描かれていたのも意外。これは、彼だけにナチス党内部の問題を負わせていても始まらない、という最近の視点なのかもしれません。
 一方、最後まで勇戦敢闘する不屈の総統官邸護衛指揮官モーンケSS少将や、面倒な義務を負わされて、戦死はしないものの過労から自らの命を縮めてしまう気の毒なベルリン防衛司令官ヴァイトリンク中将など、最後の最後まで冷静さを失わず、みんなが自暴自棄になる中、プロフェッショナルな軍人として、人命を少しでも守ろうと努力する人たちの姿もきちんと描かれていました。こんなあたりまで描かれている映画はこれまでにないと思います。
また、劇中で名前しか出てこず、総統からすっかり役立たず扱いされているヴェンク、シュタイナーの両将軍も、この時期にはとっくにヒトラーなど見捨て、部下と市民を少しでも多く、ソ連側ではなく西側連合軍の支配地域に逃げ込ませようとまったく次元の違う努力をしていた、というのも抑えておきたいポイント。
 ということで、史実に詳しい人には本当に「あのエピソードも、このエピソードも出てくる、信じられない」と思わせてくれる映画。が、一方で予備知識が乏しい人には、大量に出てくる人物関係が分かるのかどうか。SSと国防軍、空軍の区別などもつかない人が多かろうと思うのです。あれを見て、きちんと理解できたんだろうか。この手の歴史ものではどうしてもつきまとう部分ですね。見る側も人によってかなり事前の情報量に差があるわけですから。そのへんはちょっと感じた。あれだけ満員御礼の会場なのに、途中で退席する人もけっこう見られたのですが、ひょっとして理解できなかったのじゃないか、と危惧するのですが。そのへんはやはりスターウォーズのようにはいかないかもしれない(あれだっていろいろ人物関係は複雑ですけどね)。・・・それで、思い出しましたが、あまり有名にならなかった1973年のイギリス映画に「アドルフ・ヒトラー最後の10日間」というのがありましたね。これでヒトラーを演じたのはアレック・ギネス(!)。英語のヒトラーとしては大御所でしたけど、やはり迫力が・・・。そう、アレック・ギネスといえば今じゃ「戦場にかける橋」よりもオビワン・ケノービですけどね、エピソード4での。しかしこの旧作も、「最後の十二日間」には二日間分、及ばないということでもうお呼びじゃないかも。
 とにかく、この手の作品はディテールが大事。ぜひDVD化して欲しいですね。大画面での迫力は今日、堪能したので、今度は細かい部分を繰り返し、観察したいと思う。それぐらい作りこみのよく出来ている・・・さすがに本場の映画。とにかく戦史マニアとか、ドイツ軍マニアという人はなんにしても見てみるべきです。もちろん一般の人も必見ですが、決して分かりやすくも娯楽的でもない、そのへんはご覚悟あるべく、できることなら事前にある程度、関連書籍を読んでおかれるほうがいいと思います。
 ヒトラーもゲッベルスも、いみじくも劇中で言ってのけるのです。「弱者に同情などしない、強いものが勝つのが歴史の法則だ」と。そしてまたこうも言います。「国民に同情などしない。なぜなら我々を選び、運命を委ねたのは国民なのだから、自業自得さ」と。ここが恐らく最大のメッセージの部分です。こういうセリフを見て、現在の某合衆国大統領や、某ニホン国の首相、および郵政民営化相などを思い出さないでしょうかしら。
 ナチスの問題はちっとも古臭くなどない、と私は声を大にしていいたいのであります。彼らは実際、大変な人気者であり、正当な民主選挙によって政権をとった人たちであることを忘れるべきではないのです。
 そういうことを考える契機としても、意味のある一作であると確信するものです。いやあ、とにかく大変な作品を見ました。かなり疲れますよ。救いなんてないから。
 そう、救いのない陥落こそ、ヒトラーの思い描いた神々の黄昏。シュペーアがいくらか抗おうとした、という逸話も出てきますが、彼は世界中を墓所として心中しようとしたのであります。なんとおぞましくも壮大な怪物の悪夢だろう。
 しかも、彼は私の中にも、アナタの中にもいるのです・・・。


2005年7月11日(月)
 前にもちょっと書いたことがあるが、ヤドカリの生体を水槽や餌と一緒に梱包した「教材セット」を発売しているメーカーがある。これ、アメリカで大ヒットしたのをニホンでも玩具大手のT社がさっそくまねて、昨年にこちらも大ヒット、今年は加えて飼育用具大手のM社が参入してきて、そのへんのスーパーなどでもちらほら「夏休みの研究用」ということで見かける。このヤドカリというもの、海生の普通のヤドカリと違い、エラ呼吸なのになぜか陸生化してしまって泳げない、という変わり者のオカヤドカリというのを飼うようになっている。なんでエラ呼吸なのに陸生できるかといえば、空気中の湿気で呼吸できるのだそうだ・・・だから本来は東南アジアから、ニホンでは沖縄ぐらいで生息している生き物である。これを普通の環境で育てるのは実は決して簡単ではないわけだが、こういうメーカーさんというのはあくまで商売だから、「誰でも簡単に飼えますよ」と、それはもう安易にPRしている。それはまあそれで仕方なかろう。が、そんなわけでまるでプラモデルの部品みたいにプラスチックのケースに「梱包」されて工場から出荷されているヤドカリというのはあまりにも気の毒に見える。たかがヤドカリ、というなかれ、これは日本では天然記念物なのである。だから東南アジアのどこかから、野生のものを集めてきて、持ってきているわけだわな。ニホンジンがそうやって買ってくれるということで、あっという間に乱獲されてしまうのは目に見えている。それに、袋にぎゅーぎゅー詰めにされて運ばれるのだから、多くの固体が日本につくまでに死んでしまうだろう。あるペットショップでも、近頃人気というのでヤドカリを置くようになったが、そんな専門店でも実はこの生き物をどう扱うか分からず、海生ヤドカリとごっちゃにしているのか、水浸しの水槽に放置しているのを見たことがある。おまけにそこでヤドカリを買った際には、ご丁寧に袋の中に水をたっぷり入れてくれた・・・明らかに熱帯魚や金魚と間違っているのだろう。水は必要なんだが、水が多いと今度は溺れてしまう、という面倒なものなのである。
 で、そういう店では一匹せいぜい300円とか、その程度の値段で売っているが、サイトなど見ていると相当に暴利を貪っている業者もあるらしく、ヤドカリ御殿でも建てようという勢いのところもあるように聞く。
 それもまた商売なのだから、まあ何を言っても仕方ないのかもしれない。が、昨日、近所のスーパーに立ち寄って、たまたまヤドカリの飼育セットのコーナーを見たら、唖然としましたね。二十個ばかりも水槽が置いてあって、それぞれにヤドカリが放り込んであるけれどどれもこれも動きもしない。臆病な連中なので貝殻にすっこんでいるのが普通ではあるが、それにしても少しは動いたり逃げたりするもんだ。それがもう全然、微動もしない。怪しんで近寄ってみると・・・案の定。腐臭が鼻をつくのである。ほとんど全部、死んでいるか死にかけている。ひとつだけ、まだ元気そうなのを見いだして、仕方ないので買ってやった。それが3000円だかとんでもない値段である(近所の店なら10匹買える!)。おまけに自然の貝殻に派手な塗料でくだらない絵を描いた貝殻が付属していて、これに住み替えさせろ、などと書いてある。馬鹿じゃなかろうか、と思った。塗料でやたら重くなっている、そんなものをヤドカリが選ぶわけがない。まったくオモチャとしか発想できないらしい。そして、うちにはもう5匹もヤドカリがいるので、そんな飼育セットなどは要らないのだが、気の毒だと思ったまでだ。
 よく、愛好家のサイトなどで、店員に文句を言ったが相手にされなかった、というような記述を見かけるが、私と妻はそれは控えた。ただ、「ほとんど死んでますよ。餌も腐っています。こいつは生きているのでかわいそうだから、買います」とだけ言った。こういう小売業界の苦境というものも分かっているので、・・・つまり広いフロアーにパートやアルバイトが2,3人でやっているのは分かっている、彼らに生き物の管理とか、動物愛護の精神など説いたって駄目なんだし、彼らにも守るべきマニュアルがあり、要するに文句を言うなら本社に言うべきだし、それにしても別に違法行為でない、ということなら何を言っても聞き入れられる可能性もなく、あとはもっと問題にしたいならマスコミなり、政治家なりに問題提起するのが筋である。
 ただ、そこの店の支配人には言ってやりたいわね。少なくとも刺身売り場や鮮魚コーナーに腐った食材があったらどけるだろう。それをしないで腐乱した死体を売っているというのはいかがなものか。教材としても、生体が生きていなければ何の意味もないのだが。
 すべてはしかし、そのように教材・玩具として販売しているト○ーとか、マル○ン社(注:あの2004年度の高額納税一位・斉藤一人社長の会社とはまったく別の会社。ああ、あとモデルガンのマルシン社も違いますからね)の問題なのではある。生き物を見て貨幣価値しか見出せないのであろうから。そういう精神性で玩具メーカーとか飼料メーカーをやっていいものか、と思わないではないが。しかしなんでも綺麗事はいかん、世の中金だ、と大声でいい募るような人間が幅を利かす世の中ですからね。
 帰りに、うちの近くで地面に座り込んでいる若い女を見た。通りすがりの人がみな不審がって声をかけるが、どうも本人がほっといてくれ、というらしく次々に去っていく。私は気味が悪いので、近寄らなかった。身なりは乱れていないが、しきりに近くの鉄柱によりかかって、ふらふらしている様子だ。・・・はっきりいって薬物だろうと思った。通報するのも手だろうが、触らぬ神に・・・という時代だ。係わり合いになってろくでもないことがいくらでも想像される。実に世知辛いがそんなものだ。
 しばらく後で見ると、その女の姿はなかった。
 ヤドカリは元気にしている。女はどうなったか知らない。

2005年7月10日(日)
たまたまテレビを見ていたら、中東研究家で9・11テロ以後、有名になった大野氏が解説していたが、要はアル・カーイダというのはテロリストのネットワークであって、軍隊みたいなかちりした組織じゃない、ということだそうだ。なるほど、である。ビンラーディンとかザルカウィとか、ああいう有名な人がメッセージとして「欧州でもやる」「ニホンだって例外じゃない」などと流す、それに反応して誰かがテロを実行すると、ビンラーディンとしてはこれにお墨付きを与えて「公認する」・・・ザルカウィだってそもそも、そうやってイラクでのアル・カーイダ組織としてビンラディンから追認されたのだった。で、実行犯にはビンラディンから報奨金が出る、ということなのだそうだ。つまり、よくネットの掲示板などで殺人依頼を書き込む、という話があるが、ああいうものであって、実行犯は事前にはつかめない、ということですね。操作当局としては、やられてしまってから、しかなにも出来ないということです。そして、だからニホンも危ないんだよ、ということであります。つまり現地固有のテロリストもにわかアル・カーイダとして追認されればいいわけです。だからいかにも中東系の風貌でイスラム教徒であるような実行犯ばかり想像していてはいけないということ。日本にも左翼系の固有のテロリスト、オウムのような団体などはあるし、近頃は個人によるいかれた事件も多々ある。いってみれば、あの池田小学校の詫間死刑囚が、メッセージとして「アル・カーイダに連帯してやったテロだ」といえば、その瞬間からあの個人的な大量殺人もイスラム聖戦の美名を追認されるかもしれない、ということです。極端なことを言えば、ずべての電車の運転士、飛行機のパイロットなども、重大な事故を引き起こす前にそんな遺書でも残しておけば、イスラム聖戦士の資格をビンラディンからもらえるかもしれない、ということでもあります。
 現に、ロンドンの爆弾というのは、これまでのどっちかというと兵器体系としては粗雑なもの、時代遅れなもの、旧ロシア軍流れといった印象の強かったアル・カーイダ系テロと違って非常に高性能なもので、あえていってイギリスの固有のテロリスト、IRAなどが使うものに似ているといいますから、なんらかの共闘、少なくとも武器や情報の提供ぐらいのことはある可能性が大きく、後で追認するだけでいい、これは選挙が終わってから無所属で当選した議員を追認するどこかの政党みたいなもので、あっという間に勢力が見かけ上拡大するけれど、要は世界中で反体制運動を煽る、ということであります。
 ニホンでこれまで起きていないほうが不思議なのかもしれないですな。誰か国会議事堂を吹き飛ばしてやろう、と思えばすぐに追認されるわけなんですが。
 で、テロというものに文学的な美名、反体制のかっこよさを嗅ぎつける馬鹿な人は必ずいるから、こういう煽りに乗る者は出てくるかもしれない、とその番組でテリー伊藤とか黒鉄ヒロシが言っていたけれど、まことにその通り、と思う。詩人でも「にっこり笑ったテロリスト」なんて名乗っていたジジイがいました(苦笑)。火炎瓶とかゲバ棒の時代のイメージでそんなことを言っていたのかもしれないが、よくご存じない方は驚くかもしれないが、詩誌のたぐいを見てみると、アメリカや自民党の権力はけしからない、テロリストはかっこいい、という類のメンタリティーを平気で書いてしまうジジイ詩人なんてけっこう多いのであります。あきれてしまいますが。
 アメリカや自民党がけしからないのはそのとおりだと思うが、それで自分が吹き飛ばされて我慢しろ、といわれても納得できようか。
 ま、なんの力もない詩人なんて人種の言うことなどどうでもいいのだけど、しかしなにか無責任な、60年代式の子供が親に甘えるような感覚で馬鹿なことを書いている年寄りにはいらいらさせられるのも事実である。


2005年7月08日(金)
モルトケが死んだ。といって、なんのことだろうと思われるだろうが、うちにいるたくさんの金魚・熱帯魚の中でも古参の一匹の名前である。いうまでもなくプロシア参謀本部の大立者、ヘルムート・フォン・モルトケ元帥の名前をとったのだが、どうもそんな勇ましい命名をしたものの、実際はメスであったようだ。小柄な琉金で、赤と白のコントラストが奇麗な、なかなか愛嬌者だった。最期はマツカサビョウという・・・金魚業界では有名な病名だが、実際の所、病因不明の難病であったらしく、どういう手を尽くそうにも、本当のところ治し方というものもなく、そうやって生き物が苦しむのを見ているしかないのは、つらいことであった。妻はこの魚がいたくお気に入りで、ここ10日ほどは好きな漫画も描かないで、つきっきりで看病までしたのだけれど、まさに薬石功なく、となった。が、本人なりに手厚く保護されて、幸せな生涯であっただろうと思うのである。
 ほかにも、暑くなってくると落命するものが出てくる。こういうものは夏が難しいというが、本当である。
 ところで、ロンドンである。まさかパリの人たちが腹いせにやったのではあるまいが、それにしても五輪招致成功で沸き立っているところにおもいっきり冷や水を浴びせ、サミットメンバーに顔色なからしめるあたり、やはりプロの技である。褒めているわけではない。わけではないが、感心するのは事実である。テロリストとしては、みんなが安心して忘れた頃に、まあ1年おきとか2年おきぐらいにやらかせばいいのである。守る側はそれで二十四時間、緊張していることを強いられる。日本の方は、どうみても自民党政権というものがかなり末期的だから、ここでテロなどやる手間はかけないだろうが。もっとも安心は出来ない。すぐに騒ぎすぐに悲観的になり、という国民性はあきらかにテロに弱い。実はアメリカ人だってそうである。
 感心といえば、英国人は確かに騒いでいない。取り乱してもいない。さすがではある。ウブなアメリカ人とは違う。「本国が攻撃された」といってヒステリックに泣き叫んだあの様は悪いが相当にみっともなく、アメリカという国の格を下げた。戦争慣れという意味ではイギリス人は強いですなあ。ドイツ軍の空襲下でも黙々と日常生活を守り続けたあの国である。今回も見ていて、ぜんぜん反応が違う。
 関係ない話を一つ。青森の某村で恒例の浮世絵水田というのを公開している。それはまあいい。その田んぼを見下ろせる町役場の建物があきらかに天守閣である。なんでも愛知県の清洲城の模擬天守をまねてつくったもので、20億円かけて作ったものだという。この村の人口は9000人ぐらいだという。地元の人には悪いのだが、いささか腹立たしいと思う。観光名所にはなったのだろうが、こういうことの積み重ねが…だって、その金はどこから出てきたのか?
 国の借金といって、要するにこんなことの累積なのだけれど。

2005年7月07日(木)
七夕である。今のところ天気は悪くないが雲量は多い。
 コーエーの旧作ゲーム「ジルオール」(1999年)のリメイク「ジルオール・インフィニット」をやってみた。絵が綺麗になった以外、ほとんど変わるところはない。基本のストーリーのよさが改めて印象的である。が、このゲームは平和な時代から徐々に世界戦争に入っていく、という設定なのだが、主人公の動きによってその動乱状態に入るのが早くも遅くもなる。が、以前はある程度の時期になると、強制的に動乱期に入ると思われたが、今回は偶然にして、主人公がある道を通らない限り、特定のイベントが起きず、進展がないことを発見。こうして二年近く平和が続く間に、主人公はレベル60、普通なら終ボスとの戦いをするころの強さに成長してしまった。しかもゲームの中ではまだ序盤扱いなのである。あまりのことに笑える。「これは強敵だ」なんて敵が赤子の手をひねるようである。しかしこれはちょっとしたバグじゃないだろうか。
 「米大手格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は6日、明治安田生命保険の保険財務力格付けについて、引き下げも視野に見直しを始めたと発表した。現在は上から7番目の「Aマイナス」・・・」(時事)という記事を見た。困ったなあ、と思うのである。というのも私の父親は旧安田生命のOBである。退職金を年金で受け取っている身である。しっかりしてもらわないと困るのだが・・・なにが困ったといって、要するに皆さんご存知のようにあの会社は旧明治生命と、旧安田生命が合併してできたものである。安田生命というのは派手さはないが、バブルの頃にも不動産や投資に手を出さず、おかげでそれ以後も財務状況はかなりよかった、という社風の会社だった。だから目立つこともないが、余り問題もなくずっときた。で、一連の企業合併の波に乗ってやはり財務状況は優良だった明治生命とくっついた。ために、格付けA−と、今時の保険会社としてよい体質であった。しかしである。今回の告知義務を逆手に取った悪質な保険勧誘・不払いというのは明治生命の得意技であったようである。もちろん保険会社というのはどこであっても、勧誘するときには甘くて、払うときには渋い、というのは当然であるが、ここの会社はそれをひとつの手といて悪用していたのだから、実際のところ詐欺に近い。困った、というのはこれでM自動車のように大打撃を受ければ、旧安田としては踏んだり蹴ったり、あんな明治などとくっつかなければよかった、という話になりかねない。
 それとも夫婦のように離婚できるもんなのだろうか企業って。
 財務状況だけでくっついたのだが、しかし聞くところではかなり旧明治のえげつなさ、というのが目に余って、旧安田系の人らは辟易していた、という話も聞くのである。私は直接の関係者じゃないけれど、父のからみで当然、あの会社の保険商品にも入っている・・・もちろんすべて旧安田系の商品ばかりだが、それに、やはり大学まで行かせていただいたのはやはり旧安田生命から父がいただいた給料のお陰であって、子供としても思いいれはある。父親の現役時代を思い返せば、非常に厳しい仕事だったように見受けた。一日十五、六時間労働は当たり前、という感じであった。そして、その会社の命令で私自身も各地を転転として、転校経験を繰り返した。そんなことで愛憎半ばしつつも、旧安田の行く末というのは一方ならず気になるし、しっかりしていてくれないと困る、と思っているのであるが。
 とにかく財務とか資本増強とか言う論理だけで合併するとこういうこともありまっせ、という見本でもある。結婚だってそうですな。財産とかブランドだけで結婚してもそううまくいくものでもない。
 イヤ本当に、これについては苦い気持ちで一杯なのであるが。
 時に・・・郵政法案のぎりぎり衆院通過をうけて、参院で否決、となれば小泉辞任、総選挙もあり得る・・・なんて話も出てきている。一説では「8月15日に靖国参拝して、ただちに電撃辞任」なんて観測もあるのだけど。そりゃ困る。早く夏休みを取ってしまおう。うちの会社など、夏休みが吹き飛んでしまう。
 これに加えて、ほかにも困った話というのがあって・・・よそう。それについてはまた語ることもあろう。とにかく、困ったちゃんな話題が多いのである。自分に間接的にかかわりのある話は、なんにせよ困るのである。

2005年7月06日(水)
自分もこうしてやっていてなんだが、つくづく掲示板とかブログというのは、間違った情報や思い込みが多くて困ってしまうと思う。私はマスコミにいるわけですが、どこの会社でも少しでも間違いをなくそうと懸命になっているのに、どうしても「お詫び」や「訂正」はなくならない。専門の記者があれこれ取材し、専門家に話を聞き、それを編集部門で何人も目を通し・・・ということをしても、単純な人名ミスや事実誤認(たとえば○年ぶり○回目の・・・とか、○年連続で・・・とかいう記述は間違いが多い。にんげんはどんなことでも2、3年もすれば記憶があいまいになるものだ)は毎日のように繰り返される。ライブドアの堀江さんが、マスコミなど無用、テキトーにそのへんの文章の上手いブロッガーを記者に採用して、テキトーな記事を書かせ、後は読み手の「市場論理」に任せればいい、というような暢気なことを盛んに言って反発を買ったのは、すなわちどれほどこのような「情報」に誤りが多いか、ということをあの手のIT信奉者がご存じないか知っていても無視していることに大きな原因があるんだと思う。実際のところ、ライブドアの「記者」なる人の文章を見るとだらだら長いわ、取材源はネットだったりするわ、感情やら憶測が入っているやら、とてもじゃないが記事と呼べるようなものじゃない、やはり個人のブログの記述というレベル止まりである。これは、そのような記事が文章としてつまらないと言っているのではない、実のところそういうもののほうが無味乾燥な新聞記事よりずっと面白いのだが、誤りも多い、ということである。
 しょせん、ネットを通じて垂れ流される「井戸端会議」に過ぎない。かくいう私もこのようにして垂れ流している人間の一翼を担っておいてなんだが、私は「井戸端会議」には参加しない人間ではある。
 そういえば、である。先日の「宇宙戦争」は、前にこのコーナーに書いたように、まあ結論から言ってちょっと肩透かしと自分には思われたので、口直しに9日から始まる「スター・ウオーズ」・・・ではない(いや、あれも少ししてから見るつもりですけど)、渋谷シネマライズから公開が始まる話題の(特に軍事マニアの間で)「ヒトラー最期の十二日間」・・・原題は「陥落」といって、昨年ドイツで大ヒットした映画である、これがようやく日本上陸ということで、もちろん私も久々にわくわくしてこれを見に行く予定である。あああ、ドイツ語でしゃべるドイツ語のアドルフ・ヒトラー(!)。声が上ずってしまうやんけ。もちろん彼を賛美しているのではない、だが、世間はあまりに無知だ。ヒトラーとその政権がどういう性質のものだったかをもっとよく知るべきである。特に現代のようにイメージ戦略に引きずられる時代のにんげんは。小泉フィーバーなんてものをよく思い出してみるがいい。そして、その政権がやってくれたあれこれを思ってみるがいい。あれが一種の「ミニナチス」だったことは間違いないのだ。首相は知能が低いヒトラーであり、竹中はコデブでスケールの小さいゲッベルスである。
 が、この映画の公式サイトにはなぜかブログの記述やBBsがついていて、それはそれで今時流のおもねりかもしれぬし、宣伝費の少ない映画ならではの手法かもしれないしそれはそれでいいが、こんな書き込みを見て仰天した。
「手塚治虫が描いた「アドルフに告ぐ」で、ヒトラーにユダヤの血が流れていた・・、物語りはそんな驚きの最終局面を迎えます。つい先日、ヒトラーにユダヤの血が流れていた事実が明らかになりました。僕は何より、手塚治虫の推測に驚きました。ヒトラーは貧しい家庭出身で、正義感のある優しい気持ちを持った青年だったと言われています。そのヒトラーがユダヤ人虐殺にあそこまで固執した理由はいったいなんだったのか・・。いずれにせよ、この映画は必見です」だって。これを書いた人はおそらく中学生か高校生か、そんなものだろうが、恐るべき無知の塊なのに驚く。こんなものでもいっぱしの記述として流通するからネットというのは恐ろしいものである。
 知っている人にはつまらない話だが、一応、この書き込みの駄目なところを念のために書いておけば、@ヒトラーユダヤ人説は総統の生前からしきりに流れており、ヒムラーやハイドリヒのような親衛隊の連中はその証拠集めを血眼になってやっていた(もちろん総統を守るためではない、ゆすって自己保身するためである。つまりナチス党の中でもこんな話題は単なるゆすりのネタに過ぎず実は大してどうでもいいことだった)Aヒトラー本人も、自分の父アロイスが、祖母マリア・アンナ・シックルグルバーとユダヤ人の素封家フランケンベルガーの間の私生児なのではないか、という可能性を知っていた(だからといって、自分の政権基盤はゆるぎないのだし、そんな話があの劇画のように公表されたって痛くも痒くもなかっただろう)B今日の研究では、ある年代までヒトラーの先祖のいた地域にユダヤ人は入っておらず、したがって本人たちが恐れていたような事実はなく、ヒトラーにユダヤ人の血は流れていないだろう、というのが定説であるCヒトラーは税関所長の子供であり、父親は早期退職して年金暮らししても有り余るほど豊かだった。つまり当時としては裕福な生活を享受していた。ウィーンでその日グラシをしていたのは事実だが、それはむしろ贅沢な人間のわがままというようなものだったD正義感のある優しい心の持ち主だった・・・これは最後までそうであった。かれにとって正義とはユダヤ資本とブルジョアリズム、およびユダヤ人とボリシェビズムのいずれの結託も許しがたい悪で、これを排除するのは「正義」であった。つまり人間にとって正義なんてものは十人十色である、当たり前じゃないかそんなこと・・・というのが目下の正解であろう。別に手塚治虫は独創であの話を作ったのではない。むしろ研究家の間では良く知られた話題を劇画化したのである。ついでにいえば、あの「アドルフに告ぐ」は歴史的・軍事的考証をすれば間違いだらけであることは今や常識である。それはあの劇画が名作であることと矛盾しないし、時代を考えれば・・・日本でも第二次大戦に関して非常にオープンな雰囲気になったのはおおむね90年代後半であることを考えれば、当時の手に入る情報はあんなものだったのだろう、とむしろ同情したくなる。
 ニホンに案外にドイツ軍マニアが多いのは何故か。それも私のような30代、40代にかなり多いと思うのだが、それはひとつにはタミヤのプラモデルの成功である。だが、タミヤのドイツ軍戦車の模型が流行ったのは何故だったか。それは・・・思い返せば1980年代ごろまで、太平洋戦争というのはまだまだタブーであった。日本軍というものをむやみに持ち出すべき雰囲気ではなかったのである。これはより若い人には分かるまいが、たとえば私の中学の校長は元陸軍二等兵であった。まだまだ経験者が現役だったのである。だからおもちゃにして遊ぶ対象ではなかった。このへんが解禁されるのはイフ戦記が流行り出して、かりそめにも「ニホンが戦争に勝っていたら」という話題が商業出版してもよくなった90年代からである。それまでは宇宙戦艦ヤマトや機動戦士ガンダムのような第二次大戦のメタファーでさえ一部で白眼視されたものだ。それほど社会党的メンタリティーがほんのちょっと前まで強かったことをみんなもう忘れているであろうよ。そこで、ニホンと同盟国で日本軍よりどう見てもカッコよく、そしてナチスといってもニホンにはユダヤ人がたくさんいるわけでもなく、要するに70年代、80年代には日本軍を取り上げるよりはドイツ軍のほうが無難だったのである、実は。
 今では、かえってどうしたものか、ナチスは悪い人、というきわめて単純なイメージのほかなにも知らないで目をそむけている人が多い。それはかえって危険なんだよだから。
 ああいう全体主義の時代に似た様相、というものを読み取れないから、あのような末期的な政権を日本国民は支持してしまったのである。今こそ、ニホンジンはホンモノの独裁者というものをきちんと学んだほうが宜しい。天皇のいます国柄で、ニホンジンはそのへんの感度が実は鈍いのである。
 ・・・にしても、ブログや掲示板の内容は嘘が多い。気をつけないといけないですな。もちろん、ここに書いてあることも大いに眉唾で読んでいただきたい(笑)。

2005年7月05日(火)
小泉嫌いの人には申し訳ないが、郵政民営化法案の採決が終わるまでずっと職場で待っていたのである。もし覆れば号外、しかし通れば何もしない、ということだった。
 で、ご存じの通りである。はっきり言って、わずか5票差、ひっくり返れば面白かったと思う反面、仕事柄、夏休みの時期に総選挙など真っ平である。だから、あくまでも自分の都合として、波風がなくてよかった、という話になる。
 が、しかし。あれで波風がなかった、というわけにはいくまい。いつもああいう票決の時には、画面を見ていれば大体、白票と緑票のどっちが多いかわかるのに、今回ばかりは事務局長が読み上げるまで分からないぐらい互角だった。本当にちょっとした加減でひっくり返った可能性はあるから、これでよかったよかった、なんてことにはなるまい。自民党の空中分解のはじまり、となるかもしれないですな。そうなると、小泉さんが「徳川慶喜」という説も大いにあり得る話に思われてくる。
 で、どうなのよ。小泉内閣というのはこれだけのことだったのか。後は、裁判員制度にサラリーマン増税に、レジ袋の有料化に、クールビズに、反日暴動に、こじれまくった北朝鮮に、アメリカの属領化に、サマワで無駄に土木工事をしている自衛隊に・・・そんなものか。あとは名前だけ変わったけど道路など造り放題の道路関係に・・・イヤ、本当に。なんであの政権を維持して自民党というか、公明党の政権をここまで引き延ばしたのであろうか日本国民は。
 何も出来なかった、という採点でよいのではないだろうか。そろそろ彼の政権も、総括されるべき時期であり、いかに恫喝の名人・小泉といえどもレイムダックと化していくことは免れまい。
 ・・・そうか。まだ8月15日問題があるな、あいつの場合。いっそ靖国神社に行き、そこで安重根みたいな人に暗殺されてみてはどうか。それはいいよなかなか。中韓の人々もアホな示威行動してないで、小泉を殺しに来なさい。日本国民はむしろそんなに怒らないと思うぜ。「日本じゃなく、小泉個人が問題なんだ」という話になってくれたほうが面倒が少ないですからね。
 あの首相も、浜口雄幸を気取っているのだから、彼と、竹中さんはむしろ男を上げるために暗殺されるべきだ。そうすれば歴史に残れる。死後の人気も上がる。自民党すら救えるかも知れない。竹さんも後でアメリカの大学なんかに就職すると何と言われるやら、である。あいつと、石弘光のお馬鹿さん師弟は暗殺されるがいいと思う。
       ◇             ◇              ◇
 【ロンドン共同】世界的ベストセラー小説「ハリー・ポッター」シリーズを“発掘”したのは、同シリーズを出版する英ブルームズベリー社のニュートン社長の当時8歳の娘の熱意だった。同氏が5日までに英紙とのインタビューで明らかにした。シリーズ第1作「ハリー・ポッターと賢者の石」の原稿は、同社に持ち込まれる前に、他のほとんどの出版社から門前払いを受けていたという・・・というのを読んだ。物書きをしている人、および物書き志向で努力している人はみんな思うであろう。「プロの編集者ほど見る目のない連中はいない」。その通りである。業界の動向、マーケットリサーチの結果などに振り回されて、目の前にある原稿そのもののおもしろさが分からない。しょせん、しかしどの職場にいても「プロ」の目は必ずしも正しくない、というのは確かなことである。
 ・・・といいつつ、裁判員はゴメンですがね、あれも言ってみれば素人の目を入れるわけだろうけど。10年もかかる裁判の裁判員になったらどうなるんだろうか?


2005年7月04日(月)
オタクとキャリア女性の恋模様を描いたMIXIの日記の書籍化「59番目のプロポーズ−愛戦士編」とかいうものがあるらしい。MIXIというのは会員制のサイト・・・まあ昔のパソコン愛好者のつどいの場だった時季のニフティのような雰囲気のものである。らしい、というのはまるきり興味がなかったからだが、今日、新聞記事で見かけて、それから少し調べてみて、まああの「電車男」の後発、というイメージも手伝って(ぜんぜん違うわけだが、こちらは掲示板ではなく、一人の女性の日記なのだから、あきらかにこの人の文才が一流だったということである)それなりに評判になっているようである。
 なんでガンダムのような副題がついているのかといえば・・・。
 要するに広告代理店の営業から独立してコンサルタントになっているキャリアの女性がいて、この人が今まで58人ぐらいの男に言い寄られた、それは実業家とかミュージシャンとか、そういう連中であった、と。そういうわけで一般論としてはもてたのだが、三十歳になるまで彼女はご縁がなかったという。それが、ある日バーで彼女の携帯が鳴り、「間違いない、メールだな」と言ったときに、「アムロか?」(それは機動戦士ガンダムの主人公・アムロの台詞のつもりか、ということ)と声をかけた男がいた・・・のだという。で、そのもてない系の男に、今まではいかにもいわゆるいい男にタイして、市場リサーチ的にいい女を演じていた彼女が、ごく自然に心を開いていった経緯、さらに徐々にセックス描写にいたるまで・・・というのを昨年の12月からMIXIの日記にずっと掲載していた、のだという。初めは本当に単なる日記だった。それが、なんでも読者が十万人単位になって出版化という話になったそうだが、そのころには著者もかなりサービスを考えた内容になっていっただろうことは想像に難くない。もともとものを売り込む仕事の女性であるから、途中からはかなり計算尽くなのではないか、とも思われる。
 が、ここで気が付くのだが、この女性はもてる、とはいっても実は典型的な「負け犬おんな」パターンであった。容姿端麗、学力優秀、一流企業から独立・・・なんて女は実のところ、売れ残りが多いのは実感する人が多かろう。男の人もそうである。で、これはその本の中でも核心的なテーマらしいのだが、要するにいい女とはこういうもの、これが勝ち組よ、というパターンに自分をあてはめて演技をしているだけなのである。だからすぐにうまくいかなくなる。二十四時間演技など出来ぬ相談である。30から40ぐらいのバブル期後のキャリア女性には実にそういう人が多い。
 そして、電車男の場合もそうだったらしいのだが、この女性も実は自分自身が「ガンダムオタク」であって、つまりそういう趣味が合う人が今までいなかった、という意味では実はオタクと普通の女性の恋愛、ではなくオタク同士の恋愛、ということである。ただそういうことを彼女は隠していたわけですね。そして、言い寄る男たちが「趣味はゴルフです」とか「一緒にテニスに行きましょう」「週末はクルージングなど・・・」というのに適当に合わせつつ、実はイヤであった、うんざりしていた、ということである。
 不思議なものだが、どうして男女に限らず、とりあえず自分はアウトドアで健康的で漫画やアニメ、ゲームには興味がない、という態度を示さないといけない、と思っているのか。そこがそもそも疑問である。
 おそらく、コミケ恋愛などをよく見ている人には、なんでこの女性が30になるまで、くだらない「いい女偽装」をしていたのか理解できまい。しかし、自称キャリア女とオタクなど心性的にはもっとも相性がいいと考えて良い。どちらも自信がない人たちなのである。
 うちなどは徹底的なインドアのオタク夫婦そのものであるが、初めから誰にタイしてもそういう態度を鮮明にしていたお互いだったため、心の変化などあり得ず、よって59番目のプロポーズみたいなお話も私は書けないのであった。ついでにいえばMIXIも一週間であきてしまってもはや幽霊会員である。
 にしても。自分で58人も金持ちやいい男に言い寄られました、とぬけぬけと書く、さらに公刊するのだから、このアルテイシアという著者、実は曲者と思う。普通の人、などでは到底なくて、むしろ「58番」との出合がどうのこうのというより、要はこの年になってやっとカミングアウトできた、さぞかしお勉強と仕事ばかりしてきたのだなあ、とそういう意味では変な人だとと思う。
 

2005年7月02日(土)
スピルバーグ監督とトム・クルーズの話題の大作映画「宇宙戦争」(The War of the world)を見てきた。なんでも1日は「映画の日」だったとかで、一日中料金が安かったようだが、余りそんなことは意識しないもので知らなかった。
 さてそれで、問題の映画のほうだが・・・どうであろう。とにかく1953年の「宇宙戦争」の演出にあまりにもよく似ている、というか思ったよりもずっと旧作のテイストを引きずっているのが意外だったといえる。なによりも異星人の造形やメカデザインが似ているのである。細かいことに言及するとバレバレなので控えるが、旧作とよく似ている点は非常に多い。
 H・G・ウエルズが原作を発表したのは1898年だという。驚くなかれ、日露戦争より前である。これはあらゆるエイリアンの地球侵略ものの元祖である。当時のウエルズの底意には、ドイツ帝国と英国の迫りつつある戦争の影があった。十数年後の世界大戦の予見でもあったわけだ。
 で、1953年の映画化にあたっては、当時としての「現代的な感覚」を打ち出していた。ちなみに、これに出てくる米軍戦車は後で見直したところ、M4シャーマンのホンモノであった。それほどこの映画は、戦争映画と言ってよいほど軍事的描写も多い。戦火に追われる市民の描き方も、明らかに「第二次大戦の経験を踏まえて」というものだった。
 それから時日がたち、1990年代に入って現代版リメイクが二つ作られる。「インデペンデンス・デイ」と「マーズ・アタック!」だ。前者は強いアメリカが世界を救ってしまう、という筋立てと、ウイルスならぬコンピューターウイルスで勝ってしまう、というのがひとつの現代化であり、後者は基本的にはきちんと旧作をなぞりつつ徹底的にブラックユーモアにしてしまう、という意味で現代的であった。いずれにしても90年代後半のアメリカの余裕が生んだ二作と思えた。
 では今回のスピルバーグの映画化はなんなのか。今回、アップデイトされた部分とは、ずばりいって「テロ以後のアメリカ」の感覚となる。敵の容赦のなさ、意図の分からなさ、圧倒的な無力感・・・そして救いのなさ。これまでの作品にない大きな要素は「家族愛の復権」というものだが、トム・クルーズふんする男は出来の悪い父親の典型である。しかも離婚しており、元妻は再婚相手と幸せになっている。最後のシーンになっても、この男は自分の居場所のなさをかみしめることになる。家族の絆・・・そういったところで、それで救いとなるのではない描き方だ。また、53年の映画では、最後の最後に人々は教会に集まって神に祈りつつ最期の覚悟を決める。今回は、敵の侵略で真っ先に教会がぶっ壊されてしまうのだが、これは一種のパロディーなのだと思った。
 旧作でヒーローとヒロインを演じた二人が、近作でもカメオ出演しているという。実際にスピルバーグは相当にこの53年版を意識して作ったのだと言える。
 原題は直訳すれば世界戦争である。53年の映画はまさにそのように侵略軍と地球人類の軍隊の戦いが扱われるが、近作においてはM1戦車などが出てくるけれど、あくまでもトム・クルーズのごく平凡人の目から見た巨大な戦いの一局面である。
 それゆえに凄惨なシーンも多い。そして驚くべき光景を次々に見せ付けられる。血も涙もないエイリアンの描き方はこれまでのどの作品より念がいっている(いや、ひょっとしたらマーズ・アタック!のほうが上かな)。それが狙いなのだと思う。
 しかし、なんか今度は戦争の全貌がよく分からない、という印象を受ける。ちょっと分からなさ過ぎるのである。
 エイリアンは今回、火星人とは呼ばれていない。さすがに今時、火星というわけにはいかないだろう(平気で押し通してしまったマーズ・アタック!はやはりすごいのか)。そして最後の落ちもこれまでの諸作どおり、と申し上げておく。そのほか、特に53年版を見た人には驚くほど、細部で共通点があるのだが・・・。
 結論めいたことを言うと、映画トータルとしては53年版のほうが上かもしれない、と正直に言って思うのだがどうであろうか。911テロ後のアメリカの苦悩、がにじみ出ていることはよく分かったのだが・・・・・なにかいまひとつ、全体としてのメッセージが。
 2時間20分の間息をつかさぬど迫力の映画だったことは間違いなく、見て損はないと思うのだが。スピルバーグの仕事の中でもこれは得意の「パニックもの」といってよく、その意味では見事なパニック映画なのではあるが。
 やはり、救いなきテロ後の心情、というのが最大テーマなのか。それはそれとして分かったけれど。それともアメリカ人には痛いほど染みるのだろうか。

2005年7月01日(金)
そして7月かあ・・・。今年も半分終わりであるな(去年もそんなことを書いていたが、こういう慨嘆をしきりに言うのは年寄りである)。
 ところで「十三歳未満の子供に言い掛かりをつけたり付きまとったりする行為や、児童ポルノの所持などを禁じる奈良県の「子どもを犯罪の被害から守る条例」が三十日、県議会で賛成多数で可決され、成立した」(産経新聞)そうである。これは「こうした行為の禁止を規定する都道府県条例は全国初という。罰則は三十万円以下の罰金か拘留、科料。児童ポルノ所持の禁止をめぐっては「所持は性犯罪そのものではない」との指摘もあるが、県は「児童ポルノは犯罪行為の記録。抑止の観点からも規制したい」と説明している。施行は七月一日で、罰則規定のみ十月一日」ということだそうで、例の小林薫容疑者の事件が発端となったらしい。
 それで思うのだが、コミックマーケットである。ああいう同人漫画の発表会では、はっきりいって明らかに問題だ、というものがどんどん目に入ってくるのだが、私的なものであって、商業じゃないのだから、まあ・・・というような論理でここまで来たように思う。で、ああいう文化的な者については規制はないほどよくて、性的いかがわしさがなくなってしまったら、漫画に限らずにんげんの創造行為などほとんどできないであろう、という前提は当然ながら感じるのだが、しかしそれにしても「なんじゃこりゃ」という、表現としてどうのこうのというレベルじゃなくて、本当にどこかおかしいのじゃないか、という「作品」少なからず、である。
 そういう同人誌を買って、奈良県に立ち入ったが最後、取り締まられるのではなかろうか。
 それについてどう思うか、などというのはもはや私にはどうでもよいこと。はっきり言ってコミケというものにも、かなり「飽きた」。もうあまりかかわる気もないのでどうでもよろしいのだが、奈良県からコミケに来ているような人はお気を付けになるように。拘留もあるのだそうだよ。施行が7月なのに罰則の施行は10月、というのもなにか感じるものがあるではないか。
 8月の夏コミまでは、摘発しても罰則はかけない、しかしその後はやりますよ、ということじゃあるまいか。この手のものを取り締まろうというのだから、先方の条例を作る人々も、小林被告の持っていたような「有害図書」や「有害ゲーム」の実態について、かなり勉強したに相違ない。
 ・・・それで思うに、先日、一度廃刊になってから復刊した「薔薇族」というのを好奇心から買ってみた。はっきり言って・・・うーん、あまり文芸的な匂いはない。あれだけ老舗の商業誌でそうそうたる人々が応援した雑誌というので期待したのだが・・・まあ正直、学力低下というか、コミケのレベルと同等というか・・・・・。あんなもんなのか。
 分からない。結局、エロというもの、今時の人はきわめて矮小なとらえ方しかできない。対象が女性であるか男性であるか、というだけのことで、じつに・・・・・次元が低い。かえって投書しているマニアックな高齢の「その道」の人たちが面白いようであるが。
 難しい時代である。なんでも単純でないといけないのであるなあ。

2005年6月30日(木)
昨日辺りから「独立行政法人・情報通信研究機構(東京)がまとめた2004年のインターネットの利用実態調査で、ネットの1人当たりの1日平均利用時間が37分(前年32分)となり、31分の新聞を読む時間(同33分)を初めて上回ったことが29日分かった。テレビの視聴は3時間31分と新聞、ネットを引き離しているが、若者層ではネットも健闘。ブロードバンド通信の普及でネットメディアの存在感が確実に増加」(共同)という話が出回っているが当たり前のことじゃないだろうか。新聞、というか紙メディアのいいところは「時間がかからない」ことである。なんとなく見出しをちらちら眺めて、興味のあることはちょっと真面目に読む。そういうものだから、よほど暇な場合はともかく、普通はなにかのついで、暇つぶしに5分とか10分とか読むべきものである、そもそも。
 そこに行くとネットというのはまるで違う。誰でも感じることだろうが、とにかくよけいな時間、無駄な時間がかかる。関係ないところにすぐにリンクして行ってしまうし、つながるまでにいちいち時間がかかるしそういう意味では、なにか決まったことを検索したい、ぜひこのことを調べたい、というときにはものすごく時間の節約になるけれど、単に広く浅く情報を取ろうとすると、案外に不効率である。一般のニュース、という点で見れば、実際には各ポータルサイトの主要ニュースのコーナーは通信社や新聞社の記事のダイジェストである。とにかく、私のように紙のメディアの会社にいる人間でも、新聞を読む時間なんて一日にせいぜい30分あるかないかだが、ネットを見ている時間はどう考えても1時間やそこらは間違いなくある。
 ネット、というかコンピューターの特性はとにかく検索能力である。だからぜひこのことを知りたい、という欲求には最高にいい反応をしてくれる。以前なら分からないままだったことが、熟達した検索能力のある人なら、それこそ世界中のサイトを漁って正解にたどりついてしまう。前なら考えられなかった、北海道や沖縄の小売店から直接ものを買う、なんてことも今ではなんでもないことである。が、重要か重要でないか、正しいか間違っているかという編集能力が使い手にないと、結局、訳が分からなくなってしまう。それに、なんとなく、漠然といろいろなものが見たい、というのにはやはり適さない。本にしろDVDにしろ自分が全く知らないものを見て回るには、大きな店舗に実物が実際に並んでいるところにかなうものではない。
 


2005年6月29日(水)
 今日からスピルバーグの「宇宙戦争」が上映されているようだ・・・宇宙戦争といえばなんといってもH・G・ウエルズである。「火星人の侵略を描いたH・G・ウェルズの原作を、「地球最後の日」(51)のジョージ・パルが映画化した50年代SF映画の名作。突如飛来した隕石の中から出現する奇怪な円盤群。それは、圧倒的火力で街を焼き払い、軍隊をも壊滅させていった。最後の手段と思われた原爆でも駆逐できず、世界各地で破壊が続く。遂に人類に打つ手は無くなった……」という、これは1953年版の映画化の解説から引用したが、とにかく宇宙人の侵略物というSFの定番の一つを、まさかこの時期になって元祖であるこの原作でもって、再映画化するとはスピルバーグの発想も驚きものである。もともとのウエルズの原作はイギリスに最初の宇宙船が飛来するようだが、今回は時代は現代、アメリカの片田舎からお話は始まるようである・・・。旧作映画では、米軍の戦車(ウオーカーブルドッグかなにかだったように思うが忘れた)とか、航空機が出演、けっこう軍事的な描写が多かった。とにかく当時としてはすごい映像だったんだが、今度は実に50年もたっているだから、よほどのことをしていないと驚かない。というのは、一応、見に行こうと思っているのである。
 しかし誰しも感じることだろうが、スター・ウオーズとぶつかるとは、それともぶつけてみたのか。まあまるきりテイストが違うが。一応SF、といっても、である。
 

2005年6月28日(火)
「関東地方では28日、太平洋上の高気圧の影響で温かい南西風が吹き込み気温が上昇、午前11時50分すぎに東京・大手町で36・2度を記録した。6月の最高気温としては、1963年の35・7度を42年ぶりに更新した。このほか、練馬区で36・6度、千葉県市原市で36・1度、神奈川県海老名市で37・5度、埼玉県越谷市で35・8度を観測するなど、各地で真夏並みの猛暑となった」(読売新聞)とのことだ。そりゃあ暑いわけだ。これでまだ梅雨なんだろか。昨年の空梅雨の悪夢を思わせる。だというのに、既に取水制限しているところもあるのに、新潟では今日は土砂崩れの出るような大雨である。どうしたものだろうか。
 中国や韓国では大雨、欧州は熱波と、今年も明らかに昨年の「異常気象」に似たペースである。異常な大雨と、異常な暑さでめちゃくちゃ、ということだ。つまりこれ、そろそろこれは「異常」ではなくなってきた、ということだろうよ。
 どうでもいいが、林真須美の2審、死刑判決だったそうですね。あれから・・・もう7年ですか。あの第一報を聞いた日も暑かったような記憶があるが。ちょうど昨日は、奈良の平群町の大声で悪態ついて、一日中CDラジカセかけて地下鉄の構内並みの騒音をまき散らしていた例の「迷惑主婦」の公判も始まっていたが、どうもこの・・・こういう地域で浮き上がった迷惑な人、というのがいるものである。近所にそういうものがいると滅茶苦茶である。どう対処するといって、極論言えば、焼き討ちにして殺してしまうしかないであろう。実際、あとは泣き寝入りして引っ越すしかない。
 暑いと言えば。しかし私は今年、不思議にあまり暑くない。以前よりちょっと体重が減っているためだろうと思う。あるいは自分の部屋の日当たりが良好すぎて、室内の温度が高い、と前から言っているが、それで鍛えられて強くなったかも知れない。暑くて暑くて、という感じがしない。汗も前よりかかない。
 それとも早くも老化か。年を取ると新陳代謝が低下して汗もかかない、というが・・・。



2005年6月27日(月)
「東京都に次ぐ全国2位の人口の大阪府と3位の神奈川県が、10月に実施される5年に1度の国勢調査で入れ替わる可能性が出てきたことが、大阪府の人口推計で27日、わかった。5月1日の推計人口は、大阪884万人、神奈川877万人と7万人差。府によると、大阪の人口は85年調査以降、前回調査まで5年ごとの伸び率は1%未満。地価高騰による近隣府県への転出や、本社機能の東京移転が相次ぐなど、大阪経済の地盤沈下も影響しているとみられる。この1年は1500人増にとどまっている」(読売新聞)という記事を見かけた。大阪の人にとってはそれなりにショックかもしれない話だわな。「だったら、神奈川府に昇格して、大阪は大阪県に降格しなさい」なんてことを言う人は別にいないと思うが、しかしなんといっても、明治期に、帝都である東京府に次ぐ副帝都の意味合いで、大阪と京都が府を名乗ったことは間違いないわけで、単純に人口の問題じゃないが、大阪についてはやはり大都市だから、人口が大きいから、というのは間違いなくあっただろう。豊臣時代には実際に日本の政治的首都であったわけだし、その後も畿内の押さえとして大坂城は機能してきた・・・今や畿内の抑え、なんて考える必要もないのだから、意味合いが風化したのは致し方ないかもしれない。
 前にも書いたが、気に入らないことではあるがホリエモン的IT的なドライさと合理性が幅をきかす時代である。大阪的メンタリティーが時流に乗れないように思われるのは事実である。これはいい悪いではない。
 よく、大阪人は合理的というが、なにか違うように自分などは思っている。たとえば駅前に違法駐車する。自分は便利である。だから自分にとっては合理的である。しかしそれで道はつまる。混雑する。結果として交通が乱れ遅れる。全体としては不合理である。その全体としての不合理ということを考えない。「みんなやっているやないか」と主張する。「まあええやないか」となあなあですまそうとする。堅いことを言う人がいると嫌う。そして、話の分からない東京の人(東京の人、なんてものは存在しないのだが。要するに関東のよそ者という程度のことである)を「冷たい」と評する。なんでも笑ってすますというのも美風であるともいえるが、しかし、このご時世、笑ってすましていていいのだろうか。まなじりを決して闘うような人間じゃないといけないのではないか、と私は思う。仕方がない。もう日本は右肩下がりなのだから、笑って肩を寄せ合って生きることは許されないのだ、と小泉政権は暗に国民に説いてきたのだし、今後もそうなのだ。福祉は削られ、増税は迫る。そういう時代なのだ。そういうのは嫌や、といってもはじまらない。現実とぶつかるしかない。笑いのオブラードなど無益である。
 嫌な時代である。が、引き返せはしないだろう。そうすると大阪の県民性というのはそこで非常にぶつかることになるのじゃないか、と思うが、関西の人はどう思われますか?

2005年6月26日(日)
たまたま早起き・・・といっても10時過ぎなんだが、私にとってはかなり早い。久しぶりにリアルタイムでサンデープロジェクトを見たら、税制調査会のIさんが出ていて、まあみんなからいろいろ言われていた。それで、興味深かったのが生活保護の水準の話。サラリーマンにあれこれ厳しいことを言っておいて、それじぇあ年金改革はどうなったのか、行政改革はどうなったのか、という話題に当然なって、出てきた数字の中で、全国でいちばん生活保護の審査が厳しい自治体はどこか、と。それは岐阜県の可児市である。ここの水準を1とした場合に、いちばん甘い自治体はその・・・なんと「105倍」に達する、という数字には仰天した。まずなにごとにも渋い岐阜の自治体、というのはぴんとくるし、おそらくかなり財政が苦しいから甘いことを言っていられないのだと思うが、一方の甘いところ、どことは実名は出ないが、たとえば大阪みたいなところがすぐに思い浮かぶ。これについてははっきりいって「○○党と○○党の強いところは生活保護が甘い」という声・・・これは密かに前からある。
 私の前に住んでいた茨城県の某市など、それはもう20年も前のことで現在はどうだかしらないが、何処も悪くないのに体が弱いとか何とか言って、身障者手帳まで手に入れて、保護で遊び暮らしているヤツとか、偽装離婚して保護を申請している偽母子家庭なんてのが、そこらへんに満ち満ちている地区があった。ああいうところにいると、真面目に働いている自分の父親が気の毒に見えたり、働くことそのものが馬鹿馬鹿しいものに思われたりする。
 国の借金が増えに増えて、今や国民一人当たり680万円とか、そういう額だそうだが、しかも実態はというと、相当の割合のこいつらが、足を引っ張っているわけで、本当に納税している人間で割ったらそんなものじゃあるまい、おそらく何千万円単位であろう。
 大阪市の次々に出てくる放漫な不法支出をみていれば、あのあたりの自治体のやることなどそんなもの、というのがよく分かる。こう言ってはなんだが「ニンジョウの街や」とかなんとかいっていい加減な雰囲気やら、綺麗事でいい気になっていないで、あのあたりの地域の人らにはもっともっとクールになってほしいとは思う。どうして、近頃はけちくさくて理詰めで堅物で、へらへらした笑いの要素が少ない東海地域の雰囲気が注目されているか、といえば、今はそういう感覚が一番必要だからである。ぜんぜんどう考えても面白くないお笑い芸人に笑っていられる人間というのは、おおむね現実逃避的な暇人である。
 ・・・もはや、最後の1年になってしまった小泉首相であるが、あれだけ時間があったのに、いちばん問題の根深い、いちばん恨みを買いやすいところを手付かずにしてしまった、この責任は大きいと思う。結局、郵政民営化という・・・まあ言って見れば、戦争全体の中ではほんの支作戦で、それなりに重要かもしれないが、もっとほかにやることはある、だのにその重要度の低いところで泥沼になってしまったインパール作戦みたいなものである。ああいうのと同じで、サイパン防衛なり、テニアン死守なりに力をいれるべきときに、しょうもない作戦で人を沢山、犠牲にした旧日本軍を髣髴させる・・・郵政の問題など、ただの政局ネタであって、それ以外にはたいした意味がなくなってしまっている。
 いわゆる小泉びいきの人たちも、今や根拠として彼を支持するのは、彼がやっている間は消費税を上げない、というそのことが大きいのじゃないかと思う、二つにはそれでも彼はましであって、自民党のほかの政治家ではもっとなにもしない、ポーズすら示せないだろうという諦めに近いものがあるとは思う。
 

2005年6月24日(金)
今日はからっと梅雨明けして・・・えっ、違うの? もう終わったとばかり・・・。今、私の部屋の温度計は29度です。てっきり梅雨は終わったと思いました・・・。九州や四国では早くも渇水だそうですね。とんでもないことです。で、結局、どこでも出来ることといったら雨乞い。江戸時代のまま。それ以上、なんの手もないのが実情とか。
 なんていっていたら、また夏になると台風が何十と来襲したりして・・・昨年は暑い上にそんなわけで散々。ただし水不足だけはならなかった。今年はどうなるか。そもそも昨年は梅雨なんて一週間もあったかどうか。今年は、少なくとも関東については平年並み、だそうだがそれもここまでの話。これからの状況次第ではどう転ぶか分からないが。
 うちも近頃は魚なんか飼ってますから、渇水となると困ることになりますが。
 九州といえば、中学生の弟が兄を殺害、というのはあっちですよね。両親を殺した後、映画館に行き、さらに温泉に泊まったというのは都内の話で。なんか少年犯罪ネタが多くて混乱してまいります。不思議と似たような話というのは続くもの。
 兄貴を殺した弟のほうは、今のところの話では、かなり悲惨な弟いじめに遭っていた、ということのよう。だとしたら可哀想な話、ということですが・・・、兄貴のほうは死んでいるので、客観的な事実関係はもはやわからず。
 しかし兄弟でも陰湿な関係になるんですねえ。私は兄弟が幸いにしていないのでよく分からないのですが。
 正直な感想ですが、一人っ子に生まれてよかった、と思うことが多いですね、私は。見聞きするに、兄弟がいるばかりにトラブルに、という話を散々聞く。兄弟がいるからよかったなんて話をあまり聞かない。
 子供についてもそうだなあ。子供がいるばかりに苦労した、という話ばかりで。
 なぜ出生率が増えないのか。それはみんな本音でぶっちゃけた感想をいいすぎる風潮になったから、であろうとは思う。昔は、いろいろあってもあまり公にしなかった。今時はみんなストレートにメリット、デメリットを口にする。
 実際のところ、こういう陰湿な事件の数々を聞くにつけ、子供だの兄弟だの、いないほうがましだわな、と思う人が出てくるのは致し方なし、であろう。

2005年6月23日(木)
「近畿日本鉄道は22日、宿泊勤務中に1回でも飲酒した経験のある乗務員や駅員が、2003年6月からの2年間で499人に上ることを明らかにした。同社は勤務時間かどうかを問わず職場内での飲酒を禁止しており、厳格な乗務前検査などの再発防止策を取る」(時事)という記事を見かけた。規則違反だということはよくわかった上で、しかし経験者としてはちょっと気の毒なような・・・いやあ、泊まり勤務というのは本当にきついんですよね。眠れなくて。それで、よく眠れないと次の日の仕事はぼろぼろだし。酒の力でなんとか寝ようとするのもまあ、わからないでもなく・・・ただ、それで酒盛りがエスカレートしてかえって次の日に響く、ということも大ありだし。
 やはり酒は禁止して、その代わりに睡眠薬を処方するとか、寝室の環境をよくするとか、そういうのが建設的な対処だろうとは思う。これ、半分、うちの会社に言っているのですがねえ・・・・。
 ところで、先日に「空爆」という言葉を新聞社のデータベースで戦前まで遡って調べた、という話を書いた。最近はとにかく便利になって、うちの会社などは明治大正まで検索できるようになっている。それで、前には調べがつかなかったけれど、今なら調べがつきそうなことを、ちょっと検索してみた。
 あのゼロ戦・・・つまり「零戦」の読み方である。あれは「ぜろせん」なのか「れいせん」なのか。そもそもは零式艦上戦闘機(れいしき・かんじょう・せんとうき)というのがあの有名な戦闘機の本名である。だから、正式には略称も「れいせん」であるはずなことも既にわかっている。それでは、一般にはその当時、なんと読んでいたか、が分からないのである。
 実のところ、戦後の若い軍事マニアはこれをまず間違いなく「れいせん」と読む。つまり正式名称のほうで理解しているからである。「神風特攻隊」を「しんぷうとっこうたい」と読むのも同じことだ。つまり正式名第一主義なのである。で、戦後のマニアとしては、あの敵性語に厳しい時代にゼロなんていうわけがなく、漢字で「れいせん」といったに違いないだろう、戦後になって外国人が「ゼロファイター」と呼ぶものだから、影響されて、戦後の日本では「ゼロせん」が普及したのだろう、と考えてきたわけだ。
 が、それはまた怪しくて、戦時中にも自分はゼロ戦、と呼んでいた、というある詩人にあれこれ言われてから、私は本当かしら、と思い調べてみたことがあった。実のところ戦時中はこうだった、と体験のある人が言ったからと言って真に受けるのは危険だ。後知恵で記憶違いしていることも多いからである。しかもその人は従軍経験者ではなく、終戦時に中学生だった。本当のところ、大して知識があったとは思えないのである。
 で、零戦は日中戦争でデビューしていて、真珠湾攻撃の頃は秘密の新兵器だった。が、昭和19,20年となれば完全に旧式だった。で、秘密にする必要がなくなった頃に軍はこの戦闘機の存在を公表、昭和19年11月23日付けの各新聞に「零戦」は局地戦闘機「雷電」とともに発表されたのである。このときの朝日新聞のルビが「ぜろせん」であった、という記述をネット上で探し当てて、私は「当時も通称としてはゼロセンと読んでいただろう」と結論したのであった。
 で、今回はうちの新聞の11月23日の新聞を調べてみると「零戦」のルビは・・・なんと「零」にはついていないで、「零戦(せん)」と、後のほうの「せん」だけについているのだが、これおそらく、なんと読むかはっきりしなかったのか、もしくは海軍一線では「ぜろせん」と呼んでいたのに、敵性語のことを考えてあえてごまかしたか・・・じゃないかと思われるのである。海軍というのはぜんぜん、敵性語なんて気にしない世界だったそうだから、ゼロ戦で通っていたに相違ない。しかもその記事には「米軍からはゼロファイターと呼ばれ恐れられる新鋭機」などと説明がある。戦後になって流布したのではなく、発表の段階でもう「ゼロファイター」というのも一般国民に知られていたことになる。
 ところが、その後、昭和20年はじめごろまでの数回の記事には「零戦(れいせん)」とはっきりルビがついているのを確認したのだ! つまり、やはり当時もこれを「れいせん」と読みなさい、ということだったことが確認できる。少なくも新聞としては「れいせん」と読ませようとしていたのは間違いない。だから「俺は当時からゼロ戦と読んでいた、れいせん、なんて読み方は知らない。聞いたことがない」と言い張った例の老詩人も間違っていたことになる。その当時、すでに「れいせん」という読み方もあったわけで、戦後のマニアが屁理屈で作り出した読みではない、ということだ。
 で、この年の4月ごろからは「零戦」にはルビがつかなくなる。もう誰でも知っている飛行機になったので、やめたのだろう。
 だから、このことは結論として、その当時も「れいせん」「ぜろせん」両様があった、というのがまず正解であろうと思う。さばけていた海軍さんはむしろゼロ、と言っていたんじゃないかとも思われる。また、この公式発表前には「新式艦戦」とか、形式名で「A6」試作の頃のままの「12試艦戦」なんて一線では呼んでいた、という話もある。「零式艦戦」と呼んでいたはずで「零戦」と言いだしたのはむしろ戦後、などという説もあるが、上のような新聞記事があるのだからこれは正しくないようだ。
 要は、かなりそれぞれの部隊、基地、あるいは昭和19年末以後はメディア、各国民の各層によってばらばらだった、と思われる。戦後、戦記漫画で「ゼロ戦」という言い方が定着して、それ以外の呼び方が忘れられたしまった、というのがもっとも実相に近いと考えられますね。
 なにはともあれ、銃後の小国民が「自分はよく知っていた」と言い張ることはあまり根拠がないのである。国民にこの戦闘機が知れ渡ったのは、終戦間際の最後の8か月にすぎないからだ。しかし新聞報道では最後まで「新鋭機・零戦」などと必ず、最新兵器のように書かれている。いかに国民など、なにも知らされていないか、ということだ。実際にはこのころ、零戦は米軍の新型機に手も足も出なくなっていたのである。
 戦艦大和、なんてものも、戦時中には軍機兵器だった。国民は最後まで戦艦長門がいちばん大きな戦艦だと信じていたはずである。
 実際、検索してみると、戦艦大和という語で検索できるいちばん古い記事は、1955年つまり昭和30年にもなってのものだった。戦後になり、プラモデルになったり漫画に描かれるまで、ぜんぜん、有名じゃなかったわけである。
 今年はちょっとした大和ブームで、記念館がどうとか、映画がどうとかいろいろ話題もあるが、あの船が日本海軍の象徴、だったといえるかどうかは実は怪しい、ということをちょっと意識してもらいたい、とは思うのである。


2005年6月22日(水)
本棚の奥から栗本慎一郎の「幻想としての経済」が出てきた。その後、国会議員になり、病気になり、いなくなってしまった人だが、一時的には大変な人、というかものすごく切れる人に思われた。実際、議員になどならなければよかったのに。
 若い頃に非常に面白く読んだ。蕩尽、なんて言葉を覚えたものだ。ポトラッチとか。エリュアーデにレヴィ・ストロースに。私は田舎の高校生で、私服なんてものもろくに持っておらず(田舎じゃ何処に行くでも学校指定のジャージでたくさんだった)、ジーンズ専門店にも行ったことがなかった。大学に入って初めてその種の店に行ったときに、リーバイ・ストラウスの看板を見て、なんでここに「哀しき熱帯」の人が、などと思ったものだ。後で聞くと、ほかにも同じような感想を持った人は結構いるようである。
 ということで、高校生ぐらいで読んだこの本がなぜか出てきたので、なんとなく読み返してみたが、古くなっていることもあれば、今読んで面白いこともある。同性愛について、とか労働について、それはすなわち過剰を生み出す行為であり、非生産的労働の形態なのだ、というようなくだりは、あの当時はあまりなんとも思わず、今読んだほうが面白い。とはいえ、ネットのない時代であり、性愛の形がまだゆがみきっていない時代の作物であって、なんとなく今読むと牧歌的だ。ニューアカとかいって鮮烈だったあのころのこういった文章が今ではひどく刺激のない、暢気なお話の羅列のように思われるのは興味深いことだ。かえって戦時中とか戦後の文章、あるいは漱石みたいな明治大正期の人の文章のほうが、普遍的に考えさせられる。しょせん、昭和末期のバブリーな中での言説ということか。
 ところで、北海道でサマータイム実験を昨年に続いてやっている。昨年、この実験に参加した人の感想は「電車がすいていてよかった」などというもので、完全に馬鹿である。それはあくまでも「時間差出勤」とか「時間差勤務」の感想であるべきで、世間がみんなサマータイムになったら、通勤ラッシュの時間もずれる。こんな認識を持つ人間はアホであるし、取り上げるマスコミもアホだった。今年は、あるテレビ番組である役所の人が「結局、勤務時間が1時間延長されたということだと認識しております」と言っていた。けっきょくこれが正解であろう。労働強化以外の効果はまずあるまい。
 そういえば政府税調の答申が出たそうだが、これから大増税になることは間違いない。そしてまたまた景気がしぼむであろう。年間100万円以上の増税もあり得る、とか。そんなことになったら死ぬしかあるまい。あるいは政治家を何人か道連れに殺すか。そういう時代になると本当に、そのようなナショナリズム的な過激派が出てくるものである。昭和期を思ってみるがいい。国の雰囲気が一挙に転落していくだろう。
 ほんとに先のことを考えるといやになるご時世である。やはりニホン国は解散したほうがいいのじゃないか、と思われる。

2005年6月21日(火)
テレビを付けるとジェンキンスさんか貴乃花だ。いい加減にしろと言いたい。ことにジェンキンスねたについては、やりすぎだろう。アメリカの現地じゃ日本の報道陣に驚いているというが、まあそんなにボーリング場に行ったとか、湖に行ったとか、全部ついてまわるなんて馬鹿げているように思われる。もっともアメリカの人達は、日本人の関心があくまで拉致事件なのであって、一脱走兵の問題なのではない、ということをなかなか理解するまいから、「なんであんなに日本人は騒いでいるのか」と考えてもらうのはよろしいかもしれないですな。北朝鮮が「話によっては長距離弾道弾を廃棄してもいい」なんて言ったとか。これは「米本土を核攻撃できる能力を持っているんだよ」と誇示する方が大きいのじゃないかと思うが。
 ところで、この時期になってくると、敗戦から60年である。いろいろ戦争ねたというのも紙面などで見かける。けっこう、先日も某紙で「手投げ弾で自殺しようか」と兵隊が思ったというような記事を見て、どうも違和感を覚えた。ここは地の文じゃないので、当時の兵隊の台詞のつもりだろう。とするなら「手榴弾で自決しよう」がよろしいように感じる。すると手榴弾がマスコミの使用漢字規定で引っかかる。ここはルビで「てりゅうだん」としていただきたいものである。この「手榴弾」という言葉、最近のマスコミでは面倒なのでたいてい手投げ弾としてしまうが、なんか手製の手投げ爆弾みたいで、ハンドグレネードとは思えない。で、手榴弾の読み方も今時の記事ならどっちでもよいが、戦時中ということなら、旧陸軍の用語では「しゅりゅうだん」ではなくて「てりゅうだん」だろうと思う。
 そういえば、「空爆」という言葉もどんなもんか。東京大空爆とは言わない。戦時中にはあまり空爆とは言わなかったんじゃないか。というか、一般用語として空爆という言葉がはやりだしたのは湾岸戦争の報道からじゃないかと思う。
 このところ、いろいろマニアが文句を言ったためか、なんでも軍艦を「戦艦」と称するのはなくなってきたと思う。しかし、別にマニア向けの記事じゃなくても、つぼを押さえてくれると読む方としてはうれしい。それだけつっこんだ勉強をしているんだな、この記者は、と思えるのは確かである。
◇              ◇           ◇
 とこう、書いてみてから、会社のデータベースで新聞の記事に出てきた「空爆」という語を調べてみた。すると実際には戦前から「空爆」という言葉は頻出している。それはそうなんだが、どうも見出しなどで「空爆」と使うのであって、普通の地の文で「日本軍は○○を空爆した」とは言わず、やはり「日本軍が爆撃した」とか、やられた場合は「米軍の空襲を受けた」などと言っていたようだ。あくまでも「空中爆撃」の略として、見出しなんかに限定して「空爆」を使ったもののようだ。だから今のように一般用語として「今度はバグダッドを空爆しよう」なんて使い方は、やはりなんとなく違和感があるわけだった。

2005年6月20日(月)
「99年の開校から定員割れが続き、経営難に陥っていた山口県萩市の4年制私立大学「萩国際大学」(安部一成理事長)が民事再生法の適用を東京地裁に申請する方針を固めた。文部科学省によると、定員割れによる経営難が原因で同法適用を申請するのは初めて。大学の定員総数と志願者数が計算上はほぼ同じになる「大学全入時代」を07年度に控え、大学経営の厳しい現実が表面化した。負債総額は三十数億円と見られる。萩国際大は99年に発足した国際情報学部だけの4年制単科大学。前身の萩女子短大から移行する際、総事業費約65億円のうち、県と市がそれぞれ20億円補助した。国際情報学部(定員300人)の初年度の入学者は中国人ら留学生45人を含む204人。04年度22人、05年度42人と定員割れが続いた。04年度にはゴルフ文化コースを新設したが、現在の学生数は194人にとどまっていた」(朝日新聞)のだという。いよいよチャイルドショックである。にしても99年に開学し、定員1200人で学生194人、そのうちでも116人が中国人という体たらくである。昨年には倉本昌弘を講師に招いてゴルフ学科を作ってみたが、そのためにまた高い金でゴルフ場を一つ買収したという。放漫経営そのものであるな。
 にしても、200人に満たない学生で授業が成立しているんだろうか。相当にお寒い。そしてこれから、世紀の変わり目にここのように慌てて4大化したような学校が危なくなると見られる。歴史のある学校とて油断できない。というか、ほとんど人口減は不可逆的であるから、・・・なにしろこのままのペースなら2500年ごろに縄文時代の人口20万人ぐらいに日本は戻るらしい。そうなれば大学などひとつあればよろしいだろう。
 しかしちょっと考えれば、夫婦2人で子供を2人以上作らなければ、それもほぼ全人口がすべて結婚しなければ、人口など増えない道理である。そんな状態がこれからやってくると思えるだろうか。もれなくすべての国民が子供を3人以上、抱えているなんて。どうもありそうにもないではないか。
 うちの義父という人が大学関係者なのだが、大いに気がかりではある。まあこの学校よりはずっとよいであろうが、安閑とは出来ないのは確かである。昔は大学教授といえばどんな端くれでも、左うちわで楽で高収入な仕事の典型だったのだが(みんながみんなそんな教授だったというのではない。しかし、誰が見ても給料泥棒みたいな教授もほんの10年ぐらい前にはそこらへんに充ち満ちていたのは誰も否定するまい)。

2005年6月19日(日)
 昨日、オカヤドカリというのを3匹、近所のペットショップから買った。なにごとも凝り性のうちの妻は、わざわざ沖縄から珊瑚砂を取り寄せて、あれこれいろいろな種類の餌を買い込んで、さらに住み替えようの貝殻・・・ご存知の通り、ヤドカリというのは始終、もっといい貝殻はないか、と品定めばかりしているような生き物なので、やはりいくつかよけいに入れておかなければならない。それも沖縄から取り寄せた。また、そんなヤドカリ用の砂とか貝殻を専門に扱うお店というものが世の中にはあって、もちろん沖縄にあるのだが、注文を受けてから海岸に出かけて行って砂を採取するのだろうか、とにかくそんな商売が成り立つほど、近頃は人気があるのだという。
 前にもT社が生体を封入した飼育セットを販売してぼろもうけしたけれど、かなり問題があって、家について開封したらミイラになっていたとか、腐ってうじが湧いていたとかろくでもないことも多かったらしい、というようなことを書いた。今年はそのセット、近くの量販店にあったが生体は取り出してあって、少しは扱いを考えるようになったらしい(当然なんだが。仮にも生き物を扱うのに、どうもT社はしょせん玩具メーカー、発想がオモチャどまりだったのはその辺だろうと思う。
 さてそれで、うちはけっこう立派な水槽にヤドカリを3匹入れ、珊瑚石に砂に、と至れり尽くせりの環境を作ってみたが、なかなか難しいのが、何を食うかわからない、ということである。まあ雑食性で何でも食う、とは聞いていた。しかし煮干とか、カステラとか、メロンとか、ドライフルーツとか、あらゆるものを放り込んでみたが、ドライフルーツのマンゴーはそこそこ食ったようだったし、バナナも食うものは食うようだった。しかしどうもそんなに喜んでいるようにも見えない。で、あちこちの書き込みに、ヤドカリはコーンが好きだし、塩も好きである。だからポップコーンが好物である、とあったのを半信半疑で読み流していたのだが、今日はたまたまスーパーマーケットでポップコーンの大袋を見かけたので買ってみた。
 で、これを与えてみたところ、本当に連中、これにむしゃぶりついている。塩味が好きというのは本当であるらしい。にしても、こんな駄菓子を食うとは驚きである。
 といって、ポップコーンばかり食っていてもバランスが悪いとも聞く。なかなか難しいのである。これに限らず、エビ、カニの類は脱皮の管理が難しいという話だ。ヤドカリは砂の中に深く身を隠して脱皮するが、これで失敗して死んでしまうことが多いそうである。相当にデリケートなものらしい。
 3匹の間で早くも序列も出来ている。このへんもまた難しい。どうも生き物はすぐに上下関係を作る。対等な関係、なんてここ十年二十年の間に人間社会で出来上がった妄想の一種に過ぎないかもしれない。事実、完全に対等、なんて関係は絶対に存在しないはずである。
 そういうのが嫌な人間が2チャンネルあたりに逃げ込んで世捨て人になっているのだろうと思われる。人世、何事も面倒なことばかり、嫌なことばかりであるから、分からないではないが、ヤドカリにも劣るナイーブさだとは思う。
 関係ないが、昨日たまたまNHKの衛星で、昔の大河「太平記」の再放送を見た。たまたま北条高時の最期のシーンだった。ああ、こんなだったかな、と思う。これで高時を演じたお笑い芸人のKは、好評から妙に自信をつけてその後、文化人臭くなってしまった。にしても、北条執権家の最後なんて、ほかにまともに扱ったドラマを知らない。平家の最後やら豊臣家の最後やらは割とイメージが強いが、鎌倉幕府の最後については、私などもこのドラマを見るまでほとんど意識になかったから、そういう意味ではなかなか面白いものだった(視聴率はそんなによくなかったかもしれない)。真田浩之が足利尊氏になりきろうとして、例の騎馬武者像を必死になばめていた、と誰か共演者が話していたが、例の、というのはその後になって、あれは尊氏でなくおそらく高師直か師冬か、その周辺の人の像だろう、ということになってしまっているらしい。
 

2005年6月17日(金)
「二子山親方の死去をきっかけに、花田勝氏(34)との確執が深刻化している貴乃花親方(32)が生出演したテレビで、平成7年九州場所の兄弟対決が“八百長”だったことを示唆した。これまでも週刊誌などで取りざたされた八百長疑惑。日本相撲協会は「もちろんありえない」と全否定だが、名横綱だった一代年寄りの発言だけに衝撃は大きい」(夕刊フジ)ということだ。こんなことは誰でも腹の底では思っていたと思うが、実際に貴乃花のようなそもそもあまり軽々しくものを言わなかった人物が発言したとすると、影響は大きいようである。さっき、じっかにちょっと電話したら母親が「ほれみたことか」と半ば喜んでこのことを言っていた。うちの母親という人は、昔から貴乃花のほうが好きで、兄の勝氏はお調子者だと思っていた人である。
 まあ、兄弟のいない私などには分からないし理解したくもないが、要するに能力的に劣る兄の劣等感が兄弟確執の原因であろうし、そういう中で両親のふるまいというのも、あまり感心できるもんじゃなかった、ということだろう。兄のほうは、あまりものを言わない、という前提の中でがんじがらめになっている弟を尻目に奔放に振る舞って、身内の間ではかなりいやらしい立ち回り方をしていたような話もある。明るいお兄ちゃん、なんていつもそんな人間はいるわけがなく、相当に悪口暴言を撒き散らす人間でもあるような話である。それは要するに、フリーになってただの無能な芸能人である兄と、功なり名遂げたけれど理解されることは少なく、神格化の中で貧乏くじを引き続けてきて、今は新興弱小部屋の親方として苦闘する弟との立場の違いから表立ってきたわけで、本当のところはどうかしらないが、少なくとも弟がかなり我慢して二歩も散歩も譲ってきた、のだがそれは無理があった、もう親父も死んだのだから我慢しない、ということなんだろう。
 してみると、あの年にしてようやく親離れした、ということでもあろうか。
 関係ないが、コンフェデ杯とかいうのでニホンのサッカーは負けたのだって? そんなことも一応は知っていたが、母親はこれも「それみたことか」とのたまう。とにかくこういう話を良く知っている。うちでテレビを見ている人ほど物知りなのである。日本中が、もうこれで日本サッカーも一流、などと浮き立っていたが、中田が言っていたようにまだまだこの程度のレベル、なのだとか。私は、初めから日本のサッカーなど三等国のままだとしか思っていないし、今回も運良くなんとかW杯に出られるというだけのもの、と思っているからそれみたことか、といわれてもなんとも返答しようがない。
 が、実際のところ、近頃の日本の愚民化というか、わあわああんなくだらない見世物風情に現を抜かして騒いでいる雰囲気にはついていけない。
 要するに私にはスポーツなんてものは、本質的には奴隷が見世物として闘技場で戦ったようなものとしか認識できないのである。

2005年6月16日(木)
我が社のボーナス交渉が終わったそうだ。だから一応、今年も出るそうだ。ありがたいことである。というのは、今回ほどボーナス出てくれんと困る、と思ったことがない状況なのであったりする。実は、先日、我が家の敷地にぐるりと柵を巡らし、門を付けた。ささやかながら城郭の趣に・・・などという話ではない。結構、切実な理由なのであって、格好付けでやったのではないのである。
 ことはつまり、近所のお子さん方である。この時勢に年賀年中、遊びほうけている子どもが何人か(どうもある兄弟と、ある姉妹と、4人である)、小学校の3年生かそこらじゃないか、と思えるのだが、こいつらが猿並みである。人の敷地に入って砂利を勝手に持ち出して遊ぶとか、フェンスによじ登るとか、車にの上に乗るヤツまでいるようである(これはお隣さんの被害だが)。どこの家の子どもかはっきりしないので、なかなか手がない。ああいう今時の知能の低そうな子どもなど、しかってもかえってエスカレートしてよけいに悪いことをする可能性もある。そこでとりあえず、ここまではうちの私有地、というのを明らかにして、それでもなお侵入するなら断固たる措置をとる、ということにした。アメリカなら子どもであってもフリーズと言われて停止しない場合は射殺しても無罪である。私としては実はかなりはらわたの中が煮えくりかえっているのだが、とりあえず門を付けること自体は悪くないアイデアなので、やってみた。
 それはいいのだが、金はそれなりにかかる。かかると困るのである。前に車も買っているから(これもささやかな軽自動車だが。うちはとにかくなんでもささやかなものが好きだ。分不相応な買い物に興味がない。とにかく持ち物で他人と比較するという観念が少ないからだろう)やはり金はない。まあそれは仕方ないのである。
 ということで、今回はうれしいのであった。そして、うちにはぜんぜん金がないので、どうか世間の悪人の皆さん、押し売りの勧誘とか、泥棒に入ろうとか、くだらないことはしないでもらいたいものである。
 

2005年6月15日(水)
 「働き盛りの男性サラリーマンの半数が減量に挑戦し、その6割は失敗していることが、花王(本社・東京)の調査で明らかになった。昨年末、首都圏に住む30〜50代の男性サラリーマンを対象に、肥満にかかわる生活行動や生活習慣の意識を調査し、323人の回答をまとめ・・・肥満と判定されたのは約4分の1だったが、「太りやすい生活習慣を送っている」「カロリーの多い食生活を送っている」「ここ3か月運動経験なし」と回答したサラリーマンが、いずれも6割に上った。太りやすい生活への自覚や自戒は十分にあるものの、運動をしないのは「時間がない」(76%)「疲れている」(66%)「面倒」(35%)などが理由。1日の適正なカロリー摂取量を知っていたのは、わずか1割・・・。減量に挑戦したのは43%だが、成功したのは4割に過ぎず、半数近くはリバウンドを体験(読売新聞)」というんだが、私としては・・・まあ、自分は一応は、最高に太っていたときからすると少なくとも8キロほどは減量しているのだが、といって、目標値には程遠い。運動については、まったく一日に何時間も走るとか歩くとか、そんなことをしている暇がある人間なんてむしろ恵まれているのだろうし、「これだけ走ってもお茶碗一杯分のカロリーにもなりません」みたいな話を聞けば聞くほどやる気がなくなるのは無理もないところ。
 結局のところ、ひもじい、という思いをしなければ絶対に痩せる訳はない。自分の経験でも、かなり無理をしないと・・・まあ一日の摂取カロリーを1200とか、1300とかいうレベルにしないと新陳代謝が悪く、動きもしない人間は下がりはしないように思う。しかしそうなればなったで、そんな状態でいい仕事が出来るものでもなく、ストレスがたまってどんどんイライラするし。
 この時代に、胃が健康な人間は基本的には太るほうが当然のような気もする。大食い選手権に出るような異常に代謝のいい人は痩せの大食いそのもので、食べた横から燃焼してしまうらしいが、ああいうのも実際には食費ばかりかかるわ、本当の緊急時には問題なく最初に死ぬような人間であるわ、決して成り代わりたいとは思わない。そもそもは、どんどん皮下脂肪が溜まり胃が強い、太りやすい人間というのは人類の中ではエリートだったはずであるが(そういう遺伝子の人間が氷河時代に生き残ったはず)、今時は、氷河時代には落伍者であった痩せの大食いタイプが生き残れる環境なのであるな。
 と、そんなことを考えて優越感に浸ろうとしてもせんない。とにかく今時は「燃焼効率のいいボディー」とやらが大流行である。一方で、絞りきって無駄のない肉体の人が長生きなのかというと、最近の研究ではそうではない、とも言い出して、科学者の言うことはよく分からない。
 本当のところは、くだらないことでストレスを溜めないことのほうが、よほど身体によいように感じるが。

2005年6月14日(火)
マイケル・ジャクソン被告全面無罪、なのだという。驚いたですね。まったく完全に無罪なんだと。検察官は社会的に葬られる可能性大ですね。にしても弁護士費用が莫大にかかって経済的に苦しいのでは、なんて声もあったりする。まじですか。一時は年収が何百億円だか、財産が何兆円だか、もう国家予算規模だった彼なんだが。さすがに長年、浪費していたらなくなってきたか。最近はヒットもないし。というかさすがに彼の音楽とかダンスも流行から言うとずれているか、という気もする。もっとももうおしまい、と言われていた大スターの復活もエルヴィスの例など見てもよくあるので、これほどの人なら土俵際から押し返してくることも考えられる。とはいうものの、満身創痍である。80年代にはまさに雲上人というイメージだったのだが。
 私はそんなにファン、ということもなかった。ハードロック系の人はまあそうだろう。しかし、エディ・ヴァン・ヘイレンなど巧みに取り入れていたので「スリラー」アルバムは聴いた。あのころは時代の流行に乗ってかなりハードロックよりだった。バックはTOTOの連中だったし、リズムギターはスティーブ・ルカサーという豪華さだった。
 それ以後は徐々に盛り下がっていった感じか。しかし私としてはがんばってもらいたいですね。
 それと、あそこまで金持ちで成功すると、あとはいろいろあるのだなあ、という見本のような話でもある。にんげん、このへんまで、という限界はあるのだなあ、と思った。

2005年6月13日(月)
13日の月曜日だ。どうということもないですな(?)。ところで、銀座のデパートの食堂街が一新されたというので、このところ一軒ずつ、新しく出来たレストランの類を試食しているのですが、その結果はまあ、二勝一敗ぐらいのところ。で、今日はうなぎを食いに行ってみた。「30分ほどかかります」といわれ、期待して待った。うな重を一口、含んでみると・・・「味がない」。驚くべき淡白さであった。京都風なのか、と思ったが調べると江戸前で明治時代からやっている老舗なんだという。しかしこんな淡白さで江戸っ子に受けるのだろうか。が、まあ、うなぎそのものはうまい。しかし値段から言えばこのぐらいうまくないと困る。というのはそれなりのお値段である。正直に言って、食後の感じではあのタレの淡白さ加減は・・・糖尿治療中の人向け? ひょっとして安いマイタレでも持ち込んでかければよかったかもしれない。しょせん自分は庶民の味覚である。おそらくこの上品極まりないタレは正統なのだろう。しかし・・・どうも釈然とせぬのである。
 ところで、その店におそらく50代ぐらいの夫婦が入ってきた。「30分ほどかかります」と店員が告げると、親父のほうがいらいらしだして「え? 30分は長いなあ。それはないだろう。30分も何してるの? やめようかなあ・・・それとも雑誌か新聞でもないのかね」とやたら横柄に怒鳴り出した。みんな白けてやり取りを見ている。店員も「やめるならやめればいいじゃない」と言いはしないが態度はそうである。実際、うなぎや蕎麦の店で30分待たされるなんて常識で、いやなら家で安いレトルトでも暖めて食えばいい。馬鹿な男だ。そしたら居心地が悪そうにしていた細君がつと出て行って、旅行会社のパンフレットを何冊か持ってきて、親父に手渡した。後はなんの話をしていたか知らない、しかし30分の間、自分の奥さんと話でもしていればいいじゃないか。大人気ないやつだ。どうせ大した者ではあるまい、と思った。少なくとも安い店しか知らないやつなんだろう。こんなのが紳士風な装いで闊歩しているからニホンはくだらない国なのである。
 私は先に出てしまったので知らないが、どうせあのあと「30分も待たせて、なんで味がないんだよ」と怒り出したに違いない。実は私だって味がないのはつまらないと思った。思ったが、そこでぎゃあぎゃあ騒ぎ立てるのは下人である。その店に入ったのは自分の不明なのであって、よほど向こうに落ち度がない限り、なんとも言えるものじゃない。
 ということで、馬鹿な男であった。ではあるが・・・ではあるが。やはりあの淡白なタレには釈然としないのである。ただ、怒鳴ったり威張ったりしないだけである。

2005年6月12日(日)
毎日新聞の記事でこんなのを見た。「11日午後2時15分ごろ、JR京葉線東京発蘇我行きの快速電車(10両編成)が検見川浜駅(千葉市)に停車する際、男性車掌(55)が誤って次の停車駅の「稲毛海岸」(同)と案内放送した。このため、同駅で降りるはずの乗客約30人が、検見川浜駅で降りてしまった。電車はそのまま発車し、取り残された乗客が駅員に抗議し、誤放送が分かった。乗客は16分後の電車に乗り直した。JR東日本千葉支社によると、車掌は通常は新幹線に乗務し、京葉線の乗務は1カ月半に一度という。「いつもは京葉線に乗務していないので、駅名を勘違いしてしまった」と話しているという」というのだが、あれかしら・・・私も浦安市民なので京葉線というのはよく知っている。よその地方の人のために付記すれば、この京葉線というのは東京から千葉市の蘇我に向かう、例のディズニーランドの最寄り駅・舞浜がある線のことだ。土曜日の快速列車ということなら、下り線の場合、葛西臨海公園、舞浜から新浦安を経て、幕張メッセのある海浜幕張、検見川浜、稲毛海岸・・・と進行する。駅と駅の間の間隔はかなり長い。乗り過ごしたりするとかなり面倒なことになる。それに、案外に本数は少ない。まあラッシュ時に10分感覚、それ以外は15分間隔ぐらいであるから、「16分後の列車」まで待たされたというのも分かる話だ。要するに、観光線のわりに、案外に不便な線なのである。恐らくこのお客さんたちは30分ほど、目的地到着が遅れただろうと思われる。
 ついでに言えば、毎日乗っている人でもときどき錯覚するほど、沿線の光景が単調である。要するに海岸線と住宅地が延々と続くだけなのだ。美しいのだが、すぐに麻痺してくる。ディズニーランドのある舞浜以外は、確かに非常に風景が似ているのである。だから、アナウンスがないからと言って間違える乗客は変じゃないか、と思いがちだが分からないでもなく、一方で車掌の癖になんで間違えるのだ、というのも事情は分からないではない、ということである。
 なにを隠そう、私も降りる駅を間違えたことは何度かあった。そのぐらい、なんとなくどの駅も雰囲気が似ているのである。
 それにだ。はっきりいってのんびりしたリゾート気分の魔力に満ちているのは確かで、お客も車掌もちょっと弛緩しがちなのは本当じゃないか、と思う。なんとなく、通勤であの線を使っていると馬鹿馬鹿しくなるのである。年中、遊びにおいでになった人たちと同じ電車に乗っていると、なにか妙な気分になってくる。おそらく京都や鎌倉のような観光地の人には分かっていただけるだろうが。
 それで、実のところ、私は前にこの線で通勤していたが、ほぼ週に一回といっていいほど車掌が駅名を言い間違えていた。「次は・・・舞浜。・・・・・・失礼しました、新浦安」なんてのはざらであった。時には駅のホームについてから言い直し、なんてこともあった。つまりあまり珍しい話じゃないのである。ただ、発車するまで訂正せず、全然気がつかなかったというのが問題なのだろう。そういえば、自信がない場合に車掌さんが「次は・・・」と言ったきりなにも言わなかった、ということも何度かあった。
 普通ならこんなのはニュースにならないと思う。JR西の事件のとばっちりかもしれないが、車掌もこれで日勤教育なんてことならお気の毒である(JR東はどういう研修体勢になっているか知らないが。そういえば、案外に報道で、JR西のATSの配備状況が遅れていたことを除いて、それ以外のJRは安全管理や教育はどうなのか、を伝えていない。そのへん知りたいとは思う)。
 私が実はいちばん驚いたのは、どっちかというと新人の女性車掌さんが研修に使っているように思われた(実際、若い女性乗務員を多く見かける)この線に、新幹線の車掌さんなんてばりばりのエリートが乗っていることを知らなかった。そういうこともあるんだ。一月半に一回だけ、というのはあれかしら、たまにちょっと楽な勤務でローテーションを組んで、その後は休日、とかそんなことでもあるのかもしれない。
 この件は大したことじゃないが、どういう緩みから問題が起きるかもしれない。お客に弛むな、と言ってもしょうがないので、やはり乗務員にしっかりしていただくしかない。
 いっそ駅ごとにもっと派手な塗装にするとか、駅舎を風変わりにするとかいうのも手かもしれないが。やはり誰も舞浜駅だけは間違えないのである。

2005年6月11日(土)
「マイケル裁判、評決はいつ?…地裁周辺は人・人・人(読売新聞)【サンタマリア(米カリフォルニア州)=古沢由紀子】少年に対する性的虐待の罪などに問われている米歌手マイケル・ジャクソン被告(46)の裁判で、当地のカリフォルニア州地裁の陪審団は9日も審議を続けたが、有罪か無罪かを決める評決には達しなかった。陪審団による審議はこの日で5日目を迎えた。メディアなどの当初の予想より長引いているが、ジャクソン被告は、性的虐待から少年に対する飲酒強要まで計10件の罪で起訴されており、10日も評決に達しなければ、審議は週明けに持ち越され、さらに長期化することになる」というのだが、揉めているということは完全な有罪にも完全な無罪にもならないだろう、ということを予想させますね。それに陪審の人も、あちらじゃ氏名も公開されるわ、表決のときの態度も公表されるわ、というのだからいい加減なことが言えるわけがない。おまけに有罪にしたときには世界中のファンから場合によっては生命を狙われることもあり得る。
 本当にニホンでも裁判員をやるのですか。本当に? 代議士の人だって当然、やるんでしょうね(やらないだろうけど、どうせ)。そのころの首相が「裁判員です」といって国政をぜんぶ放り出して裁判ばかりやれば面白いのだが。誰だって自分の仕事は忙しい。人生の勝負どころを迎えているような人もあるだろう。他人の裁判にこれだけの時間を割くことなどできるだろうか。政治家は重要で忙しい仕事だから、などと言われたら、じゃあどんな職業なら暇でどうでもいいのか、と反問せざるを得ない。


2005年6月10日(金)
 古館さんの番組・・・10チャンネルのあれですね。日ごろまったく見ませんが、今日はたまたまなんとなくチャンネルがあってしまった。するというと、クールビズの話題であって、ゲストの人と古館さんが「要するに自由にすればいいのじゃないか。ネクタイを締めたい人は締めればいいのじゃないか。上からのお仕着せは好きじゃない」というような話をしていた。また「外見というのは大いに重要だ」とも。
 心理学、というかビジネスに応用する実戦心理術なんかによれば、夏場に半そでシャツを着る人間は、初めから無防備、すなわち相手に降参しているイメージなるのだそうだ。管理職やパワープレイが必要な人はどんなに暑くとも長袖を着るべきで、暑いときにはまくればいい。逆に相手にへりくだりたいとき、たとえばファミレスの制服などは半袖だったりするのは、お客に威圧感を与えないという効果がある、などと読んだことがある。また、交渉ごとでは、はじめは上着を着ていて、相手に妥協しよう、というとき上着を脱ぐのはサインである、とも。つまりこのへんでざっくばらんに話をつけよう、という意味である、というのもあった。
 それでいけば、首相や外務大臣なんかがクールビズ姿でどんなことをコメントしても、その絵を見た外国の要人はニホンの指導者は降参したんだな、と思うのではないか。
 省庁を28度にするならすればいいのである。服装なんて好きにすればいい。「暑いと思う人は脱いでもいい」ということにすればいい。梅雨場でかえって肌寒い日だってこれからあるかもしれない。一律にああいう格好、というのはよせばいい。上の人が率先しないといけないから、という趣旨は理解するが、あんなみっともないことより、どうもわからない・・・私の職場など初めから服装は自由でジーンズ姿もいればばりっとスーツの人もいる。ただ社内でも交渉ごとやお詫びが必要な局面では少なくともネクタイはする。ない人はほかの人に借りたりするが、そういうもんだろうと思う。
 自由にするなら、たとえばどうしてもシャツ姿にするなら、私ならどこかの軍隊風の開襟シャツとか、芸能人みたいなフリルの一杯ついたロックスターみたいなブラウスとか、海軍風の白い詰襟とか、派手派手なものを着ると思う。というか今でも別にうちの会社では営業や取材の人以外はそんな格好でもいいのである。私自身、20代のころ、内勤の時にはサイケデリックな、7年代のエリック・クラプトンみたいなシャツを着て出社したこともある。迷彩シャツでいったこともある。
 とにかく、あのネクタイだけ取っていい加減なワイシャツ、というのがよろしくない。
 昔の朝廷でも幕府でも、高位高官ほどラフな服装でよく、下級者ほどきちんとした格好をさせられた。衣冠束帯などというが、実際には衣冠と束帯は違って、後ろに長い裾というマントみたいなものをひきずって歩くのが束帯で盛装だが、大臣ともなると冠と上衣をつけていれば袴など下は略装でいい、というのが衣冠姿だったと記憶する。幕府などでも幕閣になると、表面のちじれた裃を着るが、これはそういうややラフな服装を許される、ということで下級者はきちんとしたのを着る、というような規定があったように思う。
 ということで、なんとなく閣僚どもが宴会の3次会みたいなシャツ姿で歩き回っているのを見ると、なんとなく俺たちは高位高官だからラフでいいのだ、と言っているようにも見えて気に入らない。人に頭を下げなくていい職業の人の格好のように見えるのである。

2005年6月09日(木)
サッカーは日本がドイツのワールドカップに行けることになったんですね。もちろん、ほとんど見ませんでした。はっきり言って見ていると負けることが多いので。
 来年の今頃はW杯の開幕だそうであります。にわかにドイツ語を勉強する人が増えるかも知れない。それはうれしいですけどね、うちなんか。
 まあ、EUも難しくなってきて、先行き不透明感もありますがね。
   ◇         ◇        ◇
 なんとなくちらちらと本屋で立ち読みをしていて、県民性を探る本・・・割と最近、はやっていますよね。その中の一冊をふと見てみた。まあ、どれを見ても似たり寄ったりなんだが、そして私の場合、かなり日本中を転々としていて、行く先々で幾分ずつの影響を受けているので、はっきり自分の類型というモノが分からないのでいまいち興味がなかったのだが、しかし一応、両親が愛知と岐阜の出で、自分自身が岐阜市の生まれだから、このへんのパーソナリティーには近いだろう、と思ってみてみた。要するにかなり保守的であまり新ししものには興味が無く、「明るくて軽いのり」が嫌い、プライドは高く見栄っ張りでここぞというときには派手好き、また人を容易に信用せず、人を騙すようなタイプもいる・・・という具合のことが書かれていて、まあかなりそれだけ見ると油断ならない嫌な奴、あえていって美濃のマムシの斎藤道三とかかなり付き合いづらい人間性を思わせる記述が多かった。
 で、割と当たっているかも知れないですね、結構これ。
 ちなみに現住地の千葉県民の場合は、ほとんどがよそ者なので愛郷心など希薄、基本的に開放的で温暖かつ豊かな地の人らしくあくせくしない楽天家、ということだそうだ。
 思うに、私のような中京地区の類型の人が転々した結果、千葉県民になることで、他人嫌いで人間不信で、軽薄なモノが嫌いなんだけど、保守的で地味好みかと思えば案外に派手好きで、ついでにやる気がなくて開放的でいい加減な・・・私になるのかも知れません。
 土地柄は間違いなく影響はありますよね、実際に。それは渡り歩いた経験のある私には分かる部分がある。転校すると言葉も変わるし性格も微妙に変わる。不思議なもんです。
 が、なんとなく大阪的ラテンのりだけはどうも苦手なんですね、昔から。関西に住んでいたころにもそうであった。関西人が嫌いなのではない。そうではなくて、典型的な「大阪のり」とされるものが好きじゃない。もちろん実際には大阪人といっても千差万別であることは当然で百も承知なんですが、あの人間関係の距離の近さには辟易する部分がある。なにしろ「容易に他人を信用しない」生まれつきなので・・・。こういう刷り込まれたものはなかなかもって変わるものじゃありませんな。
  ◇       ◇          ◇
 「JA秋田おばこ(秋田県大仙市)の人事課給与担当の男性職員(32)が自分の職能給を定めた号俸などを勝手に引き上げ、1年5カ月間に計12万8980円を不正に受給していたことが9日、分かった。同JAは8日付で職員を懲戒解雇。全額弁済しており、告訴はしないという」なんて報道を見かけた。なんでもここのJAは20ぐらいの農協が合併したモノで、この職員は実際、給与の低い農協の出身だったらしい。ちょっと同情します。うちの会社でも、入社したときの出身で、その後、同じ職場にいても給与が違う、なんてことがスタッフ職場などではあって、これがけっこう根深い怨念、怨恨を呼ぶんですよね。同じ仕事をしているのに、なんであの人ははじめから給料がいいのだ、というのは・・・。このへんはなんとかしないと、問題は今後も起きる。
 いまはやりの統合・合併ですがこういう問題は難しいですよね。



2005年6月08日(火)
当サイトとリンクしているMGライフの宮地様、ありがとうございます。というのは、同サイトでフランス潜水艦シュルクフの艦名の由来は・・・という話題に、私が確かフランスの私掠船の艦長じゃなかったかしら、と書き込んだところ、一晩で浅学な私の情報量の百倍もいろいろリサーチしていただいてアンサーを書き込んでくださった。ありがたきは同好の士である。
 このシュルクフという潜水艦、「終戦のローレライ」の伊507のモデルである。そして、由来となったロベール・シュルクフはフランスの最後の大海賊の提督だが、けちな海賊じゃなくて大英海軍を向こうに回して大活躍した名将、ということである。23歳で艦長、26歳で一艦隊の司令官、というすごいひとだったらしい。
 英海軍の艦長から「おまえらフランス人は金のために闘うが、われわれ英海軍は名誉のために闘うのだ」とからかわれたとき、シュルクフ艦長は冷然と「人は皆、自分に足りないもののために闘うもんだよ」。自分らには確かにお金がないから、お金のために闘う。君らはするというと、もともと名誉がないのだろうね、お気の毒に、ということ。フランス人らしい受け答えだ。
 まさに映画「マスター・アンド・コマンダー」の世界のお話である。
  ◆           ◆           ◆
「仰天スキャンダル…金正日二男、正哲氏が豊胸化?(夕刊フジ)・・・後継者問題に注目が集まる北朝鮮の金ファミリーに絡んで、何やら不思議な情報が流れてきた。「最も有力な後継者候補」とも目される二男、正哲氏(23)が、「性ホルモンの分泌障害で、胸が膨らみ、体が女性化してきた」というのだ。真実ならば、後継者レースから大きく後退することにもなり兼ねないが・・・」というのだが本当なら笑える。万景峰号で日本に来て新宿で働きなさい。日本はこういうことに寛容な国である。
 そういえば、「電通が、全日空のテレビコマーシャル(CM)撮影で同社から貸与された計200人分の女性客室乗務員などの制服のうち、12人分を紛失していたことが、7日わかった(読売新聞)」というんだが、実際に撮影に参加したのはもちろんタレントの女性。その後、「正直に返却してくれれば許します」と呼びかけたところ2人が匿名条件で返したという。あとはおそらく、横流しして売ったり、人によっては自分の趣味で使用(どういう使用法かはいろいろありうるですね♡)しているのではないか、と思う。
 フェティッシュ趣味の人というのは結構居るので、スチュワーデスの衣装など相当の高値で売れるのは間違いない。
 と思えば、世田谷の路上でナイフ振り回して警官に撃たれた39歳バカ男は「自宅にナチス軍制服」なんて見出しを付けられている。だからなんなのか、と私など思うが(だってうちにもいくらでもナチス軍制服なんてものはあるから)、それがニュースになるというのが分からないといえば分からない。床の間に刀があろうが、五月人形の鎧があろうが、なんかしでかすと問題になるのかもしれない。くだらない。とにかくこいつがバカなだけである。なんでも一緒くたにされても困るのである。
 ギャップイヤー制度、なんてものがあって内定者に数か月から数年、遊ばせてくれるという奇特な制度をソニーなどが導入するという話を聞いた。それに来年あたりは団塊の世代の離職を見越して、バブルの頃、つまり我々ぐらいの時代と同じぐらいの人数を企業は採用する計画だという。
 ということで急に若い者に至れり尽くせりの環境のように見えるが、それは基本的に新卒のことだろうから、今現実にあぶれているニートとかフリーター連中はこのまま無職のまま老いさらばえていくのであろう。
 にしても、ギャップイヤー制度、か。「入ってみたらホントにやりたい仕事ではなかった」といってやめる若者を減らすためのこころみだそうだが、思うに待遇がよい人はよほどのことがない限り「本当にやりたいこと」でなくとも辞めないだろう。実際、本当にやりたいことを職業にしている人など世間に稀である。
 私はしかし困るのである。本当にやりたいこと、などといわれたら私の場合、世襲地主である。ミュージシャンとか作家とか、芸能人とか派手な職業に就きたい、という人は多かろうが実際にやれば面倒である。社長になりたい、といっても堀江さんを見ていれば分かる、気苦労も多かろう。いちばんいいのは世襲地主で、会社を興そうが道楽で音楽をやろうが文芸をやろうが、なにをやっても「採算を考えなくていい」身分の人である。
 で、また結構そういう身分の人もいないわけじゃないから、困るのである。
 そういう例を見聞きすれば、物事馬鹿馬鹿しくていやになる者が出るのも無理はない、とは思うのである。

2005年6月06日(月)
 読売新聞の経済面の受け売りだが、・・・一見して妙な写真が目に付いた。ニューヨーク証券取引所らしいのだが、堅い服装のビジネスマンの背景に巨大なマーシャルアンプ、そしてその横にいるのは明らかにレッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジである。どうも先月に、ワーナー・ミュージックが再上場したときの模様らしい。
 なんで再上場か、といえばワーナー・ミュージックは一度、タイム・ワーナーという巨大メディア企業の傘下に入っていたのが、音楽部門だけ再び切り売りされて、単独で再上場、という運びになったそうである。ちなみにジミー・ペイジの熱演にもかかわらず、上場当日は全然、株価としては駄目であったそうであるが・・・。
 このように、アメリカじゃ巨大複合メディアグループが解体の流れにある、という。テレビ、ラジオ、CATV、インターネット、映画、出版、音楽・・・などなどを複合した巨大メディア、というのが大流行してバイアコムとか、タイム・ワーナーなど巨大企業が出来てきて、これがニホンでも急に言うようになった「メディアの融合」という話になったのだ・・・けれど、実際にはこれらの経営者の判断というのは、要するに超巨大な広告媒体というか、地上波テレビから衛星放送、ネット、活字、映画に至るまで包括した大宣伝媒体として儲けよう、という腹であった。しかし広告主のほうはそんななんでもかんでも、という契約はしてくれず、テレビならテレビ、ネットならネット、とあくまでばら売りにこだわったので、実際にはてんで商売にならなかった、という。当たり前である。メディア特性というものはある。出稿側としてはできるだけ経費は抑えたい。そんな包括的な大雑把な広告なんて打てるわけがない。一方で、いわゆるメディアの融合などといっても、結局それでどうしたいのか、というのもなく、やはり経営的にはテレビはテレビ、ラジオはラジオ、ネットはネットと別に考えたほうがいいらしい、と言う話になっているそうだ。
 だから、ニホンで某社の乗っ取り話に乗じてにわかに「メディアの融合」なんていったものの、そんなものはアメリカじゃむしろ古い話、と私など書いたけれど、それはやはりそうなのらしい。ニホンはなんでも周回遅れのランナーなのである。
 ついでにいえば、これからはネットの時代で、従来型のマスコミは要らない、なんでもブロッガーみたいな個人の発信する情報を、みんなの人気投票で選び出せばいい、というホリエさん型の主張も、例のやはり巨大メディア「ニューズ」の総帥でメディア王(ニホンじゃテレビ朝日を乗っ取って結局手放した人として知られる)マードックが、ネットの強さを知らなかった、これからの新聞はもっとネットとの融合を考えなさい、と示唆した演説を受けてのことらしい。所詮は自分の考えた意見じゃなくて、外国のお話の受け売りである。
 そりゃ、私など前からそんなことはそうだと思っている。個々人との対話、という要素が足りない居丈高な新聞の説教調は時代遅れである、と私も思う。
 しかし一方で、新聞社などは単純な誤字脱字を減らすためだけに大変な人権費をかけて努力をしている。出版社だってそうであろう。こんなことは決して個人では出来ない。だから絶対に無難な情報に絞ろう、と思ったらグーグルではなくて新聞社や通信社のデータベースなどだけで検索したほうがよい、というのはまともな人の情報の取り方としては常識だろうよ。個人のサイトや個人のブログといって、実際にはろくでもない与太話も多く、いわゆるネタかネタでないかを見抜くために使う神経とか時間の無駄というのは、少しでもネットに触れている人には誰しも経験があるところだろう。
 新聞情報がとにかくほかの情報源よりは信用できる理由は、なんといっても間違っていれば訂正されることにある。それはITの専門家がつとにそう指摘しているのである。私も日々、印刷される前の新聞記事を見ているが、しょせん記者と言っても人間だし、締切時間に追われているし、間違いはするのである。引用している日付や時間の間違い、何年ぶり何回目、なんて決まり文句の間違い、何年連続で増加、なんてときの○年が違っている・・・もう毎日のようにミスがある。まして個人のサイトに載っている情報など、どうであろう。本人に悪意がなくとも、孫引き受け売りに引用ミス、思い違いのオンパレードであろう。人名なども、たとえば卑近なところ、辻元佳史ではなく辻本佳史と検索してみても、たくさん出てくる。他人様もあるけれど明らかに私のことをさしている記事も多い。これ、知らない人は私を辻本だと思い込んでしまうであろう。しかし、新聞に「辻本」と載れば私は間違いなく訂正を申し入れる。ネットだと言わないけれど。だれか気付いた人が言ってくれるかもしれない。新聞社やテレビ局ならどこに言えばいいかもすぐに分かる。だから本当に違っていれば訂正が出る。よって、データベースに残った記事情報にミスはきわめて少ない。
 ネットだと・・・たとえばあるブログで実際に見たことだが、管理者がある記事を書き、それに読者がすぐにコメントを書いて、「今書かれたことは間違っています」というのを見たことがある。ところが、どうもそのコメントを書いた人のほうが間違っているのですよ。管理者の原文のほうが正しいの。なのに、管理人はすぐに「ありがとうございました、間違いを指摘していただきまして・・・」なんて返事をしていて、どうもそのまま、そのブログでは間違った話を前提に進んでいってしまった。私のように意地の悪い人は、別にそれに書き込んだりしない。また複数の人が「正しい」「正しくない」などと書き込んで収拾がつかなくなる、なんてことは掲示板ではザラにあること。
 しょせん、ネットの情報力の限界とはそういうことである。実際には、本当に不特定多数の人が見ているわけではない、それぞれに常連しか参加していない、というのがネットの問題である。
 それにだ。先日は「ディープ・スロート」が話題になった。あれはFBI高官が新聞社に情報をリークしたのだが、あれがもし、この高官がインターネットのブログにリークしたとして、それで大統領を首に出来たかどうか、である。ネットなど、中国の例で見るまでもない、権力側も匿名で介入できるのであるから、それにネットの情報はほとんど与太、というのがネットの世界の住人にも常識であるから、大統領が盗聴しているらしいよ、なんて書かれても、たとえば2ちゃんねるの住人の反応を想像してみるがいい、「ネタだっか? 話の根拠をキボンヌ」とかなんとか書かれて、それっきりになってしまうであろう。新聞社だから話の根拠を知りながら、それを秘匿できた。ネットでは全部匿名情報だから、真偽の判断は出来ない。素人の憶測や世間話の中で埋もれるのである。そのへんは掲示板のやりとりをいくつか観察すれば分かる。必ず、妙な噂話を撒き散らす人、なんでも聴きたがる人、なんでも教えたがる人、茶々を入れる人、他人の意見を読まない人・・・などで溢れかえって、明らかに間違った方向に進んでしまう、というのを見たことがある人は多かろう。
 ネット世論作りなんてものは、そういうことになるのである。そこに政府権力の監視が入れば、実に誘導は簡単だ。市民を装って権力が介入すればいいのだから、造作もない。
 マードックは、あくまでも自分のところの新聞幹部に、ネットの強さを良く知って対処しなさい、と内部的に示唆したのだと思う。
 メディアの融合、といって実際にはちっとも儲かるビジネスモデルは見つからず、ブログといい掲示板と言っても実際には受け売りの再生産がされるだけで(だってこの日記の今日の記述も受け売りばかりじゃないかね? 1次情報じゃないですよ)少なくとも「ネットを中心にしたメディアの融合」というようなお話は、世界的にはむしろ流行おくれなんだ、と今日は言いたいのであります。これは受け売りじゃない、前から考えていたことです。

2005年6月05日(日)
もちろん見ていなかったバーレーン戦だが、ちらと見たとき、既に日本は1点勝ち越していた。それでそのまま終わってしまったらしい。「残念だったが、今後の日本の健闘を応援しますよ」とコメントしたバーレーンの市民がいた、まことに偉い。ああいう余裕のコメントを内心は腸煮えくり返っていても言えるのが文明国である。何がいいたいかと言って、極東の幼稚な国々では事実上、かつての第三帝国でユダヤ人に対する憎悪を公的機関が駆り立てたように国ぐるみで嫌悪を煽る様な真似をニホンジンに対して行っているから、こんな文明国的なコメントは出てくるわけがない、ということである。
 右翼の人らの言い分として、「こんな民度の国ばかりだから、日本帝国としては日清・日露と戦争を重ねる必要があったのだ。あのへんの国がもっとしっかりしていればそんな必要はなかった。なんでも日本帝国主義と言って悪者にしていればよいというのは違う」というのがある。日本の言い分として公式に言い張れるものではないが、しかしである。正直に言ってあのへんの極東の国の古臭いメンタリティーには確かに辟易である。つまり根本にあるのは日本みたいな後進の野蛮国が、という偏見であって、それが何百年たっても意識から消えないのはほとんど確実である。個々のことで言い分があるのだろうが、そういったいちいちのことはどうでもよく、本当のところはニホンのような蛮族の国がのさばっているのが気に入らない、というだけのことである。
 首相の靖国神社への参拝がいかにも形ばかりで、それでこれだけ問題が大きくなっているのが国民として面白くないのだが、つまり本心から靖国神社というものを英霊がいますところと確信しての事なら、そんな年に一回、こそこそと行くのではなく、毎日のように行けばいいのである。日ごろ、なんとも思っていないような人間が思い出したように行くから目立つのだ。ぜひ、せめて週に一回は行って貰いたい。どうせ行くのなら。それで外圧があれば首相を応援する人も出てくるであろう。今のようなつまらないやり方で、かえっていいように外交カードに使われてやいのやいの言い立てられるのでは、どちらの立場の人も「なにをしているんだ、あの男は」としか言いようがないのである。
 ・・・まことになんだけど、あの首相も後一年ほどのようだが、そして私は最初にかなり期待していただけに、その後の不手際からだんだん気持ちが離れて今ではまったく応援していないが・・・簡単に言うと行政のリストラと福祉改革を真っ先にやってくれるものと思っていたのになんにも出来ないで終わりそうである。そして、本人としてなにかやったつもりのことも長い目で見てなにも効果が出そうにない。国の借金はちっとも減らないで終わりそうだ。銀行の不良債権処理はそれぞれの企業が努力したことである。どんな政権でもこのようになっただろう。そしてその結果として年間3万2000人が自殺している。そんなことはあえていって誰でもできることであった。
 後で「あの空白の数年は結局、なんだったのか」という話になりそうである。

2005年6月03日(金)
実家に寄った帰りに船橋の某熱帯魚店を覗いて驚いたですね。フグに白点病という、全身に白いかびみたいなものが付着する病気が出ているわ、亀はコケだらけだわ、金魚の水槽などみんなどんより淀んで、よく見たら寄生虫がついているのがはっきり分かるのもある。そのほか、店内どの水槽も死者続出である。どういうものなのだろうか、と思った。前はそんなことはなかったんだが・・・どうも管理が出来ていない。というか、管理できる人がいなくなったのか。あるいはディスカウント型のペットショップや通信販売が増えて、既存の百貨店などに入っているペット売り場などが押されているのか。
 ほんの1年前には繁盛しているように見えたのだが、すっかり活気がなくなっていた。ものごとおかしくなるとあっという間である。
 それで今日は・・・バーレーンとのサッカーの試合だという。小野が怪我したとかいう。まああまり興味も関心もない。
 そういえば、全国の都道府県で確認されたというあのガードレールの金属片、馬鹿なやつの犯行かとも思われたが、ここまで広範囲に、しかも長い期間・・・というのはどう見ても錆び付いた古い金属も多い・・・すると「埼玉県吹上町のガードレールに残っていた金属片が、同じ場所で事故を起こした車両の損壊部と一致することが3日、行田署の調べで分かった。同県行田市内では5月末、中学生が別のガードレールの金属片に接触しけがをしており、同署は金属片のできた原因を詳しく分析する」という報道で、やはりどうも車が接触すると継ぎ目に金属の破片が残るということらしい。
 ただ、おそらくこういう自然発生的なものでけが人が出ることを聞き及んで、もっと鋭利な金属などを取り付けようとする馬鹿な人が出てくるから、かえってこれから監視が大変ではないかと思う。
 まったく関係ないが、実家で走り読みした「週刊新潮」の哲学者I女史のコーナー。私は女史のソクラテスものなどは愛読していて、むしろファンなのだがときどきこの人があまりに浮世離れしている、まるでソクラテス本人のように仙人じみている、と感じることがある。前にもケータイやメールに振り回されている人はくだらない、というようなことが書いてあったが、私はたとえばライターでもメールで送稿が当たり前、出来ない人はクビね、なんて時代に手書きの原稿を送っていられる自分の身の上は幸せなだけではないか、と感じた。今回は例の福知山線事故でマスコミは大騒ぎしてくだらない、JR西を悪者にしていればいいのであって、自分らはそれで「特種が取れたね」といって酒を飲んで喜んでいるだけで、宴会をしていたJR社員と変わりがあるまい、みたいなことを書いていた。それこそいい気なものである。マスコミは確かに事件や事故に群がる銀ハエみたいな職業でくだらないと思う。その通りである。だが、事件や事故があってくれてうれしい、なんて感覚の者も確かにいるかもしれないが、大方のものは「自分が担当している間、世の中なにもなければいいのに」という思いで一杯である。ことにこういう大事件や大事故なんて特種はあり得ないから、かえってつまらない。独占できる情報ではないから、視聴率や部数にも関係ない。週刊誌はどうか知らない。テレビや新聞だと事件があったからといって、要するになんにもメリットはないのである。
 事件があって嬉しい? 冗談じゃない。忙しくなるだけのことだ。お祭りムード、なんてものも近頃はない。古い時代の仕事人間の話であろう。いまどき、うちの会社など何もなければさっさと家に帰ってしまう。しょせんビジネスなど楽なほうがいいのである。まあ部署によって雰囲気は違うだろうが。仕事の後に打ち上げで宴会なんてこともない。そんな暇があったら早く帰って眠りたい。そういう感覚はむしろ営業部門ののりである。
 そのコーナーでは、ある女性の若手記者だかが彼女に「こんなことでJRいじめみたいな取材をしていて自分はいいのだろうか」と悩んで相談してきた、みたいなことが書いてあったが、こんなのはネタじゃないかと思った。あるいは本当にそんな記者がいるなら転職したほうがいい。しょせんビジネスではないか。それこそくだらない感傷である。
 どうせどんな事故も数週間でみな忘れてしまい、数年後にはなんの教訓も残らないのである。どうせそんなものなのだ。一過性のマスコミの騒ぎ方に眉をひそめる感覚は分からないではないが、どれほど騒いでもJR西など半年もすればなにもなかったように元の体質に戻るに相違ない。事故報道や戦争報道に目をそむけていればクールなのか、といえばそれは単に無関心な人間とかわらない。あんなものは大いに楽しんで受容し、すぐに忘れればいいだけのことだ。いちいちそれで大げさな違和感を言い立てること自体、一哲学者の世迷言に過ぎまい。私はそもそもほとんどテレビを見ない。確かに軽躁気味のくだらなさが覆っているから。ニュースだってケーブルテレビのニュース局しか見ない。どんな大事件でもせいぜい10分以上はやらないからちょうどいい。女史もそのような番組だけ見ればいいと思う。

2005年6月02日(木)
久々に早起きをして・・・というか、要するに普通の日勤だったので無理矢理に起き出して、普通の人の時間帯に準じた「モーニングショー」をちらちらと見て・・・つまらなくて死にそうである。なにしろ某親方の葬儀に関する報道ばかり。不倫の元おかみさんに、元横綱の長男に、何考えているかわからない元横綱の次男に・・・みんな老け込んで見たくもない顔ぶれである。もちろん、取り上げていけないとは言わない、親方の現役時代は国民的な人気力士であったから。しかしどの局もどの局も全部、同じ時間帯に示し合わせたようにやっているのはうんざりだ。韓国との例の漁船の問題はどうなったんだとか、知りたいこともあったのに。
 その後、一仕事終わって、国会中継などぼんやり眺める。政治家達、というか閣僚達がガラシャツ着てなにか答弁しているが、ノータイの彼らはなにやら逮捕された状態のように見える。あるいは、万一のときのために予行演習でやっているのかもしれない。ノータイにチノパンの姿を事前によく見せておけば、逮捕されてもなんとなく、なんでもないことのように感じるであろう。というか、なんでもかんでもなんでもないこと、どうでもいいこと、という風にアナーキーと言ってもよいぐらいただ単にだらしなく破壊だけをしてきた小泉政権らしいといえば、らしい。
 もはや政治家なんてものもこの程度なので、あまり気にしないでくれ、というメッセージではないかと思われるのである。
 

2005年6月01日(水)
石原さんが自分の側近の問題を吹き飛ばすかのように「北京五輪ボイコット」「フォークランド紛争のような局地戦争も辞さず」とぶち上げるかと思えば、日本の保安船が韓国漁船を拿捕しようとして臨検、そのまま漁船が保安官を乗せて逃走・・・などとなかなか物騒である。21世紀は急激に極東地域紛争の時代に入りつつある。
 小泉さんがその間、「罪を憎んで人を憎まず、というのは孔子の言葉でしょう」なんて余計なことを言ったら、さっそく中国から「あれは弱者が犯した小さな罪を責めるな、という意味で曲解。それに被害者側が言うべきもので、日本の首相が引用すること自体誤り」との皮肉とも揶揄とも言える論評が返ってきたが、これについてはあっちの言っていることが正しいのだろう。とにかくつまらないことを言えば言うほど面倒になるからあの人にはあと1年間黙っていて欲しいものである。
 それで、かりゆしウエアだかうみうしウエアだか知らないが、どう見ても盆栽いじりでもするときのような格好で現れてクールビズ、とか言っている。まあ趣旨は理解するけれどあんなものはどうでもいいことだ。ネクタイをしていようがしていまいが、冷房温度を上げればいいだけのことであって、どんな服装でも暑がる人もいれば、どんな真夏でも寒がる人もいる。あいもかわらずどうでもいい、イメージ的な人気取りのようなことばかりに走る男である。マフラーの巻き方だけが話題になった細川宰相を思い出す。
 官僚の場合、むしろこれから不祥事があった場合に問題だろうな。「クールビズです」とかいってゴルフに行くような服装で現れて「すみませんでした」なんて頭下げてもだれも納得しないだろうから。
 私は、今の自分の仕事ではほとんど外になどでないし、うちの会社では人間ではなく機器のために温度を低く設定している。人間が風邪をひいても代わりはあるが、機械が故障すると困る。だから温度を上げるなんてことはあり得ない。むしろ上着が欲しいと思うほどである。
 それに、上着にいろいろ入れて、手ぶらで出勤、というのが私のスタイルである。だから特に服装を変えるつもりはない。小泉さんの呼びかけならますます従いたくない。
 ご自慢のラフな服装で「消費税を20%にさせてください」と言ってみればいい。ぶちのめされるぞ。

2005年5月31日(火)
 日本人の中高年では、男女ともにやせた人の方が肥満や標準体格の人より死亡率が高いとする結果を、鈴木庄亮群馬産業保健推進センター所長や群馬大学医学部のグループが約1万1000人を対象にした調査でまとめ、31日発行の日本疫学会誌に発表した。男性については同様の結果を厚生労働省研究班が2002年に発表しているが、今回は女性でも同じ傾向がみられた。若い女性でやせた人が増えていることから、鈴木所長は「栄養が足りなければ感染症に対する抵抗力が減る。将来に備えてバランスの良い食事を心がけ、やせ過ぎに注意してほしい」と話している(時事)・・・とのことだ。肥満はよくなくて痩せているのがいい、と一面的に強調してきたのに、どういうことなのであろうか。さいきんのこういう傾向には不思議に思う。
          ◇            ◇
 私は転校の多い子供だった、とこれまで書いてきたが、その理由というのは父親が生命保険会社の社員だったためだ。生命保険のセールスなど、2年もやればネタが尽きるので、どんどんテリトリーを替える必要がある、ということらしい。そして、今「社員」と書いたけれど、実はこれも正確でない。まず生命保険会社は基本的に相互会社といって、株式会社でない(最近になって株式会社化したところもあるが)。保険加入者がそのまま株主のようなものでもある。だから統合とか合併のときには、株主の意見を聞くように保険加入者の意見を聞かなければならない。それから、社員というのは「営業のセールスレディー」たちのことであって、彼女らを管理するうちの父などがやっていた立場は職員、と称される。個々のレディーの人たちはそれぞれ独立した経営者であり、確定申告も必要らしい。つまり、たとえば新聞社などでも販売局の局員がいるけれど、この人たちが実際に新聞を売るのではなく新聞販売店を管理する形をとる。販売店それぞれは独立したもので、店主はその店の社長であって新聞社に雇用されているわけではない。それと同じでレディーさんというのも社の構成員という意味で「社員」と呼ばれるが、いわゆる雇用された正社員、というのとは違う。あくまで契約関係である。
 で、なんでもMDRTとかいう世界標準がこの保険セールスの世界であるそうで、ミリオン・ダラーズ・ラウンド・テーブルとかいうのである。おおむね年間新規保険料が2500万円以上の人が入会できる、というようなことらしいが私にはよく分からない。おそらく年間に実際に入ってくるお金の総額、ということなんじゃないか。保険そのもので言うと「何億の保険契約」などとたやすく言うが、それは保険そのものの大きさを言うのであろうからここでいう基準とは違うのだろう。
 これの会員というのが、日本中で2000人ほどいらっしゃるそうである。全世界では2万人ほどだそうだから、まあそこそこに日本にもいる、ということだ。案外に少ないような気もする。そこはつまり、量と質の問題ということだ。父が現役の頃は、とにかく管理職員の仕事というのは契約を上げることと並んで、とにかく一人でも社員さんを増やすこと、であったように記憶する。どんな素人でも親戚縁者に頼れば保険の一つ二つはとれるだろう、という目論見だったのだろう。適性のない人はそこで辞めてもらえばよい・・・そんなイージーな感覚だったと思う、バブルの頃までは。
 95年ごろ、そのレディーさんが日本中で30万人いた。父が現役のころである。10年後の今は20万人に減った。相当に淘汰されたが、一方でMDRTに入れるような特に優秀なセールスの人はますます需要が増えている、ということらしくその意味では正常化しているのであろう。
 働く女性、といってある種、いちばん実力主義でばりばり稼げる仕事の筆頭だったのが保険セールスではある。職員より年収のいい社員さんなんてざらにいた。そもそも日本で女性セールス部隊ができたのは、戦後に夫が戦死した未亡人を戦力化したというのが始まりだそうだが、そのように、離婚したり夫と死別したりして、とりあえず生活力のない女性が自立するとき、保険セールスの仕事が役に立った、というのは一面で紛れもないことである。時代遅れと言って斬り捨てて行くような、なんでもかんでも外資系の派手なテレビCMのものに置き換えればいい、とも思えない部分である(それに海外でもMDRTに見られるように特に優秀なセールスさんは多数いるのであって、訪問対面販売自体が時代遅れ、という見方はむしろ間違っている)。
 セールスといえば、私は保険屋の倅だが自分は新聞屋になってしまった。販売ではないのだけれど、新聞というものが販売の前線でいろいろ問題を抱えていることは、百も承知である。いや、大概の人よりよく知っていると思う。販売を間接支援するような仕事も長くやっていたので、お店やセールスチームの実情もかなり知っているつもりである。
 で、昨日辺り、某社・・・A社の販売店がしつこい勧誘をして警察沙汰になっていた。それについてあれこれ思うこともないが、ただなんとなく世間的にその「A社は紳士的」で、これに対抗する新聞社は下品で悪辣なセールスをする、というイメージがあるので、それは違う、とだけ書いてみたい。要はどちらの陣営もやっていることは同じである。たまたま自分の家の近所でどちらの縄張りであるか、ということだ。
 もし、ご近所でA社のセールスが問題を起こしている、という人は、おそらくご近所のほとんどの家がライバル紙をとっているのである。ひっくり返したくて、無理なことをするのである。逆の場合も真である。シェアを持っているほうは無理なセールスをする必要はないからおとなしい。それだけのことだ。
 だからいいじゃないか、と言いたいのではなくて、ただどちらかだけは正義で、どちらかだけが悪辣だ、といった思い込みはよろしくない、と言いたいだけのことである。野球チームの贔屓の仕方でも、戦争などの見方でも、なにかとどっちが善玉でどっちが悪玉と見立てる幼稚な感覚には辟易であって、この件もそういうことだ、ということである。
 肥満は悪で、痩身は善、という一面的な言い方と同じである。


2005年5月30日(月)
グランド・セフト・オートなるゲームが有害図書指定を受けたそうである。無道な残虐行為など市街でやりまくって、ギャングやチンピラが生き残るような設定のものらしく、日本での発売はカプコンだが、やはり元はアメリカ開発である。
 なんでも、あるゲーム解説サイトでは「ハイチ人を殺しまくるシナリオなんかがあって、ハイチ人団体から訴えられちゃってる 素敵なゲームです。車で人をはねて金を奪うとか、警官を殺して銃を奪うとか、市街戦みたいに戦車や対戦車ヘリに乗って民衆虐殺することも可能」なのだと。
 大抵のまともな人には単なる娯楽なのだが、こういうものを真に受ける幼稚な人が多いものだから、有害図書指定も致し方ないかもしれない。私は本来、かなりゲーマーな方だが、ただ単にひとを撃ち殺すみたいなものにはてんで興味がない。アクションものとかシューティングに興味がないので、こういうゲームもやらない。前に米軍で新兵にこの手のゲームをやらせて訓練にしている、と書いたが、まあ世の中最後は、全人類がバーチャルな世界に無害に閉じこもることであろう。ゲームの世界を現実に応用するのでなく、一生、ゲームの中に閉じこもっておればいいのである。
 よくあるゾンビを撃ちまくるようなゲームも大いに問題だろう。それよりなにより、現代人にとって他人なんてものは邪魔でしかないのである。こういうゲームでそのような心性を助長すればろくなものにならないのはむしろ当然だろう。
 ところで、数日前にテレビで「源頼朝、足利尊氏、西郷隆盛、武田信玄」の肖像とされていた画像が、いずれも怪しい、という話題をやっていた。これらについては、歴史マニアの間ではもう10年、いや20年以上も前から言われていることなので、どうということもないのだが、ただこういうバラエティーなどで公然と言われるようになったというのは、随分と定着した話なのだな、と思った。以前はかなりマニアックな話題だったのだが。ことに西郷の画像がキヨソーネの描いた絵である、などというのは、同じく明治天皇の有名な写真もキヨソーネの絵である、という話と並んで、昭和の終わりごろにはかなり知られていたように記憶する。
 ああいう番組では出演者が、必要以上におおげさなリアクションをして、放送作家が指定したセリフを言わされている。あれを見て誰が頭がいいとか、誰がものを知らないとか素直に思う視聴者は自分が馬鹿である。ああいう番組で「知的」とされている人は、要するにそういう役柄を与えられているのである。「馬鹿」役の人は実態はどうあれ、どの番組でも馬鹿をやらされる。番組を見ていて、本当はこの手の話をよく知っている人だっているだろうに、しかもリハーサルをした後の本番でなにもかも分かった上で、驚いたふりをさせられている芸能人は気の毒だ、と思った。ああいう番組は一種の演劇なので真に受けてはならないだろう。

2005年5月29日(日)
 映画「プラトーン」などでアカデミー賞監督賞を受賞したオリバー・ストーン監督(58)が、27日夜、飲酒運転と薬物所持の疑いで米ビバリーヒルズの警察に逮捕された(読売新聞)とのことである。この人、前科もあるそうだし、近作「アレキサンダー」ははっきり言って興行としてこけたようだし、まあ、いろいろあるのだろう。
 アレキサンダー映画の割に、戦闘シーンが少ない変な映画だった、と今になるとそんな印象である。なにしろ大王の最大の特質は軍事的天才、ではないのか。たとえばショパンの伝記で演奏シーンが少ないとか、ジミ・ヘンドリクスのドキュメンタリーでステージシーンがなければ観客は怒るだろう。
 先日のキングダム・オブ・ヘブンにからんで、エルサレム王国を中心に十字軍とイスラム軍の攻防を描いた資料など少し目を通したが、詳しい方には当然至極なのだろうが、キリスト教勢力と十字軍勢力、というとなにか日本人にとっては絶対に相容れない異教徒、異文化勢力のように思ってしまいがちである。実際、日本人の一般的理解では、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つが実は同じ神様を崇拝しつつ解釈の違いで揉めている、要は日本的にはほとんど宗派の違いのような程度の兄弟関係にあることすら知らない人も多い。之に比べれば仏教諸派の差異の方がよほどに教義が違うように感じられるほどである。天台・真言と日蓮宗と、禅とが同じ宗教なのか、というぐらい違うではないか。タイの仏教寺院を見てああ、日本と同じお寺だな、と思うかどうか、である。
 それだけ中東の砂漠から出てきた思想というのは潔癖性が強いということなのか。まあ似たようなもの、とは決して思わないらしい。
 本来、イスラム勢力の急成長の原動力には、征服地の異教徒に改宗しないで貢納を条件としてそのまま従来の教義を守らせた、ということがあるそうである。これは、単に寛容であったというよりは、もともと商人出身のムハンマドが改組であるこの宗教らしい、改宗されるとアッラーの下にみんな平等となってしまう。それよりはそのままにしておいて、貢納させたほうが経済的に得、という要素は大きかったらしい。とにかくそのへんは合理的だ。もともと迫害の歴史から身を起こし、始祖の刑死を起源とするキリスト教の宣教師連中の狂信性よりまともである。
 サラディンだか、その後に出てくる名将バイバルスだかの逸話で、「現代のアレキサンダーここに至る」と記念碑に彫らせた、という話を読んだ。大王はどちらの勢力にとっても超有名人だったわけだ。イラク戦争でさんざん出てきたカンダハルなんて地名も元はイスカンダル、すなわちアレキサンダーであるともいうし(決してマゼラン星雲にある宇宙戦艦の目的地ではない)、ごくごく近しいものだった。そういえば「現代のサラディン」とか名乗っていた人がいたが、いや、今でも刑務所にいるが・・・器の小ささとか無意味な皇帝幻想では、中東の小ムッソリーニである(イタリアの人、ごめん)。
 その後に、チンギス・ハンが怒涛の勢いで攻め込んでくると、キリスト、イスラム両勢力で一致してこれに対処しよう、という動きも見られたようだし、さらには後代、オスマン皇帝がコンスタンチノーブル陥落後、正式には「カイサル」すなわち「ローマ皇帝」を名乗ったという話も興味深い。
 そんなことをいえば、そもそもイベリア半島はイスラム圏だった時期のほうが長い、というのも有名な話である。レコンキスタと宗教裁判と、そしてなぜかセルバンテス、というかドンキホーテ・デ・ラ・マンチャが一連のイメージで私には(やや乱暴だが)浮かぶ。セルバンテスが戦傷を負ったのはレパント海戦だった。
 このように、日本人が考えるようなまるきり異文化の衝突、というイメージはないらしいのだった、本来は。このへんの関係が無茶苦茶になってくるのはやはり西欧の産業革命と帝国主義時代以後のことのようである。それもそのはず、この時点までは明らかにイスラムのほうが先進国だったのだから当然である。オリエンタリズム、なんてものが一種の見下すイメージに近くなるのもそういう時期からであるようだ。
 もっとも、今日、はるばるイラクにやって来るアメリカ兵とか、オーストラリア兵とか、日本の自衛隊員とかいうのは本当の意味で異人種であろう。
 日本の警備会社社員、s氏の殉職がほぼ決定的となったそうだ。明らかに犯行グループは日本という国の弱点を知っていて、揺すぶってきたわけだ。おそらく最初から戦死していたのだろう。
 こちらは全然知らないのに、向こうは非常によく知っている、ということがここの地域ではある。これは危ういことである。
 もっとも極東地域でも同じか。日本人というのは何処に行っても。


2005年5月28日(土)
 突然だが、昨日、葛西臨海水族園に行った。ご承知のように私は千葉県浦安市在住である。そして東京ディズニーランドにおいでになったことのある方ならこれも周知のことだろうが、TDLから橋一つへだてた対岸にあるのが東京都の葛西水族園である。もうまったく隣接地であって、浦安市民からするとほとんど自分の街にあるのも同然な近さ、なのだが案外に行ったことがない。私たち夫婦も新婚当時に一度、行ったっきり、だった。
 その後、昨年の6月ぐらいからにわかに妻がアクア趣味にはまって、というか元々、好きだったのだが、これまでは借家だったためにペット趣味はあえてしなかったのが、一軒家に来て、それも4年に一回のお祭りの縁日で金魚すくいをやったがために、魚趣味が再燃したようである。で、それから1年もたっていないのだが、既に家中に水槽が鎮座ましましている。近頃は金魚やモーリーみたいなわりと普通の魚ばかりじゃなく、古代魚とか、プレコ、ブッシーとか、ザリガニまでいる。そんなこんなでわずかの間に随分とたくさん住人が増えた、そのくせ、魚趣味が復活してから一度も、このご近所の有名な水族館に足を運んでいないことに気付いた。で、天気もいいし、珍しく私も昼間から頭が冴えていたので、ちょっと出来心で行ってみるか、ということになった。
 すると、本当に近いのな。車でものの20分ほどで水族園の駐車場に着いていた。で、平日のこととて、非常にすいているのは当然だが、一体、何時ごろまでやっているのか。入り口の売店には「5時まで営業」とある。・・・ということはあと2時間もすれば閉館? まさかな、と思いつつ入場する。
 と、いきなりシュモクザメの群泳に目を見張る。我が家の小さな水槽でちまちま泳ぐ熱帯魚とは違う迫力だ。以後、タツノオトシゴやら、サンゴ礁の珍魚、北極海のウニやらと、珍妙な魚を見て回り、ここの売り物である「マグロの回遊」水槽にたどり着く。これ、8年前に初めて見たときは心底驚いた。が、今回はやはり初めてじゃないからそこまで驚かない。にしても飛行機のようなジュラルミン色の巨体にはほれぼれとする。刺身にすると何人前かしら、と不謹慎な連想をするものも多いだろう、と密かに思う。
 それから後は、ペンギンがくたくたと昼寝したり、エゾピリカが水中で糞をしたりするプールを見て回る。ばかでかいイセエビとか、うちにいる熱帯魚の近縁種らしいサヨリのとがった口とか、さまざまを見る。ヤドカリがあまりかわいくない。どうも陸に上がるオカヤドカリというのがかわいいのらしい。T社という、今度どこか別の大手玩具メーカーと合併してしまうと思うが、この玩具会社がヤドカリの子供を水槽などとパッケージして玩具として売り出し、開封したらヤドカリがみんな死んでしまって、ものによってはミイラになっていたりウジが湧いていたり、などという馬鹿げた話をヤドカリ愛好家のサイトで拾ったが、それもやはりオカヤドカリだったのか、と思う。企業など商売しか考えない。こういう場合、マスコミなり政治家にいいつけるのがいちばんいいのだが、自然愛好家などというのは企業との戦争の仕方を心得ない。世の中、善意では動かない。
 などと考えながら、ふと出口近辺まで来て、「あれ、こんなものだっけ」と二人同時に見合う。なんか前に見たときはこれでもか、というぐらい魚を見た気がした。物足りなく、出口地点から入り口までわざわざ引き返す。で、かなりたくさんの水槽を見ていなかったことに気付く。すると警備員が「5時で閉館です」と言い始めた。おいおい本当に5時で終わりなのか、と思い焦る。とにかく全部見て回り、最後は入り口からも出られるというので入場口から出る。
 どうも、うちにも魚そのものはたくさんいるので、生体だからと言って驚きはないものらしい。案外に後になってみると、タラとかキンメダイとか、魚屋で売っているような寄せ鍋の具みたいな魚の生きて動いている様が印象が強い。
 入り口の売店に先に入っておいて正解だった。5時まで見ていては何も買えない。で、マンボウサブレというのを買った。絵も可愛いしおいしいのだが、考えてみるとこの水族館にマンボウはいない。なぜであろうか。池袋サンシャインの水族館の売り物じゃないかと思うが。同じ都内だからいいのかしら。
 けっこう、池袋と葛西とではどっちがいいか、と謎の比較をしているサイトもあったようだが、公営と私営では料金が違うのは当然である。池袋のほうが小さいが、種類が多かったような気がする。葛西はビッグスケールのパノラマは素晴らしい。なんにしても5時閉館はいささか早い。そして、マンボウもいるとなおいいのは確かである。
 ついでにいえば、臨海水族園でありシーライフパークという英語名なので仕方ないが、淡水魚がほぼ皆無、というのがちょっと寂しい。珍しい辺りを置いてくれるとなおいいのに。
もっとも近頃は普通のペットショップでもかなりな珍魚が平然と売られているから・・・。
 この水族園は、平成元年にできたように記憶する。私は新入社員で、うちの会社の新聞の夕刊に大きく載ったのだが、翌日「昨日掲載したマグロの写真は上下が逆でした」という訂正が出たのをよく覚えている。ぼやけた白黒写真を見て上下が分かるほどの魚通は社内にいなかったようである。
 それから16年ほどたったわけだが。少なくとも8年前と比較してもあまり変化はない。超然としていていいのかもしれないが、そして商売に走るとT社のようなことになるのでこれはこれでいいのかもしれないが、対岸には商売の権化であるTDLがある土地柄だ。もう少し新味のあることも考えてもいいのでは、とは思った、率直に言って。
 しかし、おもしろかったですけどね。いい気分転換になりましたが。
 

2005年5月27日(金)
今から100年前の今日、東郷平八郎率いる連合艦隊は対馬沖にて、ロジェストヴェンスキー率いるロシア太平洋第三艦隊(通称・バルチック艦隊)を邀撃、史上稀に見るワンサイドゲームでほとんど全滅に近い被害を与えてこれを退け、日露戦争の勝敗をほぼ決定付けました。近代日本のひとつの大きな記念日であったといえます。というわけで海軍記念日ということになって、なんでも私の妻の母、すなわち私の義母は、本当は6月生まれなのに父親の「めでたい日なので」という発想で5月27日生まれにされてしまったとか。当時的にはそんな国家的記念日が消滅するなんて考えもしなかったのでしょう。記念日どころか日本海軍自体消滅してしまったんだし。
 が、それで明治は遠くなりにけり、戦前も、また太平洋戦争も60年の昔。靖国問題も何もあまりにも古い話題で、・・・と思っていたら、まるでそういう雰囲気を吹き飛ばすかのように、フィリピンで元日本兵数人の消息がはっきりしてきた、という話題でありまして、横井さんや小野田さんのときどころじゃなく、60年も「軍法会議が怖い」といって潜んでいたというのは驚くべきことであります。今、日本には軍もないし(少なくとも正規の軍隊はない)、もちろん軍法会議もないし(自衛隊は単なる特別職公務員です)、何て事実をまったく知らないのでしょうね。
 小野田さんの時には「直属上官の命令がないと動けない」と言い張った。直属上官というのは命令系統上の線で、中隊長、連隊長、師団長ということだろうと思いますが、旧軍隊ではその直属上官でなければ停止敬礼、つまり立ち止まって気を付けして敬礼しなくてもよかった(ただし欠礼はいけません)というぐらい、絶対のものであった。そんなメンタリティーをおそらく今回の人々もまだ持っていることでしょう。
 大隊長(階級で言うと少佐から中佐級)というのは原則的には隷下の中隊長に命令を下すけれども、自分の直卒の部下というのはほとんどいない。兵隊から見ると直属上官というとなにはともあれ中隊長で、そのうえは連隊長(大佐クラス)ということだったようであります。このへんは、たとえば今の会社などでも、課長は課員を部下に持っているが、昇進して部長補佐になると自分の指揮下の部下はいなくなって部長秘書みたいな身分になってしまう、その後、部長に上がると、部の中の全員を掌握できる・・・といったケースはよくある話だと思います。
 ともあれ、その80を過ぎた老兵たちの「復員」はありうるのでしょうか。

2005年5月25日(水)
 名言を一つ。「軍人は有能か無能か、そして働き者か怠け者か、これらによって4種に分類できる。有能な怠け者は司令官に、有能な働き者は参謀にせよ。無能な怠け者は…そうだな、連絡将校ぐらいならできるだろう。無能な働き者? それは処刑するしかあるまい。(フォン・ゼークト)」
 ドイツ共和国軍の大立者、ゼークト大将の言葉ですが、似たようなバリエーションの言葉はほかにもいろいろあるように思う。しかし、これ、絶対に真実ですね。学校とか会社とか組織にいるとこれは本当だ、と思うことが多い。一般に、無能でも一生懸命やる人を評価するような社会が日本にはあったわけだ。しかし、実際問題として無能な人が頑張る場合はおうおうにして、手練他管で出世しようとか、偉くなろうとか、そういう発想になりがちである。して、日本の組織でも上のほうの世代に、こういう人が多い。私も「処刑したほうがいいんじゃないか」と思える人を上司に持ったことがある。司令官は有能な怠け者であるべきだ、というのもまた卓見であって、自分で何でもスタンドプレーをしたがる指揮官はかえって部下を萎縮させ、実力を発揮させない。その上司本人も孤立してしまう。
 小泉首相というのは・・・怠け者であることは間違いない。本当に歴代で最も面倒くさがりな首相だという。だから怠け者である。有能か? おそらく有能な人間、ではないだろうと思われる。つまりあまり頭がいい、というイメージはない。すると彼は本来、連絡将校でもしていればいいのだろう。日本がなんとか沈没しきらないでいるのは、彼が働き者でないため馬鹿な施策をむしろ加速できないからかも知れず、彼の支持率が案外に高いのも実はそのへんを見抜かれているからかもしれない。
 にしても、「死んだらみんな仏様ですよ。悪人なんていませんよ」と靖国神社の件でコメントしたようだが、そしてA級戦犯の諸霊が悪人なのかどうか、はここで論じないが、しかし「死んだらみんな仏様」という感覚はまったく日本特有のものである。我々自身、はっきりいってそんな感覚を持っている。不思議なものである。

2005年5月24日(火)
それにしても毎日毎日、なぜか日航のちょんぼとかトラブルの報道が多い。例のJR西の一件以後、みんなの視線が交通機関に厳しいので、必要以上に報道されるのかもしれない。しれないけれど、ちょっと緩んでいるじゃないのかな、という危惧がみんなにあり、そしてなにかあったら「それ見たことか」と一斉に騒ぐ態勢がマスコミにも世間の目にも出来ている、ということで、こういうときは危ない。本当に危ないように感じるが。大きな事故をやらかさないように祈る。「ミスだ、たるんでいる」という声が多くなるほど、緊張で余計にミスが増えたりするものである。
 が、むしろ私は思うが、先日は航空会社じゃなくて管制官がミスをしたし、鉄道、航空に加えて橋梁工事の談合などと、実は「国土交通省」が問題があるのじゃないか、と思わないでもない。そもそも建設省と国土庁をくっつけて土建利権省みたいなものをこしらえたのは、一緒にして牽制さえあえば少しはおとなしくなるだろう、という思惑も感じないではなかったが、そもそもの体質が似ている。上で大臣が困りましたね、遺憾ですね、と腕組みしていることはできても、管制するのはなかなか難しい。
 なにしろ扱っている業界が面倒くさい。簡単に言って言うことを聞かない。自由にやらせればいいんだ、となにかと言う人も多いわけだが、日本じゃ自由にやらせると談合するのである。なんでといって競争なんてやってコストを下げて、問題があれば文句を言われ、である。日本人の体質としてはそういうことが面倒くさくてならないのである。
 なんでといって国民性である。それも世代差などない。競争嫌いであることはむしろ若い世代のほうがひどいのじゃないか、教育のせいで。堀江さんなど実は奇特な人であるかもしれない。わざわざ面倒を背負って目立とうというのだから。
 が、それで監視がなくなれば弛む。楽をしたくなる。
 要するにできるだけ楽をしていい生活がしたい、という本音がこの国には充満しているのであって、そこを大きく見誤ったことをいくらいっても、民営化でも年金議論でも公務員の賃金抑制でも進まない。
 私は、もっとみんなきれい事をやめて、個々人の本音をさらけ出した方がいいのではないか、と思う。きれい事で糊塗しているから議論が進まない。つまらない政局で話を「誤魔化す」。戦後一貫してそんなことばかりだ。
 靖国神社の問題もしかりである。日本を神の国にしたいという人もいるだろうし、そんなことはどうでもよくて中国人と取引したい、と思っている人もあるだろうし、もっと大多数の人は「そもそも、そんなことどうでもいい」であろう。議論が必要だ、とは誰しもいうが、じゃあどこで議論をするのか、である。本来はそれは国会なんだろうが、たとえば上の三論を掲げてぶつかってくれる政党がない。みんなきれい事ばかりだ。せいぜいが審議拒否だ。
 くだらない国である。

2005年5月23日(月)
歌手・杏里とリー・リトナーの婚約というのは驚いた。その筋では有名な話だったのだろうか。杏里といえば、80年代後半の人気歌手で、キャッツアイだっけか、シティハンターだっけか、あのへんの一連のアニメの主題歌を歌っていた、というイメージしかない。が、当時としては日本人離れしたスマートなお姉さん、という印象だった。90年ごろまで紅白にも出ていたように記憶する。
 で、リー・リトナーというのは、知らない人にとっては誰それ? なのだろうが、この人はフュージョン、つまり昔の言い方で言うジャズロック、ロックのりのジャズの世界では最高峰の世界的に有名なギタリストであって、この手の音楽に詳しい人からすれば神様である。その神様ギタリストと、昔は超売れっ子だったけど最近はよく分からなくなっていた歌姫の結婚、というのはどこでどういうことで知り合ったのか、おそらくどこかで共演したのだろう。
 まあ、たとえば後藤久美子とジャン・アレジの結婚で騒ぎましたが、アレジの偉大さというのも大方の人は結婚話を契機に知ったわけ。リトナーについてもそういう話になるだろが、なんにしても意外な顔合わせで、かなり私は驚いた。
 ところで、宮城県で飲酒運転で居眠りの馬鹿な男が高校生を二十何人はねとばし、3人をひき殺してしまったというが、・・・おそらくこいつは懲役15年求刑、実際の判決はどんなものだろうか。まあそんなことになるだろう。しかし3人殺して・・・まあこれは普通に考えれば殺人である。しかし交通事故の最高刑はほんの数年前までわずか5年であった。例の子供が二人、飲酒運転のトラックに追突されて焼死した事件を契機に、この事件の被害者らが中心となって法改正に尽力し、ようやく伸びたのが15年である。
 事故は率直に言って起きる。それはもう仕方ない部分がある。しかしこういう男については論外である。
◇           ◇
 今年の1月には懲役20年に伸びていたんですってね。じゃあ求刑は20年だ。でも、日本の刑務所は満杯だ。どうせ模範囚とか言って早く出てきてしまうんだろうなあ。

2005年5月22日(日)
ネットで市民装い世論誘導中国(共同通信)【香港・共同】22日付香港紙、明報などは、中国政府がインターネット上の伝言板などに流れる言動を統制するため、一般市民を装いながら反政府的な言動に反論し、世論を政府の望む方向に導く「地下評論員」を育成していると報じた。評論員は、過去1年間で少なくとも3つの省や市で、100人以上が育成され、今年4月から既に活動を始めているという・・・というのを見つけた。思ったとおり、というかこうして明るみに出るのが遅すぎるのではないか。日本などでもこの手の姑息なことをしていないという断言は出来ない。というか、ネット社会、掲示板社会というものは誰でも匿名で参加できるのであり、通常、批判の対象となる当の権力者や犯罪者のたぐいもまた、無条件で参加できることを忘れてはならない。ネット社会の伸張が無条件にいいことだと能天気に妄信している人はいまどきいるまいが、たとえばそんな時代遅れをしきりに言っていたH社長も実は実態は金融屋になってしまっていて、ITなど彼にとって腰掛であったことがもう分かっている、要は彼の言うことなど真に受けるものは馬鹿で、彼は昔からいる成り上がり志向の強いにんげんにすぎない・・・つまり、落とし穴も多いのである。
 たとえばここでこうして書いている私はおそらく辻元本人である。とはいえ、ここにアクセスする方法さえ分かれば誰でも改竄できる。もしここのサイトであれ、公開すればありとあらゆる問題が起きることは目に見えている。
 そういえば、昨日のキングダム・オブ・ヘブンのことで書き忘れた。あの映画のエンディングぎりぎりになって獅子心王リチャードがちょっとだけ出てくる。まあ、サービスというところだろう。してみると、あのころイギリス本国では弟のジョンが威張り出し、代官が横暴をやり、マン・オブ・ザ・タイツことロビン・ザ・ロックスリー(ロビン・フッド)が跳梁し出す・・・というわけか。
 そういえば別の映画、つまりロビン・フッドでもラストシーンにだけ獅子心王が出てきた。ショーン・コネリーだったがそのワンシーンでものすごい存在感を示した。たったの30秒でケビン・コスナーを食ってしまっていた。このコネリーと007映画で、オリエント急行の客室の中で死闘を繰り広げたのがロバート・ショーだったが、この二人、さらに別の映画「ロビンとマリアン」でもそれぞれ、ロビン・フッドと代官役で共演していた。この対決シーンは見物だった。ちなみにこの映画では晩年のオードリー・へプバーンも出ていた。非常に地味なつくりの映画だがおもしろかった。一般にいわれる若々しい英雄譚じゃなくて老残のロビンと恋人を描いているのだから。
 で、この代官役のロバート・ショーの野獣のような目つきと冷静沈着な指揮官ぶりは、どちらかというと007のときよりも、映画「バルジ大作戦」でドイツ軍機甲師団の指揮官へスラー大佐を演じていたときを思い出させた。いろいろな映画でいろいろなナチス将校が出てくるが、はっきりいってこのロバート・ショーのへスラー大佐ほど決まっている人はいない。あの異様な殺気は本当に戦争に出ている人のようである。戦車隊の歌を合唱する有名なシーンでも達者なドイツ語で歌っていて、まあとにかくなりきっていた。
 で、話がキングダム・オブ・へブンにやっと戻ってくるが、あれの森の中の襲撃シーンはスペインの森林で撮影したという。40年前にバルジ大作戦の撮影をした同じ森だそうだ。言われて見ると、なんとなく雰囲気が似ている。「アルデンヌの森」にしてはちょっと南の雰囲気、である。
 そんな事実をパンフレットを読んで知った。その瞬間、ここに書き連ねたことがぱあっとつながった。


2005年5月21日(土)
「キングダム・オブ・ヘヴン」見てまいりました。ロード・オブ・ザ・リングのレゴラスことオーランド・ブルームの最新主演作であります。
 まずは一言。「十字軍嫌いな人は安心して見られます」。これ、重要。
 基本的に十字軍側の視点から見たエルサレム王国の防衛戦争を描いた作品であります。つまり、十字軍というのはカノッサの屈辱とかいろいろあって、俗権から離れた権威を高めつつあった教皇庁の一種の政治的意図をもって、純真な連中をたきつけて起こされた陰謀といえば陰謀でありまして、それはまあよろしい、とにかく初期十字軍の「成果」としてエルサレムはキリスト教徒の国、エルサレム王国となったわけですね。それだからこれはフランス系の王国であったみたいで、王様はボードワン1世と言った。それから100年ほど、この国はもちこたえていたのだけど、サラセン帝国が勃興してかの有名な、イスラム系の君主としては今でもいちばん人気の高い名将サラディンが出てくるに及んで、エルサレムも揺らいでくるわけで。この末期の頃の王様がボードワン4世と言って、サラディンとの交戦で勝利を収め、講和を結んで一時的に平和を作り出し、宗教に関係なくエルサレムを開放しようという姿勢をとった。そう、この王様は非常な名君であったわけですね。が、この王様はハンセン病にかかってしまった、日本の大谷義継みたいにこの映画でも銀色のマスクで顔を覆って登場します。この王様とサラディンの両雄が、それぞれの大軍を背後にひかえさせて歩み寄り、会談するシーンはこの映画の中でも最高にかっこいいところ。
 しかし、王様は30にもならないうちに夭折。かくて、後を継いだ妹婿の馬鹿殿様がサラディンに一方的に戦争を仕掛けて大敗。エルサレムはサラディン軍に包囲されて絶体絶命ということに。ここで、オーランド・ブルーム演ずるぽっと出の鍛冶屋あがりの新参騎士バリアンが現れて・・・という展開であります。
 なんでもこのバリアン・オブ・イベリンという人物、実在の名将なのだそうですね。私はこの時代の辺りちっとも詳しくなかったので知らなかったが、おおむね史実に流れとしては忠実なのらしい。
 バリアンが騎士になってエルサレムに行くまでの展開は急でテンポよすぎですが、なにより元々、武芸の心得がなかったはずの彼が短期間にサラディンと対抗出来る名将になれたというのがいまいちよく分からず。まあそのへんは映画的なテンポで、本当はもっと時間が経過しているのでしょう。
 で、実のところ特筆すべきなのがサラディンの描き方。英雄の中の英雄として描かれていて、演じているのはシリアでは有名な大スターの人だとか。この人が本当にカッコイイ。全体に・・・リドリー・スコット監督の視点はやはりアメリカ人とは違うイギリス人のものなのか、イスラム教徒の方は英雄的で、キリスト教徒が野蛮な人種に描かれているのですが、これはもう今日的な視点と言っていいでしょう。バリアンが決戦の前に「大昔の祖先がやったことを、今、我々が責任を負わされているのだ」と演説するとき、どう見ても十字軍時代の騎士ではなくて国連で中東和平について論じている現代人に見えた。これ、監督の主張でもあるのでしょう。
 そもそもこの手の史劇を復権させたのはスコット監督のグラディエーターで、それにエイリアンでもブレードランナーでも常に独特の美意識を貫いてきた人だけに、今回も決して安易なことをしない。で、ロード・オブ・ザ・リングで一大ブームとなった観のある大軍の史劇もの、それも篭城ものの集大成という感じがあって、その王の帰還にはじまりキング・アーサー、トロイ、それにアラモもそのうちに入るのでしょうが、中世の砲兵であるバリスタや投石器の描写はこれまでのどの映画より迫力があり、また20万人規模の大軍の描写というのも最新の技術を駆使して最高レベルと言っていいです。
 実際の戦場に立っても一兵士には戦場全体は見えません。映画でこそ表現できるのがこの巨大な戦場を見えるようにするスペクタクルであり、王の帰還以後、こぞってこれをやりたくなるのは当然かもしれない。アレキサンダーのスケールを超えていますね。
 詳しい人にはいろいろ文句もあると思うのだが、とにかく安易なつくりの娯楽作品ではないです。特にイスラム側はすべてイスラム教徒が演じているし、それらの意見も大いに取り入れているそうであります。トラトラトラ!を見て、一応、日本人が納得できるのと同じようなテイストがあります。
 ともかく、アラモでサンタ・アナがことさら好色な野蛮人として描かれていたようなことは本作ではありません。むしろ逆です。
 史劇ファンは見て損がない一作と思いました。

2005年5月19日(木)
なんのこともなく、ゆうべは比較的早く帰宅できたので、なんとなくTBS系のケーブルテレビなど見ていた。で、ピーター・バラカンさんとか吉川キャスターとかが出てくる米CNNかなにかのニュース番組を解説するプログラムで、ぎょっとする映像があった。その後にふと地上波TBSの筑紫哲也の番組でも、同じレポートを流していたから見た人も多いだろう。近頃の米軍の新兵の訓練には、要するに大きなスクリーンのテレビゲームみたいなものを使っている、というのである。ちょっと前にセガのジョイポリスにあったような戦争ごっこゲームを、本物の軍隊が使っているのである。
 本当にその「訓練シーン」は間抜けで、自動小銃型のコントローラー(というのかな)を手にした兵士達が、軍用車から射撃して、群がってくる「イスラム教徒らしき人影」を撃って撃退するというわけだ。実にこれ、ちょっと前にはやったシューティングゲーム、たとえばメダル・オブ・オナーなんて我が家でも私より妻のほうが夢中になっていたが、はっきりいって正にあれなのである(というか、おそらくあのゲームだって米軍向けのものを第二次大戦風にアレンジしたのじゃないか)。
 また、軍用へりのシミュレーターもあったが、これもちょっと前にナムコ・ワンダーエッグなんかにあったゲームそのままである。その後、ワンダーエッグではこのゲームはもうないと思うが・・・理由は家庭用ゲーム機の戦闘機ゲームの方がずっと出来がいいからである。
 開発したロッキード・マーチンの心理学者が得々として、「普通、新兵は最初に人を殺すときにためらうが、こういうゲームで人殺しを議事経験しておけばためらわずに射撃できる。つまり条件反射で人殺しが出来る兵士にするわけだ」などと言っていた。なにしろ中学生高校生にも軍監修の戦争ゲームを無料配布して、軍隊で一番必要な「歩兵」すなわち消耗品を募集するのに役立てているそうである。
 新兵が人を殺すにあたってためらう、嘔吐を催す、そういう人間的な感情を全部あらかじめ除去しておこうということだ。これらのゲームで決定的に欠けているのは敵の反撃であり敵の弾丸が自分に当たること、仲間が死ぬこと、そして自分も死ぬこと、である。
 アメリカ軍など今や貧乏人を騙して連れ込む傭兵のようなものであり、兵隊というのはこんなもの、つまりロボットの一種である。だが、こんな軍隊だから緒戦は強くても、占領が長引けばどんどん問題を起こすわけだ。「ゲームと違うじゃないか、話が違う」といっておかしくなる兵隊が多数なのだろう。
 で、帰還してPTSDで発狂し、「ためらわずに引き金を引く」修正で殺人など犯す者が出てくるわけだが、そういうことはどうでもいいお国柄である。
 戦争の形態は、古代帝国の国家の軍隊が、中世の騎士と傭兵の時代になり、ナポレオンから再び徴兵による国家軍の時代に入って悲惨化した。ところが20世紀後半からはまた傭兵の時代に戻りつつある。国家の正規軍といっても一種の傭兵に近い。
 昔の傭兵というのは君主が強制徴募したり、港で水夫を無理矢理に拉致して軍艦に乗せたり、といったことで成り立っていたので、実は現代の傭兵もバカな人を騙して拉致する組織に変わりつつある、ということは知っておくべきである。
 アメリカ世論が案外にイラクでの自国の兵隊の死傷に冷淡なのも要するにそういうことなのである。

2005年5月18日(水)
5月も無為に、あっという間に終わろうとしている。して、気が付けば2005年も折り返しである。つまらぬ。実に人生は詰まらぬ・・・などと慨嘆してみた。
 しかしつまんねーわな。
 さて、年俸100億円らしい某社部長の話題がちょっとあったが、なにしろこの会社、15人しかいないし事実上の会社の経営者はこの部長さんらしいのだから、ちょっと普通に言うところの部長さんとは違うようである。そして、この「長者番付」というのも今回で最後らしい。実際、ねたみそねみのネタでしかないので、くだらない話だったとは思う。それにしても長く続いたものの最後を飾るのがマネーゲームの株屋であったというのはこれからの時代を暗示しているか。
 そういえば、アメリカでゲームショーがあって、プレイステーション3、Xボックス360、それからゲームキューブの次世代機が相次いで発表になっているそうだ。いずれも今年から来年にかけて続々と発売のようだが、なんともかんとも・・・。
 ソニーは早々とブルーレイディスクを搭載するそうであり、またPS2のソフトの互換性も確保するそうで、この点ではやはりこれまでの経験(つまりいかにしてセガ、任天堂との戦いに勝ち抜いてきたか)を十分に生かしているようだ。
 これでPS3がどっと売れてくれれば、いやでも次世代DVDもソニーのブルーレイに決まってくるわけで、このあたりはビデオ戦争での経験もしっかり踏まえているといえる。
 ということで、トータル的にはいろいろ不振も言われる中で、少なくともゲーム機についてはソニーがまだまだ天下を制する勢いじゃないのか、と思う。
 なわけですが・・・今、出てもうちは買えないなあ。値下がりするのを待つか。半年もすれば値下がりするだろうから(もっともソフト次第だよねえ結局。どうしてもやりたいソフトが出てくれば無理しても買うし)。
 ゲーム開発費も近頃は完全にハリウッド大作並で10億円ぐらい当たり前になった。それでゲーム会社、玩具会社もみんな統合合併で、あっぷあっぷしている。志があるとかシステムがあるとかいう小さなベンチャー系のゲーム開発会社もこのままでは淘汰されていくだろう。
 そしてまた、我々はひとつフロンティアを失うのである。
 ITはすでにフロンティアじゃなくなったし、ゲームもそうじゃなくなった。フリーターはどんどん年をとっていく。こどもは減っていく。ということで日本の未来もゲーム業界の未来も険しいのである。あとはマネーゲームの専門家だけが意地汚く育っていくだけか。

2005年5月17日(火)
拳銃を賊に盗られて探していた岐阜県警、奈良県のポストに犯人が拳銃を「投函」してくれたおかげでとりあえず、大問題にはならないですんだ。で、県警幹部の会見で「(重大なことにならなかったのは)よかった。お礼申し上げる」とのセリフ。誰にお礼申し上げているのだろうか。もちろん、県民ならびに関係の皆様のご協力に、なのだろうけれど、なんとはなしに「犯人様には拳銃を返していただき、厚く御礼申し上げます」というふうに聞こえた。もっとも、本音ではそんな感じだったかもしれない。致命的な失態をば、犯人が救ってくれた上にちゃんと返却までしてくれたのだから。
 事件といえば、例の「鬼畜王子様」に続いてまたまた監禁犯人が出てきたが、こういう漫画やゲームのレベルのことを本当にやりたくなる幼稚な人は今後も増えるだろう。そして、なにが問題といえば保護観察制度、である。無給のボランティアである観察司にもっと頑張れ、などということもできない。というか、よくもまあ無給でそんな仕事をやっていてくださるものである。相手は執行猶予付きとはいえ犯罪者である。日本の性善説的なやり方はこんなところにも生き残っていた。お上の威光で民草がなびいた時代の名残であろう。
 そういえば。お上といえば、そのお上の試算で、お上の無駄遣いの結果、20年後には消費税が20%にもなる、とはじかれた。もうそのころになると家など買えまい。5000万円の家を買うと消費税が1000万円である。とんでもない。
 とんでもない、といえば。ブッシュの北朝鮮への挑発の仕方と、それに対する北朝鮮の態度・・・どこかで見た図ではないか。2年ほど前のイラクを巡る動きに似てきた、と感じるのは私だけか? こうして徐々に手続きを踏んでいくのではないか。少し前までは明らかにわざと無視していたブッシュ政権が、ここにきて急に北朝鮮問題に「熱心」である。中東は結局思ったようにいかなかったので、ここらでそろそろ「次の敵」が必要なのだろう。自分らで「核開発しています」と宣言している彼の国が俄然浮上したのは理の当然だが、また問題は中国がらみでもあり、アメリカとしては「それで中国さんよ、本当のところ、どうなのよ?」とけんかを売って出方を見る機会とも言える。が、これで思いっきり巻き込まれるのはどこよりも日本である。
 まるで関係ない話をひとつ。アパレル大手の「レナウン」と、その関連会社の「ダーバン」というのがある。私は大学の入学式で高いダーバンのブレザーとスラックスを作ったが、そのスラックスというのが1月ももたないで股ずれして破れてしまったのを思い出す・・・のだが、この会社名というのが「レナウン」が英国海軍の巡洋戦艦レナウン、「ダーバン」が同海軍の軽巡洋艦「ダーバン」に由来する、とは昨日まで知らなかった。日本と英国が同盟国で仲良かった頃、英国皇太子が日本にやってきたことがある。ちなみにそのプリンス・オブ・ウエールズはあのなにかとお騒がせなウインザー公だったようだが、そのときのお召艦がレナウンで、随伴してきたのがダーバンだった、という。英国風のトップ衣料、というイメージでこのレナウンを社名にもってきたついでに、子会社ができたときには、その護衛艦だったダーバンを持ってくる、というなかなか気がきいたネーミングだった。
 で、ダーバンというのは当時の英領ダーバン軍港からとったらしく、そのまた語源は彼の地の初代総督のダーバン氏の名前から、ということらしい。
 たまたま新聞記事に小さくさわりが書いてあって、さらにダーバン社の公式サイトを見るとそんな由来が書いてあった。いやあ、こんなところに英国の軍艦の名前が残っているなどとはまったく知らなかった。
 フォークギターの大きなサイズのものをドレッドノートという、あれも英国戦艦ドレッドノートからとったものだったりする。大戦艦みたいにでっかいギター、というネーミングである。音楽好き、ギター好きで軍艦も好きな私だったが、この二つを結び付けて考えることはなく、本当に直接の語源であると知ったのは社会人になってからだった。
 案外に知っているようで知らないことは多いものですな・・・。

2005年5月16日(日)
茨城県の市町村合併・・・3月22日・江戸崎町・新利根町・桜川村・東町合併、稲敷市誕生◇岩井市・猿島町合併、坂東市誕生 3月28日・下館市・関城町・明野町・協和町合併、筑西市誕生◇取手市・藤代町合併、新・取手市誕生◇霞ヶ浦町・千代田町合併、かすみがうら市誕生・・・などということがあったそうだが、金曜日に実家に顔を出すまでぜんぜん念頭になかった。いや、別に茨城に実家がある訳じゃない。ただうちの一家は茨城県に数年間、住んでいて、母親が今でも当時の知人と親交があるためにそんな話題になった、ということである。
 職業柄、市町村合併に気をつけましょう、などと言ってきたのだけど、近頃はもう多すぎてなにがなんだか覚えられない。それで、かつて自分が住んでいた周辺の話についてもまるで疎かった。
 ことに岩井市、というのに住んでいた自分としては、だしぬけに坂東市です、などという話になってもぴんとこない。そもそも平将門の石井の本拠地を由来としている、というのだけが自慢だった岩井と、全国的に見ても難読地名である猿島=サシマ(つまりサルシマではない)だけが話題性であった猿島がくっついて、なんとなくなんの話題性もなくなった感じはないではない。ほかの合併市と比較してもなにがなし、弱い感じがする。
 そういえば、先日たまたま埼玉の地方版の新聞を読んでいて岩槻市というのがなくなってさいたま市の岩槻区になってしまったことも初めて知ったのだった。
 そんなもので、なにがなにやらちっとも覚えておれない。それでいて、結局は合併しなかったセントレア市だけは記憶に残ってしまったりして、結果から見ると中部空港の宣伝になってしまった感じはある。その意味では効果大だったかもしれないが。
   ◇            ◇         ◇
 例の五所川原の資産家のせがれ「王子」が、拳法で女の子を脅してご主人様ごっこをしていた話・・・父親の資産家というのはあれですか、私があこがれる地主様ですか。いいですなあ。それで生まれてこの方、思うところで出来ないことなし、なにもかも思うがままに生きていたわけだろうが、王子も監獄で大いにいたぶられるとよろしい。
 イギリスのホンモノの王子も、士官学校で大いにいたぶられるそうであるが、こういううらやましい人々には相応の報いがあってよろしい。
 思うに、人生の中で何度かくじ引きかルーレットで各人の資産をシャッフルして、身分立場を交換したらいいのではないか、と思う。人生の中で一度は金持ちを、一度は貧乏人を経験するのである。短い間王様もやるし、短い間奴隷もやる。ただしせいぜい1年とか2年で交代である。
 そういうことをやれば人生、無用にほかの芝生がうらやましくもなくなる。共産主義者が言うなんでも平等主義よりよほど効果的だ。
 しかしもっといいのは、トータル・リコールやマトリクスのように現実と区別不可能な夢の世界で遊ぶことかもしれない。
 私はあと一世紀以内に、にんげんがみんなバーチャル世界で楽しく遊ぶという時代はあり得ると思う。
 そのときが人類の終焉である。



2005年5月15日(日)
TBSの池田裕行キャスター(43)と、フジテレビの佐々木恭子アナウンサー(32)が結婚することが14日、分かった。15日にも婚姻届を提出するといい、局の垣根を超えたカップルが誕生する。ともに東大卒の知性派で、02年春ごろに知り合い、交際を続けていた(スポーツニッポン)というのだが、これ、成り立つのだろうか。別にいけなくはないのだろうが、会社としては企業秘密的なことは当人たちに教えられないですな、こうなってしまうと。
 ところで東大卒だとみんな知性派になってしまうんですな。なんで。池田キャスターというのは良く知らないが、佐々木アナ、そーんなに「出来るなあ」と思ったこともないが、番組を見る限り。まあ、私は才女でござい、という態度を押さえて、でしゃばらないいいキャラクターなのかもしれないが。それにやっている番組の内容、というかフジテレビの番組に出ていてはなんともしようがないのも確か。ホリエさんに軽く見られるのもむべなるかな、である。12チャンネルの経済ニュースなんかになるとやはりそれなりにしっかりしていないとばれてしまう。ゲストで来るのも日経の記者だし。相場の話を一応、きちんと説明するだけの素養は求められる。
 ニュース専門のケーブルテレビのチャンネルなど見ていると、契約アナウンサーなんだろうか女性の20代ぐらいの人が軒並み出てきて、一日中ニュースを読んでいる。上手いなあという人もいるし、たどたどしい人もいるし、明らかに読み間違っていたり、アクセントが妙だったりする人もいる。同じ原稿を読んでいても力量の差というのはかなりはっきり分かるからテレビというのは怖い。
 それにしても急に温度が下がって冷害の心配もあるほどだとか。一挙に3月の気温に戻ってしまっているという。それつまり、本当はコートを引っ張り出してきたほうがいいような気温である。風邪をここにきてひく人が多い。ご用心を。
 


2005年5月12日(木)
今日は銀座松屋に新しく出来たとんかつ「恵亭」というのに行ったが、もち豚ロースかつおいしゅうございました。私は38年間とんかつというものを誤解しておりました。このとろけるような、本当にじとっと溶けてしまうようなとんかつというのは、まったく驚いた。いかに私が安いとんかつしか食っていなかったか、であろう。しかもこの店、そんなに高くもない。ファミレススタイルのとんかつ店と比べてもせいぜい1000円増し、である。そりゃあ毎日昼休みに食べるには高いが、月に一度やそこら食べてもどうということはないお値段である。宣伝する義理も言われもないが、ぜひお近くの方はご賞味あれ。
   ◇           ◇           ◇
 TBSの部長さんがいろいろな新聞のコラムを丸写しして、というかコンピューター時代の特色であるコピーとペーストを繰り返して、散々、盗作していたという。だんだんネタがなくなって、というのだが馬鹿だねえ。自分のネタのふりをせず、「これはよみうり寸評に書いてあったことだが・・・」と断って、あとに自分の意見でも付け足せばいくらでも書けただろうに。ブログのライターなんてみんなそう。私もはっきりってそう。馬鹿正直というか、しょせんこのぐらいの人というか・・・。
 先日は冤罪判決が出ていたが、今日も10年以上前の幼児殺しで既に服役した人が、新証拠を提出して再審請求、という話が載っていた。こんな事例を見るにつけ、数年後に裁判員なんてものになった場合に、自分がそんな事案を裁くなんてことが出来るのか、やはり一定の確率で冤罪もあるわけで、とてもじゃないがやっておれない、と思う。
 さらに、今日の報道では、札幌地検が暴力事件の証言をしてくれた証人の住所を弁護側に伝えたところ、さらにその住所が容疑者・被告人本人まで漏れてしまい、この被告が証人に対し「偽証をするな」と脅かしの手紙を出した、という事件が発覚した。地検は謝罪したそうだがそんなことですむだろうか。被告は暴力犯である。検察に協力したばかりにこの後、危険に巻き込まれえる可能性があるし、場合によっては転居や転職までしなければならないかもしれない。
 裁判員になっても、住所や名前が本当に被告人や関係者にばれないのかしら、と思う。絶対に漏れると思うよ。しょせん日本の役所なんて情報を漏らすと思う。そして逆恨みされて裁判員が復讐される、ということは大いにあり得る。アメリカじゃ陪審をやった人をあとで殺す、という話は珍しくないようだが?
 やはり絶対何が何でも裁判員などやりたくないものだ。みな今のうちから持病をもつなり精神科に通院するなり軽犯罪を犯すなりしておくべきだと思う。

2005年5月11日(水)
 ところで、新作詩のコーナーに3つほど、新作を掲載しました。よろしくどうぞ。宣伝でした・・・。
    ◇          ◇         ◇
「イラクで武装勢力に拘束されたとみられる日本人の斎藤昭彦さん(44)は昨年末まで21年半にわたり、・・・フランス軍の外国人部隊に所属していた。外国人部隊司令部によると、斎藤さんは83年6月に入隊。地中海に浮かぶコルシカ島を拠点とするエリート部隊の第2空てい連隊に配属され、4年後には伍長となった。その後の主な配属先は第3歩兵連隊(ギアナ)、太平洋連隊(タヒチ)など・・・昨年12月に外国人部隊を辞めるまでは南仏マルセイユの東約20キロのオーバーニュにある司令部で上級特務曹長として働いていた。「外国人部隊の中では非常に高い階級」(関係者)という」(毎日新聞)とのことで、このフランス外国人部隊への取材という点では毎日新聞がいちばん、よくやっているようだった、今日付けの報道では。他紙では、どうも外国人部隊なり軍隊の中での斎藤さんの地位なりについていまひとつ分かっていない感じのものがあり、思うにそれらでは、記者がこういう問題に疎い人なのだろう。
 というか、以前は「外人部隊」というのが普通だった。大関・小錦が横綱昇進問題で「ガイジンは差別語」と言いだしてから、マスコミでは基本的に「外人」という言葉が使えなくなって、なぜか「外国人」と言いかえればそれでOK,ということになっている。
 司令部付き上級特務曹長、というのは最先任の准士官であろうから、兵卒上がりとしては最も昇進していた人だったと思われる。将校は原則的にはフランス人なんだろうから、最も偉くなっていたといっていい。もちろんフランス語堪能だったそうだが、フランス外国人傭兵はすべてフランス語で命令されるので、語学が出来ない者はほかにどんなに優秀な能力があっても試験で落ちてしまう。
 そういう人が、その後も警備会社の傭兵部隊にいて、こういうことになった、というのは別に話題としてはそんなに珍しいとも思えない。日本には軍隊はないが(とにかく正規軍がないのは確かである。自衛隊はどんなに規模が大きくとも、とにかく軍ではないのだから軍ではない)、日本人が外国に渡って「軍人」になる自由はとうぜん、保障されねばならないであろう。それは個人の職業選択の自由の範囲である。斎藤氏は元自衛隊の習志野空挺団におり、除隊後にフランスに言った模様だが、要するにかなりバリバリの精鋭と言っていい兵隊であったことは間違いない。が、報道で「エリート軍人」などと書いているところがあったがそれはちょっと違うだろう。下士官兵は精鋭ではあってもエリートではない。なんといっても軍では将校がエリートである。士官学校新卒の20代前半の若造でも少尉の階級をもらい、既にはじめから21年も軍歴のある司令部付き上級特務曹長より上官である。
 普通の企業の平社員と管理職というのと何処が違うか、といえば軍では消耗品である下士官兵が絶対に一定数、必要である。これと、命令系統である将校とは基本的に別の人種であることが求められる。企業では管理職はしょせん平社員が年功で成り上がった成れの果てである場合が多いが、軍隊の場合、はじめから専門教育を受けた将校は将校である。兵隊から将校になるにはかなり厳しい選考を経なければならない。
 もっとも今の自衛隊はもちろん、さいきんの民主的な軍隊では優秀な下士官が将校になるのはそんなに珍しいことじゃないと思うが、昔は基本的には階級というより身分であった。原則として貴族や騎士が将校になったのであって、その名残はドイツ軍などでは第二次大戦ぐらいまではあった。日本軍では氏族とか平民という差別はなくなっていたが、そう簡単に兵隊を昇進させることはなく、特に一般に陸軍は堅物で海軍は開明的などというが、この兵隊差別、将校優遇という点では海軍のほうが閉鎖的で、どんなに優秀者であっても下士官兵あがりの将校は「特務士官」と呼んで正規の将校とは区別し続けた。終戦間際まで行ってようやくごく一部の特務出身者が中佐まで進んだ例もあるようだが、原則として「特務大尉」が上がりである。それ以上はどんなに有能であってもまず抜擢はない。あの戦争のさなかに学歴で人事を決めていたのだからおかしな軍隊である。
 ま、とにかく最精鋭の兵隊であったと思われる斎藤氏であるから、ここでこういう不慮のことに巻き込まれたといって怪しむ道理もない。だから世間もあまり関心がないだろう。やはり自分探しの青年が純朴なことを言っていて捕まるのと比べれば、まるで性質の違う話ではある・・・こういう日本人もいるのだ、というだけのことだと思う。
 が、なにしろサバゲーなどといっておもちゃの鉄砲を持って大人が戦争ゴッコをしているのを見聞きするに、本気であるならこういう道に進んだらどうか、とは思う。もっとも、この人のように相当に優秀でないとやっていけないのであるが。
 どんなことでも、遊びでやるとの職業でやるのは大違いである。

2005年5月10日(火)
 昨夜の、というか今日の1時半ごろ、「イラクでまた日本人が拘束」という話が伝わってうちの会社じゃ「なんだ、またかよおお」と憤りの声がどっと出ましたね。しかし今回はわけの分からない自分探しの人じゃなくて、警備員というか傭兵みたいな人だったようだから非常に申し訳ないけれど今までの拉致者とは違うですね。まったく覚悟のうえ、と思いますのであれです、ニュースとしてはかなりなんですね、ご本人には悪いけれど。
 ところで、JR西の「社内放送」というのがちょっと問題になっていますが、結局、「事故があったけど回復はどのぐらいになる見込み」「振り替え輸送はこうするつもり」といった本当に業務放送という内容なので、それを聞いてもこういう「何年に一度の事故」かどうかぜんぜん分からないらしい。区長さんが放送を聞いたうえでボウリングに行っちゃった、というのもそういうことらしいが、まあ、普通の会社だとそんなもんなのかしら。テレビもラジオもインターネットも事業所にはないんですかね。まあ、常にテレビをつけっぱなしにしているうちの会社なんかは異常なんかもしれないですが、結局、第一報を得るにはテレビしかないですからねえ。あとは第一報というと、上の日本人拘束事件もそうだけど通信社の一報というのも早い。
 まあ、うちは仮にもマスコミだからちょっと雰囲気が違うのかもしれませんが。案外に世の中でなにが起こっているのか分からないのかもしれない。本当のところ、家でじっとテレビを見ている人のほうがなんでも良く知っている、というのは間違いないですからね。
 世間の人も、こういう事件事故に接すれば、インターネットの優位性、なんてものはないことがわかるであろう。テレビはやはりテレビなんですよ。
 先日、うちの会社のインタビューに答えていた某IT企業のホリエさんと同じ年齢ぐらいの社長さん(女優Oさんのご主人)が「テレビとネットの融合なんて実はないです」「IT業界も今後は急成長はないから、M&Aだけで企業規模を大きくする人も出てくるがあれは邪道です」「IT企業も30年したら老人の多い成熟産業になるので、今から社員が定着する会社にしたい」ときわめてよく分かる話をしていて興味深かった。
 ホリエさんがオリエンタルランドに興味を持っている、なんて話しもあるけれど、もしディズニーランドが堀江さんの経営になったら私は金輪際行かないと思う。夢が売り物のあの施設が金の亡者みたいな成金の経営になって誰がおもしろいかね。

2005年5月08日(日)
出来心でまたDVDをいくつか買い込んでしまった。「ヘルボーイ」もDVDになったので見なおしたが、これが全然、日本では受けなかったというのが分からないなあ。あえて言わせてもらうが、今、ヒットしているコンスタンティンより明らかに面白いと思う、お話として。コミック原作で似たような感覚もあるのだが、結局、日本で有名な人が出ているかいないか、ということなのだろうか。見なおしても間違いなく秀作だと思った。
 ついでに「アラモ」も出ていたので見なおした。やはりなんといってもメキシコ軍の描写が素晴らしい。戦闘シーンも良くできている。劇場でみてよく分からなかったサンタ・アナと現地の愛人の描写も、未公開映像でもっと前後がよく分かって納得した。これに限らず、やはりメキシコ軍のビジュアルは最高にいいのだが、脚本面で不公平、かなりアメリカ白人側の問題点も突いているものの、結局はメキシコ軍の圧政を誇張しすぎであるとも感じる。そのへんはあらためていけないなあ、と思う。史上最大の作戦やトラトラトラのように、メキシコ側のシーンはメキシコ人に脚本を任せ、メキシコ人監督に撮らせるぐらいのことをしてほしいと思う。今時、建国神話みたいな物を素直に信じるのは中韓みたいな国だけだ。
 そまたついでに「ラ・マンチャの男」を見た。ピーター・オトゥールが素晴らしいなあ。いやあ、これまで何度も見た映画だが(劇場では未見です)アロンソ・キハーダが死ぬ間際にドン・キホーテを取り戻すシーン、セルバンテスが地下牢から裁判に昇っていくシーンというクライマックスは何十回見てもいい。
 とまあ、こんな感じで私の連休(?)は終わって、今現在、8日から9日にかけては会社で夜勤である。
 多くの皆様が明日からご出社でしょう。10日ぶりという方もいらっしゃいますか。それはそれでさぞかししんどいだろうなあ、とご同情・・・。

2005年5月07日(土)
 尼崎JR脱線事故を知りながらJR西日本の社員延べ185人がゴルフコンペや宴会に参加していた問題で、同社は7日、開催をやめようと声を上げた社員が8人しかいなかったと発表した(共同)とのことですが、その8人というのは偉いやね。そんなの当然だ、といえるのは外野の人。もうずっと前からスケジュールがあって予約も取ってあり、キャンセルすると違約金が取られる状況で、しかも上司が楽しみにしていて、会社は古臭い体質で、そのなかで声を上げられるのは相当にまっとうな人です。そのぐらい、硬直した組織の中では舵を切りにくい。大戦艦は動き出すと止まることも旋回することも非常に難しい。JR西なんて明らかにそういう硬直会社でありましょう。しかも「決められたダイヤ通り」が金科玉条の会社だもの、こういう場合に臨機応変とか、柔軟に、とかいう判断が出来る人は少ないのじゃないかと推測します。
 それだから駄目なんだ、といえばそれまで、しかし旧日本軍の体質にそっくりなこの組織のもんだいは、決して他人事じゃなくて、どこの会社や組織でもありうることです。
 うちの会社などでも、どうしたらミスが防げるか、とやたら発破をかける人が上司の間、かえってミスが続出しました。萎縮して緊張し、ますます士気が低下してミスが増えるのです。だから、JRの運転現場、とくに事故を起こした運転士の心理状態も憶測できる気がします。「なんでミスしたんだ、そのせいで俺の出世が遅れるじゃないか」といった態度の上司がJRに多いとするなら(きっとそうなんだよね)、それはもういつか出る大事故だったのだと思う。経験的にそう思います。
 新聞の場合でも致命的な事故とかミス、といってそのひとつのミスで何百人も死ぬことはないかもしれないけれど、冤罪とか虚報もあれば、大きなところでは国論をミスリードすることも多々あります。
 それで、訂正をなくそう、減らそう、という努力は日々していますが、精神論で喝を入れてもミスが減るわけじゃない、ということは日本人はもっと考えるべきですね。
 どのような仕事であっても、ミスは一定の割合で出るし、気温や湿度、担当する人の数や持ち時間、体調などで変わる一種の変数だと思います。それぞれの職場環境で科学的に分析してミスを減らすようにするしかないと思われます。
 JRの場合でも、まずは速度超過がしたくてもできないようにする新型の制御装置の導入などは、初歩の初歩だった、というしかないわけです。
 人間は機械と違いファジーに判断しフレキシブルに臨機応変に行動する生き物なので、いまくいくと1+1=2ではなく、素晴らしい人の組み合わせで1+1=100にもなるわけです。そういう幸福な例も多い反面、とんでもないミスもする。そういうものです。
 ちょうど、そんなことを書いていたら「サイボーグ009」の再放送を見ました。004が自分の複製のアンドロイドと闘う、というエピソードでしたが、アンドロイドは004の戦い方を正確にプログラムして予測するので打つ手がない。機械なので無駄のない合理的な攻撃を繰り出す相手に、基本的には人間である004は疲労し困憊し押されていくわけです。しかし敗北寸前、ただ一度、004はアンドロイドが予測不能の行動をした。つまり、爆風で巣から転落した小鳥を助けたのです。その不合理な、人間的な004の行動をアンドロイドは理解できなくて動きがおかしくなる。そこを攻めて004は勝利する、というものでした。
 アンドロイドが電車を動かせばああいうオーバーランはなくなりますが、たとえば車椅子の人がいるとか急病人がいるから、といって停車時間を延ばすことも出来なくなる。受験の子供が電車に乗り間違えたのを乗務員の裁量で救った、というような話もなくなるわけであります。
 だから人間の判断と、機械的な装置をうまく組み合わせるのがいちばんいいわけです(ファジーな判断をするロボットができたら、というテーマが鉄腕アトムですが、おそらくコンピュータもファジーな判断をするようになれば人間的な錯誤をすると思います。2001年宇宙の旅にでてくる発狂するコンピューターHALのように)。

2005年5月06日(金)
 世間の人は出社であろうか。うふふ。私は本日に限っては休みである。といってたんなる公休日である。
 なんでもJR西のボウリング大会には笑った。ううむ、笑っちゃいけないのだろうが、腹立たしいというより笑えた。こうも次から次へと毎日のように問題が出てきては、もう漫画である。あの社長もストレスで死んでしまうかもしれないわな。
 たるんでいたとか、体質に問題が、といってもともと腐りきっていた国鉄の成れの果てである。表面的にこぎれいになって態度がよくなったといっても、裏に回ればなにも変わっていないのは当然。むしろ、金に汚くなってよけいに悪い雰囲気になっていた、というのは考えてみれば不思議でもなんでもない。
 しかしよほどに楽しみにしていたボウリング大会と飲み会だったのだろう。おそらく、偉い人が楽しみにしていて、若い衆はついていくしかない、ということだったのじゃないか。
 今時、社内懇親会が成立する、それもボウリング、というところからいかに古風な会社であるかはわかる。うちの会社などでは想像も出来ない。
 関西に行ってもできるだけJR西には乗りたくないな、と率直に言って思う。よそ者だから言えるのどかな感想だが・・・。

2005年5月04日(水)
なんだか交通機関の事故とかトラブルが多いですよね。警察のヘリまで落っこちましたが・・・こういうときというのは、どうなんだろう。なにかあるのかもしれない。よく月の位置とか、太陽の黒点とか、磁気がどうとかで人間のミスが増える時期、あるいは機械が壊れやすい時期、というのがあるといいますが。
 お休みの皆様、お気をつけくださいね(そうじゃないのでややふてくされる私)。
 天気はいいんですがね、割と。こういう日に夜勤なんてやっていると面白くないこと。今日は一目散に帰りますけん。明日は一応、会社も休刊日ですけん。
 なんかしんどいなあ、暑くなると。

2005年5月03日(火)
「電通が、今年のゴールデンウイークの休日取得数と年収との関係をインターネットで調査したところ、1千万円以上の収入のある世帯の方が、400万円未満の世帯より、平均休日数が1日多いことがわかった(朝日新聞)」というのを読んで腹が立った。もちろん電通にしろ朝日新聞にしろ悪気はあるまいが・・・というか、要するに大会社の恵まれた人は休みも多い、ということをいいたいのかも知れないが、朝日の人だってゴールデンウイークだからって休んでいないだろうに。かくいう私もやはり貧乏人なのだろうよな。貧乏暇なし。まあそれについては私は異存はないですが、はい。
 まあ、JR西の事故から一週間経過したわけですが、いろいろなことが出てきているわけです。運転士一人を責めても仕方なく、というかあの運転士はむしろ真面目すぎて融通がきかないタイプだったのがかえって事故を呼んだのかもしれないらしく、やはり会社の管理のしかたのほうが問題じゃないか、という声が強まっておりますが、またひとつには関西人の弱点がもろ出しになっているような気もする。ひとつに「稼ぐ」を第一目標にした支社長訓示に現れる「儲かりまっか」第一主義、第二に「見られてなきゃかめへん、かめへん」というエゲツナイ本音至上主義・・・つまり几帳面に安全第一、とか唱えるとどうせ「そんなんエエカッコしいや」と言われそうな体質、それから第三に「先を急いで粋がる」ところ。このあたりは単にたるんでいる、というのと違う根深いものがある可能性がありはしないか。
 それにしても大阪人は歩くのが早い、などとよく言うが、統計的にはそうらしいのだが、私は実際に大阪に行ったときにみんなの足が速いとはまったく感じなかった。あんなのは気のせいの範囲じゃないかと思う。というか私が個人的に移動速度が速いのかもしれない。要するにそんなのは個人差だとしか思えない。
 

2005年5月02日(月)
今日はご出勤の方も多いだろう。私はもちろん普通に出勤である・・・。
 ところで、以前に書いたドイツ映画「陥落」が、「ヒトラー最期の12日間」という題名で日本公開されるそうである。夏に東宝系で公開、との情報だが、ドイツでは戦後初めて独裁者ヒトラーを正面から取り上げた作品であるという。
 ヒトラーの最後の日々を描いた映画は多いのだが、ほとんどすべて連合国側の製作であり、なによりもドイツ語でしゃべっていないものがほとんどであったりする。本物はドイツ語で考えドイツ語で行動していたのだから、なにしろこれはありがたい、実感が全然違うというものだ。
 などと言っていたら、今日も「【ロンドン共同】2日付の英紙ガーディアンは、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーの最期を知るドイツ人元看護婦(93)が同紙とのインタビューに応じ「(自殺前日)ヒトラーは(ベルリンの)地下壕(ごう)の医療班全員と握手し、ねぎらいの言葉を掛けた。それが(彼を見た)最後だった」などと当時の様子を証言したと報じた。同紙は、元看護婦は当時地下壕にいて存命する2人のうちの1人としている」などという記事を見かける。なにはともあれ、大した物だ。これだけ時間が経過しても、ヒトラーというのは注目を集めるカリスマ性を失っていない。ほかにも独裁者は何人もいたが、大抵は死んで間もなく忘れ去られるか、かえって糾弾されて墓を掘り返される。やはり人類史上最も影響力のある独裁者であるということか。ムッソリーニは言った。「私は二流国の一流指導者だ。総統は一流国の二流指導者だ。そこが大きな違いだ」負け惜しみといえば負け惜しみだが、実際ムッソリーニがこの自分の言葉をよく理解していれば、イタリアは参戦しなかったろうし、第二次大戦は拡大しなかったかもしれない。とにかくムッソリーニをそれほど微に入り細をうがって研究する人は本国以外にはあるまい。彼はあまりにも普通の政治家、なのである。ヒトラーのわけの分からなさ、俗物的な発想ではとらえがたい部分、つまり中世の魔王がいきなり20世紀の近代国家に舞い降りたような印象は、余人にはないものであって、みんながなにかと取り上げるのも無理はないのである。
                   ◇
 それにしても、今日は室内で29度もある。やる気が出ないのも無理はない。去年の今頃もやる気が出ない、とさんざん書いているが、困ったものである。

2005年5月01日(日)
二日ほど遊び呆けていたら5月。ああ・・・。清原の500号ホーマーとか、なにも知らないでおりました。ブッシュ君が「金正日は危険人物」といってみたり、FIFAが北朝鮮との試合の観客なし、第三国開催を命じてみたり・・・今時、ああいう「愛国暴動」みたいなのは理解されない、ということである。
 北朝鮮といえば、元日本人妻のH・・・がまた平壌で会見していい加減なことを言わされたようだが、孫を人質に取られた、ということのようだ。
 ブッシュさんの二期目は早くもレイム・ダックと囁かれている。あるいは、人気回復の一法としてドカンと一発、ということもあり得るかもしれない。そうなれば日本も無関係では当然、ありえない。
 そういえば関係ないけれど、銀座松屋で開催されているミッフィー展というのを見てきたのですが、驚いた。沢山の人が来ていること。それも子供が多いわけじゃない、背広のお父さんが多いのに驚く。いやあ・・・しかしあのミッフィーというの、ディック・ブルーナさんの手書きなんですね。なにかCGのような印象だが違うんだ。一枚一枚、微妙に違うんですよね。それがいいんだな。
 帰りがけに松屋の屋上に行ったら、なぞのおじさんが出来心で熱帯魚を買っていった。出来心で、というのは店員が「御宅までどのぐらい時間がかかりますか」と聞いた、これは時間に合わせてカイロでも入れよう、という配慮で質問したのだが、そのおじさんは「いやあ、これから飲み会だから何時になるか分からないな」だって。店員は絶句していた。
 どうするんだろうか。出来心で熱帯魚なんか買って。どこかの飲み会場で死んでしまったんだろうか。
 しかしふと室内の温度を見ると28度もある。・・・やる気がなくなるわな。

2005年4月28日(木)
にわかに、秋口・・・ひょっとしたら年末に近い頃かもしれないが、ライブを演ろうか、という話になっている、私のところ。ただ、今回はまったく音楽メインの本当のライブであるかもしれない。まあそういうのもいいかな、と思う。
 例の脱線列車の運転手は相変わらず生死不明のまま(といって、まず絶望だろう)埋まっているようである。はっきり言ってそのほうが本人には幸せだろう。500人の傷害致死傷では、現象としてはオウム真理教よりも悪質である。
 これから、後のことも出てくる。あの電車に乗っていた人は今後、怖くて交通機関に乗れなくなる可能性がある。つまりPTSDである。そうなると通勤や通学もできなくなる。JRはそういう人まで補償できるのか? その人が普通なら送れた人生を失う可能性まで補償できるのだろうか。また、今回はマンションの問題もある。あのマンションは事実上、資産価値はなくなってしまった。聞けば平成14年だかにできたばかりの新しいマンションで、当然ながら皆さん、ローンを抱えている。資産価値どころか、当面、車両の残骸を引き抜くだけで倒壊の危険すらあるという。これへの補償・・・といってもどうしてくれるのか。
 亡くなった方への補償は言うまでもない。これまた単純に金額でいってもすごいことになるだろう。ことに将来性のある若い人が多かった。ほとんど無限に責任を負わねばならない。そして、どんな金額になろうが、ねぎるようなことをすればするほどJR西の企業価値は失墜する。
 幻の置き石犯を探したがるのも分からないではない。一緒に責任を負ってくれる者がいたらそれは随分と気が楽であろう。
 そもそも関西は私鉄が頑張っている。私も大阪周辺ではあまりJRに乗った覚えがない。名古屋周辺もそうだった。名鉄に乗った記憶ばかりでJRはあまりない。電車といえばむしろJRである、というのは東のほうのイメージである。いくらか遠回りになってもJRを忌避するような人だっているであろう。
 私は近頃は地下鉄しか乗らないことが多いが、その際にも1、2両目は避けるようになっている。やはり先頭に近いほうは危険である、というのは本当らしい。
 こういう時期には、鉄道や交通機関の事故が大きく取り上げられる。いつもだと見過ごされる記事も大きく扱われるのである。フランスでバスが横転したと思えば、今日も福島のほうでバスが横転して死者3人だそうである。
 日々、普通に生きているだけでこんなにリスクがあるのである。

2005年4月27日(水)
あれだけ迷惑をかけておいて、トレンドマイクロが「賠償はしない」などと言っているらしい。私はあれから更新をしていない。今後は使わないかもしれない。
 聞けば、あそこの会社のウイルスバスターは日本でばかり売れているという。そうなんだ。つまりそんなものなんだ。
 ところで、新潟ロシア村というのが笹神村にあった・・・あった、というのは昨年の4月に潰れてしまったらしいのである。実は、私と妻はここに二回も行っている。新潟県外のにんげんでは希有なんじゃないだろうか。97年と、99年ごろである。
 そのころはなかなかいいところだった。客が少ないのもかえってロシアらしくて良かった。ロシア料理もよかったし、ロシア風のホテルも良かった。つまりなにをとってもなかなか悪くなかったのだが、そもそもロシアというものに興味のある者が今時は少ない。それがいけないのだろう。それにここの経営に関わっていた地銀が破綻したこととか、とにかくあまりにも交通の便が悪すぎるとか(新潟市のバスセンターから2時間近くかかった記憶がある。しかも二回目に行ったときはすでに路線バスは廃止になっていた)いろいろ不振となった理由はあると思う。
 聞けば、近くには柏崎トルコ村、というのがあってこちらも経営不振であえいでいるとか。そういえば志摩スペイン村なんてものも倒産したのだったな。ああ、そもそもハウステンボスすらすでに一度、破綻していたのだった。
 こういうテーマパークというのは、なんでその国系のものがその土地に、というのが薄弱だったりして長続きしないものである。
 それで思うが、千葉県には・・・ディズニーランドはまあ別格だからいいだろう。それではなくて、「東京ドイツ村」というのがある(はずである)。しかも東京ディズニーランドは東京と名乗っても詐称と言うほどひどくはないが(何しろすぐ対岸は東京である)、こっちはなんと市原にある。千葉市の向こうである。これはかなり遠い。
 一応、ドイツびいきの我が家としては一回ぐらい、見てみてもいいかも、と思っているがその後、どうなんだろうか。早く行かないとなくなってしまいはしないか。
 案外、人気があるのかもしれないので、なんともいえないが。
 ああ、鳴かず飛ばずのテーマパークといったら、愛知万博にとどめを刺すか・・・。

2005年4月26日(火)
その後、尼崎の脱線事故では亡くなる方が増えている模様だが、・・・踏切の近くなので確かに置き石の可能性もあるし、その他の要因も考えられる。今のところの原因はまったく分からないが、事故を起こした運転士が単に未熟と言うより、今までに3回も訓告やら厳重注意やら受けている、ということのほうが気になる。
 JRの運転士の経歴としては、そんなものなのだろうか? 4、5年の社歴で3回の処分、そして4回目は50人以上が亡くなる事故を起こす、というのは? 車掌として乗務中に居眠りで厳重注意とか、100メートルのオーバーラン訓告とか・・・100メートルでしょ? それ、よくあることなんだろうか。おそらく違うと思うんだが。
 まあ、この人の生死もいまだ不明らしいから今から言うまい。が、適性としてどうだったのかしら、という疑問はどうしても起こる。
 実のところ、関西人は今まで知らなかったと思う、JR西というのは東海や東に比べると経営基盤が弱くて、私鉄との競争も激しく、おまけに阪神震災以後、安全対策も耐震補強に費やされて、そんなこんなで安全装置の更新はかなり全国水準で見ても遅れていた、とのことである。そんなものに毎日乗せられているのもお気の毒である・・・。
 相当にリストラ続きで、危ない感じもあった、という話だ。しかしことはJR西だけのもんだいかといえば、そうでもあるまいから恐ろしい。
 とにかく理不尽な亡くなり方、というのもいろいろあるが、これはひどいと思う。
◇                ◇             ◇
 黙って職場でテレビで見ていたら、なんだJRは! はっきりしないうちから「置き石があった模様です」などと宣伝しやがって。そりゃ分からないけれど、その日のうちに置き石説を喧伝して責任逃れしようという根性が気に入らない。警察なり国交省の調査でそういうものが出てきたならそれもよかろうが、自分らで「犯人は別にいます」という態度をとるんじゃない。問題があったのは確かなんであって、責任転嫁みたいなことを少しでも言うのは実に面白くない!

2005年4月25日(月)
起きてみたら・・・私の場合、夜勤明けにつき起きたのは午後だが、午前9時半ごろのJR福知山線の事故で大騒ぎである。詳細は分からないが、運転士は未熟で、直前にオーバーラン事故で焦っていたらしいこと、ここの区間はなんと国鉄時代の制御装置、つまり制限時速を超えても電車を止められない装置を使っていた、とのことであるから、人災の側面は免れないだろう。
 40人近い人がなくなり220人以上、つまり乗っていた人の少なくとも半分が負傷という事態で、鉄道事故としては異例の自衛隊出動ということになったようである。
 率直に言って、考えられない事故で、とんでもないとしか言いようがない。どう責任をとるつもりか。
 普通の会社ならこれで倒産だ。鉄道は代わりがないからこれでも通ってしまうんだろうが・・・。
    ◇              ◇               ◇
 Rマドリードのイングランド代表MFデビッド・ベッカム(29)が、ビクトリア夫人に離婚を求めていたと、24日の英紙 で報じられた。英国内で定評のあるニューズ・オブ・ザ・ワールド紙が、ベッカム家で家政婦を2年間勤め、先日辞職したアビゲイルさん(27)の独占インタビューを掲載。昨年12月末に夫人から「デビッドが離婚したいと言ってき た」と相談されたことを明かした。(日刊スポーツ)・・・というのだけれど、なんでこう、先日まで勤めていた家政婦が辞めた途端にぺらぺらしゃべるんだろうか。というか、思うに口止め料なり退職金なりが安かったのかもしれないですね。何事も金次第である。
 ベッカムについて言えば、離婚して人気が上がるのか下がるのかはちょっと分からない。選手としてはもはや下降線なんだろうが。離婚した場合、二人とも、先々の人生は決して安楽とも断言できないのじゃないか(あまりにいい生活に慣れてしまうと、後でつらいものである)。森進一なんかはまあ、人気は落ちたんでしょうね。
 家政婦について言えば、公務員じゃないわけだし、守秘義務はないですね、確かに。
 家政婦にしろ愛人にしろ、マイケル・ジャクソンのケースにしろ・・・まあ金持ちはたかられるわけです。うちは貧乏でよかった(?)。
 愛人で思い出した。福岡補選では山タフ先生がカムバック当選。山タフさんに問題はあるにしても、民主党の人も学歴詐称、これじゃ誰も信用できない・・・と思った人は多いでしょうね。それに地震なんてあると、政府に近い人がいいな、という話にもなる。
 そういうことは分かるんだけど・・・それにしてもいいんですか、福岡の皆さん。あまりにもこいつは・・・。
 で、これで郵政民営化を遮二無二やってしまおう、ということなんだろう。やるならやったほうがいいんだろうから、さっさとやってもらいたい。郵政族の人々もいろいろ思惑はあるだろう。どうせ首相も先は短い、後で有名無実な内容にしてしまえ、とか。
 とにかく郵政そのものというより財投そしてわけのわからない特殊団体の金の使い方の問題なんだが。いってみれば暴力団の資金源を断つために麻薬はやめましょう、というのと同じ発想で、わけのわからない外郭団体をつぶすために郵政の資金源を断ちましょう、ということなんだが・・・どうなることか。
 おや、もう4月も終わりか。早いものだ・・・。

2005年4月24日(日)
コンピューターウイルス対策会社「トレンドマイクロ」(東京都渋谷区)のソフト「ウイルスバスター」の更新ファイルの不具合により、23日、企業などのパソコンが正常に作動しなくなった問題で、同社は更新ファイルの完成後、不具合をテストしないまま配信していたことが分かった(読売新聞)とのことだが、なにやってんだか。ウイルスバスターのせいで支障が出ているんじゃ、それ自体がウイルスを巻き散らしているのと同じである。聞けば新聞社の端末なども壊れたとか。わざわざ「定期的にウイルスバスターの更新をしなさい」なんて指導が来たばかりである。これじゃなにを信用していいか分からない。警察だと思って助けを求めたら泥棒の一味でした、という映画でありそうな話である。
 幸いにして、私は昨日は全くのサボり日で、ウイルスバスターの更新もしていなかった。こうなってみると、あまりすぐに、馬鹿正直に更新するのも考え物である。
 それで昨日は、日本橋三越でやっている「イタリアフェア」というのに行って見たが、これの目玉はなんといっても、あの「何年待ちでないと予約の取れない」銀座・ラ・ベットラの落合務シェフ監修のリストランテである。はっきり言って、簡易的に作った店であり、ご本人がおいでなわけでもないだろうから、本物のラ・ベットラに行った様な訳にはいかないのだが・・・しかしS&Bの大ヒット商品「落合シェフの行列の出来る店のパスタ」シリーズの元ネタである。
 やはり簡易店舗だし、フォークやナイフは恐らく三越レストランのお古だし、お店の接客をしている人たちも三越レストランの人々だと思う。全体にお手軽なのも致し方なし。なんだが、出てきた料理はやはり一味違うね。たとえそういう屋台みたいなものでも、実に見事だった。こうなると本物のお店に行って見たいものである(が、最近は1年前とか2年前に、ということはなくなったが2か月前に電話受付で、人気アーチストのチケットを取るみたいに予約するらしく、滅多に取れない状況は変わらないらしい)。
 特に前菜のトマト、うにのパスタ、鴨のローストのバルサミコ酢は格別よかった。本物のラ・ベットラは無理、という人はやはりとりあえずここで味わってみるのは手である。
 帰りに、シェフの直筆サイン入りのS&Bのレトルト食品と、幻冬舎から出ているレシピ集を買ってみた。落合さんはとにかく休みがないそうである。大変だな、と思うが羨ましいとも思う。好きなことを仕事にし、自分の思うままに出来た人の特権である。
 私のような普通の人間、つまり格別やりたくもない職業につき、毎日少しでも早く解放されたい、と思っている人間の場合、週休2日でも3日でも足りないものである。
   ◇            ◇           ◇
 ところで、阿修羅城の瞳、とコンスタンティンの伝奇映画二本を立て続けに見たのだが、そしてどちらも人間界に潜む魔物をハンティングする、ちょっと斜に構えたアンチヒーローの主人公の話、というのが似ている、と評判にもなり、両者を比較して阿修羅のほうがしょぼい、とかCGが情けない、とか(それは当然である)いろいろの批評も見聞きしたが、どうであろう。私はブランドで判断しないし、俳優の名前でも判断しない。時間がたってみると阿修羅城のほうが印象は強かった気がする。音楽やビジュアル、アクション面に漂うケレンミの強さ、である。コンスタンティンは、ハードボイルドものの亜流という感じもあり、前にも書いたがサタン=ルシファーが個性的だったが、これは俳優が上手いのだと感じた。映画全体を思うと、案外に見慣れた描写が多く、印象は薄いようにも思う。要は「見たこともない世界」ではなかった。日本の漫画、デビルマンなどが30年も前に出しているテーマに似ている、という村上隆さんのパンフレットでのコメントに私も近い。 
 あとは好みの問題だが、私も少し前まで邦画はあまり好きでなく洋画至上主義者だったのだけど、近頃は必ずしもそうは思っていない。金のかかった有名人の出ているハリウッド映画だから面白い、とは感じなくなってきた。ものの見方が難しくなってきたのかもしれないが、もともと小劇場の芝居からスタートした阿修羅・・・のケレン味のほうがかえって作り手の熱意を受け取れたように思う。

2005年4月22日(金)
コンスタンティン・・・を見てきました。うん、面白かった。非常に凝っている作品。キアヌ・リーブスははまり役、というか確かにマトリックスとかぶるけれど、そういう先入観なしにいってもジョン・コンスタンティンのキャラクター性は非常に面白いものでした。けども、あれだなあ、ああいうくすんだヒーローというのは・・・案外に日本の漫画じゃありがちな気もする。
 共演者もみんな好演。特に最後のほうでサタンが出てくるのだけど、これが秀逸・絶品でしたね。うん、実は最後まで見るとサタンがいちばん印象に残ったりして。それから、天使ガブリエル。これもよかった。両性具有の印象がよく出ていた。
 トータル的には、見終わった後の印象はさわやか、というわけじゃないけれど、思ったようなダークなものじゃなかった。言って見ればやはりコミック的である。
 すごく重いものがない、といえばないと思うが。あのぐらいでいい、といえばいいのかもしれない。
 それにしても、出だしも申し訳にナチスの旗に包まれたロンギヌスの槍が出てくるけど、ボルマンよ、なぜメキシコなんかに、あんなに簡単に見つかるところに隠したんだ。メキシコぐらいじゃないとロスまで出づらいということか?
 あと、エンディングのスタッフロールの後に1シーン、つけたしシーンがありまして、これを見逃すと損します。よくロールを見ないで帰ると人が多いですが、これは残っていないと駄目です(昨日もほとんどの客が帰った後、だった)。
 ところで、ポール牧が亡くなった。うつ病だったようである、要するに。63歳。まだ若かったわけだが・・・。

2005年4月21日(木)
アメリカの最近の研究では、ちょっと太り気味のほうが長生き、という。昨日もそんな話題がちょっとあったが、しかし毎度毎度、死ぬ気で減量して月に一度の医者の診察を受けている身としては、ほんまかいな、と思う。もっとも、やせているよりは太り気味、ということであって、それは胃腸の丈夫さとかタフさを示すから、強いのも当然と思う。肥満まで行ってしまってはもちろんいけないわけである。
 ところで、品川の「おなべ」殺人はなんなのであろうか。同性愛関係についてはそもそもそういう漫画や小説に親しむどころか書いたこともあるのでなんとも思わないが・・・おなべというのはいちばん、わかりにくい存在ではある。
 ただ、「私は男だ」と主張する割に、じゃあ男らしく一家を支えてばりばり金を稼ぐ、ということもないことが多いように聞く。それはなんだかおかしいようにも思う。都合のいいところだけ取っているようにも感じるが・・・。
 なにしろ元男性である「おかま」のほうが明らかに稼げるしね。
 それはそうと、今夜はコンスタンティン、という映画を一応、見てこようかと思う。もし居眠りしなければまたちょっと感想でも書く予定。
 アラン・ムーアという原作の劇画家は、すでに一昨年に引退しており、ほかにも相次いでいる映画化でも、お金はいっさい受け取っていないという。
 ちなみにこの人、英国人だとか。生涯、生まれ故郷の町を出なかったとも聞く。かなり変わった人だろう。そして、やはりアメリカではないようである。スーパーマンみたいな発想からどうしてもアメリカ人は逃れられないのである。
逃れられない、といえばローマ法王である(?)。ラッツィンガー主席枢機卿が持ち上がり当選して法王に昇格というのはあまりにも面白みがないが(前回のように、前任者がとつぜん1か月で急死し、暗殺説も流れる中、とつぜん無名のダークホースが選ばれた、ということのほうが異常だったのだが)しかしドイツ人ということで、イタリア人が不満を持っているとか。そもそもカトリックの総大将がイタリア人である、という理由はなにもないのだから、そういう不満自体おかしいようにも思う。もっともドイツとイタリアは、日本と中韓のように安保理問題でもめている。そのへんもあるかもしれない。
 で、さっそく嫌がらせというか、新法王はかつてヒトラー・ユーゲントにいた、ということをことさら書き立てる動きも出てきた。ばかげている。あの時代、ドイツの少年はユーゲントに全員強制加入である。そんなことを問題にしても意味がない。それなら、日本の「国民学校」に通った経験のある人は全員、公職追放にすべきだろうか?
 こういうためにする議論、というものを見ていると、アジアでも同じだが、古い話をほじくり出してあれこれいうのは、おおむね、ろくなもんじゃないのである。
 

2005年4月19日(火)
「鶏に高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)が流行しているインドネシアで豚にも感染が起きていることを、同国アイルランガー大と河岡義裕東大教授らの研究チームが19日までに、豚から分離したウイルスの遺伝子解析で突き止めた。
 鳥インフルエンザウイルスが豚に感染すると体内で遺伝子の組み換えが起き、人に大流行する新型インフルエンザになる恐れが指摘されている。豚からの同ウイルス検出はベトナムと中国で報告されていたが、さらに感染地域が広がった」(共同)という話を読んでぎょっとしたものだ。つまり、鳥インフルエンザが豚インフルエンザになっているわけで、ここから人間の新種インフルエンザが出来る可能性大、というのである。
 こうなったら花粉症で騒いでいるどころではない。
 そもそも中国辺りじゃ鳥でも豚でも汚い環境で放し飼いにしているんだろう。
 なんでもいいが反日暴動などしている余裕があるなら、自分の国の農村地帯をなんとかしろ、と言いたい。
 中国が、とりあえず「現地の地方庁」レベルで「現状復帰」を申し出てきているのだそうだ。国としては頭は下げられないので、上海市とか、地元レベルで、ということだと。つくづく形式的な連中である。
 「愛国無罪」というのは実に危険な言葉である。これはどこの国でも応用できてしまうから、こちらから反撃するときも同じ言葉が使える。
 こういうことを言い出すあの国のにんげんのレベルを考えると、やはりあまりまともに付き合わないに限る、と思われる。
 要するに集団ヒステリーにいまだ陥る国である。日本も60年前までそうだった。石油ショックの頃もそうだった。最近は急激にそういうのがなくなってきた。
 一時的に小泉フィーバーだの、ホリエモンフィーバーだのとくだらない動きがあるが、すぐに醒める。醒めるのはいいことだ。
 熱狂でなんとかなることなど、今の時代にはもはやない。


2005年4月18日(月)
随分、前になるが、それはもう七、八年前でそろそろ中国が上昇気流に乗ったことがはっきりしてきたころのことだが、会社に電話がかかってきて「中国の経済特区に投資しませんか」という内容だった。私は「あの国は確かに発展してきているが、政治的に信用できない。しょせん独裁国家であり、ちょっとしたことですぐにがらがらひっくり返るような国は信用できないから投資しない」と言ってやった。相手は結構、憮然として「まあ、それはいろいろな考え方がありますから」などと言って、切った。「間に合っているので結構です」という人は多かろうが、「中国はしょせん、共産党独裁国家であり、信用できない」という断り方をした人はあまりいなかったのかもしれない。ひょっとしたら、相手は日本語の上手い中国の人であったのかもしれない。
 今になってみて、自分の判断は正しかったと思うのである。
 ニューズウィークが「これは後になって日中関係の重大な分岐点だった、といわれるかもしれない」と報じて「日本の常任理事国入りも難しくなっただろう」と論評したそうであるけれど、その通りであろうと思う。
 前にも書いたが、ことはアメリカ共和党系の思う壺に入りつつあるのじゃないか、と思わないではない。しかしそれで仕方があるまい。日本の選択肢というのは急激に減ってきているのであろう。
 小泉内閣はやはり、日本がアメリカの属領となる道を切り開いた政権であった、ということであろうと思う。そういう方向を選んでいるのだと思う。
 万邦無比の国体、とやらもようやく薄らいだ。日本は今や、日本語を話す人々の経済集団にすぎない。
 こちらはそういう状況だから、誰かがとってつけたように靖国神社に行こうが、妙な教科書ができようが、まるで影響がないのを自分らで一番よく分かっている。そもそも日本の子供は勉強しないから教科書などあってもなくてもどうでもいいのである。日本にはもはやナショナリズムなんてものはほとんどなくなりかけている。国旗国家法などあっても問題になるのはせいぜい卒業式だけのことで、逆に言えばほかの場面ではぜんぜん問題にもならないのである。ヒステリックなことをいくら主張したところで空しいだけだ。誰も興味も関心もないのである。常任理事国なんてものも、そんなことを望んでいる日本人などどれだけいるのか、と思う。
 さればこそ、隣国のヒステリーがますます理解できない。
 日本人のことだ、急速な中国離れ、というのが起きると思う。面倒くさいものは相手にしない、というのが国民性ではないか。その後はどうなるかしらない。かといって中華料理屋を忌避するとか、中国製品を買わないとかいうことも起こるまい。そんなことは面倒くさいしうまければ、安ければどうでもいい、のである。
 このしらけきったポストモダニスムの永遠に続きそうな空しさを、あのような後進国に理解しろといってもまず・・・そうだな、50年は早いだろう。成長が頭打ちになるぐらいになって、ほしい物がなくなって、生涯無職でも安穏としていられるほどの無為につつまれたこういう境地にならない限り、彼らと話し合っても意味がないかもしれない。

2005年4月17日(日)
 つい今しがた、映画「阿修羅城の瞳」を見てきました。これは、・・・・いいです。実に面白い映画。このところ見た中でも傑作の部類。娯楽作品として一級品よ。なんといってもチャンバラはいい。日本人はやっぱり下手なCGでも銃撃アクションでもなく、チャンバラに限るなあ、ということをしみじみと感じた。染五郎、きまっていました。舞台からずっと演じているのだろうからだけど、きっちりキャラクターが立っている。ケレンミたっぷりなんだがよかったですよ。渡辺篤郎、内藤剛志とあくの強い人がどんどん出てくるが、いいですよ、みんな実に上手い。上手いといえば宮沢りえね。この人、本当におかみさんなんかにならなくてよかった。上手い女優さんになったと思いますね。それも時代劇ばっかり。あの人ハーフなのになんで、と思うんだが…どうしてだろう? 確かにあうんだよな、時代物にね・・・。思うに、外人ぶりたい近頃の若い日本女性の中で、外人ぶる必要のない彼女がかえって落ち着いた日本女性に見えるのかもしれない。逆説的な真であるだろうか。
 そして、きっちりと心を揺さぶるところは出来ています。ラブストーリーですね、基本的には。
 四世・鶴屋南北が一部始終を見ていました、という形式になっているのもなかなか面白い工夫。もともと舞台なので、そういう「狂言回し」的な役回りが必要だったのだろう。しかしこの人がコミカルな要素を引き受けていてよろしいのです。
 なんでこの映画を見ているかというと、本当は本日から「コンスタンチン」という映画もやってるんですね。しかし、こっちは話題作だししばらくやっているだろうし、初日はそれなりに人も来るだろう。だったら、穴場の「阿修羅」のほうを先に見ておこう、ということだった。しかしこれは拾い物です。時代劇伝奇ファンタジーみたいなものが好きな人、こりゃ見て損なし。2時間10分、だれたり飽きたりするところがなかった。
 信長の野望の音楽で有名になった菅野よう子の音楽がなかなかよし。エンディングに流れるスティングとハービー・ハンコックの共演も非常によし。あれを聴くだけでも値打ちがあるかもしれない。名演です。
 映画を見た後、帰りに、イージーライダーも顔負けの長いハンドルのバイクをいきがって走らせている人発見。すごい爆音で、とにかく乗りづらそうだった。あまりにもかっこ悪くて目立っていた。あのバイクの維持費にかなりかけているんだろうが、どうして大金を投じてあんなにみっともないものに乗るのだろう。気が知れない。
 そのお馬鹿さんのせいで、映画の鑑賞後の印象がかすんだ。困ったものだ。

2005年4月16日(土)
「上海16日共同 中国・上海の反日デモは16日、参加者は延べ約2万人に達したもようで、一部が反日スローガンを叫びながら石やペットボトルなどを総領事館に向かって投げ窓ガラス10数枚が割れ、ペンキで外壁などが汚された。中心部では日本料理店やコンビニなど10軒以上の日系店舗が壊され、9日に起きた北京の反日デモを上回る最大規模の被害となった。町村信孝外相の訪中を17日に控え、当局の禁止にもかかわらずデモ隊の一部が暴徒化したことで、日中関係のさらなる冷却化は避けられない見通し」のだそうである。
 こちらのほうでも大使館にペンキをかけたり、そろそろ小さな動きは出ている。さて後はどこまでいくか、だ・・・。
 一方で、基本的に無関係だがアメリカではガソリンの値段が史上最高を更新したようである。その主な要因の一つは間違いもなく中国の急成長である。
 クリントンなど民主党の政権はおおむね親中派であり、世界戦略も多局主義なのだと思うが、現政権は一局主義である。アメリカが中国を「大国」に仕立てて、世界経済のエンジンとし、ロシア威圧に使ったのは確かだが、しかし、どこまでこの国の大国化をアメリカが目指すか、というのがある。
 必要になればどんな汚い手でも考えるアメリカのことである。中国がアメリカの経済の下請けである間はよかったろうが、そろそろ、特に石油を独り占めしたがっている動きについては黙っていないかもしれない。
 日本と日本海でぎくしゃくしているのも、基本的に中国には焦りがあるのだろう。石油が欲しくてしょうがないのである。
 こういう中で、明らかに中国政府の統制力低下を示す反日暴動である。黙認のふりをしているのではないか、と思う。そろそろ統制不能、というのが馬脚を表すであろう。
 あの国がまるきり瓦解するなどとは思わないが、このまま順調に大発展するだろう、などと思わないことである。


2005年4月14日(木)
なんでも「ソトアサ」族、とかいう言葉があるらしい。もっとも、どこかの業界が作った言葉かもしれない。どういうものかというと、ヤフーで見つけた用語解説によれば「自宅外で朝食をとる人たち。職場の近くの外食店ですませたり、コンビニで購入して会社の自席で食べる。1人暮らしの若者は、自分でつくるのはめんどうだが体のためには朝食が必要と考え、コンビニでパンと牛乳などを買って食べるようにしているのだという。かつては朝一番の仕事は電話連絡ということが多く、朝食を食べながら仕事をすることは考えられなかった。しかし今では、朝一番の仕事はメールチェックから始まる。出社したらまずパソコンを起動。メールをチェックしながら朝食をすませ、そのあとに必要なら電話を入れるという形態に変わったのだ。こうした事情もソトアサ族の増加の一因となっている」のだそうだ。 なるほど、と思う。私はこれを読んで、実際の所、「会社に早く行く」ということもあまり意味がなくなってきたな、と思うのである。
 私は以前は、結構、早く行くにんげんだった。出社時間とされている時間よりも、1時間以上早くに到着しているようなタイプだった。ひとつには、気が短くてどんどん支度時間、出社時間が早まってしまう。ふたつには、早く出ていればなにか交通のトラブルがあっても間に合うだろう、という配慮。みっつに、上のヒトに受けがいい。四番目に、外部からの連絡があったりする場合、朝の内に対処すれば何事もスムーズでトラブルにもその日の午前中に対応可能である・・・。
 だったのだが、これらがどんどん崩れてきているように思う。まず、気が短い、というのは変わりはしない。が、近頃、都心に近く駅にも近いところに引っ越した都合で、前のようにそもそも時間がかからない。30分で都心に着いてしまう。だからいかに田舎育ちで気短な私も最近は、通勤にあくせくしない。 次に、交通のトラブルだが、最近は携帯電話というものがある。地下鉄で電波の届かないところだと仕方ないが、よほどの大事故じゃない限り鉄道事故の場合も近くの駅までは行くのが普通だから、会社に一報入れられる。それでもう十分であって、あくせくするほど損である。かえって不可抗力と割り切って重役出勤と決め込んだ方がお得であろう。上のヒト、というのもこの10年で気質が変わった。以前は確かにその人の在社時間で部下を査定するような馬鹿上司もいたが、近頃は上司自体も代替わりして、のんびりおいでになったりする。アピールしようがない。そして、外部からの連絡だが、携帯にしろメールにしろ、かえって、家を出る前にチェックした方がよほどに迅速である。会社に着く頃には重要なやりとりは終わっている、なんてこともあり得る。こんな場合は、むしろゆっくり出てきた方がいいように思うのである。
 と、自分の周辺を見てもいわゆるIT化の進展で環境が変わったのは確かである。仕事によりけりだが、普通のデスクワークなら会社に行かなくてもいい局面、というのは増える一方であろう。そんなことを考えましたな。
 堀江さんのように仕掛ける側が期待するような変化というよりも(たとえば情報流通のドラスティックな変化、みたいな)、機器によるライフスタイルの変化のほうが大きいわけだ。ネット通販によるビジネスの大進展みたいなことを期待した時代もあったが、確かにネット通販は増えているだろうが、これで有効なのはやはりベンチャーレベルの業態の間なのじゃないかしら、とも思う。本当に立派なブランドになれば、ネット店舗などかえって無用である。お客さんの方で足を運んでくれる。要は、通販の配送料金と店舗維持費とを比較して、一線を越えるか越えないか、という程度の話じゃないかと思う。たとえば立派なブランドのファッションメーカーが銀座のショールームをたたんで通販に絞るなんてことは想像も出来ない。アマゾンドットコムで本やCDを買ったことはあるが、いつも「既に内容を知っているもの」とか、「前に持っていたものを買い直したい」という場合に限る。たとえば山野楽器などでぶらぶら歩きながら、たまたま見つけて衝動買いする楽しみには対応しない、というようなことは前から予想されていたが、ここまで来て正しかったと思う。
 どうも、堀江さんとか、竹村健一さんとか、大前研一さんとか、ちょっと前までなら新しめの舶来ビジネスモデルの走りだった人たちの言うことが、最近はかえって世の中の普通の人たちの実感より遅れているのではないか、と感じるのだが。どうなのであろうか。
 IT化は進展しているし、もっともっと進むだろうが、こういう、これで一発もうけてやろう、という山師的な人たちの思惑とはいつも少しずつずれているんじゃないか、と私は見ているのですが。詳しい方の意見を聞きたい物である。







2005年4月13日(水)
 ライブドアが最安値、と言っていたら今度は大幅譲歩で手打ち、ニッポン放送はフジの子会社となりライブドアは一定の発言権を持つものの、当初の目論見からいうとほとんど無意味な結末・・・という話が俄かに出てきた。このままおとなしく終わるかどうか知らないが話としてはこれで終息だろう。
 ソフトバンクはいよいよ安定を見せ、楽天はアメリカ進出を目指す。ライブドアは株式分割して転換社債で融資を受ける、というやり方を繰り返してきたんだけど、もうこの手も通じないかもしれない。というか、この一件で日本では事実上、敵対的M&Aは二度と出来なくなったと思う。
 こんなことを目指していたわけではあるまい。だから初めから言っているのである。目先の見えない男だ、と。
 内心では焦りがあったのだと思う。実はITも初期の風雲期はあっという間に終わり、成熟淘汰の時代に入っている。実際には彼は出遅れたのである。若き改革者だの勝ち組だの言うのは外野の勝手な過大評価。実態はIT界の出遅れ経営者となる公算大で、慌てて出た博打だったのだと思う。
 特に彼の放言癖と、マスコミというものへの理解の浅さはかえって、いくらか彼に期待していた人をがっかりさせたのではないかと思う。私もそうだ。この程度のヤツだったのか、と今では思う。広報担当、といってちょっとだけ出てきた27歳だかの女性も、あれで広報が務まるのかよ、という感じでライブドア社の底の浅さを見せた感じだ。
 何度も言う。若ければいい、というものではない。孫正義も北尾さんのような人を野村證券から引っ張ってきたのである。自分一人でなんでもできる、などとはもう思わないことである。あきらかにブレインのレベルが低い。あるいは世の中を甘く見ている。ニート連中の支持など集めてもなんの意味もない。必要なら経団連の親父だろうが政治家の古臭い狸だろうが、なんでもたらしこむぐらいの迫力が必要。実際のところ、甘い。甘すぎる。
 ◇                 ◇           ◇
 ぜんぜん関係ないが、さっきディスカバリーチャンネルで都市伝説の話をやっていた。口裂け女、みたいなものである。そのなかの最近の有名な例で、南アフリカ発のが興味深かった。ある病院の集中治療室。毎週、重病人が木曜になると原因不明の死を迎える。いくら調査しても分からない。しかし、事実は意外なものだった。木曜のたびに、委託の清掃人が部屋を掃除する。医療知識のない彼は、木曜に集中治療室に掃除機をかけるとき、延命装置のコンセントを抜き、掃除機のコンセントを差し込む。そして掃除し、終わってからまたコンセントを戻していく。こうして毎週、本人もなにも知らないうちに人が死んでいく・・・というのである。
 もちろんデマである。ただ、原話では患者は白人、清掃人は貧しい黒人、ということになっていて、南アフリカらしいテーマを含んでいるとも言う。
 1回限りのことならありそうなミス、ですむ。毎週、木曜のたびに誰も原因が分からないまま殺人が繰り返されている、というのが怖いところだ。
 医療現場といえども、なにも知らない者も紛れ込んでいるかもしれないではないか、という不安、医療ミスへの懐疑・・・そういう現代人の心理の反映だ、という。
 しかし恐ろしい。掃除人などでなくとも、ぼんくら医者とかぼんくら看護師が当直のたびに患者が死ぬ、みたいな類話はいくらでもありそうであるが・・・。

2005年4月12日(火)
たとえば、こんな記事を見掛けた。「中国浙江省で3万人が暴動、2人死亡か…公害に抗議(読売新聞)【香港=関泰晴】12日付英字紙「サウスチャイナ・モーニングポスト」など香港各紙によると、中国浙江省東陽の村で10日、公害問題への集団抗議が暴動に発展して、約3万人の村民が公安当局の武装警察官などと衝突した。双方に多数の負傷者が出ている模様で、少なくとも村民2人が死亡したという報道もある。中国各地では、急速な経済成長で公害が深刻化しているが、公害問題が原因で、これほどの大規模暴動が起きたのは初めてとみられる。中国メディアは今回の暴動の報道を禁止されているという」だってさ。要するにあの国じゃ、何万人規模のデモがいつでも起きる状況にあるのである。もっともその何万人というのも・・・人口がこっちの国の十倍ある国なんだから、こういうデモの人数も十分の一と考えればよい。3万人のデモなら、日本で言えば3000人ぐらいのデモ、と思えばいいのだろう(大雑把か)。
 天安門事件の後、いかなる意味でも反政府的なことは言えなくなったあの国で、公認の「過激な言動」は反日ネタに限られるのである。となれば、反日暴動のたぐいもどうしてあんなにヒステリックになるのか理解できる。
 日本が気に入らず、靖国神社がおもしろくなく、国連安保理に連なろうとする日本が生意気で気に入らないのは本当だろう。しかし、抗議行動からいちいち投石だの、暴力沙汰になるのはなぜであるか、というのは別の問題なのである。
 いまの日本人から見て、当の中国なり韓国なりは、逆の立場で見れば大いに気に入らないし面白くない。しかし、投石しようとかぶち壊してやろうとかは、誰もしない。つまり、そんなことで鬱憤晴らしをする必要がないからである。それなりに満ち足りているのである。フリーターであろうとニートであろうと、というかフリーターやニートであっても困らないぐらいに満ち足りている幸せな国なのである。
 しかし、そういう国情と思えば思うほど小ニッポンが気に入らないという道理である。発展したのなんのといっても、こっちの国の満ち足りすぎて人生に飽き飽きしているような境地はいまだ分かるまい。
 それがいい、というのじゃない。そのぐらい落差があるから、まともに話し合っても無駄じゃないのか、というのである。特にああいう締め付けの多い国々では、事実上は北朝鮮と思想心情的には何ら変わらない、そういうかわいそうな連中であることは理解してやる必要がある。
 要は、相手に出来ない、ということではあるが・・・。
 ただ、日本としては常任理事国は諦めた方がいいんじゃないか、と個人的には思う。無理だろうな、今の状況じゃ。とてもそんな国柄ではない。
ただし。「大阪市西区靱本町の中国総領事館に、薬きょうのようなものが入った封筒が送り付けられていたことが12日、分かった。封筒の裏面には日本語で「反日デモが続けば中国人に危害を加える」などと書かれていた。大阪府警西署は中国の反日デモに反発した人物による嫌がらせの可能性があるとみて、脅迫容疑で捜査している。[時事通信社:2005年04月12日 22時10分]」なんて話もある。日本人だって小泉政権以後の「競争社会化」「国民負担増」にいらいらしてきているから、「中国人を殴るのなら構わないよね」などと言い出すものは出てくるかもしれぬよ。時間の問題で。
 外国というものは、常に必要なものである。為政者にとって。そして軍人にとって。にんげん社会はそれなくしてはやっていけないように出来ている・・・



2005年4月11日(月)
 のどかな、春らしいことを書きたい・・・が、自分自身もあんまりこのところ、いいことがないし(まあそんなに悪いわけでもないんだが、なんとなく、である)、報道など見るにつけ、中国の反日暴動は面白くないし・・・である。ホリエの話題が減ってきたのはいいことだが(あれも、もう聞きたくない)。
 毎日新聞によると、日本人の学生が二人、上海で殴られたという。その他、もうめちゃくちゃである。日本大使館は「(緊急)反日デモに関する注意喚起(05.04.09)」というのを出した。「1.9日、北京市内で行われた抗議活動により、大使館事務所及び大使公邸に対し、ペットボトルや石が投げ込まれ、多数のガラス窓が破損される事態が発生しました。加えて、日系企業のビルや看板、日本食レストランや路上の日本車にも被害が生じました。2.つきましては、本週末に外出等される場合には、くれぐれも注意をお願い申し上げます。また、反日デモや抗議活動を目撃した場合には、現場には近付かず慎重に行動し、無用のトラブルに巻き込まれないようにご注意願います」とのことである。
 このままいけば、渡航自粛なんてことも起きるだろう。
 邪推だが、これで日中経済ブロックなんて夢のようなことはもう出来ないだろうし、日中仲違いでいちばん喜ぶのはおそらくアメリカだろう。というか、やはりこれで日本はアメリカに吸収されるんじゃないか、という気がますますしてきた。
 大使館に投石されて器物が壊れれば、はっきり言って開戦理由にしてもいいところであるし、アメリカならそうするだろう。
 ことの起こりのそもそもは、靖国神社になんとなく参拝を繰り返し、国連安保理問題に火をつけた総理であるのだが、なんにもしない。一言もない。
 何度も何度も何度もここで書いたが、彼が首相になってからよくなったことが一つでもあるだろうか。悪くなったことの最右翼は外交である。
 確信犯の対中強硬路線、というのならそれはそれで成り立つ。火だけつけておいて何もしないで郵政論議に逃げ込んでいる、では話にならない。

2005年4月10日(日)
こんなメールが来た。「まだ【一握りのメンバーしか知らない】情報です。NB世界最大企業としての地位を確立しつつある企業が、今’日本での製品販売を展開しようとしております。今のこの時期に我がグループに登録した方は<本当のトップポジションです。>バイナリーですので今登録ですとポジションは速攻で構築されます。夜登録した方が、次の夜にはダウンさんを見つけています。初期のポジショニングがすべてです。」だって。
 明らかにネズミ講の勧誘である。しかし、今になってもこんな見え見えのネズミ講をやる人がいるし、また引っかかる人もいるのだろうなあ、と思う。この手のものは、本当に一番上位の人はたくさん、また初期の加盟者はいくらか利益を得られるのが味噌。しかし数日で破綻し、十日もすれば理論的には日本の全人口が加盟しないといけないぐらいに膨れ上がる、というのが多い(今回のこの勧誘だと、何人を子として加入させなければならないのか書いていないので分からないが)。たとえば十人勧誘が義務だとして、初日は親一人と「ダウンさん」10人で11人。翌日は111人、その翌日は1111人・・・いいのかな、こういう計算で。こうして毎日一桁増えれば、一週間後には1億人いないと成り立たなくなるであろう。
 勧誘された人は上位の人に上納金を納める、というのも常識である。上のケースでもせいぜい三日目の1000人台ぐらいで破綻すると思われる。こういうものに無防備に騙される人がどのくらいいるか知らないが、そんなに多いとも思われないので、すぐにダウンさんを見つけるのが難しくなるはずである・・・。が、繰り返し、数年おきに同様の事件が起きるところを見ると、結構、うまくいくのだろう。一度、引っかかった人は二度と遭わないかというと、これがまた同じ人が何度も詐欺に引っかかる、というのもよく知られたことであるな。また、しばらくたてば世間は忘れてしまう。若い人など、なんでも昔のことは知らないですますから、こういう犯罪情報だって過去からの蓄積なんだが、古臭い手ほどリバイバルヒットで引っかかったりする。流行と同じである。
 古いこと、といってなんでも水に流すのが日本人の得意技である。しかし中韓などはそうではない。恨500年とか平気で言う。個々のそれらの国民がどうなのか知らないが、政治的にはかなり危険水域に来ていると思う。あれらの国は日本帝国との闘争を経た、というアイデンティティーで成り立った国である。そういう建国神話がある以上、それらの国がなくなるか、日本国がなくならない限り、反日という発想も、その時々の濃淡はあれ、なくなりはしない、ということである。


2005年4月09日(土)
「改革元年」をうたったプロ野球に衝撃の数字が突きつけられた。7日の「横浜−巨人」戦の視聴率8.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。巨人戦のテレビ中継が開幕6試合目で2ケタを割ったのは過去に例がない。実数を発表している観客数も伸びず横浜−巨人戦はわずか1万2578人。人気回復の道は険しいが、一方で「地域密着」を旗印に新球団・楽天は東北を中心に高視聴率を稼ぐなど“光明”もみえる。止まらない「巨人戦離れ」は、「巨人戦頼み」の球界に対する警告とも読めそうだ。(丸山和郎)(産経新聞)」とのことである。思うに、今でも巨人戦を見ている8・8パーセントの人、というのは巨人と心中してもいいという覚悟のコアなファンだろう。そう考えればまだ大したものなのかも知れない。楽天の試合は東北では20%越え、というが今の話題のさなか、スタート早々でそんなものでは駄目なのじゃないか? 大した数字ではないと思うが。
 で、Jリーグにならって「地域密着型」にしよう、ということなんだそうだ。ところが、私のような都市部の住民にはこれがものすごく縁遠いものに思える。もともと「おらが町」なんて意識がないですからね。考えてみれば千葉県に野球チームはあったわけだが、そんな理由で応援する気にもならない。浦和レッズはなんで成功できたのか知らない。だがああいう成功例こそ特殊なんではないか。
 実際、そんなことでJリーグの試合なんてここ何年も見たことも聞いたこともない。野球もそうなるのだとしたら、まもなく私はそんなものが世の中にあることを知らないですむようになるのだろう。結局、ローカルな話題、町ネタ、ということだ。市民運動会レベルである。そんなものに興味はない。
 みんな、中心に集中するのはいけなくて、ネットの時代にはどんどん分散、拡散すればいいのだ、ということになっている、それでみんなの興味関心がどんどん拡散する。メジャーというものがなくなる、ということだ。それでいい、という人もいる。しかしそうなれば誰がどうなろうが自分さえよければいい、という結論しか出てこない。くだらない時代だ。野球については結局、外に中心を求めて大リーグに逃れる。サッカーならW杯だ。みんな結局は国家単位の中心しか見いだせないわけで、なにもそこに進歩も退歩もあるわけではない。みんなでこぞって巨人を応援している時代のほうが楽であったし、価値観も共有しやすかった、というだけのことだ。それが、国家単位のスポーツへの関心の抱き方、というのは実際には戦前的なメンタリティーへの復帰といえば復帰である。そもそも国別対抗のスポーツは擬似戦争である。
 中国や韓国では、そういう時代に求心力の最後の切り札として、政治レベルでも「反日」というのを打ち出した。たまたま靖国神社とか、国連安保理とか、不用意に打ち出した首相がいたからぴったりはまったようだ。
 日本にはそういうものもない。宗教もない。残るのは金だけか。すると、ホリエさんの言うことが完全に正解、ということになる。
 しかしそんなことなら、私などははやく引退したいものだ。くだらなすぎて、こんな世の中、生きていけぬ。
 にしても、たとえばある年配以上の人となにげなく会話をするのに、まず天気、ついで巨人戦の話題などをやっていればつながったころは楽だった。こっちも、ある意味で「私は巨人にも野球にも興味がありません」という、そういうぶち壊す喜びを味わうことも出来た。みんながまとまっていればこそ、まぜっかえすことも出来る。
 もうみんなてんでんバラバラなのだから。いきなりビジネスのことを話すだけである。結構なことだ。単刀直入でいい。
 自殺者が増えるわけだ。

2005年4月08日(金)
なんというものか、このところ、・・・数日前に仕事上のミスがあったりして面白くないというようなことを書いた。そしたら昨日もひとつ、やらかしてしまった。起きてしまったことは仕方ないのだが、なんだか最近はついていないな、という気がする。今の仕事は、自分がついているのかついていないのか、結果でてきめんにわかる部分があって嫌である。特にたるんでいたとか、気が抜けていたとかではない。要するに出るものは出る。そういうことは理屈では分かっているが、しかし誰にでもあることだろうが「近頃、自分はあまりついていないのではないか」という気分にとらわれると、本当に駄目になってしまう。困ったことだ。
 おととい、前の職場で同僚だった人が41歳の若さで死んだ。その前日には、隣の職場の人が47歳で亡くなった。いずれもがんである。そういえば昨年には、やはり前の職場の同僚が37歳で亡くなった。
 なにかそういうことが続くのも気分を暗くする。
    ◇          ◇          ◇
 などと陰気臭いことを言っていても始まらない。今日は、そういうわけで、いつもよく行っている観賞魚店にもらった「観賞魚品評会」のチケットを持って、江戸川区船堀の江戸川タワーセンターというところに行ってみた。
 とにかく広いホールが魚だらけである。それも、優秀賞をもらったような特大な金魚の数々は、なにしろ金魚といっても50センチぐらいは余裕である代物である。なかには重すぎて着底してしまったものもいる。
 とにかく見事なのはディスプレイ盛りだくさんのプロの人が作った水槽の展示だ。これも品評の対象だったが、大変なものだ。大きな滝を作ってドライアイスで飛沫を表現したり、水槽の中に段差をつけて、遠近感で作庭のような効果を狙い、小さな谷川を再現しているものもあった。滝つぼの清流にタナゴの群れが泳いでいる。あれはすごかった。
 あれだけたくさんの水槽メーカーが一堂に会することもほかにはあるまい。最新のゴージャスな水槽がずらずら陳列されているのも壮観だった。
 ところで、浦安から船堀に行くのに、地下鉄を乗り継いで行ったが、帰りはふと思いついて都バスでお隣の葛西駅まで出た。ずっと楽だった。都バスなんて10年ぶりに乗ったがいつの間にか200円になっていた(というかあまり上がっていないな)。
 なんにしても、魚がぼう、と泳いでいる様を見ていて少しは気が晴れた。

2005年4月07日(木)
「小泉純一郎首相は6日夜、自民党内に根強い郵政民営化への反対論に関し、記者団に「私は自民党を変えると言って総裁になった。郵政民営化が嫌だったら誰かに代えてくれ」と強い不快感を表明した。自民党の武部勤幹事長も同夜、都内で開かれた会合で、郵政民営化問題に絡み、首相が衆院解散・総選挙に踏み切る可能性に言及した」(読売新聞)そうである。選挙はやめて欲しい。面倒くさい。
 だから、ここ二回の国政選挙で小泉さんを応援した人に問いたいのだが、彼は結局、改革なんて出来ないのじゃないか、とは思わなかったのだろうか。自民党では、党内の了承がないと原則として内閣は法案を出せない。そういう慣習があるからこそ、自民党の連中は腹の中で舌を出しながら、選挙用の顔としては小泉さんでいいや、でも改革なんて実際にはさせないから安心してくださいよ、と豪語していたわけでしょう。はっきりそう言っているのに、なんであのときに自民党を支持したのか、あなた方は?
 これは小泉さんの資質とは関係ない。どんな人であっても改革は結局出来ない、ということを意味する。あとは、自民党をまた下野させて政権から下ろすしか、手はないのだ。民主党に力量があるかないか、など問題ではない。自民党を一定期間、政権から切り離す手術をしないと、これ以上の改革は不可能なんだよ、とあのときそういう見方もあったんだが、なぜかかなりの人が根拠もなく「小泉さんならなんとかしてくれるだろう」などと言って応援した。
 やっぱりできないでしょう? だって出来ないようになっているんだから。しかも郵政論議なんてぜんぜん国民の関心事ではない。そして、その関心事でないことで、小泉さんは致命傷をおう可能性が出てきている。
 根拠のない楽観。根拠のない盲信。これは戦時中の日本人の悪い癖だった。まったく治っていないようである。
 ホリエなどを根拠もなく改革者だと思って持ち上げているデジタルバカも同じようなものである。
 しかもここへきて小泉外交はがたがたである。7日の日韓の会談が見物だ。あの韓国大統領Nは、結局、政権浮揚策として「反日」を持ち出した。そして事実、支持率が回復しているそうである。本当にくだらない大統領だ。それに踊らされる韓国のマスコミも市民も程度が低いこと、日本も駄目だが輪をかけて駄目だ。それに加えて、奴隷国家の北朝鮮に、金の亡者で洗脳でおかしくなっている「自称大国」に・・・。
 私は近頃、極東地域を捨ててどこかへ亡命したい気分である。アジア人であることがなさけない。ヒステリー患者の病棟みたいな地域になってしまった。


2005年4月06日(水)
「JTBは5日、ゴールデンウイーク中(4月27日〜5月7日)の旅行動向の見通しをまとめた。5月2日と6日の平日を休めば10連休となるなど、長い連休が取りやすい曜日並びとなったことから、海外旅行の人数は前年同期比13・8%増の60万2000人と過去最高となる見通しだ」(読売新聞)ということだそうだが、むかつくべ。うちらの会社はせいぜい休刊日が一回入るだけ。GWなんて無関係である・・・。しかし中国、韓国にだらだら出かける人も多いのだろうかしら。知らんよ。今の雰囲気だと・・・まじで怪我したり、ひどい目に遭う人も出てくるかも知れない。あの両国、かなり国民がいらいらしているのである、そもそも。そのはけ口が全部、日本人観光客に向けられる可能性がある。行くなら覚悟していった方がいい。こっちはまるで興味も関心もないのだが、向こうは勝手にヒステリーを起こしている。扶桑社の教科書がどうであろうと日本全体の問題じゃなし、竹島のことも東京じゃまるで話題にもならないのである。が、あちらが騒げば騒ぐほど、これまでしらけていた日本人も怒り出すであろうし、この日本人という民族、怒り出すとどうなるかというと・・・明らかに危険な国であると思うが。つまりにこにこ優等生でシャイなんだけど、突然、切れる。それが日本人である。
 何度も何度もここで書いているが、本当にあれなんだよねえ。極東地域で絶対にアメリカの支配下から出ません、という態度を示しているのは実はもう日本と台湾だけなんだよ。ほとんどこのへんの旗幟は鮮明になってきてしまった。
 今年の秋口に国連安保理問題で波乱続出すると思う。そして不快な話がどんどん出てくると思われる。
 先のことを考えると全く、暗たんとするのである。
 そして、こういう混乱期に危険なのがホリエのようなタイプの人間である。この手の連中は基本的に自分の利益だけを追求するから、どんな売国的なことでもしかねない。体質的には中国共産党などとよくマッチするのである。
 これは冗談ではない。あの手の連中をよく監視した方がいいと思うぞ。中国の反日キャンペーンはあの国の若手IT成り金たちである。日本を経済攻撃なり、ネット攻撃なりしてくる可能性は十分にあり、しかもそれに協力しそうな日本の若い層はけっこういるように思う。


2005年4月05日(火)
「【ロサンゼルス(米カリフォルニア州)3日(日本時間4日)=田口真一郎】ドジャース中村紀洋内野手(31)がマイナー行きを決断し、自らの公式ホームページ(HP)で明かした。3Aラスベガスからメジャー昇格を目指す。中村は前日にマイナー通告を受けたが、オープン戦の成績の球団の評価を不服とし、態度を保留。日本復帰を含めた他球団への移籍も検討していたが、この日更新されたHPに「マイナーへ行って、夢をつかむために精一杯頑張って、はい上がってこようと思っています」とつづった。開幕メジャーから外れたが「我慢」を選んだ」って、当たり前だろが、と思う。冷静に自分の値打ちを考えてみるべきだ。どうもこの人、自分がマツイ、イチロー並みの商品価値があると思い込んでの言動がここ2,3年多いわけだが、野球に詳しくない私としては、この人そんなにすごい人なのか、と詳しい方にお尋ねしたいものである。ただ打てればいい、というもんじゃない。マツイなりイチローなりはイメージや雰囲気も含めた商品価値である。私はおおむね成功者に厳しいにんげんであるが、この人らについてはやはりそれなりに評価せざるを得ない。半年や一年なら知らず、ただ運がいいだけではここまで定着は出来ないと思うからである。
 そういえばイチローの母校・愛工大が選抜、優勝したのか。まるで興味がなかったが(たぶん、慶応が負ける試合をちょっとだけ見ただけ)今年はやはり愛知県の年であるか。胸に大きく「Meiden」と描いているユニホームが、アイアン・メイデンのファンクラブみたいでおしゃれなチームである。
 そしてそういえば、ジャイアンツが3連敗したんだそうだが(これは三連敗目の試合をちら、と見た。惨めだった)どうだろう、世間にはアンチジャイアンツなんて人も減ったのではないか。いいことじゃないか。それで、見たい人は見る、興味がない人は興味がない。そういうてんでばらばらでいいのであろう。私は今年も全く見ないで終わるだろう。
 郵政民営化、ですらちゃんとできない首相がいる。きっとしくじるであろう。小泉、竹中にアメリカかぶれの癖に英語が出来ない似非成金のホリエを加えて、こいつらがそろって退場した頃に、日本はアメリカに併合されるであろう。ああ、もちろん対等合併でもなく正式な一州でもない。私の考えでは、オキナワ州を併合して、日本本土は「オキナワ州の自治領」にすればいい。これで大統領選挙の問題は解消する。それから皇室については、宗教法人化するかいっそのこと皇居周辺なり京都、あるいは伊勢周辺なりを独立国としバチカンのようにすればいい。天皇は晴れてその国家元首となり、神道の法王となる。しかしこれは実態には即している。また一部愛国的な人々はここの住民になればいい。
 あとは時限を区切り50年ぐらいたって融合が進んだ時点で、全体を州に昇格するかどうか決めればよい。州の公用語には日本語を残せば混乱も起こるまい。自衛隊は州軍、日本の法律も州法に格下げして存続すればいい。
 もちろん半ば冗談である。しかし日本は今後、中韓とうまくやっていけるとは思わない。あとは日本国を解散するしか手がないかもしれない、と思わないではない。
 これで大リーグに行くとかなんとか、騒がなくともよくなるし。


2005年4月04日(月)
 昨日はろくなことがなかった。社員章を持っていくのを忘れたが、入社以来、初めてじゃなかろうか。今までそんなことはなかった。それだけでも面白くなかったのだが、まあそれは警備の人に申請すれば済むことだ。しかし仕事のほうもよくなかった。いちいち詳細は書かないが、・・・まあ、書いてもよいか。ある写真のキャプションで「・・・・(4日)」というクレジットが入ってしまった。4日付の新聞だから、当然写真説明は3日以前でなければならない(それはそうだ、未来の写真は撮れないわけだ)。一部地域にはそのまま印刷されてしまった。実に面白くない。帰ってきたら今度はコンピューターの調子が悪い。遅い。いらいらする。なにがこれからはなんでもネットだITだ、だ。
 報道によれば中国でも韓国でも反日キャンペーン花盛りである。面白くもない。体質的に好かないホリエはあちこちに出ては好き勝手に十年ぐらい前のアメリカの論理を知ったかぶって代弁するようなことばかり言っている(そのくせ英語も出来ない。道化である)。NHKに出たときに「貧富の差は当然」「金が欲しければ佐川急便で働け」「日本の20代は搾取される。レールに乗らないほうが得なんだ」とさんざんぶったようだが、軽薄な男だ。本心では、自分以外の人間がのし上がってお前さんを追い抜いたら嫌だろうに? 若い者を扇動しているようで実は恐れているのではないか? そういう自分も中年に差し掛かっているくせに。この難しい時期に「韓国企業は日本の落ちぶれた会社を買収すればいい」なんてぶったのも無神経である。
 なにがあいつが勝ち組なものか。もしいつかあいつが転落したときには、佐川急便で雇ってもらうがいい。しかしこの言い草、そもそも佐川のドライバーの人たちに失礼だと思うが。とにかく傲慢な男である。私は一度、物理的にぶちのめされてみるべきだと思う。あの男は。弱いものの痛みが分からない典型的な今時のバーチャル馬鹿である。
 今に刺されるぞ、と思う。大いにありうることだ。

2005年4月03日(日)
「Pope John Paul II Dies at 84 (AP) - Pope John Paul II, who helped topple communism in Europe and left a deeply conservative stamp on the church that he led for 26 years, died Saturday night in his Vatican apartment, ending a long public struggle against debilitating illness. He was 84. "We all feel like orphans this evening," Undersecretary of State Archbishop Leonardo Sandri told the crowd of 70,000 that gathered in St. Peter's Square below the pope's still-lighted apartment windows.」・・・だそうである。AP電の原文であるが、ヨハネ・パウロ二世が亡くなった後、サンドリ枢機卿が「今宵、すべての人が親を失って孤児になった気分だ」というステートメントを発した、というくだりは、その後に流れた日本版各社のリード文にはなかったのであえてそのまま引用してみた。これに限らず、数日前には「法王はすでに神を見ている」とか、昨日は「キリストは今夜、法王のために天国への門を開くだろう」とか、いちいちステートメントも・・・まあカッコイイ、と評しては語弊があるがさすがにカトリック総本山である。要するに気がきいている。印象的である。
 最期まで意識があって、臨終の言葉は「アーメン」だった、というのは本当か嘘か知らない。
 ヨハネ・パウロ二世は類稀なポーランド出身の法王だった。それまで500年近くイタリア人法王が続いていたんだから、この変化は大変なことだった。しかも就任当時、58歳。今から26年前にこの人が登場したときは連日トップニュースで報じていて、まだ小学生だった私の記憶にもはっきり残っている。「とにかく若い」「東欧の出である」という異色の法王、という感じであった。共産圏から法王が出てこれるのか、と当時の印象はそんな感じだったと思う。その後の法王は、キリスト教会の帝国主義加担とか、ナチスドイツへの肩入れなどの歴史的「罪」を認めるなど画期的なことをやったし、揺れていた故国ポーランドをはじめ東欧の民主化にも精神的にかかわり続けた。暗殺未遂まであった。外遊も100回を超え、イラク開戦に反対するなどためらわず政治的なことにもコメントする、まあ賛否はあるだろうが骨のある法王だったことは間違いない。私は、この法王は大した人だと思っていた。それまでお飾りだったローマ法王を国連の事務総長みたいな立場に押し上げた、と言える。
 が、この豪腕というのも、次に続く人にこれほど信念のある人がいるのかどうか、それにイタリア人なのか他国から迎えるのか、ということではっきりすると思うが、そのまま継承するのはなかなか困難じゃないだろうか。コンクラーベの結果待ちだが、後に就任する人はなかなか大変だろう。保守化するにしても、継承するにしても異論が出てきそうである。
 にしても、英語では「ジョン・ポールU」なんですね。急にレッド・ツェッペリンの人かと思ってしまう。日本人はいまだ、この「なんでも英語読みする」という悪い癖だけは受け入れていないが、それでいいと思う。が、同時にジョン・ポールなんてありふれた名前をラテン読みにするとヨハネ・パウロである、ということを知っているとまた、逆に外国人の感覚がよく分かるものでもある。たとえば日本で「達磨さん」とか「菩薩さん」なんて名前があれば珍しいだろう。宗教的な発想というのが日本よりずっと身近にある、ということだ。
 そんなわけで、日本発のホラー映画を外人は怖がる。神による救いのない永遠にさまよう怨霊というのは彼らにはものすごく怖いのだろう。そして、ホラー的なものを考えるとすぐに神と悪魔の二元論でとても分かりやすくなる。日本人から見ると怖い、というよりフットボールの試合かイラク戦争の図式に見える。今度、公開される話題の映画「コンスタンティン」というのも、CGのすごさはともかく図式はまた、神と悪魔の戦争らしい。
 一応、見てみたいとは思うが。

2005年4月02日(土)
 昨日、あるレストランで食事をしていたら、隣の席のどうみても大学生ぐらいの男と高校生ぐらいの女というカップル。なぜか外国の話などしていて、「フランスじゃエクスキューズ・モアとか言うんだ。イタリアじゃ・・・とにかく語源はみんな同じなんだよ」などと男が偉そうに言っている。インド・アーリア語族は親戚です、と明確に行って欲しいところだ。それも発音がめっちゃくちゃで全然、分かっていないのは明らか。そのへんの言葉が一応は分かるうちの妻が顔をしかめて聴いている。
 「じゃあ、フランスの首都は?」「ええと、ええと・・・首都。首都は・・・パリ?」「そう。じゃあイギリスは?」「イギリスはイングランド」「じゃなくて、首都だよ」「ええ? イギリス・・・」「ロンドンだよ」「ああ、ロンドン」「それじゃイタリアは?」「イタリアは・・・ミラノ?」「そうだったかな。そんなもんかも。それじゃドイツは」「わかんない」「あれだよ、・・・なんだっけ」と小学生レベルの会話が延々と続く。いらいらした私と妻は例によってのドイツ軍ネタなどでわざと、盛り上がる。嫌味にドイツ語やフランス語のタンゴをわざと、でかい声で発音してみる。私はできないが、妻は音大出だから欧州語の発音はべらぼうに上手い。
 かわいそうに。男は沈黙してしまった。悪いことをした。
 しかし学力低下は恐ろしい。どう考えてもあれでは小学生レベルだ。
 そういう時代だからこそ、こんな話も出てくる。
「終身雇用、年功賃金など、日本型雇用慣行を支持する人の割合が高まっていることが、独立行政法人労働政策研究・研修機構がまとめた「勤労生活に関する調査」で1日、分かった。 仕事観に関する問いで、終身雇用について「良い」または「どちらかといえば良い」と回答した人は78・0%で、前回2001年調査(76・2%)を上回った。また、年功賃金については66・7%が「良い」、「どちらかといえば良い」と答え、こちらも前回(62・3%)を上回った。年功賃金については1999年の第1回調査以来、一貫して増加してきたが、終身雇用については前回調査で減少に転じていた。一方、社宅、保養所などの福利厚生費用の分を給与に組み込むことを肯定する人は61・1%で、こちらは前回(53・8%)よりも増え、“会社丸抱え”には否定的だった。(共同通信)」なんて記事を見かけた。簡単な話だ。日本人にはアメリカ型のやり方は合わない。それだけである。競走などできんですよ。こんな馬鹿ばかりでは。
 しかしまあ、時代は一周して、ようやく日本人も目が覚めてきているのじゃないか。グローバル・スタンダードなんてのはアメリカの陰謀に過ぎなかった。しかし、そのおかげでアメリカ自身が追い詰められている。イスラム勢力の伸張とテロ組織の拡散、中国やインドの台頭、EUの拡大。いずれもアメリカ自身が推進したグローバル化とITのせいである。以前、最先端だと思われていた発想がもう時代遅れになる。そういう時代である。
 そのアメリカでも、10年前にはあったけれど、最近はご法度とされている敵対買収を今頃やってどんどん立場を悪くしている経営者がいる。彼は新しいのではない。実は半周遅れなのだ。世の中は彼が信奉するようなアメリカ型の流入をあまり求めていない(そのくせ英語ができないのだから呆れる)。出てくるのが遅すぎたともいえる。
 IT業界もこの10年ほどですでに成熟産業化しているのだ。それで孫正義さんも入社式で「近頃はすっかり大人のソフトバンクと呼ばれております」(笑)と言った。ついで「株を何パーセント持っている、という比率の問題じゃない。一緒にやろう、という志のある人が何人いるか、という人数の問題です」とも解説。そうですねえ。孫さんだって初めはやれ外国人だの、えげつない合併屋だのとさんざたたかれたが、確かに大人になったのだろう。今じゃぎらぎらした本心など決して表に出さない見事な大物になられた。いや、こうじゃなくっちゃ、である。パイオニアは強い。別にあちらを礼賛するのではない。H君の未熟さがおかしくてならないだけだ。
 H君はイタリアの首都はどこか知ってるだろうね。

2005年4月01日(金)
 4月ですね、80万人が社会に出た、のだと言います。 先週まであんなに寒かったのに今日はちゃんと4月らしいお天気である。
 さてそれで、ゆうべですがあのアカデミー賞最多ノミネート、で実際に5部門とったのだけど作品賞は逃しちゃった、というマーチン・スコセッシの「アヴィエイター」を見てきました。これ、昔なら「ヒコーキ野郎」という邦題をつけそうなタイトルですが、実際にあのころしかなかった職業「冒険飛行家」であり、大金持ちで、映画制作者だったハワード・ヒューズのかなりべらぼうで無軌道な半生を描いている、かなりけったいな作品でありました。
 一言で言って、非常にいい映画だった。これはもう間違いなくそう思う。つまり脚本が非常に巧みだと思う。日本人にとってはハワード・ヒューズというのはいまいちピンと来ないのだが、主演でプロデュースのディカプリオが、子供のころから彼の伝記を読んで憧れ、8年越しで構想してきた、のだという。だから、「ギャング・オブ・ニューヨーク」のからみでスコセッシがディカプリオを指名したのではなく、順序は逆でディカプリオがスコセッシを起用したのだそうです。
 ひとつに、これは航空映画です。とにかくたくさん飛行機が出てくる。ヒューズは当時の新興勢力ロッキードと組んで航空機開発をしたので、ロッキード・コンステレーションのような有名機も出てくるし、日本の零戦に影響を与えたのではないか、といわれている(劇中でも零戦への言及があるのが意外でした)競走機「H1」や、明らかにロッキードP38の発展型で、ヒューズが操縦中に墜落して瀕死の重症を負う試作偵察機「XF17」、そして超巨人飛行艇「ハーキュリー」などなど、目白押しであります。これらは非常によく撮れている。ディカプリオもこの撮影のために航空免許を取ったという努力が実って、説得力がある。
 ふたつに、ノスタルジックな描写が上手い映画です。ジャズナンバーがふんだんに盛り込まれる。いかにもジャズエイジの物語、夢のあった時代を思わせるのであります。
 みっつに、黄金時代のハリウッドを思わせる。そして、なんといってもキャサリン・ヘップバーンを演じるケイト・ブランシェットが非常に輝いている。これでオスカーを手にしたのも納得できる。どっちかというと楚々としたフェミニンな印象のブランシェットが、飛んでる女第一号のヘップバーンのイメージをここまで出すとは、と舌を巻かされます。ケイト・ベッキンセールのエヴァ・ガードナーもよかった。
 そして四つ目の要素。これは精神病者の闘病記という一面を持っております。ヒューズはかなり重度の潔癖症、偏執狂だったのですが、その部分でのディカプリオの熱演は光っている。鬼気迫るものがあります。
 と、このように素晴らしい点が一杯なのですが、実はディカプリオが熱演している割に、成功者・統率者としてのヒューズのイメージはあまりよく出ていない。はっきり言ってなんだかただの傲慢でエキセントリックな金持ち、にしか見えないのであります。つまり精神的に問題があったけどお金があったのでなんでも自由に出来ました、お金持ちっていいな、という感想が残ってしまう。なぜか。ディカのファンには悪いが、彼にはカリスマ性がない。本物のヒューズは身長190センチで、そのへんのハリウッド俳優も顔負けの美男子だった。しかしディカがやると、とにかく貧弱である。なんで女優にもてるのか分からない。ただ金があったから、としか見えないのです。病人としてのヒューズを演じるときには生き生きしているが、成功者としてのヒューズ、はあまりよろしくない。彼がこれだけ熱演してオスカーをまたも逃したのもそのへんが理由と思うのであります。
 ライバル・パンナムの社長役にアレック・ボールドウィン(この人はすっかり貫禄たっぷりで社長に見えたね)、意地悪な上院議員にあの「M☆A☆S☆H」でホークアイ軍医を演じていたアラン・アルダ、またロード・オブ・ザ・リングのビルボ役で有名になったイアン・ホルムがいい味を出している。脇役はみんな上手い人で固めております。
 このときは飛ぶ取り落とす勢いだったパンナムは経営破たんし、ヒューズが率いたTWAも今では他社の傘下にありますが、あえてどっちが長い目で見て勝ったかといえばTWAのほうです。鬼才キューブリックも「2001年宇宙の旅」で宇宙シャトルにパンナムのロゴを描いていたが、まさかそのアメリカを代表するエアラインが21世紀にはいる前に消えてしまう、とは思わなかったようです。そのぐらい、独占的な存在だった。企業の盛衰など分からないものです。
 ということで、総合するととにかくアカデミー賞も伊達ではない。いい作品です。さすがといっていい。しかし3時間の長尺です。なかなかしんどいシーンも多いので疲労しているときには見ないほうが・・・。

2005年3月31日(木)
そういえば、バーレーン戦は勝ったのか。途中でチャンネルを変えてしまった。オウンゴールで決勝点? かなり情けないようにも思うが・・・。
 北朝鮮は、イラン戦で観衆まで加わって審判にものを投げたり、抗議したり、要するに嫌がらせをしたそうだ。惨めな国だ。
 東アジアは、成り金で傲慢な精神的三等国ばかりになってしまった。北朝鮮はここから「成り金で」をとればよい。とにかく、今に世界中から総スカンを食らうんじゃないかと危惧する。黄色い猿は日本人だけじゃなく、どこの国のにんげんでも嫌われる要素がある。私は近頃、嫌でしょうがない。
 ところで、「国内屈指の名門オーケストラ、東京都交響楽団が、演奏者に有期雇用制や業績評価に基づく年俸制を適用するリストラ策を導入する。27日、楽員組合と事務局の交渉で決まった。国内の楽団で、演奏者に民間企業並みの能力主義を課す例は初めて。自治体や支援企業の動向で台所事情の厳しい楽団も多く、他団体にも影響を与えそうだ。東京都は石原知事の号令で着手した抜本的な財政再建の中で、2001年から都響への補助金の削減を進め、当初の14億円が今年度は9億円になった。さらに都響存続の条件として、本庁職員同様に業績評価制度を導入するよう働きかけ、都響の事務局は2003年11月にリストラ案を組合へ提示した。合意によると、現在の一般楽員は、3年ごとの契約雇用か終身雇用かを選択。事務局側の書面審査などで年俸額(500万〜770万円)が決まり、退職金は廃止される。ただし終身雇用を選んだ楽員には年俸に格差が設けられ、契約楽員より70万〜120万円程度、低く抑えられる。来年4月から本格的に実施し、評価基準はさらに協議する
」という報道に笑った。オーケストラで成果主義といっても、どういう査定をするのか。上手に演奏できるからといって、それで客が増えるとも思えないが・・・。
 音大出の妻の見るところ、要するに営業努力、つまりチケットをどれだけさばけるか、で査定するのじゃないか、という。ありそうなことだ。
 しかし、これで見ると常雇いの人で、もっとももらえる人で年収700万円、悪い人だと300万円ぐらいだということが分かる。ほかにもレッスンをやったり、客演をやったり副業も多いのだろうが、少なくともオーケストラだけではかなり苦しい、ということだろう。
 聞けば、N響、東響、読響の三大オーケストラは待遇も良くて、しかしせいぜい30歳で年収600万円、というのが相場。それ以外の楽団は年収300万とか、そのへんだそうである。
 音大を出るまでにこの人等がどれだけ投資しているか、を考えるとなんともけったいな業界だとは思う。要は奇特な人達である。
 しかも、オーケストラに潜り込めた人は幸いであって、ソロじゃやっていけない楽器を専攻した人は事実上、なにもできないわけだから・・・。
 正直のところ、日本には音大が多すぎるように思う。妻もそういう意見である。昔の同級生が30過ぎて、みんなぜんぜん仕事がない、事実上のプーであるそうだ。はっきり言って一世代に一人か二人、コンクールで受賞する人を支えるために、その他大勢の人を騙して勧誘しているような体質ではある。
 一説によれば、クラシックファンというのは人口の1%だそうである。これが多いか少ないか、だが、たとえば人口15万人の浦安市で1500人、とみれば、そこそこのホールで1回だけ、コンサートが開ける。しかし同じ演目、奏者で2回は無理、ということである。
 そういうあたりからマーケティングをして、営業していく必要があるのだろうが、オーケストラなんかはともかく、音大なんてものは、経営者も音楽一筋の演奏家出身だったりすると、そういう商業の視点が欠落していることがままあるという。
 クラシックなんてのも、或る程度、鑑賞するには聞き手の年輪も必要な気がする。若いうちは本当のところよく分からないようにも思う。音大生も、仕事だからやっているのであって、本当のところ分かっているのかどうか、疑問だったりする。妻など、「よく考えれば自分はクラシック音楽は好きでない」といいだして、20年もやってきたものをほうり出し、近頃は映画のサントラやロックばかり聴いている。あくまで両親がそういう畑の人だったからやっていただけ、なのだという。
 私は近頃は、日常生活にBGMは要らなくなった。ウォークマンやiポッドもだから無用である。若い頃なら考えられない変化だ。他人の演奏に寛容でなくなった、ということもあるが、ものを考えるにはBGMはない方がよい、というのも確かである。

2005年3月30日(水)
日刊スポーツによれば「米俳優リチャード・ギア(55)が中国政府への怒りを爆発させた。ギアは28日、都内で行われた映画Shall we Dance?(ピーター・チェルソム監督、4月23日公開)の会見に出席。終了後、にこやかに写真撮影に応じていたが、突然、壇上から降りて司会者のマイクを奪った。「映画に関係ないけど」と前置きした上で「中国で反国家分裂法が制定されたことに強く反対します。小泉首相の見解と同様、中国に武器が輸出されることを絶対反対します! 」。約600人の取材陣を前に、最後は胸の前で両手を合わせて訴えた」のだという。日本の芸能人ではまず考えられない行動だが、実際、こういう発想自体出てこないだろう。一時、勘違いした政治的言動をしては「不勉強」と言われた窪塚なんとかいう芸能人もいたが(その後、存在そのものを忘却されてしまった。謎の転落からは生き返ったが、芸能人としては自殺に成功したも同然である)、まあとにかくハリウッドの人らはようやる、と思う。もっともハリウッドではユダヤ人批判だけはしてはいけないそうであるが・・・。
 そういえば、4月1日からメキシコとの自由貿易協定(FTA)というのが発効する。これでなんの影響があるかといって、実はすごく影響がある。いちばんもろにあるのはおそらく自動車会社だが、・・・というのも輸出関税がなくなっていくのだから。しかし向こうから入ってくる農産品の関税もなくなっていくので、気が付くとそのへんで売っている野菜にメキシコ産が増えることになるかもしれない。少なくとも業務用は増えそうである。
 なんでも、今現在でも日本で出回っているアボカドの9割方はメキシコ産だし、塩の4割もメキシコ産、だそうである。それから骨付き豚肉、というのも8割がこの国である。つまりすでに相当、入っている。
 なんかメキシコといっても帽子とじゃかじゃかした音楽と、サボテンしかイメージがない人も多いだろうが、人口1億人、経済規模は世界10位の大国である。しかもアメリカの隣国である。歴史的には、場合によってはアメリカの下半分は全部メキシコのままだったかもしれない。サンタ・アナの時代にもっとしっかりしていればあり得たのである。とにかく、今でも依然として大国であるし、潜在的パワーもある。特にアメリカにどんどん人が入っていくから、潜在的影響力は増していくだろう。
 だからこれは大きいのである。なにか近頃、日本人はなにかと隣の大国の陰に幻惑されている。もちろんお隣だし軍事大国だし、無視できるものじゃないが、世界には200も国があるのだ。そろそろもうちょっと、目先を変えるべきである。
 唐突だが、ライブドアの問題、なんてあくまで日本のローカルな話題である世界的にはマイケル・ジャクソンの裁判である。これまでにも示談金を何億円も払ってきたという。
 本当のところ何があったか知らないが、私は同情する。金目当てに群がっている連中がいることは間違いないのである。それに、しょせんアメリカの裁判は表決である。真実がどうであるか、は問題ではなくて、勝つか負けるか、だけである。
 彼はともかく無防備だったのだろうと思う。その意味で本当に気の毒である。

2005年3月29日(火)
朝の連続ドラマで「わかば」が歴代ワースト2の視聴率だったことが確定した、それから昨日始まった「ファイト」も初回ワースト視聴率だった・・・などというニュースが続いて流れたが、NHKの一連の不祥事、てのと関係なく長期低落しているのは確かである。私個人としても「さくら」「ちゅらさん」とその後の「こころ」ぐらいまでは、熱心にではなくとも、なんとなく展開は知っていた。つまり一応の興味があった。が、歴代ワースト1の「天花」は一体、誰が出ていたなんの話だったのか、とうとう思い出せない。忘れてしまった(その後思い出した。藤沢なんとかいうノンノのモデル出身の子がヒロインやって酷評されたのが話題になった。話は覚えていないが、なんか香川なんとかさんが演じる父親が娘の恋愛についてぐちぐち口を出す妙な話だった・・・思い出した)。次の「わかば」は神戸の造園業の女性の話・・・だっけ? これもほとんど見なかった。もちろん、夜勤が多い最近の日常なので見られない、ということもあるが、印象の強い弱い、というのはある。ほとんど見ていなくても「ひまわり」とか「ふたりっ子」なんてのはどんな話だったか覚えている。「天うらら」「私の青空」「すずらん」「あすか」なんてのはここ数年の間では割と印象に残った。「ほんまもん」のように荒唐無稽さが印象に残った、というものもある。
 どのへんから低落しているのか、といってずっと低落していて、なんといってもピークは「おしん」だったようだが、また低落のきっかけになったのも橋田さんの「春よこい」だったようである、調査会社の発表数字によれば。これが94年である。前年の「かりん」までは35%を超えていたのが、ここで「ぴあの」「春よこい」と低落し、翌年「走らんか」が「走らない」などと揶揄されたが、ここでつまづいて客が逃げたように思える。「天うらら」で最高35%まで持ち直したのに、次の大阪製作「やんちゃくれ」で大コケし、「すずらん」で持ち直し・・・と一進一退。以後、「オードリー」とか「あすか」とか、そこそこに引っ張ってきたのだが。ここ数期については、どうも「てるてる家族」がいけなかったようである。ここでまた客が減った。以後、見なくなってしまった人が多いのじゃないかと思うんだが。
 「オペラ座の怪人」の映画を見て「歌が多い」といって怒る、呆れた人が多いことを前に書いたが、「てるてる」も擬似ミュージカル的な手法を使っていた。劇中で突然にみんなで歌いだすわけだが、これに抵抗がある人は多かったのじゃないか。ミュージカル映画ならともかく、朝ドラでは嫌、という人があるのは理解できるように思う。
 はっきりいって、設定が問題なんだろうと思う。特に現代ものをやると弱いのじゃないかと。少し遡るものの方が、ノスタルジックでいいのだと思うが。
 今回もちょっと厳しいように思う。この枠でたくさんの女優さんが有名になったわけだが最近はその力にも衰えが見られる。しかし、国中なんとかとか、竹内なんとかとか、この枠のお陰で民放でも引っ張りだこの人材も出ているので、ちょっと真面目に練り直して欲しいと思う。
 とにかく設定と脚本が弱い、と思うのである。
 ちなみに私の記憶の中でいちばん古い連ドラは「鳩子の海」(1974)である。「日本よ日本、我らがお国、まだ守れーるぞ、時間はあるぞ、よよいのよい」という、戦時高揚歌を登場人物が作ってヒットする、という話があったのを鮮明に覚えている。私はこのとき小学1年生か。われながらよく覚えているもんだ。しかし今、冷静に考えると「まだ守れるぞ」という歌詞は戦時中なら没だったかもしれない、と思う。8月15日まで「勝っている」というのが前提だったから。守る、というのでは採用されなかった可能性大である。
 入社したころのドラマは「青春家族」(1989)だった。現代劇は当時としては異色だったので話題になった。ちょっとトレンディードラマ風なのりだった。清水美砂が一応ヒロインだが、一人だけをメインに据えるのではない、家族群像として描くという手法がこの枠としては珍しかった。時代はバブル真っ盛りで、人物描写にもそういう光と影の当て方があったように思う。
 というふうに、なんとなく流行歌と同じで、その時々を思い出す手がかりになる。低落が続くと打ち切り、ということにもなるだろうから、頑張ってもらいたい。

2005年3月28日(月)
ところで、そういえば4月1日から、つまり金曜日からペイオフ解禁、というか正確にはペイオフの凍結の解除、である。前にやる、といったときには大騒ぎしたんだが、今度はちっとも話題にならない。おもしろい国である・・・もっともみんな、金持ちの人は対策をしたんだろうけれど(つまりよさそうな銀行に預けるとか、一行につき預け入れを1000万円以内に分散するとかである)。
 私はちっともぜんぜん金など無いので、無関係だが。
         ◇              ◇
 ところで、レイトショーで米ディズニーの新作、というかブラッカイマー制作の最新作映画「ナショナル・トレジャー」を見た、レイトショーで。
 前の「キング・アーサー」は非常に硬派だった。今度は娯楽作である。このへんはさすがにしっかりしている。しっかり稼ぐところは稼がないと、ということだろう。そして、これは実にお手本と言っていい商業作であるが、もちろん悪い意味で言うのではない。ここまでサービスしてくれれば文句はない、というものだ。
 一言で言って面白かった。とにかくどんでん返しの連続である。ストーリーが実によく出来ている。見事と言っていい。はっきり言って、ドル紙幣の裏のフリーメーソンのマークとか、独立の鐘を納める鐘楼の時計がなんで2時22分の図柄なのか・・・というお話は、この手の話が好きな人には決して目新しいものじゃない。とにかく世界をフリーメイソンの陰謀で理解したがる人も多いんだが・・・日本にもこのロッジ(支部)があり、メイソンのかなり高い位階の騎士となっている人はいるんだから、そんなにおどろおどろしいものじゃない、と思うんだがとにかく秘密結社というのはいろいろネタにされるのは仕方ない。
 話の筋書きをあかせばネタバレばかりにつき、控えますが、見て損はないです。もっとも感動の名作とかいう要素のものではないけれど、しかし親子の確執とか、それなりに用意されているし、何より人があまり死なない(やはりディズニーゆえか)のと、見終わった後の後味が非常にいい。アメリカ的なにおいがもっと鼻につくかと思ったが、最後まで見るとちゃんとそうではない形で決着しているのがよいところである。
 それにしても歴史の浅いアメリカのコンプレックスが丸出しになっている、という部分も否定できない。建国宣言書、などといって後生大事に扱っているが、そしてそれは確かに金額にしたら莫大な値打ちだろうが、日本人などからすると古文書といっても江戸時代のものである。そのへんのお寺にざらにある、というぐらいのものだ。なんかアメリカ的な痛々しさをいくらか感じるのは確かである。
 ニコラス・ケイジがいい。長年、宝を探し続けてくたびれている、でも純真さも失っていないというイメージに合うのである。「トロイ」ではいまいち評判の良くなかったダイアン・クルーガーも今回は実に美しい。というかトロイのメーキャップがよくなかったのじゃないか、と思うが。この人は伸びるだろう。指輪物語以来、大物の仲間入りしたショーン・ビーンもいい味が出ている。音楽が元イエスのトレバー・ラビンであるがこれもいい仕事をしている、さすがである。主人公の祖父役にクリストファー・プラマー。これも渋い。

2005年3月27日(日)
このところ、休みがあると2日ほどメールを見ない、ということをやっているが(といいますか、やっているのではなく、怠けているということですね)、最近は平均して80〜100通ぐらいのくだらないメールがきていた。今日は30通しか来ていません。なにか取り締まりでもあったかな。
 どこでどういう風にアドレスが漏れるのか知りませんが、それにしても無駄なやり方だと思います。
 ところで、このサボっている間に、ニッポン放送がらみではソフトバンクが乗り出してきて、やっとこの話も面白くなってきた。ここまでは序の口。ここからが本番と見ていいでしょう。IT業界に関しては案外に後出しジャンケンの方が有利だったりします。ライブドアが野球の件で先に乗り出してきて、まんまと正攻法で後だししてきたほかの同業者にとられてしまった、というのも現れであります。その後出しで結果として成功したソフトバンクの孫さんにしろ、楽天の三木谷さんにしろ、冷徹な判断もするだろうし、M&Aもどんどんやるだろうし、考え方としては堀江さんとそんなに変わらないはず。しかしあの人たちはジジイ殺しの手だって義理人情だって接待攻勢だって賄賂まいないだって、つまり使える手は古臭い手でもオーソドックスな手でも全部使うはず。マキャベリストとはそういうもの。そして、本音は言わない。最後まで言ってはいけない。
 堀江さんというのは、要するに結構、みんなにおだてられてみこしにかつがれては落とされる道化なんじゃないか、と思う。フジサンケイなど、以前なら決してソフトバンクと提携しようなんて思わなかったはず。しかし今では喜んでおいでください、である。とにかく心理作戦では堀江の完敗である。今後、なにをどうしても、万一あのグループを手に入れても決してうまくいかないだろう。べらべら幼稚にしゃべりすぎた報いなのである。
 海外メディアが堀江さんのほうを改革者のように思ったのも、要は良く知らないからである。あの外国人記者会に集まった記者連中も、堀江が年末ぐらいには、「プロの記者なんてみんな無用で、そのへんの市民記者に無給で記事を書いてもらえばいいんですよ。報道なんてしなくていいんです。みんなが興味を持つことだけ人気投票で載せればいい。みんなが興味がないゴミみたいな記事なんて載せなくていいんですよ」などと言っていたマスコミ観を知れば、決して応援しなかっただろう。
 私が政府の人間なら、かえってこの堀江さんのやるマスコミを応援するね。つまりマスコミ全体が一種の2ちゃんねるみたいになる、ということだ。これほど御しやすいものはないのである。適当な噂をばら撒けば世論操作は簡単である。
 ところで、私がちょっと目を離している間に、今度は日本のサッカーはイランに負けたようだ。私はもちろん、見ていなかった。見なくて良かった。ダイジェスト版を見る限り、あれは完敗である。ちっともいいところはない。
 悪いが、中田など出す意味があったのだろうか。私は彼が「年よりは要らない」と傲慢なことを言っていた時期を思い出す。自分より上のにんげんが邪魔だったのだろう。だが、そろそろ彼もその年寄りの側である。
 さっきの堀江さんもそうだが、人間、威勢のいい若者で通るのはせいぜい20代も半ばまでである。その後、どんな人間も必ず年を取る。
 本音は言うべきではない。危ない、危ない。傲慢なセリフは、みんないつまでも覚えているものなのである。

2005年3月24日(木)
会社に行ったらニッポン放送に関する高裁の判断が出ていて、「ライブドア勝利」という号外を作った。で、もう出来ていたんだが・・・結局、発行しなかった。ニュース価値がない、と判断したようである。それはそうだ、ひっくり返ったならニュースだが、そのままだったのだから騒ぐ必要もない。
 これで、おそらく亀渕社長という人は退任することになるんだろうが、この人、かつては人気DJだったそうですね。私はラジオについては人生のどの時点でも、一度も熱心に聞いたことがないので(おそらく受験勉強というものを、一度も熱心にしたことがないからだと思われます)、ちっとも知らなかった。不用意な経営者だった、稚拙な経営者だったとさんざん、言われているが、要するにこの人、ラジオのプロだったことは確かである。フジ
テレビとの持ち株の捻れの問題も、なにもこの人が始めたことではない。それに、こういう事態を予想していたとは思われないのだが、日本の経営者でこういうことを日ごろから考えている人は今までいなかったのだから、そういう意味ではあまりにたたかれるのも気の毒である。
 さてそれで、メディアとインターネットの融合とか、吸収という言い方がされるようになってきたが、どうであろうか。こういう議論をして、とにかくこれからはネットの時代と言いつのるのは大抵、その世界の人である。何事かそういうことでどんどん、革新的なものでも出てくると思いたがるのは、ネット掲示板の住人である。
 実のところは、たとえば疲労しているときにネットなどしたいかというと、私はしたくない。かなり能動的でないと楽しめないものである。それによけいな金ばかりかかる。私は休日などはネットはおおむね、やらない。テレビのほうがかなりましである。あれは受動的でいいものだ。ただし、多チャンネル時代になって、うちなどでもめっきり地上波を見なくなった。というか、近頃はテレビというのは一日におおむね1時間ぐらいしか見ないものになってしまった。
 私はとにかくつまらない情報が多いといらいらする。知らないでいいことは知りたくないのである。
 堀江社長にしろ他の誰にしろ、今回のことで自分らの天下到来、などとは思わないでほしいものである。稚拙なニッポン放送に経済戦争で勝った、というだけのことで、メディアとか通信、放送の問題についてはなんにも議論は深まっていないのだ。
 報道なんてどこでも同じで、娯楽メディアの部分は商業主義に全力傾注すればいいんだ、というのが要するにネット系の人らの考え方だろう。そしてなんでも市場に判断させればいいのだ、と。
 だからネットはいつまでもアングラのままなのだが・・・。

2005年3月23日(水)
今日もたくさんの迷惑メールをありがとう! そのなかでこんなのを発見。「メールご拝読ありがとうございます」という題名である。私はずっこけた。そこで、ここに引用・紹介して晒し者にする。
「奥様倶楽部代表の西川真智子(ニシカワマチコ)です。
この度私どもがご紹介する【奥様倶楽部】のメールをご拝読頂き誠にありがとう御座います。私どもが結成した【奥様倶楽部】は恋愛の旬が過ぎてしまい、自分の周りではなかなか素敵な男性との出会いがないと悩んでいる奥様の集いです。夫とのセックスのマンネリ、セックスレス等に悩み他の男性との肉体関係を望む奥様方が大部分を占めております。また、高収入の奥様は「逆援助も可能」という方もいらっしゃいます。もし希望でしたら是非情報をご覧になってみて下さい」
 内容はどうでもよい(それにしてもいつも同じような内容でうんざりである)。それより件名と冒頭の「メールをご拝読いただき」が問題である。
 何で私が、貴様らの低俗メールを「ご拝読」せにゃならんのか? ご拝読、というのは拝承して伏して偉い方からの文章をお読み申し上げる、ということである。要するに、低い身分である私・辻元めが、恐れ多くも奥様クラブ代表西川様から賜った御メールをば、かしこまって読ませていただく、という意味である。
 西川君(どうせそんな人物は実在しないし、内容も嘘だろうけど)、ここは「私どものメールをご高覧いただき」とか「ご覧いただきまして」とか、そんな書き方をしてください。拝読は謙譲語です。一般に謙譲語は難しいと言われるし、私もそう思う。が、世の中からなくならない。それはビジネス、接客などでうまく使いこなせばかえってポイントが高いからである。だから不能率なようでなくならない。この場合、私のほうが拝読したのならよろしいけれど、そちらから「拝読してください」とか「拝読してくれてありがとう」ということは出来ない。なにか平安時代の文学で、自分の言動にも敬語をつけて書かれてしまう皇族のようである。
 なお「希望でしたら」も、単純な抜けだろうが「ご希望でしたら」の方がいいだろうし、出来ればもう少しおしつけがましさのない感じ、たとえば「もしご希望の場合、情報をご覧いただければ幸甚です。伏してお願い申し上げます」なんてしてくれると嬉しい。
 どうせ実際にこういうことをやっているのは、マル暴の下請けの連中であろうが、ちょっとした言葉の端はしが、高収入奥様・西川なんとかいうキャラ設定を裏切っている。全体の強引な展開が、書き手が男性であることを思わせる。まともな内容ではない、つまり詐欺の一種であることを連想させる。いまひとつちゃんとしたビジネス経験がなく、きちんとした教育を受けていないけど、頭は悪くない年齢的にはせいぜい30歳までの犯罪者、というイメージに重なってくる。言葉というのは重要である。相手を見透かせる。
 メールで相手を引っ掛けたければもっと文章を磨こうね。電話で詐欺するより難しいと思うよ。これに返信すると、きっとあっという間にどこかに接続されて法外な金が請求されるんだろう。
 こういうメールの最後に、「迷惑な人は、今後は送信不要、と書いて返信してください」などともっともらしいことが書いてある。まともなメルマガでよく書いてあることだ。
 しかし、その手には乗らないよ。正直に返信したら、同じことなのであろう。
 「拝読」の話で思い出したが、入社試験で緊張のあまりか、あるいは元々、分かっていないのか、「私が弊社に応募した理由は・・・」などと、最初から最後まで「御社」とはいわないで「弊社」で通した、という学生の話を聞いたことがある。疲弊したつまらない会社ですが、かわいそうなので優秀な私が応募してやりました、というニュアンスになるから、面接官もびっくりである。もちろんこれも、自分のほうがへりくだって「うちのようなつまらない会社ですけれど」という意味で使う言葉である。相手に言われたら怒る。まして入社希望の学生では。些細なことだが、試験は減点法である。この人は落ちたであろう。少なくとも社会性がなくて、未熟な人だ、と告白しているのと同じだからである。同程度の点数の人なら、言葉遣いがまともなほうを選ぶ。当然だ。
 

2005年3月22日(火)
近頃は暇があると、室内の高いところにあるものを下に移す模様替えばかりしている。なにしろ震度6ぐらいの地震ならいつどこにでも起こるわけだから。日本の地殻は活動期を迎えたものと思う。福岡の人たちは「福岡だけは大丈夫」と思っていたそうである。しかし同じセリフを何回聞いたことか。日本中に断層のないところはないのだから、比較的多いところとか少ないところとか言っても、安全なところはないのだ、と専門家は始終、強調しているのだが、なかなか本気にしないものなのである。
 いろいろあるなあ、という中で、先日はアナン国連事務総長が国連改革案を発表したようだが、あの人、来年で任期切れだ。だから秋の総会でいろいろ改革断行して歴史に名を残そうという目論見らしい。で、その内容というのは、ひとつに安保理を増やそう、ということで、しかもつい口が滑って「もちろんその中の一国は日本である」と言ってしまった。ふたつには旧敵国条項を削ろう、ということ。ほかにもいろいろあるが、日本がらみで大きいのはその二つである。
 ただし、いずれにしても中国が強く反対しそうだから、あまり楽観しないことである。またアメリカは安保理に日本が入るのはまあいいとして、ドイツが入るのは決して嬉しいことではあるまい。その他、ことはそう簡単ではない。今、日本は著しく嫌われているからちょっとやそっとで死に体の事務総長の力だけでなんとかなるとは思えない。
 おまけに、日本が安保理に入ればそれは間違いなく憲法改正問題に手をつけざるを得ないから、ますますことは簡単ではない、ということになる。
 思い切り、今後はアメリカの属国化が進むと予想されるのだが、それに冗談でよく言われる「米日併合」なんてものも、こうなると国連に味方国の一票があったほうが得でもあるしあまり現実的ではない、ということになってくるか。
 実のところ、日本がアメリカの一州になる、というのは実は現実的ではないわけだが、というのはそのまま対等な一州にしてしまうと下院議員も大統領選挙人も、全米の三分の一を日本州に割り当てる必要が出てくる。まあ、もっともそんなことはいくらでも制度をいじくればすむこと。むしろ、ハワイあたりで「州をやめて自治領になろう」とか「いっそ独立しよう」なんて動きもあるなど、決して物事は一本調子ではないことが問題をややこしくしている。なにしろ自治領の方が無税だったりして得なことが多いそうである。
 とにかく先行きの不透明感が、国民の士気を低下させているのは間違いないことで、自民党なんてものがなにをどの程度考えているのか、考えていないのか、とは思う。

2005年3月21日(月)
毎日新聞によれば「ライブドアの堀江貴文社長は20日、テレビ朝日の番組に出演し、経営手法が株主中心主義だとの批判があることについて、株主を大事にする経営のほうが従業員の給料が上がると反論。『従業員の給料を下げて株主に還元しても長続きしない。従業員のやる気を出すために、給料は働いた分だけどんどん上げていかなきゃいけないし、能力のある者にはもっと給料をあげなきゃいけない』と説明した」そうである。
 これを聞いて、単なる成果主義の給与配分を言っているとしか思えないわけだが、そして同じ日のいろいろな報道で、成果主義を導入した日本の企業8割方が問題あり、と言っているというのも興味深いが・・・つまりこういうことだ。欧米じゃ査定が気に入らなければ会社を辞めてしまう。そういう鼻っ柱の強い人を、平気でライバル社が拾ってくれる。そういうことができるから、おおざっぱな査定の元でも社員はやっていられる。日本では結局、基本的には社員はなかなか辞めはしないから(転職は相変わらず決して楽なことではない)、どんな査定でも我慢する。よって、成果主義は実のところは全体の賃金抑制に役立つ。お気に入りの何人かだけ厚遇して、あとは下げればいいのだから経営側から見ていいことばかりである(しかも成果目標というのを企業が明確にしなかったりする。数値ではっきり出ない職種だとほとんど情実人事を推奨するのと同じ結果になる)。
 マスコミの場合、堀江さんの言っていることがいかがであるか、ということを中にいるものとしては大いに問題にしたい。じつのところ、ラジオ局はどうなっているのか知らないし、フジサンケイの給与のあり方も知らない。
 が、一応マスコミ全般として言った場合、視聴率目標の達成だけが主眼であるならそれはそれで査定も出来る。しかし、報道機関ということになるとこれが急激に怪しくなるのである。たとえば苦労して特ダネを取ったとする。それで部数が伸びるだろうか。営業というのも広告代理店も介在するのだから簡単ではない。つまり個人の超人的努力でどんどん儲かるということばかりではない。
 どうもそのへんに違和感を覚えてならない。なにしろ、うちの会社でも成果主義だの査定だのを導入している。しかし、実のところなにを査定していいか分からない、というのが実情である。ことに編集局のにんげんなど金儲けという点では使うばかりである。記事をたくさん書いたからといって誰も儲からない。特ダネを連発しても儲からない。
 どんなものだろうか。


2005年3月20日(日)
 ここのサイトのリンク先である「MGライフ」というサイトで12345番のキリ番をとった。で、よくあることだがキリ番のイラストをリクエストしてくれ、ということになり、私は「戦死しなかったマルセイユ大尉がホルテン229ジェット機でアフリカの空を飛ぶ図」「戦死しなかったギュンター・プリーンがXXI型Uボートを指揮する図」「ほかに軍装美少女の図」を描いてくれ、と無理なことを要求。これに対して管理人の宮地様が見事なイラストで応えてくださいました。ありがとうございました。
 イラストは同サイトのトップ、リクエストのやりとりは同サイトの「掲示板」でご覧いただけます。ぜひ皆様、一度お立ち寄りを。

 世間は三連休なのか・・・また例によって私は出勤なんでありますが、なんかもう花粉は飛び回っているし・・・私はひどい発病はしていないけれど、軽度の花粉症アレルギーは出ております。日常の行動に支障が出るほどではないけれど、かなりもうくしゃみは出る。これの困るのは、風邪と区別が付かないんですね。まだ寒いときもあるから、本当に風邪を引いてしまう場合もある。困りますね。
 などとのんびりしたことを言っておりまして・・・また二日ほどコンピューターを見ていなかったら迷惑メールが80通。もっとも今は、ウイルス感染して飛びまくっているメールが来ている模様ですね。
 それはそうと、今日の午前に福岡で震度6。テレビのリポーターが「今度はとうとう、福岡に地震がきてしまいました」と言っていた。本当に、ちかごろの印象だと台風が来るのと同じような感じがある。あちこち地震の鯰が巡回しているようにも思われる。
 すると、関東はかえって大きいのがきていないな、と不安になるのであります。まあ空白域のほうが危険なんだろうけれど。福岡辺りは完全に空白域だったようだし。神社の鳥居が倒壊している様を写しておりましたが・・・。おそらく、北九州の人たちはあまり地震というものには警戒感がなかっただろう、と思います。
 そういうところをねらいすましたように、地震は襲うものらしい。これはつまり、空白のところ、今まで全然、大きな地震が起きていないところほど、確率的にはどーんとくる可能性が高まるものらしい。関西は地震がない、という時期が戦後、何十年と続いてきたからこそ空白域だから危ない、のだけれど、一般人はそうは思わない。日本全体を統計的に見れば安全なところなどないわけで、とにかく一番、危ないのは古い家である。そういうことは理屈では分かっている、けれどにんげんというのはなかなか神輿が上がらない。後になってそういえば、ということが多いわけでありますね。
 まったく、日々、ぞーっとすることが多い昨今ですが。今日はサリン事件から10年、だそうでありますし。

2005年3月17日(木)
振り込め詐欺、と近頃は言うんだが(俺だよ、俺、という典型的なオレオレ詐欺は下火になったから、だという)今度は、夫の痴漢行為に対する示談金を支払え、というのに奥さんが引っかかって、600万円も振り込んでしまった、というのがあった。夫は怒っただろうし、ひょっとしたらここの夫婦、もう駄目かも知れんな。
「示談には応じませんから。訴訟にしてください」と言い張るべきなんでしょうね。「別に死刑になるわけじゃないでしょ?」と。
 しかしみんな小金を持っているんですねえ。はじめから払えないものはどうしようもない。うちなんか、なにを言われてもないものは払えない。
 アメリカじゃ、やっぱり電話詐欺師が横行している、という話を昨日、テレビで見ましたが、それは「あなたは宝くじに当たりましたので、先に税金分を払ってください」という手口。日ごろからロトくじなんかを熱心に買っている人は、その住所情報が出回っていて狙われるらしい。さらに、詐欺にあった人には「その金を取り返してあげましょう」といって電話してくるこれまた詐欺師が群がるそうである。
 とにかく毎日のようにセールス電話やらなんやら、引っ切り無しにかかってくる。それでうちなど基本的に固定電話は知っている相手からの通知電話しか出ないことにしてしまったが、困ったことに私の会社がなぜか非通知設定にしている(あれは代表電話にしておくべきだと思う)。ということで、固定電話にかかってきても会社からの電話も出ない。携帯にかかってきたらまあ、仕方ないから出る・・・が、これも近頃は知らない番号のは出ない。
 本当に急用の場合、困るではないか、ということになるけれど仕方ないではないか。もはや日常的にリスクがある時代なのだ。覚悟しておくしかない。
 そういえば、である。竹島の問題というのが韓国ではトップニュースだというが、日本ではほとんど話題にもならない。当然である。大方の者にとって関係のない話である。
 歴史的経緯についてよく知らないが、なんというのか・・・・・・向こうが騒げば騒ぐほど白ける。もはや日本人のこの白けた感覚は病的なものだが、あっちの人らにそのへんは理解できないだろうなあ。

2005年3月16日(水)
 共同通信によれば、「日本の高校生の4割以上が学校以外でほとんど勉強をせず、約5割が毎日友人と電話やメールで連絡を取っていることが、財団法人日本青少年研究所(東京都新宿区)の調査で分かった。就寝時間は米国や中国の高校生より2時間以上遅く、無断外泊を容認する人も7割以上いた」とのことであるが、私は驚いたですね。なにがって、5割ぐらいの高校生は毎日はメールを使っていないし、一応、勉強もしている、ということの方をね・・・・。これ要するに、半分ぐらいの人はそれでもどうにかしよう、と思っているわけで、半分ぐらいの人は初めから人生、諦めてしまっているということでしょうか。私はもっと割合的に1対10ぐらいで「負け組で結構です」宣言しているのかと思った。案外、そんなでもないじゃないの。
 アメリカなんか、日本より自由だと思っている人が多いかも知れないが違いますよね。親の管理下では日本などよりずっと厳しい。アメリカの映画なんかでやたら無断外泊のことが話題になるがそれだけ高校生ぐらいまでは、自分で責任が取れない異性との交わりも外泊も親が許さないのだよな。なぜといって、「稼がない者には権利はない」のがアメリカ社会でしょう。なまっちょろく子どもにも人権がある、なんてことは言わないのである。で、18歳でハイスクールを卒業したその日から、自立しなさい、働きなさい、一人で暮らしなさい、と追い立てられる。
 とにかく18までは絶対に面倒を見るべきだが、面倒を見る以上は好き勝手はさせないよ、と。そして18以後はなにをどうしてもいいが、今度は一切、自力でやるように、というけじめがついているから、とにかくなんであっても引き籠もりなんてことは出来ない。もしそういう者がいてもあっちじゃ、みんな精神科のカウンセリングの対象になってしまう。人生に闘争心や向上心のないにんげんは「異常」と見なされる社会ですからね。で、どうでもいいです、結構です、と敗北宣言した者は野垂れ死にを強要されるわけだ。恐ろしい国だ・・・が、今、日本はそういう国を目指してるはずでしょう。なのに教育の方がなぜかそっちに対応していない。ふしぎな国である。
 ところで、今の日本はまことに厳しいところにいますよね。そう感じていない人は鈍い。本当に旗幟鮮明にしないといけないところにきている。要は、事実上のアメリカの一部になるか、事実上の中国の勢力下にはいるか、という・・・これは大げさに言うのじゃない。そういう圧力が強まっていると思う。というのは世界のシヴィライゼーションの統合化が実のところ進んでいて、アメリカ、中国、印度、EU、イスラム、ユダヤ・・・といった大づかみな勢力圏の中で、日本というのはもう独自性を発揮するのが難しくなっている。
 それで、お前らはどこにつくのか、と。太平洋の非常に微妙なところにわが列島はあります。
 私は思うんですが、とりあえず尖閣諸島も竹島もくれてやるので、永遠に日本の悪口を言わない、と約束させたらどうか、という気もする。その代わり、永遠に言わないのだから、絶対に言わない。
 しかし、逆に・・・たとえば日本国は挙げてアメリカの信託統治領になります、とか、準州さらには正式な一州とかね。そうなったらそりゃあ、島を寄こせなんてどこも言ってくるまい、確かに。そういう事態が私の生きてる間にあるかないか、私は知りませんけどね。
 

2005年3月15日(火)
それにしても、ニッポン放送が過半数を持っているポニー・キャニオン株を売却するというが、そうか、ポニー・キャニオンもあのグループなのか。影が薄いので忘れ果てていた。といっても、実際、どの程度のもんなのか。聞けば、ほとんど売れるコンテンツというのはすべてフジテレビ系のドラマや映画がらみと聞くが・・・。今時レコード業界は商売としてはいずこも苦しい。それはともかく、そういうことで侵略されそうな企業が、持っている資産や株式などを売却することを焦土作戦、ということは知らなかった。そもそも業界用語なのだろうが、誰がつけたか見事である。
 そもそもは、焦土作戦といえば軍事用語である。ナポレオンが攻め込んできたときに、自国の領土を全部焼き払って、侵入軍が補給できなくしてやろう、ということを考えたのが露軍のクツーゾフ元帥だった。それまでの制限戦争時代には、長い兵站がそれ自体、軍隊の行動を制限したが、ナポレオン時代になると相手の国の物資を分捕って前進する、というのが普通になった。これを逆手にとったのがロシア軍である。もともと農奴の生活など一顧も与えない体質が前提にあればこそ、だが畑も都市もみんな焼いて、ロシア軍は撤退。ナポレオンはモスクワに入ったものの補給に苦しみ自滅する。
 この自国民の犠牲を屁とも思わぬ体質と、国土の広さを生かした焦土作戦はロシアの得意技となり、その後のドイツ軍の侵入でもソ連は同じ手を使う。
 一方で、逆に負けがコンできて、占領地を撤退するナチス・ドイツ軍も同じく焦土作戦を行い、最後は血迷ったヒトラーが「余がいないドイツなど存在しなくていい」と言い出してドイツのあらゆる都市も生産施設も破壊せよ、というめちゃくちゃな焦土命令を出すことになるんだが、さすがにイエスマン揃いのナチス政権およびドイツ軍でも、この命令は実行しなかった。
 この焦土作戦というのは、つまり「あんなやつに使われるぐらいなら、全部、焼いてしまえ」という、それだけ相手への憎悪が強いときにのみ発想される。
 いかにニッポン放送がライブドア社を憎んでいるかが分かる。
 何度も書いたが、マスコミグループの場合、財閥系のグループよりずっと結束が固い。金融機関などは今や、どこでも誰でもかまわずくっつくが、マスコミだとそのようにはなかなかいかない。それは古くさいではないか、という外野は多かろうが、中にいるとその理由も分からないではない。実際、取材姿勢、政権への態度、販売営業手法・・・などなど、単に社風の違いではすまされない部分が大きいのである。
 たとえばだが、経済的理由だけで、産経新聞と赤旗を買収して、自分のグループの中に入れて合併させ「赤旗産経」なんて新聞を作れるか、ということだ。銀行なんかだともはやこういうこともできる。しかしイデオロギーまでからむものを経済効率だけで引き離すとか、くっつけるとか任意にいじくれるかというと、そうもいかない。
 そこらへんまで考えないと、単なるM&Aの話として、この件を見ることが不毛だ、という要素が理解できない。まったく、単なる金儲けの敵対買収をいくらやっても、たいした問題ではなかったのだ・・・・。

2005年3月14日(月)
ホワイトデーです・・・が、あまりお返しする必要もなく助かりますな(といって、この年で気になることでもなし)。
 昨日は千葉県では知事選挙というのがありました。堂本現知事と、元代議士で俳優の森田健作氏、それに共産党の候補の3人だけだったのですが、共産党それにしても必ず出してくるけれど、どういうつもりなのか。本当に時々、邪魔に感じる。今回は自民と公明のねじれ選挙だったからまあ、そういう意味での影響は余りないけれど、本当に現職の与党系の人を落としてやりたい、と思うときにしばしば、もうちょっとで競っているところで、共産党候補の票が邪魔なんだよね。批判票がそっちに割れることで負けてしまう、ということが今のような二大政党型に近づくほどに増えてきている。結果として共産党が一番、自民党の政権維持に殊勲甲だったりする。さすがにそのことに気付いていて、全部なんでも候補を出すのは辞めようか、という議論も党内であるように聞きますが、考えたほうがいいと思う。
 堂本さんはこれといって大成功の政策があるともいえず、またこれといって大失敗のこともないようだし・・・県議会ではあれこれ、議論していることもあるんだけど、あまり盛り上がっていないし話題になっていないし、そういう意味ではなにも致命傷はないと思うんですが、一方で対抗馬の森田候補、彼に期待することもなにもないわけで・・・この辺の感覚では、有名人だから入れてやろう、というよりはなんだあんな軽薄な俳優が、というイメージの方が強いんじゃないか。ということで、千葉県民はかなり接戦の6000票差で現職を選んだ。まあ、青島とかノックとか、これまで芸能人あがりに知事などやらせてもろくなことはない、ということがあったから、賢明だったとは思う、結果として。
 申し訳ないが、芸能人というのものは、一つに自分が有名になる、二つに自分が金持ちになる、三つに八方美人で誰にも支持される・・・ということを基本に生きる人種ですから、みんなに支持される、という点、知名度という点では政治家と重なるのだけれど、しかし基本は他人を押しのけて生きていくべき人種、そして手段を選ばず目立とうとする人種であるといえる。つまり政治家をやらせると最も歪みやすい人種でもあります。やはり本質的にはむしろ向いていないのだと思う。
 もっと有力な、あるいは話題性というか本質的に優秀であることが分かるような候補が出ていれば現職は負けていたでしょう。が、とにかく現職に多選批判もなければ大きな失策もなくせいぜい、高齢である、というだけでは大きな泣き所ではなく、まあ順当だったように思うのであります。
 なにしろ昨日は夕方になるまで選挙を忘れていましたね、私。あまり話題にならない選挙だった、ということです。が、接戦だったから、行ってよかったですな。意味はあったようであります。やはり宝くじと同じで、あるいは競馬みたいなもので、馬券を買っていないと興味が湧かない。やはり、皆さん投票には行ったほうがいいと思う。馬券を買うみたいなもんだと思えばいいじゃありませんか。しかも、勝った人は権力者になるんです。他人事じゃないんですから。
 前にも書いたけれど、日本ではなんでもこれまで高齢者に手厚く、若い人にはわりと冷たく、たとえば児童手当など世界的に見てもすごく低いために出生率も低下し続けている・・・という理由の大きなものは、若い者は選挙に行かないから政治家が無視しているのだそうでありますよ。老人は暇なんで選挙に行く。だから老人に手厚くする。当然ですよそれは。「関係ない」と思っている人は、むしろ古いんだよな。これからの競争社会こそ、一票の権威も有効に使わないと損な時代である。他人任せでいい、という人は食い物にされるだけですよ。そのへん、若い衆は気が付いた方がいい。どんなくだらないと思っても、政治家は権力者で、思うように制度を作れる、ということをもっと考えた方がいい。たしかに日本の政治家は優秀そうに見えない。しかしそこは文化の違いで、むしろ手であると思っていいんです。一見、つまらなそうで実は腹黒いことを考えている。欧米流の、いかにも仕事できます、という顔をしていては日本では人気が出ない(H社長もそのへんが分かっていないんですよ)。とにかく嫉妬の国だから。だから逆に、一見、つまらなそうな政治家連中の演技に騙されていてはいけない。とにかく本当に無能なら国政選挙に勝てるわけがないんだから。だからよほど注意して監視しないといけない。そう思うのであります。

2005年3月13日(日)
おお・・・ここ二、三日、コンピューターをいじっていなかったら、メールが百何十通も来ている。しかも、一応の意味があるものは3通のみ。あと、いつも定期購読していたり来るのが分かっているところからのメルマガのたぐいが20通ほど。それ以外の96通というものがすべてこれ、迷惑メールである。どれもこれもいつも言っている通り、女は要りませんか、というたぐいのものばかり。要りません、と言えばそれだけのものである。
 非番の日というと、メールを見たくなくなる、というのは私だけか。どうも世間の人にはメール中毒でコンピューター中毒の人がいるようだが、私には理解できない。必要がない日は、世間との回線を一切合切切りたくなるのである。
 ところで、ニッポン放送関連の話が、私がさぼっている間に進展していたようでありますが(とにかくたまの非番となるとニュースもろくに見ないのですよ。見たくなくなるんですね、仕事で毎日、ニュースを扱っていると。取材現場の人はそうはいかないだろうけれど)まあ、これでおおむね・・・大きな枠は決まったようですかね。だからラジオ局の支配という点ではHさんの勝利、しかしグループ全体への影響力という点では失敗、ということで終わったようであります。
 私は、近頃の会見ではHさんも少し、言葉に気をつけるようになったし、記者の挑発にも乗らないようになったし、やっと少し分かってきたかな、と見ております。じつのところ、彼は自分が思っているほど今まで、タフではなかった、ということ。有名になってしまったのだから、無名の頃のような計算のない言動は駄目なんです。いつでも、二十四時間計算していないと駄目です。自分で好きで有名になったのだから、有名税は払わないとね。
 それと、私はそういう言動面が好きでなかったのと、あと、手に入れようとしたのがマスコミであることに嫌悪感を抱いたのだけど、というのは何度も書いたけれどマスコミなんて儲けようと思ったらやはりできないんです、この仕事。金儲けだけじゃないから。たとえば営業だけ考えたら政府や企業の不祥事なんて書かないほうがいいでしょう? でも書かなきゃ意味がない。つまり、普通の企業のように経済利益だけでは動けないんだから、Hさんのような体質の人には最も向かないんですよ。
 これがレコード会社なんかなら、いいでしょう。しかし放送や、まして新聞となると商売で勝てればいい、ということではないから困る。面白ければいい、ということでやれば結局は大衆週刊誌みたいな記事で埋めればいいわけですが、それでいいのか、ということ。
 ネット出身の人はなにかと、ニュースだってみんなネット配信で、というけれど、ではネットで流れているニュースの出所は、というと結局は新聞社や通信社が流していますよね、今だって。そういう一次情報をとる、という仕事は金儲けではできないんですよ。ネットの世界であっても、新聞が出所の話なら少なくともまったくの嘘ではない、という扱いになるけれど、掲示板の書き込みが元ねたなら、それはほとんど半信半疑でしょ。これが、なんでもネットと連結すれば、元ネタが全部ライブドアの掲示板みたいなニュースがラジオやテレビ、新聞の情報として流れるわな。
 Hさんは、もうちょっとこういう業界に手を突っ込むなら、勉強し直さないといけませんよね。
 実のところ、M&Aを仕掛ける、ということ自体は別に構わないんです。彼が同じ芸能マスコミ系でも、レコード会社やソフト会社、芸能プロダクションなどを欲しがるというのならよく分かる。それを解体して売って儲けても構わない。しかし、報道機関というとはなしがちょっと違うだろう。保護すればいい、ということではないけれど、しかしただ人気に媚びるような競走をさせたら報道なんてできなくなるのも事実ですよ。みんなが喜ぶようなことばかり書くしかなくなるんだから。国民の耳に痛いような話は書けなくなるでしょう。特に日本のような国では、そうなりがちである。かつての戦争のときも、軍部などよりよほどマスコミのあおり方のほうが激しかったのは事実です。ああいう場合に、視聴率や部数を中心に考えれば「さあ、すぐに開戦しよう」としか報道できなくなるのがいいことかどうか、だよな。
 Hさんもそろそろ、そういうところまで考えて言わないといけない立場なんだと気がつくべきときでしょう。そうでなければ、もっと実利のあるM&Aをやるべきです。基本としては買ったものを売り抜ける方がM&Aとしては正解ですが、また一方で合併吸収で巨大化してみせる、というのもひとつのあり方。今のライブドアがどっちなのか分からないという意味では中途半端に見えるのもいけない。売り抜けではなく、本気で巨大化を狙う割には今回の着手は拙劣だったと思われるし。「テレビなんて10年でなくなる」発言のまずさはそこにありますね。そんな分野だと思うならなぜ欲しいのか。解体して儲けるため、と思われても仕方ない。そう思っているならますます口にすべきではない。
 人脈ではなく株で時間短縮を図るニュータイプの経営者、であるのは分かったけれど、それにしてもここまで稚拙です。これではかえって後進の人に悪影響。日本の市場をかえって閉鎖的にしてしまったとしたら責任は重大ではないか。リーマンだってこれで非常に日本での評判は悪くなってまるでハゲタカ外資の代表のようになってしまった。これもあの会社、これでよかったんだろうか、と他人事だが思いますが。
 日本の企業経営に変化は必要だし、そこに一石を投じた意味についてはそれなりに評価していいことだったと思うけれど、私の感じではもっといい相手を探すべきだった、と思うのであります。もっともフジサンケイがメディアグループの癖に、そもそも「おもしろければいい」などと軽薄なことを言って来たことの報いであるのは確かですがね。そこにつけこまれたんですから。ただ、Hさんはここの局の番組などに出てちやほやされて、少し勘違いした面はあったのじゃないか、と邪推します。あくまでタレントとして遇されたのよ、それはさ。経営者として乗り込むとなれば話は別ですよ。
 グループ内の社員たちは、ニッポン放送だって幹部社員はみんなテレビや新聞で入社していい待遇でここまできて、出向している人たちで、いずれは本隊に帰って、とか思っているわけだし、ラジオ局のプロパーの人だってグループ内のテレビや新聞に準ずる待遇で安定したわけだし。それは株主のことなんか考えていては出来ないわけよ。それが、今後はライブドアの社員の待遇に準ずることになって、成果主義になって、利益が出たらどんどん株主に還元しましょう、そして儲かる話だけやりましょう、という経営になるのならそりゃ、反対するわけですよ社員は。そこらへんが、分からんのだろうなあ、乗り込む人は。
 ラジオでそんなに金儲けなんて出来るのか、というのがそもそも疑問だし。ジャパネットの社長みたいな販売の天才でも連れてくるかな。なんにしても、ネット業界みたいなスマートな仕事は出来ないよ。「営業は熱意だ」なんてHさんはごくごく詰まらない事を書いているようだけど、そこらのビジネスモデルがあの人には希薄なんだよね。中国製品で価格破壊というのが初期の強みだったユニクロとか、無理をしても価格競争に勝って他社を排除してしまおう、という以前のマクドナルドとか、とにかく一時代を作った会社にはそれなりに固有の戦略も商材もあった。ライブドアにはそれがない。社長の知名度と奇襲作戦しかない。それは企業としての基盤のよしあしではない、というのが問題なんだと思う。
 にしても、あのフジグループの企業防衛の拙劣さもいい教訓になったでしょうけど。

2005年3月09日(水)
麻生太郎総務相は9日午後の参院予算委員会で、NHKの不祥事を理由にした受信料不払い問題対策として(1)罰則の導入(2)政府広報などのCM収入(3)テレビ視聴が可能な携帯電話、パソコンなどの販売価格への受信料相当分上乗せ−−などを今後の検討課題とする考えを表明した・・・というんだけど、なんだね「罰則」とは? たとえばわが家など、このところニュースも民放系のCSばかりみていて、NHKなんてとんと見なくなってしまった。もうこんなことなら口座引き落としをやめて不払いにしたいぐらいのものである。聞けば、いろいろあってどれのことか分からなくなってきたが、高校の同級生の制作会社社長と結託して不正経理で儲けていたプロデューサーの件は、要するにアルバイトの女の子とフリンする資金稼ぎのためだったとか。あほくさ。次元が低すぎる。
 もちろんどこの会社、どこの組織だって不正も腐敗もアルですよ、そりゃ。しかしNHKの場合はお役所が税金の無駄遣いをした、というのとも違って、なんだか知らないが強制的に金を取られているのを、ちょろまかして私腹を肥やしているわけだ。頭を下げて営業努力をしたことがない組織なんだから・・・。
 私は新聞社にいるので、なにかと新聞も権力だし再販売価格維持制度で守られてるし・・・的なことを週刊誌なんかに書かれるけれど、そういう出版社だって再販制度には守られてるんだしね。というかどこのどんな業界だって個別に見れば、いろいろあるんじゃないですか。それより、新聞社はとにかく公共料金じゃないですよ(中には新聞代を公共料金だと思っているバカな人も居ますがね)、そして拡販に拡張団が回っていろいろご迷惑をかけているのは問題だけれど、しかしそれは逆に言えばそれだけ営業努力をしないとやっていけない業界だ、ということ。努力しないで権益に守られてやっていける業態じゃ決してないのですよ。そこは誤解して貰いたくない。
 免許制のテレビなんかの方がよっぽど守られて居るんだが、そしてそこらへんで堀江さんなんかも言い分があるんだろう、とは思うんだけれど、それにしても民法で不正があっても基本的には自分らで稼いだお金のこと。社内的には問題だろうが、世間様にどうこうということではない。NHKの場合はなんだか知らないけれど、税金でもないのに徴収されるお金。どういうことか、という話になるのである。
 罰則とは何ですか。NHKを見なければいいんですかね。だったら電機メーカーに頼んでNHKの受信できないテレビでも作ってもらいますかね。それ、売れますよ、きっと。

2005年3月08日(火)
まだまだ予断は許さないのだが、ニッポン放送がらみのTOB、つまり株式公開買い付けが終わって、決着が着いた、とはいわないけれど一応の山場を迎えたとはいえるだろう。フジの社長が「H氏は、テレビは10年でなくなり後はネットの時代、と言っている。そんな人と話し合う余地はない」と言っている。少なくともニッポン放送、フジテレビ、および産経新聞を支配してなにかしよう、という割に要は「規制の枠組みの破壊」しか言わないにんげんを、既存の枠組みで働いているグループの人々は否定したんだが、当然である。
そもそもあの人は、思ったことをずけずけ言えばいいと思っているようだ。若いと言うよりただの世間知らずとしか思えない。あれでこれまでやってこれた方が不思議である。それも32歳なんだからもう決して若いとも言えないし・・・。要は、もっと黙っているべきである。そして、手に入れてから本性を現す。これが正しいマキャベリストのやり方だ。ずけずけ言えば喜ばれるのは本当に青二才の間だけである。
 それに当たり前ではないか。フジ・サンケイの人々はなにも新しいものなど求めてはいないんだから。みんなそれなりに安定した生活してるんだから。あんなばくち打ちの家来になりたい者など一人もいないわな。
 しかもあのばくち打ちときたら、乗り込むときは自分のイエスマンばかり連れて来るに決まっている。そのへんはあの堤容疑者となにも体質は変わらない。彼は若き改革者などではないと私は初めからみているのだ。あれは、年齢は若いが、これまでにいた権力・金力主義の財界人や政治家と同じ体質の人である。ちっとも新しくなどない。
 新しいものを作る、作るというなら一から作ればいいのじゃないか。そして既成のものを打ち倒せると思うなら正攻法で勝負して、倒せばいい。桶狭間の奇襲が許されるのはベンチャー企業の間だけである。
 何度も書いたが、破壊なんていちばん簡単である。実のところ誰でもできる。つくり出すのが難しいのである。おまけに古いものを壊しさえすればいい、というのは大間違いだと、日本人は前の敗戦の経験でそろそろ理解してもいいのではないか。

2005年3月07日(月)
報道によれば「フィギュアスケート世界ジュニア選手権最終日(5日、カナダ・キッチナー=共同ほか)で男子フリーを行い、戦国武将・織田信長の末えい、織田信成(17)=大阪ク=が196・42点でショートプログラム(SP)2位から逆転、初優勝した。本能寺の変で信長の天下統一の野望がついえてから423年、その末えいが世界を制した。信成が演技を終えてガッツポーズ。「信じられない。去年は11位で悔しい思いをした。そこから頑張って、頑張って…」。天下を獲り、周囲を気にせず男泣きした」・・・というのだが、なんかこう、笑える。信長から17代目の子孫、とか。きっと彼の守護霊は信長公ご本人なんじゃないのか? 
 とにかく、日本人が一番好きな歴史上の人物といって、まず大抵の調査でランキング1,2位は間違いない織田信長さんである。不良上がりの改革者で、日本人離れした革新的発想の軍事、経済、政治革命を実施。そしてついてこれなくなった守旧派の代表である側近に暗殺されてしまう、というあたりがあまりにもドラマチックで日本人の琴線をびしびし打ってしまう。この人があのまま死ななければ日本はどんなことになっていたか、と考える人は多いわけだから。その英雄の末裔、というのだけど信成さんはどの系統の織田家なのか。江戸以降も織田家の末裔は小大名とか旗本とかで残っていたはず。弟の有楽は有楽町に名を残し次男の信雄は徳川家康にくっついたから、その系統は生き残ったはずですな。秀吉が担いだ中将信忠の子、秀信は、岐阜城が陥落した後は・・・どうなったんだっけか。恐らく大名じゃなくなってもなんらかの名跡は残ったんじゃないか。で、江戸期の小大名にも織田家はいくつかあったと記憶する。天童藩とかね。そういう大名家の流れだったら、彼はまた華族のお家柄なのかもしれないけれど。なにかこう、しかし徳川さん、とかいうより織田さんだと応援したくなるのは私だけか。一度、没落してしまった家だし。
 例のH君に対し「現代の信長か」とついにいちばん私が恐れていた見出しを週刊ポストがつけてしまっていた! やめれくれ。あのコデブが信長? いくらなんでも冒涜である。それに信長の革新性と創造性、ビジョンはH君の遠く及ぶところにあらず。駄々っ子のように破壊したがり合併したがり、アイデアは人まねばかり・・・というあの男に信長のイメージは片鱗すらも認められない。小泉首相も出てきたときは「信長か」と言われた。とんと大間違いだったのは言うまでもない(まだしも彼の方がイメージ的にはましだが。ルックス面ではね。しかしあの胆力のなさは・・・)。
 それに有名な話があるではないか。信長はいつも無茶苦茶な服装でうつけ、と呼ばれていて家老の平手政秀が諫死したほどひどかった。が、舅の斎藤道三に会見するとき、家中の誰も知らないうちに整えさせていた正装に着替え、道三と周囲のものをびっくりさせている。
 私はHも、初めTシャツ主義の男と聞いて、しかし肝心なときはびしっと決める信長流のメリハリ、TPOを見せ付ける人なのかと思った。そしたら本当にTシャツしか着ないらしい。人は服装で判断して・・・いいものである。
 Hは、実際にはそれだけ服装にこだわりがある、ということ。つまりつまらないヤツ、ということだ。服などいつでも脱いだり着たり出来る便利な看板、と考える人間こそマキャベリストとして上である。信長はそうだった。だから改革者足りえた。つまり、服装そのものなんて利用すればいい、と思っていた。正装すべきときは正装、しかし日常は、大臣大将になっても当時としてはとっぴな洋装など好んで着て歩いた。
 私が、結局のところHも小泉流の破壊は出来るが創造は出来ないにんげん、と断じているのは実はそういう観察からもきているのである。いつも同じ服を押し通すにんげん、ということはフレキシブルでなく、強情で強引なにんげん、じぶんの流儀に相手を合わさせなければ気がすまない井の中の蛙、であることを意味する。
 破壊は、実のところあんがい、誰でも出来るのである。既製のものを否定することは簡単なことだから。そのかわりにでは、なにをするのか、が難しいのである。今のところ、Hが言っている「ネットで世の中が変わる」的な物言いは、もうITバブルのころに言い尽くされたことばかりである。新しさ、を感じないのである。



2005年3月06日(日)
なんか近頃、寝ても寝ても眠い。こういう時期というのは身体がそれを求めているのだと思うが、季節の変わり目なんだろうか。今日も、8時間寝た後でさらに3時間寝て、明らかに寝すぎである。
 先日のテレビで、月曜日に脳梗塞の発症率が高まる、ということを伝えていた。私は今の勤務では日曜に週が始まるので、日曜がいちばんストレスが上がる・・・ということなんだろうが、しかしこれで寝てばかりいては何も出来やしない。いい加減に目を覚まさないと。
 そういえば、だ。談話室・滝沢というのが廃店するそうだが、私もあそこのお店には一度だけ行ったことがある。一応、商売としては決して赤字ではなかったというのだが、業態として合わない、ということだったか。深い思い入れはないのだが、残念な気はする。
 近頃、久しく行っていないお店に行って見ると、店の名前が変わっていたり、なくなっていたり、ということが多い。
 コンビニやチェーン店ばかり増えても、面白くもなんともないのだが・・・。
ところでプロ野球のオープン戦、というものをやっているようだが(至って興味がないのでほとんど見ていませんが)たまーに、通りすがりのテレビで見ると「巨×ソ」なんて試合がある。どうも巨人軍とソ連軍が戦っているかのような気がする私は若くないのである。ソフトバンクなんですな、相手は。

2005年3月04日(金)
 今日はまた、関東地方としてはかなりの大雪。しかし、交通機関は意外に健闘。やはり平日だから頑張ってくれたのかな。もっとも私は本日は公休。世間とは違うのである。
 その雪の中、実家に立ち寄りました。それで自分の元の部屋の本棚を見たら、ああ、ここにこんな本もあったかなあ・・・というものが多数。山田詠美の「ベッドタイムアイズ」とか、前田愛の「文学テクスト入門」とか、アーサー・C・クラーク「都市と星」さらに坪内逍遥「当世書生気質」とか、大田牛一「信長公記」とか妙なものを発見、というかもともと自分の蔵書なんですけどね。しかし結婚以来、そこに放置してあったわけ。再発見、ということか。そんなものをあれこれ持って、ものすごく重いのに、また雪をかきわけ浦安まで戻りました・・・。
 家に着いたところ、徐々に晴れ間がさして、しばらくすると雪はやんでいた。一体、なにをやっていたのだろう、自分。わざわざ一番、雪の降りしきる中を行ったりきたりしていたのだから。
 帰るとショーケンの保釈金が800万円、とか言っている。堤義明容疑者の保釈金はおそらく億単位になるだろう、なんてまた誰か言っている。スイートルームから暖房のない三畳間に、なんて富豪の没落を喜んでいるメディアもある。
 考えてみると、中内さんだって堤さんだって、その他、老害といわれる多くの大物はみんな、かつては「若き改革者」だった。それが30年、40年たつとああなる。堀江某だってこれから30年もすれば同じようなワンマン老害経営者になるだろう。
 彼を応援しているのは、就職できない引きこもりの負け組連中が、社会の成功者への腹いせに、というのと、逆に70以上の無責任な老人が「暇なんでなにか揉めろ、揉めろ」という気分で野次馬しているのと・・・その二種類だ、という。アンケートによればそういうことらしい。逆に言えば、つまりその程度のものだ、ということだ。
 私は別にフジサンケイグループに興味はない。が、堀江が成功することなども望まない。あえていえば、既存のメディアグループはけしからん、などと思うより、あの個人が金持ちになることなど気に入らん、という気持ちが強い。
 馬鹿な人たちに教えてあげよう。一人の英雄などで世の中は変わりはしない。前にも書いたけれど。変えたければ、引きこもっていないで自分らでなにか始めることだ。
 あんな若手経営者の癖に英語のスピーチもできない者を応援していても始まらない。結局あれはTシャツレベルの男だ。破壊は出来ても創造は出来ないということでは、今のあの首相と似ている。こういうものを無責任に応援する大衆を私は好かない。

2005年3月03日(木)
昨夜、エッセイを二つ、詩を三つほど、新作を掲載。よろしかったらご覧を・・・。
 創作活動をする人なら理解してくださると思いますが、このところ、ほかのことに忙しくてかなり苦しんで、というか時間があってもその気にならないと創作というのは出来ません、そういうことで上記の諸作品はその気になるまで、に苦労しました。が、着手してしまうと、たとえば詩なんて三つ合わせて30分で書いてしまいました。瞬発力のほうが大事ですね、こういうものは。近日中に紙媒体にいずれもでる予定。
 よく時間をかけて推敲する、という詩人も居ますがどうも私は、小説や論文ならそうしますけれど、詩なんてものは直すほど悪くなるから。絵でもそうですよね。最初の下書きがいちばん良かったりする。書き直してだんだん悪くなることも多いものだから。
 長い文章でも、前後の入れ替えはすることが多いけれど、あまり根本的に推敲する、ということはしないですね、自分。どちらかというと、直前の自分の語彙に引きずられて次の行でも同じ言葉を使ってしまう、というようなことがあるので、そういう修正をしたくなる。書き直し、ということはあまりやらない。
 今、午前10時すぎに会社におりますが、いつもなら一番、熟睡している時間。きついであります。それでもって、まもなく堤義明さんのことで動きがあるようだから待機しております。
 堤家というのも近江商人の出で、けちくささでのし上がってきた家柄。旧皇族の土地に目をつけて成功した、という当時として新しいビジネスモデルで既成の権威を打ち壊したやり方をしたわけだ。そしてご本人も30歳で帝王となって、かしずく年寄りたちを叱りとばしてやってきたわけだ。前にも書いたが、どんなことでも40年もたてば新しかったものも駆逐される対象になる。
 かつての大名家では、お世辞をはずす、おもねり、おべっかをいう家臣の言を相手にしない、というのが君主の必須条件であった、と言います。浅野老侯の聞き書き、というのにそんなことが書いてあった。
 堤家の家訓では「政治家にはなるな。製造業には手を出すな。友達を作るな」というのがあったそうだ。特に友人を作るな、というのは興味深いけれど、それは友人に引きずられて失敗するのをおそれてのことだろうけれど、一方で、佞臣・奸臣のたぐいをはずすことは難しくなりますよね、友情からでる直言を排除すると。
 帝王は孤独なものであります。裸の王様になることをはずすのは誰にとっても難しく、成功者が失敗するのも多くはそのせいであります。自分が勝ち組だ、などと思っている人はよくよく考えるべきこと。世代は関係ないと思います。年寄りは馬鹿だが自分は大丈夫、などと思いがちな若者ほど危険である。
 こういうことは普遍的なことなのであります。
 

2005年3月02日(水)
岐阜県中津川市の市営老人保健施設の原平事務長(57)方で親族5人が殺害された事件で、原事務長は母と長男を絞殺した後にいったん職場に顔を出し、帰宅後さらに孫ら3人を殺害した疑いが強いことが2日、中津川署の調べで分かった。
 休日にもかかわらず出勤した原事務長は「風邪をひいた入所者の見舞い」と職員に話し、約30分で帰宅したという。しかし施設側は「インフルエンザ患者はいるが、経過も順調で心配するほどではなかった」としており、同署は不可解な行動が動機と関連があるとみて、確認を急いでいる(共同通信)・・・というんだが、一体なんだったのかね、この話は。
 横溝ミステリーというか、昔なら祟りとか、先祖供養していないせいとか、いろいろ言いそうなところである。
 この事務長と言う人は、なにか秘め事があったのではないか? 使い込みとか不正とか。しかし妻だけは道連れにしなかった、というのも妙である。なんだか分からないといったらこれほど分からないこともない。
 それにしても、はっきり言わしてもらって馬鹿な男だ。自分だけ生き残ってしまうあたりこの男の弱さがもろだしである。
 一家心中という発想ほど私などには理解できないものもない。海外では単なる尊属殺人で重罪である。こういうものに比べたら、死にたいという志願者同士で集団自殺する人々の方がなんぼかまともであるかもしれない。
 死なんてものはあくまでもその人個人の問題である。家族であろうが決して成り代わる事も立ち入ることも出来ないし許されないもののはずだ。
 ごくごく小さい時分から、そういえば私は一家心中を図る親というものを憎んでいた。子供の人生はあくまでも本人のものである。親ごときが容喙するべきものではない。
 まだしも子供を放任して放し飼いにしている親の方がいくらかましなのかもしれない。

2005年3月01日(火)
 さて、3月ですね。そろそろ春めいて・・・来ないよなあ、意外に。いつまでも寒いですけど。で、世間的には別れの季節、なんでしょうかね。実際、卒業式以来、あっていない人というか、おそらく一生、その後会わないだろう人、というのがたくさん思い浮かぶわけです。一方で、ひょんなことから思いがけないところで再会する人というのもいる。分からないものです。
 別れの季節とか、人生の節目とか言うと、そういえばこの時期にかかってきた電話、というので傑作なのが二例ほどありました、かつて。会社の自分の部署にかかってきた電話ですけど、一つは私が当時いた部の事務をやっていた派遣社員の女性。この人、2年ほど勤めた後、年度末の3月に「パン屋になる」といって会社を辞めました。そういう専門学校で修行していたようですね。で、送別会もすんで、後任の人もやってきて、というころにその人のお姉さんから電話がかかってきた。このお姉さんと言うのも社内の別の部署の派遣社員だったんですが、「妹いますか」と言う。「はあ? 先日、退社されましたけど」と返答したら「ええ? 退社って、辞めたんですか? ウソ」なんてリアクション。しかしそんなこと私が嘘言ってなんになるだろうか。とにかく相手が放心状態なんで、こっちもどう言っていいかわからず、なんとなく切れてしまった。
 それから数年後。今度は私の部の女性社員が結婚した。それもちょうど今時分。結婚式もすんで、新婚休暇、というときに社内の別の部署から電話が来た。「○○さんいます?」という相手は、この女性とは同期入社の女性社員。ちなみにお二人とも当時、30代も半ばに差し掛かって決してお若い方ではなかった。で、私は「○○さんは今、新婚旅行に行っておりますので来週まで出社しません」と言ったら「え! うそお。うそでしょおお。ええええええ。水臭いなあああ」とこれまた放心状態。だから俺が嘘言ってもしょうがないだろう、というの。
 ということで、前者の方は「一体この姉妹、意思の疎通はあったのか」と不思議だったし後者の方は、親友にも秘密にしていたのね、とこれまたある種、仰天した人のほうがかわいそうでしたが(すみません)・・・確か、このびっくりしていた人、今では40過ぎたと思うけれど今でも独身のはず。
 女の人って、秘密を持つものですなあ。

2005年2月28日(月)
 速報によれば、アカデミー賞はクリント・イーストウッドのミリオンダラー・ベイビーがアビエイターを押さえたようでありますね。それにしても、ローハイドで軽いカウボーイやってたイーストウッドがここまで大物になるとは。オスカーも二回目とあって、押しも押されもしない大監督になってきましたですね。
 アビエイターのほうは前評判はよくノミネートも多いのに結局、案外もらえませんでした、というよくあるパターンに陥りそう。ディカプリオはどうもこの賞に縁がない。役者としては本当によくやっていると思うんだが・・・。
 特に私が個人的に嬉しいのはジェイミー・フォックスの主演男優賞ですな。Rayでのレイ・チャールズが蘇ったとしか思えない快演を評価されてのこと。しかも撮影中は本人が存命中だったわけで、大きなプレッシャーの中で稀代のエンターテイナー、しかも盲人、という難役をこなしたことはどんなに評価されてもされすぎということはない。実際、よく分からない外野の人は、あの演技の困難さが分からんのじゃないか、と一部の酷評には思いましたから。フォックスはレイ・チャールズ本人を面接官としたオーディションで、一緒にピアノを弾かされた、という。恐れ多くも神様本人から「もっと弾け」「このぐらい弾けないのか」とさんざん煽られた上で「OK、君なら大丈夫だろう」と太鼓判を得た、というぐらいの凄腕のミュージシャンでもあり、そうでなければこの役、できなかったのは必定です。しかもこれはバンドのオーディションじゃないんですからね。
 実際、ある映画ファンサイト(口コミ掲示板はいろいろあるけれど、書き込みをしている人のレベルの低さにはあきれることしばしば。なにしろパンフレットに載っている程度のことも知らないで見ている人が多すぎ。いちばん呆れたのは、オペラ座の怪人がミュージカルだと知らないで見て、音楽ばかりだ、と怒っていた馬鹿な人ですが(そんなの知らない自分が悪いよね、苦笑)自分の個人的な泣けた、泣けないとか好き嫌いなど書いても意味がない。批評のレベルになっていないものは削除すべきでしょうね)中にはフォックスは決してアカデミー賞はとれない、と断言している者もいた。それこそ削除だね。グラミー賞の結果を見てもレイ・チャールズの地位と言うのは、日本で言えば要するに美空ひばりみたいなものなんだから。ものすごいプラスα点が加算されていることをそういう人は知らない。
 そういう神様が存命中に、自分のスキャンダルまで全部描かせた、というところや、人種問題の描写などが、どれだけ日本で娯楽としてあの映画を見ているものには理解できないほどアメリカではインパクトが大きいか、というかそういう映画を作ることがどんなに勇気が要ることなのか、そのような人らには分からなかったわけだな。
 まあ仕方がない。映画なんて一番、無知な人「も」見るものだから。
 勇気、といえば前夜のラジー賞(最悪賞)はブッシュ氏が独占したようで。華氏911そのものはノミネートされず、最悪出演者として政権幹部がのきなみ選ばれたのは傑作だったが、さすがに授賞式にはこなかったんでしょ、政府の人? よく知りませんが。それはともかく、ハル・ベリー本人が現れて自分をパロディーにした、というのは大変なもの。
 この人、オスカーを得てから後、娯楽作品ばかり出ていて、もっとそれなりの自覚をもって難しい仕事をしなさい、という鞭を打たれた形。本人もそういう期待の裏返しと言うことを理解して、この場に出てきたというから、立派である。きっとこの後はいい映画に出るんじゃないか。
 今の無責任な予感。ラジー賞をとった政権幹部の一人コンドリーザ・ライス。いろいろあるけれど波乱の人生でもあり、黒人女性初の国務長官でもあり、引退後はおそらく自伝が出て映画化、という話も出てくるだろう。ここでライス役をやるとしたらハル・ベリーじゃないのかな。ちょっと美人になりすぎるけど。
 でもライス長官はヨー・ヨーマと共演できるほどのプロ級のピアニスト(なにしろもともと大学に飛び級で入ったときの専攻は国際政治学ではなくてピアノだった!)。オーディションも本人と一緒に弾くピアノがあるかもよ。

2005年2月27日(日)
世界的には圧倒的にグーグルが優位な検索事業も、なぜか日本ではヤフーがトップであって、その主な要因というのは孫正義さんの商売上手、要するにオークションなどが強いと言うことですね・・・私は基本的にはグーグル派ですが。あまりネットに親しんでいなかったころは、検索といえばヤフー、と思っていたので、後発のグーグルが破竹の進撃をしていたことを知らなかった。で、使い始めたらグーグルの方がたくさんヒットするので、かなり些末な記事まで読みたい私はグーグルの方が好きである、検索そのものとしては。オークションというのはいっさい、やりません。どうも信用できないから。それに素人のつけた値段も信用できない。どうも他人と言うものを信用しにくい性格なもので。通販なんかも代引きじゃないと原則、買わないし。もっとも住所や個人データの流出は止められない。これはもう現代人としてはどうにもならない。
 なんでこんな話、といえば、今度はマイクロソフトが検索事業にも乗り出すという話を聞いたから。すごいですな。またまた後出しじゃんけんで勝利するかビル・ゲイツ? 
 なんでもこのゲイツ氏が目標だという日本のHくんは、結果がどうあれ、イメージがダーティーになったことだけはもうどうしようもない。あのなあ。企業乗っ取りだけではだめなんだよ、もっと足下を固めないと。
 彼が嫌われる理由のひとつは、要するに大風呂敷の割にたいして確固たる企業基盤がないということだろうよな。これだけはうちのビジネスモデル、というものがない。人まね、後追いばかり。それでもビル・ゲイツほどの豪腕ならいざしらず、である。
 なんにしても、あの経済戦争のおかげでワイドショーのネタもくだらない芸能ニュースじゃなくなったのは喜ばしい。いいことだ。

2005年2月26日(土)
なんともかんとも、いろいろとはかどらない、最近。なんかこう眠い。季節の変わり目なんだろうなあ、と思います。また、今頃になって結構、寒くなっておりますので、暖房なんぞつけて室内におりますと、どんどん眠くなる・・・。あかん。ぜんぜん何事もできないのであります。
 ちと、このごろ弛緩しておリます。実は、年末から先ごろまで二本ほど、長い原稿を仕上げていたので・・・それが一応、脱稿したので気が抜けてしまったか。いかんいかん、まだ校正が出来ていないのに。
 ところで、うちにいる熱帯魚の中に「卵胎生」という種類の魚があります。モーリーとかプラティー、デルモゲニーといった連中ですが、こいつらの場合、普通の魚と比べて非常に面倒くさい。人間関係、というか魚関係が。つまり、哺乳類みたいな行動をとります。魚だと卵をばああ、とたくさん生み捨てて、そこに雄が精子をしゃああ、とぶっかけて、それで後は野となれ山となれ、というイメージですが、卵胎生の魚と言うのはちゃんと体内で受精して、稚魚を出産しますので、考え方は全く哺乳類的なんですな。つまり雌雄の恋愛模様がものすごくはっきりしている。三角関係、四角関係当たり前。あるオスはメスAが好きなのにAの方はこのオスが嫌いらしく逃げ回っている。一方、メスBはこのオスにぞっこんでちょっかいをかけているのに、オスはなぜかこのBが嫌いな様子。鼻も引っ掛けない。そこで嫉妬したBが、今度は怒り狂ってAに八つ当たりをして攻撃する・・・なんて修羅場を毎日、見せ付けてくれます。これがサル山の猿の行動ならさもありなん、体長2センチぐらいのちっぽけな魚が非常に個性的であり、社会生活も複雑なのは興味深い。なかには集団行動を嫌う魚がいたり、ほかの魚を従えようとするものがいたり、ストレスで弱ってしまうものがあったり。実際、引きこもりのようになってしまうものもいる。
 人間のやることなすこと、実はもうこのぐらいの生物でかなり出尽くしているのかもしれません。恋愛、嫉妬、派閥、支配、権力、迫害、なんでもあります。
 ただし、魚の世界では、餌として捕食対象になるもの以外は、別の魚は全く眼中にありません。恐らく言葉が通じないのでしょう(?)。異文化間の衝突、というのはだから、ないもののようです。結局、戦争行為こそがもっとも人間的な行動、なのかもしれません。

2005年2月24日(木)
「堤義明、30歳。カッコイイ青春」なんて番組を10チャンネルで流していた。もちろん、昭和40年、今からちょうど40年前のドキュメンタリー番組である。30歳の堤氏は億万長者で独身、それも世界一の金持ちに何度もなったほどの資産家であって、スポーツ万能・・・ということだった。あんな生まれついての帝王を見せ付けられると、今、三十何歳かでニッポン放送の株を買って騒いでいるHなど大したもんじゃないことが分かる。
 そんな人でもここまできて、つまずいた。独裁者の末路、ということか。しかしHだって独裁者だそうである。要は、若き実業家、などと言って「古いものをぶち壊せ」などと言っているとかっこよく感じるが、なんでもありゃしない、昔から若き改革者を名乗る人はたくさんいた、そして、みんな年を取って嫌な爺になった、ということだ。
 Hだって30年たてば老害ジジイになっていることはまず間違いない。
 変に期待する人は、あんな者に肩入れしないことだ。なにかを変革したいと本心から思うなら、自分でなにかしようとすることだ。人に変えて貰おうというような発想でなにが変わるものか。
 そのすきに小泉内閣としては郵政問題でどんどん難しくなっている感じだが、もはや死にタイである。頼みのブッシュさんももう戦略を変更しているんだから、古い手は通用しないし、いよいよ政権瓦解の予兆も感じないでもないが。
 そんなことをしているうちに・・・大丈夫であるか? 北朝鮮は? 

2005年2月23日(水)
それにしてもこう、なんで毎日毎日くだらないエロサイトの勧誘メールが来るのだろう。最初の内は奇襲効果というのもあるだろうが、こうも毎日のように同じような内容のものが来ても、見るわけがない。こういう業者ももうちょっと効率のいいことをやってはどうか。無差別に送りつけても効果のない相手に毎度毎度、送っていたら単価は安いと言ってもただではあるまい。
 ワケありで、本番希望の女性紹介! だの言われてもたとえばセックスは嫌いだ、という男にはなんの意味があるのかね。世の中にはいろいろな人間がいるのである。割り切ったセックス、なんてしたくもなんともない、という。
 私は、今の少子高齢化とか引きこもりとかの状況見ていると、こういう安易な性風俗系の産業も衰微すること必定と思う。
 IT化し、ビニ本はビデオに、そしてDVDになり、エロサイトにメール勧誘、という手段だけは革新したが中身は紀元前のままである。裸の女が白痴的な笑みを浮かべて、腰を振っていれば男は喜ぶ、と思っている。馬鹿である。そういう図にはうんざりである。
 コンテンツはむしろ劣化している。学力低下した馬鹿ギャルが、元々衣服などつけていないで裸で歩けばいいような猿なみの低能をさらして舌足らずなコメントを発しつつ、くねくねしている、というような図を見れば見るほど嫌悪感しか覚えない。
 テレビをつければ北朝鮮が傲慢なことをいい、中国が傲慢なことをいい、アメリカが作り笑顔を浮かべ、そんなことばかりでおもしろくもなんともない。
 全く、おもしろくもなんともない。

2005年2月22日(火)
ふとテレビを見たら小泉純一郎がしゃべっている。以前からネズミ男のようだったが、近頃はゾンビのようである。何か言っている。人気もいろいろ、とか相変わらず愚にもつかないこと。アメリカの目も協調外交に転じたんだから、今までのようにブッシュに擦り寄っていれば点数稼ぎが出来る、という状況でもない。ほんの一、二年前のやり方が古くなっているわけである。
 ここまできて、あの内閣はなにをしたのか、と振り返ればやっぱりなにもしていないことが分かる。郵政民営化、ですらまだ出来ていない。
 が、それで基本的にはこの内閣は、将来の日本のアメリカ併合の道筋を作ろうとした、という内閣だったかもしれないが、その象徴である竹中大臣に「あれはルール違反」とか言われてしまった某ライブドアの堀江某はかなり分が悪いんではないか。
 一世一代の決断、だったそうだが、それが命取りになったかもしれない。労働組合も背を向けた、ということは完全に敵対的買収と見なされた、それも形式的なことではなく、本当に食い物にする侵略行為、と見なされたんだから、この男は本当にアホである。
 下手糞、としか批評できない。

2005年2月21日(月)
兵庫県のある市で、包丁の購入者に指名の届け出義務を課す条例を制定、という話があるが、考えてみれば銃刀法なんて言っても、もっともありふれた兵器である包丁には規制がなかったんだから、これを武器にしなさい、と言っているようなものである。
 とにかくなんだか10代と30代の人がいろいろ問題を起こす。で、主戦兵器はたいていが包丁である。その包丁ぐらいなもので犯罪が起こせるのはそれだけ日本は平和なんだろうがまだこれでも。アメリカでそんなことやらかせば、誰か彼か銃を持っていてすぐに射殺されるだろう。犯罪者に人権は原則としてあるけど、実際にはない。おもしろい国だ。
 裁判員なんてのもあくまでアメリカ型の社会の制度である。私はそんなものに選ばれたらとにかく「早く終わる評決」を望む。被告人がどうだろうが、自分に関係ないのだから知ったことではない。
 ところで、中国の携帯電話の台数は3億3000万台、なのだという。それはやっぱりすごい。で、まもなく解禁される第三世代携帯の予想価格は4000万人民元(5万円)なんだという。それはそれで高価さに驚くが、現行の携帯も現地じゃ1万円〜3万円ぐらいするそうであるから、とんでもないことである。
 思うに、よく知らないけれど携帯買うのに月収ぐらい払っているんじゃないのかしら、あっちの人たち。それで、3億台普及するのだからすごいことだ。日本じゃものによってはただだからなあ・・・。
 これは、日本の場合通信会社が買い取っているからである。あっちはメーカー直売。
 まあ、携帯なんぞ消耗品、という日本の感覚の方が異常なんだろうが。

2005年2月19日(土)
なんとなく妻の蔵書の手塚治虫「アドルフに告ぐ」を読み返した。手塚治虫といったらやはり一種の天才児である。表現上、ちょっと古めかしい面もあるかもしれないが、なにしろ着想、スケールの大きさ、構図取り、ストーリーの盛り上げ方、詩情と、なにをとっても今時のどんな漫画家が束になってもかなわない面があることは確かである。「火の鳥」とか「ブラックジャック」はこの時代になって読んでもなんらの古さもない。というか、あれを超えるような作品というものはそうそう見当たらない。哲学とか思想のレベルまでいっている漫画など、今時では描き手読み手の資質の問題もあって成立しにくい。
 が、アドルフ・・・は名作の誉れも高いし、私自身、文藝春秋に連載中にも読んでいた覚えがあるし、ストーリー展開の見事さで言えば今読んでもやはり快作であることは間違いないのだけれど、やはりマニア的視点で見ると物足りない。まあ、20年も前の作品である、時代考証というものは不思議なことにその時代から離れれば離れるほど新事実が積み重なってくるというものなので(ある時代のことがもっとも分からなくなるのは、その時代が去った直後の次の時代である。そこで風俗とか文化はあらかた忘れ去られる)今の視点のほうが情報が多いというのは仕方がないのだろうが、特にナチス・ドイツの描き方については個々の人物設定、服装、兵器、その他の時代考証は首をひねりたくなるようなものばかりで、申し訳ないがほとんど全ページに「?」がついてしまう。
 特に決定的にいけないことは、総統の最初の演説シーンで初期の党制服と、中期型のジャケットがごっちゃになったような珍衣装を身につけていること(これは違う時代の写真を見て混乱したのだろう)や、戦前の軍事パレードに後期ドイツ軍の主力ティーガー戦車が出てきてしまうこと、などである。その他、挙げだすときりがない。後期のSD将校が黒服なんぞ着ているのも滑稽だ。
 という具合で、時代考証的にあまりにひどいもんだから、どうも困ってしまう。
 最近のものでいっても・・・・・・前にも書いたが最近の漫画や小説では、兵器や服装の考証は割りにしっかりやるんだけど、今度はなんかメンタリティーがおかしい。日本軍人がぺちゃぺちゃしゃべりすぎなんだよ、ナ近の「ジパング」とか「ローレライ」に出てくる連中はさあ。日本軍人というか、昔の日本人は長広舌を何より嫌ったんだよ。そして理屈が嫌いなんだよなあ。どうもぺらぺらうるさい。昔の映画に出てくる軍人は、しゃべっても短い。たとえばハワイ・マレー沖海戦なんて見ると、藤田進の演じる母艦の分隊長のところに予科練時代の教え子の下士官が配属されてくる。挨拶はこんな感じだった。「お、友田、来たか」「は」「待っとった。頼むぞ」「やります」こうだよ。こんな具合。しっかり頑張りますのでよろしくお願いします、なんて言わない。「やります」これだけ。演説は長い。でも会話はできるだけ短く。さらに海軍用語なんかだと「願います」とか言うもんだ。よろしくお願いします、なんてだらだら言わない。願います、でおしまい。おはようございます、なんて言わない、おはす、で終わり。万事がこんなである。そりゃ当時の軍で使っていた言葉を全部再現したらぜんぜん意味不明になるが、感じは出してくれんと。ローレライなんかも原作を立ち読みすると、まるで現代人なんだよねえ、出てくる人が。現代語で直垂着て烏帽子つけている大河ドラマの侍みたい。ローレライの映画も予告を見たけど、なんで役所広司の艦長は二種軍装なんて着てるの、終戦間際に? いねえだろ、そんな人。潜水艦なんて防暑服じゃないですかあ・・・。
 それにナチの新兵器「ローレライ」というのが超高感度ソナーみたいなもんだ、というのもなんかなあ。確かにドイツのソナーは良好だったし、連合国側が自分らのレベルに追いつくのを恐れてUボートはどこの国より無音性能が高かったのは事実。日本海軍のはそこいくと、遥か彼方からでもばれてしまう、靴音の高いハイヒールで泥棒やろうというような潜水艦だったから片っ端から撃沈された。
 とにかく折角、ナチの秘密兵器なんだろ? レーザー光線ぐらい出してくれてもぜんぜんOKなんだけど? だってナチだよ、あの。オカルトとマッド・サイエンティストの国、第三帝国ですぜ。UFOまで本気で飛ばそうとしてた国ですぜ。頼むから平凡な設定にしないでくれえ。
 潜水艦ものといえば、なにかまたアメリカの潜水艦のりとUボートのりの交流を描くような映画が今度、出来たようだけど・・・・・・頼む、潜水艦ものを作るのはいいが、もう少し完全なUボートを描いてくれ。ペーターゼンの「U・ボート」もさすがに古びた。たとえば「眼下の敵」のリメイクとか。
 今の役者にクルト・ユルゲンスとかミッチャムの存在感は出せないだろうが・・・。

2005年2月18日(金)
ところで、ホリエモンのことが話題になっていますが、先日、うちの親と電話で話したときに「若い人らはどうか知らないけれど、年寄りから見ると応援できない」みたいなことを言うから、少なくとも我々ぐらいのほぼ同世代の者は全然、あんな者を支持していないよ、と答えた。当たり前だ。日本は嫉妬の国だ。彼の成功はあくまで彼の成功。別に比較的若いものの代表でもリーダーでもない。
 それにしても、なんでああ自分が目立ってしまうのか。あんなに自分が目立ってはいけないと思う。今回の株取得も、いろいろ手を回して50パーセントを確実に手中に出来そうなところまで水面下で準備して、たとえば政府とか役所、さらに同業他社(これがマスコミの場合は大きい)も味方につけてしまってからやるべきで、あんなに周りを硬化させて警戒感を呼び起こさせ、政府与党まで敵に回して、あれは違法ではないけれど怪しい行為などと言われてしまう。はっきり言って売名以外になんのいいこともない。もし仮にあれでサンケイグループを手中に収め得たとして、まずうまくいくまい。
 ひとつには、内外に敵が多すぎてたとえいいことを言ってもすべて警戒されるから半年ですむものが1年、1年ですむものが10年かかる。いくら彼が若いといってもこれでは人生の浪費となろう。そしてもうひとつ、彼が考えるようなビジネスモデルなど、実はそれほど一般人から見てニーズのあるものではない。テレビとネットとなにかスポーツみたいな興行をくっつけてセット販売しよう、という発想はさんざんアメリカで出尽くして、そして別に儲からない、ということが明らかになっている。
 中にいる人間だから思うのだが・・・マスコミなんて儲かるものではないのである。だから新聞社などは株式を公開しない。過大な投資も過大な利潤も必要ないのである。だから金をもうけたい人は手を出さない方がいい。
 あの人は自分は天賦のリーダー、と思っているようだが恐らく違う。指揮官の器ではなく参謀とか評論家のタイプである。「俺は有能だ」という顔をしすぎなのである。もっと隠しておいて、どっと奇襲しないと。大したことないうちに背伸びをしていると後々、損だと言うことに気がつかぬ。
 おまけに日本の既得権を持つ層は、実際強いよ。本気出すと。しかも全国民が実際には共犯なのであるから、失敗すると堀江は日本中を敵に回しかねない。
 競走したい者など、実は多くないのである。この国は。そこが分かっていない。煽ればみんながついてくるとでも思っているなら、甘い。
 自分の個人的な手腕と運に頼っているだけなら、彼はあのへんが限界かもしれない。いくら天才でも、個人で面倒が見られる範囲は狭いものである。ナポレオンは戦争の天才だったが、軍隊の規模が大きくなるにつれて戦闘に勝っても戦争には負けるようになった。彼は自分で直に指揮できる2万人ぐらいの精鋭師団の指揮官として有能で、30万人とか50万人とか言う巨大な国家の軍隊の総司令官としては適任ではなかった。なぜか。
 そのぐらいになると、一人の天才より、たくさんの有能な人による「参謀本部」でないと統治できないから、である。だからブリュッヘルとかウエリントンのような、一指揮官としては明らかに格下の将軍に勝てなかった。一対一なら負けない。でも、全体の流れとしては負けているのである。一人の天才より有能なチームが勝つのである。
 そもそも大したことないホームページ事業の会社であるから、なんとかして成り上がりたい、有名企業を乗っ取って本物の財界人と渡り合いたい、と思っているんだろうが、所詮はなんの裏づけもないベンチャー上がりである(ベンチャーがいけないのではないよ。どんな会社も最初はベンチャーである。しかしライブドアは基本的に砂上の楼閣である)。
 気がつくと、たとえばドクター・シーラボみたいな会社が間もなく東証一部上場する。驚くなかれ、開業医の副業で始めた美容薬販売が、片手間ではできないということで会社になり、それからわずか5年、ジャスダックに上場して2年である。堀江の会社の前身よりずっと後発である。事業としてどっちが急成長しているか明らかである。それもマザーズだのヘラクレスだのではない。正真正銘の一部上場なんだからこれはすさまじい。こっちのことなど決して一面にトップ記事になどならないし、そんな必要もないのである。本当に物が売れれば、あんな売名行為など必要ない。自力で大企業に成長できる好例である。ライブドアがないと困る、という人は世の中に恐らく一人もいない、というのが最大の弱点である。

2005年2月17日(木)
近頃、ちょっと散文付いていて、詩が書けない。いわゆるスランプで書けない、というのではない。アイデアが思いつかない、というより思い浮かぶアイデアを描写で表現したくなってしまうのである。そして、描写してしまうと詩にならない。あれはやはり、イメージで行かないといけない。しかし、散文付いているときはすべて誰が何をどうした、ということを壊すにしろ、忠実にやるにしろ、基本においた烽フをまずは作ってしまって、そこで文体というものが問題になって・・・である。詩のほうはそれでいくと、実作してみれば分かるが、なにもない。言ってみればアイデアがアイデアのまま、相手に伝わるかどうか分からぬままの博打で終わるのが詩である。散文は博打では終わらない。とにかく明瞭に分からせた上で、後の判断は読み手にゆだねる。これは相当に違うものである。
 以前は、当たり前すぎて自分は描写は出来ないと思っていたので詩を書いていたが、近頃は描写をしたいので詩が書けない。わがままな人間である。
 しかし、いろいろ見てみると、私のエッセイ集などを引用している人はサイト関係でも多いみたいだし、先日は新潟のFMラジオで私の初期の作品が読まれたようだし、詩人の看板もなかなかもって、下ろしがたい。
 まあ、ぼちぼちやるか、である。
 ときに、大阪の17歳の包丁少年が殺した先生というのは、非常に人気のある先生であったそうだ。金八先生みたい、と実際に言われるような人だったという。こういう人がこんな形で亡くなるのだから世の中、あまりにも皮肉に出来ているが、たとえば小山内美江子さんでも、これまで手を替え品をかえて、金八シリーズを作ってこられたけれど、もし「金八先生がいきなり卒業生に刺されて死んでしまいました」という出だしでなにか書け、と言われても困るであろう。先生がどんなに人格者で情熱的であっても、いきなり背中から刺されてしまってはもはや、どうにもできない。何も出来ないのである。
 しかしこれが現実だったりする。そして、こういうことを扱うなら描写ではないか。 

2005年2月16日(水)
結構、あれである。自分と同世代ぐらいの・・・・30後半の人のサイトなど見ると、有名・無名にかかわらずあせりを感じるのは私だけか。そもそも、まあ40歳の節目でここが人生を見直す最大の転換点じゃないか、と思うのは何時の時代でも同じなんだろうが、ひとつ思うのは、やはり私らは若い時分によくも悪くもバブルに振り回された。要は企業に入って、レールに乗って、金儲けに邁進すべし、という価値観を教え込まれた最後の世代である。で、20代の間、低迷し続ける日本経済と心中するカタチで沈滞し続けてきた、と思う。またこの間、われわれの上には古い日本社会の老人世代が居座り続けて、これには歯が立たないで沈潜してきた、ということも言える。
 それが、21世紀に入ってちょうど、古い日本のドンみたいな世代はいい加減、生物学的に退場してきて、視界はぐっと開けた。そこでずっと待ってきた我々はチャンス、と思ったものの、今度は21世紀に入ってにわかに「平成生まれ」の若い者達が台頭してきている。そして、我々ぐらいを押しのけてどっと伸びてきている。この人らは、初めからこういう状態の日本しかしらないし、なんのこだわりもない。視界が開けてどんどん規制が外れていくので、この若い衆には向かうところ敵がない。
 気が付くと、1970年ごろ生まれというのが取り残されて居るんじゃないか、という感覚があるんだが。これつまり、古い日本の最後にぶら下がっていて、新時代の変化の先頭には立てなかった、ということだな。
 そこへもってきて、ここで例外的にうまく古い方の尻尾から、新しい方の先頭に乗り移るのに成功したらしい者がIT長者などといって、株を買ったり球団を買ったりしているわけね。
 すると、あんなことができるのは日本中に何人もいないわけで、後にどっと続くのはより若い連中なんじゃないか、と思ってしまうわけだ。
 まあ、個人差もあるけど、持って生まれた「世代の運」というものも確かにある。
 若い者達だって、例外的に成功する者もいるが、就職できなくて我々以上に沈滞している者が大多数なのも事実である・・・こういうもんが小学校など逆恨みして襲撃しているわけだ。
 ま、つまらない分析だが、いくらか説得力もあるんじゃない?

2005年2月15日(火)
またサーバーに障害があったようで昨夜いっぱい、当サイトが見られませんでした。申し訳ありません。
 アカデミー賞のノミネートが決まったようで、うちが見たものの中ではRayが作品、監督、主演などで入っているようだ。そういえば、グラミー賞のほうはレイ・チャールズの独り勝ちとなったようだ。映画はどうなるか。ただこれ、日本で言えば石原裕次郎とか美空ひばりが亡くなった後の雰囲気みたいなもの。そのぐらい巨大な存在だったのだから、強いのは当然か。
 ちょうど1年前はロード・オブ・ザ・・リングで湧いていたのだが、最近出た完全版ボックスセットは驚愕の内容だと聞く。つまり、原作のファンにとってやや物足りない部分と言うのがあの映画にはあった。@サルーマン(クリストファー・リー)の末路が省略されている。それでホビット庄での「最後の戦い」も一切出てこないAファラミアの扱いがあまりに軽くて父や兄との葛藤も小さい扱いBそのファラミアと、傷心のエオウィン姫とのその後も描かれないCアラゴルンとサウロンの副官の緊迫したやり取りが出てこない・・・などのことは、熱心な原作のファンなら誰しも感じたところだろう。確かにしかし、原作ではこれらの描写が本筋の流れを損なっているともいえるし、そもそも原作の指輪物語は小説としてみた場合、決して読みやすいものではないので、そこを映画としてリファインしたということで納得していたものである。が、驚いたことに上に挙げたようなシーンはすべてちゃんと撮影されていたようなのである(あるいはその後に追加したのか、そこは知らない)。やはりピーター・グリーンとしては、それらのシーンを無視することはできなかったか。公開するしないではなく、純粋に原作ファンとして「絵にしてみてみたい」と思ったのは無理もないところである。
 とりわけ、原作ファンの一番の不満はサルーマン(これは原作の邦訳版での表記。古いファンにはどうしてもこの方がなじみがある。映画内でのセリフの発音と、日本版の字幕ではサルマン)と蛇の舌グリマがイセンガルド(同じく字幕ではアイセンガルド)の塔に幽閉されてから後がまったく顧慮されないことはかなり大胆な省略に思われた。このほかには、ほとんどのエピソードがちゃんと絵になっているので目立ったと言える。ほかにも原作ではかなり重要人物だが、しかしいなくても本筋にはかかわりのないトム・ボンバディルなる人物のエピソードなどもあるのだが、これはさすがに再現していないだろう。
 原作ではもうちょっと軽い扱いのボロミアが映画版では英雄的なので、これを演じたショーン・ビーンは大いに得をした、なんてこともあるが(これは監督の好みか。もっとも第一部だと派手なシーンはあのアンデュイン河畔の戦闘しかないので必然だったのかも。原作じゃ何しろ、ボロミアの立ち回りは具体的な描写としては出てこないのである。アラゴルンたちが見に行くと彼は既に事切れかけていた、という具合である)。
 というわけで、このセットも買わねばなるまい・・・・また出費が。前にもうDVDで買い揃えたのに・・・。
 前にオペラ座の怪人のところでも書いたが、原作への理解が深い人と、単に話題作と言うことで映画を見る人とでは、見方が相当に違う。たとえるなら、野球のルールを知らないで野球の試合を見に行く人と、何十年分のデータが頭に入っているマニアの人が同じ土俵で議論するようなものである。野球の場合なら、ルールを知らない人が「なんで打った人は右にしか走らないの?」などと言っても相手にもされない。映画と言うのはひどく大衆的なメディアなので、そういう荒唐無稽な感想を持つ人まで相手にしなければならない。
 どうも私は、無知を売り物にして数を頼みにたかだか数千円の入場料で文化的暴力を指向するこの「大衆」というものが嫌いである。いかに私は古臭い人間であるか。
 そうじゃない。要するに私は人間嫌いなのである。

2005年2月14日(月)
ゆうべはかなりしたたかに飲んだ。そして長い間、苦しんだ。ところで、自分でも解毒の瞬間と言うのは分かるものである。恐らく、肝臓でアルコールがすっかり分解されて、無害になるわけだろうが、その瞬間、それまであんなに苦しかったものが嘘のようになくなる。そして、急に腹が減ってくる。おもしろいものである。
 そんなわけで、今日はこれから出勤なんだけれど、ずっとここまで寝ていた。一日、寝て暮らしていたがやむをえない。どうにもこうにも、疲れた。これから一週間あるわけで、困ったもんだ。先は長い。
 ふとテレビをつけると、また大阪で小学校に男が侵入したと言う。先生が3人、刺され、一人は先ごろ(4時ごろ)亡くなったとか。池田小学校の教訓なのか、先生方で対処できてよかった、ということも言えるのだろうが、殉職された先生は痛ましいことだ。
 また犯人は30代無職、ぐらいじゃないのか。そんなものばかりだ。嫌な空気である。
 昨日、なんとなくケーブルテレビで映画「暗い日曜日」というのを見てしまった。なかなかの名画だった。ドイツ軍が押し寄せてきた時代のハンガリーが舞台で、もちろんナチスの将校も出てくるが、この人物がドイツの敗北を予見しており、親衛隊の将官であるのにユダヤ人を堂々と金と引き換えに救出、1000人近くスイスに逃亡させる、という話が出てくる。あくまでも金持ち、有力者に限るのである。そして「戦争が終わっても、私への感謝の気持ちをお忘れないように」と言い含めて脱出させる。これがまんまとうまくいって、戦後にこの将軍は、戦犯指定とかイスラエルの追究などみんな逃れ、それより多くのユダヤ人を救ったとして英雄視され、ユダヤ人の有力者たちの援助で実業界で大成功するのである。これは作り話のようだが、なんとなくシンドラーのリストのパロディーのような描き方もあり、痛ましい話だが、いささか微苦笑を誘う。
 この映画の題名にもなっている暗い日曜日、というのが当時のヒット曲で、基本的にこの曲の作曲者のピアニストらの悲劇が主軸なんだが、当時において自殺のテーマ曲、と呼ばれ発禁されたほど陰鬱なメロディーが妙に記憶に残る。
 で、二日酔いで呻いている間中、この不吉な曲が頭の中でがんがん繰り返されて嫌になってしまった・・・・・。確かに調子の悪いときにこれを聴いたら嫌になりそうな曲だ。

2005年2月13日(日)
昨日、知人から来たメールで「詩学」休刊、という話を聞いた。と書いても大方の人には何の意味か分からないと思う。詩学、というのは詩の世界では・・・そうだなあ、規模で言って3番目ぐらいの商業誌である。もちろん商業といっても、大手出版社の出すようなものからすれば微々たるものだったのは間違いないが、老舗で影響力も以前はあった。
 どの業界も、上から二つまではいいけど三位以下が厳しい時代、なんていう。そういうことではさして驚くような事態でもない。というか、詩と言うのはいろいろあるカルチャーの中でもかなりマイナーな分野であって、恐らく熱心な参加者というのは読み手、書き手と合わせてもせいぜい数万人単位、ではないかと思うので、ここで第三位の本がここまで生き残っていた方がすごいことなのかもしれない。
 詩集なんてものは、大方が本人買取を前提とした出版である。もっとも、文芸書などどれも似たりよったりである。近頃はだから、文芸作品と言ってもなんらかのエンターテイメント性は絶対に必要とされる。そのへんは、最近の各章の受賞作なりを見ているとよく分かるのである。
 詩は結局のところ、エンターテイメントになれないようである。後は、「感動的な」ものに走るのが唯一の方法じゃないか、と私は思うが、泣ける詩などというものは、泣ける小説以上に難しい。芝居や映画で人が死んで泣けるのは視覚聴覚が加わるからである。
 詩は結局、描写しない。描写しないから自由であるが、描写しないから手抜きである。今の日本の状況は極めて散文的なので、描写しなければ何も言ったことにならない。情緒で流すのは、むしろ通常の日本人の典型的な発想なので、そういうものなら実は、ごく普通の人らのごく普通の感性がたち勝ることが多い。
 いろいろと、それでも詩は必要だ、と言い募る詩人は多い。が、必要ではないのである。あえていえばその人の存立のために必要なのか。
 ポエジーがなくなることなどない。しかし、現代詩は終焉するかもしれない。今までいろいろな人が自虐的にそう言ってきたが、もう居場所がないのではないか。
 ・・・・・とまあ、今日はなんか詩の関係者向けみたいになってしまってすみません。東京周辺、天気が悪い。

2005年2月12日(土)
知多半島の自治体合併で「南セントレア市」という命名が大不評、などと言っているが実際、目立てばいいというものじゃない。もっとも話題づくりという意味では成功だったかもしれない。空港の宣伝にもなった、だとしたらなかなかやるじゃないか、とも思うがさて、そんな深慮遠謀だったのか? 宮城球場のなんとかキャスト球場(もう忘れた)も覚えにくいといって不評。とにかくいい加減な横文字ネーミングも卒業したらどうなのかい。伊達政宗球場とかにするなら見識だと思うが。・・・そうそう、セントレアのほうも、ちょっと外れてはいるが一応、地域的にはOKだろう、ということで信長市とかいうのはいかがか。
 

2005年2月11日(金)
 というわけで「アレクサンダー」を見てきたが、いやあああ、3時間の長尺。決してだれてはいないけれど、しかし3時間はたっぷり、ですね。でまあ、すでにいろいろ批評も出ているし、蛇足を付け足すまでもないし。また、ラジー賞にノミネートされているようで、まあアメリカじゃあまり評判が良くない・・・のだけど、アメリカ人に受けが悪いこと自体はいまや、あまり関係なし。なにしろあそこの国民、見る目がないから。
 マザコン、父との確執、同性愛、どろどろした人間関係・・・・このへんはかなり濃厚で見ていて厳しいかも。ことに同性愛関係、日ごろ、平然とコミケでホモ本など売っている身でも実写でいちゃいちゃやられると段々、いかに当時の習俗だったといっても気持ち悪くなってくるのは確か。自由をといても結局は侵略戦争じゃん、というテーマは現代的。まあアメリカ批判ではないよ、と製作者は言っているようですが。
 しかしもう、そういう映画としてどうこうはどうでもよくて、ガウガメラの戦い(ちょっとイッソスの戦いと混ざっているようにも思ったが、戦史からすると)。というのは、歩兵で受けておいて、騎兵の機動で回り込んで敵を側面から包囲、撃破、という近代戦術の基本を確立した、というのはどっちかいうとイッソスの逸話か。まあ、なんでもよろしい。アレクサンダーは実は生涯同じ戦法を使い続けた。ファランクス方陣で中央を支えて、カンパニオン騎兵で側面から打撃、である。これを応用発展させたのがハンニバルのカンネーの戦いで、さらに以後のあらゆる戦争でこの機動ユニットと防御ユニットの移動速度の差を使って敵を誘導する、というのが基本となったわけですな。先のイラク戦争もこの原則で、機甲部隊の突進を特殊部隊が支えたわけだった。
 とにかく、20万人規模の戦い、というのがよく映画で出てきても、実際にはエキストラ1000人規模に見えるのである。が、CGを使っているだろうが、このダレイオス大王の軍勢は本当に20万人規模に見えた。このへんはトロイより、王の帰還より見事だった。そして精密に再現されたファランクス。鐙のない時代の騎兵。
 そんでもって、やたら血糊が飛び交う壮絶な戦闘シーン。こりゃもう映画史上最高規模の激しさ。
 戦争マニアはとにかくここだけでも見るように。必見。どんな映画よりすごい。私はアレクサンダーになってしまって「急げえ、早く敵を包囲しないと本隊を取り逃す!」と叫んでいた。
 その他のドラマ部分も役者の熱演も、そんなラジー賞候補になるような駄作じゃないと思ったが、ひょっとしたらアメリカ人には英雄崇拝の念があるのか。確かにアレクサンダーという人物の基本はマザコンです、でかなり説明できてしまう描き方なんですが。
 アレクサンダー役のコリン・ファレル、そもそもはオペラ座の怪人のシュマッカー監督に見出されたとかで、この二つの映画は同じスタジオで録っていたとか。それで、パリのオペラ座にアレクサンダーがその格好のまま現れて、怪人とツーショット、なんて図があったそうだ。
 そういや、このオペラ座もアメリカじゃあまり評判が良くなかったようだが、もはや日本人の感性の方が高いということが分かってきている。アメリカ映画なんて日本のもののリメイクばかりだ。今後、ハリウッドは日本の興行チャートを見て学ぶべきである。
 というわけで、アレクサンダー、戦史ファンは必ず見ること! 一般の映画ファンも見て損はない。見るべし。

2005年2月10日(木)
宮崎駿監督がベネチアで名誉功労賞のようなものを受けるそうだが、とうとう彼も祭り上げられる対象となったか。このへんから人間という物はあやういのである。私は「もののけ」で疑問符を付けて以来、いや、紅の豚で世評ほどの感銘を覚えなかった時以来、個人的には遠ざかっているんだが、ぜひこういう懐疑的なひねくれ者を改心させて信者に復帰させてくれるような快作をお願いしたいものである。にくくて難癖をつけるのでない。私はナウシカのころには熱狂的信者であった。あの映画の音楽テープというものを買って(当時、ビデオなんて家になかったし、あってもセルビデオは2、3万円する時代だったと思う)声優さん達の演技をまず100回ぐらいは聞き込んだ。だから主要な台詞は暗記してしまっているぐらいである。はっきり言って2次元キャラのナウシカに今で言う「萠え」を感じた。つまり現実の女性に対するように惚れてしまったのだ。私がその後のオタク世代にある程度、共感するのは自分にも覚えがあるから、である。
 そういえば、映画というと私はこのところ、Rayとかオペラ座・・・とか音楽映画を立て続けに見た。で、私は世間の批評など全く気にしないにんげんだが、よくある映画批評サイトの口コミ掲示板など見ると笑えてしまってならない。Rayについては、感動できなかった、といって怒る者、身勝手なレイ・チャールズに怒りを覚えた、などと青臭いことをコメントする者・・・ううん、そんなレベルの感想しかもてない者がなんで見るのだろう、と私など思ってしまう。はじめから聖人君子じゃないんだって、だから。困ってしまう。それからオペラ座については「最初から最後まで歌ばっかりでつまらない」と書いている者が多いのに驚いてしまう(!)。だから、ミュージカルの映画化なんだって。しかも、かなり映画用に歌を減らしてるんだよ、あれでも。そんなことも知らずに見に行くもんだろうか。でも本当になんにも知らないで見る人もいるんですねえ。あきれて物もいえないが、そんなアホからも入場料をいただいて興行は成り立つ。本当にいろいろな人がいて、困ってしまう。
 人によって意見があるだろうが、私は下調べしないで映画見る人間は安直だと思う。よほど金持ちなのか。またパンフレットに書いてある程度のことも分からないで書き込みしている人は馬鹿だと思う。
 そんなわけで、私はどんなにヒットしようが呪怨は見ないし、ボーン・ストレマシーも見ない。サスペクト・ゼロも論外である。どれも見たら面白いことほぼ必定だが、わざわざ劇場で見るほど自分の趣好にあわない。そんな物を劇場で見るなんて博打は打たぬ。オーシャンズ12は面白いだろうが、テレビで十分である。
 が、今夜、見ようと思っている物は、たとえ見た後の感想がいまいち、となっても後悔はしない。歴史大作は内容にかかわらず、勉強と思って見るからである。
「アレキサンダー」である。オリバー・ストーンだからそう簡単に打ちきりになるまい、と思い、人気のなさそうなRayを先に見た。今週はこちらを片づける。
 私にとって、映画というのは娯楽でも暇つぶしでもない。やはり研究対象である。こういう人間は「いま、会いに行きます」は見に行かない。
 
 

2005年2月09日(水)
サッカーはなんだか危ない勝ち方をしたらしいですね。私は石川さゆりがあまりいいとも思えないア・カペラの君が代を歌っているところからキックオフまでを職場で、それから夕食を家の近所の洋食屋でとったのですが、そのお店で前半の最後のあたりをちらちら見ただけ。そう、私は野球に興味がないのと同じようにサッカーにも全く興味なし。しかしまあ、わざわざ北朝鮮に負けたいという者もいないだろう、私もその点では良かったな、と素直に思うが・・・しかし、ぎりぎり勝ちと言うのはどうなんですか。「北朝鮮などなでしこジャパンより弱い」なんて書いてた新聞もあったけど、そんなもんじゃなかったようですね。
 ところで、マラドーナのアホが15年前のW杯で、ブラジルの選手に睡眠薬入りの水を飲ませた、なんて話をばらしてしまって両国がおおもめしているらしいですな。やっぱりサッカーは戦争だね。いつまでももめるであろう。
 石川さゆりの歌で思い出したが、なんかこう、音程を微妙に上げて合わせる、という感じになるのはやむなし。ア・アカペラで直線的に歌えるのはよほどに鍛えた人だけだし。
 それで、オペラ座の怪人のCDを聴き直したんですが、サラ・ブライトマンの歌は外れるよなあ・・・と思っております。「ほかにあんなに真っ直ぐ歌える歌手はいなかったんだ、当時は」とロイド・ウェバーが意味深なことを言っておりました。はっきり言って今度の映画で歌っているエミー・ロッサムの方が100倍ほど上手い。あの映画版を見てしまうとかなわないなあ。それだけ今回の映画の音楽は歌唱も演奏も完璧で、あのミュージカルの決定版は映画ということになりそうであります。うちも、もう一回、見に行ってもいいな、などと話しております。
 

2005年2月08日(火)
あまり大きなニュースではないから気付かなかった人も多いだろうが、どこかの50代の地方公務員が、アパートの二階の自分の部屋に本や雑誌を天井までギッシリ積み上げ、この部屋の床が崩落、公務員は生き埋めになって重傷、という話があった。この人、いまだ独身で、80年代からそこの部屋を借りていて、ずっと書籍を溜め込んでいたようである。で、一階の住民は、自分の天井がみしみしいうので不安になり、警察に相談に行っていて、助かったのだ、というから恐怖である。まったく、上の部屋が落ちてきそう、なんて聞くだに恐ろしい。そして、警察に行くという行動に出なかったら、きっと死んでいただろう。下にいる人間のほうが間違いなくダメージが大きい。
 この50代男、世代的なこともあって無職、ニートではないけれどある程度引きこもりの先駆のような人だったんだろう。本とか雑誌と言うのも、きっとなにかマニアックなもの(世代的には将棋や囲碁、鉄道などかもしれないし、そろそろ漫画、かもしれない。ひょっとしたら音楽とか、もっと若い趣味でアニメやゲームかもしれない)を蒐集してたのではないか。
 今時、考えてみると50代も完全にビートルズ以後の世代である。今、たまたま職場でカラオケに行っても部長さんや課長さんで演歌をやる人はあまりいないだろう。
 もはや世代、上下、先祖も子孫もない時代に近づきつつある、すべてがノマドと化す、というジャック・アタリの文明予言を思い出す。少なくともカルチャー的にはそうなっているのではないか。メンタリティーとして、今の50代も10代も大きな差があるとは思えないのである。そしてむしろ、学力は若い者ほど低いとあっては。若さ、以外になにも自慢できないわけである。当然なことで、あらゆるカルチャーはここ20年ほど停滞したままである。くだらない、と思うことは多いが、理解できない、ということはむしろなくなって来た様な気がするのである。みんな考えていることは似たようなもの、と思うだけのことで。
 ある意味で理解できないといえば、集団自殺の傾向ぐらいかしら。あれはあまり理解できない、私。いや、自殺が、ではない。自殺そのものはそれ自体として不当なことでも理解できないことでもない。ただ死ぬときまで群れ欲する心性が分からない。
 集まれば、なんとか死ぬエネルギーが出る、ということか。死出の旅までツアーを望むのか。福田恒存さんが自殺こそ実人生で芝居の登場人物のように個人の死に必然を与える唯一の方法というようなことを書いていたが、今の状況を見れば嘆くであろう。
 そういえば、である。電車内で化粧をする女性をどう思うか、と言う話がいまだにあるけれど、私はそれ自体はじつはあまりなんとも思わない。というのは、そういう女性は、周囲の人間もシャットアウトしているわけだが、こちらもそのような人間を人間とは見ていないので気にならないのである。ただし、馬鹿な人だとは、思う。つまりこういうこと。その女性は、通勤途中で出会う不特定の人には素顔をメークしている無防備な姿を見せてもかまわない、それは関係ない人たちだから、と思う。そして、恋人なり会社の同僚なりの前に現れたときに、完成した状態になっていればいいのだから、時間の節約、と思っている。ここが甘い。人生、どこでどういうことがあるか分からない。電車の中で本当は運命の出会いがあったかもしれないが、その人は放棄している。「電車男」の話を思い出すまでもあるまい。あるいは危険が迫っていることも考えられるし、極端な場合、電車が脱線して死ぬかもしれない。その場合、その作りかけの顔が死に化粧となる。要するに、こういう人はある意味で電車の中を安全な個室のように思っているが間違いである。家を一歩出れば勝負が始まっている、と考える人と、職場や学校、デートの場に着くまでは準備時間、と心得ている人との緊張感はまったく違う。
 たまたま電車の中に、こちらは良く知らないが、向こうは良く知っている、という人がいればもはや無関係でない、ということもありうる。鼻毛を抜いている馬鹿面を見られ、それが恋人や顧客、上司の耳に入る、という可能性もゼロではない。そういう可能性も常に考えている人間を私は支持する。無防備な人間は鏡を見ている間になにかを掏り取られても気付くまい。
 そして、そんな無防備な人間は馬鹿だなあ、と私は思うだけである。

2005年2月07日(月)
NHKの解説をなんとなく聞いていたら、津波が世界で通用するTSUNAMIになったについては、ハワイの日系人が「ツナミだ、ツナミだ」と騒いだことから英語圏に広まったのが元らしい、という。なるほどね。私らは学校英語でtidal waveとかいうのを習ったが、あれは地震による波じゃなくてたんなる潮の干満を表すらしい。知ったかぶってタイダル・ウエーブなんて言わないほうがいいわけだ。にしても、こんな災害用語が国際語になるのはそれだけ日本が昔からひどい目にあってきた、ということだ。
 ところで、なんか連日のように子供の頭刺したとか、8人ひき逃げしたとか、その前のロリコン男とか・・・30代の腐れる者どもが大活躍である。10代、20代の人々もよく見ておくがよい。自由に適当に、というような生き方を始めた最初の世代がそろそろ、受難の時期にさしかかっているのである。あるいは、なにか事件が起きるたびに家族構成が80代無職・50代無職・30代無職の3世代で、30代無職がみんな殺しちゃった、みたいな話が凄く多い。で、この場合なども80代無職の年金だけが収入だったりする。
 たとえば、バブル直後の90年ごろに最初のコギャル世代となって、援助交際などやり、その後は気ままなフリーターとか言って遊んで暮らしてきた人が、今日、もうそろそろ30歳に到達する。その人には、そろそろ職場をリタイアするが年金が65まで出ない親、寝たきりの80代の祖父母、下手するとその上に100歳ぐらいの明治の人もいたりしかねない。これが今の構成である。
 こういうのに限って未婚の母で、ガキがいたりするのもありがちである。
 もっともっと悲惨なことが起きるかもしれないが、にんげんは先を見て生きないとな。考えるだにぞっとする。

2005年2月06日(日)
昨夜、映画「Ray」を見てきました。いわずと知れたレイ・チャールズの伝記映画でありまして、昨年、他界する寸前まで本人が監修していた、そういう意味では決定版の自伝でもある、というものです。「とにかく綺麗事にはするな」というのが、ご本人の強い希望であったとか。だから、貧困に喘いだ幼児、弟の死、その後のセックスとドラッグに明け暮れた生活、逮捕と収監、さらに禁断症状との闘い・・・そんなものが、之でもか、という具合に押し寄せてくるのですが、その苦しみとか葛藤から、この曲は生まれてきたんだよ、というころあいで実際にその曲が出てくる。そして、そのサウンドが救いになるように設定されている・・・ここらへんが出色の音楽映画でもあります。
 それにしても、貧困と盲目、および黒人であるというハンデの壁に立ち向かうため、薬に溺れていき、また強すぎる性欲を制御するために女にも溺れていき、しかしそれらを全部、芸のこやしにしていく、という意味では日本の芸人の浪花節によくあるパターンではありますけれど、やはり実話だけに壮絶。基本的に後天的に盲目になったこともあって、ずっと満たされない思いであったことからだろう、過剰な物欲や性欲に溢れてしまっているという意味でものすごく俗なんだが、その俗のきわみから天国を見よう、という一念があって、それでゴスペルのフレーズでブルースのテーマをやる、という「ソウル」が生まれたのだというのがよくわかるようになっております。ソウル・ミュージックの誕生にはこのレイとか、ジェームズ・ブラウンとか、かなりそのへんで強い屈折がある人が、そこで暗く落ち込まないで音楽で跳ね返そう、という意志を持つことで成立した、ということがあるわけですが、その秘密がよく描き出されております。だから聖人君子ではいけないのであります。
 ではありますが、その彼の前進のために生贄になってしまった女性の夥しいこと。そのうち二人の愛人は描かれておりますが、ほかにもたくさんいたようであります。女性だけでなく、レイは自分の音楽的進化のたびにバックバンドを切り、マネージャーを切り、レコード会社を切っていきますし、その過程も克明に描いております。あのステージで見せる笑顔や楽しさ一杯のステージの裏で、冷酷と評していいほどビジネスと、創作環境の確立に執念を燃やしたレイの姿はやはり鬼気迫るものがあり、彼のジーニアスに振り回された人々は本当にかわいそうなんですが、レイはこの映画化に当たり、そういう人々のこともできるだけ丁寧に取り上げさせている・・・贖罪というのではないのでしょうが、しかしそれらの人の犠牲の上に自分の芸術が成り立っている、という事実を見据えないではいられなかった、のでありましょうか。
 誰でもそうだと思いますが、なんといっても心を打つのは実際には31歳で亡くなってしまった母親の姿です。演じているのはまだほんの駆け出しの女優さんらしいが、完全にレイの母親の霊が憑依しているとすら思える。レイ自身も、オーディションでセリフを読む彼女の声を聞いて「これは私の母だ。これは本当のことだ」と言ったといいます。余りにも見事に演じきっております。
 それにしても、まったく若き日のレイ本人が生き返ったとしか思えない熱演ぶりには驚き入ります。これはオスカー貰えるんじゃないですかね。
 

2005年2月04日(金)
ゆうべ、映画版「オペラ座の怪人」を見てきた。いうまでもない、名作ミュージカルの映画化で、アンドリュー・ロイドーウェバー本人の監修があるから、安心して見ていられますという・・・その通りであった。これは劇場版を見たことがある人ほど、面白いに違いない。私はステージを4回見ているし、妻はアメリカで見ている。で、そういう目で見てきて思うのだが、つまり、ステージでは表現できないディテールを映画ならではのサービスとして積み重ねている。「ああ、こういうことだったのか」と実に納得させられるシーンが多い。ステージ版ではどちらかというと抽象的で幻想的なほのめかしが多いのだが、映画版ではかなり明確に因果関係が押さえられる。これは、映画というメディアの特性から言ってこうしないと盛り上がらない、という工夫なんだが、そこが実によく計算されていて、ステージ版の持ち味を損なわない映画化に成功していますな。
 これ、一種の「ストーカー」ものですよね。そこが、現代人に受ける部分だと思う。
 楽曲が素晴らしいのは、元のままなので言うまでもない。現代作品でこれはもう、モーツァルトとかベートーヴェンの仕事に匹敵するだろう(明らかにモーツァルトへのオマージュがありますし。数人が別々に同じフレーズをかけあいで歌うシーンとか、挿入の舞台とか)。長く長く記憶される作品であると思う。なにしろミュージカルでも普通はシングルカット向きのアリアが一曲、テーマ曲が一曲ぐらいしか耳に残らないのが普通。しかしこのオペラ座・・・はどんなちょっとした挿入曲も見事に出来ていて、どこをシングルカットしてもいい感じ(実際、発表当時は何曲かシングル化されていたはず)。改めて完成度の高さに唸りましたな。
 キャスティングもはまり役ぞろいである。クリスティーヌ役、撮影当時17歳だったというから驚くが、7歳でオペラに出ていたというから、役柄同様、天才少女なのである。そのほか、みな、歌もうまい。一発勝負のステージよりよくできているのは、このあたりは当然かもしれないが、どうしても綺麗に流れてしまう劇団四季のステージより、登場人物の感情がもろに表に出るオリジナル版をさらに激しくした感じである。
 したがって、怪人もマイケル・クロフォードが確立した初代ファントムに歌いっぷりは似ているが、この怪人はちょっとルックスがよキぎである。どうしてこれで容貌コンプレックスがあるの、という感じでなにがなし「オペラ座のイケメン」という感じもする。にオてもカッコイイのでもちろんそれはそれでいいのである。
 ラウル役は、「アラモ」でトラヴィス中佐をやっていた役者であるが、今回の方がはまっている。もともとミュージカル出身だそうだから当然か。貴公子だが芯に強さがあるという役柄を完璧に演じていて、立ち回り、ステージではない乗馬シーン、歌唱とも見事にさばいております。
 ネタバレになるので詳細は書かないが、ところどころ、原作で冗漫なところはセリフのやり取りに置き換えるとか、省くとか、やっていますし、最後のエンディングは基本的に原作どおりだけれど、ちょっとだけ替えてあります。このへんも映画版に必要な配慮(ステージだと、おお、と思わせる仕掛けも、映画では観客は驚かなかったりするわけで)だと思って納得できます。
 ステージ版では英語でも日本語でも、ファントムの最初のセリフは「ブラヴィ・ブラビィ・ブラヴィシミ」ですが、今回の映画では「ブラヴァ・・・」と語尾の変化が違うようです。私も(あれ、ちょっと違う?)と気付きましたがイタリア語がわからないので、後で妻の解説にいわく、元のままだと芝居全体を褒めている感じになる、今回の映画の言い方で、クリスティーヌ個人を褒める言い方になっている、というのです。これ、ひょっとしてその後、指摘があったので直したのでしょうか?
 イタリア語で思い出しますが、今回のカルロッタはもろのイタリア女まるだしで、迫力満点です。「プリマドンナ」のシーンではあのぐらいえげつないキャラじゃないと合わないので、正解ですな。
 ということで、たとえば指揮者がスコアを配るとか、楽屋でダンサーが着替えているとか華やかな舞台と裏側のちょっと暗くて隠微な感じを映画はきっちり描いていて、ステージでは出せない奥行きが出ております。ファントムの秘密とか、「それから」も舞台版よりはっきり明かされます。だから、元の芝居を知っている人ほど楽しめる、と思う次第。
 なによりロイド・ウェバーが監修しているのだから、ここで明かされる設定は、もともと裏設定としてあったもの、と考えていいのでありましょう。
 これはもう、絶対に見て損はない。近頃見た中でも出色でした。ミュージック・オブ・ザ・ナイトのシーンの素晴らしさは、言葉もない。ステージ版より濃密で、なんでクリスティーヌが声に魅せられてしまうか、気絶するか、納得できてしまいます。最後のポイント・オブ・ノーリターンもすごい迫力です。
 パンフレットが売り切れていました、舞浜の劇場。人気は事前の予想より高いようです。しかし話題作もだんだん出てきますので、ご覧になるなら早いうちがよろしいかと。

2005年2月03日(木)
今、この時間にどんなキーワードがいちばん検索されているか、という機能が私が入っているプロバイダーであるが、今し方みたら一位が花粉症、二位が確定申告、三位国税庁、四位シャラポワ、と出ていたが、なかなか季節感を反映している。国税庁のページから確定申告の用紙を取り出す人が多いのだろうし、花粉症については一週間の2月10日ごろに大規模飛散が始まると言うし、だ。ちょっと前に、本気で国策として取り組めば花粉症だの杉だのもうちょっとなんとかなるだろうに、と書いたが、どうも少しは取り組んでいるようである。花粉の出にくい杉の開発とか、理化学研究所で花粉症対策の対症療法じゃなくて、身体の規制能力から抜本的に考える研究を始めたとか・・・遅いですけどね。もうはやり始めて10年以上たつでしょうから。
 北朝鮮の船を3月以後に入れない実質的な制裁措置として、船の保険に入っていないものは入港させない、というのをやるそうだが、そんなものどんどんやればいいじゃないか。そもそも北朝鮮の船が座礁しようが公害出そうが、自分らでは後始末しないんだから。
 なにかというと、かつて日本軍がやった蛮行に比べれば・・・という言い方をするあの国であるが、そんな論理のすり替えは聞くに堪えない。たとえばアフリカ諸国が、かつてアメリカ人は黒人奴隷としてたくさん拉致したから、ということで今、アメリカ国民を誘拐して正当化されるか、である。
 もっとも、それでいえば「真珠湾をやったから、原爆で仕返しした」というのもダメなんだろうし、「911テロをやられたから、報復として開戦する」というのも、とくに後者については例のテロとイラクのかかわりが認められない以上、まるきり無効なんではある。
 まあ、なんでも強い物がち、なんではあるが。
 中国が北を併合、という噂も飛び交うが、それについては韓国が黙っていまいしロシアもなんか言うだろうが、しかしやるならさっさとやってしまってくれんか、とも思う。
 尾羽根うちからした暴力団事務所みたいなもんが、いつまでも店開きしているようなもので見苦しいし迷惑である。
 昔の神風時代の日本にしても、危険集団扱いされたのであって、尊敬されたわけでも恐れられたのでもない。まともな相手ではない、と思われた結果が原爆投下だったといえばいえよう。北朝鮮もなんか強がっているのが見苦しいが、いい加減に現実的になってはどうかと思う。

2005年2月02日(水)
私はジャストシステムが松下との訴訟に負けたという話を聞いて、まだ「一太郎」が生産されていることを知ってむしろ驚いた。そういう人も多かったのじゃないか。十年ぐらい前には「今、急成長の企業」ということで、テレビ番組でジャストシステムを紹介していたのを思い出す(そうかあ、もう十年前といっても95年である。あっという間に21世紀も最初の十年の半ばに来ているのだった)。つまりマイクロソフト・ウインドウズが出てきて、ワードが普及して、というのがそろそろ十年である。ビル・ゲイツが大金持ちになってそろそろ十年である。先日、英国のw.w.wを開発した技術者が「ビル・ゲイツのようにならずに技術を公開した」としてもっとも偉大な現代の英国人として表彰されていた。実際のところこの人にしても、ライナックスの開発者にしても、それを独占して儲けようという発想をしなかった。ビル・ゲイツがインド洋地震になん億ドル拠出しようが、所詮、それで一生楽をしようというさもしさから免れない。思うに、あの人は死んでからけちょんけちょんにけなされるだろう。
 にしても、ほんの十年前にはNECの98なんて私も使っていたが、要はワープロの方がずっと便利だったので、ほとんどゲーム専用にしていた。日記をつけていたので一太郎のお世話になった。今、自分の家にパソコンがあってファイバーが通っているなんぞ信じられない。
 そういえば、これもほんの5年程前には、つまり小渕さんが首相だった頃には、当時の若い者がコンピューターにいくらか親しんでいることをかさにきて、職場から年寄りを追い出そうとする動きとか、就職活動にネットを使わなければならないので大変だとか、慶応の先生が自分の生徒が電子メールが使えるのを自慢したとか、なにかと狂騒のていだったが、今は昔、である。こんなもの、使えば誰でも慣れてしまう、ということに気付いたときに急にそんなことは誰も問題にしなくなった。
 今、もんだいだと思っていることなど、四、五年もたてば大したことではなくなる、ということは多い。しかし、なんでもそうだと思っていると、ただ先延ばしにして目をそむけていただけのことも多い。

2005年2月01日(火)
 たとえばこんな具合のメールがたくさん来ます。
「恋人が居なくて寂しい…。Hだけの関係を築きたい…。それとも、相手の犬になって貢いでもらう…。全部一遍にとはいきませんが、この中で求めるものがあるのであれば確実なご紹介をお届けいたします。当システムは男性協力型になっており、運営資金は希望女性からの登録料となっております。つきましては、男性には紹介での料金は発生・負担はございません」だってさ。しかし引きこもり四十年みたいなヤツならこれに引っかかるかもしれないですな。どのみち暴力団がらみの組織がこの手のことを一生懸命にやっているのだろうが、しかし「Hだけの関係」なんぞ築いてそんなに面白いものか。人によっても違うだろうが、ほかの関係もある者を引きずり込むのが快楽なんじゃないのか、ゲームとしての恋愛いうもんは。割り切ったHだけの関係、と言い始めたのは恐らくバブルの終息にあわせた90年代に入ったあたりからだと思うけれど、そんなこと言い出してから日本人は性にも金にも矮小化したわけだな。
 今の我々ぐらい、30,40ぐらいがきわめて矮小で、かえって10代ぐらいの連中の方がしっかりしてそうに見える、というのも訳がある。
 要は、実は我々なども敗戦世代なんである。今の70歳ぐらいの人らは非常に矮小であるが(すみません)、それは教科書に墨を塗った世代である。どこか人間不信で卑屈である。旧制中学で教師にかみついたとか、昨日までの皇国教育はなんだったのか、と言ってつるしあげたとか、そんなことをいつまでも終生の自慢にしていたりする(もし自分がもう5年、10年早く生まれていたらつるし上げられていたのに、そういう発想がない)。
 我々もバブル敗戦世代につき、ちょうど今の70ぐらいの連中が部長とか重役やっていたころに散々、小ばかにしたもんだが、それで終わりである。それでひねくれているだけで、結局、なにも新しいものが出てこない。
 昨日、中尊寺ゆつこさんが亡くなったという一報に接して、驚くと共に、バブルの真っ只中で泳いで、その後の変化にはうまく乗れなかった天才漫画少女の早すぎる死を思った。42歳だった。登場も活躍も早かったが、バブル敗戦に巻き込まれて失速したという意味では明らかに我々ぐらいの世代の代表選手でもある。そういや、鷺沢なんとかも昨年に自死しているが、私は案外に、早くから飛び出してしまった人ほど、後の変化についていけなかったもののように思う。
 オヤジギャル、の生き残りみたいな人らが、今、いちばん苦しんでいるのじゃないかとも思う。負け犬がどうの、と騒いだ連中がそのへんでないか。しかし杉田かおるじゃないが、急激に雰囲気が変わっている感じもある。
 いつまでも同じことを言っていてはいかんのですね。何事も。

2005年1月31日(月)
なんなのかねえ・・・・。といいますのは、昨日の8時ぐらいからかなあ、当サイトが見られなくなっていたと思うのですが、ご覧になろうとした方、申し訳ありません。なにかの障害だったんだと思いますが。サーバーの方の問題でしょうか。そんなわけで、昨日、ここのコーナーを更新しようと思ったのですができませんでした。すみません。
 ああ、それにしても覚悟はしていたが筋肉痛が・・・。私の場合、近頃のスコアはもう150前後というお話にならないもんですが、最初の一打をドライバーでぶっ放す限りにおいては、結構、飛ぶ。実際、一緒に回ったよく練習している人たちよりも、飛距離はあったりするので、なんとか格好がつくもんだからこれでもコースに平然と出ているわけです。後の寄せとかパッティングがめちゃくちゃなんだよね。よくある話、グリーンを挟んでバンカーからバンカーにボールが行ったりきたりしている間に、12打とか(!)。しかし、ゴルフの最大の快楽はやはり最初の一発ガキンで、それだけはまあまあ上手に出来るもんだから、案外に嫌にならない。妙なもんです。が、そんだけガキンがきいているということは、相当に腕に負担があるわけだ。後で後遺症が・・・。ううん、自分としては本当に軽く当てているつもりなんだが。
 私という人間は、不思議になんでもそれなりに要領よくできるところがあるんですが、それがいけないといえばいけない。まあそういう意味では器用なんだろうけど、はじめからある程度できてしまうというと、それ以上努力が足りなかったりする。悔しいから石にかじりついても、ということがない。まあ、こんなもんだろう、と思ってしまいがちである。
 そういう欠点が自分にある、と知っているだけでもいいのかもしれませんが。
 ところで、楽天のチアガールにいろいろな人が採用されたのだけど、下は16歳の高校生で、最年長が44歳の主婦だった、というのには驚きましたですね。ご本人たちもびっくりした、と言っているようですが、つまり年齢は関係なし、ということみたいね。いい人はいい、という。私はそもそも新球団なんぞに興味はないですが、楽天にはいくらか好感を持ったのは確かです。
 そういや、また中学生を連れまわしたヤツが出てきましたが、きっかけは出会い系サイトなんだって、また。どうしてこう、出会いたいのですかねえ? 私にはそういう人寂しさみたいのがあまり理解できないのだが。あ、そこで思いつくことがある。私の場合、せいぜい1,2年で転校を繰り返すジプシー人生だったので、常に強制的に敵地に乗り込まなければならない環境だった。それで、出会いなんてものにロマンも好奇心もないのかもしれない。所詮にんげんなんて似たようなものだ、という感覚の方が強い。どこかに素敵な出会いが、なんて思ったことがないなあ。
 もちろん偶然の出会いから人生が開ける、というのはよくある話です。しかし、そんなことは自分でコントロールできるものではないと思う。
 まして、ケータイのサイトでお手軽にどうこうというもんでもあるまい。ま、あんなものはセフレ(このなんでも略するのをやめて欲しいもんだが。セックスフレンドをどうしてこのような略するかね)探しなんだろうが、おおむね。
 
 

2005年1月29日(土)
うむむむむ。というわけで、今日はゴルフに行って来たが、なにしろこの半年、ただの一回も練習していない。打ちっぱなしにすら行っていないのである。これじゃあいい成績など出るはずもないが、148ならまあ、これほどいい加減なプレイヤーなら妥当だろう。
 というわけで、手の握力がないです。今日はこのへんで失礼します。さすがに疲労しました。

2005年1月28日(金)
なんでも、暴走族の数が減っているのだそうだ。なるほど、である。昨年の暴走数は9万何千人で、前年より4万人も低下しているのだとか。これについては、もちろん警察が努力していることもあるのだけれど、いまどきの若い者が暴走族の厳しい上下関係や、暴力団への上納金義務に耐えられない、ということがあるんだと。要するに、今時の駄目な子供はもう暴走族にもなれない(!)。実のところ、以前から暴走族上がりの人というのは、案外に「卒業」後は非常に真面目になって、立派な会社員とか、中には警察官になるような人もいる、というのはよく知られたところ。社会に対しては迷惑を撒き散らしつつも、内側の人間関係は完全に組織であるから、そこでちゃんと務まった人、特に幹部になったような人は、一般の組織でも責任感や統率力を発揮する素質があるわけだ。
 いまや、いわゆるレールから外れた、という人も、行き場がなくなって族にでも入るか、ということにはならないですむのである。多様な生き方が許される社会、なんてキャッチフレーズを唱える学者先生は多いが、なんでもいいので多様に往きなさい、と言われた場合にお金と家に不自由なく、それで親が寛容なら、一日中引きこもってコンピューター中毒になるのが最も手っ取り早いでしょうがね。そんで、くだらない掲示板でうその名前でうその内容でネタ飛ばしあって欲求不満の解消してりゃいいじゃないかね。
 というわけだから、族なんてもうはやらないのだな。
 例の「振り込め詐欺」会社というのも、なんとなく会社風にしてあって、馬鹿な若者を勧誘してやっていくんだろうけど、あれだって考えようで、あそこで勤まるようなヤツは少なくとも見込みはある若者ですよ、そういってはなんだけど。犯罪行為を実行して成功できるのなら、少なくとも無能な人じゃないわけ。もっともそんな金儲けの仕方を覚えてしまったものは一生、悪事から抜けるのが難しいだろうけど、引きこもりにはなるまい。
 私はいろいろ書きつつ、実際のところ本当ならもし裕福な家庭に生まれて金が定期的に入ってくる身分ならそりゃ引きこもりたいですよ。私は自分がいかに怠惰で、社会生活を憎んでいるか、ということを公言して憚らないのである。よって、現に引きこもっていられる連中が憎くてたまらぬ。なぜなら羨ましい人間たちだからである。
 おためごかしに、偉そうに、そういう者に説教面して言いたいのではない。とにかく羨ましくてならぬ。そして、そういう者どもの後生が筆舌に託せないほど不幸であることを望むのである。
 私は、率直なだけである。いつでもそうだ。奇麗事は好まない。

2005年1月26日(水)
北朝鮮が、「横田めぐみさんの骨」について日本側のデータを「捏造だ、捏造だ」と言っているそうですが。面白い国ですな。自分らの発想を相手にも投影しているわけ。つまりいかに自分らの国が常日頃、捏造をしているかバラしてる感じでしょうな。こういう場合、自分らなら必ず捏造するから、日本もそうに違いない、というわけだろうよ。そこらへん、なんというのか、国の空気というか、一応、民主国家ということになってる国の雰囲気を所詮あちらは分からないようで・・・・。鑑定ミスとか杜撰な鑑定、ならありえるけれど、意識的な捏造など、まず考えられないわけですよ、こういう場合。分かってないよなあ。
 なんか大方の日本人は、もう白けきっているわけよ。あの国にも少しは反体制派が活動しているようだけど、そういう人らも頑張らないと本当にあれよ。国ごと見捨てられちゃうよ、あの地域。
 山県有朋がシュタインの地政学を受けて、朝鮮半島の中立化が絶対に日本の独立には不可欠、と主張したのは、その時点では半島の植民地化、ではなくて中立化が重要、ということだった、というのが最近の学説ですが、そしてそもそもの日清日露戦争までの発想はそういうものだったのに、段々、それが植民地支配となっていっちゃった、というのが日本の近代ということですが、この前段の「朝鮮半島は中立化していないと日本にとってまずい」というのは今日でも真理であって、ロシアはともかく中国というのが控えているから、この地域のもんだいはあまり軽々に言えない訳ですが、とにかく突っ張るなら突っ張るで、もうちょっと真面目に考えてくれないと困るわ。
 ただの暴力団の脅しみたいなスタイルじゃもう、子供でもビビラないわけ、今時は。
 

2005年1月25日(火)
なんでオオサカという町はなんでもかんでもなんでもかんでもいい加減でいい、ということになるのだろうかなあ。駄目な日本の象徴のような町でありますが。
 読売新聞の関西版によれば、「「カンプク」。大阪市職員は支給されるスーツをそう呼ぶ。「官給服」を縮めた言い方。事務職員に限らず、現場作業中心で普段は作業着姿の職員にも「市民接遇服」の名で渡される。「自分は作業着で十分」と、息子や娘のサイズを記入、仕立て上がると“プレゼント”するケースもあるという。市によると、スーツについては二十数年前にも国税当局から「課税対象では」と指摘されたが、胸に「Osaka City」の縫い取りを施して「制服」らしさを前面に出すことで、折り合いを付けた。ところが、市は縫い取りを胸ポケットのかぶせ布に刺しゅうする“裏技”を編み出した。布を折り込んでしまえば、普通のスーツ。大阪国税局が、この“細工”に気付いたのは、昨年来の「厚遇」報道でスーツ支給を取り上げた新聞記事を見てからだったといい、同国税局職員の一人は「市はほかに知恵の使い道があると思うが……」と苦笑していた」だって。私の感じだが、そしてオオサカの人は気を悪くするだろうが、なにかと関東の人間をば「冷たい」「気取っている」と彼の地の人は言いたがる。で、自分らは暖かくて思いやりがあるのだと仰る。それ、要するに甘いのではないか。自分にも他人にも。私の知る限りではなにか、そういう雰囲気が充満している町である。やたらに他人との距離が近い。それがいい、ということを言った時期もあるが、今となってはただのアマちゃんではないかね。
 大阪発のお笑いがいい、なんてことを言われておだてられていい気になっていてはいけない。そもそも芸能人の人気調査でも分かるが、セロンなんてものは存在しないのである。ただ、他人の意見の受け売りをする人が多いだけの国である。本当の自分の考え方などありはしない。なんとなく、みんなの意見にあわせたような回答にまるをつける。
 私はお笑いなどにちっとも興味がないので、もちろん大阪発の笑いなどにも興味がない。
 今元気がいいのは中京圏だが、ここの人らはへらへら笑ったりしない。排他的である。しかし腹の底ではさぐり合いが厳しい。彼らが信用するのは実は赤みそを食する人だけである。
 私のDNAも基本的に赤みそ文化圏なので、なんとなく分かるのである。
 そして、大阪というのは私にとってとにかくよく分からない町である。もっともだらだらぶりでは、東京の渋谷も嫌いだが。
 みんなでだらだらと、適当にやっていける時代ではない。こういう気分が無くならない限り、オオサカという町は永遠に浮揚できないであろう。
 ひたすらおおらかに、というのなら、そういう人はむしろ沖縄以南に移住すべきである。経済都市だの商都だのいう看板は下ろすしかあるまい?


2005年1月24日(月)
私が使っているプロバイダー会社のサービスで、日々の占いと心理テスト、というメルマガがある。毎日毎日、なにを参考にしているにせよ、違うものを掲載してくるこの努力はすごいなあ、と内心でかなり評価が高い。担当者は相当に大変じゃないだろうか。
 で、今日とどいたのにこんなのがあった。

●あなたが一番最近見た夢、もしくは印象に残っている夢を次の4つの中から選んでください。【A】船でどこかへ出かける夢【B】高い山に登る夢 【C】空を飛んでいる夢 【D】乗り物に乗っている夢

 さて、いかがであろうか、皆さんは。私はAであるので、「【A】船でどこかへ出かける夢:あなたが長い間計画していたり、実行しようと思っている事柄が急展開することを意味しています。特に金銭面でのトラブルや、仲のよい人との意見の食い違いなどに注意しましょう。ひとつ壁をクリアすれば、夢への実現へ一歩近づきます。」だそうである。
 正月の三日目か四日目に、自分が艦長になって大きな軍艦らしきものを操っている、という夢をはっきり見た。自分としてもかなり珍しい夢だったので印象に残って、妻にも話した覚えがあるから間違いない。今年の事実上の初夢だったと思う。鼠色の船体に、大きな三連装の砲塔。私は艦橋から、その前甲板を見下ろしつつ、とりかじ、よーそろ、などと命令していた。自分の袖に入っている四本の金線までリアルに記憶している(と、ここまで書いてこれはいかにもマニアが見る夢である。知らないものをこうも具体的に見ることはないだろう)。なんにしても、なにか私の長年の理想が実現に向かうのであろうか? それはすごいかもしれないぞ・・・・・。なんだか知りませんけど(笑)。もちろん理想も夢も志もあるにんげんだが、ここに書くほど迂闊ではありませんので、はい。
 ちなみに上の答えだが、Bだと少しの障害もへこたれず乗り越える暗示、Cは現実逃避、Dは性的欲求が溜まっている、のだとか。いかがだろうか。


2005年1月23日(日)
なんてんですかね。偽札が流行してますけど、あれで対策費など見込むと日本の経済にマイナス1兆円以上の減速効果があるかも、なんて試算を第一生命が出してたりしまして、まさかそんな大げさな、と思うんでしょうが、各企業がこぞって識別機など導入するとそうなるというんです。ついでに、日本円の信任も低下してインフレを招くかも、だって。しかし後段は、たしか我が国はいつまでもデフレのままのはず。まあなんでも騒ぐのが仕事の人がいるわけでご苦労さんな訳ですが・・・しかしあれですよね。私なんぞも決してやってませんが、スキャナー付きのプリンターなど家にあると、ふと出来心でお札をコンピューターに取り込んで、なんて、考えたらできてしまうわけだ。私みたいにぜんぜん、技術のない者でもかなりいいものが作れてしまう状況そのものが問題でありましょう。
 どこかの国ではまもなく、お札にICチップを埋め込むと言いますでしょ。もう紙のお札というのも歴史的におしまいにきているのかもしれませんね。
 ぜんぜん関係ないですが、どうして今時のにんげんは、なにかと寂しがるのだろうか。そして、なにかと自信がないのだろうか。もちろん人生、不安だらけな訳です、誰しも。しかしながらどうしてこうも「自信がない」というのが口癖の国民性なんだろうか。
 なんかこう、私はいらいらするわけですが。
 紙幣の前に日本人の信認が低下していると思うんですけどね。

2005年1月22日(土)
NHKと朝日新聞の対決、というのが続いているようですが、まあ他社としては、どちらにもお世話になっている場合もあるし、一部の週刊誌は知りませんが、静観、静観。実のところ、かなり強引な取材をしたというのは本当だろうけれど、権力に近い系のテレビ局のキャンペーンなど鵜呑みにするのも利巧とはいえない。そのへん、反権力キャンペーンという常套手法がかえって裏目に出る朝日さんに「人徳がない」というところか。
 マスコミにいますと、たとえばこういう個人的な日記であっても、会社の社論というものとまあ、90度ぐらいの相違のあることは書くけれど、180度はやはり書かない。書けない、ということでなくて、そこのメンバーである以上、責任上からも相違があっていいのは90度ぐらいまでかな、という自己規制は実際問題として働きますね。
 にしましても、です。例の番組がかなり偏っていたことは間違いないと思うのですが、それについて、内容がどうあれ、代議士が事前であろうが事後であろうが、あれこれ意見をつけたというのは、なにがどうであってもよろしくはないですな。偏っているかどうか判断するのは視聴者でしょうな。
 もちろん代議士も一視聴者として文句を言っていいと思うが、それは幹部にいきなり言いつけるのじゃなく、通常の一視聴者と同じ手順で文句をつければいいでしょう。あるいは公開で質問してもよい。少なくともこそこそ偉い人に会って密談するようなことじゃない。
 一面トップにしたほうも、もうちょっと議論になるように裏を取っておくべきだったろうとは思うわね、実際。
 まあ、なんでも他人事だから言えることなんで、こんなところにしておきますが。
 さてところで全然違うお話ですが、今日、市内の観賞魚店でミッキーマウスなんとか、というミッキーマウスのような形の斑点がしっぽにある魚を3匹買って、ミッキー、ミニー、プルート、とまんまの命名をしました。その後、近所のハンバーガーショップに行ったのだが、明らかに老人性の障害が出ているバアサン一人やってきて、店のスタッフにからむことからむこと。わけの分からないこと言って「あたしゃこのへん25年いるんだからね。分かってるのか」とか、なにかと横柄な態度でまくしたてた後、「じゃあまた来るから」とか言って出て行ってしまった。
 こう言ってはいけないのだが、あんなものにまで年金を出して養っているのか、と考えると腹立たしくなってくる。その人にはその人の事情があり人生があるのだろう。が、おそらく話し相手もおらず誰にも相手にされず、欲求不満をハンバーガーショップの若い者にぶちまけているような、つまりは惚けてなお卑怯でズルイ人間性(要は、そんなになっても弱そうな相手を選ぶという姑息さ)が腸が煮えくり返るほど醜く、「こんな者がいるから日本は駄目なんだ」と私は不快で不快でたまらなかった。「なんで警察でもなんでも呼ばないんだ、あんなのは営業妨害でしょう」と言ってやろうかと思ったが、どうせ店のものも意気地なしだからあんな馬鹿につけあがられるのだ。
 死んで喜ばれるようなにんげんにはなりたくないものだが・・・。

2005年1月20日(木)
このところ、自分の入っているプロバイダーのメール管理システムが重いなあ、と思っていたんだが、要するにエロサイトの勧誘メールが押し寄せていやがるのね。どういうもんなのだろうかなあ。エロサイトの勧誘などきたって、そんなものでは見ないよなあ。見たければぜひ見るものだろうけど、そんなあやしげなメールが来たからといって開くものでもあるまい。が、ついつい開くとまた、あやしげな業者から課金されるんでしょう? くだらない。しかしそれ以前に、こういうばかげた勧誘メールをなんとかなくせないものか。もっとシステム的に。
 そういえば群馬県あたりのゴルフ場で、財布からクレジットカード盗んで、という犯行も話題になっております。あれも、そもそも銀行がもっと簡単に盗めないシステムを作るべきなんじゃないか、こういう場合、銀行は補償しなさいよ、ということがにわかに出てきているが、同感ですな。こっちももっとシステム的になんとかできないのか。
 もっとも、ゴルフ場にカードなど持って行かないことですな。プレイフィーに食事代でまあ3,4万円、現金が有ればいいのじゃないか。このぐらいなら万一、すられてもおしくないだろう(もちろん高額ではあるが、ゴルフ場に来る人にとっては覚悟している範囲の金額じゃないかと思う。そもそもぼろぼろの貧乏人が来るところではないから)。それも、財布は面倒くさがらず持ち歩くべきである。財布をポケットに入れているとプレーの妨げになる、といっても、そのぐらいで乱れるフォームならはじめから大したこともあるまい。
 そういえば、来週あたりゴルフの約束をしていたなあ・・・。それも群馬県! まずいじゃないの。現金はパンツの中にでも入れておくか。
 1万5000円という、本当にそんなんで大丈夫か、な値段のドライバーをついに購入。しかしいまだに試し打ちにも行かず。
 またスコアは150とかだろうがなあ・・・・・・。

2005年1月19日(水)
今年の花粉は多い上に早い、などと報じられているが、私も近年は、まだ発症というほど明確ではないけれど、軽度の目が痒いとか、くしゃみが出るとかいうのはあるので、ぞっとしております。というか、これだけ科学技術が進んだのなんのといって、杉の花粉ぐらいなんとかならんのですかねえ。本気で取り組めば手はあるんじゃないかと思うんですが。
 ところで、私の知っているうちの会社の部長さんで、54歳で前立腺がんだかで亡くなりましたが、なにしろ根性のある人で、1月5日の会社の賀詞交換会には出ていたというから・・・。その1週間後には亡くなっていたとのことでありますが。はっきり言って、先のことも考えていた、つまり上を目指していた人だと思うので、かわいそうではあります。無念だったでしょうなあ。
 当節は、男の持ち物についても管理はしっかりしないといけません。世の中に満ち満ちているロリコン男の多くはやはり持ち物に劣等感を持っているものが多いといいますが、例の奈良県の元新聞配達員はいかがであったか。まあおそらく情けないヤツでしょう。
 ところで、その犯人、ビデオや漫画のようにいたずらしたかったとのこと。でもホンモノは暴れて抵抗したので殺したんだと。
 これだからこの手のヤツラは・・・。ああいう漫画なんかだと、被害者の子供がすぐにその気になって喜ぶとか、馬鹿げた描写が多いわけです。ホンモノは抵抗するに決まっているのだが、分からないらしい。
 そういや、女性で同性愛男性の漫画を好む人も多いわけですが(ジュネとやおいとかいうもんですか)、「やおい穴」なる、要するに男性にも女性器を描いてしまうそうな。つまりそういうものとして男性を理解している。幼稚なんですかな。大人でちゃんとホンモノについては理解している人でも、ファンタジーの一種ということなんだろうがその幻の「穴」を漫画に描いてしまうのだそうである。
 なんでもいいが、今時の、日本人の不健全さと幼稚さはどこまで進むのでしょうか。

2005年1月18日(火)
 読売新聞によれば「一斉帰島を2月に控えた東京都三宅村(伊豆諸島・三宅島)で、職員の退職が相次ぎ、村が職員確保に頭を痛めている。退職者には、避難中の新規採用者20人のうち10人も含まれており、いずれも島外の出身者。離職理由として「島で暮らす自信がない」などを挙げたという。2000年9月の全島避難時には、村の職員数は136人だったが、現在は113人。避難後の約4年5か月の間に、自主退職の35人と定年退職(勧奨退職を含む)の8人の計43人が役場を去った」とのことだが、避難中の採用者というのは島の保全施設で専門的な仕事をしていた看護士などのようで、まあある程度いたしかたないであろう。けれど、あれですねえ、4年半は長い。9・11テロのさらに1年前のことである。私のように、ほんの2,3年で次々に移り住むような少年時代をすごした者にはちょっと理解しにくい部分でもある。というのも、私のような人種は2,3年たったら、前に住んでいた土地などまるで忘れてしまうので。しかし、このようなまったくの根無し草のようなにんげんはむしろ珍しいのだろうか。「ふるさと」というような感覚が生まれてこの方、全くないのである。そんなだから、かくも執念を燃やしてふるさとの復興にかける人々にある種の羨望というか、自分に欠落している要素を認めて、偉いなあ、と思ってきたのだが、しかしまた「ふるさとは復興すべきである」「出身者は石にかじりついても帰島するべきである」というような雰囲気は、我々一般のものも、当該の人々も決して醸成するべきではない、とも思うのである。
 ところで災害といえば阪神震災から10年ということであれこれ言っている。たまたま国内外で地震が相次いだために、これまでになく関心も高い。私なども、今日も室内の高いところにあったものをみな下に降ろした。すでに、新潟地震後に模様替えを行っていたが、さらに室内の重心を下に下げたのである。
 が、なにをどうしたところで、たとえば電車に乗っているときとか、高速を車で走っているときに遭遇したら、もうどうにもならない。諦めるしかない。
 このように「いずれ死ぬかもしれない」という覚悟は、しかし今の日本人はもう少し日ごろから持った方がいいのかもしれない。なさすぎるのだ。べつに大地震が来なくたって、本当は確率的には、どんな人も急に落命する可能性は生きている限り常にある。
 そういうイメージがあるなら、たとえば引きこもりなどしていられないはずである。時間が惜しいから。
 人生は長くて退屈、という印象を持ちすぎである。今の日本の社会は。それで若い者が腐るのである。その主要な理由ははっきり言って現在の老人層がかなりいけない。つまらなそうにいたずらに長生きしているからである。さもなければ、元気であるのはいいのだが、今度はいつまでも現状の地位に固執して若いものの頭を抑えるようなことをする。
 死ぬまで生産的、というのが理想であるが、それは誰にも出来ることでは在るまい。ただ、少なくとも漫然と、暇をもてあましているような者は結局、若い者を含めて国全体のムードを沈滞させる。現役である、ということは地位を守ることではない。二等兵に戻って若い者と張り合って欲しいのだが、それはやはり一部の天才にしか出来ないことか。
 

2005年1月17日(月)
今日で事実上、歯の治療が終わったんだが、最後の最後まで丁寧に調整してブリッジ義歯を入れてもらった。というか、前はとにかくプラモデルでももうちょっと緻密に調整して部品つけるぞお前、みたいな乱雑な歯医者だったので、これが当然なのかもしれないのだが非常に丁寧に思えるのである。
 後で手鏡で歯を見たのだが、どうも髭の剃り残しのほうが気になってならない。
 歯間ブラシ、というものを買ったのだが、これはブリッジなどを着けている人には必需品のようである。しかし200円とか、そんな値段であることは知らなかった。
 歯石がありますねえ、と言われた。歯の裏側にあるのだという。確かに自分は、正面はわりと磨くんだが裏側が面倒くさい。そのへん、すぐにばれてしまうのな。
 まるっきり関係ない話に移るが、どうも私は小説めいたものを書くとするなら一人称でないと筆が進まない。といって、私小説も嫌いである。三人称の場合、たとえば「このとき、よしふみは○○と思った」なんて書いてから、で、この○○と思った、と断言しているこいつは誰なんだよ、と思ってしまう。そこに意思を感じてしまっていけない。つまりこの言明の保証を誰がしているのか、が気になってしまうのである。
 神なのか。神ならとても私は書けない。
 カメラの視点になることは分からないではない。しかしカメラは見ているだけである。言葉で説明するとき、その言葉を発している者を意識してしまって、小説というものが苦手であったりするのである。
 それだけ、私は人間が「○○である」と描写するとき、その言葉をちっとも信頼できないにんげんなのであると、いうことだと思う。
 そこらへん、気にならないものなのだろうか。私はとにかくそこが定まらないと読めないし書けないのである。漠然と書ける作家というものを私は信頼しない。
 ちっと小難しく考えすぎか。仕方あるまい。私はそのようなにんげんであるから。

2005年1月16日(日)
近頃、けっこう締め切りの迫っている書き物に追われていたりするが、BGMに聞いているのがなんと、今頃になってディープ・パープルのマシンヘッド・アルバムと、エイジアのデビュー・アルバムである。ことにマシンヘッドは、なんだかんだ言ってハイウェイ・スターとスモーク・オン・ザ・ウオーター、レイジー、ネヴァー・ビフォアなどの有名曲に気を取られて、案外にちゃんと通して聞いていない自分を再発見。「メイビー・アイム・ア・レオ」とか「ピクチャー・ホーム」のようなややマイナー曲の魅力に聴き入っていたりする。そういえば、スティーブ・モーズを据えて来日したときのDPは、ピクチャー・ホームを演奏していたっけな。伝統の継承と再発掘、という意思表示だったのだと思うが、またあるいはモーズのフェイバリット曲なのかもしれない。
 とにかく、この時代に作られた曲のリフワークは、決して後の時代では真似できないのである。はっきり言って単純で格好いい、というものは早いもの勝ちやったもの勝ちで、後進のバンドほど「昔の○○に似ている」という話になるから大変である。
 もっとも芸術活動などなんでもそうで、ほとぼりがさめてから再発掘する、というのがクレバーなやり方である。アメリカのチャートの先祖返り傾向というのもそのへん、昔のアイデアのほとぼりが冷めつつあるのだろ、と思われる。
 そういえば日本のR&Bブームというのも、九〇年ごろのアメリカのヒット曲の雰囲気を十年後にほとぼりが冷めた頃、宇多田某が直輸入して成功した、というわけだった。
 ところで、今は自分の趣味で書いているまた変態めいた小説なんかの他に、某詩誌から「現代詩の読み方」について書いてくれ、なんて言ってきたので、無理矢理でっちあげた。とにかくみんなが期待するような教科書的なことは一行も書かないように注意したので(?)またひんしゅくを買うこと請け合いである。というかまたも無視されるであろう。
 誠実で穏やかで、無害な人が多い世界である。詩壇というのは。
 今度の一文がロラン・バルトの緩やかな援用であることを理解してくれる人もいるだろうが、理解しない人は理解しないだろう・・・。
 あ、ひとりごとですから。今にこのサイトにも掲載しますので。

2005年1月15日(土)
NHKがいつも1月に発表していた「タレント好感度調査」を廃止したことが分かったそうである。今回の一連のNHKがらみの騒動は関係なくて、今年の今頃に発表するはずだった2004年度分の調査をそもそも行っていない、つまり初めから廃止の予定だった、と説明しているそうである。が、実際にはやはり急にやめることにしたんじゃないのかあ? 真相は分からないけれど、このところのあれこれ見ていれば、実際のところあの調査にしても、タレント事務所とか、あるいは一部で漏れ聞くけれど、結構、芸能人の場合、入信している宗教団体の圧力とか、そういうものも憶測されて、公平な調査だったのかあやしいとついつい思われるのは否めない。要するにほかのあらゆる団体と同様、NHKもごくフツーに腐敗していて思い切り汚職体質の組織である、とわかってきたのだから、あんな調査もNHKだから権威があるとか、信頼できるとかは言えなくなってきたのである。
 ちなみに昨年度の調査(2003年度)はこうだった。【NHKタレント好感度・女性タレント】1 久本 雅美 2 松嶋 菜々子 3 黒木 瞳 4 矢田 亜希子 5 和田 アキ子 6 吉永 小百合 7 上沼 恵美子 8 磯野 貴理子 9 竹下 景子 10 山田 花子
 毎年どうして同じようなタレントの名前が挙がるのか、どう考えてもそんなに人気があるとも支持されているとも思えないような人物が常連になっていることが多く、日本人というのはかくも惰性で同じことばかり応える愚民なのか、と思うことが多かった。
 たとえば、民間のCM総合研究所のタレント好感度調査では【女性部門】1位 松浦亜弥 (江崎グリコ/プリッツ)2位 松嶋菜々子(キリンビバレッジ/生茶)3位 上戸彩(大塚製薬/オロナミンC)4位 矢田亜希子(日本コカ・コーラ/ジョージア)5位 佐藤江梨子(日本コカ・コーラ/ジョージア) となっていて、なんとなくこっちのほうが実態に近くNHKのものはむしろ紅白歌合戦の人選よろしく、老若男女のバランスを取ってみました、という不自然さを感じる。いかがだろうか。
 決めつけることはしないが、どうせ情報操作が働いていたのだろう。ほぼ間違いないと言っていいわな。別にNHKを問題にしているのではなく、どんな報道機関のどんな調査も、意図的にしろ無意識的にしろまとめる側の意思が入ることは間違いない。
 そして、前の視聴率の問題でもそうだったが、NHKの好感度調査はタレントのギャラやCMの出演料にはねかえってきたから、そこになにも介入がなかったとはとても思えないのである。今回の、N議員とかA議員の、NHKの番組に対する政治介入なんて話もある。
 視聴者は、なんとなく民放の調査や報道には多少、眉唾で身構えるのだが、これまではNHKだと、少なくとも公正だろうというイメージを持ってきたが、これもまたまたまたまた幻想だった、ということである。公務員優秀幻想、日本人優秀幻想、関西には地震がない幻想、銀行は潰れない幻想、アメリカは正義の国幻想・・・・などなど、さまざまな幻想がここ十年ぐらいで醒めてきたんだが、NHKmようやく「普通の組織」になったのだとしたら、むしろよいことである。
 人間の組織など、どこも似たり寄ったりである。自分の会社が特別に優秀だとか、特別に腐敗しているとか思うことはおおむね根拠がないのである。
 自分が堕落してだらしない人間だと自覚する人は、ずべての日本人が同じようなものだと知るがいいのである、だからほかの人に任せておいてもろくなことにはならないのである。
 日本の政治は駄目だ、とつきはなすとき、それは自分が駄目だ、というのと同義であることは、間違いないのであると思う。

2005年1月14日(金)
東京ドームでやっている「イタリア・フェスティバル」というのに行っ