”辻元よしふみの世界”からあなたは帰れなくなるかもしれません。


不定期日記 2007年

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2007年12月31日(月)
 というわけでして、ついに大晦日を迎えました・・・まあ、今現在はまだ丸一日前ですが。にしても31日ですので、ついに2007年も終わりでございます。
 私は会社で年を越すことになりそうであります。
 妻が30,31日と久しぶりにコミケに行っております。ここ数年、行っていなかったので新鮮だとか申しております。
 さて、2007年を振り返りますと、個人的にはなかなか、実のある1年になったのではないか、と。出版計画も進捗しましたし、連載もこなしましたし。少し新たな展開、ということもありました。まあ、「なにもなく、あっという間に終わってしまった」といった機械的な1年ではなかったように思います。
 来年以後、さらにいろいろとやってみたい、と思っている次第です。
 ということで、本年はこのあたりで。どうか皆様よいお年をお迎え下さい。
 


2007年12月28日(金)
ウィル・スミスの新作「アイ・アム・レジェンド」を見てきましたが・・・私は結構、どんな映画で、どういう背景があって、というのを下調べしないと映画館に足を運ばないのですが、今回はなんとなく、ウィル・スミスの年末映画なら娯楽作品なのかな、というようないい加減な余談で見てしまいました。以前、「オペラ座の怪人」をミュージカル映画と知らずに見て「音楽ばかりで詰まらない」などと書いている人を批判しましたが、もう言えませんです。
 まあつまり、娯楽作品であることは確かですが、非常にシリアスなSF映画でありましてまた、ホラー映画、といってもいい面もあります。ついでにいえば、後で知りましたが原作は1950年代の小説で、その後、2回、映画化され、そのうち最初は「地球最後の男」、次のリメイクの一本はチャールトン・ヘストン主演の「オメガマン」という映画、と聞いて納得しました。「オメガマン」はそういえば見たことがありました。はっきりいって陰気くさい映画だな、と思いましたが、そうか、そうなのか、と後で調べて知った次第。すなわち古典作品の三度目のリメイク。もちろんだから、現代的な味付けはあっても、大筋は変更できるわけがなく、やはり陰気な映画、とは言えると思います。
 ということで、まあたとえばメン・イン・ブラックみたいなものを期待して見てしまうといけなかったんですね、これは。
 これは近未来ものでして、がんの特効薬が見つかった、というテレビニュースから始まるのですが、まあ詳しいことはよく分からないのだが、本来、攻撃的なウイルスの遺伝子を変化させてどうのこうの・・・まあ、そのへんはよく分かりません。とにかくそれでバラ色の未来、のはずだったのだが、わずか3年後にはウイルスが暴走して人類はほぼ滅亡。ごくまれにウイルスに免疫のある人がいて、そんな生き残りが・・・おそらくはウィル・スミスただ一人なのだろう、という展開であります。
 ウィルの役所は、ウイルス対策の責任者だった軍医中佐で、強靱な肉体と高い知性を合わせ持つ、一種のスーパーマン。それと、飼い犬のサム。この一人と一匹が、廃墟となりつつある無人のNYの自宅に立てこもり、悪化する環境、襲い来る野生動物と戦いながら、ウイルスを撃退するべく研究に励んでいる・・・しかし徐々に絶望しつつある。そんな日常風景を延々と描くのですが・・・かなりきついです、ずっと見ていると。
 そして後半、この世界の種明かしが進んでくるといろいろとこう・・・残酷なシーンや恐怖シーンも出てきまして、まあそのあたりはネタばれもいいところなので書きません。
 とにかく1時間50分ほどと短いのですが、えらく長く感じました。
 最後はまあ、ハッピーエンドといえなくはないですがしかし、というところです。
 911以後のアメリカあるいはNYの描き方、という面もあるし、いささか独善的な人間の傲慢と、スピリチュアルな視点の交錯も見られます。そういう点では現代的です。
 見るべき点も多いです。廃墟のNYの描写は確かに圧倒されます。
 しかしまあ・・・やはりホラー系が嫌いな人は見ない方が、とだけは申し上げておきますはい。基本的には後半に行くほど、そういう色が強い一本でしょう。
 監督はあの「コンスタンチン」の人と聞いて納得しました。確かに、テイストが似ています。

2007年12月23日(日)
 天皇誕生日である。ついでにいえばうちの母親の誕生日でもある。なんでも陛下が近頃の報道、というのはおそらく女性月刊誌などのいい加減な報道のことなのだろうが、そしてその内容というのは専ら皇太子ご一家との不仲、といったものだが、異例の不快感を示されたとのことである。
 まあいい加減な憶測で書かれた記事が多すぎて、ほとんど芸能人相手のゴシップ記事のような内容ばかりなのをさすがに怒っておられるのだと思う。
 いや、本当に個人的な意見を述べることはまずないはずの方が、こういうことを仰るのは珍しいことである。
 ◆  ◆  ◆
 昨日辺りからこんな話が出回っている。つまり、「講談社の漫画雑誌「週刊少年マガジン増刊 マガジンドラゴン」(1月11日増刊号)に掲載した漫画作品に盗用があったとして、同誌編集部はおわびを21日付でホームページに掲載した。問題となったのは、豪村中(たけむら・あたる)さんの雑誌デビュー作品「メガバカ」。同誌編集部が、読者から複数の漫画作品の盗用をしていると指摘を受け、調べたところ、豪村さん本人が認めたという。インターネット上では、人気漫画「デスノート」などとの類似が指摘されていた」(読売)とうのだが、しかし審査した人たちは気が付かなかったのだろうか。
 模倣から勉強するのは当たり前で、コミケなどいってみれば模倣、パロディー黙認の世界である。それはプロの作家や出版社から見ても、ある程度の模倣は新人育成に必要と理解しているからである。が、コミケの作品ならそれでいいが、商業誌に載るとなると話は別問題で、この作者は自分の作品がここまで勝ち残ることを想定していなかったのかもしれない。
 ◆  ◆  ◆
 福田首相が「政治決断」とやらを遅まきながらするとかしないとか、聞こえてきた。
 まあ詳しいことを知らないが、たとえば小泉首相の政権があれだけ人気を得たのも、そのきっかけは思い起こせばハンセン病救済の政治決断だった。あれと、その後の北朝鮮問題であの政権は求心力を上げて、その後の郵政選挙につながったわけだ。
 福田政権がいつまで続くのか知らないが、このぐらいは何とかしてはどうかとは思う。




2007年12月20日(木)
自民党も今の政権も評価しないが、石波防衛大臣の言うことは面白い、という人も多いのではないだろうか。筋の通ったことを言う人だからである。
 例のUFO問題について。
「−−UFO論議が注目を浴びているが、ご所見を 「存在しないと断定できる根拠がない。個人的に信じる、信じないの問題はあるのだろうが、そういうような未確認飛行物体、それを操る生命体が存在しないと断定しうる根拠はない。防衛省としてというよりも、私個人の話だが、存在しないと断定し得ない以上、いるかもしれない。少なくともないと断定するだけの根拠を私は持っていない。そういうものはあり得るだろうということだと私は思う」とコメントしたという。きわめて正しい考え方だ。
 これはたとえば、霊界、あの世の存在とか、目に見えないものへの考え方全般にもいえることだ。
 そういうものはない、と断定すべき根拠がないものについては、ないと断定することは非科学的なのだ、ということだ。
 UFOなどくだらない、幽霊など馬鹿げている、と断定的に言い放つ人間というのは、なんの根拠もなくそういうものがある、あると言っている子どもと同じく、非科学的だということである。それはそうだろう、「ない」と決め付けるだけの理由もないはずで、ただ直観で言っているだけなのだから。
 たとえば死後の世界は、実際には死んで見ないとあるかないか分からず、決して根拠がない以上、ないと断定することは馬鹿げているわけである。
 死んでしまえば逃げ切れる、と思って自暴自棄な乱射事件などする馬鹿がいつでも出てくるが、死ねば逃げ切れるのかどうか、実はわからない。まさに死後、永遠の地獄に落ちる事態もあるかもしれず、被害者からまた永遠に責めさいなまれるのかも知れず、ということである。


2007年12月06日(木)
 映画「ベオウルフ」を見て参りました。あのロバート・ゼメキスの新作であります。
ベオウルフというのは英文学最古の叙情詩でありまして、英語圏の学校ではちょうど日本の古文の時間で古事記とか万葉集を習うように暗唱させられたりするものだそうです。なにしろ7世紀だか8世紀だかの英語ですので、日本で言えば古墳時代ぐらいの言葉なので現代人には当然なじみはなく、はっきりいって肝心の英米の人らには「有名だけど人気がない」教材の筆頭らしい。
要するにベオウルフという名の英雄が化け物退治するというヒロイックファンタジーでして、というか、余に数多あるこの手のお話の原型なのだそうです。wikiの解説によりますれば「『ベオウルフ』(英語:Beowulf、古英語:Bēowulfベーオウルフ)は・・・英雄ベオウルフ(ベーオウルフ)の冒険を語る叙事詩である。約3,000行と古英語文献のなかで最も長大な部類に属することから、言語学上も貴重な文献である。デネ(デンマーク)を舞台とし、主人公である勇士ベオウルフが夜な夜なヘオロットの城を襲う巨人グレンデルや炎を吐く竜を退治するという英雄譚であり、現在伝わっているゲルマン諸語の叙事詩の中では最古の部類に属する」ということ。そして、あのロード・オブ・ザ・リングというのも作者トールキンによれば、このベオウルフ(人間の英雄の時代)以前の時代の物語、というつもりで書いたものだそうです。
しかしロバート・ゼメキスがその退屈で有名な叙事詩をそのままひねりもなく映画化するはずもなく、陰鬱なグレンデルの母親である「魔女の呪い」が、歴代のデンマーク国王にたたり続けているのでありますが・・・そのへんは見てのお楽しみ。ともかく、原話はなにしろ古すぎる上にかなり状態の悪い写本が残っているだけなので、けっこう大事なところが欠落していたりして、そこが逆に現代のフィルムメーカーたちからすると付け入る隙がある、ということらしい。ともかくその魔女というのがアンジェリーナ・ジョリーなので、原作よりもぐっと重要な役回りなのはご想像がつくか、と。
この手のお話、なにしろ生き残って手柄話をするのは常に英雄本人ですので、それは常に100%信用できるのだろうか、という近代的解釈によるひねり方が絶妙です。
それはそうと、とにかくすごい映像なのですが、ロード・オブ・ザ・リングこのかた、どんな奇想天外な映像も驚かなくなった我々・・・。ところが、今回はまたまた一次元上の映像革命でして、なにしろ役者は衣装も着けずメークもせず、ひたすらブルースクリーンの上で演技に専念、そしてコンピューターに取り込んだ映像では、役者を巨大化するのも縮めるのも、老人にするのも子どもにするのも自在、という最新システムを使っております。つまり役者はあくまで声と動作、表情の「演技」そのものを素材として提供するというわけです。一例挙げれば、アンソニー・ホプキンズがデンマーク王の役ですが、実際よりもずっと太っていて老けて登場します。本人はまったくそんな衣装を身につけず、メークもしていないのだそうです。途中でカットがないので、撮影時間は革命的に短く、ほんの数週間、アンジェリーナ・ジョリーなどはわずか2日で撮影終了したとか。
が、その素材を使った処理になんと2年をかけているというのも驚きです。
一から何もかもをCGで作るのとも違い、奇妙な生々しさととんでもない映像が共に実現できる、ということだそうです。確かにところどころ、ものすごくリアルな絵本を見ているような気がするところがあります。これからの映画の一つの方向性を示しているのだろうと思います。
◆   ◆   ◆
ところで先日、ある懸賞に応募したところ珍しく当選しまして、浦安・舞浜にあるエクセル航空のヘリコプター遊覧ツアーというのを体験しました。
あまりにも近所なために、かえってヘリツアーなんてやる気がしませんでした。まあ、たとえば鎌倉で生まれ育った人がわざわざ大仏見物に行くか、という感じです。それにまあ、最近はけっこうお手ごろ価格になりましたが、それでも相応なお値段はします。
が、無料で、といわれればそれはもうぜひ、ということで、夕方6時45分に空港に集合・・・ここ、毎週のように来ている舞浜の温泉施設ユーラシアのすぐ横、今までここが空港とは知りませんでした実は。で、7時に離陸・・・いやあ、それまでけっこう、ものものしくレクチャーとか持ち物検査とかあって、最近はなかなか大変ですね。それで離陸するというとぐぐっと高度が上がり、たちまち東京駅をすぎ、六本木をすぎ、ものの10分で中野まで・・・さすがに早い。電車で行けば小一時間ですから。
われわれ夫婦は例によって「スツーカや99艦爆の巡航速度もこんなものだろう(250`ぐらいは出ているようです)」とか「このぐらいの高度(遊覧は800メートルだそうです)から地上の小さな目標を襲撃するというのは難しいのだろうな」とか終始、そんなことばかり言っておりました。
で、埼玉県境のほうまで出てぐるりと千葉県まで戻り、その間わずかに20分ほどで無地に着陸。
いやあ、自家用ヘリ持っている人はそりゃ病みつきになるだろうな、と。こんなので通勤したらすごいですよ、ものの5分ですから。
さらに調べたら、横浜ランドマークタワーと浦安を結ぶ直行便もあるらしい。たった30分で家の近所まで帰ってこれるなんて、浦安市民の特権ではなかろうか。今度ぜひ、横浜あたりで遊んでヘリで帰宅というのをやってみたい、と思いました。


2007年12月01日(土)
12月である。いやあ早いもの・・・というのが誰しも口癖だろうが、けっこういろいろあって私は、すごく早かったとも感じていない。
 しかし、つい3,4か月前には「天皇」だの「女帝」だのいわれて、人生の絶頂を謳歌していた夫婦が今では塀の中、なのだから人生の有為転変きわまりない。
 平穏で、あっという間に時が過ぎました、というのは非常にいいことで、実際には人生なにごとも急激に変化することもある。
 いつまでも、同じようなことを言っていてはいけないのだろう、と思うのである。
 ◆  ◆  ◆
 「平井 イサクさん(ひらい・いさく=翻訳家、本名平井以作)が30日、胸膜炎で死去、78歳。通夜・葬儀は故人の遺志により行わない。喪主は妻敏子さん。マクリーン「ナヴァロンの要塞(ようさい)」、ガードナー「奇妙な花嫁」、クラーク「火星の砂」など多数の訳書がある」(朝日)というのを見つけた。平井イサクさんの翻訳にはさんざんお世話になった。なにしろ早川文庫のアリステア・マクリーンはほとんど平井さんの訳だったと思うし、ほかにも海外の戦記物文学の訳出が多い方だったと思う。
 実際のところ、歴史上の知識、特に第二次大戦ものなど当時の組織や兵器などの翻訳となると、基礎教養がない人がやると散々になってしまう。ある翻訳で「ドイツの高速戦艦シャカーン・ハースト」などというのを見たことがある。おそらくドイツ海軍の知識に乏しい人だったのだろう(もちろんここはシャルンホルストとしてくれないと通用しない。英語読みではどうであれ、日本人にはドイツ系の名前はドイツ語で輸入されている)。平井さんの訳にはそういうことがなく、というか、平井さんの訳で覚えたことが多々ある。たとえばドイツ軍の機関銃、おそらくMG34のたぐいだろうが、連合軍兵士が「シュパンダウ」と通称していたなんてのは、小学生のころに平井さんの「ナヴァロンの要塞」を読みふけって仕入れた知識である。それよりなにより、私の詩集に「ナヴァロンの秋」というのがあるが、これもその影響であるのは言うまでもない。私にとっては映画「ナバロンの要塞」よりも、平井さんの訳した「ナヴァロンの要塞」のほうがなじみ深いのである。
 


2007年11月16日(金)
なんと気が早いことに、もう私の来年早々に出す新刊書の予告が流れていまして驚きました、はい。
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7791-1305-5.html
 というわけです。いちおう仮題は「スーツ=軍服!? スーツファッションはミリタリーファッションの末裔だった」というものです。
 そんなの当たり前ジャン、と言える人は教養のある人。しかしいつの時代からどういう変遷で、こういう服装が出来たのか、という通史を描いた本って、意外にないんです。日本にも外国にも。紳士服の専門書は山のようにあるし、ミリタリーでも「19世紀ナポレオン軍の制服」とか「第二次大戦ドイツ親衛隊制服ガイド」とか、「米軍フライトジャケット本」というのはよくあります。が、それをトータルした変遷を解説してくれている本がありません。それで、こういう企画を立てたわけですが・・・いや、なかなか大変です。
 1月25日発売、ということなので頑張らなきゃ、ですが実はまだイラスト部分などが完成しておりません。もちろん、間に合う予定でありますが。
 みなさまどうぞよろしくお願いいたします。

2007年11月13日(火)
政界にいろいろありました。当然ながらなにも書かないです、はい。立場上、書きませんです。もっとも雲の上の方々の動きなど分かることは何もございません・・・。
 安倍さんが出所、じゃなくて病院から国会に「出勤」されたそうで。今となっては「お大事に」というだけですが。
 ◆   ◆   ◆
 近頃ですが、割と休み時間があると足をなんとなく向けるのが、新丸ビルの「ビショップ」と、有楽町の「ダージリン・デイズ」それに、近頃、オープンした丸の内の「リプセット」であります。
 なんとなく共通性があるような気がいたしませんか・・・あ、こういうことに興味のある方ならそう思われるかも、と。
 ちょっと大人向けの、遊びすぎないけど面白みのある上品なカジュアル、というものですか。ことにリプセットは面白いものがありますね。まあ全体に決しておやすくはないのですが。
 近頃オープンした、というのでもう一ついえば、外苑前にこれも最近できた「ラギッド・ミュージアム」というの。「フリー&イージー」という雑誌がやっているようですが、それで私はこの雑誌も時々、読んでいますけど、それでちょっと偵察してきましたが・・・あれですね、媒体で見ますとすごいところを想像してしまいますが、実際には案外にこじんまりした空間。なんかすごく壮大なところをイメージしてましたが、そうでもありません。
 もうちょっとこう・・・なんかあっと驚く要素がねえ。欲しいなと。雰囲気はいいんですけど。上記の「リプセット」のほうが面白みがありますね、比較するようなお店じゃないかもしれませんが。目玉とされているらしきナイジェル・ケーボンのツィードものは確かに良いものですが、お値段も考慮すると、もっとほかにも似たようなものが、というのも思いつきます。案外に、ツィードものでいえばユニクロのツィードジャケット(ネット限定)のほうが費用対効果でいって興味を引かれるかも、などと。

2007年11月01日(木)
 映画「スターダスト」を見てきました。いいですね。実に見終わった後味の良い、ラブロマンス・ファンタジーです。にしましても、ロバート・デ・ニーロにミシェル・ファイファーにピーター・オトゥールが共演、とは! すごいですねえ。それにしぶい声の人がナレーションをしているな、と思い、おそらくオトゥールがやっているのだろうと思っていたら、なんと、パンフレットによればイアン・マッケランがやっているらしい。
 すでに英国では人気のあるファンタジーコミック・ノベルであって、原作者も大変なファンタジーやSFの世界の巨匠で、いつか映画化されるだろう、と言われていた作品だとか。時代はヴィクトリア朝末期の英国、というところか。田舎のとある村「ウォール」が舞台。この村はなぜか防壁で囲われていて、その向こうは謎の世界・・・異界なのですな。しかし壁の番人の制止を無視してその異界に足を踏み入れる一人の少年。彼はその世界が魔法の王国であることを知るわけです。で、そこで魔女の囚われ人となっている女性と一夜の契りを結び、村に戻る。それから数ヶ月の後、異界で生まれたという赤ん坊が少年の元に届けられる。彼は知らないのでした、その女性というのが魔法の国の国王の王女であること、だからその赤ん坊が王位継承権を持つことを・・・。
 それから18年の後、赤ん坊は平凡な冴えない少年トリスタンに成長。村一番の美女に片思いしますが相手にされず。屈辱感に打ちのめさられる彼を父親は「気にするな。私が子供のころ羨ましかったようなヤツは、今ではみんな凡人だ」と諭します。折しも一筋の流れ星が壁の向こうの世界に落ちるのを見て、トリスタンは美女と約束する。1週間後の君の誕生日までに、あの流れ星を君に持って帰るよ、そしたら結婚してくれるかい、と。父親はトリスタンに、出生の秘密を教え、異界に送り出します。
 まさにそのころ、異界の王国では国王が死期を迎え、跡目相続を誰にするか、生き残っている4人の王子の間で勃発するところ、でありましたが、そこに乗り込んでいくトリスタンの運命は、と、そんな感じであります。で、一方、流れ星は美女の姿となって地上に降臨。しかしこの「星の心臓」を狙う悪の化身のような魔女をミシェル・ファイファーが演じます。にしましても、つい先週も「ヘアスプレー」でえげつない悪女役をやっていましたが、20年程前には清楚なアイドルというイメージだった彼女もなんだか悪女路線でいくんだろうか、いや見事な熱演ですが。
 以後、いろいろあって、見てのお楽しみですが、ロバート・デ・ニーロは主人公と星の美女を助ける空中海賊の船長キャプテン・シェークスピアという役柄。一見したところ野蛮な荒くれ者ですが、この男の正体は・・・というのが実に傑作で見物です。デ・ニーロもこういう役柄は初めてじゃないでしょうか。
 出演者みなはまり役で見所も多いのですが、国王役のオトゥール、ほんの数分の出演シーンなんですがものすごい威厳に満ちております。「トロイ」のときもそうでしたが、なんかそこの部分だけ周りを食ってしまいますな。もっと見たかったのに、死んでしまう王様なので出番はそこだけ。それだけは残念。それからトリスタンの父ダンスタンを演じている俳優さん。日本ではあまり知られていないバン・バーンズという人らしいがなんともかっこいい。痺れるような英国紳士ぶり。どういう人か知りたいと思いました。


2007年10月24日(水)
 映画「ヘアスプレー」を見てきました。元々はカルト的人気を誇った映画があり、それを元にしたミュージカルを作ったところ大ヒットしてエミー賞受賞、そこでその劇場版を再び映画にした「凱旋映画」ということで、「プロデューサーズ」とよく似た経過を辿った作品です。
 あらすじを簡単に述べれば、ときは1962年、黒人公民権運動が盛り上がりつつある米メリーランド州ボルチモアが舞台。古き良きアメリカの最後の黄金の日々、という時期です。この後、ベトナム戦争の泥沼に入っていくわけですが・・・。
 で、ボルチモアの一人の少女トレーシーは、大人気のダンスとヒット曲を紹介するテレビ番組に夢中なわけです。やがてはこの番組に出演して、やがては映画スターに、と夢を膨らませるわけです。歌もダンスも自信ありで、実力は申し分なし。でも一つだけ難点あり。彼女は背が低くておデブ。彼女は白人ではあるけど、デブと言うことでやっぱりマイノリティー扱いなわけ。すくなくとも、芸能界デビューには難あり、なんですね。
 が、持ち前の楽天的性格と、何者も差別しない公平さからぐんぐんと人生を切り開いていくわけ。そして、司会者のコニーの目に留まり、めでたくテレビ・デビュー。当然ながら絵に描いたような古くさい差別主義者(なんとミシェル・ファイファーが熱演)のイジメなんかがある中もどんどん人気上昇。折りから、テレビ番組では当時月1回だけの「ブラック・デー」(黒人の日)が打ちきりとなる。さて、人種差別に怒ったトレーシーたちは立ち上がるわけですが・・・。ということで、ネアカで面白く楽しく、なんですがアメリカの社会が抱える非常に重いテーマもしっかり描いている作品であります。
 いやもう、難しい話は抜きにして面白いですわ。話題となったジョン・トラボルタの女装は掛け値なしにすばらしいです。ものすごい存在感ですね。それと旦那さんの愛のあるシーンは感動的です。
 音楽も見事。上手に50〜60年代ロックンロールのエッセンスを取り込んでおります。
 トレーシー役の人は新人ですが、なにしろ歌えて踊れてかわいくて、しかしデブじゃないといけない、という要素にここまではまっているのはすごい。そして歌唱力たるや半端じゃなく見事であります。冒頭からなんとも見事な響きの声だな、と久しぶりに思いましたです。
 ロックンロールというのはなんであったのか、そしてレイ・チャールズとかエルビス・プレスリーとか草創期の人たちがなんで苦労したのか、わずか40年ほど前の状況なのにこんなんだったのか、と若い世代など衝撃を受けること請け合いであります。
 今時のヒップホップなんてのもこういうものの延長であると分かるわけであります。そして、味噌も糞も一緒になってしまった世界一生ぬるい国ニホンの人間にはなんでロックにしろヒップホップにしろ、表面的な理解しかできないのか、というのも分かる映画でありますね。
 いやあ2時間10分一瞬も抜かりなし。すかっとする映画です。爽快です。


2007年10月17日(水)
ちょいとインターバル空きすぎ、と自分でも思うのだが、すみません、なかなかいろいろありまして・・・。
 とはいえ、一応、私の「戦史・服飾史研究家」としての新作書籍は、来年早々には出るものと思います。すでに書店さんに版元さんが営業をかけており、まあ、なかなか反応もよいようなお話をいただいております。もう少しはっきりしたらネット上でもせんでんさせていただきます、はい。
 なんかボクシングネタで一般メディアまでいろいろ書いており、とうとう一般新聞の社説にまで登場するような案配。
 まあなんてんですか、小泉・竹中時代に吹き荒れた「手段を選ばず結果さえ良ければなんでもいい」というか「人生いろいろ」主義と言うんですか、堀江さんも村上さんもそうであったし、この亀田父子というのもそういう時代の産物ともいえるでしょうが、まあこういうのもそろそろ時代遅れって言うんですか。
 どんな手を使っても結果を出すのが合理主義、みたいなのは世界的には終わってきてるわけですよね。中国ですらそろそろ見直さなきゃ、なんて言い始めている。総本山のブッシュ政権が終わりなんだし当然ですわね。
 ◆  ◆  ◆
 関係ないが、先日、ふと東京タワーに行ってしまった。実はこの年までいったことがなかった。なんだ・・・なかなか面白いじゃないか。特に水族館ね。あのナマズの質と量は半端じゃないですね。亀も多いし。
 しかし噂では、第2東京タワーの計画に焦っているそうで。そりテレビの本業はもちろん観光客も逃げちゃうから。頑張ってほしいんですが。
 もう一つ、逃げちゃうと言えば。まあ逃げちゃうのじゃないが、あの、あきるの市にある「ムツゴロウ動物王国」今度は北海道に戻る、という話。11月で閉園して北海道に帰るという。今度は本当ですかしら。首都圏で見たい人は今のうちですな。
 ◆  ◆  ◆
 今度、日本ペンクラブというのにも加盟することになりました。作家の早乙女貢先生のご推薦をいただきました。


2007年10月09日(火)
 わざわざ有楽町シネカノン(ビックカメラの上階の映画館)まで行って、ギレルモ・デル・トロ監督のアカデミー賞3部門受賞作品「パンズ・ラビリンス」を見てきました。それにしても全編スペイン語だから、なのか有名人が出ていない、からなのかこれだけアカデミー受賞した作品がほとんど近所では上映されないのだから困ってしまう。現に昨日も、あまり広くない劇場はすべての回が満員御礼であった。監督はハリウッド作品でも有名な人だし、評価は高いのだし、商業上の安全主義は理解できるとしても、もうちょっと考えてもらいたいものである。
 なにしろ1944年フランコ独裁が完成しつつあるけれども、ナチスドイツなんかは敗北しつつある時期、という微妙な時代設定である。で、ゲリラ狩りに勤しむフランコ軍の大尉のもとに、身重の奥さんと、その連れ子の女の子がやって来るところから始まるのですが、この女の子、というのが普通の人間じゃなく、実は地下の魔法の王国の王女なのだが地上で記憶を失っている、という設定でありまして。
 で、ふとしたことから地下の国の使者の妖精や牧神(パン)が現れ、彼女に試練を課して、これをクリアしたら王女としてお迎えします、という話になる。
 なにしろ現実世界の方は、残虐冷酷で人殺しと拷問が趣味というファシスト軍人の義父と、それにへつらうばかりで連れ子の自分も疎むようになる母親・・・しかも母親は徐々に病状悪化し、危険な状態に。さあ、ヒロインはどうなる? そんなわけです。
 で、ファンタジーとしての見せ場も多々あるし、そのすばらしさでアカデミー賞をとったのは事実ですが、しかし現実世界の義父と、ゲリラとの戦いというのが非常に壮絶なんですよ。なんか半分以上、パルチザンものの戦争映画みたいになっている。後で思い返してもファンタジーの部分より現実の部分の方が重くて暗くて、すごいのであります。
 まあエンディングなど語りませんが、しかし・・・まあ見ようによってハッピーエンドなのかアンハッピーエンドなのか分からないようなエンディング、とだけは言ってもいいでしょう。なんかもう救いのなさにどっと疲労します。
 でまあ、上述の戦闘シーンとか拷問シーンとかが非常に残酷なもので、ファンタジーなのに12歳以下はダメの指定となっております。まあ、徹頭徹尾大人向けのファンタジーなんですね。
 それにしてもフランコ時代のスペイン軍なんて真っ向から描く映画自体珍しく、そしてどの評者も「誰が化け物といって義父の大尉がいちばんの化け物」という、この人物描写がものすごく、靴を磨き、髭をきれいにそり、身だしなみも行儀作法もきちんとしたこの軍人がまさに悪魔の化身に見えてくる・・・まあ大抵のナチスもの映画で出てくるナチ軍人よりも悪いです。が、彼にしてもなかなか見ようによっては、業を負っている描き方なんですね、いろいろと。彼の父親は著名な将軍で、そのコンプレックスがこの男を歪めているらしいのですが。実際、いい年して大尉止まりというのはぜんぜん出世遅いです。
 いやあ、ダークなお話ですが、一見の価値大ありです。なかなかどこでもここでも上映していませんが、お近くでしたらぜひ。



2007年10月03日(水)
 郵政民営化すれば世の中はみんなよくなる、なにしろ改革の「本丸」なのだから・・・というのに乗せられて自民党に投票した人がたくさんいましたよね。
 で、民営化しましたけど、どうです?
 妻が昨日、おととい郵便局に行って、帰ってくるなり一言「二度と使わない」とのこと。いきなり振り込み手数料が210円から五百いくらかだかに大幅値上げしたから、だそうであります。
 今に、たとえば沖縄にはがきを出すと500円、とかになるんでしょうね。
 ◆  ◆  ◆
 ひとつ大事なお話です・・・いや、私にとってですが。私、このほど「詩人」という看板を本式に下ろします。ここのブログ名はまあ、「元ロック詩人」という意味でお願いいたします。わけあって廃業することにいたしました。
 いやあ、すっきりしました。いやいややりたくないことを引っ張るのはよくないんですね。

2007年9月29日(土)
改革は必要だ、とはいいつつ、なんでも自由化すればいいものではない、というのは今や世界の常識で、日本でもようやく「改革してもいいことなし」という実例がはっきりあらわれてきているのが、この手の話。「東京都北区の総合病院「東十条病院」(馬場操院長、350床)が医師の確保ができなくなったとして、27日に突然、新規患者や救急搬送の受け入れを休止していたことがわかった。同病院は、10月31日を最後に全科で診療をやめるとしている。同病院の常勤医は、6割が日本大学医学部から派遣されている医師で、病院側は「日大が医師を引き揚げてしまったため、運営が困難になった」と説明している・・・地上7階、地下2階建てで、内科、外科、整形外科、産婦人科、小児科など16の診療科があり、北区内では最もベッド数が多い。都の災害拠点病院にも指定されている」(読売)ということで医療の方面での小泉改悪の結果は今や手がつけられないことになってきましたな。
 まあ、結局、小泉−竹中路線で行けば、金のない人は死になさいというような、アメリカ型が理想なんでしょうよ。
 どうするんですかね。いったん自由にしちまったものは、元には戻せませんよ。医者だってそりゃボランティアじゃないんだし。
 ◆   ◆   ◆
 昨日、内の会社の新入社員と話していて、ふと「水島上等兵って知ってる?」と聞いてみたら「ああ、ミャンマーのことですね。でも僕の世代だと生まれた時からビルマじゃなくてミャンマーですね」とのこと。ああ、そうだろうねえ。じゃあ、ラングーンってのは知ってるか、と聞くと、それは聞いたことがあるけど、どこか分からないとのこと。「ヤンゴンのことだよ、今、騒動になっている」というと「あ、ヤンゴンがラングーンなんですか」と初めて知ったらしい。ま、そんなもんだろう。
 すでにして、新入社員はビルマも知らず、ソ連も知らず。湾岸戦争だって子どものころの話である。また、小学生など9・11テロも知らない。そりゃそうだ、6年たったのだから6年生でも記憶がない。
 太平洋戦争の記憶が風化している、どころではない。教育というのは後の世代への、要は知識の引き継ぎである。引き継いでおかないと無知のままでいってしまう。
 小学校で47都道府県を教えるようにするとか、縄文時代を教えるようになるとか、台形の求積が復活するとか聞くとずっこける。なんだ、都道府県すら知らないで小学校を出るのか。そりゃバカになるわ・・・。悪いけれど。
 政権など何党でもいいが、まともな教育はしてくれ、と思う。

2007年9月25日(火)
いやもう、なんだかんだと忙しくて最近・・・。現代詩人会の会合はあるし、ミッドタウンでちょっと商談がてらの会合もあったし、その合間ぬって新刊書籍の準備をしなければならないし、そんでもってこの、政局が動きに動いて今日はまあ、めでたく、なんですかね。福田首相がおそらく誕生しますがとにかく、こっちにも振り回されてますし。
 疲れます。もういい加減にしてくれや自民党。
 そういえばですが、私は麻生さんがローゼン閣下などと呼ばれていることは最近、知りました。ローゼンメイデンのファンだから、だそうですが。
 しかし首相は笑わん殿下、というのは昔の人ですが、かなりむっつりした福田さんになりましたですな。
 非常にこの、分かりやすい自民党になってくれました。古来からの自民党ファンは安心して応援できますし、小泉さんの時にだまされた人たちもこれで目が覚めますし、わかりやすくて非常によろしいです。
 自民党は既得権益の党です。それを「ぶっ壊し」ちゃったら、本当に党がなくなるだけなんで、実際にはできゃしない。小泉さんだってそんなことは百も承知で、期限付きなら国民をだましてみせるよ、でも長くはもたないので、任期が来たら絶対にやめるよ、ということだった。だからもう一度、なんてやるわけないんですな。
 そりゃ民主党だっていろいろあるわけです。一番いいのは、既得権党と改革党に政界再編して、自民と民主の左右両派がそれぞれ分裂して新党を再結成した方がもっと分かりやすいです。
 そうなってしまえば、保守党とやや革新党、という二大政党制に近付くわけだ。
 私が「小泉改革」なんてものを支持しなかったのがそういう理由です。改革は必要だが自民党の延命なんて時間の無駄です。

2007年9月17日(月)
時事通信で「小泉チルドレンと呼ばれる自民党の当選1回衆院議員らでつくる選挙塾「新しい風」(会長・武部勤元幹事長)は16日午後、党本部で総裁選対応を協議した。このうち、メンバーの杉村太蔵衆院議員が「(武部氏らの方針に)ついていけない」と途中退席。武部氏は杉村氏に「もう来るな」と怒ったという」というのを見つけた。
 面白いではないか。いや、少し見直しました、タイゾウ君のこと。こういうことをたとえパフォーマンスであってもやってくれなければ、こんな者が国会にいる意味がないですからね。
 あっという間に、麻生氏禅譲から、福田氏擁立に流れが変わりました。私は実のところ両氏どちらでもよろしいです。
 今の首相よりはいずれにしても有能な方でしょう。自民党総裁としては難局ではありますが、いま就任すると前任者よりはなんでもましに見えるので、案外にお得かもしれません。
 


2007年9月12日(水)
 おっとっと。ぼーっとNHKの連ドラを見ていたら、突然、尻切れで打ち切り。そんで安倍さんが辞意、と言いだしてやがんの。
 ま・・・やめる人にいろいろ言っても仕方ない。前任者の無責任のせいもかなりあって苦労されたでしょう・お疲れ様でやんした。
 すると麻生さんですかしら。ま、今ならそうなりますか。
 しかし・・・参ったなあ。仕事が面倒くさいし(苦笑)。
 

2007年8月29日(水)
 おそらく一般的にはハリー・ポッター2で、駄目な魔法教師を演じたことで有名なケネス・ブラナー。しかし凄腕の監督でもあり、その最新作「魔笛」を見てきました。なんと音楽担当はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトその人。つまりオペラそのものの映画化。ちょいと一般受け作品ということじゃないので日比谷シャンテあたりでこっそりマニアック作品として公開していたものが、どうしたわけか舞浜イクスピアリでも公開してくれた、という次第です。しっかしあれです・・・なんとも独創的な解釈。これはすごいかも。
 そもそも魔笛というのはモーツァルト最晩年のオペラで、初演から数か月後にはこの世を去ってしまう、という意味で天才の仕事の中でも最高傑作にして集大成です。よくモーツァルトというと癒やされるとかいいますが、この曲、いやあなんでもありの禍々しいまでの悪魔的な技巧に満ち満ち、そんな生やさしいBGM的な音楽じゃありません。
 そんなところを見事に見抜いたブラナー監督、設定をなんと第一次大戦欧州戦線にしてしまった。ただ、ドイツ軍とか英軍とか特定の軍隊を扱うのじゃなく、なんとなくですが青いオーストリア軍風の軍服が「夜の女王」軍で、赤い英国軍風の軍服が「太陽の高僧ザラストロ」軍という二大陣営の激突を背景としております。
 夜の闇と、太陽の光の二大原理の対決を、原作のままだとモーツァルト本人も脚本担当の人もどっぷりフリーメイソンの秘儀とか錬金術に浸っていて、なんだか現代人には理解不明な話になっているのが、現実の戦争のイメージにすると非常に分かりやすい上に、その戦いの悲惨さと、平和への希求というテーマが壮大に迫ってくる、のであります。
 また、パパゲーノ(ベン・デービス)は鳥が好きな兵士、主人公(ジョセフ・カイザー)は夜の女王軍の一将校、主人公を救うのが3人の従軍看護婦・・・などと巧みに戦争物に翻案。出だしの派手な戦場のシーンは本気モードの第一次大戦映画になっていて、火砲の列に塹壕を出て突進する兵士、空を行くフォッカー機風の複葉機の群れ。きわめつけは、原作オペラでも重要なインパクトある場面である夜の女王(リューボフ・ペトロヴァ)のお出ましのところ。オペラでもいろいろ仕掛けを使って大げさに演出するのだそうですが、映画では、なんと戦車に乗って登場。これには驚きました。で、このオペラではなんといっても有名な2曲の超難度ウルトラDのアリアをキンキンと歌いまくる女王の存在感はすごいであります。
 ザラストロ(ルネ・パーペ)も負けていません、原作以上に英雄的で、というのもただの高僧とか暗黒卿とかいう抽象的な設定じゃない、一軍の総司令官ですから、ものすごく格好いいのこれが。中盤から最後まで、主人公はむしろこっちかな、という描き方です。わざわざ本来は副官が歌うパートも本人にするなど、オリジナルより出番も多いです。彼が無数の墓標の前で演説、というか歌うシーンはいちばん感動的なところ。なぜか墓碑銘には日本人の名も多いのですが、これは第一次大戦と言うよりも、戦争全般を意識した墓標なんだろうと理解しました。
 女王とザラストロがなんといっても本当の華ですから、オペラ界でも有名な実力派の二人の歌手が演じています。どちらも十八番の曲目だそうで堂々たるものです。
 で、この映画の解釈では、結局はこの二人は元々は夫婦で、つまり壮大な夫婦げんかで大戦争になっちゃった、という話らしく・・・。ヒロイン(エイミー・カーソン)は二人の娘、という設定なんですな。
 いろいろと、今回に限らずオペラの場合、大胆な翻案をして、現代風にしたり和風にしたり、という演出は当たり前なので、今回の「第一次大戦バージョン」も大いに有りだと思うし、全編通じて見ると成功していると思います。戦争という背景だからこその切実感とか高揚感とか。元来いささか荒唐無稽なストーリーも説得力が出てくる気がします。
 全部が英語バージョン、というのが残念といえば残念ですが、これもそもそもモーツァルトが「庶民感覚で楽しんでほしい」とあえてイタリア語のオペラを拒絶し、当時としては大胆だったドイツ語を採用したのが本作。また、歌のない地の台詞の採用も、同じような配慮だったとか。ちなみにこういう工夫から今のミュージカルが生まれてくるそうであります。
 そんなことを考えますと、より観客が多いだろう英語バージョンの採用も本質から見てよいのでは、と思えるのであります。一方で、映画化に当たり意外なほどに省略もなく、もうほとんどそのまま全曲を押し切っているのがすごい。映画にするとけっこう冗長な展開、というのはありますし、不自然な展開もあるのですが、それを強引に映像化するところがむしろ本作の値打ちじゃないでしょうか。
 「ああ、こんな話だったのか」と思うこと請け合い。モーツァルトのファンは無論ですが私のような、どっちかというと「第一次大戦」に惹かれて見た門外漢も大いに楽しめました・・・まあ、万人に受けるのか、というとどうか知りませんが、というのはやっぱりそこは知的忍耐力はいります、アクション娯楽作品のようにはいかないのですが、それにしても本来はオペラってのはお高いゲイジュツじゃなくて、娯楽作品なんだよ、というのを思い出せてくれる映画でした。
 


2007年8月23日(木)
コミケがいつのまにやら終わったようだ。それから高校野球もいつのまにやら終わったようだ。ちなみに、かなり前の段階で「今年は佐賀北があのまま優勝するのじゃないの」と言っていたのだが、本当になったみたいだ。甲子園の実戦で思いっきり強くなることに成功した例だろう。
 なんかすっかり浮世離れしたことを書いているにはいくらかわけがあり、ようやく一仕事片付いたのだが、すでに宣伝が出回っているようだから書いてもいいだろうから、書きます。
 9月10日に発売されるワールドフォトプレス社のトム・ソーヤー・ムック01「デザインがわかる」(予定価格1400円)で、私と妻の合作「軍服のデザイン力 見た目どっちが強そう?」というのが掲載されます。ナポレオンとウェリントン公、ロンメル元帥とパットン将軍、それから栗林大将とマッカーサー元帥の服装、ビジュアル面のこだわりを解説したもので、全面オールカラー美麗イラストです。そのほかにもデザイン評論家の柏木博さんなどさまざまな執筆者が工業デザインから戦時ポスター、お地蔵様のデザイン・・・など多様なデザインについて切り込んでいます。
 ちなみに私どもは「辻元よしふみ(戦史・服飾史研究家)辻元玲子(漫画家、イラストレーター)という肩書きにしております。まさか「詩人」じゃ通用しませんので。
 どうぞ店頭で御覧になった方、よろしくお願い申し上げます。
 にしてもフルカラーは厳しいですね。白黒だと適当な色でいいのですが、身につけているものをずべて色付けする以上、たとえばマッカーサーの靴は茶色だったのか黒だったのか、といった些細なことまで調べなきゃなりません。どうもカラー映像を見ると黒が多いようなので彼の短靴は黒としましたが・・・それもストレートチップのときとか、セミブローグのときとかあるみたいなんですね、米軍の場合。日本軍の軍刀なんてものも刀からぶら下がっている刀緒という紐が階級によって微妙に色が違うとか・・・面倒であります。
 ということで、ほぼ1か月ほど、文字通り夫婦で徹夜の作業でありました。もちろん通常の仕事や家事をやりながらですから・・・ああ、フルタイムの人のようにはいかないですなあ。
 ◆  ◆  ◆
 さらに、その「詩人」という肩書きのほうでも一つご報告。こっちもすでに正式な文書に載っているので書いてもいいとおもうのですが、日本現代詩人会の理事、というのに8月26日付で就任します。
 しかし・・・本当は私も40歳、本業も、さっき挙げたような副業も忙しくて、そのうえに理事なんてのはかなり苦しいのですが・・・実は、数年前にそれとなく打診があったときには母親の病気もあって断りました。が、毎度、逃げているのも良くないと思い、今回はお引き受けをしましたが・・・、大変でしょうな、きっと。なんでも、有名な人はもうみんな理事を経験していて、だから会員投票では辞退者が多く、首都圏在住で私ぐらいの年齢の人に引き受けてもらわないと会としても困る、というようなことを言われました。そうだろうな、と思うわけです。
 もちろん、給与なんて一切出ません。交通費補助が年間1万だか2万だか・・・本当にそれだけらしいです。だからちっともおいしい話などではなく、まあボランティアですよね。誤解する人がいると困るので書いておきますが。
 ま、何事も修行と思ってなんとかやってみます。
 
 
 

2007年8月15日(水)
終戦の日である・・・が、近頃は「ミズーリ号上で陸海軍代表が署名するまで正式には終戦ではないじゃないか」という話がある。旧ソ連の理屈というのもそういうもの。ナチスドイツの場合、とにかくソ連の勢力があまりに入り込まないうちに、特に西側の米英と早く手を打ってしまわねば、と焦った。とにかく講話を前提とした休戦発効を全相手国と至急に取り付けてしまわないと、ということがよく分かっていたからである。さすがに欧州の国は敗北慣れしている、ともいえる。1945年の5月2日にベルリン防衛司令官ヴァイトリング中将はソ連軍に降伏し首都ベルリン陥落となったが、5月7日に国防軍統帥部代表としてヨードル上級大将が降伏文書に署名するまで、ドイツは正式に降伏したとは見なされず、よってドイツの敗戦はどこの教科書でも5月7日となっている。ことに軍部代表の署名が国際的に終戦の要件であるというのがあって、その意味で東条英機が「終戦だと軍が思ったときが終戦です」というような答弁を国会でしたのが笑い者になったが、これは東条が軍人としての考えと首相としての考えを混同していたからおかしかったので、あくまで軍部代表の意見としては、実はまったくの的はずれとも言い切れない。野戦軍司令官が「もう戦えません」と表明し降伏文書に署名する、それがその戦線の停戦となるのであり、国軍代表、つまり参謀本部の人間が署名して初めて、一国の軍事組織の敗北が決する。
 そういう意味から言っても、確かに8月15日に日本はポツダム宣言受諾、とはいってもその8月15日が国際的には「終戦の日」ではない、せいぜい停戦の日、というのはまぎれもない事実である。
 不思議な話であるが、日本という国はなんというのか、いつでも国際ルールが分からないままオリンピックに出て恥をかくような、そんな国だな、と思う。これも一例である。日本人の当時の心情としては神聖不可侵の上ご一人が放送する、これだけでもう大変なことなんだから世界的にも認めてくれよ、みたいなことだったに相違ない。が、日本人にとってスペシャルであっても、世界的には国家元首がラジオ放送するなんて当たり前のことだったのだから、理解してくれない、というわけである。
 ◆  ◆  ◆
 映画「トランスフォーマー」を見てきた。4日に封切りされているから今更かもしれないのだけど、とにかく我が家はいろいろ締め切り抱えて忙しかったのよ。
 にしてもすごい映画ですね。これは戦争映画そのもの。どうも米軍全面協力みたいですしね。実際、さいきんの映画じゃ珍しく米軍が格好いいのである。それも無理なくかっこいいのである。えげつないアメリカ映画じゃ、どう見ても他国の人間から見て格好良くないアメリカ軍が無理に格好いいことになっているのだが、これはそのへん、そうではない。
 やはり軍に対する乾いた見方、というのが抑制を与えて、かえっていいのじゃないだろうか、最近は。ひたすらヒーロー扱いするような描写はない。
 いや、別に戦争映画じゃなくて、あくまで特撮ロボットものだし、青春恋愛ものでもあるし、役者たちの演技はさわやかだし、ジョン・ボイト御大もしぶいし(国防長官役というのが渋いですね、なまじ準主役を超人的な大統領にしないのも好感が持てる。そういう設定の映画が多かったからねえ)それに口あんぐりものの特撮、つまりは自動車からロボットに変身するトランスフォーミングのシーンは本当にすごいの一言。これはすごいや。DVDが出たらぜひコマ送りで見てみたい。
 が、それにもましてです。最新の米軍というか、まあ2、3年後の米軍のオンパレードという感じもある。冒頭からオスプレイの編隊飛行で見る人によってはオッと思う。無人偵察機プレデターとか、ハイブリッド装甲を増強した戦車とか、ブラック・ホークにガンシップにA10に、極めつけはまだまだ秘密の多いF22ラプターが当たり前のように実戦配備のフツーの兵器となっている。登場する米兵の携える銃器も現在テスト使用中で、まだ全軍に行き渡っていない突撃銃とランチャーとビーム照準着を登載した新式のシステムらしい。
 そんな大サービスをするのも、近頃の米軍の苦境というのが根底にあるのか、と深読みすてしまうのである。
 いやあ、そんなことはともかく、とにかく痛快で脚本もノリよく、なかなか人物描写も巧みで、マイケル・ベイ渾身の一作じゃなかろうか。これは楽しめる一本ですから。難しく考えるような映画じゃあるまい。
 

2007年8月10日(木)
なーんだ、だらしない。ロイター電によれば「ファーストリテイリング<9983.T>は9日、米アパレル大手のジョーンズ・アパレル・グループ傘下の米高級衣料品店バーニーズ・ニューヨークの買収を辞退すると発表した。3日付の買収申込書で提示額を9億ドルから9億5000万ドルに引き上げたが、ジョーンズ社が同提示額では買収に応じないことが明かになったとして、再買収の申し込みを辞退するとした。ジョーンズは8日、ドバイ政府系の投資会社イスティスマールに売却することで合意したことを明らかにした」てことで、インサイド・ストーリーでなにがあったかしらないが、とにかくバーニーズ・ニューヨークがユニクロになっちゃう、ということはなくなってしまったようだ。
 はっきりいって私はユニクロで買い物したことが一度もない。10年ほど前のイメージは中国生産による廉価が魅力だったと思うのだが、その後はなんというか、中途半端というのか、けっこうそれなりの値段でそれなりの品物の中途半端なプチブランドとしか思えず、これは個人的な意見ですからファンや関係者にはすみませんが、これだけ出すならもっとセレクトショップにでも行った方がよろしく、あるいはもっと安く上げたいなら、近所の西友にでも行ったほうがよろしく、という感じであった。
 そこで、バーニーズに着手した、というのは目の付け所としてはなるほど、と思ったのだが、しかしなんか、まあ私がニューヨークに行くこともなさそうだが、行ったとしても「要するにユニクロじゃなあ」と敬遠したに違いなく、まあしかし、日本のバーニーズは完全に別会社だそうだから直の影響はなく・・・とはいっても、こういうものはイメージ物ですから。ほっとしているのは日本の法人じゃなかろうか。
 そうそう。つい先日、クリアランスセール終戦を宣言した私であったが、さらなる散材をしてしまった。不覚である。
 バタクに注文していたスーツを二着、受け取りに行った(またいきなり二着も頼むのだから無茶苦茶である)ところ、店員さんから「実はいい鞄が入りまして。ご覧になるだけご覧になりませんか」と、そういうので「じゃあ見せてください、見るのはただだから」と思ったところ「万双はご存じですか」と問われる。「マンソウ? あの、上野にある、既製の鞄なのに注文してから半年も1年も待たされるというので有名な鞄屋さんですか」「ええ、あの万双なんですが」そりゃゆゆしい話である。今述べたとおり、万双の鞄は国産の鞄として非常にハイレベルながら3人ほどの手作業生産につき、オーダーがひっきりなしで、上野・アメ横の店頭に行っても見本だけで現物がなく、サイトで扱っているところもいつ見ても「在庫切れ」とか「欠品中」とか・・・で有名なブランドである。
 「で、ここにあるのですか」「はい、これです。5個入荷したんですが、それも売れてしまって現品3個限りなんですが」と言われた。
 「実用としては、この太いダレスの方がいいかなあ」などと言いつつ、ダレスの錠前を開けて中を見るとなんと真っ赤な内装である。驚いた。そしてバタクと万双のダブルネームが入って別注品だと分かる。「そうとうに無理を言って頼み込んだんです」という。「とうぜんながら、次にここに来てもなくなってますよね」「まあ、そうでございますねえ」と困ったように笑う。
 一応、それだけの鞄としては安いのである。万双は決して高いのではない。同様のレベルで有名ブランドの名を冠すれば、もう30万、40万、いや50万してもいいような相場というものがある。そういうことを知っていれば、かなり安いというわけである。
 「ええい、じゃあこれ、もらいます」「え、お買いあげになりますか」相手もちょっと驚くのである。本当にその場で即決してしまったからである。商売とは言ってみるもんである。
 まあ、私がそもそも万双を知っていて、かねてダレスバッグが欲しい、と思っていたから成り立った話である。いつでもこうはいかない。
 「またおいでくださいね」と婉然とバタクの販売員さんが笑う。女性である。クレジットカードの処理伝票によればアカミネさんというらしい。あの服飾業界の大物・赤峰幸雄先生の縁者だろうか。
 いやあ、しかししばらく行けませんよ。恐ろしや。また「いいものがあるんです」なんて言われた日には・・・。
 しかし、家に帰って妻に「またこんなの買ったの」と言われつつ、「しかし、これはいいものだ」と言ってもらえた。経緯を説明すると「そういうことなら買ったのは正解。きっと後悔するから」とも。理解ある妻で嬉しい。
 が、「冬のボーナス、私の取り分は返上します」・・・いや、当然である。当然至極である。よって私は早くも・・・年末まで終戦?
◆  ◆  ◆
 「TBSの情報番組「ピンポン!」のディレクターらが、北九州市の無認可保育園で熱射病により死亡した園児の葬儀に不適切な服装で取材に訪れていたことが7日、分かった。葬儀が営まれたのは先月30日。TBSによると、男性ディレクターはTシャツにジーンズ、カメラクルーはTシャツに短パンという格好で斎場へ。現場で関係者らに指摘され、引き揚げた。男性ディレクターは同局の関連会社所属。関連会社の判断で、先週末から自宅で謹慎。数日前には、番組スタッフが園児の遺族に謝罪に訪れた。TBS広報は「急に指示を受け、そのままの格好で行ってしまったようだ。社会人として常識が欠けていた」とコメント」という話があった。
 ピンポンというこの番組はいろいろお騒がせなようだが、それにしても「夏場はどんなにだらけた格好でもよい」というのがクールビズの結論なのだろうか。
 そろそろやめろ、と申し上げたい。
 民主党参院が「参院ではクールビズ撤廃」と言い出したそうだ。なるほど、である。やはりクールビズとは小泉自民党の「制服」なのであった。
 冷暖房温度を上げる、それはよろしい。全く良いことだと思うが、それとだらしない格好を奨励するのとはまったく次元が違うとしか思われぬ。
 どう見ても、ダークスーツのよれたズボンだけ身につけたオヤジたちは滑稽にしか見えない。なんで単品のパンツを用意しないのだろうか。
 それに、今年など40度もある欧州じゃあるまいに(私だって40度にもなれば服装など改めるに決まっている)せいぜい32,3度で暑いと騒ぎすぎである。
 そもそもそういう態度を改めるほうがよほど先決である。暑いから楽な格好、というだけでは最後は裸になってそれでおしまいである。
 そんな些末なことではなく、産業にマイナスになるのを覚悟で、生産をストップするという腹を決めるしかなく、また人口が減るのも慶賀なことと言うべきである。
 GDPは増やし人口も増やしつつ温暖化だけネクタイ外すだけで抑制しようなどはじめから馬鹿げた話で、小泉政権らしい「イメージだけ」の典型であった。早々に廃止すべきである。
◆  ◆  ◆
 そうそう。付け足しておくと私には明らかに異変が起こっています。ええ、ジョーバとビリーズ・ブートキャンプのおかげ。ほんの数年前まで、私はウエスト93センチを抱えていて、冷房温度も20度(!)に設定していた。しかし今年など、ウエストは84センチ、25、6度だと寒く感じてならず、急速に冷やしたい時以外は、普通は27、8度にしている。それに寝るときは一切冷房は使わない。ついでに、電車もわざわざ低冷房車両を選んで乗る。つまりすっかり冷房嫌いになってしまった。
 さして意味のないクールビズなどより、国民にはメタボ対策を奨励する方が絶対に意味があると思う。自分の経験から言うのである。

2007年8月01日(水)
 7月初めに亡くなった料理研究家でアートフラワー(創作造花)の創始者・飯田深雪さんは、前半生は外交官の妻として、まあ当時の感覚では普通の庶民とは言えないだろうが、しかし専業主婦として過ごした。で、戦後、45歳になった事業を始め、亡くなる103歳まで60年以上、走り続けた。45年間は、そのための助走あるいは準備期間だったわけだが、外交官の妻ともなれば西欧の本場での経験もあり、後の造花の研究にも大いにそういった素養が役立ったに違いない。
「人生の転機には、もっと早かったら、とか遅かったらとかいうことはありません、そのときそのときがやりどきで、仕事とはエイジレスなものです」と仰っていたそうである。
 近頃、なんだか人生は70年にも80年にも延びているというのに、もう30だから、40だから、と安易につくようなことばかり言う人がいる。自分も40なので、周囲を見渡すと年齢をいいわけにしたがる人が増えてくる。気持ちはわかるが、しかし、若くなければ絶対に駄目、というアイドルになりたいとか、水泳選手になりたいとか言うのでない限り、40、50から人生本番なんて人はざらにいるのであり、ただ、マスコミ受けというと、よほど若いかよほど年寄りばかり取り上げがちなので、目立たないということである。
 なにか20代の内に芽が出ないと「もう駄目だ」と思いこみがちな人がいるように思う。私もかつてはそんなことを思って焦ったものだが、人生のパターンはいろいろで、準備に時間がかかるような仕事を後にやるべき運命の人もあり、一概に、天才少年として華々しくデビュー、みたいな人ばかり羨まないことだ、人それぞれだ、とこれは自分への戒めとしても、思うのである。
 ◆  ◆  ◆
 夏のセールといって飛んで歩く女の人たちを私はかつてバカにしていた。どうせあんなバーゲンものなど、来年は着ないだろうに、売れ残り品を買わされて・・・などと思っていたが、近頃は銀座から丸の内、日本橋、それにミッドタウンなども出来て、このへんをうろちょろするうちに私も大変なことに・・・もう決して私は女性たちをバカにするまい。
 ざっと振り返っても、6月末から今日までの「夏のクリアランス・セール期間」に、ダニエル・クレミュのパンツ、ダージリン・デイズのジャケットとパンツ、ユナイテッド・アローズのシアサッカーのジャケット、ブルックス・ブラザーズのブレザー、アルニスのサマーニット、松屋銀座のサマーニット、リチャード・ジェームズのロロ・ピアーナ生地のスーツ、バタク・ハウスカットの黒のピンストライプのスーツ、同じくグレーのダブルのスーツ、ヤンコのギリー・ブローグ、アレン・エドモンズのコンビ・シューズ、銀座ヨシノヤのレザー・スニーカー、マリネッラのネクタイ、テアトル・H・P・フランセのリング・・・などを購入した。あ、忘れていたが、丸の内Bショップでツィメリーの下着も買い込んだ。確かに安かったが。
 これらを足していくと・・・かくて、早くも私の夏は終戦を迎えたのである。

2007年7月30日(月)
時事電で見つけた次の記事に付け足すことはない。「自民党の加藤紘一元幹事長は30日未明、取材に対し、参院選での自民党惨敗にもかかわらず安倍晋三首相が続投を表明したことについて「えっと思った」と強い疑問を呈した。さらに「続投した場合、首相だけではなく、自民党自体がぼろぼろになる危険性をはらむ」と強調。「よほど政策面で市場原理主義からの大転換など大胆なことをしないといけない」と述べた。また、山崎拓前副総裁も29日夜、地元民放テレビに出演し、「国民の審判だから謙虚に受け止めなければならない」と述べ、退陣を決断しなかった首相を批判した」というわけだ。
 まあ、お坊ちゃんは居直るだろうとは思っていたが、しかし、あんなに早く、ぜんぜん考える素振りも見せず「たとえゼロ議席でも僕チャン続投するもん、やだやだ」とガキみたいなことを言うような首相だとまでは思わなかった。
 家人なども「え、こんな結果でまだやるの? それでなにか出来ると思ってるわけ?」と絶句していた。
 多くの民意は、別に民主党がいいと思っているのではなく、安倍はやめろ、というものだと思うのだが誤解だろうか。
 なんでもいいが、重要なのは自民党ではない、日本国である。本人はそのつもりでも、結局、国をだめにしてしまった旧陸海軍みたいなことにならないことだけ祈る。安倍さん個人がどうなろうとそんなことはどうでもよろしい・・・が今後は石が投げられたり、場合によっては警護も厳重にしないといけないのじゃないか。身の危険を感じることもあるかも。
 いろいろ駄目な総理が居たが、それにしても。そしてこの人事を決めたのは前の首相である。いまのもろもろの問題も前の政権から引き継いだものである。
 本人もなんだが、あの政党もいい加減・・・という思いはありますなあ。

2007年7月25日(水)
やっぱりな、と思うのである。どう考えても今年の夏は暑くなく、とくに先週ぐらいまでのペースでは冷夏といってもよいような具合だった。それで今頃になって「気象庁は25日、8〜10月の3カ月予報を発表した。太平洋高気圧が当初の予想ほど発達せず、夏の暑さはおおむね平年並み。秋は移動性の高気圧に覆われやすく、残暑はやや厳しくなりそうだ。同庁は5月の段階で、太平洋赤道域の海面水温が中部から東部にかけて低くなる「ラニーニャ現象」の影響で、太平洋高気圧が発達し、暑い夏になると予測していた。現在、同高気圧は平年より南にあり、東日本、北日本の梅雨明けが遅れている。8月の日本付近への張り出しも、平年程度にとどまる見込み」(時事)というのだが、こういうことはさっさと認めてもらいたいものである。
 もうひとつやっぱりな、である。「新潟県中越沖地震では1万棟を超す住宅に被害が出たが、木造住宅の耐震診断で、新潟県の住宅の平均耐震強度は全国で最低だったことが25日、分かった。この耐震診断は、全国の工務店などで組織する日本木造住宅耐震補強事業者協同組合(木耐協)が2000年末から3年間に実施した。長野県は、耐震強度が高い方から10位だったが、それでも点数評価では「やや危険」のレベルだったという」(共同)というのだが、確かに大きな地震だったにしても、それにしても家が壊れすぎではないか、という感じを抱いた人は多いだろう。
 新潟は歴史的に決して地震が少ない土地とはいえないはず。しかし、ここ何十年かは地震が少なかった。そういう意味では神戸などと同じだろう。
 人間とは面白いもので、自分が生きている数十年の間に起きないものは、決して起きないと判断する。しかし地球のほうはなにしろ千年万年、億年の単位で動いている。十年や二十年というのはほとんど無意味な長さであろう。
 日本に安全地帯というのはない、というのをもっと認識すべきなのだろう。
 ◆  ◆  ◆
 やっぱりな、ついでに、自民党が必死に「負けても安倍首相は交代しない」と力説している。しかし、政権選択じゃない、としても政策の採点選挙ではあり、それで落第した首相など替えてもらわないと困る。
 そんなことをいうとよけいに首を絞めるのではないか自民党? もっとほかにましな人材はいないのだろうか、あれだけの大政党で? 
 とにかく、今のような内閣は国辱ものである。何党の支持者だってそれは思っているはずで、その責任者は安倍さんである。つまらない言い訳は聞きたくないものである。


2007年7月20日(金)
 おかしいので、論評抜きで引用するが「参院選であたふたと駆け回る安倍パフォーマンス首相が、身内の現職候補からも総スカンだ。「美しい国、バカにすんな!!」と声を荒らげて痛烈批判したのは、1人区の高知選挙区で3選をめざす自民現職の田村公平候補(60=津島派)。16日、高知市で開いた演説会で「美しい国って何だろう」とやっつけた。「意味がよう分からない。高知は明日のメシをどうやって食うかの状況に追い詰められている。絵に描いた『美しい国、日本』で、応援に来られて適当なことばかり演説されたら、バカにされた気持ちになる!」・・・自民党の中川秀直幹事長についても「『高知の農産物を上海に売ればいい』だと? 国際線が飛びもしないのに、できもしないことを言うんじゃない」とボロクソだ・・・首相も党幹部も、地方の実情を少しも理解していないことにイラ立っているようだ」(ゲンダイネット)ってあはははは。
 今日もアルツハイマーがどうのこうのと・・・あはははは。
 ま、流れが決まった場合はどうにもならないわね。別に政権与党が代わるわけじゃないからかえって安心なんだし。
 総選挙を仕組んだ小泉さんが慧眼だった、というのは今になって分かるですな。本来反対派だって取り込めるんだから。参院選じゃそうはいかない。
 ◆   ◆   ◆
 六本木の新名所「ミッドタウン」に遅ればせながら行ってきました。いやあ、いいところですね。いろいろ新名所というのが出来るたびにおのぼりしてますが、ここがいちばん雰囲気がいいかもなあ、と。とにかく広々していて感じがいい。
 お店の配置も分かりいい。お隣のヒルズや表参道のヒルズのようなせせこましいというか分かりにくいのと違う。
 アルニス、マリネッラ、そしてリチャード・ジェームズなどちょっとひねったラインナップもなかなか。リチャー・ジェームズでスーツを衝動買いしました。
 で、中華料理の火龍園というのに入りまして。ここがまたいいお味でした。
 ほかのお店も魅力的。テレンス・コンランのお店もあるので今度は是非、と思います。


2007年7月17日(火)
 新潟の地震は驚いた。もちろん、地震自体に驚いたのだが、問題は(まあこんなことを書くと馬鹿にする人がいるだろうが)、ブラジルの予言者ジュセリーノ氏の予言に「2007年か2008年の7月13日に日本で地震が起きる」というのがあったからだ。
 まあ3日違いではあるが、そして日本なんて毎日、地震はあるので、どんな適当な予言でも当たるだろう、と懐疑的な人は言うだろうが、科学者たちは実際には3日先、いや3分先の地震の予知も出来ないのだから、8人死亡のこの地震の予言は的中したと見なしても大げさではないだろう。
 いや、これまでの予言はよく当たっていると言われている一方で外れもまたあり、日本で有名になったのは昨年末の特番からだから、それ以後の予言の最初のものが7月13日の日本の地震、だったのである。
 偶然でもまぐれでもとにかく、当たってしまったのは事実である。それだけに恐ろしい。たとえ1パーセントでも2パーセントでも当たってもらうと困るからだ。なぜなら氏の予言というのは、2043年までに小惑星が地球に激突し、日本列島が沈没し、新型の病気が蔓延し、世界人口の8割が死滅する、というものだからだ。
 次の日本がらみの予言は、2009年1月にまたまた神戸辺りで大地震、というものだ。またアジアで言えば、来年の9月、中国で大地震と津波というのもある。その通りだとすればオリンピックの前後である。
 ま、もちろんこんなものは当たってほしくなく、ご本人もそう言っているのだが、実際にこういうことがあると薄気味が悪い。そんなものは、と一笑に付すのは簡単だが、今の人類文明が末期に及んでいるのでは、という感覚は多くの人にもあるのではないか。
 ◆  ◆  ◆
 さて、なぜか映画「西遊記」を見てきた。テレビの人気シリーズの映画化である。テレビ版では描かれなかった金角、銀角との戦いである。映画ならではの大画面とスケールを感じる部分と、いい意味でテレビの持ち味が生かされており、これがなかなかの感動作となっている。脚本家が上手いのだろう。テレビ版でも見られた献身と勇気のメッセージ性が豊かで心を打つ。映画ならではの豪華キャストも見物で、しかもニセ三蔵一行として有名人ばかりが出てくる趣向には驚いた。
 その一方で、映画にしては・・・というところもないではなく、まあはっきり言ってエキストラの人数がどうしても、一国一城の物語を描くには少なすぎて、なにも「蒼き狼」のように2万人も連れてこいとはいわないが、ちょっと淋しい感は否めない。
 それにしても、内容的には実に面白い。テレビ版が気に入った人は必見だろう。私もけっこう涙腺が緩んだシーンがあった。なまじいの大作を売り物にしている映画よりよほど感動作に仕上がっている。個人的にお薦めである。
 エンディングであの「ガンダーラ」が流れるのも、夏目雅子らの旧バージョンからのファンには嬉しいボーナスだろう。私もツイ歌ってしまった・・・。
 

2007年7月12日(木)
 産経新聞の愛媛県版、というから普通は他の地方の人はあまりお目にかからないのだが、そのコラムか何かが面白いので、ポータルサイトのニュース速報に引用されている。
「詩人の宮沢賢治に「雨ニモ負ケズ」という有名な詩がある。東北地方で貧しい農民たちと生活をともにした賢治が、こういう人になりたい、と自分にいいきかせた素朴で力強い詩だ。そのパロディーに「雨ニモアテズ」というのがある。賢治のふるさと・岩手県盛岡市の小児科の医師が学会で発表したものだそうである。職業上多くの子供たちに接していて、まさにぴったりだと思ったという。作者はどこかの校長先生らしい。
 雨ニモアテズ 風ニモアテズ 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ 意欲モナク 体力モナク イツモブツブツ 不満ヲイッテイル 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ 朝カラ アクビヲシ  集会ガアレバ 貧血ヲオコシ アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ 日照リノトキハ 冷房ヲツケ ミンナニ 勉強勉強トイワレ 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ 賢治が生まれて100年あまり。そのころ日本中はどこも貧しかった」というのだが、このパロディーは秀逸だ。小児科医の先生は三浦義孝さんという人らしい。
 ◆  ◆  ◆
 森元総理がまたなにか失言したようだ。総理在任中も失言ばかりしている人だったが、今度は滋賀県知事について「女の人は視野が狭いから」といったことを放言したとか。
 つまり女は政治など分からない、ということでしょうな。
 しかしあれかなあ。森さんはひょっとして、安倍さんの足を引っ張る安倍下ろしの一環としてわざと失言しているのかもしれないな。
 冬柴国交大臣が今日の参院選の出陣式だかなにかで「与党が負けたら外資がみんな逃げてしまいます」と演説していたそうである。あのなあ、そんな脅かしのようなことしか言えないからお前らは駄目なんだよ。


2007年7月11日(水)
7党党首討論会というのをやっていたので、ちら、と見た。ちら、というのはビリーズ・ブートキャンプのDVDを起動させるまでの間、たまたまプレーヤーの設定が1チャンネルになっていたから、見る気もなくけっこう見ていたのだが、なんかこう・・・相変わらずつまらないなあ。
 ま、なんでもいいけど、安倍さんなんかが野党を攻撃するときに必ず言う「野党の皆さんの言うことは現実を見ていません」というようなのね。あれ、いつまでも言っていていいことなのかしら。たとえば幕末に徳川幕府と薩摩・長州の代表が討論会をやったとする。幕府の人はきっと「うちらは200年以上も政権やってますから。ずっと野党の薩摩なんかに政権は担当できませんよ」といい「彼らの政策は現実的でない」と言ったに違いない。
 そういうもんじゃないでしょうか。いつもやっている政党だから安心だとか安全だとかなぜか日本人は思っていて決して考え方を変えませんが、今回の年金問題一つとっても、長年同じ政権がやっていてもぜんぜん安心じゃないどころか、かえって弛みきっていて何も出来ないというのが現実じゃないのかしらね。
 政権が変わるのは不安だ、不安だとばかり言っていては、フランスは今でも王政だろうしアメリカじゃ永遠に同じ政党が与党だろうし。少々、不安でも、やらしてみないと何も変わらないのじゃありませんか。
 どうせ今の与党でもろくなことは出来ないのだから。どうせ、タイしたことはできないのですよ、みんな同じ人間ですごい天才も英雄もいないのだから、今の日本には。
 とにかく二言目には、自分たちは現実的で実績がある、という自民党の決まり文句は私は嫌いなんですが。本当に今までちゃんとやってきた、と自信もって言えるのかしら、あの党とお役人の皆さんは?
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 ところで、まったく知らなかったが「毎日新聞が世界的なスクープと自賛していたレンブラント幻の絵画の発見記事について、今週発売の週刊朝日が「おそまつ報道」だったとする記事を掲載し、中吊り広告などの見出しで「でたらめ報道」としたことに毎日側が激怒した。毎日側は見出しの撤回と謝罪を求める抗議文を送り、「謝罪などなければ法的な対応をとる」(広報)という。昨年、将棋の名人戦を奪い合うなど、何かと争うことの多い両紙。今回のバトルは、どちらが優勢となるか」というのを夕刊フジ、つまり産経が書いているのが面白い、といっては失礼か。なんでも「3月16日付の毎日新聞が≪オランダ最高の画家とされるレンブラント本人が描いた可能性のある「黄金の兜の男」という作品を大阪市の会社社長が所蔵していることが15日分かった≫と報じたこと。大阪では朝刊1面でのスクープ扱いだった。・・・同僚らから「世界的スクープ」とはやしたてられていたなどと得意げに紹介もしていた。だが、事態は急変する。週刊朝日は毎日の報道について、「『幻のレンブラント』報道のお粗末」とし、電車の中刷り広告やネット上の同誌サイトではより過激に「でたらめ報道」と報道したのだ。・・・現在、渦中の絵画は本来の持ち主が“所蔵している”ようだが、今回、その真贋(しんがん)を判定したのは日本の専門家で、最終的にオランダの「レンブラント委員会」などが断定をしたわけではない。もし、絵画が本当に本物ならば毎日の記事は、ちょっとだけ「おそまつ」で、偽物ならばまったくの「でたらめ」になるかも。数十億円の値がついてもおかしくない名画なだけに、両社とも意地で真実を究明することになるのかもしれない」ということで、おや、毎日と朝日って元々の社論は似ていると思うんだが、それとこれとは違うというか、今時はそれこそ現実的じゃないイデオロギーじゃなくて、対立軸はさまざまなんですな。当たり前か。

2007年7月07日(土)
あまり政治ネタは書きたくないし、今更、力瘤こめたこと書いても空しいし・・・前の小泉の詐欺選挙で懲りましたから、私。いったん数を与えてしまったら後は白紙委任になっちまうといくら書いても郵政民営化に賛成か反対か、なんて長い目で見ればどうでもいいことで本当に投票してしまう大馬鹿ばかりだったわけで。ま、そういうことで、どうでもいいんですが、しかし「自殺した松岡利勝氏の後任として就任した赤城徳彦農水相(47)に進退問題に直結しかねない疑惑が7日、浮上した。赤城氏の政治団体が、使用実体のない親族宅を事務所の所在地として届け、多額の経常経費を計上していたことが報じられたのだ。その額は2005年までの10年間で約9000万円に及ぶ。昨年12月、辞任した佐田玄一郎前行革担当相と酷似するケースで、赤城氏も辞任に追い込まれる可能性が出てきた。安倍内閣は参院選直前に断末魔の様相を帯びてきた」(夕刊フジ)って、どうしてこういう話がここで出てくるのか。
 要するに安倍おろしが早くも始まっているわけでしょうね。これで赤城大臣が3週間で辞任となれば大笑いですな。
 小池百合子さんも最後に防衛大臣を一ヶ月やって、それでまあ事実上の退場か。いいんでないですか。
 なんでも市場でも早くも「麻生株」というのがあり、麻生大臣が首相になった場合に値上がりそうな26銘柄が物色されているそうであります。
 国会での実績、などといくら言っても、とにかく小泉の詐欺のお陰であれだけ数があるのだから、どんな馬鹿でも法律なんて通るはずで、それがうまく運営できず、大事な選挙の前に会期延長までしたというのはよほどにダメ、ということでしょう。というか、要するに全然押さえることができないみたいですな、反対派を。
 そりゃそういう人らは小泉の5年の間、じっと怨念をためて待っていたわけだから。安倍さんも可哀想といえば可哀想なんだろうが、分かって引き受けたんだろうし。
 ここにきて、社会保険庁ばかりいじめて、それで歓心を買おうということのようだが、確かに社保庁はけしからないだろうが、彼らだけの責任にしていいわけですかい自民党さん?
 自民党支持の人であっても、今回は衆院選じゃないから心配しなくていいのではないかと思うのですが。
 要するに、安倍さんはもうご苦労さまでいいのじゃないか、と。そういうことですが。
 いやもう本当に、ここまで閣僚がよってたかってしくじる内閣って異常。国辱じゃないのかしら。
 私、今日、駅で自民党のビラを配っている人がいたけど「自民党? なら要りません」と申しました。配っていたおねえちゃんには悪いんですが。
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 浦安に10円まんじゅうの「和布庵」が出来ました。近頃話題の10円まんじゅう。しかし、なんで単価10円で商売になるのか・・・。売れるお店ではなんでも一日1万〜2万個は売れるといいますが、それでも売り上げは10万〜20万円でしょ? なにしろ私はこないだ20個買って、夜勤のおやつで10個食べ、宿直して翌朝に10個食べましたが、その20個買って200円ですから。
 いやあ、本当に不思議です、あれで採算が取れるのが。
 しかしまんじゅうは、確かに美味いです。もうそのへんのは食えないです。あの値段であの内容なら言うことなし。
 ずっと頑張って欲しいですが、個人的に。今度、実家に帰るときにも買っていこう。なにせ50個買っても500円だから。

2007年7月04日(水)
なんでこううまくいかないのか。「九州地方は3日夜から4日午前にかけ、梅雨前線の影響で局地的に激しい雨が降り、鹿児島県指宿市では3日午後11時45分ごろ、JR指宿枕崎線薩摩今和泉―宮ヶ浜駅間で、鹿児島中央発山川行きの下り普通列車(2両)が斜面から崩れた土砂に乗り上げ、1両目が脱線した。乗客7人にけがはなかった。各地で土砂崩れが相次いでおり、福岡管区気象台は警戒を呼びかけている」(読売)というのだが、少し前まで渇水といっていたのに、今度は洪水だというから困ってしまう。
 それで、四国などはこれで渇水はひとまずなんとかなったのだろうか? ちょっと違う地方にいるとすぐにそのへんの情報が分からなくなってしまう。情報社会などといっても、伝わってくるのはおもしろおかしい話ばかり、実際にはわからぬことばかりである。
 それにしても。ここ数日は実際に雨が降っているようだが、ほんの1、2週間前は渇水の心配がされていた。そういう状況だというのに、天気予報のキャスターというのはどうしてなのか「ぐずついた天気は○○で終わり、晴れ間が戻ってきそうです」などと、基本的には「晴れ間=善」「曇天・雨天=悪」というように聞こえる伝え方をする。何年か前、もっと水不足が深刻な時期ですら、彼らはそうであった。何を考えているのだろうか。世の中は行楽ばかり考えている脳天気な人間ばかりだと思っているのだろうか。
 天気予報士の、「すっきりしないお天気は今日まで、週末は晴れそうです」「今週いっぱいは晴天に恵まれます」といった、どうみても「晴れ間=よいこと」という晴天絶対主義の価値観が入っている表現には、場合によっては非常に腹立たしく感じることがある。もっとニュートラルな表現を工夫できないものか。雨がほしくてほしくて死活問題となっている人だって常にいるのではないか、世の中は。
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 昨日はこんな日記を更新するいとまもなかった。というのも午後1時20分すぎなんていうとんでもない時間に、久間さんがあのザマだったからである。柏市の麗沢大での講演会での失言とは、けっこうあれかなあ、気がゆるんでたんだろうなあ。参院選の結果がどうだろうと、内閣改造は必至。次の首相が安倍さんだろうがほかの人だろうが、どっちみち今の閣僚のほとんどは退任だろうしね、と。にしても、口から出放題の変なオジサンであった。あんな「不名誉除隊」だから離任式はないのかと思ったら、ちゃんと儀仗隊と軍楽隊に送ってもらえたみたいでよかったね。内閣にとってはとどめの原爆攻撃となったか?
 後任はクールビズの彼女? まあ、けっこう安全保障問題には詳しいそうだけど、しかし本当の軍隊の問題は政治的なことばっかじゃないし、どうでしょうか。自衛隊も暑苦しそうなので全員、ふんどし一枚にしましょうとでも提言する? 
 

2007年6月30日(土)
「伊吹文明文科相(69)が29日、7月の参院選に自民党比例代表で出馬する「ヤンキー先生」こと、義家弘介氏(36)をチクリと“口撃”した。閣議後の記者会見で、同氏が政府の教育再生会議委員を途中で退任し、立候補を決めたことに触れ「自分の思いの果たし方はいろいろあるが、私なら(再生会議委員の)職を全うした」と述べた」(報知新聞)というのだが、この点については大臣に同感である。
 ヤンキー先生も、最初は面白いと思ったのだが、しかしこうして見ていると、教職も、委員もみんな途中で投げ出してステップアップをしてしまいました、という印象はぬぐえないのである。結局、えらくなりたいのかな、というふうに見えてしまう。無論、本人としても成り行きなのであって意図したところではないのかもしれない。が、あまり爽やかな感じはしないのは事実である。
 ま、後はご本人の心がけであろう。といっても、議員の一人になってしまうと急に目立たなくなるのは事実である。彼が何が出来るのか出来ないのか、注目であろう。
 近頃の私の一種の認識なのだが、偉くなろうとか、成功してやろう、という動機だけだとある程度のところまでは行けてもそこでダメになるものである。野心だけではダメ、ということだ。一線を越えるには「それで自分は世の中にどう役に立ちたいか」とか「とにかく自分の能力を使って社会貢献したい」といった発想にならないといけないようである。いろいろな経営者などの体験談に共通することだ。
 野心とか功名心だけの人がこのところ次々に失敗している。ホリエモンの挫折以後、そういうことが目立ってならない。今年もあれこれの事業拡大を焦った経営者や、元なんとか庁長官といった輩が続々と失敗している。
 やはり志の高い人には目に見えない力が働くのではないか、と思う。またそうでない人はどこかで目に見えないハシゴが外されるように思う。
 ヤンキー先生も、そのへんで真価が見えてくるのではなかろうか。
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 ということで、政界は選挙戦に突入したらしい。私は別に今となっては日本の針路がどうこうとか、選挙はかくあるべしとかぜんぜん言う気もしない。そんなものは2005年ですべて手遅れになってしまった。
 が、正直言って、かつて小泉さんを熱狂して応援していた人が、今の安倍さんを見て「裏切られた」とか言っているのはまったく理解できない、とだけは言っておく。
 小泉氏が改革ゴッコのポーズばかり付けている間、ほったらかしにしたり強引に誤魔化していたことが、安倍さんになって次々に爆発しているだけのことである。すべては前政権の延長なのだから、というのは安倍氏のたった9か月の政権でそんなに大きな変化があったわけがない。今、出てきている問題は、その前に6年もやっていた人が、無視していたか放置していたばかりだと認識すべきである。もちろん、安倍さんを応援しているのではない、もっと投票でも何でも、先を見越してしてもらいたい、一過性の判断なら投票しない方がよほど無害だ、というだけのことである。
 民主主義など決して完成度の高い政治ではない。集団ヒステリーの弊害を押さえられないからである。ギュスターブ・ル・ボンを引用するまでもない。
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 久しぶりに、こんな駄文を書いている余裕がなぜあるかというと、実はゆうべ、半年もかかったある原稿を脱稿したのだ! とにかく爽快である。けっこうな分量だ。原稿用紙で350枚を超えている。
 また新しい仕事が舞い込んできている。こっちも忙しい。
 おとといも一つ、頼まれ原稿を脱稿した。
 ほかにもいくつか企画があるが・・・けっこう近頃は書きまくっている。もちろん、詩とか文学の分野じゃないものが多いのだが。
 条件がそろってくれば、戦史・服飾史研究家、といった肩書をそろそろ掲げていきたいな、と思っている、秘かに。
 

2007年6月20日(水)
産経新聞によれば「「脂肪を燃やせ。おれについてこい」。軍隊式訓練を取り入れた減量方法で通販業界で異例の大ヒットとなっているDVD「ビリーズブートキャンプ(BILLY’S BOOTCAMP)」に出演しているビリー・ブランクスが21日、イベント出演のために来日した。午後4時すぎに娘のシェリーさんとともに成田空港に到着したビリー氏は、待ち構えた記者団に「来日は2回目。相撲が見たいね」とあいさつ。さらに「侍が好きで、侍の像を集めているんだ」と意外な趣味を披露した・・・出演する美女軍団を激しく、そしてコミカルに激励するビリー氏が話題となり、月間販売1万個で成功といわれる通販業界で国内で5月だけで20万セット以上を売る大ヒットとなっている。ビリー氏は1955年9月生まれの51歳。米ペンシルベニア州出身で米陸軍専属トレーナーを経て、ハリウッドスターやアスリートのトレーナーとして活躍中。21日にラジオに生出演するほか、24日には抽選に当たった400人を集めたイベントも開催する」とのことで、ビリー隊長がシェリーさんと共に来日したらしい。
 私もその「20万セット」のうちの一つを買ったくちで、それに聞いてみたらうちの職場でも少なくとももう一人、やっている人がいる。
 このダイエット商品のいいところは、怪しげな飲み物、食べ物ではない、実際に汗をかいて運動するため、ちゃんとやった人には一定の成功が約束されていることである。逆に効果がない人は、手抜きをしていたり、休んでばかりだったり、あるいは指示通りに動いていなかったり、である。
 私は結局この4週間ほど試してみた。完全に連日ではなく、実際、筋肉の増強には休みを入れた方がいい、という話もあるので、適宜、数日おきにインターバルを入れてやってみたが、体重そのものはあまり大きな変化はない、まあ2`ほどの減である。
 が、それよりもウエストの引き締まり方が大きい。完全に8センチは減った。メタボリック圏から一応、脱出している。
 また、明らかに腹筋がつき、肩や腕の筋肉もついて、体力と持久力が上がった。そのためおそらく、体重そのものはそんなに減っていかないのだろう。
 もとより、日頃から運動している人には物足りないだろう。これは運動不足のひとのためのもので、その水準でいうとかなりきつい部類に入る。最長55分の間ノンストップで跳んだりはねたりキックしたりを続けるのだから、相応の持久力が必要になる。
 体重そのものというより、重要なのは、体重を減らすことではなく、体質を改善し脂肪を減らすことではないかと思う。こういうものの話題では、日本の健康関係者の指導というと、結局は身長何センチの人間はこのぐらいのBMIであるべきだ、という平均主義で、とにかく判断は機械的なモノで、同じ身長でも生まれつき手足の長い人、短い人などがいることを全く考慮していない。ずんぐりした体型の人は当然ながら身長は低くとも体重は重めになる。逆に手足の長い人は常に体重が軽めに出る。
 ほかの動物の大きい小さいはおおむね胴長で示すのに、なぜ人間は身長万能なのだろうかとは常々思っている。
 それはさておいて、いい加減にシェリー・ブランクスがビリー氏のお嬢さんであることは知れ渡っていることと思う。もういい加減に、そのぐらいは知っていてほしいものである。普通の新聞にも報じられたのならもう「あれはお気に入りの女なのか」といった憶測も減るだろうが。
 にしても。ビリー氏は高校時代の同級生と結婚した、と英語のビリー・ブランクス公式サイトにある。シェリーさんはどう見てもブラックの血は入っていると見えず、奥さんの連れ子か、養子か、なにかであるはずである。そのへんは英語のサイトにも詳述がない。また、弟がいて、そちらはミュージカル役者になっているともあるが、彼がビリーの実の子か、義理の関係かも分からない。
 もし連れ子だったのなら、血のつながらないお嬢さんをかわいがり、空手チャンピオンに鍛え上げ、さらに今でも仕事上の右腕としている義父ビリー氏は立派な男であるし、お嬢さんも見事なお嬢さんである。いろいろ、小さい頃はあったのかな、などとも想像してしまうのである。
 
 

2007年6月19日(火)
あのメル・ギブソン監督の新作「アポカリプト」を見てきました。ついつい前作「パッション」を想起して、マヤ文明時代の物語などと聞いて身構えてしまう人もいるかもしれませんが、これは違います。圧倒的なエンターテインメントで娯楽作でもあり、あえていえばギブソンの作品のなかでもっとも「マッドマックス」に近いノリの作品。あるいはuランボー」とか「コマンドー」「プレデター」みたいな、一人VS集団の密林サバイバルもの、というジャンルですらあります。ああいうシュワちゃんやスタローンの若いころの作品が好きな人は必見でしょう。
 マヤ文明が滅亡に瀕している16世紀、平和な村が襲撃され、村民がマヤのトシに連行されます。そして有名な血のいけにえとして、神にささげられていくのであります。
もちろん「パッション」の監督ですから手抜きなく、徹底的な時代考証を加えつつ凄惨残酷なシーンが延々と続きます。
 しかし、父親を殺されながらも、そこを辛くも逃れた一人の若者、それを追ってくる一隊の戦士。密林の中で死闘が繰り広げられます・・・。
 馬もなく鉄器もなく、飛び道具すらあまりなかったマヤ文化をテーマにしたのは、とにかく肉弾戦を描きたかったから、とのこと。そのねらい通り、ハードな「男の筋肉と筋肉のぶつかり合い」が延々と描かれる、実に硬派な作品ですが、お話はけっこう「復讐ものアクション映画」にはよくある分かりやすい筋書きであり、非常に見やすい、入り込みやすい、そして面白い。
 その一方で、巨大なマヤの神殿にきらびやかな貴族や王族の衣装、まがまがしい儀式、そして現代人とは明らかに違う死生観とか、勇気に関する感覚・・・そこらは非常にメインのストーリーとはギャップがあり、またそれが魅力的です。
 出演者はほとんど無名の新人で、映画経験があるといえるのは、追撃してくる舞台の指揮官役の人(昨年のポカホンタスを描いたニューワールドなどにも出演)だけ。全台詞はマヤ語を使用、という異例づくめの演出。これ、たとえば今、日本で全部アイヌ語の映画を作るとなったら非常に大変でしょうが、同じようなことでしょう。「パッション」もすべて古代ヘブライ語やラテン語を使用しましたが、ギブソン監督は「アメリカ人にも字幕を見る習慣を付けてもらいたい」という意図があるそう。
 世界中どこに行っても英語が通じるという思いこみから、実際には井の中の蛙に陥りやすい米国人には確かに必要なことでしょう。ハリウッド映画を諸外国の人は字幕で見ていることをアメリカ人は気づいていないそうですから。
 主演のヤングブラッドという人はネイティブアメリカンのダンサーで、ボクサー、さらにクロスカントリーの選手でもあるという肉体派、しかし顔立ちはなかなか甘く、ひょっとして人気者になるかも。その奥さん役というのも、ベラクルス大学の現役学生で、街でスカウトされた女の子だとか。キャスティングした人の苦労もなまなかじゃなかった模様。
 生け贄の習慣はマヤじゃなくてもうちょっとメキシコ側のアステカじゃないか、という声もあるようですが、そこらへんはまあ、ドキュメンタリーじゃないから。
 それよりも、文明が森林を破棄しすぎて崩壊していった様、そして文化が退廃して奇形化していった様、という描写が力強く、アクション映画の部分とは別に、その文明批評的な視点が非常に印象深い。
 アステカもマヤとほぼ同じ時代にコルテスに侵略されてしまいますが、とにかくそのへんを思わせる意外感あるラストシーンがまた、利いています。
 非常に良くできたアクション映画であり文明批評映画。ギブソン監督の手腕がさえ渡っております。
 ◆   ◆   ◆
 前に見た「300(スリーハンドレッド)」のパンフレットで、ヘナ・レディーの紹介文があり、近作には「第一次大戦の撃墜王リヒトホーフェン男爵の恋人役を演じたThe Red Baronがある」などと書いてありました。「レッド・バロン」? 昔ジョン・フィリップ・ロー主演の映画がありましたが(DVDにもなっています)そのリメイクだろうか。
 今の技術でリヒトホーフェンを描いているならぜひ見てみたいですが・・・日本じゃやってくれないかなあ。

2007年6月12日(火)
映画「300」(スリー・ハンドレッド)見てまいりました。いやあ、驚きました。これはガチンコの歴史大作。「シン・シティ」のフランク・ミラー原作のコミックが下敷きと聞いて、またシン・シティのようなケレンミたっぷりの、ちょっと現実離れしたようなファンタジーかしら、と思ったらとんでもない、正統派の史劇なのには驚いてしまいました。
 紀元前480年、ヨーロッパ侵攻を企てたペルシャ帝国の大軍その数なんと200万人。対するはわずか300人のスパルタ兵。率いるのはスパルタ王レオニダス。普通に考えれば問題にも何にもならないのだが、レオニダスには一計があった。切り立った断崖を通る細い山道を通らないと海岸から平地に出られない地形。ここでは、大軍のメリットはなく、精鋭300人が陣取れば十分に持久できるはず・・・。
 そして、200万の大軍はついに、欧州侵攻を断念、ペルシャ王クセルクセスは撤退を余儀なくされるという、戦史に名高いテルモピュライの戦いを描いております。
 史実なのでありますから、勝手に変えられることは限られます。
 そのなかで、ジェラルド・バトラーのレオニダスは骨太で見事です。オペラ座の怪人の彼ですが、存在感ありますね。
 王妃を演じているのはヘナ・レディー。こちらも王の留守を守って捨て身の戦いを展開しますが見てのお楽しみ。
 それにしても、もうちょっと漫画っぽいのかしらと思ったのだが、本当に硬派な歴史劇であります。
 ペルシャ人は長ズボンで、スパルタ側は裸同然。このころは長ズボンをはくのはアジア人でヨーロッパ人は裸だったんですな、服飾史的にも。
 非常に濃密な世界で、ハードです。戦闘シーンも計算されつくしております。
 娯楽作品ですが、相当な手ごたえ、と思いました。

2007年6月06日(水)
時事通信によると「1人の女性が生涯に産む子供の推定人数を示す合計特殊出生率が、2006年は6年ぶりに上昇し、1・32となったことが6日、厚生労働省の人口動態統計で分かった。05年の1・26から0・06の大幅上昇で、1・3台に回復したのは4年ぶり。厚労省は、景気回復に伴う雇用改善で結婚や出産が増加したことが背景にあると分析。「長期的な少子化傾向は変わっていない」と慎重な見方をしている」とのことで、ちょっとだけ出生率が上昇しているらしいが、そりゃもう理由は、失業率がなんとかかんとか改善しているということに尽きるでしょう。
 結局、経済問題なんです、それ以外ありえない。
 それにしても最近は、厚労省の話題ばっかりですね。なにかと。
 まあ厚労省ってのも今となると諸悪の根元みたいに言われているが、しかしあれです、もともとこの省とか前身の厚生省ってのはお役人の世界では小馬鹿にされてきたわけで、バブルの後で露見して大騒ぎになったO次官なんてのも、官界では主流コースに乗れなかった面白くなさをば、けっこう探せば利権も多く、年金はじめ動かせるお金も多い、ということに開き直って悪いことをさんざんやったわけだし、今に至るもそのへんムード引きずったままなんでしょうよね。厚労省も、社保庁も。
 うちらは光の当たらない役所、でも役得はあるんだからおいしい思いしなきゃ損だよね、みたいなノリは間違いなくあったでしょうな、ま、私もそんなようなことを平気で言う人を知ってましたけど、以前は。
 ◆  ◆  ◆
 けっこうプライベートで動きあり。なかなかこれが。今年は動きのある年になるか。いろいろ面倒なこと、クリアしなきゃならないことも増えそうなんですが、私としては数年ぶりにちょっと多忙ですね。
 昔はちょっと忙しいと、すぐにイヤになっちゃんだが、さすがに最近は年の功もあって、ペース配分もそれなりにうまくなってきたな、と。
 ま、前向きに頑張りましょう、何事も。誰は見ていなくとも天は見ている、という実感を近頃はやっと理解するようになってきました私。
 おお、なんだか悟ったような・・・。

2007年6月02日(土)
日刊ゲンダイより。「27日、人気音楽ユニット、ZARDのボーカル、坂井泉水が東京・新宿区の病院で死去した。享年40歳。坂井は昨年からがんで闘病中で、散歩から病室に戻る途中、足をすべらせて転落死したとみられている。この不慮の死は、坂井の人気をさらに伝説化させそうだ」というのを見つけた。
 「ZARDはデビューから16年間、メディアにほとんど姿を現さず、秘密主義を貫いてきました。坂井のプロフィルは未発表、写真は門外不出、取材は拒否……という具合にです。ベールに包まれているため、謎が謎を呼んで、彼女にまつわる“関連商品”の値段はベラボーにハネ上がっていました。亡くなったことで、さらにプレミア化するはずです・・・坂井の所属事務所はもともと、この秋にZARDのアルバムを発売する予定で、3年ぶりにライブツアーを行う計画を進めていた。追悼記念イベントを行えば熱狂的なファンが集まるのは必至だ」とのことで、「坂井は、死後、伝説的な存在になった尾崎豊や岡田有希子のようになるのかもしれない」と結んでいる。
 どうもこういう人、つまり夭折して名を残すタイプの人、というのがいるが、まさにそのような宿命を帯びて生まれてきたのかもしれない、と思う。
 ご本人にとってそれがよいことか悪いことか、ではなくて、一種そういう人生を完結する宿命、というか。
 で、ごく若いうちには人間だれしも、自分もそのような短くも激しく美しく燃え、といった人生を夢想するもので、たとえば坂本龍馬とか織田信長が常に人気が高いのも、それがひとつの理由である。
 しかし、そのへんというのは、本人がコントロールできるものではないのだろう、と思うのである。まさに「神様」が配剤しているとしか思われない。
 逆にスロースタートで、人生の後半に大活躍するタイプの人もいる。それはまたそれで、ある程度その人のパターンが決まっている、という印象を受ける。
 それでは、ときを同じくして自殺した某大臣はどうであったのか。あれはあれで日本の政治に一定のインパクトを与えたものと思うが。そしてひょっとしたら安倍政権に内側から痛撃を与えたことになるだろうが、しかしあれがあの人の人生の結論、というようには思えず、やはりあっちは自分なりにもっと自分の人生をコントロールできたのではないか、と秘かに思うのである。つまり宿命ではなくて、運命のほうだったのではなかろうか、と。
 それにしても。どうでもよいがあまり暑くもないのにかりゆしウエアの「制服」を着こんだ安倍内閣の面々はどうも見苦しい。
 ホワイトシャツのかわりにわざわざ暑苦しそうな紺地のアロハなど着た厚労相など完全にヤク○のように見える。今、社保庁のもんだいの矢面に立っているのに「いい気なもんだ」という印象をぬぐえない。見た目など関係ない、などという人は不見識で「人は見た目が9割」で、ルックスがその人の知性や精神を表しているのは事実であろう。
 はっきり言って、いかにクールビズ期間であっても、不祥事があってお詫びしなければならない時とか、国民の怒りを買っている時には、どんなに暑くとも当事者は正装すべきではなかろうか、と私は思う。
 機械的に6月〜9月は軽装、というような発想がいかにも制服的である。もっと自分で自分の装いぐらい主体的に決めたらいいのに、としか思えない。
 



2007年5月31日(木)
 「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの最新作「アト・ワールズ・エンド」を見てまいりました。「世界の果て」というものものしい副題どおり、はっきりいってこれまでの痛快娯楽作品という色彩から、なんだかけっこう壮大な、そして最後はなんだかロード・オブ・ザ・リングのエンディングすら思い出させる、ちょっと物悲しいような幕切れには驚かされます・・・。
 物語は、前作「デッドマンズ・チェスト」でクラーケンに呑み込まれ、この世をさってしまったジャック・スパローと、それから前作のラストで唐突に復活した、一作目の悪役バルボッサがどうなるのか、というところから始まります。して、前作で失業者にまで落ちぶれていたノリントン代将が晴れてアドミラル(提督)に昇進、というのも前作で海の悪魔デビー・ジョーンズの心臓をいれた「デッドマンズ・チェスト」をまんまと手に入れ、ジョーンズの幽霊船フライング・ダッチマン号を見事、英海軍の支配下に収めてしまった手柄を評価されてのことであります。
 ということで、幽霊船まで手なずけて海洋支配を完成させようと目論む悪辣なベケット卿と、それに追い出されていく海賊たちの最後の戦いが迫っていく・・・のであります。
 で、なんとなくここまで引き伸ばしになっている、ウィル・ターナー(オーランド・ブルーム)とエリザベス・スワン(キーラ・ナイトレイ)の恋の行方はいかに。これもまた、なかなか思うに任せず意外な結末に至るんですが。
 それからまた、二作目から登場の人物、ただのチョイ役かと思っていたら、その後のお話では大変なキーを握る人物だったりして、このへんも見てのお楽しみ。とにかく、なかなか前二作のテイストとは違って、能天気なギャグ映画じゃなくなっております。
 チョウ・ヨンファ演じるシンガポールの海賊もよいですが、こっちは案外に・・・まあ、いいでしょう。
 海戦シーンが今までになく壮烈、帆船時代の砲撃戦の模様を髣髴させるという意味では、ガチンコ勝負だった「マスター・アンド・コマンダー」なんかよりよっぽど上。こいつは油断できません、海洋ものファンや艦船マニアの方も必見じゃないでしょうか。
 それから、なんといっても、本当に登場するのがキ−ス・リチャーズ! あのローリング・ストーンズのギタリスト本人です。ジャック・スパローというのはそもそも、キース・リチャーズの雰囲気を真似して作り出されたキャラクター。ここに本家が登場ですから引き締まること。スパローの父親という役柄で出てくるのですが、はっきり言って共演するシーンではジョニー・デップも遠慮がちというか、かすんでいます。しかもカメオ出演、といいながらかなり長いです。おまけにギターまで演奏してくれます。さらに前後のBGMに入っているエレキギターも彼でしょう。予想したようなちょっとした出演ではないのでファン必見。
 なにしろ3時間もの大作です。力の入り方は半端じゃなく、これまでの二作のイメージを良くも悪くも大きく裏切るというか、相当に驚かされました。今までの延長と思ってみるとかなり違うと感じる人もいるのでは。
 あるいは今回は本気でアカデミー賞狙いもあるのかしら、とも。一作目は明らかに、あれで打ち切りになってもいいような終わり方で、まったくの肩のこらないコメディーでした。それがここまで大きな話に成長するとは、二作目で予想した展開も大きく上回る大風呂敷ぶりに脱帽しました。
 ちょっとスパローの出番は少なめでしょうか。しかし全体が3時間ですから。
 見事な海洋映画でして、劇場で見ないとね、これは。
 
 

2007年5月23日(水)
なんでもリチャード・ギア主演で「ハチ公物語」を再映画化するという。なんでまた? それにしても日本の映画のリメイクによく使われるギアであるが。
 そういえばついでに、「私は貝になりたい」がこれまた再映画化、主演はSMAPの中居君だという。これまたなんでまた今頃?
 なんかこう、企画がないのでしょうねえ、最近の映画界。
 ◆   ◆   ◆
 最近、面倒くさいので政治ネタは書かない。面倒というより、もう日本人に民主主義だの政治だのかたる資格はない、もうどうでもよいのじゃないかこんな国、という気分である。
 ではあるが、「今夏の参院選で自民党からの出馬が確実視されている丸川珠代元アナ(36)。安倍首相に「美しい国づくりを手伝ってほしい」と言われ、「光栄に思う」と舞い上がっていたが、周囲の誰もが「そもそも、なぜ自民党なのか」とアキレ顔だ。というのも、丸川はこれまで、安倍政権の目指す「美しい国」とは正反対の主張を続けてきたのだ。たとえば、慶大教授・金子勝氏との対談本「ダマされるな!」(03年)では、イラク問題についてこう言っている。「いったいアメリカの愛国心って誰の役に立っているのでしょう」「アメリカ国民には、自分たちの仏(ブッシュ)が信じるに値するものかどうか、よく考えていただきたい」「自衛隊まで派遣した我々日本人のほうが、よっぽどオメデタイと思われてたりして」安倍が継承する小泉改革についてはこうだ。「規制緩和を進めれば、激しい競争が起きて、社会は一部の大金持ちと、たくさんの貧乏人に分かれてしまうのではないか。年金改革や医療改革を進めれば、給付が減り、負担が重くなって、ますます将来の不安が大きくなるのではないか」 その通りのことが現実に起きているし、丸川には民主党も打診していた。それだけに、ますます「なぜ?」なのだ」(日刊ゲンダイ)にはその通りだと思った。なんでテレビ朝日から自民党かねえ。
 ま、そもそもなんの考えもなく、偉くなりたいのでしょう。もちろん、なにかをなすには力も要るし名前も要る。が、それにしても、一般国民がみんな迎合主義の烏合の衆となっているときに、またその手合いの人間を国会に送り込むなど、・・・まあどうでもいい。
 日本人に民主主義など、しょせん無理なのだ。自分の意見をもてない、学級会のたびにみんなの顔色を見て、多数決の挙手をしていた人間ばかりである。
 ◆   ◆   ◆
 ビリーズ・ブートキャンプというのがある。試しにやってみたが、4日目にして腹筋が出てきた。体重は2キロほどの変化だが、体脂肪が明らかに低下している。
 指示通りにちゃんとやれば、効果があると思う。何事も、こういうものは、云われた通りにやらないといけない。

2007年5月22日(火)
ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ、みんなで歌おうゲゲゲのゲ〜というあの懐かしい歌をそっくりそのまま、それにタイトルバックの人魂が飛び交う墓場までアニメのまま、という展開に驚いた人も多いのでは・・・遅くなりましたが、映画「ゲゲゲの鬼太郎」を見てきました。
 ハーフであるウエンツ君の鬼太郎、原作のイメージとはまるで違うながら、どこかなげやりでナイーブ、そして浮世離れ(それは当然か)した感じはなかなか、2007年の鬼太郎と思わせます。
 誰しもが原作と違うと言っていちばん違うのでは、と思うのが田中麗奈の猫娘。まあはっきり言って美人すぎ、なんですが、しかし実際に見てみるとこれもなかなか。つりあがった彼女の眉毛、確かに猫娘風でもあって、しかしあれほどの美形なら、なんで鬼太郎は冷たいのだろう、と不思議に感じられるのは私だけか?
 ネズミ男は見事。北海道の劇団から出てきた今泉なんとかいう人ですよね、今、人気上昇中の。あの人はすごい。
 狐の親玉を演じるちょっとクールな男がなかなかカッコイイのだが、劇団系の人で、「レ・ミゼラブル」でジャン・バルジャンをやるようなすごい人らしい。
 井上真央の演じるヒロインも魅力的だし、その他の人物も好演だし、まあそういうことで悪い人はいないのだが・・・しかし。
 なんでこう、主役級でなく脇役級でこんなに豪華メンバー、大河ドラマのようになっているのでしょうかこの映画? 西田俊行、谷啓、イッセー尾形、竹中直人、モト冬木・・・なんて人たちがほんの数秒しか出ない役で登場するのはどうしたことか。
 間寛平の子なきジジいとか、中村獅童の天狗とか、小雪の狐の神様とか、とにかく有名人がずらずら出てくるのだが、「え、これだけ?」と驚くのが本作のいちばんの見所というような気もします。声優でしか参加していない人にも意外な有名人がいたりしますが、それにしてもなあ、と。
 面白いです、なんかこうモダナイズされた鬼太郎。違う、と思う人もいるかもしれないが目玉オヤジが3Dで、しかも声はいつものままで、というのだけでも感涙mのじゃないでしょうか。現在のCG技術の進歩にただ感謝、であります。
 本作中で感動を呼ぶのが、ちょっとオーラの泉のような、というか、死んだ父親を尋ねて子供たちが黄泉の国まで行くシーン。あそこは、今時のスピリチュアルな感覚を感じます。
 にしても、利重剛・・・久々に見ましたが、なぜか安倍総理を(より一層)情けなくしたような風貌。総理の影武者が務まるのでは、と思った。
 とにかく娯楽作品でよけいな理屈は要らない。面白かった、という感想で十分であろう。

2007年5月17日(木)
とにかく、予告編で見てしまった三式戦「飛燕」の勇姿、そして米軍独特の「両用砲」のすぐ脇を、主翼を失い炎上しながら突っ込んでくる一式戦「隼」の痛ましくもリアルな姿。もうあれだけで「話がどうだろうが、映画としての出来がなんであろうが、万難を排して見たい」と思ったのが、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」である。
 ゆうべ、見てきましたが・・・すごいです。まず空戦シーン。これはもうすごいです。ファン必見。残念といえば少し短いことかな、と。もうあと10分ぐらい見たかった。エセックス級とおぼしき米空母の甲板にひしめくF6Fとコルセアの列線。そして轟々と発進してくる護衛戦闘機の群れ。それが襲いかかる先には、爆装してほとんど回避行動も出来ない隼。直援するには数が少なすぎる飛燕。舞い飛ぶ曳光弾に高角砲射撃のどす黒い煙、VTヒューズのまばゆい炸裂、次々に流れていく日本の若者の血、こときれて墜落していく長い煙の尾・・・おそらく、米軍側撮影で公開されているカミカゼの映像を参考にしていると思いますし、見たことがあるようなシーンもあるので、そっくり再現しているところもあるのかも、と思いましたが、とにかく壮絶です。
 一言で特攻隊は悲惨、といいますが、かくも最新の技術で視覚化したのはそれだけですごいことです。今までも特攻隊ものの名作映画はありましたが、やはり最新のCGと模型撮影の技術は・・・すごいの一言。
 それから、出撃までの手順というか、出陣式の模様。これも、ここまでしっかりと再現している映画ってのは今までないと思います。別杯をくみ、皇居を遥拝し、それから隊ごとに最後の打ち合わせをし、主翼に足をかけてコクピットに乗り込み・・・。将校は飛行服のベルトに軍刀をたばさみ、女学校の生徒に見送られて離陸していく・・・いやもう。見てきたようなというか、現場を体験したようなというか。
 一つ一つのディテールが非常に執念を感じます。一昨年の「YAMATO」にもそういう感じを受けましたが、その結晶でしょうね。出演者も所作からなにから完璧というか、軍人、特攻兵に見えましたね。
 その点でちょっと弱いと感じたのが、昨年の「出口のない海」だったのですが。
 出演者は、もう熱演しております。つべこべ誰をどうこうと申しません。
 また、ストーリーについては、多くの若者を見送ることになった食堂のおかみさん、鳥浜トメさんの逸話は有名なものであり、ご承知の人も多いだろうし、もう見ていただくしかありません。まずもって、なにがどうであろうと、まともな日本人なら涙腺ゆるみ、号泣する人も不思議ではなし。まったく実話そのまま、ではなく限られた登場人物にエピソードを割り振っているとはいえ、基本的には実話ベースなので、いいとか悪いとか、泣けるとか泣けないとか、そういう感想は愚かといえましょうから、申しません。
 とにかく、見ていただくしかありません。ぜひ、ご覧ください。石原慎太郎さん脚本ということで、色眼鏡で見る人もいるかもしれませんが、実際、イデオロギー的な色彩もほとんど感じられず、またそういう趣旨もそんなに強いとも思えません。鳥浜さんから取材した内容をきっちり脚本としていると思います。
 あえていうなら、「イスラムの自爆テロと特攻は全く違う、こちらは命令による軍事作戦だったのであり、愚かな若者が洗脳されて行ったのではない」というメッセージは強く打ち出されております。
 その意味合いで、特攻の父と呼ばれる大西瀧治郎提督と、特攻第一号たる関行夫海軍大尉の逸話が冒頭に出てきますが、これも興味深いものでした。
 関大尉のシーンは本当に短いのですが、的場浩司が渾身の熱演をしております。ここもいいところです。決して出来上がった軍神などではなく、「私なら・・・(特攻などしなくともちゃんと、爆撃で戦果をあげられるのに)」という言葉を何度も口に出しそうになりながら、数秒、煩悶する、あのシーンはいいです。
 特攻は、主に政治的な理由から行われたもので、最終的には軍事的成果ではなく、日本の降伏条件を引き出すためのものだった、という描き方が非情ではありますが、随所に出てきます。
 その通りだったのでしょう。しかし、特攻隊が頑張りすぎ、また硫黄島の守備隊が頑張りすぎたので、恐怖にかられた米国に原爆を落とされたと言えば、そういうふうにも言えましょう。
 多くのことを考えさせられます。ぜひご覧を。


2007年5月10日(木)
 うーん、なんだか書かなきゃならない義務が多くて、サイトは後回しになってしまう。ま、ネットでどうこうしようという人間ではないのでどうでもいいのだが、あまりに間遠になっては自分自身の個人日記としても、記録として残らないので、今日は無理にも更新を・・・いや、そんなむきになる必要もないのですが。
 ゴールデンウイーク期間は、基本的になんの関係もないので(うちの会社って)、カレンダーどおり、ですらなく、まったく通常勤務。その後もなんだかんだと・・・、ま、それはいいのですが、しかしちょっと、連絡待ちというか、気になっていることもあり、なんかこう落ち着かないのであります。ある件で、ある人からGW前に連絡があり、そしてその後、その件がどうなっているのか、待ちなんですねつまり。これじゃなんだか分かりませんね。まあ今にそのへんも。
 別件で進行していることもありまして、まあそっちもけっこうストレスにもなるし。
 しかも、その辺の話って、本業とは別。本業のほうもいろいろ締め切りはあるし。
 ああなんか、なかなか片付かないですな。ひとつひとつ、粛々とやっていくしかないですが。
 そういえば、名古屋でタクシーが全面禁煙となった、という話があった。そしたら「 名古屋地区で今月1日から始まったタクシーの全面禁煙について、中日新聞社(本社・名古屋市)の常務・編集担当の小出宣昭氏(62)が4月29日の朝刊で否定的な意見を掲載したところ、「たばこの害を、どう考えているのか」などの抗議が同社に相次いでいることが9日、わかった。NPO法人「日本禁煙学会」(東京)も小出氏に抗議文を送付した。愛煙家である小出氏は、コラムの中で、全面禁煙について「決め方にいささかの薄っぺらさを感じる」とし、タクシーは「個別選択的な乗り物」であり、「全車禁煙という一律主義に本能的な危険を感じる」と書いた。中日新聞社には9日までに抗議のメールや手紙が約40通届き、「喫煙を正当化するな」などの電話もあるという」(読売)ということで、まあなんだな、この件については、アホだな、としか思えない。
 愛煙家という者はなにかと、タバコを防衛するに当たって、ファシズムの危機みたいなことを持ち出す。そしてタバコは文化だといいたがる。そんなことを言えばなんだって文化であって、戦争も麻薬も不倫も売春もにんげんの立派な文化である(?)。
 たしかに世の中が一方向に突き進み、みんなが同じ考えに凝り固まって窮屈になることはよろしくない。小泉時代の総選挙のような、みんなで勝ち馬に乗れば怖くない、みたいな状況はまったくファシズムの前哨であって、よろしくないと私も思う。そして、考えに合わないものを、たとえば銃撃して脅すというテロリズムもけしからない。
 が、ことタバコについてそんなものと結びつけるのは、そもそも大げさに過ぎる。あんな習慣はせいぜい欧州の人間が「新大陸」を発見して以後、広まったインディアンの習慣に過ぎないではないか。決して古来からある文化などではない。
 そしてタバコの習慣が広まるのは常に戦争の時代である。二つの大戦の間、世界中の兵士たちがストレス解消のためにタバコをやり、その習慣を広めたのである。
 常習性があり、実害があり、健康によろしくなく、火事の元になっているのも基本的に事実であって、なにをどう屁理屈をこねようが、それは変わらないとしか思えない。
 タバコというのは要するに合法麻薬であって、今日となっては、違法ではないけれど奨励もしない、というものになっている。吸いたければ吸えばいいが、もはや人前で吸うのは不躾というようなものに、今後ますますなっていくはずである。それはファッションの流行とは違い、おそらく不可逆的、つまり二度と盛り上がっていくことはないだろうと思う。
 要は、本当はよろしくないがまあ、目こぼししておこうというような、パチンコの換金とか、ちょっと前までの高校野球の特待生とか、あんなものである。
 だから、つまらないタバコ防衛論などぶち上げないほうがよろしいのである。愛煙家はひっそりと、目に付かないように、しかしこれ以上既得権を失わないように、もっと慎重に、ご自分たちの文化を守る努力をするべきだろう。

2007年5月04日(金)
GWのまっただ中で、事件も事故も少なく、暇な一日・・・ではあるのだが、ちょいと面倒な・・・いや、そういうと失礼だけど、とにかく予想外な話題だったのが「タレントで前大阪府知事の横山ノック(よこやま・のっく、本名・山田勇=やまだ・いさむ)さんが3日、中咽頭(いんとう)がんのため兵庫県西宮市の病院で亡くなった。75歳。葬儀は親族だけの密葬とする。喪主は長男の山田一貴氏。近く「お別れの会」を開く。東京都知事を務めた故・青島幸男氏とともに無党派ブームを起こしたが、99年に強制わいせつ事件を起こして辞職し、有罪判決を受けた後は政界から身を引いていた」(毎日新聞)という、あれである。「神戸市出身。高等小学校卒業後、宝塚新芸座に入った。横山エンタツに弟子入りし、1959年に上岡龍太郎氏らと漫才グループ「漫画トリオ」を結成。「パンパカパーン、今週のハイライト」の掛け声で始まる漫才で人気を集めた」ということで、新聞でもテレビでもにわかに「パンパカパーン」を取り上げていた。が、実のところ、漫画トリオといって通じる世代というともう50代以上なのではないか。1968年にはトリオを解散して政界入りしている同氏なので、私もこのトリオのリアルタイムでの記憶は全くない。そろそろ上岡龍太郎というのも、若い人、ことに関東の人には希薄になってきていると思うから、まあピンと来ないというのが本当のところ。
 ノック氏が政治に興味を持ったのも、そもそもパンパカパン時代に時事ネタを拾い続けたからだという。それはなるほどと思う。毎日、ニュースに接しているだけで、それはやっぱり感度が違ってくる。
 にしても、99年の年末にはわいせつ事件で知事を辞職しているので、ああ、もうあれからだって7年以上が経過しているのである。享年75と聞いて、え、もうそんな歳だったかとも思う。横山ノックという人物自体、知らないという世代も増えているであろう。
 月日の流れるのは早いもんである。それにしても、青島幸男さんの後を追うように、でもあり、あの東京・大阪「無党派旋風」というのも昔話とはなったものである。
 
 

2007年5月02日(水)
随分と長いこと更新が途絶えているな、とお思いの向きもあるかもしれないが、実はかなりたちの悪い風邪をひいた。先月の20日ごろに発病し、21日に映画「クィーン」を見たときには、まだちょっと喉がえがらっぽい、という程度だったが、翌日には完全に咳き込み始め、24日には発熱のためとうとう会社も病欠してしまった。以後、一進一退しつつ、とにかくしつこい風邪で治りが悪く、今日あたりになってようやく軽快したけれど、まだそれでも声が変である。完全に2週間が無駄になってしまった。妻にもうつしてしまい申し訳ないことである。
 4月は暖冬の後だというのに今度は真冬並みの寒さであった。とてもじゃないが体がついていかない。会社でも風邪引きがにわかに流行、どうも職場で感染した模様。
 ああ、時間がもったいない・・・いや、ちょっとお休みせよ、という天の声かもしれないが。
 というのも、けっこう、このところは仕事の話があって、公私共に。原稿を書かねばならない用事が随分とあって、なかなか大変なのである。
 ま、それも慶賀なことではあるが。なにも声がかからないのがいちばんいけない。
 日本現代詩人会という詩人団体の、理事の改選期をむかえて、なぜかその投票管理委員というのまでやらされることになった。もちろん、なんという仕事でもなく、集まった投票用紙を管理して、当日に開票するだけの雑用である。なんらの役得も権限もない。
 が、そんなんでも、やるとなると面倒くさいものである。無責任なことは出来ないし。開票日は仕事の前にやることになるし・・・当然ながらその後は夜勤である。
 そういえば、風邪が発病する直前に例の長崎の市長銃撃事件があって、あの日は我ながら非常に厳しい仕事となった。いやもう、8時ごろに突発事件発生というのは、9時すぎに最初の締め切りを迎える新聞社としては致命的にまずい時間帯であって、もうそれはイラク開戦以来と言う感じの大騒ぎで、けっこう、あのダメージというのが後で効いた可能性も高いのである。
 意外にちゃんと仕事しているのかもしれない、自分。
 

2007年4月23日(月)
ヘレン・ミレンがアカデミー賞主演女優賞を射止めた話題作「クィーン」・・・これがまた、14日から日比谷シャンテ・シネで単館上映していて満員盛況だったとか。で、22日より拡大ロードショーとなり・・・とはいうものの、それでもまだ私の住んでいる周辺では市川コルトンプラザ、船橋ららぽーとの二館ぐらいしかやっておらず、そういうことで船橋に出る用事があったついでにららぽーとの東宝で見て参りました。
 とにかく、女王が・・・そっくり、というのは物まね的なそっくりというわけではないのですが、しかしかなりルックスそのものも似せていますけど、それより話し方とか仕草とか、特に歩き方・・・女王様ってしゃなりしゃなり歩かれませんよね、なにしろ君主なんだから。けっこうドシドシという感じで歩く物腰なんか似ているんじゃないかな、と。それはもうヘレン・ミレンは見飽きるほど女王の映像を見て研究したとか。とにかくオファーを受けてから、恐いほどに緊張したとか・・・そりゃそうでしょう、現役の世界でも最高レベルの有名人、それもセレブじゃなくて、君主なんだから。
 日本の天皇と違って、英国女王が明確に君主であり、多くの権限と権威を担っているということを映画はきっちり描いています。「私が承認するまでは首相ではなくて、首相になられる方」と呼ばれるトニー・ブレア氏にして「強靱な人だ」と心から恐れ入ってしまうような、そんな人物。うまく描けています。
 が、その一方で、まるでそのロイヤルファミリーが普通のホームドラマのように、寝間着のままベッドから起きだしてくる様とか、テレビを見ながらフィリップ殿下や、当時健在だった女王の母上のエリザベス皇太后、チャールズ皇太子などがあっけらかんと茶の間で話すシーンなんてのは見物です。実際、こんな感じなのだろうか。
 そんなちょっとのぞき見趣味的描写があるかと思えば・・・とにかくびっくりさせられるのが、王室の「私有地」であるスコットランド・バルモラル城での描写。狩り場まで、もう女王や皇太子が自分でハンドル握ってレンジ・ローバーなど乗り回すところは驚いてしまう。そしてかっこいいなというか、自立した王室なのだな、と、それはこちらの国の皇室と比較してみてもちょっと考えられないですよね、陛下と呼ばれる人が荒れ地でバーヴァーのオイルジャケット羽織り、一人でジープ乗り回すなんてのは。
 で、川の真ん中でシャフトがおれる、というシーンがあるのですが「前のシャフトよ、私は戦時中、車の整備をしていたから分かるの」と女王が言うあたり、実際、戦時中は女王も従軍していたんですよね、そのへんもさりげなく示していて、まあただの贅沢で箱入りのお嬢さんじゃないというのがこれでもか、と出てきます。
 もう一人の主役は、トニー・ブレア。この作品の主軸であるダイアナ元妃の事故死の直前に就任した若き首相です。これがまた、そっくりさんじゃないのだがよく似ている。
 が、シェリー・ブレア夫人はこの映画を見たのだろうか。はっきりいって相当に悪い描き方になっているのですが、彼女。いくら幕引き目前とはいえまだこの首相夫妻は現役なのに・・・そのへんがまた、とても日本じゃ考えられないですね。とにかく主要人物のほとんどは健在どころか現役なのですから。
 10年前のダイアナ・フィーバーは結局なんだったのか。今では英国人も、あれは一種の欲求不満というか、集団ヒステリーのようなもの、と考えているようです。この事件で一人悪者とされた女王ですが、今冷静に見れば、パパラッチつまりマスコミが主犯であるという事実をかわすため、マスコミが必死になって悪者を女王に押しつけたわけですね。そういう構図というのが映画でも出てくるのですが、そこで一人、くせ者というかこれも一般に思われているよりずっとしたたかなのがチャールズ皇太子という人。ダイアナの死に際しては、けっこう実際に嘆いた、というところも描かれていますが、それよりも、国民のヒステリーに際して保身を考える節があるような・・・しかしこれも、単なる保身というよりも、王室そのものを護ろうという意識の表れなのでしょうね。
 非常にこう苦みがあるというか、甘ったれたお涙ちょうだい映画も近頃多い中、そんな「お涙ちょうだい」フィーバーをきっぱりとはねのける王室を描いた、いかにも英国的な骨のある一本。決して保守じゃなく、むしろ左翼寄りだという監督に脚本家、ヘレン・ミレン自身も本当はそうらしいのですが、しかし女王と君主というものの重み、というのをこう的確に描くに当たり、妙なバイアスがかかっていないのがお見事。それでも保守本流の英国人は不満に思うかも知れませんが。
 この映画も、もっと拡大公開してほしいもんですが。

2007年4月16日(月)
 地球温暖化がむしろ問題だという昨今ですが、太陽が急速に輝きを失う近未来・・・もっとも、将来的には太陽も「死ぬ」わけなのですが、とにかくそれがわずか50年後に起こる、そして人類に残された手段は、巨大な核弾頭を宇宙船で運んで太陽の中心部に打ち込むだけ、そんな設定のSF映画「サンシャイン2057」を見ました。
 この人類の未来をかけたミッションに集結した世界中の科学者チーム。それを束ねる船長は日本人の金田(真田広之)なんですねこれが。さて、ミッションは成功して無事、地球は救われるのか、そしてクルーの運命は・・・。という次第なんですが、まあいちばん似ているテイストといえば「2001年宇宙の旅」でしょう、あれを思い出させるシーンが多いです。しかし、招かれざる邪魔者・未知の敵が侵入してきて、正体がわからない、という展開は「エイリアン」を思わせるし、地球を救うミッションに命を懸けるところは「アルマゲドン」のようでもあり、また宇宙空間の密室劇という点では「U・ボート」のような潜水艦ものの持ち味も感じさせる・・・実際に、それらの先行映画を参考にした、という話がパンフレットにあります。
 監督が真田さんを起用したのは「たそがれ清兵衛」での演技が決め手だったとか。ぐっと耐える男、それが日本のサムライ、ということでしょうか。実際、キャプテン金田は本作の中ではじっと耐える男、常に沈着な男・・・実を言うと、今回のミッション「イカロス2号」は人類にとってのラストチャンスで、7年前に出発して謎の失踪を遂げたイカロス1号の失敗をリカバーするためのもの。そして、イカロス1号の失敗はどうも、任務の重圧に負けたピンバッカー船長の乱心に原因があったようで、そう意味でもイカロス2のキャプテンは「絶対に平常心を失わない男」が必要であった・・・そういう設定らしいんですね。そこで日本人が起用され真田さんが出演した、というのは日本人としてちょっと気持ちがいい話ではあります。当初の予定じゃアメリカ人という設定だったらしいのですけど。
 さすがに英国でシェークスピア劇に出て鍛えただけのことはあり、英語も完璧。お見事です。
 実際、前のミッションの失敗と前の船長の乱心、というのがその後のお話に大いに絡んでくるのですが、ま、そのへんは語らないことにしておきます。
 最後まで手に汗握るサスペンス、密室ものとしての緊迫感と非常にシリアスな展開は見物です。それは本当に面白い・・・が、惜しむらくは最後のオチですか。
 ま、簡単に言いまして、結局、一人の不適任な馬鹿者のせいでみんなが苦労しました、というのでは、ちょっと締まらない感じがありますが・・・。
 ヒロイン格の女性がどっかで見た顔、と思ったら「トロイ」のヒロインのローズ・バーン。いい演技をしております。この女優さんは上手いですね。
 宇宙に出ると、人間の精神はかなり変容するという話があり、けっこう帰還してから奇行に走る人もおります。最近でも妄想的な嫉妬心で異常な追跡劇を演じて解雇されたNASAの女性飛行士がおりました。
 本作の理解にはそこらへんが重要ですが、ちょいと感情移入が難しいかな、という思いも残りました。そこんとこ、納得しないと、前船長の乱心の謎もピンと来ないうらみがあるんですね、話として。
 とにかく緊迫した息苦しいほどの密室劇、として見るのが一番、と思います。そういう見方からすると満点かもしれません。非常に疲労します。
 宇宙ものの娯楽系じゃないハードなSFとしては久しぶりという感じもあります。そういう系譜の最新型として一見の価値あり、と思うわけでありました。


2007年4月10日(火)
「アラララララララ・・・・」というあのインパクト大な予告編。テレビCMでもあの、化け物がアラララ言っているシーンを思いっきり使っておりましたが、確かにあれ、耳に付きます。見終わってみますと、とにかくあのアララララ、と、主人公の「おっもしれえ!」という台詞が癖になってしまって、しばらく口について離れませんでした。
 ということで、東映の痛快娯楽大作「大帝の剣」を見てきました。阿部寛主演、長谷川京子、宮藤勘九郎、津川雅彦、杉本彩、竹内力らが共演、という時代劇にして伝奇ファンタジーにして、いやもうこうなるとSF作品といってもいいか。さすがに夢枕貘原作。スケールが大きいというかなんというか。まあ「魔界転生」とか「帝都物語」をさらに百倍ぐらい大風呂敷にしたような話であります。
 一応、時代背景としては、島原の乱の直後というから1638年ごろ、徳川幕府が3代家光の時代に入ってようやく安定してきたころ、というわけです。が、この話はいきなり豊臣家の血を引く舞姫(はっきり映画では語られませんが、秀頼の娘なんだろうか)というのが生き残っており、これをひそかに養育してきたのが真田幸村・・・彼も大坂夏の陣で戦死していなくて、この時代まで20年以上もひっそり生きていたという設定なのでまあ70過ぎの老人です。で、舞姫のお供に忍びの佐助、これは有名な猿飛佐助本人じゃなくて、どうも子供ということらしい。霧隠れ才蔵は登場しますけどかなりの高齢という設定なのは、こちらは初代の本人なんでしょうね。で、豊臣家再考をねらい、前田、島津、毛利といった諸大名とひそかに通じて陰謀中。それから、島原の乱後ということで、やはりというか、天草四郎も死んでおらず、やはりお話に絡んでくる・・・ここまではまあ、ちょっと突飛な歴史物ならありがちな設定。それにしても、この話通りだと徳川幕府ってぜんぜん、敵勢力の親玉を倒せなかったことになりますね。
 それはさておき、もっと奇怪なのが主人公というのが破格な人物で、まず彼は宣教師のヴァリニャーニが織田信長に献上したとされるおそらく日本で最初の黒人ヤスケの孫、というのであります。ヤスケは実在の人物で、信長から高級武士待遇に取り立てられて、本能寺の変でも信長を守って奮闘したという記録があります。が、彼に孫がいたというのは初耳。で、彼が背中に携えているのが「大帝の剣」という巨大な両手剣。どう見ても日本の刀剣の流れからは出てこないものですが、なんとこれは太古の地球に飛来した神秘の金属「オリハルコン」(こいつもSFではよく出てきますよね、アトランティス帝国で使われていたというあの金属)で出来ており、刀の形にしたのはあのアレキサンダー大王、というのだからすでに話がでかい。
 そして、この剣と、世界中に散らばった三つのオリハルコンの秘宝を集めると、世界を征服できるパワーが授かる、という設定もこういう話じゃありがちですが・・・。
 しかしそれだけじゃなくて、このオリハルコンを巡って、地球人だけじゃなく、宇宙からもエイリアンがやってきて争奪戦を繰り広げる、ということに。
 もちろん、豊臣家の残党も、また徳川幕府も、このオリハルコンの秘密は知っていて、血眼になって手にいれようと躍起になっているわけであります。
 ということで、大風呂敷のお話ですがとにかく面白い、肩の力を抜いて楽しめること請け合い。近頃見た娯楽系の作品じゃ抜群の面白さじゃないでしょうか。脚本もよーく練れていまして、テンポもよく、お笑いたっぷりだが、かといって必要以上にふざけてもいず、実にいいバランス。
 阿部寛が実に楽しそうにやっておりますし、ほかの出演者も本当にこの映画は楽しく演じているのが伝わってきます。江守徹のナレーションも、前の大河ドラマでの語りを思い出させますが、非常にこのけれん味のある世界観にはまっております。面倒くさい設定など、もうぜんぶ江守さんの語りに語らせてしまうあたりがかえって好感を持てます。楽しむためにはまず分かりやすくないとね。
 でも、意外にもけっこうしっかりと作ってあるな、というのはたとえばヴァリニャーニが信長に謁見するシーンなんてほんの数秒なのに、しっかり出来ています。
 宇宙船の飛来シーンも、そのへんのSF映画よりもよっぽど長く、派手な宇宙戦争のシーンが描かれていて実にとんでもないところで凝っている映画です。
 で、あの「アララララ」という化け物ですが・・・ちょっとネタばれになりますかね、あれは実は決して主要な登場人物じゃない、というのが面白いですはい。竹内力が演じるボスキャラは別にいるんですよね。だから中ボスというか。ところがその、全体の中では決して主要な役回りじゃないキャラがいちばん目立っていたりして、そのへんがおかしいです。
 おかしいといえば、この映画のパンフレットもパロディーがきいていて、中学校の歴史の教科書風になっていまして、駄法螺満載で笑えます。たとえば宇宙船の写真のキャプションに「加賀藩に伝わる宇宙船の絵図」とか書いてあって(嘘付けというの)。
 ラストシーンではとことん、とんでもないことになりますが見てのお楽しみ。なんでも、監督がキューブリックの「2001年宇宙の旅」へのオマージュを込めた、とのことですが、私もそのシーンで2001年・・・を思い出しました。
 面白いです、最近は邦画にパワーがあるといいますが、本当にそうですねえ。
 

2007年4月09日(月)
 なんとはなしに「3月末で芸能界からの引退を発表していた飯島愛。彼女のラスト出演となるテレビ番組が先週末にかけて放送され、『中居正広のキンスマ!波瀾万丈スペシャル!』(TBS系4/6(金)21時〜)が21.0%(関東地区/ビデオリサーチ調べ)の高視聴率を記録したことがわかった」(オリコン)なんて話のほうが気になったりする。実際、飯島愛は偉いよなあ、有名人、セレブ、そしていまだ人気は十分にある中で、そんな立場を投げ捨ててここで人生、見つめ直すという決断は本当に立派。本当の経緯は知る由もないが、とにかく人生をああやってリセットするなんてのは出来るようでなかなかできないように思う。
 「・・・のほうが気になる」というのは、もちろん、昨日の選挙と比べて、なんですがまあ、ぜんぜん世間的には関心をもたれていないですよね、あんな選挙は。
 さっそく慎太郎節炸裂だそうで、ま、どうでもいいけどねえ・・・。が、なんにしても東京ってのは、他人を足蹴にしてでも勝ち残りたい人が集まる街。選挙の争点として「格差是正」なんてことは言わないほうがいい土地柄、とは思う。そのへんは民主党の鳩山さんの敗戦の弁の通りでしょう。
 オリンピックというのもあれでしょう、どうせ実際には招致できないだろうよな、という感じもあるし、まあなあ。
 千葉県は県議選があっただけだから、大いに盛り下がっておりまして。
 県議選なんて本当に一般人には関係ないんだけど、しかし県議というのは国政選挙では実働部隊なんですよね。そんだから実は知事選より地味だけど、けっこう玄人的な目からすると大事らしい。今回、民主党が各地の都道府県議選でかなり躍進した、というのは事実であって、自民党は気にしていない振りをしつつ気にしているらしい。
  




2007年4月02日(月)
 4月である。今日から社会人という人も多いだろう。またどこやらの代理店が今年の新入社員を名づけて「デイトレーダー型社員」としたそうだが、毎年恒例で辞められないのかもしれないが、くだらないからもうよしてはどうかと思う。ちなみに去年は「ブログ型社員」だった。くだらない、流行ものを無理にくっつけけているだけのこと。私が社会に出た平成元年はなんだったか・・・さあ、きれいに忘れた。どうでもいいこと、ということだ。この命名と、それから先ごろ発表の「上司にしたい有名人」調査はいい加減やめればいいのにと思う。後者も、その時々のヒットドラマのヒーロー、ヒロインを演じた俳優女優か、プロスポーツの監督の名前が挙がるだけで、まったく意味がない。
 東国原知事が宮崎県の新人入庁式で「インフルエンザでタミフルの飲みすぎで異常な言動をします」と断った上で「部長職は要らない、最前線で働く若い人のほうが重要」とぶち上げ、すぐに失言でした、と謝って見せたそうだが、計算づくであろう。
 そもそもアメリカで電子メールやイントラネットが普及した理由は、トップと末端以外の社員は無用、ということで中間管理職をリストラするための手段だった。
 それでしかし、痛快がっていられるのは若いうちだけ、年を取ってくるとまた人は言うことが変わる。「デイトレーダー型社員」などといわれる新人さんも、やがて重役になれないなら中間管理職など無用、と言うことになる前になんとかしなければ、と思うようになるのだろうから、企業に忠誠など誓えるわけがない。
 いい時代である。けっこうな美しい国だこと。
 ◇  ◇  ◇
 能登地震のとき、狸や鳥などが地震の前に逃げおおせていた、という記事を共同通信で読んだ。やはり地震予知が出来ないのは人間だけらしい。5秒前の警報で何が出来よう。
 くだらない生物である。
 ◇  ◇  ◇
 今年ではなく、去年の新人さん、つまり31日まで最若年だった人とこないだ話していてふと「ソ連って知ってるのか、君は?」と聞いてみた。もちろん、活字の会社に入っている若者だからソ連と言うのがあったことは知っているが、「リアルタイムの記憶はない」という。当然だろう、ソ連崩壊は彼が小学校に入るか入らないか、という年のことである。もちろん湾岸戦争も記憶にはないそうだ。すべて後知恵だそうである。すでにして、ソ連なんてのも邪馬台国なんかと同じようなものになってしまったのである。
 あと数年すれば、911テロを知らない人が登場するはずである。そりゃそうだ、たとえば私の年でもキューバ危機なんてリアルタイムの記憶はない。
 歴史の風化は早いものである。要は、必死になって教え込んでいることしか記憶に残らないのである。
 ◇  ◇  ◇
 飯島愛が去り、加護亜依が去り、田波涼子が釈なにがしといわくのあった某社長と結婚したそうである。どの人にも全く思い入れがないが、芸能界というのも今や割りのいい仕事といえるのだろうか。セレブという言葉は本来「有名人」の意味である。エリートとか特権階級という意味合いはない。犯罪者のセレブもだから、あり得る。
 有名であるといっても、どれほどの間のことか、5年、あるいは10年?
 そうそう、植木等さんが逝った。こういうレベルで、70、80になったときに扱われる芸能人が今の若い衆の中にいるのだろうかと思う。
 

2007年3月28日(水)
 ポール・バーホーベン監督の新作「ブラック・ブック」を見てきました。名作だと思います。「ヒトラー最期の十二日間」を見た人とか、「暗い日曜日」が好きだ、というような人にはお勧めです、傑作サスペンス。
 そう、サスペンスなんです、ナチス時代の背景が重要な歴史物ですが、本筋は完全にサスペンス。たとえば同じようなもので、ナチス時代を背景にしつつ犯罪捜査物だった「将軍たちの夜」というのもありましたが、ああいうテイストのものです。
 とはいうもののですが、あの時代のオランダ駐留ドイツ軍、その中でも親衛隊の保安本部(SD)をメインにしている訳ですから、生なかな描写では済みません、拷問シーンも虐殺シーンもどんどん出て参ります。が、問題はそこじゃないんですね、面白いことに。
 今回の本筋は、その親衛隊SD部門の将校で私腹を肥やそうとして、ユダヤ人の金持ちを殺しては金品を略奪しているとんでもないヤツと、これと共謀して、レジスタンスのふりをしてユダヤ人に「逃亡の手引き」をするオランダ人の共犯、というのが出てくるのであります。これ、オランダ人としては歴史の恥部。また、ほかにもっと大問題として、SD責任者とお互いに終戦まで破壊工作をしないかわりに処刑をしないという取引をするレジスタンスとか、さらにレジスタンス内部にいながらSD側に内通している裏切り者の存在とか・・・が、次々と登場。
 おまけに、ナチスに荷担したオランダ人を同胞のオランダ人が戦後、どのような扱いで報いたか、というシーンがあったり・・・つまり、誰しもが戦後になるとレジスタンス活動をしていたふりをしたがるんですね、そして保身のために、親独的だった人たちを迫害するわけですが、このシーンなどでは「お前らのやっていることはナチにも劣る!」とある登場人物が切って捨てているんですが、ああいうのはオランダ人としては正視に耐えないかもしれません。
 さらに、オランダ人はおおむね他の国よりはユダヤ人に寛容だったとはいえ、それでも差別意識が強かったということを示すシーンも続々と出てきます。よくここまで、自分らにとって都合の悪いことを、オランダ人であるバーホーベン監督が製作できたな、と思います。「硫黄島」シリーズでも思いましたが、世界的に見て、少なくとも60年前の第二次大戦についてはかなり冷静に相対化して見られるような雰囲気が出てきているのじゃないか、それはおそらくイラク戦争で「正義の戦争」なんてものの化けの皮がはがれたからではないか、と思う次第です。そういう意味合いでは、日本を含めアジア地域ではまだまだこういう突き放した見方、歴史の直視が出来ていない感じがするわけでもあります。
 もちろん侵略戦争をはじめて迫害を開始したナチスが一番悪いに違いないのですが、その占領下で、私たちはかわいそうな被害者であって、正義のためにレジスタンスをしていたのです、というだけの構図では納得できない、という話が多々あるわけで、サスペンスの骨組みを借りながら、非常に硬派な内容に仕上がっているのがすごい迫力であります。
 主人公のユダヤ人女性を演じるのはオランダでは有名な女優さんだそうですが、すごいですよ、体当たり演技です。この人はナチス情報部にスパイとして潜入し、ドイツ将校に身体を売ってまで情報を得ようとする鬼気迫る役柄なんですが、とにかく立場が二転し三転し、息つく暇もなく話が進んでいきます。一体全体、誰が信用できるのか、それとも誰一人信用できないのか、本当の裏切り者は誰なのか・・・シビアな話が展開していきます。見事にその中でしぶとく強く生きていく女性を演じております。
 また、彼女をスパイと知りながら本気で愛してしまう、ナチス将校ながらこの作品の中では非常にまともな人、ムンツェSS大尉を演じているのが映画「オペレーション・ワルキューレ」でシュウタウフェンベルク役だった人。これははまり役。また、その上司のSS大将役は「ヒトラー最期の十二日間」でシェンク軍医を演じていた人です。しかしSSの服がはまって見えます(別にこういう役柄ばかりじゃないんでしょうが)。ちなみにこの映画ではSDの将校たちはグレーの制服姿。右襟の襟章は「SS」の文字がないブランク(空白)で、左袖には「SD」の菱形の記章付き、とマニア心をくすぐる立派な時代考証ぶりです。
 ほかにもいろいろな制服や当時の車両が続々と出てきます。オランダの警察やSS現地補助隊員の制服、消防警察の制服なんてのは大戦時代に興味ある人には必見でしょうね。
 それに、本物のB17やウエリントン爆撃機を使用していると思われるシーンもあり、あんなワンシーンのためにここまで凝るのか、と驚かされます。さすが制作費25億円。
 SD将校のパーティーで、全員で「ホルスト・ヴェッセル」(親衛隊歌)を合唱するシーンなんて、映画でこんなものを見られるなんてまず思わなかった、ここだけでもドイツ軍マニアは必見ものじゃなかろうか、と思います。
 とまあ、このようにかなりのマニアでも大喜びしそうですが、しかし、社会派ドラマとして重厚、またサスペンスとして何よりも煉りに練られていますので、娯楽作としても楽しめます。
 惜しむらくは公開映画館が少ないこと。私も今回はいつもの舞浜の映画館ではやっていないので、幕張まで出かけました。それも一日に三回だけ、3時台の次が9時過ぎのレイトショーというのはきつすぎ・・・これじゃ見たい人も見られないですよ、なんとかしてください! 私も12時近くになって終電で帰宅しました・・・。
 ハリウッドの有名人は出ていないし、アカデミー賞を取ってもいない作品には日本人の反応は冷たいようですが、こいつは傑作ですよ。
 


2007年3月21日(水)
 哲学エッセイストの・・・という肩書きでよろしいのだろうか。池田晶子さんが46歳でがんで亡くなっていたことを今頃知った。今頃、というのはもう今月の初めには発表されていたからで、しかし私ははっきり言って新聞屋の癖に新聞の、特に社会面関係をぜんぜん読まないにんげんなので、訃報も結構、知らないで平然としている。
 近頃、ある若い詩人から来た書面に、池田さんの死について書いてあったから、それで知ったわけである。
 それで今頃になってちょっと調べてみると・・・面白いことなのだが、不思議に、あちこちのブログで「池田ファン」と「アンチ池田」が延々と論戦というか、喧嘩を繰り広げているようなのが面白い、いや面白いというとなんだが、正統派の大学で哲学など研究している人には総じて受けが悪かったようだが(まあ、そういうものだろう、売れっ子はつらいものだ)とにかく今の感覚では夭折といっていいので影響はそれなりに大きいように見受けるのである。
 とにかく週刊誌連載エッセイのタイトルが「死に方上手」というぐらいで、また哲学の人なのだから、生死のことを常に考えていた人である。どっちかというとソクラテスというよりは、武士道の人のようにすらときどき、思えた、彼女のエッセイを読むと。そしてなんだか早く死にたいのじゃないか、と思われることも多かった。とくにあるエッセイで「自分は酒をいくら飲んでも決して酔わない」「体力には絶対の自信がある」と豪語しているのを読んだとき、ああ、この人、自分で思っているよりずっと早く死ぬな、と思った。そしたら思ったとおりである。私はそれを読んだときに違和感を覚えたものだ。ソクラテスを信奉する人にしてはその・・・随分と、自分に自信がある人なのだな、と。あるいは、入門的なエッセイとして売文としての価値は別に、哲学というのはそこまで威勢が良くて明解なだけでは、違うのではないか、という疑義がないではなかった、私には。
 ソクラテスものの本を二冊、読んだことがある。とにかく平和ボケ日本ではこの人の明解な語り口は確かにソクラテス的「産婆術」として機能したに違いなく、私もかなり好きだったのだが、週刊誌連載となるとしばしば、まあそれは毎週1本となるとネタもなくなり、そのへんの俗な話題を取り上げる必要もあり、そのための問題と思うが、本来なら「無知の知」がいちばん大事なはずのスタンスが、ときどき不用意に、本来は詳しくないだろうことにも口を挟んで、切れ味が悪くなったり、ということも見受けた。自分は無知である、という謙虚さがはじめにないと産婆術はうまくいかない。が、連載エッセイではそれではネタが切れてしまう。
 私もたとえば、福知山線の事故のときに、マスコミが人の死を祭りのように喜んでいる、というような記事には不快を感じたことがある。とんでもない、マスコミの人にとってもああいう事故は迷惑なだけである。暇で暇でなにもない状態がいちばんいいに決まっている。そのほかしばしば、本来は口を挟むべきではないことに口を挟むように見受けたことがあって、おそらく週刊誌連載には本当は向かない人だろう、単行本ならこんなに拡散したテーマになるまいに、などと思っていた。
 誰しも思うことだが、あれほど明解に死生観をかたり死の覚悟を武士のように語っていた彼女が、実際に訪れた死に対してどれほど慫慂と受け入れることができたか、という点が非常に気がかりである。わたしはしばしば、明解に過ぎて、語り口が切れ味鋭いのに任せて、しかしそんなに死生とは明解なものだろうか、それはそれで万事を悟ったように言い切るのは傲慢なのではなかろうか、と内心では思っていたからである。
 「死後の世界は哲学的には語りえないので沈黙する、ただそれだけのこと」と言えるのは、しかし自分がある程度、元気なうち、論理的にはともかく実際はしかし当面は死なないだろうと思える間の話ではなかろうか。
 ソクラテスをあれほど尊敬していたわけだが、終わってみると、「自分は無知であることしか知らない」と言った人にあまり似ていなかったように思えるのでもある。


2007年3月20日(火)
 ふと、日勤の後が夜勤、という絶好の「穴」が私のスケジュールに空いたので、映画「ナイトミュージアム」を見てきました。実はひそかに楽しみにしていたのである。
 というのも、クリス・コロンバス製作でベン・スティーラー主演というこの映画、基本的にファミリー向けの肩がこらないコメディーであるのは明白、そして、そういう問題作でも社会派でも異色作でもなんでもない、ひたすら娯楽として良くできている映画、というのを見たくてしょうがなかった。このところ見た映画は「硫黄島」二部作に「どろろ」に「蒼き狼」「ラストキング・オブ・スコットランド」であった。そのちょっと前も「トゥモローワールド」に「デスノート」であった。いずれもいい映画だったのは間違いないのだが、しかしまあ、濃淡はあるが能天気に笑える娯楽作品というものではない。後味が真っ暗、というもののほうが多い。それはやはり世相の反映とかいろいろあるのか。ハリウッドが不振といわれるのも、単純なお話を作りづらい重い雰囲気があるためなのは間違いない。そりゃやはり、アメリカ人にとっても今は「負け戦」という気分が濃厚なのだろうと思う。
 が、ハリウッドにはハリウッドでしか作れない映画というのも確かにあって、ことさらなんのメッセージということもなくて、しかし莫大な金がかかっており、脚本はよく練れていて、どこかハートウオーミングであり、お笑いの合間に、家族の絆の大切さ、なんてものをじんわりと感じさせてくれる・・・そういうことに成功しているのなら、それはもう見事なエンターテイメントである。
 そして、本作は期待通りに、そのような映画であった。言うことはない。
 話の筋書きは、冴えないバツイチ父親の主人公が、なんとかして父親としての立場を守ろうとなり手のない職場に就職する。それは近ごろ人気低迷中で赤字続きの自然史博物館の夜警、というもの。新人1人を採用してベテラン3人を解雇する、というリストラ方針の一環というものだった。それにしても、なんでその夜警の仕事がそんなにもなり手がいないのだろうか・・・それは、この博物館の展示物は、ティラノザウルス・レックスの骨格標本から26代ルーズベルト大統領の蝋人形やフン族の大王アッチラ、古代ローマ帝国の軍団からモアイ像まで・・・そのすべてが夜になると「よみがえる」からである!
 しかし、なにしろ恐竜は暴れまくるのだし、フン族は歴史で語られるとおりに残忍だし、ローマ軍は領土拡張に燃えているのであるし・・・大混乱になるのである。さて、主人公はこれをどう治めていくのであろうか、そして、尊敬が薄れかけている息子の信頼を取り戻すことは出来るのであろうか、という筋書きである。おおづかみなテーマは、やはりコロンバスのチームが製作したシュワルツェネッガーの「ジングル・オール・ザ・ウェイ」のようなものと思って良い。
 誰しも、夜になると博物館とか学校とかでは何が起こっているのか、などと考えることがあり、それで「学校の怪談」の数々も成り立っているのだが、今回の映画の基本は90年代初めにクロアチア人イラストレーターが出版した一冊の童話が元だという。
 芸達者がずらり勢ぞろいしているが、中でもベテラン3人組のリーダー、セシル役が「どこかで見たような顔」と思ったら、なんとあのデイック・ヴァン・ダイク本人。もう80代も後半だと思うが元気いっぱい、珍しく今回はちょっと裏がある、悪役といっていい人物なのだが楽しそうに演じている。また、途中と最後で、いかにも彼らしい体をくねくねさせた見事なダンスを披露している。あの「メリー・ポピンズ」や「チキチキ・バンバン」で見せたのと同じような踊りっぷりである。
 また、主人公の設定がおそらく40前後と思われるので、選曲も70、80年代の懐メロというか、本人が夜更けの館内でアカペラで歌うのは「アイ・オブ・ザ・タイガー」だし(ちょうどロッキーの最終作が公開されるのでそのこともあるんだろうか)、ラストで登場人物がせいぞろいして踊り狂うときの曲はアース・ウインド&ファイアーの「セプテンバー」だったりするが、妙にはまっている。ここは最近のブラック系の曲ではしっくりこないだろう。
 考えてみると、ヴァン・ダイクの全盛期の「メリー・ポピンズ」などはファミリー向けの娯楽作品であると同時に、映画史に残る名作でもあった。少し後の「ET」なども一級のエンターテイメントで商業作品である上に、名作であった。こういう映画ってのを作るのは難しい時代なのかもしれず、これは音楽でも文学でも、閉塞、ネタ切れ、行き詰まりになってくると妙に「娯楽もの」「シリアス」「社会派」などと細かく分裂して、それぞれ先細りして自滅していくものである。
 が、ひとつこういう作品を契機に、楽しくてハートウオーミングな映画をまた作って欲しいものである。制作陣がわざわざ、一度は引退したヴァン・ダイクを起用したのもそういう意味合いじゃないか、と私は見ている。
 


2007年3月18日(日)
 昨日、久々に実家に寄った所、近所になかなかいい寿司屋が開店したので行こうじゃないか、といわれて両親と共に行ってみた。「創作料理 一幸」というのである。
 すると、3000円でけっこうなボリュームの寿司が出てくるし、個室は完備しているしなかなかよい。もちろん駅前とか、繁華街に出ればこんなお店はいくらもあるだろうが、住宅街の真ん中にこんなものが出店するのは珍しい、実際、そのあたりは千葉県柏市と松戸市の境の辺りで、ほかに目立った飲食店もない。
 早めに入ったのが正解で、その後、どんどん客が押し寄せて瞬く間に満席、待ち、となってしまった。タクシーで乗り付ける人までいるのには驚いてしまった。
 調べてみると、千葉県木更津市で1969年にスタートした寿司屋さんで、現在は千葉県内だけで10店舗ほど展開しているようで、他の都県には進出していないようだ。
 ◇  ◇  ◇
 近頃は結構これで公私とも多忙である。この日記の更新も滞りがちであるが、まあほかに書く場があるばあいには、こちらが後回しになるのも致し方ない。
 ところで今更だが、先週のボンバルディア機の事故について思ったのだが、ああいうプロペラ機の場合、実は脚部に欠陥がある、というのは珍しくなかったりする。
 ことにああいう、高翼つまり機体の上側から翼が出ていて、大直径のプロペラを装備している高速機については、地面までの距離が長くなるのと、プロペラ分も地面から離す必要があって、同じぐらいの大きさのジェット機と比較しても脚は長めになり、それだけ欠陥も起き易かったりする。また、今時のああいう機首の下に前輪があるタイプほど、前脚への負担が大きくなる。
 戦前の、後輪式の飛行機だとそもそも後輪は引き込ませないものも多かった。
 また、戦時中のプロペラ機では、コルセア戦闘機とか、マローダー爆撃機など、脚部の欠陥で悩まされた当時の新型機である。やはりいずれも大直径のプロペラを擁して、脚がどうしても長くなったためのトラブルだった。
 なにしろボンバルディア機は時速700キロ近く出るというから、かつてのムスタングなど超高速のレシプロ戦闘機と同等の高速機である。そもそもは、大戦中に高速を誇ったモスキート爆撃機のメーカーであるデ・ハビランド社の設計というからなるほど、ではある。
 とにかくプロペラ機については第二次大戦ごろで全ての技術が出尽くしており、そういう意味では新型機だから、といってことさら新しい技術があるはずがない。
 かえって、今の時代にはプロペラ機の運用については知識が乏しくなっている可能性のほうが高い。
 日本でばかり事故が起きている、という話もどうも胡散臭いが、あるいは日本の整備陣にプロペラ機の扱いが分からない、ということはあるのではないかとも思われる。
 ◇  ◇  ◇
 そのほかに日興に、アメリカ発の株安に、ホリエモンの判決に、とまあそれなりにいろいろあったのだが、終わってみるといちいち、まあそんなもんか、と思うのである。
 いまだに堀江氏について「惜しい」というような声がないではないのだが、しかし、彼の手法というのは15年ほど前にアメリカではやって、その後はそういうことをやった成り上がり連中はみんな刑務所に入れられ、完全に否定された経済詐欺の手口である。映画「ウォール街」がヒットした頃の古いやり口だ。別に新しいのではなかった。日本人が無知だっただけだ。「はっきり違法でさえなければ何をしてもいい」というのは市場の世界ではダメというのが世界的な流れである。つまり、ああいう経営者の小細工よりも投資家たちと、「市場の神の手」が優先すべきだ、という市場絶対主義の思想である。
 要するに後進国特有の過渡期に現れたあだ花的な人物に過ぎない。今後、もっと若い世代にもっと有能な経営者が出てくると思う。あの程度の人物にいつまでも恋々としているのは馬鹿げていると思う、もうそんな人も少ないだろうが、念のため。

2007年3月13日(火)
 アカデミー賞で主演男優賞を射止めたフォレスト・ウィテカーの「ラストキング・オブ・スコットランド」を見てきました。あのウガンダの独裁者、大量粛清で知られるアミン元大統領をテーマにしたお話であります。しかしアミン失脚は1979年。私は中学生のころです。当時は「行方不明になっていた側近や政敵の首が続々と大統領官邸の冷蔵庫から発見」などと大々的に取り上げられましたが、今となると若い人にはピンとこないかもしれず、日本でミーハー人気が出るようなテーマではなさそう。実際のところ、平日のラストということもあって観客は少なかったです。
 しかし、これは見逃す手はないなあ。社会派ドラマだから重いし凄惨過酷なシーンも多いのですが、しかし妙に明るいというか、ノリがいいというか、ハイテンポでして、前のシーンにすぐに次のシーンがかぶさるように展開していく演出というのが利いていて、とにかくまだるっこさがない。手持ちカメラの多用で、架空の人物を交えたお話もドキュメンタリーの迫真力を持っております。全編をウガンダ現地ロケ敢行して実際にアミンの記憶も薄れていない、虐殺のあった場所で撮影しているのも見所です。すべてこれは計算されたものとおもいます。のんびり描写していると、とても見ていられない、というような重いシーンも敢えてどんどんぶっ飛ばしていく。どうもこの映画、1971年にアミンが政権を取ってから、78年のハイジャック機着陸事件までの6年にわたるお話のようですが、なにかジェットコースターに乗って最後まで引っ張られるようでもあり、ほんの一週間ぐらいの悪夢の物語のようにも思える。そこが狙いなんでしょう。
 というのも、このお話の語り手というか、視点になっているのは、スコットランドからはるばるやってきた新卒の医師、という設定だからです。なんの考えもなく、ただスリルが欲しくてウガンダにやってきたところ、なぜかあっという間にアミンの侍医となり、側近にまで取り立てられ、望むと望まざるとにかかわらずその悪行に協力する立場となって巻き込まれてしまう・・・なぜこんなことに? 人生が思いがけない方向に加速する感覚を描いているのでありましょう。
 物語の冒頭は、いきなりいかにも英国の古くさい大学の卒業式を終えて、制服を脱ぎ捨て、裸で池に飛び込む若者の群れ、という意外なシーンから始まります。そして、医者の資格を取った青年ニコラス・ギャリガンは、堅苦しい医者の父親と窮屈な家庭を逃れ、「どこでもいいから逃げ出してやろう」と、地球儀をぐるぐる回して指さす。一回目は・・・カナダ。これじゃあまりに変化がない。もっと、見たことも聞いたこともない国がいい。で、二回目で、彼の指が示したのがアフリカ中部ウガンダ。ちょうど軍部のクーデターが起こり、貧民から立身出世を遂げて国軍の副司令官にまでなっていたアミン将軍が政権を取ったときでありました。
 以後、まったく考えもしなかったことに、ギャリガンはアミンの政権中枢に巻き込まれていくわけでありますが・・・以後は見てのお楽しみに。
 それにしてもフォレスト・ウィテカー、さすがにオスカー受賞の演技です。というか、独裁者アミンの複雑な人物像をここまで演技で表現しているとは。ただの残酷な暴君を演ずるのはむしろ簡単でしょう。しかし一方でどこか純真無垢な子どものようでもあり、また猜疑心が強く、勇猛剛胆である一方で小心であり、残酷無比であるがユーモアがあり、恐ろしいが魅力的なカリスマ性のある人物。国民の圧倒的な人気と支持を得ながら国家を破滅させてしまう男。そういう人物を演じるには生なかな研究ではできない。とにかく貧民のどん底からのし上がった魅力的なカリスマの部分をどう演じるか、その同じ人物が、権力を握った途端にどのような疑心暗鬼にとらわれて生き地獄になっていくか、がこの映画のすべてであると思うのであります。このような人物像というと、歴史上ではもう一人、あのアドルフ・ヒトラーを思い出します。一兵卒からのし上がり、人々を魅了して政治家として成功する反面で、おそろしい疑心暗鬼と猜疑心にかられ悪行に手を染めていく人物像には共通性がありましょう。
 映画のラストで本物のアミン・・・なにしろ2003年まで生きていたので、ちっとも過去の人じゃないのですが、その影像が出てきます。なんかこう、はっきり言ってウィテカーのほうがコワイのじゃないでしょうか。ちょっと斜視ぎみのような目つきとか、かえってアミン以上にアミンらしいような。
 それ以外の出演者もいい配役でして、青年医師を演じるのはジェームズ・マカヴォイ。ディズニー映画「ナルニア国物語」でフォーンのタムナスさんを演じて注目された彼、です。あの役柄も、強大な権力を持つ魔女に心なくも協力し、最後には刃向かって弾圧される、というようなものでした。一見するとセンシティブで弱々しそうだが、内面は強靱なスコットランド魂の持ち主、というこの映画の趣旨にぴったりのキャストでしょう。この役柄は、97年にベストセラーとなった原作小説で創造された架空の人物で、実在する複数のウガンダ政権に関与した白人をモデルにしているそうであります。また、アミンの第二夫人で後に悲劇に巻き込まれるケイに演技派ケリー・ワシントン。やはりアカデミー賞男優賞映画である「Ray/レイ」でレイ・チャールズの母親を熱演し、この時点ではまだ無名の新人だったのですが、生前のレイ本人をうならせた、というほどの実力者であります。この二人の熱演ぶりも大いに映画を盛り上げております。今後、ますます伸びてきそうですね。
 さらに、ギャリガンが心引かれる人妻役に、あれ、どこかで見た顔の人、と思えばジリアン・アンダーソン。あの「X−ファイル」のスカリー捜査官の人です。出番は少ないがきっちり仕事しています。
 なお、誰しも「スコットランド最後の王様?」と思う題名ですが、これはアミンのあだ名の一つ。かつて英連邦アフリカ軍の兵士であった頃、スコットランドの連隊と共に戦って、スコットランドに強いあこがれがあったのだそうです。実際、兵士にスコットランド風のキルトをまとわせて軍事パレードしている影像が映画の最後でも紹介されます。原作小説の設定で「スコットランド出身の青年」というのを考えたのもそのへんが根拠のようで、うまいまとめ方です。また、旧宗主国である英国の後押しで政権に就いたものの、その後はなにかと干渉されて、英国政府に対して不信の念を抱いていたようで、歴史的にイングランドに対して反抗を続けたスコットランドに対する思い入れ、というのもあったようです。
 後半はかなりヘビーで、ラストの10分は手に汗握るサスペンスになりますが、前半部など実に明るく楽しく、そのへん絶妙です。見事な構成力の映画だと思います。
 

2007年3月08日(木)
なにやら近頃は面倒くさい話題ばかりだ。実に鬱陶しいですな。北朝鮮にはなめられっぱなしだし、アメリカの議会じゃ何で今頃というタイミングで従軍慰安婦のことなど持ち出すし、である。
 いちいちにどう思うもこう思うもなく、鬱陶しいばかりである。
 そもそも属国同士の協議など意味があるのだろうか。北はとにかく核まで持って背伸びして自分も一人前と思いたいようだが、けっきょくは米中がどうするか、それだけのことだ。北にしろ日本にしろ、まともなプレーヤーだとは誰も見なしていないということである。
 慰安婦問題は、分からぬ。なんで今頃としか思えぬ。NYタイムズなど気にすることはない、あそこはそもそも反日新聞である。しかしやがて民主党の天下となったら、ブッシュのような出鱈目な政府はなくなるが、日本にとってはすごく嫌な展開になるのは間違いない。
 そうしていると、安倍内閣が公務員の天下り規制をようやく方針として出した。いうまでもなく「改革の本丸」とは郵政などではなくて、こっちのほうに決まっている。
 国民は分かっているのであろうか?
 要するに公務員エリートのキャリア至上主義、年功序列と早期退職、天下り、および退職金の重ね取り・・・ここをなんとかしないと日本の既得権問題なんて動かないのである。官製談合なんてのも根は天下りの結果である。天下り官僚を引き受けた企業としては、そのために莫大な役員報酬や専用車、秘書、個室を提供しているのだ。そりゃうまい話の一つや二つなければ割に合わないのは当然である。
 途中で肩たたきされた官僚も、元後輩に頭を下げなくて良い上に、退職後も悠々と重役人生を送れるから、喜んで出て行くし、そのために自分の役所に絶対の忠誠を誓う。けっきょく日本国がどうなろうが国民がどうなろうが興味なく、自分の役所さえ守れればよくなる。
 結果として官のかかる経費は安くならず、またそれぞれの企業も自分らのコストを載せていくしかなく、こうして官僚の老後を守るために直接・間接に税金、要はわれわれからふんだくったカネを使っているということである。
 各新聞にも載っていたが、役所が早期退職者を企業に引き受けさせるに当たっては、もちろん役所から頼むのだが、形式的には企業のほうから「人材割愛要請書」というのを出すのである。「かつあい?」と誰でも思うが、割愛って言葉は辞書的には「惜しいものをあえて手放す」というのが本来の意味である。つまり「有為な人材を残念だけど、手放してやるのでありがたく思え」と役所は言っているのである。もちろん実際にはただのジジ捨て山に過ぎない。が、普通の会社ならかつての部下の下風にたとうが子会社に流されようがじっと我慢が当たり前だが、役所は出世レースの負け組も全員、どこか大企業の重役にしてもらうのだから笑ってしまう。それで割愛していただく企業は実際、お気の毒である。それで談合がばれると罰金をくらって処罰されるのはいつも民間企業である。
 割愛という言葉にはもうひとつ、本来の意味があって、「俗世の欲望を絶って仏の道に入る」というような意味があるそうである。
 こっちの意味に替えてはどうかと思う。各省の次官になれなかった負け組官僚は欲望を割愛して、山にでもこもればいいのではないか。
 ま、安倍内閣が本当にこんな改革が出来るなら私は尊敬する。本当に出来るなら、イメージばかりの小泉内閣よりすごい成果だと思う。
 が、まあはっきりいって骨抜きの天才がそろっているのが官僚である。まずもって期待しないほうが良いだろうな。
 ◇   ◇   ◇
 私はNHKの大河ドラマで「風と雲と虹と」をやっているときに、滋賀県から茨城県の岩井に移った。平将門の終焉の地である。現在の坂東市である。
 その後、就職したのは東京・大手町の将門首塚のすぐそばにある会社である。
 そして、今年の初詣からよく行っている「浦安稲荷神社」。ここはいわゆるお稲荷様なのだが、ここの本社というのはじつは神田明神なのだと知った。
 神田明神の境内には浦安稲荷神社も合祀されているようである。
 いうまでもなく神田明神の「かんだ」というのは将門の「かど」の変化であり、神田明神の神様の第三席には「将門様」がまつられている。
 不思議に私は平将門にご縁があるようだ。

2007年3月05日(月)
映画「蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜 」を見て参りました。あのモンゴル帝国の始祖チンギス・ハーンを反町隆史が演じる、予算規模30億円という角川映画の最新作です。
 面白かったですね。実にうまく出来ていた。ああいう大河ドラマは歴史の流れと、それから人間ドラマの部分をうまく組み合わせないと、ただの歴史の教材のようになってしまったり、逆に薄手のホームドラマになってしまったり、なかなかリスクがあります。が、そのへんが非常に巧みに脚本が練られていたと思います。モンゴルの人が見て、どうなんだろうというのはあるのですが、しかしウランバートルでの試写会では大絶賛だったとか。これは、それまでモンゴルで作られた映画ではひたすらマッチョか、ひたすら神のような描き方になってしまって、人間的苦悩をうまく描けた作品がなかったそうなんですね。
 実際、あまり知らない人でも、ああ、なるほどそういう流れか、というのがよーく分かるように出来ています。チンギス・ハーンがそんなに順風満帆な環境から出てきた人物でないこと、というよりむしろ苦節何十年、という苦労人であることがよく分かるのであります。
 世界史上最大の大帝国を建設した英雄、ではあるのですが、あまりその生涯について知られていない、という意味ではアレキサンダーやナポレオン、シーザーなどと比較しても確かに知名度の割に事跡が知られていません。というのも、1206年にハーンとしてモンゴル族を統合し王を名乗るまで、はっきりいって何をしていたかかなり不明なのですね、そしてその即位式というのが、今回の映画でもクライマックスに出てくるのですが、そのときすでに50歳。以後、20年にわたりユーラシア大陸狭しと活躍するのですが、肝心の青春の日々というのがあまり明確ではない。
 で、そのへんをいろいろ想像もまじえて描いたのが井上靖の名作「蒼き狼」です。私はこれ、中学生の頃に読みました。ちょうどそのころにTBSの大型時代劇で、「海は蘇る」とか「関ヶ原」とか、映画よりも長い12時間ものの巨編ドラマを作っている時期だったのですが、その中に加藤剛主演の「蒼き狼」がありました。が、そのときは、正直に言ってどうも日本人が日本語で演じるチンギス・ハーンには違和感が、というのが強くて面白かったのだけれど、うーん、という後味もありました。まあ、今挙げた大型ドラマで加藤さんは山本五十六、石田三成を演じるなど常連でしたから、ますます「今度はモンゴル人? はて」というのもあったかもしれません。
 今回は、当初案ではこの井上靖の小説と、森村誠一の最近の作品「地果て海尽きるまで」の合わせ技にしたかったようですが、脚本上、無理もあるので題名のみ、井上作品からいただいた、ということのようでエンディングにそのことについてちょっとただし書きがあります。確かに「蒼き狼」というネーミングは非常に素晴らしいので、この題名以外では駄目だろう、と思うわけです。
 それにしましても、3万人を集めた即位式とか、5000人の現役モンゴル軍の兵士を使った戦闘シーンとか、あの時代の大陸の百万人規模の戦争を描くにふさわしいだけの準備を、今回の映画は日本映画としてはじめて整えたと言っていいでしょう。ロード・オブ・ザ・リング以後、急速に普及した「大軍を再現するCG技術」もあって、かつてのドラマで感じた違和感・・・大陸的スケールというのがなかなか出せないのが日本映画の限界だったのです、それを越えているとは思いましたね。全編現地ロケ、というのもそれを支えているのであろうと思います。4か月にわたって現地で撮影したのは、大変な快挙でしょう。
 俳優陣も気合が入っていますね。反町隆史は「YAMATO」のときも感じましたが、男臭いいい役者になりました。私は若い頃の彼は決して好きではなかったのですが、今や、この手のものでは欠かせない役者となりました。回りの役者さんたちも好演しておりますが、なんといっても松山ケンイチ、またまた出ておりますが今回もいちばんの見せ所は彼です。出生の秘密がある皇子ジュチの役なのですが、これが非常にまあ泣かせます。トオリル・カン(ワン・カン)役の松方弘樹も怪演ぶり。いやらしい狸じじいらしさが見事に出ております。
 対して女優さんたちは、どうでございましょう。ホエルン役の若村真由美は熱演しておりますが、その他いまいちぴんと来ない感じの人も。
 その中で、これはめっけ物というか、これは凄いという人が、チンギスの第二皇后となるクランを演じたAraという新人。すごい美形ですが、それだけじゃなく、なにか野性味というか、すごみがあります。巴御前のように最前線でチンギスに従っていた、という今回の設定にぴったりです。まあ新人だから少し台詞回しはぎこちないかな、などと思っていたのですがなんと、後で知ったのだがこの人、韓国人。ぎこちないもなにも、全くの外国語なんですね、日本語は。それだとしたら、すごい。まったく日本人だとばかり思っておりましたから。それも17歳、すでに韓国では売れっ子だそうですが、映画はこれが初出演。この人はなんか伸びてきそうですねえ。なんでも4万人のオーディションで残ったといいますから。
 とにかく、最後まで来て「あれ、ここでおしまい? もっと先を見たいな」と思いましたから、よく出来ていた映画なのだと思います。謎が多く、あれだけ複雑な部族間の対立、複雑な人間関係、そしてなまじっかな扱いをしたらまずいというモンゴルの国民的、いや世界史的英雄を扱うプレッシャー、それをうまくさばいていたと思います。
 他の部族の女性を略奪してきて、それをまた慰み者にするでもなく、ちゃんと族長の正妻に迎える、というような当時の風習などは考え方として日本人には分かりづらいものがありますが、ああやってドラマにしてもらうと、それがごく普通であったのだな、となんとなく分かってきます。チンギスとジュチの出生の秘密にまつわる後ろ暗さというのも、そこが肝であったりします。
 ワンシーンしか出てこないテップ・テンゲリというシャーマン(神官)がいて、井上靖版ではけっこうこいつがあれこれ腹黒かったような気もしますが、今回はワンシーンのみで、津川雅彦が格調高く演じております。なんでも「昭和天皇の口調を真似してみた」のだとか。ぜひそこもご注目ください。
 やはり迫力の戦闘シーンは劇場で見たい一本です。いい映画でした。

2007年3月01日(木)
3月ですか。早いものかな、今年も・・・なんてことを毎月言っていても仕方ないですがしかし、人生に加速がついている人もいれば、停滞している人もあり。加速中という人は毎日のように新しい進展が雪だるまのようにくっついてくるのだろうが、そうはいかない人もあり。まあ、人生パチンコみたいなものですかね。
 ところで、今日は卒業式、という学校が多いのですね。
 学校といえば、ふと、読売新聞の記事で「川崎市麻生区の市立長沢中学校(渡辺直樹校長、492人)で、2年生(4学級)の学年主任を務める男性教諭(48)が昨年9月〜12月、「イエローカード」から「地獄へ直行」まで5段階の文言を書いた模造紙を廊下に張り、遅刻回数に応じて生徒の名前を張り付けていたことが28日、分かった。同校によると、模造紙には、ほかに「レッドカード」「家庭にTEL」「校長先生と面談」と書かれ、生徒の名前は付せんで張られていた。渡辺校長は10月ごろ、掲示に気づいたが、「教諭と生徒の関係がうまくいっていた」として放置。しかし、11月上旬、文部科学省職員が視察に訪れた際には外させた。視察後、この教諭は再び模造紙を張り出し、12月末になって、他の教職員から疑問の声が強まったこともあって外された。撤去時には7、8人の名前が張られていたが、この間、「地獄へ直行」に張られた生徒はいなかったという」というようなものが目に付いたが、これ、当事者じゃないし、川崎市の学校の実態が分からないし、ここの学校の職員室の雰囲気も知らないし、実際のところどういう経緯でこうなっていて、どのような「疑問の声」があったのかが分からないのだが、しかし、記事を読む限りで言って、新聞ネタになるほどのなにかすごい問題ある話なのだろうか?
 私が中学高校の頃は、試験があるたびに学年の首席からビリまで全部、名前と点数の一覧を張り出したし、問題ある生徒と言ってはさらし者にしたし、今だとあれ、みんな問題だ、問題だと言っていちいち報道になるのかもしれないが、遅刻常習者の名前をさらし者にするとなんかいけないんですか、近頃の学校では。
 いじめ常習者だとかその他のついてこれない馬鹿者などみんなさらし者にして締め出してやればよいだろうに、としか思えない。近頃の学校は甘やかしすぎなのではないか、としか思えない。
 競争厳しくギスギスしてストレス多く・・・で、なにが悪いのか。にんげん社会などそんなものであろう。私に言わせれば休み時間などまったくなくしてしまえばいいのではないかとすら思う。私は子供のころ、休み時間が苦痛でならなかった、級友たちの幼稚な遊びを見るだけでイライラしたものだ。あんなものなくせばいじめも減るであろう。
 自由に人生を設計しましょう、なんていえば言うほど子供は不自由になる。あれはするな、これはやめておけ、ひたすら勉強しろ、と大人は言ったほうがいい。それでも絵を描きたいとか、それでもバンドがやりたいとか、そういう窮屈な環境のほうが結局、子どもも伸びるような気がする。

2007年2月27日(火)
ブルセラ病、というのをご存知の方はいるだろうか。
 動物の病気である。ウィキペディアによると「ブルセラ症(brucellosis)とは、ブルセラ(Brucella)属の細菌に感染して起こる人獣共通感染症。日本に於いては家畜伝染病予防法に基づく家畜伝染病に指定されている。家畜との接触・汚染乳製品の摂取を通じてヒトに感染する。1887年、イギリス軍の軍医・デビッド・ブルース(Sir David Bruce)によって病原菌が発見されたため、この名前が付いた。 人に感染すると発熱、発汗、頭痛、背部痛、体力消耗というような症状を起こす。重症化すれば、脳炎、髄膜炎などの中枢神経の炎症や心内膜炎、骨髄炎を起こす事もある」とのことだ。
 なんだかブルマーやセーラー服マニアのエッチな話かと思ってしまうが、ブルース軍医の名前を変形させただけのようである。
 で、この病気が大阪府和泉市のある犬繁殖業者で発病・・・この経営者はいわゆる悪徳業者でいい加減に犬を量産したあげく、放置して逃げてしまっているらしい。
 で、愛護家などから問題があると指摘されてものらりくらりと身をかわしてきた・・・そのへんは、話によればどうも行政側の一部馬鹿者と癒着・結託していたようである。
 が、いよいよ放置のあまりに犬がミイラ化するわ異臭漂うわ、アウシュビッツのようになって死骸ごろごろ、となるに及んで、和歌山市のあるボランティア団体が見るに見かねて介入。もちろんまったく無報酬で、である。
 で、ブルセラ病が発病していることが判明、もはやボランティアの手に負えず、と大阪府に訴えた。それが昨年12月のことのようである。
 で、府は何をしたかというと1月に対策本部を設置、2月までに2回の会合を開いて、要するに感染の可能性ある犬は全部、殺処分、ということに決定した。
 ボランティア団体は、そんなつもりで通報したのではないから、もちろん仰天する。で、トラブルとなって・・・。
「大阪府は27日、陽性反応が出た犬を殺処分しようとしたが、処分に反対する愛護団体のメンバーが詰め掛け、作業を中止した。処分の対象は103匹。府によると、職員が朝、犬の飼育されている和泉市の飼育場から運び出す予定だったが、愛護団体のメンバーら約30人が抗議し、搬出できなかった。犬は当初257匹飼われていたが、さらに6匹いることが判明。その後死んだりしたため現在は240匹になった。陰性だった犬137匹は再検査し、再度陰性が確認されれば譲渡する。府は今月、外部有識者らでつくる会議で処分を決定。「ブルセラ症は投薬治療しても完治せず、再発の可能性が高い。感染拡大を防ぐための決断だ」としている」(共同) ということで、今日の新聞は共同が配信したのであちこちでこの記事が載っている。
 また、テレビでも「大阪・和泉市の元繁殖業者が飼育していた犬が「ブルセラ病」に集団感染していた問題で、動物愛護団体らが27日、犬を安楽死させようとした大阪府に対し、抗議した。これを受け、大阪府は27日の処分を見送った。この問題は、和泉市の元繁殖業者が飼育していた犬が、流産などを繰り返すブルセラ病に集団感染していたもの。業者の廃業を受けて、大阪府が「治療しても再発し、ほかの犬に感染する可能性を否定できない」と、検査で陽性反応を示していた犬103匹を安楽死させることを決めていた。これに対し、複数の動物愛護団体が「治療すればそれほど危険な病気ではない」と訴え、保護を申し出るとともに、処分に猛抗議した。大阪府は抗議を受け、27日の処分を見送ったが、安楽死の方針自体は変わらないとしている」( 日本テレビNEWS24)とか、「大阪府和泉市で犬がブルセラ症に集団感染した問題で、大阪府は犬を安楽死させるため施設を訪れましたが、動物愛護団体が強く抵抗し、府は27日の処分をあきらめました。「公務執行妨害になります。通して下さい」(大阪府職員) 「殺す理由はどこにもない」(動物愛護団体)
 27日午前7時、大阪府職員が犬を安楽死させるため施設を訪れましたが、入口に集まった動物愛護団体に進入を阻止され、こう着状態となりました。和泉市で100頭以上の犬が集団感染した「イヌブルセラ症」は、流産や死産を繰り返すなど生殖機能に異常が出るほか、ごくまれに人に感染します。感染拡大を防止するため、大阪府が処分することを決めたのに対し、動物愛護団体が反対を続けてきました。結局、府は27日中の犬の処分をあきらめましたが、今後、安楽死させる方針です」(TBS NEWS EYE)などの報道もあった。
 詳しい経緯は当事者ではないから知らないが、うちの妻がこういう話題に敏感なので私も調べたのである。
 昨年6月から、動物愛護管理法が改正されて、動物を売買する業者は都道府県に届け出制から登録制に変更となった。悪質業者を排除するためと思われるが、結果として、今回の業者のように過渡期で放置、逃亡してしまうヤツが出てくることも考えられるわけである。
 環境省のサイトによれば「動物取扱業者(動物の販売、保管、貸出、訓練、展示を業として行う者)は、動物の適正な取扱いを確保するための基準等を満たしたうえで、都道府県知事等の登録を受けなければなりません。登録を受けた動物取扱業者には、動物取扱責任者の選任及び都道府県知事等が行う研修会の受講が義務づけられています。また、都道府県知事等は、施設や動物の取り扱いについて問題がある場合、改善するよう勧告や命令を行うことができ、必要がある場合には立入検査をすることができます。悪質な業者は、登録を拒否されたり、登録の取消や業務の停止命令を受けることがあります」とのことである。
 これはつまり、都道府県には監督責任がある、ということでもある。
 12月からここまで、おざなりな会議を二回開いただけで、病気を蔓延させたあげく犬を殺せばいいという話になったことに、ボランティアは怒ってしまったのだが、大阪府は不信をもたれても致し方あるまい。
 なお、その会議の議事録というのが、大阪府の対策本部のサイトに載っている。
 http://www.pref.osaka.jp/doubutu/02doubutuaigo/08brucella/topfirst.html
 どうも分からないが、対策本部といっても本部長は課長クラスらしいからぜんぜんレベルは低い。予算措置もほとんどなさそうで、まあ、保護した犬の飼育費を寄付で募ろうなどとのんきなことを議論しているようだ。また、会議の進行は事務方と、それから地元の獣医師会の幹部のH医師が主導しているように読み取れる。どうもH医師が殺処分の主唱者らしいが、そのへんは正しいのか否かは私には判断できない。

2007年2月26日(月)
なにしろしばらくネット断ちしていると・・・私は休日にはまったくコンピュータを見ないことも珍しくないので、2日や3日のネット断ちもあるが、本当に何百通単位のくだらないメールが届くからあきれる。おおむねセックスフレンド募集のたぐいだ。
 一言で言ってくだらない。
 そんなに男の欲望が今でも存在すると思っているのだろうか。なにしろ子供が増えないといって騒いでいる国で。
 「赤ちゃんポスト」なんてものが出来るのもむべなるかな、の時代であるらしい。
 世界人口は100億人が限界、とされる。私が生きている間、つまり2050年ごろまでにそうなるのだろうか。
 なにか本当に先のことは考えたくない時代となったものだ。最近読んだ「マクモニーグル未来を透視する」の影響かもしれない。
 最近、読んだといえば「怪帝ナポレオン三世」「ナポレオン戦争全史」「ヒトラーの秘密警察」「秘録2・26事件」「イングランド海軍の歴史」などである。ほかにもいろいろあやしいUFO本から歴史物まで読みあさった。本当に1か月で20冊ぐらいは買い込んだ気がする。
 なぜか。半年遅れで読書の秋、の雰囲気にようやくなったか。やっと「寒い」といっていい気候になってくれたが。
 ◇  ◇  ◇
 そういえば、「第79回アカデミー賞各部門が25日発表され、助演女優賞には「ドリームガールズ」のジェニファー・ハドソンが輝いた。「バベル」への出演でノミネートされ注目を集めた日本人女優、菊地凛子は惜しくも受賞を逃した」(ロイター)というが、まあこの菊地何とか言うのはあまり期待していなかったが、イーストウッドの硫黄島にはかなり期待していたので残念である。日本語の映画が、というのはたいへんな快挙になるから。
 しかし結果は「ディパーテッド」だというから、なんか絶対的人気の娯楽作品か、あるいは硫黄島のような意表をつく問題作か、ということが多いアカデミー選考委員会も、今回はしまらない作品・・・いや、ディパーテッド自体はなかなかいい映画だと聞いているので、見てはいないが、まったく納得いかないなんてことはないが、しかし、このへんで受賞するのはまあ物足りないというか、世間で言う「ハリウッドの退潮」を感じるのでもある。
 マクモニーグルの前掲書によると、今世紀の後半には、俳優というのは映画作りの「素材」となりはてて、一度、コンピューターに人体データを取り込むと、すべてを自動的に作ってくれるようになり、演技などいっさいしなくてよくなる、とか。
 そうなると、事実上、俳優という仕事はなくなるわけだが。ただの見目麗しい男女が素材として必要なだけだから。


 

2007年2月21日(水)
 やれ「崖っぷち犬」だの「ワイヤー犬」だの、なぜかマスコミの話題になるような犬たちはそれ相応の待遇を受けてめでたく里親が見つかるのだが、一般の人たちは分かっていないようだが、たまたまあれらの犬は有名になっただけのこと。もしマスコミネタになっていなければ、もし救助されても、その後、特に引き取る人間が見つからなければ捨て犬と同じ扱いで、最後は殺処分である。
 つまり、毎日毎日、あちこちの処分場で犬が殺されているのはご存じなかったりする。まあ、世の中そんなものだ。
 そういえば、珍しく「ブルセラ病」の発病を契機にマスコミネタになった大阪の悪徳ブリーダー・・・まあよくある、犬を大量生産して、売れ残って管理できなくなったら放置してどんどん飢え死にさせてしまう手合いだが、ここなども、結局は面倒くさいということで全部、殺処分ということになりそうだ。そういう続報はマスコミは何故か伝えない。というのも、単にかわいそう、というような理由では報道価値がないからだ。鳥インフルエンザで全部殺される何十万の鶏はもちろんかわいそうだが、それを救出しようというひとはまずいない。まあ、言い出せば切りがない、という判断になるのはどうにもならないのであろう。
 それにしてもよりによって大阪ではなあ・・・。行政の崩壊ぶりといったら全国でも一、二を争うような土地柄では、なにをいっても無駄であろうよ。大阪は人情の街だの温かい町だのと演歌的なメンタリティーばかり言い立てる人がいるが、そんなもんは幻想に過ぎないよな、ただのだらけた自治体に過ぎない。
 それで思い出した、以前に愛犬家のブログで見かけた記事で、盗んだフレンチブルドッグを、飼い主が取り返しに踏み込んだところ、証拠隠滅を図ったのか何か知らないが、六階の窓から投げ捨てて犬は即死、という話があった。あれの判決が出たそうだ。
「盗んだ犬を自宅マンションから投げ落として殺したとして、動物愛護法違反などの罪に問われた札幌市の無職高見明美被告(39)に札幌地裁は21日、「短絡的で身勝手な犯行。残忍で、社会に与えた衝撃も大きい」として懲役1年、執行猶予3年(求刑懲役1年)の判決を言い渡した。殺されたのは約18万円相当のフレンチブルドッグ。飼い主の友人がブログで事件の経緯を紹介し、愛犬家の間で話題となった」(共同)ということで、共同通信で配信されるのだから大した事件になったわけだ。
 執行猶予はついたが実名報道されてこの女は居所あるまい。もはや、愛犬家仲間うちじゃこの名前は永遠に忘れてもらえないだろう。
 


2007年2月20日(火)
例の中川自民党幹事長が、「閣議の時に首相が入ってきたら起立してお辞儀しなさい、私語は慎みなさい、忠誠心がない閣僚は去れ」などといったことについて、今度は「20日午前、閣僚が閣議前に勢ぞろいする国会内の大臣室では、安倍首相が入ると、各閣僚が一斉に起立した。「起立しない閣僚がいる」との批判を意識したものだが、閣僚からは「立ち上がるのは年の差が出る。0・1秒の差だ」(溝手防災相)などの声も出た。中川氏は私語を慎まない閣僚もやり玉に挙げたが、首相は隣席の麻生外相に話しかけ、「これをおしゃべりと取られるんだよな」と語る光景もあった。閣議後の記者会見で、甘利経済産業相は「首相が入ってきて立ち上がらない閣僚は1人もいない。閣議や閣僚懇談会で私語が交わされることはない」と述べた。山本金融相は「(閣僚間の)連絡調整の時間がとれないので、重要なことを話し合っているケースが多い」と指摘した」(読売)などと間抜けな話で、まあなんだか学級崩壊したクラスのことをPTAの会長がごちゃごちゃ言っているような感じではあるが、しかしあれですよね。そもそもあの、閣僚が集まって 記者に写真取らせるところって閣議じゃないですよね。上の記事にも「閣議前に勢ぞろいする大臣室」とある。マスコミ向けに写真撮影用のサービスしてるだけだから。本当の閣議っての円卓でやるんですよね。細川内閣の時に一度だけその場を公開したはずである。
 ま、中川さんはそんなことは百も承知で、とにかく次々と足をすくわれる大臣が多すぎるので牽制したわけでしょうが、しかし、なんか安倍センセイの学級経営の頼りなさを露呈しているだけのようでもある。
 実際、記者向けの撮影だからこそ、かえって首相をないがしろにした感じで、俺って大物だし? みたいな態度をとったり、私語をこれみよがしにするような人も心理としてあるかもしれない、というか、少なくとも中川さんほか自民党の幹部の間じゃそのように見えたのだろうし、それはそれでなんか裏付けがあるのだろうけれどねえ。
 まあ、前の人が一種のカリスマになることに成功したのに比べると、今度の人にそんな感じがなさすぎるのも事実。権力者のぴりぴりした緊張感が、ない。
 つまるところ、実際には生殺与奪の全権を持っている感じがしない、のだよな。
 逆に、柳沢さんあたりでもOKなんだから、少々なにがあっても大丈夫、てな雰囲気が漂っているのは事実でしょうよ。
 のんきだよなあ、とにかく。今の日本でのんきなのはこの人たちだろうよな。
 未来なんてないよ、と悲観している若い人たちの方がよっぽど先が見えて居るんじゃないですか。
 私事ですが、私、先日ついに40歳代に入りまして。
 するとにんげんって無責任なもんです、急に、せいぜい2050年ぐらいまでのことにしか興味がなくなってきたものね。
 今世紀の終わり頃に気温がどう上がろうが日本の人口がどうなろうが、まあ、あんまり興味がなくなってしまったのは確か。
 してみると、60代とか70代とか言う政治家なんてものに先を見る気がないのは当然なんだなあ、自分も年を取ってやっと分かったよ、なんで日本の偉い人が無責任なのか。
 

2007年2月19日(月)
 「柳沢厚生労働相は19日の衆院予算委員会で、工場労働を「労働時間だけが売り物」とした15日の参院厚生労働委員会での答弁を撤回し、議事録の削除を求める考えを示した。
 厚労相は事務職の一部の残業代をゼロにする「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」制度の意義を説明する際、「工場労働というか、ベルトコンベヤーの仕事、『もう労働時間だけが売り物です』というような、そういうところでなく働いている方々の現実に着目した労働法制を作ることが課題だ」と発言した。これに対し、川内博史氏(民主)が19日の予算委で、「現場で働く人に失礼だ」と撤回を求めた。厚労相も「全体を見れば誤解が生じるとは思わないが、『だけ』という言葉はある人々を傷つけるという指摘なので(削除が)可能かどうか相談したい」と応じた」(読売)・・・あ・は・は、ですな。
 安倍首相はまだ庇うんですかね、この大臣を。
 前の「子どもを生む機械」発言でも、妙に物分りよく「それ以上責めるな」とか言いたがる外野の人もいたけれど、この人は立て続けにこういう発言をするのは何故か、を考えてみるといい。要するにこの大臣の頭の中は非常に差別的なのだ、とうことだ。
 現業労働者、子どもを生まない若いもの、といったものをくだらない、馬鹿げた、つまらない連中だ、と見下しているということである。前提として。
 基本的にそういう発想からすべての政策を考えている人だ、ということ、少なくとも厚生労働大臣なんてやるべき人間じゃないだろう。
 彼氏はもともとは経済畑の人で大蔵省出身、ちょっと前まで竹中大臣と経済政策を巡っていろいろ対立することも多かった人である。
 つまり、彼のような人間の価値観からすれば、世の中は生産性と効率、金とモノのきわめて唯物的なものであって、それについてこれないような人間、たとえば生まれつき身体が弱いとか、ハンデがあるとか言う人間などはまず考慮の中にないし、うまくいってない人間は
おそらく「努力不足なのだ」の一言で切り捨てる人間だろう。
 けっこうご本人は苦学してなりあがった人だと聞くけれど、それだけに、努力が報われない人のことは全く理解できないのかもしれない、かえって。
 
 



2007年2月15日(木)
このところ、個人的研究に没頭していた。しかしいずれ、この西欧のミリタリーファッションとスーツの歴史についてある程度、ちゃんとまとめようと思う。ご興味のある方はどれだけいらっしゃるか・・・。
 できれば出版化したいもんだが、なにしろそう簡単じゃないですから。持ち込み失敗経験は自分の場合もまあ、おそらく100回はくだらない。ご同様の方も多いと思うが、売れない著者は苦しい。
 私の知人が編集を手がけた「世界のジョーク集」が思いがけずベストセラーとなった。なんであんなに受けたのかその知人も分からないという。そんなものである。
 やはり、こう、売れない文芸書じゃなく、ちゃんと商売ができる本を出してみたいものだが・・・。
◇  ◇  ◇
 昨日の新聞で、ユネスコ(国連児童基金)の最新の調査というのを紹介していた。それによると、日本の15歳の子どもは、OECD加盟の先進国25か国の中で突出して「孤独感」が強く、ほぼ30%が「自分は孤独だ」と感じているという。二位はアイスランドの10%ほどだというから、異様である。
 つまり世界一、親から見離されているのが日本の子どもらしい。
 また、その国の平均年収から比較した家庭の貧困率でいうと、ワーストはやはりアメリカで30%近いのだが、日本も既にワースト9位で15%に及ぶという。これは、すでに日本の家庭のそのぐらいの割合がワーキングプア、仕事があっても年収が200万円に満たない層になって固定化していることを示しているのだとか。
 また、個室、コンピューターなど学習環境の整備率でいうと、なんとギリシャについでワースト2位、なのだともいう。
 日本人はほんの10年前まで、日本の子どもは世界一勉強していて、お金と物には満ち足りていて、などと思っていた。わずかの間にまったく変わっていることを知っておくべきである。また、貧富の差というのも着実に進んでいて、いずれアメリカに追いつき追い越すであろう。
 小泉政権の時代の舵取りからわずか6年ほどで、瞬く間に日本のアメリカ化が進んだわけである。しかもその一方で、同じ時期に、世界中が必死にグローバル化に合わせて勉強している間にゆとり教育をやって、世界一、基礎教養のない子供を量産してしまったのだから理解に苦しむ。
 こういう中で、さらに異様な結果が出ている。日本の15歳の実に50%以上が、自分は30歳になったときには非熟練労働者、つまりニートかフリーターになっているだろう、と予測しているそうだ。そんな国はほかにはないそうである。
 子どもたちが全く未来に絶望しており、親の世代よりも自分が没落すると確信している事が分かる。
 政府は無責任に「子どもを2人以上持つことは健全」とかいって能天気を垂れ流すが、彼らにはしょせん社会の変化が理解できていない。黒塗りの車で送り迎えされて料亭で飯を食っているものに何が分かろう。
 しかも産婦人科医がどこもかしこもいなくなってしまっている。子どもを生むにはよほどの金持ちでないといけない、という時代になってしまった。
 これほど若い世代をつぶしてしまっておいて、なんで子どもが増えないか、もないものである。増えるほうがどうかしている。
 これから沈む船だと分かっていて、子どもを生むほうが無責任ではないか。
 とりあえず。役人および国会議員で子どもが二人いないものは全員、辞職してはどうか。

2007年2月13日(火)
 アクアスキュータム、といえばなんといってもトレンチコートの元祖である。
 1851年、ジョン・エマリーJohn Emaryがロンドンのリージェント・ストリートに小さな紳士服店を開き53年、防水加工を施したウール地を開発した。この素材で仕立てたレインコートがビクトリア時代の最先端ファッションとして普及したのである。
 古代ローマ軍の四角い盾をラテン語でスクトゥムscutumといったのだが、これと水aquaを合わせて「水から守る盾」アクアスキュータムAquascutumとしたのは言うまでもない。日本で言えば平安時代の古語などを社名につけたような感覚で、非常に復古的な名前だったわけだ。
 さて、クリミア戦争というのが19世紀の半ばから勃発した。これはオスマントルコの勢力が低下する中,セルビア人国家の今に至るまで続く民族紛争と、そこに介入したギリシlャ、さらに英仏など列強の利害関係が絡んで起きた大戦争で、事実上、それから半世紀以上後の第一次世界大戦の前哨戦である。ついでにいえば、このときに極東のロシア艦隊を気にした英国は徳川幕府に開国を迫り、ロシアのほうもプチャーチン提督を派遣して日露和親条約を結ぶこととなった。さらに蛇足をつければ、その来航したロシア艦に乗って密航を企てた青年が後の吉田松陰であり、幕末に活躍した志士たちの原点もここにあったりする。
 だから、後の日本の開国から、日英同盟、さらに日露戦争に至るまでの日本史にも大きな影響を与えた戦争であるが、どうも日本ではあまり「人気のない」というか、なじみの薄い戦争ではある。
 実はこの戦争というのが、男性紳士ファッションにも大きな影響を及ぼしたものだった。まず、当初の予想に反して先の読めない持久戦となったため、アクアスキュータムの防水コートが将校用の装備品として大いにもてはやされ、以後、制式装備とされた。
 実を言うと防水ウールはアクアスキュータム、一方で撥水綾織りであるギャバジン地はライバルのバーバリー社が1888年に特許をとっているというから、その後のトレンチコートにつながるのはどっちが主流か、という話がこの両者の間でずっと続くのではあるが。
 そういえばもう一つ、英国の防水コートというとゴム引きのマッキントッシュ社だが、こちらは海軍御用達で陸軍の御用を務めることはすくなかったようである。
 ところで、クリミア戦争の英軍総司令官ラグラン男爵(初代)ヘンリー・サマーセット元帥が、将校というのは突撃の指示など、腕を振り上げることが多いので腕の運動量が大きいデザインを要求した。アクアスキュータムがこれに応えて考案したのが、今でもトレンチコートやカジュアル衣料によく見られるラグラン袖である。
 さらに、騎兵旅団長であったカーディガン伯爵(7代)ジェームズ・ブルドネル准将(戦後に騎兵中将に昇進)が、特に腕を負傷した兵士に防寒用のセーターが着やすいように、前あきでボタンの付いた軽い羽織りものを考えた。これがカーディガンの原型である。
 上記のように、ラグラン将軍とかカーディガン将軍とよく日本の情報には書いてあるが、正確に言えば、それらの将官の爵位に付属する領地称号のほうが有名になっているのである。同じような話は食べ物の「サンドウイッチ」にもいえる。あれもサンドウイッチ伯爵の発明と世に言うけれど、サンドウイッチ伯という貴族は第一海軍卿など歴代に何人もいるのである。
 と、それはさておき、非常に多くのアイデアがこの戦争から生まれたのであった。
 時代が下って1914年、またしてもくすぶっていたクリミア半島の情勢から、今度はドイツやオーストリアも巻き込んで始まったのが第一次大戦で、当初の参戦国も構図も似ており、開戦時にはあんな大戦争になるとは誰も想像していなかった。ドイツのウィルヘルム二世など、せいぜい年末のクリスマスまでには終わる局地戦争と思っていたし、対する英国などでも、久々にいくさだ、という感じで軽いピクニック気分であったという記録がたくさん残っている。徴兵された兵士たちはまだまだ、19世紀後半に登場したダイナマイト、機関銃、それにこれから出てくる飛行機、戦車、潜水艦に毒ガス、といった凄惨な近代兵器の威力を知らなかったのだから仕方がない。それどころか専門家の職業軍人でも先が読めていなかったのだった。
 機関銃の発達で、勇ましく突撃、なんてことができなくなった敵味方の兵士は、深く掘った塹壕(トレンチ)に潜んでじっと敵の様子をうかがう、という地味な戦いを強いられた。じめじめした穴には水が溜まり、冬場となると冷たい雨がじめじめとしみて、とてもじゃないが我慢できない環境であったという。
 こんなところで我慢していたくない、なんとかしろ、という声から生まれたものの一つが、塹壕を乗り越え機関銃をものともせずに前進する戦車であった。まことに面白いことに、これを産んだきっかけはチャーチル海軍大臣(!)が組織した「陸上軍艦」開発委員会だというから不思議な物だ。そんな由来だったから、初期の戦車は帆船時代の軍艦のように、車体の左右に大砲をつきだしていた。これを、今の戦車のように、車体の上に回転砲塔を載せる式になったのがフランスのルノーFT17戦車であり、その時代の先端を行くスタイルのかっこよさにしびれたパリのジュエラー・カルチェがルノー戦車の車体上面図を意識して作った四角いケースの時計が、今に残る高級時計「カルチェ・タンク」である。
 それから、塹壕を飛び出して一斉突撃、というために必要になったのが腕時計である。いちいちポケットから懐中時計など取り出す余裕がこの時代の戦場にはすでになかったのだ。銃を構えたまま、ちら、と時間が分かるような時計が必要だった。パテック・フィリップ、オーデマ・ピゲ、ロレックスなど、その後に名を成す高級時計会社が軍用時計をどんどん軍に納入している。過酷な環境でも絶対に狂わない時計、ゆえに軍隊でも制式品だった、というのがそういう会社にとってもステイタスだったのである。
 さて、アクアスキュータムの防水コートは、この塹壕戦の時代に「トレンチコート」(塹壕外套)の名でますます名声を得る。一次大戦以後は、すっかり民間の紳士のややカジュアルな場面でのおしゃれコートとして定着する。ことにハンフリー・ボガートの「カサブランカ」の影響は大きかっただろう。
 英軍においても、基本的にはトレンチは制式品のウールのコートとは別に、オプションで買うべきものだったと思うが、言うまでもなく将校は昔からどこの国でも、制服はそもそも支給品でなくて自分で買いそろえるもので、それも基本としてはカスタムオーダーである。将校の制服が紳士のドレスコードの基本になるというのもつまりは、それが原因である。
 で、アクアスキュータムのトレンチは、今日に至るも塹壕時代のディテールを持っていて、ベルトにはD環という金具がついているが、あれは手榴弾をぶら下げるためのものだ。英米軍の手榴弾は取っ手がついていてそこを引っ張ると信管がセットできる。それで、D環やベルトの空いたところなどに、手榴弾をしこたまぶら下げて携行したものだ。
 ダブルブレストの前合わせは風雨や泥の侵入を防ぎ、その大きな襟にさらにストームフラップ(風雨よけのふた、の意味)をかぶせてボタンを閉じれば万全である。ついでにいえばストームフラップはライフルを構えたときに、その銃床が当たる部分の補強にもなっているので、原則として右胸についている。
 そして、軍用の最大の名残が、両肩についている肩章(ショルダー・ストラップ)である。双眼鏡や、ベルトをつるすサスペンダー通しとして、軍服の肩にはストラップが不可欠であった。
 さらにまた、軍服の場合には、軍人の階級を表す階級章を、肩章か、襟章として着けることが多く、下士官以下は袖章、また海軍将校の場合は腕につける金色の線で表すことが多い。
 ◇  ◇  ◇
 肩章というのは、16世紀末から17世紀にかけて、軍隊の階級と組織が定まるにつれて、それを明らかにする必要が出てきて、軍人の階級を示す飾りとして定着したファッションアイテムである。
 とくに古風な、金モールや銀モールの房が下がった派手な肩章は、エポーレット(epaulette)という。これは、当時の世界のファッション(民間用も軍用も)をリードしたフランス生まれのもので、だからエポーレットというのもフランス語の「小さな肩」というのが語源である。
 どうして、あのばかでかい目立つ装飾が小さな、なのかと思うところだが、これは比較の問題で、騎士たちが身につけた鎧の肩覆いが原型らしいから、それに比べれば小さい布製の部品、ということだったかもしれない。はっきりとあれが、単なる装飾品でなくて、階級章として定められていったのはいつごろか、というのも明確な話はないのだが、たとえば英国海軍が制服を規定して階級制度を整理したのが1746年だという。ネイビーブルーのダブルのコートや、三本ラインのセーラー服はその前の世紀から出来ていたようだが、明確に制度化するのはこのあたりの年らしく、そして、士官階級のためのエポレットもここではっきり決められるようである。さらにいえば、英海軍の階級と、陸軍の階級(たとえばコロネル=陸軍大佐、キャプテン=陸軍大尉など)のすりあわせが行われたのもこのときだそうだ。
 しばしば私たちは、英語の文献を見ていて、なんで英語では海軍大佐(キャプテン)と陸軍大尉(キャプテン)が同じ言葉なのに、ぜんぜん身分違いなのだろうと不思議に思う。実際、翻訳をしていて、前後をよく読まないと、陸海軍の将校が出てくると、どっちが上官だか分からなくなってしまったりする。
 日本語は明治以後に、すでに完成した西欧式のランキングに日本語訳をつけたから整然としており、陸軍も海軍も少尉、中尉、大尉、少佐、中佐、大佐、と順番に偉くなるのが一目で分かる。
 が、西欧では、陸軍と海軍がそれぞれ別々に、それぞれの制度として階級を決め、それを後ですりあわせて海軍のキャプテンは陸軍のキャプテンではなく、コロネルと同格、などと決めたから整然としていないのである、分かりやすいという意味では日本式のほうがずっと合理的である。
 原書房から出た「イングランド海軍の歴史」を読んではじめて知ったことだが、中世においては、船同士の戦闘というのも斬り込み隊によるチャンバラだったため、当時は船に乗り込む騎士団の指揮官・・・これは基本的に陸の人である、これが船の最高責任者であり、その呼び名は陸上部隊の指揮官という意味の「キャプテン」であった。後に陸軍大尉の意味になる、あれである。で、船を操る船乗りのリーダーはマスター(航海長)と呼ばれていたのだという。
 その後、軍艦が大砲での撃ち合いをメインにすると、斬り込み隊でなく全体を統括する「船長」あるいは「艦長」が必要になり、これがキャプテンと呼ばれるようになった。さらに艦長を補佐する士官を「レフテナント」として配置した。これは陸軍でコロネルを補佐するリューテネントと同じつづりで、語意は同じく「補佐官」というようなものだ。
 その後、捕獲した敵艦や軍籍に入れた商船などを指揮する代理指揮官として、正規の艦長より一格低いマスター・アンド・コマンダーという階級が出来た。直訳すれば「航海長兼指揮官」である。当時は、大型艦以外は航海長は置かない風習だったためだという。その後、小型艦も航海長を置くようになったので「マスター・アンド」がなくなり、キャプテンの下にはコマンダー、という階級が定着した。また、レフテナントとコマンダーの間に、古参のレフテナントの昇格ポストとしてレフテナント・コマンダーが出来、レフテナントの下にもサブ・レフテナントが出来た。これで五階級である。
 こうして、陸軍とは微妙にずれた階級制度ができてしまったのだが、これを後になって無理にすりあわせたのである。コロネル(陸軍大佐・連隊長)=キャプテン(海軍大佐・大型艦艦長)、リューテナント・コロネル(陸軍中佐・連隊長補佐または大隊長)=コマンダー(海軍中佐・小型艦艦長)、メジャー(陸軍少佐・大隊長)=レフテナント・コマンダー(海軍少佐)、キャプテン(陸軍大尉・中隊長)=レフテナント(海軍大尉)である。
 リューテナント(陸軍中尉・中隊長補佐または小隊長)あるいはセカンド・リューテナント(陸軍少尉・小隊長)にあたるのはサブ・レフテナント(海軍中尉、または少尉)だが、これで分かるのは、英国海軍では少尉と中尉の階級が分離しなかった。実は今でもそうである。英海軍の中堅将校は5階級しかない。
 その他の国では、これでは不都合なので海軍少尉・エンスンensignという階級を設けている。
 ちなみに、大佐より上の将官については、当時の戦列艦が縦にずらずらと並ぶ陣形を組んで、その最先頭と最後尾に補佐の司令官をおき、真ん中に艦隊の司令長官がいる、ということになっていたので、アドミラル(提督)、ヴァイス・アドミラル(先頭提督)、リア・アドミラル(後部提督)の三階級があって、これが陸軍のジェネラル(大将)、リューテナント・ジェネラル(中将)、メジャー・ジェネラル(少将)とちょうど釣り合うので、それぞれ同格となった。また、その下にあって大佐よりは上の陸軍のブリゲイド・ジェネラル(
准将)にあたるものとして、コモドー(コモドーレ)という階級があるので、これも同格とされた。これは海軍代将(だいしょう)と訳されるが、日本海軍にはなかった。
 フィールド・マーシャル(陸軍元帥)にあたるものはアドミラル・オブ・フリート(艦隊提督=海軍元帥)という。これは全艦隊の司令長官の意味である。
 ちなみに、これは日本海軍で明確に使い分けたのだが、艦隊(フリート)の指揮官は司令長官、それより下の戦隊(スコードロン)の指揮官は司令官といって区別した。英語で言えばアドミラル以上が本来は司令長官の資格があることになる。また、旧海軍で、巡洋艦以上を「軍艦」と呼んで、艦長は大佐以上とし、駆逐艦や潜水艦は軍艦と呼ばず指揮官も中佐以下にとどめたのも、英海軍のキャプテンとコマンダーの区別の伝統にならったわけである。
 後に英国の軍服の元締となったのが、ロンドンのサヴィル・ローにあるギーブス&ホークス社である。1771年に創業したギーブスはネルソン提督の制服もあつらえたのが自慢であり、1784年にできた陸軍制服専門のホークス社と後に合併、陸海軍の将校制服を一手に引き受けることとなった。もちろん、その後はサヴィル・ローでも最高級のテーラーとしてスーツやジャケットを作っている。今では日本の表参道ヒルズにも支店がある。
 先にも述べたとおり、将校の制服は注文服なので、その後の背広の仕立て技術の基本やドレスコードがサヴィル・ローから出てくるということは、基本は軍服にあり、ということの証左である。
 よくサヴィル・ローという地名から日本の「背広」が出来たと言うが、これは定かではない。
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 19世紀のナポレオン戦争の時代にはエポレット全盛であった。元帥から兵士まで、肩にあの派手なモールを着けていたものだが、この世紀の終わりには儀礼用の意味が強くなり、普通の軍服ではモールの組み紐を使ったショルダー・ストラップ式の肩章が普通となった。ドイツ軍などは第二次大戦までモールの組み紐の肩章を使っている。
 合理性を重んじる米軍などはストラップに金属製のピンバッジを着けるだけとなり、その後の戦闘服などでは階級章自体、黒色の目立たない物を襟に着けるだけでショルダーストラップ自体、あまりみなくなった。
 旧日本陸軍は、エポレットの名残のような肩に縦にぬいつけるストラップを使っていたが、その後、肩章自体を廃止して、折り襟の軍服に襟章で示すようになった。
 海軍は、冬の詰め襟は襟章、夏の白い詰め襟は肩章を使っていた。英海軍を師と仰いだ日本海軍だが、なぜかダブルのジャケットも、金色のラインの袖章も採用しなかった。
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 アクアスキュータムは1990年、日本のレナウンに買収された。ところで、これも不思議な縁だが、レナウンという会社の社名は、1922年に日本に来航した英海軍の巡洋戦艦レナウンから取ったという。また、その系列のダーバンは、レナウンに随伴してきた軽巡洋艦ダーバンから、という。もともと英海軍好きな会社だったわけである。

2007年2月12日(月)
フォー・イン・ハンドという今のような結び下げのネクタイが登場したのは1850年代のロンドンのことらしい。1820〜30年ごろにできたフォー・イン・ハンド・クラブという社交クラブのメンバーが流行させたのが起源だという。ではそのフォー・イン・ハンド・クラブというのは何か。英国はじめ西欧の社交クラブというのは秘密めいた排他的なものだが、このクラブというのは、どうも馬車による競技などを愛好した人々の団体らしい。馬車を挽かせる競馬が今でも英国にはあるけれど、ああいうスタイルのものだろう。
 「フォー・イン・ハンド」というのがそもそも、4本の手綱を一人の手で、というほどの意味で18世紀の末に登場した、御者一人で制御できる4頭立ての馬車のことだそうだ。新型の手綱が登場したのだとか。それまでは4頭立て馬車は御者二人を要した。人間が少なくて馬の数が多いのだから、今までよりずっと高速が出る。つまり当時として最新式のスポーツカーの意味だったのである。そういうスポーツカー愛好団体が流行らせたのが、ちまちまと結ぶクラヴァットとか、ひらひらしたアスコットタイとか、おつにすましたボータイじゃなくて、きりりとすっきり細く結んで先端を風になびかす結び下げ、つまり今のネクタイのやり方だったわけだ。
 しかし、そういうことで決してコンサバティブな服装ではなく、当時の紳士向けの指南書でも「決してフォー・イン・ハンドなどしてはならない」と書いてあったそうだ。どちらかというと不良のファッションだったわけだ。しかしボータイやアスコットタイがつきものの燕尾服やらフロックコート、モーニングが礼装に格上げとなって、日常服が今の背広の先祖であるラウンジ・スーツに取って代わられるころ、これと相性のいいネックウエアとしてフォー・イン・ハンドが定着するのである。
 それで、1850年ごろから広まったこの今風のネクタイの中でも、一つは水玉ネクタイ、ポルカドットが流行してやがてスーツにおける格の高いネクタイの柄となるのだが、同じ頃にもう一種類、こちらは少し性格の違う柄として出てくるのがストライプのネクタイ、つまり縞柄である。
 1880年代にオックスフォードの学生が、学校のカラーを使った鉢巻リボンを帽子から外して、フォー・イン・ハンドで結ぶようになったのが始まり、という。すぐにそれが各学校のカラーを使ったネクタイの流行となるのだが、同じ頃に、英国の軍隊が、自分らの部隊の紋章や旗に使っている色を使ったネクタイを採用し始めた。これをレジメンタル・タイと呼ぶ。rejimentは連隊の意味だから、直訳すると「連隊のネクタイ」である。
 ちょうどこのころから、在インド英軍で、それまでの赤いジャケットに白いパンツというような英国陸軍の制服のままでは目だって仕方がない、ということで、現地の泥に染めたくすんだ黄色の制服を採用した。これが、軍隊における迷彩色の最初であり、現地ヒンドゥー語の泥を意味するkhaki=カーキ色と呼ばれた。語源はさらに古くペルシャ語の泥という言葉であるそうだ。
 で、ちょうどアフガニスタンの王室の内紛に乗じてちょっかいを出していた英国軍は、長きに渡った英アフガニスタン戦争でカーキ色の制服を試験使用した。さらに、アフリカで始まったボーア戦争で本格使用し、以後、英国陸軍は近衛兵などを除き、基本的に制服をカーキ色に統一していく。日英同盟を結んでいた日本軍も、それまでの紺色を基調とした肋骨服の制服を、英軍にならってカーキ色にしていくのである。ちょうど1904年の日露戦争のさなかに、日本軍のカーキ色化は進められたのだった。
 ということで、それまでは軍隊の部隊ごとに派手なユニフォームの色が決まっていたのが、急激にカーキ色一色になって行ったのが、1880年代〜1900年代なわけで、まさにフォー・イン・ハンドのネクタイが普及定着する時代でもあった。そこで、それまでの部隊の派手な色彩をどこかに残したいということで、連隊色、連隊旗を使ったネクタイを作った、というのがレジメンタル・タイである。
 そういう由来があるから、国際舞台、とくに英国や英連邦の国に行く場合は、ストライプ系のネクタイは余りしないほうがいい、とされる。ファッション関係の本にはよくそう書いてある。これは、下手に縞の太いタイをしていてその色彩がどこかの学校やどこかの連隊のものに似ていたら、あきらかに馬鹿にされる、からである。まあ日本人がしていても実際には「外国人のやることは」と思うだけだろうとは思うが、しかし、決してよくは思われないだろう。たとえば外国人が日本にきて、徳川家の葵の紋の入った羽織袴など着てきたら失笑ものだろうが、そんな感じであろう。
 ところで、ファッション関係の本などでもこともなげに「レジメントは連隊の意味」とある。では連隊というのはなんであろうか、というのをどの程度、知っての記述なのかと思うことが多い。
 連隊=レジメントというのは、おおむね5000人ぐらいの規模の部隊をいう。その指揮官である連隊長は世界標準としてcolonel=コロネルが務める。日本語訳で「陸軍大佐」である。
 西欧の歴史の中でいうと、レジメントというのはおおむね16世紀ぐらいにできた軍隊の編成である。まあ、比較的に新しいとはいえるが、しかしまた昨日今日できたものでもない。
 また、エポレットあるいはショルダー・ストラップ(肩章)と呼ばれるデザインは、今日でもコートやジャンパーによく見られる。あれもそもそもは雑具や武器をひっかけるための帯だが、また一方では、ナポレオン時代以後の19世紀からは、軍隊の中の将校の階級を示す階級章としても使われたのはいうまでもない話である。
 そこで、ちょっと遠回りになるが、軍の組織と階級について、今回は陸軍を中心に見てみたい。
 ◇   ◇   ◇
 遡ってみると、西欧軍事史でいちばん古い部隊編成はファランクスというものである。古代ギリシャの歩兵部隊のことであるが、まあこれはざっといって「軍勢」といった程度の意味である。
 このファランクスを整然とした長槍を装備した歩兵の陣形として整備したのがマケドニアのアレクサンダー大王で、一ファランクスを280人ほどとし、それをまた二つのバタリオンに分けた。
 また、騎兵部隊はカンパニオンと呼ばれた。アレクサンダーの戦術は常に、バタリオン、ファランクスで敵の攻撃を引き受けつつ、足の速いカンパニオンが横から包囲して敵を殲滅する、というもので、以後のハンニバルのカルタゴ軍や、ローマ時代の戦術、いやずっと後のナポレオンや第二次大戦の戦術にまで影響を与えるのである。
 ローマ時代になると、5000人ほどの軍隊をレギオン(軍団)と呼び、それは複数のマニプルに分かれ、おのおののマニプルはケントリオ(百人隊)に分かれて百人隊長が指揮した。
 ところが、その後の西欧は国家の軍隊というのが消滅して、封建領主率いる騎士団の時代になってしまう。これは軍事の歴史としては明らかに退化だったが、古代には国家の軍隊があって徴兵制まであったのに、その後は私兵である武士団しかなくなってしまう日本とよく似ているのである。
 と、ここまで出てきたカタカナの用語をよく覚えて置いていただきたい。こうしてバラバラに出てきたいろいろな部隊の名前が、16世紀末から17世紀初めに、軍隊の編成の中で再定義されるのである。
 スウェーデン王グスタフ・アドルフという人がいた。近代軍隊の生みの親と呼ばれる人物である。というのもこの王様、一つには軍隊に軍服というものを制定した。それまでは兵隊はそれぞれ好き勝手な服装をしていたのである。それを部隊ごとに、兵種ごとにデザインや色を決めた。ミリタリーファッションの創始者なのである。
 もう一つ、もっと重要なのが、現在にいたる軍隊の編成と、軍人の階級の基礎を定めた。これは大きい。それまでは西欧の軍隊も日本の武士団と同じく、なんとなく貴族の殿様に率いられた騎士とか軍勢とかが適当に集まっているだけのものだった。それを組織的に編成したのである。
 まず、500人ほどの部隊を組織してバタリオンと呼んで基本編成とした。マケドニア以来の呼び名である。
 バタリオンの下には100〜200人のカンパニーを3,4個置いた。この名前はマケドニアの騎兵隊が語源だが、内容はローマ時代の百人隊に近い。
 また、バタリオンを3,4個集めたものをレジメントとしたのである。もちろんこのレジメントというのはローマ軍のレギオンが語源である。
 つまり、マケドニアやローマの非常に復古的な軍隊の名前をわざと持ち出したのである。王としては兵士たちに、アレクサンダー大王やシーザーにあやかって士気を高めて欲しい、という狙いがあったのはもちろんである。
 そして、レジメントの長をコロネル(指揮官)とし、バタリオンの長をリューテナント・コロネル(補佐指揮官)、カンパニーの長をキャプテン(隊長)と命名したのである。それぞれの指揮官名の言葉もまたラテン語やフランク古語、フランス語などに由来する。また、キャプテンの補佐をする士官をリューテナント(補佐官)、兵士たちの中のリーダーをサージェント(語源はサーヴァントと同じなので言葉の本意は召使とか、下仕えなどとなる)、さらに10人ほどの兵士ひとりにつきその頭となる一番下級のリーダーをコーポラルとした。
 で、軍隊全体は、コロネルたちの上に君臨する一人のジェネラルgeneral(総司令官)が統率した。
 もちろん、ジェネラルというのは王様本人のことであり、コロネルというのは大貴族のことである。以下の士官もリューテナントまではおおむね貴族の子弟が任命された。
 有力な貴族はコロネルとしてレジメントを事実上、保有するに等しかったし、平和なときに常設されているのはレジメントが最高の単位で、それを束ねた大軍やジェネラルなどは特別なときしか存在しないので、結果として、軍隊というのものの基本はレジメントということになっていったのである。
 ということで、このころはジェネラルとかコロネルとかキャプテンとか言うのは、階級ではなくて、あくまでもある規模の部隊の指揮官の意味であった。部を率いる部長、課を率いる課長というようなものである。
 で、ジェネラルは王様本人しかなれないのだから、実際には軍隊で最も権威あるのは、レジメントの指揮官である連隊長=コロネルだったのである。また、軍隊の中でももっとも権威ある編成も、レジメントということになった。
 だから,今でも英国などでは「名誉連隊長」という制度があって、特定の連隊の実際の連隊長じゃなく、形式上のコロネルとして女王陛下とか、皇太子その他の王族が就いている、という制度がある。かつてのドイツ軍でも、特に栄誉ある将軍は名誉連隊長の称号を得た。どうして、元帥だの大将だのいう高官が連隊長の称号に喜ぶのか、会社で言えば会長や社長クラスの人が「名誉部長」と呼ばれて喜ぶ感じだが、実は、これはあくまでも16、17世紀ごろの感覚が残っている称号であって、名誉コロネルというのは「王様に次ぐ軍事指導者」の意味だったからである。
 この後、コロネルの上、ジェネラルの下にいくつか階級が出来るので、コロネルというのもそれに応じてだんだん格が下がってしまった。レジメントの上に1万人規模のブリゲイド(旅団)というのが出来、ブリゲイド・ジェネラル(意味としては旅団司令官)というのが置かれた。さらに、ナポレオンの時代に、ブリゲイドをいくつか組み合わせ、歩兵・砲兵・騎兵をすべて含む独立して戦える2万人規模の部隊を編成することになった。これがディヴィジョン(師団)である。この指揮官はリューテナント・ジェネラル(補佐司令官)となった。
 軍隊の規模が大きくなるに連れて、キャプテンの上にメジャー、ブリゲイド・ジェネラルの上にメジャー・ジェネラルが置かれた。17世紀半ばにはじめて英陸軍で出来たというメジャーという称号は、当時の意味ではレジメントの中の第三席、という意味だった。メジャー・ジェネラルも第三席の司令官、という程度の意味だった。またリューテナントも下にセカンド・リューテナント(次席補佐官)を設けて細分化された。
 さらに、国王たるジェネラルに代わって軍を指揮する代理指揮官というものも任命されるようになった。これが戦場における国王の代理人、フィールドマーシャル(戦場の総監督、というほどの意味)である。この時点では、マーシャルはジェネラルより下位にあったことになる。が、次第に王様が自分で戦場に出ることは稀になり、フィールドマーシャルが事実上の軍人の最高位、ジェネラルはその下の司令官という意味合いになってくる。
 やがて、国民皆兵の軍隊が誕生し、また平和なときには予備役にいて、戦時となると現役に復帰してもらう予備軍人の制度が確立すると、現役のコロネルやキャプテン、リューテナントだけではなく、予備役の将校にもそのまま称号を持っていてもらい、いざ戦争となれば、急速に編成した部隊のコロネルやキャプテンとして復帰してもらう、ということになった。こうして、18世紀以後、このコロネルとかキャプテンというのは、部隊長という本来の意味ではなくてそのぐらいの規模の部隊を指揮できる資格=階級の意味となるのである。
 さて、こうして完成した西欧の軍隊制度を、開国した日本は取り入れ、翻訳する必要があった。
 で、それまでの日本の律令制度の中で存在した朝廷の軍事組織である近衛府や兵衛府、衛門府、鎮守府などの官職の名前を使って日本語したのである。日本の武官の官職では左右の近衛大将、近衛中将、近衛少将、左近(右近)将監(しょうげん)、左近(右近)将曹(しょうそう)というのがあった。兵衛府には兵衛督(ひょうえのかみ)、兵衛佐(ひょうえのすけ)、兵衛尉(ひょうえのじょう)があった。
 これらをあてはめて、上からジェネラル(大将)、リューテナント・ジェネラル(中将)、メジャー・ジェネラル(少将)と翻訳した。その下のブリゲイド・ジェネラルは将に準ずるという意味で「准将」と名づけた(ただし、日本軍には実際には准将と言う階級は設けられなかった。やはりなにかなじめない名称だったのだろう)。その次の階級は、大・中・小で表す将官にならって、コロネル(大佐)、リューテナント・コロネル(中佐)、メジャー(少佐)とした。最下級の士官はキャプテン(大尉)、リューテナント(中尉)、セカンド・リューテナント(少尉)とした。その下位にある下士官のサージェントは官職の将曹から字を取って「軍曹」と名づけ、コーポラルは中国古来の軍制にあった五人隊の長である「伍長」の名を当てた。
 興味深いのは最高位の軍人であるフィールドマーシャルの翻訳で、大将より上を表す日本の官職はなかったので、急遽、持ち出されたのがなんと仏教における、仏法を守る仏の軍勢の総大将とされる大元帥明王(だいげんみょうおう)の名である。ここから「元帥」の二文字をとり「げんすい」と読むようにしたのだった。
 また軍の編成も、中国以来の五人隊(伍)、十人隊(什)、百人隊(旅)、千人隊(連)などの漢字をあてはめるほか、適当に大中小の文字も使用し、ディヴィジョン(師団)、ブリゲイド(旅団)、レジメント(連隊)、バタリオン(大隊)、カンパニー(中隊)、トループ(小隊)などと翻訳したのだった。
 長い年月をかけて徐々に補足を受け、すでに完成した西欧の組織に後で文字をあてはめたため、階級も組織も、日本語訳のほうが大中小で上下を表すすっきりとした表現となったわけだった。
 旧日本陸軍においても、軍隊で最も基本的な組織は連隊とされた。徴兵のための召集令状は、本籍地にある連隊に出頭することになっていた。
 ◇   ◇   ◇
 というわけで、西欧の陸軍の組織と階級の歴史を振り返ってみた。いずれ海軍関係、および肩章とか階級章についても考えてみたい。
 が、レジメント(連隊)というものが近代軍隊の成立期には非常に格の高い組織であったこと、そして軍の制服がカーキ色に地味化するときに唯一生き残ったのがタイだということを踏まえると、どうしてレジメンタル・タイを英国の予備役軍人が重視するか分かるのである。ただ単にしきたりだから、というような浅い話ではないのである。
 
 

2007年2月08日(木)
サローネオンダータ(銀座)の滝沢滋さんが、スーツのラペル(襟)というものは、襟を立てたら学生服のようにきちんと詰め襟となるような形が望ましい、だから大き過ぎはよくないし、最近はやりのナローラペル(細襟)も程度問題だ、というようなことを雑誌のインタビューで言っていたように思うが、まことに同感である。
 実際の所、背広やジャケットの襟は、本来は詰め襟のものを開襟にした名残であるのは見ての通り、である。逆に、たとえば学生服などもカラーをはずして開襟にすれば、背広風になる。学ランの制服だった人は一度はそんな悪戯をしたことがあるのではないか。
 つまり、ゴージより上の部分は本来、立ち襟であるものが裏返しになっている。ゴージより下の部分は、もともと裏だったものがめくれているのである。
 従って、ゴージラインが上だとか下だとかいう流行も、そもそもがこういう由来なのだから、ちょうどよい位置というのはだいたい、決まっているのである。
 ハーディ・エイミス卿の著書にあるように、シングルの背広の原型であるラウンジ・スーツというのは、アルバート公の時代、19世紀の終わりから20世紀初めにかけて、英国で流行したアウトドア用のギリーコートが直接の原型である、という。これは一番上までボタンをかける折り襟のコートで、これを開襟にしたときに残った第一ボタンの穴が、現在のラペルに残るホールだという。ちなみにギリーというのはスコットランドの古語、ゲール語で少年とか、召し使いの意味である。そこから労働用のもの、アウトドアもの全般を呼ぶ言葉となった模様で、さらに狩猟用という意味合いも加わる。ギリーコートも英国の貴族の狩猟コートとか散策コートの意味合いであった。また、ギリー・ブローグというのはスコットランド、アイルランドの労働用の靴で、泥地で汚れた後も水気が抜けやすいように、飾り穴がたくさん設けられ、つま先には補強の革が貼り付けられた。ここからハイランドゲームスの舞踏用の靴となり、やはり世紀の変わり目ごろまでにドレスシューズに昇格したのがブローグ系の靴全般だと思われる。
話をギリーから背広のラペルに戻すが、先のハーディ・エイミスの記述などでは、シングルの背広はそういうわけで、外出用のコートを開襟にすることで生まれたが、ダブルブレストは由来が違って、当時の礼装であって20世紀の初め頃までは礼装で通用したフロックコートの裾を短くしたのが原型ではないか、という。夏目漱石など講演会で「フロックコートも着ないで背広など着て軽薄な、と思われるかもしれませんが」などと断っていた。大正時代には少し改まった場では日本でもフロックは常識だったと見える。
 ピークドラペル(剣襟)でダブルの前あわせというディテールはフロックコートと確かに共通する。だからエイミス卿の見識に間違いはないだろう。
 滝沢滋氏も、シングルとダブルは別物、ということを言っていた。おそらく由来の違いをふまえておられるのだと思う。
 が、ここまではよろしいが、私はそれでは、そのギリーコートなりフロックコートなりの襟の形はなんでああなったのか、が知りたい。
 ぐっと遡ると、西欧でスーツ型の、上着と胴衣とズボンを身につけるようになったのはルイ14世の時代のフランス宮廷である。そもそも、西欧は常にアジアや周辺の異文化から取り入れた服装を、その後、自分らの主流的な服装にするという歴史をたどってきた。ひらひらした腰巻きや薄布を巻き付けるスタイルだったローマ人が、アジアの騎馬民族のズボン、スラックスを取り入れ(しかしずっと蛮族風といって馬鹿にしていたわけだが)、またイスラム圏からボタンというものを受け入れ・・・これは13世紀頃に到来したようだが、そもそもは装飾品として扱われ、貴族などは貴金属や輝石で作ったボタンを、両腕に肘から肩までずらずらと縫いつけることまでした。ボタンが西欧に入らないと、後の時代のシングルとかダブルとか言う仕立ての違いも出てこないのでこれは重要である。
 で、15、6世紀の、日本で言えば戦国時代の頃の流行はダブレットという、鎧の形を模したやたらと腹を膨らました奇妙な上着に半ズボン、というのが流行していた。いわゆる中世の王子様、といって思い浮かぶあのファッションである。戦国時代の日本にやってきた南蛮人の衣装もそういうものだった。長崎カステラの箱絵に描かれている奇妙な西欧人の姿である。さらに、全身に切り込み(スラッシュ)を入れて下着をチラ見せする、ということまで流行った。ドイツ傭兵などは制服のように全身切り込みだらけだったらしい。
 そんなダブレットがはやった当時の服装には派手な首飾りがあって、首をぐるりと囲むレースの飾りを男女を問わず装着した。これがルイ14世の時代にクラバット(ネクタイ)に置き換わるわけで、現在の男性の服装の基本を作ったのはこの王様らしいのである。また、革命で国を追われてフランスに亡命していた英国王チャールズ2世が、王位に復帰した際に、英国の宮廷衣装も当時としては「アジア風」であったスーツに替えた。
 ところで、フランス宮廷の初期のそのスーツ姿というのは、そもそもは襟がなかったようである。当時の王侯貴族の肖像画の変遷を見ていても、はじめはただ上着を着ていたものが徐々に前のボタンを外すようになり、というのは、当時は必ずベスト、チョッキを身につけており、それも三つ揃いの共布ではなくて、わざと派手な色柄の別あつらえのチョッキであったため、これを見せるために上着をあけたのらしい。ボタンを外すと、上着の布が首回りからだらりと垂れ下がる。これが粋だと言うことで、徐々に上着の上端を折り返すラペルが定着したもののようだ。
 17世紀の間は、そんな貴族の衣装の襟が徐々に大きくなっていって、さらにシングルだけでなくダブルブレストも登場している。これは元々、乗馬用の風よけの意味が大きかったようである。今でもオートバイに乗るときは、風で体感温度が下がるので、夏で着込むし、冬ともなれば完全装備であろう。ということで、乗馬用の風よけの工夫としてダブルブレストが生まれたと同時に、また適宜、襟元をとじ合わせる立て襟、詰め襟も出てきたようである。で、貴族というのはイコール、当時は軍の将校であり、宮廷衣装と軍服というのは基本的に同型であった。
 18世紀のナポレオン軍の時代、いわゆるナポレオンジャケットというダブルブレストのうえに、中央にもボタン列がある、3列もボタンがある軍服が流行するのだが、じつはこの当時というのは、まだダブルの服の前あわせを右上にするか左上にするか、明快な規定がなかった。男性だから右が上、女性だから左が上、といったことはまだ決まっておらず、あくまでも風よけの工夫の延長なので、風が右から吹けば左のボタンを閉じ、逆の場合は逆にあわせる、ということをしていた。ナポレオン時代の3列のボタンというのはそういう訳である。
 また、このころの流行として、ナポレオンジャケットの延長だが真ん中の列がなくなった派手なダブルの前あわせで有名なポーランド槍騎兵(ウーラン)の制服が世界的に流行したので、槍騎兵たる者はやがてどこの国でもポーランド風のダブルの制服を着るようになったが、このへんは間違いなく、後のダブルの礼服やダブルの背広の原型であろう。
 一方、ナポレオン式の3列ボタンのうち、実際に閉じられるのは中央列のみ、左右は飾りボタンとなり、その飾りボタンから中央列に装飾のひもをつけるようになった軍服がある。これはハンガリーの軽騎兵が採用して有名になり、今度は軽騎兵は世界中で、そんなシングルだけどまるで肋骨のようなかざりのある軍服を着るようになった。この服、旧日本軍も日露戦争ぐらいまでは着ていてそのものズバリ肋骨服という。が、外国ではこの服のことをなんとアッチラと呼ぶのである。おそらくは古代フン族の王アッチラからとられた命名だろうが、正確にいつからこういうネーミングになったかは私には今のところわからない。
 ちなみにだが、ウーランのかぶっていたチャプカという、やたらに張り出しのある筒形の帽子が、後の官帽子、つまり今でも警官や自衛官、鉄道員などがかぶっている、あの張り出しの大きい帽子の原型である。一方、ハンガリー騎兵がかぶっていた背の高い筒形の帽子はシャコーといったが、これはやがてフランス軍の制帽・ケピとなった。今に至るまでフランス軍の帽子はウーラン型の張り出しがある官帽子ではなく、独自な筒形の帽子である。
 というわけで、ナポレオン時代以後、ダブルブレストの槍騎兵と、シングルブレストの軽騎兵の流れが、軍服の世界にできたわけである。これらは基本的に詰め襟だったので、まずはラペルの形の原型はここらで定まったと思われる。
 そのあたりから、19世紀には装飾を廃した文官用のフロックコートが生まれてくるのだと思うし、燕尾服もそこから派生したものである。英国海軍の制服は基本的にはネイビーブルーのダブルブレストで、特に古い時代は金線が袖に入る以外はフロックコート型の制服としてこの時代に確立している。海軍将校の制服はこの時代の英海軍に世界中がならったので、今に至るもネイビーブルーでダブルである。
 ということで、ラペル、襟というものもいろいろ変遷があったわけだ。しかし適当にあのような形になったわけではない。折り返しから防寒用の詰め襟、さらに軍服の時代を経てギリーコートやフロックコートの時代を迎え、ダブルの背広はフロックの時代に開襟に、シングルの背広については、ギリーコートを開襟にすることで生じたわけだ。
 ラペルやゴージライン、vゾーンについて流行を云々するのもいいが、あまり極端に走ることなく温故知新をつらぬくサローネオンダータの姿勢が正解じゃないか、と私は思う。

2007年2月07日(水)
 まんまミリタリーテイストのMA1やM65といった、米軍の戦闘服をモデルにしたものはともかくとしても、けっこう、ファッションの世界ではミリタリーの隠し味は使われているものである。というか、服飾の世界ではなんといっても軍服が基本である。そこから普通の服装になったものが非常に多いのはこれまでにも書いた。まあ、極端な話が女性が短いスカートをはくようになったのも、我々が懐中時計でなく腕時計をしているのも、トレンチつまり「塹壕用」コートを着るのも、カジュアル衣料としてブルゾン、ジャンパーが存在するのもすべてこれ、戦争が背景にあるわけだ。
 が、それにしても、驚くようなディテールを大胆に使っているブランドもあって、ある若向けのブルゾンで、左袖に茶色地に銀糸の刺繍でヤシの木のマークを描いた袖章(カフタイトル)をぬいつけたものがあった。もちろんそれは、ロンメルが率いた第二次大戦のドイツ・アフリカ軍団の制服をモデルにしているのである。それを紹介している雑誌の説明に「ドイツ・アフリカ部隊」などとあったのには興ざめだったが。
 軍隊の部隊名にもちゃんといわれというものがあり、いずれそういうことについても書こうかと思うが、規模の小さいほうから分隊、小隊、中隊、大隊、連隊、旅団、師団、軍、軍団、軍集団、あるいは方面軍、などと国によって時代によって微妙な差はあれ、適当な名称というのはない。ロンメルは元帥という階級にあったから、軍団以上の格の部隊でないとつりあわないのであった。実体は師団に毛の生えたような微々たるものであっても。これは今で言えば、社長がヒトラーだとして、ロンメルは代表権のある副社長とか上級専務、ぐらいの格である。そういう人が任されているので、はじめはアフリカ営業所だったのがアフリカ支社、さらにアフリカ総本部、などと格上げされたようなものである。
 それはさておき、同じようにびっくりするようなミリタリー味を出してくるのがドルチェ&ガッバーナおよび、そのフォロワー、まねをする新進ブランドである。ナポレオン・ジャケットなど堂々と出してくるD&Gにはびっくりするが、さらにまた、けっこう飾緒(しょくちょ)を装飾として採用しているジャケットも見かける。
 前にも書いたが、飾緒というのは、軍服の肩からぶら下げる金糸や銀糸の組みひもでできた飾りである。いわゆる「金モール」である。軍服でなくてもパレード用の服や芸能人の舞台衣装などによく使われている。確かにあれがゆらゆらしているとカッコいい。私も子供のころは、映画でああいうのを見ると憧れた。
 その後、あれは日本軍では基本的に「参謀飾緒」といって、参謀の職にあるものだけが常用する、とういうことを知った。また俗に参謀肩章ともいう。当時の兵隊さんの手記など見ても、日常的には参謀肩章(懸章)で通っていたようで、別に飾緒と呼ばないと間違い、などと目くじらを立てるものではない(また生かじりのマニアはそういうことを言いたがるものである)。
 ところが、「硫黄島からの手紙」などでも話題となったのだが、あの金モールをぶら下げるのは参謀、というのは実際にはほとんど日本軍だけの風習なので、そういう意味では参謀飾緒という呼び名はしないほうが無難のように思われるのである。
 そもそも日本軍でも、正装、大礼服には飾緒があって、これは将校以上は全員つけるべきものであった。よく将官のみが礼装用の将官飾緒を使用したという記述もあるが、最正装の場合は別に将官に限らず、少尉、中尉の下っ端でも飾緒をつけてよかったのである。
 では外国ではどうなのか。
 いわゆる「参謀本部」というシステムを整備して、日本軍のお手本となったプロシア・ドイツでも、士気高揚、エリート意識の維持のために参謀用の特別な制服は存在するけれど、しかし必ずしも飾緒をつけるという規定はない。
 ドイツ軍の場合、銀色の飾緒=エギュレットAiguilletteが存在してアテュタント・エギュレット(副官飾緒)と称した。これは、司令官など偉い人の秘書である副官・・・よくこれを副司令官の意味だと思う人がいるが間違いである、副官というのは要するに重役秘書のことである。その副官が常につけるべきものであった。で、参謀もまさにスタッフであり、司令官の付き人の一種なので副官飾緒はつけてもよかったようだが、実際には参謀は副官よりも格上という意識が強いので、あまりつけることはなかった。すなわちドイツ軍じゃ「参謀飾緒」ではないのである。一方、礼装用の飾緒も存在したが、これは日本軍と同じで、将校たるもの誰でも式典の時にはつけてよいものであった。
 ほかの国でも、どうも参謀だから飾緒を、という話は聞かないのである。明治時代に日本軍では、参謀本部という制度を導入したときに、まあその参謀という仕事の格を高めて、憧れを持たせるように、参謀のみがあれをぶら下げる、としたに違いない。
 ところで、エギュレットの由来は諸説あるが、やはりルイ14世時代のフランスで、司令官のお世話役だった副官 aide-de-camp(直訳すれば陣中世話役、というところ。野戦補佐官とでもいうべきか)が、上司の馬の手綱を肩に引っ掛けて歩くとき、肩章に結び付けていた、というのが由来らしい。つまり馬の手綱、なのである。どうして飾緒が本来は「副官用」のイメージなのかこれで分かる。
 その後、ナポレオン時代にあの飾りひもの先端に筆記用具をぶら下げるような使い方をした。参謀用、というイメージになったのはこのへんから後なのである。このころの名残で今でもあの重い金属製の先端を「石筆」と呼ぶ。
 また、ナポレオン時代にはその飾緒を勲章の一種としても使用した。名誉勲章を貰った部隊などに、その勲章のリボンと同じ色の飾緒をつけることを許可したのである。これは普通のものと区別してフォラージェFourragèreと称した。これは今でも制度としてあって、第二次大戦でフランスを解放してくれた米軍部隊なんかにも授与したそうである。
 ちなみに、フランスでは憲兵隊は憲兵飾緒というのを左肩からぶら下げる。普通、あれはどこの国でも右肩なので異例である。が、もともと見てきたようにフランスから生まれたファッションなのでバリエーションも多いみたいである。
 そういうことで、エギュレットが参謀の意味であるのは実は、旧日本軍の話である。ほかの国ではぜんぜん意味合いが違い、どっちかというと副官、つまり秘書の人の目印であったということである。

2007年2月06日(火)
 前に「硫黄島からの手紙」について、栗林将軍が「参謀用のヒモの肩章はおかしいし、戦闘服を着ないのも変」というような新聞記事を見て、それは違う、あれはあくまでも着任当日と戦闘開始当日の2回だけ礼装して見せたシーンであり、特に将校が新任地に赴くときには勲章を着け、礼装用の飾緒(しょくちょ)を着けるのは当然のしきたりだったはず、と書いた。さらに、当時の日本軍には戦闘服なんてものはない、通常の軍装しかなかったのであって、米軍みたいな戦闘用のジャケットは存在しなかった、とも書いた。
 確かに小笠原は暑いうえに、硫黄島は熱暑の地、実際はほとんど上着など着ず、シャツ姿のいわゆる防暑服だったと思う、というか在陣中は、本当はほぼ裸だったのじゃないかと思うが、映画の中でも、視察で歩き回るシーンでは、栗林はシャツ姿の防暑服になっていた。また、歩き回る際には乗馬用の長靴(ブーツ)ではなく、歩きやすいアンクルブーツに脚絆(ゲートル)に変更していた。実際の戦闘は2月で、小笠原といえども真夏の盛りではないから、また過剰に「暑かったはず」と強調するのも違うと思う。実際、硫黄島守備隊で斬り込みに参加した人の手記で、戦死前提のため軍服の階級章を二階級特進して取り替え、突撃していった、というような記述を見たことがある。
 着任のときの礼装はともかく、戦闘開始の時の礼装はいかがか、という意見もあろうが、しかしあれは映画上の演出というものだろう。欧米の文化を知り洒落者でもあって、さらにアメリカに対して敬意を抱いている栗林の内面を表現する「彼にとっての対米開戦の礼装」という意味合いに思った。少なくとも、映画の中では軍用行李(トランク)に、栗林は家族への手紙や手記、それに勲章や階級章のスペアなどを入れて乗り込んでいて、最後は自分の階級章を軍服から外し、行李に収め、それを主人公に託して「焼却しろ」と命じるのである。
 つまり、そのへん、ルックスにも身の回りにも気を使うあか抜けた司令官、として描きたかったということ。当時の栗林について、生存者も少なく、最後がどうであったかも分かっていないのだから、そのへんの演出が入り込むのは全く問題ないと思う。
 それよりなにより、なまじい「参謀肩章」なんて軍事的な知識を生半可に知っていて、それで鬼の首を取ったように批判する輩が多いようだ。ブログでも見かける。
 そういう者がまた、訳知り顔にいろいろ高説を垂れたうえに「ところで胸に着けている勲章は何? アメリカの勲章?」なんて書いていたりする。アホである。半可通の悲しさというものだ。いかに親米的な彼にして、それこそ戦時中に敵国の勲章など着けるはずがない。あれは「隊長記章」というのだよ、若者よ。かつて、陸軍大学を出たエリートだけが「陸大記章」として胸に着けた。形が古銭に似ていて「天保銭」と呼ばれ、そこから陸軍でもエリートを「天保銭組」、そうじゃない人を「無天」と呼んで差別した。例の2・26事件というのも、無天の将校のエリートに対する怨嗟が主因の一つである。
 で、2・26事件以後、あからさまなエリートの記号である天保銭は廃止、しかし同じデザインのものを今度は指揮官用の記章として採用した。なんでそんな紛らわしいことをしたのか知らない。あるいは、以前は天保銭は参謀、無天は中隊長などの前線の隊長だったのでここは逆にして、隊長と呼ばれる現場の人に着けさせたのかもしれない。つまり、中隊長とか連隊長とか、長とつく者がつけるメダルとなった。
 栗林は師団長なので、隊長記章を着けているのである。
 ◇   ◇   ◇
 と、こう書いてきて、戦闘服、いわゆるバトルジャケット、というものについてちょっと書いておきたくなった。
 そもそも軍服というのは、戦闘服である。とはいえ、昔の刀や鑓の時代の戦争では、軍服=鎧兜であるのは世界共通である。これが、鉄砲、飛び道具が出てくると、役にも立たない甲冑など着なくなる。
 で、当時の黒色火薬で敵も味方も分からないような状況で、はっきり指揮官に大勢が分かるように、派手な色彩のそろいの衣装を着るようになったのが軍服の始まりである。そもそもはスウェーデン軍が採用したのが始まりらしい。
 ナポレオンの時代には、派手な色の軍服花盛りとなり、そのまま20世紀の初めまで派手なままで推移するのだが、無煙火薬の普及、射程の増大、火力の発達で、第1次大戦ともなるとあんな派手なものは着ているわけにいかなくなる。で、カーキ色の当時としては迷彩色(ただしカモフラージュはまだである)の軍服が登場する。
 が、基本的には装飾や色使いを簡略化させただけで、基本的に通常の軍服のまま、戦闘に出ていたのである。
 このまま、日本を初め、ドイツ、ソ連などの軍隊では第2次大戦の最後まで、戦闘専用の作業服というのは採用しなかった。
 1941年末に太平洋戦争が始まるというと、合理的なもの好きで、また基本的には軍隊というものが決して格が高くない・・・ほかの国では将校というのは王侯貴族の特権で、だから軍服がきらびやかなのもその名残なのだが、米軍というのは独立戦争で急ごしらえで作った民兵隊のなれの果て、である。質素、地味、勇壮さやかっこよさより合理性に走るのはお国柄だった。が、戦争の実体が、ダンディズムなど発揮する余地がないほど熾烈になったのも事実である。それでも終戦まで、最前線でも勲章をぶら下げ、粋な軍帽を好んでヘルメットすらかぶりたがらなかったというドイツ軍とかソ連軍の指揮官のルックス第一主義は逆に見上げたものである。
 ともかくそれで、1941年に米軍に納入されたのがM41ジャケットという、はっきりいってそのへんのジャンパー、作業着そのものである。当時はカーキ色、ダークイエローのものだった。これは緒戦の米軍の戦闘地域がアジアの熱帯地やアフリカ戦線だったりするからだろう。44年には基本的に同じデザインだが緑色のM44ジャケットというのが出回るが、これは同年6月以後、米軍がノルマンディーに上陸して欧州戦線を戦うための装備だったろう。が、古参の兵隊は終戦までカーキ色のM41を好んだらしい。
 とにかくこのへんは、シャツの上に羽織るジャケットという位置づけであった。で、シャツは軍用のシャツを流用なのだが、本来は米軍のシャツはネクタイ着用である。ドイツ親衛隊のように、ヒムラー長官の命令で、戦闘中もネクタイを外すな、という軍隊もあったが、米軍はそんなはずもなく、当然クールビズである。そこで、シャツの襟元の下から覗いてもかっこいいようなかっりちした下着というのが出回るのがTシャツというものだ。あれも元々は米軍の衣装なのである。
 同じ頃、例えばドイツ軍など下着というのははっきりあったとは思えない。明解な記録もないのだが、というのは当時として当たり前の習慣はかえって記録に残らないからだが、おそらくドイツ兵は、あの折り襟の軍服の下は軍用のシャツで、その下はすっぽんぽんの裸と思われる。欧州のシャツはもともと肌着である。パンツ、ブリーフ、下履きなんてものもなく、シャツの裾を閉じてパンツ代わりとした。ドイツ軍の開戦時のシャツはそうだったと思われる。トランクスというのを支給し始めたのもおそらくアメリカ軍で、それがアフリカ戦線で上半身裸になる事の多かったイギリス軍にも好評、さらに敵方のドイツ軍にも好評となって、そのへんから今のトランクス式の下履きを支給するようになったようである。
 ちなみに同じ頃、わが日本軍はふんどしであった。陸海軍ともあの軍服の下はふんどしを締めていたのである。
 さて、話を米軍の衣料に戻せば、朝鮮戦争のときに採用されるのが、ジャケットの上に羽織るパーカーである。これはM51と呼ばれた。朝鮮半島は冬場は過酷な寒さである。米軍は1944〜45年の欧州の戦場でも冬の寒さに耐えかねたのだが、そのへんもあって軍用のアウターを充実させた。軍用のコートしかなかった他国とは違うのである。ソ連軍など氷点下20度でも手袋もしないし靴すら履かないで平気であったと言うが・・・。
 そういえば、同じ頃、陸軍から独立した米空軍が採用した、空軍専用のパイロット用ジャケットが例のMA1である。それまでは米軍に限らずどこの国の空軍も、つなぎの飛行服はあったけれど、あれは着脱が面倒だしかっこわるい、というので、民間用の、多くはオートバイ用の皮革ジャケットを着ていたものだ。ドイツ軍など最後まで私物の革ジャンであった。米軍は大型機乗員用のボマージャケットというのを採用した。襟にファーのついたあのジャケットである。しかしパイロット用のセパレートのアウターというのは案外、それまでなかった。朝鮮半島では、撃墜された兵士が生還するのは非常に過酷であった。裏地を目立つオレンジにした、というのはよく知られる通りである。
 で、ベトナム戦争のころ、さらに新しいアウターが登場したのがM65である。なんといっても今時、セレクトショップなどで若者向きのファッションとして、M65をルーツとしたアウターが出回っているが、これは要するにM41とM51を足して二で割ったような防寒用のジャケットで、これさえ着ていれば万全、というわけだった。
 ベトナム戦では防暑用に現地で考案されたまさに防暑服というべきものがあって、これはジャングル・ファティーグなどという。あくまで現地用、という位置づけで正式な軍服ではないと思うが、今でも人気が高い米軍の戦闘服、というのはこのへんだろう。
 さて、90年代にはいると米軍の革新が始まって、ACUという新素材のコンバット・ドレスが採用される。さらに近い将来は、全身を機械とIT機器で固めたまるきりガンダムみたいな歩兵装備が採用されるという。もうこのへんになると、ファッションアイテムとしてまねすることなどできない、服装ではなくて、まったくの装備品、だろう。 
 ということで、いま流行のミリタリーテイストの中でもM65というのは、基本的には防寒装備である。なにかとスリムに、くだけたミリタリー味に、などという雑誌の記事を見るに、なんだか違和感を覚えるのである。
 というか、ミリタリー味なのだから、くだけないで欲しい、と思うが。軍人らしくメリハリの利いた動きをして欲しいのだが、近ごろの若い人はコスプレをしていてすら、へにゃへにゃした腰抜けの動きしかできない・・・。
 スーツだって基本は軍服なんだから(いずれここでも取り上げよう)、背筋を伸ばして大股で歩いて欲しいのですがね。


2007年2月05日(月)
柳沢厚生労働大臣、略して「厚労相」だが、あるいはこの人、日本政界のターニングポイントに名前を残したかもしれない。功労賞ものか。
 愛知県の神田知事は、勝つには勝ったが、今や景気好調で空港も愛知万博も成功と、これまでの実績から言うとまずクビになるいわれなどないはず。それがあれだけの接戦なんだから、中川幹事長あたりがどんなに強弁しても、自民党というのが今や「下落局面」に入ったのは間違いない。小泉さんがやっている間は、なにがどうあっても基本的に「買い」だったのだろう。しかし相場と同じだ、上がりきったところでみんな「いつ見捨てるか」と周囲の顔を窺っていた。日本人というのはそういう民族だから。そして、安倍政権は下落、とみていっせいに売り捨てである。
 小泉時代にも失言はいくらでもあったはずだが、そして県議の集いでの発言なら、普通は表に出ないはずのものだが、今やどんどん暴露される。
 安倍さんは御しやすい、などと喜んでいただろう自民党のもともとのなんも変わっていなかった連中も、しかしここまで不人気だとそれどころではないのではないか。
 あまりに求心力低下すると自民党政権が本当に崩壊しかねない。実際、憲法改正どころの騒ぎではないかもしれない。
 民主党には全く魅力がないが、自民党がここまで失速すると、なかなか面白いかもしれないと近頃は無責任に思う。
 にしても、愛知県でも、また共産党の候補が批判票を吸い取って現職をアシストしたのね。いつもいつも・・・。
 ◇  ◇  ◇
 松屋銀座の○○展というと割とよく行く。今はこれまで人気のあったお店が一堂に会するベストな顔ぶれの美味いもの展というのをやっている。
 もちろん我が家は出かけていった。お目当てはラ・ベットラの出店である。2700円ほどで、日本一予約の難しい店の味が堪能できる。とはいえ、日曜日の夕方はかなり余裕ですぐに入れたが、今日、月曜に会社を抜けてもう一度、食べに行ったら50分待ちという有様だった。
 実は先週も、日本橋高島屋の「大近江展」に行って、近江牛の名店「毛利志満」のステーキを食い、翌月曜も通って今度はステーキ丼を食ったのだった。
 ちなみに毛利志満というのはこれでモリシマと読む。創業者は明治時代に浅草・米久を起こした人物の弟だかなんだか、である。
 ◇  ◇  ◇
 百貨店で思い出した。ドイツ製の皮革クリーム「ラナパー」というのをご存知の方も多いと思う。ホホバ油(カリフォルニアなどで産するホホバという植物の実から採れるオイル)と蜜蝋をあわせた、もともとはドイツの民族衣装である革製の半ズボンを手入れするためのものだというが、我が家には半ズボンはないが、革のコートがいくつかあり、手入れ用に欲しいと思っていた。落合正勝先生も皮革手入れには最適、と書いていた。普通は通販やテレビ通販で買うのだろうが、あれを通販でなくて店頭で買うとするとどこか。
 某百貨店で聞くと、散々、待たされた挙句「あれは通販でしか売っていません」というような答え。しかし念のために日本橋の三越本店に行くと、受付嬢が瞬く間に「スポーツ用品売り場にございます」という。さすがの対応である。
 そのスポーツ売り場に確かにラナパーがある。「ほかには○○さんにも置いてあるようです」とわざわざ、他店の情報まで教えてくれるのが偉い。さっそくこれを購入して、それからついでに、ふと思いついたある健康関連のグッズがどこかにあるか、関係ないスポーツ売り場の人に聞いてはいけないかな、と思いつつ質問すると、これも瞬時に○階にございます、あちらのエレベーターを上がってすぐでございます、と来る。
 悪いが、同業他社と比べて見上げた販売員たちの錬度である。あれほどまで、どこの売り場の販売員も自店の隅々まで把握しているのは見事なもんだ。
 さすが、というのも老舗に失礼だろうが、それにしても改めて三越本店、見直しました。

2007年1月31日(水)
今年もはや1か月が過ぎたが、それで今年最初に見た劇場映画が「どろろ」。おとといの夜に見てきたのだけど、深夜だというのにかなりの人の入り。なかなか人気も高いようだ。
 いうまでもなく、今から40年前にあの手塚治虫が描いた少年漫画「どろろ」の実写映画化である。ちょうど私が生まれる前後の頃の作品で、もちろんリアルタイムの経験はない。それで、なんとはなく、手に刀の生えた身体障害者の子どもが苛められる話、というようなイメージを抱いていた。ま、それはそれで当たらずしも遠からず、なのだが。
 日本によく似た異世界。戦国乱世のただなか、一族滅亡の危機に立った武将・醍醐景光は48体の魔物を封じてある禁断の「地獄堂」で「怨敵を倒し、天下を平定する力を。それと引き換えならなんでも差し出す」と祈願する。魔物はその祈願に応じて、数日後に生まれる彼の嫡男の「身体48か所」を要求、景光はそれに応じてしまう。魔物は憑依するための実体あるものが必要だから、である。
 かくて、目も耳も声帯も、手足も内臓もないという子供が生まれると、景光は川に流してしまう。そして、戦国の魔王として天下平定の覇業に乗り出していく・・・。
 それから20年。義手の中に魔物を倒す刀を隠し持つ謎の青年が現れる。もちろん、景光が流したあの子どもだ。その身体は彼を拾って育ててくれた義父が、秘術を尽くして作った人造の身体で、無敵である。そして、彼に付きまとうこれも正体不明のこそ泥の少年。青年は「百鬼丸」、子どもは「どろろ」と名乗り48体の魔物を倒して、失った身体と自分のルーツを捜し求める旅に出るのだが・・・。
 というような展開で、さらにこれは原作のファンには周知のことだし、どろろ役が柴咲コウなのだから誰でも予想がつくとおり、どろろは実は女性である。また映画では、どろろは醍醐の軍勢に滅ぼされた村の出身で、醍醐景光は親の敵。百鬼丸はそれと知らないが実は醍醐家の嫡男でもあるので、まあそのあたりの葛藤、ロマンス的な展開と、復讐劇の部分というのも当然ながら用意されている、がそのへんは見てのお楽しみ。
 とにかくアクションシーンと魔物の出て来かたのスピーディーさ、どこかで見たようなテイストだと思えば、アクション演出は香港のチン・シウトンだというから合点がいく。日本のホラーファンタジーにつきもののジメジメ感じゃなくて、なんだか「チャイニーズ・ゴーストストーリー」シリーズのような感覚があるのだが、同作品はチン監督の出世作である。なるほど、なるほど、である。
 原作漫画では百鬼丸が14歳、どろろは10歳だかの本当にまだ子どもである。今回の映画化で大きな変更点は、妻夫木聡と柴咲コウを主演として、設定年齢で19歳前後、としているところ。これは少年漫画の枠ではなく大人の鑑賞にも堪える映画にするには当然の措置だし、先にも挙げた、ロマンス的な要素も盛り込めるし、結果として大正解である。主演の二人はなかなか難しい、というか雲をつかむような役どころをうまく演じきっていて、特にガサツな悪ガキ、だけど本当は女性、というのを柴咲が見事に押さえている。塩田明彦監督のコメントによると、柴咲さんがいなかったら成り立たなかった企画、とまでいい、映画では珍しいことに、脚本もキャスティング決定前に、当初から柴咲主演を想定して書かれたのだと言う。
 また、映画と原作の違いで大きいところというと、なんといっても中井貴一演じる醍醐景光の描き方、である。原作ではひたすらエゴのために突き進む嫌なオヤジ、である。まあほかの手塚作品で言うとアトムの天馬博士のようなもの。すべての発端は大人のエゴにあり、子どもはそれに振り回されて苦労する、という図式の中で、その発端を作ったオヤジというのはひたすら形式的な「悪親父」の役回りを割り当てられる傾向がある。まあ、それは少年漫画というフォーマットの故でもあろう。なにしろ読者は子どもであり、親父なんてろくなもんじゃなくてよいのである、が、映画となって、観客もまた大人が多いということになれば視点も変わってくる必要があり、景光はたんなるエゴの人ではなくて、戦国乱世を平定すべくすべてを犠牲にしてでも突き進む修羅の人、戦国の業を生きる悲劇の人、という側面を併せ持つことになった。誰しもこの映画版を見て「あれ、これって織田信長?」と思うはずである。すると実際、パンフレットによれば、塩田監督も今回の景光の設定は信長のイメージ、だというから納得である。
 ということで、終盤はなんだか、ひたすらこの中井貴一が「カッコイイ」のよ。見終わった後は、すべてを背負って生きる醍醐景光こそがヒーローのように見えてしまうわけ。だけど、この描き方は素敵である。原作とは離れているかもしれないが、素晴らしい解釈だと思うのだった。
 もう一人、原作と大きくかけ離れているのが百鬼丸の義父。これも漫画ではただの「医者」で、なんとなく息子を旅に送り出しているけれど、今作では呪医師・寿海として、「育ての親」として非常に重要な役どころになっている。原田芳雄がまた非常にいい演技をしている。
 ということで、けっこうトータル、原作漫画よりも父性の物語の部分が大きく、主演二人の熱演を尻目に、このオヤジ二人がドラマチックでおいしいところをかなり持って行ってしまっていたりする。
 その他、少年漫画のフォーマットを映画にするにあたって、脚本が非常にリファインされて結果として、映画として面白いものになったと思うし、また原作ファンも過剰な思い入れのある向きは例によって違和感を覚えるかもしれないが、手塚治虫の持ち味というのはしっかり入っていて納得できるのではないかと思う。ちょうど「デスノート」のときと同じである。映画版は客層も違うし、ぎゅっと短い時間に要素を凝縮する必要もある。映画となると複数のチームでドラマを仕上げていくので、連載漫画にありがちな内容の破綻や矛盾もなくなってリファインされる。そのへんの妙味を味わうにしくはないと思う。
 一方、原作ではシビアな内容にかかわらずどこか牧歌的というか、手塚漫画特有のギャグセンスも多く、けっこうノリは軽いのだが、映画版はかなり重々しい。内容的にも戦争と、戦争孤児といったテーマが多く語られる。それはやはり、時代の空気を写しているものに違いない。
 ということで、見終わった印象は非常によかった。手塚治虫ファンクラブ会員である妻も映画として非常に良かった、と言っている。エンディングにかけては映画オリジナルに近いと思うが、なんとなく連載が終わってしまった感のある原作漫画と比べても納得いくものだった。手塚先生も満足される出来栄えなのではないだろうか、と私は思う。

2007年1月29日(月)
 珍しいこともあるものだ。「1月27日付の長崎新聞で、同じ内容の記事が同じ紙面にダブって掲載される珍事が起こった。掲載された記事は本来、茨城の殺人上申書事件が掲載されるはずだったが、京都・長岡京の親族殺害事件がダブって掲載された。同紙は翌1月28日付で、掲載する予定だった茨城・殺人上申書事件の記事と「おわび」を掲載した。 J-CASTニュースの取材に長崎新聞は、「締め切り間際に長岡京事件の記事について一部修正が入り、差し替えました。それを担当者が勘違いしたということです。いまはパソコンをクリックするだけでカンタンに差し替えできるのですが、その後のチェックもその担当者が差し替えたところだけを見ていたため、見落としました」と、うっかりミスが原因と説明した。同社によると、この担当者と整理部デスクには顛末書などの提出を命じ、厳重注意処分とした。整理部デスクは「印刷ギリギリのところで起きたこととはいえ、すみませんでした。今後は複数の者がきちんとチェックするようにします」と謝った」(J−CAST)ということで、新聞の同じページに同一の記事が載っている、という状況なわけだ。
 実のところ、私も同業者だから分かるんですが、新聞の別のページにうっかり、同じような記事が出てしまうこと、というのはある。たとえば政治面の記事と経済面の記事でほぼ同じような記事が、ということ。これは、二重提稿つまりうっかり同じ記事を別の面に送ってしまった(なにしろ記事と言っても今はデータだから、クリック一発で送られるものであるのは事実)、ということだが、また稀には、たとえば同じ事件を政治部と経済部と社会部が個別に取材し、それぞれ政治面や経済面、社会面に出稿したところ、ほとんど同じような内容にたまたまなってしまった、ということもある。
 が、まあそういうダブりについても、ほとんどの場合は締め切りまでに誰かが気付いて、なんとかなる場合が多い。そのまま印刷してしまった、というのは経験がない。
 で、今回のように同じページに同じ記事が載ったまま、誰も気付かないでそのまま行ってしまった、というのは・・・うーん、どうだろう。断言は出来ないが、うちの会社だとちょっと想像が出来ない。もちろん締め切り間際なんて時間の勝負である。世間の人はどの程度のペースで新聞紙面が出来ると思うか知らないが、もう今時は、ほんの4、5分で新しい記事に差し替わってそのまま出力、印刷というのは当たり前である。その間に誤字脱字やら間違い、思い込みのたぐいを極力、みんなで探し出す。まあざっと見て、締め切り間際なら瞬間的に20人ぐらいはその紙面を見ているのじゃないかと思う。
 それで誰一人、なんにも気付かない・・・どうも信じられないが。それとも長崎新聞はどんな体制で・・・はっきり言って人数である、最後は。できるだけたくさんの人が紙面を見るしかない話である。どんなに機械化が進んでも、最後の品質管理はにんげんがやるしかない。それはいろんな業界のいろいろの不祥事やらトラブルやら・・・最近なら不二家にしてもパロマにしても、そういうものを見てみても、やはり最後の最後には人間が頑張るしかなく、そして、そういう段階に関与する人間は決してリストラしてはならない、そこを人減らしすると結局、短期的には経費が減っても、なにか雑な雰囲気になり、全体が弛緩し、品質が低下し、最後は後で痛い目を見ることになる、という教訓が必ず見て取れる。新聞業界もご多分に漏れず、どこもかなりのリストラ、特に機械化、自動化と人減らしはかなりやっている。実際、うちの会社なども私が入社したころからすると人数は半減以下になっている。
 他人事ではないし、どんな業種でもいえるんだろうが、まあ私の場合はまさに他山の石なので興味を引かれた。



2007年1月28日(日)
ただでも失点続きの安倍内閣。また馬鹿なことを言った大臣がいる。
「野党各党は28日、柳沢厚生労働相が「(女性は子供を)産む機械、装置」と発言したことについて、「厚労相として許されない発言だ」と一斉に批判した。共産、社民両党は厚労相の辞任を要求する考えを明らかにした。29日から本格的に始まる今国会の論戦にも影響を与えそうだ。関係者によると、柳沢厚労相は27日に松江市で開かれた島根県議の会合で講演し、「(女性という)産む機械、装置の数は決まっている。あとは1人頭で(多くの子供を産むように)がんばってもらうしかない」と発言した。厚労相はその場で「機械と言ってごめんなさい」と謝罪し、「産む役目の人」と訂正した。これに対し、民主党の鳩山幹事長は28日、都内で記者団に「女性に大変失礼な発言だ。女性に『がんばってもらうしかない』という発言も責任逃れで、厚労相として子供を産み育てやすい環境を作ってこなかったことが問題だ」と痛烈に批判。社民党の福島党首は同日、党本部での会合で「最低の発言だ。このような閣僚がいる内閣は是認しがたい」と強調した。29日にも辞任を求める文書を厚労相側に提出するという。共産党も「絶対に許されない発言だ。厚労相としての資格に欠ける。辞任に値する」とのコメントを発表した」(読売)ということで、まあ読んでの通り聞いての通りである。
 頭が悪いのじゃないか、この大臣? それ以上にコメントする気も失せる。
 要するに、国家として子どもは必要な「人的資源」であって、それを生産しないのは「女性が怠けているからだ」という発想なんだろうね。
 まあ、確かに熱心に子供作ろうという雰囲気じゃないですよ、私の家も子どもいませんから大きなことは言えませんがね。
 だが、これだけお先真っ暗な雰囲気に世の中しておいて、無責任に子どもだけ増産しろってえのか、政治家さんたちよ。今の時代に日本国の子どもに生まれた人々は、間違いなく不幸だろうよ。衣食住満ち足りていいじゃないか、なんていうのは戦前生まれの人のたわ言である。夢や希望がない、ということのほうがよほど不幸である。
 将来、ろくなことはなさそうだ、と若い世代ほど思っているのが今の世の中で、出来るだけ早く引退して、出来るだけ早く死んじゃったほうが「お得」なんじゃないか、というメッセージが溢れかえっている。
 今の若い人らを見るとなんだか自信喪失してしまって、それで「ゆとり教育世代」なんてレッテル貼られて腐ってしまっていて。
 それともあれか。子ども作ってやるから、政府で全部、面倒見るか? 責任持つか? そうでないならくだらないことを言うな、と思う。
 株式相場と同じなんだよ、子どもの出生ってのは。未来に先高感があれば、未来への投資として子どもが欲しくなる。しかし未来がジリ貧だという展望なら、それぞれの家系がここで店じまい、と発想するのは当たり前のことである。日本国に未来はない、という心象が若い世代に強い、ということだ。
 機械のように、あるいは統計上の数字としてなんでも合理的な計算だけで見る。まさに柳沢大臣のような発想だからダメなんじゃなかろうか。
 また、典型的なお役人たちの発想でもある。厚生労働省(それにしても諸悪の根源のような役所である)の役人たちが日ごろ「オンナがもっとガキを生産すりゃいいんだよ、まったくさあ」なんてほざいているのはほとんど確実である。



2007年1月24日(水)
今更なんだが、読売新聞の北海道版の記事で。「北海道教育委員会が昨年12月に実施したいじめ実態調査に対し、北海道教職員組合(北教組)が道内21支部に、調査用紙の配布や回収に協力しないよう「指導」していたことが23日、明らかになった。多くの学校は協力したものの、小樽市では、教員が調査回答や回収を拒否。一部の学校では校長が保護者に直接、回収協力を求める事態となり、保護者から、「非協力は常識外れだ」と批判の声が上がっている。・・・実施前、北教組小樽市支部から「調査に協力できない」と通告された。市教委は「現実と向き合い、調査結果を指導に生かすことが必要」と説得したが、支部側は「調査結果がどのように使われるか不透明」「調査を実施することでいじめ問題が早期に解決するかどうか見えない」――などとして協力を拒否したという。・・・市内の小中学校に子ども3人を通わせている主婦(41)は、「小学校長から『すべての教諭に用紙の配布・回収を拒まれ困っている。手を貸してもらえないか』と相談を受けた」と話している。主婦は、「中学生の娘が、担任から調査用紙を配られた際、『出さなくていいからな』と言われたそうだ。そんなことを教諭が言うのは問題だ。いじめ問題の解決には実態把握が必要なはずで、理解できない」と憤慨している。また、小学校長は、「この調査を子供たちの人権と命を守ることに生かさなければならない。協力を頼む」と校内の北教組分会長に訴えたが、拒絶された。校長は「教員も行政も一つにならなければいじめ問題は解決できない」と憤る。一方、北教組に加入する札幌市内の40歳代の男性小学校教師も、「いじめで死んでいる子供たちがいるのに、事の重大性をまったくわかっていない」と、本部方針に困惑している・・・■北海道教職員組合 日本教職員組合の傘下団体。道教委のまとめでは、2006年の道内教職員の加入率は36・9%で、日教組全体の加入率28・8%に比べても高い。学力テストや主任制導入などを巡り、教育行政と対立してきた」てなことを見つけた。
 おそらく、日教組のなかでも特に時代錯誤しているのが北海道の組合なのだろう。中央の指示になんでもかんでも歯向かっておればカッコイイ、というような感覚を2007年にもなってまだ持っているらしい。
 こんな教組のある風土では教育の内容なんてのも想像がつく。きっと30年遅れなことを主張しているに違いない。ひょっとして今でも「詰め込み教育反対」とか言っていたりしてね。
 こんな次元で生きている人たちをセンセイとして仰がねばならないとは、北海道の子どもたちが気の毒である。


2007年1月23日(火)
それにしてもなんであんな番組見ただけで、納豆売り場に殺到するのかね。例の「あるある」である。「フジテレビ系の情報番組「発掘!あるある大事典2」で、納豆のダイエット効果を示す実験データが捏造(ねつぞう)されていた問題で、この番組の制作を関西テレビから受注していた番組制作会社「日本テレワーク」(本社・東京都品川区)の古矢直義社長が、引責辞任する意向を固めたことが、23日分かった」(読売)ということで、この日本テレワークは前にもテレビ東京の情報番組で同じような問題を起こして番組をつぶしているだけに、疑われるのは「今までの放送もみんな怪しい」ということである。
 小泉フィーバーに騙され、でたらめ番組に騙され・・・日本の民度もじつに危なげであるし、そりゃ学校5日制を廃止したぐらいじゃどうにもなるまいて。
 みのもんたのお昼の番組も似たようなもので、毎日毎日、あやしげな民間療法を紹介しているけれど、あんなもんもどうなんだか。
 最近はお医者が困っている、という。「私はみのさんの番組見て治しかたが分かったので、病院の薬はもう要らない」といって、あの民間療法に頼って、医者の指示を無視する馬鹿老人が多いのだそうだ。発病してからではみのさんの民間療法程度じゃ治るわけもないのに。
 みのさんのミリオネアも打ち切りだという。あれも堀江エセバブルの時代の匂いがする番組だったがいい加減、飽きられたのだろう。みのもんた自身、そろそろ時代の雰囲気に合わない感じがするのだが、なぜか老人世代がいつまでも好きなんだよねあの男が。
 そういえば、有名人も通う店、というふれこみでこのところのし上がっていた漢方薬局も摘発された。みんなこちらもまやかしだらけだったのだろう。
 軽薄な話は沢山である。 



2007年1月22日(月)
 西日本新聞に、もっともこういうメディアの中ではホンネに近い声じゃないかと思うのを見つけた。東国原英夫氏、すなわちそのまんま東新知事、のことである。
「談合防止が最大の争点となった出直し選挙。「政治家が一部の県民の味方でしかなかったから談合事件が起きた。うっぷんを晴らせる候補者がやっと現れた」。50年間自民党を支持してきたという宮崎市の自営業、津乗紘一さん(66)は、政党色のなさで東氏を選択。「これまで何をしたかではなく、今から何をするかだ」と、その将来性に期待を込めた。・・・ただし、東氏に投票した県民の中にも懐疑的な意見は根強い。「政治手腕が正直、不安」(宮崎市の60代タクシー運転手)、「何も期待はない。ゼロからのスタート。誰でもいいというのが本音」(同市の50代理容業者)の声も。「全権委任」というわけではなさそうだ。「荒療治をしなければ宮崎は変わらない。もし(東氏が)不正をしたら宮崎にはいられない。県民を裏切れないはずだ」。延岡市の自営業、黒木立寿さん(61)は、「未知数」の政治家に将来を託さなければ「刷新」が見込めないもどかしさをにじませた」ということで、本質的なところをうまく拾っていると思う。
 そのまんま氏に期待して、というよりもほかの政党がらみの元官僚なんて連中にうんざりだ、ということだ。まったく同感である。
 自民党は化けの皮が剥がれた。というか何も変わっていなかったのに、小泉さんに騙されていただけだったのだが。彼が言葉どおり命がけで改革を考える人だったらなら、この時期に任期切れだから、といって退任しなかったはずである。本人が絶対に再登板しない、と言っているのも当然のこと。期間限定だからパフォーマンスの連発だけで乗り切れたのだ。あと5年やっていいから日本の赤字をゼロにしなさい、と言われて引き受ける人などいない。
 民主党も化けの皮が剥がれつつある。あそこまでダメだともう救いようがない。
 その他の政党などあってなきに等しい。
 こうなってみると、もはや日本には政党などないに等しい。いま国民から見ると、今、政界に籍のあるものはいったん全部やめてチャラにしたらどうか、というところである。
 それで候補というとまた中央省庁の官僚だった人ばかり見つけてくるが、そんな連中、今まで日本国をメタメタにした責任者たちではないか。なんでそんな経歴の者たちが、地方首長やら議員やらに天下らなきゃならないのか、とそりゃ思うわな。
 東国原氏に別に積極的な期待などしていない、と宮崎県民は言う。だから、案外に化けるかもしれない。妙に期待していないほうがいいのである。
 彼は今までの仕事も家族も失って背水の陣なのであるから、かえってどこの誰より根性があるかもしれない。それにお笑い芸人出身というのは、実際、人に馬鹿にされたり見下されたり、ぺこぺこ頭を下げたり、というようなことを散々経験してきている、ということだ。なにせ人に笑われる仕事をしていたのである。人さまに頭を下げたことのなさそうなエリートなんて者よりずっとましである可能性はある。ま、それにしても、政策面では有能なブレーンが必要かも知れず、さらにまた、要は手足となるべき県庁の皆さんがどう受け入れるか、という気もするが。
 それよりも。こうなってくると統一地方選、参院選はどうなるのかしら、である。無党派候補というのがどっと増えるかもしれない。
 私も、なんかこう「自民」「民主」「元官僚」というような取り合わせには確かに飽き飽きしている自分を発見するのである・・・。

2007年1月19日(金)
日銀が利上げ見送りとか、星野仙一が日本代表野球の監督に内定とかいう話が世間的には大きいのだろうが、まあ私は教育再生会議の「学校五日制見直し」というのに注目しましたね。へえ、というね。授業時間の1割り増しなんてのは驚くまでもないが、いったん週休二日にしたものを元に戻すってのはけっこう、出来そうで難しかったりしますが。学校の先生方は今更いやでしょうし。そんなことないですか?
 諸外国は五日制がふつうだし、という議論もありますが、まあ諸外国がどうのこうのというのは気にする必要はない話だろうけど。それを気にするなら、OECD加盟国で、週に6時間しか平均で勉強しない日本の子どもってのが問題であって。ちなみにイタリアが一番、家で勉強してるんですってね、統計では。週に12時間ぐらい。
 私としてはです。とにかく近所の暇そうな、毎日毎日、午後の3時ごろから夜の7時、8時ごろまで遊んでいるようなお子さん見てますとね。まあそういう環境にあるのだろうけどやっぱり学校でもっと預かってもらった方がいいんじゃないの、ああいうガキは、と。というかとにかく近所迷惑なんよ、うるさい馬鹿ガキどもは。週休ゼロ日でもいいんじゃないのか学校なんて。親は助かるよ、そのほうが。
 ◇  ◇  ◇
 関係ないが、「シルバニアファミリー」がCGアニメ化されると聞いた。へえ。よく玩具コーナーで売っているあの小さな動物の人形のシリーズですよね。なんで今になって。しかし案外に人気があるのか。じつはうちの奥さんがファンである。
 ◇  ◇  ◇
 いっそう関係ないが、NHKがようやく「坂の上の雲」のドラマの配役を決めたという話を聞いた。秋山真之がモッくんで、秋山好古が阿部寛、正岡子規が香川照之ということでなかなか、はまっていそうではある。
 大河ドラマの枠ではないが、大河なみに、というか2年がかりで、1回の放映は90分ということで予算規模も大河より大きい、ということを聞いた。
 かなり興味が出てきたが。阿部寛はけっこう軍服姿が似合う。
 ◇  ◇  ◇
 そういえば不二家には3秒間ルールというのがあったとか、どっかで聞いた。地面に落とした製品も「3秒以内に拾えば」そのまま出荷してよし、という謎のルールである。
 この会社は子どもか。小学校か? とても日本を代表する企業の論理とは思えない。
 長く老舗のブランド力に頼ってきた会社とはこういうもんですかね。
 私は自分の会社がいわゆる世間イメージの高いかっこいい会社でなくてよかったと思っている。天狗になりたくてもなれないから。
 そういや、あの日航だって今や給料1割カットである。「アテンションプリーズ」なんてドラマ見ていると悲しくなる。本当はいろいろあんなもんじゃなく問題があると思うのだけど、と。昔の黒いワンピースが制服の時代の元祖「アテンションプリーズ」(そういうドラマがあったのよ、若い人は知るまいが)のころは、本当に高嶺の花で、そこでスチュワーデス目指す女の子が必死になるというのも次元が違った。まあ女子アナなんかと同じような次元であったと思う。スチュワーデスになるのって。
 今はなんか「たまたまなっちゃいました」というああいう設定でもなるほど、と。
 こないだの「えせレブ」夫婦のバラバラ殺人でも、歌織容疑者というのは契約スチュワーデス、だったよな。
 いやあ、地に落ちた感じはあるですね、ああいう仕事も。

2007年1月17日(水)
阪神大震災からええと・・・12年か。あのころは成人式というのは曜日にかかわらず1月15日と決まっていたのだったよな。で、確か日曜日が15日で、翌16日が振り替え休日で、17日というのは連休明けでみんな、なんとなく弛緩していた日、ではなかったかと記憶するのですが・・・違います? 朝、起きるとNHKニュースで、数人が死亡した模様とか言っていたんだよね、だけどどう見ても、その最初の影像から見てもそんなもんじゃなかろう、という。
 鮮明に覚えているんだが、会社に行ったら隣の席の人が遅刻してきて、で、テレビを見て「なんかあったの?」なんて間抜けなことを言って、みんなから冷たい視線を浴びまくっていたが・・・。まだネットの普及しない時代で、出社前にちょっとニュースを一覧してからというような習慣はなかった。
 ◇  ◇  ◇
 そういえばだが、バーバリーが中国に拠点を移すというので、揉めているようだが、実際の所、日本なんかじゃ間違いなく人気が落ちるだろう。というかまあ、どこでも落ちるだろうけど。別に中国製が駄目なんてことではないが、しかし「英国製が全くない」ということがはじめから明確なブランドなど、もはやブランドじゃなくてただのメーカーじゃないの。
 どこのブランドだって、いろいろ「本当の生産国は・・・」という怪情報があって、それをまた通人ぶって話すのが流行っていたりするが、それもこれも、少なくとも本国で作っているものがないと話になるまいに。
 せめても山陽商会の製品のほうがずっと良い、ということになるワケね。じゃあサンヨーコートでいいわけで。
 アクアスキュータムは親会社がレナウンで今や日本企業なわけですが、あれだって一応は英国でも作っている、かもしれない、という部分で(しかし本当のところどうなの)もっているわけでしょう?
 実際の所、マッキントッシュだのラベンハムだの、インバーアラン、ジョンズスメドレーだのがブランド力を保っている理由は、労働力確保という点から言えば不利でも英国で作り続けているからでしょうし。
 冬になると毎年のように高騰するモンクレールなんてのも、せいぜいクロアチアだかどこかまでで、中国なんかには拠点を移さないのが正解でしょう。
 靴ブランドでもハンガリーやスペインの会社ってのは大いに活用されているが、どこまで移すか、・・・まあ移しすぎてそれがばれると引かれるよな、と思うのである。
 トルコ製っのもけっこうあるようだが、こういうことではとっくにEUの壁を越えているわけですが。
 ま、とにかく私は元々ぜんぜんバーバリーは贔屓ではなく、ダンヒルとかアクアスキュータムとか、ポール・スミスなんてのは家中さがすといくつか出てくるが、どうしてだかバーバリーはマフラー一本、所有していない。
 しかしこんなことなら、いい時代にいいものを一つぐらい買っておけば良かったかもしれないですな。なにしろギャバジン地というのはこの会社の発明でしょ。
 かのロンメル元帥の襟元を飾っているチェックのマフラーというのもあのへんくさいですし・・・あれ、実際の所どうだたかしら。
 宿敵モントゴメリー元帥の着ていたのはグローヴァオールのダッフルコートですがね。
 

2007年1月15日(月)
なんかこのタイミングでも遅い、と思われたが「不二家の藤井林太郎社長(64)は15日、東京・銀座の本社で会見し、消費期限の切れた牛乳を使用してシュークリームを製造・出荷していた問題などの責任を取って辞任する考えを表明した。また、不二家は埼玉工場など洋菓子製造の5工場に対して実施していた社内調査を発表し、埼玉工場では、過去7年間に、消費期限や賞味期限を過ぎた原料を使用した事例が18件あったことを明らかにした」てことで、ようやく社長が辞任表明したようである。創業者以来の一族経営だったのね。
 雪印の二の舞、を恐れながら、ぜんぜん雪印事件の教訓が理解できていなかったようで、悪いがこの先の見通しは厳しいことになると思う。
 残念なんですがね、不二家製品、けっこう好きだったんですが個人的には。しかしここ数年はかなり業績が悪かったようで、ここにこの問題というのはかなり致命的か。
 問題は必ず起きるもので、不祥事は公表したほうがリスクが低下する。これが最近の常識のはず。学校なんかでも、なにか悪いことをしてもすぐに申告して謝れば割と軽くすむが、隠し立てしてあとで発覚するとこっぴどく怒られる。「隠す」「嘘をついて逃れる」という発想そのものが教師から見て気に入らないからである。同じことだ。
 ◇  ◇  ◇
 遺体「バラバラ」殺人が流行している。こういうのってやはり連鎖性はあるんだろう。ヒントを与える、ということか。
 最初の予備校生の妹殺しは・・・前にも書いたが、妹さんの言動にはかなり問題あり、というのは確かと思う。兄のほうに性的に屈折した感情があったのか、なかったのかということを週刊誌など書いていたが、まあそういう要素もあったとしても、基本的には侮辱されたがゆえ、なのは間違いないだろう。
 夫殺しのほうも、まあちょっとエセレブな外資系の家庭のすれ違い夫婦による「見栄っ張り結婚」の結果、ということで面白おかしく語られてきたが、この奥さんってのが世間知らずの見栄っ張りだったのは確かだろうが、外資系に移ってちょっと羽振りが良くなってから天狗になっていた夫というのもかなり問題ありだったようではある。が、それでなんであの詰まらない1LDKに顔付き合わせていたんだろう、さっさと離婚すりゃいいのに、としか思えない。という意味ではいい年して馬鹿な夫婦だな、という感は否めない。
 ましかし。魚さばくのだって大変なのに、みんなよくやるよなあ。
 

2007年1月11日(木)
なんか、これからブッシュ大統領が「イラク政策に関する新方針」とやらを演説するのらしい。それで、なんでも、5個旅団2万人をイラクに増派する、ということらしい。
 なんで増派なの、馬鹿か、と思うところではあるが、一応、あちら側の論理として考えてみれば。
 今までイラク軍やイラク警察に任せておいたけど、かえって宗派対立に火をつけるだけで効果なし、じゃあいっそアメリカ兵が治安維持をやるべし、という発想らしく、それはそれで、一応は分からないではないのだけれど・・・。
 確かにイラク人に任せてみても、シーア派だスンニ派だ、というあのいざこざがひどくなるばかりなんですよね。
 しかしじゃあ、アメリカ人が出て行けばうまくいくのかと。宗派対立はひょっとしていくらか緩和するかもしれないが、元の木阿弥で、今度は「にっくき進駐軍を倒せ」という話になって両派合策、アメリカ兵の屍の山を築くかもしれない。
 ま、まずうまくいかないような気がするが、どうなんですか。そもそもフセインというのは独裁者ではあったが、きわめて世俗的な指導者でもあった。そういう意味では、よほど宗教的な相手よりも本当は「話せば分かる」かもしれない人物であった。それを殺してしまって、無茶苦茶にしてしまったという、その先の見えなさがよく分からない。
 ところで、今回、増派される旅団の先陣は、クウェートにいる第82空挺師団の旅団の一つらしい。第82空挺師団か。ノルマンディー作戦以来の名前だ、今でも現役ばりばりなんだよね。あと、101空挺師団も健在。
 しかし部隊名は昔の名前で出ています、なんだけど、フランスを解放して独裁者を倒して民衆に歓迎されました、という第二次大戦の成功体験とはまるで違う近頃の状況。
 結局、アメリカという国にとって、ナチスドイツと日本を倒して正義の味方となったときのあの快感、というのが忘れられなかったのだろうが・・・歴史は繰り返す、というのは本当だけど、自分に都合のいい歴史が繰り返す訳じゃないのでね。ま、しょせん歴史の浅い国よ・・・でも、それについてけば万事OK、と思っていたわけよね、ついおととしぐらいまでどこかの国は。こっちのほうが重傷だわな。
 ◇  ◇  ◇
 ホワイトカラー・エグゼンプションの法案、一応は国会に出すけど今回は成立はできない、というつもりなんですってね、政府方針は。で、対象者は「年収900万円以上、課長以上」ということになりそう、だとか。
 要するに、課長から管理職のような扱いになる、ということですか、まあ。
 前に言われていた「年収400万円以上」という話じゃなくなったようですが、さて。
 

2007年1月10日(水)
デイリースポーツによれば「NHKが昨年の紅白歌合戦で抗議殺到の過激パフォーマンスを演じたDJ OZMAの関係者を9日、事情聴取した。女性ダンサーが裸と見間違えるボディースーツを着るに至った経緯、詳細をOZMAの所属事務所、所属レコード会社から聴いたもの。NHK側はこの情報を基に10日にも問題に関する見解を発表する予定。翌11日には、橋本元一会長(63)が定例会見で詳細を説明する。年末年始に騒動を巻き起こした“DJ OZMA問題”に一応の幕引きがされることになった。本番のステージに裸と見間違うボディースーツを着込んだ女性ダンサーが登場し、直後からNHKには抗議電話が殺到。その数は計750本に及んだが、NHK側は「リハーサル時には水着を着ていたので、(過激な演出は)知らなかった」とするなど、問題の真相はやぶの中だった」なんてことで、なんか大げさな話になってしまいましたなあ。
 はっきり言ってリアルタイムで見ていないのでなんだが、しかし私などDJ OZMAなんてまったく名前も知らなかったし、騒動がなかったら最後まで知らないで終わったろうから、まあ確信犯的というか、ある程度のリスクを覚悟でやったんじゃないですか。確かに知名度は大いに上がったから、ジャネット・ジャクソンのようにはじめから有名このうえない人がやったのとは違いますから。
 まあ今の紅白なんてこういう形で利用されてもしょうがないのでありましょう。落ちぶれたりとはいえ、しかし今もって、まったく名前も知らない、興味がないような層の人にも見てもらえるチャンス、という番組は紅白以外には無いと思われる。これから売り出し中、という人にはいまだに非常に効果がある番組ではある。どうせ来年以後、招集される可能性は少ないのだから一回の出演で話題を集めてサヨナラ、というこういうゲリラ的な人もあってしかるべきかもしれません。ま、そのへんはNHKの人選の問題、ということでしょう。
 ◇  ◇  ◇
 先日、亡くなった安藤百福さんについて、ニューズウィーク誌が「人類の殿堂に入るほどの偉大な業績」と最大級の賛辞を寄せたという。その通りと思いますね。なんでこういう人にノーベル賞って出ないのかねえ。ヘンな経済犯罪の元になるような理論を作ったアメリカあたりの経済学者は貰えるのにさ。まあ、よくやったスポーツ選手とか、なんかよくわからない芸術家とかがいろいろ表彰されますが、こういう人こそ日本国として最大級の待遇でなにかして差し上げればよいのに、と思う。
 インスタントラーメンなんて、と馬鹿にするような偏見を持っている人は今時いないと思う。実際、即席めんは世界的に貧者を救った、と同誌は賞賛している。
 それにしても、たった一人で即席めんを開発し、成功したのが49歳だったとか。けっこう遅い成功だったのだなあ、実は。
 
 

2007年1月09日(火)
今日あたりからはいずこも仕事本番でしょうね。ニューヨークじゃ超暖冬で5月の陽気といいながら、一方でテキサスで大雪、なにやってるんでしょう。エル・ニーニョというのは結局どこもかしこも気候をめちゃくちゃにしてしまうんですな。いやはや・・・日本はけっこうこのところは割と普通の冬になってきて、全国的に雪のところも多いし、東京あたりも外はかなり風が強くて、ちょっと暖冬気分じゃなくなってきた。ここらで油断すると風邪など引きますのでご注意を。いや、暖冬なんていっているときの方が、かえって危険かもしれません。身体が慣れてないから。
 ◇   ◇   ◇
 ところで、どうしようか、どうしようかと考え中だった大物を、つい買ってしまった。本当に、「つい買ってしまった」というのが正しい表現なのだけど。
 昨日、妻が「ウルトラヴァイオレット」というミラ・ジョボヴィッチ主演の映画のDVDが買いたいというので、舞浜まで行った。3連休で駐車場も混むかもしれない、と思って、車ではなくバスで行った。市内のことゆえ、車で行ってもバスで行っても、さほどに所要時間が違うというほどでもない。で、ディズニーランド併設のイクスピアリのDVD店でそれを購入、それからエスカラ・サイゴンというベトナム料理店でベトナム・キュイジーヌ風のおせち料理というのを堪能。これはすごくよかった。
 で、それからバスで帰宅して・・・たまたまそのバスはいつも乗るのとちょっと違うコースを通るもので、浦安駅前のいつもと違う地点が終着だった。
 で、その真ん前には、いつも行きつけのゲームショップがある。で、ちょっとのぞいてみようか、という話に。
 ちなみに、昨年末から我が家のPS2が調子悪く、初代のPSのゲームなら起動するが、ちょっと重いPS2用のゲームなどぜんぜん読み込まなくなってしまって困っていた。
 で、そこのお店で「ピンクのPS2が1万5000円」と張り紙してあり、「じゃあこの際、このPS2を予備に買うか」と思って販売員に聞くと・・・「ピンクは品切れです」ということ。で、あきらめてふと見上げると、なんと別の張り紙があって「PS3新品が入荷しました」とはっきり書いてある。おや、PS3があるの? 本当?
 で、一応念のために「PS3ならあるんですか」と聞くと、なんとあるという。げげ。マジですか。出荷数が少なくほしくてもなかなか入手困難、という話だから、まさかと思ったが灯台もと暗しというやつか。
 で、お値段はというと50GBで6万円ほどだという。ただしPS3のソフトも一つこみで買ってくれ、とのこと。
 そのお店はちなみにカード決済は扱わない。現金のみ。「現金そんなにないから、だめだよね」と妻がいうが、私は制してポケットから財布を取り出す・・・なぜかその日にかぎってどういうわけか、現金の全財産を財布に入れて持ち歩いていたのだよね、私。本当になんでだろう、昨日に限って。
 ということで、なぜか運命的に、我が家にPS3が来てしまった。
 とにかく重量がすごい。うちまでわずか数百bだが、それでも腰が抜けそうなほどの重さである。もうコンピュータ+ブルーレイ搭載機だもの、ゲーム機じゃないんだよね、これ。重さも家電級です。5キロじゃきかないでしょう? もっと重いのじゃない?
 で、「レジスタンス」という戦争物ゲームを購入。やってみて・・・やっぱすげえわ。この映像の精緻さは。あきれて物がいえない。と同時に・・・こんなスペックではゲーム会社がゲーム作れないよ、とも思う。ちょっとすごすぎ。
 で、PS2のゲームもできるので、PS2世代としては最高峰である「ファイナルファンタジー12」を起動・・・すると! あのため息ものと思われたグラフィックが、PS3にかかるとぜんぜんあらが目立つ。恐ろしや。もはやFFですらPS3にかかればドットの粗い雑な絵になってしまうとは!!
 今回のPS3はコントローラーは充電式で、これまでのリモコンコントローラーと比較してもものすごく軽い。また、メモリーカードというものはない。当然だが50ギガバイトもあるのでゲームもデータもハードディスクに丸覚えさせるのである。
 なお、PS2のゲームデータもハードディスクに移すことができるので、今までのPS2の途中セーブデータもすべて使用できる。また、私も実物を買うまで知らなかったのだが初代のPSのゲームもちゃんと出来ます。またセーブもできる。ただし、PSのセーブデータの入ったメモリーからPS3に移すことはできない。よって、PSの途中セーブは使えません。が、新たにやり直すことは出来ます。
 任天堂のWiiにはもちろん興味があるのだが、やはり我が家というのは基本的にはヘビーユーザーだと思うので、それにスポーツにもスポーツゲームにも興味ないので、とりあえずどっちを買うかというとPS3、で正解だったような。たとえゲーム機として人気でなくてもブルーレイ再生機にもなるしね・・・そっちも人気でなきゃしらないが。まあ、うちにはドリームキャストもあるし(!)別にいいんです、人気があろうがなかろうが。
 もう間違いなく、すごい性能、それは確か。そしてこれで6万円は安い。これも確か。しかし初心者向けではないのも間違いない感じである。まあこれは、マニア向けのモンスターマシンとなってしまったのかもしれない。
 驚くべき性能ぶりに声もないのだが、このモンスターの行く末にちょっと危惧を感じるのも事実だったりします・・・。どうなんでしょうソニーさん。とにかく私は買いましたけれど。
 
 
 

2007年1月08日(月)
 今年も一週間が終わった・・・早!。なんかこう光陰矢の如し。
 ◇  ◇  ◇
 事務職の上層で管理職手当てをもらう一歩手前の人について、残業手当をなくすというホワイトカラー・エグゼンプションなる耳慣れない言葉がこのところ、ちょっと出てきてようやく覚えた感じだが、それについて「労働基準法改正案は、25日召集予定の通常国会への提出が見送られる公算が大きくなってきた。柳沢厚生労働相は提出に前向きだが、与党幹部から慎重意見が相次いでいるためだ。自民党の中川幹事長は7日のNHK番組で、「本来歓迎されるはずのサラリーマンやその家族から歓迎されていない。経営者や政府の説明が不十分ではないか」と述べ、改正案の国会提出は時期尚早だとの考えを示した。また、「個人的には、名目成長が実質成長を上回るような安定的な局面で(法案審議を)やるのが一番ふさわしいと思う」と述べ、デフレの完全脱却後の導入が望ましいとの考えを示した」(読売)ということで、それにしてもなんでサラリーマンや家族が歓迎するのかねえ。説明不十分なのもそのとおりで、なにしろこの言葉なんてせいぜいこの一ヶ月かそこらでしょう、普通の人の読むような新聞記事やテレビニュースになったのなんて。ぜんぜん分からないわけよ、そんなもん。それに、アメリカから導入したやり方ですごく我々の日常生活に良くなったとか役立ったとかいうものってなんかあるわけ? という気分もある今日この頃、こんな妙なカタカナのままの概念が喜ばれるわけもなかろう。
 残業手当が無くなれば残業しなくなる、という発想のようだが、うーん、政治家の人たちにもサラリーマン経験のある人もいると思うが、職場っていうものの雰囲気を忘れているんですかね。手当てがあるからこそ、日本人の場合、初めて「今日は金は要らないので早く帰らせてもらいます」と強気に言えるのじゃないだろうか。欧米だと、サービス残業続きになったらさっさと「こんな会社辞めます」といえるが、日本はこれだけ世界標準だなんだと言いながら、結局、最近は以前よりもますます、いったん会社を辞めてしまったら、なにか売り物のスキルを持っている人でもない限り、再就職などしづらい雰囲気になってきてしまった。
 実のところ、新聞社もそうだし、ほかのマスコミも同様じゃないかと思うが、ずっと以前から残業手当など一部の事務職しかなくて、ほとんどの人が、いわば「ブルーカラー・エグゼンプション」となっている。記者手当てとか、外交手当てとか言うのが職種ごとにあってそれは相応の給与水準が保証されているけれど、しかしながらたとえば徹夜が三日続こうが、深夜に車で帰って早朝には三時間睡眠で取材に出ようが、休日に呼び出しがかかって一ヶ月も二ヶ月も休みなしとなろうが、文句は言えない、ということになっている。大事件や大事故があった場合に、担当者に残業手当などつけていたらそれこそ天文学的な金額になるからである。
 要するに、基本給をそれなりに高く設定してあるので、新入社員でもかなりの高給取りとはなるのだが、しかし、残業なんて概念どころか、はっきりいって普通のサラリーマンのようなライフスタイルはぜんぜん保証しませんよ、朝も夜も日曜も祝日もなしですよ、ということです。
 ホワイトカラー・エグゼンプションの場合、いったい対象者はなにがどの程度、保証されているのか分からないが、確かに運用を間違えれば、基本給はほとんど変わらないまま、新聞社の記者手当ての人のような24時間体制の仕事をさせられる可能性もあるわな。しかもそれが合法なんだから、どこに訴えても百戦百敗である。「勝手に働きすぎた本人が悪い」ということになりそうである。自己責任の一言でね。
 自己責任が通用するようにするなら、日本のビジネスが欧米流に個人主義が徹底した「特になることならやるが、嫌なものは一切やらないよ」というドライなものになる必要があるだろうが、ちっともそうなっていないでしょう?
 いや本当に、ブルーカラー・エグゼンプションにならないようにお祈りするばかりだ。私らの会社は初めからもうエグゼンプションなんですのでね。
 




2007年1月05日(金)
なんでも安倍さんが年頭の抱負で、「自分の政権の間に改憲」と意気込んでみせ、中川幹事長だか、すぐにも協議したいとか言って2007年の政治も始動の様子。にしても、あの政権ってそんなにもつんだろうか。もっともその代わりという受け皿も見あたらず、けっこうあれでだらだら行くのかも知れないし。そして、「郵政選挙」のワンテーマ選挙の結果である大多数与党をもって、改憲の方向に行きたいわけでありますが・・・改憲をテーマに、ここで解散して民意を問うてくれるわけはないからね、政治家というものは。「郵政選挙」のはずが、すでに「防衛省昇格選挙」でもあり、「教育基本法改選選挙」でもあり、また「定率減税廃止選挙」「法人税軽減選挙」そして「残業手当廃止選挙」「消費税増税選挙」でもあった・・・わけですよね。先が見えている人には明々白々だったが、アホな人には分からなかったらしい。あそこでの一票は、その後のなにもかにもに白紙委任、だったわけですから。そのへん、分からないなんて人は・・・まあ、いいや、すんだことだし。
 私はですね、改憲そのものには決して否定的ではないが、ああいう集団ヒステリーを今の日本人もする、というのを見せつけられてからは、やはり日本人には、自主憲法なんてまだ10世紀は早くて、占領軍から賜ったありがたい金科玉条を永遠に押し頂いていたほうが無難な三等国民じゃないのかしら、という危惧を覚えるようになってきた。
 どんなもんであろうか? われわれの民度というのは。自信がないですな、私は。前はもう少し、日本および日本人というものに恃むような部分もあったが。なんかしかし、ここ数年のわが民族の劣化ぶりというのは世界でもひどいんじゃないですか。
 ◇  ◇  ◇
 地球温暖化、といって英国の気象庁が、2007年は観測史上もっとも温暖な1年になるのでは、と予測しているが、それはそれでそうなるかもしれないが、なにか世界の気候が一本調子に上昇して、ひたすら温暖になる、と思っているなら間違いだろうと思う。
 というのも、そもそもエル・ニーニョの暖冬の後には、実は冷夏ということが多いからであるし、また温暖化というのはその結果として気候のバランスが崩れ、思いもかけないところで逆に極寒や豪雪もおそってくる・・・現に、暖冬のアメリカだというのに、テキサスで大雪、などと今日も言っている。つまり、どんどん「異常気象」が続くわけで、単純に暖かくなるのではなく、とんでもない冷夏や、氷河時代を思わせる大雪だって逆に可能性が増えると思うべきである。巨大台風、巨大竜巻なども増えるだろう。
 それにしてもアメリカや中国やインドが、経済を犠牲にして温暖化を考慮するなんて事があると思うだろうか? 絶対にないよね。きっとこの世の終わりまで。だから、この星もあと半世紀とかそんなもんじゃないですかね、少なくとも今の文明って。
 ◇  ◇  ◇
 なんだか妹から「お兄ちゃんは夢がない」と言われて逆上した予備校生が、妹を殺害して死体をバラバラにして捨てたそうだ。いやあ、たしかに「夢がない」時勢だが。
 にしても、容疑者はもちろん論外であるが、家族だからと言って、いうべきことではなかったろうけれど。傷をえぐるような言葉ってのはある。
  

2007年1月04日(水)
幸いにして大きな事件事故もなく・・・タノム、このまま終わってほしい。いやもう毎日毎日そんな感じ。世の中、ニュースなんて物がひとつもなくなてくれればよろしいのですが・・・って、本当にそうなったらマスコミも要らないし、ブログなんてものもほとんど存在価値がなくなるし。
 ところで、久間防衛長官・・・もうすぐ晴れて防衛大臣とか、防衛相と呼ばれるわけですけれど、その人がバンコクで会見して、防衛施設庁の解体の前倒しを披露した。まあそんなことはどうとも思わないが、ここ数年以内に自衛隊に二つの階級を新設する、と発表したそうであります。
 ひとつは、今の一佐と将補の間に「准将」を作る。もうひとつ、今の曹長と准尉の間にも「上級曹長」というのをもうける。まあ、これで世界標準に近づけたい、のだそうでありますけれど。
 昔の二、三年で年限がきて兵隊が入れ替わる徴兵制の軍隊と違い、今の自衛隊は皆さんが54,5歳の定年まで勤め上げるから、どなたも停年までには曹長にはなれるそうです。昔の軍隊だと曹長というのはずいぶんと偉い印象だったと思いますが。上等兵とか兵長になれればかなりエリート、だったと思いますが、今はなにしろ何十年もいるのだからそうはいかない。ある年齢になれば曹長ぐらいには年功序列であがってしまう。それではなんか示しがつかない、というので昔の軍隊でいう「準士官」相当で上級曹長をもうけるのだと。そこで一格あがる人とそうでない人で差がつくんでしょうね。
 ま、そっちはともかく、准将、というのはなんか今頃ねえ、と。そもそも日本の自衛隊は将補と将しかない、これは旧軍でいう「少将」と「中将」。二階級しかないのでは、なんかしまらないので三階級にしてみたいらしい。陸自だと当然ながら旅団長がこの階級になる予定だそうだ・・・おそらく、その時点で旅団長やっている将補は師団長以上に昇格なんでしょう。
 それはいいのだが、これで自衛隊は「准将、将補、将」となるんだが、まず「准将」と「将補」じゃなんか「准将」のほうが偉そうに感じるんだけど。そもそもこっちのほうが由緒正しい名前だし。将補、なんて悪いがどうも将官の補欠のようである。
 それに、相変わらず自衛隊は「准将、少将、中将」ということで、諸外国の大将に当たる階級なし。まあ統合幕僚長とか幕僚長とかいうのが事実上の大将相当なんだろうけど、あくまで役職で階級は中将扱い。あれはなんなのかねえ・・・軍事アレルギーの結果、大将なんて大げさな階級は増長するから廃止、日本の自衛隊の大将は総理大臣、ということなんだろうか。しかしそれはまあいいけど、外国の大将には頭が上がらない・・・というか、はっきり言いまして、米軍の大将には決して頭が上がらない、というかわざと上げない、のだろうか・・・まあ、実態から言うとその通りだろうが。
 米軍から指揮権を返還してもらう韓国軍にはもちろん大将がいる。北朝鮮などやたらめったら元帥とか次帥・・・これは副元帥ということだが、なにしろ身分だけは外国の大将より上、という気分なんだからおもしろい。
 いや、軍人の階級など今の時代、あれなんですが、しかし大戦中は、モントゴメリーもロンメルも元帥なのになんでうちは大将止まりなんだ、といってアイゼンハワーを元帥にするとか、いろいろあったわけです。やっぱり外国軍でも一階級でも上の人には相応な態度をとる必要がある。
 どうせなら、下に作るのじゃなくて、上に自衛隊上級大将とか、自衛隊元帥とか名前ばかり重ねてみたらどうですかね、こけおどしで。日本の自衛隊元帥に米軍の大将が頭上がらないなんておもしろいですね、まったく名ばかりですけど。

2007年1月03日(水)
皆様、あけましておめでとうございます。私は海外でゴージャスな・・・年越しなどしているわけもなく、今日から出勤です。が、世間的にも明日からご出社という方が多いでありましょう。幸いにして三が日は大したニュースもないようで、まあのんびりと・・・いきたいんですけどねえ。
 今年は、お知らせですが、自分は「詩と思想」という詩の雑誌(土曜美術社)の書評を担当しております。詩集と名のつくものはできるだけ拝読したいと思いますので、101−0047千代田区神田3−21−6村越ビル408辻元までご恵送いただけますと幸甚です。
 あとまあ、今年はひとつ・・・と思うこともないでもないが、まあぼつぼつ。
 ◇  ◇  ◇
 ところで、30日からオフだった私としては久々に、大晦日から元旦にかけて会社ではなく自宅で過ごせた。大晦日はイクスピアリの柿安におせちを取りに行き、それから紅白歌合戦のエンディングのところをちらっと見て、行く年来る年を見てから、近所の稲荷神社に初詣。ここは自分の町内の鎮守なのだが、初詣で行くのは初めて。12時半すぎに着いたが当然ながら長い列が出来ていた。町内会の人が汁粉とかスープを振る舞ってくれた。お参りするときは神職がちゃんと榊で清めてくれた。非常に丁寧な感じで気持ちがいい。来年からもここに来よう、と思った。
 2日、思いつきで都心のデパートに福袋でも買いに行こうか、という話になり、それでは義父でも呼んで一緒に出かけようか、ということになって、・・・本当においでになった。というわけで、日本橋と銀座の百貨店で福袋を買ってみた。私はああいうものは初めて買ったのだが、近頃はある程度、中身が分かるようになっているから、そんなに冒険じゃないわけですね。「波乗り達人」とかいうブランドのダウンジャケットとか、カシミヤセーターの入った福袋を購入。義父に買っていただいた。妻もなにやらダウンジャケットやコートの入った福袋を買った。不思議なもので、我々が買っていると、それまで特に人だかりも無かったのに人が集まってきて、あれが欲しいのこれが欲しいのと、人が買っていると欲しくなるものらしい、なんだか大騒ぎになってしまった。商売とは不思議なものである。
 ということで、なんか思いがけなくいい正月となった。珍しく、穏やかな気分で過ごせたものである。
 ◇  ◇  ◇
 で、これから出社に及ぶわけだが・・・とにかく、面倒なことが無いことを祈る。
 本年もよろしくお願い申し上げます。
 

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